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PS版三国志7は、PC版と比べ、大会で引用された詩句の数が増えているようです。 (例:曹操短歌行からの引用句数 PC版4句 PS版5句) 漢詩大会の元ネタ集では、PS版で追加された詩句については解説していません。 そこで、ゲーム内の大会で引用された漢詩を中心に、三国時代でも有名な漢詩の全文と、日本語訳を掲載します。 注意事項、編集方針については、下記をご覧下さい。 ●三曹 漢詩大会の漢詩全文/曹操 漢詩大会の漢詩全文/曹丕 漢詩大会の漢詩全文/曹植 ●建安の七子 正しくは「孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀」の7人ですが、ここでは応璩・阮籍も関係者ということで混ぜてます。 漢詩大会の漢詩全文/王粲・阮籍・孔融 漢詩大会の漢詩全文/徐幹・陳琳・劉楨 ●他の引用元 漢詩大会の漢詩全文/詩経 漢詩大会の漢詩全文/楚辞 漢詩大会の漢詩全文/漢代の有名人 漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首 漢詩大会の漢詩全文/漢代「古楽府」 漢詩大会の漢詩全文/晋代 ●漢詩大会では登場しないが、三国志を彩る漢詩諸々 その他の漢詩全文/三国志7の有名人 三国志7に登場する武将の作品 解説動画(雑談含む) (六合氏/ニコ動)その時歴戦が動いた 曹操父子と三国詩前編/後編 注意事項編集方針 原文の出典元 注意事項 訳について(2012.2.27 ゲームで登場する漢詩の全翻訳仮完了) 「誤訳御免」でお願いします。当ページの元編集者はこれ以上、追加修正する意思はありません。(著作者尊重のために)超初期の明らかな誤訳だけ訂正して、後は後に続く人が出ることを期待します。 自分なりに訳して、人に迷惑をかけない程度に楽しんでください。 追記 当時に下で書きましたが、当漢詩全文コーナーの解釈は、著作権切れ書籍からのまた引きか、編者の低品質な意見でしかありません。 (著作者、および永きにわたる先人の積み重ねを前に、"自分の意見"というのもおこがましいと考えますが、浅学無知の身であり、時々そのように受け止められかねない書き方もある点はご容赦頂ければ幸いです) 過去および将来にわたり、編者が金銭を求めることもありません。仮に当コーナーと似たような内容かつ有料の書籍があったとしても、当コーナーや編者とは一切無関係です。 今はインターネット上で、誰でも無料で読める論文や古典籍の数も増えました。三方書店さんのシリーズなど、良い専門書籍の紹介もされています。 ゲーム目的ではなく、漢詩に興味を持ち訪れて下さった方ならば、この場末ではなく、より質の良い資料に触れ、より知識を深めてくださるよう、お願い申し上げます。 内部リンクについて 編集者の不精により、飛んだ先のページから目次に戻るためのリンクが、「一部通行止(通年)」になっています。 該当箇所では、「BACKキー」で戻ってください。 単語解説について +単語解説。左の「+」をクリックすれば展開します 単語解説だけをずらずら並べるのも読みにくいので、こんなかんじで、解説を略しているところがあります。 左の「-」をクリックすれば、元に戻ります。 編集方針 基本「放逸でGo、ただし他人様に迷惑はかけない」 読み下しについて 編集者の色々な考えにより、読み下しはしません。 其の一・其の二について 出典元しだいでは、たまに使っていないところもあります。 大きな理由は「曹操の短歌行、其の一、其の二」だけだと、場合によっては、どれがどの作品か判らないためです。 「(其の一)對酒當歌」「(其の二)周西伯昌」というように、ワンフレーズを使うとわかりやすくなります。 このワンフレーズは最初の一句、「艶」のように曲のイントロ部分の呼称からついたタイトルなど色々在りますが、特に作成ルールも決まってないようですし、そのへんはテキトーで。 引用元の優先順を設ける 原典の質や信頼性より、最低でも日本における著作権・所有権などの問題をクリアすることを優先します。 複数のソースがある場合、できる限り全て紹介しますが、不可能であれば、ソース所有者との意思疎通が円滑に行えるソースを優先します。 1. 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー(略称:近デジ)、国会図書館デジタル化資料(国デジ)他、青空文庫、国立公文書館等、国内機関 著作権が消滅している作品を優先。 (国会図書館には問い合わせ済。青空文庫については「青空文庫収録ファイルの取り扱い規準」に準じます) 2. 『三国時代の文学スレッド』まとめサイト等、日本国内のソース 原文および翻訳、参考資料があるため、一例としてリンクをはる。 3. 維基文庫(略称:維基)、Internet archive(略称:IA)、漢籍電子文献資料庫(略称:台湾) 出来る限り原文の検索や、確認にとどめる。 1、2に作品が見当たらない場合は全文、一部の文章が違う場合は違う部分を、使用する。 以上の理由から、引用原文の真偽考証は優先順が低いです。ご了承ください。 原文の出典元 下記にあるリンク先のデジタルデータを参考にしています。 著作権侵害の可能性については気づき次第対応しますが、指摘もお願いします。 『三国時代の文学スレッド』まとめサイト http //www.geocities.jp/sangoku_bungaku/ 国立国会図書館(略称:国会) 国立国会図書館サーチ(近デジ・論文等含む) http //iss.ndl.go.jp/ 国会図書館デジタル化資料 http //dl.ndl.go.jp/ 近代デジタルライブラリー http //kindai.ndl.go.jp/ リンクについてはリンクフリーとあるため、あとは著作権の消滅したものを対象とする。 国立公文書館(略称:国公) http //www.archives.go.jp/ 江戸幕府や大日本帝国、日本国政府が保管していた公文書・漢書など。 説文解字注データ(漢字データベースプロジェクト内) http //kanji-database.sourceforge.net/ 前漢期の漢字辞書であるため、全てが後漢期の作品に通用するわけではないが、漢代の作品を分析する上で重要なものであるため。問題はここ、GPLライセンスなんだよなぁ… 説文解字だけなら国公DBにもあるので参考以上にはしない予定で。 国際ライブラリ("Internet Archive"内。北京大学や浙江大学などの所有古典あり) http //www.archive.org/details/universallibrary ユニバーサルライブラリ内にある中国内教育機関の所有書籍については、該当大学・中国政府の協力により、オープンソース、であってるよね? (間違ってたら指摘ヨロ) 維基文庫(中国版ウィキソース) http //zh.wikisource.org/wiki/ 種類は豊富だが、誤字や、引用が不完全な部分があるので要注意。 漢籍電子文献資料庫(新漢籍全文) http //hanji.sinica.edu.tw/ 台湾中央研究院。 google scholar http //scholar.google.co.jp/ まいどおなじみgoogle先生の、「学術資料専門」検索サイト。
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>曹丕作品の出典リスト 作品目録ゲームに登場する作品 ゲームには登場しない作品 解説 作品目録 ゲームに登場する作品 「燕歌行」→燕歌行 「大牆上蒿行」→大牆上蒿行 「秋胡行」→秋胡行(曹丕) 「雑詩二首」→雑詩(曹丕) ゲームには登場しない作品 「上留田行」→おまけ(曹丕) 「塘上行」→塘上行(曹操・曹丕・甄夫人) 解説 維基文庫 曹丕作品の項 / 日本語版wikipediaの解説/ 作品集blogへのリンク:魏文帝曹丕集 弟が有名だが、兄も詩歌の名手とされる。 特徴は「なりきり」。 他の詩は実体験や取材を詠んだものが多いのに対し、曹丕の詩は夫に置き去りにされた婦人、貧乏な農夫、詩の対象の視点から詠んだ庶民の歌が多い。 漢詩は形式も多様で革新的な半面、完成度がやや置き去りにされている。 これについては形式や技巧より、自身や作品にこめられた意志、気のほうを重視していたとする指摘もある。 《詩人玉屑(宋代-魏慶之)-命意-以意為主(国立公文書館)》 魏文帝日「文、以意為主、以気為輔、以詞為衛」 (魏文曰く、文章は、意を以って主と為し、気を以って輔と為し、詞を以って衛と為す) 後世に一定の影響を及ぼしたと言われる。詳細は燕歌行、大牆上蒿行を参照。 他の評価 古詩源(近デジ) 「子桓の詩、文士の気有り。乃父悲肚の習を一変す。要するに其れ便娟婉約にして、よく人情を移す」 楽府詩集 《古今樂錄》曰:“王僧虔《技錄》雲:‘《短歌行》“仰瞻”一曲,魏氏遺令,使節朔奏樂,魏文製此辭,自撫箏和歌。歌者雲“貴官彈箏”,貴官即魏文也。 曹丕は自分で作った詩を楽人に歌わせることもあった様子。 出展は忘れた(というか探しているけどみつからねぇorz)が、詩に他人視点のものが多いのは、自分の詩を他人に歌わせることを前提にしているんじゃないかって話もある。 →漢詩大会の漢詩全文トップへ戻る
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>曹植作品の出典リスト 作品目録ゲームに登場する作品 関連 解説 作品目録 ゲームに登場する作品 「白馬篇」→「白馬篇」 「七哀詩」→七哀詩(曹植) 「野田黄雀行(+箜篌引)」→「野田黄雀行(+箜篌引)」 「送應氏二首」→送應氏 「七歩詩」→七歩詩 関連 「古詩十九首」→漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首 一部分は、曹植の影響を受けているという説あり 解説 維基文庫 曹植作品の項 「三国志(正史)」によれば、幼いころから文学を愛し、十ちょっとの年で多くの詩賦を暗誦し、多くの評論を残した。 曹操が曹植の作品を見て「汝倩人邪(誰かに作って貰ったのか)?」と言ったとき、「そのような評価をなさるなら、今度は面前でお試しください。代筆など要りません(言出為論,下筆成章,顧當面試,奈何倩人)」と反論した。銅雀台が完成した時、諸将百官の並ぶなかで立派な賦を書き上げ、曹操を驚かせた。 常に琴瑟調歌を為す、つまり一時も楽器を離さず詩を吟じていた。 鍾嶸《詩品》では「建安之傑」と呼ばれ、中国文学史上でも重要な地位を占める。 現存する作品は他の建安詩人の中でもっとも多く、独特の風格に溢れる。 後世でも李白杜甫を初め多くの詩人に影響を与え、また数多くのパクリも生み出したという記述のサイトもあった。 作品の特徴は、曹丕の即位を境に、前期と後期とに分かれると言われる。 前期は曹操に可愛がられ、多くの文人に囲まれていた時期。後期は、曹操から受け継いだ激情や政治理想と、厳しい現実のはざまでの苦しみを詠んだものが多い。 評価は「詩聖」「八斗の才(謝靈運)」と言われたように極めて高い反面、「但美遨遊,不及世事(謝靈運《擬鄴中集序》」とあるように、世間知らずな部分を指摘されている。 兄である曹丕の作品は、目新しさを求めるあまり、詩としての完成度を置き去りにしているきらいがある。 対する曹植の作品は、基本的に「自分の取材した結果」という視点で統一されており、非常に綺麗にまとまっている。 曹操の革新的な才を曹丕が受け継ぎ、守旧的な才を曹植が継いだようにも思う。 →漢詩大会の漢詩全文トップへ戻る
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>曹操作品の出典リスト 作品目録ゲームに登場する作品 関連 解説 詩の傾向その他の特徴 作品目録 ゲームに登場する作品 「短歌行」→短歌行(曹操) 「蒿里行」「却東西門行」→蒿里行・却東西門行 「歩出夏門行」→歩出夏門行 関連 「塘上行」→塘上行(曹操・曹丕・甄夫人) 解説 維基文庫 曹操作品の項 / 日本語版wikipediaの解説/曹操樂府詩論考:植木氏(解説論文) 詩の特徴を一言で表すならば、名の「操」そのものとなる。 中国には旧くから、「操」という琴曲調があった。絶望を抱きつつ法や則に従う者の、決意と祈りの曲調である。 後漢(西暦180年から200年頃)、応劭が著した「風俗通義」という本のうち「巻六 声音>琴」の章に説明があるので、おおまかな意訳を載せる。 (国会図書館>近デジ>キーワード「風俗通義」より。日本人が書き写したものだが、大意は変わらないと判断) 「閉塞憂愁の中で編み出された其の曲に、作者は名をつけた。操という。 操とは災に遇い害せられ、困厄窮迫し、怨恨失意と言えども、なお礼儀を守りて懼れぬ意思を表す。 楽道とは、操を失わぬ者なり」 詩の傾向 テーマは大きく3つに分かれる。政治家としての考察結果を、詩で広めようとした可能性もある。 A:苦難の描写 B:特定の思想における楽土を反映した作品 C:AとBの複合 その他の特徴 古典からの引用 ぱっと見には難しい言い回しがなく、有名な作品からの引用も多い。 「短歌行」だけでも、論語、詩経、春秋左氏伝、管子、漢書、史記他の引用もしくは影響が確実に見られる。 かといって、単なる物まねではない。 これだけの引用を行えば、引用元との矛盾が見られたり煩雑になりそうなものだが、一見、無造作かつ簡潔に、しかし綿密かつ丁寧にまとまっている。膨大な古典を使いこなせるだけの知識と理解、技巧、それらを生かす構成力がなければ、こうはいかない。 これは、この時代の作品大半に通じることだが、曹操の場合、特に顕著。 楽府と歌 曹操は、詩の発表形式として、余計な伴奏なしで伎人が歌う形式をもっとも好んだ。 そのためか、詩のスタイルも楽府(各地から収集した詩歌)が殆ど。 昔の考え方として、詩と曲は別々だった。曹操は彼の作品にみられる"歌以詠志"などから、詩を志の発現体として重視していた模様。 文字数が揃っていないことがある たいていの漢詩は4、5、7で区切るが、曹操の場合、ひとつの作品に、3文字だの8文字だので区切る文がある。 形式より表現を重視しているなど諸説あるが、実際のところ理由は不明。 →漢詩大会の漢詩全文へ戻る
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和歌・俳句・漢詩 古典的な韻律に従った詩歌。 テーマ和歌・俳句・漢詩の好きな作家 「作家 テーマ和歌・俳句・漢詩」をタグに含むページは1つもありません。 テーマ詩に該当する作品 「作品 テーマ和歌・俳句・漢詩。」をタグに含むページは1つもありません。 ジャンル テーマ 詩歌
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>今ココ 作品目録漁父辞 「離騒」 九歌 「國殤」原文 訳 解説 作品目録 漁父辞 →高校の古文教科書の解説 上記の解説が非常に秀逸なので、リンクのみ。教科書の解説だけあって、わかりやすい。 「離騒」 →原文 長ぇよ!!>原文 とりあえずリンクのみ。 九歌 「國殤」 原文 引用元/参考2:台湾の国語教師の解説サイト 操呉戈兮被犀甲,車錯轂兮短兵接。 旌蔽日兮敵若雲,矢交墜兮士爭先。 凌余陣兮躐余行,左驂殪兮右刃傷。 霾兩輪兮繋四馬,援玉枹兮撃鳴鼓。 天時墜兮威霊怒,厳殺盡兮棄原野。 出不入兮往不反,平原忽兮路超遠。 帶長劍兮挾秦弓,首身離兮心不懲。 誠既勇兮又以武,終剛強兮不可凌。 身既死兮神以霊,子魂魄兮為鬼雄。 訳 呉戈を操り、犀皮の鎧を着こみ。戦車は車軸をぶつけあい、歩兵に迫る。 軍旗は日を遮り、敵は雲霞の如し。矢が飛び交い、兵達は先陣を争う。 余陣を凌ぎ、諸々を踏み潰し。戦車の左の副え馬は倒れ、右の馬は斬り傷を負う。 両輪より沸き起こる土煙は、四馬を繋ぎ留め。鼓槌(ばち)をとり、鼓を打ち鳴らす。 天の時は堕ち、荒き御霊は怒る。完膚なきまでに殺し尽くされ、骸は原野に棄てられる。 家を出でれば入らず、戦地に往けば返らず。平原をたちまち離れ、路を遠くなお遠く。 常に長剣を帯び、秦弓を持ち。首が体を離れるとも、心は折れず。 まことの勇士にして、また武人であり。いのちの終わりまで剛く強く、彼を凌ぐことは許されず。 身は死すも、神は霊威をもって。その魂魄、鬼雄と為りぬ。 戦場と英雄の描写。有名な作品なので、詩句の一つ一つに諸説あり。 【国殤】国事、戦争で死ぬ 【鬼雄】死者たちの軍勢を率いる王。鬼は死者。雄は戦国七雄というように、国の有力者。 【神以霊】当時の神や霊、魂魄の定義に関わるため、案外難しい。 日本語だと「神となり」「くしぶ(霊妙の状態となる)」とする。 台湾の解説だと単語を細かく区切らず、句全体として「精神の永続性を意味」とする。英雄死して神となり、霊威顕赫たり。 ↓の参考論文だと、身と神の対比、身→死、神→霊、魂魄→鬼雄が対応しており、「神以って霊なり」とする。 参考論文 最終的に言っている事は、どれも同じなんだけどね。 解説 維基文庫 楚辞の項 明治期の解説本:楚辞考 日本式漢文なので解読がんばれw 屈原が詠んだと言い伝わる古代の辞。後世の創作という説もある。 屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。 端午の節句の元ネタ。 維基文庫は、後漢王逸の「楚辞章句」から引用している。
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>今ココらか 陸機猛虎行原文 訳 解説 陸機 猛虎行 出典:《昭明文選/巻28(維基)》、《藝文類聚/巻41(維基)》 原文 渴不飲盜泉水。熱不息悪木陰。 悪木豈無枝。志士多苦心。 整駕肅時命。杖策將遠尋。 飢食猛虎窟。寒棲野雀林。 日歸功未建。時往歲載陰。 崇雲臨岸駭。鳴條隨風吟。 靜言幽谷底。長嘯高山岑。 急絃無懦響。亮節難為音。 人生誠未易。曷云開此衿。 眷我耿介懷。俯仰愧古今。 訳 「渇くとも盗泉の水を飲まず、熱くとも悪木の陰で休まず。 ところが悪木も枝が茂るので、志士らは(陰に対して)苦心がたえない」と古人言う。 帝王の馬車を整え、陛下の命に従い。鞭を振るえば馬は遠く、より遠くへ。 飢えれば猛虎の窟にて食し。寒くとも野雀の林に棲む。 太陽西に帰するとも、功未だ成らず。時は往き、歳月は秋冬を迎える。 沸き起こる高雲を、岸辺から臨み。草木の枝は秋風にしたがい、呻吟す。 奥深き幽谷の底に、声無き言葉を発し。高山の頂に、思いの丈を長嘯する。 張り詰めた琴弦に、緩んだ弦のか弱い響きはなく。信義貞節のゆえに、音を為す事すら難しい。 人生は誠に難しい。どうして心を開けと言うのか。 正直に生きていた昔の私を省みるほどに。俯き、仰ぎ、古今を恥じる。 論語、詩経、楚辞、古詩の影響あり。他にも、王粲など当時の有名な作の雰囲気が混じっている。 自分の意思に背く命令に従い、ついに何ひとつ成功しないまま、煩悶する志士の姿を描写している。 晋代の混乱する政局の中、行き場も無く彷徨いつつ、生き方を曲げてしまった男が、昔を思い恥じ入る。 【渴不飲盜泉水。熱不息悪木陰】【悪木豈無枝。志士多苦心】 李善が注釈した文選によると、《尸子》「孔子至於勝母暮矣。而不宿。過於盗泉渇矣。而不飲。惡其名也」 (孔子が「勝母」に着いたとき日が暮れたが、宿をとらなかった。「盗泉」を過ぎるとき喉が渇いていたが、飲まなかった。 母に勝つ、泉を盗む、それぞれの悪名を嫌ったのだ) 江邃《文釋》によると、《管子》「夫士懷耿介之心,不蔭惡木之枝。惡木尚能恥之,況與惡人同處?」 (正しい心を持つ士は、悪木の枝の木陰にやどろうとしない。悪木ですら恥じるのに、まして悪人と同じ所に寄れと言うのか?) 【駕】帝王の馬車。 【時命】時の支配者の命令。思玄賦曰:爰整駕而亟行,時君之命也。 【策】《杜預左氏傳》では馬檛(杖、鞭)とする。 【將】《廣雅》では「欲」の意とする。 【功未建】《陸賈新語》「以義建功(義をもって功を建てる)」 【載陰】《神農本草》では、「秋冬為陰(秋冬を陰と為す)」 【駭】《廣雅》では、「起」。 解説 『晋書(維基文庫)』陸機の項 /晋書日本語訳六朝文人伝―陸機・陸雲伝(晋書)―(長谷川氏) / 維基文庫 陸機作品一覧 / 日本語版wikipediaの解説 有名人なので、解説は程々にして。 陸機の「弔魏武帝文」における武帝の遺言は、(陸機による)偽作の可能性を指摘されている。偽作してまで曹操を貶めることで、中原における旧呉の優越性を示そうとしたのではないか、という(渡辺氏「三国志 演義から正史、そして史実へ」)。 陸機の詩才がどこで育ったか考えると、渡辺氏の説も一理はある。 1:陸氏の出身地である呉は、詩を育てる土壌がない 陸遜、陸抗ともに詩を残しておらず、陸氏に高度な詩を作る伝統があったとは考えにくい 呉で残っている詩は、呉の民謡と韋昭の宮廷音楽ぐらいであり、呉に詩を作る(ry 陸機が呉に隠遁していた時期の作品で有名なのは「弁亡論」、つまり論文であって詩ではない では、どこで詩を学んだか。陸機が詩を意識して読むようになったのは、洛陽に来てからだろう。 2:陸機の作品は張華の影響が大きい 陸機が洛陽に出仕したとき、張華に高い評価を受けている。 (晋書陸機伝、世説新語引用「晋陽秋」、呉志陸抗伝引用「機雲別伝」他) 張華は陸機を推薦、宴会で他の名士に会わせるなど、洛陽に出たばかりの陸機を支えている。 張華と陸機は親しく、陸機は張華を師とみなした(晋書張華伝)。 3:張華と陸機はふたりとも、晋朝廷の文章を作成する「著作郎(歴史書管理担当)」「中書郎(朝廷の文書担当)」だった。 「晉史及儀禮憲章並屬於華,多所損益,當時詔誥皆所草定,聲譽益盛,有台輔之望焉」 (張華は晉史、儀礼、憲章、詔の草書などを作成していた) 「齊王冏以機職在中書,九錫文及禪詔疑機與焉」 (斉王冏は、陸機が中書に勤めていたことから、九錫文や禅位の詔に陸機が関与していると考えた@晋書陸機伝) 特に張華は、泰始3年の宮廷音楽編纂にかかわっている。 (晋書楽志「晉初,食舉亦用《鹿鳴》。至武帝泰始五年,使傅玄、荀勖、張華各造正旦行禮及王公上壽酒、食舉樂歌詩,後又詔成公綏亦作焉。」) ここであがった傅玄、荀勖、張華の三人は、魏代の漢詩を「晋楽所奏」へ改ざんする作業を指揮していたことは考えられる。 そして、陸機も同じ部署で仕事をしていた。 上記のことを考えると、陸機が曹操の遺言を見る機会はありうる。魏代の資料をみる機会があったから、魏詩の影響を受け、詩才を磨いたと考えられる。 しかし意図や方向性はともかく、陸機による魏の話は100%信用できるものではない。少なくとも、師である張華、もしくは陸機本人によりフィルターがかかっている可能性も考慮すべきではある。 (曹丕の短歌行などからねつ造した、或いは曹操が公に発した遺言だけではなく、私人として家族に残した遺言全てをつぎはぎした上で、公人としての遺言にすり替えた、など) 何にせよ、1800年後に曹操ファンクラブ名誉会員扱いされていることを、彼は泉下でどう思っているのだろうか。
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ゲーム内において、秋の漢詩大会で詠まれる漢詩は、実在の漢詩から抜粋したものです。 その詩の出典と、原文を列挙しました。 読み下し文は、漢詩大会に該当人物が出ればわかるので、ここでは書く予定はありません。 全文を読みたい人は、つ【『三国時代の文学スレッド』まとめサイト】【漢詩大会の漢詩全文】【グーグル先生】 詩聖フラグ持ち 漢詩大会の元ネタ集/三曹 漢詩大会の元ネタ集/建安の七子 一般武将 一般武将用/詩経 一般武将用/楚辞 一般武将用/漢代の有名人 一般武将用/古詩十九首 一般武将用/漢代「古楽府」 一般武将用/晋代 詩聖フラグを持つ特殊武将は、以下の特徴がある。 漢詩大会で、たいていは自作の詩が表示される。 漢詩大会の評価にボーナスがつく。 該当するのは、曹操、曹植、王粲、孔融、陳琳(、曹丕)。曹丕は特殊で、自作の詩が表示されるが、詩聖ボーナスはつかない。 上記の詩聖フラグと、(一般武将の場合は)詠む順番フラグを元に、どの詩が表示されるかが決まる。 詩聖フラグ持ちの場合、詠む順番と表示される詩は関係ない。 PS版以降では、PC版に比べ、詩が追加されている?PS系のスマホ版でも、短歌行の5つ目の詩は確認できなかった。 マニアックスをお持ちの方は、短歌行5つ目の詩など教えて頂けるとありがたいです。 スレ9-709 実は「三國志VIIマニアックス」という攻略本に全部掲載されている スレ9-712 引用ここから ◆全武将共通A◆ 【膏火は自ら煎熬し】【多財は患害となる】【布衣もて身を終うべし】 竹林の七賢のひとり・阮籍の詠んだ詩。財産が多いのは災いのもとだから、高位高官を求めず庶民のまま一生を終えるのがいい、という意。 (中略) ◆全武将共通B◆ (中略、CDEまで) 曹操 【酒に対してはまさに歌うべし】 (中略) 以上五首は、曹操の『短歌行』からの抜粋。…(後略) こんな感じ スレ9-713 漢詩大会に出てきた読み下し文と、解説だけって感じか。ABC、は何か意味があるん? スレ9-714 特殊武将を除いて1番手はAから、2番手はBから…5番手はEから詠む歌が選ばれる 一般武将用/詩経 →漢詩大会の漢詩全文/詩経 詩経は、中国最古の詩篇。いくつもの詩を集めて、ジャンルごとに分けたもの。当時、卿・大夫・士の必修教養だった。「之什」≒「の章」。 出典:「文王之什(詩経-大雅)」 文王在上、於昭于天。周雖旧邦、其命維新。 われらの上にまします文王よ、ああ、その徳は天にも昭らかなものです。周は旧き国といえど、天命により維新を迎えるものであります。 大雅は文王之什、(殷の)湯王之什、生民之什の3部からなる。 文王之什は、周の文王などを読み上げたもの。 出典:「蓼莪《詩経-小雅-谷風(小旻)之什》」 南山烈烈,飄風發發。民莫不穀,我獨何害。 南山は厳しい厳しい。激しい風が吹き吹きつける。民に不仲のものなどいないのに、私はひとりぼっちの身を悲しまなければならないのだ。 小雅は、詩経の中の作品で、為政の乱れを嘆いたもの。 出典:「蓼蕭《詩経-小雅-南有嘉魚(白華)之什》」 蓼彼蕭斯、零露泥泥。既見君子、孔燕豈弟 蓼(おいしげ)る彼の蕭(よもぎ)から、露がこぼれ地面はどろどろ。既に君子を見れば、露をあびた蕭のように清らかで楽しい気持ちとなるのです。 最後の「弟」の字を、ゲームでは「楽」としている。 出典:「何草不黄《詩経-小雅-魚藻(都人士)之什》」 匪犀匪虎、率彼曠野。哀我征夫、朝夕不暇。 犀に匪ず、虎に匪ず。獰猛な獣でもないのに、彼は荒野に率いられていった。哀しいかな我が夫は賦役にかりだされ、朝夕の食事の暇さえない。 出典:「無衣《詩經-国風-秦風》」 王于興師、修我戈矛、與子同仇。 王が軍隊を出したら、我は戈矛を手入れして、貴方と同じ敵に向かおう。 詩經-国風は、各地の民衆を詠んだもの。 出典:「風雨《詩経-国風-鄭風》」 風雨如晦、鶏鳴不已。既見君子、云胡不喜。 外には風雨が吹き荒れ、鶏が鳴き続けても、でも私はあなたを見て、喜ばずにはおれない。 出典:「雄雉《詩経-国風-ハイ(北β)風》」 雄雉于飛。泄泄其羽。我之懷矣、自詒伊阻。 雄雉は雌に向かって一直線。其の羽音がしきりに響く。私は悩む、いっそ伊尹の逸話に習おうか。 淫乱で有名だった衛の宣公に悩まされる国民、ないしは臣下の詩という説あり。 漢詩大会で歌うような詩なんだろうか? 特に司馬一族が歌うと、ぎくりとする。 一般武将用/楚辞 →漢詩大会の漢詩全文/楚辞 屈原が詠んだと言い伝わる古代の辞。後世の創作という説もある。 屈原は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。 端午の節句の元ネタ。 出典:「漁父辞」高校の古文教科書の解説 楚辞のなかで、最も有名な一篇。追放された屈原と老いた漁師との会話を詠んだ辞。 屈原既放、游於江潭、行吟澤畔。 屈原はすでに追放され江の淵や岸をさまよい、沢のほとりで吟じながら行く。 挙世皆濁、我独清。衆人皆酔…… 世の人は皆、意識を濁らせている。私ひとりが清く覚めている。人々は酒に酔い…… 世人皆濁、何不掘其泥、而揚其波。 世の人がみな濁っているならば、どうして一緒に濁って、波を揚げようとしないのか。 滄浪之水清兮、可以濯吾纓。滄浪之水濁兮、可以濯吾足。 滄浪の水が澄んでいるなら私の冠の紐を洗おう。滄浪の水が濁っているなら私の足を洗おう。 出典:「離騒」楚辞詩篇のうちの一章。 乱曰已矣哉!國無人莫我知兮、又何懷乎故都。 乱に曰く、やんぬるかな! 国に私を知る人はいない。またどうして故き楚の都を懐かしむだろう? やんぬるかな≒もうこれまでだ 出典:「国傷」○楚辞詩篇のうちの一章。 帯長剣兮挟秦弓、首身離兮心不懲。既勇兮又以武 長剣を帯び、秦弓を挟み、首と身体が離れても心は砕けず。誠に勇であり、また以ってこれを武という。 一般武将用/漢代の有名人 →漢詩大会の漢詩全文/漢代の有名人 漢代にも漢詩はあった。リレー小説ならぬリレー漢詩もあったそうな。 出典:「秋風辞」漢武帝 簫鼓鳴兮發棹歌、歡樂極兮哀情多。少壯幾時兮奈老何 簫鼓が鳴り棹歌がおこり、宴会はクライマックスに入ったが哀しみの情は多い。少年壮年の時はみじかく、老いた身を持て余す。 出典:「別歌」李陵 老母已死、雖欲報恩將安歸。 老いた母は、既に無くなった。君恩、母の恩に報いたいと欲しても、私に帰るべき故郷は存在しないのだ。 李陵は武将。祖父は「飛将軍」李広。司馬遷が宦官になった原因。 五千の歩兵で、匈奴の支配者率いる三万の兵を相手に善戦したが、糧食も武器も尽き、やむなく降服した。それを聞いた武帝に、老母はじめ家族を処刑されたため、帰るところもなく匈奴の地で生涯を終えた。 蘇建の詩と並び、前漢を代表する詩。 出典:「董嬌饒」宋子侯 吾欲竟此曲、此曲愁人腸。帰来酌美酒、挟瑟上高堂 私はこの曲を弾き終えたい。この曲は人のこころを悲しませる。帰り来て美酒を酌み、瑟を脇に挟んで高堂に上ろう。 後漢の詩人、楽人といわれる。生没年不詳。ゲーム内では2節目「此曲愁人腸」が略されている。 出典:「四愁詩」張衛 我所思兮在太山,欲往從之梁父艱…… 我が思う所は太山に在り。往きて之に従わんと欲すれば、梁父頚し…… 後漢における天文学者。世界初の水力渾天儀、水時計、地動儀などを発明した。 出典:「飲馬長城窟行」蔡邕? 枯桑知天風、海水知天寒。入門各自媚 枯桑も空の風を知り、海水も天の寒さを知る。家に帰れば各自が家族をいとおしみ…… 蔡邕の作、という説もある古詩。ちなみに陳琳の同名作とは別の作品。 一般武将用/古詩十九首 出典:「古詩十九首」 →漢詩大会の漢詩全文/古詩十九首 南朝梁の、昭明太子が編纂したほうの「文選」等に掲載されたうち、古詩に区分される十九首。 作者は「無名氏(名無しさん)」。同じ梁の徐陵が編纂した「玉台新詠」によると、後漢の枚乗という説もある。 (古詩十九首其一)○ 行行重行行、與君生別離。相去萬余里…… 行き行きて重ねて行き行く。君と生きながら別離す。相去ること万余里…… (古詩十九首其二) 青青河畔草、鬱鬱園中柳。盈盈樓上女 青青たる河畔の草、鬱鬱たる園中の柳、盈盈たる楼上の女……。 これでもれっきとした漢詩。 (古詩十九首其八) 思君令人老。軒車何来遅。傷彼蕙蘭花…… 君を思えば気がかりで老け込み、軒車は来るのがどうしてこんなに遅いのでしょう。慧蘭の花も痛み…… 軒車は大夫の乗る車。 (古詩十九首其十三) 浩浩陰陽移、年命如朝露。人生忽如寄…… 陰陽は昼と夜と鮮やかに移り、年命は朝露の如し。人生は寄しては返す波のごとく… (古詩十九首其十四) 去者日以疎、來者日以親。出郭門直視…… 去った者は日に日に忘れられ、来る者は日に日に親しさを増していく。城門を出て直視すれば…… 辞書(大辞林等)にも掲載されている、ことわざ。去者≒死者、来者≒生まれてくる者という解釈もある。 (古詩十九首其十五)○ 生年不満百、常懐千歳憂。昼短苦夜長 生きている年は百に満たないのに、常に千年先を心配している。昼が短く夜が長いと苦しむ…… (古詩十九首其十九) 明月何皎皎、照我羅床幃。憂愁不能寐 明月はこうこうと、私の横たわる床幃を照らす。憂愁に寝る事もできず…… 一般武将用/漢代「古楽府」 →漢詩大会の漢詩全文/漢代「古楽府」 漢代に「楽府」が集めた漢詩集。 楽府とは、音楽をつかさどる役所のこと。後に、この役所で集めた楽章歌辞を「古楽府」と呼ぶようになった。詠み人は殆ど「無名氏」。 出典:「蒿里曲」 蒿里誰家地、聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促、…… この荒れ果てた里は、誰の家地ですか。集まった魂、埋められた肉体に賢愚の差は無いのです。鬼伯は彼らに何を催促して…… 出典:「枯魚過河泣」 枯魚過河泣、何時悔復及 干魚が河を渡りながら泣く。後悔は先にたたず。 「枯魚」は魚の干物のこと。古代のドナドナっぽい雰囲気。 出典:「悲歌」 悲歌可以當泣、遠望可以當歸。思念故郷、鬱鬱累累。 泣く代わりに悲しみを歌おう。帰れない代わりに遠くを望もう。故郷を思えば、木が鬱鬱とするように心が沈み、山が累累と連なるように悲しみも連なる。 悲歌行ともいわれる。 出典:「西門行」○ 今日不作楽、当待何時。逮為楽 今日楽しいことをやらにゃ、いつを待つんだい。楽しみを為すに逮(およ)べ。 やりたい事ヤッチマイナー。漢代から三国時代の流行歌といったところ。 出典:「戦城南」 戦城南、死郭北。野死不葬、烏可食 城南に戦い、郭北に死す。野に死んで葬られず、鳥についばまれる。 出典:「上邪」 冬雷震震、夏雨雪、天地合、即敢与君絶 冬に雷が響き、夏に雪が降り、天地が合わさったならば、はじめて私は君への想いを絶とう。 一般武将用/晋代 →漢詩大会の漢詩全文/晋代 出典:「猛虎行」陸機 渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。悪木豈無枝…… 渇くとも盗泉の水を飲まず、熱くとも悪木の陰で休まない。ところが悪木にも枝が茂らないわけではない…… これは有名。孔子はのどが渇いても、盗泉という名を嫌って、その水は飲まなかったことから。
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現在地:トップページ>漢詩大会の漢詩全文>詩経からの出典リスト 解説 「文王之什(大雅)」 「蓼莪(小雅-谷風之什)」 「蓼蕭(小雅-南有嘉魚之什)」 「何草不黄(小雅-魚藻之什)」 「無衣(国風-秦風)」 「風雨(国風-鄭風)」 「雄雉(国風-邶(ハイ)風))」 解説 維基文庫版 / 近代デジタルライブラリー版(例1)/(例2) 詩経は、中国最古の詩篇。約三百篇の詩を集めて、ジャンルごとに分けたもの。卿・大夫・士の必修教養だった。 《墨子-公孟編》では「誦詩三百,弦詩三百,歌詩三百,舞詩三百」とあり、当時は(喪に服さない時は)誦し、演奏し、歌い舞うものだった様子。 時代や研究者によって、解釈も違います。 ここでは、主に使用している資料が近デジの朱子注版なので、解説も朱子寄りかと思います。ご了承ください。 邦訳も色々とあるので、好きな本なりサイトなり探してください。 「文王之什(大雅)」 原文 維基文庫版/近代デジタルライブラリー版 毛詩序:「《文王》,文王受命作周也。」 文王在上、於昭于天。周雖舊邦、其命維新。 有周不顯、帝命不時。文王陟降、在帝左右。 亹亹文王、令聞不已。陳錫哉周、侯文王孫子。 文王孫子、本支百世。凡周之士、不顯亦世。 世之不顯、厥猶翼翼。思皇多士、生此王國 王國克生、維周之楨。濟濟多士、文王以寧 穆穆文王、於緝熙敬止。假哉天命、有商孫子。 商之孫子、其麗不億。上帝既命、侯於周服。 侯服于周、天命靡常。殷士膚敏。祼將于京。 厥作祼將。常服黼冔。王之藎臣、無念爾祖。 無念爾祖、聿脩厥德。永言配命、自求多福。 殷之未喪師、克配上帝。宜鑒于殷、駿命不易。 命之不易、無遏爾躬。宣昭義問、有虞殷自天。 上天之載、無聲無臭。儀刑文王、萬邦作孚。 訳 序: 文王は、受命によりて周を作るなり。 本文意訳: 文王は天命により王業をなしとげ、今も天帝の右腕として存在する。 文王は勤勉にして天下を治め、子孫のそのまた子孫も天子となり、周の男子は臣下として、周と運命を共にする。 周に生まれ育った素晴らしい臣下が集い、周と文王を支える。 文王は天のように遠く、輝かしい。広大な天の懐は、殷の民も周の臣下として、従えさせた。 天意は既に殷から離れ、周についた。殷の臣民も周の都に集い、周の祭祀を助けている。 周に忠誠を誓ったとはいえ、彼らの祖先は天命のもと殷に仕えて、幸福に生きていた。 まだ民衆の心は殷に残っており、これは天の差配でもある。殷の歴史を手本とせよ、天意はそんな優しいものではない。 天命は易しいものではなく、王の代で終わらせてはならない。良き問いかけの声を広く天下に告げよ。 殷の興亡を思い天に従え。天意は声もなく匂いすらもなく。ただ文王に従えば、万国の臣民は、みな王に従うだろう。 「蓼莪(小雅-谷風之什)」 詩経-小雅-谷風之什(近デジ) 原文 毛詩序:「《蓼莪》、刺幽王也。民人勞苦、孝子不得終養爾。」 蓼蓼者莪、匪莪伊蒿。哀哀父母、生我劬勞。 蓼蓼者莪、匪莪伊蔚。哀哀父母、生我勞瘁。 缾之罄矣、維罍之恥。鮮民之生、不如死之久矣。 無父何怙、無母何恃。出則銜恤、入則靡至。 父兮生我、母兮鞠我,拊我、畜我、長我、育我、顧我、復我、出入腹我。 欲報之德、昊天罔極。 南山烈烈、飄風發發。 民莫不穀、我獨何害。 南山律律、飄風弗弗。 民莫不穀、我獨不卒。 訳 生い茂るヨモギと思えば、ヨモギにあらず育ちすぎた雑草となる。悲しむべきかな我が父母、我を生み苦労して働き育てる。 生い茂るヨモギと思えば、ヨモギにあらず高いばかりの雑草となる。悲しむべきかな我が父母、我を生みわが身に鞭打つ。 空の花瓶は、これ瓶の恥。鮮民の生など、死ねずに久しく在りたいとは思わない。 父を無くして何を怙(たの)む?母を無くして何を頼る? 家を出でればすぐ悲しみに満ち、入っても家はからっぽのまま。 父は我を生み,母は我を育て,我をたたき、我を養い、我を長じしめ、我を教育し、我を顧み、我に答え、家を出入するたび、我を懐に抱く。 父母の恩德に報いたいと欲しても、曇り空に果てはなく。 南山は烈烈と激しく。さまよえる風は發發と発生し。民に集わぬものは居らぬのに、私は独り落ち着けず。 南山は律律と激しく。さまよえる風は弗弗と沸く。民に集わぬものは居らぬのに、私はこの世で独りぼっち! 【蒿】成長しきってしまったアザミ。蔚も鬱蒼と茂った植物の状態 【罄】空の器 ぶっちゃけ、こういう心境を読んだ漢詩↓ __ 父 | 母 | 墓 | ∴ ( A`) トーチャンカーチャン.......... ──┐ ∀ ) 王裒《晋書-孝友伝》(魏王修の孫。父親が晋皇帝に殺されたことから出仕しなかった。二十四孝の一人)は、詩経の講義で上の《蓼莪》「哀哀父母、生我劬勞」の項になると泣いて授業にならなかったため、門人や生徒は教科書から《蓼莪》を削除したという。 「蓼蕭(小雅-南有嘉魚之什)」 原文 毛詩序:「《蓼蕭》,澤及四海也。」 蓼彼蕭斯,零露湑兮。既見君子,我心寫兮。燕笑語兮,是以有譽處兮。 蓼彼蕭斯,零露瀼瀼。既見君子,為龍為光。其德不爽,壽考不忘。 蓼彼蕭斯,零露泥泥。既見君子,孔燕豈弟。宜兄宜弟,令德壽豈。 蓼彼蕭斯,零露濃濃。既見君子,鞗革忡忡。和鸞雝雝,萬福攸同。 訳 蓼(おいしげ)る彼の蕭(よもぎ)から、露がこぼれ滴りおちる。既に君子を見れば、貴方の気持ちが私にも写ってくる。貴方と楽しく語らえば、あまりの楽しさに私も嬉しくなる。 蓼る彼の蕭から、露がこぼれ泥水となる。既に君子を見れば、竜の徳となり光となる。その徳に背かず、命の終わりまで忘れはしない。 蓼る彼の蕭から、露がこぼれ地面はどろどろ。既に君子を見れば、はなはだしく安らぐこと弟となったよう。良き兄となり良き弟となり、ともに長き生を樂しもう。 蓼る彼の蕭から、こぼれる露は濃密さを増す。さらに君子に近づきたいが、悲しくも馬轡がぶつかり進めない。彼方から響く車駕の鈴音が私の憂いを和らげる、そこは万の福が集まるところ。 【龍】《毛傅》「龍は寵なり」。次の「其德」と繋がり、「いつくしむ」「寵愛」の意をもつとする。 【壽考】寿命、「考」は老人 【孔】はなはだ 【鞗革】馬の轡から垂れる革ひも。 【忡忡】憂い悲しむという意。沖沖とする文もある。 もし「沖沖」が正しいならば、意味は「馬の轡が地に満ち並ぶ。人々を和らげる車駕の鈴は、万の福が集まるところ」みたいな感じか。 【和鸞】車駕(君主の馬車)の鈴 【雝雝】やわらぐ ヨモギを「君主の顔」、露を「君主が放つ威徳の例え」とする解釈もある(朱熹集註)。 「萬福攸同」は、中華圏では時々焼き物の文様として使われたりする。 「何草不黄(小雅-魚藻之什)」 原文 何草不黃、何日不行。何人不將、經營四方。 何草不玄、何人不矜。哀我征夫、獨為匪民。 匪兕匪虎、率彼曠野。哀我征夫、朝夕不暇。 有芃者狐、率彼幽草。有棧之車、行彼周道。 訳 何れの草か黄ならざらん、何れの日か行かざらんや。何れの人か將かざらん、四方を経営す。 何れの草か玄ならざらん、何れの人か矜れまんや。哀し我が征夫、獨り民に匪(あらず)と為され。 兕にあらず虎にあらず、彼の曠野をめぐる。哀し我が征夫、朝夕の暇あらず。 芃たる者狐あり、彼の幽草にめぐる。棧之車あり、彼の周道を行く。 コメント 仕事にかり出され大道を行く人と、荒野を自由にさすらう狐の対比。 【将】また行く 【經營四方】四方の事業をはかりいとなむ 【玄】赤黒い 【矜】あわれ 【率】循 【曠】広、空 【芃】ほう、尾長の意か 【棧】役、公用、仕事用の車 【周道】朱子は「大道」とする。古代では大道とは限らない。 「無衣(国風-秦風)」 原文 豈曰無衣、與子同袍、王于興師、脩我戈矛、與子同仇 豈曰無衣、與子同襗、王于興師、脩我矛戟、與子偕作 豈曰無衣、與子同裳、王于興師、脩我甲兵、與子偕行 訳 どうして衣がないものか、君と同じ袍をまとい、王が兵を興せば、我も矛戈を整え、貴方と同じ仇を打とう どうして衣がないものか、君と同じ袴をはき、王が兵を興せば、我も矛戟を構え、貴方と同じように戦おう どうして衣がないものか、君と同じ裳を着て、王が兵を興せば、我も鎧兵を着込み、貴方と道を共にしよう 【袍、襗、裳】 袍は上着(コートとか)、襗は內衣、裳はズボンみたいなもの。 「風雨(国風-鄭風)」 原文 毛詩序:「《風雨》,思君子也。乱世則思君子,不改其度焉。」 風雨 風雨淒淒,雞鳴喈喈。既見君子,云胡不夷。 風雨瀟瀟,雞鳴膠膠。既見君子,云胡不瘳。 風雨如晦,雞鳴不已。既見君子,云胡不喜。 訳 風雨は冷え冷えともの寂しく、鶏は鳴きつづける。でも私は貴方を見て、穏やかな気持ちになる。 風雨が激しく吹き荒れ、鶏は巣に篭ったきり。でも私は貴方を見て、巣からも飛び出さずにおれない。 空は月無き夜のよう、鶏はいまた鳴きやまず。でも私は貴方を見て、喜ばずにはおれない。 「雄雉(国風-邶(ハイ)風))」 原文 (毛詩序:「《雄雉》,刺衞宣公也。淫亂不恤國事,軍旅數起,大夫久役,男女怨曠,國人患之而作是詩。」) 雄雉于飛,泄泄其羽。我之懷矣,自詒伊阻。 雄雉于飛,下上其音。展矣君子,實勞我心。 瞻彼日月,悠悠我思。道之云遠,曷云能來。 百爾君子,不知德行。不忮不求,何用不臧。 訳 (毛さんがまとめた《詩経》によると「『雄雉』は、衞の宣公を風刺したものです。宣公は淫乱で国力も考えず、軍の出兵ばかり命じ、大夫の役は久しく家に帰れず、男女の恨みつらみをかっていた。國の人がこれを憂い作った詩です」) キジのおんどりが飛び跳ね、その羽をゆたかにひろげる。我が思う人は、私に苦難を与えるばかり。 キジのおんどりが飛び跳ね、上下に響く鳴き声は。まことにわが君よ、まことに我が心を苦しませる。 日月が過ぎ去り、私は愁いに沈む。道はあまりにも遠く、いつ貴方はここに帰り来るのか。 君子たるもの、徳行を知らない筈がない。旅の間も過ちを犯さず、どうか無事に帰ってきておくれ。 解説 解説論文P132参照 『伊阻』は『伊尹の悩み』という説あり。伊尹は放蕩におぼれた若君を宮殿から追放し、数年後に名君として戻った若君に再び仕えたとされる。 『不忮不求,何用不臧』(頼みもせず求めもせねば、どうして良くないことが起こるものか)は、孔子の弟子の子路がよく口ずさんでいたことで有名(《論語》子罕第九 28)。
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登録日:2011/10/26(水) 01 53 13 更新日:2023/10/09 Mon 02 15 56NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 三国志 曹操 歴史 漢詩 短歌行 短歌行(たんかこう)は、漢詩。曹操の作。赤壁前後に誕生したという。 酒席で高ぶる詩情を抑えきれず、即興で歌ったものとされる。 一般的に漢詩と言うと、唐代以降の技巧に富んで美しく、叙情的なものが知られているが、 短歌行から溢れ出る憂悶と情熱は力強く男らしく、 信じる臣を前に杯を片手に、月を眺めて歌う様を想像させる。 言わば、曹操が激情をそのままぶつけたような出来、つまり男のロマンの塊と言えよう。 人材マニア曹操の面目躍如である。 ○内容 短歌行は二首で構成されているが、単に短歌行と言った場合たいてい一首目を指すので、 ここでは一首目を主に扱う。 以下に白文、書き下し、意訳を記す。 対酒当歌 酒に対しては当(まさ)に歌うべし 酒を楽しんでは是非とも歌おうではないか。 人生幾何 人生は幾何(いくばく)ぞ 人の寿命は、どれほどあるのか。 譬如朝露 譬(たと)えば朝露の如し 例えるなら露のように儚いものだろう。 去日苦多 去りし日苦(はなは)だ多し 去った日ばかりが多いではないか。 慨当以慷 慨(がい)して当にもって慷(こう)すべし それを思って慨嘆すれば、高ぶりは止まることがない。 幽思難忘 幽思忘れ難し 心配事はなかなか胸から去らないものだ。 何以解憂 何をもって憂いを解かん この憂いは何で晴らせばよいのか。 唯有杜康 唯(ただ)杜康(とこう)有るのみ 酒だ、酒以外には何もない。 青青子衿 青青たり子(し)が衿(えり) 若き才子を、 悠悠我心 悠悠たり我が心 恋い焦がれるようにどきどきと私は思ってきた。 但為君故 但(ただ)君の為の故に ただ君の為だけに 沈吟至今 沈吟して今に至る 今このようにして歌っているのだ。 幼幼鹿鳴 幼幼として鹿鳴き 鹿がゆうゆうと鳴き、 食野之苹 野の苹(よもぎ)を食らう 仲間を集めてからよもぎを食べるように、 我有嘉賓 我に嘉賓有らば 私にも賓客があれば、 鼓瑟吹笙 瑟(しつ)を鼓し笙(しょう)を吹かん 楽奏してもてなそう。 明明如月 明明として月の如きを 月のようにあかあかと輝くものを 何時可摂 何(いず)れの時に摂るべきか 手に入れられるのはいつだろう。 憂従中来 憂いは中より来たりて そう思うと不安が胸中から起こり、 不可断絶 断絶すべからず 止まることを知らないのだ。 越陌度阡 陌(はく)を越え阡(せん)を度(わた)り 東西南北からはるばると、 枉用相存 枉(ま)げて用(もっ)て相存せば わざわざ私を訪ねてくれたのだ、 契闊談讌 契闊(けっかつ)して談讌(だんえん)し 杯を交わして心行くまで語り合い、 心念舊恩 心に舊(きゅう)恩を念(おも)う 昔のよしみを暖めよう。 月明星稀 月明らかに星稀(まれ)に 月が輝き星は薄れ、 烏鵲南飛 烏鵲(うじゃく)南に飛ぶ かささぎは南へ飛んだ。 繞樹三匝 樹を繞(めぐ)ること三匝(そう) 木を何度も回り、 何枝可依 何れの枝にか依(よ)るべけん とまる枝を探して困っている。 山不厭高 山は高きを厭(いと)わず 山は高さを拒まないから高くなり、 海不厭深 海は深きを厭わず 海は深さを拒まないから深くなる。 周公吐哺 周公哺を吐きて 周公は食事を中断してでも客を拒まなかったという。 天下帰心 天下心を帰(き)す だからこそ周公は天下の人心を集めたのだ。私もそうありたい。 (了) 備考:文中「摂」は「手へんに又四つ」、「幼」は「口へんに幼」が原文表記。旧仮名遣いは使用していない。 一応これで書き下しと訳を記したが、詩の解釈は多様であり、 書き下しにも人によって差が出るので鵜呑みにはしないでいただきたい。 っつーかそんなこまけぇことはいいんだよ!!この熱さが伝われば!!曹操ファンなら感涙だから!!ヤバい。短歌行ヤバい。 短歌行短歌行短歌こうわあああああああ!!オレの思いよ孟徳に届け!! 落ち着いたところで解説が必要と思われる各所について。 「青青~我心」「幼幼~吹笙」は当時の教養書『詩経』に収録されている詩の本歌取り。「青青~」は元となった詩に「遠くの恋人への慕情」という解釈がある。また、青い衿は若い学生のトレードマークだった。 「山不~厭深」は、不世出の宰相である管仲の言行録『管子』にある、「山は土を厭わず(中略)海は水を厭わず(中略)明主は人を厭わず」をもじっていると考え、上記の訳とした。 これら以外にも出典のある表現がちらほら見られる。短歌行に興味を持った方は、是非調べてほしい。 古の詩文でこのように詠われていた情景や感情が、今まさに自身の想いと重なっているのだ・・・といったニュアンスであれこれ詠い込んでいる、と考えてよいのではないか。 ○謎? 「明明如月」 何が月の如く明るいのか、文中では指すものがない。 文章の流れは「まだ手に入れていない人材」ということになるが……解釈の余地は残されている。 「月明~可依」 人材への想いを語るなかで出てくる風景描写。 一見酒席が長引いたことを表しているようにも見えるが、 その後は周公の話であり、周公の話に続く二首目は、 「周の文王は天下を統一する力があっても礼節を守って帝に反乱しなかった」 「斉の桓公は戦争をせずに天下を安定させ、天子から特別扱いされたが礼を外さなかった」 「晋の文公は力で平和をもたらしたが、天子に対して礼を欠いた」 という内容なので、冷静に見ると浮いている。 全体の流れを見るに、来る人材を拒まないという曹操の意志が見える。 更に二首目からは、戦わずに天下を治めることと、天子の権威を守ることへの願いが読み取れる。 ここに短歌行の歌われた時期と、 「君主を樹、人材を鳥」と例えることが多くあることを重ね合わせれば、 もしかすると南に飛んだ烏鵲とは劉備や孔明のことではないか、 曹操は本心では劉備と戦う気は無かったのではないか、読み解ける。 ただしこの解釈だと「月明星稀」がやはり他と結び付かないままなので、 まだまだ妄想を挿し挟めそうだ。 曹操がこの詩に何を籠めたのか、それは曹操本人にしか分からないのだろう。 しかし、たとえ細かい部分に理解が行き届かなくても伝わる物がある ――それが短歌行の魅力ではないだろうか。 曹操という人物を多くの人が理解する鍵を、詩という形で曹操は遺したのであって、 「人々からの理解」という月のように輝く宝物を、曹操は手にしようとしたのかもしれない。 もしそうなら、それは現代においても、あなたの手へと続いている。 対項目当追記修正 アニヲタWiki幾何 譬如朝露 ラグナロク苦多 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] なに最後の文でかっこよく締めてるんだよ -- 名無しさん (2022-10-24 22 22 08) 知性溢るる秀逸な項目。古典文学解説を名乗ってるサイトよりもこっちの方が魅力が伝わる解説されてて誇らしくないの? -- 名無しさん (2022-10-31 18 38 37) この記事を書いたの夏侯惇だろw -- 名無しさん (2023-01-13 21 15 13) 名前 コメント