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渡辺恒雄プロフィール 名前:渡邉 恒雄 (わたなべ つねお) 生まれ:東京府豊多摩郡(現在の杉並区) 1926年(大正15年)5月30日生まれ。 職業:実業家。 株式会社読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆、株式会社読売巨人軍取締役会長。 身長:168㎝。(若い頃) 体重:80㎏。(これは現在の体重) 血液型:O型。 ※プロフィールですらウソを書く者が多いので、ここに正しいプロフィールを掲載しました。
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渡辺 317 名前:VIPから自分で転載 :2006/05/01(月) 22 25 04 ID ojZLHdbZ0 213名前: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします投稿日: 2006/05/01(月) 21 34 01.01 ID OZdCdUvN0 全渡辺さん入場!! あの名馬が生きていた!! 更なる研鑚を積みナリタトップロードが甦った!!! 菊花賞ジョッキー!! 渡辺薫彦だァ――――!!! 小学館漫画賞はすでに2度受賞している!! 「風光る」渡辺多恵子だァ――――!!! 建もの探訪しだい褒めまくってやる!! 日曜の朝代表 渡辺篤史だァッ!!! 国会の罵り合いなら私の年季がものを言う!! 宮沢内閣の外務大臣 ミッチー 渡辺美智雄!!! 真の笑いを知らしめたい!! ジャリズム 渡辺鐘だァ!!! 絵柄はかわいいが内容はブラックそのものだ!! ギャグ漫画家 渡辺電機(株)だ!!! 田原総一郎対策は完璧だ!! 朝生進行役 渡辺宜嗣!!!! 全アニメのベスト・BGMは私の中にある!! 昭和アニメ音楽の神様が来たッ 渡辺岳夫!!! 声の演技なら絶対に敗けん!! 富野監督仕込みの演技聞かせたる ケロロ軍曹 渡辺久美子だ!!! マイ・レボリューション(名曲)ならこいつが怖い!! 西武ドームのピュア・シンガー 渡辺美里だ!!! 江戸時代から蛮社の獄で弾圧だ!! 開国論者 渡辺崋山!!! 幽白の蔵馬に憧れたからボイスアクター(声優)になったのだ!! リアル僕っ娘の巨乳を見せてやる!!渡辺明乃!!! めい土の土産に川島なお美とはよく言ったもの!! 達人の奥義が今 エロ描写でバクハツする!! 愛の流刑地 渡辺淳一先生だ―――!!! 「千葉のサブマリン」こそが地上最低の代名詞だ!! まさかこの男がきてくれるとはッッ 渡辺俊介!!! 運動しないからここまで太ったッ 体重一切不明!!!! フィギュアのピッグ(ピザ)解説者 渡部絵美だ!!! オレはワタナベではないワタベなのだ!! 御存知赤マフラー 渡部篤郎!!! 元グレチキの職業は今や作家である!! 北原雅樹はいないのか!! 渡辺慶だ!!! ファイトォォォイッパァァァッツッッッリポビタンD!! 原日出子!!! 借金1億円超!!! 渡辺裕之だ!!! 女優は舞台で映えてナンボのモン!!! 超実戦演技!! 宇宙堂から渡辺えり子の登場だ!!! 読売はオレのもの 邪魔するやつは思いきり叩き思いきり解雇するだけ!! 読売ジャイアンツ統一独裁者 渡辺恒雄 自分を試しに海外で防衛したッ!! 元WBA・WBCジュニアバンタム級チャンプ 渡辺二郎!!! ピッチング指導に更なる磨きをかけ "ナベQ"渡辺久信が台湾から帰ってきたァ!!! 今の自分に昔の面影はないッッ!! ピザ・アクター渡辺 徹!!! 米国仕込みの演奏が今ベールを脱ぐ!! ジャズ界から 渡辺貞夫だ!!! ファンの前でなら私はいつでも全盛期だ!! 会員番号29番 矢島美奈代 本名で登場だ!!! 小沢健二とは結局どーなったッ 名倉との愛 未だ消えずッ!! タモリも古館も思いのまま!! 渡辺満里奈だ!!! 特に理由はないッ K-1のリングアナまでやるのも当たりまえ!! 奥さんはなんとZZガンダムのキャラ・スーンだ!!! 風のハルカ!! 渡辺いっけいがきてくれた―――!!! Nステで磨いた実戦司会!! オフィス・トゥー・ワンのデンジャラス・アナ 渡辺真理だ!!! サブ司会だったらこの人を外せない!! 超A級リーダー 渡辺正行だ!!! 超一流俳優の超一流の演技だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ ハリウッドの独眼竜!! 渡辺謙!!! 「渡辺」姓はこの男が完成させた!! 源頼光四天王の切り札!! 渡辺綱だ!!! 若き新ジャンル娘が帰ってきたッ どこへ行っていたンだッ このスレのヒロインッッ 俺達は君を待っていたッッッ渡辺さんの登場だ――――――――ッ 「あれれ~?ここどこ~?ふぇぇ~!?なんでこんなに人がいるの~?」 http //ex14.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1146401943/ 関連レス 320 名前:水先案名無い人 :2006/05/01(月) 22 44 59 ID DNzeO9zx0 317-319 GJ!ナベクミが入っていたのが嬉しかった。 321 名前:水先案名無い人 :2006/05/01(月) 22 48 52 ID yvYdGqoA0 ナベQが入っていたので満足な西武ファン 322 名前:水先案名無い人 :2006/05/02(火) 00 01 32 ID ZSRoQWQ/0 どっちでも良いからアニメ監督のナベシンを入れて欲しかったけどGJ! 327 名前:水先案名無い人 :2006/05/02(火) 02 03 01 ID RDqlRVyjP 319 オチが即効で・・ コメント 名前
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渡辺 恒雄 ( わたなべ・つねお) 参加歴 読売巨人軍バトルロワイアル 中日ドラゴンズバトルロワイアル 中日ドラゴンズバトルロワイアル2004 ソフトバンクホークスバトルロワイアル プロ野球12球団オールスター・バトルロワイヤル ビリオネア・バトルロワイアル アテネ五輪野球代表バトルロワイアル ご存知球界の首領。辞任したくらいで権力に綻びは生じない。 今日もどこかのバトロワで黒幕として絶賛活躍中。 人物データ 1926年 5月30日生 読売ジャイアンツオーナー→辞任(2004/8/13) 読売巨人軍バトルロワイアル 殺害: 所持品: 物語内略歴 (未編集) 見所 (未編集) 登場章 (未編集) 中日ドラゴンズバトルロワイアル 殺害: 所持品: 物語内略歴 (未編集) 見所 (未編集) 登場章 (未編集) 中日ドラゴンズバトルロワイアル2004 殺害:白井文吾 所持品:銃(?) 物語内略歴 (未編集) 見所 (未編集) 登場章 序章 4章 仮面の意味 23章 会えて良かった 24章 ヒント 28章 オーナーのいる光景 43章 口約束 45章 若き力 65章 廃棄処分 73章 蛇 80章 真のプログラム 89章 特別戦 96章 矛盾 97章 暗躍者 111章 興味 115章 システムダウン 123章 消失、再びの焦燥 138章 36、再び戦場へ 163章 ある推測・ある確信 172章 狐の思惑 201章 傲慢 ソフトバンクホークスバトルロワイアル 殺害: 所持品: 物語内略歴 (未編集) 見所 (未編集) 登場章 (未編集) プロ野球12球団オールスター・バトルロワイヤル 殺害: 所持品: 物語内略歴 (未編集) 見所 (未編集) 登場章 (未編集) ビリオネア・バトルロワイアル 殺害: 所持品: 物語内略歴 (未編集) 見所 (未編集) 登場章 (未編集) アテネ五輪野球代表バトルロワイアル 殺害: 所持品: 物語内略歴 (未編集) 見所 (未編集) 登場章 (未編集) 名前 コメント
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*読売ジャイアンツ team_2.gif それゆけ! 順位 回数 優勝(日本一) 43回(18回) 通算訪問者 - 今日の訪問者 - 昨日の訪問者 - 歴代のG戦士 選手紹介(228期シーズン終了時点) 野手 順 ポジ 選手名 短評 投手 順 選手名 短評 先 平田健介(平田健二) すっかり定着した、巨人名物の「平田シリーズ」。徐々に成績がよくなっていき、70期は自身初の開幕投手に指名された。 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 67 3.11 12 14 0 245.2 130 なし 70 2.75 14 14 0 255 114 なし 71 3.05 16 14 0 257 94 なし 先 宇宙3(そら) ドラフトで6球団が競合した注目選手。本人の希望より1年目から先発で活躍する。抽選を外した球団に後悔させるほど活躍することが期待される。クイックを習得したことで投球に余裕ができたか。 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 69 4.18 11 17 0 215.1 91 なし 70 4.00 8 13 0 195.2 96 なし 71 3.71 12 15 0 225.1 94 なし 先 けんじ(TOILET) ドラフト入団1年目にして直球の伸びは素晴らしい。事務局のミスで製作者名と選手名の登録を間違えられたが、そのままプレーしている。68期から続いている中日戦の連敗もそろそろ止めたい。 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 69 6.38 6 21 0 194.2 97 なし 70 4.97 9 17 0 228.1 143 なし 71 4.57 10 17 0 224.1 115 なし 先 丑三つ時の紅茶(ピザッツ) 4年間中継ぎで実力を蓄え、5年目から先発。いきなり3点台前半という若手にしては大健闘の成績を納める。将来が非常に楽しみな選手である。 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 69 4.44 0 2 0 52.2 15 なし 70 3.40 11 15 0 227.2 97 なし 71 4.50 8 17 0 220 83 なし 先 中居仁貴(名無し) 育成選手3号 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 70 6.18 1 1 2 51 19 なし 71 5.02 3 11 0 150.2 70 なし 中 胡麻リストランテ(胡麻) なつかしの投手がゲームに帰ってきた。初期能力には恵まれなかったものの中継ぎでは1番の活躍を見せ、早くもドラフト選手としての貫禄を示している。 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 71 3.51 2 1 0 51.1 22 最優秀中継ぎ 中 滝沢優奈(滝沢優奈) ロッテにドラフト指名されたものの、わけあって引退し巨人に再入団。ツーシーマーとしてどこまで活躍できるか。1球種ゆえのアドバンテージを生かした育成をしたい。 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 71 7.82 1 7 3 48.1 16 なし 中 はんぺん(はんぺん) 将来の先発型として巨人に入団した新鋭。中継ぎでいる間に能力を上げておきたい。広島にいた眉村投手とは同一人物なのだろうか? 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タ 71 5.91 4 4 5 85.1 34 最優秀中継ぎ 抑 OL(あやな) 67期シーズン途中からONに変わって抑えを任されたが、極めて順調な成績を治めている。得能も多く、安心して9回を任せられる投手。悔やまれるのは高齢なことと出番が多くないことくらいか。 期 防 勝 敗 S 投球回 振 タイトル 69 4.67 0 5 20 27 9 なし 70 9.15 1 4 10 20.2 7 なし 71 4.41 4 0 17 32.2 16 なし 読売ジャイアンツ伝統の4番打者系譜 1~20年度 リo´ゥ`リ 21~25年度 ウラタロス 26~27年度 ノリo´ゥ`リ 28~29年度 九番打者 30年度 ウラタロス 31年度 九番打者 32年度 ウラタロス 33~34年度 九番打者 35~36年度 ノリo´ゥ`リ 37年度 永井今日子 38~42年度 徳利 43~46年度 ノリo´ゥ`リ∩ 47~57年度 永井菜々子 58~62年度 リo´ゥ`リ☆ 63~65年度 猿道 66~70年度 デルモンド 71~ 五月雨 読売ジャイアンツのエースの系譜 1~2年度 ミセリ 3~13年度 京子 14~19年度 ちよの 20~29年度 範田紗々 30年度 うっう~ 31~33年度 みじゅに 34~35年度 天野昭人 36~41年度 沢尻アヤカ 42~45年度 成功者 46年度 シャア坊 47年度 内海哲也 48~50年度 みじゅさん 51~52年度 みっちゃん 53~56年度 みじゅさん 56~63年度 なっきぃ教授 64~70年度 渡辺麻友 71~ 平田健介 チーム内タイトル 首位打者 80期 79期 78期 77期 76期 75期 74期 73期 72期 71期 .307 みきすけ4 70期 .310 みきすけ4 69期 .289 みきすけ4 mihisaruGT 68期 .310 みきすけ4 67期 .315 みきすけ4 66期 .324 みきすけ4 65期 .285 みきすけ4 猿道 64期 .291 永井莉紗子 63期 .272 みきすけ4 62期 .306 リo´ゥ`リ☆ 61期 .313 紅白歌合戦 60期 .313 たっちょん 59期 .331 リo´ゥ`リ☆ 58期 .316 キマグレ 57期 .336 みきすけ3 56期 .316 みきすけ3 キマグレ 55期 .328 みきすけ3 54期 .348 みきすけ3 53期 .319 みきすけ3 52期 .334 みきすけ3 51期 .375 みきすけ3 50期 .367 みきすけ3 49期 .363 みきすけ3 48期 .367 みきすけ3 47期 .335 キマグレ 46期 .327 みきすけ3 45期 .320 みきすけ3 44期 .304 ノリo´ゥ`リ∩ 43期 .386 猪口 42期 .336 猪口 41期 .394 猪口 40期 .345 猪口 39期 .359 永井今日子 38期 .389 猪口 37期 .381 nksk先生 36期 .368 猪口 35期 .358 永井今日子 34期 .350 九番打者 33期 .330 猪口 32期 .315 ノリo´ゥ`リ 31期 .317 森陽平 30期 .361 森陽平 29期 .318 森陽平 28期 .394 森陽平 27期 .369 森陽平 26期 .390 森陽平 25期 .388 森陽平 24期 .306 森陽平 23期 .322 森陽平 22期 .355 森陽平 21期 .340 森陽平 20期 .317 森陽平 19期 .323 たかはし 18期 .338 みきすけ 17期 .328 みきすけ 16期 .330 みきすけ 15期 .367 ユッカ 14期 .345 ユッカ 13期 .344 なのは 12期 .357 ヘケート 11期 .356 みきすけ 10期 .324 とくだ 9期 .347 ユッカ 8期 .363 ユッカ 7期 .323 ユッカ 6期 .359 ユッカ 5期 .312 ユッカ 4期 .352 社員さん 3期 .305 峯岸みなみ 2期 .332 リo´ゥ`リ 1期 本塁打王 80期 79期 78期 77期 76期 75期 74期 73期 72期 71期 38本 デルモンド 70期 38本 デルモンド 69期 30本 デルモンド 68期 28本 デルモンド 67期 32本 デルモンド 66期 24本 五月雨 65期 26本 デルモンド 64期 28本 猿道 63期 27本 猿道 62期 23本 猿道 61期 29本 猿道 60期 19本 猿道 59期 29本 永井菜々子 58期 19本 猿道 57期 27本 猿道 56期 29本 猿道 55期 24本 猿道 54期 30本 永井菜々子 53期 39本 永井菜々子 52期 30本 永井菜々子 51期 38本 永井菜々子 50期 32本 永井菜々子 49期 37本 永井菜々子 48期 30本 ノリo´ゥ`リ∩ 47期 22本 永井菜々子 46期 22本 永井菜々子 45期 14本 永井菜々子 44期 18本 ノリo´ゥ`リ∩ 43期 18本 ノリo´ゥ`リ∩ 42期 22本 猪口 41期 24本 猪口 40期 16本 猪口 39期 6本 nksk先生 猪口 ノリo´ゥ`リ∩ 38期 6本 猪口 37期 10本 ノリo´ゥ`リ∩ 36期 11本 ノリo´ゥ`リ 35期 14本 ノリo´ゥ`リ 34期 14本 ノリo´ゥ`リ 33期 27本 ノリo´ゥ`リ 32期 32本 ウラタロス 31期 33本 ウラタロス 30期 44本 ウラタロス 29期 34本 ウラタロス 28期 27本 ノリo´ゥ`リ 27期 26本 ノリo´ゥ`リ 26期 24本 ノリo´ゥ`リ 25期 30本 ノリo´ゥ`リ 24期 21本 ノリo´ゥ`リ 23期 8本 みきすけ2 22期 7本 たかはし みきすけ2 21期 11本 徳利 20期 32本 リo´ゥ`リ 19期 38本 リo´ゥ`リ 18期 41本 リo´ゥ`リ 17期 43本 リo´ゥ`リ 16期 50本 リo´ゥ`リ 15期 38本 リo´ゥ`リ 14期 38本 リo´ゥ`リ 13期 51本 リo´ゥ`リ 12期 42本 リo´ゥ`リ 11期 41本 リo´ゥ`リ 10期 36本 リo´ゥ`リ 9期 41本 リo´ゥ`リ 8期 36本 リo´ゥ`リ 7期 24本 リo´ゥ`リ 6期 31本 リo´ゥ`リ 5期 13本 リo´ゥ`リ 4期 15本 リo´ゥ`リ 3期 8本 リo´ゥ`リ 2期 9本 ウォッカ 1期 打点 80期 79期 78期 77期 76期 75期 74期 73期 72期 71期 102点 デルモンド 70期 102点 デルモンド 69期 89点 デルモンド 68期 88点 デルモンド 67期 109点 デルモンド 66期 86点 デルモンド 65期 74点 デルモンド 64期 92点 デルモンド 63期 77点 猿道 62期 83点 スウィッシャー 61期 97点 猿道 60期 80点 リo´ゥ`リ☆ 59期 85点 永井菜々子 58期 93点 リo´ゥ`リ☆ 龍書文 57期 120点 猿道 56期 107点 猿道 55期 96点 永井菜々子 54期 103点 永井菜々子 53期 152点 永井菜々子 52期 115点 永井菜々子 51期 124点 永井菜々子 50期 111点 永井菜々子 49期 129点 永井菜々子 48期 110点 ノリo´ゥ`リ∩ 47期 94点 永井菜々子 46期 98点 ノリo´ゥ`リ∩ 45期 83点 ノリo´ゥ`リ∩ 44期 90点 ノリo´ゥ`リ∩ 43期 111点 猪口 42期 113点 猪口 41期 137点 猪口 40期 106点 猪口 39期 107点 猪口 38期 100点 猪口 37期 95点 テキトー 36期 72点 テキトー 35期 101点 ノリo´ゥ`リ 34期 94点 ノリo´ゥ`リ 33期 105点 ウラタロス 32期 110点 ウラタロス 31期 100点 ウラタロス 30期 129点 ウラタロス 29期 97点 ウラタロス 28期 94点 ノリo´ゥ`リ 27期 91点 九番打者 ノリo´ゥ`リ ウラタロス 26期 102点 ノリo´ゥ`リ 25期 100点 ノリo´ゥ`リ 24期 76点 ノリo´ゥ`リ 23期 66点 みきすけ2 22期 82点 たかはし 21期 88点 ウラタロス 20期 102点 リo´ゥ`リ 19期 115点 リo´ゥ`リ 18期 115点 リo´ゥ`リ 17期 130点 徳利 16期 165点 リo´ゥ`リ 15期 116点 徳利 14期 130点 徳利 13期 159点 リo´ゥ`リ 12期 145点 リo´ゥ`リ 11期 152点 リo´ゥ`リ 10期 129点 リo´ゥ`リ 9期 147点 リo´ゥ`リ 8期 135点 リo´ゥ`リ 7期 99点 リo´ゥ`リ 6期 113点 リo´ゥ`リ 5期 78点 リo´ゥ`リ 4期 94点 リo´ゥ`リ 3期 74点 しみたん 2期 68点 リo´ゥ`リ 1期 最優秀防御率(146回以上の投手のみ) 80期 79期 78期 77期 76期 75期 74期 73期 72期 71期 3.05 平田健介 70期 2.44 渡辺麻友 69期 2.75 渡辺麻友 68期 1.91 渡辺麻友 67期 3.09 渡辺麻友 66期 2.03 渡辺麻友 65期 1.78 渡辺麻友 64期 2.35 なっきぃ教授 63期 2.50 なっきぃ教授 62期 1.61 なっきぃ教授 61期 2.43 なっきぃ教授 60期 1.90 なっきぃ教授 59期 1.43 なっきぃ教授 58期 1.52 なっきぃ教授 57期 2.46 なっきぃ教授 56期 2.55 なっきぃ教授 55期 1.61 なっきぃ教授 54期 2.04 糸崎あずみ 53期 2.20 みじゅさん 52期 2.19 みっちゃん 51期 2.25 みっちゃん 50期 1.53 みじゅさん 49期 2.31 みじゅさん 48期 1.43 みじゅさん 47期 2.20 内海哲也 46期 2.61 シャア坊 45期 2.61 内海哲也 44期 2.34 成功者 43期 2.30 成功者 42期 2.72 成功者 41期 2.51 沢尻アヤカ 40期 2.60 沢尻アヤカ 39期 2.59 沢尻アヤカ 38期 2.52 成功者 37期 2.87 沢尻アヤカ 36期 2.57 沢尻アヤカ 35期 2.81 天野昭人 34期 2.92 天野昭人 33期 2.34 ドルチェ 32期 1.98 みじゅに 31期 2.23 みじゅに 30期 2.57 みじゅに 29期 2.91 うっう~ 28期 2.96 範田紗々 27期 1.97 範田紗々 26期 1.74 範田紗々 25期 2.59 範田紗々 24期 2.53 範田紗々 23期 2.14 夜のツープラトン 22期 2.47 範田紗々 21期 2.12 範田紗々 20期 2.60 範田紗々 19期 2.49 ちよの 18期 2.49 範田紗々 17期 2.19 ちよの 16期 2.15 ちよの 15期 1.69 ちよの 14期 1.23 ちよの 13期 2.02 京子 12期 2.23 京子 11期 2.65 京子 10期 2.35 从^▽^从 9期 2.70 京子 8期 2.40 京子 7期 2.18 京子 6期 2.05 京子 5期 2.22 柚木ティナ 4期 2.60 ぱっつんえり 3期 2.77 柚木ティナ 2期 2.44 ミセリ 1期 最多勝 80期 79期 78期 77期 76期 75期 74期 73期 72期 71期 16勝 平田健介 70期 14勝 平田健介 69期 15勝 HEIHO 68期 17勝 渡辺麻友 67期 14勝 渡辺麻友 66期 22勝 渡辺麻友 65期 21勝 渡辺麻友 64期 16勝 渡辺麻友 63期 16勝 渡辺麻友 62期 18勝 なっきぃ教授 61期 14勝 なっきぃ教授 60期 17勝 マッハ 59期 19勝 糸崎あずみ 58期 19勝 なっきぃ教授 糸崎あずみ 渡辺麻友 57期 21勝 なっきぃ教授 56期 18勝 みじゅさん 糸崎あずみ 渡辺麻友 55期 23勝 なっきぃ教授 糸崎あずみ 54期 22勝 糸崎あずみ 53期 22勝 みじゅさん 52期 19勝 みっちゃん 51期 23勝 みっちゃん 50期 22勝 みじゅさん 49期 24勝 みじゅさん 48期 22勝 みじゅさん 47期 18勝 みじゅさん 46期 15勝 成功者 45期 15勝 シャア坊 44期 19勝 成功者 43期 18勝 成功者 42期 16勝 成功者 41期 18勝 沢尻アヤカ 40期 18勝 みっちゃん 39期 18勝 みっちゃん 沢尻アヤカ 38期 18勝 成功者 37期 19勝 沢尻アヤカ 36期 18勝 沢尻アヤカ 35期 14勝 天野昭人 34期 15勝 天野昭人 33期 20勝 ドルチェ 32期 21勝 みじゅに 31期 19勝 days 30期 19勝 みじゅに 29期 18勝 ドルチェ 28期 19勝 みじゅに 27期 20勝 範田紗々 26期 24勝 範田紗々 25期 19勝 みじゅに 範田紗々 24期 15勝 範田紗々 23期 17勝 夜のツープラトン 22期 17勝 ジョン・スミス 21期 18勝 範田紗々 20期 19勝 範田紗々 19期 21勝 範田紗々 18期 19勝 ちよの 17期 19勝 ちよの 16期 16勝 範田紗々 ちよの 15期 17勝 ちよの 14期 17勝 ちよの 13期 21勝 京子 12期 22勝 京子 11期 19勝 京子 ちよの 10期 16勝 ちよの 9期 15勝 京子 夜王 8期 18勝 夜王 7期 18勝 京子 6期 21勝 京子 5期 15勝 京子 4期 15勝 ぱっつんえり 夜王 3期 15勝 柚木ティナ 2期 16勝 みじゅ 1期 最多奪三振 80期 79期 78期 77期 76期 75期 74期 73期 72期 71期 115 けんじ 70期 143 けんじ 69期 132 HEIHO 68期 143 HEIHO 67期 135 けんじ 66期 157 渡辺麻友 65期 175 渡辺麻友 64期 183 渡辺麻友 63期 174 なっきぃ教授 62期 186 糸崎あずみ 61期 214 なっきぃ教授 60期 184 なっきぃ教授 59期 178 なっきぃ教授 58期 198 なっきぃ教授 57期 189 なっきぃ教授 56期 178 糸崎あずみ 55期 165 なっきぃ教授 54期 145 なっきぃ教授 53期 146 みじゅさん 52期 130 みじゅさん 51期 150 みじゅさん 50期 164 みじゅさん 49期 145 みじゅさん 48期 153 みじゅさん 47期 141 みじゅさん 46期 131 シャア坊 45期 121 みじゅさん 44期 127 みじゅさん 43期 124 成功者 42期 97 成功者 41期 120 沢尻アヤカ 40期 123 沢尻アヤカ 39期 147 沢尻アヤカ 38期 133 沢尻アヤカ 37期 128 沢尻アヤカ 36期 94 みじゅさん 35期 136 天野昭人 34期 126 沢尻アヤカ 33期 107 沢尻アヤカ 32期 119 days 31期 85 ドルチェ 30期 146 うっう~ 29期 147 うっう~ 28期 149 うっう~ 27期 160 うっう~ 26期 176 範田紗々 25期 128 範田紗々 24期 134 範田紗々 23期 134 範田紗々 22期 140 範田紗々 21期 163 範田紗々 20期 163 範田紗々 19期 120 ちよの 18期 154 ちよの 17期 158 ちよの 16期 161 ちよの 15期 164 ちよの 14期 171 ちよの 13期 135 ちよの 12期 103 ちよの 11期 135 ちよの 10期 117 夜王 9期 107 夜王 8期 107 夜王 柚木ティナ 7期 124 柚木ティナ 6期 92 柚木ティナ 5期 126 柚木ティナ 4期 123 柚木ティナ 3期 116 ぱっつんえり 2期 114 ミセリ 1期 最近10シーズンの戦況 年度 順位 勝利 敗戦 引分 勝率 打率 防御率 得点 失点 首位とのゲーム差 71年度 6位 60 86 0 .411 .251 4.32 476 659 40.0 70年度 6位 58 85 3 .406 .272 4.10 499 620 33.0 69年度 5位 60 85 1 .414 .255 3.96 440 601 27.5 68年度 5位 60 85 1 .414 .260 3.99 482 624 26.5 67年度 6位 53 93 0 .363 .261 4.72 486 719 38.0 66年度 5位 67 79 0 .459 .262 3.96 490 603 20.5 65年度 5位 67 77 2 .465 .246 3.57 481 540 14.0 64年度 5位 63 80 3 .441 .243 3.69 478 536 33.5 63年度 6位 59 86 1 .407 .237 3.43 413 549 24.5 62年度 2位 73 69 4 .514 .248 3.10 492 458 13.0 ○ 過去の成績詳細 1年度~5年度 1年度 2年度 3年度 4年度 5年度 6年度~10年度 6年度 7年度 8年度 9年度 10年度 11年度~15年度 11年度 12年度 13年度 14年度 15年度 16年度~20年度 16年度 17年度 18年度 19年度 20年度 21年度~25年度 21年度 22年度 23年度 24年度 25年度 26年度~30年度 26年度 27年度 28年度 29年度 30年度 31年度~35年度 31年度 32年度 33年度 34年度 35年度 36年度~40年度 36年度 37年度 38年度 39年度 40年度 41年度~45年度 41年度 42年度 43年度 44年度 45年度 46年度~50年度 46年度 47年度 48年度 49年度 50年度 51年度~55年度 51年度 52年度 53年度 54年度 55年度 56年度~60年度 56年度 57年度 58年度 59年度 60年度 61年度~65年度 61年度 62年度 63年度 64年度 65年度 過去ログ 読売ジャイアンツ71年度 ○ 75年度~71年度 読売ジャイアンツ75年度 読売ジャイアンツ74年度 読売ジャイアンツ73年度 読売ジャイアンツ72年度 読売ジャイアンツ71年度 ○ 70年度~66年度 読売ジャイアンツ70年度 読売ジャイアンツ69年度 読売ジャイアンツ68年度 読売ジャイアンツ67年度 読売ジャイアンツ66年度 ○ 65年度~61年度 読売ジャイアンツ65年度 読売ジャイアンツ64年度 読売ジャイアンツ63年度 読売ジャイアンツ62年度 読売ジャイアンツ61年度 ○ 60年度~56年度 読売ジャイアンツ60年度 読売ジャイアンツ59年度 読売ジャイアンツ58年度 読売ジャイアンツ57年度 読売ジャイアンツ56年度 ○ 55年度~51年度 読売ジャイアンツ55年度 読売ジャイアンツ54年度 読売ジャイアンツ53年度 読売ジャイアンツ52年度 読売ジャイアンツ51年度 ○ 50年度~46年度 読売ジャイアンツ50年度 読売ジャイアンツ49年度 読売ジャイアンツ48年度 読売ジャイアンツ47年度 読売ジャイアンツ46年度 ○ 45年度~41年度 読売ジャイアンツ45年度 読売ジャイアンツ44年度 読売ジャイアンツ43年度 読売ジャイアンツ42年度 読売ジャイアンツ41年度 ○ 40年度~36年度 読売ジャイアンツ40年度 読売ジャイアンツ39年度 読売ジャイアンツ38年度 読売ジャイアンツ37年度 読売ジャイアンツ36年度 ○ 35年度~31年度 読売ジャイアンツ35年度 読売ジャイアンツ34年度 読売ジャイアンツ33年度 読売ジャイアンツ32年度 読売ジャイアンツ31年度 ○ 30年度~26年度 読売ジャイアンツ30年度 読売ジャイアンツ29年度 読売ジャイアンツ28年度 読売ジャイアンツ27年度 読売ジャイアンツ26年度 ○ 25年度~21年度 読売ジャイアンツ25年度 読売ジャイアンツ24年度 読売ジャイアンツ23年度 読売ジャイアンツ22年度 読売ジャイアンツ21年度 ○ 20年度~16年度 読売ジャイアンツ20年度 読売ジャイアンツ19年度 読売ジャイアンツ18年度 読売ジャイアンツ17年度 読売ジャイアンツ16年度 ○ 15年度~11年度 読売ジャイアンツ15年度 読売ジャイアンツ14年度 読売ジャイアンツ13年度 読売ジャイアンツ12年度 読売ジャイアンツ11年度 ○ 10年度~6年度 読売ジャイアンツ10年度 読売ジャイアンツ9年度 読売ジャイアンツ8年度 読売ジャイアンツ6年度 ○ 5年度~1年度 読売ジャイアンツ5年度 読売ジャイアンツ4年度 読売ジャイアンツ3年度 読売ジャイアンツ2年度 読売ジャイアンツ1年度 前Wikiログ 読売ジャイアンツlog 前Wiki 巨人BBS 巨人の人もそうでない人も気軽にどうぞ☆ メインは更新履歴で。他にも意見、報告、提案、情報提供、なんでもござれ~ と話してもいつまでたってもケリが付かないので、 管理人さんに話して仲裁してもらうという形でよろしいでしょうか? -- 編集者 (2008-02-17 18 28 16) いいですよ -- 編集者2 (2008-02-17 19 52 28) 68期更新しました。 記録あれこれはネタを毎回見つけるのが難しいので廃止し、代わりに投手成績を充実させてみました。 野手の投手別対戦成績とかも面白そうですが、あまりにもデータがありすぎて実現は難しそう。。。 -- 編集者 (2008-02-19 01 43 35) 69期更新しました。 容量が増えてきてるので、必要ないと思われる部分だけを一部削除させていただきました。 -- 編集者 (2008-02-24 16 46 42) 70期更新しました。 -- 編集者 (2008-02-29 10 22 28) 71期更新しました -- 編集者 (2008-03-05 11 16 37) 名前 コメント Since 2007/3/5 巨人BBS過去ログ
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わたなべつねお【渡辺恒雄】[名詞] (1)読売新聞グループのトップ。 豊富な財力に物を言わせて日本のプロ野球界や大相撲界を牛耳っているが、かつてはプロサッカー界をも牛耳ろうとしていた、たちの悪いクソジジイである。 「たかが選手」など傲慢かつ自己中心的すぎる発言もかなり目立つ。球界再編まで検討しなければいけないほど、プロ野球がおかしくなったのも、こいつが原因だ。 巨人軍のオーナーは辞めたが、まだ読売新聞グループのトップであるため、球界への影響力は残りそうである。 巨人軍だけでは飽き足らなくなったのか、最近では政界再編の動きにもちょっかいを出し始めている。 さっさと表舞台から引くべきであるが、この調子だと死ぬまで引く気配はまったくなさそうである。 (2)転じて、傲慢かつ自己中心過ぎて、他人から著しく敬遠される人をさす例え。 「お前は-だな」
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人物 / みんなの党 ● 渡辺喜美公式サイト ● ヨッシー日記 (※ 2013.5.17記事で更新が止まっている[2013.8.24現在]) ● 渡辺喜美 公式ブログ - GREE (※ 2012.5.15記事で更新停止中[2013.8.24現在]) ● 渡辺喜美〔Wikipedia〕 ■ みんなの党渡辺喜美さん「8億円熊手事件」VS北朝鮮「コッペパン頭強制事件」 「やまもといちろうBLOG(2014.3.28)」より / 熊手ショーック 借金の使途「かなり大きい熊手」 渡辺代表会見3 http //www.asahi.com/articles/ASG3X0512G3WUTFK00S.html 渡辺喜美氏、8億円の借金で「熊手買った」が話題に http //www.huffingtonpost.jp/2014/03/27/watanabe-yoshimi-kumade_n_5046648.html まあ、DHC吉田さんからの借り入れが全額熊手に回ったわけではないでしょうから、どんだけ熊手なんだという気もするわけなんですが、この辺の祭事に詳しくない私は思わず「熊手って… 神社とかで使ってる、落ち葉集める櫛のような箒のことだよな?」とググりながら考えてしまいました。 みんなの党に関しては、2年ぐらい前から焦げ臭い話が幾つかありましたが、まさか党設立時点からのメインスポンサーの一人が実名で暴露という状態に陥るとは思っていませんでした。というか、政治資金規正法で求められていた開示金額とまるで違う状態ですので、修正したとしてもアレでしょうし、また吉田さんが「選挙資金だった」とはっきり書いてしまっています。メールもあるそうで。 8億円は選挙資金=証拠メール存在、渡辺氏に辞職促す-DHC会長 http //www.jiji.com/jc/c?g=pol_30 k=2014032800627 みんな政調会長、渡辺代表辞任を否定=本人は本会議・会見欠席 http //www.jiji.com/jc/c?g=pol_30 k=2014032800827 吉田嘉明さん、本件の渡辺さんの進退について「党首なり国会議員を辞めて、出直してほしい」とか結構真っ二つ気味のライフスタイル提案をしており衝撃的です。文字通り渡辺商店の崩壊ですんで。 (※ 以下略) ★ 渡辺代表を東京地検に告発 公選法や政治資金規正法違反罪 東京の市民団体 「産経ニュース(2014.3.28)」より / みんなの党の渡辺喜美代表(62)が化粧品販売会社ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長から8億円を借り入れていた問題で、東京都の市民団体代表が28日、公職選挙法違反罪や政治資金規正法違反罪などでの渡辺氏に対する告発状を東京地検特捜部に提出した。特捜部は今後、受理するか検討する。 +続き 告発状によると渡辺氏は、吉田氏から平成22年の参院選前に3億円、24年の衆院選前に5億円を借り入れていたが、選挙運動費用収支報告書や政治資金収支報告書への記載がなければ、公職選挙法や政治資金規正法に違反するとしている。 渡辺氏は27日の記者団の取材に、計8億円を借り入れていた事実を認め、その上で「純粋に個人として借りた。違法性の認識はない」と述べている。 告発した市民団体代表は「みんなの党は年間20億円の政党助成金を受領している政党であり、検察は真実を明らかにする必要がある」などとしている。 ーーーーーーーーーー ★ 渡辺喜美氏、逮捕も 元大阪高検公安部長が激白「猪瀬氏より悪質」 「zakzak(2014.3.29)」より / みんなの党の渡辺喜美代表(62)による8億円借り入れ問題が、刑事事件になる恐れが出てきた。元東京都議が、公職選挙法違反などの疑いで東京地検特捜部に告発状を提出したのに続き、数々の事件を手がけてきた元大阪高等検察庁公安部長の三井環氏(69)も重大関心を寄せているのだ。三井氏は「立件の可能性は十分ある。逮捕もあり得る」と指摘した。 +続き 新事実が発覚した。 渡辺氏が2012年12月の衆院選前に、化粧品販売会社「ディーエイチシー(DHC)」の吉田嘉明会長(73)に「(衆院選に)60人ぐらい候補を立てる」と選挙情勢を説明したうえで、「あと5億円必要です。何とぞご融資お願いします」と記したメールを送っていたのだ。 「熊手釈明」と失笑を買った27日の記者会見で、渡辺氏は「個人的に借りた。違法性の認識はない」と語ったが、吉田会長は「言い訳で通そうとしている。5億円は選挙のためとハッキリしている」と断言した。 元検察幹部で、現在は社会の不正を追及する市民団体「市民連帯の会」を主宰する三井氏も「(徳洲会グループから5000万円を受け取り、公選法違反罪で略式起訴となった)猪瀬氏のケースと非常に似ている」といい、こう続けた。 「猪瀬氏より金額が多い分、悪質ともいえる。借り入れが選挙や政治活動に使われたと証明されれば、公選法違反か政治資金規正法違反に問われる。今回の場合、資金を提供した吉田会長が『選挙資金』と認めているため、証拠固めはしやすい。立件までのハードルはそれほど高くない。逮捕もあり得る」 公選法では、3年以下の禁錮か、50万円以下の罰金。政治資金規正法では、会計責任者に5年以下の禁錮または100万円以下の罰金が科される可能性がある。 三井氏は調査を重ねたうえで、渡辺氏を東京地検に告発することも視野に入れている。いざ司直のメスが入れば、どんな捜査が展開されるのか。 「渡辺氏が党代表を務めているため、カネの流れを把握するため、全所属議員への事情聴取が行われるかもしれない。党の存続も危ぶまれる事態だ。渡辺氏が苦しい言い訳を繰り返すのは、そうしたシナリオを恐れているからに他ならない」 ーーーーーーーーーー ★ DHC会長「渡辺喜美代表はうそか言い訳」 「産経ニュース(2014.3.28)」より / みんなの党の渡辺喜美代表が化粧品会社ディーエイチシー(DHC、東京)の吉田嘉明会長から8億円を借り入れた問題で、平成24年の衆院選前に当初20億円の貸し付けを依頼したとされることについて「記憶がない」とした渡辺代表の説明に、吉田会長は28日、「明らかなうそか言い訳だ」と語った。 共同通信の取材に応じた吉田会長は当時の経緯を「明確に覚えている」と強調。検査入院中の病室に渡辺代表が来て、日本維新の会と選挙協力するとして「100人ぐらい当選する可能性がある。20億円の選挙の金が必要」という趣旨の話があったとした。 その後、選挙協力の話がなくなったため、実際は5億円を衆院選前に貸し付けたという。 渡辺代表は27日、記者団に「維新との交渉は会長に適宜報告していたが、そういうやりとりがあったか記憶していない。20億の数字を私から出したかは覚えていない」と述べた。 ■ 渡辺喜美の借り入れ問題でみんなの党存続危機と読売新聞が報道 「東京kittyアンテナ(2014.3.28)」より / DHCからの渡辺喜美の8億円借り入れ問題で読売新聞は「存続の危機」と報道している様である(@w荒 参考1 http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140327-00000076-yom-po 5000万円で辞職した猪瀬元都知事と問題は同じで額がずっと多いのが問題ということだね(@wぷ しかも言い訳は「かなり大きな熊手を買った」とのことである(@wぷ 参考2 http //news.goo.ne.jp/article/asahi/world/ecoscience/ASG3X0512G3WUTFK00S.html 正に渡辺喜劇だな(@wぷ 前から述べているが、安倍自民が着実に政権を担当している限り、維新とかみんなとかは存在意義が極小化してるというのが背景にあるんぢゃないかな(@wぷ ■ あなたのお父さんは細川別邸にカネもらいに来てましたよ 「二階堂ドットコム(2014.1.12)」より / 共同通信より引用。 みんなの党の渡辺喜美代表は11日、仙台市内で記者会見し、2月の東京都知事選に立候補する意向を固めた細川護熙元首相に関し、佐川急便からの資金問題への見解をただす考えを示した。渡辺氏は「もらったのか、借りたのかはっきりしないまま(首相を)辞めた。20年前でも覚えている人がいるのだから、当然問題にならざるを得ない」と述べた。(*引用ここまで) ...................... ↑あなたのお父上は、細川別邸を借りていた佐川急便の佐川清のところにきて、板張りの廊下で土下座してカネもらってましたよね。つがいの鶴が居た京都のあそこですよ。 ついでにいえば、あなたはITバブル時代、いろんなところに顔出してましたね。いわゆるインチキ連中の集うところに。お父上の血を受け継いでいるみたいで何よりです。お父上は行商上がりの苦労人でした。あなたはそうではないですよね。 だからといって、細川がいいとは全く思っていないので、もっと突っ込みを入れてかき回してくれることを、のぞみまーーーーす!!! .
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読売ジャイアンツ 読売ジャイアンツ
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渡辺進 1970年のドラフト4位で、千葉・銚子商から入団。(当時はヤクルトアトムズ)。同期に若松勉氏(3位)、元読売・会田投手のお父上の会田照夫氏(8位)、杉浦享氏(10位)球団取締役の大木勝年氏(16位)と、そうそうたるメンバー。 1980年頃から頭角を現し、背番号を36から7へ変更して主にセカンドを守った。セカンド以外でもファースト、サードでも守れる、いわゆるユーティリティー・プレイヤーで晩年はファーストでの出場が多かった。 しかし1985年に広澤克実氏が入団、出場機会を失い1987年に現役を引退。 現役通算成績は1058試合出場、677安打・打率.247・93HR・328打点・24盗塁と、「守備の人」という印象が強かった。 現役時代の応援歌歌詞はなくメロディのみ。後に佐藤真一氏(1軍打撃コーチ)へ引き継がれた。 現役引退後は1988年から1998年1軍守備走塁、1999年から2005年まで1軍チーフと、関根氏・野村氏・若松氏の各監督の下で、主に1990年から2000年代前半の黄金期を支えた名コーチ。 球団編成部次長渉外担当を努めてたが、2010年のスカウト部との統合と同時に編成部部長に就任。つまりakmtの「上司」。 やくせんでakmtのAAが暴れていたら、この方で押さえにかかると収まると思います。
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読売新聞(新聞の題字及び漢字制限前表記は「讀賣新聞」)(よみうりしんぶん)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社及び株式会社読売新聞西部本社が発行する新聞である。販売部数は1000万部を超え、世界で最も発行部数が多い(かつては旧ソ連共産党機関紙プラウダ)ギネスブックにはHighest Daily Newspaper Circulationで、朝刊と夕刊をあわせて2002年に14,323,781部を発行したと記されている。。英国Times紙と特約契約を交わした。また、親米保守派新聞として知られている。 歴史 1874年(明治7年)11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊 1917年12月1日 商号を「日就社」から「読売新聞社」に改称。 1924年2月25日 経営難から、前警視庁警務部長、後の衆院議員、正力松太郎が買収。 1925年11月15日 「よみうりラヂオ版」新設(テレビ・ラジオ欄=番組表の先駆け)。 1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)創設。部数拡大に大きく貢献する。 1942年8月5日 報知新聞社を合併。「讀賣報知」に改題。 1945年(昭和20年)7月27日に論評なし公表されたポツダム宣言を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、鈴木貫太郎首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。 1945年(昭和20年)正力松太郎社長がA級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される(1947年(昭和22年)不起訴で釈放後公職追放)。 1945年馬場恒吾、社長就任。 1946年5月1日 題号「讀賣新聞」に復帰。 1946年(昭和21年)11月12日、「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を推進。 1950年6月1日 読売新聞社が株式会社に改組。 1951年(昭和26年)正力松太郎の公職追放解除。 1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、関西に進出。 1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。 1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。 1964年9月23日 北九州市に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。 1966年6月29日 この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催。 1975年3月25日 名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。 1977年 発行部数で朝日新聞を抜き、日本一となる。世界でもソ連(現:ロシア)のプラウダなどを抜いて一位に。 1979年 渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社会長)が論説委員長に就任。 1980年 空白の一日事件や読売ジャイアンツ長嶋茂雄監督解任に対する不買運動に遭う。 1988年6月1日 中部読売新聞社が読売本体と合併し読売新聞中部本社となり、題号から「中部」外れる。 1994年11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、憲法の改正を主張。憲法について再考する一つのきっかけになった。 1999年2月1日 経営難の中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。 2000年12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。 2002年 1月1日 読売新聞の題字下に記載されていた、「THE YOMIURI SHINBUN」のローマ字が廃止。 7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社読売新聞グループ本社(グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社よみうりを株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に会社分割。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継(中部支社に格下げ)。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も株式交換により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。 2004年1月1日 読売新聞西部本社が北九州市から福岡市に移転。 2004年12月1日 朝刊連載の4コマ漫画「コボちゃん」が、日本の全国紙の4コマ漫画では初めてカラー化。 2007年10月1日 読売新聞グループ本社・日本経済新聞社・朝日新聞社の3社がインターネット分野による共同事業及び販売事業における業務提携、システム障害と災害時における新聞発行の相互援助協定を締結することを発表。 2008年3月31日 紙面の文字を拡大(メガ文字)。 2008年8月31日 大阪本社の「泉」のコーナーが終了。新コーナーへ引き継ぐ。 読売争議 読売争議は、ポツダム宣言受諾により連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の間接統治下にあった敗戦直後の日本で発生した労働争議をさす。労働争議は労使契約を締結した使用者側と労働者側において労使関係に意見の一致を見ないとき生じる争いで、法律(労働組合法 1949)において認められた行為になる(すなわち、読売争議の時点では法律はかつての調整法しかない)。 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の間接統治の指針としてのポツダム宣言は「非軍事化」「民主化」「戦争犯罪人の処罰」を骨子にする。読売争議でも「社内機構の民主化」「戦争責任の明確化」が労働者側から使用者側へもとめられている。無論、この論理の他に労働契約の解除、インフレ、都市生活者の物資窮乏といった個人的な事情もあったらしい。 しかし、事件の背景として敗戦と同時に政治や労働組合の運動が活発化した事実もあげられる。敗戦直後の日本の労働者は大日本産業報国会に編成されていたため労働組合が存在せず、このため中央組織結成運動が胎動したのも第一次読売争議の前後の話である。また政治の世界では、府中刑務所を出獄した日本共産党の徳田球一が「人民に告ぐ」の声明を発表したのも、また日共以外の合法政党が集まって再出発、政党の名前を日本社会党とすると決定したのも第一次読売争議の前後の話である。読売という一企業の労使紛争が流れの中に巻き込まれた点もあるのだろうが、同時に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の間接統治の指針が「左から右へ揺れた」点も見過ごせない。 第1次争議 太平洋戦争終結後、各マスコミでは経営陣の戦争協力について糾弾する動きが見られた。読売も例外ではなかったが、他社と違ったのは正力の力が極めて強かったことであった。この力を背景に、正力は開き直って糾弾していた記者のうち急先鋒格だった5名を解雇した。従業員側はこれに反発し争議が勃発した。ところが、程なくして正力がA級戦犯指名を受けて巣鴨プリズン収監が決定し、経営側は急遽「リベラル派の馬場恒吾(1875~1956。ジャーナリスト出身)を社長にする」ことを交換条件に5名の復職と民主化を従業員側に提案。従業員側も同意して12月に一応の争議終結を見た。それから程なくして読売社内に労働組合が結成され、委員長には、徹底したリベラリストで知られていた鈴木東民(1895~1979。後の釜石市長)が据えられた。鈴木は「民主読売」をモットーに「人民の機関紙たること」を宣言。編集局長・主筆・社会部長の主要3職も兼ねた。また、印刷部門の支配も労組に委ねられた。この頃、北海道新聞や西日本新聞などでも経営陣追放などの動きが見られた。 第2次争議 「民主読売」の成立は他のマスコミに大きな影響を与え、さらには記者クラブ改革や新しい新聞の発刊にまで波及した。しかし、1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。 1946年6月、馬場はGHQの支援を取り付けた上で、鈴木たち共産党員6名に退社命令をだした。これがきっかけで争議が再発した。民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を影ながら応援していたが、この第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務台光雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。 日本共産党などはこの争議を高く評価しているが、大勢的に見れば冷戦とそれによるGHQの方針転換に大きく振り回された争議と見ることもできる。また、馬場のイメージもあまり芳しくないが、馬場サイドから見ればGHQの方針転換に忠実に従ったまでのことであり、鈴木がそれを見抜けなかっただけだという見方もある。この争議の混乱が尾を引いて読売は社の体力が大きく疲弊。読売の民間ラジオ局「読売放送」の構想が挫折した(後にラジオ東京の前身の一つとなった)。 紙面・論調 大垣藩士・子安峻らの創業した読売新聞は、「文学新聞」として知られ、明治初期、日本最大の発行部数を誇った。明治中期以降、部数が衰えた読売新聞は、1919年、白虹事件によって東京朝日を退社した松山忠二郎たちをむかえ、「大正デモクラシーの梁山泊」として、プロレタリア文学などの発表の場となるとともに、政治・経済の硬派記事を加え、部数も3万部から13万部に急伸させた。1923年、関東大震災の襲来にともない経営不振に陥った読売新聞は、中興の祖、正力松太郎の手に委ねられる。 正力松太郎は、品川主計、小林吉政などの警察官僚をさかんに経営・販売に迎え入れ、「警察新聞」化をすすめる一方、アメリカのハースト系新聞社のイエロージャーナリズムにならい、警察ネタとセンセーショナルな記事を結合させる独自の紙面作りをおしすすめた。とくに、暗黒街の取材に関しては他紙の追随を許さず、戦後は、原四郎社会部長の下、読売「社会部王国」を築き、「読売の在野精神」とよばれ、「庶民感覚」に根ざしたリベラルな論調を展開した。これは、絶対的な権力をもつ社長・社主の正力松太郎自身、自民党の政治家でありながら、社論に容喙することが少なく、また「販売の鬼」「販売の神様」と呼ばれた後任社長務臺光雄も、新聞の心臓部である編集に口を差し挟まなかったことが大きい。 1979年、渡邉恒雄論説委員長の誕生以降、紙面の編集方針や論調は右派・保守主義となった。現在は基本的に自民党支持、改憲支持、経団連支持、新自由主義経済改革支持である一方、大連立構想 (日本 2007)以降の社説等で見られるように民主党やその支持母体である労組への論調は厳しいものが多い。なお、戦争経験者であり、靖国神社(特に遊就館)における歴史認識を批判する主筆渡邉恒雄は首相の靖国参拝に反対している。 政府の政策に関し、政策分野によっては(改憲問題、防衛政策など)、社の見解(社論)を明確に打ち出すのが特徴である。他方、不得意な政策分野については、基本的に官庁発表をベースに報道を行い、官庁発表に顕れていない問題意識を独自に掘り起こすような記事に紙面を割かないのも特徴である。また、個々の記者の見解が前面に出るような記事が少なく、社論に沿った記事がほとんどなので、記事間の意見の違いについて考えさせられる機会が少ないのも特徴である。 注目を集めた報道 1954年、第五福竜丸の被爆事件の特ダネを報道、一躍、世界に知られるようになる。 一マスコミとしては初めての問題提起である「憲法改正草案発表」を発表し憲法改正論議のさきがけとなる。 サッカーワールドカップ(W杯)2002年大会の招致活動に際して、「日韓共同開催」を社論に掲げて、「日本単独開催」にこだわる日本サッカー協会・W杯招致委員会を厳しく批判する論陣をはった。事実上の招致の妨害活動は、読売ヴェルディの名称をめぐる、Jリーグ首脳部との確執が原因とみられる。 疑義が持たれた報道、スキャンダル 1925年、ラジオ欄の創設、1932年、「地方版」である「読売江東版」の刊行など、時代を先取りする紙面作りをおこなう一方、1927年、ヌード写真を社会面に掲載し、「読売のエログロ主義」とよばれ批判もうけた佐野真一『巨怪伝』文芸春秋社、1994年、137頁。 1930年代、毎日新聞・朝日新聞と同様、いわゆる「15年戦争」に全面的に協力し、戦争を煽りたてる報道をおこなった。ただし当時、同業者からは「新聞記事は創作するのが練達堪能の記者とされ、やがて幹部に出世する大道」『現代新聞批判』1938年9月15日「外電と称して実は編集室の机上でニュースを作りあげる」」 ref name= shinbunhihan19411001 『現代新聞批判』1941年10月1日と見られていて、1938年、捏造記事「揚子江上英米軍艦訪問記」で記者が処分されると驚きをもって迎えられた。また、営利主義的に親ナチ・ヒトラー礼賛の紙面作りをおこない、1941年の独ソ戦開始直後から「独軍の電撃的勝利」「赤軍の全面的崩壊」とやったため、年末になると収拾できなくなった。その姿は同時代から「昭和年代のお笑い草」 ref name= shinbunhihan19411001 / とされた。 1957年10月18日、朝刊社会面トップ記事は、前年に成立した売春防止法をめぐって、反対運動を行っていた赤線(公認売春)組織から宇都宮徳馬・福田篤泰両代議士が収賄していた、というものであった。これは法務省刑事課長・河井信太郎のリークであったが、読売に情報を漏らす法務省関係者をあぶりだすため、検察が法務省に仕掛けたガセネタであった。読売新聞は、ただちに両代議士から事実無根と告訴され、執筆者の立松和博記者も逮捕。12月18日、謝罪広告を出し、立松記者は懲戒休職処分となった。読売「社会部王国」終わりの始まり、とされるスキャンダルであった。 1974年から1975年にかけて、読売新聞は名人 (囲碁)戦騒動をおこした。1961年から始まった旧・名人戦は、高度成長期に14年間も、2500万円前後に契約金が据えおかれた。そこで日本棋院は、1億円の契約金を提示した朝日新聞に名人戦主催権を移すことを表明。あわてた読売新聞は、「金目当て」「信義がない」と激しいバッシングをほぼ1年にわたって囲碁界全体に加え、裁判にまで発展した。1975年末、「最高棋士決定・棋聖戦」創設(1976年から開始)という形で落ち着いたものの、日本棋院のプロの卵である院生の数は激減。日本囲碁界の凋落と中国・韓国の台頭の一因となった。 1978年ドラフト会議前日に協定の隙を突いて、プロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツと作新学院、法政大学出身(のち阪神タイガース・読売ジャイアンツ、解説者)の投手江川卓が入団契約を結んだ事件。いわゆる江川事件のことである。これは栃木選出の代議士である船田中議員らが関与したとも言われ、その経緯は実録たかされ(原作:江川卓、作画:本宮ひろ志)などに詳しい。この事件は読売の100年史においてもその記載をどうするかで論議されたが、結局掲載を見送られるなど、読売社内においても一種の恥やタブー扱いになっていた。が、2005年の日本テレビのスポーツ番組においてこの事件が取り上げられ、内部での扱いが変化しつつある。 1986年12月5日夕刊では、「よみうり寸評」差し替え事件がおきた。「よみうり寸評」では、中曽根政権の売上税導入の決定に対して、「朝三暮四のもう一つの意味、詐術を用いて人を愚弄する点も、今回は当てはまる。(略)中曽根首相は七月の同日選のとき、『大型間接税は導入しない』と選挙民に約束した」と批判。渡辺恒雄主筆(1985年6月就任)の展開した「売上税は中型間接税だから公約違反ではない」という売上税導入キャンペーンにそぐわぬためで、夕刊3版から急遽差し替えられた。「よみうり寸評」で1981年の日本記者クラブ賞を受賞した村尾清一記者は、1987年6月、出版局顧問に退いた。 1987年11月29日、大韓航空機爆破事件では、「大韓航空機の墜落確認 タイ奥地」(11月30日夕刊)と報道した。墜落したのは、ベンガル湾上空であった。またこの事件では、11月30日、日本人の偽造旅券を使った人物が、中東のバーレーンで逮捕されそうになり服毒自殺をした。12月2日付夕刊で読売新聞は、「墜落大韓機自殺の男 宮本と同一人物か」と、自殺した男性が宮本明(李京雨)と同一人物と報じた。実際は金勝一で、他紙は「自殺男性 宮本と別人か」(同日毎日新聞夕刊)と報じていた。また翌3日、夕刊一面トップは、「「宮本」に逮捕状」の見出しが踊り、「3日、公文書偽造などの容疑で逮捕状をとった」と報道した。しかし、実際は、翌4日朝刊「「宮本」逮捕状請求は見送り」であり、完全な誤報であった。「韓国筋」「公安筋」に頼りすぎた結果の、誤報続出であった。 1989年8月17日、夕刊一面トップで、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者「宮崎のアジトを発見」と報道した。記事は「奥多摩山中・小峰峠近くで発見」「自宅から南東へ約1.5キロ」「宮崎家の使用人だった男性が住んでいた小屋」「警察が多数の有力物証を押収」「遺体放置場所もこのアジト内」「遺体観察にかよう」「宮崎供述の矛盾、疑問点がことごとく解明」などと続き、アジトのある山小屋付近の地図までのっていた。捜査本部は、全面否定。翌日には「おわび」を出したものの、「検証」記事に2ヶ月もかかり、それも「激しい取材競争の中で一線記者が冷静さを失い、断片的な情報を総合する段階で、強い思い込みから不確かな『事実』を間違いのない『事実』と信じ込んだ」(10月15日付朝刊)といった抽象的なものにおわった。「宮崎のアジト発見」は、朝日新聞珊瑚記事捏造事件や「グリコ事件、犯人取り調べ」(『毎日新聞』同年6月1日朝刊)とならぶ「平成の3大誤報」とされる一大スキャンダルであったが、朝日新聞のサンゴ事件の影に隠れてほとんど話題にされず、読売新聞は処分の内容も、記事を書いた記者の名前も明らかにしなかった。 1990年5月6日、子供の日翌日の朝刊社会面トップは、「雨の日の5日午前2時幼い2人置き去り 歩道とぼとぼ 保護 親の名言わず」と、「豊かな時代」の「子捨て」を報道し、「親の身勝手から依然として後を絶たない」と批判をくわえた。しかし実際は、父に黙って深夜に外出して保護されただけの、記者の早とちりにすぎなかった。ところが、訂正・お詫び記事を出さなかったどころか、「同署では「兄妹は大人たちに囲まれ、緊張感と警戒心で自宅がすぐ近くにあることさえ口に出せなかったのだろう」と同情している」(5月7日夕刊)と書き、誤報の責任を子供になすりつけた。 1994年3月25日、朝刊一面に「『グリコ・森永』に有力容疑者 大阪の男、一部供述」という見出しがおどった。内容は、「グループ8人か」「捜査本部一斉聴取へ」「江崎勝久・グリコ社長誘拐に始まった一連の事件について関与を示唆するような供述」「末端の実行犯の可能性」「『しゃべれば、殺される』などと供述」「当時の行動を再現させるなど、確認作業を始めた」「時効まで残すところ二ヶ月余りという局面で最大のヤマバをむかえる」というものであった。その後、続報はとまった。時効にともない、誤報は明らかであったが、読売新聞は6月2日朝刊一面の「グリコ・森永事件『アベック襲撃』も時効」と伝えたことを受けての社会面記事、「悔しい時効」の一節にあわせて掲載した「大阪社会部『グリコ・森永事件』取材班」の署名入り記事「性急だった本紙報道」の中で「情報の検証に甘さがあったことは否めない」と釈明しただけであった。 1994年7月15日夕刊では、「薬剤使用をほのめかす 事件直後に会社員」と、会社員河野義行を松本サリン事件の犯人視させる報道をおこなっている。一般に、松本サリン事件では、マスメディア全体の誤報が問題視されていて、個別報道は注視されていない。ただ、この読売報道の悪質さは、6月28日付でマスメディアが報じた「薬剤の調合をまちがえた」「農薬混合」とされたガスの正体が、7月3日になって農薬ではなくサリンと判明し、調合では精製できないことが判明したにも関わらず報道した点にあった。読売新聞は1995年5月12日になってから河野に対し紙面で謝罪をおこなった最初に謝罪をおこなったのは『朝日新聞』(1995年4月21日付)。。 1995年2月14日、東京協和信用組合の前理事長・高橋治則がおこなった、元・中曽根派の代議士山口敏夫のファミリー企業への法定限度額をこえた過剰融資と癒着を報じた記事は、編集局次長の業務命令で差し替えられた。12版・13版まで掲載された記事が14版(東京都内)で消えた背景には、旧・大野派の番記者として、山口敏夫やかれの父と親しかった渡辺恒雄社長(当時)への、編集局幹部たちの過剰な配慮があったとされた。 1995年3月28日、地下鉄サリン事件の報道が過熱する中で、朝刊一面にトップに「入院の男 容疑者と断定」「小伝馬町駅 サリン車内に置く」「目撃情報で突き止める」「回復次第 取り調べ」と題した記事をのせた。内容は、地下鉄日比谷線の電車の3両目車内に、サリン発生源である新聞包をおいたコート姿のサングラスの男は、サリンを浴びて入院している男と同一人物であることが、目撃情報によって突き止められた、というものである。しかし同日夕刊の続報では、社会面で「犯行とは無関係」と、朝刊特ダネを完全に否定した。容疑者と断定した人物についての謝罪・顛末説明はおこなわれていない。 2001年から2002年にかけて、読売新聞は田中真紀子外相更迭の旗振り役をになう。2001年6月2日付社説では、「機密費問題などに見られる外務官僚の閉鎖的体質を改めるのは大事なことだ。だが、いたずらに省内に混乱を生じ、外交を弱めるようでは本末転倒」と、田中外相の外交感覚を危惧。8月3日、4日付社説では、次官人事の混乱に基づき、田中外相の更迭を要求した。これは、「9・11」以後噴出する田中外相批判の先鞭となり、2002年1月29日の外相更迭につながっている。しかし2002年2月以降、機密費横領・水増し詐偽・組織的裏金作り・私的流用・「鈴木宗男疑惑」などが噴出すると、一転して「『政と官』の不明朗な関係が批判されているにもかかわらず、外務省幹部の意識が一向に改まっていない」(2002年2月24日付社説)と批判した。 2002年4月、個人情報保護法案と人権擁護法案の国会審議入りに際して、日本新聞協会(会長 渡邉恒雄)は、表現・報道の自由を侵すとして廃案・出直しをもとめ、緊急声明までだして反対姿勢を示していた。しかし読売新聞は、個人情報保護法については、メディアを含めて守らなければならない基本原則のうち「透明性の確保」を報道分野だけ除外する、などを柱とした「「報道の自由」と両立を/修正試案を本社提言」を5月12日付1面で掲載した。5月13日、小泉首相は、読売試案を参考にして修正協議に入るように山崎幹事長に指示。事前了解済みを疑わせる怪しい動きに、ほとんどのメディアがこの読売試案に反発。「特定の大新聞がよければ「青信号」を出せるような法案ではない」(『北海道新聞』)「読売案は<歴史の汚点>」(月刊『文藝春秋』)という批判をあびた。 2002年9月18日、小泉訪朝による日朝首脳会談では、政治部長署名記事で、「北朝鮮が軍事独裁国家である限り、経済協力などできるものではない」と啖呵をきった。しかし、1962年から65年、朴正煕政権との日韓国交回復交渉において、金鍾泌と日韓国交回復に反対していた党人派大野伴睦を引き合わせるなどして、軍事独裁国家に対する経済協力を実現させた黒子役は、読売新聞の渡辺恒雄記者(現・会長)であった。 2003年3月、米英によるイラク戦争の開始にあたって、「湾岸戦争から十二年後の今もなお、大量破壊兵器の廃棄義務を履行していない」(3月9日社説)「大量破壊兵器を廃棄した、というフセイン政権の主張は、まだ立証されていない」(3月14日社説)「問題の本質は、イラクの大量破壊兵器がテロリストの手に渡る危険性をどう排除するか、である」(3月19日)など、イラク攻撃に賛成する論陣を張った。現在、大量破壊兵器はイラクに存在しなかったことが明らかになっているが、読者への訂正・説明はなされていない。 2004年4月8日、アルジャジーラの報道から始まった、イラク日本人人質事件報道では、直後から人質とその家族を批判する「自己責任論」の火付け役となった。読売新聞は、翌9日「三人の行動はテロリストの本質を甘く見た軽率なもの」から始まり、「三人にもこうした事態を招いた責任がある」(4月10日)「人質の家族の言動にもいささか疑問がある…政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」(4月13日)「政府が『自己責任』の自覚を求めているのは当然のこと」(4月16日)と、連日社説で「軽率」「無謀」と人質の行動を批判した。4月19日付社会面では本人の帰国費用のほか、政府自治体関係者の活動費まで細かく算定して「自己負担論」を唱えるまでになった。読売新聞は、自己責任論に従いサマワから記者を撤退させたものの、「現地の治安が悪化し、外務省から航空自衛隊の輸送機で撤退を求められたため、利用」(4月15日)した時の帰国費用・活動費を「自己負担」したかどうかは不明である。 2004年11月5日、渡邉恒雄の名義とされる日本テレビ放送網株が讀賣新聞社の実質所有する株式である事を公表し有価証券報告書を訂正。これを受けて地方のテレビ局24社とラジオ局18社の株式を役員などの第三者の名義で実質保有している事も公表した。その結果、テレビ9社とラジオ3社に対する出資比率がマスメディアの集中排除の原則における制限を越えていた事実が明らかになった。その後、第三者名義にして制限を逃れる行為が他の全国紙や地方紙でもおこなわれていた事が発覚した。 2005年5月4日から5日早朝にかけてのJR福知山線脱線事故記者会見の席上、JR西日本の事故直後の対応やレクリエーションを中止しなかった事について、出席した記者が説明を求めて「あんたらはもういい、社長を呼んで」等と罵声を浴びせたり、感情的発言を繰り返していた事が判明。取材モラルに欠けていないかと読者や他のマスコミなどから批判された。後に、当の記者が報じられたことのうちの一部を否定している。 2008年7月28日、青森県版に掲載された全日本吹奏楽コンクール青森県大会関連の記事で、掲載された八戸市代表楽団長の談話は“岩手県中部の地震被災地関連の記事が必要だ”と考えた青森支局の記者が、楽団名をネット検索して書いた捏造記事だった(コメントした団長は先任者で楽団とは既に無関係)。元団長本人からの指摘で発覚。談話部分は取り消され、執筆記者は休職3ヶ月、伊藤学支局長はけん責の懲戒処分となった。取消・謝罪は「青森版」のみに掲載された。謝罪会見はおこわれず、執筆者も明らかにされていない。 中部読売の不当廉売問題 Template see? 「社会部王国」 読売新聞は、かつて立松和博、本田靖春(東京本社)、黒田清、大谷昭宏(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。とりわけ大阪社会部はコラム「窓」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が社会部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし1980年代に社内で渡邉恒雄らによる保守的思潮が主流になると圧力が高まり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。渡邉に放逐された記者は数多いが、渡邉が直接手を下すことはなかった。渡邉の意を呈した周囲が該当する記者を左遷したり、仕事を取り上げたりして、退社に追い込むのが常であったと言われている。 この行動は読売新聞の論説体系の統一の観点からは仕方無いものではあるが、読売新聞本来の魅力である「保守的なリベラル」という二律背反しつつも社論は社論という絶妙なバランスに立脚した論説体系を捨てたという事で残念に思う旧来の読者が多い。 医療情報部 読売新聞は、他の全国紙にはない医療専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である前野一雄は、自身が脳動脈瘤、次いで甲状腺がんを患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は杉谷巌との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。 マスコットキャラクター どれどれ 2004年1月、読売新聞の創刊130周年を記念して、アニメーション作家で映画監督の宮崎駿(スタジオジブリ)の作による、「目玉の中に忍び込む昆虫」を表した新マスコットキャラクターを発表。名前は、2004年7月、一般公募によって「どれどれ」という名前が付いた。 「どれどれ」の特長 「大きな眼」は、将来を見通し、先見性を持って報道にあたる読売新聞の基本方針を示している。新聞を読んでいるのは活字を大切にする姿勢を、緑色は環境を大切にする姿勢を象徴している。 「どれどれ」は、旺盛な探究心、好奇心を象徴する言葉である。 2005年、スタジオジブリのプロデュースによる楽曲『どれどれの唄』(唄:拝郷メイコ)が発表され、読売新聞の企業CMに使われた。「どれどれの唄」は読売新聞各本社に電話した際、部署に繋ぐ際の保留音にも採用されている。 因みに、宮崎駿は読売系列の日本テレビのマスコットキャラクター「なんだろう」も手掛けた。 だっち君 だっち君は、2002年に読売新聞夕刊のイメージキャラクターとして登場したコウモリのキャラクター。当初は夕刊のキャラクターであったが、後に購読申し込みのテレビCMや朝刊こども面のマスコットキャラクターにも起用されている。語尾に「〜だっち」と付けるのが口癖。「よみかきの森」に父の「であーる」、母の「ざます」、弟の「だっちょ」と一緒に住んでいる。 読売新聞とプロ野球 Template main? 日本のプロ野球ファンの中でもっとも数が多いと言われている巨人ファンから見ると、読売新聞を巨人軍の「親会社」と考えてる者は多くても、巨人軍を読売新聞の「グループ企業」と見る向きは少ない。そのため、巨人軍に「読売」色が全面に出る事を嫌う人達も少なくない。逆に読売新聞側の経営姿勢が新聞の売上に影響したこともある。 1980年、ファンから絶大な人気を得ていた長嶋茂雄が巨人軍監督を解任されると、ファンによる「読売新聞」不買運動が繰り広げられた。 ON対決となった2000年の日本選手権シリーズ後、特に九州地方で部数減の傾向となった。以降西部本社・大阪本社管内においては、地元の系列民放テレビ局(福岡放送とytv)への配慮から、それぞれ福岡ソフトバンクホークス・阪神タイガースの記事も同等に取り扱うようにしている。 2004年、日本プロ野球選手会によるストライキが行われた際に、選手会を糾弾する社説を掲載したところ、余りにも事実からかけ離れた文面を展開(選手を「億万長者」と表現したことなど。実際に億万長者なのは一握りである)したためファンの反発は却って高まり、選手会への同情を集める結果となった。 Jリーグのチーム表記問題 Template see also? 1992年のナビスコ杯から1993年にかけてのJリーグ草創期、自社が当時メインスポンサーとして運営していたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)のチーム名を「読売ヴェルディ」とした。(日テレも同じ。スポーツ報知=読売系スポーツ紙は「読売ヴェルディ川崎」とした) 渡邉恒雄は企業名を冠したことについて「プロ野球と同じようにJリーグも企業重視が必要だ」、「川崎製鉄、川崎重工業の商標で商標権侵害の恐れがある」実際に川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いた事もあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている。、「東京への移転問題」などの理由を挙げていた。 Jリーグでは企業名は排除して自治体(市区町村名)+愛称で表記するように指導しており、1994年度以後のシーズンは企業名を排除して「ヴェルディ川崎」としてクレジットするようになった。 その他、横浜マリノスは「横浜」、横浜フリューゲルスは「AS」とした。これはフリューゲルスが当時長崎県、熊本県、鹿児島県をホームタウンに準ずる権限のある「特別活動地域」とした実質上の広域ホームタウンであることを考慮したが、これも1994年から「横浜M」「横浜F」に統一された。 掲載四コマ漫画 コボちゃん(朝刊) サンワリ君(夕刊 2004年7月の作者の鈴木義司氏の逝去を以って掲載終了したため現在夕刊の4コマ漫画掲載なし) ドッポたち(夕刊(火~金)KODOMOくうあく面) 発行所 東京本社 東京都千代田区大手町1-7-1 北海道支社 札幌市中央区北四条西4-1 北陸支社 富山県高岡市下関町4-5 中部支社 名古屋市中区栄1-17-6 大阪本社 大阪市北区野崎町5-9 西部本社 福岡市中央区赤坂1-16-5 北九州総本部 北九州市小倉北区米町2-1-1 印刷工場 北広島、帯広、弘前、仙台、郡山、栃木、水戸、藤岡、川越、大手町、江東、東京北、府中、鶴見、瀬谷、高岡、清須、野崎町、茨木、高石、京都、神戸、岡山、坂出、北九州、鳥栖ほか(なお、最終面の左下隅に、印刷された工場の地名が表示されている) 各社の担当地域 株式会社読売新聞東京本社 青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県及び静岡県 株式会社読売新聞東京本社北海道支社 北海道 株式会社読売新聞東京本社北陸支社 富山県及び石川県 株式会社読売新聞東京本社中部支社 岐阜県、愛知県及び三重県(津市、四日市市、伊勢市、松阪市、桑名市、鈴鹿市、尾鷲市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、桑名郡木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、朝日町及び川越町、多気郡多気町、明和町及び大台町、度会郡玉城町、度会町、大紀町及び南伊勢町、北牟婁郡紀北町並びに南牟婁郡御浜町及び紀宝町) 株式会社読売新聞大阪本社 福井県、三重県(名張市及び伊賀市)、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、島根県(松江市、出雲市、安来市、雲南市、八束郡東出雲町、仁多郡奥出雲町、飯石郡飯南町、簸川郡斐川町並びに隠岐郡海士町、西ノ島町、知夫村及び隠岐の島町)、岡山県、広島県、徳島県、香川県、愛媛県及び高知県 株式会社読売新聞西部本社 島根県(浜田市、益田市、大田市、江津市、邑智郡川本町、美郷町及び邑南町並びに鹿足郡津和野町及び吉賀町)、山口県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県及び沖縄県 朝夕刊の別 北海道(石狩支庁、上川支庁、空知支庁、後志支庁、胆振支庁、日高支庁)、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、山口県、福岡県、佐賀県、大分県、沖縄県では、一部地域を除いて朝夕刊セット。その他の県は朝刊統合版だが、特に中部支社版のみは対象地域全域が朝刊単独(但し、静岡県向けの夕刊は中部支社で印刷しトラック輸送している)。 中部支社版の紙齢(創刊からの号数)は、2002年6月30日付までは「中部読売新聞」として創刊された時からの紙齢だったが、同年7月1日付から、東京本社の支社になったのに伴い、東京本社版と同じ紙齢になった。ちなみに、「中部読売新聞」が「読売新聞」になるまでの1988年5月31日付まで、東京本社が愛知県、岐阜県、三重県向けの地方版「中京版」を発行していた(中京版のテレビ・ラジオ欄は静岡県遠州版と共有だった)ため、実質的には東京本社発の「中京版」と、中部読売(現中部支社)の発行する「中部読売新聞」が併売された格好だった。 在籍していた著名人 芦辺拓(推理作家) 浅井信雄(国際政治学者) 大岡信(詩人) 黒田清(ジャーナリスト 物故者) 大谷昭宏(ジャーナリスト) 小倉貞男(ジャーナリスト) 佐野洋(推理作家) 塩田丸男(作家) 杉下恒夫(JICA客員国際協力専門員) 高井潔司(北海道大学教授) 本田靖春(ジャーナリスト、ノンフィクション作家) 山口正紀(ジャーナリスト) 関連企業・読売グループの企業・団体 Template see? 株式会社読売新聞グループ本社の支配下にある放送事業者 ここでは、放送局の開設の根本的基準(昭和25年電波監理委員会規則第21号)第9条(いわゆるマスメディア集中排除原則)に於いて「支配」に当たる10%を超える議決権を読売新聞の持株会社である株式会社読売新聞グループ本社が有しているものとして総務省のウェブサイトに於いて公表されている放送事業者を挙げた。 株式会社エフエム青森 株式会社テレビ岩手 株式会社宮城テレビ放送 株式会社エフエム山形 株式会社福島中央テレビ 日本テレビ放送網株式会社 株式会社テレビ新潟放送網 株式会社テレビ信州 株式会社テレビ金沢 株式会社静岡第一テレビ 讀賣テレビ放送株式会社 広島テレビ放送株式会社 株式会社福岡放送 株式会社テレビ長崎 株式会社熊本県民テレビ 株式会社テレビ大分 株式会社テレビ宮崎 参考文献 「第一篇 労働争議 第二章 主要な争議 第一節 読売新聞社の争議」『日本労働年鑑 第22集/戦後特集』1949年 法政大学大原社会問題研究所/第一出版 御厨貴『馬場恒吾の面目―危機の時代のリベラリスト』1997年、中央公論社 魚住昭『渡邊恒雄 メディアと権力』2003年 講談社 (ISBN 4062738112) 佐野眞一『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』2000年 文藝春秋(ISBN 4167340038―上)(ISBN 4167340046―下) 脚注 関連項目 読売・朝日・毎日3社ニュース 読売新聞ニュース 福島民友 ザ・デイリー読売 読売ウイークリー(週刊読売) スポーツ報知 読売ジャイアンツ(読売巨人軍) 新聞販売店 読売理工学院 外部リンク YOMIURI ON-LINE yorimo(会員制ポータルサイト) 新s(あらたにす) - 読売・日経・朝日ニュースサイト 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月14日 (日) 02 07。