約 4,848 件
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/31.html
2011/5/9 井上浩朗 亀山ゼミ 個人発表 『水俣病と日本人』 1.はじめに 今回の大きな地震は未曾有の被害をこの国にもたらし、その被害の大きさゆえに、様々な人が色んなことを考えたはずである。そして、その関心のほとんどが未だ解決する兆しのない原発問題に関して(電力についての問題も含む)なのではないかと思う。 もちろん、わたしもそのうちの1人であるが、私の場合、考えた、というよりかは、再確認した、という方が正しいのではないかと思う。何を再確認したかと言えば、それは、社会が未だ水俣から何も学べていない、ということである。 私が日頃水俣病に関心を持っているせいかもしれないが、今回の原発が引き起こした問題と、水俣病は酷似しているように感じる。政府と企業の癒着、海洋汚染、認定患者の基準の問題、科学の限界、挙げていけば切りが無い。そこから浮かび上がる問題のすべてが、現代の問い直しの必要性を、我々に訴えかけている気が私はする。そしてその問いは、水俣の頃から何一つ変わっていないように思う。よって、私がもう1つ再確認できたことといえば、それは、今水俣病から学ぶ意義、であると思う。 2.どうして日本で水俣病が起こったか 水俣を考えていく上で、以前に取った方法は海外の公害との比較、である。それは、「どうして日本的自然観は公害防止の原理となりえなかったのか」という問いから始まったものであるが、そこからは明らかな相違点は見られなかった。事後対応については、日本政府やチッソの不具合が見られるが、事前対策としての差異はほとんどない。当時、世界中で「希釈すれば無毒化する」という考え方は一般的であり、国内のみならず国外のアセトアルデヒド工場でも同様の方法は取られていた。 では、なぜ日本だけであれだけ大規模な水俣病が発生したのだろうか。この問いは、なぜ水俣で水俣病が起こったのか、という問いと同義であると考えていいが、これに関しては、はっきりとした結論が出ていない。1951年にチッソが触媒を変更してから被害が大きくなっていったことはよく知られているが、それ以前から水俣病による被害だと思われるものが報告されている。また、そもそもそれはチッソ独自の方法から、汎用的な方法への触媒の変更であり、これでは水俣で起こった原因を明かしたことにはならない。湾の構造や他の工場の多くが山中にあることを指摘する人もいる(西村・岡本 2006)。しかし、よく知られているように、新潟で起こった水俣病は川への廃液の放出が原因である。最も有力であると思われるのはアセトアルデヒドの生産量に着目したものであり、当時、アセトアルデヒドの生産量の国内生産量1位はチッソ、2位は昭和電工であった(原田 1972)。 以上をまとめると、おそらく、日本で水俣病が発生したのはどれか1つということではなく、複合的な要因によるものであったのではないかと思う。 また、カナダの水俣病においては、最初の調査から27年後、再び調査をしたところ、当時では水俣病かどうか診断できないほどの軽症であった患者が典型的な症状を発症していることが報告されている(原田ら 2005)ことから、当時、軽度であるために水俣病であると自覚していなかった患者が他の地域にも多数存在している可能性は否定できない。 3.どうして日本的自然観は水俣を防げなかったのか 以上のことから、日本だから水俣病が起こった、という命題は否定される。しかし、それでは「どうして日本的自然観が公害防止の原理とならなかったのか」という問いに答えたことにはならない。これについては考察が足りていないが、今のところ2つ挙げることが出来る。 まず1つ目は、自然との「身体的関わり」の欠如である。漁民や農民とは違い、工場で働いている人たちはもはや排水口でしか自然と繋がっておらず、亀山(2005)が風土の3契機としてあげている中の、自然との「身体的関わり」が欠けているため、彼らが自然を意識する機会などなかったのではないかと思う。よって、日本的自然観は、経済的な利益の追求などと天秤をかけられること以前に、そもそも存在するチャンスすら与えられなかったのではないだろうか。 2つ目は、亀山(2005)が指摘するように、日本的自然観に二重性があるということである。そこでは、生命的平等の観念などがある一方、ホンネの優先、現実主義、無責任主義が存在しているということ、さらに、母性的自然とみなす傾向にあることがさらに自然破壊に拍車をかけている、と指摘されている。また、そのような母性的自然があるということは、西洋から導入されるまでどうして日本に環境倫理が不在か、という問いへの1つの答えを示しているように思われる。 4.現代において水俣は防げるか これまで、当時、防げなかったことについてみてきたが、それでは、水俣を経験した現代において、水俣を防ぐことは出来るのだろうか。 水俣をはじめとする公害を経て、世界が得た教訓の代表的なものに予防原則precautionary principle がある。そして、92年リオ宣言においては「深刻な、あるいは不可逆的な被害の恐れがある場合には、完全な科学的確実性の欠如が、環境悪化を防止するための費用対効果の大きな対策を延期する理由として使われてはならない」(外務省訳)と言われており、もちろんわが国も署名した。しかし、丸山徳次が指摘するように、93年の環境基本法においては「科学的知見の充実の下に環境の保全上の支障が未然に防がれることを旨として、行われなければならない」とされており、予防原則の核心部分をとり逃していると言わざるをえない(2004)。わが国は水俣の教訓を生かしきれてはいないし、このような政府の姿勢を非難することは簡単である。 しかし、このことはある重要な問題を示してもいる。それは、結局私たちは科学に頼らざるをえないのではないか、ということである。リオ宣言において「深刻な、あるいは不可逆的な被害の恐れ」という場合のその恐れというものは、科学を通して見つけることが前提であるものなのではないか。水俣に当てはめて考えた場合、予防原則は日本政府の事後対応のまずさを正すはたらきをもち、被害の拡大は防げたであろう。実際、今回の原発事故において、その方法に問題はあるものの、食品に対する規制の対応は比較的早かったように思う。しかし、それがチッソの汚染水流出や原発事故防止の原理となりえたかと言えば、それは甚だ疑問である。つまり、予防原則はその名前に反して、現代においては事後対応の原理としかなりえないのである。また、そもそも、リオ宣言において「費用対効果の大きな」という記述があることも、予防原則そのものの無力さを示しているといえるし、法学では「想定外」の場合を許容する残存リスクという考え方すら存在する、 よって、現代においても水俣は防げないと私は結論づける、そしてそれは、私たちが依存してしまっている近代そのものに無理があるからではないだろうか。そういう視点で見ると、その被害が真っ先に弱者を襲うという現代社会の構造の問題なども水俣病は示してくれるのである。 5.導入のまとめ 以上のことをまとめると、日本という国の特殊性が助長した部分はあるけれども、水俣病は当時、世界中のどこでも起こりえた。そして、それは今まさに起こっているかもしれない。よって、水俣病を問い直す場合、日本という国の水俣という視点よりも、近代、もしくは現代の水俣、という視点が求められるのではないかと考える。つまり、水俣への問いかけとは、この時代に対しての問いかけ、なのである。 そのような問いかけにおいて、まずは水俣と深く関わっている石牟礼道子を1つの手がかりにしたいと考えており、今回は、岩岡中正著『ロマン主義から石牟礼道子へ』を題材として取り上げる。岩岡さんは熊本大学法学部の教授で、石牟礼の知と政治思想を結び付けようということをされている。そのような試みをされている方はユニークであり、彼の方法から学べる部分がたくさんあるのではないかと思う。 6.『ロマン主義から石牟礼道子へ』(岩岡中正、木鐸社、2007年) そもそも、彼の位置づける近代というのは、“中世コスモスから脱却した近代的自我が自然への働きかけと社会の構築を通して作り上げてきたもの”であり、現代においてそれは“初発の解放の原理からむしろ疎外と抑圧の原理へと転換”していったと述べる。その結果、人間・理性・国家というレベルで虚構化が進み、それを問い直す出発点が1968年であった。 ブラック・パワーの公民権運動、東欧の自由化の要求、先進国における学生の反乱等を例としてあげ、彼は、1968年が問いかけた諸問題が「人間性の回復」という一点に集約できるという。そして、その際、“近代の原点としてのピューリタニズムが想起された”ことに注目しつつ、彼は1968年を“近代が頂点に達した現代における「近代の終わり」であると同時に、あるべき近代への回帰の始まり”と位置づける。また、自然科学における「ゆらぎ」や「多様性」もその流れにあるものであり、89年の冷戦体制の崩壊も1968年の余震に過ぎないという。 近代が問われている状況の中で、彼はロマン主義に注目し、それは“一元的価値の支配、一切の機械化・管理化・手段化に・意味喪失”という言葉に象徴される近代という普遍に対して、最初の根本的批判であるという。 彼はここでロマン派の代表者として3人、コールリッジ、ワーズワス、シェリーを挙げる。 まず、コールリッジの唱えたのは、「文化的共同性」である。彼は近代人の“欲望・功利などに関わる計算能力である「悟性」”万能主義を批判する。それに対して彼は、“文化およびその基底をなす陶治によって、欲望の自我をして一定共通の文化的社会的道徳的価値を自覚せしめ市民を創出することによって、いわば間接的に社会を再生する”ことを基本戦略とし、その手段が国民教会である。国民教会は教育(哲学、歴史学、倫理学など)、福祉が主な機能であり、それを通して人々は“神与の理性と自由な主体の力である良心”を獲得し「市民」となり、“自由と服従を調和させることができる”。彼によれば、国家とは「ひとつの精神的統一体」なのである。また、国民教会には、“絶対意志(自由)としての神と個別意志(罪)としての人間”をつなぎ、人の罪を義認するという役割もあるとされている。これらコールリッジの思想の特徴的な部分としては、文化的救済、上からなされるということ、具体的な場をイギリスに限っている、ことが挙げられる。 次に、ワーズワスが唱えたのは「民衆的共同性」である。彼の文明批判は、農村共同体の崩壊に強く影響されている。故に、彼にとっての共同体の原型は、“彼自身が「羊飼いと農民の完全な共和国」(a perfect Republic of Shepherds and Agriculturists)とよぶ湖水地方の農村共同体”に求められる。彼は、農民や職人たちにみられる“感受性・人間および社会人としての本能・深い感動・無私の想像力・純粋な祖国愛や忠誠心”といった民衆的知性を高く評価する。そして、そのような民衆的知性により、人間は“自己超越とより高次の存在との同一化を通して共同性を得る”ことができる。また彼は“自己の勤勉と土地所有に支えられた独立・自足の意識と、家族という歴史性をもった共同体の中での自己定位と安らぎの意識”を強調し、それにより人間は“土地と家族の絆にしっかりと結びつけられて、潔白で誇り高く生きることができ”るのである。 最後に、シェリーが唱えたのは「詩的共同性」である。先の2人がロマン派第1世代と分類されるのに対し、シェリーは第2世代に当てはまり、一般的には前者は保守的、後者は急進的であるといわれるが、問題意識は共通しているものがあると著者は言う。“過度の利己心の産業革命の時代精神への対抗原理”としてシェリーが提起したのは“「詩」ないしは「想像力」の原理”であり、「詩による無限の改革」である。詩は、“感動のコミュニケーションの作用をもつので、それによって感動が共有”される。そして、“詩的感動とは、「われわれの観照する美と同化する」ことであり、それが「聖なる感動にともなう心の優しさと高揚」をもたらし、自我を拡大させて人の心を「温雅、寛大、賢明」にして、人びとを「自我という小世界の惰気から引き上げてくれる」のである”。またシェリーは“詩は芽生えであり、「おのれのうちに、自身および社会の革新の種子をはらんだ能力」だと”も言っている。 代表的なロマン主義の論者を見てきたが、ワーズワスの言う共同体は産業社会において崩壊の一途をたどり、また、シェリーの主張は大きく具体性に欠け、現実の有効性をもちえなかった。しかし、コールリッジを含め、彼らの試みは“ミルにおける功利主義の修正”や“社会主義思想に発展的に継受されつつ19世紀の政治思想の伏流をなした”。 特に、ベンサムを継承しつつ功利主義を発展させたミルは“のちにその行き過ぎを反省するほどに”コールリッジに接近する。ミルとロマン主義は、共同性の崩壊への危機や単純化された人間観への批判という、ベンサム批判で共通しており、ミルは共同性の回復へのコールリッジの提言を高く評価する。しかし一方で、両者に相違点があるのも事実で、そのもっとも大きなものが人間観・社会観である。ロマン主義者たちにとって“理念は先在”するものであるが、それは新たな「普遍」を強いるという意味で、彼らが批判してきた近代の「普遍」と同じ結果に終わるであろうし、また、それら先在する理念を認識するものとして少数者しか想定しておらず、具体的な担い手が欠けている。一方、ミルは経験論に基づいており、社会は「形成」していくべきものとして捉えられている。ロマン主義からの視点を交えつつ、“経験と陶治による個性の拡大という、いわば共同性の発展的枠組みを示すことによって、啓蒙主義の近代的「理性」の普遍主義を克服しようとした”のが、ミルの思想である。ここでの個性とは、拡大・成長により共同性を獲得すると同時に多様な発達を遂げるもので、そしてそれはさらに個性を発達させる条件を整わせるという、“ひとつの開かれたシステムとして理解することができる”。また、そこでの共同性とは“多様な個性の併存を許容する共同性”である「開かれた共同性」ということができる。 次に著者は、ミルが“個性の内発性を強調した”ことに注目し、「内発的共同性」へと話を進めていく。そして、「内発的共同性」に深くかかわりのある日本人を2人あげる。 1人は鶴見和子であり、彼女の内発的発展論は“そもそも「発展」という共通の近代化の「目標」の達成を目指すという思考枠組み自体からしてやはり近代化そのもの”である著者は指摘する。 そして、もう1人は石牟礼道子である。彼は、近代化への挫折として生まれたという点、詩の精神や共同性の復権を主張した点、近代知全体への批判という点、が共通しているとして、石牟礼道子を現代のロマン主義者だという。 石牟礼の知には3つのポイントがあると筆者は言う。 1つ目は、“詩と全体知の回復”である。“自己中心的で感受性と関係性を喪失した貧困な架空の知”である近代知に対して、石牟礼の知は“内面的な知であって、内面へ向けて自己を内発的に創造し二元論的な対立を止揚する知であるとともに、個々の存在がその根源において全的なものにつながっていることを知る共同的な自覚・感性・叡智に基づく連鎖・連帯と調和的宇宙についての知”である。そして、自己を内発的に創造する源となるもの、それは詩である。詩に対する散文の、“文字や活字の世界には、自分の小さな知識で他者を読みとろうとする限界”が存在し、石牟礼にとって近代の言葉は“「なんだか・・・魂が入らない」もの”なのである。それに対し、詩は五感で感じた、言葉では表現できないものを、それでも言葉で表現しようとすることで生まれるものであり、それにより人は“対象との一体化を通しての主体の再生、つまり、内発的主体の生成”が可能になるのである。 2つ目は“歴史と神話の回復”である。石牟礼のもつ歴史観はルソーと同様、没落史観であり、ここにもロマン主義との共通点は見られると筆者は言う。そして、そのような没落していった結果の「奈落の底」である現代においては、“時間の「詩化」によって”“この世にあり得ないことや人間では実現できないことを、神話の形にして考え”なければどうにもならないところまで来ているのである。 3つ目は、“存在と共同性の知の回復”である。現代は、“世界の一切の存在の無意味化をもたらすもの”であり、それは石牟礼によって「存在の危機」と位置づけられる。その「存在の知」は、“あるべきいのちと存在が在るべきところに在ることの素晴らしさへ祈る”ことによって回復することができ、“言葉と思いを尽くして祈ること”、それはまさに石牟礼の文学であると筆者は言う。そしてそのような知の回復を通して、人は、石牟礼の言う“体を貫いて海の底から天までとおっている宇宙の中心軸“となることができ、”共同性を支える感受性の復権“を果たすことができる。しかし、石牟礼の共同性は、“単なる共感ではなく、きわめて逆説的なことに、徹底した孤立・孤独を前提とする”と筆者は指摘する。“自分が「徹底的に孤立」することにはじまり、「1人でもあの世に行かなければならないと思い合っているもの同士が、そこに絆を結ぶ」”共同性のあり方は、“「道行き」の共同性”と呼ばれる。そしてこれは、“神の前の絶対的孤独において自立を果たしたプロテスタンティズム・モデルにおける近代人の内面的自立に通底して”いて、石牟礼の思想は決して前近代的なものではなく、“むしろ近代の原点”にほかならないのである、というのが筆者の結論である。 7.感想 以上が『ロマン主義から石牟礼道子へ』の要約である。この本は、彼が過去に発表した論文をつなぎ合わせたものであり、章ごとのつながり、もしくは1968年とロマン主義とミルと石牟礼道子の繋がりが見えにくいように思えた。石牟礼道子論を展開するのに、前者3つについて述べる必要があったのかは疑問である。 しかし、絶対的自我からこそ真の共同体を築けるという視点は、今まであまり目にしたことがなかったので、現代について考える大きなヒントになると思うが、石牟礼の思想と近代の始まりが同じであったのか、ということに対しては疑問が残るし、そうだとしたら、果たして近代の始まりをまた繰り返すことがいいことなのか、ということも考えるべきであるように思えた。また、ロマン主義が具体的な方法論に欠け失敗に終わったのと同様、筆者も石牟礼の実際にどう生かしていくのか、という視点に欠けているので、そこは考えていきたいと思う。 8.今後考えていきたいこと 今回の発表を通じて見えてきたのは、私たち現代人はリスクと向き合っていないのではないか、ということである。大多数がリスクと向き合うことを否定するが故に、そのリスクが局所に集中してしまっている。そして、そのようなリスクの偏在を認めてしまう私たちの意識は変えなければいけないし、そのようなシステムも変えなければならない。 様々なものが繋がっていることを認識し、リスクを皆で分担する。それだけではなく、それぞれの多様性を認めることでそのリスクというものは、全体として低くすることができるのではないか。それは生態学において遺伝的な多様性が議論になっていることと重なると思う。しかし、低くしてももちろん、鬼頭が指摘するようにリスクがゼロになることはありえない(2004)。故に、一人ひとりがしっかりとリスクと向き合う必要がある。そして、避けがたいリスクを受け入れることは、結果として個人の自立を促し、確固とした自我は他人も受け入れることができ、それはまた、多様性を認めるということにつながるのではないかと今は考えている。いろんなことが「本来なら」循環している中で、現代というのはそれが数箇所切れてしまっているのではないだろうか。 そのような推測の中で、僕が注目したいのは特に死を受け入れるということである。それはどういうことなのか、どうすれば可能なのか、それができていない現代社会とはどういう社会なのか、ということについて考えていければと思う。 参考文献 岩岡中正『ロマン主義から石牟礼道子へ』木鐸社、2007 石牟礼道子『不知火』藤原書店、2004 西村肇・岡本達明『水俣病の科学』日本評論者、2001 亀山純生『環境倫理と風土』大月書店、2005 原田正純『水俣病』岩波書店、1972 原田正純ほか「長期経過後のカナダ先住民地区における水銀汚染の影響調査」宮本憲一ほか『環境と公害 vol.34』2005 丸山徳次・鬼頭秀一ほか『応用倫理学講義 2環境』岩波書店、2004
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/74.html
『水俣病をとおしてみる日本人の問題点』 1.はじめに 2010年に第2の政治決着がつき、チッソ分社化の問題などが残っているものの、水俣病は完全に過去のものとなりつつある。そのような中でどうして水俣病を題材として取り上げるのか。それは、自分の中で大きく引っかかっている問い、日本的自然観はなぜ公害・環境破壊抑止の原理とならなかったのか(ベルク 1992)、に対する納得できる答えを得られておらず、公害の原点である水俣病を通すことでその答えの一片でも見つけることができるのではないか、と考えるからである。また、単なる有機水銀中毒ではない水俣病を考える中で、これから日本人がいかにして環境問題や社会問題などに向き合うべきか、ということも見えてくるのではないか、とも考えている。 2.水俣病について (熊本)水俣病は、新日窒(チッソ)水俣工場のアセトアルデヒド製造工程によって生成されたメチル水銀化合物が不知火海に流れ出した結果、食物連鎖を通して引き起こされた有機水銀中毒である。主な症状は視野が狭くなる、感覚障害、運動失調、言語障害、聴力障害など。公式確認は1956年だが、戦前から猫における発症がたびたび目撃されており、水俣病と疑わしき患者も報告されている。 1973年にはチッソの敗訴が確定。1977年にできた認定基準に不服とした患者の起こした裁判により、1995年の政治決着、政府による救済が始まる。またこれに漏れた患者の起こした裁判における2004年最高裁の判決を受けて、2010年第2の政治決着。1977年には約3千人、1995年には約1万1千人が認定され、2010年には新たに3万人以上が救済の申請をしており、どれだけの被害者がいるのかは未だ不明である。 水俣病が公害の原点と呼ばれるのは、主に2つ理由があり、1つ目は水俣病が世界初の食物連鎖と環境汚染の結びついた中毒であるという点である。水俣病以前、希釈放流という、毒は薄めれば毒でなくなる、という考えに基づく方法が主流であった。希釈することで毒性が失われていくのも事実であるが、それと同時に食物連鎖による生物濃縮も事実であり、水俣病は自然破壊が人間の破壊に繋がることをわかりやすく示してくれた。このような人類初めての経験は、前例主義の従来の学問に大きな影響を与え、その影響はさまざまな分野に及んでおり、そういう意味で公害の原点と言われる。 2つ目は、胎児性水俣病の発見である。水俣病以前、毒物は胎盤を通らないと信じられていた。それ故、人類の未来に大きく関るこの事実の発見は世界中の人びとに大きな影響を与えた。 また、水俣病に関する社会科学系のアプローチに関する実態についても少し述べておきたい。初期には内田守、宮本憲一らほんの少数であり、水俣病に関する研究のほとんどは医学・医療の視点によるものであった。しかし、近年では徐々に社会科学的、総合研究の必要性がいわれるようになってきており、わかりやすい例としては熊本学園大学において「水俣病の知識をたんに与えるだけでなく、水俣病事件というものに、私たちの身の回り、つまり私たちの生きざまとか研究のありかた、社会のありようなど、いろんな分野を水俣事件に当てはめてみる、そこに映し出してみるということ」(原田 2004)を目的とした「水俣学」という講義が2002年より毎年開講されていることがあげられる。しかし、2006年『環』において原田が「水俣病の発見初期には医学が重要かつ必要であったが、その後、これほど政治的、社会的事件を医学に全部丸投げして、解決を委ねてしまったことが一つの悲劇(失敗)だったと近年思っている。そのために半世紀経っても問題の解決が不十分なものとなってしまった。」と述べているように、社会科学的、総合的な分野における水俣病研究はまだまだ課題が山積である。 3.海外の水俣病 今回、「なぜ日本的自然観が公害防止できなかったのか」を考える際にこれから考えていくべきと思うこと、整理すべきだと思うことは以下の2つである。 そもそも日本的自然観とは何か 海外の公害、特に有機水銀中毒、と(熊本)水俣病の比較 まず、言うまでもなく「そもそも日本的自然観とは何か」を知らなければ日本的自然観が機能しなかった理由を知ることはできない。が、今回は最初に海外の公害と比べることで、水俣ではあって海外の事例ではなかったこと、もしくは水俣ではなくて海外の事例ではあったことを探し、そこから問題点らしきものに目星を付けて日本的自然観と関連付けていく、という方法を取ろうとおもうため、日本的自然観そのものについてはひとまず脇に置いておく。 北欧の水銀汚染 1960年代にフィンランドのパルプ工場においてパルプの消毒に有機水銀を使い、それが流れ出して魚のなかに蓄積されたという事件がある。この件において政府は魚をとって食べることを禁止したものの、魚を食べた渡り鳥の卵を食べた女性が水俣病と1971年に診断された。他にも、釣った魚を鶏に与え、その卵を食べた男性が水俣病と思われる症状を発症しているが軽度のため政府には認定されていない。 カナダにおける水銀汚染 カナダにおいて水銀が流れ出した要因もパルプ工場である。1970年に魚から多量の水銀が検出されたことによって明るみに出た。この汚染の大きな特徴は被害者が原住民である、ということである。彼らは僻地の孤立した地区に居住区が設けられており、そこで魚を捕って暮らしていたために大きな被害を受け胎児性のものもみられるが、日本の厳しい認定基準に照らしていることなども関係して2000人ほどの原住民のうち具体的に何人が水俣病であるかは不明であり、確実にそうであると診断されたのは15人である。しかし、カナダにおける水銀汚染は医学的な視点による被害よりも、社会的な被害のほうが顕著である。水銀汚染による漁獲禁止、生態系の乱れによって収入が得られなくなり、住民の80%以上が生活扶助で生活し、アルコール中毒が大きな問題となっている。そのほかにも、原住民への同化政策の問題や差別問題など、様々な問題が複雑に絡んでおり、解決にはほど遠い。 他にも中国、中南米などで水銀汚染はあるがどれも水俣の教訓を生かしているためか、水俣ほどの大きな被害はみられない。しかし、水俣の教訓を生かすことの弊害が出ているのも事実で、前述のカナダのように、日本の典型的な患者の症状を元に水俣病かどうか診断している国が多く見られ被害の実態を正確にはつかめていないと思われる。 4.「水俣病」に対する態度への違和感 何度か水俣病に関する講演会や展示会に参加する中で、もしくは原田正純の『水俣病』をはじめとする水俣病に関する著書を読む中で違和感を覚えることが多々あった。『水俣病』は水俣病を知るためのバイブル的存在で科学者のあり方を問う、言わずもがな名著であって私自身も何度も読み返しているお気に入りの本である。また、講演会等も患者自身や研究者の意見を直接聞ける貴重な場であり、学ぶことは多々あった。しかし、そういうものとは別に何か違和感があり、それが何であるのかはっきりしたことはわからずにいた。そのような中で、その違和感が何であるかのヒントとなりそうなことを藤原書店『環vol.25』に西村肇が寄せている文書の中に見つけたので以下に記す。 “私が科学者として文科系の水俣病研究者に向ける第一の批判は「研究者として水俣病に取り組むなら水俣病患者を神聖視し、特別視することにならないよう注意しなければならないのではないか」ということです。” そして、その理由を西村は3つあるといっている。 “第一は過去の同時代の悲惨な歴史の取り扱いとしてバランスを欠かないかという問題、第二は将来起こる公害問題について、見通しを誤らせないかという問題、第三には研究者の倫理を鈍らせないか、という問題です。” その他、彼は東大助教授時代に水俣研究をやめることと引き換えに学外追放を免れたエピソードや著書『水俣病の科学』を出版する際に朝日、岩波、東大出版会から次々断られたことを述べ、最後にこう警告している。 “水俣病のプロになるな、生業にするな、生活の資を稼ぐな” おそらく私が抱いた違和感というものは、著者や講演者の異様なまでの使命感、患者に対する周りの人の、まるで宗教の教祖を見るかのような視線、であったのではないかと今は思うが、確信はない。 また、そこから生まれる閉塞感が社会科学系の水俣研究を遅らせた要因の一つであり、そういう閉塞感を生んでしまう日本社会というものにも大きな問題点があると思う。 5.反省と今後 今回の一番の反省は色々と手を出しすぎたことである。海外の水銀汚染を見るにも一つ一つをもう少し詳しく見る必要があると思う。しかし、今回調べてみて、海外を見ても何も見えてこないのではないか、とも思い始めたのも事実なので、調べるべきことを整理しなおしたいと思う。 参考文献 オギュスタン・ベルク1992,『風土の日本』筑摩書房 岡本達明・西村肇 2001、『水俣病の科学』日本評論者 亀山純生 2005、『環境倫理と風土』大月書店 原田正純1989、『水俣が映す世界』日本評論者 原田正純 編書 2004、『水俣学講義』日本評論者 原田正純 編書 2005、『水俣学講義 第2集』日本評論者 原田正純 編書 2007、『水俣学講義 第3集』日本評論者 原田正純1972、『水俣病』岩波書店 藤原良雄 2006,『環 vol.25』藤原書店
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/75.html
『水俣病と日本人』 1.はじめに 私は、自分のことを「理系」人間であると信じていたし、科学は絶対であると思っていた。科学でないものは認めるべきではないと思っていた。授業を通して、環境教育や倫理といったものの力とかは十分に知っていたつもりであったし、それが大事であると「頭」では分かっていた。しかし、今の世の中、本当にそういうものが役に立つのか、必要なのか、ということに対しては確信がなかった、いや、それどころか懐疑的であった。結局のところ、統治者や権力を持っている人が規制をかけたり、罰則や制裁を持ち出して「言うことをきかせる」ことでしか世の中というのは上手く回らない。そして、そうやって規制をもうけたり、誰かを納得させたり、説得したりするためには、どう見ても「正しい」、数字や科学を用いるしかない。これが現実なのであると思っていた。そして、そのような世の中ではもちろん、学問も科学であることが求められる。『死にいたる病』のキルケゴールの言葉を借りれば、学問というのは「人生から遠く離れて冷然としている」べきであり、それ故に普遍性があって、価値があるのだ。私が前回のマラソンゼミのレジュメに書いた「日本という国における政策のあり方、国のあり方、地域のあり方なども考えていきたい」という言葉は、言いかれれば、「日本人をどれだけ効率よく治めるか」なのである。当時の私は、俯瞰的な立場にいて、すごく冷たい人間であったと思う。 しかし、マラソンゼミの数日後、そんな自分を変えるきっかけとなる、心に訴えかける言葉と出会う。 “きみの息子が炎に包まれていたら、きみはかれを救けだすことだろう・・・もし障碍物があったら、肩で体当たりをするためにきみはきみの肩を売りとばすだろう。きみはきみの行為そのもののうちに宿っているのだ。それがきみなのだ・・・きみは自分を身代わりにする・・・きみというものの意味が、まばゆいほど現れてくるのだ。それはきみの義務であり、きみの憎しみであり、きみの愛であり、きみの誠実さであり、きみの発明なのだ・・・人間というのはさまざまな絆の結節点にすぎない、人間にとっては絆だけが重要なのだ。” (サン=テグジュペリ『戦う操縦士』) この文の何がいいか、何に魅かれたのか、ということはさほど問題ではないと思われる。おそらく、考えても答えは出ないであろうし、この文自身も、安易な要素還元によって理解されることは望まないであろうから。大事なのは、私がこの言葉に心を動かされ、何を感じたか、である。この言葉で、私の中にあった、科学は絶対である、という考えは崩れ去っていった。科学は、今まさにそこに存在している人を無視してはいないだろうか。誰にでも当てはまることを目的としているが故に、誰にも当てはまらないものとなってはいないだろうか。愛とか、生きる力とか、測ることのできないものを、私はどこかに忘れてきたに違いない。そして、それは現代人の多くに当てはまるのではないかと思う。今の社会が何かおかしい、何か生きにくいのは、そのような人たちによってつくられたものであるからではないであろうか。 2.水俣病における神聖視、閉鎖性 そのような心境の変化を経て、以前より私が抱いていた水俣病に関する神聖視や閉鎖性といったことも違う見方ができるようになった。 まずは、神聖視についてである。前回の個人発表において私は藤原書店『環』25号に西村肇氏が寄せている文書を取り上げた。彼は、文科系に水俣病研究者に対し、「水俣病患者を神聖視し、特別視することにならないよう注意しなければならないのではないか」と述べる。そして、その理由として、過去の同時代の悲惨な歴史の取り扱いとしてバランスを欠かないかということ、将来起こる公害問題について見通しを誤らせないかということ、研究者の倫理を鈍らせないかといこと、を挙げている。当時の私はこの意見に対して、概ね同意であった。 しかし、今はそうではない。まず、彼は水俣病に対する神聖視と、水俣病患者に対する神聖視を混同している。確かに、研究対象の神聖視は、学問としてどうなのかと今でも思う。しかし、水俣病の研究者の多くが研究の対象としているのは、水俣病であり、特別視しているのは患者である。そこは区別するべきである。また、人と人が触れ合うなかでそこに特別な感情が生まれるのは当然であって、それをなくしてしまえ、というのは乱暴であると思うし、現実から目を背けているだけではないだろうか。つまり、水俣を特別視するのはいけない、しかし、患者に対してある程度の特別視を持つのは許されるべきである、と私は思う。さらにいえば、水俣研究者が患者にたいしてもつ特別視を、神聖視だといってしまうことにも問題はあると思う。彼は、同じく『環』の中でこのようなことも言っている。 “結局、科学の精神は「一切の神の否定」に帰結せざるを得ません。ここに科学が敵視される深い根拠があります。一切の神を否定するのが真の科学者なら科学者の倫理は神をもつ人の倫理とはまったく別のものになります。神をもつ人びとにとっては、神への帰依、献身、原罪意識が倫理になりますが、神を否定する科学者にとっては、これらすべてを否定することが倫理になります。 ただしここでいう神はキリストに限りません。観念の世界に生まれるあらゆる神です。文科系知識人の観念の世界では、世間的に差別される人々がほとんど間違いなく神にされます。(省略) 神格化は特別扱いにはじまります。(省略)この特別扱いは単に同情だけではなく、人の不幸は自分の幸運に原因があるのではないかと思う贖罪意識に根ざしています。これがさらには不幸な人への畏敬と崇拝に変わります。不幸が大きい人ほど神に近く感じられるのです。“ 多くの水俣研究者が患者を特別視するのは、彼らが患者であるからではない、不幸であるからではない。患者やその家族、地域の人びとも含めて、彼らが、公害に直面したからこそわかった、何か大切なものを持っているからなのである。これに関しては、渡辺京二が「(石牟礼道子の作品に出てくる村人は)ビューロクラティクな制度・組織・機関に至る抽象化された知識の世界と無縁であり、それから疎外された存在だということです。(省略)彼らはことばでは表現できない事象とのゆたかな関わりを日々生きています。」(『不知火』より)と述べている。そして、その「何か大切なもの」は科学では説明が付かない、それを西村氏は「神」という言葉で片付けようというのである。科学と神、という二元論でしかものごとを捉えられないからこそ、彼は患者に対する特別視を、「神格視」と言ってしまうのである。科学でないものを否定する彼の姿勢はまさしく、数ヶ月前の自分と重なるものがあり、おそらく、彼は科学でないと学問であると認めないのであろう。 しかし、彼の指摘にも一理はある。なぜなら、水俣病の研究において、観念的なものが未だに学問としての確固たる地位を得ていないからである。いくら科学でないものが大事である、と叫んだところで、それがある程度人びとに受け入れられなければ意味がない。その背景を説明するものとして、社会学者である鶴見和子の言葉を挙げる。 “最初私たちが10人くらいで行きましたときに、学者・研究者がそこへ入っていってケンカ始めたんですよ。修羅場だったんです。最初、ほんとにみんなどうしていいかわからなかった。(省略) 自分の学問によって人を分析する、社会を分析するというのが社会学なのですけれども、それがここではできない、ということがわかったのです。だから、むこうから話を聞いて、自分の学問をやり直す、作り直すということが、歳をとってから可能ならば、そうする以外にない、ということなのです。“(『鶴見和子曼荼羅Ⅵ 魂の巻』より) また、石牟礼道子も『不知火』におさめられているインタビューにおいてこう述べている。 “思想とかなんかいうけれど、高等的な抽象的なことを学者たちも言って、それで論文を書いているけれど、今はあまり体系的な学問をしなかった人の発言というか、ふつうの日常の言葉で語る人びとの生き方に意味を見つけなおさなきゃいけない。哲学の大転換をしなきゃいけない。もう学者たちは頼りにならないと思うんですね。” 少なくとも、水俣病においては、既存の文科系の学問が役に立たなかったのである。よって、一から新しくつくり始めることになるのであるが、前述のように、未だそれは地位を確立しているとはいえない。西村氏の指摘は、その理由をあまりに非科学的なものにより過ぎているからではないか、と警告しているようにもとれるのである。これに関して言えば、渡辺京二は「(石牟礼さんの知を)新しい知として論理化しなければならない。これは難しい仕事だと思います。」(『不知火』より)と述べている。観念的なものにおいても、やはり学問として存在したり、知として存在するためには、特に現代においては、ある程度の科学的要素を取り込まなければいけないといえるだろう。 これは閉鎖性の問題とも大きく関わる。先に述べた科学とそうでないものの融合は、「開かれた」ものと「閉ざされた」ものの融合であるとも言うことができるであろう。これは学問に限ったことではない。あまりに広すぎる冷たい「開かれた」世界と、家庭の中や仲の良い友達がつくりあげる温かく「閉ざされた」世界とをどう折り合いをつけていくのか、ということにも関ってくるだろう。 3.今後すること 何かを壊すことはすぐできるが、何かをつくりあげることは容易くない。よって私はまず、上記の問題を考えていく手段として、現象学をつかっていきたいと思う。私自身、現象学がどういうものかはよくわかっていないのであるが、現象学とよばれるものが取り扱う問題は私の問題意識とすごく似ていると思うし、何より、私の気持ちに大きな変化を与えてくれた一節が引用されている書の名前は『知覚の現象学』である。 参考文献 キルケゴール・桝田啓三郎 訳『死にいたる病 現代の批判』(中央公論新社、2003年) 鷲田清一『メルロ=ポンティ』(講談社、2003年) 藤原良雄 編『環 vol.25』(藤原書店、2006年) 石牟礼道子『不知火―石牟礼道子のコスモロジー』(藤原書店、2004年) 鶴見和子『鶴見和子曼荼羅 魂の巻』(藤原書店、1998年)
https://w.atwiki.jp/komomo/pages/48.html
1956年5月1日 この項目は書きかけです
https://w.atwiki.jp/kumot/pages/219.html
閑雲野鶴>メルマガ>バックナンバ>仮説・真理?>命題 命題 03/04/16 ある命題がある。「犯罪者と警察は持ちつ持たれつ」だ。 これも随分言い旧されてはいるが、はじめて理解したのは筒井康隆の短編小説だ。命題とは少し違うが根幹は同じだ。 さて、例えばとある都道府県の警察が「犯罪完全撲滅月間」を謳い、取り締まりを強化したとしよう。犯罪は完璧に撲滅出来るものではないが、奇跡的に撲滅出来たとしよう。するとどうなるか。 「警察の仕事がなくなる」 これは困りますよ。一般人は困りません。犯罪者も一時的には失業しますがどうにかなるでしょう。仕事がなくなった警察が困ります。するとどうするか。 1、「警察の役目は終わった。『組織は肥大する』という世の習いに逆らって無理矢理解散する。適当に生きてゆけ」 2、「犯罪を撲滅した?愚か者。では何か法律を作って今までなら何でもなかった奴を犯罪者に仕立てろ」 3、「犯罪を撲滅した?我々の必要性を一般人に植え付ける為に何か大きな事件を起こすぞ」 1は職に溢れた警察官が凶悪な犯罪者になる可能性が高い。2はいつものことだ。3は内部抗争権力闘争派閥戦争絡みでたまにある。 警察の仕事は犯罪を取り締まり未然に防ぐことにある。ところが犯罪が全く起きないと存在価値を失う。だからそれまでは犯罪ではなかったことを法律で犯罪と規定する。存在価値が見直される。いち市民感情としては暴走族より選挙カーを取り締まってもらいたいものだが仕方あるまい。 じつのところこの命題、あまりにも応用が効くのでここで書くつもりはなかった。しかし始めた以上折りをみて掘ってゆこう。おおまかに類似命題を。 Z、警察 「警察と犯罪」犯罪がなくなれば警察の仕事がなくなる。なくさない為には「防犯を仕事にする」「犯罪をなかなか減らさない」「それまで犯罪ではなかったものを犯罪と認定する」 A、医者 「医者と病気」病気がなくなれば医者の仕事がなくなる。なくさない為には「予防を仕事にする」「病気をなかなか治さない」「それまで病気ではなかったものを病気と認定する」 B、宗教 「宗教と不幸」不幸がなくなれば宗教の価値がなくなる。なくさない為には「不幸になる助言をする」「不幸からなかなか逃さない」「それまで不幸ではなかったものを不幸と認定する」 C、米国 「米国と戦争」戦争がなくなれば世界の警察米国の存在価値がなくなる。なくさない為には「引っ掻き回して戦争を起こす」「戦争をなかなか止めない」「それまで戦争などなかったところに戦争の種を播く」 D、弁護士 「弁護士と裁判」裁判がなくなれば弁護士の存在価値がなくなる。なくさない為には「もめ事に割って入りさり気なく煽る」「裁判を長引かせる」「それまで馬鹿馬鹿しくて裁判にならなかったことでも裁判を起こす」 キリがないのでやめておく。このからくりを理解する人としない人では話が全く噛み合ないということを知っておいた方がいいだろう。 TOTAL ACCESS - Today - Yesterday - LAST UPDATED 2021-12-03 06 58 54 (Fri)
https://w.atwiki.jp/komomo/pages/244.html
TEL : 0966-62-7502 住所 : 〒 867-0045 熊本県水俣市桜井町2丁目2-20 URL : http //www.shiranuikai.org
https://w.atwiki.jp/unoy/pages/18.html
命題表象(Proposition) 意味内容の表面的な性質に係わらず、抽象的なレベルでの記述象。 命題表象は一般的に先天的知識を表現し、種々の認知過程をシンボルの操作ととらえるシンボルシステム論に立つ。 命題とは、意味に不明瞭なところがない文章の事。 命題表現とは、抽象的でモダリティを持たない言語に類似したシンボル。頭の中の言語を果たしているもの。すべての認知的活動がこれを基本に実行されているらしい。モダリティーを持たないのに、頭の中の言葉を表すとは奇怪な・・・。まぁ、モダリティーを排除した曖昧性をなくしたモノを考えろってことか。 モダリティ(感覚様相)とは? 文が指す内容に対して話し手の判断や心的態度のこと。例えば、「たぶん熊が壊したのだろう」という文で「熊が壊した」部分を命題であり、話し手の推測を表す「きっと~だろう」という部分がモダリティ。 命題とは「アーギュメント」、「プリディケイター」の要素からなり、主語と目的語にあたるアーギュメントと意味をなすプリディケイターからなる。 例)リスト表現で書くと以下になる。 (打つ、太郎、玉)
https://w.atwiki.jp/geogebra_kyozai/pages/21.html
集合と要素,部分集合,空集合 ベン図(生徒用ワークシート) 共通部分,和集合,補集合 共通部分・和集合(生徒用ワークシート) 命題,条件 「ならば」を含む命題,必要条件,十分条件 「ならば」を含む命題(生徒用ワークシート) 「ならば」を含む命題(生徒用ワークシート) 条件の否定 命題の逆,対偶,裏 対偶を利用する証明 背理法を利用する証明
https://w.atwiki.jp/ketcindy/pages/22.html
命題の逆・裏・対偶の関係を図で表す. #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (title=) proposition.zip 画面上に4つの四角形を描く.点A以外は適当にとってよい. Addax(0); Putpoint("B",[A.x,A.y-0.75]); Putpoint("C",[A.x+1.5,A.y-0.75]); Putpoint("D",[A.x+1.5,A.y]); Putpoint("E",[-A.x-1.5,A.y]); Putpoint("F",[E.x,E.y-0.75]); Putpoint("G",[E.x+1.5,E.y-0.75]); Putpoint("H",[E.x+1.5,E.y]); Putpoint("K",[A.x,-A.y+0.75]); Putpoint("L",[K.x,K.y-0.75]); Putpoint("M",[K.x+1.5,K.y-0.75]); Putpoint("N",[K.x+1.5,K.y]); Putpoint("O",[-A.x-1.5,-A.y+0.75]); Putpoint("P",[O.x,O.y-0.75]); Putpoint("Q",[O.x+1.5,O.y-0.75]); Putpoint("R",[O.x+1.5,O.y]); //点Aを基準として,点B~点Rの位置を定める. Listplot("1",[A,B,C,D,A]); Letter([(A.xy+C.xy)/2,"c","$p\to q$"]); Listplot("2",[E,F,G,H,E]); Letter([(E.xy+G.xy)/2,"c","$q\to p$"]); Listplot("3",[K,L,M,N,K]); Letter([(K.xy+M.xy)/2,"c","$\overline{p}\to \overline{q}$"]); Listplot("4",[O,P,Q,R,O]); Letter([(O.xy+Q.xy)/2,"c","$\overline{q}\to \overline{p}$"]); //四角形を作り,その中にp,qの関係をかく. Letter([[0,0],"c","対偶",[0,(C.y+D.y)/2],"c","逆",[0,(M.y+N.y)/2],"c","逆",[(B.x+C.x)/2,0],"c","裏",[(F.x+G.x)/2,0],"c","裏"]); Setcolor([0.8,0,0,0]); Arrowdata([ [-0.4,0.2],[C.x+0.1,C.y-0.1] ]); Arrowdata([ [0.4,0.2],[F.x-0.1,F.y-0.1] ]); Arrowdata([ [-0.4,-0.2],[N.x+0.1,N.y+0.1] ]); Arrowdata([ [0.4,-0.2],[O.x-0.1,O.y+0.1] ]); Arrowdata([ [-0.4,(C.y+D.y)/2],[C.x+0.1,(C.y+D.y)/2] ]); Arrowdata([ [0.4,(E.y+F.y)/2],[E.x-0.1,(E.y+F.y)/2] ]); Arrowdata([ [-0.4,(N.y+M.y)/2],[N.x+0.1,(N.y+M.y)/2] ]); Arrowdata([ [0.4,(O.y+P.y)/2],[O.x-0.1,(O.y+P.y)/2] ]); Arrowdata([ [(B.x+C.x)/2,0.2],[(B.x+C.x)/2,B.y-0.1] ]); Arrowdata([ [(K.x+N.x)/2,-0.2],[(K.x+N.x)/2,K.y+0.1] ]); Arrowdata([ [(F.x+G.x)/2,0.2],[(F.x+G.x)/2,F.y-0.1] ]); Arrowdata([ [(O.x+R.x)/2,-0.2],[(O.x+R.x)/2,O.y+0.1] ]); //矢印を描く.
https://w.atwiki.jp/p_mind/pages/131.html
概説 解釈主義 概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。バートランド・ラッセルが案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である。 命題的態度は以下のような形式を持つ(*1)。 x は p を信じる y は q を望む。 z は r かどうか疑っている。 「x、y、z」が志向的システムを指すもの。「信じる、望む、疑う」が志向的システムが持つ態度。「p、q、r」がその態度の内容、すなわち命題である。 命題とは、人々が信念を固定したり測定したりするのに用いられる理論上の対象である。二人の人間が一つの信念を共有するということは、その二人が同一の命題を信じているということである。 命題的態度は言語に類似しており、それゆえに構文論的構造をもっている。このことは、心とは何かという問題において、心脳同一説や機能主義が正しいといえるためには、脳状態もまた構文論的構造をもっていなければならないということになる。 機能主義では、各タイプの命題的態度はあるタイプの機能によって定義され、そのタイプの機能を実現する脳状態トークンであれば、いかなるタイプの脳状態であってもその命題的態度と同一であるとする。つまり命題的態度はタイプ的に同一でないがトークン的に同一であると考える。それに対し非法則一元論では、同一タイプの命題的態度トークンは、必ずしも同一タイプの機能をもつわけではない。いずれにせよ広義の心脳同一説では個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする。 なお、消去主義では命題的態度の実在性を否定する。 解釈主義 Aは犯人がBであるという信念をもっていたとする。またこのケースでは「Aは、BかCのどちらかが犯人であるという信念と、Cにはアリバイがあるという信念をもっていたので、Bが犯人であるという信念をもつようになった」という理由があったとする。それらの理由は理に適っている。心の哲学ではこのように、命題的態度が他の命題的態度や行為を理に適ったものとする関係性を「合理性」と呼び、そのように合理的な命題的態度との関係に基づく説明を「合理的説明」と呼ぶ。 「合理的説明」とは命題的態度や行為を、ある理由に基づくものとして理解することであり、それゆえに「解釈」とも呼ばれる。そして、合理性に命題的態度の本質を見出そうとするのが「解釈主義」である。1970年代にD・ディヴィドソンとD・C・デネットがこの立場を主張する。心脳同一説や機能主義が、心的状態を他の心的状態や刺激と因果関係と法則性をもつものと見るのに対し、解釈主義では心的状態を合理性の観点から捉える。ある信念は、その人のさまざまな命題的態度や行為を合理的なものとして解釈する際に、その信念がその人に帰されるかどうかで決まることであり、その信念が他の命題的態度や行為と因果関係を成しているかどうかは関係が無い。つまりある人がある命題的態度をもっているということは、解釈によってその命題的態度が合理的なものとしてその人に帰されるということに他ならない。解釈主義は因果性を命題的態度の本質とは考えないのである。したがって解釈主義は、個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする広義の心脳同一説と一線を画する。 ただし、解釈主義と心脳同一説や機能主義が厳密に異なるかは明らかではない。解釈主義が重視する合理性は法則性に還元できるかもしれないからである。しかしデネットは心的状態と脳状態のあいだにトークン同一性すら認めない。彼にとって心的状態は行為を合理的に理解するための仮想的な状態であり、実在的とみなさない。彼にとって心的状態とは行為に合理的な秩序を与えるための道具に過ぎず、このことから「道具主義」の立場を取る。 参考文献・参考サイト 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年 金杉武司『心の哲学入門』勁草書房 2007年 金杉武司「解釈主義と消去主義 ―命題的態度の実践的実在性―」2003年 http //repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/28700/1/tkr005003.pdf ダニエル・デネット著 土屋俊 訳『心はどこにあるのか』草思社 1997年