約 30,430 件
https://w.atwiki.jp/goyo/pages/441.html
エア御用な人々 「絆」キャンペーンのときはまともなことを言ってたが 後に御用テンプレ通りに放射能危険厨をdisる 191 名前:地震雷火事名無し(新疆ウイグル自治区)[sage] 投稿日:2011/12/13(火) 21 57 25.37 ID ij0b/ABk0 166 時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環 http //mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20111211ddm002070091000c.html 抜粋- ◇自由な個人の連帯こそ つながりとしての絆は優しく温かい。利害や対立を越えて、絆は人々をひとつに包み込むだろう。 しかし、しがらみとしての絆はどうか。それはしばしばわずらわしく、うっとうしい「空気」のように 個人を束縛し支配する。たとえばひきこもりや家庭内暴力は、そうした絆の副産物だ。 もちろん危機に際して第一に頼りになるものは絆である。その点に異論はない。 しかし人々の気分が絆に向かいすぎることの問題もあるのではないか。 絆は基本的にプライベートな「人」や「場所」などとの関係性を意味しており、 パブリックな関係をそう呼ぶことは少ない。つまり絆に注目しすぎると、「世間」は 見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。 これを仮に「絆バイアス」と名付けよう。 絆バイアスのもとで、人々はいっそう自助努力に励むだろう。たとえ社会や システムに不満があっても、「社会とはそういうものだ」という諦観が、絆をいっそう深めてくれる。 そう、私には絆という言葉が、どうしようもない社会を前提とした自衛ネットワークにしか思えないのだ。 それは現場で黙々と復興にいそしむ人々を強力に支えるだろう。しかし社会やシステム に対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。 対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。 なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、 本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。 (略) もはやこれ以上の絆の連呼はいらない。批評家の東浩紀氏が言うように、本当は絆など、 とうにばらばらになってしまっていたという現実を受け入れるべきなのだ。 その上で私は、束縛としての絆から解放された、自由な個人の「連帯」のほうに、 未来を賭けてみたいと考えている。 (毎日新聞 2011年12月11日 東京朝刊) ▼ 194 名前:地震雷火事名無し(千葉県)[sage] 投稿日:2011/12/14(水) 02 33 37.34 ID FMmu7qT90 191 「世間」といえば阿部謹也だし、「無縁」といえば網野善彦だよ。 網野の「無縁」=「日本社会の自由原理」には実証的な批判も多いけど、 この二人は中世史家としてよく対談していた。二人が存命だったら、と思うし、 この斎藤の評論も阿部の世間論をもとに書かれている、というかそのもの。 それに「和を以て貴しとなす」っていうのは誰かひとりでも助かればいい、という方向に働かず、 玉砕の美学に価値を見出す基礎になっている、と思えるんだ。 NHKで、石橋氏が委員会で警告を発したあと、「誰があんなやつを委員にしたんだ」といわれたそうだが、 結果が吉と出ようが凶と出ようが、とにかく「シャンシャンシャン」の全会一致を目的化する、 そういう思想はかなり支配的な気がする。 ▼ 210 名前:地震雷火事名無し(WiMAX)[sage] 投稿日:2011/12/15(木) 07 52 04.24 ID 6FOyXkXl0 191 194 つまり絆に注目しすぎると、「世間」は見えても「社会」は見えにくくなる、という認知バイアスが生じやすくなるのだ。 社会やシステムに対して異議申し立てをしようという声は、絆の中で抑え込まれてしまう。 対抗運動のための連帯は、そこからは生まれようがない。 なかでも最大の問題は「弱者保護」である。絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、 本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。 これはぜひwikiに取り上げてほしい名文だ。 御用市民が発生する社会心理や、体制寄りな論者だけでなく 一見リベラルな人々までもが被曝から身を守るという基本的人権を否定したり 都民加害者論を振りかざす一方で政府や東電の責任には沈黙する理由をうまく説明している。 日本では、イデオロギー的・党派的な「リベラル」は必ずしもソーシャル志向を意味しない。 「世間」には右も左も関係ないからね。 609 名前:地震雷火事名無し(静岡県)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 13 07 01.79 ID fkah86PJ0 時代の風:放射能トラウマとリスク=精神科医・斎藤環 http //mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20120122ddm002070146000c.html いや、もうテンプレ通りですな 急性被曝症状は出ていない ストレスのほうが問題だ 今やリスクゼロは幻想 放射能忌避やリスク観による分断のほうが問題だ ときて暗に「リスクを受け入れよ」と匂わす論法。斎藤だけじゃなくて、テンプレを各々が肉付けしているだけで こういうような小論・記事・エッセイが量産されてますなあ。はっきり「リスクを受け入れよ」と書いちゃうヤツもいるけど たいして説得力があるわけじゃないこういう論法を使う言論人が多いのが謎。自分で考えついて、自分独自の視点だ!と 思って書いてるやつはおらんだろうな? ▼ 614 名前:地震雷火事名無し(神奈川県)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 16 54 24.29 ID w0g2yb8J0 609 斎藤環は「絆」キャンペーンのときはまともなことを言ってたのだが。 集団主義批判と政府・御用批判は必ずしも連動しないようだ。 ▼ 617 名前:地震雷火事名無し(チベット自治区)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 18 47 23.11 ID VxfWjvmE0 614 東大話法 規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する 安富先生の言われる「立場主義」ってやつだな。 ▼ 615 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 17 53 18.21 ID zynXLErU0 609 急性被曝症状は出ていない ストレスのほうが問題だ 今やリスクゼロは幻想 放射能忌避やリスク観による分断のほうが問題だ ようするに、こういうテンプレで文章書いてくれって注文出てるんでしょw ▼ 622 名前:地震雷火事名無し(徳島県)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 22 19 09.72 ID Cbn6INdW0 609 斎藤環は月刊Willで 福島はチェルノブイリにならないって書いてたな ▼ 640 自分:御用聞き ◆f1qmsMDFdM (東京都)[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11 19 33.52 ID hjfxIt3l0 609 これはエア御用でいいのかな? 体制擁護的であればみんなエア御用にしようかと思うけど。 ▼ 641 自分返信:御用聞き ◆f1qmsMDFdM (東京都)[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 11 21 12.54 ID hjfxIt3l0 640 絆についてまともっぽいこと言ってたから、まともそうに入っていた。 移動します 623 名前:地震雷火事名無し(愛知県)[sage] 投稿日:2012/01/22(日) 23 56 23.42 ID /w4Mh3Jv0 サブカル文化人は、ポジション作りばかりに熱心だな。 他者との小さな差ばかり気にするのは、団塊以降の受験競争世代の特徴かな。 正しさの競い合いも受験の点取り競争に由来する気がする。 @pentaxxx 斎藤環 あえて書きませんでしたが、私はずっと脱原発の立場で、それは変わってません。 現在も新潮で「フクシマあるいは被災した時間」の連載中です。読んでくれているものとの想定が誤算というか傲慢でしたね。 GoyoGakusha 11 52am via HootSuite 何か脱原発であるということが、放射能安全厨の免罪符になると思ってる人が、世の中にはいるようだな。よくわからない発想だ。 @Shimazono 中川恵一氏も似た発言。死生観言説についての思い込み。日露戦争期から「死生観を持て」と言う人はしばしば活躍。 @hirakawah いずれにしてもこの斉藤環さんの論説は論理展開が変ですね。あえていえば最後の死生観=ゼロリスク神話批判(という神話)というアイデアをいわんがために… それにしてもも、斎藤環の『時代の風「放射能トラウマとリスク」』は、最悪だな。 「放射能幻想」を勝手に作り上げているのはこの人自身。『放射能はさしあたり人の 身体は破壊していないが、“放射能幻想”は人の心を確実に破壊しているということ』 だとか『。「これ以下は安全」という「しきい値」はあるのか。被ばく線量と発がん 率の上昇には直線的な関係があるのか。確実なことは何も分かっていない。』だとか 『分かれば分かるほど分からなくなる、という状況下で、もはや「絶対の安全」は誰 の手にも入らない』とか、この人自身の妄想を客観的事象と摩り替えている。確実な ことを分かっていないのもこの人。精神科医って、だから嫌だ。自分で病名を作り出 して、現実をそれに当て込めようとする。 (Rastamon) 2012-01-28 10 22 12 834 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2012/01/31(火) 12 25 45.50 ID ??? wikiの斎藤環の項目が更新されてたけど この人の論法は御用というよりニセ科学批判者のそれに近いように思う。 科学の中立幻想をかさにきるところとか 社会的合意の問題と純粋な科学研究を混同しているところとか。 なぜかサブカルチャー系にはこういう発想の人が目立つ。
https://w.atwiki.jp/unkochan_uki2/pages/67.html
サブコンテンツ > 図書館 > 斎藤環 著者紹介 おすすめ著書 『社会的ひきこもり』PHP新書 2020(改訂版) 『中高年ひきこもり』幻冬舎新書 2020 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』ちくま文庫 2012(改訂版) 『生き延びるためのラカン』ちくま文庫 2012(改訂版) 『思春期ポストモダン――成熟はいかにして可能か』幻冬舎新書 2007年 『承認をめぐる病』日本評論社 2013年 タグ 図書館
https://w.atwiki.jp/aryamatakoryamata/pages/605.html
浅田彰 あさだ あきら 題名 荒俣宏 Link 1984.07.01 『SAGE』1984年7月号(No.43) 雑誌 三共社 インタビュー インタビュー(P15)に登場。
https://w.atwiki.jp/goyo/pages/221.html
反原発学者リスト 無知っぽい学者・文化人 電力会社とマスコミ 166 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県)[] 投稿日:2011/07/08(金) 10 48 22.87 ID z81JeKEV0 浅田彰☓田中康夫 ぼくは一方で放射能の危険性を煽りすぎるのはよくないと思う。 広島や長崎で生きてきた被爆者の大多数がガンになったわけじゃないし、 我々が子どもの頃には米ソをはじめとする各国が大気圏内で核実験を やりまくってて日本の放射線量は今よりずっと高かったけど、それで 大勢がガンになったわけでもない。 http //www.sotokoto.net/jp/talk/?id=42 低線量被曝の影響はともかく 核実験との比較なんて4月くらいにとっくに決着してると思ったけど それこそネット限りで なかなか広まらない 170 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県)[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 11 32 01.24 ID fXc+koC70 166 あうー残念。なんかこういうこと言う気がしていた。 情報収集能力の低下だけではなく、俺たちの世代のほうが~ みたいな意識が背景にあるような気がするのがなんとも。 171 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(catv?)[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 11 44 00.86 ID sGP9I9JV0 [2/2] 若干26歳でスキゾキッズとして颯爽と登場したものの、それから30年以上 京都という世界から隔絶された田舎町に引きこもって、ろくな論文もその後書けないで時事放談していただけだから この古めかしい型にはまった伝統芸のような論は、彼らしいね 浅田氏 235 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(dion軍)[] 投稿日:2011/07/08(金) 22 07 42.80 ID 0Ak4S0D50 [1/2] 166 浅田先生ですら、こんなこと言ってるのか。こういうのを見ると 本当に御用学者やその間違いをきちんと指摘しない専門家や 準専門家の罪は重いね。 核実験との比較はリストの諸葛先生の欄に書いてあるけど、 あれじゃあ不十分なのかな。きちんと、一次情報も添付して おいた方がいいんだろうか。 まあ、浅田先生のコメントは原文全部読まないと大意がつかめないので リスト入りは慎重にした方がいいかもね。 238 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(岡山県)[sage] 投稿日:2011/07/08(金) 22 16 52.07 ID nrI6oWxG0 [8/11] 235 広島や長崎で生きてきた被爆者の大多数がガンになったわけじゃないし これよく使われる表現なんだけど ガン等の大きな影響を受けた人は既に亡くなっているわけで 今まで「生きてきた」人の話を持ち出すのはおかしいわけで しかも現在進行中のフクイチとは核分裂生成物の量が違いすぎる 我々が子どもの頃には米ソをはじめとする各国が大気圏内で核実験を やりまくってて日本の放射線量は今よりずっと高かったけど、それで大勢がガンになったわけでもない。 現在の日本は結構ガンの発生率が高いと個人的に思ってるんだけれど それに対して「大気圏核実験がなかった場合」のコントロールと比較しないで 「大勢がガンになったわけでもない」と断定するのは科学的じゃない 243 名前:名無しさん@お腹いっぱい。(dion軍)[] 投稿日:2011/07/08(金) 22 26 00.60 ID 0Ak4S0D50 [2/2] 166 235 ん?勘違いしたかな?浅田先生が言ってるのは、事故前の平常値 と比べて核実験時代が高かったと言う意味ならわかる。 ただ、 238の言ってる意味はわかるけどね。 ちょっと誤解を招く書き方だね、あれは。 まあ、いずれにせよ、今回の事故で振った放射性物質の量は 核実験時代よりは全然高いはず。 694 名前:地震雷火事名無し(茨城県)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 10 52 41.76 ID Dh1aig+d0 そういう意味で、経済的合理性や技術的合理性からいって原発はつくるべきじゃない。 ぼくは、まずはその線で押すのが現実的だと思うんで、「原子力は人間が手を触れちゃ いけない領域だ、軍事利用のみならず平和利用も人間が傲慢ゆえに犯した過ちで、 とくに原爆の悲劇を体験した日本人が原発を受け入れたのは誤りだった」っていうような 擬似宗教的な議論を前に出すのは避けたほうがいいと思うな(浅田彰) http //www.sotokoto.net/jp/talk/index.php?id=44 page=2 ▼ 695 名前:地震雷火事名無し(静岡県)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 12 56 15.24 ID AFAvsKqA0 694 こういう合理性を前面に押し出せ論は宮台や飯田哲也も言っているが、そんなことは 原発反対派だってさんざんやってきたよ 経産省内部からも合理性を危惧された六ヶ所だって、その省内六ヶ所ストップ派は 惨敗しちゃったじゃないか。「合理性」で追い詰められるほどあの連中は甘いもんじゃないよ http //www.asahi-net.or.jp/~pv8m-smz/archieve/080114hashizume_last.html ▼ 696 名前:地震雷火事名無し(東京都)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 13 14 09.22 ID 7RnTdkBK0 695 飯田哲也は、推進派vs反対派という二項対立の構図になり頓挫した80年代の反対運動を否定する立場。 新エネルギーを推進することによって原発依存から脱却するという方法を実践していて、 これはヨーロッパでの脱原発の実績に学んだ方法。 ▼ 790 名前:地震雷火事名無し(大阪府)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 23 08 18.99 ID ee7JkJxn0 695 再掲だけど、過去スレで以下が印象深かった。要点は「要らない」と意思表示をすること。 でも、 696 の手法のほうが上手なやり方ではあるね。 ”脱原発”という言葉で、アンチって、アンチ対象に存在依存していて、アンチ対象がなくなると 存在できなくなるのね。だから"エネルギーシフト"という言葉の方がより肯定的で、 "要らない"より"要る"、"No"から始まるより"Yes"から始まった方がうまくいくものらしい。 http //hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1311722471/240 + だが、中曽根は怒っていた。宿泊先を訪ねてきた三重県漁連常務の宮原九一(93) に「ここまでくると事件だ」とぶちまけた。三重県警には当時の幹部が中曽根から「国 会議員が視察するのに、なぜ排除できないんだ」と問い詰められたという逸話が残る。 三重県警は3日後に捜査本部を設置。事件当日に海保が撮影した写真から特定した 30人を公務執行妨害容疑などで逮捕した。 帰京した中曽根のもとに三重から釈放を陳情する人が続いた。県漁連の山下健作 (84)は中曽根から「原発を受け入れなさい。そうすればすぐに解き放してあげる」 と告げられた。間柄侃也(かんや=75)は取り調べの検事から「中曽根さんは罪を軽 くしてやってくれと言っているぞ」と原発容認を迫られたと証言する。 結局、25人が起訴されて有罪判決を受けたが、反対運動は立地計画の白紙撤回ま でやまなかった。 ▼ 792 名前:地震雷火事名無し(茨城県)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 23 12 18.13 ID 4z8uFOry0 694 核の歴史を見ると擬似宗教的な議論とは言えないね。 ▼ 796 名前:地震雷火事名無し(北海道)[sage] 投稿日:2011/09/08(木) 23 27 27.68 ID ZDEJK4fC0 694 浅田がニューアカで流行ってたころの吉本を見るような感じ。 既視感がある。
https://w.atwiki.jp/aabiblio/
浅田彰書誌@wiki 「はじめにメディアありき」(浅田彰)(『イコール』1983年6月号)ということで、メディア掲載順に、書誌を作成しました。 ほぼ網羅はしていると思いますが、未完成です。また、まだ、単行本未収録で、雑誌掲載のみと言う論考があると思います。ご覧になられた皆様の、お力添えを期待いたします。 @wiki ご利用ガイド @wikiの基本操作 @wikiへのお問合せフォーム
https://w.atwiki.jp/my_ark/pages/38.html
ジャック・ラカン フロイト リスト 斎藤環 精神分析 読了 『文脈病』(青土社) 『生き延びるためのラカン』(バジリコ) 『社会的ひきこもり』(PHP新書)
https://w.atwiki.jp/aabiblio/pages/60.html
●田中康夫と浅田彰の憂国呆談 season 2(2010.7~)、『ソトコト』木楽舎 WEB掲載版 ●田中康夫と浅田彰の憂国呆談(2008.1~2010.6)、『ソトコト』木楽舎 WEB掲載版 ●田中康夫と浅田彰の続・憂国呆談(全43回、2002.05.04~2006.03.18)、『週刊ダイヤモンド』ダイヤモンド社 WEB掲載版 ●田中康夫と浅田彰の新・憂国呆談(1999.12~2002.1)、『GQ JAPAN』コンデナスト・ジャパン ●間違いだらけのニッポン(1995.1~1999.10)、『NAVI』二玄社 ●新・憂国呆談(全10回、1992.1~1992.10)、『CREA』文芸春秋 ●憂国呆談(全12回、1989.12~1991.11)、『CREA』文芸春秋 単行本化 『憂国呆談』(田中康夫との対談)、幻冬舎、1999.8 『新・憂国呆談 神戸から長野へ』(田中康夫との対談)、小学館、2001.1 『憂国呆談リターンズ:長野が動く、日本が動く』(田中康夫との対談)、ダイヤモンド社、2002.9 『ニッポン解散 続・憂国呆談』(田中康夫との対談)、ダイヤモンド社、2005.9 2002.10-2005.8を収録 経緯 ●「浅田彰 田中康夫のスキゾ・キッズ宣言:勝手にしやがれ」(田中康夫との対談)、『文芸春秋』1984年7月号〔→『田中康夫:しなやかな革命』河出書房新社(KAWADE夢ムック)、2001.5 〕 ●「おしゃれな会話したい!だから、知っておきたいアイテム250 アイテムは知的記号か」(田中康夫との対談)、『Marie Claire』1985年5月号 →『CREA』文芸春秋(1989-1992)→『NAVI』二玄社→『GQ』コンデナスト・ジャパン→『週刊ダイヤモンド』ダイヤモンド社→『ソトコト』木楽舎
https://w.atwiki.jp/library801/pages/51.html
更新日:2012-06-27 作者名: 浅田 彰 読 み: あさだ あきら 作 品: 「天使が通る」「逃走論―スキゾ・キッズの冒険」 レ ス: 801文学部 http //www2.bbspink.com/801/kako/1001/10017/1001744242.html 54 名前: 風と木の名無しさん スキゾキッズと天使が通る、難解なのに文庫持ってる。 眼鏡受け萌え?いや、年下攻め(精神的にしろ)萌え? 初恋話読んで状況は違うけど何だか乙女な某CMが浮かんだり。 「僕は汚れている、いっしょにいると君まで汚してしまう」←女だっけ?脳内変換…。 「嘘だ、君の心はこの川の流れのように澄みきっているんだ」 あれ演劇部というよりヤオイ少女ぽいけど、元ネタってあるんでしょうか? 長野まゆ○さんとかか?←読んでないがイメージ。スマソ ▲PAGETOP 今日: - 昨日: - 合計: -
https://w.atwiki.jp/aabiblio/pages/65.html
批評空間 第2期 1994.4-2000.4 批評空間 第3期 2001.10-2002.7 II-11-25← 第3期『批評空間』 『季刊思潮』(1988-90、思潮社)、『批評空間』(1991-94、福武書店)、『第II期批評空間』(1994-2000 太田出版)の後続季刊誌。 編集委員:浅田彰・柄谷行人、編集人・発行人:内藤裕治、発行所:株式会社 批評空間 III-1-III-4, 2001.10-2002.7 III-1, 2001.10「特集=新たな批評空間のために ラテンアメリカとネーション」 III-2, 2002.1「特集=「帝国」と「原理主義」 『トランスクリティーク』『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」 III-3, 2002.4「特集=『日本精神分析』再論」 III-4, 2002.7「特集=アナーキズムと左翼」 III-1, 2001.10「特集=新たな批評空間のために ラテンアメリカとネーション」 ● 磯崎新・岡崎乾二郎・山城むつみ・浅田彰・柄谷行人「共同討議 新たな批評空間のために」(2001.7.7.紀伊国屋ホールにて、紀伊国屋書店・批評空間主催、第126回紀伊国屋セミナー「批評空間独立記念イヴェント「第Ⅲ期「批評空間」を創刊する」) ● 西部忠「LETS論」 ● 斎藤環・中井久夫・浅田彰「共同討議 トラウマと解離」(2001.7.5.) ● 斎藤環「解離とポストモダン、あるいは精神分析からの抵抗」 ● 十川幸司「概念の思考 精神分析経験の固有性と非固有性」 ● Slavoj Žižek「メランコリーと行為」(*1)(鈴木英明訳) ● 小倉英敬・崎山政毅「討議 ラテンアメリカとネーション」(2001.6.5.) ● マルコス副司令官「サパティスタ民族解放軍のテキストより 逆さに覗いた遠眼鏡」(崎山政毅訳) ● マルコス副司令官「爆弾・火消し・豆電球……」(小澤卓也・中田英樹・佐々木祐訳) ● 「共同インタヴュー マルコス副司令官に聞く:パンチカードと砂時計」(*2)(聞き手:ガブリエル・ガルシア=マルケス・ロベルト・ポンボ、崎山政毅訳) ● 岡崎乾二郎「歴史とよばれる絵画」 ● 小泉義之「ドゥルーズにおける意味と表現3 器官なき身体の娘たち」 ● 連続掲載1 鎌田哲哉「有島武郎のグリンプス A 内村鑑三との闘争」 ● 新連載詩1 高橋悠治「凍った影だけ 鵞鳥はいない」 ● Jaques Derrida「弔鐘」10(鵜飼哲訳) 時評 ● 蓮實重彦「「作家主義」にさからってティム・バートンを擁護することの困難:『Planet of the Apes 猿の惑星』をめぐって」 ● 絓秀実「歴史修正主義の基本構造」 ● 柄谷行人「編集後記」(2001.8.16.記) / 浅田彰「編集後記」(2001.8.15.記) III-2, 2002.1「特集=「帝国」と「原理主義」 『トランスクリティーク』『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」 ● 市田良彦・臼杵陽・浅田彰・柄谷行人「共同討議 「帝国」と「原理主義」」(2001.10.22.)、pp.6-35 ● Toni Negri「「帝国」、帝国主義の最高段階」(*3)(澤里岳史訳)pp.44-48 ● Malcom Bull「スタンリー・ナイフで新たな社会を築くことはできない:マイケル・ハート+アントニオ・ネグリ『帝国』」(*4)(澤里岳史訳)pp.49-60 ● 市田良彦「帝国の諸問題」pp.61-67 ● 松葉祥一「「実体なき戦争」と「平等への希望」:9.11はいかに語られているか」pp.68-77 ● 樫村晴香「ストア派とアリストテレス・連続性の時代」pp.78-89 ● 福田和也「大川周明論 文明と交通」pp.90-96 ● 黒崎政男・西部忠・浅田彰・柄谷行人「共同討議 『トランスクリティーク』をめぐって」(2001.10.3.紀伊国屋ホールにて、紀伊国屋書店・批評空間主催、第128回紀伊国屋セミナー「批評空間独立記念イヴェント2「『トランスクリティーク:カントとマルクス』をめぐって」」)、pp.97-120 ● 大澤真幸・田中純・岡崎乾二郎・浅田彰「共同討議 『ルネサンス 経験の条件』をめぐって」(2001.10.8.青山ブックセンターで青山ブックセンターセミナーとして開かれたシンポジウムの記録)、pp.121-162 ● 岡田温司「ルネサンスという/におけるパラドックス:岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』を読む」pp.163-182 ● 遠藤知巳「境界線を横断する多重的経験への思考:岡崎乾二郎『ルネサンス 経験の条件』」pp.183-187 ● Leo Bersani「インタヴュー レオ・ベルサーニとの対話」(聞き手:Tim Dean・Hal Foster・Kaja Silverman)(*5)(村山敏勝訳)pp.188-199 ● Judith Butler「倫理の両義性」(*6)(竹村和子訳)pp.200-208 ● 細見和之「いささか強迫的な本だ、これは:ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りもの――アルシーヴと証人』」pp.209-217 ● 守中高明「「非人間的なもの」の倫理を定立するために:ジョルジョ・アガンベン『アウシュヴィッツの残りもの――アルシーヴと証人』」pp.218-224 ● 高橋源一郎「「大逆」と明治:『「帝国」の文学』を読む」pp.225-229 ● Jacques Derrida「弔鐘」11(鵜飼哲訳)pp.265-242 ● 大西巨人「二十一世紀初頭の中心課題」pp.36-37 ● 連載詩2 高橋悠治「世界の根拠のなさについて」pp.38-43 時評 ● 蓮實重彦「老齢の作家ばかりが無闇に元気なこの時代はわれわれに何を告げているのだろうか:エリック・ロメールの『イギリス女性と公爵』をめぐって」pp.230-235 ● 絓秀実「新たなマオ的「人民戦争論」が求められている」pp.236-241 ● 柄谷行人「編集後記」(2001.11.16.記) / 浅田彰「編集後記」(2001.11.15.記) III-3, 2002.4「特集=『日本精神分析』再論」 ●磯崎新・岡崎乾二郎・山城むつみ・浅田彰・柄谷行人「共同討議 『日本精神分析』再論」(2001.11.16.磯崎アトリエにて)、pp.6-43 ●柄谷行人「再論日本精神分析」pp.44-55 〔→改題「文字の地政学:日本精神分析」、『定本柄谷行人集4 ネーションと美学』岩波書店、2004.5〕 ●子安宣邦「漢字と「国語の事実」:時枝言語過程説の成立」pp.56-71 ●Susan Buck-Morse「グローバルな公共圏?」(*7)(竹内孝宏訳)pp.72-83 ●Edward Said「パレスチナに生まれるオルタナティヴ」(*8)(早尾貴紀訳)pp.84-89 ●Edward Said「一国家解決」(*9)(早尾貴紀訳)pp.90-100 ●Amos Gitai「インタヴュー イスラエルを撮ることに関するひとつの会話」(聞き手:Annette Michelson)(*10)(とちぎあきら訳・解題)pp.127-150 ●四方田犬彦「マフマルバフの印象」pp.168-172 ●Jacques Rancière「教訓なき寓話:ゴダール、映画、歴史」(*11)(堀潤之訳)pp.173-186 ●松浦寿輝「ゴダールの犯罪:DVD版『映画史』をめぐって」pp.187-197 ●Hal Fostar「ビッグネス」(*12)(鈴木圭介訳)pp.198-210 ●松岡新一郎「「色とその名」をめぐる四つの覚書:ド・デューヴ『マルセル・デュシャン』をめぐって」pp.211-220 ●太田晋「再配分の詩的正義:エズラ・パウンドの異端的経済論」pp.221-240 ●三宅昭良「一線をこえた記憶:エズラ・パウンドにおける記憶としての〈アメリカ〉」pp.241-253 ●鎌田哲哉「有島武郎のグリンプス B 『或る女』についてのノート」2 pp.254-261 連載 ●Hamid Dabashi「アリー・シャリーアティー:傑出したイスラム教イデオローグ」(*13)1 (柄谷凛訳)pp.101-126 ●Hamid Dabashi・Mohsen Makhmalbaf「昔々、ある映画監督が……」(*14)1(市川尚三訳)pp.151-167 〔→『闇からの光芒:マフマルバフ、半生を語る』作品社、2004.5〕 ●連載詩3 高橋悠治「哲学をうたがう非詩」 pp.262-267 ●Jacques Derrida「弔鐘」12(鵜飼哲訳)pp.297-280 時評 ●蓮實重彦「リダ・ボレッリに向けられたキャメラは、あらゆる贅沢を超えて、「グリフィスは下品だ」という断言を人びとに素直に納得させてくれる:マイロ・カゼリーニの『されどわが愛は死なず』」pp.268-273 ●絓秀実「文学史は「病院」から「美容院」へと、その場を移しうるだろうか」pp.274-279 ●柄谷行人「編集後記」(2002.2.21.記) / 浅田彰「編集後記」(2002.2.15.記) III-4, 2002.7「特集=アナーキズムと左翼」 ●絓秀実・福田和也・柄谷行人「共同討議 アナーキズムと右翼」(2002.3.18.)、pp.6-28 ●今田剛士「協同の倫理とナショナリズム:アナーキズムと農本主義」pp.29-41 ●西部忠「貨幣像の系譜学1 市場像から貨幣像へ」pp.42-58 ●「インタビュー マッシモ・カッチャーリに聞く:アナロジーの論理学」(聞き手:田中純、八十田博人訳)pp.59-71 「シンポジウム 都市の政治学をめぐって:ヨーロッパ/アジアの地-哲学」(Massimo Cacciari・磯崎新・浅田彰、司会:小林康夫、2002.4.2.ル・テアトル銀座にて) ●Massimo Cacciari「基調講演 現代都市の哲学」(田丸公美子・阿部真弓訳)pp.72-83 ●Massimo Cacciari・磯崎新・浅田彰「討議」(司会:小林康夫、八十田博人訳)pp.83-104 ●田中純「未生の者たちの記憶:ダニエル・リベスキンドと伝統」pp.105-119 ●木村敏「「あいだ」と恥ずかしさ、そして証言:アガンベンを読む」pp.120-131 ●Jean-Pierre Gorin「JLG/JPG:ジャン=ピエール・ゴランに聞く」(聞き手:浅田彰、ジャン=ピエール・ゴランへの公開インタヴュー。2001.3.17.広島県佐木島のさぎじまセミナーハウスにて)pp.132-144 ●Edward Said「ユダヤ系アメリカ人の危機」(*15)(早尾貴紀訳)pp.145-149 ●Alain Badiou「前線に立つドゥルーズ」(*16)(堀潤之訳)pp.194-196 ●Jaques Rancière「インタビュー ドゥルーズは美学の運命を成就した」(聞き手:David Rabouin)(*17)(松葉祥一訳)pp.197-200 ●Manoel de Oliveira「書簡 映画についての一観念:マノエル・ド・オリヴェイラからドゥルーズへ」(*18)(常石史子訳)pp.201-204 ●國分功一郎「無人島と砂漠 ジル・ドゥルーズ『無人島、その原因と理由』から出発して」pp.205-222 ●山田広昭「カール・シュミットの決断主義:内藤裕治の想い出に」pp.223-237 連載 ●Hamid Dabashi「アリー・シャリーアティー:傑出したイスラム教イデオローグ」2(柄谷凛訳)pp.150-173 ●Hamid Dabashi・Mohsen Makhmalbaf「昔々、ある映画監督が……」2(市川尚三訳)pp.174-193 ●連載詩4 高橋悠治「起源のない世界」pp.238-258 ●Jacques Derrida「弔鐘」13(鵜飼哲訳)pp.271-258 時評 ●蓮實重彦「老齢であることにの若さについて 「変貌」するゴダール:ジャン=リュック・ゴダール『フォーエヴァー・モーツァルト』」pp.248-251 ●絓秀実「盲目を選択する現代文学の「貧しさ」をさしあたり肯定する」pp.252-257 ●柄谷行人「編集後記」(2002.5.17.記) / 浅田彰「編集後記」(2002.5.15.記) 2002.5.18.社長・編集長をつとめていた内藤裕治さんの死去にともない、第III期 批評空間はこの第4号をもって終刊。株式会社批評空間の解散も決定。終刊と解散について記された文章が批評空間 Web siteに掲載されている。「第III期『批評空間』の終刊と批評空間社の解散に向けて」(浅田彰・柄谷行人、2002.08.20)
https://w.atwiki.jp/aabiblio/pages/41.html
2007← →2009 2008 ●「いまっていう時代はやねェ…」(中島らもとの対談)、『ユリイカ』2008年2月号「特集 中島らも:バッド・チューニングの作家」 ●DVD「ONE FLAT THING,REPRODUCED 」字幕監修・解説(ティエリー・ドゥ・メイがコンテンポラリーダンス振付家、ウィリアム・フォーサイスの舞踏作品を映像化したもの) ●「19年間”助教授”の末、浅田彰が京大を飛び出した」(インタヴュー)、『週刊文春』2008年3月27日号 ●「浅田彰氏が京大辞職 京都造形芸術大の大学院長」、『読売新聞』2008年4月1日号 ●「新天地は京都造形芸術大 浅田彰さん 「二項対立」をずらす哲学」(記者:待田晋哉)、『読売新聞』2008年4月30日号 :2008.4.15.の初講義の様子が記されている ●「浅田彰のドタバタ日記①」、Realtokyo、2008.5.16 ●「大学院長からのメッセージ 裏切りと(しての)伝統」、京都造形芸術大学大学院HP、2008.5 ●「追悼・ラウシェンバーグ氏」、『沖縄タイムス』2008年5月19日号 ●「あるポルノグラファーの死:ロブ=グリエへの遅れてきた追悼」、『新潮』2008年6月号 ●「21世紀のクラシック音楽体験とは?」(中原昌也との対談)、『新潮』2008年6月号: くわしく教えてクラシック(新連載・第1回)→大井浩明からの応答 ●「”キャラ立ち”Jポップ右翼より”おばさん的ネチネチ改革”を楽しめ」(インタヴュー)、『週刊現代』2008年6月7日号「激論バトルオピニオン総力ワイド 各界20人あなたの選択:それはなぜ 期待 自民か民主か第3の道か」 ●「浅田彰のドタバタ日記②」、Realtokyo、2008.6.26→シュトックハウゼンに関する問題提起に対して伊藤乾氏からの応答 ●「折口信夫と越境する伝統」(渡邊守章・松浦寿輝との座談会。京都造形大学での渡邊守章の演出による折口信夫「當麻」上演に際したシンポジウム)、『新潮』2008年7月号 ●「浅田彰のドタバタ日記③」、Realtokyo、2008.7.25 ●「燐光する天体:光の結像、あるいは視覚美術の原点」(森村泰昌との対談)、『ユリイカ』2008年8月号「特集=フェルメール」 ●序文「グラフィック・デザインの廃墟からの絵画の誕生」、岡村知子・北出智恵子ほか編、サイトウマコト作品集『MAKOTO SAITO:SCENE[0]』ADP、2008.8 ●「突き放す!:グラフィック・デザインの廃墟からの絵画の誕生」(サイトウマコトとの対談、2008.8.3.金沢21世紀美術館にて) ●「浅田彰氏は今 ポストモダン若者に語る」(記者:小林正典)、『朝日新聞』2008年8月7日号 ●「大江健三郎から中上健次へ」(柄谷行人・東浩紀・小林敏明・高澤秀次との座談会。2008.8.9.熊野大学にて) ●「浅田彰のドタバタ日記④」、Realtokyo、2008.8.21 ●「scholaのために」(坂本龍一との共著)、坂本龍一総合監修『commmons schola. vol. 1, Ryuichi Sakamoto Selections J.S. Bach』CD、commmons、付属ブックレット、2008.9.24 ●「「いま」が還りつくところ、バッハ」(坂本龍一・小沼純一との座談会・楽曲解説)、坂本龍一総合監修『commmons schola. vol. 1, Ryuichi Sakamoto Selections J.S. Bach』CD、commmons、付属ブックレット、2008.9.24 ●「ダムタイプ《S/N》トーク・イヴェント」(高谷史郎・BuBu de la Madeleine・高嶺格との公開トークイベント、2008.9.15.ICCにて). ※こちらからDL可能。 ●「(フェルメールと私)揺らぐ永遠、先取り 批評家・浅田彰さん」、『朝日新聞』2008.10.11 夕刊 ●「社会契約と『動物化』:オタク的公共性のゆくえ」(講師:東浩紀、コーディネーター:浅田彰、2008.10.7.「京都造形芸術大学大学院 連続公開講座」1) ●「美学をめぐる不和:ランシエールから出発して」(講師:市田良彦、コーディネーター:浅田彰、2008.10.28.「京都造形芸術大学大学院 連続公開講座」2) ●第40回 新潮新人賞選評「小説の手前で」、『新潮』2008年11月号 ●「身体とまなざし」(講師:齋藤環、コーディネーター:浅田彰、2008.11.1.「京都造形芸術大学大学院 連続公開講座」3) ●レクチャーコンサート「記憶とクリナメン」(講師・演奏:高橋悠治、コーディネーター:浅田彰、2008.11.11.「京都造形芸術大学大学院 連続公開講座」4) ●「普遍経済学について:後期バタイユの問題」(講師:中沢新一、コーディネーター:浅田彰、2008.11.18.「京都造形芸術大学大学院 連続公開講座」5) ●「力の構造」(講師:柄谷行人、コーディネーター:浅田彰、2008.11.26.「京都造形芸術大学大学院 連続公開講座」6) ●加藤周一氏死去に伴うコメント、『朝日新聞』2008年12月6日号 2007← →2009