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【検索用 おにあそひ 登録タグ 2018年 VOCALOID △○□× お 曲 曲あ 鏡音リン 鏡音レン】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:△○□× 作曲:△○□× 編曲:△○□× 唄:鏡音リン・レン 曲紹介 曲名:『鬼遊戯』(おにあそび) ヒューッ!リンレン!(作者コメント転載) 歌詞 (youtubeより転載) 色分け:鏡音リン、鏡音レン 白く細い指先で 鬼(しょうねん)は私の輪郭(かた)をなぞる 何も知らぬ行き先は 帰れないとそっと息ひそめる 朱く染まる夕刻に 瞳誘う鬼(しょうじょ)は手を招く 永遠を濯ぐ幽谷は 恥知らずな僕の頬染める 鬼さんこちら手の鳴る方へと誘って 心臓に火をくべるその手を離さないで 逢 駆け引き 自慢の愛想を振りまいて 貴方と生きたい どこへ行くの? 遥か夢へ 吹き止まないで追いかけて熱嵐 私が残す足跡をとおりゃんせ 舞い上がる花弁の影が僕を隠す 惚れたら負けよ 競うは鬼遊戯(おにあそび) 門に座る猫曰く ─少年ガ抱クハ大志ノミカ? 真見えぬ口先は 僕に宛てた恋文と解く 無垢な東風が語らうは ─命削ル少女ハ恋ヲスル? 嘘を掃うつま先に 私の心は火花散らす 鬼さんこちらお足元には気をつけて 心臓を灯す揺らぐ焔よ消えないでいて 相反する 欺瞞も嫉妬も愛しくて 貴方が欲しいの どこがいいの? お好きなように 鳴り止まないで追いついて熱嵐 ほのかに薫る細道をとおしゃんせ 撃ち抜いた詭弁の数が糸を手繰る 惚れたら最期 争(きそ)うは鬼遊戯 期待 慕いだけ 撓い 操舵して 図る戦略も 月に囚われ水泡に帰す 鬼さんこちら手の鳴る方へと誘って 心臓に火をくべるその手を離さないで 逢 駆け引き 自慢の愛想を振りまいて 貴方と生きたい どこへ行くの? 遥か先(ゆめ)へ 吹き止まないで追いかけて熱嵐 私が残す足跡をとおりゃんせ 舞い上がる花弁の影が僕を隠す 隙だらけなの 続くは 鬼遊戯 勝ツモ負ケルモ時ノ鬼(きみ) コメント 名前 コメント
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野試合SS・空母その2 「ふむ…成る程、海か…そしてここは所謂空母と言うやつなのだな」 迷宮時計により空母の艦橋へと転送された早百合は窓から周囲を見渡しながら一人呟いた。 グンマーには海がない、それどころか「日本で最も海から遠く離れた呪われた地点」すら存在する。 言わばグンマーは海から拒絶された魔境の大地なのである。 それ故にグンマーの人間である早百合について 「もしかしてこいつ【海】が何なのか知らないのでは?」等と思われる方もいるだろう。 確かに一般的なグンマーの市井の者はどこまでも広がる【海】という存在を知らない、或いは 耳にした事があってもそれを御伽噺か何かだと思い込み、実在する事を信じていない者が大半であり 実際に【海】を目の当たりにすれば驚愕し、立ち尽くし、精神の弱いものであれば発狂しかねないであろう。 しかし早百合の様な上毛衆の人間であれば様々な状況 (他県での活動、グンマーの他県への勢力拡大、海を広げる魔人能力者によるグンマーへの侵攻、等) を想定して海に関する知識や海上及び船上での戦闘訓練等の対策は充分に習得済である為そういった心配は無用なのだ! ちなみに全くの余談ではあるが「海は広いな大きいな」の歌いだしで知られる「海」という童謡は 作詞者、作曲者が共にグンマー出身である事から分かるように 元々はグンマーの民が初めて海を見たときに発狂しないための呪術なのだ。 話を戻そう。 早百合は周囲の確認を続ける。 「戦闘領域は空母から周囲100m以内…飛行機で戦闘領域から離脱せずに戦うのはたぶん難しいだろう、 飛行機の操縦はやったことが無いから、相手が操縦できて一方的に攻撃されるという事がないのは助かるのだ」 早百合は顎に手をあて、ふんふんとうなずき思考を続けながら視線を飛行甲板へと向ける。 「…そもそもこの状況で飛べる飛行機があるか怪しいのだがな」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 「ゲホッ!ゲェホッ!なんだかここ空気悪くねえか?」 「確かに淀んだ感じするね」 空母の船員室へと転送された希保志遊世はやや大げさに咳込みイオに話しかけながら窓を開こうとする。 が、窓の外が黒い煙で完全に覆われてるのを見て遊世は諦めため息をついた。 「このすぐ上に物凄い大きい…ダクト…?みたいなのがあってそこから煙が出てるみたいだねー」 イオは空母の外へと浮遊し、側面を眺めながらそう言った 彼女はこの世界の空気を必要としないためか、やや人事のようである 遊世は海の様子をイオに尋ねてみたが煙のせいで殆ど何も見えず 分かったのは外はもう日が暮れているという事だけだった。 「ぅおえっげほっゲホ!畜生、この船は船員を殺すために作られたのか!? だいたいさっきから揺れも大きいし、この船員室も傾いてるような気―――」 遊世の愚痴は突然の轟音によってかき消され、同時に船室が大きく揺れ 世界がひっくり返ったような衝撃を遊世は感じた。 「おいおい、まさか敵はもう仕掛けてきたってのか!?イオ!そっちの様子を見てくれ!」 「オッケー!まかせて!」 遊世が船員室の外の扉を指すとイオは意気揚々と扉をすり抜け 船内の様子を探り1分も経たないうちに再び遊世の元へ戻ってきた。 「どうだ?」 「遊世!ところどころに倒れた――多分死んでる船員がいる!でもパッと見た感じでは 近くに生きてる状態の人は居ないみたい。それと一部の防火扉が塞がってる」 「げえ、火災発生してんのか。さっきの爆発みたいなのもそれか?空気が悪いのもそのせいか?」 「っていうか空母な訳だから普通に戦闘してるんじゃない?」 「その割にはちょっと静かじゃないか?」 「うーん、もうこの船は戦えないくらいコテンパンにやられて、船員はもう逃げた後とか?」 「そう!俺もそう思ったところだ!意見が合うな!」 「あーはいはい。あたし達はベストパートナーですからね」 あきれるイオを尻目に遊世は自分の鞄を探り中からガスマスクを取り出し装着する。 「こんなチャチなマスクでどの程度防げるんだかわからないが 無いよりゃずっとマシだろ、持ってきて良かったぜ」 「それでどうしよっか?多分この船は今は戦闘してないから即座に沈む事は無さそうだけど さっきの様子だと何時まで持つかも分からない感じっぽいよ?」 「ま、とりあえずは索敵しつつ船内探検しつつ船内経路の確認ってところかな 頼りにしてるぜ、イオ」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ そして20分程の時間が過ぎ特にこれといった収穫の無いまま 遊世と早百合は空母内の食堂で邂逅した 「名前を知ったときにそうじゃないかと思ったが その格好そしてネギなんか持ってるところから察するにお前やっぱり上毛衆か!」 「ほほう、上毛衆を知っているのか、お前は何者なのだ?」 「はは、俺はただのしがないトレジャーハントゥあっはー!?」 得意げに話す遊世目掛け突如早百合はカード状の物体を投げつける! 食堂の空気を切り裂き高速直進飛来するそれは上毛カルタだ! 遊世は素早く屈み込みこれをかろうじで回避。 「おいおい!人が喋ってる最中に戦闘開始かよ!」 「ヌルい事言ってる場合じゃないでしょ!相手がやる気な以上こっちも本気を出すしかないよ遊世!」 「それもそうなんだがなっと!」 遊世は立ち上がると同時に右手で投げナイフを投擲! 早百合はサイドステップで回避、そこに遊世は更に先ほどとは逆の左手でナイフ投擲! 早百合は手に持った下仁田ネギでこれを防御する。 「なあなあ、折角だから聞かねえか?なんで俺が上毛衆について知ってるかって事をさ!」 遊世は腰につけていた鞭を構える 「ドンドン話してくれても別にアタシはかまわないのだぞ? ただしアタシは攻撃の手を緩めるつもりは無いのだ!」 早百合は下仁田ネギをくるくると回したのち、遊世の方に突きつけてそう言った。 両者はお互いに近接武器を構えながらにらみ合いを続ける 二人の間には二つの長い机が存在し、直線的に接近する事は出来ない。 「…よし、それじゃあ話してやるよ!耳をかっぽじってよく聞きな!椅子!」 「あいよ!」 遊世は突如自分の目の前の机の上に飛び乗り、早百合を指差しながら叫ぶ。 それを聞いたイオが早百合の元へと素早く移動すると食堂中のパイプ椅子が イオ達の元へと引き寄せられ始めた! それに対して早百合は手に持ったネギを一度空中に軽く放り カルタを遊世めがけて4枚同時投擲、対する遊世は 鞭によって早百合に追撃を行おうとしていたが 動作を中断しジャンプでカルタを回避。 遊世が追撃出来ない状態である事を確認した小百合は素早く宙を舞うネギを手に取り 自分の元へと飛来する椅子に次々と打撃を加え破壊する。 一撃でパイプ椅子を破壊するとはなんたるパワー! 「むむむ、こうもあっさり凌いでしまうとはな、流石は上毛衆といったところか」 机の上で仁王立ちしながら遊世は早百合に語りかける。 破壊されたパイプ椅子はただの残骸でありパイプ椅子とは認識できない、 それ故にイオの能力はパイプ椅子を指定している限り破壊されたパイプ椅子を吸引できない。 「そう、何故俺が上毛衆について知ってるかだがな。 昔探検に行ったことがあるんだよ、グンマーに」 「なんといったのだ?お前のような余所者がグンマーを探検だと?」 「そうそう、なんてったっけ?なんかの山に巨大なムカデの化け物が居てさ そいつがなんでも別の山の化け物と争って手に入れた財宝を隠し持ってるって聞いてな、机!」 再び遊世の叫び声に合わせてイオが能力を使用する。 今度は食堂中の机がイオ目掛けて、早百合を巻き込むように飛来する! 遊世は机から飛び降りながら鞭を振う! 早百合はネギで鞭を防ぐが鞭はネギに絡み付いてしまう。 早百合はネギをしっかりと持ったまま蹴りで机を攻撃する 攻呪の「疾」使った速い蹴りだ!これにより椅子と同じく机を難なく破壊! そしてネギを思い切り一気に引っ張るとネギはヌルリと鞭を抜けた 「まあ、お宝を手に入れたは良いけど全長40mはあろうかっていう巨大ムカデが現れてさ、残骸!」 イオの能力により今度は先ほど破壊されたパイプ椅子と机の残骸が飛来! 早百合はこれをネギをクルクルと回転連続殴打破壊! しかし破壊された残骸は衝撃により一度は吹き飛ばされる物の、 勢いを失うと今度は再びイオの方に向かって飛来する! 「いっひひー、今度は壊しても無駄だよ~?」 早百合の耳元でイオが囁く ああ、このままでは少女の身体に無数のパイプ片や木片が突き刺さり 人間針刺しになってしまう!?なんとかならないのか!? 「くっこのままでは埒が明かないのだ、仕方あるまいなのだ!」 そう言うと小百合は突如抵抗をやめ直立不動となった。 ああ、観念してしまったのかやはり少女の身体に幾つもの穴が穿たれてしまうのか!! だがしかし!机と椅子の破片は彼女の身体をすり抜けるではないか! そうだ!これこそが早百合の使うグンマー呪術の真骨頂!! 外呪の「虚」玖の段の力なのだ!! (何!?破片がめり込んでも平然としてる!?いや、すり抜けたあ!?) そして更に外呪の「虚」玖の段は透過状態解除時に重なった物体を消失させる! これにより一瞬で多数の残骸が消滅! 更に早百合は身体の一部、主に右手に対して「虚」を小出しで使い 払い除けるように飛来する物体を消滅させていく (すり抜けるだけじゃなくて物体消去もできるのか、危険だな) 「イオ!一度戻れ!」 遊世の声に反応してイオは能力の使用を止め遊世の元へと移動する。 「まさかあれまで凌いでしまうとはな…」 「ところでお前、さっきの財宝の話について詳しく話してくれないか」 早百合はネギを構え警戒しながらも 今度は相手の話をちゃんと聞こうとしている様子であった。 その様子を確認し遊世は先ほどの話を再開する。 「ん?ああ、やっと話を聞いてくれる気になった? いやさ、財宝を取ったら巨大なムカデが襲い掛かってきてさ」 「まあ、多分守り神的な存在だったんだろうねー」 「俺は勇敢に立ち向かおうとしたんだけど、なんせ相手はでかくて強くってたまんなかったな」 「私達は殆ど防戦一方って感じだったよね」 「そこで暫くしたらなんとお前と同じ上毛衆のヤツが現れて こりゃいよいよやべえなって思ったんだけど なんかその上毛衆のヤツがムカデに襲われだしたんだよな」 「上毛衆でも襲われるもんなんだね、なんか糸を使って戦ってたけど」 「でまあ、これはチャンスって思って財宝持ってそそくさと逃げたって訳さ」 「……成る程…実はアタシと数人の上毛衆は半年ほど前に 赤城山の神が暴れだしたからそれを鎮めてくれと頼まれたのだ…」 「半年前!そういえば俺達がグンマーへ行ったのもそんくらいだっけかな…… えーと、……き、奇遇な事もあるもんだねー…」 「アタシ達は赤城山の神と、時には戦い、時には新しい供物を捧げ3日3晩寝ずに 儀式を執り行ったりしながらなんとか神の怒りを鎮める事に成功したのだ…が」 早百合のネギを持つ右手に力が込められる 「全部貴様のせいだったのか!!」 鬼のような形相で早百合は遊世を睨みつける 「ひい、勘弁してくれ」 「ふん、奇妙な運命のめぐり合わせなのだな、あの時に貴様らが暴いた山の名は 『赤城山』そしてこの空母の名前はどうやらその赤城山からとったらしく『赤城』というのだ 丁度良い、貴様の死体を赤城山の神への贄として捧げてくれようなのだ!」 早百合は遊世に向かって突進! 遊世は横に飛び込み前転し回避ししゃがんだ状態で 素早く振り向き二連続ナイフ投擲! 「そんな攻撃通用しないのだ!」 早百合はあっさり2本の投げナイフをネギで弾く 遊世は欧米式の手招き(手のひらを上にしてやるやつ)をする。 それを確認したイオが素早く早百合の元へと直進し食堂に残された 3本の投げナイフが早百合と重なったイオに向かって三方向から飛来! 「じゃあこういう攻撃はどうだ!」 早百合は左右から飛来する先ほど弾いたナイフのうち左側をネギで弾くが 右側のナイフは右腕に刺さる!左後方から飛来したもう一本のナイフも命中するが ぶつかったのは刃ではなく柄の部分であるためダメージは少ない。 「この程度の攻撃でいい気になるななのだ!」 早百合は3本のナイフを素早く「虚」を使い消去! 「ウヒョー、怖ええ!イオ一回下がろう!あ、カルタ上な」 遊世は廊下へと駆け出す 「そう簡単に逃がすか!なのだ!」 早百合はカルタを遊世の背中目掛け連続投擲 しかしその途中で天井付近を浮遊するイオの能力により軌道を上方へと逸らされ命中せず! 廊下に出た遊世たちはそのまま走り続ける 「おい、あいつスゲー不自然だったよな」 「左腕のこと?全然使わなかったよね」 「そう、それ!なんか常に庇うように戦ってたし絶対何か隠してるって」 「左腕……もしかして呪術的な意味があるのかも… 左は忌むもの。邪道に通じるもの。そういう概念はこっちの世界にも あっちの世界にも存在する。そもそも呪術の類を『左道』って言ったりするからね 左腕をなんらかの呪術に使う”奥の手”があるのかもね」 おお、なんと分かりすい分析と解説! まるで初めて聞くのではないかのようだ!! 「じゃあ次はその左腕を突いてみるとするか、だがまずは体勢を立て直して…」 「遊世!そんな悠長な事言ってる場合じゃないみたいだよ!もう追いついてきてる!」 「マジか!」 早百合は攻呪の「疾」捌の段を使いながら遊世を追っていた 「疾」は主に直線的な動きのスピードを強化する呪術であり、飛行する物体や 車輪等のついた物体ならともかく、人間の走行スピードを強化するのには あまり向いていないし、狭い艦内ではその効果をフルに発揮するのも難しい。 しかしそれでも普通に走るよりはずっとずっと速く走る事ができる。 「仕方ない、ここでやるかっとね!」 遊世は早百合の足音から距離を予想し、タイミングを合わせて 振り向き様にナイフを投擲し間髪入れずに前転接近を行う。 早百合はナイフを弾いて僅かだが隙が出来ている。 読み通り鞭を一発当てるくらいには丁度いい距離だ! 鞭が撓い空気を切る! 狙いは早百合の左腕だ!! 鞭は狙い通りに早百合の左腕に絡みつく、そして遊世は鞭を引き 早百合の左腕を強引に引き寄せようとする。 だがしかし、そこで全く誰も予想できなかったであろう、まっこと奇怪な事態が発生した!! な、なんと!早百合の腕は鞭が絡みついた部分から突如分断されたのだ! 多くの者にはたった今何が起こったのか理解するのは難しいと思われる為にここで解説を挟もう。 遊世が鞭で絡め取ったはずの早百合の左腕は造呪の「成」弐の段で生成された偽者であり 鞭に絡みとられるた瞬間にあっさりと破壊されてしまったのだ! 恐るべし、グンマー呪術!!解説、おわり。 「うえぉっ!?っとっと!」 遊世は思わず後ろへと僅かにバランスを崩す。 無論早百合はそのスキを見逃さない! (本当はもっと惹きつけてからやりたかったが仕方ないのだ) 早百合は駆け出し右手を遊世めがけて伸ばす 狙いは胸部だ!これがグンマーの力だ!! (あ、これやべえヤツじゃ…) 遊世は近づく右手に死を感じた。 感覚が鋭化し、早百合の死の手がゆっくりと近づいてくるのが見える しかし遊世の身体の動きはそれより遥かに鈍い、万事休すか!? (こんなにはっきり見えるってのに…何か、何か策はないんぐぉっ!?) 考えを巡らせる遊世の首に何らかの物体が衝突する強い衝撃が走る! さらにその物体は遊世を後ろへと押し続け、それによって遊世の上半身は 後ろへと大きく傾き、早百合の右手をすんでの所で届かない! (くっ逃がしてたまるかなのだ!) 早百合は一度足を踏み込み体勢を立て直してもう一度右手を伸ばそうとする。 しかし遊世は後ろへの勢いを生かし後方へと転進し距離を離し受身を取る。 「オウェっ!ぐぇっほ!おい、イオ!首に当てたせいで苦しいじゃねえか!うぇっけふ」 遊世は鞭を振い早百合の接近を防ぎながら嘔吐き、イオに大声で話す。 「ごっめん、ごめん!いやあガスマスクに当るくらいを 狙ったつもりだったんだけどまあ、咄嗟だったからね」 遊世の首に激突した物体、それは遊世が首からぶら下げた迷宮時計であった イオはその時計を遊世の背後から思いっきり吸引して無理矢理遊世を後ろへと引っ張ったのだ 「だがまあ…その、助かったよありがとう」 「お礼はこれを何とかした後にしよう!」 先ほどの右手の「虚」での攻撃を失敗してから 早百合は鞭の射程のギリギリ外から様子を伺っている そして意を決した彼女は右腕を前に突き出した、そしてその右腕を 遊世の鞭が打ちつけ鋭い音が鳴り響く!しかし、早百合は鞭で打たれると同時に 鞭を右手でガッシリと掴んだのだ!そしてそのまま「虚」を一瞬使い 鞭を半分程の長さにしてしまった! 「ああ、俺の鞭が!だがまあ新しい打開策は思いついた!こいつでケリをつけよう!」 そう叫ぶと遊世はクロックワークブランダーバスを素早く抜き、構える (銃か、流石に銃弾を避けるのは厄介なのだ) 早百合は身構える、狭い廊下で迂闊な動きをすればあっさり撃たれるだろう かといってじっとしててもいい的だ、どうする? そんな事を早百合が考えてると遊世は早百合にとって意外な行動に出た。 銃口を自分の真横に向けて、外の窓目掛けて銃弾を放ったのだ その銃弾によって窓は破壊されもうもうと煙突から流れる煙が艦内へと入り込んでくる そしてクロックワークブランダーバスは『主よ人の望みの喜びよ』の演奏を始める。 「煙幕頼む!」 遊世が叫ぶと窓からの煙はより一層早く艦内へと充満していく イオの能力によって煙を引き寄せているのだ。 そして遊世は投げナイフを早百合に投擲、そしてブランダーバスを ホルスターに素早く仕舞うと更に2連続ナイフ投擲! そしてナイフ投擲の勢いのまま素早くターンし廊下を走り出す! 早百合はナイフを右手にもったネギで全て軽々と弾いた 遊世の攻撃フォームに順応し、反応が早くなっているのだ 更に地面に落ちたナイフを念入りに足に「虚」を使い消滅させる。 「クソっもう時間稼ぎにも殆どなんねえな!とりあえず俺のすぐ後ろに煙幕張ってくれ!」 「オッケー、ところで遊世、何か策はあるの?」 「まあ幾つか無くはない…けど時間稼ぎがな…」 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 早百合は煙突の煙で出来た煙幕の中を慎重かつ大急ぎで進んでいた このまま相手を逃がしてしまえばまた何らかの小細工を仕掛け来るに違いない。 そして先ほどからどうも空気が悪いせいか少々気分が悪い 相手はガスマスクを装備してるため、空気の悪さは自分が 一方的に不利になってしまうと思われる。 だがその程度でへこたれる上毛衆ではない。 早百合はオルゴールの音色が近づいているのを感じる (追いつけたか?いやもしかしたら罠かも知れないのだ) 早百合は警戒心を一層強めつつオルゴールの音色に近づく すると不意に視界に飛び込んでくる物があった 「やあやあやあ!元気?」 遊世の相棒である重力妖精のイオである。 早百合はイオの能力を警戒しながらも、無視してオルゴールの音色を追う 「ちょっとちょっと!無視するの?無視は酷いんじゃない?」 イオは早百合の目前をチラチラと飛び回る 「鬱陶しい、やめるのだ」 早百合は手で払う動作をするが透過するので意味はない 相手のペースに飲まれないように警戒しつつ前進を続けると 次第に煙が晴れてきた。 (そういえばこの妖精の周りに煙がないという事は今は能力を使ってないという事なのか?) 「探し物はこいつか?」 ぼんやり考え事をしていた早百合の前に遊世が自分から姿を現した 手にはクロックワークブランダーバス持って早百合に見せるようにつまんでひらひらと動かしている そして遊世と早百合の再開と丁度同じくしてオルゴールは演奏を終了させた 「どうした?ピーピーと逃げ回るのはやめたのか?」 (絶対何かがあるはず…) 「ちょっと!遊世は逃げる時にそこまで情けない泣き声を上げないわよ」 早百合の耳元では先ほどからイオが何やらぶつくさ言っている 「まあ、そうだな覚悟を決めた。って所かなこっから正々堂々とした勝負をしようかと思ってね」 「うそ臭いのだ!絶対に嘘なのだ!」 「相手が逃げるのやめて正面から来たのに、それを信じないなんて人間不信なんですねー」 (この妖精はなんだか急にやたらと悪口を言うようになってきのだ 何故なのだ?まさかこうやって挑発するだけが策だとでも言うのか?それなら楽なのだが…?) 「まあいいのだ、お前達が何かの策を持ってようと持ってまいとこれで決着をつけようなのだ!」 早百合はそう言いながらカルタを一度に5枚投擲! 片手で5枚の殺傷力のあるカルタを同時投擲するのは上毛衆でも かなりの技術が必要だ、いわばこれが彼女の本気! 遊世はそのうち一つを軍用ナイフで防御し、残り4枚を回避! しかしそのうち2枚が身体を掠め微小な切り傷を与える。 (真正面からといえどこの攻撃を完全に回避するのはちょっとキツイか しかし、連発が出来る技でもない、片腕である以上今まで通りの隙が生まれるはず) 遊世は右手に軍用ナイフ、左手に投げナイフを構える 投げナイフはこれが最後の一本だ お互い武器を構えたままのにらみ合いが続くが、早百合は徐々に距離を縮めようとしている。 「でぃりゃああああっ!!」 そして再び早百合のカルタ5枚投擲! 今度は左下から右上にナナメに分散させたかわし難い攻撃だ! (そんな芸当も!?だがかわせなくもな…) 遊世はしゃがみながらの回避行動中に信じられないものを目の当たりにし驚愕した カルタが遊世の横を通り過ぎる丁度そのとき 早百合は存在しなかったはずの左腕で次のカルタを投擲していたのだ いや、早百合の左腕はこの試合の最中もずっと存在していたのだ ただ、『誰にも見えない場所』に保管されていただけであった その場所とは彼女自身の胴体の中である。 彼女はこの相手の虚を突く一撃の為に左腕に一度「虚」を使い 体内に透過した左腕を埋め込み重要器官傷つけぬよう「虚」を解除したのだ 無論まったくの無傷と言う輪にはいかず、肋骨などの骨や一部の筋肉 そして不快感と激痛を犠牲にした作戦である。 (よ、よけられない…!?) とっさに遊世は首と頭部を腕でガードする 5枚のカルタのうち2枚はガードした右腕に命中、残る2枚は胸部と腹部、そして左足に命中 深く突き刺さったカルタから血が滲み出す。 遊世の両膝が地面についた 上毛早百合が、死が自分に近づいてくる ゆっくりゆっくりと イオが必死に両手を広げ 早百合の目の前をうろちょろ飛んでいるのが見える 通せんぼのつもりだろうか 次第に瞼が重くなってくる (俺を守ってくれるつもりなのか) (ああ、すまない) (さいごにつたえたかったな…) 「伝えたい事があんならさっさと目を覚まして言いなさいよ!!」 イオの大声が遊世の頭の中に響く 遊世は目をあけるとそこにはあきれた顔のイオがいた 状況を確かめる、動こうとすれば体中に激痛が走る。 自分が重症である事には変わりない。 しかし目の前にいる早百合は遊世に止めをさしていない いや、とてもそんな状態ではない、上毛早百合は気を失っているのだ 「これは一体…?」 「あんたが考えた作戦でしょ?ちょっと頭とか打ったんじゃない?大丈夫?」 「ああ…そうか」 遊世の作戦とは イオにこの空母内の一酸化炭素を引き寄せ 高濃度の一酸化炭素の吹き溜まりを作りそれを早百合に吸引させ 急性一酸化炭素中毒にさせるという物だった なんとか時間を稼ぎそれを成功させたわけだが ちょっと待ってくれもっと説明したい事が――――― このページのトップに戻る|トップページに戻る
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鵜 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)淵《ふち》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)急|勾配《こうばい》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#6字下げ] ------------------------------------------------------- [#6字下げ]一[#「一」は中見出し] 布施半三郎はその淵《ふち》をみつけるのに二十日あまりかかった。 加能川には釣り場が多い、雇い仲間《ちゅうげん》の段平は「三十八カ所ある」と云った。半三郎はひととおり見て廻ったが、自分の求めている条件に合うのは、その淵だけであった。――そこは七十尺ばかりの断崖《だんがい》の下にある。岩角や木の根をつたっておりるほかに道はない。対岸も同じような断崖で、淵はちょうど末すぼまりの袋のようになっている。川は右から曲って来て淵に入り、その淀《よど》みをぬけると左へ曲って川下へ下っている。したがってその淵はまったく他から隔絶しているし、人の来る心配もないといってよかった。 半三郎は満足そうに頷《うなず》いた。彼は断崖の下の平たい岩の上に立って、流れや淀みのぐあいを見たり、両岸のようすを眺めやったりした。 「申し分なしだ」彼は云った、「まるでお誂《あつら》え向きだ」 翌日、半三郎は支度をしてでかけた。 釣道具は江戸から持って来てあった。袋へ入れた竿《さお》と餌箱《えばこ》。魚籠《びく》はなかった、彼の釣りには魚籠は要らないのである。雇い仲間の段平は、旦那が忘れたのだろうと思った。 「もし旦那」と段平は云った、「魚籠をお持ちなさらねえのですか」 半三郎は「うん」といっただけで、振向きもせずに出ていった。 「おかしな旦那だ」段平は呟《つぶや》いた、「解せねえひとだ、どういうつもりだかさ――まあいい、おらの知ったこんじゃあねえ」 段平は頭のうしろを掻《か》き、手洟《てばな》をかんで、薪を割るために裏へまわっていった。 城下町からその淵まで、約一里二十町ばかりあった。はじめの一里は殆んど田圃《たんぼ》の中の平らな道で、あとは坂道になり、終りの五、六町は特に急|勾配《こうばい》の登りだった。梅雨のあけたあとで、日は暑く、平らな道は埃立《ほこりだ》っていたし、坂にかかると汗だらけになった。――そしてまた、竿と餌箱があるので、断崖をおりるのにも骨が折れた。 「こんなふうに触られると擽《くすぐ》ったいだろうな、たぶん」 断崖の途中で休みながら彼は呟いた。 「擽ったいかもしれないがね、おい」と半三郎は断崖に向って云った、「どうかおれを振り落さないように頼むよ」 下へおりると川風があった、彼は初めて手拭を出して埃と汗を拭き、平らな俎板岩《まないた》の、日陰になったところへ腰をおろして、すっかり汗のひくのを待った。それから竿の支度をし、岩の端へゆっくり腰を据えたとき、彼は岩を手で叩きながら云った。 「頼むぜ、きょうだい」 そのとき魚が跳ねた。淵から三段ばかり上に棚瀬があり、水が白く泡立《あわだ》って落ちている。魚はその棚瀬で跳ねたらしい。半三郎が眼をやると、また一尾、かなり大きな魚が跳ねて、棚瀬の向うへ姿を消した。 「鮠《はや》かな」と彼は云った、「川鱒《かわます》かもしれない、うん、いるんだな」 半三郎の見込に狂いはなかった。半刻《はんとき》ばかりのあいだに、彼は二尾の大きな鮠と山女魚《やまめ》を三尾あげた。彼は釣りあげた魚をすぐ水に放してしまう、魚を片手でそっと握り、釣鈎《つりばり》を外し、ちょっとその魚の顔を眺めてから、川の中へ投げ返すのであった。 午後四時ごろまでに、半三郎は三十二尾釣って放し、満足して家へ帰った。仲間の段平は、旦那が手ぶらで帰ったので同情した。 「あの川にはいるんですがな」と段平は云った、「きっと場所がいけなかったんですな」 半三郎はなにも云わなかった。 翌日もでかけていった。俎板岩へ腰をおろすとき、彼はまたその岩をそっと叩いた。口ではなにも云わなかったが、いかにも親しげな「よう、きょうだい」とでもいうふうな叩きかたであった。その日は午《ひる》までに十八尾釣れた。鮠、山女魚、それに鮎《あゆ》もあった。釣鈎を口から外すとき、魚たちは彼の手の中で活き活きと暴れ、渓谷の水の冷たさと、つよい水苔《みずごけ》の匂いをふりまいた。 「なんだ、おい、またか」半三郎は一尾の鮠を握って云った、「おまえさっき放してやったばかりじゃないか、ばかだね、いま釣られたばかりでまた釣られるなんてまぬけなやつがあるかい、おい、しっかりしてくれ」 彼はその鮠を放してやった。 その鮠は水の中でひらっと腹を返し、見えなくなって、次にまた銀色の腹をひらめかせて、そしてすばやく底のほうへ消えた。すると、人間の白い裸躰《らたい》が、上のほうから流れて来た。仰向けにのびのびと水面へ伸び、流れに乗ってゆっくりと浮いて来たのである。 半三郎はぎょっとした。 初めはなんであるかわからず、溺死躰《できしたい》かと思い、手足で水を掻いているので、生きた人間だとわかった。そうして、それが眼の前へ来たとき、若い女だということを発見した。――俎板岩は高さ六尺ほどあるから、それが眼の前へ来たときには、全体をすっかり眺めることができた。小さな肩、胸のふくらんだまるみと、薄い樺色《かばいろ》の乳暈《にゅううん》、ゆたかな腹部の抉《えぐ》ったような窪《くぼ》みと、それに続く隆《たか》まりの上の僅かな幅狭い墨色、広くなった腰から重たげな太腿《ふともも》へ、そうしてすんなりと細くしなやかに伸びている脚。両手は左右にひろげていた。――肌は眩《まぶ》しいほど皓《しろ》く、水が冷たいためだろう、ぜんたいが薄桃色にあかるんでいた。 半三郎がそれらを見たのは殆んど一瞬のことであった。ほんの「一瞥《いちべつ》」というくらいのものであるが、その印象の強烈さは類の少ないものであった。 半三郎はぎょっとし、そして両方の眼をつむった。眼をつむったうえに、両手で(そのつむった)眼を押えた。すると、持っていた釣竿が落ち、岩角で跳ねて、川の中へ落ちこんでしまった。彼は気がつかなかった、やや暫くそうしていて、やがておそるおそる眼をあけてみた。それから身を跼《かが》めて、淵の上下を眺めやった。――そこにはもうなにもいなかった、青澄んだ重たげな水が、表面に皺《しわ》をたたみながら、ゆっくりと流れているばかりだった。 「幻か」半三郎は呟い、「眼がどうかしたのか、いや、慥《たし》かに、……こんなに心臓がどきどきしている、きょうだい」彼は岩の面を叩いた、「いまのはなんだ、淵の主でも化けたのかい、頼むぜ、あんまり吃驚《びっくり》させないでくれ」 彼は暫くのあいだ茫然と、気でも喪失したように、岩の上からじっと水面を見まもっていた。 竿を流してしまったから、その日は早く帰った。段平は旦那が今日も手ぶらで、おまけに竿も持たずに帰ったので首を振った。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し] 旦那が井戸端へゆくのを見送りながら、段平はまた首を振り、頭のうしろを掻いた。 「なにをしにゆくだかさ」と段平は呟いた、「魚は一尾も釣らねえ、おまけに竿までなくして来るなんてさ、あんな立派な竿をよ、へ、――」 夕飯のとき、段平は客があったのを思いだした。彼は給仕をしながら旦那に云った。 「午めえに柏原さまがおめえになりました」 すると半三郎は眼をつむった。半三郎は手に持った茶碗の飯を見ていた、箸《はし》を添えてまさに喰《た》べようとしながら、炊きたての、香ばしい匂いのする麦飯をみつめていたが、段平にそう云われたとたん、彼はぎゅっと眼をつむったのである。それも、あまり強くつむったので、瞼《まぶた》や眉間《みけん》に深い皺が寄ったくらいであった。 「どうかなせえましたか」 驚いて段平が訊《き》いた。 「うん」半三郎が云った、「なんでもない」 「柏原さまがおいでなせえました」段平が云った、「えらくお気にいらねえあんべえで、どういうつもりだって、来るそうそうから毎日出てばかりいてなんのつもりだって、――旦那は御謹慎の都合でこのお国許《くにもと》へお詰めさされささったっちゅう」 「そんなことはない」半三郎が呟いた、「眼がどうかしたんだ、ある筈《はず》がない」 段平は口をあいて旦那の顔を見た。 「へえ、――」と段平が云った、「すると御謹慎じゃあねえのですか」 「少し黙れ」と半三郎が云った。 段平はへえと云った。へえ黙るべえ、と彼は思った。おらの知ったことじゃねえ、お咎《とが》めを受けるのは旦那だ、おらそう云うだけは云っただから、と心の中で呟いた。 ――おかしな旦那だ、解せねえひとだ。 布施半三郎は約一と月まえに江戸から移って来た。すぐに段平が雇われ、ずっと世話をしているのだが、勤めにも出ないし、同家中のつきあいもない。こっちから誰かを訪ねるとか、向うから誰か訪ねて来るなどということが絶えてない。また、ずばぬけた無口で、段平が話しかけてもろくすっぽ返事をしないし、用事のほかに話しかけることもない。しかも奇妙なことには、家の柱だとか壁だとか、庭の木だの石だのにはよくものを云う。犬や猫や、小鳥などにも機嫌よく話しかけるのであった。 ――彼は謹慎の意味で国詰になったのだ。 午まえに来た柏原|図書《ずしょ》はそう云った。図書という人は五百石ばかりの国許《くにもと》留守役で、半三郎とは遠縁に当るという。話によると布施は江戸邸の次席家老、半三郎はその一人息子だそうであるが、剣術と柔術がなみ外れて強く、おまけに癇癪持《かんしゃくも》ちで、いつも喧嘩《けんか》ばかりして始末におえない。前後五度ばかりも「叱《しか》り置」かれたり「謹慎」を命ぜられたりした。 半三郎はそういういざこざを避けるために、庭木いじりや魚釣りを始めた。 ――木や石や魚はおれに肚《はら》を立てさせない。 彼はそういうのであった。もう二十八にもなるが、縁談が幾らあってもつっぱねるし、役に就かせようとしても承知しない。「私のことは放っといて下さい」というので、三年間の国詰を命ぜられた。謹慎の実がみえたら江戸へ帰らせてやる、というのだそうである。 食事が済むと半三郎は段平を見た。 「なにか云ったか」 「柏原さまがおめえになりました」段平が云った、「今日の午めえに、柏原図書さまがおめえになって、えらくへえ不機嫌のあんべえで、いってえどんなつもりだかって」 「わかった」と半三郎が云った、「それはもう聞いた、同じことを二度云うな」 段平はへえといって黙った。 二日続けて雨が降った。三日めに半三郎は釣りにでかけた。江戸から持って来た竿は三本ある、流したのは安物であるが、中でもっとも調子のいい竿であった。彼は残りの中から一本を選み、すっかり手入れをして、でかけた。 「その」と段平が云った、「もしも柏原さまがおめえになったら、どんなあんべえに云ったらいいですか」 「釣りにいったと云え」 「その」段平が云った、「おらが考げえるに」 「釣りにいったと云え」 そして半三郎は出ていった。 淵へおりた彼は、俎板岩の上に釣竿が置いてあるので驚いた。四日まえに流した竿である、あのとき流した自分の竿だということはひと眼でわかった。半三郎は怯《おび》えたような眼つきで、慌てて周囲を見まわした。 そこはいつものとおりだった。どこにも人は見えなかったし、どこかに隠れているようすもなかった。 「幻でも眼がどうかしたのでもない」と半三郎は呟いた、「あれは事実だった、あの……女は本当にいたんだ」 あの裸の女は実在のものだった。それで彼の流した竿を拾って、此処《ここ》へ置いたのに違いない、半三郎はそう思った。すると心臓が(あのときのように)どきどきと鳴りだし、顔が赤くなった。半三郎は自分をごまかすように、さりげなく釣りの支度をし、いつもの場所に腰をおろした。腰をおろすとすぐに、岩を叩いて云った。 「頼むぜ、きょうだい」彼は眩しそうな眼をした、「あんまりおどかさないでくれ」 雨あがりで、水はまだ濁っていた。 午まえは濁りがあって成績はよくなかった。午後になって濁りが薄くなると釣れだし、一刻ばかりのうちに十尾ほどあげた。むろん釣るそばから放してやるのだが、十何度めかに山女魚を放したとき岩の下から呼びかける声がした。 「なぜ魚を逃がすんですか」 半三郎は「うっ」といった、そして同時に眼をつむった。 「ねえ」とまたその声が云った、「せっかく釣ったのになぜ逃がしてしまうんですか」 「――竿を有難う」と半三郎が云った。 「なんて仰《おっ》しゃったの」 「竿をどうも有難う」 「どう致しまして」その声は含み笑いをし、それから云った、「わたくしが悪かったんですもの、ずいぶん吃驚なすったようね」また含み笑いが聞えた、「わたくしも吃驚しましたわ、この淵は決して人の来ない処《ところ》で、それで安心して泳ぎに来ていたんです、そうしたら釣竿が落ちて来て、眼をあいたらあなたがそこにいらっしゃるでしょ」声がとぎれて、それからまた云った、「なにか仰しゃって」 「いや」と半三郎が云った、「今日は、いつのまにそこへ――まえから来ていたのか」 「ええさっきから」とその声が云った、「向うから潜って来て見ていました、ちょうどあなたが鼻を擦っていたとき」 半三郎はつい鼻を擦った。 「ねえ」とその声が云った、「いっしょに泳いで頂きたいんだけれど、いかが」 半三郎は答えられなかった。 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し] 「ねえ」その声はしだいに乱暴になった、「あなた泳ぎを知らないんでしょ」 「知っているさ」 「じゃあいらっしゃい」その声が云った、「今日は大丈夫よ、ほら」 水の音がして、岩陰からすいと、女が向うへ泳ぎ出た。腰に巻いている赤い二布《ふたの》が、まっ白な太腿に絡まっていた。半三郎は眼をすぼめた、腰は隠れているが、あらわな胸のふくらみがひどく眩しい。女は手をあげて叫んだ。 「いらっしゃいよ、早く」女は云った、「そのくらいの勇気はあるでしょ、あなた」 半三郎は立って帯を解いた。 「わあ嬉しい」女が叫んだ、「早くよ、早く」 半三郎は下帯だけになり、岩の上からいさましく跳び込んだ。女は泳いで来て、半三郎が浮きあがると、頭を押えて沈めた。半三郎は水を飲んだ。女は絡まって来て、浮きあがろうとする彼を押えつけた。半三郎は息が詰り、女を振放して脇へ逃げた。ようやく浮きあがると、女は水を叩いて笑った。 「ああ面白い」と女が云った、「いじめてやった、弱いのね、あなた」 「いつもそうとは限らない」 「あたしを沈められて」女は笑った、「沈めてごらんなさいよ、沈められないでしょ」 半三郎は泳いでいった。女は潜った。半三郎も潜って、水の中で眼をあいた。明るい暖色の青がひろがり、つい鼻先を一尾の魚がはしり去った。半三郎は脇へそれて浮きあがった。女は見えなかった。半三郎はまた潜った。それから用心して浮きあがって、女の浮いて来るのを待った。 女は浮いて来なかった。溺《おぼ》れたのでないことは慥かである、どこかへ隠れているのだろう。半三郎は待った。しかし女はいつまでも出て来なかった。 「おい」半三郎はどなった、「出て来ないか」 彼は岩の上へあがった。 四時ころまで釣りながら待ったが、女はついに姿をみせなかった。その夜、半三郎は奇妙なおちつかない感情に悩まされて、よく眠ることができなかった。眼の前にあの女のすはだかの姿がうかび、躯《からだ》の膚には濡れたなめらかな女の肢躰の触感がよみがえってくる。水の中で絡みついた女の、柔軟でぴちぴちした肌の記憶が、あまりになまなましいので、幾たびも一人で赤くなったくらいであった。 「どういうつもりだろう」半三郎は呟いた、「ただからかっただけなのか、それとも恥ずかしくなって逃げたのか」彼は枕の上で頭を振った、「とにかく頓狂《とんきょう》な女があったもんだ、いったいなに者だろう」 翌日、彼は一刻ばかりも寝すごした。段平は食事の支度をして待ったが、旦那が起きないので、旦那の起きるまで裏で米を搗《つ》いていた。寝すごしたにも拘《かかわ》らず、起きて井戸端へ出て来た旦那は、まだ寝足りないようなふきげんな顔をしていた。 「お釣竿がめっかったようなあんべえですな」と段平が云った、「どけえか流れ着いてたですかえ」 旦那は「うん」といっただけであった。 おそい朝食のあとで、釣りにいったものかどうかと、半三郎はちょっと迷った。心のどこかに「またあの女に会いたい」という期待があったからである。彼が迷っていると、段平が来て云った。 「旦那、お餌のお支度ができました」 半三郎は元気よく立ちあがった。 だがその日、女は来なかった。昏《く》れがた、いつもよりずっとおそく帰って来た半三郎は、いつもよりさらに不機嫌で、酒も倍くらい飲んだ。彼の酒は食事といっしょに飲みはじめ、終ってから半刻ばかり飲むのが常であった。それでも量は三合ほどであるが、その夜は殆んど定量の倍ちかく飲み、しきりに(段平にはわけのわからない)独り言を云った。 「ばか者」と彼はふいにどなった、「だらしがないぞ」 段平は眼を剥《む》いた。 「わしでごぜえますか」と段平は云った。 半三郎は段平を見て、夢からさめたような眼つきをし、黙って立ちあがった。 その翌日、半三郎は家にこもっていた。しかし次の朝には段平に餌掘りを命じ、ひどくそわそわとでかけていった。淵へおりてゆくと、女が待っていた。 女は断崖の下の、日陰になったところにいた。やはり緋色《ひいろ》の二布を腰に巻いただけの裸で、いま川からあがったところとみえ、肌も濡れているし、足もとの岩にも水が溜《た》まっていた。――断崖をおりるまで気がつかなかった半三郎は、女を認めるとさっと赤くなった。すると女も赤くなり、裸の胸を両手で隠すようにした。半三郎は眼をそらした。 「もう泳いだのか」と半三郎が云った、「まだ水が冷たいじゃないか」 「どうして昨日いらっしゃらなかったの」 女の声はふるえていた。激しい感情を抑えるためにふるえるようであり、怒りのためにふるえるようでもあった。半三郎は振向いてみた。すると女は突然しがみついた。両手で力いっぱいしがみつき、危うく抱きとめた男の腕のなかで、がたがたとふるえた。 「きつく」と女が云った、「もっときつく抱いて、つぶれるほどよ」 半三郎はそうした。濡れている膚の下に、火のような躰温が感じられた。そんなに強く抱き緊めても、女の躯のふるえは止らなかった。まるで瘧《おこり》の発作のような、異常に烈しいふるえかたであった。そうしてやがて、そのふるえが止ったと思うと、女の躯からふいに力がぬけ、全身が軟《やわ》らかく、溶けてしまいそうになった。 「おれは、漁師じゃあない」半三郎がしゃがれた声で云った、「おれは釣りをたのしむだけだ、漁師じゃないから、魚は要らないんだ」 「なにか仰しゃって」 「いや、なんでもない」半三郎は云った、「なんでもないよ」 女はうっとりと溜息をついた。半三郎の胸に凭《もた》れ、彼の腕にすっかり身を預けて、そのままで、うっとりと囁《ささや》いた。 「逢いたかったわ」 半三郎はつよく眉をしかめた。 「名を訊いていいか」と彼は云った。 「いや」女は首を振った、「あなたがお付けになって、あなたの好きな名で呼んでちょうだい、それがあたしの名よ」 「おまえの小さいときからの名が知りたいんだ」 「いや、笑うから」 「云ってごらん」 「ただこ[#「ただこ」に傍点]」と女が云った。 「ただこ[#「ただこ」に傍点]」と半三郎が云った。 女が泣きだした。半三郎は女を抱いたまま左右に揺った。そしてもういちど囁いた。 「ただこ[#「ただこ」に傍点]、――」 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し] 二人は毎日のように逢った。 雨の降らない限り、一日として逢わないことはない。女はいつも川上のほうから、棚瀬をすべって淵へ来た。そうして、淵を下のほうへくだって去るのである。淵から下のほうに、誰かが着物を持って待っているらしい。名はさだ[#「さだ」に傍点]、――ただこ[#「ただこ」に傍点]というのは幼いころ自分で訛《なま》って呼んだものだという。年は二十歳くらいだろう。……言葉つきや動作で、(わざと乱暴にしているが)武家そだちだということはわかる、しかしそのほかのことは、なにを訊いても答えなかった。 「あたしをただこ[#「ただこ」に傍点]のままにしておいてちょうだい」と彼女はいつも云った、「あなたは初めに、あたしの生れてきたままの、どこも隠さない――ありのままの姿をごらんになったわ、いまだって裸のままでしょ、これがただこ[#「ただこ」に傍点]よ」 「おれはすっかり知りたいんだ」 「これがあなたのただこ[#「ただこ」に傍点]よ」と彼女は云うのであった、「着物を着ておつくりをしたあたしは、もうただこ[#「ただこ」に傍点]ではないし、あなたとは縁のない女だわ、ねえ、あたしをただこ[#「ただこ」に傍点]のままにしておいてちょうだい」 「どうしてもだめなのか」 「お願いよ、そんなお顔をなさらないで、あたしを困らせないでちょうだい」 六月が過ぎ七月になった。 このあいだに、柏原図書がしばしば来て、そのたびに段平があぶらをしぼられた。たとえ雇い仲間でも家来は家来である、主人がそんなに不取締りなのに黙って見ているやつがあるか、素行のおさまるように意見の一つもしてみたらどうだ。などと云われるのである。しかし段平にはどうしようもない、なにを云っても旦那はてんで受けつけないし、ちょっと諄《くど》く云えば「黙れ」とどなられる。そのうえ、旦那は悪所がよいをするわけではなく、下手くそな(一遍も魚というものを持って帰ったためしがない)釣りに凝っているだけなので、段平は却《かえ》って旦那のほうに同情するようになった。 「それでは柏原さまの旦那にうかがうだが」と段平はついに云った、「いってえうちの旦那の素行がどう悪いですかえ、博奕《ばくち》をぶつとか呑んだくれとか、新町へ入浸るとかいうならべつだが、ただへえ魚釣りに凝ってるだけじゃねえですか、それも一尾のだぼ鯊《はぜ》せえ釣って来たためしがねえだで、殺生ちゅうことにもなりゃしねえだ、おらにゃあ意見なんてぶちようがねえですだよ」 柏原図書は顔をしかめ、段平の無知を憐《あわ》れむように手を振った。しかしそれ以来、柏原の旦那の足はしだいに遠のくようであった。 七月になると、ただこ[#「ただこ」に傍点]のようすが変りだした。彼女は胸を隠すようになった、白い晒《さら》し木綿《もめん》の半|襦袢《じゅばん》を着、そうして腰の二布も緋色でなく、やはり白の晒し木綿に変えた。気分にもむらがでてきて、いっしょに泳ぎながら、ばかげてはしゃぐかと思うと、急に黙りこんで、彼をしみじみと眺めたり、溜息をついたりするのであった。 彼女のこういう変化に、半三郎は殆んど気がつかなかった。或るときふとそれに気づいたが、いつから襦袢を着はじめたか、いつから二布を晒し木綿に変えたか、はっきりした記憶はなかった。 ――どうして気がつかなかったろう。 彼はただこ[#「ただこ」に傍点]に訊こうとして、口まで出かかったのをやめた。 ――なにを訊く必要があるんだ。 と彼は自分に云った。ただこ[#「ただこ」に傍点]は初めすはだかで彼の前にあらわれた、次に腰を二布で隠し、それから胸を隠すようになった。 ――この事実だけで充分じゃないか。 そうだ、充分だ。と彼は思った。 「いちどいっしょに食事をしよう」 七月の中旬になったとき半三郎が云った。 「無理なこと仰しゃらないで」 「どうして」と半三郎は云った、「食事をするくらいのことがなぜ無理なんだ」 「あなたとは此処で逢うだけよ」 「もうこんなに秋風が立ってきた」半三郎が云った、「泳ぐのももう僅かなあいだだ、泳げなくなっても逢いに来るか」 「そのときのことはそのときよ、そのつもりなら九月だって十月だって泳げるわ」 「いっしょに食事をしよう」と半三郎は云った、「おれは知らないから、場所はそっちで選んでくれ、できるだけ早くだ」 「どうしても、――」 「どうしてもだ」 そのとき二人は、俎板岩の上に並んで坐っていた。ただこ[#「ただこ」に傍点]は自分の(裸の)膝《ひざ》へ眼をおとし、小麦色に焦けた、なめらかな膝頭を撫《な》でながら、思い余ったように太息《といき》をついた。 ――この方はもうあとへはひかないだろう。 彼女はそう思った。半三郎の口ぶりは静かであるが、とれまでとは違った調子があった。そうして、彼女自身のなかにはもっと強く、その要求を拒めない感情がそだっていた。 「もしかして」とただこ[#「ただこ」に傍点]は云った、「そのために、こうして逢うことができなくなるとしても、それでも――あなたは構わなくって」 「それはどういう意味だ」 「わからないわ」 「そんな心配があるのか」 「わからない」ただこ[#「ただこ」に傍点]は首を振った、「そんな心配はないと思うけれど、でもわからない、ああ、あたしもうなんにもわからないわ」 彼女は両手で顔を押えた。半三郎は彼女の肩へ手をまわし、両の腕で乱暴に抱きよせた。ただこ[#「ただこ」に傍点]の躯は彼の腕の中で柔らかく、棉の実のように軽かった。ただこ[#「ただこ」に傍点]はふるえながら、半三郎の胸に凭れて云った。 「ねえ、もう少し待って下さらない、もう少し、――秋になるまで」 「同じことだ」 「もう少し待って下されば、すっかりいいようにしてお逢いしますわ」 「なにを」と半三郎はただこ[#「ただこ」に傍点]の顔を見た、「なにをいいようにするんだ、云ってごらんただこ[#「ただこ」に傍点]、おれたちの邪魔をしているのはどんな事だ」 ただこ[#「ただこ」に傍点]は彼の胸へ顔を隠した。 「云えないのか、おれにも云えないようなことなのか」と半三郎が云った、「よし、それならなおさらだ、おれはただこ[#「ただこ」に傍点]一人が苦労するのを黙って見ているほど温和《おとな》しい人間じゃあないぜ」 「わかってるわ、あなたにはこわいところがあるわ」 「おれは待つだけ待った、初めて逢ってからまる一と月以上も経つのに、おれはただこ[#「ただこ」に傍点]のことをまだなにも知らない、もうたくさんだ」と半三郎は云った、「こんな状態はもうたくさんだ、ただこ[#「ただこ」に傍点]、――いっしょに食事をするか」 「ええ、そうしましょう」 「いま此処できめてくれ、どこがいい」 ただこ[#「ただこ」に傍点]は顔をあげて彼を見た。 [#6字下げ]五[#「五」は中見出し] その翌日の午、二人は源ノ森の「蜂屋《はちや》」という料理茶屋で逢った。 そこは城下町の西に当り、北野神社の境内に続いている。うしろを深い杉の森に囲まれ、千の池とよばれる池を前にして、掛け茶屋や料亭が並んでいるが、「蜂屋」はそのなかでもっとも構えが大きく、桟橋に屋根船なども繋《つな》いであった。 ただこ[#「ただこ」に傍点]は先に来て待っていた。それは別棟になった数寄屋《すきや》ふうの離れで、二方に忍冬《すいかずら》の絡まった四つ目垣がまわしてあった。 ただこ[#「ただこ」に傍点]はすっきりと痩《や》せてみえた。藍色《あいいろ》のぼかしに菖蒲《しょうぶ》の模様の帷子《かたびら》を着、白地にやはり菖蒲を染めた帯をしめていた。化粧はしていないが、日に焦けた顔がいつもより小さく、爽やかにひきしまった感じで、帯をしめたためか、腰も細く、背丈がすっきりと高くみえた。 「そんなにごらんにならないで」とただこ[#「ただこ」に傍点]は眼のまわりを赤くした、「こんな恰好、――似あわないでしょ」 「きれいだ」と半三郎が云った、「きれいだよ」 「もう、ごらんにならないで」 「見やしないよ」半三郎は濡縁のほうへ出てみた、「舟が出せるんだな」 ただこ[#「ただこ」に傍点]も出ていって、彼と並んだ。 「よければ舟で網をうって、捕った魚を舟の中で喰べることもできますわ」 「池の魚をか」 「加能川から水を引いてあるんです」ただこ[#「ただこ」に傍点]が云った、「だから川の魚がいろいろ捕れるんです」 「むかしから知ってるんだな」 「小さいじぶん父や母たちとよく来ましたわ」 「ただこ[#「ただこ」に傍点]のじぶんか」 「ええ、ただこ[#「ただこ」に傍点]のじぶん」 半三郎は片手をそっと彼女の肩へかけた。ただこ[#「ただこ」に傍点]は頭を傾《かし》げて、肩の上の彼の手へ頬をよせた。彼女の頬は熱く、冷たい髪毛には香油が匂っていた。 食事はうまかった。鮎の作身と塩焼、牛蒡《ごぼう》と新芽の胡麻和《ごまあ》え、腕は山三つ葉と鮒《ふな》、煎鳥《いりとり》に銀杏《ぎんなん》の鉢と、田楽《でんがく》、ひたし[#「ひたし」に傍点]といった献立だった。――今日は食事をするだけ、という約束で、ほかのことには話は触れなかった。そのくせ、ただこ[#「ただこ」に傍点]は彼の小さいじぶんのことを聞きたがり、いくら話しても、飽きずにあとをせがんだ。 「呆《あき》れた方ねえ」とただこ[#「ただこ」に傍点]は笑った、「あなたの話は喧嘩と叱られたことばかりじゃありませんか」 「釣りをしていれば無事なんだ」 「それはそうよ、――」しかし彼女はふと眼を伏せた、「でも、こんなことになってみると、その釣りさえも無事ではなかったわけだわ」 「大漁だという意味か」 彼女はあいまいに首を振った。眼を伏せたまま首を振るその動作は、いかにもよわよわしく、困惑しているようにみえた。だが、ただこ[#「ただこ」に傍点]はすぐに顔をあげ、彼を見て眼で笑いながら云った。 「だってあなたは、せっかく釣った魚を、いつも逃がしておしまいになるじゃありませんか」 「どう云おう」半三郎は笑おうとした、「困ったな、おれはこんなときうまくやり返すことができないんだ」 ただこ[#「ただこ」に傍点]は乾いた声で笑った。自分で云った言葉に自分で「不吉」を感じたらしい、乾いたような声で笑いながらいそいで云った。 「それで手のほうが先になるのね」 「手が届きさえすればね」 そのとき、池のほうで激しい水音がした。見るとすぐ向うの水面で、一羽の鵜《う》が暴れていた。長い頸《くび》をふりながら、翼でばたばた水を叩いている。傷でも負って苦しんでいるようにみえたが、よく見ると大きな魚を咥《くわ》えていた。その魚が大きすぎて嘴《くちばし》に余るのを、むりやりに呑み込もうとして、暴れているのであった。しかしもはや大きすぎたのだろう、魚はついに逃げてしまい、鵜は口惜しそうにそれを見送った。――それがいかにも口惜しそうで、「ちぇっ」と舌打ちをするのが聞えるようだったので、二人は思わず笑いだした。すると鵜は、その笑い声におどろいたように飛びたち、水面を低くかすめながら、源ノ森のほうへと飛び去っていった。 「いやだわ」ただこ[#「ただこ」に傍点]が笑いながら云った、「あの鵜はよっぽどしんまいなのね」 「そうらしいな」 「うちへ帰ってなんて云うかしら」 「黙ってるだろうね」 「そうね」とただこ[#「ただこ」に傍点]が云った、「――黙って、当分しょんぼりしているわね、きっと」 二人は笑いやんだ。 砂糖漬の杏子《あんず》で茶をのんでから、二人は別れた。こんどはただこ[#「ただこ」に傍点]が先に帰り、半三郎があとに残った。別れるとき、ただこ[#「ただこ」に傍点]はそっと彼に抱かれた。 「ではまた明日」ただこ[#「ただこ」に傍点]は囁いた、「あの淵でね」 「あの淵で」と半三郎が云った。 ただこ[#「ただこ」に傍点]が去ると、彼は急に暑さを感じた。まるでただこ[#「ただこ」に傍点]が涼しさを持っていったように、むしむしと暑くなり、汗がにじんできた。彼は「はちや」と印のある団扇《うちわ》を取り、寝ころんで池を眺めた。 すると濡縁の向うへ、若侍が一人来て立った。木戸のほうから来て、そこに立ってこっちを見た。二十三、四歳の、蒼白《あおじろ》く痩《や》せた、ひよわそうな若者であった。 「なんだ」半三郎が云った、「なにか用か」 若者の顔がみにくく歪《ゆが》んだ。 「いや」と若者は首を振った、「なんでもありません、失礼しました、誰もいないと思ったものだから、どうも、 ――」 そして若者は木戸のほうへ去った。 若者は四つ目垣の木戸をぬけると、母屋へはゆかずに、そのまま塀《へい》に沿って裏へまわり、くぐり戸をあけて外へ出た。 「どうしよう」彼は立停った、「どうしよう」 躯がふるえ、額から汗が流れていた。彼は右手に扇子を持ちながら、それで陽をよけようともせず、流れる汗にも気がつかないようすで、照りつける陽のなかを、そわそわと北野神社のほうへゆき、森を出て、鳥居前から駕籠《かご》に乗った。――駕籠屋は彼を知っているとみえ、丁寧すぎるくらいに挨拶をした。 「滝山へやってくれ」と彼は云った。 「へえ」と駕籠屋は云った、「滝山のお別荘でございますね、かしこまりました」 [#6字下げ]六[#「六」は中見出し] 半三郎のいつもゆく山道を、淵へおりずに四町ばかりゆくと、滝山という部落がある。そのまん中どころの、竹垣をまわした別墅《べっしょ》づくりの屋敷の門前で、若者は駕籠をおりた。――それは藤江|内蔵允《くらのすけ》の控え家であった。藤江は藩の筆頭家老であり、若者はその長男で小五郎といった。 門を入った彼は、すぐ左の柴折戸《しおりど》をあけ、若木の松林をぬけて、じかに母屋の縁側のほうへいった。そのとき縁側の向うから、若い侍女が鬢盥《びんだらい》を持って来かかり、小五郎をみつけて、吃驚したように会釈した。 「帰っているか」彼は云った、「奥だな」 小五郎は縁側へあがった。 「はい、あの」と侍女は慌てた、「いまお知らせ申しますから」 「自分でゆく、おまえは来るな」 「それでも、あの」 「来るな」と彼はどなった、「来ると承知しないぞ」 侍女は鬢盥を持ったまま立竦《たちすく》んだ。小五郎は足音あらく廊下をゆき、刀を取って持ちながら、右手の、障子のあいている座敷へ入ると、その隣りの部屋(やはり襖《ふすま》があいていた)へ踏み込んだ。そこにはさだ[#「さだ」に傍点]がいた。汗を拭こうとしていたらしい、肌ぬぎ姿であったが、胸を浴衣の袖で隠しながら、こっちを見た。 彼女の顔はするどくひき緊り、その眼は怒りのため燃えるようにみえた。 「みたよ」と小五郎が立ったままで云った、「蜂屋で男と逢っているところを、この眼で見たよ」 さだ[#「さだ」に傍点]は黙って彼をにらんでいた。 「なんとか云わないか」小五郎は云った、「おれは知っていたんだ、ずっとまえから、おまえは梅雨あけからこっち、泳ぎにゆくといって毎日でかけた、おれが来るといつも留守だ、それでおれは注意しだした、おまえは泳ぎゃあしない、泳ぐふりをして、毎日あの男と逢っていたんだ、違うか」 「よく御存じだわ」とさだ[#「さだ」に傍点]が云った、「そのとおりよ」 「そのとおりだって」彼はふるえた。 「ええそのとおり、あなたの云ったとおりよ」 彼は蒼くなった。彼はそういう返辞を聞こうとは予想もしなかった、彼は蒼くなり、かっとのぼせあがった。 「おまえは」と小五郎は吃《ども》った、「おまえは、正気でそう云うのか」 「そのおまえをよして下さい、わたくしまだ藤江内蔵允の妻ですから」 「父の妻だって」 「そして義理にもよ、あなたにとっては母の筈よ」 「このおれの母、――その汚らわしい女がか」 さだ[#「さだ」に傍点]は一瞬あっけにとられたように彼を見た。小五郎も「あ」という顔をした。さだ[#「さだ」に傍点]の眼は突刺すようにするどかったが、その唇には微笑がうかんだ。ぞっとするほど冷たい、人をたじろがせる微笑であった。 「わたくしがまだといったのは、まだいまはという意味よ」さだ[#「さだ」に傍点]は云った、「御心配には及びません、すぐにこの家を出てゆきますから、あなたはもうすぐ、この汚らわしい女を母と呼ぶ必要はなくなりますわ」 「口がすべったんだ、勘弁してくれ」小五郎はまた吃った、「気が立っているものだから、つい知らずあんな」 「いいえそうじゃありません、汚らわしい女と云われたから出てゆくんじゃありません、そうでなくとも、自分でなにもかも話してお暇を頂くつもりだったんです」 さだ[#「さだ」に傍点]は巧みに浴衣をひっかけて立ち、隣りの納戸へいって、箪笥《たんす》の音をさせはじめた。――小五郎は口をあけた。を持った右手をだらんと垂れ、納戸の物音を聞きながら、口をあけて大きく喘《あえ》いだ。 「まさか、そんな」と彼は吃った、「出てゆくなんて、まさか、――本気でいうんじゃないだろうな」さだ[#「さだ」に傍点]は答えなかった。 「そんなことはできない筈だ」と彼は云った。 納戸で帯をひろげる音がした。 「そんなことができる筈はない」 小五郎はふるえながら云った、「父はあんなに貴女《あなた》を愛している、結婚して三年このかた、父はなんでも貴女の云うままになって来た」 「あなたにそうみえるだけよ」 「なんでも云いなり放題だった、眉をおとさせない、歯を染めさせない、家政もみさせない、城下の屋敷がいやだといえば、すぐにこの控え家へ移ってくると、あの年で二里ちかい道を毎日お城へかよっている」小五郎はそう云った、「しかも父は不平らしい顔もしないし、元気でわかわかしくさえなった」 「そうみえるだけよ」納戸からさだ[#「さだ」に傍点]が云った、「本当のことを知らないから、あなたにはそうみえるのよ」 「私だけじゃない、父を知っている者は誰でもそう云っている、まえの母に死なれてから、父はすっかり老いこんでいた」と小五郎は云った、「老いこんでいたときの父といまの父とでは、まるで人が違ったようだと誰でも云っている、それが嘘でないことは貴女にもわかる筈だ、そしてそれはみんな貴女のためなんだ、三十も年の違う貴女がいてくれるからだ」 納戸で帯をしめる音がした。きゅっきゅっという帯をしめる音が、まるで彼女の返辞の代りのように聞えた。 「こういう父を置いて出てはゆけない、そんなことが人間にできる筈はない、それは自分がいちばんよく知っている筈だ」 「わたくし出てゆきます」さだ[#「さだ」に傍点]が云った、「わたくしこのまま実家へ帰ります」 彼女がぬいだ物を片づける音がし、箪笥を閉める音がした。 「あの父を置いてか、あんなに貴女を愛している父を、――」と小五郎が云った、「父がどんなになるかわかってもか」 さだ[#「さだ」に傍点]が納戸から出て来た。 「父は、父が、父を」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「あなたはお父さまのことばかり仰しゃるけれど、本当にお父さまのためを思うなら、わたくしが出てゆくのをよろこんであげなければならない筈よ」 「父のためによろこべって」 「口では云えないいろいろなことがあるわ、でもお父さまにはわたくしが重荷です」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「わたくしの云うなりになっているようにみえるのも理由があるし、元気でわかわかしくみえるのにも理由があります」 「それを聞こう、その理由というのを聞かせてくれ」 「云えません」さだ[#「さだ」に傍点]は首を振った、「夫婦のなかのことは他人には云えません、ただ、三十以上も年下の妻をもっていることが、お父さまのからだにも心にもどんなに重荷であり、どんなに大きな負担だかということを、――三年間いっしょに暮して来たわたくしが、それをいちばんよく知っている、ということだけ申上げます」 「その言葉をそのまま信じろというのか」 「わたくしがいなくなればお父さまはほっとなさいます」 「そしておまえも」小五郎はまたかっとなった、「おまえ自身も、あの男といっしょになってほっとしようというのか」 さだ[#「さだ」に傍点]の眼がきらっとし、その唇にまた(あの)微笑がうかんだ。彼女は小五郎の眼をまともにみつめながら云った。 「それがあなたの本音ね」 「なんだって、――」 「それがあなたの本音よ」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「さっきから云っていることはお父さまのためじゃなく、みんなあなた自身のためよ、わたくしを跟《つ》けまわしたり、汚らわしい女だときめつけたのはあなたの嫉妬《しっと》だし、出てゆかないでくれというのはあなたの未練よ」 小五郎の持っている刀が、小刻みに鞘鳴《さやな》りをした。 [#6字下げ]七[#「七」は中見出し] 「あなたは気のよわい、卑怯《ひきょう》な人よ」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「あなたはわたくしを愛していた、わたくしを愛していたのに、お父さまがわたくしを欲しいというと、お父さまに自分のことが云えないで、わたくしのところへ来て、父の妻になってくれ、などと云った」 「だって、だって」彼はひどく吃った、「それならなぜ、おまえは、断わらなかった、おまえは承知したじゃないか」 「あなたはわたくしをお責めになるの」 「おまえは断わることができた筈だ」 「十六歳の娘のわたくしに」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「百石足らずの作事奉行の娘で、ようやく十六になったばかりのわたくしに、千石の筆頭家老の申し込を断われと仰しゃるんですか」 「しかしいま、いまおまえは、あの男のところへ出てゆこうとしているじゃないか、おまえにそんな勇気があるなら」 「そのおまえというのをよして下さい」さだ[#「さだ」に傍点]は殆んど叫んだ、それから云った、「――いまこうする勇気が出たのは、わたくしが十六歳でなく十九歳になったからです」 「あの男のためにと云わないのか」 「あなたのためよ、あの方には関係はありません」 「おれの、――」と彼は吃った、「おれのためだって」 「あなたはずっとわたくしにつきまとっていました、自分で父の妻になってくれと頼みながら、わたくしが藤江家に嫁《とつ》いで来てからも諦《あきら》めることができない、一日じゅう暇さえあればつきまとっている、お父さまに気づかれてはいけないと思って、それでわたくしこっちへ移ったんです」 「そんなことは嘘だ、おまえのでたらめだ」 「お父さまに気づかれてもいけないし、なにかまちがいでも起こったら取返しがつかないと思ったからです」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「それでもだめ、あなたはやっぱり来る、この控え家へまで、用もないのに三日とおかずいらっしゃる、もういや、もうたくさん、わたくしこの家を出てゆきます」 「藤江の家名や父の面目を潰《つぶ》してもか」 「あなたが初めに、三年まえに」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「お父さまにではなく自分の妻になれと仰しゃっていたら、決してこんなことにはならなかったでしょう、あなたにはそれを云う勇気がなかった、そしてこの場になっても、家名や面目などでわたくしを抑えようとなさる、あなたは卑怯のうえに狡猾《こうかつ》だわ」 「云いたいことを云え、だが、――この家からは決して出さないぞ」 「そこをとおして下さい」 「出してやるものか、断じてだ」 さだ[#「さだ」に傍点]は静かに前へ進んだ。小五郎は立ち塞《ふさ》がった。しかし彼女がそれをよけて、次の座敷へゆくと、うろたえたようにあとを追った。 「待ってくれ」小五郎は云った、「せめて、せめて父上が帰ってからにしてくれ」 さだ[#「さだ」に傍点]は廊下へ出た。 「待たないのか、本当に出てゆくのか」 さだ[#「さだ」に傍点]は玄関のほうへゆきながら、召使の名を呼んだ。侍女が返辞をして出て来た。すると小五郎が喚いた。 「おのれ、出るな」 侍女はふるえあがって、そのまま部屋へ引込もうとした。さだ[#「さだ」に傍点]が振返った。 「義兵衛に云っておくれ」とさだ[#「さだ」に傍点]は侍女に云った、「表へ乗物をまわすように、いそぐからすぐにと云っておくれ」 侍女は小走りに走った。 「どうしても出るのだな」小五郎は逆上したように云った、「もういちど念を押す、どうしてもここを出てゆくつもりか」 さだ[#「さだ」に傍点]は玄関へ出ていった。 「よし、できるならやってみろ」 小五郎は追っていった。彼の前袴《まえばかま》へ挾《はさ》んであった扇子が落ちた、彼は玄関へ出て、刀を左の手に持ち替えた。 「できるならやってみろ」と彼は逆上した声で叫んだ、「おれはこの家から生かしては出さない、おれはきさまを斬る」 さだ[#「さだ」に傍点]が振向いて彼を見た。 「威《おど》しだと思うと間違うぞ、おれにはきさまを斬っていい理由があるんだ」小五郎は刀の柄に手をかけた、「おれは不義の証拠をつかんでいる、不義者を成敗するのは武家の作法だ、さあ、――出るなら出てみろ」 玄関の向うへ駕籠がおろされた。 「履物をおくれ」とさだ[#「さだ」に傍点]が云った。 陸尺《ろくしゃく》の一人が草履を取って入って来た。さだ[#「さだ」に傍点]は式台へおりた。すると小五郎が刀を抜いたので、陸尺は吃驚して外へとびだした。 「さだ[#「さだ」に傍点]、――」小五郎が叫んだ、「斬るぞ」 さだ[#「さだ」に傍点]はもういちど彼に振向いた。 「どうぞ」とさだ[#「さだ」に傍点]が云った。 小五郎は刀を振上げた。刀がぎらっと光った。さだ[#「さだ」に傍点]は草履をはいた。小五郎は振上げた刀の柄へ左手を加え、大上段に構えて式台へおりた。さだ[#「さだ」に傍点]はおちついて草履をはき、静かに玄関を出た。 小五郎は棒立ちになっていた。彼の大上段に振上げた刀が、ぎらぎらと光りながらこまかくふるえた。 陸尺が引戸をあけ、さだ[#「さだ」に傍点]は駕籠の中へ入った。陸尺は彼女の草履を取り、それから棒に肩をいれた。――小五郎は見ていた。駕籠はあがり、それから静かに門のほうへ出ていった。門を出て、ゆっくりと左に曲り、そうして見えなくなった。小五郎の腕が力なくさがり、刀の切尖《きっさき》が式台の板へ触れそうになった。 「どうしよう」と彼は呟いた、「どうしよう」 彼は刀を(ぬぐいもかけずに)鞘へおさめた。そのとき道のほうで呶号《どごう》が聞えた。 千切れるような叫びと呶号の声が―― 小五郎は足袋はだしのままとびだした。とびだしていって門の外へ出ると、二十間ばかり向うに駕籠が見えた。その駕籠が殆んど抛《ほう》りだされ、二人の陸尺が道傍《みちばた》へとびのくのが見えた。陸尺たちは竹藪《たけやぶ》の中へとび込んだ、駕籠は道の上に斜めに置かれ、そこへ奔馬が突っかけて来た。たてがみを振り乱し泡を噛《か》んだ馬が、狂ったように蹄《ひづめ》で大地を叩き、うしろに土埃《つちぼこり》を引きながら殺到して来て、蹄を駕籠に突っかけた。小五郎は「ああ」といった。 馬は前肢《まえあし》を駕籠に踏み込み、駕籠といっしょに転倒した。濛々《もうもう》と舞い立つ土埃がそれを包んだ。馬はするどく嘶《いなな》き、二度ばかり四肢をはねあげ、そして起きあがるとともに、もと来たほうへ疾駆していった。――陸尺が道へとびだして来、二人で駕籠を起こそうとした。そこへ小五郎が走っていった。駕籠は潰れていて、起こそうとすると屋根が取れた。 「さだ[#「さだ」に傍点]、ただこ[#「ただこ」に傍点]」小五郎が叫んだ。 彼は毀《こわ》れた引戸を外そうとした。 「よけられなかったのです」陸尺の一人が云った、「あんまりいきなりだったもので、どうよける法もなかったのです」 引戸が外れた。さだ[#「さだ」に傍点]の躯は坐ったままねじれ、上半身が仰になっていた。ねじれた躯の帯の上が血に浸り、その部分がみるみるひろがるようであった。 「ただこ[#「ただこ」に傍点]」小五郎はがたがたとふるえた、「聞えるか、ただこ[#「ただこ」に傍点]、私だ」 「迎えに来て下すったの、あなた」とさだ[#「さだ」に傍点]は云った、「迎えに、――うれしいわ」 彼女の眼はうつろだった、空虚な、瞳孔《どうこう》のひらいた眼で、そこにいる誰かを求めでもするように、空を見た。 「あたし、なにもかも、いいようにして来ましたわ」彼女は優れた声で囁いた、「――なにもかも、……さあ、まいりましょ、あたしに、あなたの、そのお手を、かしてちょうだい」 さだ[#「さだ」に傍点]は手を伸ばした。まるで誰かの手を求めでもするように、しかし伸ばした手は途中で落ち、その頭はぐらっと左へ傾いた。――さだ[#「さだ」に傍点]の呼吸が絶えた。 [#6字下げ]八[#「八」は中見出し] 淵には九月の、乾いて冷える風が吹いていた。半三郎は俎板岩の上で、釣糸を垂れていた。 「おい」と彼は俎板岩に云った、「今日もだめか、え、――頼み甲斐《がい》のないやつだ、おまえ頼み甲斐がないぞ」 半三郎は向うを見た。向うの断崖の裂け目には、実生《みしょう》の小松や、楓《かえで》や黄櫨《はぜ》などが枝を伸ばし、芒《すすき》が茂みをつくっていた。川下から風が吹きあげて来ると、それらがつぎつぎに、互いになにか囁きあうかのように、つぎつぎに揺れていった。芒は穂をぬき、黄櫨の葉は鮮やかに紅く染まっていた。 「あいつはぬけ作だ、段平のやつは」彼はまた俎板岩に云った、「あいつは、捜しようがねえですだよ旦那、などと云やあがった、――おい、聞いているかきょうだい、段平のぬけ作は、さだ[#「さだ」に傍点]なんて名めえは幾らでもあるだ、すぐ向うの筆屋の娘もそうだし、その娘のばあさまもさだ[#「さだ」に傍点]っていうだ、もしもなんなら、旦那がお順繰りに一人ひとり見て歩くがいい、おらはお顔もお姿も知らねえですだで、逆立ちしたって捜し出せやしねえだよ、……あいつはぬけ作のうえに人情のない野郎だ、そう思わないかきょうだい」 彼は手で俎板岩を叩いた。 蜂屋で逢って以来、ただこ[#「ただこ」に傍点]は姿をみせなかった。この土地に知人のない彼は、人に訊くこともできず、また、人に訊けることでもなかった。城下町をどれほど歩きまわったことだろう、――ただこ[#「ただこ」に傍点]は淵へも来ず、その姿をみせもしなかった、そうしてもう、七十日ちかい日が経っていた。 「あの日のおまえはきれいだった」半三郎は水を眺めながら云った、「本当にきれいだったよ、ただこ[#「ただこ」に傍点]」 彼の眼がうるみ、声がふるえた。 「おまえあのとき、また明日、――って云ったろう、また明日、あの淵でって云ったじゃないか」彼は眼をつむり、そうして囁いた、「どうして来ないんだ、どこへいってしまったんだ、ただこ[#「ただこ」に傍点]、おまえいまどこにいるんだ」 半三郎の持っている竿が撓《しな》った。もっと大きく撓い、水面で魚が跳ねた。彼はその撓う竿を持ったまま、頭を垂れた、低く頭を垂れて、そして口の中で囁いた。 「ただこ[#「ただこ」に傍点]、――」 水面で魚のはねる大きな水音がした。 底本:「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」新潮社 1983(昭和58)年1月25日 発行 底本の親本:「講談倶楽部」 1954(昭和29)年8月号 初出:「講談倶楽部」 1954(昭和29)年8月号 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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