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古代エジプト文明の気候 気候変動とナイル川の水位の変化は、王朝の盛衰に大きな影響をおよぼしていた。 エチオピア高原にみなもとを発して地中海に注ぐナイル川は、毎年6月から10月にかけて増水し、流域の低地に肥よくな泥土を運んだ。 人々は水がひいたあとにかんがい施設をつくって農耕をいとなんでいた。 農耕生産にとっては7~8メートルの水位の増減が理想的な値であったという。 しかし近年の研究結果によれば、水位には季節ごとの変化だけでなく、100~1000年単位の波状の変化があったらしい。 ナイル川に依存する文明にとって、水位の変化があたえた影響はきわめて大きかったにちがいない。 ナイルと三つの王国時代 エジプトでの変化は紀元前3000年ごろ急速におこった。 ナイル川上流の上エジプトの勢力が、河口のデルタ地帯にあたる下エジプトを併合して統一王権を確立し、さらに300年ほどしてその統一はいっそう強固なものとなった。 エジプト文明の原型となった「古王国時代」のはじまりである。 このころ気候がかわって砂漠化が進み、ナイル川流域に人口が集中した。 そして乾燥によって水位の下がった流域が可耕地となり、豊かな生産が保証された。 さらには上エジプトで金が豊富に産出した。 これらの点があいまって急速な進展をとげたと思われる。 しかし紀元前3000年紀の末には上下エジプトの統一が破れ、王権のいちじるしく衰微する時期が訪れた。 このころにナイル川の水位が低下したことが指摘されており、大飢饉に見舞われた記録も残っている。 「第1中間期」とよばれるこの混乱も、ナイル川の水位の上昇とともにまもなく回復して「中王国時代」に入った。 この時代にメンフィスの南西にあるファイユームの干拓が進んだのは、飢饉の教訓であったのかもしれない。 「第2中間期」とよばれる2度目の衰退は、西アジアからやってきた民族集団ヒクソスの侵略によってもたらされた。 この時期にもナイル川の水位が低下していたことがわかっている。 はじめて異民族の支配を受けることになったエジプト人の反発ははげしく、テーベを中心に上エジプトの勢力を結集してヒクソスをシリアまで追撃した。 こうしてエジプトははじめて西アジアに勢力を広げたのである。 異民族が攻防をくりかえす西アジアにおいて、エジプトはたくみな外交政策と果敢な外征によって植民地を維持し、強大な王権の下で「新王国時代」の隆盛を誇ることになった。 偉大なる文明崩壊の原因 しかし王権と神官・官僚群との矛盾、傭兵に依存した軍制、異民族の流入による異常な人口増加が一方で深刻化し、王朝は急速に衰退して「第3中間期」が訪れた。 このころ気候がふたたび乾燥化してナイル川の水位が低下し、農耕生産力を鈍らせたことが衰退に拍車をかけたことは疑いない。 当時は急速に鉄が普及した時代でもあった。 メソポタミア方面ではこの鉄に支えられて強大な新勢力がおこった。 だがエジプトには鉄資源がとぼしく、このことも王朝を衰退に追いやった一因であった。 ナイル川の水位はふたたび上昇したけれども、強力な王権を失ったエジプトには、東方のアッシリア、バビロニア、ペルシアによる侵略がくりかえされた。 そしてついにアレクサンドロス大王(在位前336~前323)のエジプト遠征によって、王朝時代に終止符が打たれたのである。 ナイル川にはぐくまれ、東西の砂漠によって外敵から守られて独自の文明を築いたエジプトは、いやおうなく地中海世界に組みこまれてしまった。 かつての偉大な文明は、その残影をとどめつつ滅んでいったのである。 ここからキャプション(図中文字) *** キャプション1 古代エジプトの遺跡 遺跡はすべて川沿いに残されている。 1970年にナセル湖のアスワンハイダムができるまで、ナイル川は毎年夏になると氾濫して、流域に肥よくな土壌を運んでいた。 キャプション2 テーベ遺跡から出土した壁画で、新王国時代にえがかれたもの。 オオムギの収穫のようすがわかる。 毎年定期的に氾濫して肥よくな土壌を運ぶナイル川に依存した農耕生産だった。 キャプション3 ルクソル西岸にあるラムセス2世葬祭神殿の遺跡。 ラムセス2世は新王国時代のファラオの1人で、アブシンベルの岩窟神殿やカルナク神殿などをつくった建築王として知られる。 キャプション4 ナイル川の水位の変化と王朝の盛衰 ギーザの西にあるモエリス湖の地層を調べることで、当時のナイル川の水位がどう変化したか推測できる。 水位の低下によって成立した強大な王朝は、その後、水位の変化とともに盛衰をくりかえしていた。
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古代エジプト文明の農業 古代エジプト(3千年続いた)では時代によって多少の差はあるでしょうが、大麦栽培が中心の農業が行われていたようです。 更に古くはヒエのような穀類が作られていた(アフリカでは今日でも栽培されている)ことが知られています。 大麦からビール(今のビールとは少し違う)が作られていました。醗酵したパンも焼かれていました。 古代エジプト文明最盛期には周辺諸国との交流が盛んとなり、ギリシャから海産物 や魚を食べる習慣が、アフリカの北部から牧畜が導入され、食生活が豊かになったといわれます。 しかし、壁画や象形文字で残された記録は上流階級のものであり、庶民の生活に関する資料は少ないようです。 学者は今日のエジプト人の生活の中から古代エジプト人の生活再現のヒントを探すといわれます。 (エジプト人が5,000年来、あまり変わらぬ生活習慣を守っているから出来ることです)
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エジプト文明の文化 エジプトの暦は太陽暦です。1年365日です。 ナイル川はティグリス・ユーフラテスのように不定期な大洪水はおこりません。 1000キロ以上上流のエチオピアの高原に降ったモンスーンの雨でナイル川は増水するので、毎年決まった時期に同じ様なペースで水かさが増していきます。エジプト人はいつナイル川が増水するか、それが最大の関心事。それにあわせて農耕の準備をするわけです。 神官たちは、天体を観察しながら、ナイル増水の時を調べました。 7月の半ば明け方の東の地平線ぎりぎりにシリウスがひときわ輝く時がある。ちょうどその時からナイルが増水することが解ってきた。翌年同じ場所にシリウスが輝くまでが365日。そして、またその時に増水がはじまるのです。 こうしてできた暦が太陽暦です。だから、正確にいうと太陽暦じゃなくて洪水暦かシリウス暦なんだけどね。でも、この暦が古代ローマ帝国からヨーロッパに伝わり、今では世界的に使われている暦です。 1日を24時間にしたのもエジプトです。エジプトは10進法で、はじめは昼と夜をそれぞれ10に分けて20だったのが、昼と夜の境界の時間をそれぞれに付け加えて24になったそうです。 洪水の水が引いたあと、農民たちはその上で農耕をはじめるのですが、土地の境界線が、増水のあとは泥に埋もれて全然わからなくなってしまうでしょ。そこで、エジプトでは測地術も発展します。 文字は独特の絵文字を発達させます。鳥とか獅子とか秤とか、絵の形が字になってるね。これは一番格式の高い字で神聖文字といいます。これ以外に神官文字、民衆文字という字体がありました。
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目次 1.太平洋上の大帝国 2.文明の特色 3.人びとの霊的目覚め 4.ラ・ムーの教え 5.ムー文明の崩壊 1.太平洋上の大帝国 さて、本章では、いわゆるムー文明、ムー大陸について話をしてみたいと考えます。 太平洋上に浮かんでいたと言われる、伝説の大帝国ですね。ただ、これは、私たちの実在世界にある記録から見て確かにあった文明なのです。そうした文明があったという記憶を、人類はどこかに持っていて、そのムー文明の話が現代まで伝わっています。 ムーという大陸は、そうだね、現在で言えば、まあジャカルタ付近だろうか。あのあたりを中心とした大きな大陸で、それが太平洋上に浮かんでいたんです。ここは非常に発達した大帝国でありまして、農業はもちろんのこと、牧畜業、その他いろんな面でも進んでいましたし、また、一大海洋文明であったことも事実です。海洋文明であって、船の技術が大変進んでおりました。 この時代には、数多くの光の天使たちが地上に降りたわけです。そして、まあ言ってみれば、東洋文明の源流のひとつともなるべき文化があったのです。このムーの文明がやがて、日本とかその他のアジアに広がっていったし、その一部がもちろん他の西洋の方にも流れていった。こういうことがあったように思います。 まあ人びとはね、人類は一直線に直線上に進化してきたと、まあ思っているかも知れないけれども、実際はそうじゃないんだね。人類の進化っていうのは、まあ上がったり下がったりしながら、次第しだいに向上してきたというような感じなんです。螺旋(らせん)階段状とも言えないけれども、ある時代は上がって、また下がって、上がって下がって、また上がったりしながら、まあギザギザの折れ線グラフみたいな感じで、次第しだいに上がってきてるのです。 また同時代においても随分、文明の落差はあります。このムーの文明の時にも非常に高い文明があったけれども、その時代にも世界の各地を見てみると、それほど高くない文明もいっぱいあったのですね。まだ狩猟民族や単なる農耕民族もいた。文明という名のつかない人たちの方が多かった、というのが事実です。これは現代でもそうですね。現代ニューヨークのマンハッタンだとか日本の東京だとか、いろんなところではそのような素晴らしい近代文明が栄えていますが、同時代に、アフリカの密林のなかに住んでいる人もいれば、南アメリカですね、南米なんかのなかでもまだまだ未開の生活をしている人もいるし、湖の上に葦(あし)の藁(わら)で編んだ家に住んでいるような人もいるんですね。あるいは、エスキモーみたいにアザラシ取って生活している人もいる。 こういうように、非常に難しいですね。同時代であってもいろんな文明の落差があるし、過去の時代であっても、やはりあった。だから、一万年前とか二万年前っていうと、もうこういう文明のレベルというふうに、私たちは決めつけて考えがちですが、やはり一万年前、二万年前であっても、その時代に文明の落差はあった。こういうことを認めなければいけないと思います。 この太平洋上の大帝国であるムーという文明は、今から一万五千年、あるいは一万六千年前まで太平洋上で栄えていた国なんです。ま、やがて沈没していったわけです。まあこの辺の事情は、大川さんの『太陽の法』なんかにも詳しく書いてあるから、それを読まれたらいいと思うんですが、沈没していったんですね。大陸沈没の話はあちこちにありますが、あのノアの洪水のような話ですね。やっぱり没していくんです。大帝国が没していく。そういうことがあったということです。 さて、そうした大帝国だけれども、まあここには何万年にもわたって人類が文明を築いていたわけです。築いていたけれども、やはりいちばん有名なのは、その末期、沈没する前の二千年、あるいは三千年ぐらいに栄えていた文明です。だから今から言えば、そうだねえ、一万八千年ぐらい前から一万五、六千年前、この間のニ、三千年というのが、ひとつの高みであったのです。文化的な高みであった。そして非常に、異様に高い文明を誇っていた。まあこういうふうに言えると思います。この時にムーはね、みなさんが思っているよりも遥(はる)かに強大な力を持っていて、軍隊なんかも相当持っていたんです。そうした時代、そうした文明であったと言えましょう。 2.文明の特色 さて、そこでムー文明の特色について、私の立場からいくつか話してみたいと思います。 いろんな時代の文明には、それぞれ特色というものがありますね。これは、天上界でもいろんな光の天使たちの計画がありまして、地上計画がある。そして、こういうふうに創る、ああいうふうに創るっていう、いろんな計画があるんです。その計画に基づいて文明を展開していっているんです。 まあこれは、なんでもそうでしてね、やはり飽きてくるわけですね。今なんかは、たとえば野球みたいなのが非常に栄えていて、みんなベースボール、ベースボールでワーワーやっているけども、じゃあこれが千年も二千年も続くかといえば、続きゃしないんですね。やっぱりどこかで飽きてきて、また新しい新種のゲームが始まるんですね。そしてそれが栄えて、また飽きていく。こういうことがあるわけです。 同じように、文明と言っても、その本質においてはそう大きく違わないとしても、その切り口、あるいは角度、繁栄のしかたにはさまざまな差異があるんです。違いがあります。ですからムー文明にも、やはりひとつの特徴があったと言えると思います。 ただこのムー文明というものを、ここ二、三千年ぐらいの文明と比較してみると、どういう特色があるかと言うと、結局似ているのはエジプト文明と日本の古代文明、これを融合したような形じゃないか。まあこういう感じを受けるんです。エジプトの文明は、ピラミッドを中心にしてさまざまな文明がありましたが、あの時にも霊魂不滅という思想、これは明確な思想でした。これがあって、そしてやはり神というものを中心とした、そうした太陽信仰があって、そして人びとが生活をしていました。また、古代日本でもひとつの太陽信仰であったと私は思います。太陽信仰であって、天照大神(あまてらすおおみかみ)信仰もありますが、こういうふうに太陽神というのを信仰していました。 まあこれと非常に似ていたわけで、当時のムーも太陽信仰でした。まあもちろん、ああいう太平洋上の大陸ですから、太陽の恩恵というものをものすごく受けていたわけで、太陽信仰が栄えたとしても不思議じゃありませんね。当然ながら栄えていた。そういうふうに言えると思います。 その太陽信仰で何が文明の特色としてあげられるかというと、まあ僕は、三つぐらい主にあげられるんじゃないかなあと思います。三つぐらいあげられる。 それはね、この時代には、まあ現代もそうだけど、ひとつには、霊信仰というのが非常に強かったんですね。霊信仰が強くて、人びとの生まれ変わり、転生(てんしょう)も随分信じられていたんです。したがって、やはり人びとは、この転生の過程においてどれだけの実績を積むかということが、非常に問題となっていたわけです。 それゆえ、まあそうした霊的な能力を持った人たちも、数多く活躍をしていました。霊能者集団がかなりいて、彼らが職業霊能者をやっていたのです。つまり、僧侶階級あるいは祭司階級と言いますか、そうした職業霊能者たちの集団があって非常に高い権威を持っていた。また、その職業霊能者たちは、当時非常なインテリであって、最高の英知、人類の最高の英知を持っている、というふうに言われていたと思います。そうした方々が知恵の集団をつくっていて、そして国政であるとか、さまざまな経済の問題、あるいは軍事の問題が出てきた時に、彼らの知恵を借りて判断をしたのです。こういうことがあります。まあこれが、古代の日本の神政政治とよく似ているところではないかと思います。 二番目にあげられる特色として、経済の原理についても多少語っておきたいと思うんですが、このムー文明の時には、もう物々交換ではなかったのです。ひとつの経済原理が働いていて、面白いのですが、当時、青銅の文明と言いますか、青銅の金属が使われ始めていたのですけれども、この青銅の硬貨に近いものが、やはりあったのです。そういうものがあったのです。 そして、まあ女性が首飾りなんかよくしますが、首輪の周りに、その硬貨のようなものを並べる風習があったのです。その形は、どういう形かというと、ちょうど涙をたらしたような形です。そういうふうに、上の方が細くなって下が丸くなっている。涙をたらしたような形、こうした形のようなものを首の周りにぶら下げていたんです。糸で通してぶら下げていたのですが、この涙形の硬貨、これがお金でもあったわけです。首飾りともなり、お金ともなる。したがって、この首飾りを二重、三重に巻いている人ほどお金持ちだったのです。 今みたいに金庫はないし、銀行もなかったわけですが、女性、まあ男性もそうだけども、首の周りにいくつかの首輪、あるいは首飾り、ネックレスみたいなのがあって、それにこのお金をぶら下げていたんです。で、二重、三重四重、五重と、お金持ちほどいっぱい何重にも巻いているんです。こういうものを持っていて、全財産を首につけて歩いていた。そして何か物が欲しければ、その首からひとつ硬貨を取って、それを渡して買うということであったわけです。まあこういうことをやっていて、お金持ちかどうかは一目瞭然であった。 こうした首輪の習慣は、現在のポリネシア、インドネシア、あの辺の住民にも随分あると思います。そうしたものが出ているんじゃないかと思います。こうした経済原理を持っていて、現在の貨幣経済の端緒(たんしょ)ともなるべきものが、すでにあった。これが言えます。 第一に霊能者集団、第二にそうした貨幣経済のはしりがあった。第三番目の特色として何があったかと言うと、これは、まあ階級が主に三つに分かれていたということなのです。すなわち、神によって選ばれた人びとの階級というのがあるのです。神によって選ばれた人びとの階級というのが、第一階級としてあって、そのなかには先ほど言った霊能者集団と、もうひとつは政治を執(と)り行う貴族集団、この二つがあったのです。これが第一階級としてあって、これは対等です。身分は対等ですが、神によって選ばれた人たち、そういう人たちがいたのです。これが第一階級です。 第二階級は何かと言うと、これは商業なんです。商業で生きている人たち、これは第二階級で、やはリサービス業ですね。サービス業をやっている人たちが第二階級としていました。 第三階級としていたのが、これが第一次産業的な人たちなのです。すなわち、農業、漁業をやっていた人たち、これが階級として第三にいたんです。そして、それを加工する人たちはどこにいるかというと、加工する人たちは、やはりレベルが多少高いということで、第二階級、商業階級と同じところにあった。こういう身分階級がありました。 そして、そのように身分階級が三つあったわけですが、こうした違った階級の者同士とは、やはり結婚ができない。こういうふうになっていました。お付き合いができないのですね。また、使われていた言葉も、この三つの階級によって多少違っていました。上流階級には上流階級の神秘的な言葉があるし、中流階級には中流階級の賑(にぎ)やかな繁栄の言葉があり、下流階級には下流階級で、非常に語彙の少ない、言葉数の少ない言葉があったのです。 農業、漁業をやっている人たちは、現代で言えば、三百語か五百語ぐらいの言葉でもって話をしている。こういう世界です。そして、読み書きはできませんでした。第二階級である商業、あるいは工業、加工業をやっている人たちは、多少読み書きができました。商売上必要であって、読み書きもできるし、言葉も、まあ千語から二千語ぐらいの言葉を知っている。こういう人たちです。第一階級のインテリ階級になると、言葉はもちろん何千語、何万語使っていて、そして、まあインテリであることが条件でありました。それと、神秘体験などを必ず通過するような、そういうことをしてました。 霊能者階級は、もちろん神秘体験をしていましたが、貴族階級のなかにも、やはり霊的なものにあこがれる者が非常に多かったので、現代の洗礼に代わるような、そうした神秘的な儀式を執(と)り行っていて、各人が必ず神秘体験、神霊体験というのをするような、そういう通過儀礼がありました。子供の時にひとつ、それから成人する時にひとつ、こうした通過儀礼があって、霊的な体験を必ず積まされるようになっていました。まあこれが、ムー文明の特色です。 3.人びとの霊的目覚め まあその文明にあって、人びとはどういうふうに霊的に目覚めるかということですが、第一階級が、このような霊的に目覚めた人たちの階級であったために、第二階級、第三階級もやはり、霊的なものへのあこがれが非常に強かったのですね。 下層階級の者であっても、上位の僧侶階級、あるいは貴族階級に入れる道がひとつだけあった。それは何かと言うと、現代的に言えば霊道を開く、すなわち、心の窓を開いて光の天使たちと話ができるようになれば、階級が上がるのです。そういうことがありました。 そして、まあプロフェッショナルな資格試験ですね、僧侶階級の面接試験、筆記試験などを通った場合には、第二階級、第三階級出身の者であっても僧侶になることもできるし、場合によっては、その能力が偉大であれば貴族階級にとリ立てられるということもあったわけです。したがって、平民に生まれついていたとしても、下層民に生まれついていたとしても、神の恩恵を受けて霊的能力を持った場合には、あるいは祭司階級にまわり、あるいは政治を行うような階級に入っていける。こういうことがあったのです。 現代だとどうかっていうと、まあ勉強ができるっていうことがそうだろうねえ。どんな田舎の生まれであっても、そこから一生懸命勉強してね、小学校、中学校、高校と主席で卒業して、いい大学出て、で、まあたとえば法律家になったりね、裁判官や弁護士になったり、政治家になったり、官僚になったり、いろいろして、生まれが貧しくとも身分ができてくる人がいますね。現代では、そういう勉強ができるっていうことがひとつのステータスをつくっているように思います。日本には貴族階級がないけれども、そうした学歴社会というのが、ひとつの貴族階級をなしているんじゃないかと、私は思います。 この時代は、だからそうした霊的な目覚めですね、霊的な目覚めによる階級差があったということです。ではその霊的目覚めをつくるためにはどうしたかと言うと、人びとはやはり、この霊道を開くということの研究を随分やっていました。ただ第一階級は、それは職業上の秘密であるので、できるだけ機密を守るということで、内部で集まって極秘に、そうした霊道現象等をやっていましたが、第二階級、第三階級共に、次第にそういうことを聞きおよんで、だんだんに、そうした能力を自分で修行して身につけようということで、努力をしていたようです。 だから、霊道を開いて第一階級に入ることが、当時の出世の目的であったし、どうやって霊道を開くかということを、町にいた人たちが、それぞれに我が家の秘伝ということで、家々で競っていたという事実があるのです。 そして、まあ基本的な方法としては、現代で言うような反省ということが、それほど強く言われたわけではないけれども、やはり心清らかにするということが、第一の方法としてあげられていたのですね。 だから悪いことをしたら、それを反省したり、謝ったりする。そして、悪いことを念(おも)わないで、常に太陽のような心をもって生きる。こういう教えが、中心になって説かれていたように思います。だから、霊的な目覚めが早ければ早いばど、身分階級が上がるという世界があったのです。 ここに、ユートピアの話をいろいろしてきましたが、すべての関連を見るわけですね。個人としてのユートピアと、全体としてのユートピアの話をしてきましたが、こういうふうに、個人としての目覚めが、霊的目覚めが、階層を上げていく、社会的な階層をつくっていくという世界が、ムーの文明であったわけです。 これはひとつの面白い現象なんです。霊道現象すなわち悟リとは言えないけれども、こうした神の声を聴けるようになる、光の天使たちと話ができるようになる人たちが、階級が上がっていくのですね。こういうことがある。それともうひとつは、上流階級、第一階級であっても、そこからの追放という現象があったのです。すなわち、心をやはり清く保つということがひとつの義務であって、心が乱れて、いわゆる光の天使ではなく、曇りの天使たちに指導されるようになった時、悪霊たちに憑依(ひょうい)されるようになった時に、第一階級ではそうした査問会議があって、階級から追放されるということがあったのです。こういう面で、新陳代謝(しんちんたいしゃ)が起きていた。まあこのように言えると思います。 だから、人びとは、霊的目覚めがすなわち自分の地位を上げるという、そういう社会に生きていたと言えると思います。 4.ラ・ムーの教え さて、こうしたムー文明でありますが、滅亡のちょっと前ぐらいでしょうか、今から一万六千年余り前の頃に、「ラ・ムー」という帝王が出ました。ラ・ムーとは「ムーの光」というような意味ですが、こうした帝王が出て、これが大きな功績をあげたのです。ムーの発展のために、非常な力があった方です。 もちろんこれは、王宮に生まれた王様がなったわけですが、当時の王様は最高の統治者であると同時に、最高の神官でもあったわけなんです。地上のこの世と、あの世の権威を、両方兼ね備えている最高権力者である。まあ、ローマ法王とアメリカ大統領を兼ねたような、こういう人ですね。こういう力を持っていたのです。 そして、ラ・ムーは霊的能力においても最大であって、ムーで最大の霊能者、霊指導者と言われた方なのです。まあ後に、ラ・ムーの生命体は、インドにゴーダマ・ブッダ釈迦牟尼仏という名で生まれ変わっていくわけですが、こうしたラ・ムーの生命体は、それだけのやはり力を持っていた。 そして、多くの人たちに、正法神理を説きながら、また、国政のあり方、これを教えていったわけです。そして、人びとを善導していった。正しい方向に導いていった。まあこういうことが言えると思います。 このラ・ムーの教えを要約してみると、まあ私なりの考えですよ、もちろん、他の考えもあるし、他の人の意見もあると思いますが、僕は三つぐらい、やっぱり教えの核があったと思います。 第一は、やはり、心の浄化ということだったと思います。反省に近い教えですが、心をやはり浄化しなければ、人間は本当の意味で光の天使の仲間には受け入れられない。まあこういうことを言っていたと思います。常々心の浄化をするということ。これが大事であるということ。 それから二番目は、やはり、愛の教えを随分言っていたようです。互いに愛し合えということを、結構言っていたように思います。互いに愛し合うことの大切さ、愛を広げていくことの大切さ、こういうことを、随分言っていたように思います。 心の浄化、それから愛の大切さを説きましたが、三番目は、やはりこのラ・ムーは偉大であったと思うのは、宇宙観、世界観、これをかなり詳しく示してみせたということです。現代で私たちが、こうした神理の探究において、本当の宇宙観、世界観を開示していますが、ラ・ムーも、ほとんど同じぐらいのレベルまで話をしていた。多次元世界についても話をしていましたし、この多次元空間のなかで、人類は転生輪廻(てんしょうりんね)しながら、いろんな地域に生まれ変わって出ているというような、そうした高度な理論を説いていたんです。 まあこういう「宇宙の理法」を説けたというところが、ラ・ムーを他の霊能者と区別する最大の違いになったわけです。霊能者たちはいくらでもいたわけだけれども、「宇宙の理法」を説ける霊能者はいなかったわけです。だが、ラ・ムーは「宇宙の理法」を説けた。なぜ説けたかというと、それだけのやはり大指導霊たちが、当時、ラ・ムーを指導していたわけです。 このラ・ムーは、やがてアトランティスの時代に、「トス」として生まれたり、また、アンデスの山中に「リエント・アール・クラウド」という名前で生まれたり、また、その後には、ギリシャで「ヘルメス」という名で出たり、それからインドにおいて「釈迦」という名で出たり、いろんな形で、その魂の分光が地上に出て来ていますが、このラ・ムーの部分は、比較的このブッダ生命体の本体に近い部分であった、ということが言えると思います。それだけの大きな力があった。一万六千年も経って、その名が残っているほどの巨大な指導者であったわけです。まあムーの栄光でもあったわけです。ムーの人たちはラ・ムーという人が出たということを、大変な誇りに思っていました。まあ、こういう時代があったということです。 5.ムー文明の崩壊 さて、こうした偉大なラ・ムーが出たわけですが、ラ・ムーもやはり人の子であって、何十年か生きたら、やがて地上を去ってゆかねばならなくなりました。そしてその後継の者たちが、だんだん継いでいったわけですが、この時代は祭政が一致であったために、政治的指導者すなわち宗数的指導者であった。つまり、宗数的指導者が凡庸(ぼんよう)になってくると、政治的指導能力も落ちる。こういうことにもなったわけですね。 そうして、ムーの末期はどのようであったかというと、多少やはり乱れがあったわけです。現代的に言えば、悪しき新興宗教がいっぱい出て来まして、このラ・ムーの教えが正しく守れなくなっていったのですね。だんだんにラ・ムーの教えが正しく守られなくなって、いろんな異説、邪説がいっぱい出て来るようになります。そして、このムー帝国そのものが次第に混乱をしていくわけです。 そうして、帝国の上空に、人びとの暗い想念の曇りができていくようになります。だんだん地上が殺ばつとしていきます。そして、犯罪とかも増えていきますし、だんだん倫理、道徳が衰えていきます。そして、霊能者、聖別(せいべつ)された階級としての霊能力集団、僧侶階級のなかにも、悪霊の黒い影が次第に忍び込んでいって、そして、霊能信仰が間違った方向に行くようになる。曲がり込んでいく。こういうことがあったわけですね。 こうした経験を積むにつれて、次第に天変地異というのが多くなってきました。これは、末法の世には、どこも天変地異が流行(はや)っておりますけれども、このムーの文明の時もやはり同じであって、天変地異が起きました。そして、随分いろんな火山の爆発があったり、地震があったり、津波があったり、まあいろんなことがあって、やがて文明が崩壊していったわけです。 そして、そのムーの子孫たちが、いろんな形でまた、さまざまな所に逃れていったわけです。日本などにおいても、その南方から来た文明のなかには、このムー文明があります。一万五千年以上昔に、崩壊していったこのムー文明、この末裔(まつえい)たちが、日本にもだいぶ来ています。日本には、もちろん、韓国、中国系統から渡ってきた人もいますが、このムーからの人、それから、アリューシャン列島を渡ってきたアイヌ系統の人たち、こうした三種類の人たちが流れ込んできて、日本民族をつくっているのです。 日本という地域が霊的に非常に高い意味合いを持っているのは、このムーの部分の魂系統が、かなり入って来ているためだといえると思います。ムーの一部は、もちろんアトランティス等にも流れていきましたけれども、まあこの東洋では、こうした日本などに、日本あるいは東南アジアにだいぶ流れていった。また、インドの方にも出ていったのですね。ムーの文明の一部は、インド文明の源流にもなっていっております。 まあ、天照大神(あまてらすおおみかみ)という、現代日本の主宰神のような役割をやっているような人もいますけれども、この人もムーの時代にやはり出たことのある方であって、ムーの時代に女王をやった経験があります。まああるんだけれども、そうしたことをあまり言うと、まあ嫌われるといけませんのでね、私はほどほどに言っておきたいと思いますが、やはりムーに出た方です。そして、太陽信仰を、その時にも説いたことのある方です。その方がまた、日本で、日本の国造りのために、あれほど活躍をされた。そのように言うことができると思います。まあ非常に霊的な力のお強い方である。そう言ってもいいのではないでしょうかね。 このように、このムーの文明は去っていったわけですが、そのムー文明が去ること自体を悲しむのではなくて、また新たな光が出て、新たな文明ができていく。私たちは、そうして何億年もの間、飽きることもなく、いろんな生まれ変わりをして、そのたびに偉大な経験を積んでいくのです。それで、魂のなかには、そうした英知が蓄積されていく、まあこうしたことを、くり返し、くリ返し、やっているわけなのです。
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目次 1.新文明には三つの柱がある 2.新文明の第一の柱――霊性実証の時代 3.神が、この世に二種の人間を置かなかった理由 4.信仰とは、認識力の増大を意味する 5.これから、霊界の研究者が尊敬されるようになる時代が来る 6.新文明の第二の柱①――原始に還れという復興運動がおこる時代 7.新文明の第二の桂②――未来産業型の文明時代 8.新文明の第三の柱――精神的な帰属が社会的ステータスをつくる時代 9.これからは、神理を勉強していることが資格になる時代が来る 10.今後、「高橋信次コース終了認定」免許が出る時代が来るかもしれない (1987年8月15日の霊示) 1.新文明には三つの柱がある さて、第五章、「神理文明論」という章になりました。これで私の霊訓集が終わるんですねえ。 みなさんうれしいですね。とうとう来ましたよ。何冊読みたいですか。 僕はね、読者のみなさんのお力次第なんだけど、五冊ぐらいで終わりたくないですねー。できたら十冊、ちょっと声が大きくなって二十冊、小さくなって三十冊、もうちょっと小さくなって五十冊ぐらいやりたいなーって思ってるんだけど、そのぐらい読みたいって言ってくれないかなーと思ってね。 まあ、でもあるじゃない、よく世界の名作全集なんて言ってね。第一回配本、第二回配本なんて、あれだって三十冊も五十冊もあるじゃない、配本がね。二ヵ月おきぐらいに来るんでしょ。だから私の霊訓集もそうした第何回配本ぐらいのつもりでね、出るの楽しみにしてくれなきゃいけない。 でも読者のなかにはいるでしょう。「本が多くって、まあいっぱいいっぱい出しちゃって、もうこんなに読めるか。」って言うから、読めなくていいんです。私の本だけをずーっと読んでいきゃいいんですよ、みなさんね。 私は一貫教育してますから、一冊目から最後まで読めばね、みなさんの人生もピカピカに光って、そしてもうあの世で絶対いいとこ行けて、そしてあの世の勉強も終わるような、そういう教育システムっていうのを考えてますから、もう安心してね、ついてきたらいいんです。 だから、本が多すぎて読めないとか忙しい人は、私の本だけを頼りにしてね、これを持っていきゃいい。ね、毎日会社に。ま、行けると思いますよ。 私はね、むずかしいこと言わないんです。お子様やお母様や、爺ちゃん、婆ちゃまにもわかるように、話してるんですね。だから、OLなんかの間に私の本はずいぶん人気が高いんですね。 入会願書っていうのがあって、霊言集の感想を書いてるんですねえ。それで、私もときどき見せてもらってるんだけども、「もう高橋先生大好き。」ってね、OLですよ、たいていあなた。 ね、たいてい二十代だけど、二十代後半のちょっとうれ残りかかっとるOLが多いんだけども、「高橋先生、大好きです。」ってね、「ユーモラスでとってもステキなおじさん。」ってね、「私大好きだわー。」なんてね、言ってるかたいっぱいいますよ。女性です。 私は女性に人気があるんです。たぶんそのかた美人だと思いますね。「とっても好き。」って言う人ね。「高橋信次とっても好き。」って言う人は、たぶん美人でね、頭がよくて、そしてみんなから好かれてて、もうお父さん、お母さんからも評判がよくてね。 会社でも上司の受けがよくて、同僚の受けがよくてね、そして同じ女の子どうしからも、ひじょうに好かれている女の子、こういう人が私の本を読んで、感動するんだと思うんですね。 だから私の本読んで感動した人は、心がきれいなかたですから、そういう心のきれいなかたはやっぱり外面に表われるんですね。そして、えー外面も美しくなり、人からも好かれ、そしてすばらしい毎日を送っていけるようになるんですねえ。まあそういうふうに思っているんです。 さて、本章では神理文明論ですね、ずいぶん大きくかまえてみました。この意味は、神理に基づいた文明論ということになるわけですね。まあ、そういうふうに考えていただいてけっこうであろうと思います。 さて、神理文明論というのは、これからどうした文明を創っていかねばならんのか、と、そういうことでもあるわけですね。それでけっきょくは、私たちのこれからの課題ということでもあるんですね。 この本書において、私たちの今後の文明構築の課題というものをいくつか、呈示しておきたい。まあこういうふうに思うんですね。 さあ、では来たるべき新しい文明っていうのは、いったいいかなる文明でありましょうか。どのような文明が来るのでしょうか。これをね、考えてみたい。こう思うんですね。 そうしてみると、これからの文明っていうのはね、僕はね、大きく考えて三つの柱があると思うんです。三つの柱ですね。 2.新文明の第一の柱――霊性実証の時代 第一の柱はなにかって言うと、これはね、「霊性実証の時代」であります。ね、霊性の実証時代、これが第一の柱なんですね。 これは霊性って言いましてね、霊的な性質ですね。人間が霊的なる存在であるっていうことのね、実証の時代、これが来なきゃいけない。ま、こう思うんですね。 だってみなさんね、真実は真実なんですから、ね。みなさんね、これマイク握ってね、私マイク握ってしゃべっとるんですよ。ね、これ霊ですよ。霊が言ってるんです。 霊がね、私は霊だって言ってるんですね。霊が私は零(ゼロ)だって言ってるんじゃなくて、ゼロじゃなくて霊(零)だって言ってるんですよ。いいですかね。そういうことなんです。 ある人は先日言ってましたよね。「そんな霊があるって言うならあんたね、そんなら霊に色がついとりゃええじゃないか。」ってね。 「そんな無色透明で見えんからいかんのだ。」ね。「ピンク色かなんかでサーッと出てくりゃいいんじゃ。」ってね、ネグリジェみたいなん着て霊が。夜な夜なピンク色でサーッと出て来たら楽しくて楽しくて、「霊よ来い来い、また来いよ。」ってね。「こっちの水は甘いぞ。」ってね。 そして霊よ来い来いして、ピンク色のなんかネグリジェ着た霊が出てきたら、そしたらね、便利でいいよね。あー認めた、認めたって、たしかにいるねー、いるねーってね。 「あー僕はこんどはピンク色のつぎは水玉模様がいいや。」なんてね。水玉模様の霊出て来いなんてね、はい出てきました。なんてね。 夏は暑いからやっぱりなーんちゅうかなあ、えー夏は暑いからこうござっていうんかな、「ござ巻いたような霊出てこい。」なんて言ったらねえ、高橋信次がござなんか巻いて「はい出てきたぞー。」なんてね。「ござでござりー。」ってね。こういうふうに出てくるかもしれませんね。 こういうふうに霊に色があってね、かたちがあってみんなが見えたら、証明もいらんじゃないか。まあそういう人もなかにはいらっしゃるでしょう。 たしかにそりゃそうだけど、ねえ、しかしねえ、霊がそんなござかぶって出てくるぐらいならね、あんたね、なーんで霊にならにゃいかんのだ。そんなんだったらもうそのままこの地上でみな生活しとりゃええんだね。そうでしょ。 霊が霊になるっちゅうのは、こことはちがう世界で生活しとるからそれでええんだな。そんなこの地上で見えるような確認できるようなあれだったら、べつに霊にならんでええわな。 そんなんだったらもうやめちゃって、霊になるのやめちゃって、青虫がね、あなたサナギになって、チョウチョになるようになりゃええんだ。 だから人間七十年やったら、八十年でもいいよ、人間八十年やったらね、死んだように横たわってね、しばらくしとったら、体コチコチに固まってね。 しまいに繭(まゆ)みたいになって、固まっちゃって、半年ぐらい固まったままでね、あなたね、銀行の金庫のなかかね、貸し金庫のなかか、あるいは魚河岸(うおがし)のね、なんか鮪(まぐろ)の冷凍庫のなかほうり込まれてね。 半年ぐらい固まっとったら、半年ぐらいしてあったかくなってきたらなんか取り出してみたら、パカツと真二つに割れちゃってね、なかからぜんぜんちがうの出てきたりね。 こういうようにして、あなた、こんど羽が生えた人間出てきてね。こんどは、もういったん死んだらつぎは、羽が生えてなんか、空中飛べるようになると、人間こんなんでもいいんですよ。そら考える勇気はありますよ。そらおもしろいでしょうな。こういうふうにすりゃあな。 3.神が、この世に二種の人間を置かなかった理由 だけどまあ、この世に二種類の人間は置かなかったんですね。だからまあ神様のその辺は芸術センスの問題でね。 この芸術センスが「5」だか「4」だか僕はよくわがらん。ねえ、点数がよくわかんない。ただこういうふうになっとんだな。だから僕はいまもう一回人間創りなおすとしたら、そんなんでもいいと思うんだね。 だから六十、七十になったらどんな美人でもきたなくなるんだろう。いやだろう。だからコチコチになって死んじゃって、鮪(まぐろ)の削りぶしみたいになっちゃって、あら鰹(かつお)か、鰹の削りぶしみたいになっちゃって固まっちゃってね。 それで半年ぐらい冬眠して、そしてサナギになって、サナギから出てきたら、こんど、ね、羽が生えちゃって、なにか生えちゃって、ブンブン、空飛べるようにね、そうしたらすばらしいよね。 ある者はだからそうしたサナギになる前に、えーよく悟った人がね、こんどはサナギから出てきたときに羽が生えて空が飛べる。 しかし悟らんかった霊はどうなるかっちゅうたら、こんど出てきたら手足がなくなって魚になっとると。そして悟らんかった霊はサナギから出てきたら、海のなかドボンとはいって海のなかで泳いどると。 でお魚さんになっちゃう、ね。で、悟った霊はエンゼルみたいに空飛べる、ね。こういうのでもあってもおもしろいかもわかんないねー。どうだろうか、ね。 こういう二種類にしたらもう天国、地獄言わなくたってね。サナギになったあとお魚さんになっちゃうのと、ね、人魚だな、顔はいいわ人間でも、下半身が人魚で、人魚姫みたいに海のなか泳がないかんのと、羽が生えて、空が飛べるのと、こう二種類創ってもいいんだよな。そうしたらおもしろいね。 そしてこんど人魚とエンゼルがまた適当な年齢になったら、もうエンゼルやめちゃってもう羽が歳とってとれちゃって落ちちゃって、ね。 人魚もなんか産卵しちゃって、卵産んだら人魚も消えちゃってね、卵になる。卵がまた人間になるとかね。こういうふうな循環考えてもよかったのかもしれないね。 ただね、神さん考えられたのは、そんな目に見えるかたちでね、信賞必罰がはっきり見えるのはね、あまりおもしろくないと思うんだなあ。 ね、パン食い競争といっしょでさ。あそこ行ったらパンがぶら下がっている。あそこ行ったら牛乳飲まにゃいかん、あそこで顔洗わにゃいかんなんてね、目に見えるのおもしろくないじゃない。 そうじゃなくて探検でね、これ森のなかでいったいなにが出るかわかんない。大蛇が出るか、乙姫さんが出るかなにかわかんない。とにかく手探りで森のなか進んでいく。これがおもしろいんだな。これがスリルと探検がね。 ところがパン食い競争みたいにあなた、見渡しゃもう百メートル先までなにがぶら下がってるかみな見える。 ね、あとなんか黄な粉のなかに飴かなんかはいっちゃってプープープープー吹いて顔真白になって、食べなきゃいけないとかね。こんなんみな見えちゃうね。おもしろくないわね、たいしたことねえや、ね。 だから、それで人間諭(さと)すのがだいじだよねえ。 おめえ鳥になりたいっちゅうんか。空飛びたいならねえ、もっと修行しなさい、なんてね。お魚になりたきゃそんでいいよ、なんてね。そんなのもう子供みたいでバカバカしいじゃない。わからんからいいってね。 だから霊っていうものを色ついてピンク色で飛ばさないようにしておる理由は、やっぱり人間のこの精神的なね、えーなんと言いますかね、価値を高めるためにそういうふうにしとるんですねえ。 4.信仰とは、認識力の増大を意味する やっぱりね、けっきょくなんて言いますか、信じるってことは宗教にはつきものですけれども、信じるっていうことがつきものの背景にはね、そこに大いなる精神的な飛躍ってのがあるんだね。精神の飛躍。飛翔感ていうのがあるんですね。これがあるわけです。 あなたね、自分が確認したものだけを信じるっていうのはね、これはりっぱなように思うよ、一見ね。科学的実証精神のように思うよ。もう自分が確認したものだけを信じる。 じゃあアメリカ行ってない人はアメリカのあるのを信じないの筋なんじゃないですか、ねえ。月行ったことのない人は月がないことを思うのは筋なんじゃないですか。どうでしょうか、ね。僕はそう思うんですよ。 そんなら霊だけをそんなこと言わずに、じゃあほかのことだっていっしょじゃないですかってね。軽井沢行ったことない人は、軽井沢なんてあんなの神話じゃないかって言っとりゃいいんだよ。そうだろう、ね。 自分が経験したときが、ことだけがすべてで、真実で、経験してないことは真実でないって言うならそういうこったな、ね。じゃあその結果どうなるんだ人間は。 自分が確認できて、経験できたものだけが真実で、そうでないものはそうじゃないって言ってどうなるんだ。人間はね、けっきょく手さぐりといっしょだろ。ちがうか。 手さぐりで生きとる人間てけっきょくなんだ。そしたらあなたね、アリと変わらんぜ。アリと。 あなたがた地上はっとるアリ見てごらん。ねえ、かわいそうだよねえ。もう右曲がり左曲がり、もうあっちまわりこっちまわり見てたら一時間、見てたら一時間グルグルグルグル一メートルぐらいのところまわっとんだろ。ちがうか。地面のね。あっちあたり、こっちあたりグルグルグルグルまわっとる。触角動かしてね。触角でさわってるんだよ、一生懸命。 ね、ああいうアリさんみたいな人生になっちゃうんだな。かわいそうだろ。ね、もう一段高い認識力がないんだな。自分の置かれとる立場、あるいはこの世界というものにたいする認識っていうものができない。アリさんはね。こういうことだ。 だから経験論、実証精神だいじだけど、それがようするに自分を小さくして、そして認識力を低めておるなら意味がないな。だから信ずるっていうこと、信仰っていうことの意味は、認識力の増大を意味するんですね。 つまり、目や口や鼻や手ざわりで感ずるもの以外を感じとるってことでしょ、信ずるっていうことは。ちがうか。全身全霊で感じるっていうんでしょ、ね。それは認識力が高まったことだ。認識力が。 認識力が高まるっていうのはどういうことかって言うと、わかる範囲が広がるってことだな。物事がわかる範囲が広がる。 物事がわかる範囲が広がるってことはどういうことかって言うと、アリさんよりは人間さんでしょ。アリさんよりはバッタさんかもしれない。バッタさんよりはお亀さん。お亀さんよりはウサギさんやらなにや知りませんがね。 あるいは、犬、犬よりは人間、そうかもしれないね。人間よりはじゃあ神様だな。認識力が高まるってことは神様にそれだけ近づいていくってことだ。ちがうだろうか、ね。そういうことでしょ。 5.これから、霊界の研究者が尊敬されるようになる時代が来る だから、自分が確認したことだけしか信じないって言うんなら、人類は何世代にも、何十世代、何千世代にもわたって生まれ変わってきたけど、それぞれの人間が、自分が確認したものしか信じられないって言うんなら、文明や文化の進歩はなにもないことになる。そうだろう。 もう一回ゼロから始めて、ね。一足す一がほんとに二かどうか、もう一回確認しなきゃいけない。ちがうだろうか、ね。そういうことだね。 だからあるていど前提とする部分があって、文化や文明は進んどるんですな。そのなかにはたんなる信仰とはちがうけれども、信ずるという行為がやはりあるし、それを受け入れるという行為はあるんだな。僕はそう思う。 だからこれからの時代はね、まず第一に霊性の時代であって、そうした目に見えぬ霊の世界が厳にあるということに対する実証、ほんとうにそっちの意味の実証精神ね。これはいってきますよ。 で、科学者なんていろいろ言ってるけど、この霊界のね、研究者なんていうのはものすごく尊敬されるようになる時代が来ますよ。第一人者なんてね。 いまだったら医学界の第一人者、ねえ物理学の第一人者なんて尊敬されてるけど、それが霊界の第一人者なんて言ったら「なーに言ってんの、気持ち悪い。バカにして。」ってね。バカにされちゃいますね。 ところがこれから霊界研究の第一人者って言ったら「ほーすごいなー。」ってね。こういうふうになってくるでしょう。まあこれが霊性の時代ってことの第一点ですね。だから文明、新しい文明のね、第一。 6.新文明の第二の柱①――原始に還れという復興運動がおこる時代 第二はね、これからの時代の特徴の第二点は、第二の時代はいったいなにかと言いますとね、えーまあこれからもう一度ね、文明の再考、というのが始まっていきますね、再考。 文明、現代ある科学文明っていうのが、これがいいものかどうかっていうことが、もう一度考えなおされる時代ね。こうした時代にこれからはいっていくんですね。 それはなにかって言うとね、二つに分かれるんですね。 これはなんか『孔子の霊言』かなんかにもあったそうですけども、ますます科学文明を発達させていこうとする方向と、原始に還れ、昔に還れという復興運動、この二つの潮流が巻き起こってきますね。どっちも神理は神理なんですね。 なんで都会でネクタイぶら下げてね、ギュウギュウ電車にゆられて、会社冷暖房きいとるかどうか知らんが、会社のなかでね、一日中働かなきゃいかんのかと。こんなの人間の本来の性質に向いていない。こういうふうに主張する人が出てきて、それに賛同する人も出るでしょう。 そういう人たちが武者小路実篤じゃありませんが、新しき村運動じゃないけどね。そうした原始に還れと、自然に還る、自然の美しさに還ると、いうふうな運動をね、展開、積極的展開をする時代がこれから始まってきますよ。 おおいにそういうことを唱道する人が出てきます。それはそれでひとつの動きだと思う。 やはりね、都会が人間を進歩、発展させるところもあるが、堕落させてる面もひじょうに多い。そんな堕落させるような素材をそのままにしておかないで、そうしたものがない、もう一度新たに造りなおす時代ね、造りなおすという時代、これをやはり考える。そういう時期が来るんですね。 リンカーンじゃございませんが丸太小屋をね、自分で作る。ね、みんなね、小さいころは喜び感じたんだよ。自分でいろんなもの作ったことをね。 ボーイスカウトだか、村の少年だか知らんがね、自分で小屋を作ってみたりね。自分で穴を掘ってね、それで上に茅(かや)かなんか葺(ふ)いちゃってね。そして探検ごっこやってみたりね。 そうしたことにずいぶん生き甲斐感じてたわけだよ。いつかしらそんなの生き甲斐忘れちゃった。ね、自分で新たにいろんなもの作っていくっていうこと。ね、農作物だってそう、動物を飼うことだってそうね。 畑正憲さんて言うんか、ムツゴロウの動物王国とか言って、北海道やらどっか、なんとか村やら知らんけど、どっかでやっとんだろう、ムツゴロウ共和国とかね。ああいうのがね、まあひとつのなんて言うんかひとつのあれになりますよ。 あのムツゴロウさん、あれ諸天善神のひとりだよ、ね。ああいうのは稲荷大明神って言ってね、動物を指導しておる霊人がおるんだな。そういう人のなかのひとりですよ。 まあ、ああいう人がやるわけだな。ああいう時代になるわけです。僕はこれでもいいと思うんだよね。 文明でかならずしも進歩する人ばかりじゃないんだな。毒されることが多い人も多いと思うんだ、ね。 だってあなたね、都会行きゃあもうほんと悪の臭いがしちゃって、新宿歌舞伎町とかね、あなた銀座のどこそことかね、渋谷のどこそこ、上野の某所、あるいは千葉のナントカ町、ね、川崎のナントカ町。 こんなところってのはあなたね、まあそりゃ聖人君子だってあんまりそんなとこ住んでたらね、だんだんだんだんやっぱりフラフラフラフラし始めますね。ないほうがいいわけですね。 そういう意味では、そういうものはないってこともいいんですね。軽井沢には風俗営業がない。そういう町もだいじなわけなんですね。ないとどうしようもないですからねえ。あるとやっぱりフラフラ行きますわね。ないこともけっこうなんですね。 だから自然のなかでね、そんな風俗営業ないようなところで、生活することもだいじですよ。そうじゃないでしょうかね。それが人間向上させることにもなる、ね。 7.新文明の第二の桂②――未来産業型の文明時代 で、これがひとつの流れだし、もうひとつの流れとしては、いわゆるもっと科学技術の進歩ですね。まだまだこんなんじゃあ物足りない。どんどん作り出してみよう。いろんなものを作り出してみる。 それから、やっぱり好奇心旺盛な人はどんどん月へ行き、金星へ行き、ねえ、ほかに太陽系からも出て探検してみたい。宇宙人とも握手してみたい。こんな人もおるでしょう、ね。 『太陽の法』っていう本読むと、なんだか金星人がおったらしい、ね。エル・ミオーレっていう神霊が治めとったらしい、統治者がおったらしい。 「ちょっと金星ツアー行こう。」ってね。「金星人の化石を見つける会」なんてね、できちゃって、金星ツアーして、どこかに埋まっとらんかと一生懸命シャベルで掘ったりしてね。そんな人も出るかもしれない。 そうした新しい経験でもって、それで進歩する人もいるでしょうから、まあそれはそれでけっこうでしょう。 後者について、宇宙時代についてもうちょっと言えばね、宇宙人との交流っていうのが、これがますます積極的になってきますよ。彼らもまた新たな世界観求めて来とるんですね。 いま、地球自体、だいたい法が出尽くしたと思うかもしれないが、宇宙人と接触するとこんどまたちがった法がね、感じられますよ。地球の法だけがすべてじゃないんですよ。 私は前のほうの章でも言いましたけどね。そんなお札(さつ)交換してなんかしとるの見たら不思議に感じるって言ったけども、そういうほかの惑星の考え学んだら、また人間気がつかない教えってのも増えてね、そして新たな考えかたっていうのを学ぶかもしれないね。まあそういうふうに思いますよ。 だからそういう宇宙時代も来るし、UFOも現在十何種類来てますから、地球にね。やがてだんだん確認されていくでありましょう。 彼らが来とる理由は、新しい文明のなかに参入したいという気持ちもあるし、あるいは地球を偵察に来とるとこもあるし、もと私たちが来た母星からもちょっとは来とるんですがね、確認しにね。いろいろやっとるんですが、理由はいろいろあるんですけどね。 ま、これはまた『高橋信次の空飛ぶ円盤』(「高橋信次のUFOと宇宙」として刊行)でもなにかまた一回組まにゃいかんかもしれませんね。ちょっとこの本章のなかで言うのはむずかしい。まあそういうことがありますね。 ですから第一の柱として、霊性の時代が来るって言ったけども、第二番目の柱で時代が二極分解して、原始に還れ、それと未来産業型の文明時代へと行くと。こういう二極分解するでしょう。で、それぞれ神理はそのなかにあると。こういう話しましたね。 8.新文明の第三の柱――精神的な帰属が社会的ステータスをつくる時代 じゃあ、第三番目の時代はいったいなにでありましょうか、ね。これはね、まあ先ほどの霊性の時代ということにひじょうに関係するわけなんですね。 つまりひじょうにそれと似かよっておって、空海さんなんかも『空海の霊言』のなかで言っておられたように思いますが、これからはね、精神的な帰属というものが、社会的ステータスをつくる、そういう時代が来ます。 精神的な帰属。つまり宗教なら宗教、なにを信じておるか、あるいは道徳ならどうした道徳を信じておるか。どうした教えというものを実践しておるかね。 こうしたことが社会的ステータスシンボルになる時代がやってきます。これは不思議ですがね。 いまだいたいみな名刺だして、「なんとか会社の専務です。」ね。「部長です。」「なんと平社員です。」って、やっとるわけですね。 そうじゃなくて、空海さんが言っておられるように、まあ、いっしょですが、自分はえー「講師をしておる。」とか、ね。「自分はGLAの後始末をした人間だ。」とか、ね。 「自分は高橋信次亡きあと別派作って、世の中混乱に陥れた人間だ。」と、ま、これは論外でございますが、こういうのは別にすれば、精神的な帰属っていうのが、その人のやはり値打ちを表わすようになる時代がやって来ますよ。 だからいまは宗教やっても「なんだかバカみたいな。」って言うけれども、これからどういう団体に帰属しておるかっていうことはね、その人の値打ちね、魂の値打ちを決める時代が来る。 ま、いま入会試験むずかしいのやってますが、これなんかその走りなんですね、時代の、ね。 ゴルフの会員権だけが高いなんてそんなのとんでもありませんよ、ねえ。どこそこゴルフ会でやれるとかね。こんなんだけがあなたね、値打ちじゃありませんよ。 これから神理の団体っていうのはね、ほんとうに魂を磨く団体になっていきますから、どの団体に属しておるかね、これがね、社会的ステータスになってきますよ。 こういう時代、価値逆転の時代がね、始まりますよ。ね、これだいじですし、僕たちそれをねらってるんですね。 9.これからは、神理を勉強していることが資格になる時代が来る えー神理価値ってことはずいぶん言いましたけども、前章でも言いましたけども、これからそういう価値逆転の時代でね。 いままでは宗教にはいってるちゅうのは隠さなきゃいけなかったけども、これからは、はいってるっていうことが値打ちになってきて自慢になってくる、ね。自分のステータスになる。 で、むしろ会社に勤めてるっていうことなんかそんなのどうでもいいことでね、どこの会社に勤めてようが、なにやろうが、そんなの漁師やってようが、あんた木こりやっとろうが、会社の重役やっとろうが関係ない。 それはね、生業(なりわい)を立てるためにやっとるんだ。そうじゃなくて土、日あるいは普段の夜、いったいなにやっとるかね、これがだいじになってくる。これを競うようになる、ね。ま、そういう時代にならにゃうそです。ほんとうに魂磨くということがだいじになる時代ね。 だからいまねえ、こそこそといろんな神理の伝道手伝ってる人おると思うけど、これからそれを堂々と言う時代になってくるよ。これから堂々と、ね。資格の時代になるよ。神理も。 資格の時代が始まる。新たな、ね。えー魂を磨いているってことにたいする資格の、大いなる資格の時代が来る。こういうふうに思いますね。 それでないとおかしいよねー。文部省認定、英語検定だけあるでしょう。一級だとかあなた二級だとか三級だとかね。 最近は一級と二級の間に差があるから準一級なんて作ったらしいよ、文部省ね。こんなことばっかりやってね、もうええ大人があんた英語の試験ばかり勉強してるんだ。もったいないよー。 英語なんかあなたアメリカにこんど生まれりゃええんだよ、ね。転生してアメリカに生まれりゃ英語しゃべれるじゃないねえ。 日本に生まれりゃ日本語勉強できるんだよ。そんなのわかっとるんだからもう、ほどほどにすりゃええんだ、そんなことね。 そんなんじゃなくてね、これからどれだけね、神理の勉強してるかね、これがほんとうは役に立つかもしれないよ。 だからこれから神理が資格の時代にはいってくるぞ。ね、楽しいじゃないか。そんなんがあって、みんながね、日本国民がね、われを競って神理を勉強し始めるって。これはいいことですよー、ねえ。 文部省の教育はいいとしても、そんな英語だとか、あなた無線通信士の技能だとか、針灸だとかなんだかんだとまああるかもしらんけど、まあそれもけっこうだけども、いろんな国家資格あるわなあ。まああるけどたいしたことはないわなあ。死んであの世へ持って還るほどのものはほとんどないんだ、資格はな。 だからこれから神理を勉強してるってことが資格になる時代になると思います。そして神理の団体もね、いわゆるほんとうに信ずるか信じないか、まあそういうふうなオカルト的なあれじゃなくてね。ひじょうに教育的な側面というものを多く持ってくる、そういう時代がやってくると思うんですねえ。 だからこういうこと言ってた人いたけどねえ、通信教育の時代なんて言ってたけども、そうなるかもしれませんね。 これから法というのがあるていど定型化され、類型化されてね、ほんとう通信教育でもできるような、そういう時代ほんとうに来ると思いますよ、もうすぐ、これそう遠くないですよ。 10.今後、「高橋信次コース終了認定」免許が出る時代が来るかもしれない だからいろんな教えがあるけれども、もう教えが多すぎるからもういくつかね、分けて、とにかく高橋信次コースってあって、高橋信次コースってのは、幸福の科学出版から出てる高橋信次霊訓集、たとえば全二十巻がテキストである。 で、これで単位があってね。前期は第一巻から第五巻、ね。後期は第六巻から第十巻。そしてこの基礎コースをマスターしたらつぎに応用コースヘはいっていく。で、第十一巻から第十五巻、ね。それから卒業コース、第十六巻から第二十巻、こういうふうにこう範囲が決まってね。 そして、三年計画ぐらいで、社会人の生涯学習で、「高橋信次コース終了認定」こういうのが出ます。 「あーよかったー。」ね。「終了認定出た。じゃどうしようかな。まあじゃあこれ卒業したから、じゃあちょっと谷口雅春コース行ってみるかー。」って言ったら、つぎまた三年ぐらい「光明思想研修」なんてね。 谷口雅春コース三年ぐらいやって、「また免許いっちょ取ったー。」ってね。こういうので何枚も取ってね。勉強の手段がそこでできてくる。こういう時代になってくるかもしれませんね。いいことですよ。どんどんマスターしてくる。 これだけ天上界の先生がいっぱいおるんだから。あの世還ったってもう消化不良でできないですよ、だんだん。この世のうちに早目にマスターしておきましょうね。 そしてあの世に還ったらね、ちょっと見せてね、資格、「もうこれとこれと終了してますから。」って「おっそうか。じゃあつぎはもう残ってんのはまあ岩登りとあなた木登りの仙人の修行しかねえから、ちょっと仙人界行ってこい。」なんて言われてね、カクッときたりするかもしれませんが、まあそういうことはあるかもしれませんが、まあね、あの世でもどうせ勉強するんだから、この世でできる機会にね、バッチリ勉強してね、どんどん優等生になっていただきたい。 まあそういう話で神理文明論と称しましてね、えー三つの柱立てて話をしました。霊的なことが実証される時代。そういう時代が来るということ。 それから文明の類型として、えー自然に還れ型と、未来産業型と、二つに分かれてくるであろうっていうこと。 それから三番目に、えーこれから霊的なものがね、勉強が資格の時代になってくるよ。それからステータスシンボルになってくる時代が来るよ、ね。まあこういうことを話しました。 まあこういう未来を先取りしてね、みなさんもね、日々努力精進してください。そしたら賢い人間と言われるようになるんですね。じゃあまた、お会いしましょう。
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目次 1.驚異の科学文明 2.現代文明との比較 3.救世主トス 4.トスの教え 5.アトランティス大陸の沈没 1.驚異の科学文明 さて、本章では、ムー文明に続いて、アトランティス文明について、話をしてみたいと思います。 アトランティスについては、私もすでに刊行しました霊訓集のなかで何回か言及しているところもありますので、くり返しはできるだけ避けたいと思っていますが、これもね、やはり、人類史上では非常に誇るべき文明であったのではないか。まあそのように思います。 驚異の科学文明を誇っていた文明です。まあアトランティスにも飛行船があったという話、いわゆる飛行機のようなものがあったという話、潜水艦のようなものがあったという話、こういうことも、もうすでに読んでおられる方もいると思いますが、相当なものです。相当な科学文明があったし、その部分的なもの、一部分は現代文明をも凌駕(りょうが)するような、そうした面があったのです。 それは、アトランティスの文明の時代には、科学技術系統の方も相当出てこられた。銀色光線ですね、銀色の光線もだいぶ照射して、地上にそうした科学者としての偉大な魂も数多く出た。まあこうしたことが言えると思いますが、やはり、文明の実験室として、その後の現代文明のもとになるもの、モデルがこの時代に創られた、というように言うこともできると思います。 まあアトランティスというのは、もうみなさんご存じかと思いますが、現在の北米大陸とヨーロッパとの間に、大西洋というのがありますけれども、この大西洋上の島であったわけです。島というか、大陸であったわけです。そして、ここに一大文明圈を築いていたわけです。 この文明圈は、もちろん海洋文明でもあったんでしょうが、やはり位置的に現在のヨーロッパ、アメリカに匹敵するところですから、気候、風土的に見ても、かなり文化的な生活ができるような、そうした気候風土でもあったと、まあこのように言えるのではないかと思います。 その科学文明のなかで、潜水艦や飛行船の話はもうすでに出ているから、私は今回はちょっと違った話もしておきたいと思うんだけれども、面白い機械がいくつかあったのです。 ひとつ言ってみましょうか。それはね、たとえば、今、植物とかが今四季折おりに育っていたり、あるいは夏の果物が、もう冬場にね、温室で取れたりとか、いろんなことをやっていますが、こうした方法なんかは、現代よりもアトランティスの時代の方がもっと進んでいましたね。すなわち、植物なんかでも、早期に栽培できる。そういう方法があったんです。 たとえば、トマトなんかも何ヵ月もかかって作るものだと思いますが、トマトなんかもね、一日ぐらいで作ってしまうようなね、そうした方法があったんです。それは、特殊な光線を当てるのですね。そういう発育を良くするための、発育促進光線みたいなのが当時開発されてまして、そうしたものを照射していると、トマトが一日ぐらいでみるみる大きくなっていくんですね。そして食べられるようになる。 こういう発育促進法というのがあって、それを当てるといろんなものが急速に成長するんですね。ですから、トマトのような植物、きゅうり、かぼちゃ、まあこんなものがあったかどうか知らないけれど、そうしたものの成長がどんどん早くなるし、稲のような、ああしたものであってもね、極めて短い速度で生成、生育するという方法があったんです。 それゆえに、たとえば今、稲だと、たいていのところは田植えをしてから刈り入れするまで半年かかりますね。五、六月頃か知りませんが田植えをして、秋頃刈り入れということで、一年に一回お米を採るのが普通であって、温暖な地域では二期作とかいって、一年に二回お米を作る。あるいは、なかには三期作と言って、三回作るところもあります。ただそうすると、土地がだんだんやせてくるために、採れが悪くなってくる。あまりお米が採れなくなってくる。それで、まあ、土地を休ませたりする必要がありますね。 こういうことがありますが、こうした一年にせいぜい二期作ぐらいしかできないようなお米ですが、アトランティスの時代では、こうした発育促進光線というものが開発されていたために、全然事情が違ってくるんです。そうした温室のなかに、たとえば稲なら稲を植えて、そして発育促進光線をかけながら育てるとどうなるかというと、もう一週間ぐらいでお米ができちゃうんです。一週間ぐらいでできちゃう。驚異の速度です。 そうするとどうなるかというと、まず土地の節約になるんですね。今だと水田というのはものすごく広い土地がいりますね。山形地方だ、秋田地方だ、いろんなところで水田が随分あって、そしてお米を作ってますけど、何ヵ月も寝かして作ってますが、これが一週間でできるとなるとどうなるかというと、土地がいらなくなってくるのです。すなわち、ハウス栽培みたいに小さいとこで稲を作っても、一週間でできちゃいますから、一週間ごとに作っていけばいいんであって、一年中作れるんです。だから「ジャスト・イン・タイム」、トヨタのカンバン方式じゃないけど、ジャスト・イン・タイムで、お米が毎週、毎週できるんです。そして採れ立てのお米が毎週、毎週市場に流れていく。こういうことなんですね。一年中、お米ができたわけです。だから、それほど広い空間がいらないんですね。 だから現代、これからの社会、農業の改革にあたって、このアトランティス方式がやがて出てくる必要があると思います。こうすれば、日本なんかの土地問題、解決されちゃいますね。そんな水田いらないんですね。畑もいらないのです。こういう企業として大会社をつくって、農場をつくってね、体育館みたいな農場持っていたらね、たとえばそれを農場にして、そのなかでこの発育促進光線でどんどん、どんどん大きくしていけば、一年中作れるわけですから土地がいらないんです。だから大きめの建物のなかで、農作物ができるんです。こういう方法がありました。 こうするとね、現代の日本の土地不足は解消しますよ。あなた方は非常に地価の高いところで、堂々と野菜作ったりしているでしょう。東京近郊で、あんなの高いですよ。何億もする上地で野菜作ってるんでしょう。もったいないね。まあこうしたことがあります。 ただこれはね、動物には使えなかったみたいだね。動物にやっちゃうと、やっぱりいろいろ奇形児が生まれたり、いろいろするもんだから、植物だけにしかできなかった。 こうした、驚異の発育促進光線なんていうのもありましたし、これ以外にも、いろんなエネルギー源としては、現代と違うようなエネルギー源もあったことは事実です。まあこうしたことが、文明の特色として、言えるのではないかと思います。 2.現代文明との比較 さて、このアトランティスの文明を、現代文明と多少比較してみたいと思うのですが、これはね、やはり文明として見ると、見てみる角度が多少違うっていう感じはするね。 現代の文明はどっちかと言うと、どうだろうね、まあペーパーワーク文明だね。書類文明があって、そして株式会社なんかつくってね、こういう株式会社なんていうのが流行(はや)ってますが、このアトランティスの文明ではどうだったかというと、株式会社みたいなのがなかったんです。そうではないけども、ひとつの面白い社会システムがありました。 それは何かっていうと、まあ貨幣にあたるようなものは、もちろんあったわけです。お金にあたるようなものはもちろんあったんですが、これが、まあ政府から与えられるわけなんです。それぞれの企業でも個人商売でもなんでもいいのですが、与えられるわけだけど、毎年一回、今日本では、あるいは世界でも税金の申告やって納めていますが、この逆がやられていたんです。一年間の働きを提出するんです。今年いっぱいこういう仕事をしましたという、申告をするんですね。そうすると、それに対して役所の審査があって、確かにこの者は申告通りの仕事をしたと、こういう認定がされるのです。 あなたは申告以上の仕事をした、あるいは申告以下の仕事をした、という認定をするところがあって、そして個人の申請に、たとえばよく働いた人は一・五倍をかけたり、働きが少ない人は〇・五になったりしますが、そうした乗数かけた分だけのお金が、毎年一回支給されるんです。面白いでしょう。税金の逆なんですね。税金の逆で、毎年一回そういうお金の支給がされるんです。そして、それで翌年一年、それをもとにして生活できるんですね。 こうすると、政府というのは非常に有り難いね。今の政府は、税金を国民から取るだけだろう。非常に悔しいね。一生懸命儲(もう)けたのに、政府にピンハネされちゃうんですね。そしてお役人に使われちゃう。ああ悔しい。何に使っているのかさっぱりわかんない。こういうことが非常に我慢がならない人は、数多いと思います。 ところが、アトランティスだと逆だね、政府はお金をくれるんです。面白いですね、一年に一回、その年の働きに応じたお金をくれる。そして、そのお金をくれるわけだから、その働きを確かにしたという証人がいるんだな。証人、その証人をしているのは誰かっていうとね、これが面白いんだけども、牧師さんみたいな人なんだねえ。聖職者、僧侶と言ってもよい、お坊さんだな。こうした、お金に全然関係がなく道を求めている人、法を求めている人、悟りを求めている人、こういうふうにお金に無頓着(むとんちゃく)であるというところが、非常に評価されるわけだな。こういう人の判断は公明正大であろう、利害が何もないであろうということでね。 まあこういうことで、その一年に一回の申告書を書いたら、このお坊さんがね、毎年、いつでもいいけど、十二月なら十二月に、そういう仕事があるんだよ。年に一ヵ月だけ、そうした仕事があって、そうした自己申告、町民の各人、あるいは村人の自己申告に目を通して、そして心を調和して見て、これが偽りがないと思ったら、判子(はんこ)をポコポコッと押すんだね。ポインポインポインと、判子を押すんです。そして証人ができる。だから、お坊さんに判子押してもらったら、これを役所に届けにいくんだな。そして、まあお坊さんの方は、その書類に偽りがないか、その人の心に間違いがないかというようなことを見ながら、判子を押すわけで、あとの役所の方はそれをテクニカルに判断していく。その仕事がどれだけの価値を生むかっていうことを判断していって、そして支給額を決めていく。こういうことなんだよ。 だから、日本の政府もこんなことをすると、人気が上がるんだな。政府が、要するにお金をくれるんだったら、みんな一生懸命働くよね。そして、国民の信頼が厚くなる。政府がとにかく、お金をくれるんだから。大蔵省なんていうのは、お金くれるんだったらいいけど、お金取っていくだろう。だから人気が悪いね。威張っているけど人気が悪い。 お金くれるところだったらね、あなた、大蔵省がお金くれるんだったら、みんな大蔵省さまさまですよね。そうじゃないでしょうか。そうでしょう、ね。こうしたこともあったんだよ。だから、政府というのは、取ることばかり考えないで、与えることもあるってことを知らなきゃいけないですよ。そういうことなんです。まあそういう給料の支給を、国家がやっていたんです。 こういうところが現代文明と違うと思うし、その意味では資本主義社会でもないし、共産主義社会でもない。なんかへんてこりんだけども、そういう社会だったと思いますね。職業や資本源は全部国にあったわけだけれども、ただ各人が自由にやって、自由競争の結果を国が判定してくれる。こういうことなんだね。押しつけの、画一的な共産主義じゃない。収入は一定、みんな一緒だというんではない。収入に格差はあります。あるけれども、そうしたような査定をするんだね、査定をする。そういうことがあるんですね。 では役人たち、じゃあ役人がいるだろうけど、役人の給料は一体どうなってるのかと、まあ、それが気になる人もいるでしょう。 役人の給料っていうのは、またこれがね、面白いんだけれども、国民投票で決まるんだよ。面白いだろう。たとえば、役所の名前はもちろん違うけど、大蔵省や通産省や外務省みたいな、そういう役割を果たしている役所かあるわけだ。あるいは、県庁のような役割を果たしているところがあるんだね。 それで、たとえば、前年度の予算が決まっているでしょ。たとえば県庁なら県庁で、ある県庁で人件費として、前年度たとえば二十億円の予算があったとするね。これに対して、その住民のなかに識者がいて、たとえばなんとか県でもいいけど、なんとか県の識者が、たとえば五百人に調査アンケートを配るわけですね。そして点数を入れるのです。その一年間において、その県庁が県の行政としてやったこと、評価を前年度と比べてみんなが査定するんです。査定をして点数を入れていく。 そして、前年度の平均点が八十点だった時に、今年度やった時にその行政の効率が、たとえば八十二点と出たとする。平均がね、五百人の識者の平均が八十二点と出ると、これが上乗せされて、たとえば前年度、二十億だったその人件費予算が、二十億かける八十分の八十二になる。だから、約ニパーセントだけ増えるわけです。そうすると、役人の収入が増えるわけですね。 ところがその一年の総決算で査定受けて下がった場合には、全体の予算が減る。そして分け前が滅る。こういうふうになっていて、役人の給料がやはり国民の審査受けて決まっていたのです。それで上がり下がりしたのです。だから悪い行政すると収入が滅るんですね。いい行政をすると収入が上がる。こういうふうになっていて、現在の自由競争の原理が逆に働いていたのです。公務員社会、役人の社会にも働いている。 だから、裁判所みたいなものももちろんあったけれど、裁判についても、やはりそういう国民審査があった。現在でも最高裁判所の裁判官の国民審査があるけども、あんなの給料に響いてないね、全然。過半数かなんか知らないけど、×が多くなけりゃいいんだろう。ところが、裁判についても国民審査がちゃんとあって、それで毎年、裁判官の給料が変わるんだね。いい裁判するとよくなるけど、悪い裁判すると下がる。こういうことが安全弁になっていたんだね。こういう制度もあるんだよ。 だから、現代の社会制度が当然と思ってはいけないよ。こういう面白い逆転の発想もあるということを、知って下さい。 3.救世主トス さて、このアトランティス文明に、救世主として、「トス」と言われる方が生まれました。これは今から一万二千年、あるいは一万三千年前という時代ですね。アトランティスが滅亡する、千年から二千年ぐらい前と言われています。 このトスと言う方は、先ほど述べたラ・ムーの生命体の一部なんです。そして、トスは、科学的な素質もあったし、政治家でもあったし、そして宗教家でもあるというような、いわゆる万能の天才でありました。 この方はね、まあその風貌を現在語ってみるとするならば、まあ随分、温厚な顔立ちをしているところはその通りですが、面白い特徴がありました。それはいったい何かというとね、まあ現在でも霊視なんかきく人は、人に後光が射しているなんていうのがよく分かるんでしょうが、このトスという人は、その後光というのが現象化して出る方だったんです。すなわち、トスの話を聞いていると、トスの周りが本当パッと明るくなってくるんですね。百燭光(ひゃくしょくこう)、百ワット、二百ワットの電球つけたようにパッと明るくなって、顔色が虹(にじ)色に変わってくるんです。この方はこういうのを現象として現す能力があったんです。 だから、トスと会って話しているうちに、もうだんだん眩(まぶ)しくなってくる。周りが明るくなってくる。こういう人間発電機みたいな、東京電力みたいな人だったんですね。こういう人です。そういう特徴がありました。その人が来ると、周りが本当に物理的にも明るくなるんです。光輝いている。まあこういう能力を持った方でありました。 この人の面白かったところはね、すなわち、なんでもやる人だったんです。なんでもこいっていうか、いわゆるそういう超天才です。なんでもこいの人であって、レオナルド・ダ・ヴィンチが万能の天才っていうけど、あんなのはトスに比べるともう数段小さいです。このトスっていうのは、もうなんでもできる人なんです。この人にとっては、学問の領域、こんなものはなんにもないです。理科系も文科系もないんです。技術もなければ、英語もなければ、哲学もない。何もないんです。なんでもこいなんです。 これはパーニャパラミタと言って、心の奥底が開いて、そして、大宇宙の英知、光の大指導霊たちと交信することができていたからです。したがって、大多数のそうした専門家集団を自分の背後にひかえていたために、どんなことでも答えられるという能力を持っていたのです。驚異の霊能力です。こういう超天才で、それゆえに人びとから畏(おそ)れもされ、また畏敬(いけい)もされていました。非常な天才です。まあこういうことで、なんでもこいという人で、天才のはしり、万能型天才のはしりでもありました。 もちろん、病気治しなんかもしたり、あるいは、あらゆるものからね、あらゆるものと言ってもあれだけども、まったく予期もされないような物から薬を作っちゃったりするんですね。まあ不思議な、誠に不思議な能力ですが、山のなかに入って、いろんな薬草をつんできたかと思うと、それを調合して、あっと言う間にいろんな薬を作ってしまう。まあこんな人であったんです。まあそういう医者のような役割もできた。また、発明特許じゃないけども、いろんな発明もした。政治についても、どんどん新手法を編み出していった。まあこういう方です。 だから、救世主と言っても、単に法を説くだけではなくて、なんでもこいの人であって、そういう形でもって世の中の人びとの尊敬を集め、また自らの力を増していった。発言力を増していった方であった。そう思います。 4.トスの教え さて、このトスの教えは、いったいどんなものであったかということが、みなさんの興味のあるところだと思います。 これはね、お釈迦様の生命体の一部というだけあって、やはり基本的な線ではズレてないんですね。ズレてない。すなわち、法の骨格そのものは、ほとんど変わっていません。ただ現象面としてね、そうした万能の天才型でいろんなことができる、そういう人であったという、そのような現象があったということです。 トスの教えでね、私が見ていて、その根本となるのはいったい何かと言うと、まあそうだね、やっぱりこれも三つぐらいに分けて、言えるのではないかと思います。 第一は、人間は心の開拓に応じて、いくらでも能力が引き出せるというような教えであったんです。心を開拓していけば、いくらでも能力をアップしていける。そして、いわゆる観自在能力だけれどもいろんなことがわかるようになり、そして、いろんな知恵がどんどん出て来る。このパーニャパラミタの思想、こうぃう考え方が、第一にありました。 これは、釈迦の「心の窓を開けばパーニャパラミタが出て来る」という思想と、それとヘルメスの発展の思想、この両方を合わしたような思想だと思います。心の開拓によって、無限の力を出して来れる。そして、無限の可能性が拓けていく。まあこういうことだ。心の開拓の方法論を随分説したし、その能力の駆使の実際論、これをも教えたということだね。まあ自己実現の先駆者かも知れません。そうぃう自己実現の法も教えていました。これが第一であったと思います。 第二は、やはりこの人の本来の魂の方向としまして、「神の偉大性」ということを教えました。神がいかに偉大であるか。その宇宙の英知としての神の偉大性を教えました。それは、自分の霊能力の多面的展開、さまざまな万能の天才として現れたことを通して、「神の僕(しもべ)である私でさえ、これだけの力を持っているのだ。全能の神は、いかほどの力を持っているかわかるか」と、このように教えていたのです。これが、トスの神の偉大性を教えた面です。 三番目の特色はいったい何かと言うと、これは「統治の原理」だね。政治の原理について、だいぶ言ったわけだな。これはユートピアの原点でもあるけれども、どのようにして人びとを治めていくか、この徳治政治だね。徳治政治の原理と、この人は合理主義と効率主義、これを交ぜ合わしたような原理を登用しておりました。 徳治主義、徳ある者が人の上に立つということと同時に、その人を立てることによって、どれほど効率的に運営できるか、こういう西洋合理主義の原点みたいなこともやっていたのです。両方をやっていました。交ぜ合わせていたのですね。単に徳あるだけでは駄目で、徳がある人に適材適所を与えていって、そしてやる気を引き出して、どんどん効率をあげていく。こういう方法を取っていたのです。 まあその意味で、釈迦が後代、非常に優れた教育者として現れるけれども、教育者の側面というのが、随分あると思います。徳治主義をやる人は、ふつう教育者という側面が弱くて、人間はもともとそういう光輝いたもんという考えを持っている人が多いのだけれども、教育者としての側面をこの人は非常に多く持っていたと思います。そして多くの人たちの能力をアップするということを、最大限の力をはらって実現した。まあそういうふうに思います。非常に優れた方です。 だから、その魂の原形のなかに、やはり、将来の釈迦やヘルメスとして出た方の姿が見えますね。チラチラと見えます。まあこうした万能の天才も、またやがて、地上に現れてくると思いますが、同時代にいた人にとっては、やはり神聖な人、神そのもののように言われていたように思います。 やがて、アトランティスは没していくわけだけれども、アガシャー大王が出るまでの間、トスというのは万能の天才のように言われていましたし、「主・トス」ということで、言われていました。やがて、アガシャーが生まれてきた時に、このトスが天地創造の神の如く敬われていたわけであります。 5.アトランティス大陸の沈没 まあこうしたアトランティスも、今から一万年あまり前、一万一千年近い昔でしょうか、やがて、ムーと同じで海没していく運命にあったわけであります。 この点については、もうすでに私も何度も触れておきましたけれども、やはり、唯物信仰がだいぶ流行(はや)ってきて、想念の曇りが相当、文明あるいは大陸を覆ってきた。それと末法の世に出した光の大指導霊たち大多数を、なんと言いますかね、イエス様の時のように殺害するっていうような、こういう暴挙をしたために、大陸自体が不調和の想念に包まれて、反作用によって沈んでいくという、まあ前代未聞の事件が起きたわけです。 この最後の光の大指導霊として出たのが、アガシャー大王と言われた方です。トスから時代が下がること千何百年ぐらいでしょうか。アガシャー大王というのが出まして、これがイエス様の前身の部分です。こういう偉大な方が出ましたが、やがてそのアガシャー系一族も滅びていくという、悲運のまた指導霊だったと言えるかと思います。 まあアトランティスの末期のありかたは、やはり、今後現代文明を待ちかまえているさまざまな危機を思わせるものがあります。アトランティスの末期は、現代と非常によく似ている点があるのです。 文明は非常に発達し、そして、神理は説かれていたけれども、その神理がいろいろにまげられてきていた。そしてまた、新興宗教のようなものがいっぱい起きてきて、そして、本当の法を説く人を迫害するような現象も出ていた。この意味において、アトランティスは、非常に現代に酷似しているところがあります。 だから、このアトランティスの愚をくリ返さないためには、どうしたらいいかというと、やはり、真実の法というものを一日も早く広げて、多くの人たちに納得してもらうことですね。これがいちばん大事である。私はそのように思います。この真実の法が一日も早く広がることが、アトランティスのような不幸を妨げる効果があるのではないか。そして、現代の文明をさらに押し進めていく「黄金の時代」を創っていくのではないか。まあこう思います。 ただ、アトランティスという悲劇の大陸、悲運の大陸、文明であったとしても、やはりそこになんらかのユートピアの原形があったことは事実です。このユートピアの原形としてのアトランティス文明、これから何かを私たちは学ばねばならん。彼らの文明が私たちの文明より優れている面もある。それは事実です。こういうところをやはりしっかり学んで、今後の文明に活かしていきたい。まあそういうふうに感じます。
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文明 何かしらの文明が根付いている世界に開通しやすくなるプレート。文明と言っても、どこまで進んだ文明なのかは完全に未知。大抵は拠点世界に近しいレベルの文明となる。
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文明 原則 NTDRなしのルール。 アッシリア とにかく弓チャリを回すことを最優先にする。ラクダR等を仕掛けるのは愚策である。農民26の進化から、13分前半青銅IN、弓小屋5個回しを狙う。この文明に限っては、完陸でも他の文明ほど、悲壮感が漂うことは無い。圧倒的な速さで蹂躙できる。川以外の場合は、鉄兵の優位性があまりないので見方に貢いで鉄に入ってもらったほうが良いだろう。投石を出すのは、あらかた荒らし終わった後か、投石がなければ進めない場合になってから。この文明で、最初から愚鈍な弓投石を選択するのは間抜けの行為であろう。 漢 進化において、初期イチゴ採取5人で、中心で連続生産が出来ることを頭に入れておくこと。鉄までは弱点のない文明。内政によるアドバンテージで、青銅で爆発、攻め果てるくらいのつもりで。陸MAPの場合、早い鉄からの鎌も良い(この文明は、激しく攻めつつ、20分後半の鎌も出来る)。 ヒッタイト 弓チャリを回すことを最優先とする。ラクダR等を仕掛けるのは博打であり、この文明は博打を打つ必要のない強さを持っているので、騎兵系Rは原則無用であろう。進化にアドバンテージが無いため、速攻対策に原始弓を3,4は作ること。後は適当に弓投石をやっていれば、大半の文明を圧倒できる。装備フルアップの鎌もあるため、状況に応じては鎌の投入も考える。奇襲として成功すると、後に続く弓投石の進軍速度が非常に速くなる。重投石は圧倒的ではあるが投石の段階で十分強いので、900の木は、更なる投石を、1800の飯は他文明に貢いだほうが、トータルとしての効果は高いであろう。重投石へのアップグレードは打ち合いになったときや、余裕の出来たときでよい。 大和 陸MAPの場合、鉄に入る必要はない。怒涛の騎兵ラッシュに、怒涛の弓投石へと延々と攻撃し続ける。鉄を押せるような資源が溜まってしまった場合は、自身の攻撃の手ぬるさに恥じいるべきである。川MAPの場合、馬鹿船、即鉄、馬鹿ガレー・馬鹿軍艦も強い。 カルタゴ 陸MAPの場合、ラクダ兵を作れば、早々、不利になることはない。青銅初期は、青銅中期に比べれば相対的に不利度が低いので初期に何とか肉薄すること。騎兵を刺すことに成功した場合は、もうこれ以上は無理、というところまでは延々と騎兵を送り込む。それ以降は、騎兵系ユニットに加え、タワー&強弓で何とかする。爺を出されると、非常に苦しいが、鉄以降は弓騎兵である程度は掃除が可能になる。実は、鉄アリが使えるので(精鋭はない)、タゴ鉄アリRの有効性を検証中・・・みんな、幸運にもタゴを引いたら、鉄アリを使ってみよう。 朝鮮 最初から、タワーを使う戦術の選択は朝鮮であっても過ちである。この傾向は陸MAPのときほど真である。タワーで固めることの出来る内政(石堀研究後、4,5人が石を彫っていて、次々タワーが建てられる状態)が整うまでは、騎兵による遊撃、強弓による防衛を考える。鉄はアリの一手でよい。精鋭まで待つのは、相手に迎撃準備の時間を与えるだけであるので、鉄アリの段階で即座に攻撃に移ること。安い爺を利用した殉教Rも、工学鉄投石が構えてるポイントを崩す際に非常に有効であるが、基本はアリの運用・操作に集中する。 ミノア とにかく戦闘弓。速攻対策にラクダを2,3作るのは無駄であり、それをやるくらいなら原始を作る。ラクダや騎兵を作るのは、自身が意表を突いた速攻を行う場合のみでよい(ミノアの海戦の強さ+速攻騎兵は意外に効果的である)。1本の塔を見ただけで、兵を引くミノア使いは二流である。2,3本のタワーがあったところでユニットは早々は死なないため、敵のユニットが少ない場合は、ユニットを殺し、強引にタワーポイントを抜け、戦闘弓でバリバリ荒らしまわる・内政地に居座ること。鉄IN後も、射程12の戦闘弓(重バリと同射程)は十分護衛の役割を果たすので、象や鎌が沸いてくるまでは、砲撃小屋は投石優先で進軍速度を上げること。 ローマ 最初から、タワーを使う戦術の選択はローマであっても過ちである。この傾向は陸MAPのときほど真である。タワーで篭るローマは弱い。ローマの軍事に関するキーワードは、「速さ」と「物量」である。エンドレスの騎兵系RとTRが青銅ローマの真骨頂であろう。タワーの建て方のコツは、陸兵の進軍を追いかけるようにタワーを建てていくこと。投石を出さなければ進めない状態になった場合は、わざわざ投石を出すより、さっさと鉄に入ってしまったほうが良い。相手に象がいない場合は、アリ投石の一手でよい。フルアップの鎌も出せるため、馬鹿殴り、馬鹿鎌TRという崩しも良い。 フェニキア 物量の文明。川の場合、即鉄からの投石ガレーも圧倒的に強い。フェニキアであっても、象を断続的に出すためには、畑2以上の研究は必要であろう。激しく弓投石・馬鹿殴りで攻め立て、さらに象もやってきたというイメージで。基本的に、守りの象は弱いので、そうならないゲームメイクが必要である。精鋭アリと、鎌もあるが、自分で運用するよりは資源を見方に貢いだほうが良いであろう。 シュメール シュメールの強さは、「圧倒的に強い時間帯があり、その時間帯にたどり着く手段が用意されている」ということに尽きる(手段が用意されているため、シュメタイムが後から付いて来る とも言えるが)。圧倒的に強い時間帯とは、早い鉄IN後の数分(20分後半から30分前半)であり、手段とは、一通り揃っている青銅軍と畑2倍のボーナス、町の人のHP2倍のボーナスである。相応の数で構成される、完成された弓投石がいれば、そうそう崩れることはない。また、農民のHPボーナスは、ダメージを広く分散させ受けることが出来るため、そのまま攻撃への耐性となる(的数自体が減りにくいので、この耐性は更に顕著になる)。そして畑2倍のボーナスは鉄押しの時間を早めるのに大きな効果がある。鉄IN後は、防衛の手段として持っていた弓投石を、2,3分で圧倒的に強い攻めの兵へと転化できる。多くの場合、相手は青銅の時代であり、青銅の時代のユニットで工学弾道学付きの鉄投石を止めることは不可能である。また、射撃速度が速いため、建物を壊し進軍する速度も速い。シュメールは、いかにこの黄金時代を出現させるか-そしてこの黄金時代にどこまで抜き去るかが問われる、伸るか反るかのゾクゾク感のあるテクニカルな文明である。ガリガリ抜いている段階では、重投石を押すよりも見方に貢いだほうがトータルの効果は高いであろう。意表をついた鎌も有効であるが、多くの場合は、弓投石のほうが多くの報酬を得られる。象は、鉄投石で打ち合う段階になってからでよい。普通に扱う分には、青銅・鉄と、卒なくこなすことは出来るが特に秀でたものものない凡文明である。進化ボーナスがないため、苦し紛れのラクダをするよりは、原始で守り、弓投石で攻める・守る、のほうが良い。RORは一度劣勢に立たされた場合、攻めても守っても状況が好転することはあまりないが(H2H状態の場合)、この文明に限っては、畑の効果による逆転が在り得る。崩れ去らないことが肝要であろう。使い方を知ると、この上なく面白い文明の一つである。 ギリシアギリシアの弱さは、「圧倒的に強い時間帯はなく、マシな時間帯と言える時にたどり着く手段も用意されていない」ということに尽きる(手段が用意されていないため、ギリタイムがずっと来ない とも言えるが)。しかし使い方を知ると、この上なく面白い文明の一つである。 青銅はやはり弱い。青銅初期は、青銅中期に比べれば相対的に不利度が低いので初期に何とか肉薄すること。ラクダ対策に歩兵を出したくなるが、おそらく、原始+騎兵の方が有効度が高いであろう。厚く弓投石で責められると、手も足も出ないので、どうにもならなくなる前に、見方を呼ぶ。鉄に入ってしまえば、鉄投石を持たない文明に対しては対等以上に戦える。 パルミュラ 農民22人が基本進化。1stイチゴが、7粒の場合、比較的安定的に、早い進化(13分台)が出せるので、早いラクダによる速攻が基本戦術になる(7粒で立ち木がいい場合、1stイチゴ>貯蔵庫>港と普通の文明と同じような進化が出来る。これが出来た場合、太くて早い進化が出来る。6粒の場合は、1st>貯蔵庫>2st陸飯もしくは、貯蔵庫を動物とかぶせる必要がある)。ラクダで荒らせるだけ荒らしまわった後は、弓投石、もしくは貢ぎに回る。鉄軍が弱い上、熟練工技術も貨幣鋳造もないため、必要に迫られた場合以外は見方に貢いだほうが良い。 エジプト 高いHPを誇る殴り・弓チャリで相手を蹂躙する戦術が基本。金堀にボーナスがあるため、ラクダRで相手の崩しから入っても良い。爺が圧倒的に強いので、海戦が強い・進化にボーナスがある・爺に有効な手段がない文明が相手の場合は、爺Rも良い。が、やはり守りの戦術であり、エジはがんがん攻めまくったほう・・・しかも弓投石のような呪い攻めではなく、機動力のあるチャリオンリーで・・・が良い。鉄戦は鎌の一手。他のことをするくらいなら、見方に貢ぐ。象徴戦の場合は、射程16の爺で相手の攻足を鈍らせまくる。 バビロニア 最初から、タワーを使う戦術の選択はバビであっても過ちである。この傾向は陸MAPのときほど真である。青銅はチャリ、鉄は投石・鎌・爺と何でも卒なくこなすことは出来るが、ガレーがないので海戦には不向きである。兵にも内政にも、これといったボーナスがないため辛いが、市場テクは全て揃っており、政治機関も完璧なので、後半になるにしたがって味が出てくる。タワーが硬いので、一度固めた前線は早々には抜かれないし、監視以降のTRは相手にかなり不快感を与えることができる。象徴戦で壁・塔職人をしているときが一番の華。 ペルシア ガゼルスタートによるウルトラ進化が可能(ガゼル採農民4人で連続生産が可能なため)。ガゼルの数が少なかったりすると地獄行きなので博打要素は強いが・・・。青銅速攻以外の戦術は、どれもこれも速攻に劣るため、青銅速攻第一で考える。速攻が成功した後も、戦闘ユニットを作り続けることが、カウンターであっさり死なないためのコツ。工学鉄投石があるため、戦闘弓はその護衛に流用できるので、戦闘弓は悪い選択肢ではない。しかし、早い時間からの戦闘弓への切り替えは、騎兵による刈り取りの機会を放棄するのと同意であるため、機をよく見計らうこと。この文明の象は間違いなくRORの最強ユニットである。4,5の少数でも十分に戦果を挙げることが出来る。転向対策に、爺か、弓騎兵をつけたいところであるが、大半のゲームでは内政が追いつかないであろう。弓投石の流れで使うか、チャリメインの見方とともに進軍する。相手の爺が見え見えの場合、精鋭アリによる意表を付いた攻撃も検討すること(工学投石と象と精鋭アリを運用できる唯一の文明である)。 マケドニア 歩兵が強い。内政地が脅かされる恐れがない場合は、歩兵の一手でよい。投石も非常に安いため、馬鹿投石+馬鹿歩兵で抜けない場所はない。車輪がないため、内政地に攻撃がくると非常につらい。相手も歩兵を出してきたり、内政地が脅かされそうな場合は、戦闘弓も出すほうが安定する(ただし、この安定は歩兵投石による問答無用の爆進とのトレードオフであることは留意すること)。青銅まで抜けるところまで抜いていれば、たいていの場合、鉄は何をやっても勝てる状態になっているであろう。この文明の鉄軍は、状況を打開出来るという性質の軍ではないため、鉄に入ってどうこう、よりは青銅で抜ききることを重視すること。
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