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現象(英 phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「実在」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が現象主義である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「表象」や「クオリア」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・本体 (noumenon)を想定し、それがわれわれの意識に現象をもたらしていると考える立場。イマヌエル・カントは「物自体」を想定し、人間には物自体は認識不可能であり、認識可能なのは現象界だけだと考えた(不可知論)。 (3)実体や物自体の存在を認めず、現象の認識だけを認める立場で、現象主義と呼ばれる。経験主義と実証主義の方法を進めた思考型である。ジョージ・バークリー、デイヴィッド・ヒューム、エルンスト・マッハ、A.J.エイヤー、大森荘蔵などに代表される。現代でも論理実証主義や操作主義(operationalism)でその方法論が用いられている。 哲学の歴史では、紀元前のパルメニデスが、変化する現象は矛盾だとして不変の実体を想定したことから、現象についての哲学的考究が始まる。パルメニデス以降の哲学者は、変化する現象と不変の実体とを調和させるため、イデア論や原子論など、さまざまなアイデアを考案することになる。 中世スコラ哲学においては、実在する対象に対応するかしないかによって「現象」か「仮象」に区別されることもあった。 ジョージ・バークリーは、客観世界の実在性を否定して現象のみが存在するとした。これが現象主義の始まりである。 イマヌエル・カントは、現象を物自体と対比した。人間には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリ(先験的)にそなわっているとし、その認識形式、つまり人間の認識装置によって物自体を捉えたものが現象であるとした。 フッサールの現象学では、現象外部の実在性について判断を中止し、現象の構造を分析し記述するという方法を採用した。カントが感性や悟性といった超越論的な能力をもつ自我を想定したのに対し、フッサールは現象を記述するための手段として自我を(暫定的に)想定したに過ぎない。フッサールは現象について、その背景にある実体などとの相関については想定しない。 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
https://w.atwiki.jp/juner/pages/27.html
現象 - R.Wの一般的な場合内容 現象 - 常在者(カーネル)関連内容 関連用語 現象 - R.Wの一般的な場合 現象 『げんしょう』と読む 内容 その事象の事。 大体は取り消せない。 現象 - 常在者(カーネル)関連 現象 『げんしょう』と読む 内容 世界における『常在者の意志』で行われる世界への干渉の事。 通常は乱数的要素により神出鬼没で現れる。 しかし、不条理を行使するモノが現れると、常在者の防衛行為としてその場所へ出現する。 関連用語 常在者 - かーねる 不条理 - ばぐ
https://w.atwiki.jp/sakura394/pages/701.html
現象(英 phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「実在」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が現象主義である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「表象」や「クオリア」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・本体 (noumenon)を想定し、それがわれわれの意識に現象をもたらしていると考える立場。イマヌエル・カントは「物自体」を想定し、人間には物自体は認識不可能であり、認識可能なのは現象界だけだと考えた(不可知論)。 (3)実体や物自体の存在を認めず、現象の認識だけを認める立場で、現象主義と呼ばれる。経験主義と実証主義の方法を進めた思考型である。ジョージ・バークリー、デイヴィッド・ヒューム、エルンスト・マッハ、A.J.エイヤー、大森荘蔵などに代表される。現代でも論理実証主義や操作主義(operationalism)でその方法論が用いられている。 哲学の歴史では、紀元前のパルメニデスが、変化する現象は矛盾だとして不変の実体を想定したことから、現象についての哲学的考究が始まる。パルメニデス以降の哲学者は、変化する現象と不変の実体とを調和させるため、イデア論や原子論など、さまざまなアイデアを考案することになる。 中世スコラ哲学においては、実在する対象に対応するかしないかによって「現象」か「仮象」に区別されることもあった。 ジョージ・バークリーは、客観世界の実在性を否定して現象のみが存在するとした。これが現象主義の始まりである。 イマヌエル・カントは、現象を物自体と対比した。人間には感性と悟性の二種の認識形式がアプリオリ(先験的)にそなわっているとし、その認識形式、つまり人間の認識装置によって物自体を捉えたものが現象であるとした。 フッサールの現象学では、現象外部の実在性について判断を中止し、現象の構造を分析し記述するという方法を採用した。カントが感性や悟性といった超越論的な能力をもつ自我を想定したのに対し、フッサールは現象を記述するための手段として自我を(暫定的に)想定したに過ぎない。フッサールは現象について、その背景にある実体などとの相関については想定しない。 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
https://w.atwiki.jp/fistados/pages/18.html
「現象(げんしょう、sorro)」とは、死神が発生させる気の状態のこと。 神界語の言霊を含んだ命令形を発することで自然界に命令を下し、気を作り出す。その気を形成して起こす様ざまな作用のことである。あくまで気に自然現象へ介入操作させる際の命令であり俗にいう「呪文」ではない。 単語を発すれば誰でも使える訳ではなく、形成までのプロセスと発生後の動作をすべて思い描いていないと発動しない。死神でも全ての現象を操れる訳ではなく、未知の現象も多い。手や指などで指示する必要は特になく、全く意図しない体勢からの発動も可能。 目次 現象の一覧qorsardé(オルサルデ):命に従え estrdé(エストルデ):射抜け òrsardé(エルサルデ):叛け partènordé(パルタノルデ):塞げ xherdé(セルデ) leńordé(レノルデ):増幅しろ nastrdé(ナスタルデ):失え nogtardé(ノータルデ):弱まれ gartardé(ガルタルデ):止まれ hornardé(ホルナルデ):電じろ paytardé(ファイタルデ):共鳴しろ lhe˜ßordé(リゥェソルデ):穫れ xognordé(ソークノルデ):発せ rhoßerdé(ローセルデ):降れ 拡張式(かくちょうしき) 倍詔(ばいしょう) 気 影響物体移動限界速度('cravhuenèris) 物質劣化速度('cravonotoris) 時空速度('tòporis) 関連用語 現象の一覧 qorsardé(オルサルデ):命に従え 死神の中では最も基本的な現象。対象となる偶然の生存者に触れながらこれを命令すると、本来の死ぬはずだった死因で殺すことが出来る。タイミング調整によるタイムラグはあるものの確実に死ぬ。対象に触れていなかったり、まだ死が訪れていない者や死神に対して用いても効果は無い。 estrdé(エストルデ):射抜け 気を槍状に練り上げて高速で放つ現象。原則的に気の圧縮時間が長いほど射出速度が増す。速度は平均100km/s、最大速度は240km/s。 browas(ブロアス):estrdéの 拡張式 の一つ。「まっすぐに」という意味。止まるなどの指示や対象物に当たらない無い限り、限りなく直線に突き進む。(対象物が避けた場合、迂回して戻ってくるが、後ろや横に進むことは出来ないので現象で進行を妨害された場合はそのまま停滞し続ける。) wendas(ウェンダス):estrdéの拡張式の一つ。「曲がるように」という意味。補助としてどこへどのくらい曲がるのかを構想する必要がある。 galios(ガリオス):estrdéの拡張式の一つ。「圧迫しながら」という意味。後ろにある空間を圧縮し加速率を上げる。射出時は術者本人もバックヤードを受ける。 varstë(バルステェ):estrdéの拡張式。神界無類の最大規模・最大出力を誇る現象。光速の736倍の速さを記録し、通常のestrdé最大出力の約5万倍の破壊力を持つ。あまりの出力の高さに一瞬で時空間をねじ曲げた。神界の実験では射程周囲半径160km、深さ60kmを消失させ、一光年先の木星級の星をわずか0.0000001秒で小惑星帯にまで粉砕した。予想外の反動にその場にいた射撃主を含む実験関係者はことごとく消滅するという事態となった。 òrsardé(エルサルデ):叛け 自身に向かってくる現象に対して叛発を促し、射撃主を攻撃するように仕向ける現象。 この現象を施した場合、対象となる現象の周りを強い気で取り囲み命令形を遮断するため、射撃主からは一切の制御ができなくなる。 コンピュータの文字コードによっては「orsardé」「versardé」と書くこともある。 partènordé(パルタノルデ):塞げ 気で素粒子を包囲し凝固させ高密度で三角形の壁を作り空間レベルで遮断する現象。これによってできた壁を三角高密度素粒子壁ともいう。 一枚でも強力なダイナマイトを防げるほど頑丈だが、死神の実力によっては何層にも重ねることで核爆弾(放射線も含む)を防ぐこともできる。 三角の面積が小さいほど密度が上がり、大きいほど密度が下がる。 xherdé(セルデ) 一度起こした現象を解消する命令。 「閉じろ」や「止まれ」などの消極的な意味を持つ。 filloßós(フィロソス):xherdéの拡張式。「命令する」といった意味。身前に神文を表示し、これに触れた現象はòrsardéの制御下にあろうとも消滅する。ただし、自身の放った現象にしか通用しない上に、極度の疲労を伴う。 leńordé(レノルデ):増幅しろ 体力を糧として自身の攻撃や強度を増幅させる現象。発生させた気を纏うことで機敏かつ硬度を上げ、行動力を上げる。 増幅のレベルは 倍詔 を添える。 nastrdé(ナスタルデ):失え あらゆる現象を相殺させる。発生した現象の反位現象を発生することで現象自体を相殺させるが、現象に対して同等の力を発現させなければならない特殊性から制御が難しく、場合によっては爆発や暴走を引き起こすことがあるので注意が必要。防御現象に対しては「拮抗」、攻撃現象に対しては「浸食」と呼ばれる。パブリクおよびクブリクの制御官は必須習得現象。 nogtardé(ノータルデ):弱まれ 現象を消極化させる。これを施されても現象は完全に力を失うわけでなく、単純に威力が弱まるだけ。nastardéに比べ技術力は必要としないが、効力が弱いことと消極化させられない現象も存在するのでnastardéとの併用が好ましい。 gartardé(ガルタルデ):止まれ 気によって閉じられた空間内にある素粒子の動きを拘束して停止させる。事実上時間が止まったような状態となり、現象が持続する限り朽ちることもなければ動かすこともできない。また、一切の分子運動が空間ポイントに対して固定されているため、外部からは空間内に手などを入れることが出来ず、高密度な塊のようになる。 cömos(コーモス):grtardéの拡張式のひとつ。「素粒子」という意味。素粒子の運動を止める。省略可能。 celes(ケレス):grtardéの拡張式のひとつ。「原子」という意味。原子核の運動を止める。 cestos(ケストス):grtardéの拡張式のひとつ。「元素」という意味。元素の陽子、電子、中性子までの運動を止める。 hornardé(ホルナルデ):電じろ 気により電子を収束させて流れを作り出して電気を帯電させる。発生した電気は自身も感電する恐れがあるため現象の扱いは難しい。ただし、死神は神経系電気信号により動いているわけではないので感電しても痙攣を起こすことはない。 cxros(クロス):hornardéの拡張式のひとつ。「電子」という意味。陽電子と陰電子を対活性させて臨界を作りプラズマを発生させる。 cxronis(クロニス):hornardéの拡張式のひとつ。「陽電子」という意味。プラス電気を発生させる。 cxronos(クロノス):hornardéの拡張式のひとつ。「陰電子」という意味。マイナス電気を発生させる。 paytardé(ファイタルデ):共鳴しろ 気により原子を振動させて低周波から高周波までの音波を発生させる。音楽を奏でるものから破壊音波の発生まで幅広い。 lhe˜ßordé(リゥェソルデ):穫れ 気を弧状に形成し、鎌のような刃を作り出す。それを何らかの形で弾き飛ばすか、棒などに固定させて切り裂く。高密度のものになるとその形がはっきりとわかる。 xognordé(ソークノルデ):発せ 超振動粒子マイナス原子体を限界まで圧縮し、プラス原子に触れた瞬間に電子を対反応させることでプラズマ爆発させて吹き飛ばす。どんなに軽く圧縮しても核爆弾ほどの破壊力を持つ。この際に生成される液体状のものは5mlほどの小さなもの。 rhoßerdé(ローセルデ):降れ estrdéに似た巨大な針状の気を上空2kmから一気に降下させる。倍詔に倍々比例して針の数が増えていく。最大はセノトグーステスの4000本。 拡張式(かくちょうしき) 現象に更なる機能を付加する際、現象命令の前に提唱する単語。 現象によって拡張単語は異なり、同じ単語を共有する場合でも効果が異なることがある。 拡張式接尾辞では命令形(-rdé)ではなく形容詞(-s)となるのが普通(ただし「varstë」などの例外もある)。 倍詔(ばいしょう) 現象の強さや規模を調整するために付加するもの。 その出力に耐えられるかは死神自身の実力に左右される。 基本的に「数詞+nos」という形式である。 setenos(セテノス):2倍 tronos(トローノス):3倍 grawdènos(グラウディノス):6倍 bitnos(ビートゥノス):9倍 radianos(ラディアノス):12倍 気 神界語による言霊を持つ命令形によって発生し、さまざまな動きをして現象を発現させる元となるもの。クブリクの技術機関T.R.U.N.によると、素粒子を取り囲み制御することから物質ではないとしている。詳しい発生原因は解っていないが、「媒体」を利用して特殊な環境を生み出すことが解っている。媒体となっているものは解明されておらず、いかなる場所条件下でも気の消失や虚弱が発生しないため、「媒体」の発見は難しいとされている。擬似的な媒体として神文があり、これは死神の科学技術で作られたもの。 影響 物体移動限界速度( cravhuenèris) 物質が質量と分子構造を維持できる限界の速度圧。理論名をecs速(ers cerós sorvhues)、正確な値は出ていない。この速度を超えると分子構造が空間圧により破壊され素粒子レベルまで砕けて消滅する。 物質劣化速度( cravonotoris) 全ての現象は物質劣化を伴う速度を超えることは出来ない。クブリクの技術機関P.W.D.によれば、その速度を停止あるいは加速させることはできるが、fir.4297(初加速復倍率fir.0.2)を超えることは不可能とされている。 時空速度( tòporis) 光速より速い空間と時系が移動する速度のことだが、現象でこの速度を出せるのはvarstëだけである。0.0001秒以内にこの銀河系を脱出し、神界の科学力で計算できる最大速度は光速の約4万倍、可対峙性物質抵抗は約fir.2,000,000,000,000,000,000(20垓粒の砂が光速以上の速度で1点に集中衝突する圧力)とも言われる。時空速度の上限は定かではない。未知の部分が多く、現象での再現も限定的である。無論、あらゆる現象を用いてもこれを止めることは出来ない。初時空速度を超えると時間が停止に等しい効果がある。 関連用語
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11月20日 今日は、「秋現象」の日 2010年に行われた「熱海秋現象」 あれからもう10年が経ちました。 熱海だけではなく、日本が、世界が大きく変革しつつある中の節目の年。 お元気でいらっしゃいますでしょうか。 10周年を記念してちょっとした企画を…と考えていたときもありましたが 今は人を集めるということがタブー化しておりますので 色々落ち着いて、まだ皆様があの頃の楽しかった2日間を少しでも覚えていてくださっておりましたら 何かやりましょう。かならず。 それまで、皆様もお元気で! 2020/11/20 らんち 下記イベント「熱海秋現象」は 2010/11/20-21に実施、無事に終了致しました! 夏の「熱海ラブプラス現象」を通じて経験した 熱海で感じたカレシ達との交流、熱海の方とのコミュニケーション 楽しい思い出を受け取った、残念ながら受取れなかった 一人で参加して、実はちょっと寂しい思いをした もっともっと熱海を知りたい! などなど 私も、皆様も色々な感想をお持ちかと思います そしてまだリアルな熱海を経験していない皆様 この夏だけで終わらせるには勿体ない。行けなかったけどまた機会があれば…! そう思ったことはありませんか? 行きましょう、もう一度! 今度はみんなで! 実施目的 夏の熱海ラブプラス現象を通じて作られた 「ラブプラス+」「ユーザー(彼氏)」「熱海」を融合したコミュニティの維持と発展 特に、熱海の方々と交流する事を主目的とする 企画者 興味を持ってくださったカレシの皆様 & らんち(Twitter Ranchi12) (ご連絡は下記までお気軽に!) メール:lp-autumn@yuran.jp Twitter:lpatami201011 掲示板:'http //yuran.jp/lpatami201011/bbs/kikaku/' ☆当wikiに記載されている会社名・製品名などは、 各社の登録商標、もしくは商標です ☆『ラブプラス』『ラブプラス+』に関わる著作権、その他一切の知的財産権は、株式会社コナミデジタルエンタテインメントに帰属します。 ☆このサイト・イベントは個人による活動となります 熱海のご協力店舗様のご協力をいただいておりますが、個人と相互に利益は発生いたしません また、原作者様、メーカー様、その他企業様との関わりはございません ☆wikiに掲載されている全ての画像、テキストにつきまして 一部・全部問わず無断で転載・掲載することはご遠慮ください ☆当イベントは営利を目的としておらず、ご参加費から経費等を除き余剰発生した金銭につきましては お世話になりました熱海関連施設(もしくは団体)に全額寄付いたします 【熱海秋現象 on Twitter】 #twitter_badge
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現象
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現象魔法(侯式ヴァンジェ語:○○○○、英語:Phenomagic)とは、共立世界の異能技術の一系統である形而法術のうち、○○○○による現象学に基づく現象術式を体系化したものである。 目次 概要 危険性アポリア 現象魔法の種類三大属性意味系 表象系 本質系 四つの補助属性言葉外装(レーデ)言葉外装他者輻輳(アルター) 物語外装(メルヒェン) 音楽外装(ムジーク) 時間外装(ツァイト) 難易度による分類基礎魔法 低級魔法 中級魔法 上級魔法 関連ページ 概要 現象魔法は○○○○による現象学に基づく魔法法術である。現象学は客観性が認識の主観性を基礎として構成される科学的思考とは全く異なり、認識は全て主観的なものとして主体の受け取る現象を現象として主観を出発点として一般的に分析しようとする世界認識である。 例えば、科学ではりんごの存在の客観性は多数の証拠によって認められるが、現象学ではその証拠自体も人間が見出した主観性に基づくものであり、りんごの存在は結局の所は主観性の分析をしなければ認められないという立場となる。ここに基づいて、現象魔法は主観性に影響する魔法ということになっている。 危険性 現象魔法は人間の素朴な認識を阻害したり、変更したりすることによって実現される。このため、多大な素朴認識の変更を行えば行うほどに、その周囲の人間や魔術師の精神を蝕んでいく。このため強度の強い現象魔法に関しては注意が必要になる。ラヴァンジェ諸侯連合体の「最終戦争」もこういった現象魔法の性質により、魔術師が発狂した状態で文明を滅ぼしたとの学説が一般的である。 このため、最終戦争の後継国であるラヴァンジェは現象魔法の国際管理国家としての意識を強く抱いており、現象魔法の広がりに関しては極度に警戒する姿勢を持っている。 アポリア 詳しくは「アポリア」を参照。 現象魔法は現象魔術師機関によってその歪みなどを最小限にするように運用されているが、溜まった歪みが人間に影響しない代わりに世界に影響を与えて具現化し、意思を持った災害として化現することがある。これをアポリアと呼び、機関に所属する機動魔術師が対応に当たる。現象魔法を多用するラヴァンジェでは地震のような頻度で発生する災害であるため、対処も迅速に行われるが、その他の共立機構の加盟国では対応に遅れて犠牲者が増える場合も多い。 現象魔法の種類 現象魔法には幾つか大別できる種類があり、これを属性と呼ぶ。 三大属性 意味系 表象と本質を繋ぐ意味に対する介入を行う現象魔法を指す。最も一般的な現象魔法の属性であり、ほとんどの現象魔法はこれに属する。現象魔法を学ぶ魔術師が教科書的には最初に覚える属性であり、現象魔法の基礎である。 現象と本質の間を繋ぐ意味を繋ぎ変えたり、切ったりすることで現実に影響を及ぼす。このため、素朴な現象自体や世界の根本たるイデアを弄ることがなくアポリアの原因となる歪みの発生も最も少ないとされる。 表象系 表象・現象に対する介入を行う現象魔法を指す。現象自体に直接的に介入するため、魔術師への負荷が意味系とは違い大きいことが特徴である。歪みの発生は意味系より多いのは確かだが、それよりも主体への精神負荷の方がより大きなデメリットになっている。このため、むやみに発動することは避けられている。 その代わりに発動できれば、即応的で明瞭な効果の魔法を期待することが出来る。 本質系 本質・イデアに対する介入を行う現象魔法を指す。最も難しい現象魔法の属性であり、歪みの発生も三大属性のうち最も大きい。世界の根本たるイデアを弄るため、世界にどのような不可逆的な影響が出るのか効果が予測しづらく、昔から多くの本質系魔法が禁呪にされてきたこともあり、詳しいことは分かっていない。 ラヴァンジェ諸侯連合体においては許可なく本質系魔法を発動することは違法である。 四つの補助属性 補助属性は属性に加えて、現象魔法の表象的な行使のあり方を指す。外装とも呼ばれる。一般的に現象魔道士が魔法の発動に補助的に用いる道具である呪具と繋がっている。補助属性がなければ、現象魔法を発動させることが出来ないわけではないが非常に難しい。このため非常武力事態において、ラヴァンジェの武装部隊は呪具を持つ者を攻撃の意図があるとして無差別的に殺害することがある。 素質がある者やクラックなどは補助属性無くして、現象魔法を発動できる。 言葉外装(レーデ) 言語を用いた現象に対する介入を指す。自らの声帯と脳の前頭葉下前頭回にあるブローカー野と側頭葉上側頭回にあるウェルニッケ野を用いるため、呪具を用いるものは少ないが呪具化された辞書や万年筆などを用いる者もいる。最も一般的な補助属性であり、習得の難易度も低い。応用や他の外装との連携も柔軟にできるため、現象魔法学の臨戦教育においてはまず最初に教えられる外装である。呪文や詠唱魔法を中心に用いるため、現象介入の感覚さえ覚えられれば簡単に行使できるのが魅力だが、その代わりに意味系以外の属性とは相性が非常に悪いため、そこまで高度な魔法を発動できないという弱点もある。 言葉外装他者輻輳(アルター) 言語外装の一形態であり、物質の固有周波数を利用する。現象魔術師の中では最も下劣で物質的な魔法と見做されており、学習する者は少ない。 物語外装(メルヒェン) 物語を道具に用いた現象への介入を指す。具体的な呪具としては本、文書、札などである。魔導書を用いるタイプは行使に時間がかかり、即時的な反応が難しい代わりに強力で複雑な魔法を発動できる。物語外装(メルヒェン)一般に行使に時間が掛かるわけではなく、札などを使うタイプは紙人形などを飛ばしながらアグロ的な動きが可能である。ただ、呪具の種類が広いだけあって物語外装(メルヒェン)の使い手がお互いに呪具を交換して使ったり、魔法を同調させたりすることは難しい場合が多い。 音楽外装(ムジーク) 音楽を利用した現象への介入を指す。具体的な呪具としては楽器、タクト、メトロノームなどである。音楽外装(ムジーク)は基本的にその音楽の流れを、現象介入に利用するためある程度詠唱時間が必要になる。このため詠唱中の防御のために他の人間を必要とするため、単独での行使に向いていない。その代わりに発動に成功した場合、その現象介入は強固に実行され、他の現象魔法による上書きは困難である。音楽外装(ムジーク)の使い手同士では、形式が非常に似るため、連携がしやすいと言われている。 時間外装(ツァイト) 時間を道具に用いた現象への介入を指す。具体的な呪具としては懐中時計、腕時計、日時計など。ほとんどの人間が携帯できる時計を魔道具として用いる。ただし、時間外装(ツァイト)を用いる魔道士が必ずしも時を止めたり早めたりする魔法を使うというわけではない。現象魔法上における時間概念の定義によって発動の機序は大きく異なると共に世界の基礎に関する介入であるため難易度も上昇する。同じ時間外装(ツァイト)の魔道士でも連携はほぼ不可能である。 難易度による分類 基礎魔法 様々な魔法系統の基礎となる魔法であり、魔術師が一番最初に習う魔法のプロトタイプ的なものである。難易度は非常に低く、現象魔法を専門としない一般人でも簡単に習得が出来る。しかし、出来ることは本当に些細な事である。 言葉外装(レーデ)であれば、高度に訓練された基礎魔法を無詠唱(詠唱破棄)で実行が可能である場合もある。 低級魔法 中級魔法 上級魔法 関連ページ アポリアクラックアンクレットクラック公的登録制度志向性解放機構術式学
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独:Phänomenologiは、 哲学的学問及びそれに付随する方法論を意味する。 哲学史上、哲学者によって「現象学」が指し示す概念は大きく異なり、 1人の哲学者においても活動時期によって概念は変遷している(フッサール)。 下記に代表的な3つの「現象学」の概要を記す。 1. G.W.F.ヘーゲル(1770~1831)が1807年に出版した著作『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes)の中で、 「現象学」は主観的意識から現象の背後にある絶対精神を把握する哲学の手引きとして示される。 弁証法的現象学と呼ばれることがある。 2. 19世紀末、心理学主義・生物学主義の蔓延するヨーロッパ思想界を背景に、 諸科学(数学・物理学)の基礎付けを行うことを目標にして、 エトムント・フッサール(1859~1938)が提唱した、 学問及びそれに付随する方法論を超越論的現象学(独:transzendentale Phänomenologie)と呼ぶ。 超越論的現象学では認識論的批判に無関心な、存在(=「超越」)を自明なものとして捉える「自然的態度」を保留にした状態で、 存在と「意識」との関係及び、 それぞれの意味が純粋経験=志向的体験から反省的に問われる。 なお、後期フッサール(1920年代以後)においては更なる深化を遂げ、 前-意識的な領域(現象が現象として成立する地平)を問う発生的現象学(独:genetische Phänomenologie)が唱えられる。 3. マルティン・ハイデッガー(1889~1976)において、超越論的現象学は批判的に摂取され、 「存在者」の「存在」を存在の明るみに出す、解釈学的な方法として用いられる。 ハイデッガーの現象学は、解釈学的現象学と呼ばれることがある。 本項では、「解釈学」と共に現代ドイツ哲学の二大潮流を形成し、 ハイデッガー、サルトル、メルロ・ポンティ、デリダらに批判的に継承された「現象学」について述べる (上記では2、3項目に該当)。(ヘーゲルの精神現象学については別項精神現象学を参照) フッサールの目標は、「事象そのものへ」(Zu den Sachen selbst!)という有名な研究格率に端的に表明されている。 つまり、いかなる先入観、形而上学的独断にも囚われずに存在者に接近する方法をフッサールは求めたのである。 その過程で、フッサールの「現象学」の概念も修正されて行った。 下記においては、フッサールを活動時期によって 1.前期 2.中期 3.後期の3つに分け、各々の時期に考案された主要な概念を取り上げて叙述する。 前期(記述的現象学)~『イデーン』前まで~ [編集] 1900年前後のヨーロッパにおいては、学問が自己の整合性・論理性のみから展開していく一方で、 特に数学・論理学の領域で、心理学主義・生物学主義的な、心理的現象から論理を基礎付けようとする思想が席巻していた。 心理学主義とは、あらゆる対象の基礎を心理的な過程に基づけようとする試みである。 数学の研究者から出発したフッサールの関心も、心理学から、論理・数学を基礎付けようとするものであった。 フッサールは、大学で約2年間師事したブレンターノの「志向性」(独:Intentionalität)の概念を継承したとされる。 ブレンターノにおいて、「志向性」とは「意識」が必ず相関者(対象)を指し示すこと、 言い換えると「意識」とは例外無く「何かについての」意識であることを意味する。 ブレンターノ自身は、志向性の概念を心理作用の分類に用いただけであったが、 フッサールは、「意識」がまず存在し、その後で対象が確認されるのではなく、 「意識」と相関者(対象)が常に相関関係にあるという志向性の特徴に着目した。 純粋経験=志向的体験 [編集] 現象学的還元(超越論的還元及び形相的還元) [編集] 日常的に、私たちは、自分の存在、世界の存在を疑ったりはしない。 私たちは、自分が「存在する」ことを知っているし、 私の周りの世界もそこに存在していることを知っている。この自然的態度を以下の3点から特徴づけ批判する。 1. 認識の対象の意味と存在を自明的としていること 2. 世界の存在の不断の確信と世界関心の枠組みを、暗黙の前提としていること 3. 世界関心への没入による、意識の本来的機能の自己忘却 このような態度の下では、人間は自らを「世界の中のひとつの存在者」として認識するにとどまり、 世界と存在者自体の意味や起源を問題とすることができない。 このような問題を扱うために、フッサールは世界関心を抑制し、 対象に関するすべての判断や理論を禁止することで(このような態度をエポケーという) 意識を純粋な理性機能として取り出す方法を提唱した。 1900年にフッサールの『論理学研究』が出されると、 ミュンヘン大学の心理学者リップス門下のプフェンダーらの共感を呼んだ。 1905年にはフッサールのゲッティンゲン大学とミュンヘン大学の間で学的交流が開始され、いわゆる「現象学運動」が開始された。 1906年にはシェーラーがイエナ大学からミュンヘン大学に移籍し、この運動に合流した。 1913年からの『現象学年報』刊行はその一つの結実であった。 この初期の、ミュンヘン大学を中心に展開した現象学運動を「ミュンヘン学派」 あるいは「ミュンヘン現象学」と呼ぶ。 次第にフッサールとミュンヘン学派は思想的相違から懸隔を生じさせ、 1916年にフッサールがフライブルク大学へ移る頃には、その対立は決定的になっていた。 フライブルク時代のフッサールはあまり表面に出ることはなかったが、 この時期に重要な作業研究に打ち込み、 また多くの後継者を育成した。 とくにこの「フライブルク現象学」時代に彼の後継者として現れ、現象学の存在論的発展を切り開いたのがハイデッガーである。 1927年『現象学年報』誌上に発表されたハイデッガーの『存在と時間』は、 現象および現象学に明確な規定を定め、さらにフッサールの、意識を純粋存在とみなす考えを批判し、 実存的な人間存在である現存在の存在体制としての「世界・内・存在」構造の分析が進められた。 ハイデッガーはさらに『根拠の本質について』、『形而上学とは何か』で現象学的存在論を深めたが、 1930年代には方法的限界を示唆するようになった。 第二次世界大戦後、現象学はフランスに場を移して発展した。 同国での現象学哲学者としては、サルトル、メルロ・ポンティ、ギュルヴィッチなどがいる。 20世紀以降の現象学の学問的潮流は「現象学運動」と呼ばれる。 その後、現象学で培われた多くの概念や方法論は、 20世紀末期に注目される心の哲学へと波及し、 心身問題や主観的な体験であるクオリアの問題を論じるさいに参照される、重要な知的リソースの一つとなっている。
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クラッキングエフェクト 作品名:スチームパンクシリーズ全般 用語分類:術技分類 発明者:ロード・アヴァン・エジソン スチームパンクシリーズ(Liar-soft)に登場する用語。 現実を歪める数式。大脳など身体に埋め込むことで現実では起こり得ないような現象を引き起こすことが可能となる。 詳細物理を超越する数式 アステア理論大脳変異者が使う現象数式 現象数式体(クラッキング・ビーイング)現象数式によって顕現する存在 元ネタ 関連項目現象数式体 関連タグ リンク 詳細 物理を超越する数式 《時間人間》によってもたらされた術式演算を行うだけで物理法則を捻じ曲げる数式。使用時にクラッキング光と呼ばれる光が放出される。 公式印刷物ではないがヴァン・ホーエンハイムがエジソンと戦う際に魔術を数式として使ったことを目にして作り上げた、あるいは模倣したとされる。 あらゆる物理をねじ曲げる、 まさしく、これこそが現象数式の真の力。 異能などその余技に過ぎない。 これだ。これこそが。 圧倒的なまでの力、 世界を、物理を、改変せしめる力。 世界を書き連ねる数を弄り回す力。 アステア理論 大脳変異者が使う現象数式 大脳に現象数式を習得する碩学級の頭脳を持たずとも大脳が変容した人物であれば扱える。あらゆる人が異形化した異形都市インガノックにおいても体得できる人は少数。 ——脳が機能する。 ——現象数式を司る器官である“脳”が (中略) 質の悪い冗談のような、 この、現象数式という手品を扱えるように。 ギーの脳は歪んでこうなった。10年前に。 現象数式体(クラッキング・ビーイング) 現象数式によって顕現する存在 現実を犯す幻想の存在ほとんどの個体が物理を無効化し、さらに何かしらの万象を死に至らしめる能力を持つ。 元ネタ クラッキング(英 Cracking) 悪意をもってコンピュータのデータを改竄、窃視、破壊などを行うこと。 関連項目 数秘機関 現象数式によって発明された機関。 異能 限定的な現象数式 現象数式体 《奇械》 クリッター グリム=グリム 《怪異》 《機怪》 《御使い》 関連タグ スチームパンクシリーズ(Liar-soft) 事象干渉 用語 用語(能力) 用語(術技) 赫炎のインガノック リンク Wikipedia クラッキング (コンピューター用語)
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概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。 前史 歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。 近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。 英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。 このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。 また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。 方法論 マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。 マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーア、バートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。 日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。 現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。 論理実証主義 論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。 論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。 論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。 (1)科学的世界把握 ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。 (2)物理主義へ 論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。 (3)論理主義 当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。 (4)形而上学の否定 論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。 現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。 クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。 批判と補足 現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。 ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。 なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。 マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。 大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。 現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。 なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと) 現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵の重ね描きである。 参考文献・論文 大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年 大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年 大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年 金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年 木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年 小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年 丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年 戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年 ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年 田村均「現象主義の検討」 http //repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf 片桐 茂博「現象主義と主観性」 http //ci.nii.ac.jp/naid/110000486933 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E9%A8%93%E8%AB%96 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2