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一次的情動、生得情動とも言う。 ダマシオは、 喜び・悲しみ・恐れ・怒り・驚き・嫌悪、の6種類を一次的情動とした。 プラトニックは、 恐れ・怒り・悲しみ・喜び・受け入れ・嫌悪・期待・驚き、の8種類を基本的情動とした。
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乳児の情動を調整しようとする養育者の働きのこと。 子どもがネガティブな情動を表出した時に、その情動を抑え込むのではなく、 ネガティブな情動に養育者が共鳴しながら、自身の情動を落ち着かせ、穏やかなものにさせて、 子どもが鎮静化するように対応する。 養育者自らの情動を変化させる。 子どもを1つの個体としてみなすという考え方。
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情動干渉系魔法は、系統外魔法に属する。 精神干渉系魔法の一分類で、意思・意識ではなく衝動・感情に働きかける魔法を指す(*1)。 魔法 梓弓 登場巻数 1巻 コメント 用語 魔法
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認知主導モデルと、情動主導モデルを批判した、ルイスらによる提唱。 情動の種類によって認知が異なったり、 情動が結果として生じる場合も、それ以前に生じる場合もあったため、 従来のモデルを否定したフーガモデルを主張した。
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じょうどうくらしっく【登録タグ し アテコスリ 初音ミク 曲 殿堂入り】 作詞:アテコスリ 作曲:アテコスリ 編曲:アテコスリ 唄:初音ミク 曲紹介 アテコスリ氏 のボカロデビュー作。 PVを born氏 が、エンコードを rococo氏 が手掛ける。 歌詞の内容、PVのクオリティなどの反響が大きく、初投稿にして初の殿堂入りを達成。 歌詞 個性の尊厳ばっか持っていって 無い物ねだり気にしちゃって それでもそうさそうさ俺たち 空中糾弾(きゅうだん)散って花咲かせ あるはずない真理並べて 口を開けば言い訳すんな 眉唾物に拍手かっ飛ばして 盲目クラッシック待った! 見っけちゃった ああどうしようかな まわれ右して後ろみて 案外見てみぬ振りそのまま帰っちゃって 論説を端的に活写 ほら模範生諸君! あっち向いてホイに興醒めの観衆 どうにもこうにもならないや 額面通り三つ四つ持って 文学通り六つ八つ持って 猫のまんまで張って待ってたって 誰も気づいちゃくれやしないよ あるはずない愛を並べて 目を閉ざして虚像錯覚 君を求めまた手放して 恋(こ)う成りました真っ赤な嘘を 高説を法的に断罪 単純明快それが答えか 捗捗(はかばか)しい不協和音ばっか どうにもこうにもならないや ああどうしようかな 右にならって前を向き 存在見てみぬ振りそのまま落ちちゃって 誰も気づかないまま 降下するアノ空の向こうへ 時間は止まったようだ 世界は終わってないが でも存在は疾(と)うに無くなって 一寸先の答えは何処か 神様が居るのならば セカイを救ってみせて コメント もうこの曲好きすぎてつらい。編集乙 -- 花霧 (2012-07-15 07 19 45) キタ━(゚∀゚)━! -- 名無しさん (2012-07-15 10 09 31) さすが仕事早い(・∀・) -- 名無しさん (2012-07-15 10 26 40) この曲大好きだ!頭の中から離れない -- 名無しさん (2012-07-15 12 27 15) 大好きです。 初投稿のクオリティの高さに驚きです。 -- 名無しさん (2012-07-15 15 05 37) この曲かっこいいです!!クオリティたかいー!! -- 名無しさん (2012-07-15 15 11 05) ハ マ っ た -- 炉 (2012-07-15 19 03 37) かっけぇー!Σ(゜д゜;) -- 名無しさん (2012-07-15 19 04 47) 聴いた瞬間好きになった -- てら (2012-07-15 19 09 30) リズムが好きです!!ノリがいいきょく! -- (`・ω´・) (2012-07-15 20 49 54) 中毒だwwww情動クラシック好きすぎて辛いっ!!アテコスリさんこれから期待しまくり(`・ω・´) -- 名無しさん (2012-07-15 21 56 32) デビュー曲でうp二日目にして50000再生越えってすごいね、今後に期待だ -- 名無しさん (2012-07-15 22 01 28) 後半の拍手するところかっこよすぎ!! -- 名無しさん (2012-07-16 03 16 37) めっちゃハマった!!!!! -- 名無しさん (2012-07-16 09 55 31) PV負けしてるとかなんとか言われてるけど曲かっけーよな -- 名無しさん (2012-07-17 17 20 50) ユーザーお気に入り登録してなかった俺はちょっと人生改めてくる -- 名無しさん (2012-07-17 17 24 19) すごいもうすごく中毒 -- 名無しさん (2012-07-17 21 25 00) ボカロの曲自体はどれも素晴らしいがこの手の歌詞は見飽きた ソフィストはいつの時代でも現れる -- 名無しさん (2012-07-18 04 41 06) 新人とは思えない!かっこよすぎる! -- シュガートースト (2012-07-18 08 51 19) 『どうにもこうにもならないや』で鳥肌立った…すげー! -- 零雅 (2012-07-18 09 35 29) ソフィストねぇ…… -- 名無しさん (2012-07-18 15 39 50) かっこえええええええええ!!!!! -- karin (2012-07-18 20 05 10) 曲もPVもカッコよ過ぎ!!\(//∇//)\ -- れびやたん (2012-07-19 16 53 17) 殿堂入りおめでとうございます! すっかりはまってしまったw しかし、これが処女作とは・・・ -- 名無しさん (2012-07-20 14 57 49) 殿堂入りおめですー!ww この世界観好き応援してますわ馬路w -- 沙姫 (2012-07-20 20 50 19) おめでとうございます!!ホント大好き!もう毎日聞いてるw -- 名無しさん (2012-07-20 21 14 52) 殿堂入りおめでとうございます。 リピート再生とまりませんww -- 名無しさん (2012-07-21 18 01 38) この手の歌詞は厨二臭くなりやすいのに、この曲は厨ってより真面目な世相批判や皮肉に聞こえてアテコスリさんの才能を感じる -- 桐 (2012-07-22 15 49 23) え、これ凄いカッコいい -- 名無しさん (2012-07-22 15 52 40) 凄く深い歌詞とPVだと思う。 -- 名無しさん (2012-07-22 15 58 44) 処女作すげぇ -- 名無しさん (2012-07-23 10 33 03) たまたま新曲リンクをのぞいたらうp日に見っけてかなりテンションあがってた。あの頃は荒れてなかったのになぁ…。 -- すだち (2012-07-25 22 59 21) これは中毒だわ -- おんゆ (2012-07-26 21 53 23) 中毒性が高いのは確かだな、俺もハマったし -- 名無しさん (2012-07-27 11 12 36) めっちゃ中毒~(#^ω^#) 頭ん中ループしてるww -- なっち (2012-07-27 11 32 57) 「セカイを救ってみせて」 のところ好きだわ~(^o^)/ -- なっち (2012-07-27 11 35 26) この前の自殺の件思い出した。どうか皆が自殺なんて馬鹿なことしませんように -- 名無しさん (2012-07-28 11 00 59) バカみたいに大好き!!!! -- TaniA.K (2012-07-29 00 55 21) アテコスリさんの曲、これしか見つからなかったけどこれ以外ないの?…あ、この曲も大好きですよ? -- みーな (2012-08-06 12 15 04) 殿堂入りおめでとうございます!!最初クラッシックって書いてあったからクラッシック系の音楽かと思ったら全然違ってびっくりしました(笑)毎日聞くくらい中毒です!情動クラッシック大好き!!! -- 璃雷 (2012-08-09 11 11 15) この歌好きです!セカイを救っちゃってください! -- 名無しさん (2012-08-15 17 28 05) すき! -- 名無しさん (2012-08-21 18 07 13) すごくかっこいいいっ!!! -- 名無しさん (2012-09-13 21 01 27) か…かっこいい…!! -- 緑 (2012-09-23 08 51 42) この曲聴いた瞬間好きになりました アテコスリさんでしたっけ、今後に期待してます! -- 名無しさん (2012-09-23 10 00 59) すごくこの曲好き!ループ何回してるんだろう、 -- 名無しさん (2012-09-26 23 39 25) この曲好きだわー!球磨川www -- あげぱん (2012-09-28 20 18 33) セカイすくっちゃってー>< この曲中毒性があるww 大好きだあああ* -- sss (2012-09-29 13 37 15) やっぱり格好良いなぁ -- 名無しさん (2012-10-12 21 21 34) この曲大好きなんだけど動画コメが・・・ -- 名無しさん (2012-10-22 13 06 27) このうた カッコイイ! -- リン (2012-12-25 07 17 30) 『球磨川』関係のコメントはそれっぽい所だけにしてくれw荒れるからw -- 名無しさん (2013-01-29 22 50 46) 初めてのうた -- 名無しさん (2013-02-02 21 55 15) 中毒性高くてたまらんー!気づいたら聞いてしまってる曲ww -- leaf (2013-02-19 23 26 07) すんげー風刺効かせてる・・・。凄い皮肉言ってるよね。この曲。言葉選びがセンスの塊。 -- 名無しさん (2013-02-25 14 43 18) だいすきすぎて死にそうです///////← -- 名無しさん (2013-02-25 20 55 57) たった3分にたくさん詰め込んであって、単純にすごいなって思った。好きだ。 -- 名無しさん (2013-02-25 21 34 36) なんかはまるううぅぅぅぅぅうu((殴 -- 名無しさん (2013-03-03 09 18 21) PVも曲もハイクオリティ -- 名無しさん (2013-03-29 01 00 05) この曲全然飽きないな。今現在も中毒だ。 -- 名無しさん (2013-03-29 05 20 40) いいね~~~ -- 名無しさん (2013-05-21 20 43 26) かっこいい…! -- 名無しさん (2013-07-05 17 07 07) 中毒だ^^ -- 名無しさん (2013-07-13 00 08 47) そのまま落ちちゃって~がすっごいツボ!かっこいい! -- 名無しさん (2013-11-03 09 18 47) 処女作でこのクオリティーは凄い(°□°) -- AKI (2013-11-16 18 52 19) 今頃この曲好きになってもたーw(´・ω・`)ノ -- 名無しさん (2014-03-18 20 32 03) かれこれ二年聞いてる。中毒が抜けない… -- 名無しさん (2014-07-11 09 33 15) 次作が楽しみ -- 灯台 (2014-09-12 18 03 15) 久々に聞いたら中毒った -- 名無しさん (2015-08-20 00 58 06) 初投稿で殿堂入りにも関わらず二作品目を出さずに終わっていった悲しさ… -- れんちょん (2017-03-31 21 22 41) 鳥肌が立つ! -- 夜月桜(名前が変わった) (2017-03-31 22 05 15) 名前 コメント
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人が社会で生きる時に要求される社会的スキルの統合のこと。 ・時代が要求する内容 ・パーソナリティ要因としての内容 ・知能としての内容 の3つの側面がある。 地域、国によって要求される情動知性が異なる。
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情動が、認知に先だって起こるという考え方。 情動によって、思考や認知が発生するという考え方のこと。 例)笑ったから嬉しい
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情動魔法 Cathartic Magic 出典 Secrets of Magic 194ページ Some spellcasters draw their magic from the gods, while others shape it by precisely manipulating unseen energy. Still others fuel their magic with raw emotion the cathartic mages. Their emotional magic is powerful, but raw and unpredictable. 稀少度: アンコモン Catharsis, the process of purging pent-up emotions, places a cathartic mage in a heightened emotional state much like a barbarian's rage. Magical energy pours out, often manifesting in visible displays that cascade off the mage. This can even produce a faint echo of the released emotion within those nearby. Though it seems reasonable that the caster's pent-up emotion would be one that they normally repress, this is by no means required. A cathartic mage could be a generally happy and positive person who still enters an enhanced state as a magical wave of joy overwhelms them. The magic of emotions is as difficult to master as emotions themselves. Practitioners of this art find themselves tired, unfocused, or in physical pain after tapping into their deepest feelings. It often takes time for these users to reclaim mastery of their own minds. Most cathartic mages find a mundane activity to help settle themselves, such as reading, needlepoint, or simple meditation. ロールプレイング Roleplaying 出典 Secrets of Magic 194ページ Using cathartic magic in your game invites heavy use of role-playing emotional states, which can be a challenge for some game tables. Players need to check with their GMs and other players to ensure these rules are appropriate for the game. Entering an emotional fervor doesn't mean anything a character does in that state is acceptable. As always, adding new rules doesn't excuse being rude to other players. It's also important to keep the cathartic emotion from overshadowing the other parts of your character, as it works best as part of a well-rounded personality. It's a powerful emotion, though not your only emotion. This power can be a double-edged sword, but it doesn't have to be. It could be a fun quirk, a deep struggle, or a mysterious power your character wants to investigate. ゲームマスターの運用 Gamemastering 出典 Secrets of Magic 194ページ One of the reasons cathartic magic is uncommon has to do with the adjustments the GM must make to incorporate it in the game. Some situations that would normally be detrimental for PCs, like becoming controlled or critically failing at a roll, can be a trigger for powering up instead! Some emotions require a PC or NPC to be an emotional focus, making the ability largely useless if the PC is separated from that person. 計画されていない情動 Unplanned Catharsis 出典 Secrets of Magic 194ページ In the right circumstances, a GM might introduce cathartic magic into the game without a player pursuing it first. For example, if a mind-controlled bodyguard is ordered to slay someone they vowed to protect, the GM might decide they can take the Catharsis reaction from the Cathartic Mage Dedication. Like any reaction, it still poses a choice—the player could choose not to take it. If the player enjoys this mechanical reveal, they might even want to invest feats into the Cathartic Mage archetype.
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1.わたしたちの方法論上の前提 【支援の可能性】 世の中には 発達支援不要論の人びとがいて。そういう人びとは,「発達障害は,治らないから発達支援はいらないんだ」と主張しています。そういう人の見方には,障害がいつもいつも頑なに困難を固着させている,とみることが多いようです。 ちがうでしょうか? こうした障害への欠損説は,どうも定常的にあれはいつもだめだととらえる理解です。一つの欠けた部分が すべてを決めつける発想ですね。しかしそれはリアルとは,わけで理解が欠けているということです。それは,障害をもった個人のなかの「うまく人とかかわれるような側面」を見逃すものともいえます。 わたしたちの発想はもっと豊かであるべきです。 【今日の障害の理解】 須田(2017)に書いたことに触れることにします。 最近の脳神経にかかわる分子生物学研究では,1990年代以前の考え方,とくに<ASD(自閉症スペクトラム障害)が,単一の責任遺伝子が生み出したもの>と見てきた理解を大きく変えています。つまりASDの障害のしくみの理解が 変わろうとしつつあります。 今日では,こう理解されているといえそうです。 1)ASDのような障害が,ある特定の責任遺伝子の規定したものという決定論をとらえ直しています。すなわちASDについての分子生物学的な研究の結果,ASDの障害は,多因子的疾患としてとらえることが多いといえます。それは,もう神経連絡網の多様な問題として推測され,すなわちカドへリンなどの神経細胞の接続分子の異常が起こっていると報告されています。今後の研究でまだまだ 異なる内容になっていくかもしれませんが,少なくとも昔の遺伝論のような機械論的な因果予測として,ASDの障害を単純化して説明はできないということです。 2)重要なことは,発達が単純な因果で起こっていないということであり,無数の因子が複雑に相互作用してこの障害の特徴の生成にかかわっているということであるといえるでしょう。したがって個人ごとに(共通性もあるのですが)かなり多様な障害特徴が生じていると考えられるのです。 3)ですから発達初期であるほどに,障害と呼ばれるような機能の不全は,少しは軽減されうる可能性も推測されるということになります。 微妙な話を単純化して書いたので,よくないところもあると思いますが,そのあたりを幅をもってご理解いただきたいと思います。 須田(2018)にはその情動問題の軽減のための支援のことを書いています。 2.これからのアプローチ;体験の質 【法則定立できることもあれば,できないものもあるということ】 ここまでの歴史は,あまり有効な検証がなされてこなかったことへの反発から,やたらと検証を求めてきました。 しかしいろいろ考えてきましたが,わたしたちには,科学的事実(evidence)をだいじにしても,解明しきれない人間性というものがあるというところに,いつも辿り着きました。そしてその問いは,根本的な科学的な実証に因果法則を立てるように実証ができるかどうかに向かっていきました。 【体験の質:クオリア】 その究極の問いは,生きているという体験の質(クオリア)が最終的にわたしたちは,どのように位置づけ認めようとするのかに向かうことのように思われます。 体験の質とは,情動体験,つまり感情として感じられるもの,とりわけ苦しみや絶望だけでなく,喜びや幸福感というものがわたしたちの体験の輪郭だけでなく,それに質を与えるものといえると思われます。アスペルガー症候群の青年たちは,じぶんがそれを得られないと絶望します。傍らの心理支援者を毛嫌いするときです。 人間が自己の欲望を超えて,個人を超越した解放感に接する機会を得るときに,その解放感の喜びや,幸福感に接します。その選択を指してわたしたちは,何度もその質を支える情緒に目を向けます。 それでも<定量的な把握を重要視している>心理科学者たちは,定性的にしかとらええない体験の質を扱いそびれて今もいます。物質文明のなかで生産性が何よりもだいじと認めるかにあるとみるべきという実利的な世界のなかで,わたしたちがパンを食べているということが解らないではないです。しかしたとえば亡くなるまでの最後の時期にヴィゴーツキーが探求していた<具体的な人間の心理学>とは,もっと体験の質に目を向けるべきだということは,あったのではないかと筆者は考えます。 感情という人間の経験する情動の質への関心は,いままでに定量的な科学が見落としてきたものに目を向けさせることと思います。質的な,小さな喜びというものが問い直されると思います。 そもそもわたしたちの社会性には,自然主義的な内在するがかかわっています。それを取りあげてみることをしたいと思います。 生態を観察してみると,自閉症スペクトラム障害を取り上げるときには,生物的制約と呼ばれる発達的な限界が壁としてあることが協調されがちですが,そんな子にも「変化しうる発達的な可塑性」があると思います。 ヒトには,「内発的な調整」への希求があるということを,とらえようとすることが自然主義的な接近法のねらいで す。 3.自然主義的アプローチでの情緒のとらえ方 【心とからだへの視点】 ヒトの存在は 心身システムでとらえられるべきと思います。身体的な「情動」と心理的な「感情」が,発達的に変化することが,わたしたちの関心です。たとえば赤ん坊、たとえば思春期の子ども、感情が動いているその全体をとらえないと、 何が起こっているか見えてきません。そして重要なことは,身体を 留め具としてヒトは その生態や文化にかかわっていきます。「状況的な存在」でもあるのです。 ヒトは、認知によって行動決定の利害をとらえることをしていますが,もう一つの適応のルート、感情・情動によっても関係を調整し,協働して生きることを可能にしています。 【情動の機能】 情動とは,生理的な変化も,行動表出も,心的な感じ・感情も含まれます。心に浮かぶ側面は 感情 とよばれます。たとえば、人に知られたくない悪いことをしたとします。それが露見しそうになるとどうなるでしょう?胸がドキドキし、お腹のあたりに暗い感覚が感じられます。そうです。 情動はからだに起こる変化であり、その内臓感覚の一部を読みとったものが心に映された「怖ろしい」という感情なのです。感情はそういう意味では、「直感」でありますし、その意識される部分は、情動の一部にすぎないいのです。 そうした情動がひとびとの関心を集めているのは、それがきわめてプライベートな個人的な身体的なものでありながら 存在の現在を表してくれるからです。 感情は,その人自身の内面を見せてくれる窓であり、それが「いま・ここ」の特殊な自己の立ち位置(ポジショニング)を示し,それゆえに人間関係そのものを発達させるしくみでもあるからです。 ーーーあ,いけない と思って顔を赤らめて 謝る。そうしたことが関係性を調整するのです。 ひとと息があう、ひとと共鳴するなどの人間関係の基礎を創るものであることに繋がるともいえます。 情動は、自己の当事者感を生みだすだいじな内的なレスポンスといえます。 【情動の発達】 情動の調整は、まず身体からことに生体調節を起源として生れます。それは、乳児期のうちに他者とのやりとりシステム として機能を始めます。この他者とのあいだに機能する情動は、じきに人々とのあいだでなした関係性を記憶させていきます。 こうして、 習熟した情動的コミュニケーションからたくさんの情動体験をえて、主体は(他者とのあいだにはたらく) 自我感を育てていきます。このように人間性を基礎づけ、自己を発生させる原点として、わたしたちは情動の機能をとらえ その関係への調整性を解明することが心理学ではテーマになっています。
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◆第一章 〈まことのことば〉の体験 第一節 情動の技法 第一章では宮澤賢治が彼自身の情動的側面をいかに伝達しようとしていたかをめぐった考察がなされる。突破点となるのは、彼に不意に襲いかかる幻覚-ファンタズムであり、これの内実を探求することによって、彼がいかに他者との情動的な接触を達成する技法について思索をめぐらせたかを概観する。その作業の過程で、禁欲的と呼び慣わされている宮澤賢治像の更新(*1)がなされるだろう。 賢治の仕事における情動的側面を素描する上で大塚常樹の先行研究は豊富な作品分析も兼ねていて有効だが、【赤眼】(*2)や【爬虫類】(*3)として仏教的、あるいは過度に構造的に取り扱われることが多く、整然としすぎている。(大塚の二つの賢治研究の題名は『心象の記号論』、『心象の宇宙論(コスモロジー)』なのだから私が無い物ねだりをしているのかもしれないが。) 「蛇と竜は、大正七年当時の賢治のおかれた精神的な苦境を繁栄するイメージであった。そこでは魔性に取り込まれてもがく自身の精神が赤眼の蛇に、そして救済として天上へ飛翔する竜への返信が、他者のために命を惜しまないという捨身布施の行為によってなされる、という自己救済神話が記されていた。つまり、賢治テクストにおいて、《蛇》とは修羅意識の具象的イメージであると言うことができ、従って何らかの形で蛇と関係づけられた《赤眼》は、その生物が修羅意識に捕らわれていることを示す指標であると考えることができるだろう。」(『宮澤賢治 心象の記号論』P.182) 「賢治にとって、地質年代(古生物学)の《中生代》(約二億五千万年前より六銭五百万年前まで)に繁栄した、《巨大爬虫類(恐竜)》は、修羅的生物の極めて強烈な、具体的視覚イメージだったようである。詩「〔このあるものが〕」等に見られるように、賢治はこのイメージが《無意識下》から立ちのぼり、彼の幻想となって姿を現すことを極度に恐れていた。では何故、中生代の巨大爬虫類は不安をかきたてるイメージなのだろうか。……(中略)……進化論と十界互倶思想の洗礼を受けた賢治は、科学的にも宗教的にも、自身の意識の中に別の生物の要素が(見えないから、賢治は「幽霊」とも表記する)が存在していること、即ち自身もまた《キメラ》的存在であることにしばしば気づかざるを得なかったのである。賢治の場合その隠された別の生物とは、十界互倶思想(宗教)で言えば、人間よりも欲望がはるかに強い鬼(餓鬼や鬼神)であり、進化論(科学)で言えば、人間が進化する過程でたどって来たより加藤な生物、具体的には醜悪な爬虫類だったのである。」(『宮澤賢治 心象の宇宙論』P.161-P.165) 大塚の分析するように情動的側面は賢治の創作活動において最初から常に前提条件とも言える位置にあり、もっとも伝達が望まれているものである。賢治の野心は一貫して彼自身が聴きとった、起源に関する幻聴の共犯者を見つけだすことに尽きていた。それは彼の、短歌などを除く創作活動が浄土真宗から法華経の教説への移行によって開始された(*4)ことから考えてしごく当然といえよう。詳しくは本論文の三章で述べるが、それはゴータマが聴衆の機根や好みを一切考慮に入れずに真理を説くという法華経の前提条件が賢治の希求した情動の伝達性と親和的であったからだ。 それでは十八歳で法華経と出会う前後、もっぱら短歌を主とした大正七年までの賢治の創作活動において彼の情動はどのように扱われていたのだろうか。注目されるのは「ちゃんがちゃがうまのうだ四っつ」(1917.5)、また「青びとのながれ」(1918.5)、「アンデルセン氏白鳥の歌」(1920.12)等の連作である。 そもこれはいづくの河のけしきぞや人と死びととむれながれたり 青じろき流れのなかを水色に人々長きうでもて泳ぐ 青じろきながれのなかにひとびとは青ながき腕をひたうごかせり うしろなるひとは青うでさしのべて前行くもののあしをつかめり 溺れ行く人のいかりは青黒き霧をつくりて泳げるを灼く あるときは青きうでもてむしりあふ流れのなかの青き死人ら 青人のひとりははやくたゞよへる死人のせなをはみつくしたり 肩せなか喰みつくされてしにびとはよみがへりさめいかりなげきぬ 青じろく流るゝ川のその岸にうちあげられし死人のむれ あたまのみわれをはなれてはぎしりの白きながれをよぎり行くなり (「青びとのながれ」) わずか十首ながらどっと疲労させる力を持つ「青びとのながれ」はしかし短歌の形式を採用したことがむしろ疑問であるほどの連続性をもつ。賢治はなぜ短歌という形式を選択したのか。それは短歌の千五百年余り継承された定型に求められる。つまり三十一文字の整然とした限定へと献身することで賢治は自信の情動を解毒し、保持可能な感覚の総体として維持したことが推測される。賢治にとって情動とは、幻覚-ファンタズムの外部からすれば可視できないほどに歪曲した一つの錯乱であるのだが、彼はそれをなんらかの外在的形式――とくにそれは聴覚に心地良いリズムをもたらす――に基底した。 初期の賢治はその幻想の錯乱が他者へと流出(-流入?)する状況に脅え、短歌の形式や自身の考案した暗号を施すことでそのものの呪鎮を試みる。だが、そういった作業は当然、内的な秩序を彼の幻覚にもたらすわけがなく、不統合への強い不安は、反転して外的な秩序への捨身的希求へ変化する。(*5) いずれにせよ、心象スケッチという『春と修羅』(1924.4)を通じた詩への交戦にいたる前の段階では、賢治は彼自身を基体ならしめる、彼の名のもとに現れる幻覚-ファンタズムを十全に展開しているとは言えず、また積極的な参入にも至っていない。断章「復活の前」(1918)はその混乱を如実に示す。 (今人が死ぬところです)自分の中で鐘の烈しい音がする。何か物足らぬ様な怒ってやりたい様な気がする。その気持がぽうど赤く見える。赤いものは音がする。だんだん動いて来る。燃えてゐる、やあ火だ、然しこれは間違で今にさめる。や音がする、熱い、あこれは熱い、火だ火だほんとうの火、あついほんとうの火だ、あゝこゝは火の五万里のほのほのそのまんなかだ。 無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭遇したてまつることかたし。われいま見聞し受持することを得たり。ねがはくは如来の第一義を解し奉らん なんにもない、なぁんにもない、なぁんにもない。 戦が始まる、こゝから三里の間は生物のかげを失くして進めとの命令がでた。私は剣で沼の中や便所にかくれて手を合せる老人や女をズブリズブリとさし殺し高く叫び泣きながらかけ足をする。 私に馬鹿です、だからいつでも自分のしてゐるのが一番正しく真実だと思ってゐます、真理だなんとよそよそしくも考へたものです。 (「復活の前」) 短歌創作期とその前後においては、彼はコミュニケーションにおいて戦略性を欠いており、情動は常に彼にとっての不機嫌さと、劣等感、自立願望(というより、自立した完結性への志向)という形で自嘲的に現れる。彼は、彼自身の内部にある規則の不備を感じながら、彼の外側にある規則を嘲弄し、その嘲弄に彼自身の消失幻想を重ねて楽しむ。(*6) 彼が晩年に自らに課す、そして周囲に敷衍させようと試みることになる幾つかの(峻厳な?)戒律は、内在的な幻覚を外在的な規則へと戦略的に置き換えることで成立した。 だが、賢治の思考を激しく攪拌する一瞬一瞬の抽象的な衝動と、外在化された戒律のいったい何が同じだというのか? ここで賢治にとって、自身の非連続的な幻想に不意打ちされ、捕らわれることは、別の場所に用意された目的――〈何を似ってか衆生をして、無上道に入り、速やかに仏身を成就することを得せしめんと〉(*7)――を成就するためになされることでは全然なく、すぐれて好戦的であり、事態そのものを(苦痛と懲罰に嘖まれつつも)満喫するにふさわしいものであるという初歩的な点を喚起しておく必要がある。例えば『毒もみの好きな署長さん』(1921)においては、毒もみをした罪によって斬首される直前に「ああ面白かった。おれはもう、毒もみのことときたらまったく夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな」と、聴衆をすっかり感服させる警察署長に対照して、毒もみで採られた鯰や鰻などの収入計算の推測にいそしむ床屋は軽蔑の対象を出ることはない。床屋が軽蔑の対象となることはまだしも、法規をみずからやぶる警察署長に聴衆たち-賢治が感服するくだりは読んでいて吹きだすほど面白いのだが、その場面は一般的・社会的な道徳からははっきりと逸脱している。詳しくその場面を抜き出そう。 さてこの国の第一条の 「火薬を使って鳥をとってはなりません、 毒もみをして魚をとってはなりません。」 というその毒もみというのは、何かと云いますと床屋のリチキはこう云う風に教えます。 山椒の皮を春の午の日の暗夜に剥いて土用を二回かけて乾かしうすでよくつく、その目方一貫匁を天気のいい日にもみじの木を焼いてこしらえた木灰七百匁とまぜる、それを袋に入れて水の中へ手でもみ出すことです。 そうすると、魚はみんな毒をのんで、口をあぶあぶやりながら、白い腹を上にして浮びあがるのです。そんなふうにして、水の中で死ぬことは、この国の語ではエップカップと云いました。これはずいぶんいい語です。 とにかくこの毒もみをするものを押えることは警察のいちばん大事な仕事でした。 ……(中略)…… 「何かおてがかりがありますか。」 「さあ、そうそう、ありますとも。ちゃんと証拠があがっています。」 「もうおわかりですか。」 「よくわかってます。実は毒もみは私ですがね。」 署長さんは町長さんの前へ顔をつき出してこの顔を見ろというようにしました。 町長さんも愕きました。 「あなた? やっぱりそうでしたか。」 「そうです。」 「そんならもうたしかですね。」 「たしかですとも。」 署長さんは落ち着いて、卓子の上の鐘を一つカーンと叩いて、赤ひげのもじゃもじゃ生えた、第一等の探偵を呼びました。 さて署長さんは縄られて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。 いよいよ巨きな曲った刀で、首を落されるとき、署長さんは笑って云いました。 「ああ、面白かった。おれはもう、毒もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で毒もみをやるかな。」 みんなはすっかり感服しました。 (「毒もみの好きな署長さん」) この作品にもっとも賭けられている情動が警察署長の不遜ともいえる独白に示唆される反道徳的な側面をもっていることは重要だ。このことを加味して考えると、賢治が、もし一般に言われるように国柱会への入会によって、法華教の精神を童話によって布教したいと望んだのならば、彼を魅了する彼の幻想fantasmeは自らの理論的地平の障害物となりうるのである。 この意味で、本論文では、賢治の幻想は、外在化した戒律がそれのみで閉域を形成することに対して、彼自身が(より生理学的に言えば、言語回路において生じるノイズ(=幻聴)を補正-圧縮する広域的なアルゴリズムの不全が)自らにしかけた躓きの石であるとも言える。この躓きの石は、彼が法華経の理論のうちに自足的に閉じることを妨げ、彼を経典と戒律のなかで決して微睡ませなかった。――さらに言及するなら、花巻の大商人であり町会議員、浄土真宗仏教会のリーダーである彼の父の政次郎と、花巻銀行の頭取にして、大地主の町会議員であった母親イチの実家「宮善」に代表される、地方財閥としての宮澤一族が支配していた政治・経済の権力構造への回収から(知らず知らずのうちに)逃れるための不良債権としても作用していたといえよう。 もちろん、彼は彼の幻想のみによって作品群を完成させたわけではない。アインシュタインの相対性理論をはじめとした当時最新の自然科学や、音楽、語学の知識、法華経の教義に至るまで、彼が彼の幻覚を語彙のもとにおき、一つの相貌を現前させる作業に関して論じるには、個々の作品群と使用される語彙の関係性について細かく見ていかねばならず、紙幅の関係でここではできない 従って、彼の創作活動において賢治の幻想は、最初から不可欠のものとして存在しつつ、かつそれは彼の希求し、自覚していた外的戒律の理論的地平においては解釈不能なものとしてあったことを確認し、論を急ぐことにする。まずは賢治の幻想の生々しさと攻撃性を次節「宮沢賢治についての最近の二つの考察」で素描してみよう。 (*1)中沢新一『哲学の東北』(幻冬舎 1998)によって、一般的に禁欲的であるというより、そういう心的態度を伴いながらも、より積極的なひとつの「技術」として賢治の「禁欲」が考察されている。賢治を「悪=修羅」の概念から再評価するこの本は、次章に紹介する『童貞としての宮澤賢治』にも強い影響を与えていることが窺われる。つまり、人への恵みを与える見かえりのない絶対的な贈与というモーセ-バタイユ的な蕩尽を賢治に隣接させる試みが、二つの論考ではなされるが、本論もこの論調にくみするところが大きい。 (*2) 大塚常樹「《赤い眼》のオブセッション」(『宮澤賢治 心象の記号論』(朝文社 1999) (*3) 大塚常樹『宮澤賢治―心象の記号論』「宮沢賢治・魔界のイコロジー」(朝文社 1999) (*4) 原子郎『宮澤賢治語彙辞典』(東京書籍 1999) (*5)捨身とは他の生き物を救うために自分の身体を捨て無上菩薩を得る菩薩行のこと。釈迦の本生譚が代表的。童話「二十六話」(1923)や「ビジテリアン大祭」(1924)などに色濃く賢治の捨身指向が現れている。 (7)書簡 (1910年9月19日)藤原健次郎あて (8)妙法蓮華経如来寿量品第十六