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その年のセントラルとパシフィックの優勝チームが戦い日本一を決める。7戦中先に4勝した方が優勝となる。 2005年のセントラルの優勝チームは阪神タイガースであり、そのファンの数は12球団一でとってもじゃないけど日本シリーズチケットは買うことができない。
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日本シリーズの結果 該当日を通過時に発生。 日本シリーズの結果予想を的中させた選手のテンションが上がる。 TOP > 栄冠ナイン編 > イベント攻略(栄冠編)
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登録日:2019/12/22 (日曜日) 08 26 00 更新日:2020/12/31 Thu 15 58 16 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 1975年 山口高志 広島市民球場 広島東洋カープ 日本シリーズ 阪急ブレーブス 阪急西宮球場 この項目では、1975年のプロ野球日本シリーズの死闘を紹介する。 球団創設以来初の日本シリーズ出場を果たした広島東洋カープと、近鉄バファローズとのプレーオフを制した阪急ブレーブスとの対決となった。 この日本シリーズで阪急は4勝2分と、広島に1勝もさせないまま球団創設以来初の日本一に輝くこととなるのであった。 また、この年からパシフィックリーグでは指名打者(DH)制が採用されていたが、日本シリーズでは採用されていない。日本シリーズでのDH制採用は1985年まで待つことになる。 日本シリーズとしては第26回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。 出場チーム 阪急ブレーブス 監督:上田利治 1975年の阪急は、前年就任した上田監督の元、充実した戦力で日本シリーズ出場を果たした。 リーグ最強の1番打者である福本豊、無類の勝負強さを誇る3番打者・加藤秀司に加え、DH制導入により不動の4番・長池徳士が指名打者として定着(*1)。新外国人のウイリアムスとマルカーノを加えた打線は破壊力抜群であった。 一方の投手陣では、アンダースローの大投手山田久志が不調ながらも引き続きエースとして活躍。更に新人の山口高志が野村克也をして「誰よりも速いストレート」と言わしめる直球を武器に先発を支えた。 チームの成績としては前期優勝(*2)であったが、後期優勝した近鉄とのプレーオフを制し日本シリーズ出場を決めた。 阪急は前監督である西本幸雄の元黄金時代を築き、1967~69・71・72年とリーグ優勝を果たしてきたが、日本シリーズの相手はいずれも読売ジャイアンツ。しかも川上哲治監督の元、日本シリーズ9連覇を達成することになる最強の時代であった。 阪急も善戦はしたが、5度の挑戦でいずれも敗退。日本一は絶対に達成したい目標であった。 広島東洋カープ 監督:ジョー・ルーツ→(シーズン途中から)古葉竹識 長らく低迷が続いていた広島であったが、巨人の衰退と入れ替わるかのように、一気に黄金時代を築くことになった。1975年はその最初の年である。 監督はアメリカから招聘したジョー・ルーツでスタートし、彼の要望で球団カラーも赤へと変更された。今に繋がる赤ヘル軍団の誕生である。 ところが、肝心の監督が日米の野球観の違いからトラブルを連発。なんと4月30日に辞任してしまう。 変わって指揮を執ったのがコーチを務めていた古葉竹識であった。すると育ってきた選手層が結果を残していき、初のリーグ優勝を達成した。 選手では衣笠祥雄・山本浩二等が台頭。 主な試合内容 第1戦 阪急 3-3 広島(延長11回引き分け) 阪急はアンダースローのベテラン足立光宏、広島は3度のノーヒットノーラン(うち完全試合1回)を達成したエース外木場義郎を先発に送った。 広島が初回ゲイル・ホプキンスのタイムリーで先制するも、その裏阪急は大熊忠義のソロホームランで同点に追いつき、さらにボビー・マルカーノの2ランで勝ち越した。 その後広島は5回に三村敏之の犠牲フライで1点差に迫り、さらに8回には山本浩二のソロで同点に追いついた。 その後8回1死で阪急はこの年新人王の剛腕・山口高志を、広島は9回に金城基泰をリリーフに送り、両投手とも1点も許さない好投を見せた。 試合は結局引き分けのまま時間切れとなり、当時の日本シリーズ最長試合時間記録を更新した(4時間29分)。 第2戦 阪急 5-1 広島 勝 山田 負 佐伯 阪急はこの年不振だったエース・山田久志を、広島が佐伯和司を先発に送った。 阪急が初回、世界の盗塁王・福本豊が四球で出塁後すぐさま盗塁を決め、長池徳二のタイムリーで早くも先制する。 さらに5回に福本・大熊の連続タイムリーで3点を奪い、佐伯を降板させると、2番手・池谷公二郎からもバーニー・ウイリアムスのタイムリーで1点を奪った。 山田は公式戦の不調が嘘のような好投を見せ、リッチー・シェインブラムのソロで1点は失ったものの、悠々3安打完投勝利を収め、自身日本シリーズでの初勝利を決めた。 第3戦 広島 4-7 阪急 勝 山口 負 宮本 広島市民球場に舞台を移しての第3戦は、阪急が山口、広島が金城と第1戦のリリーフ投手同士が先発することになった。 阪急は2回、金城の立ち上がりを攻めて5安打を集中し3点を奪い、3回にも大橋譲のタイムリーで1点を加え、金城をマウンドから引きずりおろした。 一方山口も5回まで広島打線をノーヒットに抑えるも6回山本浩に2ランを浴び、7回には三村のタイムリーで同点に追いつかれてしまう。 しかし阪急は9回、広島の4番手・宮本幸信から世界の代打男・高井保弘がヒットを放ち、続く中沢伸二・大橋の連続ホームランで3点を奪って勝ち越しに成功し、その裏も山口が逃げ切った。 山口は結局157球を投げ抜き完投勝利を収め、阪急が2連勝を飾った。 第4戦 広島 4-4 阪急(延長13回引き分け) 雨で一日流れた第4戦は、阪急足立、広島外木場という第1戦と同じ組み合わせとなった。 阪急が2回森本潔のソロで先制するも、広島はその裏山本浩、山本一義の2本のソロで逆転し、3回にも山本浩のタイムリーで1点を挙げた。 しかし阪急も7回に1死満塁のチャンスを作ると、加藤秀司の内野ゴロで1点を返し、さらに長池のタイムリーで同点に追いつく。 ここで阪急は、何と中1日で完投したばかりの山口をリリーフに送った。現代ならあり得ない継投であるが、当時はこういうことがあり得たのである。 試合はまたも延長戦に突入、阪急は13回に投手の山口が自らタイムリーを放って1点を勝ち越すも、その裏1死満塁のピンチを招いてしまう。そして、代打・佐野嘉幸のヒットで3塁走者が生還するも2塁走者・木下富雄がタッチアウトとなり、そのまま第1戦と同じく時間切れ引き分けとなった。 山口は結局中1日で7回110球を投げ、そして外木場は実に200球を投げぬき13回を完投した。試合時間は4時間49分となり第1戦の記録を更新することとなった。 第5戦 広島 1-2 阪急 勝 山田 負 佐伯 セーブ 山口 阪急が勝てば日本一に王手がかかる第5戦は阪急山田、広島佐伯という第2戦と同じ先発投手となった。 広島が2回、ここまで16打数1安打と絶不調だった衣笠祥雄のソロで1点を先制するも、阪急も大熊のタイムリーで同点に追いつく。さらに4回、1死からマルカーノ・森本・河村健一郎の3連打で佐伯をマウンドから引きずりおろすと、代わった金城から大橋がスクイズを決めて勝ち越した。 山田は第2戦同様広島打線を丁寧に抑え、6回には福本にファインプレーが飛び出すなどバックの援護も大いに受けた。 9回に山田がホプキンス・山本浩に連打されると、阪急ベンチはなんとここでも山口をリリーフに送った。山口は首脳陣の期待に応え広島の攻撃を退けた。 阪急は引き分けを挟んでの3連勝で、ついに日本一に王手をかけた。 第6戦 阪急 7-3 広島 勝 戸田 負 池谷 セーブ 山口 西宮球場に戻っての第6戦、日本一に王手をかけた阪急は中2日の足立を、もう後がない広島はシリーズ初先発の池谷を先発に送った。 2回広島が道原博幸のタイムリーで2点を先行し、その裏阪急も大橋のタイムリーで1点差に迫った。 阪急は4回2死から池谷を捉え、中沢が逆転2ランを放つ。さらに福本のタイムリーで1点を奪い、4番手・渡辺弘基から加藤がタイムリーを放って2点を挙げた。 阪急は2回から戸田善紀が好投、5回まで許したランナーは2人だけだった。6回先頭のシェーンにヒットを許したところで降板、リリーフにはまたも山口が上がる。 山口は8回にホプキンスにソロを浴びるも後続を抑え、その裏には自らタイムリーを放って失点を帳消しにする活躍を見せた。 山口は4イニングを1点に抑え、ここに阪急ブレーブスは悲願の日本一を達成した。 シリーズMVPには1勝2セーブと大車輪の働きを見せた山口(新人投手としては初の受賞)が選ばれ、打撃賞には打率.368の大橋、最優秀投手には2勝の山田、優秀選手賞には2本塁打の中沢と2試合で21回2/3、合計324球を投げた外木場、技能賞には第5戦で超ファインプレーの福本、敢闘賞に2本塁打で打率.333の山本浩が選ばれた。 備考 1975年は、前年で巨人のV9が終わり、パ・リーグではDH制が導入され、セ・リーグでは広島が初優勝するなど、これまでのプロ野球界からの変化の兆しが多く見られた年である。 広島はこの後1979年の日本シリーズではかの有名な「江夏の21球」で日本一を達成。セ・リーグの覇者交代を印象づけた。 ただし、パ・リーグの人気低迷は留まるところを知らず、ロッテオリオンズに至っては特定の本拠地を持てない状態が続く有り様であった。 阪急はこの年からリーグ4連覇を達成し再び黄金時代を築くものの、それが収益の増加に繋がらなかったことが痛手となり、後のオリックスへの身売りに繋がっていく。 またまさしく彗星のごとく現れ大活躍した山口高志であったが、そのストレートは小柄な体に大きな負荷をかけて初めて投げられるものであった。 故にこれ以降は故障がちになり、選手生命は短いものとなったが、その後藤川球児にストレートの指導をして才能を開花させることになる。 なお2019年現在、2度引き分けた日本シリーズはこれが唯一である。 追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] うーん、なんかイマイチ何が言いたいのかよくわからん記事。単に試合結果を書き連ねたいだけなの?何かしら「この年の日本シリーズはここがすごかった!」っていう語りたいポイントはないの? -- 名無しさん (2019-12-22 09 54 33) ↑作成者ではないですが、強調するポイントとしては「今まで巨人に辛酸をなめさせられ続けた上、前年はPOで負けて日本シリーズを逃した阪急悲願の日本一」「唯一の二度引き分け」「短命に終わったがストレートの力強さで名高い山口高志の活躍」といったところではないでしょうか。 -- 名無しさん (2019-12-22 20 19 22) ↑それならできればその辺を強調して書き直して欲しい。淡々と事実だけ書くならそれこそウィキペディアでも十分だし。現状はルール違反ではないにしても、作成者が何を伝えたいのかがあまりにぼんやりしすぎていると思う。 -- 名無しさん (2019-12-22 20 58 27) ↑分かりました。ただ、自分はこの日本シリーズを見たことがない上に、広島側の事情について今一つ詳しく書ける自信がないので、適宜追記をお願いします…。 -- 名無しさん (2019-12-22 21 19 06) 野球好きだけど正直劇的な何かがあったわけでもないし追記することがないな… -- 名無しさん (2019-12-23 10 07 38) 名前 コメント
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登録日:2012/03/29 Thu 23 10 07 更新日:2024/02/03 Sat 12 15 45NEW! 所要時間:約 3分34秒で読めます ▽タグ一覧 2005年 33-4 33対4(笑) NHK なんJ なんでや!阪神関係ないやろ! な阪関無 やめたげてよお! プロ野球 ロッテのおもちゃ! 凌辱 千葉ロッテマリーンズ 圧勝 完敗 悲劇 惨敗 日本シリーズ 白い霧事件 負ける気せぇへん、地元やし 野球 阪神タイガース 馬鹿試合 黒歴史 NEVER NEVER NEVER SURRENDER BUILDING OUR DREAM!〜夢をみんなで〜 概要 PREVIOUS 2004年日本シリーズ NEXT 2006年日本シリーズ この項目では、2005年のプロ野球日本シリーズの激闘を紹介する。 この年、JFKを擁した阪神タイガースは、セ・リーグを制し、2年前に果たせなかった日本一を目指して日本シリーズへと臨んだ。 一方ボビー・バレンタイン監督の元、シーズン2位からプレーオフを勝ち上がり優勝した千葉ロッテマリーンズはその勢いのまま日本シリーズに挑んだ。 日本シリーズとしては、第58回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。 直前の勝敗予想ではこの年の交流戦でロッテが3勝、阪神が2勝の1分けとほぼ互角の対戦成績だった為に、この日本シリーズもほぼ互角の予想がされていたのだが……。 試合結果 第1戦(10月22日・千葉マリンスタジアム) ロッテ 10x‐1 阪神 勝 清水直行 負 井川慶 ※7回裏一死時点で日本シリーズ史上初の濃霧コールド 試合詳細 第1戦はロッテが10勝の清水直行、阪神は交流戦でのロッテ相手の完封勝利を含む13勝の井川慶の両先発。 しかし1回に井川がいきなり今江敏晃にソロHRを被弾する不穏なスタートとなると、藤本敦士の犠牲フライで一旦は同点に追いついたもののその後4点を追加され6回終了時点で5-1となり降板。 代わってこの年のリリーフ陣を支えた「SHE」の「H」・橋本健太郎が登板するも一死から里崎智也とベニー・アグバヤニに立て続けに本塁打を打たれる炎上。 しまいには千葉県北西部が球場を覆うほどの濃霧に見舞われ、これ以上の続行は危険と判断され7回一死でコールドとなった。 ロッテ・清水は「阪神ファンが何かしでかしたのかと思った」と語った。 第2戦(10月23日・千葉マリンスタジアム) ロッテ 10‐0 阪神 勝 渡辺俊介 負 安藤優也 試合詳細 阪神は今岡誠(*1)が初回にエラーを出して失点するとその後も試合を通してアンディ・シーツ、金本知憲、今岡のクリーンナップが無安打に終わるなど低空飛行。 対するロッテは6回にサブロー、マット・フランコ、李承燁のHR3発が一気に出たほか今江が第1戦に続いて4打数4安打をマークする絶好調ぶりで阪神を寄せ付けず、渡辺俊介の4被安打完封勝利で連勝した。 日本シリーズでの複数試合連続2桁得点は史上初。 第3戦(10月25日・阪神甲子園球場) 阪神 1‐10 ロッテ 勝 小林宏之 負 下柳剛 試合詳細 2回にロッテが犠牲フライで1点を先制、阪神はその裏に内野ゴロで追いついたが4回に勝ち越しを許す。 極めつけには7回に2イニング跨ぎの藤川球児が更に失点すると代わって登板した「SHE」の「S」・桟原将司が福浦和也に満塁HRを被弾するなど攻守ともに振るわず、結局3連敗となった。 第4戦(10月26日・阪神甲子園球場) 阪神 2‐3 ロッテ 勝 ダン・セラフィニ 負 杉山直久 セーブ 小林雅英 試合詳細 1回裏に阪神が無死一・二塁から無得点に終わると、その直後の2回表にロッテが李承燁の2ランで先制し、4回にも李承燁のタイムリーで更に1点を追加してそのまま逃げ切った。 一方の阪神は6回に今岡と代打・桧山進次郎のタイムリーで1点差まで迫ったが、試合全体で併殺打を4回も出すなど精彩を欠いた。 以上を持ちまして千葉ロッテマリーンズの勝利です。 本当にありがとうございました ※尚、阪神タイガースは2003年の第6戦からシリーズ6連敗となった。 この4試合の合計スコア33-4は一方的な敗北を喫した阪神ファンには忘れ難い記憶となった。 そしてこの日本シリーズはたった4戦で終わってしまった為に、阪神ファンだけでなく第7戦まで収入を期待していた関係者にも悪夢を見せた。 阪神ェ…… この日本シリーズはパ・リーグのリーグ1位チームが日本シリーズに出られない事への是否や(*2)、余りにも阪神がフルボッコされた為パ・リーグとセ・リーグの日程からくる試合間隔の有利不利の問題が話題になった。 なお、ロッテは阪神に一度もリードされることのない完全勝利であった。MVPは今江、敢闘選手賞は冷温停止状態の阪神打線の中で全試合安打で気を吐いた矢野輝弘、優秀選手賞は渡辺俊介・李承燁・サブローの3人が選ばれた。 時は流れ… 2010年日本シリーズ・ロッテ対中日。 中継番組では、5年ぶりの日本シリーズ参戦となったロッテの直近の日本シリーズでの闘いぶりを振り返るVTRが、当然の成り行きとして流され続けた。 そうしてVTRの中で繰り返しフルボッコにされる阪神を観て、悪夢の記憶を掘り起こされ続けた阪神ファンからの叫びがこだました。 なんでや!阪神関係ないやろ! 以降、ネット上の野球を語る場所(主に2ch・なんでも実況J)で「33-4」を連想させる数字が出ると、「なんでや!阪神関係ないやろ!」と返すのがお約束と化したのであった。 特に上記のなんでも実況Jではどこからか「334」の入ったニュースを見つけてくるわ、午前3 34が近くなるとスレが立つなど、このネタを見ない日は殆ど無いと言っていいだろう……。 ていうかロッテ自体も交流戦の際にこれをネタにしまくっている。 2020年日本シリーズ(ソフトバンク対巨人)では、前評判有利だったソフトバンクの無傷の4連勝に終わり(*3)、トータルスコア26-4の完全なワンサイドゲームだったせいで2005年の惨状を思い出す野球ファンがSNS上で続出した。 スコアこそ33-4未満なものの、巨人が数多の日本シリーズワースト記録を叩き出したため、どちらがより悲惨な敗北かは意見が分かれる。 特に最終戦では33-4達成を期待されてTwitterでは『あと7点』というワードがトレンド入りしており、試合中継の実況・解説までも話題にしたせいで、またもや多くの阪神ファンの傷が抉られることとなった。 なんでや!阪神関係ないやろ! また、東京の球団ということで標準語にした「なんでだ!巨人関係ないだろ!」も誕生した。 追記・修正は 追記33:修正4の比率でお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] ち~ん(笑) -- 名無しさん (2013-07-10 19 39 06) 第5戦以降含め殆どがテレ朝とテレ東が放映権を獲得してたから高知などは殆ど見れなかったという… -- 名無しさん (2013-10-04 23 16 29) 当時のCS自体が上位チーム(特にシーズン優勝チーム)に不利な制度だからな(現在も試合感覚等でシーズン優勝チームは不利だが) 正直、2リーグ12球団しかない日本でCS自体やる意味があるのかは微妙。 -- 名無しさん (2013-12-27 10 14 40) ↑追記 当時はセントラル側にCSはなかったので微妙なコントロールが狂う可能性のある投手、守備での打球反応や打席に立たなければ感覚が狂う野手の試合感覚が空きすぎていたのも阪神の敗因の一つ(実際、導入当時のパ・リーグのCSへの批判の一つに『セ・リーグの優勝チームを約半月もの長期間待たせる』と言うものもあった) -- 名無しさん (2013-12-27 11 12 15) きっと阪神33-4ロッテやろ -- 名無しさん (2014-01-17 02 33 08) でもその空白期間中、阪神の連中はろくに練習もせずゴルフや合コンやってたんだから自業自得なんだよな -- 名無しさん (2014-02-10 20 20 57) まあCSはなぁ…。メジャーやJリーグみたいにチーム数があってこそであって3球団だけでとかいう時点で意味不だよね~。それなら12球団でトーナメントして決める方がマシに思う -- 名無しさん (2014-02-10 22 56 28) ドイツ対ブラジルでもこの数字がしょっちゅう引き合いに出されとる。なんでや! -- 名無しさん (2014-07-11 02 20 44) あの期待返してくれや -- 名無しさん (2014-07-11 07 23 51) おうファイナルステージには進出したぞ -- 名無しさん (2014-10-18 17 11 31) 次は33-4で勝つんや -- 名無しさん (2014-10-18 23 10 13) ホークス対阪神→「それでは、前回この2チームが対戦した2003年の日本シリーズを振り返りましょう」ファイターズ対阪神→「それでは、ここで前回それぞれのチームが出場した日本シリーズを振り返ってみましょう」 -- 名無しさん (2014-10-19 00 43 45) 334人の敵 -- 名無しさん (2014-10-26 09 20 49) 33-4回避。悪夢は過ぎ去ったんやね -- 名無しさん (2014-10-26 10 05 38) 今年は15-10だったな -- 名無しさん (2014-10-31 09 29 29) なお第5戦の試合時間は3時間34分だった模様 -- 名無しさん (2014-11-10 20 20 26) ↑マジかww -- 名無しさん (2014-12-21 14 54 07) 2005年、2010年共にプレーオフを勝ち抜いて日本一になったという事は5の倍数年になる今年も…。(二度ある事は…。) -- 名無しさん (2015-02-25 22 25 10) それから10年後、試合時間3時間34分にロッテの打者にライトスタンドへ満塁打を打たれるとは誰が予想できただろうか -- 名無しさん (2016-01-23 13 03 46) f -- 名無しさん (2018-09-01 08 53 04) 実は、「セ・リーグの」最終日とパ・リーグのPOの日程は離れておらず、もしコバマサナイトがなかったら最終日の翌日に優勝決定だった。だけど、阪神はその年空梅雨の影響で野外球場にもかかわらず早く日程を消化していたから、優勝から長く待つことになったわけで。更に、この年の阪神より長く日本シリーズまで空いたチームも過去にはあるんだよなあ。 -- 名無しさん (2018-09-27 22 28 14) これを超えるネタは今後現れるんだろうか -- 名無しさん (2018-11-08 00 33 56) 違反コメントとそれに触れたものを削除しました -- 名無しさん (2018-11-15 22 27 06) 一戦目が濃霧コールドにならなかったらもっと悲惨なことになってたんだろうか… -- 名無しさん (2018-11-16 00 14 55) ちなみに濃霧コールドは日本シリーズはおろかレギュラーシーズン、プレーオフ、オープン戦、クライマックスシリーズを含めて後にも先にもなし、日本シリーズでのコールドゲームも降雨、降雪、その他天災を含めてもこの年の第一戦だけで、ネタ化に大きく貢献した -- 名無しさん (2020-11-08 16 58 36) 15年後の今年26-4というある意味令和の33-4が早くも誕生? -- 名無しさん (2020-11-26 22 08 40) 26-4は打撃面が33-4より酷い上に、二年連続スイープっていう史上初の珍事だから別ベクトルでインパクトが凄まじいな。 -- 名無しさん (2020-11-26 22 34 16) 今度は江戸弁のな阪関無が見れそう -- 名無しさん (2020-11-26 22 45 55) 正直全く関係ないのに334という単語を持ち出したるしてる奴もいるし、凄い有名なワードになってしまったなぁ、、、 -- 名無しさん (2021-06-05 17 42 45) 33-4より数字が小さい26-4より🎱のほうが悲惨さが伝わってくると思ってる -- 名無しさん (2022-09-02 02 01 41) ↑13まさか5の倍数の2020年に本当に実現していたとは -- 名無しさん (2022-09-12 18 33 02) 阪神は今でも日本一になれてないという… -- 名無しさん (2022-09-14 01 51 18) 極端な話11-0で3試合連続大敗してからの1-0で4連勝して33得点側が敗者になっていたとしても騒がれるのだろうか? -- 名無しさん (2022-09-22 17 04 36) ↑なんでそれで負けたんだよ、と騒がれそう -- 名無しさん (2022-10-20 11 30 33) 05年ロッテはリーグ最多得点のマリンガン打線と二桁勝利6人という布陣で平成最大のシーズン得失点差を記録した歴代最強候補にも挙げられてるチームので、この結果は必然というか寧ろシーズン戦では勝ったホークスを褒めるべき案件。 -- 名無しさん (2022-10-21 03 38 10) 記録的な意味では264の方がインパクトあったな。今年は阪神はともかく読売は優勝争い無理そうだけど。 -- 名無しさん (2023-01-19 18 54 10) 唯一の優勝年に「ソフトバンク来ると思ってた」と言ってこれ喰らった人が、なんでまた同じチームの監督やるんだよ。フロントは一体何を期待してるんだ? -- 名無しさん (2023-02-11 22 22 33) この年はロッテとまともにやりあってたホークスが異常なだけ阪神も別に弱いわけじゃなかったからなー。ロッテが異常すぎた。 -- 名無しさん (2023-04-25 14 16 00) 名前 コメント
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登録日:2024/02/02 Fri 23 49 25 更新日:2024/04/09 Tue 22 14 22NEW! 所要時間:約 9 分で読めます ▽タグ一覧 2023年 2023年日本シリーズ 38年ぶり アレ オリックス・バファローズ ノイジー プロ野球 中嶋聡 山本由伸 岡田彰布 日本シリーズ 近本光司 関西ダービー 阪神タイガース A.R.E. We can do it! 概要 PREVIOUS 2022年日本シリーズ この項目では、2023年のプロ野球日本シリーズの激闘を紹介する。 巨人に13ゲーム差を逆転され、所謂「Vやねん!」(*1)と呼ばれる歴史的なV逸を喫した2008年以来15年ぶりに復帰した岡田彰布監督の下「アレ(A.R.E)」(*2)を合言葉に18年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神タイガースと、21世紀初のパ・リーグ3連覇を達成した(*3)中嶋聡監督率いるオリックス・バファローズが対戦した。 日本シリーズでの対戦は前身球団を含めても初めてで、半世紀前に書かれた沿線住民気質を描いた小説の存在も話題に。 また、甲子園・京セラドームの両本拠地が阪神電車の沿線にあることから「阪神なんば線シリーズ」とも呼ばれ、開催記念乗車券は即座に完売したことで再販が決定したほどだった。 京セラドームは2020年の巨人も含めて4年連続で日本シリーズ開催になったが、阪神は高校野球との兼ね合いで甲子園の使用できない開幕戦(開幕権を有する場合)や8月の長期ロード中に主催試合を開催しており、1997年の開場以来準本拠地として使用している側面もある。 下馬評としても両軍拮抗と見る向きが多かったが、阪神は前回の日本シリーズ出場時に守備妨害をやらかして敗退決定、その前の出場時は他ならぬ岡田監督の下でかの有名な33-4を喫していたこともあり、阪神ファンからは悲観的に見る声も少なくなかった。 日本シリーズとしては、第74回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。 試合内容 第1戦(10月28日・京セラドーム) オリックス 0‐8 阪神 勝 村上頌樹 負 山本由伸 オリックスは3年連続投手四冠の絶対エース・山本由伸、阪神はこの年最優秀防御率を獲得するなど大ブレイクした3年目の「虎の村神様」村上頌樹の両先発。 先発が先発だけに4回まで無失点で進む締まった試合となったが、均衡が崩れたのは5回表。 先頭の佐藤輝明が単打に続いて盗塁を決め無死二塁とすると、続くこの年の新助っ人シェルドン・ノイジーの犠牲フライで更に三塁まで進んだところで渡邉諒に適時打が出て阪神が先制。勢いづいた阪神は止まらずこの回4点を入れ、6回にも二死から立て続けに適時打を打ってなお二・三塁としたところで山本をKOすることに成功する。 オリックスは山田修義を2番手に送るもこちらも打たれて更に1点を失い、山本は自己ワーストの7自責点を喫することとなった。 結局阪神は村上が7回2安打1四球という好投を見せるとそのまま加治屋蓮、岩貞祐太で8・9回を三者凡退に抑え、オリックスの出鼻を挫いて完勝した。 前年までプロ未勝利だった投手が日本シリーズ第1戦で先発勝利するのは史上初、阪神が日本シリーズのビジターゲームで勝利するのは前回日本一を達成した1985年の第6戦以来38年・10試合ぶりのこと。 あまりのワンサイドゲームになんJなどでは「33-4回避」なども含めて話題となった。 第2戦(10月29日・京セラドーム) オリックス 8‐0 阪神 勝 宮城大弥 負 西勇輝 前日の大勝で勢いづいた阪神だったが、今度は3回裏に西野真弘の適時打で先制を許す展開。 4回裏に二死走者なしから四球が出て宗佑磨が出塁すると紅林弘太郎がヒットで繋いで一・三塁となり、更にそこから野口智哉・廣岡大志・中川圭太と三者連続のタイムリーを浴びて西は降板となった。 オリックスは7回裏には二死満塁から代打のマーウィン・ゴンザレスに走者一掃のタイムリーが出て7点差、更に8回にエラーでもう1点追加し、5回以降はヒットすら許さず前日のリベンジを果たして甲子園に乗り込んだ。 第3戦(10月31日・阪神甲子園球場) 阪神 4‐5 オリックス 勝 東晃平 負 伊藤将司 セーブ 平野佳寿 阪神が2回に1点を先制するも、オリックスも4回にこの年の首位打者・頓宮裕真のホームランで同点に追いつく展開。 オリックスは5回表には3点を取って一気に勝ち越し、更に6回に1点を加えて4点差とした。 阪神は7回裏には一死満塁から内野ゴロと新人・森下翔太のタイムリーで3点を取るも、二死で登板した宇田川優希に阻まれ同点に追いつくことは出来ず、8回も無得点に終わった。 最終的に1点差で迎えた9回裏、阪神は二死一・二塁のチャンスを作って4番・大山悠輔に打席が回ったが、この年通算250セーブを達成したベテランクローザー・平野の前にフルカウントから三振を喫し試合終了。 平野は日本シリーズ最年長セーブ記録(39歳7ヶ月)を樹立した。 第4戦(11月1日・阪神甲子園球場) 阪神 4x‐3 オリックス 勝 岩崎優 負 ジェイコブ・ワゲスパック 阪神が初回に森下のタイムリーで先制するも2回表にはオリックスが早々に追いつき、その後も接戦で進んでいたが、阪神2点リードで迎えた7回表にサード・佐藤に痛恨のエラーが出たのを皮切りに畳み掛けられて同点を許した。 阪神は8回二死一・三塁のピンチを4ヶ月半ぶりの1軍登板となった湯浅京己が1球で切り抜けるなど勝ち越しこそ許さなかったが、追加点を得ることも出来ず試合は9回裏へ。 オリックスは9回裏、前年の日本シリーズ胴上げ投手であるワゲスパックをマウンドに送り一死としたが、ここからワゲスパックの制球が大荒れ。 近本光司に四球を出したばかりか、続く中野拓夢の打席で二度にわたって暴投し、近本を三塁まで進めさせてしまう。 なおもフルカウントとなった後、中嶋監督は打席の中野と続く森下を立て続けに申告敬遠。満塁策を取った上で大山と勝負することを選択した。 大山はフルカウントにこそ追い込まれるも、そこから三遊間を破る一打を放ち、近本が生還しサヨナラ勝ちとなった。 第5戦(11月2日・阪神甲子園球場) 阪神 6‐2 オリックス 勝 湯浅京己 負 山﨑颯一郎 オリックスが4回にゴンザレスのソロHRで先制。 7回には甲子園の魔物が牙を剥いたかのように森友哉の二塁ゴロを中野が後逸、そのボールを更に森下がファンブルという連続エラーで一塁から宗が生還し2点目となった。 ところが8回裏に山﨑が登板すると、今度は先頭・木浪聖也の内野安打を安達了一が悪送球するエラー。これで傾いた流れを代打・糸原健斗がヒットで繋いで無死一・三塁とすると、続く近本のタイムリーで1点を返す。 更に2点目を入れられるきっかけとなったエラーを喫した中野が送りバントを決め、森下は交代してシリーズ4試合連続登板となった宇田川から2点タイムリーを決めて遂に逆転に成功。大山・坂本誠志郎もこれに続いてこの回一挙6点を取り、そのまま9回も抑えて王手をかけた。 新人の逆転打が決勝点になるのは日本シリーズ史上初。 第6戦(11月4日・京セラドーム) オリックス 5‐1 阪神 勝 山本由伸 負 村上頌樹 阪神が王手をかけたこの試合、2回表に山本から先制のソロHRを打ったのは、当初の期待からするとイマイチの成績で1年限りでの退団が決まりかけていたノイジー。 なんと球団では2003年第7戦の広澤克己以来、球団の外国人選手では1985年第6戦のランディ・バース以来となる日本シリーズでの本塁打となった。 初戦で山本が大炎上したこともあり、この時点で阪神優勝ムードは高まったが、山本もここから奮闘。 打線も2回裏に早速2点を取って逆転すると5回に紅林の2ラン、8回に頓宮のソロHRで都合3点を追加し、そのまま勝利して両軍王手となった。 山本は日本シリーズ新記録(*4)となる14奪三振を含む9回138球で投げきり、シリーズ初勝利を完投で達成。 中嶋監督がインタビューで「山本由伸が2回連続でやられるわけがないと思って、信頼して出しました」と力強く語るとオリックスファンから大歓声が上がった。 前回の関西対決以来59年ぶりに「3勝3敗かつ両軍の得失点差ゼロ」という拮抗状態のまま、勝負は10年ぶりに引き分けなしの第7戦へもつれ込むことになった。 第7戦(11月5日・京セラドーム) オリックス 1‐7 阪神 勝 伊藤将司 負 宮城大弥 オリックスは宮城、阪神はポストシーズン全体を通して初登板となる青柳晃洋の両先発で3回まで無失点でゲームが進んだが、4回表に一気に試合が動く。 森下の安打と大山の死球で一死一・二塁となった場面、ノイジーは4球目のチェンジアップを掬い上げるように打ち返す。打球は大きな軌道を描き、値千金の先制3ランホームランとなってレフトスタンドに突き刺さった。 前試合でも先制のソロHRを打っていたノイジーは、いよいよネタ抜きで「バースの再来」の称号を頂戴するに至ったのだった。 勢いに乗る阪神は5回表、一死一・二塁からの中野のショートゴロがリクエストの結果ゲッツー崩れになると代わって登板した比嘉幹貴から森下、大山、ノイジーと三者連続でタイムリーが出て更に3得点。一気に6-0となった。 9回表にも森下のタイムリーで1点を加え、森下は日本シリーズにおける新人最多打点記録(7打点)を更新。 7点差で9回裏へ入る場面、パブリックビューイングが行われていた甲子園では「栄光の架橋」が流された。 それは、この年の7月に脳腫瘍のため28歳で早世した横田慎太郎の登場曲だった。 リーグ優勝が決定した9月14日の巨人戦の9回、横田の同期・岩崎が登板する際に予告なしで流され、自然発生的にファンの大合唱が起きたことが話題となったが、その演出がこの時も行われたのである。 さて、9回裏のマウンドを任されたのは桐敷拓馬。 先頭の紅林に安打を許すも続く森を併殺打に仕留めて(*5)一気に残り1アウトとし、満を持して守護神・岩崎が登板した。 岩崎はいきなり頓宮への初球をレフトスタンドにぶち込まれ、ゴンザレスにも安打を許すが、3人目の杉本裕太郎をレフトフライに抑えゲームセット。 阪神タイガース38年ぶりの「アレのアレ(日本一)」が決定し、特注で制作された横田仕様の2023年ユニフォームを掲げた岩崎が、そして前回の日本一を選手会長として支えた岡田監督が宙を舞った。 岡田監督は巨人相手に1956~58年の3連覇を達成した三原脩以来となる古巣相手の日本一(*6)。 そして岡田監督、平田勝男ヘッドコーチ、嶋田宗彦バッテリーコーチにとっては彼らが貢献した1985年以来の日本一に一軍で立ち会っただけに感慨もひとしおだったことだろう(*7)。 MVPは近本、敢闘選手賞は紅林、優秀選手賞は阪神から森下とノイジー、オリックスからは山本が選ばれた。 追記・修正は、38年ぶりに日本一を達成した方にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 6戦目オリックスと阪神の点数逆じゃね? -- 名無しさん (2024-02-03 00 55 36) 前回の日本一、「33-4」、「Vやねん」、今回の日本一と全てを見てきた岡田監督。数奇な運命というかなんというか。 -- 名無しさん (2024-02-03 14 58 10) 全体通してみると白熱した戦いなんだが、一戦ずつみると大差の試合が多い不思議な日本シリーズだった。実力伯仲してたんだかしてなかったんだかわからん -- 名無しさん (2024-02-03 16 07 32) 長年の人気球団と十数年不遇をかこってきてようやく人気が出てきた球団という構図でも面白いシリーズだった お互いに持ってないものをやっと手に入れた末の対決といった感じで(阪神は人気有りだけど優勝は久しぶり、オリは近年強くなってやっと球団の人気獲得企画が芽を出し始めた) -- 名無しさん (2024-02-04 16 16 32) 何気に森下が日本シリーズの新人打点記録を更新してて驚いた。 -- 名無しさん (2024-02-04 21 13 59) 第6戦までで得点数が同じ23得点という両者拮抗した白熱した試合だった 歴代の日本シリーズの中でも特に面白かったよ 両軍のファンは胃が痛かったけど -- 名無しさん (2024-02-04 23 51 52) 実力伯仲なんだけど、先行逃げ切り型で掴んだ流れを離さない印象。 名前 コメント
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登録日:2015/04/09 Thu 21 37 11 更新日:2020/08/01 Sat 19 55 24 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 2013年 2013年日本シリーズ まさかのMVP プロ野球 日本シリーズ 東北楽天ゴールデンイーグルス 田中の連投 読売ジャイアンツ 読売巨人軍 Smart Spirit 2013 HEAT! Show The Spirit~躍進 概要 PREVIOUS 2012年日本シリーズ NEXT 2014年日本シリーズ この項目では、2013年のプロ野球日本シリーズの激闘を紹介する。 日本シリーズ初出場となる東北楽天ゴールデンイーグルスとセリーグの王者読売ジャイアンツが対決した。 第七戦にまで及んだこの試合は、東北楽天の勝利に終わる。 楽天は球団創設から僅か9年目にて、初の日本一の栄冠を掴み取ったのだった。 日本シリーズとしては、第64回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。 主な試合内容 第1戦 楽天 0‐2 巨人 勝 内海 負 則本 東北で初の開催となった日本シリーズの第一試合は早速盛り上がりを見せた。 東北は勿論の事、楽天にとっても初の日本シリーズ。 楽天は今季から田中に次ぐエースとして活躍を見せた則本。 対する巨人はエースの一人であり、楽天ファンからは対楽天キラーとしても知られている内海を送り込んだ。 試合は長野が打点を挙げ、村田も本塁打を放し2点を挙げる。 内海も6回まで楽天打線を封じこみ、その後の中継ぎリレーで完全に抑え付けた。 楽天は則本の粘投に応じられず、打線も巨人側の守備などにも阻まれ敗れる。 第2戦 楽天 2‐1 巨人 勝 田中 負 菅野 この試合では楽天の絶対的エース田中が満を持して登場。 対する巨人軍も、菅野を送り込む。 両投手とも一歩も譲らない投球を見せ、1戦目同様投手戦に。 しかし7回に藤田が微妙な内野安打を放った結果、勝ち超すことに成功しそのまま楽天が勝利する。 但し、この内野安打は原監督が抗議した様にかなり微妙な判定であり、一部ファンからは批判もあった。 第3戦 巨人 1‐5 楽天 勝 美馬 負 杉内 この試合は、前の二試合とは違った結果となる。 楽天打線が徹底的に杉内を攻略し、試合を終始有利に運ぶ。 巨人打線は楽天先発美馬の投球術に踊り、骨折の影響でフェイスガードを装着し、宛らバットマン状態になった二番手のレイに対しても1点をもぎ取るのがやっとだった。 この試合辺りから、完全に巨人打線が不調に陥っている事がファンの目から見ても明らかとなった。 第4戦 巨人 6‐5 楽天 勝 マシソン 負 長谷部 巨人がここでも楽天に食らいつき、再びタイへと持ち込む。 巨人は初回から投手が打ち込まれたが、その後の楽天の中継ぎから着実に点数を取った。 対する楽天は、不安ながらもなんだかんだ序盤を抑えていたハウザーを早めに降板させたが、その後の中継ぎ陣が誤算となる。 なお、この日に明らかになった元巨人選手・監督の川上哲治の死去を受け、両軍の選手は喪章をつけて試合を行う事となった。 試合前に東京ドームで川上氏の業績を称えるビデオ上映と黙祷が行われた。 第5戦 巨人 2‐4 楽天 勝 則本 負 西村 この試合も中々緊張感の途切れない試合と化した。 楽天の先発である辛島は、5回まで無失点に抑え込む。 楽天打線も、巨人打線に抑え込まれるが2点をもぎ取る。 しかし、巨人は9回に村田が則本から同点打を放つ。 ところが、その後どうにも得点を取る事が出来ない。 ここで事件が起きる。 突如西村が、全く打つ姿勢が見えない則本に四球を与える。 そこから一気に崩れ去り、楽天に勝ち越しを許してしまうのだった. この試合での勝利によって、楽天に有利な雰囲気のまま再びKスタへと舞台は移る。 第6戦 楽天 2‐4 巨人 勝 菅野 負 田中 2013シーズンで無敗伝説を誇る田中が再び登場。 巨人側も菅野で迎え撃つが、この時の巨人ファンには相手の大きさのあまり、絶望の表情さえ浮かんでいた。 だが、野球では絶対に負けないという投手はいない。 この日も楽天側が先制し、2点という点数差は圧倒的に重すぎるかに見えた。 ところが、巨人打線が不調だった坂本やロペス、高橋由が田中を攻略。 多くのファンの予想を覆し、巨人の勝利に終わった。 因みに余談だが、この試合から菅野にとってのKスタ(現楽天生命パーク宮城)は東京ドーム同様に思い入れのある場所となったらしい。 第7戦 楽天 3‐0 巨人 勝 美馬 負 杉内 田中の不敗神話が崩されるというまさかの結果からついに始まった最終戦。 「田中で決めきれなかった」ことで、前日とは逆に絶望の淵に立たされていた楽天ファンも少なくなかった。 しかし、試合展開はまたしても予想外かつ劇的な方向に進んでいく。 巨人のエース格の一人である杉内は、この日も調子が悪く2点を奪われる。 対する美馬は、この日も巨人打線を完全に翻弄する見事なピッチング。 更には元近鉄勢である牧田が、遂に日本一になれず球団消滅の憂き目に遭った旧近鉄ファンの無念を晴らすかの様なホームランをレフトスタンドにぶち込む。 牧田はこの時点で残り僅かとなっていた楽天創設メンバーの生き残り(他に小山、中島の計3名)でもあり、まさに創成期の苦難を胸に放ったホームランでもあった。 杉内降板後の巨人投手陣は、内海も登板する形となった。 楽天投手陣は美馬の降板後、疲労状態にあるだろう則本を登板させる。 更には9回、前日160球以上投げ込んだ田中が抑えとしてまさかの登場。 普段はことあるごとに叫んで気を昂らせる彼も今回は終始黙っており、観る者にも緊迫感が伝わってきた。 田中はやや危うい状況を招くも、巨人打線をねじ伏せる。 その瞬間、楽天は絶対的エースの雄叫びと共に、遂に日本一となったのだった…… 日本シリーズのMVPは、二試合共に巨人打線を翻弄した美馬。 敢闘選手賞は長野、優秀選手賞は田中・銀次・内海にそれぞれ贈られた。 この試合は今後のプロ野球でも語られる試合になるだろう…… 追記・修正は、160球以上投げ込んだ次の日にまた登板した方にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 最終日の田中は、確かにちょっと危うい場面もあったが……しかし前日160球投げた人とは思えない球威を誇っていたな。どんな肩してんだよと見てて戦慄したものだ -- 名無しさん (2015-04-10 11 09 22) 翌年のシリーズとの格差も酷いな。実質4タコ+守備妨害で幕切れとか別の意味で伝説 -- 名無しさん (2015-04-11 13 50 18) 田中将大の現時点での最後の先発登板は先に菅野の方がマウンドを降りたとはいえ黒星を2013年に唯一付けられたことでも有名か? -- 名無しさん (2015-04-12 00 35 05) 第7戦の展開は完全に漫画の世界かと思ったわ。星野劇場とも言われてる程にね… -- 名無しさん (2015-04-12 20 30 01) ↑でも、あれで東北被災地の人達は実際かなり元気もらってる。今回ばかりは星野劇場にも文句言えない -- 名無しさん (2015-04-13 19 54 04) 名前 コメント
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登録日:2024/01/23 Tue 11 59 39 更新日:2024/02/04 Sun 18 41 19NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 2010年 2010年日本シリーズ プロ野球 中日ドラゴンズ 千葉ロッテマリーンズ 史上最大の下克上 岡田幸文 日本シリーズ 浅尾拓也 落合博満 西村徳文 和 ROAD TO VICTORY 概要 PREVIOUS 2009年日本シリーズ NEXT 2011年日本シリーズ この項目では、2010年のプロ野球日本シリーズの激闘を紹介する。 4年ぶりのセ・リーグ優勝を成し遂げた落合博満監督の中日ドラゴンズと、初めてリーグ3位からCSを勝ち抜いた西村徳文監督の千葉ロッテマリーンズのロッテOB監督同士の顔合わせとなり、ロッテが7戦の激闘を勝ち抜き史上最大の下克上を完成させた。 なお、この年は台風14号の接近が懸念されており、仮に10月30日~31日のナゴヤドームでの第1~2戦が中止された場合、本来なら第2~3戦の間の移動日はそのままとし、第5~6戦の移動日をなくして最大5連戦の日程になるところを、テレビの全国中継が4試合しかないことに配慮する形で、逆に第2~3戦の移動日を削除し第5~6戦の移動日をそのままとする日程が設定された。実際には台風による影響はなく、通常通りの日程で行われた。 日本シリーズとしては、第61回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。 試合内容 第1戦(10月30日・ナゴヤドーム) 中日 2‐5 ロッテ 勝 成瀬善久 負 吉見一起 セーブ 小林宏 2回表に大松尚逸のタイムリーでロッテが先制するが、その裏に中日が和田一浩・谷繁元信のソロHRで逆転。 しかしロッテも3回にルーキー清田育宏のソロHRで試合を振り出しに戻すと5年前の日本シリーズでも大活躍した今江敏晃のタイムリーで勝ち越し、6・7回にも1点ずつ加えて逃げ切り勝利した。 なお、先制時に大松は肉離れを起こし交代。 代わって出てきた「ある男」がシリーズを象徴するような存在となることなど、誰も知る由もなかった。 第2戦(10月31日・ナゴヤドーム) 中日 12‐1 ロッテ 勝 チェン・ウェイン 負 ビル・マーフィー 中日は初回に一死から和田のタイムリーで先制すると、その後は谷繁の押し出し四球と「子持ちルーキー」大島洋平のタイムリーでいきなり4点をリード。 2回・3回にも3点ずつリードを取って早々に10点先制した上、6回にもトニ・ブランコの2ランで圧勝した。 一方のロッテは4番手の吉見祐治以外の投手陣が揃って失点し、打線も4回表に今江がタイムリーで1点を返しただけという結果に終わった。 第3戦(11月2日・千葉マリンスタジアム) ロッテ 7‐1 中日 勝 渡辺俊介 負 山井大介 中日は3回に荒木雅博の犠牲フライで1点を先制するが、ロッテはその裏にサブローのタイムリーで早々に同点。 4回裏には清田が今度は満塁から走者一掃のタイムリーを放つと井口資仁のタイムリーで更に1点を加え、7回にも2点を加えて勝利した。 なおロッテ先発の渡辺は97球1失点で無四球完投し、史上初となる日本シリーズ先発機会2試合連続の無四球完投勝利を達成した。 第4戦(11月3日・千葉マリンスタジアム) ロッテ 3‐4 中日 勝 高橋聡文 負 伊藤義弘 セーブ 岩瀬仁紀 ロッテは3回に西岡のタイムリーと井口の2ランで早々に3点を先制し、中日の先発・山本昌はここで早々に降板。 しかし4回表に中日が和田のタイムリーと野本圭の犠牲フライで2点を返すとロッテの先発・唐川侑己も降板となり、両軍とも早い段階から継投に入った。 この後5回に中日が無死満塁から併殺打の間に1点を加えるも、その後は両軍再三のチャンスを活かせず無得点で試合が推移。9回裏には二死から西岡剛がサヨナラかという大ファウルを放つもその後フルカウントから空振り三振を喫し、西岡は悔しさのあまりバットを叩き割った。 延長に突入した試合が決着したのは11回。 その直前の10回裏に一死満塁のピンチを併殺打で脱していた中日が二死二塁から大島のタイムリーで遂に勝ち越しに成功すると、その裏を高橋・岩瀬で締めくくって逆転勝ちを収めた。 第5戦(11月4日・千葉マリンスタジアム) ロッテ 10‐4 中日 勝 ヘイデン・ペン 負 中田賢一 中日は1回に和田の犠牲フライで先制するが、その裏にエラーを皮切りに3本のタイムリーで4失点するなど、先発の中田が5回9失点と炎上。 ロッテは5回終了時点で先発全員安打の猛攻で9-1と大勢を決すると、6回のブランコのタイムリー、8回のブランコの2ランで3点を失っただけで快勝し、日本一に王手をかけた。 だが、このシリーズはここから誰も予想しなかった展開を見せる。 第6戦(11月6日・ナゴヤドーム) 中日 2‐2 ロッテ ※延長15回引き分け ロッテがサブローのタイムリーで初回に先制したが、中日も森野将彦のタイムリーで追いつくと以降は投手戦の様相。 中日が6回裏二死にようやくブランコのタイムリーで勝ち越すが、8回から登板したこの年の最優秀中継ぎ投手・浅尾拓也がサブローにタイムリーを打たれるとそれから勝ち越しの一打が出ず試合は延長戦へ突入した。 延長戦でも両軍の投手が好調で、中日は10~14回に得点圏に走者を置きながら全てフイにする不運、ロッテも勝ち越し打が出ないまま結局規定の15回を終了した。 両軍合わせてシリーズ新記録となる44人の選手が出場したが、結局どちらも決め手を欠く結果に終わり、試合時間5時間43分・延長イニング15回はいずれも日本シリーズ最長記録となった。 第7戦(11月7日・ナゴヤドーム) 中日 7‐8 ロッテ 勝 小林義弘 負 浅尾拓也 ロッテが初回に2点を先制するも、中日はその裏に早速タイムリーと犠牲フライで3点を取り逆転に成功。更に2回に大島のタイムリーで1点、3回には荒木の犠牲フライと大島のタイムリーで2点を加えて6-2とし、主導権を握ることに成功した。 ところが4回表、第1戦で負傷した大松に代わって第2戦以降のスタメンに入っていた育成上がりの苦労人・岡田幸文がタイムリーで1点を返すと、ロッテは5回に更に中日の2番手・河原純一から3得点を奪い同点に追いつき、遂に7回、金泰均のタイムリーで勝ち越した。 だが中日とて、地元での胴上げをただで達成させるわけにはいかない。 前日に同点打を打たれ勝ちを消していた浅尾は、試合前に医務室に運ばれるほどの高熱で登板予定が無かったにもかかわらず、試合中に自ら投球練習を開始。そのまま投手運用を一任されていた森繁和ヘッドコーチの反対を押し切って登板を志願し、9回表にマウンドに現れると無失点でこの場面を切り抜けた。 そしてその裏、後がない中日は地鳴りのようなチャンステーマの中で先頭打者の和田が三塁打を放ち出塁。続くブランコの犠牲フライでとうとう同点に追いつき、三度目の延長戦に突入した。 延長戦に入っても試合は膠着していたが、中日は浅尾が高熱を押して自らの意思で続投。気づけば延長12回、浅尾はレギュラーシーズンでもやらなかった4イニング跨ぎに突入していた。 試合が動いたのはこの12回表、二死二塁の場面だった。 同僚である今江や里崎智也の予測すら上回ったという岡田の値千金のタイムリースリーベースで、ロッテが勝ち越しを決めたのである。 浅尾がマウンドに散り、交代した岩瀬が最後のアウトを取って12回裏に突入するも、中日は三者凡退に倒れ、ロッテの日本一が決定。 レギュラーシーズン3位から初の日本一という、史上最大の下克上が完成した。 MVPは今江、敢闘選手賞は和田、優秀選手賞は中日から大島、ロッテからは清田と4回のリリーフで7回無失点の内竜也が選ばれた。 追記・修正は、下克上を果たした方または高熱を押して回跨ぎをした方にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] リーグ優勝チームが日本シリーズに出られない可能性を産むCSなんてもうやめてくれ -- 名無しさん (2024-01-24 23 40 15) 名前 コメント
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登録日:2024/01/16 Tue 14 22 43 更新日:2024/01/17 Wed 21 50 26NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 2007年 2007年日本シリーズ ダルビッシュ有 プロ野球 中日ドラゴンズ 北海道日本ハムファイターズ 完全試合 山井大介 岩瀬仁紀 川上憲伸 日本シリーズ 落合博満 ROAD TO VICTORY Focus, Advance, Nexus Spirit 概要 PREVIOUS 2006年日本シリーズ NEXT 2008年日本シリーズ この項目では、2007年のプロ野球日本シリーズの激闘を紹介する。 トレイ・ヒルマン監督の北海道日本ハムファイターズと落合博満監督の中日ドラゴンズが2年連続の顔合わせとなり、中日が前年と逆に1戦目を落としてからの4連勝で53年ぶりの日本一を地元で達成した。 この年からセ・リーグにもクライマックスシリーズが導入され、中日はリーグ2位から勝ち上がっての出場となった。リーグ優勝していないチームの日本一は史上初。 日本シリーズとしては、第58回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。 主な試合内容 第1戦(10月27日・札幌ドーム) 日本ハム 3‐1 中日 勝 ダルビッシュ有 負 川上憲伸 日本ハム・ダルビッシュ有と中日・川上憲伸の両先発でスタート。 1回裏にフェルナンド・セギノールがいきなり3ランを打つとダルビッシュも当時の日本シリーズタイ記録(*1)となる13奪三振での完投で応え、最後までリードを守って勝利した。 対する中日も川上が1回二死から21人連続無安打に抑えるなどセギノールのHR以外には得点を許さず投げきったが、森野将彦が犠牲フライで1点を入れただけに終わった。 なお、中日は1982年の日本シリーズに出場した堂上照の息子・剛裕が8回に代打で出場。これが史上初の日本シリーズ親子出場となった。 第2戦(10月28日・札幌ドーム) 日本ハム 1‐8 中日 勝 中田賢一 負 ライアン・グリン 次戦から地元ナゴヤドームとはいえ、中日にとっては出来ればタイに戻しておきたい一戦。 その中日は初回に犠牲フライで1点を先制。 4回表には日本ハムの先発・グリンが3連続で四球を出したチャンスに乗じて3点を取ると、中日の先発・中田も4回裏にセギノールのソロHRを被弾しただけで8回1失点と好投。 一方の日本ハムは4点を取られた後も6回に押本健彦が、7回に菊池和正がそれぞれ2ランを被弾した上、セギノールのHR以外は結局1点も入れられないという大敗で1勝1敗となった。 第3戦(10月30日・ナゴヤドーム) 中日 9‐1 日本ハム 勝 朝倉健太 負 武田勝 この試合からはナゴヤドームでの開催。中日にとってはここから3連勝しないと再び敵地に戻ることとなる試合である。 試合は日本ハムの先発・武田が1回裏に先頭打者・荒木雅博への初球で死球を出すという大誤算。これでペースが乱れたところから中日が一気に流れに乗り、結局1回だけでシリーズ新記録の7打数連続安打など7点という猛攻で早々に大勢を決した。 一方の日本ハムは1/3回5失点でKOされた武田に代えて先発要員のブライアン・スウィーニーが緊急登板するも更に2失点と滑り出しの炎上で完全に出鼻を挫かれ、打線も9安打1得点と繋がりを欠いて2試合連続の大敗を喫した。 この試合で中日が2勝1敗と勝ち越した。 第4戦(10月31日・ナゴヤドーム) 中日 4‐2 日本ハム 勝 鈴木義広 負 吉川光夫 セーブ 岩瀬仁紀 中日が1回裏に2点を先制するも、4・5回で1点ずつ取った日本ハムが追いつく展開。 しかし5回裏に2四球1安打で満塁の状況から日本ハムの先発・吉川に暴投が出て勝ち越すと、7回裏に育成枠での移籍から這い上がってきた中村紀洋のタイムリーで更に1点を加えた。 一方の日本ハムは中日の5安打に対して7安打と安打数では上回ったが繋がりを欠き、リリーフ陣から1点も取れず痛い敗戦に終わった。 中日が53年ぶりの日本一に王手をかけ、翌日勝利すれば地元ナゴヤドームで日本一が決定するという状況となった。 第5戦(11月1日・ナゴヤドーム) 中日 1‐0 日本ハム 勝 山井大介 負 ダルビッシュ有 セーブ 岩瀬仁紀 中日は王手ではあるが、一方でここで敗れれば負けた流れで2日後の第6戦をビジターの札幌ドームで戦うことになるという状況で、レギュラーシーズン最終戦(10月7日)以来の登板となる(*2)山井が先発。 もう負けられない絶体絶命の窮地に追い込まれた日本ハムは、第1戦で完投勝利したダルビッシュが中4日で先発した。 「ナゴヤドームで決めたいというのはみんなあったと思う」と語る中日先発の山井は「自分は投げても5回、総力戦で最後に岩瀬に持ち込む」ことをイメージしてこの大一番に臨んでいた。 相手がダルビッシュであり援護も受けにくい可能性が高い以上、状況によっては最初の打順が回ってきた段階で早々に降板するという可能性も頭に置きながら、とにかく猛プッシュしていく組み立てで投げていたという。 果たしてダルビッシュの投球は冴え、中日は2回に平田良介が犠牲フライを決めたものの追加点を出せないまま試合が進む。 しかしそれ以上に、絶対に点を与えまいとする山井のピッチングは冴えに冴えた。 スライダーひとつ取っても、思ったところにコントロールできたのがあの日本シリーズ。 フワフワしたというか、不思議な感覚でした (中略) 谷繁(元信)さんのリードが手に取るようにわかったんです。 首を一度も振ってないはずだし、サインを見る前にその球種の握りをしていたくらいだったんです(*3) 野手陣の度々のファインプレーも重なり、日本ハム打線に一塁すら踏ませることのないままアウトを積み重ねた山井は、とうとう8回86球で完全試合に王手をかけた。 だが9回表、ポストシーズン史上初の完全試合での日本一決定を期待する観衆の前に姿を現したピッチャーは山井ではなく岩瀬仁紀。 継投でのノーヒットノーラン・完全試合は参考記録とするNPBにおいて、それは同時に「山井大介の完全試合」という大記録の達成が無くなったことを意味していた。 どよめきの中でマウンドに上がった岩瀬は金子誠、髙橋信二を4球ずつであっさり打ち取り、27人目の打者・小谷野栄一はカウント2-2から岩瀬のこの回13球目となる一球を打ち返すもボールは二塁方向へ。 これをセカンド・荒木が取って一塁へ送ると、白球は吸い込まれるようにタイロン・ウッズのグラブに収まった。 この瞬間、参考記録とはいえMLBでも前例のない完全試合リレーという劇的な形で、中日ドラゴンズ53年ぶり2回目の日本一が決定した。 MVPは中村紀洋、敢闘選手賞はダルビッシュ、優秀選手賞は中日の荒木・森野・山井が選ばれた。 幻の完全試合 第5戦で完全試合継続中の山井を降板させて岩瀬に継投させた落合博満監督の采配には当然ながら賛否両論が噴出し、勝利を優先して大記録を潰したとして落合は大いに槍玉に上がることになった。 しかし、決着翌日には山井が途中でマメを潰していた(*4)ことが判明。更に様々な場所で落合や山井、当時の投手運用を一任されていた一軍バッテリーチーフコーチの森繁和から「(マメのことなどもあり)自ら降板を申し出た」ということが明言されるようになって当時の事情が広く知られるようになったこと、またノーヒットノーラン継続中の先発投手の降板後に後続が打たれるケースが再三発生した(*5)こともあり、現在では采配への賛否以上に 完全試合継続中 自軍の得点は犠牲フライの1点のみ(*6) 日本一に王手、ただし負ければ「完全試合寸前でひっくり返された」という流れでビジターゲームに向かうことになる(*7) 先発の山井は投げようと思えば投げられる状態だったが、チームの勝利を優先して自らマウンドを降りて岩瀬に後を託した という凄まじいプレッシャーのかかる状況から三者凡退で締めて完全試合リレーを完成させた岩瀬を評価する声が多い。 岩瀬本人も後年 普段はそういうことを考えないが、あの時は一人のランナーも許されず絶対に3人で抑えなければと思った 日本シリーズは特別な試合だから楽しむものだと思って投げていたが、唯一楽しめなかったのがあの試合 あの時は最後まで投げて欲しかった、あれほど嫌なマウンドはなかった などと語っている。 NPBでは継投によるノーヒットノーラン・完全試合はいずれも参考記録だが、単独・継投を問わずNPBのポストシーズンにおいてノーヒットノーランを達成したのはこの時の山井・岩瀬の他に2018年のセ・リーグクライマックスシリーズ1stステージ第2戦の菅野智之(読売ジャイアンツ)のみ。 継投による達成を認めているMLBでも継投による完全試合はレギュラーシーズン含めて過去に例がなく、ワールドシリーズの優勝決定試合においては継投含めてノーヒットノーランすら達成されていない(*8)。 そういう意味で、完全試合リレーで日本一が決定したこのシリーズは、53年ぶりの日本一というドラマも合わせてこれから先も長らく語り継がれていくであろうシリーズといえよう。 それは静かに始まった 日本一へのパーフェクト 山井大介 二十四の アウトを岩瀬に託したぞ いいぞがんばれ ドラゴンズ 燃えよドラゴンズ! ――「燃えよドラゴンズ! 2007 日本一記念盤」より なお、山井は2021年10月の引退時の記事で、「あの日、あの場所に戻れるとしたら」という質問にこう答えている。 すべてが同じ状況なら、同じことを言いますよ 追記・修正は、完全試合リレーを決めた方にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 日本一決定の試合を自分の完全試合で飾る、なんていう歴史に残る偉業よりも勝利のための最善手を取るっていうのも、ものすごい勇気がいることだったろうな… -- 名無しさん (2024-01-16 17 41 05) 名前 コメント
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登録日:2015/04/12 Sun 22 14 08 更新日:2023/03/25 Sat 13 08 37NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 2014年 2014年日本シリーズ まさかの結末 プロ野球 守備妨害 日本シリーズ 福岡ソフトバンクホークス 衝撃のラスト 西岡剛 阪神タイガース 俺がやる。 Go for the Top 熱くなれ!! 概要 PREVIOUS 2013年日本シリーズ NEXT 2015年日本シリーズ この項目では、2014年のプロ野球日本シリーズの激闘を紹介する。 圧倒的な戦力で優勝し、CSでも日本ハムを撃破した福岡ソフトバンクホークス。 優勝は逃すが、CSでまさかの下剋上を果たした阪神タイガース。 両者の激突の結果、ソフトバンクが悠々と阪神を撃破し日本一に輝いた。 日本シリーズとしては、第65回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。 主な試合内容 第1戦 阪神 6‐2 ソフトバンク 勝 メッセンジャー 負 スタンリッジ 久々の日本シリーズ開催となった甲子園は、この時は熱気に包まれた。 CSでの巨人撃破の勢いに乗り、絶好調に見える阪神。 この日は、スタンリッジをさっそく攻略し、ソフトバンクを苦しめる。 対するソフトバンクは、メッセンジャーを攻略することが出来ず2点に抑えられる。 CSの勢いを保ったか、この初戦は阪神がもぎ取った。 第2戦 阪神 1‐2 ソフトバンク 勝 武田 負 能見 パ・リーグの絶対的王者、ソフトバンクがここで連敗するわけにはいかない。 ホークスの先発・武田翔太は僅かな援護ながら6回まで完璧な投球。 西岡の二塁打で一点を失うも、敵も唸る見事なピッチングだった。 阪神の能見さんもなかなかの投球だったが、4回の李大浩のソロHRが勝負を決めることになる。 この日はソフトバンクが勝利し、勝負を五分五分にした。 第3戦 ソフトバンク 5‐1 阪神 勝 大隣 負 藤浪 この試合からは福岡に戻ることとなる。 阪神の先発はかの藤浪だったが、この日はホークス打線に捕まってしまう。 対する大隣は、丁寧な投球で阪神打線を沈黙させる。 ホークス打線はそのピッチングに答え、藤浪を攻略した。 ここでソフトバンクが2勝1敗とリードする。 第4戦 ソフトバンク 5‐2 阪神 勝 サファテ 負 安藤 この試合は負けられない阪神。 ソフトバンク先発・中田は3回で降ろされるが、その後は失点を許さなかった投手陣。 阪神先発・岩田も7回まで投げ、ソフトバンク打線を2点に押さえつける。 この試合は延長までもつれ込んだが、中村のサヨナラ3ランで試合は決まった。 第5戦 ソフトバンク 1‐0 阪神 勝 五十嵐 負 メッセンジャー この試合で勝てば優勝のホークス、もう負けられない阪神。 ソフトバンク先発の攝津は、ホークス有利の勢いに乗るように阪神打線を封じる。 対するメッセンジャーも、ホークス打線を抑え込む。 試合は8回に動いた。 2死1・3塁という緊張感ある中で松田がついに適時打で1点を取る。 ようやく、1点という重い数字が舞い降りたのはソフトバンクだった。 追い込まれた阪神だが、9回にチャンスが訪れる。 阪神打線はサファテを追い詰め、1死満塁と一打逆転の場面を作る。 この場で打席に立ったのは、阪神の主力選手として活躍した男・西岡剛。 彼はサファテから鋭いゴロを打つ。 これに動いた明石は本塁にボールを投げ、フォースアウトに。 そこから細川が一塁にボールを投げるが、その球は西岡本人に直撃する。 2塁走者の田上はこれを見て、すぐにホームへ向かう。 本多はこの球を拾い、ホームへ送球したが田上はセーフで逆転。 ……になるはずだった。 細川のアピールを見た1塁塁審の白井が、アウトのジャッジを下す。 そう、西岡はラインの内側を走ってしまっていたのだった。 こうして、西岡の守備妨害で試合は幕を引き、ホークスが日本一に輝いた。 妙な幕引きだったが、退任する年に日本一に輝き、何だかんだで有終の美を飾り胴上げされる秋山監督。 その歓喜の裏で、和田監督が主審・白井に抗議を行っているという極めて奇妙な光景が見られた。 阪神ファンは、あの時から再び悪夢を見せられることとなった。 MVPは内川選手。優秀選手は柳田・サファテ・武田に送られた。 健闘選手は、好投を見せたメッセンジャーだった。 こんな形で、2014年の日本シリーズは終わったのであった。 追記・修正は、守備妨害で試合を終えてしまってからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] あの守備妨害は最初びっくりしたけどルール知ってからは極めて妥当な判断だったんだなと思った -- 名無しさん (2015-04-12 22 33 03) 去年は日本シリーズよりCSソフトバンクvs日本ハム戦の方が盛り上がってた気がするんだが… -- 名無しさん (2015-04-12 22 55 15) 1stステージのオリックスvsハムも名勝負だったしな -- 名無しさん (2015-04-12 23 30 30) 「CSでもオリックスを撃破した」って書いてあるけど、ホークスとCSで戦ったのは日ハムじゃね?あと、藤浪と大隣の勝敗が逆になってる。 -- 名無しさん (2015-04-12 23 57 28) まず最初に三塁走者がアウトになったんだから、仮に二塁走者がセーフだったとしても逆転じゃなくて同点じゃない? -- 名無しさん (2015-04-13 09 36 05) 一番の被害者はヤフードームの清掃員の人たちだと思う・・・ごみひろい・・・ -- 名無しさん (2015-04-13 15 21 44) 西岡は何で打ったとしか。ピッチャー崩れまくってストライクはいらなくなってたのに -- 名無しさん (2015-04-13 16 57 03) 正直日シリ出場するとは思ってなかったからあんな負け方でも言うほど辛くもない -- 名無しさん (2015-04-13 23 18 42) 五十嵐との対談で言ってたけど自分が打ってもう一度勢いを・・・って言ってたな まあ西岡はシーズン棒に振ったのもあって顕示欲が野球脳を上回ったんやろなあ -- 名無しさん (2015-04-15 00 58 57) 西岡に関してはぶっちゃけ守備妨害よりほっとけば崩れたであろうサファテからなぜわざわざ打ったのかということに尽きる。勢いとかの前にまず同点にしなきゃ負けだったのに。 -- 名無しさん (2015-05-21 17 43 21) けどあの一瞬で内側走る判断できる当たり相当なもんだよな まあ普通の野球脳あればバット一度も振らないんだろうけどさw -- 名無しさん (2015-06-16 00 54 57) じゃあ俺守備妨害して帰るから(棒読み) -- 名無しさん (2016-10-12 17 57 34) ↑6西岡にそんな頭あるわけないじゃん。全てがコメディで出来ている -- 名無しさん (2018-09-29 13 05 31) 名前 コメント
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登録日:2022/10/17 Mon 19 30 56 更新日:2024/05/10 Fri 15 06 07NEW! 所要時間:約 40 分で読めます ▽タグ一覧 CS KONAMI KONAMI日本シリーズ NPB SMBC SMBC日本シリーズ クライマックスシリーズ コナミ ネタも多い プロ野球 ポストシーズン 三井住友銀行 下剋上 名勝負 所要時間30分以上の項目 日本シリーズ 日本一 短期決戦 秋の風物詩 迷勝負 野球 頂上決戦 予測不能、日本最高峰の決戦 ボクも、戦う。 プロ野球日本シリーズとは、毎年秋に開催されるプロ野球の日本一決定戦である。 正式名称は「プロ野球日本選手権シリーズ」(1953年までは「日本ワールドシリーズ」)。「にほんシリーズ」と呼ばれることも多い。 本項ではリーグ優勝後に実施されるクライマックスシリーズおよびパ・リーグのプレーオフ、二軍の日本シリーズに相当する「ファーム日本選手権」についても記述する。 ●目次 概要 日本シリーズまでの道のりクライマックスシリーズ プレーオフ前期優勝と後期優勝チーム対決(1973年~1982年) 勝率1位~3位対決(2004年~2006年) ルール表彰 放送・配信 各年の結果 記録リーグ別記録 球場記録 日本シリーズの対戦カード ファーム日本選手権 概要 2リーグ制に分裂した1950年以降、セントラル・リーグとパシフィック・リーグの優勝チームが日本一の座をかけて争う。 かつてはレギュラーシーズン優勝チーム同士の対決だったが、クライマックスシリーズ(CS)が導入された2007年以降は2位や3位のチームが優勝チームを倒して下剋上する番狂わせが起きる年もしばしばあり、必ずしも優勝チームが出場するとは限らなくなっている。 戦後に始まったこともあり、現在に至るまで中止になった年はない。 2005年~2013年の間は、勝者がさらに「アジアシリーズ」(2009年・2010年のみ「日韓クラブチャンピオンシップ」)に日本代表として参加していた。 各球団の略称は以下の通り。本項では前身球団も同一カウントするが、松竹と近鉄は傍系という観点から基本的に個別のチームとして取り扱う。 ※巨=巨人、神=阪神、中=中日、松=松竹、横=横浜、De=DeNA、ヤ=ヤクルト、広=広島、オ=オ、南=南海、ダ=ダイエー、ソ=福岡ソフトバンク、西=西鉄→西武、映=東映、日=日本ハム、毎=毎日・大毎、ロ=ロッテ、楽=楽天、洋=大洋、急=阪急、近=近鉄 日本シリーズまでの道のり クライマックスシリーズ 日本シリーズ(7戦4勝制) ファーストステージ(3戦2勝制) ファイナルステージ(6戦4勝制、1位は1勝のアドバンテージ) JERA クライマックスシリーズ セ SMBC日本シリーズ ビジター セ・リーグ3位チーム → ファーストステージ勝利チーム → セ・リーグCS優勝チーム ホーム セ・リーグ2位チーム セ・リーグ優勝チーム パーソル クライマックスシリーズ パ vs ビジター パ・リーグ3位チーム → ファーストステージ勝利チーム → パ・リーグCS優勝チーム ホーム パ・リーグ2位チーム パ・リーグ優勝チーム クライマックスシリーズ 2007年以降はシーズン終了後に両リーグでCSが行われる。 ファーストステージでは2位と3位のチームが対決し、3試合で2勝した方がシーズン優勝チームの待つファイナルステージに進出。ここでは優勝チームに1勝のアドバンテージが与えられ(*1)、これも含めて先に4勝した方が日本シリーズ出場権を得るという仕組みである。 いずれも開催球場は上位チームの本拠地で、引き分けが生じて対戦成績がタイになった場合は上位チームの進出になる。また、ファーストステージの第2戦以降・ファイナルステージの第3戦以降の「引き分け以上で上位チームのステージ勝利が確定する試合」では、最終回の表終了または裏の途中で同点になった時点でコールド扱いになるルールがある。両ステージともに決着がついた時点で終了する。 2020年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う関係で開幕が遅れ、セ・リーグは屋外球場を本拠地とするチームが多いことから雨天中止に備えた予備日を多く確保しておく必要性があったため、2007年の導入以来初の中止が決定。優勝した巨人がそのまま日本シリーズに進出していた。 パ・リーグもファイナルステージ相当の試合のみを4戦3勝制の特別ルールで開催した。 かつては優勝決定後、いわゆる消化試合になって個人記録の達成程度しか見どころがなくなっていたが、CSが導入されたことでAクラスに入れば日本シリーズに出場できたり、後年の開幕戦のホーム開催権を得られたりする可能性が出たため、リーグ優勝決定後もCS出場権をかけた戦いが繰り広げられることも多く、興業面での恩恵も大きい。 実務上は優勝チーム同士の対決であり、下位チームの出場例は少ない。2位から出場したのは2007年の中日・2014年の阪神・2018年と2019年のソフトバンクの4例、3位からの出場は2017年のDeNAと2010年のロッテの2例のみで(太字は日本一)、下位チーム同士で対決した例は一度もない。 ただし、CSに限ればファーストステージを3位が勝ち上がった例は多く、特にセ・リーグでは開催がなかった2020年を挟み、2016年から2022年まで8年7回連続で2位チームがファーストステージ敗退になっていた。 また、シーズン勝率5割未満のいわゆる「借金」チームが進出した例もない。ただし交流戦の関係上、理論上は優勝チーム同士でも一方が「借金」になる可能性はある。 プレーオフ時代とは違って年間順位はシーズン内で決定し、CSの成績は反映されない。従って仮に優勝チームがCSで敗れたとしても優勝の権利まで奪われることはなく、逆もまたしかりである。 そのため、リーグ優勝した上で日本一になることを「完全優勝」と呼ぶこともある。 プレーオフ 2006年までは主にパ・リーグでプレーオフ(PO)が実施された年がある。CSとは違って優勝決定戦の意味合いも持っており、当時は年間勝率に関係なくPOに勝利したチームがそのままリーグ優勝であった。 ただし、POの個人成績はレギュラーシーズンに加算されず、公式記録としてもカウントされない。これはCSや日本シリーズも含めたポストシーズン全体の共通事項である。 前期優勝と後期優勝チーム対決(1973年~1982年) 当時は130試合制で、パ・リーグのみシーズンを65試合ずつの前期(4~6月)と後期(7~9月)に分け、それぞれで順位を決定。優勝チームが異なる場合は5戦3勝制のPOを実施した(前後期とも同一チームが年間優勝の場合は実施なし)。前期と後期、そしてPOと1年で3度の優勝争いを設けて観客動員の確保を期待したいとの考えである。 第1・2戦は前期1位チーム、第3~5戦は後期1位チームをホームとして行われた。なお、理論上は年間4位でも優勝する可能性があるが実例はなく、年間1位でありながら前後期とも優勝できずにPO進出すら逃したチームもない。 年間順位は1位がPOの勝者で、2位以下はPOの結果に関係なく年間勝率順になるため、前後期のどちらかで優勝してもPOで敗れたことで年間勝率の関係で3位になった例もあった(1977年と1981年のロッテが該当)。 CSと同様に年間勝率2位以下からPOに勝利して日本シリーズに出場した例があり、1975年の阪急・1979年の近鉄・1982年の西武が年間2位、1973年の南海が年間3位からそれぞれ出場している(太字は日本一)。 年間勝率2位以下のチームが優勝した場合、年間1位チームが2位に、2位チームが3位にそれぞれ繰り下がることになる。そのため、1973年のロッテは年間勝率2位ながらPOで年間3位の南海が優勝したことで年間順位は3位になっている。 上記のような優勝チームより2位・3位の方が勝率で上回るケースではゲーム差がマイナスになっている。 導入当初は好評を博したが、後期終了後に前期の未消化試合をこなすといった日程面での課題もあった。 一応初年度の1973年のみ、雨天中止による予備日確保の名目で前期と後期の間に約2週間のインターバルを設けていたが、日程があまりに空きすぎるとして1974年以降は前期終了と同時に後期開幕という日程に変更されている。 また、従来の半分の試合数で優勝が決まってしまうことから結果的に消化試合が増加するという問題点もあった。 1980年代に入ると極端に観客動員が減少してしまい、2シーズン制を行う意義が薄れたとして1982年をもって終了した。 いずれも「前期優勝 - 後期優勝」の順。 ・1973年(南海 - 阪急) 前期優勝の南海と後期優勝の阪急が対戦し、南海が3勝2敗で阪急を下して7年ぶり12度目のリーグ優勝を達成。しかし、巨人との日本シリーズでは1勝4敗で敗れ、「V9」を許した。 南海は年間3位であり、史上初めて勝率2位以下のチームが日本シリーズに出場した。前後期制下の10年間で3位チームが出場したのはこの年が唯一である。なお、南海としてはこの年が最後の日本シリーズ出場になった。 一方で、前述の通り阪急は年間勝率1位ながら日本シリーズ出場を逃した史上初のチームになってしまった。 MVPは佐藤道郎。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 南海 38 26 1 .594 優勝 1位 阪急 43 19 3 .694 優勝 2位 ロッテ 35 27 3 .565 2.0 2位 ロッテ 35 22 8 .614 5.5 3位 阪急 34 29 2 .540 3.5 3位 南海 30 32 3 .484 13.0 4位 太平洋 25 30 3 .516 5.0 日拓 5位 日拓 22 37 3 .403 12.0 5位 太平洋 27 34 4 .443 15.5 6位 近鉄 23 38 4 .377 13.5 6位 近鉄 19 25 1 .297 25.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 南海 68 58 4 .540 優勝 2位 阪急 77 48 5 .616 -9.5 3位 ロッテ 70 49 11 .588 -5.5 4位 太平洋 59 64 7 .480 7.5 5位 日拓 55 69 6 .444 12.0 6位 近鉄 42 83 5 .336 25.5 ・1974年(阪急 - ロッテ) 前期優勝の阪急と後期優勝のロッテが対戦し、ロッテが3勝ストレート勝ちで4年ぶり4度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは巨人の「V10」を阻止した中日と対戦し、4勝2敗で24年ぶり2度目の日本一も勝ち取った。 MVPは村田兆治。 なお、ロッテが当時暫定的に使用していた宮城球場では収容人数が3万人に満たなかったため、日本シリーズでは後楽園球場を本拠地として行われた。 また、ロッテは下記の通り2005年は年間勝率2位からPOを制してのリーグ優勝、2010年もリーグ3位からCSと日本シリーズを勝ち上がってそれぞれ日本一になっているため、この年が最後の年間勝率1位になっている(*2)。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 36 23 6 .610 優勝 1位 ロッテ 38 23 4 .623 優勝 2位 ロッテ 31 27 7 .534 4.5 2位 南海 32 27 6 .542 5.0 3位 太平洋 30 30 5 .500 6.5 3位 阪急 33 28 4 .541 5.0 4位 南海 27 28 10 .491 7.0 4位 太平洋 29 34 2 .460 10.0 5位 近鉄 27 32 6 .458 9.0 4位 近鉄 6位 日本ハム 25 36 4 .410 12.0 6位 日本ハム 24 39 2 .381 15.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 69 50 11 .580 優勝 2位 阪急 69 51 10 .575 0.5 3位 南海 59 55 16 .518 7.5 4位 太平洋 59 64 7 .480 12.0 5位 近鉄 56 66 8 .459 14.5 6位 日本ハム 49 75 6 .395 22.5 ・1975年(阪急 - 近鉄) 前期優勝の阪急と後期優勝の近鉄が対戦し、阪急が3勝1敗で近鉄を制して3年ぶり6度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは初のリーグ優勝を決めた広島と対戦し、4勝2分の負けなしで球団史上初の日本一にも輝いた。 この年からパ・リーグでは指名打者制が導入されることになるが、日本シリーズでは1985年まで使用できなかった。 MVPは長池徳二。 なお、近鉄の本拠地として使用された藤井寺球場は当時ナイター設備も収容人数3万人も満たしていなかったが問題なく開催されており、仮に近鉄が日本シリーズに出場していた場合も同様だった。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 38 25 2 .603 優勝 1位 近鉄 40 20 5 .667 優勝 2位 太平洋 30 29 6 .5085 6.0 2位 ロッテ 32 31 2 .508 9.5 3位 近鉄 31 30 4 .5082 3位 南海 30 33 2 .476 11.5 4位 日本ハム 27 30 8 .474 8.0 4位 日本ハム 28 33 4 .459 12.5 5位 南海 27 32 6 .458 9.0 5位 太平洋 6位 ロッテ 27 34 4 .443 10.0 6位 阪急 26 34 5 .433 14.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 64 59 7 .520 優勝 2位 近鉄 71 50 9 .587 -8.0 3位 太平洋 58 62 10 .483 4.5 4位 ロッテ 59 65 6 .476 5.5 5位 南海 57 65 8 .467 6.5 6位 日本ハム 55 63 12 .466 ・1976年(阪急が年間優勝) 阪急が前後期とも優勝してリーグ連覇となる7度目の優勝を決めたことからPOはなし。日本シリーズでは4年ぶりに巨人と対戦し、第7戦までもつれた末に日本一連覇も達成。 ・1977年(阪急 - ロッテ) 前期優勝の阪急と後期優勝のロッテが対戦し、4年ぶりに第5戦までもつれた末に阪急が3勝2敗でロッテを下して3連覇となる8度目のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは再び巨人との対戦になり、4勝1敗と圧倒して3連覇を果たした。 なお、阪急としてはこの年が最後の日本一になった。 MVPは山田久志。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 35 25 5 .583 優勝 1位 ロッテ 33 24 8 .579 優勝 2位 南海 33 26 6 559. 1.5 2位 阪急 34 26 5 .567 0.5 3位 近鉄 31 26 8 .544 2.5 3位 南海 30 29 6 .508 1.0 4位 日本ハム 31 29 5 .517 4.0 4位 日本ハム 27 32 6 .458 7.0 5位 ロッテ 27 33 5 .450 8.0 5位 クラウン 29 35 1 .453 7.5 6位 クラウン 20 38 7 .345 14.0 6位 近鉄 28 35 2 .444 8.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 阪急 69 51 10 .575 優勝 2位 南海 63 55 12 .534 5.0 3位 ロッテ 60 57 13 .513 7.5 4位 近鉄 59 61 10 .492 10.0 5位 日本ハム 58 61 11 .487 10.5 6位 クラウン 49 73 8 .402 21.0 ・1978年(阪急が年間優勝) 阪急が前後期とも優勝してリーグ4連覇となる9度目の優勝を決めたことからPOはなし。しかし、球団史上初のリーグ優勝を決めたヤクルトとの日本シリーズでは3勝4敗で惜敗し、4連覇はならなかった。 ・1979年(近鉄 - 阪急) 前期優勝の阪急と後期優勝の近鉄が対戦し、近鉄が3戦スイープで球団史上初のリーグ優勝を達成。しかし、広島との日本シリーズでは3勝4敗で敗れた。 MVPは山口哲治。 なお、1975年とは違って近鉄の本拠地は日本シリーズも含めて大阪球場で開催された。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 近鉄 39 19 7 .672 優勝 1位 阪急 36 23 6 .610 優勝 2位 阪急 39 21 5 .650 1.0 2位 近鉄 35 26 4 .574 2.0 3位 日本ハム 34 26 5 .567 6.0 3位 ロッテ 29 29 7 .500 6.5 4位 ロッテ 26 34 5 .433 14.0 4位 日本ハム 29 34 2 .460 9.0 5位 南海 23 39 3 .371 18.0 5位 西武 27 33 5 .450 9.5 6位 西武 18 40 7 .310 21.0 6位 南海 23 34 8 .404 12.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 近鉄 74 45 11 .622 優勝 2位 阪急 75 44 11 .630 -1.0 3位 日本ハム 63 60 7 .512 13.0 4位 ロッテ 55 63 12 .466 18.5 5位 南海 46 73 11 .387 28.0 6位 西武 45 73 12 .381 28.5 ・1980年(ロッテ - 近鉄) 前期優勝のロッテと後期優勝の近鉄が対戦し、この年も近鉄が3連勝でリーグ連覇を達成。しかし、2年連続で広島との顔合わせになった日本シリーズではまたしても3勝4敗で敗れ、悲願の日本一まであと一歩及ばなかった。 前年に引き続き、日本シリーズも含めて近鉄の本拠地は大阪球場で開催された。 MVPは平野光泰。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 33 25 7 .569 優勝 1位 近鉄 35 26 4 .574 優勝 2位 近鉄 33 28 4 .541 1.5 2位 日本ハム 33 25 7 .569 0.5 3位 日本ハム 3位 ロッテ 31 26 8 .544 2.0 4位 阪急 29 34 2 .460 6.5 4位 西武 35 30 0 .538 2.0 5位 南海 28 34 3 .452 7.0 5位 阪急 29 33 3 .468 6.5 6位 西武 27 34 4 .443 7.5 6位 南海 30 43 2 .411 11.0 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 近鉄 68 54 8 .5574 優勝 2位 ロッテ 64 51 15 .5565 0.5 3位 日本ハム 66 53 11 .555 0.5 4位 西武 62 64 4 .492 8.0 5位 阪急 58 67 5 .464 11.5 6位 南海 48 77 5 .384 21.5 ・1981年(ロッテ - 日本ハム) 前期優勝のロッテと後期優勝の日本ハムが対戦し、日本ハムが3勝1敗1分で東映時代の1962年以来19年ぶり2度目、日本ハムとしては初のリーグ優勝を達成。しかし、巨人との日本シリーズでは2勝4敗で敗れた。 前後期制下の10年間で引き分けが発生したのはこの年が唯一である。 MVPは柏原純一。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 35 26 4 .574 優勝 1位 日本ハム 37 23 5 .617 優勝 2位 西武 33 28 4 .541 2.0 2位 阪急 36 28 1 .563 3.0 3位 阪急 32 30 3 .516 3.5 3位 ロッテ 28 31 6 .475 8.5 4位 日本ハム 31 31 3 .500 4.5 4位 近鉄 29 34 2 .460 9.5 5位 南海 29 32 4 .475 6.0 5位 西武 28 33 4 .459 9.5 6位 近鉄 25 38 2 .397 11.0 6位 南海 24 33 8 .421 11.5 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 日本ハム 68 54 8 .557 優勝 2位 阪急 68 58 4 .540 2.0 3位 ロッテ 63 57 10 .525 4.0 4位 西武 61 61 8 .500 7.0 5位 南海 53 65 12 .449 13.0 6位 近鉄 54 72 4 .429 16.0 ・1982年(西武 - 日本ハム) 前期優勝の西武と後期優勝の日本ハムが対戦し、西武が3勝1敗で日本ハムを破って西鉄時代の1963年以来19年ぶり6度目、西武としておよび所沢移転後初のリーグ優勝を達成。日本シリーズでは中日を4勝2敗で下し、こちらも西鉄時代の1958年以来24年ぶり4度目の日本一にも輝いた。 MVPは大田卓司。 この年をもってパ・リーグの前後期制は終了し、翌年からは1シーズン制に戻った。POも1985年までは上位2チームによる対戦に移行したが、結局一度も開催されないまま2004年からのAクラス対決まで待つことになる。 前期成績 後期成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 西武 36 27 2 .571 優勝 1位 日本ハム 35 23 7 .603 優勝 2位 阪急 33 28 4 .541 2.0 2位 近鉄 33 30 2 .524 4.5 3位 近鉄 30 27 8 .526 3.0 3位 西武 32 31 2 .508 5.5 4位 日本ハム 32 29 4 .525 4位 ロッテ 31 33 1 .484 7.0 5位 南海 27 34 4 .443 8.0 5位 阪急 29 32 4 .475 7.5 6位 ロッテ 23 36 6 .390 11.0 6位 南海 26 37 2 .413 11.5 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 西武 68 58 4 .540 優勝 2位 日本ハム 67 52 11 .563 -2.5 3位 近鉄 63 57 10 .525 2.0 4位 阪急 62 60 8 .508 4.0 5位 ロッテ 54 69 7 .439 12.5 6位 南海 53 71 6 .427 14.0 ・一覧表 太字は日本一。「-」は引き分け。 年 優勝チーム【年間順位】(優勝期)※特筆なき場合は年間1位 勝敗 星取表 対戦相手(優勝期) 最高優秀選手 敢闘選手 勝 分 負 1 2 3 4 5 1973年 南海【3位】(前期) 3 2 南 急 南 急 南 阪急(後期) 佐藤道郎 住友平 1974年 ロッテ(後期) 3 0 ロ ロ ロ 阪急(前期) 村田兆治 長池徳二 1975年 阪急【2位】(前期) 3 1 近 急 急 急 近鉄(後期) 長池徳二 有田修三 1976年 前後期とも阪急が優勝 1977年 阪急(前期) 3 2 急 ロ ロ 急 急 ロッテ(後期) 山田久志 三井雅晴 1978年 前後期とも阪急が優勝 1979年 近鉄【2位】(前期) 3 0 近 近 近 阪急(後期) 山口哲治 稲葉光雄 1980年 近鉄(後期) 3 0 近 近 近 ロッテ(前期) 平野光泰 有藤道世 1981年 日本ハム(後期) 3 1 1 日 - 日 ロ 日 ロッテ(前期) 柏原純一 村田兆治 1982年 西武【2位】(前期) 3 1 西 西 日 西 日本ハム(後期) 大田卓司 工藤幹夫 勝率1位~3位対決(2004年~2006年) この3年間のパ・リーグはAクラスの3チームによるPOが開催され、第1ステージで2位と3位のチームが対決し、勝った方が1位チームの待つ第2ステージに進出。勝利チームがその年のリーグ優勝に輝いた。 いずれもシーズン上位チームの本拠地で戦い、第1ステージは3戦2勝制・第2ステージは5戦3勝制、成績がタイの場合は上位チームの勝利扱いになるなど基本的なルールはCSとほぼ同様だが、当時はMVPの表彰はなかった。 前後期時代と同じく年間順位は1位がPOの勝者で、2位以下はPOの成績に関係なく勝率順になるため、優勝しない限り順位は変動しない。従ってシーズン3位チームが第2ステージに進んでもそこで敗退すれば年間順位は3位のままであり、逆もまたしかりである。 一方で下位チームの下剋上が達成された場合、シーズン1位チームが年間2位に、2位チームが年間3位にそれぞれ繰り下がることになる。 シーズン成績が同率順位のチームが発生した場合は以下の通り。 シーズン1位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして第2ステージのみ行う。第5戦が終わって成績がタイの場合は翌日に延長無制限の第6戦を行う。第1ステージは中止されるため、3位チームはシーズン終了となる。 シーズン2位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして第1ステージを行う。第3戦が終わって成績がタイの場合は「当該チーム間の対戦成績」→「勝率1位チームとの対戦成績」→「交流戦を除いたリーグ戦成績」の順番に勝者を決定する。 シーズン3位のチームが並んだ場合、前年のシーズン上位チームをホームとして3位決定戦を延長無制限で行い、第1ステージ進出チームを決める。 しかしながら、これらのルールに基づけば「故意に敗れることによってPO進出が確定する」という八百長になりかねない制度上の不備があった。実際に、2005年のパ・リーグは1位をソフトバンクとロッテで争っていたが、すでに3位が確定していた西武が9月25日のソフトバンク戦で敗れたことによってソフトバンクの単独1位が確定し、西武のPO進出も決定した。 仮に西武が勝利していた場合、その後の成績次第ではソフトバンクとロッテが同率1位になってしまい、上記のように西武のPO進出が潰えた可能性もあった。 また、CSとは違って1位チームのアドバンテージに条件があり、第1ステージの勝者に5ゲーム差以上つけていた場合に与えられることになっていた。 特に2004年・2005年を2年連続シーズン1位で終えたダイエー→ソフトバンクは2年とも2位と4.5ゲーム差とあと0.5届かなかったことが災いし、第2ステージは2年とも2勝3敗で敗退してしまった。 2年連続勝率1位ながらV逸するという不公平性が議論された結果、ソフトバンクの提案で2006年は無条件でアドバンテージが与えられることになり、第2ステージは4戦制に削減された。さらに第3・4戦は下位チームがホームになるようになったほか、同率順位が発生した場合は「当該チーム間の対戦成績」→「前年の順位」の順に順位を決定する規定になったため、上記の順位決定戦は廃止された。 なお、前後期制とは違ってシーズンMVPはPOの結果に関係なく勝率1位のチームから選出されており(*3)、この風潮はCSに移行しても続いている。 いずれも「上位チーム - 下位チーム」の順。 ・2004年(西武 - 日本ハム→ダイエー - 西武) 1982年以来22年ぶりの開催になったPO。第1ステージではシーズン2位の西武と3位の日本ハムが対戦し、2勝1敗で勝利した西武が第2ステージに進出。シーズン1位のダイエーも3勝2敗で下し、2年ぶり20度目のリーグ優勝を達成。 日本シリーズでは中日と対戦し、4勝3敗で22年ぶり12度目の日本一にも輝いた。 なお、この年はプロ野球再編問題によるストライキで2試合が中止され、133試合制で行われた。 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 西武 74 58 1 .561 優勝 2位 ダイエー 77 52 4 .597 -4.5 3位 日本ハム 66 65 2 .504 7.5 4位 ロッテ 65 65 3 .500 8.0 5位 近鉄 61 70 2 .466 12.5 6位 オリックス 49 82 2 .374 24.5 ・2005年(ロッテ - 西武→ソフトバンク - ロッテ) 第1ステージではシーズン2位のロッテと3位の西武が対戦し、連勝で勝利したロッテが第2ステージに進出。シーズン1位のソフトバンクも3勝2敗で下し、31年ぶり5度目にして千葉移転後初のリーグ優勝を達成。 阪神との日本シリーズでは4戦ストレート勝ちで圧倒し、こちらも31年ぶり3度目にして千葉移転後初の日本一も手にした。 詳細は当該項目を参照。 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 ロッテ 84 49 3 .632 優勝 2位 ソフトバンク 89 45 2 .664 -4.5 3位 西武 67 69 0 .493 18.5 4位 オリックス 62 70 4 .470 21.5 5位 日本ハム 62 71 3 .466 22.0 6位 楽天 38 97 1 .281 47.0 ・2006年(西武 - ソフトバンク→日本ハム - ソフトバンク) 上記の通りこの年は無条件で1位にアドバンテージが与えられ、第2ステージは4戦制になった。第1ステージではシーズン2位の西武と3位のソフトバンクが対戦し、ソフトバンクが2勝1敗で勝利。第2ステージではシーズン1位の日本ハムがアドバンテージを含めた3連勝でソフトバンクを下し、25年ぶり3度目にして北海道移転後初のリーグ優勝を達成。下剋上なく1位チームがそのまま優勝したのは3年間でこの年が唯一である。 中日との日本シリーズでは4勝1敗と優位に試合を進め、東映時代の1962年以来44年ぶり2度目、日本ハムとしておよび北海道移転後初の日本一にも輝いた。 POとしてはこれが最後の年になり、翌年からはCSが導入されたことで優勝決定戦の側面はなくなり、あくまで日本シリーズ出場チームを決める方式になった。 一方のソフトバンクは初めて3位から第2ステージに進出したチームになったが、この年の日本ハムとは4.5ゲーム差であり、従来のルールではアドバンテージがなかったため、皮肉にも自ら提案したルールで自分の首を絞めるという最悪の結果を招き、3年連続第2ステージ敗退という憂き目を見た。上記の通りこの年の第3戦以降は下位チームの本拠地(ヤフードーム)で行われる予定だったが、これも幻と消えた。 完投しながらもサヨナラ打を浴びて敗れた斉藤和巳がマウンド上で崩れ落ちる姿は現在でもプロ野球史に残る名シーンの一つに数えられている。 年間成績 順位 チーム 勝 敗 分 勝率 差 1位 日本ハム 82 54 0 .603 優勝 2位 西武 80 54 2 .597 1.0 3位 ソフトバンク 75 56 5 .573 4.5 4位 ロッテ 65 70 1 .481 16.5 5位 オリックス 52 81 3 .391 28.5 6位 楽天 47 85 4 .356 33.0 ・一覧表 太字は日本一。「ア」はアドバンテージ。 年 ステージ 勝利チーム(順位) 勝敗 星取表 対戦相手(順位) 名称 試合数 勝 負 ア 1 2 3 4 5 2004年 第1 3 西武(2位) 2 1 西 日 西 日本ハム(3位) 第2 5 3 2 ダ 西 西 ダ 西 ダイエー(1位) 2005年 第1 3 ロッテ(2位) 2 0 ロ ロ 西武(3位) 第2 5 3 2 ロ ロ ソ ソ ロ ソフトバンク(1位) 2006年 第1 3 ソフトバンク(3位) 2 1 西 ソ ソ 西武(2位) 第2 4 日本ハム(1位) 3 0 (日) 日 日 ソフトバンク(3位) その他、1983年~1985年のパ・リーグでは「勝率1位と2位対決」、2001年~2006年のセ・リーグでは「勝率1位と勝利数1位対決」によるPO開催の可能性があったものの、結局一度も行われなかった。 また、パ・リーグでは1952年・1963年・1966年・1968年、セ・リーグでは1991年・1992年・1994年・1996年にも同率1位のチームが並ぶ可能性があったことからPOの開催が検討されたものの、こちらも一度も実現しなかった。 ルール SMBC日本シリーズ 第1戦 第2戦 移動日 第3戦 第4戦 第5戦 移動日 第6戦 第7戦 (第8戦) (移動日) (第9戦) (第10戦) (第11戦) (第12戦) (第13戦) (第14戦) 偶数年 セ球場 パ球場 セ球場 (パ球場) 第10戦以降は実例がないので不明。 奇数年 パ球場 セ球場 パ球場 (セ球場) こうしてPO→CSが決着した後、主に10月下旬に行われる。ただし、諸事情から10月上旬に前倒しされたり、あるいは11月にずれ込んだりした例もある。 基本的に7試合が実施され、先に4勝したチームがその年の日本一となる。CSと同じく決着がついた場合は残りの試合は行われない。 引き分けやコールドが生じて第7戦までに決着がつかない場合、翌日にその球場で第8戦を行う。それでも4勝にならない場合は移動日を挟み、もう一方の球場で第9戦を行うことになっている。 第8戦以降は延長無制限で行われることから何らかの理由でコールドにならない限りは基本的に必ず勝負がつくため、理論上は最長第14戦まで発生し得る(*4)。 実際に第8戦が行われたのは1986年が唯一であり、第10戦以降は実例がないので具体的なルールは決められていない。 使用球場は1954年以降、西暦が偶数の年はセ・リーグ、奇数の年はパ・リーグのチームがそれぞれ第1・2・6・7戦をホームで行い、第3戦~第5戦はビジターになる(上記の表を参照)。 開催地を移動する第2・3戦目および第5・6戦目、引き分けなどが絡んだ場合の第8・9戦目の間には移動日が設けられている。これは当該本拠地同士がどれだけ近距離であっても同様である。 出場2チームの本拠地が離れていて当日移動が難しいと判断された場合は移動日を設ける場合があるが、実現した例はない。 雨天などで試合中止になった場合は2006年までは移動日を含めた全日程が順延していたが、2007年以降は第5戦までの試合が中止になった場合は第5・6戦目の移動日がなくなるようになっている(*5)。 オールスターゲームと同様に規定上は収容人数3万人以上の球場での開催が条件になっているため、設備や他のイベントとの関係で本拠地以外の球場で開催されることもしばしばある。 レギュラーシーズンやCSと異なり、主催はNPBが担当。 2011年以降は冠スポンサーが付くようになり、2011年~2013年は『パワプロ』でおなじみのコナミ、2014年以降はNPBパートナーである三井住友銀行(SMBC)がスポンサーを担当している。 かつては各チームの本拠地が全て屋外球場であり、季節的に寒くなり出すこともあって1993年までは平日を含めた全試合がデーゲームで実施されていた(1964年のみ全試合ナイター)。 当時のプロ野球は国民的人気だったこともあり、小学校の授業中に先生までもグルになってこっそり見た人も多いと思われる。 しかし、平日のデーゲームでは会社や学校を休まなければ観戦もままならず、視聴率や収益面の兼ね合いもあってか1994年は平日開催試合のみ試験的にナイターを実施し、1995年以降は全試合ナイターに移行した。 もっとも、近年はテレビ視聴率の低下や現地観戦者への配慮から、土休日だけでもデーゲームに戻してほしいとの声も上がっている。 出場可能な選手はレギュラーシーズンの延長線上にあるCSとは違い、第1戦の2日前までに提出した最大40人の「出場有資格者選手」の中から試合ごとにベンチ入りメンバーを26人選出する。一度公示されると変更することはできない。 通常の出場選手登録とは別の扱いのため、「引退選手特例」で抹消された引退選手の登録も可能。 予告先発は両監督の間で合意がなされた場合のみ行われる。 2018年以降、第7戦までは延長12回、引き分けが絡んだ場合に起こる第8戦以降は無制限で行われる。 かつては最長で延長18回までの上限があり、1986年までは時間制限もあって過ぎた場合はそのイニングで終了した。 ダブルヘッダーやサスペンデッドゲームの適用はない。 時間制限の変遷 ~1966年 - 日没(1964年のみ22時30分) 1967年~1981年 - 17時30分 1982年~1986年 - 試合開始から4時間30分 1987年~1993年 - 第7戦までは延長18回、第8戦以降は無制限 1994年~2017年 - 第7戦までは延長15回(1994年はデーゲームのみ延長18回) 2018年~ - 第7戦までは延長12回 指名打者制は1985年に初めて採用され、阪神の弘田澄男がセ・リーグ初の指名打者として出場。当初は1年ごとに採用と不採用を繰り返す規定だったが、1987年以降は年に関係なく交流戦と同様にパ・リーグ球場で採用されている。ただし、2020年はコロナ禍の影響を考慮し、1985年以来となるセ・リーグ球場も含めた全試合で採用された。 審判は外審も含めた6人制で行われる。 シーズン中は出番の少なかった選手が意外な活躍を見せる「シリーズ男」の登場もある一方、リーグ優勝に貢献しながらシリーズではブレーキになってしまう「逆シリーズ男」が生まれてしまうこともあり、短期決戦特有の難しさがあるとも言われる。 なお、日本シリーズに出場したチームは第2次戦力外通告の期限が4日間延長される。 表彰 CSと同じく表彰制度が設けられている。勝利チームからMVPが選出されるのは同様だが、日本シリーズではこれに加えて1953年以降は敗戦チームからも敢闘(選手)賞が授与される。 その他、スポンサーを迎えた2011年以降はコナミやSMBCからの特別賞が授与されることもある。 最高殊勲選手賞(MVP) 賞品はトロフィーと賞金700万円。1954年~2006年は乗用車が贈呈され、基本的にトヨタ自動車製だが広島が勝利した1979年・1980年・1984年はスポンサーの関係でマツダから贈呈された。 原則としてチームの日本一に最も貢献した1人が選出されるが、1962年のみ土橋正幸・種茂雅之のバッテリーがダブル受賞した。 最多の表彰者は4回受賞した長嶋茂雄(1963年・1965年・1969年・1970年)。最年少受賞者は1958年の稲尾和久(21歳)、最年長は2011年の小久保裕紀(40歳)である。 その他の記録 複数回の受賞者は上述の長嶋に加え、別所毅彦(1952年、1955年)・堀内恒夫(1972年・1973年)・工藤公康(1986年・1987年)・秋山幸二(1991年、1999年)・古田敦也(1997年、2001年)・今江敏晃(2005年、2010年)の6人が2回ずつ。 2年連続の受賞者は長嶋・堀内・工藤の3人。秋山は2チームで受賞した唯一の選手(1991年は西武、1999年はダイエー)。 外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1961年)、ジョー・スタンカ(1964年)、ジム・ライトル(1980年)、ランディ・バース(1985年)、オレステス・デストラーデ(1990年)、トーマス・オマリー(1995年)、トロイ・ニール(1996年)、李大浩(2015年)、ブランドン・レアード(2016年)、デニス・サファテ(2017年)、ジュリスベル・グラシアル(2019年)の11人。 キューバ出身のデストラーデとグラシアル、韓国出身の李大浩以外はアメリカ出身。 シーズンMVPとの同時受賞者は別当薫(1950年)、別所毅彦(1952年)、杉下茂(1954年)、稲尾和久(1958年)、杉浦忠(1959年)、長嶋茂雄(1963年)、ジョー・スタンカ(1964年)、堀内恒夫(1972年)、山田久志(1977年)、ランディ・バース(1985年)、石井丈裕(1992年)、トーマス・オマリー(1995年)、古田敦也(1997年)、松井秀喜(2000年)、デニス・サファテ(2017年)の15人。 なお、シーズンMVPとCSMVPの同時受賞者はダルビッシュ有(2007年第2)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、内川聖一(2011年)、田中将大(2013年)の5人がいるが、いずれも日本シリーズでは敗退ないしチームメイトがMVPを受賞しているため、シーズン・CS・日本シリーズのMVP三冠王は例がない。 敢闘(選手)賞 賞品はトロフィーと賞金100万円。1953年から制定され、敗戦チームで最も活躍した1人が選出される。4勝3敗など接戦で決着した際は仮に優勝していた場合のMVPという側面もある。 これは4戦ストレート負けであっても例外ではなく、「該当者なし」は一度も例がない。 唯一の例外として1956年の巨人は2勝4敗ながら選出されず、勝利した西鉄の稲尾和久が受賞した。 最多の表彰者は3回獲得した足立光宏(1967年・1972年・1978年)。最年少受賞者は1956年の稲尾和久(19歳)、最年長は2012年の稲葉篤紀(40歳)である。 その他の記録 複数回の受賞者は上述の足立に加え、稲尾和久(1956年、1963年)・長池徳二(1968年・1969年)・清原和博(1993年・1994年)川上憲伸(1999年、2006年)の4人が2回ずつ。 2年連続の受賞者は長池と清原の2人。1956年の稲尾は前述の通り優勝チームからの選出。 外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1957年)、ジョー・スタンカ(1961年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、アレックス・ラミレス(2008年)、ランディ・メッセンジャー(2014年)、ブラッド・エルドレッド(2016年)、ホセ・オスナ(2022年)の8人。 ベネズエラ出身のカブレラ・ラミレス・オスナ以外はアメリカ出身。 MVPと敢闘選手賞の両方を受賞したことがあるのは大下弘(1954年に敢闘選手賞、1957年にMVP)、稲尾和久(1956年・1963年に敢闘選手賞、1958年にMVP)、宮本敏雄(1957年に敢闘選手賞、1961年にMVP)、ジョー・スタンカ(1961年に敢闘選手賞、1964年にMVP)、柴田勲(1966年にMVP、1976年に敢闘選手賞)、山田久志(1971年に敢闘選手賞、1977年にMVP)、西本聖(1981年にMVP、1983年に敢闘選手賞)、石毛宏典(1985年に敢闘選手賞、1988年にMVP)、稲葉篤紀(2006年にMVP、2012年に敢闘選手賞)の9人。 シーズンMVPとの同時受賞者は大下弘(1954年)、藤田元司(1958年)、足立光宏(1967年)、長池徳二(1969年)、野村克也(1973年)、山本浩二(1975年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、ダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、山田哲人(2015年)、山本由伸(2021年)の13人。 CSMVPとの同時受賞者はダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、吉見一起(2011年)、ホセ・オスナ(2022年)の5人。 従って、ダルビッシュ・ラミレス・和田の3人はシーズンMVP・CSMVP・敢闘選手賞のトリプル受賞を果たしている。 優秀選手賞 賞品はトロフィーと賞金100万円。一定の成績を残した3人の選手に授与される。 配分は試合展開によって異なり、基本的に4勝3敗決着であれば勝利チーム2人と敗戦チーム1人、ストレート決着であれば勝利チームからのみ3人選出されるが、4勝2敗・4勝1敗決着の場合は各試合の展開によって配分が変わる。 1979年までは「打撃賞」「最優秀投手賞」「技能賞」など部門ごとに分かれており、年によっては両チームから選出されたこともあった。 放送・配信 地上波では全試合が民放の全国ネットで試合終了まで放送される。当初はNPB側が推奨したテレビ局に直接放送を交渉するという方式を取っていた。 しかし、2010年には第1・2・5戦の3試合で地上波全国放送が見送られる事態が起こった。 これは、当時すでにプロ野球中継の大半がローカル放送または衛星放送に移管したことで関東地区での視聴率が望めなかったことや、テレビ局側が他番組を編成していたので動かせなかったのが理由とされる。 視聴者側にも「後番組がいつ始まるか不明なので迷惑」というイメージが定着していたことに加え、局側からすると「ゴールデンタイムに視聴率が見込めず、終了時間もわからない特番を編成する」ことになるので(*6)、日本シリーズを放送すること自体がかなりハイリスクになっていたと言ってもいいだろう。 そのためNPBは2011年以降、広告代理店経由で放送を交渉する方式に変更。前述の冠スポンサーを設け、そのCMを多数流すことで何とか放映枠を確保して現在に至っている。 もっとも、上記の不満が解消されたわけではないことに加えて、視聴率も2桁に達するのは後半以降という傾向があるため、現行の方式も今後どうなるか正直厳しい状況でもある。 テレビ局の編成都合で試合開始時間が変更された例もあり、2011年の第1戦はフジテレビがゴールデンタイムに「ワールドカップバレー2011」を中継するため、17年ぶりのデーゲームでの開催になった。 2016年の第5戦も試合開始時刻が30分早い18時からの開始になったが、これは中継するテレビ朝日が後番組に『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』を放送するため、延長時の時間確保が目的とされる。 なお、NHKでの放送は1990年代までは地上波総合テレビで実施した例もあったが、民放の全国ネットワークが一通り完成したこともあり、現在はBSのみで放送されている。 一方、ネット配信の対応については消極的で、初めて実施されたのが2016年とかなり遅い。 ネット配信はTVer含めた民放系のみでの実施で、公式戦を配信しているDAZNやパ・リーグTVでの配信もない。 そのためメジャーリーグ(MLB)やJリーグと異なり、放映権が一括管理されていないゆえの弊害と見る向きもある(*7)。 中継では通常の野球解説者に加え、出場しないチームの現役選手や監督(その年で引退・退任した人も含む)がゲスト解説として登場することも多い。 各年の結果 ここでは、各年の結果・見どころやMVPの選手を10年ごとに分けて紹介していく。 1975年・2005年・2007年・2010年・2013年・2014年・2016年・2023年は別記事ができているのでそちらも参照。 いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記し、太字は優勝チーム。 球団名・球場名・登録名などは開催当時のもの。 ・1950年代(第1回~第10回) NPBが2リーグに分裂したことで導入された、日本シリーズ黎明期の年代。 1950年:松竹 - 毎日(毎日4勝2敗、初優勝) 記念すべき第1回シリーズ。この年創設されたばかりの毎日が松竹を破り、初代日本一に輝いた。 当時はまだフランチャイズ制度が導入されておらず、第1戦から順番に神宮→後楽園球場→甲子園→阪急西宮球場→中日球場→大阪球場と毎回異なる球場を舞台に、松竹から交互にホームとして開催された(*8)。 第1回にしてサヨナラ勝ちでの日本一決定で、失策によるものでは現在でもシリーズ史上唯一である。 MVPは別当薫。 ちなみに、第1回にして11月22日~28日開催という現在でも最も遅い時期に行われたシリーズで、裏では4チームが所定の140試合を消化しきれていなかったが、すでに順位が確定したこともあって11月20日までにシーズンを打ち切った。 1951年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、初優勝) 1952年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、2年連続2度目) 1953年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗1分、3年連続3度目) 2リーグ制後初の優勝から3連覇を達成した巨人と南海が3年連続で対決した第2回~第4回シリーズ。 日米野球の影響を大きく受けたシリーズでもあり、1951年は当初の予定から日程が繰り上がり、1953年は全日程移動日なしという強行軍で行われて史上初の第7戦および引き分けが発生(*9)。この年から敢闘賞も設けられるようになった。 いずれも巨人が南海を破り、セ・リーグ初代日本一を含めた3連覇を達成した。ちなみに、1952年の第5戦の試合時間は1時間35分でシリーズ史上最短である。 MVPは1951年から順番に南村不可止・別所毅彦・川上哲治。 1954年:中日 - 西鉄(中日4勝3敗、初優勝) リーグ初優勝を決めた中日と西鉄による第5回シリーズ。5回目にして初めて九州が舞台になり、関東や関西で一度も開催されなかった。 この年も両チームともに初出場であり、第7戦までもつれた末に中日が球団史上初の日本一に輝いた。 MVPは杉下茂。 1955年:巨人 - 南海(巨人4勝3敗、2年ぶり4度目) 2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と南海の再対決になった第6回シリーズ。 リベンジを誓った南海は3勝1敗と優位に試合を進め、山本一人監督は「再び昭和30年の轍は踏むまい」と意識したものの、第5戦からまさかの3連敗を喫してしまった。 MVPは別所毅彦。 1956年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝2敗、初優勝) 1957年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝1分、2年連続2度目) 1958年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝3敗、3年連続3度目) 3年連続で巨人と西鉄の同一カード対決になった第7回~第9回シリーズ。 三原脩・水原茂両監督は香川県の同郷で、中等学校から長年のライバル関係だったことから「巌流島の決闘」と称された。結果はいずれも西鉄が巨人を下し、球団史上初の日本一を含めた3連覇を達成。 1956年はシリーズ史上唯一、優勝チームから敢闘賞(稲尾和久)が選出された。 1957年は1分を挟み、シリーズ史上初の無敗で日本一になった。 MVPは1956年から順番に豊田泰光・大下弘・稲尾和久。中でも1958年の稲尾は現在でも史上最年少での受賞であり、彼は数々のシリーズ記録を打ち立てて「神様、仏様、稲尾様」と讃えられることに。 1959年:巨人 - 南海(南海4勝0敗、初優勝) 4年ぶり通算5回目の対戦になった第10回シリーズ。 これまで巨人に4連敗を喫した南海だったが、鶴岡一人監督が「この年だけは負ける気がしなかった」と自著で振り返っていた通り、シリーズ史上初の4戦スイープで球団史上初の日本一を達成。初の快挙に大阪市民は熱狂し、決着2日後の10月31日に行われた優勝パレードには沿道に20万人が集まったという。 これにより、対戦成績が両リーグともに5勝ずつのタイになったが、以降は巨人の「V9」もあって長年に渡ってセ・リーグリードの時代が続くようになる。 MVPは杉浦忠。 ・1960年代(第11回~第20回) テレビ中継の普及とともに巨人が爆発的な人気を獲得し、「V9」と称される究極の全盛期を迎えた年代。 1960年:大洋 - 大毎(大洋4勝0敗、初優勝) 6年連続最下位からのリーグ優勝を達成した大洋が初出場した第11回シリーズ。史上初の「関東対決」でもある。 全試合が1点差という珍記録を持つ大接戦のシリーズで、大毎が誇る「ミサイル打線」を大洋投手陣が封じ込めてこの年もストレートで決着。大洋は史上初となる前年最下位からの日本一(大洋としては最初で最後)の栄冠を勝ち取った。 また、川崎球場で行われた唯一のシリーズでもある。 MVPは近藤昭仁。新人選手初の受賞である。 1961年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、6年ぶり5度目) 2年ぶり通算6回目の対戦になった第12回シリーズ。巨人が4勝2敗で6年ぶり5度目の日本一を決め、川上哲治監督は就任1年目で頂点に立った。 当時は20勝がエースの基準とされていたが、南海は杉浦忠がシーズン終盤に離脱し、巨人もチーム最多勝が中村稔の17勝が最高だったことから、マスコミは「エース不在のシリーズ」「エースなき日本シリーズ」などと評した。 4度も雨天中止になった異色のシリーズで、予定では第7戦が行われるはずの10月29日にようやく第4戦が行われるという遅延っぷり。 そしてこの年以降、「パ・リーグは丑年には王手すらかけられない」というジンクスが生まれることになってしまう。 MVPは宮本敏雄。 1962年:阪神 - 東映(東映4勝2敗1分、初優勝) 東映が球団史上初のリーグ優勝兼日本一を達成した第13回シリーズ。阪神も含めた両チームがシリーズ初出場だったため、これまた初出場チーム同士の対決でもあった。 当時の東映は神宮を本拠地としていたが、第5戦に関しては学生野球との兼ね合いで使用できなかったため、代わりに後楽園球場で開催された。 2リーグ制後初の優勝を決めた阪神が連勝でスタートしたものの、そこから引き分けを挟んで東映が4連勝。東映としては最後で最後の日本一であった。 シリーズ史上唯一、2人の選手(土橋正幸・種茂雅之)がMVPを受賞した。 1963年:巨人 - 西鉄(巨人4勝3敗、2年ぶり6度目) 2年ぶりにリーグ優勝を決めた巨人と、NPB史上最大となる14.5ゲーム差からの大逆転で5年ぶりのリーグ制覇を決めた西鉄が対戦した第14回シリーズ。 通算4回目にして初めて巨人が初めて西鉄を破り、第7戦で達成した「1試合18得点」「14点差勝利」「1イニング9得点」は現在でもシリーズ最高記録である。 なお、西鉄は福岡時代および西鉄としてはこの年が最後のリーグ優勝兼日本シリーズ出場になり、合わせて平和台球場での開催も最後になった(*10)。 MVPは長嶋茂雄。 1964年:阪神 - 南海(南海4勝3敗、5年ぶり2度目) 2年ぶりにセ・リーグを制した阪神と4年ぶりのリーグ優勝を決めた南海という、史上初の「関西対決」になった第15回シリーズ。「御堂筋シリーズ」とも呼ばれた。 東京五輪の開催に伴い、開会式までに決着させる目的から初めて全カードナイターで行われたが、雨天順延の関係でよりによって第7戦は開会式と思いっきりかぶってしまい、観客動員もイマイチだったという。 なお、南海としてはこの年が最後の日本一になった。 MVPはジョー・スタンカ。外国人選手初の受賞であり、彼以外にも両チームともに助っ人の活躍が目立ったことから「外国人シリーズ」とも称された。 1965年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、2年ぶり7度目) 1966年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、2年連続8度目) 1967年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、3年連続9度目) 1968年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、4年連続10度目) 1969年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、5年連続11度目) (1970年代の項に続く) ・1970年代(第21回~第30回) 高度経済成長とともに巨人の「V9」が終焉を迎えるという一時代の終わりを迎え、シリーズ初出場となったチームが多いのも特徴。 (1960年代の項の続き) 1970年:巨人 - ロッテ(巨人4勝1敗、6年連続12度目) 1971年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、7年連続13度目) 1972年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、8年連続14度目) 1973年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、9年連続15度目) 1965年から1973年までの第16回~第24回シリーズは、巨人が9年連続でリーグ優勝兼日本一を達成するという前人未到の黄金時代「V9」であった。 1965年の第5戦では土井正三がサヨナラ適時打を放ち、1950年以来2度目となるサヨナラ日本一で幕を開ける。 1968年のパ・リーグはシーズン最終戦まで阪急と南海が熾烈な優勝争いを繰り広げており、阪急の連覇が決まったのはシリーズ開幕前日の10月11日で、西宮で優勝を決めたナイターの翌日に後楽園でデーゲームの第1戦という休む間もない日程だった(*11)。 1969年はクロスプレイの判定をめぐって阪急の岡村浩二が球審に手を出すという、シリーズ史上初の退場事件が発生。 1970年は巨人とロッテの初顔合わせで、「GOシリーズ」とも呼ばれた。 さらに後楽園球場と東京スタジアムという史上初の同一都道府県(東京都)のみが舞台になったシリーズでもあり、「東京シリーズ」とも呼ばれた。特に両翼90mと非常に狭い東京スタジアムでは長嶋茂雄の4本を筆頭に3試合で両チーム合計9本の本塁打(第4戦だけで5本)が飛び出すという花火大会。 ロッテの宿舎は大田区の池上本門寺が使用され、東京スタジアムまで車で約2時間かかったことも日本一を逃す遠因に。 1973年からはパ・リーグが前後期制になり、年間3位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急に勝利した南海が出場。初めて勝率2位以下のチームが日本シリーズに出場した。 上記のようにいずれの年も第7戦までもつれて王手をかけられることはなかったが、逆に無敗のストレート4勝も引き分けもなかった。 また、日拓・太平洋・近鉄とも戦っていない。 MVPは1965年から順番に長嶋茂雄・柴田勲・森昌彦・高田繁・長嶋茂雄・長嶋茂雄・末次民夫・堀内恒夫・堀内恒夫。 1974年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗、24年ぶり2度目) 巨人の「V10」を阻止して20年ぶりにセ・リーグの頂点に立った中日と、4年ぶりのリーグ優勝を決めたロッテによる第25回シリーズ。 当時のロッテは宮城球場を暫定本拠地としていたが、規定上の収容人数が3万人に満たなかった(2万8000人)ことから後楽園球場で開催された。 第1・2・4戦が逆転、第6戦が延長戦と混戦で、6試合で両チーム合計17失策と守備のミスも目立ったシリーズだったが、1勝2敗からロッテが3連勝で24年ぶり2度目の日本一に輝いた。 また、第1戦・第3戦を中日が勝利した時点でセ・リーグの勝利試合数の勝ち越しが24になっており、これは現在でもシリーズ史上最多の貯金である。 MVPは弘田澄男。 1975年:広島 - 阪急(阪急4勝0敗2分、初優勝) 1962年以来となる「どちらが勝っても初の日本一」対決になった第26回シリーズ。1964年以来となる関東が舞台にならない「西日本シリーズ」でもあり、複数回の引き分けが発生した唯一の年でもある。 阪急は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の近鉄に勝利しており、球団史上初の日本一が年間勝率2位以下なのは阪急が唯一である。 詳細は当該項目を参照。 1976年:巨人 - 阪急(阪急4勝3敗、2年連続2度目) 1977年:巨人 - 阪急(阪急4勝1敗、3年連続3度目) 「V9」で一度も巨人に勝てなかった阪急がリベンジを果たし、3連覇に輝いた第27回・第28回シリーズ。 1976年の巨人は前年球団史上初の最下位から3年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、3連敗の後3連勝というジェットコースターの末に敗退。3連勝の後に3連敗したチームが優勝した唯一の年でもある。「V9」でリーグ最多の5敗を喫した借りを返し、6度目にして西本幸雄監督時代からの悲願だった「打倒巨人」が実現した。 1977年は第4戦の9回表、巨人が2勝2敗のタイに持ち込むかという2-1の状況で2死からチャンスを作り、代打・高井保弘の浅い安打から本塁へ突入した二塁走者が捕手のタッチをかいくぐって左手でホームベースに触れるという好走塁を見せて追いつくと、さらに追加点を挙げて試合をひっくり返す大逆転が生まれた。この勢いに乗った阪急がそのまま第5戦を下して3連覇を決めたため、シリーズの分岐点になった攻防と評される。 なお、阪急としてはこの年が最後の日本一になった。 MVPは1976年が福本豊、1977年が山田久志。 1978年:ヤクルト - 阪急(ヤクルト4勝3敗、初優勝) ヤクルトと阪急の初顔合わせになり、ヤクルトが阪急の4連覇を阻止して球団史上初のリーグ優勝兼日本一になった第29回シリーズ。 東京六大学野球との兼ね合いから神宮が使用できず、ヤクルトの本拠地は後楽園球場で開催された。 第7戦ではヤクルトの本塁打を巡り、阪急の上田利治監督がファウルではないかという抗議で史上最長となる1時間19分も中断。阪急はこれが敗因になったとも言われる。 このカードの対決は近鉄も含めて以降も4度行われており、下記のように2021年まではヤクルトが全勝している。 MVPは大杉勝男。 1979年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、初優勝) (1980年代の項に続く) ・1980年代(第31回~第40回) 昭和の終わりと平成の幕開け、ドーム球場の登場といった時代の転換期になった年代。 (1970年代の項の続き) 1980年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、2年連続2度目) リーグ連覇を果たした広島と近鉄による2年連続の顔合わせで、広島が球団史上初の日本一を含めた連覇を決めた第30回・第31回シリーズ。これまた「どちらが勝っても初の日本一」シリーズでもある。 POと同様に日本生命球場や藤井寺球場は収容人数(2万500人)やナイター設備の関係で2年とも使用できず(*12)、近鉄の本拠地は大阪球場で開催された。結果的に同球場で行われた最後のシリーズになった。 1979年の近鉄は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急を破って出場。第7戦の攻防はプロ野球史に残る名勝負と呼ばれ、これを題材とした山際淳司のノンフィクション作品『江夏の21球』でも知られる。 ちなみに、優勝チームの総得点が敗退チームよりも下回ったことはシリーズ全体で9回あるが、この年の6点差(広島17点・近鉄23点)は史上最高である。 MVPは1979年が高橋慶彦、1980年がジム・ライトル。 1981年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、8年ぶり16度目) 4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と、東映時代以来19年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムの初顔合わせになった第32回シリーズ。 1970年に続いて東京都のみの開催で、さらには両チームともに後楽園球場を本拠地とすることから開催地移動が行われなかった異色のシリーズであり、「後楽園シリーズ」とも呼ばれる(*13)。 巨人の4勝は全て完投勝利であり、比較的中継ぎ投手という概念が浸透してきた時代にあってリリーフの出番がほとんどなかった。 なお、後楽園球場が廃止された1988年以降は両チームとも新造された東京ドームを本拠地としていたが、その間は日本シリーズで対決することはなく、さらに日本ハムは2004年から札幌ドームに移転したため、現在は複数のチームが本拠地を共用することはなくなっている(*14)。 MVPは西本聖。 1982年:中日 - 西武(西武4勝2敗、24年ぶり4度目) 西武が西鉄時代以来24年ぶり4度目、西武としておよび所沢移転後初の日本一に輝いた第33回シリーズ。この年は年間2位(前期優勝)だったが、POで年間1位(後期優勝)の日本ハムに勝利して日本シリーズに進出し、8年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と対戦した。 両チームとも2勝2敗で迎えた第5戦、2死二塁という場面で中日の平野謙が放った打球は一塁塁審の足に当たり、捕球した二塁手が三塁に投げて走者をタッチアウトする珍事が発生。 これにより中日は先制のチャンスを逃して敗退したことから、シリーズの流れを変えた「石ころ事件」とも言われた。 MVPは東尾修。 1983年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、2年連続5度目) 所沢移転当初から巨人とはさまざまな因縁があったゆえ、球界の盟主の座を賭けるという意味で試合前から大いに盛り上がった第34回シリーズ。 3度のサヨナラ勝ちに加えて逆転に次ぐ逆転と大きく盛り上がり、シリーズ有数の名勝負と呼ばれることに。 結果西武は巨人を下して連覇を果たし、黄金時代の幕開けになる。 MVPは大田卓司。 1984年:広島 - 阪急(広島4勝3敗、4年ぶり3度目) 4年ぶりのリーグ優勝を果たした広島が1975年の借りを返し、4年ぶり3度目の日本一を決めた第35回シリーズ。 通算6度目となった「西日本シリーズ」で、阪急としての出場も阪急西宮球場での開催もこの年が最後になった。 MVPは長嶋清幸。 1985年:阪神 - 西武(阪神4勝2敗、初優勝) 中埜肇球団社長が亡くなった「日本航空123便墜落事故」を乗り越え、阪神が球団創立50年目にして初の日本一を達成した第36回シリーズ。初めて指名打者制が導入されたシリーズでもある。 NPB最強外国人として名高いランディ・バースを筆頭に、真弓明信・掛布雅之・岡田彰布ら「ニューダイナマイト打線」の活躍で21年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、廣岡達朗監督の元で「管理野球」を標榜し、工藤公康・東尾修・松沼博久・高橋直樹・渡辺久信ら強力な投手陣を擁して2年ぶりにパ・リーグを制覇した西武が対決した。 セ・リーグとしては昭和最後の日本一になり、関西ではリーグ優勝からの阪神フィーバーが最高潮に達し、バースに見立てたカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ落としたことで2年後からの暗黒時代の幕開けになってしまった。 MVPはランディ・バース。 1986年:西武 - 広島(西武4勝3敗1分、3年ぶり6度目) 1987年:西武 - 巨人(西武4勝2敗、2年連続7度目) 1988年:西武 - 中日(西武4勝1敗、3年連続8度目) リーグ4連覇の西武が日本一3連覇を達成した第37回~第39回シリーズ。 1986年は上述の通り、唯一第8戦まで行われたシリーズである。森祇晶・阿南準郎両監督という史上初の「新人監督対決」で、広島が第1戦の引き分けの後3連勝して王手をかけたものの、そこから怒涛の4連勝で日本一というジェットコースター(*15)。この年は指名打者制なし。 1987年から毎年パ・リーグ球場で指名打者制が採用されるようになり、第8試合以降の延長戦が無制限に。この年は4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が出場し、後楽園球場で開催された最後のシリーズにして清原和博・桑田真澄というPL学園高校同期の「KK対決」が話題に。第6戦の西武は巨人の守備の隙をついて走者を一気に生還させ、9回2死では一塁手の清原が涙を流したりする場面もあった(*16)。 1988年は昭和最後のシリーズになり、近鉄との「10.19決戦」の末に優勝を決めた勢いそのままに6年ぶりのセ・リーグ王者になった中日を圧倒し、最後は1965年以来3度目となるサヨナラ日本一を収めた。 MVPは1986年から順番に工藤公康(*17)・工藤公康・石毛宏典。 1989年:巨人 - 近鉄(巨人4勝3敗、8年ぶり17度目) 平成初、並びに初めてドーム球場(東京ドーム)で開催された第40回シリーズ。巨人は近鉄とは初対戦で、当時のパ・リーグ6球団全てと戦ったことになった。 近鉄の本拠地はナイター整備が行われた藤井寺球場で初めて開催。3連勝で王手をかけたものの某投手の発言のせいで流れが変わってしまい、まさかの4連敗を喫してしまった(*18)。 MVPは駒田徳広。 ・1990年代(第41回~第50回) 西武の黄金期が終わり、ヤクルトの快進撃が目立った年代。 1990年:西武 - 巨人(西武4勝0敗) 1991年:西武 - 広島(西武4勝3敗) 1992年:西武 - ヤクルト(西武4勝3敗、以上2年ぶり9度目~3年連続11度目) リーグ3連覇の西武がまたしても日本一3連覇を決めた第41回~第43回シリーズ。 1990年はセ・リーグ史上最速(9月8日)でリーグ連覇を決めた巨人だったが、前年とは打って変わって1勝もできずにあえなく敗北(*19)。巨人ナインにトラウマともいえるほどの大きな傷を残しており、当時の選手には「このシリーズだけは思い出したくない」という人が今も多いという。 1991年は5年ぶりにセ・リーグを制覇した広島が出場。この年が広島市民球場で開催された最後のシリーズになり、西武は2勝3敗からの逆転で接戦を制した。 1992年は14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトが参戦し、本拠地として初めて神宮で開催された(*20)。 森・野村克也両監督ともに捕手出身で野球論を展開することも多かったことから、「狐と狸の化かし合い」と呼ばれて大いに盛り上がった。 7試合中4試合が延長戦という拮抗ぶりで、1983年と並んでシリーズ屈指の名勝負と呼ばれることも多い。 西武が日本一を決めた当日は貴花田と宮沢りえ氏の婚約会見とバッティングし、翌日のスポーツ新聞一面もかっさらわれたという珍事なオチもついている。 MVPは1990年から順番にオレステス・デストラーデ、秋山幸二・石井丈弘。 1993年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝3敗、15年ぶり2度目) 最後の平日デーゲーム開催になった第44回シリーズ。 前年に引き続き両リーグを制覇したヤクルトと西武の顔合わせになり、ヤクルトが西武の4連覇を阻止して15年ぶりの日本一に輝いた。 2年連続同一カードで勝敗が入れ替わった初のシリーズで、これまで無敗だった森監督が初黒星を喫したことは歴史的な話題になった。 第4戦でヤクルトの中堅手・飯田哲也が安打の打球を処理し、二塁走者を本塁タッチアウトにした返球はシリーズ史に残るスーパープレーとして語り草に。 野村監督は現役時代パ・リーグ一筋ながらセ・リーグ球団を日本一に導くという唯一の記録を残した。 MVPは川崎憲次郎。 1994年:巨人 - 西武(巨人4勝2敗、5年ぶり18度目) 「10.8決戦」を制して5年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人がパ・リーグ5連覇の西武を破り、5年ぶり18度目の日本一に輝いた第45回シリーズ。 長嶋茂雄監督の「予言」はさることながら(*21)、試験的に平日のみ30年ぶりのナイター開催、西武の黄金時代を築いた森監督の勇退報道が第6戦の朝に出るなど(*22)、さまざまな面で時代のひと区切りになったシリーズでもあった。 ちなみに、海を超えたアメリカではワールドシリーズが232日間に及ぶ長期ストライキで中止されたため、海外でも中継されるという異例なものになった。 MVPは槙原寛己。 1995年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり3度目) 2年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、この年に発生した阪神・淡路大震災で未だ傷心の兵庫県を盛り上げるために奮起して阪急時代以来11年ぶりのリーグ優勝を達成したオリックスによる第46回シリーズ。 野村・仰木彬両監督による「野村ID野球 vs 仰木マジック」の対決が注目され、ヤクルトが2年ぶり3度目の日本一を収めた。 この年から全カードナイターとなり、第2~4戦は3試合連続で延長戦にもつれ込む大接戦が繰り広げられた。 MVPはトーマス・オマリー。 1996年:巨人 - オリックス(オリックス4勝1敗、19年ぶり4度目) 最大11ゲーム差を逆転する「メークドラマ」を達成して2年ぶりのリーグ優勝を大逆転で飾った巨人と、リーグ連覇を果たしたオリックスによる第47回シリーズ。 勝利チームの星取りが前年と全く同じで、オリックスは4勝1敗で阪急時代以来19年ぶり4度目、オリックスとしては初の日本一を達成。近畿地方のパ・リーグ球団が巨人との日本シリーズを初めて本拠地で制した。 ちなみに、この年の巨人は守備率1.000を記録しており、シリーズ失策0は現在でも唯一である。 MVPはトロイ・ニール。 1997年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり4度目) 2年ぶりにヤクルトをリーグ優勝に導いた古田敦也と、3年ぶりにパ・リーグ覇者になった西武の伊東勤両正捕手の頭脳が注目された第48回シリーズ。 開放型の西武球場としては最後のシリーズになり、翌年からは屋根が設置されて西武ドームになったため、西武の選手がホームランを放ったり試合に勝利したりした場合に打ち上げられる花火も見納めになった(*23)。 MVPは古田敦也。 1998年:横浜 - 西武(横浜4勝2敗、38年ぶり2度目) 「マシンガン打線」と呼ばれる強力打線を擁した横浜が、38年ぶりのリーグ優勝の勢いそのままに日本一に輝いた第49回シリーズ。史上初となる東京都以外の「関東シリーズ」でもある。 全試合で先制点を挙げた方がそのまま逃げ切るという異色のシリーズで、試合途中の逆転もなく淡白な試合が多かったとも言える。 上記の通りこの時点での西武ドームはフィールド部分が屋根で覆われていなかったため、第3戦が雨天中止になった。 MVPは鈴木尚典。 1999年:中日 - ダイエー(ダイエー4勝1敗、35年ぶり3度目) 1900年代最後となった第50回シリーズ。 11年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と、史上最長となる20年連続Bクラスの暗黒時代を脱出して26年ぶりのリーグ優勝を決めたダイエーが対戦。全試合がドーム球場(ナゴヤドーム・福岡ドーム)で開催された初めてのシリーズでもある。 ダイエーが4勝1敗で35年ぶり3度目、ダイエーとしておよび福岡移転後初の日本一になった。 MVPは秋山幸二。上記の通り西武時代の1991年にも受賞しているため、史上初の複数球団での受賞になった。 ・2000年代(第51回~第60回) 2000年代の始まりと世紀の境目、近鉄の消滅と楽天の登場、そしてCSの導入などさまざまな面で時代の変革を迎えた年代。 2000年:巨人 - ダイエー(巨人4勝2敗、6年ぶり19度目) 2000年代初、そして20世紀最後となった第51回シリーズ。 6年ぶりに巨人をリーグ優勝に導いた長嶋茂雄監督と、ダイエーのリーグ連覇を果たした王貞治監督という、巨人の「V9」時代を支えた盟友同士の対決だったことから「ON対決」「ONシリーズ」と呼ばれて大いに盛り上がった。 MVPは松井秀喜。 特筆すべき点として、この年の日程は「東京ドーム・東京ドーム→福岡ドーム→休み・休み→福岡ドーム・福岡ドーム→東京ドーム・東京ドーム」という、通常の移動日がなく3連戦から2日空けて4連戦という特殊な日程になっていたが、これは日本脳神経外科学会の会合(2000年10月24日~27日)のために福岡ドーム側が球団の許可なく勝手に球場を貸し出してしまったため。 これは、ドーム側は日程を依頼された1997年の時点でチームが20年連続Bクラスと低迷し、どうせ出られないだろうと勝手に判断してしまったことが原因である。 しかし、1998年は一転して福岡移転後初のAクラス入りを果たしたことで問題が発覚したものの、この会合は世界各国から約2万人が集結する大規模な学会だったことから日程の変更などすでに手遅れであり、仮にできたところでダイエーが出場できなければ元も子もなく、球場や日本シリーズそのものの日程変更も叶わなかった。 最終的には学会側が27日の会合を中止し、26日を午前中で打ち切るなどの厚意を示したことで事なきを得たが、選手にとっては移動日なしでの連戦に加えての2日間の休みも球場が使用できないなど負担も大きく、結果的に日本一を逃してしまう原因になった。 一見すると無許可で勝手に日程を取り決めたドーム側の責任にも見えるが、依頼のあった1997年から1998年秋まで1年以上も球団の発見が遅れたことをNPBに問題視され、間接的にリーグ優勝を目指していない球団の体質を批判されて3000万円の制裁金を受けている。これは個人・球団への罰金として最高額である。 2001年:ヤクルト - 近鉄(ヤクルト4勝1敗、4年ぶり5度目) 21世紀初となった第52回シリーズ。4年ぶりのリーグ優勝を支えたヤクルトの扇の要・古田敦也の頭脳と、北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打など「いてまえ打線」と呼ばれる強力打線でパ・リーグ初の前年最下位から12年ぶりのリーグ優勝を決めた近鉄の勝負が最大の注目になり、若松勉・梨田昌孝両監督による生え抜き監督対決でもあった。 ヤクルトは第2戦を除いて「いてまえ打線」を2点以下に封じ切り、4年ぶり5度目にして若松監督は生え抜き史上初の日本一を達成。 一方で近鉄はこの年が最後のリーグ優勝兼日本シリーズ出場になってしまい、結局一度も日本一になれないまま2004年にオリックスと合併して55年の歴史に幕を閉じることになる。 MVPは古田敦也。 2002年:巨人 - 西武(巨人4勝0敗、2年ぶり20度目) 原辰徳・伊原春樹両監督という2度目の「新人監督対決」になった第53回シリーズ。 2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が勢いそのままに「V9」にもなかった球団史上初のストレート勝ちを収め、1990年の借りを返して原監督は就任1年目で日本一を達成。 巨人の投手陣は8人全員が1試合のみの登板であり、複数試合に登板した投手が1人もいないという珍しい記録を残した。 また、この年時点でセ32勝パ21勝とセ・リーグの勝ち越しが11となり、1973年(17勝7敗)・1981年(21勝11敗)・1985年(23勝13敗)の勝ち越し10を上回って史上最多に。 MVPは二岡智宏。 2003年:阪神 - ダイエー(ダイエー4勝3敗、4年ぶり4度目) 暗黒時代を脱出して18年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、3年ぶりのリーグ優勝を果たしたダイエーが激突した第54回シリーズ。 両チームが本拠地のみで勝つという「内弁慶シリーズ」はさることながら、「ダイエーのシリーズ最多得点零封試合(13-0)」「阪神の2試合連続サヨナラ勝利」「勝利投手が全員左投手」といった新記録(珍記録)の多さも話題に。 また、本拠地が山陽新幹線沿線であることからJR西日本は「山陽新幹線シリーズ」と命名し、両球団のペットマークを付けた特別列車を走らせた。 10年ぶりに第7戦までもつれたシリーズになり、ダイエーは連勝→3連敗→連勝と激戦を制して4年ぶり4度目の日本一を手にした。 MVPは杉内俊哉。 2004年:中日 - 西武(西武4勝3敗、12年ぶり12度目) こちらも落合博満・伊東勤両監督による「新人監督対決」になった第55回シリーズ。 12年前の1982年と同じく、西武はシーズン2位ながらこの年から導入されたPOを勝ち抜いて進出し、奇しくも再び中日を下して12度目の日本一を達成した。 第5戦の10月23日に新潟県中越地震が発生したが特に黙祷などは行われず、勝利した西武は予定通りビールかけを実施した。一応、中日の選手会は寄付金100万円を被災地に送っている。 MVPは石井貴。 2005年:阪神 - ロッテ(ロッテ4勝0敗、31年ぶり3度目) ある理由により、特にネタ人気で名高い第56回シリーズ。全試合が屋外球場で開催された最後のシリーズでもある。 いわゆるJFKで逃げ勝つ野球で2年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、2位からPOを勝ち上がったロッテの対決になったが、いざ蓋を開けてみれば笑撃的衝撃的な結末に。 詳細は当該項目を参照。 2006年:中日 - 日本ハム(日本ハム4勝1敗、44年ぶり2度目) 第1回WBCを制して日本中が歓喜に沸いたこの年、2年ぶりのリーグ優勝を決めた中日と25年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムによる第57回シリーズ。 札幌ドームはホームチームが三塁側ベンチを使用している事情から、全試合とも中日が一塁側・日本ハムが三塁側のベンチを使用した珍しいシリーズになっている(2012年と2016年も同様)。 日本ハムがパ・リーグ最長ブランクとなる44年ぶり2度目、日本ハムとしておよび北海道移転後初の日本一に輝いた。 MVPは稲葉篤紀。 2007年:中日 - 日本ハム(中日4勝1敗、53年ぶり2度目) CSが導入されて初めての開催になり、2年連続の顔合わせになった第58回シリーズ。 巨人を撃破して2位から出場した中日が前年と全く同じ星取りで雪辱を果たし、第5戦では参考記録ながらMLBにも例がない継投での完全試合を決めて12球団最長ブランクとなる53年ぶりの日本一に輝いた。前述の通りPOでは勝利チームがそのままシーズン優勝の扱いだったため、優勝チーム以外が日本一になるのも初である。 詳細は当該項目を参照。 2008年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、4年ぶり13度目) 西武が4年ぶり13度目の日本一に輝いた第59回シリーズ。 最大13ゲーム差をひっくり返す「メークレジェンド」を達成して6年ぶりのリーグ優勝を大逆転で飾った巨人と、首位に立ってから一度も陥落することなく4年ぶりのリーグ優勝を決めた西武という対照的な優勝形態の両チームが激突した。 岸孝之はカーブを武器に三振の山を築き、日本シリーズ初登板で初完封の記録を達成してMVPに輝いた。 2009年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、7年ぶり21度目) WBC連覇で列島が歓喜に沸いたこの年、「後楽園シリーズ」以来28年ぶりの対決になった第60回シリーズ。 7年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と、2年ぶりにペナントを制した日本ハムが対戦した。上記の通り日本ハムは1988年~2003年は東京ドームを本拠地としていたが、その間は一度も日本シリーズに出場していなかったため、ビジターとしてではあるが初めて東京ドームで日本シリーズに出場することになった。 また、新型インフルエンザへの感染に対する特例処置として出場資格者の人数制限がなくなった唯一のシリーズでもある。 世界の頂点に立った原監督は巨人も日本一に導いた。 MVPは阿部慎之助。 ・2010年代(第61回~第70回) 平成から令和に変わる年代。CSでの下剋上も含めてセ・リーグ全球団が出場を果たしたが、ソフトバンクをはじめとするパ・リーグの快進撃が目立った時期でもあった。 2010年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗1分、5年ぶり4度目) 4年ぶりのリーグ優勝を果たした中日と、CSでソフトバンクを倒して3位からの下剋上で勝ち上がったロッテによる第61回シリーズ。 前述の通り、一部試合のテレビ全国中継が行われなかったが、その状況とは裏腹にロッテは5年ぶり4度目にして史上初の3位からの日本一という史上最大の下克上を成し遂げたことで大きく盛り上がった。 また、ボールカウントが「SBO」の順で実施された最後の年でもある。 詳細は当該項目を参照。 2011年:中日 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝3敗、8年ぶり5度目) リーグ連覇を達成した中日とソフトバンクの2度目の対戦になった第62回シリーズ。この年からコナミをスポンサーに迎えて「KONAMI日本シリーズ」として開催されるようになる。 東日本大震災の影響でシーズン開幕自体が遅れたこともあり、シリーズ全体でも4番目に遅い開催(11月12日~20日)になっている。上記の通り、第1戦は17年ぶりのデーゲームで行われた。 第6戦までは全てビジターチームが勝利したことから「外弁慶シリーズ」とも呼ばれ、第7戦までもつれながら両チームともにホームで本塁打が1本も出なかった珍しいシリーズでもある。 ソフトバンクがダイエー時代以来8年ぶり5度目、ソフトバンクとしては初の日本一に輝き、リーグ優勝・交流戦優勝・CS優勝・11球団勝ち越し・日本一という「完全制覇」を達成した。 MVPは小久保裕紀。40歳での受賞は史上最年長である。 2012年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、3年ぶり22度目) それぞれ3年ぶりのリーグ優勝で通算3度目の対決になった両チームによる第63回シリーズ。 1998年のように全試合で逆転勝利がなく、第4戦の日本ハムのサヨナラ勝利を含めて先制点を挙げたチームがそのまま勝つという逆転のないシリーズでもあり、この年も4勝2敗で巨人が日本ハムを下して3年ぶり22度目の頂点に立った。 なお、セ・リーグとしては平成最後の日本一であり、2010年代のシリーズでは唯一セ・リーグが勝利した年でもある。 MVPは内海哲也。 2013年:巨人 - 楽天(楽天4勝3敗、初優勝) 東日本大震災で未だ傷心の東北を盛り上げるために奮起した楽天が、球団史上初のリーグ優勝を決めた勢いそのままに日本一まで上り詰めた第64回シリーズ。 巨人は1934年、楽天は2004年創立という新旧チームによるシリーズで、両チームとも王手をかけて第7戦までもつれるという大激戦が繰り広げられた。 詳細は当該項目を参照。 2014年:阪神 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、3年ぶり6度目) CSで巨人を倒して2位から勝ち上がった阪神と、「10.2決戦」で3年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクによる第65回シリーズ。 この年からSMBCをスポンサーに迎えて「SMBC日本シリーズ」として開催されるようになる。 詳細は当該項目を参照。 2015年:ヤクルト - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、2年連続7度目) セ・リーグでは1976年の巨人以来となる前年最下位から14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、リーグ連覇を果たしたソフトバンクによる第66回シリーズ。これまた真中満・工藤公康両監督による「新人監督対決」でもある。 チーム名が鳥の名前同士であるのも初で、山田哲人・柳田悠岐という65年ぶりの「トリプルスリー対決」でもあった。 ソフトバンクは5戦全てでヤクルトの先発を5回までにKOし、21世紀初にして球団史上初、そして史上唯一となる2人の監督で日本一連覇を果たした(前年は秋山幸二監督)。 MVPは李大浩。韓国人選手初の受賞である。 2016年:広島 - 日本ハム(日本ハム4勝2敗、10年ぶり3度目) 25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島と、大谷翔平の二刀流の活躍で4年ぶりのリーグ優勝を決めた日本ハムが激突した第67回シリーズ。 セ・リーグ最西端の広島、パ・リーグ最北端の日本ハムと最も地理的に離れた2チームであることから「史上最長距離シリーズ」とも呼ばれた。 また、札幌ドームで開催された最後のシリーズでもある。 詳細は当該項目を参照。 2017年:DeNA - ソフトバンク(ソフトバンク4勝2敗、2年ぶり8度目) CSで広島を撃破して3位からの下剋上で勝ち上がったDeNAと、2年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクが対戦した第68回シリーズ。 ソフトバンクは3連勝から連敗の末、最後は平成初のサヨナラ日本一を達成。3イニングまたぐ執念で勝利を呼び寄せたデニス・サファテがMVPに輝いた。 延長15回制限はこの年が最後になった。 2018年:広島 - ソフトバンク(4勝1敗1分、2年連続9度目) 平成最後となった第69回シリーズ。巨人以来となるセ・リーグ3連覇を達成した広島と、2位からCSで西武を撃破して勝ち上がったソフトバンクが対戦した。 「西日本シリーズ」としては初の中国・九州対決で、日本標準時子午線(東経135度線)以東が舞台にならなかったシリーズでもある。 第2戦以外は全て3点差以内での決着という接戦続きであり、1敗1分から4連勝でソフトバンクが連覇を達成。史上初めてリーグ連覇なく日本一を連覇した。 甲斐拓也はシリーズ新記録となる6連続盗塁阻止を決めてピンチの芽を摘み、育成出身選手初のMVPに輝いた。 2019年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、3年連続10度目) (2020年代の項に続く) ・2020年代(第71回~) コロナ禍に見舞われた年代でもあり、毎年異なるチームが日本一に輝いているのも特徴。 (2019年代の項の続き) 2020年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、4年連続11度目) 巨人とソフトバンクの顔合わせになった令和初の第70回・第71回シリーズで、ソフトバンクが史上初の「2年連続同一カード4連勝」を決めてパ・リーグ初の日本一4連覇を達成した(2019年は2位からの出場)。 巨人は打線が壊滅的に振るわず、中でも2020年は上記の通り全試合指名打者制の特別ルールだったにも関わらず2005年の阪神すら下回るほどの不名誉な記録の数々を打ち立ててしまい(*24)、「26-4」「オールブラックス」などと揶揄されてしまっている。 原監督だけでも2013年の第7戦からシリーズ9連敗、同一監督によるシリーズ4連勝・4連敗経験、球団史上2人目となる選手・監督両方でのシリーズ4連敗の記録を打ち立てている。 一方で、上記の通りソフトバンクはセ・リーグ全球団と日本シリーズで戦い、その全てに勝利するという快挙を達成。2018年の第3戦以降は負けなしの12連勝で、本拠地(2011年の第7戦以降)およびポストシーズン(2019年CSファーストステージ第2戦以降)全体でも16連勝を達成した。 さらに2019年には1959年以来50年ぶりに対戦成績をタイに戻すと、続く2020年はパ・リーグが36勝35敗となり、第1回を除いて初めてセ・リーグをリードした。 MVPは2019年がジュリスベル・グラシアル、2020年が栗原陵矢。 前述の通り、2020年はコロナ禍の影響で6月開幕の縮小シーズンになっており、さらにセ・リーグはCSが全面中止、パ・リーグもファイナルステージのみをアドバンテージも含めた4戦3勝制で開催された(*25)。 また、東京ドームは都市対抗野球開催の兼ね合いで使用できず、巨人の本拠地は京セラドームで開催された。本拠地以外の会場で開催されたのは1980年の近鉄以来40年ぶり、セ・リーグでは1978年のヤクルト以来42年ぶりで、パ・リーグの本拠地を使用したのは初である。 観客収容率の上限が定員の50%以下に制限されこともあり、観客数は前売券なしで平日昼の開催だった1986年の第8戦以来34年ぶりに1万人台を記録した。 2021年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝2敗、20年ぶり6度目) 2022年:ヤクルト - オリックス(オリックス4勝2敗1分、26年ぶり5度目) 史上初の「2年連続最下位からリーグ連覇を達成した下剋上対決」になった第72回・第73回シリーズ。 2022年の第3戦を除いた13試合中12試合が3点差以内の決着で、さらに2点差以内が10試合・1点差が6試合とシリーズ史上でも屈指の大接戦続きになった。 2021年はヤクルトが阪神・巨人との三つ巴の末に6年ぶり、オリックスはロッテにマジック点灯を許しながらも逆転で25年ぶりにそれぞれリーグ優勝を決め、日本シリーズでは4勝2敗でヤクルトが20年ぶり6度目の日本一を達成。パ・リーグ9連覇を阻止し、令和初のセ・リーグ日本一に輝いた。 前年に引き続き観客収容率の上限が定員の50%以下に制限された中の開催だった。 MVPは中村悠平。 2022年は史上最速で優勝マジック53を点灯させたヤクルトと、2014年のお返しとばかりにシーズン最終日の大逆転(*26)でマジック点灯なく連覇を決めたオリックスという対照的な優勝形態が話題に。 この年は2敗1分から怒涛の4連勝を果たしたオリックスが26年ぶり5度目の日本一に輝き、大阪府を本拠地とするチームでは1964年の南海以来58年ぶり、さらに「バファローズ」を名乗るチームでは史上初の日本一になっている。同時に2020年以来2年ぶりにパ・リーグが37勝36敗で勝ち越した。 引き続きマスク着用義務・声出し不可の制限があったものの、この年は入場制限が撤廃されて3年ぶりに収容率100%で開催された。 MVPは杉本裕太郎。 なお、2021年のNPBは東京五輪の関係で7月15日~8月12日の1か月に渡ってシーズンが中断しており、その関係から日本シリーズも11月20日~27日とかなり遅い時期に行われた(*27)。加えて神宮は学生野球、京セラドームは第6・7戦がAAAのコンサートとの兼ね合いで使用できず、ヤクルトの本拠地は東京ドーム、オリックス主催の第6戦は25年ぶりとなるほっと神戸で行われた。11月27日の決着は第1回の28日、さらにこの年は9回打ち切りルールだったことから初の延長戦に突入し、12回の死闘の末に決着したため、試合終了時刻23時05分は2010年の23時07分に次いでそれぞれ2番目の遅さであり、最終的に気温は7度台にまで落ち込むという極寒の中での試合であった。 3球場以上で開催されたのは1962年以来59年ぶり、3都府県以上で行われたのは1953年以来68年ぶりで、両チームが球場を変更したのは史上初。 ちなみに、高津臣吾・中嶋聡両監督は現役時代の1995年にそれぞれ選手として出場しており、第3戦の延長10回では直接対戦している(結果は四球)。 2023年:阪神 - オリックス(阪神4勝3敗、38年ぶり2度目) 2009年以来のWBC優勝で列島が狂喜乱舞したこの年、18年ぶりにセ・リーグを制した阪神と21世紀初のパ・リーグ3連覇を達成したオリックスによる、1964年以来59年ぶりの「関西対決」になった第74回シリーズ。 阪神が第7戦までもつれ込む激戦を制し、38年ぶり2度目の「アレのアレ(日本一)」を達成した。 詳細は当該項目を参照。 ・一覧表 セ・リーグ球団 パ・リーグ球団 「-」は引き分け。特筆なき場合はシーズン優勝チーム。 回数 年 優勝チーム【年間順位】(監督) 優勝回数 勝敗 星取表 対戦相手【年間順位】(監督) 最高殊勲選手(MVP)※数字は回目 敢闘選手※数字は回目 セパ勝敗 勝 分 負 1 2 3 4 5 6 7 8 日本ワールドシリーズ 第1回 1950年 毎日(湯浅禎夫) 初優勝 4 2 毎 毎 松 松 毎 毎 松竹(小西得郎) 別当薫 - セ0勝 パ1勝 第2回 1951年 巨人(水原茂) 初優勝 4 1 巨 巨 巨 南 巨 南海(山本一人) 南村不可止 - セ1勝 パ1勝 第3回 1952年 2年連続 2度目 4 2 巨 巨 南 巨 南 巨 別所毅彦 - セ2勝 パ1勝 第4回 1953年 3年連続 3度目 4 1 2 南 巨 - 巨 巨 南 巨 川上哲治 簑原宏 セ3勝 パ1勝 日本シリーズ 第5回 1954年 中日(天知俊一) 初優勝 4 3 中 中 西 西 中 西 中 西鉄(三原脩) 杉下茂 大下弘 セ4勝 パ1勝 第6回 1955年 巨人(水原円裕) 2年ぶり 4度目 4 3 巨 南 南 南 巨 巨 巨 南海(山本一人) 別所毅彦2 戸川一郎 セ5勝 パ1勝 第7回 1956年 西鉄(三原脩) 初優勝 4 2 巨 西 西 西 巨 西 巨人(水原円裕) 豊田泰光 稲尾和久(西鉄) セ5勝 パ2勝 第8回 1957年 2年連続 2度目 4 1 0 西 西 西 - 西 大下弘 宮本敏雄 セ5勝 パ3勝 第9回 1958年 3年連続 3度目 4 3 巨 巨 巨 西 西 西 西 稲尾和久 藤田元司 セ5勝 パ4勝 第10回 1959年 南海(鶴岡一人) 初優勝 4 0 南 南 南 南 杉浦忠 土屋正孝 セ5勝 パ5勝 第11回 1960年 大洋(三原脩) 初優勝 4 0 洋 洋 洋 洋 大毎(西本幸雄) 近藤昭仁 田宮謙次郎 セ6勝 パ5勝 第12回 1961年 巨人(川上哲治) 6年ぶり 5度目 4 2 南 巨 巨 巨 南 巨 南海(藤本定義) 宮本敏雄 ジョー・スタンカ セ7勝 パ5勝 第13回 1962年 東映(水原茂) 初優勝 4 1 2 神 神 - 映 映 映 映 阪神(藤本定義) 土橋正幸種茂雅之 吉田義男 セ7勝 パ6勝 第14回 1963年 巨人(川上哲治) 2年ぶり 6度目 4 3 西 巨 巨 西 巨 西 巨 西鉄(中西太) 長嶋茂雄 稲尾和久2 セ8勝 パ6勝 第15回 1964年 南海(鶴岡一人) 5年ぶり 2度目 4 3 南 神 神 南 神 南 南 阪神(藤本定義) ジョー・スタンカ 山内一弘 セ8勝 パ7勝 第16回 1965年 巨人(川上哲治) 2年ぶり 7度目 4 1 巨 巨 巨 南 巨 南海(鶴岡一人) 長嶋茂雄2 森下整鎮 セ9勝 パ7勝 第17回 1966年 2年連続 8度目 4 2 巨 南 巨 巨 南 巨 柴田勲 渡辺泰輔 セ10勝 パ7勝 第18回 1967年 3年連続 9度目 4 2 巨 巨 巨 急 急 巨 阪急(西本幸雄) 森昌彦 足立光宏 セ11勝 パ7勝 第19回 1968年 4年連続 10度目 4 2 急 巨 巨 巨 急 巨 高田繁 長池徳二2 セ12勝 パ勝 第20回 1969年 5年連続 11度目 4 2 巨 急 巨 巨 急 巨 長嶋茂雄3,4 セ13勝 パ7勝 第21回 1970年 6年連続 12度目 4 1 巨 巨 巨 ロ 巨 ロッテ(濃人渉) 井石礼司 セ14勝 パ7勝 第22回 1971年 7年連続 13度目 4 1 巨 急 巨 巨 巨 阪急(西本幸雄) 末次民夫 山田久志 セ15勝 パ7勝 第23回 1972年 8年連続 14度目 4 1 巨 巨 急 巨 巨 堀内恒夫 足立光宏2 セ16勝 パ7勝 パ・リーグ前後期制開始 第24回 1973年 巨人(川上哲治) 9年連続 15度目 4 1 急 巨 巨 巨 巨 南海【3位】(野村克也) 堀内恒夫2 野村克也 セ17勝 パ7勝 第25回 1974年 ロッテ(金田正一) 24年ぶり 2度目 4 2 中 ロ 中 ロ ロ ロ 中日(与那嶺要) 弘田澄男 高木守道 セ17勝 パ8勝 第26回 1975年 阪急【2位】(上田利治) 初優勝 4 2 0 - 急 急 - 急 急 広島(古葉竹識) 山口高志 山本浩二 セ17勝 パ9勝 第27回 1976年 阪急(上田利治) 2年連続 2度目 4 3 急 急 急 巨 巨 巨 急 巨人(長嶋茂雄) 福本豊 柴田勲 セ17勝 パ10勝 第28回 1977年 3年連続 3度目 4 1 急 急 巨 急 急 山田久志 河埜和正 セ17勝 パ11勝 第29回 1978年 ヤクルト(廣岡達朗) 初優勝 4 3 急 ヤ 急 ヤ ヤ 急 ヤ 阪急(上田利治) 大杉勝男 足立光宏3 セ18勝 パ11勝 第30回 1979年 広島(古葉竹識) 初優勝 4 3 近 近 広 広 広 近 広 近鉄【2位】(西本幸雄) 高橋慶彦 井本隆 セ19勝 パ11勝 第31回 1980年 2年連続 2度目 4 3 近 近 広 広 近 広 広 近鉄(西本幸雄) ジム・ライトル 小川亨 セ20勝 パ11勝 第32回 1981年 巨人(藤田元司) 8年ぶり 16度目 4 2 日 巨 日 巨 巨 巨 日本ハム(大沢啓二) 西本聖 井上弘昭 セ21勝 パ11勝 パ・リーグ前後期制終了 第33回 1982年 西武【2位】(廣岡達朗) 24年ぶり 4度目 4 2 西 西 中 中 西 西 中日(近藤貞雄) 東尾修 上川誠二 セ21勝 パ12勝 第34回 1983年 西武(廣岡達朗) 2年連続 5度目 4 3 西 巨 巨 西 巨 西 西 巨人(藤田元司) 大田卓司 西本聖 セ21勝 パ13勝 第35回 1984年 広島(古葉竹識) 4年ぶり 3度目 4 3 広 急 広 広 急 急 広 阪急(上田利治) 長嶋清幸 山沖之彦 セ22勝 パ13勝 第36回 1985年 阪神(吉田義男) 初優勝 4 2 神 神 西 西 神 神 西武(廣岡達朗) ランディ・バース 石毛宏典 セ23勝 パ13勝 第37回 1986年 西武(森祇晶) 3年ぶり 6度目 4 1 3 - 広 広 広 西 西 西 西 広島(阿南準郎) 工藤公康2 達川光男 セ23勝 パ14勝 第38回 1987年 2年連続 7度目 4 2 巨 西 西 巨 西 西 巨人(王貞治) 篠塚利夫 セ23勝 パ15勝 第39回 1988年 3年連続 8度目 4 1 西 中 西 西 西 中日(星野仙一) 石毛宏典 宇野勝 セ23勝 パ16勝 第40回 1989年 巨人(藤田元司) 8年ぶり 17度目 4 3 近 近 近 巨 巨 巨 巨 近鉄(仰木彬) 駒田徳広 新井宏昌 セ23勝 パ16勝 第41回 1990年 西武(森祇晶) 2年ぶり 9度目 4 0 西 西 西 西 巨人(藤田元司) オレステス・デストラーデ 岡崎郁 セ24勝 パ17勝 第42回 1991年 2年連続 10度目 4 3 西 広 西 広 広 西 西 広島(山本浩二) 秋山幸二 川口和久 セ24勝 パ18勝 第43回 1992年 3年連続 11度目 4 3 ヤ 西 西 西 ヤ ヤ 西 ヤクルト(野村克也) 石井丈裕 岡林洋一 セ24勝 パ19勝 第44回 1993年 ヤクルト(野村克也) 15年ぶり 2度目 4 3 ヤ ヤ 西 ヤ 西 西 ヤ 西武(森祇晶) 川崎憲次郎 清原和博2 セ25勝 パ19勝 第45回 1994年 巨人(長嶋茂雄) 5年ぶり 18度目 4 2 西 巨 巨 西 巨 巨 槙原寛己 セ26勝 パ19勝 第46回 1995年 ヤクルト(野村克也) 2年ぶり 3度目 4 1 ヤ ヤ ヤ オ ヤ オリックス(仰木彬) トーマス・オマリー 小林宏 セ27勝 パ19勝 第47回 1996年 オリックス(仰木彬) 19年ぶり 4度目 4 1 オ オ オ 巨 オ 巨人(長嶋茂雄) トロイ・ニール 仁志敏久 セ27勝 パ20勝 第48回 1997年 ヤクルト(野村克也) 2年ぶり 4度目 4 1 ヤ 西 ヤ ヤ ヤ 西武(東尾修) 古田敦也 松井稼頭央 セ28勝 パ20勝 第49回 1998年 横浜(権藤博) 38年ぶり 2度目 4 2 横 横 西 西 横 横 鈴木尚典 大塚光二 セ29勝 パ20勝 第50回 1999年 ダイエー(王貞治) 35年ぶり 3度目 4 1 ダ 中 ダ ダ ダ 中日(星野仙一) 秋山幸二2 川上憲伸 セ29勝 パ21勝 第51回 2000年 巨人(長嶋茂雄) 6年ぶり 19度目 4 2 ダ ダ 巨 巨 巨 巨 ダイエー(王貞治) 松井秀喜 城島健司 セ30勝 パ21勝 第52回 2001年 ヤクルト(若松勉) 4年ぶり 5度目 4 1 ヤ 近 ヤ ヤ ヤ 近鉄(梨田昌孝) 古田敦也2 タフィ・ローズ セ31勝 パ21勝 第53回 2002年 巨人(原辰徳) 2年ぶり 10度目 4 0 巨 巨 巨 巨 西武(伊原春樹) 二岡智宏 アレックス・カブレラ セ32勝 パ21勝 第54回 2003年 ダイエー(王貞治) 4年ぶり 4度目 4 3 ダ ダ 神 神 神 ダ ダ 阪神(星野仙一) 杉内俊哉 金本知憲 セ32勝 パ22勝 パ・リーグプレーオフ開始 第55回 2004年 西武【2位】(伊東勤) 12年ぶり 12度目 4 3 西 中 西 中 中 西 西 中日(落合博満) 石井貴 井上一樹 セ32勝 パ23勝 第56回 2005年 ロッテ【2位】(ボビー・バレンタイン) 31年ぶり 3度目 4 0 ロ ロ ロ ロ 阪神(岡田彰布) 今江敏晃 矢野輝弘 セ32勝 パ24勝 第57回 2006年 日本ハム(トレイ・ヒルマン) 44年ぶり 2度目 4 1 中 日 日 日 日 中日(落合博満) 稲葉篤紀 川上憲伸2 セ32勝 パ25勝 クライマックスシリーズ開始 第58回 2007年 中日【2位】(落合博満) 53年ぶり 2度目 4 1 日 中 中 中 中 日本ハム(トレイ・ヒルマン) 中村紀洋 ダルビッシュ有 セ33勝 パ25勝 第59回 2008年 西武(渡辺久信) 4年ぶり 13度目 4 3 西 巨 巨 西 巨 西 西 巨人(原辰徳) 岸孝之 アレックス・ラミレス セ33勝 パ26勝 第60回 2009年 巨人(原辰徳) 7年ぶり 21度目 4 2 巨 日 巨 日 巨 巨 日本ハム(梨田昌孝) 阿部慎之助 髙橋信二 セ34勝 パ26勝 第61回 2010年 ロッテ【3位】(西村徳文) 5年ぶり 4度目 4 1 2 ロ 中 ロ 中 ロ - ロ 中日(落合博満) 今江敏晃2 和田一浩 セ34勝 パ27勝 コナミ日本シリーズ 第62回 2011年 ソフトバンク(秋山幸二) 8年ぶり 5度目 4 3 中 中 ソ ソ ソ 中 ソ 中日(落合博満) 小久保裕紀 吉見一起 セ34勝 パ28勝 第63回 2012年 巨人(原辰徳) 3年ぶり 22度目 4 2 巨 巨 日 日 巨 巨 日本ハム(栗山英樹) 内海哲也 稲葉篤紀 セ35勝 パ28勝 第64回 2013年 楽天(星野仙一) 初優勝 4 3 巨 楽 楽 巨 楽 巨 楽 巨人(原辰徳) 美馬学 長野久義 セ35勝 パ29勝 SMBC日本シリーズ 第65回 2014年 ソフトバンク(秋山幸二) 3年ぶり 6度目 4 1 神 ソ ソ ソ ソ 阪神【2位】(和田豊) 内川聖一 ランディ・メッセンジャー セ35勝 パ30勝 第66回 2015年 ソフトバンク(工藤公康) 2年連続 7度目 4 1 ソ ソ ソ ヤ ソ ヤクルト(真中満) 李大浩 山田哲人 セ35勝 パ31勝 第67回 2016年 日本ハム(栗山英樹) 10年ぶり 3度目 4 2 広 広 日 日 日 日 広島(緒方孝市) ブランドン・レアード ブラッド・エルドレッド セ35勝 パ32勝 第68回 2017年 ソフトバンク(工藤公康) 2年ぶり 8度目 4 2 ソ ソ ソ De De ソ DeNA【3位】(アレックス・ラミレス) デニス・サファテ 宮﨑敏郎 セ35勝 パ33勝 第69回 2018年 ソフトバンク【2位】(工藤公康) 2年連続 9度目 4 1 1 - 広 ソ ソ ソ ソ 広島(緒方孝市) 甲斐拓也 鈴木誠也 セ35勝 パ34勝 第70回 2019年 3年連続 10度目 4 0 ソ ソ ソ ソ 巨人(原辰徳) ジュリスベル・グラシアル 亀井義行 セ35勝 パ35勝 第71回 2020年 ソフトバンク(工藤公康) 4年連続 11度目 4 0 ソ ソ ソ ソ 栗原陵矢 戸郷翔征 セ35勝 パ36勝 第72回 2021年 ヤクルト(高津臣吾) 20年ぶり 6度目 4 2 オ ヤ ヤ ヤ オ ヤ オリックス(中嶋聡) 中村悠平 山本由伸 セ36勝 パ36勝 第73回 2022年 オリックス(中嶋聡) 26年ぶり 5度目 4 1 2 ヤ - ヤ オ オ オ オ ヤクルト(髙津臣吾) 杉本裕太郎 ホセ・オスナ セ36勝 パ37勝 第74回 2023年 阪神(岡田彰布) 38年ぶり 2度目 4 3 神 オ オ 神 神 オ 神 オリックス(中嶋聡) 近本光司 紅林弘太郎 セ37勝 パ37勝 記録 前身球団も含む。黒字はリーグ記録。赤字は12球団記録。青字は最少・最古の記録。 灰色は過去のチーム。 チーム別記録(日本一回数順) リーグ チーム リーグ優勝回数(2リーグ制後) 出場回数 日本一回数 敗退回数 直近のリーグ優勝 直近の出場(対戦相手) 直近の日本一(対戦相手) 備考 セ 巨人 38回 36回 22回 14回 2020年 2020年(ソフトバンク) 2012年(日本ハム) ・リーグ優勝、出場回数、日本一、敗退いずれも12球団最多・2007年と2014年はCS敗退 パ 西武(西鉄) 23回 21回 13回 8回 2019年 2008年(巨人) 2008年(巨人) ・リーグ優勝、出場回数、日本一いずれもパ・リーグ最多・2018年と2019年はCS敗退・出場は12球団最古 パ ソフトバンク(南海・ダイエー) 19回 20回 11回 9回 2020年 2020年(巨人) ・2018年と2019年は2位から日本一・2010年はCS敗退 セ ヤクルト 9回 6回 3回 2022年 2022年(オリックス) 2021年(オリックス) パ オリックス(阪急) 15回 5回 10回 2023年 2023年(阪神) 2022年(ヤクルト) 敗退はパ・リーグ最多 パ ロッテ(毎日・大毎) 5回 6回 4回 2回 2005年(年間勝率1位 1974年)※POなしだと1970年 2010年(中日) ・2010年は3位から日本一・年間勝率1位やポストシーズンを介さないリーグ優勝、完全優勝は12球団最古(1950年) セ 広島 9回 8回 3回 5回 2018年 2018年(ソフトバンク) 1984年(阪急) ・2017年はCS敗退・日本一は12球団最古 パ 日本ハム(東映) 7回 3回 4回 2016年 2016年(広島) セ 中日 9回 10回 2回 8回 2011年 2011年(ソフトバンク) 2007年(日本ハム) ・2007年は2位から日本一・完全優勝はセ・リーグ最古(1954年) セ 阪神 6回 7回 2回 5回 2023年 2023年(オリックス) 2014年は2位からの出場 セ DeNA(大洋・横浜) 2回 3回 2回 1回 1998年 2017年(ソフトバンク) 1998年(西武) ・2017年は3位からの出場・リーグ優勝は12球団最古 パ 楽天 1回 0回 2013年 2013年(巨人) 出場回数・日本一・敗退いずれも12球団最少 パ 近鉄 4回 0回 4回 2001年 2001年(ヤクルト) 日本一経験なく消滅 セ 松竹 1回 0回 1回 1950年 1950年(毎日) セ 西日本 リーグ優勝経験なく消滅 パ 大映 パ 高橋 CSの導入後はリーグ優勝しなくとも日本シリーズに進出できる可能性があるため、優勝回数と出場回数が一致しないチームがある。 最多の優勝チームは巨人の22回。次いで西武の13回・ソフトバンクの11回と続き、出場回数の面でもこの3チームがダントツのトップ3である。 逆に少ないのは2013年の1回のみの楽天で、次いで中日・阪神・DeNAが2回ずつ、広島・日本ハムが3回ずつと続く。セ・リーグは巨人以外の5球団を合わせても15回と遠く及ばず、パ・リーグもソフトバンク以外の4球団を合計しても西武の13回と同数であるため、どれだけ上位3チームが突出しているかが分かるだろう。 2022年にオリックスが勝利したことにより、21世紀になってからパ・リーグ全球団が日本一を達成。逆にセ・リーグは広島とDeNAが未達成で、最後の優勝がそれぞれ1984年・1998年と最も古く、後者に至っては12球団で唯一21世紀のリーグ優勝も未達成である。 また、西武は最後の出場が2008年と12球団で最も古く、従ってパ・リーグに限っても最古の日本一である。さらに、楽天は日本一になった2013年が唯一の出場であるため、12球団で唯一敗退がない。 それでも、消滅した近鉄に代わって結成された楽天が2013年に頂点に立ったことにより、現存12球団は全て日本一を経験しており、これはMLBにもない記録である(*28)。さらにパ・リーグは史上初めて同一年号中(平成)に全球団が日本一を経験しており、2023年に阪神が2度目の日本一に輝いたことにより、最も歴史の浅い楽天以外の11球団が日本一を複数回経験したことになった。 過去には松竹が一度・近鉄が4度日本シリーズに出場したが、結局一度も日本一になれないまま大洋・オリックスとの合併により球団消滅。特に後者は合併以降もリーグ優勝すら遠ざかっており、上記のように18年経った2022年に初めて「バファローズ」が日本シリーズを制した。 また、西日本・大映・高橋に至ってはリーグ優勝すら果たせないままロッテ・西鉄と合併する形で球団消滅となっているため、当然ながら日本シリーズへの出場経験はない。 ちなみに、連覇数の最長は巨人の9年連続(1965年~1973年)。パ・リーグではソフトバンクの4年連続(2017年~2020年)が最長記録だが、こちらは2年連続2位を含むことから完全優勝という点では阪急(1975年~1977年)・西武(1982年~1984年、1990年~1992年)の3年連続が最長である。 逆に日本一のブランクが最も長いのは中日の53年(1954年~2007年)。パ・リーグでは日本ハムの44年(1962年~2006年)が最長である。 リーグ別記録 リーグ 出場回数 日本一回数 敗退回数 直近のリーグ優勝(2リーグ制後) 直近の出場(対戦相手) 直近の日本一(対戦相手) セ・リーグ 74回 37回 阪神(18年ぶり6度目) 2023年の阪神(オリックス) パ・リーグ オリックス(3年連続15度目) 2023年のオリックス(阪神) 2022年のオリックス(ヤクルト) 2023年現在のリーグ別成績は37勝37敗のタイである。第1回の1950年をパ・リーグが制し、1959年に2度目のタイになって以降は長い間セ・リーグが勝ち越しており、巨人が「V9」を達成した1973年には17勝7敗で初の貯金10に到達。その後も2003年まで5回記録しており、2002年は史上最多となる11もの貯金(32勝21敗)があった。 だが、この年を最後にセ・リーグでの日本一連覇がなくなり(*29)、代わってパ・リーグが大きく躍進。2013年からは楽天・ソフトバンク・日本ハムによる「V8」を達成し、2020年の時点で36勝35敗と初めてセ・リーグをリードした。 2021年にヤクルトが日本一に輝いたことで9連覇は阻止されたものの、2022年にオリックスが頂点に立ったことで再度貯金を作り、21世紀にパ・リーグ全球団が日本一を達成した。 球場記録 ネーミングライツなどによって球場名が異なる場合は個別に記載。ただし、開催実績のない球場や名称は基本的に除く。 黒字は現存球場の記録。赤字は最高記録。青字は最少・最古の記録。 球場欄色付きおよび太字は現行の球場および名称。灰色は過去の球場および本拠地(現存か否かは問わない)。 球場 開催回数 決着回数 直近の開催(戦目)(対戦カード、太字は主催) 直近の決着(優勝チーム) 後楽園球場 29回 16回 1987年3,4,5(巨人 - 西武) 1981年 大阪スタヂアム(大阪球場) 13回 5回 1980年3,4,5(広島 - 近鉄) 1979年(広島) 西武ライオンズ球場 12回 7回 1997年1,2(ヤクルト - 西武) 1993年(ヤクルト) 東京ドーム 12回 5回 2021年3,4,5(ヤクルト - オリックス) 2019年(ソフトバンク) 阪急西宮球場 11回 4回 1984年3,4,5(広島 - 阪急) 1975年(阪急) 福岡ドーム 10回(福岡ドーム 3回)(ヤフオク!ドーム 5回)(他1回ずつ) 5回(ヤフオク!ドーム 2回)(他1回ずつ) 2003年1,2,6,7(阪神 - ダイエー) 2003年(ダイエー) 福岡 Yahoo! JAPANドーム 2011年1,2,6,7(中日 - ソフトバンク) 2011年(ソフトバンク) 福岡 ヤフオク!ドーム 2019年1,2(巨人 - ソフトバンク) 2017年(ソフトバンク) 福岡 PayPayドーム 2020年3,4(巨人 - ソフトバンク) 2020年(ソフトバンク) 明治神宮野球場 9回 6回 2022年1,2,6,7(ヤクルト - オリックス) 2022年(オリックス) 阪神甲子園球場(甲子園球場) 9回 3回 2023年3,4,5(阪神 - オリックス) 2005年(ロッテ) ナゴヤドーム 6回 4回 2011年3,4,5(中日 - ソフトバンク) 2010年(ロッテ) 中日スタヂアム(中日球場) 5回(中日スタヂアム 3回)(ナゴヤ球場 2回) 2回 1974年1,2,6(中日 - ロッテ) 1974年(ロッテ) ナゴヤ球場 1988年1,2(中日 - 西武) 1982年(西武) 平和台球場 5回 1回 1963年1,2,6,7(巨人 - 西鉄) 1963年(巨人) 広島市民球場 5回 3回 1986年1,2,6,7,8(広島 - 西武) 1986年(西武) 大阪ドーム 5回(大阪ドーム 1回)(京セラドーム 4回) 1回(京セラドーム) 2001年1,2(ヤクルト - 近鉄) 2023年(京セラドームで阪神) 京セラドーム大阪 2023年1,2,6,7(阪神 - オリックス) 札幌ドーム 5回 2回 2016年3,4,5(広島 - 日本ハム) 2009年(巨人) 西武ドーム 4回 1回 2008年3,4,5(巨人 - 西武) 2002年(巨人) MAZDA Zoom Zoom スタジアム広島 3回 2回 2018年1,2,6(広島 - ソフトバンク) 2018年(ソフトバンク) グリーンスタジアム神戸 3回(グリーンスタジアム 2回)(ほっと神戸 1回) 1回 1996年3,4,5(巨人 - オリックス) 1996年(オリックス) ほっともっとフィールド神戸 1回 2021年6(ヤクルト - オリックス) 2021年(ヤクルト) 千葉マリンスタジアム 2回 0回 2010年3,4,5(中日 - ロッテ) - 横浜スタジアム 2回 1回 2017年3,4,5(DeNA - ソフトバンク) 1998年(横浜) 東京スタジアム 1回 1970年3,4,5(巨人 - ロッテ) 1970年(巨人) 藤井寺球場 1回 1989年1,2,6,7(巨人 - 近鉄) 1989年(巨人) 川崎球場 1回 1960年1,2(大洋 - 大毎) - クリネックススタジアム宮城 1回 2013年1,2,6,7(巨人 - 楽天) 2013年(楽天) エスコンフィールドHOKKAIDO 開催例なし 最多の開催球場は後楽園球場の29回。巨人以外のチームも本拠地として開催していることからダントツのNo.1であり、決着して胴上げが行われた回数も16回と群を抜いている。次いで大阪球場の13回・西武球場の12回と続く。 現行の球場では東京ドーム12回・福岡ドーム10回が多く、決着回数は神宮の6回が最多である。 2023年に京セラドームで開場以来初めて日本一が決定したことにより、一度だけの開催だった川崎球場や同年開業したエスコンフィールドを除いた12球団の現行本拠地では唯一セ・リーグ球団も含めてZOZOマリンスタジアムでの日本一決定がない(*30)。同様に阪神も2度の日本一がいずれもビジター(1985年は西武球場、2023年は京セラドーム)であるため、こちらもセ・リーグでは唯一本拠地で日本一を決められていない。 上記の通りロッテは最後の年間勝率1位が12球団で最も古い1974年であるため、千葉移転後のリーグ優勝およびPO→CSファイナルステージ開催も行われていない。 上記の通り過去は全球団の本拠地が屋外球場だったが、東京ドームを皮切りに次々と建設されたことで現在は巨人・中日・西武・ソフトバンク・オリックス・日本ハムの6球団がドーム球場になり、屋外球場はヤクルト・広島・DeNA・阪神・ロッテ・楽天の6球団になったことから、対戦カードの関係で全試合が屋外球場で開催されたのは2005年が最後になっている。 上記のように出場チームにはあらかじめ使用する球場の日程確保が義務付けられており、怠ると罰金が課される。 なお、諸事情で他の球場を使用する場合でも他球団の本拠地で開催される場合が多く、収容人数やナイター設備の条件面も含めて純然たる地方球場で行われたことはない。 日本シリーズの対戦カード 前身球団も含む。いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記。 「×」は対戦例なし。灰色は過去のチーム。 球団 パ・リーグ 西武 ソフトバンク オリックス ロッテ 日本ハム 楽天 近鉄 セ・リーグ 巨人 巨3 - 7西 巨9 - 3ソ 巨5 - 3オ 巨1 - 0ロ 巨3 - 0日 巨0 - 1楽 巨1 - 0近 ヤクルト ヤ2 - 1西 ヤ0 - 1ソ ヤ3 - 1オ × × × ヤ1 - 0近 広島 広1 - 1西 広0 - 1ソ 広1 - 1オ × 広0 - 1日 × 広2 - 0近 中日 中1 - 3西 中0 - 2ソ × 中0 - 2ロ 中1 - 1日 × × 阪神 神1 - 0西 神0 - 3ソ 神1 - 0オ 神0 - 1ロ 神0 - 1日 × × DeNA De1 - 0西 De0 - 1ソ × De1 - 0ロ × × × 松竹 × × × 松0 - 1ロ × × × 楽天以外はどの球団も必ず1チームには通算成績で負け越しており、全球団に勝ち越しているチームはない。 対戦カード別では巨人とソフトバンクの顔合わせが最も多く、2020年までに12回対戦している。対戦成績は巨人が9勝3敗と圧勝だが、ソフトバンクが勝利した3回は全て4勝無敗のスイープである(1959年・2019年・2020年)。 西武とソフトバンクは現行のセ・リーグ6球団全てと対戦経験があり、中でもソフトバンクは上記の通り2010年代だけで全チームを撃破し、史上初の日本シリーズ6球団勝利を達成(*31)。中でもロッテは唯一松竹と対戦経験があるため、ヤクルトと広島と対戦すればパ・リーグ唯一の7球団対戦を達成できることになる。 セ・リーグでは唯一巨人が近鉄も含めたパ・リーグ7球団と対戦。逆に現行6球団での対戦例はないが、同様に近鉄と対戦経験があるヤクルトと広島は7球団対戦を達成できる可能性は残されている。 一方で、前身球団も含めて一度も対戦していない組み合わせが現行12球団だけでもまだ11例残されている。 ファーム日本選手権 二軍にも日本シリーズが設定されており、「ファーム日本選手権」と呼ばれる。1987年に「ジュニア日本選手権」としてスタートし、当初は9月に行われていたが、1997年から大会名を「ファーム日本選手権」と改めたのを機に、以降は10月のフェニックス・リーグ前に行われている。 二軍リーグは一軍とは違い、東日本の7チームで構成されるイースタン・リーグ(セ・リーグが運営)、西日本の5チームで構成されるウエスタン・リーグ(パ・リーグが運営)に分かれており、地域別に設定されている。 かつては一軍と同じく両リーグ6チームずつだったが、近鉄の解散と楽天の結成が行われた2005年以降はイ・リーグ7チーム、ウ・リーグ5チームと数が分かれて奇数になり、両リーグとも効率的な試合開催ができなくなっていた。 2024年からは二軍のみのチームとして新潟アルビレックス、くふうハヤテベンチャーズ静岡がそれぞれイ・リーグとウ・リーグに加入する予定で、チーム数が偶数になって前述の問題が改善される見込みである。 一軍の日本シリーズとの主な違いは以下の通り。 一軍とは違って一試合勝負で、各リーグの優勝チームがそのまま出場する。 延長戦の制限はなし。2020年と2021年はコロナ禍の関係で「ファーム日本選手権特例2020」として、延長10回終了時に同点の場合、11回以降は決着がつくまで毎回継続打順で無死一、二塁から始めるタイブレークを採用した。 西暦が偶数の年はウ・リーグ、奇数の年はイ・リーグのチームがホーム扱い。使用する球場もお互いの本拠地ではない地方球場の場合が多く、2013年以降は毎年ひなたサンマリンスタジアム宮崎で開催されている。 出場チームは試合の数日前に出場資格者名簿をコミッショナーに提出する。参考までに、2023年での出場資格は「支配下もしくは育成で当年度に登録された新人選手」「当年度に一度も出場登録されなかった選手」「当年度のファーム公式戦の規定打席もしくは規定投球回のいずれかの3割を満たした選手」の中からいずれかに該当する選手。 指名打者制は一軍がパ・リーグに所属するチームがホームの時で、2009年以降はセ・リーグ所属のイ・リーグのチーム(巨人・ヤクルト・DeNA)がホームの場合でも採用可能。 一軍と同じくMVPの表彰があり、受賞者の中には後にチームや球界を代表する選手に成長した人もしばしばいる。 2023年時点でイ・リーグ17勝、ウ・リーグ19勝とウ・リーグが優勢である。 追記・修正は贔屓チームの日本一を見届けてからお願いいたします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 3位同士の日本シリーズなんて見てみたいが、実現したらCS不要論加速しそう -- 名無しさん (2022-10-17 20 35 53) 「33-4」「な阪関無」「白い霧事件」←これを見に来た -- 名無しさん (2022-10-17 21 50 59) 個人的に92年西武vsヤクルトが1番面白かった。確か最近その年に焦点を当てた本も出てたはず -- 名無しさん (2022-10-17 23 29 58) ↑3なんやかんやで3位が日本シリーズ進出したケースって過去16回で確か2010年、2017年の2回だけ(日本一は2010のロッテだけ)で滅多にないから、CSの制度って割とよくできてるんよね。それでも贔屓がリーグ優勝したのにCS敗退したらマジで要らねぇだろってなっちゃうけど -- 名無しさん (2022-10-17 23 57 22) ノーコンすぎてヤバいとパ・リーグファンから言われるあの杉山ですら巨人打線がてんてこ舞いにされた2020は改めて酷いと思った -- 名無しさん (2022-10-18 10 07 47) 阪神と広島は平成で日本一にならなかったな -- 名無しさん (2022-10-18 11 38 55) ↑現12球団だと日本一から最も遠いのがその2チームなのか(シーズン勝率1位&日本一の縛りだとロッテと中日が半世紀以上も前だが) -- 名無しさん (2022-10-18 16 58 28) な阪関無は厳密には2010年日本シリーズのほうでは… -- 名無しさん (2022-10-18 19 56 48) ロッテはリーグ優勝してなくても日本シリーズに出てくると異様な力を出すイメージがある。 -- 名無しさん (2022-10-19 00 51 17) 92年は記事にならないかな -- 名無しさん (2022-10-19 10 24 40) 2005年のロッテは優勝したから(血眼) -- 名無しさん (2022-10-19 16 36 27) ↑8そもそも2位以下同士ってのがいままで一度もないなんだかんだ片方は1位のチーム -- 名無しさん (2022-10-19 21 00 15) ぶっちゃけ20年巨人はぶっちぎりペナント快走の中盤までと比較して終盤はアレな試合が多くて阪神や中日の方が強かったよ。逆にホークスは終盤に怒涛の連勝しての優勝してチーム状態が素晴らしかった。 -- 名無しさん (2022-10-20 22 45 53) 2023年11月5日(日)にフジテレビで放送された日本シリーズ阪神VSオリックス最終決戦の視聴率は何%でしたか? -- 名無しさん (2023-11-13 17 56 23) 名前 コメント