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港南区内地域には、昔「武蔵の国」「相模の国」があり、区内を武相国境が縦断して2分化しています。 この地には太古の昔から、人々が生活していた記録が残されています。 「武蔵の国」「相模の国」夫々に色々と生活文化の中に 異なる特徴が見られます。 広報よこはま港南区版.pdf 貞昌院 <タグに 武相国境 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
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武相国境は港南区を南北に縦断していました。 大きな地図で見る
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武相国境は港南区を南北に縦断していました。 現在の位置、港南区内を通る「昔の街道(かまくら道、金沢道)」との関係も示しています。 港南区内の街道地図 文書2.pdf
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港南区の歴史については、港南区の下記のHPに詳しく記載されております。 港南区役所 港南区の歴史年表 港南区って、どんなところ? 港南区には、横浜開港以前の鎌倉に通じる中世の歴史の痕跡が沢山あります。 その間の経緯について「ふるさと港南の石仏たち」の中の「港南区の生い立ち」に書かれていますので、下記のpdfファイルをご覧願います。 ふるさと港南の石仏たち 港南区の生い立ち.pdf
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港南区発足後の港南区エリア 昭和44年に、当時の「南区」より分区をして、現在の「港南区」が誕生いたしました。 丁度その頃の港南区は、昔の里山を削る大規模宅地造成開発の真っ最中で、その後「港南台住宅地」「野庭団地住宅地」が誕生し、JR根岸線や横浜市営地下鉄も開通し、人口も急速に増加して、街の景観や人々の街の生活はすっかり様相を変えしました。 港南区発足後の記録として下記の「広報こうなん」をご覧下さい。 広報こうなん区版 貞昌院 港南区の歴史 永野小学校0100(昭和60年頃の環状2号線) 永野小学校0090(昭和51年、永野小学校の全景・航空写真) 桜岡小学校0142(上大岡商店街の歴史3) 桜岡小学校0141(上大岡商店街の歴史2) 桜岡小学校0140(上大岡商店街の歴史1) 桜岡小学校0122(上大岡駅前通りの歴史3) 桜岡小学校0121(上大岡駅前通りの歴史2) 桜岡小学校0113(上大岡京急分譲地の歴史4) 桜岡小学校0091(鎌倉街道の歴史2) 桜岡小学校0062(上大岡地域の歴史) 桜岡小学校0048-3(上大岡駅の歴史7-8) 日野小学校00112(昭和50年代の日野の景観) 日野小学校00111(昭和50年頃の日野の景観) 日野小学校0011(昭和50年頃の日野の景観) 日野小学校00101(昭和40年代後期の日野の景観) 日野小学校0008(現在の鉄筋4階建て校舎が完成した時の航空写真) 日野小学校0007(木造校舎を壊す際の写真) <タグに 港南区発足後 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
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【都市銀行】 みずほ銀行上大岡支店 横浜市港南区上大岡西1-6-1 2006/9/19みずほ銀行上大岡駅前支店を統合。旧第一勧業銀行上大岡支店 みずほ銀行上永谷出張所 横浜市港南区丸山台1-12-36 旧富士銀行上永谷出張所 みずほ銀行上大岡駅前支店 横浜市港南区上大岡西1-16-23 (2006/9/19みずほ銀行上大岡支店に統合)旧富士銀行上大岡支店 三菱東京UFJ銀行上大岡支店 横浜市港南区上大岡西2-9-1 旧東京三菱銀行上大岡支店 三菱東京UFJ銀行上永谷支店 横浜市港南区丸山台1-13-7 旧東京三菱銀行上永谷支店 三菱東京UFJ銀行港南台支店 横浜市港南区港南台4-2-1 旧東京三菱銀行港南台支店 三井住友銀行上大岡支店 横浜市港南区上大岡西1-15-1 2003/12/8横浜市港南区上大岡西2-9-9から現在地に移転。2003/3/10三井住友銀行上大岡駅前支店を統合。旧さくら銀行上大岡支店 三井住友銀行港南台支店 横浜市港南区港南台3-3-1 2003/1/14三井住友銀行南戸塚代理店を統合 三井住友銀行上大岡駅前支店 横浜市港南区上大岡西1-15-1 (2003/3/10三井住友銀行上大岡支店に統合)旧住友銀行上大岡支店 三井住友銀行南戸塚代理店 横浜市港南区港南台3-3-1 (2003/1/14三井住友銀行港南台支店に統合) りそな銀行上大岡支店 横浜市港南区上大岡東1-11-25
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検索 メニュー メニュー2 メニュ-2には、トップペ-ジへ掲載していない平成22年度以前の活動記録を掲載してあります。 **メ ニ ュ ー *港南の歴史 港南の歴史について、概論として下記のHPをご覧になられますと参考になります。 港南区の歴史 港南区の生い立ち 港南区内・明治時代創立の学舎のあゆみ 貞昌院 港南区の歴史について、楽遊クラブの方々が下記の判り易い行政区画の変遷を一覧表に纏められました。 港南区の歴史年表図.pdf 港南区内にある神社の歴史を 遠藤吉隆さんが一覧表に纏められました。 神社から見た港南の歴史考察.pdf 別紙港南区神社.pdf *武相国境 港南区の昔は「武蔵の国」と「相模の国」でした。港南区内を武相国境が縦に縦断してました。 区内の武相国境に関わる事を下記の項目に記しました。 武相国境 武相国境の位置 区内武相国境の詳細位置 武相国境と鑪(たたら)場 武蔵・相模の国の古道 武相国境越えの変遷 *時 代 別 港南区内の時代別の記述については、下記の時代別項目の中をご覧願います。 古代 中世 近世 近代 戦前 戦後 港南区発足後 *地 域 別 港南区内の地域毎の記述については、下記の地域毎の項目の中をご覧願います。 上大岡・大久保 笹下・日下 日野・吉原 野 庭(のば) 港南台・日野南 上永谷 下永谷・芹が谷 丸山台・日限山 *古 写 真 港南区内で明治時代に開校をした日野、永野、日下、桜岡4小学校に保管をされておりました「古写真」を港南歴史協議会でデジタル化を致しました。 それ等の写真の中から、街の景観を表している代表的な写真を下記に掲載いたします。 日野小学校 永野小学校 日下小学校 桜岡小学校 *港南の昔ばなし 「ふるさと港南の昔はなし」は平成6年に港南区制25周年記念誌として、港南の歴史研究会が編修・発行致しました。 既に、絶版になっております。タイトルをクリックしてご覧願います。 [こうなん道ばたの風土記] こうなん道ばたの風土記 「こうなんの道ばた風土記」は昭和61年に港南の歴史研究会で編修・出版を致しました。 平成11年港南区制30周年の際に改訂版として再販されましたが、既に絶版となっています。 皆様方の街歩きに際して、大変に参考となる資料ですので、上記の「こうなん道ばたの風土記」タイトルをクリックされますと港南区HPに記載されております全文をご欄になれます。 *こうなんの石造物 こうなんの石造物 石造物の数 石造物(広義)の種類 主な石造物 *港南歴史協議会 規約 参加団体 港南歴史協議会の歩み *リンク 港南区役所 120年前の横浜・上大岡「ハマちゃんのがらくた箱」 東海道線は当初、大岡川沿いを通る予定だった! 「ハマちゃんのがらくた箱」 貞昌院 亀野哲也住職のブログ *港南の歴史 参考文献 合計: - 今日: - 昨日: - トップページの合計: - 最近更新されたページ 取得中です。 ここを編集
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『港南の歴史と文化』 著者 伊藤武 発行 港南歴史協議会 仕様・体裁 : A4判、総ページ数 372ページ、表紙 アートポスト紙 ○ 本 文 (1~7章 史跡・石仏 ) : 314頁(スミ印刷) 上質紙、 ○ 口絵、章扉、地図、港南景勝50選:58ページ(カラー印刷)コート紙 定価 3,500円(税込み) 予約申込み 港南歴史協議会 茅野眞一 Tel Fax 045-841-6773 1 港南景勝50選(私選) 区制40周年記念運動として「街自慢」を提唱 港南区内の景勝地をカラー写真で紹介 2 歴史民俗探訪 15話 区内に伝承されている歴史的古事及び民間に 伝えられている風習・風俗 3 史跡・石仏 区内に散在する史跡や石仏(石塔)を個々に 現物写真を掲載して紹介 1章 概要 2章 ~7章 区内を6章に分けて、史跡・石仏 の在所地図を載せて個々に解説 港南区の特色 港南区内を縦断する古三道 1 武相国境道(七里堀通り) ⇒二俣川⇒井戸ケ谷⇒弘明寺⇒別所⇒ 港南区内を縦断⇒円海山⇒鎌倉 2 鎌倉古道下之道 「いざ鎌倉」道として、上・中・下の三 道があった。港南区内を通る下之道は、 保土ヶ谷宿(金沢横町)⇒弘明寺⇒餅井坂 相武山小⇒馬洗川(徒渉)⇒舞岡公園⇒ 中之道と合流して鎌倉へ 3 金沢道 金沢八景を訪ねる観光ルート 保土ヶ谷宿(金沢横町)⇒岩間ケ原⇒南大 田⇒岩井ケ原・千保⇒関⇒笹下⇒能見台⇒ 能見堂⇒金沢(金沢文庫・称名寺・瀬戸方面) 歴史民俗探訪 1話 古道七里堀道・武相国境道 2話 鎌倉古道下之道 3話 金沢道 4話 灯篭流し(大岡川) 5話 大岡川川嶋と北見掃部館 6話 春日神社彫刻(日野) 7話 早駆けの道 8話 塚の古址(日野南・三谷公園) 9話 天谷橋と第六天橋(野庭) 10話 百万遍念仏(下野庭・正応寺) 11話 夏越しの祓い(永谷天神社) 12話 永野村の歴史 (1)永野学校の由来 13話 (2)6代福本与四郎物語 14話 北条氏直館と首塚 15話 地唄 手鍋下げても 史跡・石仏(石塔) 1章 史跡が語る港南区 史跡・石仏の概要 2章 上大岡東、上大岡西、大久保、最戸 3章 港南、笹下 4章 日野、日野中央 5章 港南台、日野南 6章 野庭町、上永谷町、日限山、丸山台 7章 上・下永谷、下永谷町、芹が谷、東芹が谷、東永谷 江戸期の墓制 層塔 皇室関係 宝塔・他宝塔 将軍関係 宝篋印塔 大名等の墓や供養塔 五輪塔 武士の墓や供養塔 自然石による石塔 一般庶民の墓や供養塔 港南区内には、武相国境と鎌倉古道下之道があり、区内のほぼ中央を南北に縦断しています。 また観光名所・瀬戸金沢への往還道も、下之道から分岐し、ほぼ区内を通っています。 平安から近世にかけての武相国境は「武蔵の国」「相模の国」と二つの異なる文化を育み、中世に開鑿された下之道は「いざ鎌倉」道として、更に金沢への往還道は中国の詩人をはじめ、多くの歌人・墨客が来訪しました。 このような背景があるため、港南区には京や江戸文化が早くから持込まれ 発展してきました。 その港南の「歴史と文化」をご紹介したのが本書です。 内容紹介(目次より) 港南景勝50選 1、港南の港が見える丘 2、港南の残照 掲載写真全50選 (カラー) 歴史民俗探訪 1、七里堀・武相国境道 2、鎌倉下之道 3、金沢道 以下15項目 各歴史的解説・探索用マップ(カラー)付 1章 史跡が語る港南区 1 史跡・石仏の概要 1-1 港南区内南北に連なる武相国境 1-2 歴史を語る史跡・石仏 1-3 港南区内の石塔・石仏 2章 上大岡東・西、大久保、最戸 2-1 上大岡一丁目 2-2 上大岡駅東側・合祭壇 中略> 2-13 千手院墓地 2-15 餅井坂 3章 港南、笹下 3-1 岡本橋 3-2 福聚院 <中略> 3-16 成就院 3-17 東福寺 4章 日野、日野中央 4-1 光明寺 4-2 武相国境沿い <中略> 4-13 共同墓地(洋光台西公園先) 4-14 石渡氏宅 5章 港南台、日野南 5-1 共同墓地(四ツ切公園隣) 5-2 港南台七丁目-9 <中略> 5-7 野庭・迎陽トンネル鎌倉街道口 5-8 野庭町三谷町公園 6章 野庭町、上永谷町、日限山、丸山台 6-1 港南図書館・下野庭スポーツ館付近 <中略> 6-12 日限地蔵堂 6-13 丸山台自冶会第二会館敷地 7章 上・下永谷、芹が谷、東芹が谷、東永谷 7-1 永野小学校前交差点、 7-2 柳橋付近 <中略> 7-17 武相国境 芹が谷 7-18 武相国境への古道(山崎宅前) 7-19 武相国境への古道口 7-20 下永谷小学校校庭
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たたらの火とヤマトタケル (日野) 皆さんは、武相国境の話を聞いたことがありますか。武蔵の国と相模の国の境が、この港南区のまんなかを通っていたのですって。 横浜全区の中でも、国境が区の中にあったのは、港南区だけとのこと、びっくりしますね。 そして、この国境の道は、「たたら師」(鉄を作る人)の通った道でもあるといわれています。この道すじには、金の字のつく地名、鍛冶屋という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多いのです。 その理由を、むかしむかしにタイムスリップして考えてみましょう。 むかし、西の方の大和という国にいた王族が、東の国を征服しようとくわだてて、その中の一人ヤマトタケルが、大ぜいの兵士をひきつれて、東へ東へとむかってきました。 この軍が通る道すじを治めるために、兵士以外にも、武器をつくる人や、食べ物を用意する人をつれてきました。 ちょうどいまの港南あたりに、ヤマトタケルがさしかかった時、急に天気が悪くなり、まっ黒な雲と稲妻、そしてゴロゴロと雷が鳴り、いくつもの雷が落ちました。 ヤマトタケルは、そうしたことで、この辺の地層がわかったのです。 どうわかったかというと、港南区、特にいまの港南区役所の近くには、「雷」という地名があったくらい雷が落ちやすいのです。そうした場所には厚い砂鉄の層があり、日野川にも砂鉄が、赤く川底に沈んでいたといわれています。そして、この砂鉄を使って、仕事をする人も住んでいました。 ヤマトタケルは、こうした鉄の文化を伝える役割もはたしていたのでした。 武相国境をはさんで、この辺には、金井、大たら、栄区側の鍛冶ケ谷、戸塚区の金井、金沢区の釜利谷、かねくそ沢、等にも金のつく地名が残されています。 ヤマトタケルの軍団は、三浦半島に出て、舟にのって、房総の金谷へ渡ったとされていますが、港南の昔の人たちは、日野を通って、三浦へぬけたと考えています。 武相国境には、たくさんの横穴墓があり、人骨や、さびた刀剣が掘り出されているのも、こうしたことを、裏づけるものといえます。またヤマトタケルをまつった神社もあります。日野川の下流から円海山のあたりに、夜、「たたらの火」が、あかあかと、あちらこちらで燃えていたなんて、歴史のロマンを感じますね。
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試合情報 大会 - 平成14年度 第37回横浜市長旗争奪ジュニアサッカー大会港南区予選 決勝 日時 - 2002年9月29日 得点 横南FC 6 3 前半 2 3 横浜市立野庭中学校 3 後半 1