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朝鮮王朝実録 日本語 韓国語 조선왕조실록チョソンワンジョシルロク 漢字表記 朝鮮王朝實錄 分類 書物 『朝鮮王朝実録』とは、李氏朝鮮の歴史的事実を編年体で編纂した漢文記録。 李氏朝鮮時代の政治、外交、軍事、経済など各方面の史料が記載されているらしく、朝鮮史研究の基礎史料である。 現在韓国は原本を紛失している。 そして、写本は植民地時代に朝鮮総督府によって日本の皇室に寄贈されたが、2006年に東京大学はマイクロフィルムに収録し、原本をソウル大学校・奎章閣に寄贈した。 登場 第21話 ユルが朝鮮王朝実録の返還を東京大学に要求すると皇帝に報告している。
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朝鮮王朝実録…歴代王の毎日の行動を記したもの。 朝鮮王室儀記…王室の結婚や葬儀などの儀式を絵入りで記録したもの。 「日本にあったのは日本人が作った写本」? コピー機も無い時代に誰がそんな労力をかけるか。朝鮮から持ってきたもの。 「韓国にあった原本は全て焼失した」? 朝鮮戦争で北朝鮮に取られたというのは記録にあるが、「焼失」はソース不明。むしろ日本にあった分が関東大震災で焼失している。 大体実録も儀軌も一番数が揃っているのは韓国。 元々朝鮮では重要書籍は 春秋館(王宮史庫。春秋=歴史の事)に一部 摩尼山(のちに鼎足山)史庫に一部 太白山史庫に一部 妙香山(のちに赤裳山)史庫に一部 五台山史庫に一部 と分散させていた。内容は基本的には同じだが、王宮に置いている物は国王がご覧になるという事で、装丁が絹張りだったり豪華になっている。 18世紀に正祖が奎章閣(王宮書庫)を作り、各国の書籍を集めて情報センターの様相を呈した。 数年後には別館の外奎章閣を江華島に作ったが、フランスに略奪されたのがここにあった国王御覧用の豪華版「儀軌」である。北清事変で紫禁城が略奪された時、西洋人が読めない漢籍を滅茶苦茶にするのを柴五郎が嘆いたが、こっちは見た目が豪華だったので略奪された訳。 さて大韓帝国が成立すると、春秋館にあった「実録」も地方史庫にあった「実録」も奎章閣で一元管理する事になった。 一方高宗は帝室図書館を作ろうと「蔵書閣」を作り、奎章閣からも一部書籍を運び入れたが、そのまま併合を迎えた。 奎章閣図書は朝鮮総督府の管轄に。蔵書閣図書は李王職の管轄になる。 実録はどうなったかと言うと、 春秋館→奎章閣→総督府管理→京城帝国大学→ソウル大学 鼎足山史庫→奎章閣→総督府管理→京城帝国大学→ソウル大学 太白山史庫→奎章閣→総督府管理→京城帝国大学→釜山の政府施設 赤裳山史庫→奎章閣→蔵書閣→李王職管理→朝鮮戦争時、北朝鮮軍によって搬出 五台山史庫→奎章閣→総督府管理→東京帝国大学→関東大震災で焼失、2006年に無事な分をソウル大学へ寄贈 因みに最後の東大が寄贈した分は「京城帝国大学」を経ていない。なので元々の管理者だった五台山側がソウル大が所有するのは不当として争っている。 「儀軌」は何故日本にあるのか? 1919年、王公族の実録作成の為に浅見倫太郎が儀軌の参照を希望。しかし「巻帙浩瀚ニシテ謄写不能」だったので、総督府に譲渡を要請。総督府からは「貸出」の扱いだったのだが、浅見が勝手に「寄贈」という事にしてしまい、厳重注意を受けた(取り消しは出来なかった)。因みにこれ以前も「朝鮮理解の為」という事で伊藤博文らが当地で「購入」した朝鮮本もある。これらも宮内省に寄贈されている。 その後、高宗の崩御を受けて三・一運動(3月1日だけのデモではないので注意)が起こり、朝鮮統治は武断統治から文民統治に舵を切る。3月3日には高宗の葬儀を行ったが、どの様な礼で葬るかは日本国内でも議論(大韓皇帝は天皇と対等、併合は日韓対等の建前だから天皇と同様の最高礼でやるべき、というのと、もう皇帝ではなく李太王だしあくまで天皇が最上だという対立)があり、結局天皇よりは格を下げ皇族並としたがこれが「神道式」だった。シナ式の派手な葬礼に馴染んだ朝鮮人にとっては真っ白な神道式は「みすぼらしい」としか映らず、これでもまた反発が起きたのである。 そして後々「純宗の葬儀」を行う時の為、宮内省が朝鮮式葬儀の参考資料として求めたのが「儀軌」である。 また、高宗崩御で延期となった英親王李垠と梨本宮方子の婚礼も、本来日本式と西洋式でやる予定だったのだが、朝鮮式でも行う事になった。この際の写真は色んな所で目にするだろう。これについても「儀軌」を参照している。 これらの詳細は『朝鮮王朝「儀軌」百年の流転』(NHK出版)に詳しい。というかこれしか無いと思うが、「犬HKだから全部捏造に違いない!」と読まない人間が多いようだ。
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韓国ドラマ 星から来たあなた DVD 作品類別 韓国ドラマ 出演/声の出演 チョン・ジヒョン、キム・スヒョン、パク・へジン、ユ・インナ フォーマット NTSC、PAL 言語 韓国語 字幕 日本語、英語、中国語(ON/OFF可) リージョンコード リージョンフリー(全世界共通) ディスク枚数 8 時間 960分 仕様 本編全話収録 公開日 2013 ★400年前に地球に来た宇宙人とトップスターのロマンスを描く! ストーリー 星から来たあなた DVD 1609年(光海1年)朝鮮王朝実録に記録された飛行物体出没に関する話を 基にしたフィクションで、約400年前に地球へやってきた宇宙人の男性ト・ミンジュンと韓流の女神でトップスターチョン・ソンイの奇跡のような甘いロマンスを描く。 ドラマ「太陽を抱く月」や映画「10人の泥棒たち」で好演したのキム・スヒョンがト・ミンジュン役を、映画「猟奇的な彼女」などで日本でも知られる女優チョン・ジヒョンがチョン・ソンイ役を演じる大人気ロマンスドラマ。第1話から最終21話を収録。 この商品の日本語字幕は中国人翻訳者に直訳された字幕です。日本のお客様にとって、面白い箇所があるかもしれません。何卒ご理解ください。
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「朝鮮に瓦屋根の家はなく、二階建ては技術的に作れなかった」? まず屋根に「瓦」を使えるのは両班で、瓦屋根の両班の屋敷はイザベラ・バードの朝鮮紀行にも普通に出てきます。 これは琉球等でもそうで、庶民は藁葺、士族は瓦葺。江戸は防火の為に非士族にも瓦屋根が特別に許可されていました。 朝鮮では100間以上の規模の屋敷を持つのは王族に限られました。どんな両班でも王族でなければ99間が限度。そして王宮を「見下ろす」様な二階以上の高さのある住居は作れませんでした。高い建物といえば王宮内の慶会楼(キョンフェル。シナ使節を接待する宴席等で使われた)くらい。 「朝鮮では水車が作れなかった」? 件のコピペでも王が作れと命じた、とあるんだから作る事はできたってこと。通信使の記録でもつくりは繅絲車(いとぐるま)と同じ、と見ており、巨大さや複雑さに感銘を受けている。朝鮮王朝実録でも作ったのは確実なのに何で普及せずに失伝したかと言えば、農地整備がされない上に李朝末期の禿山だらけという状況で、木製の公共物など残りはしないだろう。 一応韓国で水車を初めて作ったのは朴趾源(熱河日記で朝鮮での車の普及しなさっぷりを嘆いた18世紀の実学者)となっており、政争に負けて赴任した慶尚南道の咸陽が「水車村」として有名。
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ユン・ソンシクをお気に入りに追加 ユン・ソンシクのリンク #blogsearch2 ユン・ソンシクとは ユン・ソンシクの44%は言葉で出来ています。ユン・ソンシクの17%は汗と涙(化合物)で出来ています。ユン・ソンシクの16%は華麗さで出来ています。ユン・ソンシクの5%は微妙さで出来ています。ユン・ソンシクの4%は見栄で出来ています。ユン・ソンシクの3%は毒物で出来ています。ユン・ソンシクの3%は月の光で出来ています。ユン・ソンシクの3%は鉛で出来ています。ユン・ソンシクの3%は媚びで出来ています。ユン・ソンシクの2%は黒インクで出来ています。 ユン・ソンシク@ウィキペディア ユン・ソンシク ユン・ソンシクの報道 「哲仁王后」ソル・イナ“久しぶりの時代劇…プレッシャーも感じて緊張もした” - Kstyle 韓流ドラマ『バベル~愛と復讐の螺旋~』のあらすじ・キャスト・視聴方法まとめ(2021年1月5日)|BIGLOBEニュース - BIGLOBEニュース 朝鮮王朝実録がゴシップ?ドラマ「哲仁王后」、歴史歪曲論争に巻き込まれる - WOW! Korea 韓国ドラマ「哲仁王后」のあらすじ、キャスト、最新ニュース|wowKorea(ワウコリア) - WOW! Korea 韓国ドラマ「バベル~愛と復讐の螺旋~」のあらすじ、キャスト、最新ニュース|wowKorea(ワウコリア) - WOW! Korea シン・ヘソン&キム・ジョンヒョン&ペ・ジョンオク&キム・テウ、新ドラマ「哲仁王后」にキャスティング - Kstyle 冬のソナタ またでるよ 冬のソナタ 韓国KBSノーカット完全版 DVD BOX(初回限定 豪華フォトブックレット&スペシャル特典ディスク付) 本当に長い間、待たせてごめんなさい。「冬のソナタ」韓国KBSノーカット完全版をいよいよお届けします。 映像は韓国KBSのオリジナルそのままに、音楽に関してもユン・ソクホ監督が想いを込めて監修し、一部楽曲を変更しました。初回限定特典にはぺ・ヨンジュン 独占インタビュー/ユン・ソクホ監督&田中美里の対談スペシャルDVDの他、DVDオリジナルポストカード、シリアルNo付 豪華フォトブックレット(20P)を封入しております。 今までの日本用編集版よりも約166分長いノーカット映像(本編後のエンドロールも収録!)に加えて、映像特典の【スペシャル短編集】には、ペ・ヨンジュンのスノーボードシーンの撮影風景も収録しています。 【ここが違う!8つのポイント】 ◆今までの日本用編集版よりも約166分長いノーカット映像(本編後のエンドロールも収録!) ◆ファン待望の「ダンシング・クィーン」「白い恋人たち」をついに収録。 ◆日本語吹替を再収録。萩原聖人さん、田中美里さんが担当、その他主要人物もなつかしいあの声で。 ◆本編は日本語字幕に加えて韓国語字幕も収録 ◆一部変更した楽曲をユン・ソクホ監督が想いを込めて監修!(一部BGMはオリジナル版より変更されています) ◆<初回限定特典1>スペシャルDVD:★ぺ・ヨンジュン 独占インタビュー/★ユン・ソクホ監督&田中美里の対談 ◆<初回限定特典2>豪華フォトブックレット:シリアルNo付(20p) ◆<初回限定特典3>DVDオリジナルポストカード3枚 ユン・ソンシクのキャッシュ 使い方 サイト名 URL ユン・ソンシクの掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ ユン・ソンシク このページについて このページはユン・ソンシクのインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新されるユン・ソンシクに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
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トップページ>韓国>国史館論叢 『国史館論叢』108、2006 DL-Site 김남중「古朝鮮の都城:王儉城の位置について」 채미하「新羅の農耕祭祀と「別祭」:『三国史記』祭祀志新羅条を中心に」 김미경「2世紀末~3世紀初高句麗政治勢力の動向と対公孫氏政策」 延敏洙「日本正倉院の百済遺物とその歴史的性格」 鄭景姫「朝鮮初期仙道祭天儀礼の儒教地祭化とその意味」 金暻緑「朝鮮初期宗系辨誣の展開様相と対明関係」 이왕무「朝鮮時代国王の温幸研究」 李憲柱「自主的開国論形成に関する研究」 李賢周「8・15前後朝鮮総督府の政策と朝鮮政治勢力の対応:民族主義右派の選択と国民大会準備会」 『国史館論叢』107、2005 DL-Site 오상학「朝鮮時代地図製作の文化的特性」 鄭演植「朝鮮時代妓役の実態」 呉京厚「朝鮮後期僧役の類型と弊端」 원보영「朝鮮後期地域民間医療体系の発展史」 趙宰坤「1904-1905年露日戦争と国内政治動向」 강명숙「韓日併合以前日本人の平壌浸透」 韓圭茂「韓末韓国人日本観光団研究(1909-1910)」 金度亨「メキシコ地域大韓人国民会の組織と活動」 洪允静「独立運動と飛行士養成」 廉馥圭「1920年代京城都市計画運動の展開と性格」 배석만「太平洋戦争期計画造船と植民地造船鉱業」 『国史館論叢』106、2005 DL-Site 朴辰「紀元前3、2世紀代墓制考察」 尹明喆「韓国の古代文化と海洋南方文化」 金在弘「咸安城山山城出土木簡と村落社会の変化」 朴真淑「渤海の大宰府外交と北陸交易圏の形成」 한정수「高麗時代君主観の二元的理解と政治的象徴」 金澈雄「高麗時代太廟と原廟の運営」 김낙진「高麗時代禁軍の組織と性格:『高麗史』輿服志儀衛条の分析を中心に」 윤용혁「高麗江華都城の城郭研究」 金昌賢「高麗時代江華の宮闕と官府」 金炯佑「高麗時代江華の寺院研究」 金日宇「高麗時代耽羅住民の生業活動とその類型」 김상태「朝鮮前期の水利施設と稲農事」 尹晶「中宗代勲旧派の構成と政治的・社会的属性」 『国史館論叢』105、2004 DL-Site 朴賢淳「朝鮮時期郷罰の内容と推移」 金徳珍「宣祖代戸曹の三手米徴収と別営設置」 呉恒寧「朝鮮後期実録編纂慣例の変化」 이숙희「朝鮮後期吹鼓手制度の形成と展開」 김성준「日帝強占下朝鮮語抹殺政策研究:朝鮮教育令を中心に」 이강수「1948-50年地方親日派粛清活動研究」 林大植「1950-60年代批判的知性の性格」 『国史館論叢』104、2004 DL-Site 장용준「韓国後期旧石器の起源:東北アジア後期旧石器初期遺蹟と比較して」 김종일「韓国中期無文土器文化の社会構造と象徴体系:松菊里遺蹟形成過程についての深層記述(thick description)的接近」 呉永賛「起源前後楽浪郡の支配勢力に関する一研究」 徐程錫「百済泗沘都城の構造」 추명엽「高麗前期関・津・渡の機能と商税」 金蘭玉「高麗後期の流配刑」 任敏赫「廟号の礼制原理と朝鮮の受容」 이상배「朝鮮前期外国使臣接待と明使の遊観研究」 『国史館論叢』103、2003 DL-Site 유영렬「韓国における近代的政体論の変化過程」 鄭誠嬉「大韓帝国期太陽暦の施行と暦書の変化」 김정인「大韓帝国期-日帝強占期侍天教の存在様態と活動」 이상근「高麗人中央アジア強制移住及び定着過程」 이영화「崔南善の文化主義に内包された近代性と親日性」 朴敏泳「庚申惨変の分析研究」 김행선「朝鮮民主愛国青年同盟の路線と第二次米ソ共同委員会推進運動」 『国史館論叢』102、2003 DL-Site 서인범「崔溥『漂海録』研究:崔溥が描写した中国の江北と遼東」 申炳周「「実録形止案」を通じて見た『朝鮮王朝実録』の管理体系」 전경목「朝鮮後期山訟の一事例(Ⅱ):勒葬と私掘を中心に」 沈載祐「朝鮮後期刑罰制度の変化と国家権力」 김경옥「朝鮮後期西南海島嶼に対する国家の政策変化」 廉定燮「18世紀家蔘栽培法の開発と普及」 宋芝媛「正祖代の国家祭礼と楽歌舞研究」 『国史館論叢』101、2003 DL-Site 張傚晶「大同江下流一帯高句麗積石塚の分布現況とその性格」 成正鏞「漢城期百済馬具の編年とその起源」 李漢祥「5~6世紀百済・新羅・加耶墳墓の交叉編年研究」 이용현「慶州月池出土木簡の基礎的検討:報告書分析とナンバリングを中心に」 金昌錫「石戦の起源とその性格変化」 류창규「高麗後期地方勢力の力学構造:在地品官層と郷吏層を中心に」 尹京鎮「高麗後期先生案資料を通じて見た外官制の変化」 81-100 101-120
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「宮」用語一覧 INDEX//あ行/か行/さ行/た行/な行/は行/ま行/や行/ら行/わ・その他 あ行 愛するほどに 悪縁 アヒルと白鳥 アリラン アルカギ アルフレッド アレルギー 翊衛司(イギサ) 一毫不似 便是他人 仁粹大妃(インスデビ) 仁化(インファ) 義愛合(ウィエハブ) 義誠君・義誠大君(ウィソングン/ウィソンテイグン) 外奎章閣(ウェギュジャンガク)図書 宇宙征服 雲峴宮(ウニョングン) 馬よ走れ 上履き 映画鑑賞 王冠のネックレス 王子 王族会 億万長者との契約結婚 男は初恋を胸に刻み 温陽(オニャン)の御用邸 五味子茶(オミジャチャ) オルチャン 玉流川(オンリュチョン) か行 カオリー 鏡の中の私 カササギ 風と共に去りぬ カミラ 仮面パーティー カモメの夢 過猶不及 嘉礼(婚礼の儀) 韓国芸術高校 切符 休憩室 宮中用語 奎章閣(キュジャンガク) 撃毬(キョック) 撃棒(キョッバン) 景福宮(キョンボックン) 木を植えた男 光化(クァンファ) 剖而複合眞吾象 留取雙瓢付子孫 クジョルパン 君付け 国母(クンモ) 君臨すれども統治せず 携帯電話 警備室 ケーキ 結婚指輪 孝経 皇宮 皇后 公主 皇太后 皇太子 皇太子妃 皇太孫 皇帝 公用車 心と心をつなぐ人形 コスモス(トッポッキ屋) 小麦と大麦が育つよ 婚約指輪 さ行 尚宮(サングン) サンチュサム 四書五経 視膳(シソン) 自転車 新行(シネン) 身言牌(シノンペ) 沈清(シムチョン) 霜月の長い夜 ジャージャー麺 乗馬クラブ シルム(相撲) 親迎の礼 シンデレラ族 水正果(スジョングァ) 承政院(スンジョンウォン)日記 スンデ 青春の罠 制服 セレモニー 小笛(ソグム) 席藁待罪(ソッコテジェ) その時、その人 書筵堂(ソヨンタン) ソンテウ た行 太皇太后 体操服(ジャージ) 卵入り辛ラーメン タンポポの綿毛 チェギョンの実家 チェギョン用語 祭祀(チェサ) 済州島(チェジュド)皇室リゾート 茶経 昌徳宮(チャンドックン) 追尊(チュジョン) 翠寒亭(チュハンジョン) チュラロンコン大学 朝鮮王朝実録 宗廟(チョンミョ) 出会いは空に花を咲かせ 太医院(テウィウォン) 泰元殿(テウォンジョン) テディベアミュージアム テリャンナンガム(大略難堪) 転禍為福 天国への近道 天主堂 ドゥイノの悲歌 トゥクトゥク 豆腐人形 同牢の礼 トッポッキ 東宮殿(トングンジョン) な行 内人(ナイン) 夏の宮殿 何よりも大きな空は 内官(ネガン) 内需司(ネスサ) 内命婦(ネミョンブ) 野ばら は行 ハイブリッドなファッション パイ バオバブ パソコン 鉢植え 法度 合房 ハヌル(天) ハムレット ハリー・ポッター パルテノン・マーブル 漢江(ハンガン) パンサ(反射) ピアノ ピーターパン症候群 ファンクラブ プアン・マーライ 府院君(プウォングン) フォトショップ ブタ プライベートの車 フラフープ 百年長擾擾 萬事悉悠悠 恵政宮・恵政殿(ヘジョングン/ヘジョンジョン) 廃位(ペイ) 白蓮茶(ペンニョンチャ) 花香満園亭 亭園満香花 鳳仙花 星の王子さま ポピア・トート 母后(ボフ) ま行 マカオ マッハ! マンドリン 万年筆 蜜柑茶 密水(ミルス) 茗禪堂(ミョンソンダン) ミョンナンピョン(明朗病) ムクゲの花が咲きました 夢魂 目には目を 歯には歯を モムチャン や行 勇者だけが ユンノリ 洋館 羊羹 六十風輪轉眼飜 濃桃春色似新婚 ヨガセンター ヨルゴン(熱工) 永慕殿(ヨンモジュン) ら行 ラーマキエン 立憲君主制 ロイヤル・バレエ・スクール ロザライン 論語 わ・その他 鷲 私はあなたの瞳から ワンジャッピョン(王子病) 2500万年 3大ウソ H・R KOCECO PX ↑Page TOP
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食器とか 食器 「スケキヨ丼」? ご飯から魚の尾が飛び出た料理がそう言ってネタにされてるが、日本でもあった料理である。 電気炊飯器の無い時代、均等に火力・蒸気が回る訳ではないし、そのまま飯の上に置いても皮が貼付く。だからある程度飯が炊けた状態で、魚を頭/尾から突っ込み、蒸らして火が通ったら頭/尾を手で持って皮や骨を外し、身を解して混ぜて食べる。(上述のスケキヨ丼にしても調理途中=身を解す前の図である)。 江戸時代の『名飯部類』では「いわし飯」を尾から突っ込んで作っているし、同様に『素人庖丁』でも別法として頭を落としたイワシを頭から突っ込んだ(尻尾が出た)「鰯飯」が掲載されている。池波正太郎の剣客商売では鮎飯を同様の調理法で作っているが、これは何を典拠にしたかは未確認。 「塩の製造は明/清に管理されて不可能だった」? 朝鮮王朝実録に「鹽田」(塩田)が出てくるし、明/清側にもそんな命令の記録なし。製塩の効率が悪く、インフラ未発達だったので(場所によって)高価な国産塩と安価なシナ塩が混在してるのが朝鮮末期〜併合時代の日本の記録でも分かる。 「王宮では中華料理を食べていたので、朝鮮宮廷料理なんてものはない」? 宮本小一の記録でも出されたのが中華料理でないのは明らか。油を使う調理法だけでも炒爆炸煎燴の五種類ある中華料理が朝鮮の調理器具で再現できるか? →宮廷料理について(別項) 「焼肉は最近の韓国料理。肉食の習慣が無かった日本で戦後内臓食を広めたのは在日」? 万葉集の昔から肉も内臓も食べてるし、平安貴族が仏教に従って肉食禁した後も、武士や平民は手に入る肉を食べてた。江戸には肉を食わせる店が普通にあった(江戸市民の全てが馴染んだ訳ではないだろうし、江戸以外での普及は地域に拠っただろうが)。戦時中の物価統制令にも内臓の値段が規定されてる=一般に流通していた。 この辺は『焼肉の文化史』(明石書店)一読のこと。 「犬は苦しめて殺した方がうまくなると言って棒で殴って屠殺する」? ソース不明。牛肉の嵩ましの為に内出血をさせる、という話ならイザベラ・バードの『朝鮮紀行』に出てくる。 韓国では家畜としての犬(ヌロンイ)を飼ってるので、大量に飼ってるそれをいちいち殴り殺してたらとんだ労力なのだが。 「味噌、醤油ryを韓国起源食品として世界にPRしている」? 事実。…が、一部翻訳の所為で言いがかりになってる物もある。 味噌…韓国語では甜醤/テンジャンでシナから伝わって半島独自に発展したもの(中国の甜麺醤はこれに麺=小麦粉を混ぜて発展したもの)。テンジャンは大豆を完全には潰さない・コメを入れない・味噌玉で作る所が八丁味噌に近い。オンドル部屋で菌を繁殖させる。 醤油…韓国語ではカンジャン。↑の味噌玉(メジュ)を甕に入れて塩水を加え、青天下で毎日蓋開けてかき混ぜて熟成させる。こうすると味噌の方は保たなくなるのですぐ食べる。 原文がテンジャン・カンジャンなのに味噌・醤油と訳す事で、日本の味噌醤油を韓国のそれとしているかのようなミスリードがあるので、これは注意が必要。 梅酒なんかもそうで、韓国の梅実酒(メシルチュ)という焼酎に梅を漬けた薬用酒みたいなものを、「梅酒」と和訳して誤解を招いたり。
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{{基礎情報 君主 | 人名 = 純宗 | 各国語表記 = Template lang? | 君主号 = 大韓帝国皇帝 | 画像 = 2-1.jpg | 画像サイズ = 200px | 画像説明 = | 在位 = 1907年7月20日 - 1910年8月29日 | 戴冠日 = 1907年7月20日 | 別号 = 隆煕皇帝昌徳宮李王 | 全名 = 李Template lang? | 出生日 = 1874年3月25日 | 生地 = | 死亡日 = Template 死亡年月日と没年齢? | 没地 = 朝鮮、京城府、昌徳宮 | 埋葬日 = 1926年6月10日 | 埋葬地 = 朝鮮、京畿道南楊州市金谷洞、裕陵 | 継承者 = 李垠 | 継承形式 = 皇太子王世子 | 配偶者1 = 純明孝皇后 | 配偶者2 = 純貞孝皇后 | 子女 = | 王家 = 全州李氏 | 王朝 = 李朝(朝鮮王朝) | 王室歌 = | 父親 = 高宗 | 母親 = 明成皇后閔氏 }} 純宗(じゅんそう、スンジョン、Template lang?、1874年3月25日(高宗11年2月8日) - 1926年4月24日)は、李氏朝鮮時代の第27代国王もしくは大韓帝国の第2代皇帝で、朝鮮王朝最後の王および大韓帝国最後の皇帝(在位:1907年7月20日 - 1910年8月29日)。併合後は大日本帝国の初代李王。姓を李、名をTemplate lang?(せき)、字を君邦(クンバン、Template lang?)、号を正軒(チョンホン、Template lang?)、諡号を文温武寧敦仁誠敬孝皇帝と言う。在位時の年号をとって隆煕皇帝と呼ぶこともある。 系図 先帝、高宗の長男。母は、明成皇后閔氏。純明孝皇后・閔氏 ref name= 病気 純明皇后は腹が腫れた病気にかかり、女医たちの診断は「ご懐妊」とのことだっが、誤診とわかり、その後名医には、悪霊がすみついたとの判断された。悪霊を取り払うべく城門の戸板をはがして煎じ飲ませたが、その効果は無く他界し、女医達も皇后が他界する直前に逃亡した。と後妻に純貞孝皇后・尹氏が居たが、子は居なかった。 略伝 1874年に産まれ、翌年には王世子(世継ぎ)として冊封され、1882年閔氏と婚礼の儀を挙げている。1897年大韓帝国成立により皇太子と改称された。 1907年7月20日、高宗がハーグ密使事件により日本の意を受けた李完用らに迫られて譲位したため、ただちに即位したが、事実上親日派勢力の傀儡に過ぎなかった。純宗には子がないため、皇太子には異母弟の英親王(李垠)が冊立された。 7月24日、第三次日韓協約によって、日本は韓国統監府の機能を強化し、国政への干渉を始め立法権・司法権などに干渉出来るようにした。8月1日には韓国軍は解散になる。このため、義兵運動に身を投じる軍人が増え、反日義兵闘争が活発化した。 1909年に入ると日韓併合の動きが強まり、李完用首相は一進会などの親日派勢力の後押しを受けて日本政府との間で韓国併合の話を進め、1910年8月22日、日韓併合条約を調印。8月29日に両国皇帝の裁可をもって条約は発効し、大韓帝国は滅亡、日本の朝鮮総督府の統治下に入った。 大韓帝国(朝鮮王朝)消滅後の純宗は、ソウルの昌徳宮に住み、李王として王族に封じられた。1926年4月25日、52歳で薨去した。日本の王公族昌徳宮李王坧として1926年(大正15年)6月10日に国葬が執り行われた。国葬日には万歳(マンセー)事件(6・10独立運動)も起こったが、3・1独立運動ほどには盛り上がらなかった。御陵は裕陵である。 関連項目 朝鮮の君主一覧 脚注 _ 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月17日 (水) 14 44。
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トップページ>東アジア・東洋>韓日関係史研究 『韓日関係史研究』40、2011.12 企画論文:日本歴史教科書の分析と歴史教育の実態:2011年検定通過日本歴史教科書を中心に 孫承喆「日本歴史教科書歪曲の史的展開と対応」 남상구「2011年日本中学校教科書問題検討」 김보한「2011年度自由社歴史教科書東アジア叙述の変化と特徴:前近代教科書内容を中心に」 森晋一郞「日本の教科書における日韓関係史:朝鮮王朝時代(14世紀末-18世-紀)に焦点をあてて」(日) 최영호「2011年検定通過日本歴史教科書の近代叙述に表れた変化と特徴:韓日関係関連叙述を中心に」 辛珠柏「『韓国史』教科書における東アジアの歴史と歴史教育:韓国近現代史を中心に」 玄明喆「韓・日歴史葛藤の根を探して:韓日関係の変化と総督府観光朝鮮史記述検討を中心に」 一般論文 羅幸柱「倭国の対韓半島政策:「任那の調」政策の展開過程」 『韓日関係史研究』39、2011.8 엄찬호「古地図を通じて見た韓・中・日境界認識の変化」 남의현「元・明交替期韓半島北方境界認識の変化と性格:明の遼東衛所と三衛(東寧・三萬・鉄嶺)を中心に」 김보한「中近世日本人の朝鮮に対する境界認識考察」 閔徳基「中・近世東アジアの海禁政策と境界認識:東洋三国の海禁政策を中心に」 韓文鍾「朝鮮の南方地域と日本に対する境界認識」 柳在春「中・近世韓・中間国境緩衝地帯の形成と境界認識:14世紀15世紀を中心に」 孫承喆「中・近世朝鮮人の島嶼経営と境界認識考察」 申東珪「江戸時代後期日本経世論家の蝦夷地に対する侵奪的認識考察」 洪性和「百済と倭王室の関係:王室間婚姻関係を中心に」 河宇鳳「東アジア国際戦争としての壬辰倭乱」 朴漢珉「1878年豆毛鎮収税をめぐる朝日両国の認識と対応」 『韓日関係史研究』38、2011.4 延敏洙「輔国将軍・本国王と金官国」 白承玉「古代蔚山の歴史地理的性格と朴堤上」 尹明喆「蔚山の開港都市的性格と国際港路:新羅と関連して」 小宮秀陵「8世紀新羅・渤海の情報伝達と日本の対唐外交:遣唐使研究の批判的検討のために」 李薫「費用から見た交隣儀礼:1811年辛未通信使派遣時礼物交換を中心に」 김수희「開拓令期鬱陵島と独島に渡った巨文島の人達」 James B. Lewis, 지영해 翻訳「大英博物館所蔵1748年朝鮮通信使行列絵巻」 洪性徳「『朝鮮王朝実録』韓日関係史翻訳検討」 金宗植「1910年代植民地朝鮮関連日本国内政治議論の一様相:帝国議会の植民地朝鮮制令立法過程を中心に」 『韓日関係史研究』37、2010.12 金東哲「朝鮮後期統制と交流の場所、釜山倭館」 孫承喆「朝鮮時代『行実図』に表れた日本の表象」 허지은「近世対馬の幕府への情報報告と流通」 정예정「草梁客舎造営に関する研究」 鄭成一「日本人に偽装した琉球人の済州漂着:1821年恒運等20人の漂着事件」 김동명「1929年慶尚南道道評議会予算案返上事件研究」 『韓日関係史研究』36、2010.8 洪性和「4-6世紀百済と倭の関係:『日本書紀』内の倭の韓半島派兵と百済・倭の人的交流記事を中心に」 韓文鍾「朝鮮前期倭使の宴享接待と女楽」 이승민「朝鮮後期対馬島求貿の概念と実態」 양흥숙「朝鮮後期通信使に随行した謹官の構成と役割:掌務官と乾粮官を中心に」 中村修也「白村江戦闘以後の日本社会」 이영「東アジア国際秩序の変動と倭寇:14世紀後半から15世紀初を中心に」 閔徳基「壬辰倭乱の「戦後処理」と東アジア国際秩序の変動」 趙明哲「清日・露日戦争の戦後処理と韓国問題」 남상구「日本の「戦後処理」と植民地問題」 『韓日関係史研究』35、2010.4 申東珪「日本の中世的世界観から近世的世界観への変化と朝鮮の伝統的世界観変化についての比較考察」 김문자「日本大河ドラマに見られる秀吉像:「利家とまつ」と「功名が辻」を中心に」 박정민「朝鮮初期の女真関係と女真認識の固着化」 李尚奎「仁祖代前半問慰行研究」 岩方久彦「憲宗代大坂易地通信交渉と朝鮮の対応策」 朴炳渉「日本人の第3次鬱陵島侵入」 남상구「韓国・韓国人と靖国神社問題」 『韓日関係史研究』34、2009.12 洪性和「石上神宮七支刀についての一考察」 박재용「『日本書紀』に引用された『百済記』」 이영「唐津鏡神社所在高麗水月観音図の由来」 韓文鍾「『海東諸国紀』の倭人接待規定と朝日関係:三浦における接待規定を中心に」 閔徳基「壬辰倭乱期朝鮮の北方女真族に対する危機意識と対応策:「南倭北虜」という側面から」 李薫「朝鮮後期対日が以降窓口関連「実務文書」の数量と収録実態:『分類紀事大綱』の収録文書を中心に」 김경남「1930・40年代戦時体制期釜山市街地計画の軍事的性格」 곽진오「日本人と靖国神社:参拝と反対における神社をめぐる性格糾明に関する研究」 『韓日関係史研究』33、2009.8 鄭在貞「韓日歴史教科書問題の史的展開:歴史教科書研究と歴史教科書対話に焦点を合わせて」 金恩淑「戦後日本の教科書検定制と歴史教科書:家永教科書裁判を中心に」 이재석「「新しい歴史教科書をつくる会」の日本古代史構想の特質と問題点:自由社教科書と扶桑社「教師用指導書」を中心に」 孫承喆「『日本人の歴史教科書』(自由社)の近世韓国史関連叙述と日本近世史像」 辛珠柏「自由社版中学校歴史教科書の現代史認識」 韓成周「朝鮮前期「字小」についての考察:対馬島倭人及び女真勢力を中心に」 김흥수「雲揚号事件と伊藤博文」 金宗植「近代日本内務完了の朝鮮経験:丸山鶴吉を中心に」 『韓日関係史研究』32、2009.4 尹永水「近江朝以前の文学と政治:文学を中心に」 허지은「近世対馬朝鮮語通事の情報収集経路と内容」 洪性徳「朝鮮後期通信使随行医員について」 鄭成一「海南大芚寺僧侶の日本漂着と体験(1817-1818)」 하종문「帝国の統合機制としての天皇制とその変化」 『韓日関係史研究』31、2008.12 이연심「「倭系加耶官僚」を媒介にした安羅国と倭」 이영「高麗末倭寇と南朝:庚申年(1380)の倭寇を中心に」 張舜順「朝鮮後期対日交渉における尹趾完の通信使経験と影響」 김동명「植民地時期茶の文化接変」 김주용「満州地域間島特設隊の設立と活動」 윤성익「戦前・戦中期日本における倭寇像構築」 남상호「「大東亜戦争」と『大東亜概説』編纂」 『韓日関係史研究』30、2008.8 鄭在貞「 総論 2007年度検定合格日本歴史教科書の韓日関係記述と問題点」 延敏洙「古代韓半島文化の日本伝来:2007年度検定高等日本史教科書を中心に」 이재석「古代史叙述の特徴と問題点:2007年検定高校「日本史」教科書を中心に」 김보한「中世の倭寇:学術成果と高校教科書を中心に」 李薫「近世韓日関係」 박재광「壬辰倭乱:日本高等学校歴史教科書分析」 玄明喆「開港期日本歴史教科書叙述の検討」 鄭在貞「日本史教科書に記述された植民地支配と民族運動:2007年度検定合格本の場合」 許東賢「アジア・太平洋戦争期(1931-1945)」韓国関連叙述の分析:2007年度検定高校日本史を中心に」 남상구「日本歴史教科書の日本軍「慰安婦」記述変化」 오일환「北韓核・日本人拉致問題関連記述の分析」 金恩淑「日本「世界史」教科書の前近代韓国関連叙述分析:2007年度検定本を中心に」 김문자「壬辰倭乱期日本史料研究:豊臣秀吉の朝鮮侵略関連史料を中心に」 최종길「植民地朝鮮と治安維持法の適用:1926・1927年を中心に」 『韓日関係史研究』29、2008.4 나행주「新羅と「任那の調」:新羅側から見た従来説批判」 宋浣範「9世紀日本律令国家の転換と百済王氏の変容:日本律令国家研究のための提言」 延敏洙「国史教科書の古代東アジア叙述と認識」 허지은「対馬島朝鮮語通詞の成立過程と役割」 金剛一「朝鮮後期倭館の情報収集に関する研究:『分類紀事大綱25』「風説之事」を中心に」 方琪喆「栗谷李珥の対日認識」 곽진오「日本の対韓経済政策と韓国の立場:1960-1970年代を中心に」 『韓日関係史研究』28、2007.12 李鍾書「高麗~朝鮮前期鶴城李氏の地域内位相と役割」 이현호「朝鮮初期対日関係と通信使についての歴史教育方案:李芸を中心に」 이명훈「朝鮮王朝実録の蔚山人」 韓文鍾「朝鮮初期の向化倭人と李芸」 김영미「日帝末期(1938-1945)江原地域軍人動員についての研究:動員の事例と実態を中心に」 유지아「戦後在朝日本軍の武装解除過程において形成された韓米日関係」 남상호「生活・組織の中の総力戦/日本」 『韓日関係史研究』27、2007.8 孫承喆「『海東諸国紀』の史料的価値」 柳在春「『海東諸国紀』の中の三浦を中心にした軍事防御について」 심보경「『海東諸国紀』地名に反映された韓日中世語表記法」 엄찬호「『海東諸国紀』の歴史地理学的考察」 申東珪「『海東諸国紀』から見た中世日本の国王観と日本国王使の性格」 李薫「朝鮮後期東萊府と倭館の意思疎通:両訳関連「実務文書」を中心に」 岩方久彦「1876年修信使研究:高宗の旧好回復論を中心に」 정애영「「併合事案」を通じて見た韓国併合認識:中井喜太郎を中心に」 현진덕「日本と中央アジア関係の歴史的展開過程」 『韓日関係史研究』26、2007.4 延敏洙「6-7世紀高句麗の対倭関係」 金恩淑「7世紀東アジアの国際関係:隋の登場以後百済滅亡までを中心に」 이영「14世紀の東アジア国際情勢と倭寇:恭愍王15年(1366)の禁倭使節の派遣を中心に」 하태규「壬辰倭乱初期全羅道官軍の動向と湖南防御」 金徳珍、변광석、李薫、鄭成一、池内敏「外交と経済:朝鮮後期通信使外交と経済システム:通信使礼単を通じて見た朝日外交の特徴とその変化」 이상규「17世紀初中盤倭学訳官洪喜男の活動:通信使派遣時随行訳官活動を中心に」 金宗植「1919年日本の朝鮮問題に対する政治過程:人事と官制改革を中心に」 김광열「被強制動員韓人生死不明者についての韓日両国の戦後処理」 辛珠柏「韓日間の流動する国民的記憶:歴史教科書における安重根義挙と伊藤博文狙撃事件、そして「韓国併合」関係(1945-2007)」 『韓日関係史研究』25、2006.10 이재석「日本の歴史事典・概説(論)書に見える古代韓日関係」 孫承喆「高麗朝鮮前期韓日関係史記述の共通点と差異点」 洪性徳「日本歴史概説書及び事典類叙述内容分析:壬辰倭乱及び通信使叙述内容を中心に」 玄明喆「日本概説書と事典類の開港期記述分析:1860年代から露日戦争前まで」 김동명「日本史概説書及び事典類の韓日関係叙述の問題点:露日戦争から第2次世界大戦終結まで」 최영호「日本史事典と概説書の戦後現代史叙述に表れる問題点」 송완범「8世紀中葉「新羅征討」計画から見た古代日本の対外方針」 한승희「己亥通信使に対する各藩の御馳走役:岡山藩の接待を中心に」 申東珪「前近代日本の西洋異国船漂着処理」 엄찬호「清日戦争に対する朝鮮の対応」 趙成雲「1920年代初日本視察団の派遣と性格(1920-1922)」 金仁徳「在日本朝鮮人連盟「第5回全体大会」についての小考」 『韓日関係史研究』24、2006.4 延敏洙「神功皇后伝説と日本人の対韓観」 정지연「朝鮮前期対日私貿易研究:太祖~成宗代を中心に」 韓文鍾「壬辰倭乱時の降倭将金忠善と『慕夏堂文集』」 이상규「17世紀前半倭学訳官康遇聖の活動」 윤성익「「後期倭寇」としての乙卯倭変」 곽진오「戦後日本の在日同胞国籍処理問題考察」 閔徳基「朝鮮後期対日通信使行が期待した反対給付:日本から受けた私礼単の処理と関連して」 孫承喆「1696年、安龍福の第2次渡日公述資料:『元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書』について」 류종현「日本清見寺所蔵通信使の遺墨調査報告」 書評 김동철「田代和生(鄭成一 訳)『倭館』논형、2005年」 『韓日関係史研究』23、2005.10 남기훈「17世紀朝日両国の鬱陵島・独島認識」 閔徳基「金仁謙の『日東壮遊歌』に見る対日認識:趙曮の『海槎日記』との比較を通じて」 심민정「朝鮮後期通信使員役の選抜実態に関する研究」 岩方久彦「1811年対馬島僻地通信研究:羈靡策を中心に」 玄明喆「明治政権と独島」 이송희「日帝下釜山地域日本人社会の教育(1):日本人学校設立を中心に」 新川登亀男、나행주 訳「聖徳太子:その格闘と創造」 『韓日関係史研究』22、2005.4 김문자「情報、通信と壬辰倭乱」 申東珪「「VOC」の東北アジア進出に見える朝鮮貿易の断絶と日本貿易維持政策」 이승민「朝鮮後期対日貿易商の弊害と己巳約條(1809)の締結」 김수희「漁業根拠地建設計画と日本人集団移民」 남상구「戦後日本における戦没者追悼使節をめぐる対立:靖国神社と千鳥ケ淵戦没者墓苑を中心に」 李光来「日本現代史を解読する:『坂の上の雲』と「坂の下の沼」」 『韓日関係史研究』21、2004.10 韓文鍾「朝鮮前期日本国王使の朝鮮通交」 孫承喆「松雲大師(四溟堂)対日使行の外交史的意味」 閔徳基「崔天宗殺害事件から見た19世紀中盤通信使の対馬島認識」 李薫「1836年、南膺中の乱入事件取り扱いと近世倭館」 김동명「日帝下「同化型協力」運動の論理と展開:崔麟の自治運動の模索と挫折」 김주용「満州保民会の設立と「鮮満一体化」」 1-20 21-40 41-60