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教育権
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何よりも「障害者」本人の「教育を受ける権利(学習権)」の行使、実践的には「親の教育権」に着目し、行政に よる一方的な就学先学校の指定に対して「保護者の学校選択権」を認めさせていこうとする運動が「実現する会」 の支柱である。憲法、教育基本法の理念に基づく「養護学校の義務制度化」には肯定するものの、「行政による就学 先の指定は障害者差別・選別の路線である」と厳しく批判する立場をとる。すなわち「実現する会」の主張のポイ ントは、文部科学省・教育委員会による「機械的・官僚的」な就学先の指定を批判し、この行政権限に対して特殊 教育諸学校・特殊学級・普通学級のいずれかを保護者が自由に選択することを「権利」として主張する点にある。 このことを「実現する会」は次のように主張する(大西問題を契機として障害者の教育権を実現する会編,1978)。 障害児教育については、一人ひとりの子どもに合ったところが、とくに選ばれなければならないのであるが、現実 問題としてそれぞれの子に絶対的に合ったところを選ぶことは、誰にも出来るものではない。そこで、就学すべき 学校・学級の選択ということの必要性が出てくる。その選択にあたっては専門家の意見を聞くことや運動のなかでの討論・経験の交流を判断の材料にすることもあるが、しかし最後の判断は、保護者(本来的には本人)によって なされる以外にない。その理由はいたって簡単で、保護者こそが端的に子どもの法定代理人であり、日常的にも子 どもに接し、地域・家庭の事情も総合的に配慮しうる立場にあるからである。このようなところから「子どもの学 習=発達権」を保障するための「権利」として「保護者の学校選択権」の主張が提起され、対行政闘争の「法律上 の武器」とされるに至った。このことは、次の篠原睦治の主張からも理解される。「学校教育法施行令第22 条の2」 の規定は「障害児は養護学校へ」という方向を打ち出し、「強制就学」を規定したもので、保護者の意見を無視した 法律であると考える。就学先は強制されるものではなく、親の意向を尊重してなされるものであるという考えもあ る(篠原,1976)。この考え方は取りも直さず、親の学校選択権の主張である。
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近代以前は、学校教育を受けることは上流階級の特権であった。近代社会になり、身分制度が打破され、経済活動が拡大し、国民の教育水準の向上が求められるようになって、大衆的な教育制度が発達した。日本の江戸時代、武士は幕府や藩が設立した学校に通っていたが、農民以下の身分の人々は一切学校に通うことを強制されなかった。しかし、多くの人々は「寺子屋」と呼ばれる教育機関に通って、文字や計算を学んでいた。江戸時代の識字率は国際的に見て最も高かったと言われているが、このような民衆の自発的な教育組織は決して日本だけにあったわけではなく、かなり多くの国で発展していたのである。そして、19世紀後半になって、先進国において義務教育制度が成立した。しかし、それは決して権利としての教育を国民に保障するためではなかった。あくまでも国家政策の一環として、つまり、支配の安定や国際競争に勝つための手段と考えられていた。つまり文字通り「国民の義務」としての教育が展開していった。 しかし、教育を権利として考える教育権の思想はそうした制度化に先立って、発展していた。その代表はフランス革命のときに活躍したコンドルセである。4)堀尾輝久は全ての者の教育を受ける権利、家庭教育の延長としての公教育(私教育の組織化)、知育限定論という内容で整理しているが、「統一学校の父」としてのコンドルセ思想という視点からみると、多少異なった検討が必要である。堀尾輝久『現代教育の思想と構造』岩波書店参照 コンドルセの主張は次のように整理することができる。 1.公教育が全ての人に対する社会の義務であること。5)コンドルセ『公教育の原理』松島均訳 明治図書 p9-15 全ての国民という時、障害者をも含んで言われていることは銘記すべきであろう。6)Condorcet Troisieme Memoire──sur l instruction commune pour les hommes in "Auvres de Condorcet" vol.12 M.F.Arago p325 教育は三つの種類が考えられている。第一に、自分の能力や教育に充当出来る時間的余裕に応じて、職業や趣味のいかんを間わず、全ての人が承知していることが良いと思われる事柄を、国民の全てに教えること。第二に、一般的利益のためにそれを利用しうるように、それぞれの問題についての特質を知る手段を確保すること。第三に、将来生徒たちが従事する職業が必要とする知識を彼等に用意すること。7)コンドルセ 前掲 p22 2.これらの教育を各々子供のための教育と成人のための教育に区分し、適用されるべき原理を区別したこと。 コンドルセの公教育論は、知育限定論で知られるが、成人教育については、必ずしもそうではない。むしろ、画一化されない形での道徳教育、原理・動機にまで及ぶ政治教育を主張している。8)Condorcet op.cit. p328 3.普通教育を階梯として組織すること。9)コンドルセ 前掲 p25-27 その理由として、公職が一つの職業とならぬように国民が公職を遂行することができるようにするため、仕事や職業の区分が人民を愚味にすることがないようにするため、一般教育によって虚栄心と野望とを減少するための三つをあげている。 4.国家から給与を支払われる専門職としての教職の確立。 しかし、この原則は「教師は団体を形成してはならない」いう原則と結びついていた。「これこそが、野心に変ぜず、好策に堕さない競争心を教師の間に維持する唯一の手段であり、教育を習慣的な精神から守る唯一の手段」だからである。10)同上 p100 これは社会の義務性を純粋に表現したものと考えられる。 5.普遍的有用性をもつものとしての科学教育、芸術教育。11)Condorcet op.cit. p337 以上のようなコンドルセの主張は、その後のフランスの教育改革の長い指針となった。 コンドルセの主張は、教育の条件を整えることが社会の義務であって、教育を受けることが国民の義務ではない、とするものであるが、実際の国家制度としての教育制度は、「義務教育」制度として成立した。「権利としての教育」を放棄することができるかどうかについては、論者によって意見の相違があるので、立ち入ることはしないが、「放棄できない」とする立場にたつと、「義務教育」であるか、「権利教育」であるかは、大きな相違はないことになる。 ここではとりあえず、歴史的概観であるために、実際に成立した「義務教育」について、みておく。 日本の義務教育は、極めてあいまいな形ではあるが、「学制」で規定された。 第十二章 一般人民華士族農工商及婦女ノ学ニ就クモノハ之ヲ学区取締ニ届クヘシ若シ子弟六歳以上ニ至リテ学ニ就カシメサルモノアラハ委シク私塾家塾ニ入リ及巳ムヲ得ザル事アリテ師ヲソノ家ニ招キ稽古セシムルモ皆就学ト云フヘシ しかし、これは現在のような明確な法的規定ではなく、国家的努力目標に近いものがあった。最初に義務教育の規定を具体的に盛り込んだのは、明治12年教育令である。 第十三条 凡児童六年ヨリ十四年ニ至ル八箇年ヲ以テ学齢トス 第十四条 凡児童学齢間少クトモ十六箇月ハ普通教育ヲ受クヘシ 第十五条 学齢児童ヲ就学セシムルハ父母及後見人等ノ責任タルヘシ但 事故アリテ就学セシメサルモノハ其事由ヲ学務委員ニ陳述スヘシ 12)http //202.244.24.5/v100nens/index-14.html\#ss1.3.1.2 この教育令は「自由教育令」と呼ばれ、国家が強制的に義務教育を実施しようとするよりは、むしろ国民の自発的意志に依拠しようとしたものとされている。学制百年史によれば、学制による就学強制は、当時の経済力ではとても負担が大きく、当初は授業料が徴収されたので農民の反感を買ったが、アメリカの分権的な教育行政に関心をもっていた文部大輔田中不二麻呂が、地方の実情にあったやり方を求めたのが、教育令である。 そこでは、学校に行くだけではなく、ほかの道も容認していたこと、学校を設立することが困難な地方は教員巡回のような手段も認めていたこと、学務委員を選挙で選ぶことを規定していたことなどが、特色とされていた。しかし、そうした自由なやり方によって地方の教育は崩壊寸前となり、より強制的な色彩の強い改正教育令が、明治13年に出された。改正教育令に定められた小学校に関する規定を教育令と比較して、文部省「学制百年史」はその改正の要点を、まず就学義務の強化に注目している。 (1)教育令における小学校就学の最短規定一六か月を改めて三か年とし、毎年少なくとも一六週間以上就学させる義務があるとした。また三か年の課程を終了しても相当の理由がなければ毎年就学すべきものとしている。 (2)学齢児童の就学を督励するため、就学督責規則を定めるものとし、その規則は府知事県令が起草して文部卿の認可を受けることとした。 (3)学齢児童を学校に入れず、また巡回授業にもよらないで別に普通教育を授けようとするものは郡区長の認可を要し、郡区長は児童の学業をその町村の小学校で試験させることとした。 (4)小学校の年限は三か年以上八か年以下とし、授業日数は毎年三二週間以上とし、授業時間は一日三時以上、六時以下とした。13)http //wwwwp.mext.go.jp/v100nen/index-22.html\#ss2.2.2.2 この後一貫して、戦前のみならず、戦後も含めて、教育の国家的な教育制度は政府の強い統制下に置かれてきた。しかし、当初においては、地方の実情にあった教育のあり方を許容した姿勢もあったことは、極めて興味深い。また、就学義務ではなく、家庭教育のような形態も容認していたことは、銘記されてよい。 日本には教育を権利として把握する考え方はなかったのだろうか。 明治22年に制定された大日本帝国憲法は「臣民権利義務」という章があるが、そこには「教育」の規定は存在しない。国民の三大義務とされる「兵役・納税・教育」というのは、憲法的には前二者のみ規定され、教育は勅令によって規定されている点で位相の違う概念・制度であった。 日本の内的な思想の発展として権利概念が発達したとはいえないが、しかし、教育が人を育て国を作るという意識は古くから存在した。江戸時代の識字率が当時の世界で最も高かったことは、欧米の研究者によって明らかにされた。(ドーア『江戸時代の教育』岩波書店) 戊辰戦争における「米百表」の言葉は、小泉潤一郎首相が広めて大衆化したが、教育界では以前から有名な逸話であった。米百表の考えは日本社会に強く根付いていた感覚であったといえる。そして明治維新後から始まった自由民権運動はそれ自体が教育・学習運動であった。第一次大戦後の大正自由主義の時代に自由主義教育がさかんになり、多くの学校が作られたのも重要な事実であった。 そのような権利意識をもった教育論があったとはいえ、やはり総体としては戦前の教育は義務意識を涵養し、出世のための手段と考えられ、次第に軍国主義的な色彩に染まって行った。戦後のアメリカによる教育改革は日本に権利としての教育という考えをもたらしたが、どの時点でそれが日本社会に根付くようになったのか、あるいはまだ根付いていないのかはそれぞれの世代の教育感覚を検証してはじめて明らかになるかも知れない。 日本国憲法は、26条で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と規定し、この権利を充足させるために、保護者にはその保護する子女に、普通教育を受けさせる義務を負わせ、国地方公共団体には、教育条件を整備する義務を追わせている。 憲法改正の最初期の私案とされる松本案(昭和21年1月4日)では、権利は帝国憲法よりも簡略であり、http //www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/058c/058ctx.html 教育については何も触れていない。 昭和21年2月14日に出された「東京帝国大学憲法研究委員会」の文書では、具体的に記されていないが、権利として付加されるべきものとして、「教育に関するもの」が提起されている。 政府がGHQに提出した憲法改正要綱においても、教育については触れられていない。http //www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/074a/074atx.html 昭和21年2月に出されたいわゆるマッカーサー草案で、はじめて、教育や子どもの福祉に関する規定が現れる。 Protect and aid expectant and nursing mothers, promote infant and child welfare, and establish just rights for illegitimate and adopted children, and for the underprivileged; Establish and maintain free, universal and compulsory education, based on ascertained truth; Prohibit the exploitation of children; http //www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/147/147tx.html これを受けて政府は3月に草案を閣議決定し、GHQに提出した。いくつかの修正文書があるが、3月2日の「入江文書」として保管されている文書に、現行の条文に似た文言がでている。 第二十三条 凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ能力ニ応ジ均シク教育ヲ受クルノ権利ヲ有ス。 凡テノ国民ハ法律ノ定ムル所ニ依リ其ノ保護スル児童ヲシテ普通教育ヲ受ケシムルノ義務ヲ負フ。其ノ教育ハ無償トス。http //www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/088/088tx.html このような制度によって、日本国民はほぼ100%が義務教育を受けているだけではなく、95%以上が高校教育を、また半数が高等教育を受けている。 国際的にも「教育を受ける権利」は条約として規定されていった。「世界人権宣言(1948年12月10日、第3回国際連合総会採択)は、第26条で次のように規定している。 1 すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。初等教育は、義務的でなければならない。技術教育及び職業教育は、一般に利用できるものでなければならず、また、高等教育は、能力に応じ、すべての者にひとしく開放されていなければならない。 2 教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国又は人種的若しくは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を促進するものでなければならない。 3 親は、子に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。
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前章で見たように、日本の法律では国民は教育を受ける権利があり、子どもの保護者は保護する子どもに教育を受けさせる義務がある。では、「教育をする権利」は誰かにあるのものなのだろうか、あるいは、そのような権利は論理的にも、法律上もないのだろうか。それとも論理的には存在するが、現在の日本の法体系上は存在しないのだろうか。 教育に対する要求は多様である。多様であるという意味は、親が子どもの教育に対する要求としても多様であるし、また社会が未来の市民に対して求める要求も多様であるという点で、存在形態そのものが多様であり、かつひとつの存在形態の中でも多様であるということになる。 そうであるとするならば、どのような教育を受けるのか、誰かが選択し、決定する必要がある。その選択・決定権は誰にあるのだろうか。 また教育に受ける側にとってだけ問題なのではなく、もちろん教育を行う側にとっても、権利や権限は大きな問題となる。自分が理想とする教育を実現する権利は、誰にもあるのだろうか、それともそういう権利はないのだろうか。 日本はこれまで「教育をする権利」の意識は極めて薄弱であった。教育をするのはもっぱら国家の事業であるという意識が国民の中にも強かったのである。しかし、教育に対する要求が多様化するに従って、国家が教育を請け負う制度ではそうした多様な要求に対応できないことが次第に意識されてきたと言える。そういう中で、近年注目すべき改革が行われ、「教育をする」ことが自覚的な市民の現実的な課題となってきたのである。 2002年に「構造改革特区制度」にむけて大きく前進するようになり、様々な分野でのこれまでの規制が緩和される方向がとられたのだが、教育についてもさまざまなことが緩和されるようになってきた。 1 構造改革特区について 平成14年10月11日 構造改革特区推進室 [特区において実施する特例措置(別表1関連)] 5.教育関連 (1)地域の特性とニーズに応じた多様な教育を提供するために、市町村による社会 人等の教員への採用、授業を英語で実施することや小中高一貫教育等多様な教育 カリキュラムを認める特区 (特例措置) ○ 学習指導要領によらない多様なカリキュラム編成(研究開発校制度の特例) ○ 市町村負担による独自の教員の任用(市町村立学校職員給与負担法) ○ 市町村の申出に基づく教員免許授与手続きの簡素化(教育職員免許法関連) (2)不登校児童生徒を対象とした新しいタイプの学校の設置と教育課程の弾力化を 行う特区 (特例措置) ○ 学習指導要領によらない多様なカリキュラム編成(学校教育法関連) ○ 学校設置に係る校地・校舎の自己所有原則の緩和(私立学校法関連) (3)幼稚園と保育所の一体的運用等を促進する特区 (特例措置) ○ 幼稚園入園年齢制限の緩和(学校教育法) ○ 幼稚園と保育所等の教育・保育活動の一体的運用(幼稚園設置基準関連) (4)大学設置認可に係る校地面積基準を緩和することなどによって大学・大学院の 設置等を促進する特区 (特例措置) ○ 大学の校地面積基準の緩和(大学設置基準関連) ○ 専門職大学院を設置する学校法人設立の際の校地・校舎の自己所有要件の緩和(私立学校法 関連) そして実際にこの緩和措置を利用して、これまで不可能である考えられていた学校設置が、市民にとって可能性が出てきたのである。 いくつかの動きを紹介しよう。 シュタイナー学校は、特別の教育理念をもった12年制の学校である。そして教育方法は特別なものがあり、教育内容も日本にはないようなものがある。特に大きく特色は最初の8年間を一人の担任教師が「基本授業」をうけもち、だいたい一月単位で同一科目を扱うというのがある。このことを厳格に行えば、学習指導要領に合致しないと言われる可能性が高いわけである。そして学年の区切りも日本の学校制度と異なっているから、日本の法律体系に合わせてることが難しいと言われてきた。 しかし、シュタイナー教育の理念に共鳴する人たちは、正規の学校ではなくてもなんとかその理念で子どもたちに教育をしたいという運動を重ねてきた。そして、土日のクラスや不登校の子どもたちを扱う教育機関として運営されてきたが、規制緩和の動きに合わせて、今正規の学校として認可されるためのステップを踏み出したといえる段階にきている。まだ学校教育法上の学校として認可された学校は存在しないと思われるが、ふたつの学校のあゆみをホームページから紹介しよう。 東京シュタイナーシューレ 1982年 4月 シュタイナーハウス(現「日本アントロポゾフィー協会/シュタイナーハウス」)発足 1987年 4月 東京シュタイナーシューレが新宿区大久保シュタイナーハウス内に誕生 1987年 8月 国際自由ヴァルドルフ教育連盟に登録 1988年 4月 2クラスになるとともに新宿区喜久井町に校舎移転 1991年 10月 新宿区落合に第二校舎設置 1993年 1月 全クラスが三鷹市井の頭の新校舎に移転(5学年4クラス) 1997年 3月 国際自由ヴァルドルフ教育連盟代表シュテファン・レーバー氏を迎えて十周年を祝う 1997年 8月 三鷹市牟礼校舎に移転 2001年 11月 特定非営利活動法人として東京都に認証を受ける *12)http //www.steiner-schule.or.jp/pub/profile.htm 京田辺シュタイナ-学校 1994年 就学前の子どもを持つ母親を中心に,親の勉強会が始まり,そこから「シュ タイナ-学校設立を考える会」がうまれる。 1995年 シュタイナ-学校設立の第一歩として,1年生クラスと23年生合同の2ク ラスを「土曜クラス」として始める。会報「プラネッツ」を創刊。 1998年 2001年の「全日制クラス」の開校をめざして,会の名称を『京田辺シュ タイナ-学校設立準備会』と改める。 1999年 「土曜クラス」が1年生から7年生まで全7クラスとなる。 2000年 NPO法人格を取得し,会の名称を「NPO法人京田辺シュタイナ-学校」 と改める。 2001年 4月『全日制クラス』開校。*13)http //school.kyotanabe-steiner.jp/school-01.html これまで日本では、独自の教育理念によって学校を設置し、教育をしたいと考えると、私立学校を設立する道があった。しかし、私立学校を設立するためには、学校法人を設置し、(かなり厳格な条件が定められている。)設置基準として標準化された校舎、図書、体育施設、実験施設、教職員など、実に多岐にわたる基準をクリアして初めて認可される仕組みになっていた。 日本の学校はヨーロッパの学校と違って、体育や芸術教育を対規模に行うので、そのための施設がかなりたくさん必要となっている。そして、大きな校庭なども必要だから、「土地」取得だけで莫大な資金が必要となり、これまで私立学校を設立するのは、非常に大変だったのである。私立学校が宗教的な色彩をもつ学校が多いのは、決して宗教団体だけが学校を設立する意欲をもっていたのではなく、資金を提供できるのが宗教団体が多かったからである。 ところが、この間、不登校の生徒が通う自由な教育を行う塾のような教育機関にいっていても出席扱いするなどの柔軟なやり方がとられるようになり、また、校地の取得について、「所有」ではなく「貸借」でもよいとするなどの緩和策が段階的にとられてきた。そして先の構造改革特区の制度ができて、こうしたフリースクールやアメリカで生まれたチャータースクールなどのような学校もできる可能性がでてきたのである。 しかし、こうした学校が学校教育法に規定された私立学校と同一の資格をもつものとされるには、まだ道のりがあると言える。それは社会の受け入れの問題である。 大学の入学資格が正式に認められるかどうかの問題が関わっている。 大学は以前は、学校教育法上の「高校」を卒業したものでないと入学資格がないものとしていた。しかし、現在ではほとんどの大学が、外国で教育を受けた者なども考慮して、12年間の教育を受けたことを基礎資格とし、外国人学校や外国の学校の卒業については、個別に認めるかどうを判断している。朝鮮学校について、以前は受験を認めない大学が少なくなかったが、現在では多くの大学が受験を認めるようになった。 他方、日本の大学受験に対しては、「大検」という世界的に珍しい制度があり、正規の高校に通学していなくても受験資格を受けられる制度があった。朝鮮学校に通っていた生徒は、大検を受験することで、大学受験資格をえていたのである。従って、これらのフリースクールが学校教育法上の学校としての資格をえなくても、その生徒が大学受験の機会をえることは以前から可能であった。しかしこのような制度は、原則的・論理的には合理性を欠くともいえる側面がある。
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この講義は、現代の学校の主に制度的な側面を扱う。しかし2005年度から教職科目ではあるが「教育行政学」(3年生科目)という講義が新設されることになったので、重なりを避ける必要があるので、「現代学校教育論」は、「制度」における「法規的側面」と人間の定型的な「行動的側面」のうち、主要に後者を扱い、前者は「教育行政学」で扱うことにした。例えば、「教育を受ける権利」の問題を扱うときに、「現代学校教育論」では、教育権が争われた「具体的な事例」を素材にして、そこにある考え方や人々の対応について考察し、「教育行政学」では、法律論的な権利論の歴史的かつ現代的な紹介・分析を行うという分担である。「教育行政学」は教職科目であるので、教員採用試験を受験する学生を考慮して、「教育法規」という科目に対応させる必要があり、このような分担にしたものであるが、更に、「法」は、「まず法ありき」ではなく、人々の行動およびそこに生じる争いがあり、その争いを裁く原理が求められるのが「順序」であり、そういう意味で最初に「現実」を扱うのが妥当だと考えられる。 人間科学部の学生の多くは人間の心、つまり「個人」のレベルに関心をもっているが、個人はまた社会の中に生きており、個人が集まって集合体となると、そこに独自の行動様式や価値観が生まれると言ってよいだろう。個人と社会の関係に関する詳細な検討はここでは行わないが、例えばほとんどの学生は「嫌々ながら」受験勉強をしてきたに違いない。個人の価値観としては「受験勉強」に重きを置かないとしても、受験のために勉強せざるをえず、そのような行動をとり、そこになんらかの自分への納得をする根拠を求めるのが普通である。もちろん個々の対応は多様であるが、社会の価値観が個人に迫ってくることは否定できない事実として認めるだろう。学校教育に関するそのような側面を、「現代学校教育論」では扱う。人間科学部の学生の多くはむしろ「苦手」な領域と考えられるが、じっくりと個人と社会の関係について取り組んでほしいと思う。 さて、現代の教育の制度を扱うといっても、漠然としているから、もう少し限定しておこう。制度といっても、時代によって制度の背景にある「理念」は異なるが、現代においては「制度」とは基本的人権の実現のために、社会が組織する法的規定を軸とした仕組みのことである。従って、教育制度は「教育権」の実現きための社会的システムをさしている。もちろん、それはあるべき姿としての制度であって、すべての制度が「権利の実現」のためにあるわけではなく、権利の抑圧のための国家的な制度も存在するのだから、単純に「権利の実現」のためのシステムとは言えないが、しかし、そうしたシステムであっても、表向きは「権利の実現」という説明をせざるをえないのが現代社会であるとも言える。従って、ここでは「教育学」が「価値」的志向をもっているということと合わせて、(「臨床教育学」参照)「教育権」の実現のための学校制度の構造を考察することを、この授業の目的として設定することができるだろう。 本論に入る前に、「教育権」の構造について説明をしておく必要があるだろう。 教育は「教える行為」と「教わる行為」とで成り立っている。もちろん、「自己教育」や同じ意味で使われる「学習」という言葉があるから、「教える行為」はなくても、「教育」は存在しうる。しかし、通常制度としての教育制度は、教える教師と教わる生徒・学生とが、別の位置で存在している。従って、「教育権」は教える側の権利・義務と教わる側の権利・義務とが中核となり、それらを保障する存在(国家・親)等の義務が脇を固めるように構造化されている必要がある。 しかし、日本国憲法では「教育権」の全般的な規定はなく、国民が「教育を受ける権利」を有することと、保護者が子女に法律に定める普通教育を受けさせる義務を負うことを定めているに過ぎない。権利の構造については、かなりあいまいである。 日本国憲法は26条で次のように規定している。 第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 ○2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 そこで、この講義では、教育権の構造、あるいは、教育権が実現するためには、どのようなことが必要であるのか、具体的な事例を材料として考察することにする。 第一に、「教育権」とはどのような権利なのか。日本国憲法でも規定されている「教育を受ける権利」に加えて、欧米では「教育をする権利」が重要な構成要素となっている。しかし、日本では「教育をする権利」は実定法レベルでは認められておらず、私立学校を設立することはできるが、権利の実質にはほど遠い。 ここで規定されていることは、「教育を受ける権利」であり、それ以外はその保障の主体の義務について規定されているのみである。つまり、「教わる行為」に関する権利が規定されているが、「教える行為」に関する規定はない。また、保護者については「義務」が規定されているが、「権利」は規定されていない。これは、基本的に日本国憲法の教育権規定の欠陥と考えておく必要がある。 つまり、教える行為を行う教師やそのための組織である「学校」の権利・権限が、教育権の一環として考察される必要がある。もちろん、これは現行規定に存在しないから、あくまでも論理的な検討になる。 更に、保護する子どもに教育を受けさせる「親・保護者」の権利についても考察する必要があるだろう。そうして後に、教育を受ける権利を保障するための、様々な主体の義務について明確にすることが、求められる。以下の章は、そのように構成される。 {制度とは何か} 制度とは何か。これは意外と難しい問題である。 ブリタニカ国際百科事典は次のように説明している。 学習すべきことの規範的な妥当性が、社会的に認知されているものとして認知されるような行動様式。制度は規範的な拘束力をもって諸個人に働きかけ、しばしばこれに合致しない行動を取る個人には、制裁が加えられる。諸個人の思念から独立した、社会的な実在として現れるところに、制度の重要な特徴がある。 大辞林では、こうだ。 社会における人間の行動や関係を季節するために確立されているきまり。また、国家・団体などを統治・運営するために定められたきまり。 マイペディアはこうだ。 社会内で規範として確定された行動様式の体系。伝統社会は習俗としての制度が自明的に安定している社会であるのに対し、近代社会では、制度が明文化されて法や組織に構築され、一方、内面的規律としての個人倫理が生まれる。さらに大衆社会においては制度に持続性がなく、制度の融解現象が起こる、といわれる。 三者三様である。近代の制度は、法などの規則によって制定されることが多いが、法そのものが制度であるわけではない。大辞林はこのレベルでの説明になっているが、他のふたつのように、通常、人々の行動を一定の様式に拘束するものが制度であるとされる。逆に、一定の行動様式が制度ともいえる。 そうすると、規則と行動様式の間に乖離が生じることが、少なくないのが社会である。教育の世界でも、「体罰」は日常的に見られるが、明治以来、体罰が法的に許容されていたことはない。ずっと体罰は法的には禁止されているのである。つまり、法と行動様式の間に明らかに齟齬がある。法は公認された規範であるから、通常は守られる。法と制度の間には矛盾がある不自然である。とくに、民主主義社会であれば。しかし、このように、法規範と実際の人間の行動様式には、相違が生じるわけである。 したがって、制度について学ぶ場合には、常に、法などの拘束的規範と、実際の行動様式のずれを意識する必要がある。 特に、日本においては、法のような規定は、ある種の理想を掲げ、必ずしも守られることを想定していないという場合もある。これは、欧米との法意識の相違として、よく問題になるところである。 憲法や教育基本法が、現実と、大きくずれても、それほど問題にされないのは、そうした日本人特有の意識によるかも知れない。 体制の整備 条件整備 教育内容・教育財政(教育費)・教師・設備 整備する組織形態 学校・地域・自治体・国 問題論 価値・選抜
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教育行政・教育法とは何か 教育とは何か 教育法とは何か 教育行政とは何か 憲法・教育基本法 教育権の歴史的概観 憲法・教育基本法の原理 教育を受ける権利 「能力に応じて」と「ひとしく」の問題 基本的人権と教育 教育基本法の構造 教育基本法の条文解釈 教育基本法改正をめぐる経緯 学校教育法と就学義務 就学義務 就学援助・就学管理 就学免除・就学猶予 学校と教育法 学校の設置と認可 学校運営及び管理 文部科学省 教育委員会 通学区管理 学校運営 教育財政 教育財政の法? 設置者負担主義? 地方自治・分権と国庫補助? 教育課程 教育課程の編成 学習指導要領の法的性質 教科書 補助教材 著作権と教育 教師の法制 全体の奉仕者 教師の分化 教師の資格 教師の任用 教師の研修 生徒・学生の法制 生徒・学生の法的地位 生徒・学生の権利 学校事故の法律問題 安全に対する基本問題 学校事故の責任・補償 過失責任主義と無過失責任主義 外部侵入者への対応 いじめの法律問題 いじめと法律問題 懲戒の問題 懲戒の目的 懲戒対象と校則 適正手続と生徒・学生の懲戒 教師の懲戒 体罰事件 教師の刑事責任 [[]] [[]] [[]]
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学校は教える教育内容を通常もっているものであり、国家的な教育制度であれば国全体として教えられている内容がある。それが基準となっているかどうかは国によって異なるし、また基準の内容と現場で実際に教えられている内容にはずれがあるのが普通だが、基準の問題は重要な論点を含んでいる。 学校教育の目的はそれぞれの学校に応じて学校教育法で定められている。小学校については まず旧規定を見ておこう。 第17条(教育の目的)小学校は心身の発達に応じて、初等普通教育を施すことを目的とする。(中学は35、高校は41条) 第十八条 小学校における教育については、前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。 一 学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。 二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。 三 日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。 四 日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。 五 日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。 六 日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。 七 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。 八 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。 第十八条の二 小学校においては、前条各号に掲げる目標の達成に資するよう、教育指導を行うに当たり、児童の体験的な学習活動、特にボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の充実に努めるものとする。この場合において、社会教育関係団体その他の関係団体及び関係機関との連携に十分配慮しなければならない。 (旧学校教育法) 対応する中学校の部分は以下の通りである。 第三十五条 中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、中等普通教育を施すことを目的とする。 第三十六条 中学校における教育については、前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。 一 小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。 二 社会に必要な職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。 三 学校内外における社会的活動を促進し、その感情を正しく導き、公正な判断力を養うこと。 (旧学校教育法) ところが教育基本法改訂を経て、改訂された学校教育法では、この部分が構成も含めて変化した。 新法では、義務教育の目的と内容が合わせて説明されている。 第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)第五条第二項 に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。 二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。 三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。 四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。 五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。 六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。 七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。 八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。 九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。 十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。 そして小学校と中学校の部分については、内容規定は省かれている。これは、小学校と中学校の内容の統一性を図るだけではなく、近年顕著になってきた、小学校と中学校を統合したり、統合した上で年数の区切りを変更したりすることを、より容易にする措置であるも考えられる。 となっている。具体化する「教科」については文部科学大臣が定めるとしており、具体的には学校教育法施行規則によって次のように定められている。 学校教育法施行規則 第五十条 小学校の教育課程は、国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭及び体育の各教科(以下この節において「各教科」という。)、道徳、特別活動並びに総合的な学習の時間によつて編成するものとする。 2 私立の小学校の教育課程を編成する場合は、前項の規定にかかわらず、宗教を加えることができる。この場合においては、宗教をもつて前項の道徳に代えることができる。 第七十二条 中学校の教育課程は、必修教科、選択教科、道徳、特別活動及び総合的な学習の時間によつて編成するものとする。 2 必修教科は、国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技術・家庭及び外国語(以下この条において「国語等」という。)の各教科とする。 3 選択教科は、国語等の各教科及び第七十四条に規定する中学校学習指導要領で定めるその他特に必要な教科とし、これらのうちから、地域及び学校の実態並びに生徒の特性その他の事情を考慮して設けるものとする。 なお高校については普通科や職業科など多様な類型があるのでひとつの条文によって規定されているのではなく、表で示されている。(詳細は六法参照) より具体的な教育課程の編成については、まず「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第23条によって、「5 学校の組織編成、教育課程、学習指導、生徒指導及び職業指導に関すること。6 教科書その他の教材に関すること」が教育委員会の職務権限であることが示され、更に同法33条が次のように規定している。 第33条(学校等の管理) 教育委員会は、法令又は条例に違反しない限度において、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編成、教育課程、教材の取扱その他学校その他の教育機関の管理運営の基本的事項について、必要な教育委員会規則を定めるものとする。(略) 2 前項の場合において、教育委員会は、学校における教科書以外の教材の使用について、あらかじめ、教育委員会に届け出させ、又は教育委員会の承認をうけさせることとする定を設けるものとする。 最後の規定については文部省通達で、すべての教材に関するものではないという断りがあるが、この規定によって、補助教材等も届け出ることが法的には求められている。 教育委員会は学校管理規則を定めることになるが、教育課程に関わる規定の例をひとつあげておこう。以下の規則は小松市立の管理規則であるが、平成14年制定の新しいものである。ちなみに学校管理規則はインターネットで見られるものも少なくない。 (教育課程) 第9条 教育課程は,学習指導要領及び教育長の指示する基準に基づいて,校長が定める。 (教育課程以外の行事) 第10条 校長は,教育上有効適切であり,かつ,教育課程の実施に支障のない限り,教育課程以外の行事を行うことができる。 2 前項の行事のうち,教育長の指示のあるものについては,これに基づいて実施しなければならない。 (行事の承認と届出) 第11条 学校が,教育活動の一環として,宿泊を伴う行事(修学旅行,合宿訓練等)を行う場合は,あらかじめ教育長の承認を受けなければならない。 2 前項のほか,次の行事等を行う場合は,あらかじめ教育長に届け出なければならない。 (1) 遠足,校外学習,野外活動,校内マラソン等 (2) その他教育委員会が特に必要と認めるもの34)http //www.city.komatsu.ishikawa.jp/pre/reiki/reiki_honbun/ai10405921.html さて以上法令の定める構造を確認したが、これで分かることは、日常的な教育課程は校長の責任において各学校で定めるものであるということである。国家教育権論と国民教育権論が対立していた時代には、この点は明確に対立する争点であったが、現在は権限論に関してはその対立点はほぼ解消されている。 国家教育権説においては、教育課程は国家が詳細に定めることができるという立場をとっており、それは学習指導要領において定められ、教科書検定において実施されているとされていた。この論により近いものとしては、戦前の国定教科書制度がある。この論では学習指導要領は極めて詳細なものであったために、国民教育権論の立場では、教育課程の編成については国は「大綱的基準」に限定して定めることができるだけでなるとしていた。そして、文部大臣の権限は「指導助言」であり、教育課程の編成は各学校で行うと主張していたのである。 現在では学習指導要領そのものが非常に大綱的基準に近いものになっており、最低基準であるとされている。従ってこれに肉付けして教育課程を編成することが求められるのであり、学校の主体的な編成が重要になっているのである。
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序 現代学校教育論のはしがき 教育を受ける権利とは何か 教育を受ける権利の概要 永山則夫の場合 オウムの子ども 障害児の教育を受ける権利 教育をする権利はあるか 教育権の構造的理解 教師に教育の自由はあるのか 親の教育意思 学校評価 教育内容は誰が決めるか 伊那小学校実践の意味するもの 教育内容の自主的編成は不可能なのか 教育内容とは何か 教育内容を決めているのは何か、誰か 国家基準の実効性及びその確保手段 教育内容を巡るトラブル 部活動 教育費は誰が負担するのか 教育は無償か 教育費支払いの形態 公費と私費の関係 義務教育費国庫負担制度の改編問題 私立学校への財政補助 教育産業と教育費 教師の資質・資格は何か 教職は専門職か 教師の採用 教師の研修 教師の評価 教職免許更新制度をめぐって? 学校事故 学校の安全対策と学校事故 授業中の学校事故 部活での事故 休み時間等の事故 教師の生徒指導等による学校事故 教師に対する暴力 通学路 学校施設論 社会選抜と人生選択 日本の入試の競争的性格 多様な高校教育を保障するアメリカ 高度な学力を要求されるドイツ・フランス 日本の大学入試 特に私立大学を規定する要因 入試改革の諸側面 入試制度に代わるもの 教育的価値をどう扱うか 教育の中の政治 日の丸・君が代問題 忠誠の誓 所沢問題 日の丸・君が代 国民住民の意思をどのように形成するか 教育意思形成についての概略 文部科学省・国会 地方教育行政と教育委員会 学校運営協議会と学校評議会 学校選択の問題
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民法第820条には。「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」として、わが国における親の監護・教育権について規定している。
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22条1項 25条 1.条文と趣旨 2.法的性格に関する見解 3.朝日訴訟・堀木訴訟 26条 1.教育を受ける権利の意義(能力に応じて、等しく教育を受ける権利) 2.教育を受ける権利の正確(自由権的側面・社会権的側面) 3.教育を受ける権利の具体的内容・教育権の所在 28条 1.(1)労働基本権の趣旨・意義 (2)法的正確(社会権的側面・自由権的側面・私人間適用) 2.(1)争議権の意義と限界 (2)公務員の争議権の制限(全農林警職法事件:①職務の公共性 ②勤労条件法定主義 ③市場抑制力の欠如 ④代償措置の整備) 29条 31条 1.31条の意義・趣旨 2.31条には手続の適正、実体の法定、実体法の適正が含まれるか 3.31条の行政手続への準用の必要性・福祉主義との調和 4.判例(成田新法事件)