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<目次> ◆1.まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ◆2.次に、自然法 natural law の用語解説 ◆3.小まとめ ◆4.では、「国体法(constitutional law)」とは何か ◆5.まとめ ◆6.ご意見、情報提供 前々から、「国体法は自然法である」というような誤った話を(おそらく深く考えずに)書いている方々を、ネットで時々見かける。 この件について、法思想史を踏まえながら説明していきたい。 ◆1.まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ノモス【nomos ギリシャ】 広辞苑 掟・慣習・法律の意で、社会制度・道徳・宗教上の規定を指す古代ギリシアの観念。前5世紀に出現したソフィストは、これを自然(ピュシス)と対立させ、その権威を相対的なものとした。この考え方はキニク学派やストア学派にも見られる。 ピュシス【physis ギリシア】 広辞苑 〔哲〕自然を意味する語。ギリシア初期の哲学者たちが、ミュトス的世界観(※注釈:mythos神話的世界観のこと)を脱却し、もののありのままの真実を記述し、その変化を通じて支配する根本原理を探求したとき、それをこの名で呼んだ。ラテン語のnatureと同じで自然のほか、宇宙・本性・性質などをも意味する。フィシス。 ノモスとフュシス nomos kai physis 日本語版ブリタニカ百科事典 前者は「法律や習俗」、後者は「自然本来のもの」(人為によっては動かされぬ必然的なもの)を意味するギリシア語。この両者が対立カテゴリーとして登場したのは、アテネにおいてである。法は神聖であり正義と幸福(利益)は一致するものとされたが、法律の度重なる改変や周囲の実情に影響されて、かっては絶対視されていたノモス的なるもの一般の相対性や正義と利益の相反が鋭く自覚されるようになった。当時ソフィストたちは制度や価値は本来ノモス的なものか、それともフュシス的なものかを問題とし、神や正義さえもフュシス的性格を奪われてノモス的なものの領域に組み入れられるに至った。 ◆2.次に、自然法 natural law の用語解説 しぜん-ほう【自然法】 広辞苑 ①自然界の一切の事物を支配するとみられる理法。②人間の自然(本性)に基づく倫理的な原理。人為的・歴史的な実定法とは異なり、時と所を超越した普遍的な法と考えられている。規範的な意味を持つ点で、叙述的な自然法則から区別されうる。⇔実定法⇔人定法 natural law ブリタニカ・コンサイス百科事典(natural lawの項)より全文翻訳 法理学(jurisprudence)と政治哲学(political philosophy)に関して、社会ルールや実定法からではなく自然から派生した(とされる)全ての人類に共通する権利または正義の体系(a system of right or justice)である。この概念はアリストテレスを先駆者とする。彼は“自然に適ったもの”が必ずしも“法に適ったもの”と同一ではないと考えた。ストア派、キケロ、ローマ法学者、聖パウロ、聖アウグスティヌス、グラティウス、聖トマス・アキナス、ジョン・ドン・スコット、オッカムのウィリアム、フランシスコ・スアレスによって、様々な形で自然法の存在が主張された。近代において、ヒューゴ・グロティウスは、例え神が存在しなくとも自然法は肯定される、と主張した。そしてトーマス・ホッブズは自然法を“理性によって発見された一般ルールの規範であり、それによって人間は自身の生活にとって破壊的な行為を禁止されている”と定義した。ホッブズは、①仮想的な“自然状態”から理性的に演繹される法(=自然法)の複雑な体系と、②治者と被治者との間の合意による社会契約とを対比する試みを行った。ジョン・ロックは、ホッブズから距離を置き、自然状態を自由で平等な人々が自然法を遵守する初期の社会として記述した。ジャン-ジャック・ルソーは、①自己保存と②同情という“理性に先立つ”2つの原理によって行動付けられた孤立の中で美徳を保持する野生人(a savage)を措定した。アメリカ独立宣言の著者達は、平等と他の“自明の”“奪うことの出来ない”諸権利を唱導する前段で、わずかに「自然の法」について短く言及しているに過ぎない。フランス人権宣言(人間と市民の諸権利の宣言)は、自由・所有・安全そして圧制への抵抗を“時効のない自然の諸権利”であると主張した。自然法の概念に対する関心は、19世紀に劇的に凋落した。それは部分的にはジェレミー・ベンサムや他の功利主義の提唱者達の懐疑的な攻撃の結果である。それ(自然法への関心)は20世紀の半ばに第二次世界大戦中のナチス体制によって犯された犯罪という脚光を浴びて復活した。自然法(natural law)と自然権(natural rights)に対する懐疑は依然として強烈であるが、後代の著者達は自然権ではなく人権(human rights)をほぼ例外なく語るようになった。 natural law オックスフォード英語事典(natural lawの項)より抜粋翻訳 1 全ての人間の行為の基礎と見なされている不変の道徳的原則から構成されるもの。 2 自然現象に関連して観測される法則。観測される法則を集合的に言う。 ◆3.小まとめ 以上のように、古代ギリシアの時代から、真の法は、 ① ノモス(人為の法・・・アテネ・スパルタといった個別の共同体毎に自生的に生成されたきた人為的・相対的な法)か、 ② フュシス(自然の法・・・全人類に共通する絶対的で自然法則に匹敵する法)か、 を巡って意見の対立があり、 中世期にはキリスト教の権威の下、普遍的・絶対的な自然法natural lawの存在が説かれるようになった。 キリスト教の権威が崩れだした近世期には、自然法 natural law は「神」の創造(=神定法)ではなく人類が共通して持つ「理性」から自ずと演繹されるもの(=理性法)である、と観念されるようになり、そうした「自然法」の内実を個々人の「権利」として把握したものを「自然権」natural rights と呼ぶようになった。 現在、様々な場面で、保守派論者によって悪しき左翼思想の典型として問題視されている「人権」human rights とは、ブリタニカ・コンサイス百科事典の解説にあるとおり、この自然権の20世紀半ば以降の変形であり、その淵源を辿れば ①自然法 natural law → ②自然権 natural rights → ③人権 human rights となる。 従って、もし我々が本当に「人権」イデオロギーを否定するつもりならば、論理的には「自然法」にまで遡って否定しなければならないことになるはずである。 即ち、古代ギリシアの「真の法は①ノモス(人為の法)か②フュシス(自然の法)か」という問いに対して、我々は「①ノモスが真の法である」と答えるべき、こととなる。 ※因みに、こうした「①ノモス(人為の法)と②フュシス(自然の法)」の区別は、法思想史の教科書、例えば 法思想史 (有斐閣Sシリーズ) 田中 成明(著), 竹下 賢 (著), 深田 三徳 (著), 亀本 洋 (著), 平野 仁彦 (著) の一番最初の方(古代ギリシアの法思想の項)に出てくる事項であり、またハイエク『自由の条件』にも法思想の解説の初めのあたりで大書されている事項でもある。 ◆4.では、「国体法(constitutional law)」とは何か 日本には日本の、英国には英国の、またアメリカにはアメリカの、それぞれ歴史的に形成されてきた固有の国体がある、と考えるのが「国体論」であり、その国体を法規範として観念したものが「国体法(constitutional law)」とよばれるものである。 (※この他に、国体を文化的意味で捉えて観念することも可能) こうした「国体法」の理解は、「真の法は、①ノモス(=(共同体毎に人為的に形成された自生的な法であり、共同体間では必然的に相対的な内容となるもの)である」とする上記の理解と整合的である。 (つまり、「国体法」は、②フュシスないし自然法(=神の創造ないし理性からの演繹による全人類に共通的な自然の法)ではない) ◆5.まとめ 以上から、国体法は、人為の法(ノモス)であって、いわゆる自然法ではない。 これを自然法だという論者は、法思想史を余り押さえていない者、という結論となるので注意されたい。 ◆6.ご意見、情報提供 名前 コメント ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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<目次> ◆1.まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ◆2.次に、自然法 natural law の用語解説 ◆3.小まとめ ◆4.では、「国体法(constitutional law)」とは何か ◆5.まとめ ◆6.ご意見、情報提供 前々から、「国体法は自然法である」というような誤った話を(おそらく深く考えずに)書いている方々を、ネットで時々見かける。 この件について、法思想史を踏まえながら説明していきたい。 ◆1.まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ノモス【nomos ギリシャ】 広辞苑 掟・慣習・法律の意で、社会制度・道徳・宗教上の規定を指す古代ギリシアの観念。前5世紀に出現したソフィストは、これを自然(ピュシス)と対立させ、その権威を相対的なものとした。この考え方はキニク学派やストア学派にも見られる。 ピュシス【physis ギリシア】 広辞苑 〔哲〕自然を意味する語。ギリシア初期の哲学者たちが、ミュトス的世界観(※注釈:mythos神話的世界観のこと)を脱却し、もののありのままの真実を記述し、その変化を通じて支配する根本原理を探求したとき、それをこの名で呼んだ。ラテン語のnatureと同じで自然のほか、宇宙・本性・性質などをも意味する。フィシス。 ノモスとフュシス nomos kai physis 日本語版ブリタニカ百科事典 前者は「法律や習俗」、後者は「自然本来のもの」(人為によっては動かされぬ必然的なもの)を意味するギリシア語。この両者が対立カテゴリーとして登場したのは、アテネにおいてである。法は神聖であり正義と幸福(利益)は一致するものとされたが、法律の度重なる改変や周囲の実情に影響されて、かっては絶対視されていたノモス的なるもの一般の相対性や正義と利益の相反が鋭く自覚されるようになった。当時ソフィストたちは制度や価値は本来ノモス的なものか、それともフュシス的なものかを問題とし、神や正義さえもフュシス的性格を奪われてノモス的なものの領域に組み入れられるに至った。 ◆2.次に、自然法 natural law の用語解説 しぜん-ほう【自然法】 広辞苑 ①自然界の一切の事物を支配するとみられる理法。②人間の自然(本性)に基づく倫理的な原理。人為的・歴史的な実定法とは異なり、時と所を超越した普遍的な法と考えられている。規範的な意味を持つ点で、叙述的な自然法則から区別されうる。⇔実定法⇔人定法 natural law ブリタニカ・コンサイス百科事典(natural lawの項)より全文翻訳 法理学(jurisprudence)と政治哲学(political philosophy)に関して、社会ルールや実定法からではなく自然から派生した(とされる)全ての人類に共通する権利または正義の体系(a system of right or justice)である。この概念はアリストテレスを先駆者とする。彼は“自然に適ったもの”が必ずしも“法に適ったもの”と同一ではないと考えた。ストア派、キケロ、ローマ法学者、聖パウロ、聖アウグスティヌス、グラティウス、聖トマス・アキナス、ジョン・ドン・スコット、オッカムのウィリアム、フランシスコ・スアレスによって、様々な形で自然法の存在が主張された。近代において、ヒューゴ・グロティウスは、例え神が存在しなくとも自然法は肯定される、と主張した。そしてトーマス・ホッブズは自然法を“理性によって発見された一般ルールの規範であり、それによって人間は自身の生活にとって破壊的な行為を禁止されている”と定義した。ホッブズは、①仮想的な“自然状態”から理性的に演繹される法(=自然法)の複雑な体系と、②治者と被治者との間の合意による社会契約とを対比する試みを行った。ジョン・ロックは、ホッブズから距離を置き、自然状態を自由で平等な人々が自然法を遵守する初期の社会として記述した。ジャン-ジャック・ルソーは、①自己保存と②同情という“理性に先立つ”2つの原理によって行動付けられた孤立の中で美徳を保持する野生人(a savage)を措定した。アメリカ独立宣言の著者達は、平等と他の“自明の”“奪うことの出来ない”諸権利を唱導する前段で、わずかに「自然の法」について短く言及しているに過ぎない。フランス人権宣言(人間と市民の諸権利の宣言)は、自由・所有・安全そして圧制への抵抗を“時効のない自然の諸権利”であると主張した。自然法の概念に対する関心は、19世紀に劇的に凋落した。それは部分的にはジェレミー・ベンサムや他の功利主義の提唱者達の懐疑的な攻撃の結果である。それ(自然法への関心)は20世紀の半ばに第二次世界大戦中のナチス体制によって犯された犯罪という脚光を浴びて復活した。自然法(natural law)と自然権(natural rights)に対する懐疑は依然として強烈であるが、後代の著者達は自然権ではなく人権(human rights)をほぼ例外なく語るようになった。 natural law オックスフォード英語事典(natural lawの項)より抜粋翻訳 1 全ての人間の行為の基礎と見なされている不変の道徳的原則から構成されるもの。 2 自然現象に関連して観測される法則。観測される法則を集合的に言う。 ◆3.小まとめ 以上のように、古代ギリシアの時代から、真の法は、 ① ノモス(人為の法・・・アテネ・スパルタといった個別の共同体毎に自生的に生成されたきた人為的・相対的な法)か、 ② フュシス(自然の法・・・全人類に共通する絶対的で自然法則に匹敵する法)か、 を巡って意見の対立があり、 中世期にはキリスト教の権威の下、普遍的・絶対的な自然法natural lawの存在が説かれるようになった。 キリスト教の権威が崩れだした近世期には、自然法 natural law は「神」の創造(=神定法)ではなく人類が共通して持つ「理性」から自ずと演繹されるもの(=理性法)である、と観念されるようになり、そうした「自然法」の内実を個々人の「権利」として把握したものを「自然権」natural rights と呼ぶようになった。 現在、様々な場面で、保守派論者によって悪しき左翼思想の典型として問題視されている「人権」human rights とは、ブリタニカ・コンサイス百科事典の解説にあるとおり、この自然権の20世紀半ば以降の変形であり、その淵源を辿れば ①自然法 natural law → ②自然権 natural rights → ③人権 human rights となる。 従って、もし我々が本当に「人権」イデオロギーを否定するつもりならば、論理的には「自然法」にまで遡って否定しなければならないことになるはずである。 即ち、古代ギリシアの「真の法は①ノモス(人為の法)か②フュシス(自然の法)か」という問いに対して、我々は「①ノモスが真の法である」と答えるべき、こととなる。 ※因みに、こうした「①ノモス(人為の法)と②フュシス(自然の法)」の区別は、法思想史の教科書、例えば 法思想史 (有斐閣Sシリーズ) 田中 成明(著), 竹下 賢 (著), 深田 三徳 (著), 亀本 洋 (著), 平野 仁彦 (著) の一番最初の方(古代ギリシアの法思想の項)に出てくる事項であり、またハイエク『自由の条件』にも法思想の解説の初めのあたりで大書されている事項でもある。 ◆4.では、「国体法(constitutional law)」とは何か 日本には日本の、英国には英国の、またアメリカにはアメリカの、それぞれ歴史的に形成されてきた固有の国体がある、と考えるのが「国体論」であり、その国体を法規範として観念したものが「国体法(constitutional law)」とよばれるものである。 (※この他に、国体を文化的意味で捉えて観念することも可能) こうした「国体法」の理解は、「真の法は、①ノモス(=(共同体毎に人為的に形成された自生的な法であり、共同体間では必然的に相対的な内容となるもの)である」とする上記の理解と整合的である。 (つまり、「国体法」は、②フュシスないし自然法(=神の創造ないし理性からの演繹による全人類に共通的な自然の法)ではない) ◆5.まとめ 以上から、国体法は、人為の法(ノモス)であって、いわゆる自然法ではない。 これを自然法だという論者は、法思想史を余り押さえていない者、という結論となるので注意されたい。 ◆6.ご意見、情報提供 自然法は重力力学に端を発し、条約力学となって具現化 -- 森川静夫 (2020-06-01 14 45 58) 名前 コメント ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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「国体法は自然法である」というような誤った話を(おそらく深く考えずに)書いている方々を時々見かけて気になっており、この件について、法思想史を踏まえながら少し説明していきたい。 <目次> ◆まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ◆次に、自然法 natural law の用語解説 ◆小まとめ ◆では、「国体法」とは何か ◆まとめ ◆ご意見、情報提供 ◆まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ノモス【nomos ギリシャ】 広辞苑 掟・慣習・法律の意で、社会制度・道徳・宗教上の規定を指す古代ギリシアの観念。前5世紀に出現したソフィストは、これを自然(ピュシス)と対立させ、その権威を相対的なものとした。この考え方はキニク学派やストア学派にも見られる。 ピュシス【physis ギリシア】 広辞苑 〔哲〕自然を意味する語。ギリシア初期の哲学者たちが、ミュトス的世界観(※注釈:mythos神話的世界観のこと)を脱却し、もののありのままの真実を記述し、その変化を通じて支配する根本原理を探求したとき、それをこの名で呼んだ。ラテン語のnatureと同じで自然のほか、宇宙・本性・性質などをも意味する。フィシス。 ノモスとフュシス nomos kai physis ブリタニカ百科事典 前者は「法律や習俗」、後者は「自然本来のもの」(人為によっては動かされぬ必然的なもの)を意味するギリシア語。この両者が対立カテゴリーとして登場したのは、アテネにおいてである。法は神聖であり正義と幸福(利益)は一致するものとされたが、法律の度重なる改変や周囲の実情に影響されて、かっては絶対視されていたノモス的なるもの一般の相対性や正義と利益の相反が鋭く自覚されるようになった。当時ソフィストたちは制度や価値は本来ノモス的なものか、それともフュシス的なものかを問題とし、神や正義さえもフュシス的性格を奪われてノモス的なものの領域に組み入れられるに至った。 ◆次に、自然法 natural law の用語解説 しぜん-ほう【自然法】 広辞苑 ①自然界の一切の事物を支配するとみられる理法。②人間の自然(本性)に基づく倫理的な原理。人為的・歴史的な実定法とは異なり、時と所を超越した普遍的な法と考えられている。規範的な意味を持つ点で、叙述的な自然法則から区別されうる。⇔実定法⇔人定法 natural law ブリタニカ・コンサイス百科事典(natural lawの項)より全文翻訳 法理学(jurisprudence)と政治哲学(political philosophy)に関して、社会ルールや実定法からではなく自然から派生した(とされる)全ての人類に共通する権利または正義の体系(a system of right or justice)である。この概念はアリストテレスを先駆者とする。彼は“自然に適ったもの”が必ずしも“法に適ったもの”と同一ではないと考えた。ストア派、キケロ、ローマ法学者、聖パウロ、聖アウグスティヌス、グラティウス、聖トマス・アキナス、ジョン・ドン・スコット、オッカムのウィリアム、フランシスコ・スアレスによって、様々な形で自然法の存在が主張された。近代において、ヒューゴ・グロティウスは、例え神が存在しなくとも自然法は肯定される、と主張した。そしてトーマス・ホッブズは自然法を“理性によって発見された一般ルールの規範であり、それによって人間は自身の生活にとって破壊的な行為を禁止されている”と定義した。ホッブズは、①仮想的な“自然状態”から理性的に演繹される法(=自然法)の複雑な体系と、②治者と被治者との間の合意による社会契約とを対比する試みを行った。ジョン・ロックは、ホッブズから距離を置き、自然状態を自由で平等な人々が自然法を遵守する初期の社会として記述した。ジャン-ジャック・ルソーは、①自己保存と②同情という“理性に先立つ”2つの原理によって行動付けられた孤立の中で美徳を保持する野生人(a savage)を措定した。アメリカ独立宣言の著者達は、平等と他の“自明の”“奪うことの出来ない”諸権利を唱導する前段で、わずかに「自然の法」について短く言及しているに過ぎない。フランス人権宣言(人間と市民の諸権利の宣言)は、自由・所有・安全そして圧制への抵抗を“時効のない自然の諸権利”であると主張した。自然法の概念に対する関心は、19世紀に劇的に凋落した。それは部分的にはジェレミー・ベンサムや他の功利主義の提唱者達の懐疑的な攻撃の結果である。それ(自然法への関心)は20世紀の半ばに第二次世界大戦中のナチス体制によって犯された犯罪という脚光を浴びて復活した。自然法(natural law)と自然権(natural rights)に対する懐疑は依然として強烈であるが、後代の著者達は自然権ではなく人権(human rights)をほぼ例外なく語るようになった。 natural law オックスフォード英語事典(natural lawの項)より抜粋翻訳 1 全ての人間の行為の基礎と見なされている不変の道徳的原則から構成されるもの。 2 自然現象に関連して観測される法則。観測される法則を集合的に言う。 ◆小まとめ 以上のように、古代ギリシアの時代から、 真の法は、①ノモス(人為の法・・・アテネ・スパルタといった個別の共同体毎に自生的に生成されたきた人為的・相対的な法)か、②フュシス(自然の法・・・全人類に共通する絶対的で自然法則に匹敵する法)か、 を巡って意見の対立があり、中世期にはキリスト教の権威の下、普遍的・絶対的な自然法natural lawの存在が説かれるようになった。 キリスト教の権威が崩れだした近世期には、自然法 natural law は「神」の創造(=神定法)ではなく人類が共通して持つ「理性」から自ずと演繹されるもの(=理性法)である、と観念されるようになり、そうした「自然法」の内実を個々人の「権利」として把握したものを「自然権」natural rights と呼ぶようになった。 現在、様々な場面で、保守派論者によって悪しき左翼思想の典型として問題視されている「人権」human rights とは、ブリタニカ・コンサイス百科事典の解説にあるとおり、この自然権の20世紀半ば以降の変形であり、その淵源を辿れば ①自然法 natural law → ②自然権 natural rights → ③人権 human rights となる。 従って、もし我々が本当に「人権」イデオロギーを否定するつもりならば、論理的には「自然法」にまで遡って否定しなければならないことになるはずである。 即ち、古代ギリシアの「真の法は①ノモス(人為の法)か②フュシス(自然の法)か」という問いに対して、我々は「①ノモスが真の法である」と答えるべき、こととなる。 ※因みに、こうした「①ノモス(人為の法)と②フュシス(自然の法)」の区別は、法思想史の教科書(例えば https //www.amazon.co.jp/dp/4641059721 の一番最初の方(古代ギリシアの法思想の項)に出てくる事項であり、またハイエク『自由の条件』にも法思想の解説の初めのあたりで大書されている事項でもある。 ◆では、「国体法」とは何か 日本には日本の、英国には英国の、またアメリカにはアメリカの、それぞれ歴史的に形成されてきた固有の国体がある、と考えるのが「国体論」であり、その国体を法規範として観念したものが「国体法」とよばれるものである。 (※この他に、国体を文化的意味で捉えて観念することも可能) こうした「国体法」の理解は、「真の法は、①ノモス(=(共同体毎に人為的に形成された自生的な法であり、共同体間では必然的に相対的な内容となるもの)である」とする上記の理解と整合的である。 (つまり、「国体法」は、②フュシスないし自然法(=神の創造ないし理性からの演繹による全人類に共通的な自然の法)ではない) ◆まとめ 以上から、国体法は、人為の法(ノモス)であって、いわゆる自然法ではない。 これを自然法だという論者は、法思想史を余り押さえていない者、という結論となるので注意されたい。 ◆ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 一部の法学者が自然法という言葉をきちんとした定義もなしに便利に使いすぎなんだよ。 - 名無しさん (2014-07-26 13 58 44) 以下は最新コメント表示 一部の法学者が自然法という言葉をきちんとした定義もなしに便利に使いすぎなんだよ。 - 名無しさん (2014-07-26 13 58 44) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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「国体法は自然法である」というような誤った話を(おそらく深く考えずに)書いている方々を時々見かけて気になっており、この件について、法思想史を踏まえながら少し説明していきたい。 <目次> ◆まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ◆次に、自然法 natural law の用語解説 ◆小まとめ ◆では、「国体法」とは何か ◆まとめ ◆ご意見、情報提供 ◆まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ノモス【nomos ギリシャ】 広辞苑 掟・慣習・法律の意で、社会制度・道徳・宗教上の規定を指す古代ギリシアの観念。前5世紀に出現したソフィストは、これを自然(ピュシス)と対立させ、その権威を相対的なものとした。この考え方はキニク学派やストア学派にも見られる。 ピュシス【physis ギリシア】 広辞苑 〔哲〕自然を意味する語。ギリシア初期の哲学者たちが、ミュトス的世界観(※注釈:mythos神話的世界観のこと)を脱却し、もののありのままの真実を記述し、その変化を通じて支配する根本原理を探求したとき、それをこの名で呼んだ。ラテン語のnatureと同じで自然のほか、宇宙・本性・性質などをも意味する。フィシス。 ノモスとフュシス nomos kai physis ブリタニカ百科事典 前者は「法律や習俗」、後者は「自然本来のもの」(人為によっては動かされぬ必然的なもの)を意味するギリシア語。この両者が対立カテゴリーとして登場したのは、アテネにおいてである。法は神聖であり正義と幸福(利益)は一致するものとされたが、法律の度重なる改変や周囲の実情に影響されて、かっては絶対視されていたノモス的なるもの一般の相対性や正義と利益の相反が鋭く自覚されるようになった。当時ソフィストたちは制度や価値は本来ノモス的なものか、それともフュシス的なものかを問題とし、神や正義さえもフュシス的性格を奪われてノモス的なものの領域に組み入れられるに至った。 ◆次に、自然法 natural law の用語解説 しぜん-ほう【自然法】 広辞苑 ①自然界の一切の事物を支配するとみられる理法。②人間の自然(本性)に基づく倫理的な原理。人為的・歴史的な実定法とは異なり、時と所を超越した普遍的な法と考えられている。規範的な意味を持つ点で、叙述的な自然法則から区別されうる。⇔実定法⇔人定法 natural law ブリタニカ・コンサイス百科事典(natural lawの項)より全文翻訳 法理学(jurisprudence)と政治哲学(political philosophy)に関して、社会ルールや実定法からではなく自然から派生した(とされる)全ての人類に共通する権利または正義の体系(a system of right or justice)である。この概念はアリストテレスを先駆者とする。彼は“自然に適ったもの”が必ずしも“法に適ったもの”と同一ではないと考えた。ストア派、キケロ、ローマ法学者、聖パウロ、聖アウグスティヌス、グラティウス、聖トマス・アキナス、ジョン・ドン・スコット、オッカムのウィリアム、フランシスコ・スアレスによって、様々な形で自然法の存在が主張された。近代において、ヒューゴ・グロティウスは、例え神が存在しなくとも自然法は肯定される、と主張した。そしてトーマス・ホッブズは自然法を“理性によって発見された一般ルールの規範であり、それによって人間は自身の生活にとって破壊的な行為を禁止されている”と定義した。ホッブズは、①仮想的な“自然状態”から理性的に演繹される法(=自然法)の複雑な体系と、②治者と被治者との間の合意による社会契約とを対比する試みを行った。ジョン・ロックは、ホッブズから距離を置き、自然状態を自由で平等な人々が自然法を遵守する初期の社会として記述した。ジャン-ジャック・ルソーは、①自己保存と②同情という“理性に先立つ”2つの原理によって行動付けられた孤立の中で美徳を保持する野生人(a savage)を措定した。アメリカ独立宣言の著者達は、平等と他の“自明の”“奪うことの出来ない”諸権利を唱導する前段で、わずかに「自然の法」について短く言及しているに過ぎない。フランス人権宣言(人間と市民の諸権利の宣言)は、自由・所有・安全そして圧制への抵抗を“時効のない自然の諸権利”であると主張した。自然法の概念に対する関心は、19世紀に劇的に凋落した。それは部分的にはジェレミー・ベンサムや他の功利主義の提唱者達の懐疑的な攻撃の結果である。それ(自然法への関心)は20世紀の半ばに第二次世界大戦中のナチス体制によって犯された犯罪という脚光を浴びて復活した。自然法(natural law)と自然権(natural rights)に対する懐疑は依然として強烈であるが、後代の著者達は自然権ではなく人権(human rights)をほぼ例外なく語るようになった。 natural law オックスフォード英語事典(natural lawの項)より抜粋翻訳 1 全ての人間の行為の基礎と見なされている不変の道徳的原則から構成されるもの。 2 自然現象に関連して観測される法則。観測される法則を集合的に言う。 ◆小まとめ 以上のように、古代ギリシアの時代から、 真の法は、①ノモス(人為の法・・・アテネ・スパルタといった個別の共同体毎に自生的に生成されたきた人為的・相対的な法)か、②フュシス(自然の法・・・全人類に共通する絶対的で自然法則に匹敵する法)か、 を巡って意見の対立があり、中世期にはキリスト教の権威の下、普遍的・絶対的な自然法natural lawの存在が説かれるようになった。 キリスト教の権威が崩れだした近世期には、自然法 natural law は「神」の創造(=神定法)ではなく人類が共通して持つ「理性」から自ずと演繹されるもの(=理性法)である、と観念されるようになり、そうした「自然法」の内実を個々人の「権利」として把握したものを「自然権」natural rights と呼ぶようになった。 現在、様々な場面で、保守派論者によって悪しき左翼思想の典型として問題視されている「人権」human rights とは、ブリタニカ・コンサイス百科事典の解説にあるとおり、この自然権の20世紀半ば以降の変形であり、その淵源を辿れば ①自然法 natural law → ②自然権 natural rights → ③人権 human rights となる。 従って、もし我々が本当に「人権」イデオロギーを否定するつもりならば、論理的には「自然法」にまで遡って否定しなければならないことになるはずである。 即ち、古代ギリシアの「真の法は①ノモス(人為の法)か②フュシス(自然の法)か」という問いに対して、我々は「①ノモスが真の法である」と答えるべき、こととなる。 ※因みに、こうした「①ノモス(人為の法)と②フュシス(自然の法)」の区別は、法思想史の教科書(例えば https //www.amazon.co.jp/dp/4641059721 の一番最初の方(古代ギリシアの法思想の項)に出てくる事項であり、またハイエク『自由の条件』にも法思想の解説の初めのあたりで大書されている事項でもある。 ◆では、「国体法」とは何か 日本には日本の、英国には英国の、またアメリカにはアメリカの、それぞれ歴史的に形成されてきた固有の国体がある、と考えるのが「国体論」であり、その国体を法規範として観念したものが「国体法」とよばれるものである。 (※この他に、国体を文化的意味で捉えて観念することも可能) こうした「国体法」の理解は、「真の法は、①ノモス(=(共同体毎に人為的に形成された自生的な法であり、共同体間では必然的に相対的な内容となるもの)である」とする上記の理解と整合的である。 (つまり、「国体法」は、②フュシスないし自然法(=神の創造ないし理性からの演繹による全人類に共通的な自然の法)ではない) ◆まとめ 以上から、国体法は、人為の法(ノモス)であって、いわゆる自然法ではない。 これを自然法だという論者は、法思想史を余り押さえていない者、という結論となるので注意されたい。 ◆ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 一部の法学者が自然法という言葉をきちんとした定義もなしに便利に使いすぎなんだよ。 - 名無しさん (2014-07-26 13 58 44) 以下は最新コメント表示 一部の法学者が自然法という言葉をきちんとした定義もなしに便利に使いすぎなんだよ。 - 名無しさん (2014-07-26 13 58 44) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 「国体法は自然法である」というような誤った話を(おそらく深く考えずに)書いている方々を時々見かけて気になっており、この件について、法思想史を踏まえながら少し説明していきたい。 <目次> ◆まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ◆次に、自然法 natural law の用語解説 ◆小まとめ ◆では、「国体法」とは何か ◆まとめ ◆ご意見、情報提供 ◆まず、ノモス(nomos 人為の法)とフュシス(physis ピュシス、自然の法)の用語解説 ノモス【nomos ギリシャ】 広辞苑 掟・慣習・法律の意で、社会制度・道徳・宗教上の規定を指す古代ギリシアの観念。前5世紀に出現したソフィストは、これを自然(ピュシス)と対立させ、その権威を相対的なものとした。この考え方はキニク学派やストア学派にも見られる。 ピュシス【physis ギリシア】 広辞苑 〔哲〕自然を意味する語。ギリシア初期の哲学者たちが、ミュトス的世界観(※注釈:mythos神話的世界観のこと)を脱却し、もののありのままの真実を記述し、その変化を通じて支配する根本原理を探求したとき、それをこの名で呼んだ。ラテン語のnatureと同じで自然のほか、宇宙・本性・性質などをも意味する。フィシス。 ノモスとフュシス nomos kai physis ブリタニカ百科事典 前者は「法律や習俗」、後者は「自然本来のもの」(人為によっては動かされぬ必然的なもの)を意味するギリシア語。この両者が対立カテゴリーとして登場したのは、アテネにおいてである。法は神聖であり正義と幸福(利益)は一致するものとされたが、法律の度重なる改変や周囲の実情に影響されて、かっては絶対視されていたノモス的なるもの一般の相対性や正義と利益の相反が鋭く自覚されるようになった。当時ソフィストたちは制度や価値は本来ノモス的なものか、それともフュシス的なものかを問題とし、神や正義さえもフュシス的性格を奪われてノモス的なものの領域に組み入れられるに至った。 ◆次に、自然法 natural law の用語解説 しぜん-ほう【自然法】 広辞苑 ①自然界の一切の事物を支配するとみられる理法。②人間の自然(本性)に基づく倫理的な原理。人為的・歴史的な実定法とは異なり、時と所を超越した普遍的な法と考えられている。規範的な意味を持つ点で、叙述的な自然法則から区別されうる。⇔実定法⇔人定法 natural law ブリタニカ・コンサイス百科事典(natural lawの項)より全文翻訳 法理学(jurisprudence)と政治哲学(political philosophy)に関して、社会ルールや実定法からではなく自然から派生した(とされる)全ての人類に共通する権利または正義の体系(a system of right or justice)である。この概念はアリストテレスを先駆者とする。彼は“自然に適ったもの”が必ずしも“法に適ったもの”と同一ではないと考えた。ストア派、キケロ、ローマ法学者、聖パウロ、聖アウグスティヌス、グラティウス、聖トマス・アキナス、ジョン・ドン・スコット、オッカムのウィリアム、フランシスコ・スアレスによって、様々な形で自然法の存在が主張された。近代において、ヒューゴ・グロティウスは、例え神が存在しなくとも自然法は肯定される、と主張した。そしてトーマス・ホッブズは自然法を“理性によって発見された一般ルールの規範であり、それによって人間は自身の生活にとって破壊的な行為を禁止されている”と定義した。ホッブズは、①仮想的な“自然状態”から理性的に演繹される法(=自然法)の複雑な体系と、②治者と被治者との間の合意による社会契約とを対比する試みを行った。ジョン・ロックは、ホッブズから距離を置き、自然状態を自由で平等な人々が自然法を遵守する初期の社会として記述した。ジャン-ジャック・ルソーは、①自己保存と②同情という“理性に先立つ”2つの原理によって行動付けられた孤立の中で美徳を保持する野生人(a savage)を措定した。アメリカ独立宣言の著者達は、平等と他の“自明の”“奪うことの出来ない”諸権利を唱導する前段で、わずかに「自然の法」について短く言及しているに過ぎない。フランス人権宣言(人間と市民の諸権利の宣言)は、自由・所有・安全そして圧制への抵抗を“時効のない自然の諸権利”であると主張した。自然法の概念に対する関心は、19世紀に劇的に凋落した。それは部分的にはジェレミー・ベンサムや他の功利主義の提唱者達の懐疑的な攻撃の結果である。それ(自然法への関心)は20世紀の半ばに第二次世界大戦中のナチス体制によって犯された犯罪という脚光を浴びて復活した。自然法(natural law)と自然権(natural rights)に対する懐疑は依然として強烈であるが、後代の著者達は自然権ではなく人権(human rights)をほぼ例外なく語るようになった。 natural law オックスフォード英語事典(natural lawの項)より抜粋翻訳 1 全ての人間の行為の基礎と見なされている不変の道徳的原則から構成されるもの。 2 自然現象に関連して観測される法則。観測される法則を集合的に言う。 ◆小まとめ 以上のように、古代ギリシアの時代から、 真の法は、①ノモス(人為の法・・・アテネ・スパルタといった個別の共同体毎に自生的に生成されたきた人為的・相対的な法)か、②フュシス(自然の法・・・全人類に共通する絶対的で自然法則に匹敵する法)か、 を巡って意見の対立があり、中世期にはキリスト教の権威の下、普遍的・絶対的な自然法natural lawの存在が説かれるようになった。 キリスト教の権威が崩れだした近世期には、自然法 natural law は「神」の創造(=神定法)ではなく人類が共通して持つ「理性」から自ずと演繹されるもの(=理性法)である、と観念されるようになり、そうした「自然法」の内実を個々人の「権利」として把握したものを「自然権」natural rights と呼ぶようになった。 現在、様々な場面で、保守派論者によって悪しき左翼思想の典型として問題視されている「人権」human rights とは、ブリタニカ・コンサイス百科事典の解説にあるとおり、この自然権の20世紀半ば以降の変形であり、その淵源を辿れば ①自然法 natural law → ②自然権 natural rights → ③人権 human rights となる。 従って、もし我々が本当に「人権」イデオロギーを否定するつもりならば、論理的には「自然法」にまで遡って否定しなければならないことになるはずである。 即ち、古代ギリシアの「真の法は①ノモス(人為の法)か②フュシス(自然の法)か」という問いに対して、我々は「①ノモスが真の法である」と答えるべき、こととなる。 ※因みに、こうした「①ノモス(人為の法)と②フュシス(自然の法)」の区別は、法思想史の教科書(例えば https //www.amazon.co.jp/dp/4641059721 の一番最初の方(古代ギリシアの法思想の項)に出てくる事項であり、またハイエク『自由の条件』にも法思想の解説の初めのあたりで大書されている事項でもある。 ◆では、「国体法」とは何か 日本には日本の、英国には英国の、またアメリカにはアメリカの、それぞれ歴史的に形成されてきた固有の国体がある、と考えるのが「国体論」であり、その国体を法規範として観念したものが「国体法」とよばれるものである。 (※この他に、国体を文化的意味で捉えて観念することも可能) こうした「国体法」の理解は、「真の法は、①ノモス(=(共同体毎に人為的に形成された自生的な法であり、共同体間では必然的に相対的な内容となるもの)である」とする上記の理解と整合的である。 (つまり、「国体法」は、②フュシスないし自然法(=神の創造ないし理性からの演繹による全人類に共通的な自然の法)ではない) ◆まとめ 以上から、国体法は、人為の法(ノモス)であって、いわゆる自然法ではない。 これを自然法だという論者は、法思想史を余り押さえていない者、という結論となるので注意されたい。 ◆ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 一部の法学者が自然法という言葉をきちんとした定義もなしに便利に使いすぎなんだよ。 - 名無しさん (2014-07-26 13 58 44) 以下は最新コメント表示 一部の法学者が自然法という言葉をきちんとした定義もなしに便利に使いすぎなんだよ。 - 名無しさん (2014-07-26 13 58 44) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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自然法とは まず、法は以下のような構造をとっていると現代では考えられている。 自然法(natural law) 実定法(positive law)(=人定法)成文法 不文法慣習法(成文ではないが慣習となっている法) 判例法(慣習もないが判例となっている法) 条理法(慣習も判例もない場合に裁判官が定める) キリスト教文化において、自然とは「神が創造したものの全て」を表す。例えば、農業は人為的に始まったものだが、これもキリスト教文化においては「自然(nature)」に含まれる。 神はこの世の法(法則、秩序)を定めた。したがってこれらは「自然法(natural law)」と呼ばれる。 キリスト教では、人間を創造したのは神である。神は人間そのものを創造しただけでなく、人間一人ひとりに対し生きていくための権利も与えた。例えば、生存権、自由権、幸福追求権、財産権である。この権利は神により与えられたものだから「自然権(natural right)」と呼ばれる。 聖書には直接的には書かれていないが、例えば次の言葉は、神から万人に無条件で与えられた生存権を示したものであり、自然権を示したものとも解釈される。 マタイ5 43-45 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたし(イエス)は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。 父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。 」 日本においては「自然」とは単に人為的でないものを意味することから、直訳はされず、明治時代には「天より賦与された人の権利」という意味で「天賦人権」と訳された。 近代における自然法・自然権 近代において、人間は生まれながらにして自由で平等であり、その生命・自由・財産などを守るために、国家や法律の条文以前から存在する法があると考えられている。これを「自然法」と呼ぶ。 神により与えられた「自然権」は、国家や法律(人定法)によって侵すことのできない不可侵の権利と考えられている。 「自然権」は神による「自然法」に規定されていることから、「自然権」を奪うことができるのは神だけである。 このことは、キリスト教国家であるアメリカの独立宣言(1776年)でも自明のこととして示されている。 アメリカ独立宣言より われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。 したがって、以下のことが言える。 成文法で自然権を記載している場合も多々あるが、これは自然法を確認する意味であえて記載しているのであり、仮に自然権についての成文法がなくても、自然権は認められなければならない。 逆にたとえ国家が個人の「自然権」を制限する法律を作ったとしても、そのような法律が「自然法」に反すれば無効であるとされる。 なお、自然権と政府の関係についてはキリスト教と倫理学も参照。 自然権の成立の歴史 ヘラクレイトス(法=法則=物理的な法則+倫理的な法則) 最初期の自然法論に数え入れられるのは、古代ギリシャの宇宙論である。例えば、ヘラクレイトスの宇宙論によれば、人間は、天体が宇宙の法則によって運動しているように、宇宙の法則に従って生きるべきである。 このような考え方の下では、物理的な法則と倫理的な法則とが、同一の概念に属している。「天体がある法則に従って運動している」という事実と、「人間はある法則に従って生きるべきだ」という規範との区別には、何ら注意が払われていない。 アリストテレス(法=自然法+制定法) ギリシャ時代、人間の生活を規律するのは書かれない自然法則(自然法)であり、有効地域や時間的な制約を受ける実定法(制定法)の根本原理は、自然法則(自然法)の原理と同一であると考えていた。 アリストテレスは法を自然法と制定法とに分類した。自然法は人為によらず、地域的限定もされず、自然的正義によって確定するものであり、制定法は実定されることにより初めて一定の内容を持つことになるものであるとして、前者の自然法を普遍的なものと考えたが、変化できないものとは考えなかった。 アウグスティヌス(法=永久法+時限法、永久法=神定法∋自然法、時限法=人定法) アウグスティヌスは、自然法論の枠組みの中に、ギリシャおよびローマの哲学者たちが知らなかった神定法という概念を導入した。 アウグスティヌス本人は明確には法体系を整理していないが、概ね次のように考えていた。 永久法(神定法)自然法(人間の心の中に書き込まれた法) 一時的な法(人定法) まず、法の時間的な継続性という観点から見れば、法は、永遠不変の永久法と、有限可変の一時的な法とに区別される。永久法とは、神の理性あるいは神の意思であり、自然な秩序に従うことを命じ、それを乱すことを禁じるものである。この永久法のうち、人間の心の中に書き込まれたものが、自然法である。 次に、法の制定者という観点から見れば、法は、神定法と人定法とに区別される。一時的な法は、永久法に則らねばならないが、永久法違反の行為を全て現世において罰する必要はない。これは、一時的な法によって見逃された行為の有責性が、神の処罰によって担保されているからである。 これらの区別は、観点が異なるだけで、永久法と神定法、一時的な法と人定法とは一致する。 トマス・アクィナス(永久法=神定法+自然法、自然法∋人定法) トマス・アクィナスの自然法論では、全宇宙を支配する不変の永久法から、人間の一時的な便宜のために制定される人定法までの階層構造が以下のように示されている。 永久法あらゆる法 理性による自然法(人間が分有する永久法の一部)一般的な自然法(明文化されていない) 人定法(自然法を実現するための実定法) 啓示による神定法(補助的)旧法(lex vetus) 新法(lex nova) まず、永久法とは、この宇宙を支配する神の理念である。そして、永久法のうち、理性的被造物たる人間が分有しているものが、自然法である。さらに、自然法のうち、人間が何らかの効用のために特殊的に規定するものが、人定法である。 最後に、神定法とは、人間が永久法により強く与れるように、神から補助的に与えられた法である。すなわち、人間の能力には限界があるために、人々は永久法から与った自然法にもとづいて適切に人定法を制定するということができず、また、様々な意見の対立が生じるので、それを補うために神から与えられたものが、神定法である。ここで、神定法として念頭に置かれているのは、旧約聖書と新約聖書において命じられている事柄であり、前者は旧法(lex vetus)、後者は新法(lex nova)と呼ばれる。 トマス・アクィナスは、自然法の根底にある「正義」を、「自然的正義」と「法律的正義」とに区分した。自然法は実定法の「意味」であり、その道徳的基礎たる規範であるとした。したがって「実定法は自然法を実現しようとするもの」と考えた。 つまり、永久法は、神のうちにある最高の理念であり、あらゆる法の源泉である。このような永久法の一部である自然法は、あらゆる人定法の源泉であり、人定法は自然法に反してはならないとした。 トマス・アクィナス『神学大全』第2部の1第97問題第3項 自然法ならびに神法は神的意志から発出するものであるから、人間の意志から発出するところの慣習によっては改変されえないものであり、ただ神的権威によってのみ改変されることが可能である。したがって、いかなる慣習といえども神法や自然法に反して法たるの力を獲得することはできない。 トマス・アクィナス『神学大全』第2部の1第95問題第2項 ここからして、人間によって制定された法はすべて、それが自然法から導出されているかぎりにおいて法の本質ratio legisに与るといえる。これにたいして、なんらかの点で自然法からはずれているならば、もはやそれは法ではなく、法の歪曲coruptio legisになるであろう。 グロティウス 国際法の父と呼ばれるグロティウスは、各市民国家間の平時および戦時の合理的かつ非実定的な法を探究することに主眼があった。このことは、彼の主著の『戦争と平和の法』という表題にそのまま現れている。そこでは、以下のような法の重層構造が見られる。 自然法(正しい理性の命令) 実定法(意思に起源を有する意思法、制定法)神定法(神の意思によって成立する)普遍的な神定法 ある民族に固有の神定法(特にヘブライ法) 人定法(人の意思によって成立する)万民法(万民の合意によって成立する) 市民法(各市民国家にのみ妥当する) ここで重要なのは、各法の優先順位である。自然法、万民法、市民法が全く別のことを定めている場合には、市民は、原則として市民法に従うことを強いられる。つまり、各市民国家内部において強制力を有するのは、市民法である。 一方で、自然法は道徳的な指図として、市民共同体内部においてもなお妥当するが、それは強制不可能な規範に過ぎない。 また、万民法と自然法との関係においても、自然法が劣後する。 つまり、自然法は普遍性を持つが、強制力を持つ市民法がまず尊重されるべきであり、これに矛盾しない範囲で模範としての自然法が存在するとした。 19世紀から20世紀前半までの自然法の否定 19世紀から20世紀前半までの法理論は、専ら伝統的な自然法論の否定という形で進行した。この背景には、歴史主義および実証主義という2つの哲学的背景が見出される。 特にドイツの法学界では、歴史主義に裏打ちされたパンデクテン法学と、実証主義を徹底したケルゼンの純粋法学が席巻し、自然法を強く否定した。 この時代を反映した作品として、例えば、スタンダールの小説「赤と黒」(1830年)では、主人公ジュリアン・ソレルは断頭台にかけられる前に「自然法などというものは絶対にない」と独白する場面がある。 グスタフ・ラートブルフ グスタフ・ラートブルフ(Gustav Radbruch)はドイツの法哲学者、刑法学者、刑事政策家。 法実証主義者であったラートブルフが自然法への回帰を図ったのは、ナチス・ドイツの敗北という深刻な政治的状況下においてであった。そこで問題になったのは戦中に合法であった非人道的行為に対する遡及的に処罰可能性である。 行為時に合法であった行為を事後的に違法とし処罰することは、刑法上の罪刑法定主義に違反する。このため、行為時に一見すると合法的であった行為、すなわち当時の制定法に鑑みれば合法的であった行為から、合法性を剥奪する必要が生じた。そこで用いられたのが、該当行為に合法性を与える制定法そのものを自然法によって覆すという手法である。 ラートブルフによれば、自然法の内容とは、正義の理念である。この理念を最初から追求しないような制定法は、無効とされねばならない。法的安定性も確かに法理念の一部であるが、著しい不正においては正義に劣後する。そして、正義の具体的な内容は、デモクラシーの維持と人間の尊厳の尊重にある。 日本国憲法の記載 日本はキリスト教国ではなく、自然法の文化的土台がない。このため、憲法により自然法の定める自然権(天賦人権論)とその社会的な経緯が明記されている。 日本国憲法 前文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国憲法 第11条(基本的人権の享有) 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 日本国憲法 第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。 ここで国民に基本的人権を与えている主体は、キリスト教文化において自然権を保証する「神」であると考えるべきである。 参考 キリスト教と自然法 統合に必要な政治倫理の基底をなすもの 坂本 進 自然法の概念を知らずに憲法を語るのは、こんなに危険だ 橋爪大三郎の「社会学の窓から」④ Wikipedia 自然法権 自然法 「自然法などというものは絶対にない」 弁護士 井上 博隆 行政書士試験受験者に幸あれ 人権は何故、尊重しなければならないのか
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/2258.html
※図が見づらい場合⇒こちら を参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。)
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/1420.html
※図が見づらい場合⇒ こちら を参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。)
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/311.html
※図が見づらい場合⇒こちらを参照 ※①宮澤俊義(ケルゼン主義者)・②芦部信喜(修正自然法論者)に代表される戦後日本の左翼的憲法学は「実定法を根拠づける“根本規範”あるいは“自然法”」を仮設ないし想定するところからその理論の総てが始まるが、そのようなア・プリオリ(先験的)な前提から始まる論説は、20世紀後半以降に英米圏で主流となった分析哲学(形而上学的な特定観念の刷り込みに終始するのではなく緻密な概念分析を重視する哲学潮流)を反映した法理学/法哲学(基礎法学)分野では、とっくの昔に排撃されており、日本でも“自然法”を想定する法理学者/法哲学者は最早、笹倉秀夫(丸山眞男門下)など一部の化石化した確信犯的な左翼しか残っていない。このように基礎法学(理論法学)分野でほぼ一掃された論説を、応用法学(実定法学)分野である憲法学で未だに前提として理論を展開し続けるのはナンセンスであるばかりか知的誠実さを疑われても仕方がない行いであり、日本の憲法学の早急な正常化が待たれる。(※なお、近年の左翼憲法論をリードし「護憲派最終防御ライン」と呼ばれている長谷部恭男は、芦部門下であるが、ハートの法概念論を正当と認めて、芦部説にある自然法・根本規範・制憲権といった超越的概念を明確に否定するに至っている。)
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/2246.html
一部の法学者が自然法という言葉をきちんとした定義もなしに便利に使いすぎなんだよ。 - 名無しさん (2014-07-26 13 58 44)