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『引かされた境界線(中編)』 38KB 愛で 差別・格差 日常模様 飼いゆ 野良ゆ 現代 独自設定 飼いゆっくり保護法成立過程その3 以下:余白 『引かされた境界線(中編)』 三、 女の暮らすアパートはペットを飼うことが認められていた。三階建ての小さなアパートで十五部屋しかないが、そのうち九部 屋もの住人がゆっくりを飼っていたのである。女は昼間の間は仕事に出ているため、れいむは部屋で一人ぼっちだ。似たような 境遇の飼いゆっくりは多く、このアパートの住人は話し合って一週間に一度だけ各部屋の飼いゆっくりを集めて細やかなお茶会 を開くことにしていた。 今日はそのお茶会の日である。 「ゆっくりーのひー♪ まったりーのひー♪」 「わかるよー。 れいむはおうたをうたうのがじょうずなんだねー」 「とかいはだわ! もっときいてあげてもいいのよ?」 れいむ、まりさ、ありす、ちぇん、ぱちゅりーと言った割と安価で手に入るゆっくりばかりが集まっていた。しかし、値段は 関係ないだろう。この部屋の住人にとって、飼いゆっくりは家族同然だ。ゆっくりらしくゆっくりしていながらも、飼い主は勿 論、お茶会担当者にも迷惑をかけるようなことはない。野生ゆっくりが数匹集まると、途端に態度を大きくして調子に乗ってく るが、飼いゆっくりの場合はそうならない。と、言うのも、ここに集まった飼いゆっくりたちは教育課程と試験を突破したゆっ くりたちであり、野生ゆっくりや野良ゆっくりのような存在に対しては思いのほか厳しい態度を取る。 女の飼っているれいむがおうたを歌い、それに合わせてまりさがひょうきんなダンスを踊る。ありすとぱちゅりーは楽しそう に笑い、お茶会担当者の飼いゆっくりであるちぇんは飼い主の足元で「何か手伝うことはないか」などと言っていた。思い思い にゆっくりしていたのである。 そんなとき、ありすがれいむの事をちらちらと見ているのにまりさが気が付いた。 「ありす、どうしたのぜ? れいむのかおになにかついてるのぜ?」 「ゆ?」 「ち、ちがうのよ! どちらかというと、どうして、ついていなのかしら……って、おもっただけで」 「なにが?」 「ばっじさん」 きょとんした表情で見つめるありすのカチューシャには銅でできたバッジがついている。それは、まりさもぱちゅりーも、ち ぇんも同じだった。ぱちゅりーがのそのそとれいむの隣に這っていく。 「むきゅ……? れいむは、ばっじさんをもらうしけんはうけていないのかしら……?」 「しけん……って、なに? ゆっくりできるの……?」 「ゆっくり……は、できないわね。 きんちょーしたもの」 「そうなのぜ? あのくらい、まりささまにはらくしょーだったのぜ?」 「わかるよー。 ちぇんも、べつにきんちょーはしなかったんだねー」 途端に話が弾みだす四匹。れいむはその話題についていくどころか、四匹が何を話し合っているのかも分からない。けらけら と笑う四匹を見かねてれいむが意を決して尋ねる。 「ゆー? れいむには、みんながなにをいっているのかわからないよ……? ゆっくりせつめいしてね……?」 「ゆぅ……どうやって、せつめいしたらいいのかしら……?」 「むきゅ。 このあいだ、ぱちゅたちみたいなにんげんさんといっしょにくらしているゆっくりたちが、たくさんあつまって、 みんなでしけんをうけたのよ」 「そのしけんにごうっかくっ!するとねー、これがもらえるんだよー」 そう言ってちぇんが緑色の帽子に飾られた銅バッジを見せる。れいむはそれが一体何を意味しているのか理解できない。まり さも帽子の銅バッジを見せながら、 「まりさをしけんにごうっかくっ!させてくれたにんげんさんは、このばっじさんは“すごくゆっくりしているあかし”だ、っ てきかされたのぜっ!」 「すごく……ゆっくりしている……ゆっくり……」 れいむが「ゆわぁ……」などと言いながら表情を輝かせる。ありすが顔を傾げながられいむに質問をした。 「れいむは……うけなかったの……? ……はっ!? ごめんなさい、ありすったらとかいはじゃなかったわね……」 「むきゅ!? そういうことだったの……ッ!? ご、ごめんなさい……ぱちゅたちが、“でりかしー”にかけていたわ……」 「ゆ? ゆゆ?」 どうやら四匹はれいむがバッジ試験に落ちてしまったのだと思っているらしい。事情を知らないれいむは不思議そうな顔をす るばかりだ。それから何故か、四匹はれいむに多くお菓子を渡してくれたり、意味不明に頬を摺り寄せてきたりした。勘違いの 末にれいむを必死に慰めようとしているのだろう。ありすは、「試験に落ちても笑顔を絶やさないれいむは都会派だわ……」等 と言っていた。 「れいむと一緒に暮らしているお姉さんは、試験を受けさせてくれなかったのかしら……?」 お茶会担当者。通称、奥さん。とても三十六歳とは思えない美しい女性が五匹の近くにちょこんと座る。少し困惑したような 表情を浮かべるれいむが奥さんの元へと跳ねてきた。奥さんはれいむをひょいと抱き上げると、 「れいむはバッジについて何も知らないの?」 「ゆー……。 しらないよ……」 餡子脳をフル回転させて記憶からバッジという単語を検索してみるが、引っかからない。相変わらず困ったように両の揉み上 げをゆらゆらと揺らしていた。そこにまりさがやってくる。 「れいむも、“しけんさん”をうけるといいのぜ」 「で、でも……」 「あら……? “ばっじさん”がほしくはないの……?」 「ほ、ほしいよっ。 れいむも“ゆっくりしているゆっくり”になりたいよっ」 「じゃあ、“しけんさん”をうけたほうがいいんだねー」 「でも……どうやって……?」 奥さんはゆっくりたちのやり取りを聞いて小さくため息をついて笑った。それから、れいむをそっと抱き上げて膝に乗せる。 「それじゃあ、れいむと一緒に暮らしているお姉さんに私が聞いてみるわね。 もしかしたら、試験の事を忘れていたのかも知 れないわ。 れいむのお姉さんは仕事に一生懸命な人だから、そこまで気が回らなかったのかも知れないもの」 「ゆ? だいじょうぶだよっ。 ばっじさんのことは、きょう、おねーさんのおうちにかえってから、おねーさんにはなしてみ るよっ」 「ふふ……。 わかったわ。 でも、あんまり問い詰めちゃダメよ? お姉さん、今日も疲れておうちに帰ってくるだろうから」 「ゆっくりりかいしたよっ!!!」 「れいむはいい子ね。 れいむなら、バッジ試験なんてきっとすぐに受かるわ」 奥さんが言い終わるかどうかのうちに膝から飛び降りるれいむ。今の話を聞いていた四匹は、「早くバッジさんを貰って一緒 にゆっくりしようね」などと言っていた。 お茶会は遅くまで続いた。れいむの飼い主である女がインターフォンを鳴らしたのが午後七時半。既に奥さんの家は夕食の団 欒が始まっている。 「ごめんなさいっ! いつも、いつも、遅くなっちゃって……!!」 女が玄関先で深々と頭を下げながら叫ぶ。奥さんは口元に手を当てて微笑みながら「いいのよ」と答えると、部屋の奥から寝 息を立てているれいむを抱きかかえて連れて来た。そっと、女の手に渡す。女がれいむの寝顔を覗きながら小さく口元を緩めて 溜め息をついた。 「遊び疲れて寝ちゃったの。 起こすのもなんだか可愛そうだったから……」 「おねーさんが、むかえにくるまでおきてるんだ、ってがんばってたんだけど……ついさっき、ねちゃったんだねー」 「お、ちぇんじゃん。 やっほー。 ……そっか。 ちぇんもお見送りに来てくれたのに、ごめんね?」 「いいんだよー。 きょうも、れいむといっしょにあそべてたのしかったよー」 奥さんはバッジ試験のことを女に聞いてみようかとも思ったが、昼間のれいむの言葉を思い出し踏み留まる。それにちぇんと 楽しそうに会話をしている女が、れいむにわざとバッジ試験を受けさせないようなことをしているとは考えづらかった。 それから女は奥さんに一礼するとトコトコとアパートの踊り場を歩いて行く。れいむは「ゆぅゆぅ」と寝息を立てていた。よ っぽど遊び疲れたのだろう。部屋に戻った女がれいむの左頬を引っ張ってみるが目覚める気配がない。女はれいむをクッション の上にそっと乗せると、れいむ専用の薄い掛布団をそっと頭にかけてやった。 「はぁ……寝顔やばいなぁ……」 そう言ってれいむの寝顔を写メールでパシャパシャと撮り続ける。時々、「んゆ……」などという声が聞こえると女は床の上 を転げ回って悶絶していた。 女はれいむが……と、言うよりもゆっくりが大好きだったのである。頭が良くない癖に一生懸命、女が言ったことを考えよう とする姿。力もない癖に一生懸命、女の事を手伝おうとする姿。女はゆっくりが一生懸命に生きようとする姿が好きなのだ。そ れは人間に対してでも同じことであった。 「れいむはさ……、すげーゆっくりだよ。 私が顔だけになったら生きていける気がしないもんな。 ……ふんっ!!」 床に腹ばいになって寝そべっていた女がその体勢のままジャンプしようとする。当然、ジャンプなどできない。女はれいむを 見ながらクスリと笑うと、 「どうやって、跳んでんだよ、あんた……」 れいむの顔を人差し指で突っつきながら呟いた。時計が示す時間は午後八時半。お茶会で散々お菓子を食べさせて貰ったせい か、空腹で目覚めるようなことはない。女は下着だけを残して服を脱ぎ捨てると脱衣所へ向かい、扉を閉めた。 「ゆっく……? ゆ?」 れいむが目を開ける。いつのまにか女の部屋に移動しているようだった。暫く考え込んだ後に、れいむは自分が疲れて眠って しまったのだろうと納得する。風呂場からシャワーの音が聞こえてきた。女も部屋に帰って来ているらしいことを知って安心し たのか少しお腹が減ってきたようだ。れいむは女が風呂から上がるのを待つしかない。待っている間、バッジ試験の事を思い出 した。居ても立ってもいられなくなったのか、れいむが掛布団を振り払ってクッションの上から飛び跳ねる。そして、女が風呂 から上がるまで脱衣所の扉の周辺をうろうろしていた。 やがて水の流れる音が止まり、脱衣所の中の扉を開閉する音が聞こえてきた。れいむは扉の向こう側へと目を向け、そわそわ し始める。衣擦れの音。ドライヤーの音。普段、聞き慣れた音なのに、どうしてか初めて聞くような不思議な感覚を覚えた。れ いむはバッジ試験のことをどうやって切り出そうか、そればかり考えていたのである。そんなれいむの思考は、女によって勢い よく開けられた扉の音によって遮断されてしまった。れいむが目を見開いて、前を見る。そこには裸体にバスタオルを巻いただ けの女が立っていた。 「おろ……? 起きたのか。 あんまり扉の近くにいると危ないぞー? 前も一回、私が扉を開けたときに吹っ飛ばされて……」 「お、おねーさんっ!」 「?」 落ち着きのないれいむが上ずった声で女を呼んだ。女を見上げる瞳の奥には不安が見え隠れしている。女はそこまでは気付か ない。だから、見当違いの返事を返してしまう。 「あら……っ、まーた、“そんな恰好ではしたないよ”って言う気かぁ? ここには私とれいむしかいないんだからさぁ、そん なことは気にせず、ホレホレ。 私の裸を見るのが恥ずかしいか? 愛い奴よのぉ」 「ち、ちがうよっ、おねーさん。 それはどーだっていいよ」 「……あっそ」 女はとりあえず部屋の奥に歩いていき、戻ってきたときにはいつも部屋で来ているジャージに身を包んでいた。それから、よ うやくれいむの様子が少しおかしいことに気付いたのか、ソファーに腰掛けて足を組み真剣な視線をれいむに向ける。 「……どうしたの?」 「あ、あのね……」 揉み上げをゆらゆらと動かし、もじもじしながら、煮え切らない態度を見せるれいむに女は一瞬で痺れを切らした。 「れいむ。 言いたいことがあるなら、ハッキリ言う。 私に言いづらいことなんてあるのか? ないだろ? なんでも言え」 「ゆぅ……わかったよ……」 れいむがぴょんぴょんと飛び跳ねて、ソファーの上に飛び乗る。女はれいむを抱き上げると膝の上に乗せた。両者の視線が交 錯する。 「れいむ……、“ばっじさん”をもらうための……“しけんさん”を、うけたいよ……」 「……え?」 「そ、その……っ。 にんげんさんにかわれてるゆっくりは……、“すごくゆっくりしているゆっくり”っていうことを、みと めてらもえるようになる……“ばっじさん”をもらうための……“しけんさん”があるらしいんだよ」 「…………。 れいむは、ゆっくりしているゆっくりだよね? ……自信がないの? 自分が、ゆっくりできている、って」 「そ、そんなことは……ないよっ……。 で、でも……」 しどろもどろになるれいむ。女はれいむのことをじっと見つめているが、れいむは女のことを見上げようとはしなかった。女 がれいむの頭に手を乗せる。それから、れいむの頭を優しく撫でてやった。「ゆ、ゆぅん……」と、れいむが気持ちよさそうな 声を上げる。 「……みんな、バッジ持ってるもんね」 「ゆゆっ!?」 「奥さんとこのちぇんもそうだったし……。 私、知ってたんだ。 バッジ試験のこと。 れいむが試験に受かったら、バッジ が貰えることも、全部」 「おねーさん……?」 「でも、さ。 なんか……私の自慢のれいむがさ、どこの馬の骨ともわかんないような他人に、評価されるっていうのが気に食 わなかったんだ。 だって、そうじゃん? れいむのことはさ、私が一番知ってるよ? なのに、試験の日にしか会わないよう な奴が、れいむのことを判断できるわけなんてない。 表面上しか見てないじゃん。 れいむの良いところも、悪いところも、 全部知って……それからどうこう言うならまだ納得できる。 ……でも……」 れいむが俯く。女がバッジ試験の事を知っていて教えなかったことに対して俯いているわけではない。れいむは女の気持ちを 少しも考えていなかったことに対して俯いていたのだ。 「ゆっくり……ごめんなさ……」 「だから、一発で合格してこい、れいむっ! れいむは、私の自慢の飼いゆっくりなんだ。 れいむがバッジを貰えないわけな いよ。 私が保障する。 試験官の連中に、特別に“私のれいむをテストすることを許してやる”ことにするよ」 「ゆ……? ゆゆ……?」 女がれいむの両頬をそっと掴んで抱き上げる。れいむは黙って女の目を見つめていた。 「いい……の……?」 「れいむに対して、いいも悪いもないなぁ。 私は試験官にれいむをテストすることを認めてやっただけさ。 ほらほら、後は あんた次第だ。 決めな、れいむ。 試験を受けるか、受けないか。 自分で考えて選ぶんだ」 「で、でも……おねーさん……」 「どうしたい? れいむが、どうしたいかっていうのは、れいむが一番わかってるはずだ。 自分の意思まで他人に委ねちゃダ メだよ。 れいむは、れいむ。 私は、私なんだから」 申し訳なさそうな表情をしていたれいむが、唇を噛み締める。揉み上げを小刻みに震わせて力強い視線で女を射抜いた。れい むが口を開く前に、女はにっこりと笑った。 「れいむは……“ばっじさん”がほしいよっ! おねーさん!! れいむ、“しけんさん”をうけたいっ!! ……うけさせて ねっ!!!!」 「よーし、良く言った!!」 女はれいむを胸元に引き寄せてガシガシと頭を撫でまわした。れいむが「ゆっ、ゆっ」と呻くが気にしない。それかられいむ を抱き上げたまま、ソファーの上に寝転ぶ。蛍光灯の光を遮ったれいむを女が見上げる。 「自分で考えていいんだ。 飼いゆっくりはさ、人間の……私たちの道具なんかじゃない。 私たちと同じように考えて、泣い て、怒って、笑って……。 一緒に生きていくことのできる、大事な存在なんだよ。 だから、もっと自分に自信を持ちな。 飼われてるから、とか。 ゆっくりだから、とか。 少なくとも私にとってはどうでもいい事なんだ」 「……おねーさん……」 「んー……?」 「ゆっくり……ありがとう」 四、 「ここが会場か……。 結構人がたくさんいるもんだねぇ。 お、ゆっくり発見!」 「お、おねーさんっ! あんまりうろうろしないでねっ、れいむ、はずかしいよ……」 キョロキョロしながら所在ない動きを繰り返す女を見かねて、れいむが注意する。振り返った女は舌をぺろりと出して苦笑い すると、れいむをひょいと抱き上げた。 バッジ試験は街の公民館で行われているようだ。ゆっくりに関する公共施設と言えばペットショップか保健所くらいしかない ので当然と言えるだろう。保健所などで試験を行おうものなら、死臭に敏感なゆっくりが騒ぎ出して試験どころではなくなる。 れいむが女に「バッジ試験を受けたい」と切り出したあの日から、れいむはずっと献身的な努力を続けていた。あくまで、ゆ っくり基準での話だが、れいむはれいむなりにこの日のための準備を怠らなかったのである。昨日の夜も、休みの日に起きるの が遅い女に何度も何度も「明日は早く起きてね、絶対だよ」と繰り返していた。張り切るれいむのキリッとした表情を盗み見な がら女が気づかれないように口元を緩める。 (やっぱり、みんなと一緒がいいのは、人間もゆっくりも同じなんだなぁ……) バッジ試験の存在を知った日から約四ヶ月間。れいむはご近所ゆっくりたちとの間に疎外感を感じていたのだろう。もちろん、 ご近所ゆっくりたちがれいむを除け者にするようなことはなかったし、れいむもご近所ゆっくりたちから離れるようなことはな かった。それでも、リボンや帽子やカチューシャ、ナイトキャップに輝くバッジの存在は、羨ましいものだったに違いない。 「バッジ試験の受験票を提出してください」 「あー、はい、はい。 これね」 バッジ試験受付という看板の横に置かれた長机を挟んで女と担当職員がやり取りをする。れいむは女の足下で大人しくしてい た。そのとき。 「ゆ……ゆわぁぁ!! ゆっくりがたくさんいるよっ!! ゆっくりしていってね!! ゆっくりしていってね!!!」 女とれいむが歩いてきた公民館の広場から、ゆっくりの声が聞こえてきた。泥だらけの顔にボロボロのリボンと帽子。そこに いたのはたくさんの同族を見て目を輝かせている野良ゆっくりのれいむとまりさだった。 「ゆゆーん! ありす! れいむはれいむだよっ! ゆっくりしていってねっ!!!」 「まりさはまりさなのぜっ!! ゆっくりしていってね!!!」 嬉しそうに跳ね寄ってくる二匹に挨拶をされたありすは、少しだけ後ずさって二匹の様子を眺めていた。 「ゆ……? ゆっくりしていってね!!!」 楽しそうに笑っていた野良れいむと野良まりさの顔が少しずつ寂しそうな顔に変わっていく。そこへありすの飼い主が走って きた。それに気づいたありすはぴょんぴょんと二匹から離れて、飼い主に抱き上げてもらう。会場を訪れていた飼い主と飼いゆ っくりたちから一斉に注目を浴びたありすの飼い主は恥ずかしそうに下を向いていた。女もその様子を訝しげな表情で眺めてい る。 (なんなの……? あの、ありす。 ろくに挨拶もできないなんて……) 「あ……ありすっ! まりさは、まり……」 「おねがいだから、ありすにはなしかけないで」 「ゆゆぅぅぅッ!?」 野良れいむと野良まりさが目を丸くして声を上げる。女も呆然とした表情を浮かべていた。それから何故か拳に力が入る。 「……きたないどろだらけのゆっくりが……、ありすにはなしかけないでほしいわ。 この、いなかもの……」 「ど……どぼじでぞんな゛ごどい゛う゛の゛ぉぉぉぉ!??」 「こんなにたくさん、ゆっくりがいるんだよぉぉ?! いっしょにゆっくりしようよぉぉぉぉぉ!!!」 「いっしょに……ゆっくり……? じょうだんじゃないわ。 まりさたちみたいな“きたならしいのらゆっくり”なんかが、 “かいゆっくり”のありすたちといっしょにゆっくりできるわけなんてないでしょう? いなかものはいなかものなりに、ゆっ くりりかいしなさい」 女が唇を噛み締めた。同族に対して高圧的な態度で辛辣な言葉を浴びせかけるあの飼いありすが憎たらしくて仕方がない。そ の飼い主にも腹が立った。女が身を乗り出そうとしたそのとき。 「それでは、試験会場に進んでください」 「……え?」 「おねーさん、ゆっくり、かいじょうさんにいこうね」 「あー……うん。 わかったよ……」 飼いありすとその飼い主を睨みつけてから公民館の奥へと歩いていく女とれいむ。先ほどの野良れいむと野良まりさは他の飼 いゆっくりたちにも挨拶を繰り返したが、どのゆっくりも二匹に挨拶を返すことはしなかった。教養課程で教えられていたから である。“野良ゆっくりと関わることは最大の禁忌”だ、と。 野良ゆっくりと関わった飼いゆっくりが不幸になるという話は後を絶たない。故に、ペットショップに並べられる前に徹底的 な洗脳にも似た教育を受けるのだ。“野良ゆっくりはゴミと同じ、自分たちとは違う生き物”。ゴミに話しかけられて返事を返 すような者はいない。 女も忘れていたのだろう。初めてれいむを公園に連れていってまりさに出会ったとき、なかなかれいむがまりさと話をしよう としなかったときのことを。そのとき、女はれいむが照れているのだろうと勘違いをしていたのだ。 「ど……どぉして……だれも、あいさつ、してくれないのぉぉぉぉ……」 野良れいむと野良まりさが身を寄せ合って泣き出す。それに同情の視線を向ける者はいなかった。人間にも、ゆっくりにも、 いなかった。二匹は街の片隅で隠れるように生きてきたのである。同族を見かけることなどほとんどなかった。まるで世界にゆ っくりは自分たち二匹しかいないのではないかと錯覚するほどに。しかし、どうだろうか。こんなにたくさんのゆっくりが集ま る場所があったのだ。二匹にとってこれがゆっくりぷれいすでなければ、なんだというのだろう。しかも、恐ろしい人間と一緒 にゆっくりがゆっくりしている。それは二匹が夢見た理想郷にも等しい。だが、その理想郷の住人たちは誰も二匹を相手にして くれなかった。それが悲しくて寂しくて溢れる涙が止まらない。 同じ顔。同じ声。同じ飾り。同じゆっくり。 それなのに、二匹は孤独の闇に放り込まれた。そんな二匹の背後に保健所の職員が迫る。 「……ゆ?」 二匹が振り返るのと、野良れいむが髪を掴まれて持ち上げられたのが同時だった。ブチブチと髪がちぎれる音を響かせて、野 良れいむが空中でもがく。野良まりさは泣きながら保健所職員を見上げて威嚇していた。 「ゆ……ゆわぁぁぁぁ、れいむをたすけてぇぇ!!」 「み、みんなっ! いっしょにれいむをたすけてほしいんだぜぇぇぇ!!!」 「ゆぎゃああぁぁ!! やめてよぉぉぉぉ!!! いだいぃぃっ!! かみのけさんがちぎれちゃうぅぅぅぅぅぅ!!!」 「や……やめるのぜっ! れいむがいやがってるんだぜっ!!! ……どおしてだれもたすけてくれないのぉぉぉ??!!!」 「まりさ……」 れいむがゆっくり用のゴミ袋に投げ入れられる。真っ黒なゴミ袋のおかげで中の野良れいむの表情はわからないが、助けを求 める悲痛な声だけは途切れることがない。野良まりさは土下座をするように、額を地面に何度も何度も打ち付けて野良れいむを 助けてほしいと懇願した。当然、その願いは聞き入れられることはなく野良まりさも持ち上げられて黒いゴミ袋に放り込まれて しまう。袋の中で互いの無事を喜び合うのも束の間、今度は二匹揃って泣き出す。理解しているのだろう。人間に捕まったゆっ くりがこれからどうなるのか……、自分たちがどうなるのかを。 保健所職員が無言で公民館の陰に歩いていく。その間、袋の中の二匹はずっと「助けて、助けて、ごめんなさい、許して」と 叫び続けた。やがて、その叫び声はプツリと途切れ、辺りを静寂が包み込む。二匹の野良ゆっくりは駆除されてしまったのだろ う。何匹かの飼いゆっくりは飼い主の腕の中や、足に頬を押しつけて震えていた。これが野良ゆっくりの現実である。ゆっくり たちにとって教養課程で教わったことが全て正しかったことの証明に繋がった。ただ生きていることさえ許されないゆっくりが いる。そんなゆっくりと、自分たちは違うんだと思わせるには十分な出来事だっただろう。 「結構、かかるんだなぁ……」 公民館の廊下に置かれた長椅子に座ったり、立ったりしながら女がそわそわしている。女はこういうときに自分の落ち着きの 無さを感じて、もう少し冷静になろうと考えるのだが十秒も持たない。バッジ試験は面接のようである。女は女でゆっくりにつ いての本を何冊か買ってこっそり勉強したりもしていたが、これはゆっくりの試験なのだ。意味はない。 れいむが面接室の中に連れていかれてから既に二十分が経過しようとしている。扉に耳を押しつけて中の声を聞こうとするが 聞こえなかった。バッジ試験関係者以外の人間に酷く冷たい視線を向けられたが気にも留めない。そんなことよりれいむのこと が心配なのだ。四ヶ月間も待ち望んだバッジ試験。今回の試験に落ちてしまったら次のバッジ試験は更に四ヶ月後だ。 「あー……うー……。 やばい……自分の試験よりも緊張する……」 腕時計に目を向ける。二十一分経過。女が溜息をついた。窓の外に目を向ける。先ほど野良ゆっくり二匹が騒いでいた広場に は、数人の飼い主と数匹のゆっくりがいるだけだ。試験に合格したのだろうか。嬉しそうにはしゃいでいるゆっくりと飼い主の 姿が目に入る。 (ゆっくりも、生きてるんだよな。 嬉しいときは笑って、悲しいときは泣いて。 性格のいい奴もいれば、悪い奴もいて……。 私はやっぱりゆっくりが好きなんだな。 一緒にいて楽しいもんな、ぶっちゃけ) れいむの事を思い浮かべる。女が深呼吸をした。 (れいむ。 一緒に笑って家に帰るぞ……っ!) 心の中でつぶやく。それから腕時計に目を向ける。二十三分経過。 「……黄昏れてみても、時間の進みが早くなったりはしないか……。 んあぁぁ……、なんでこう待ってるときってのは、時間 が経つのが遅く感じるんだぁああぁ、もうっ」 「十五番れいむの飼い主の○○さま、どうぞ」 「あ、ひゃはいっ!!!!」 突然声を掛けられた女が飛び上がって妙な声を上げる。壊れかけたロボットのようにギクシャクした動きで面接室へ足を向け た。 「優秀なゆっくりだってさ~、良かったなぁ、れいむちゃんっ!」 「ゆ、ゆ、ゆっくり~。 ゆふふ……おねーさんもうれしそうだねっ!!」 帰路につく女とれいむ。バッジ試験に合格しても、れいむはぴょんぴょんと固いアスファルトの上を跳ねていた。 「今日くらいは、抱きかかえてあげてもいーんだぞー? 実際、家まで遠いしさ」 「ゆっ! れいむ、がんばれるよっ! ばっじさんをもらったんだから、なおさら、おねーさんにめいわくをかけるわけにはい かないよっ!」 キリッとした表情で答えるれいむ。その表情には自信が満ち溢れていた。よっぽど嬉しかったのだろう。れいむがバッジを確 認するためには、一度部屋に帰って鏡の前に行く必要がある。 「家に帰り着くまでに疲れ切って、バッジを見る前に寝ちゃっても知らないぞー」 「ゆっくりへいきだよっ!」 「そーかそーか」 女が手を組んでニコニコ笑う。汗が頬を伝い、底部にまで達しているのに道路の上を跳ね続けるものだがから、あんよが泥だ らけになってしまっている。女は気づかれないようにクスリと小さく笑うと、“部屋に上げる前に拭いてあげないといけないな” などと考えていた。 「おねーさんっ!」 不意にれいむがあんよを止めて、女を振り返る。女も足を止めて、れいむを見下ろした。 「どーした? やっぱり疲れたかー? 無理はすんなよー?」 「ゆゆっ……ちがうよ……」 「じゃ、何?」 「あ……あのね、ゆっくり……ありがとうっ!!」 「……へ?」 女が目を丸くした。れいむは恥ずかしそうにもじもじしながら、女を見上げている。座り込んだ女がれいむの頭に手を乗せた。 「どしたの? 急に」 「れいむ……さっき、おねーさんにめいわくかけるわけにはいかない、っていったけど……」 「……けど?」 「おねーさん、ほんとうはきょうは、おしごとさんだったんだよね……?」 「…………うん、まぁ」 「それなのに……れいむのために、おしごとさんをやすんで、しけんさんをうけさせてくれて…………ほん、とに……ありが……」 「ばーか、気にすんな」 言いながら泣き出しかけたれいむを抱き上げて力強く抱きしめる。れいむはまだグスグス言っているようだった。 (あ、やべ……) 思わず貰い泣きしそうになってしまった女が慌てて上を見上げる。れいむは女の腹部に突っ伏したまま、ぷるぷる震えていた。 れいむの頭を撫でる。撫でられるたびにれいむの嗚咽が強くなっていく。通行人が訝しげな表情で一人と一匹の横を歩いていく。 「家族、だろ……? 私ら、ってさ」 「…………ゆぐ、……ゆ、ゆん……っ」 「れいむが嬉しがってくれるんなら、私はなんだってするさ。 ……それが、れいむの家族としての……当然の務めだよ」 れいむが女のシャツから顔を離してくしゃくしゃの表情で見上げる。 「れいむは……?」 「ん?」 「おねーさんのために、なにができるかな……っ?!」 「そうだなー……」 「……っ」 「私とずっと一緒にいてくれればいいよ」 それかられいむはもう一度だけ大声で泣き出すと、泣き疲れて眠ってしまった。ここまで懸命にあんよを跳ねさせた疲れと、 バッジ試験の緊張も重なったのだろう。女はれいむを抱き上げると何事もなかったのようにスタスタと歩き出した。れいむを抱 きしめたときについてしまったシャツの泥を見て、すれ違う人が神妙な顔で女に視線を向けたが、真っ直ぐ前だけを見て歩く女 の視線とは交わらない。 女の歩く振動と腕の中。れいむはまるで揺りかごの中で眠る赤ん坊のように、幸せそうな笑みを浮かべていた。リボンにつけ られた銅バッジは、れいむが頑張った勲章であった。それを思うと女もにやけ顔が止まらない。 「今日はお酒、たくさん飲んじゃおっかな。 ……あぁ、明日、仕事だったわ……」 ついには独り言まで呟く始末。それからしばらく歩いて、ようやくアパートにたどり着く。 「あら……」 「こんにちは。 今日、バッジ試験に行かれたんでしょう? 結果はどうだったのかしら……?」 「えへへへへー……」 お茶会の奥さんに眠っているれいむを見せる。リボンにつけられたバッジに気づいたのか、奥さんは女とれいむに祝福の言葉 をかけてくれた。 「そういえば、どうして知ってるんです? 今日、私がれいむをバッジ試験に連れていくこと……」 「ちぇんがね、教えてくれたのよ。 昨日の夜からずっとそわそわしていたわ」 クスクス笑いながら奥さんがれいむの頭を撫でる。 「んゆ……」 れいむがむにゃむにゃと何か言うが、上手く聞き取れない。女と奥さんは顔を見合わせて笑うと、 「ゆっくりって、可愛いわねぇ」 「ですよねー♪」 奥さんは手を振りながら自分の部屋へと戻っていった。ちぇんも眠っているのだろうか、部屋の中から出てくる気配がない。 別れ際、次のお茶会にれいむも誘っておいてほしいと頼まれた。 「んふふ……。 社交界(?)の、デビュー戦だね」 部屋に帰り着いた女がれいむを起こさないようにそっと床に下ろした。それから、れいむの顔についた泥をタオルで拭いてい く。その過程で起こしてしまうかも知れないと懸念していたが、その気配はないようだ。疲れが勝っているのだろう。女はもう 一度れいむをそっと抱き上げると、おうちの中に静かに入れてやった。何やらもそもそと動いておうちの中のクッションに顔を うずめる。緩みきったれいむの寝顔をずっと見ていると、悶死しそうになってしまうので早々にその場を去ることにした。 「ふむ……。 まぁ、ぶっちゃけ、受かるとは思っていたから、実はお祝い用の晩ご飯は既に買ってあるのだ」 ぶつぶつと独り言を言いながら、女が冷蔵庫の扉を開ける。そこにはデコレーションケーキとフライドチキンが入っていた。 女が苦笑いをして頭を掻く。 「あはは、クリスマスか、っての……。 ……そんなお祝いしたことないけどね」 冷蔵庫を閉める。れいむを覗きに行ったがまったく起きる気配がなかったので、女も一眠りすることにした。後から、自分も れいむも昼食を食べていないことに気がついたが、幸福感で満腹になっていたせいか、思いの外すんなりと眠りにつくことがで きた。 その日の夜は一人と一匹でささやかなパーティーを開催した。れいむは何度も何度も鏡の前に行っては、「ゆっくり! ゆっ くり!」と繰り返している。女はチューハイを飲みながらそんなれいむを嬉しそうに眺めていた。普段食べないようなケーキや チキンに舌鼓を打ったれいむはうっとりとした表情で「しあわせー……」などと呟く。 二日後はお茶会の予定が入っている。その旨をれいむに告げると、嬉しそうやら恥ずかしそうやら、とにかくほっこりとした 表情を浮かべていた。その次の日は女の仕事が休みだったので公園に遊びに行く約束をする。 女もれいむも、幸せだった。何もかもが輝いて見えた。この幸福は永遠には続かないだろうけれど、長い間続くのだろうと笑 い合った。 (れいむ……あんたが死ぬまで……。 私がずっと傍にいてやるよ) おうちの中で寝息を立てるれいむの頬を人差し指でそっと撫でる。それから部屋の電気を消して、女もベッドの中に潜り込ん だ。 「おやすみ……れいむ」 五、 お茶会に招待されたれいむは、ちぇんやありすやまりさ、ぱちゅりーにたくさんの祝福の言葉をかけてもらった。いつものメ ンバーがいつも以上に表情を輝かせて談笑を続ける。その輪の中には家主である奥さんも入りがたいほどのものであった。飼い ゆっくりたちのお祝いは、ゆっくり、ゆっくり、続いていく。あれだけ話をしていながら話題が尽きるような様子は見られない。 井戸端会議のオバサンたち以上に、五匹の飼いゆっくりたちは話を続けていた。話に加わることは難しいと判断したのか、奥さ んはちぇんにこの場を任せて、お菓子を作るために台所へと引っ込んでしまった。 「いろいろなしつもんをされたんだねー、わかるよー」 れいむがバッジ試験の内容を話すと、他のゆっくりたちも四ヶ月前に受けた試験のことを思い出したのか「うん、うん」と相 づちを打つ。それからしばらくして、五匹の元に何やらゆっくりできそうな匂いがふんわりと漂ってきた。ちらちらと互いの顔 を見合わせてそわそわし始めるゆっくりたち。そこへ奥さんが入ってきた。 「みんなー。 今日はアップルパイを焼いてみたの。 れいむちゃんのお祝いだから張り切っちゃったわー」 「「「「「ゆわーーーーいっ」」」」」 五匹の飼いゆっくりたちが一斉に大きめの皿に飛びつく。アップルパイを口に入れて、飲み込んでから涙目で一斉に声を上げ た。 「「「「「むーしゃ、むーしゃ、しあわせーーーー」」」」」 「足りなくなったらまだあるから、そのときは言ってね」 「ゆっくりりかいしたよっ!」 「まりさったら……。 ありすたちは、“およばれ”してここにこさせてもらっているのよ……? すこしはえんりょしないと、 とかいはじゃないわ」 一呼吸置いて、また声を合わせて笑う。五匹のゆっくりにはいずれも銅バッジがついていた。 ひょうきんなまりさ。賢いぱちゅりー。しっかり者のちぇん。優しいありす。れいむにとって自慢の友達である。もちろん、 他のゆっくりたちもれいむを大切な友達だと思っていた。 「だずげでぐだざいぃぃぃぃ!!!」 「「「「「!」」」」」 声がしたのはテレビの中からだった。つけっぱなしにされていたテレビが午後のニュースを放映していたのである。のそのそ とテレビの前に真っ先に向かったのはぱちゅりー。ニュースの内容を聞こうとしているようだ。れいむを含めた残りの四匹もぱ ちゅりーを囲むようにテレビの前に集まる。 「なんていってるのー?」 ちぇんの問いかけにぱちゅりーは深刻そうな表情で答えた。 「むきゅう。 また、のらゆっくりが、にんげんさんにめいわくをかけたみたいよ……」 「そうなの……。 とかいはじゃ、ないわね……」 「どうして、のらゆっくりはにんげんさんがいやがることをするのか、わからないんだねー……。 ちぇんたちは、こんなにに んげんさんといっしょにゆっくりできるのに……」 三匹の言葉にまりさが答えた。 「それは、とうっぜん、だよ。 だって、まりさたちは“かいゆっくり”で、このゆっくりたちは、“のらゆっくり”だもんね」 「……ゆ?」 「どうしたの? れいむ」 「ゆゆー、なんでもないよ」 ニュースは、野良ゆっくりが集団でコンビニのゴミ箱を漁る事件が多発しているという内容のものだった。それによれば、れ いむたちが住む街でも小規模な一斉駆除が行われるらしい。このことを街に住み着いている野良ゆっくりが聞いたら、震え上が るだろうがれいむたちには関係のない話だった。不意に。 「このあいだね、ありすとおにーさんがふたりであそんでいたら、おかざりもなくてかおもよごれた、のらゆっくりのありすに あったの」 ありすの言葉に四匹が注目する。 「それで、どうなったのー?」 「ありすのおかざりをむりやり、うばおうとしたのよ。 おにーさんがたすけてくれなかったらとおもうと……」 「むきゅー……。 やっぱり、のらゆっくりは、ゆっくりできないわね……」 「のらゆっくりはきたないから、あんまりちかくにきてほしくないのぜ」 「わかるよー。 そんな、のらゆっくりがいると、あんしんして、おさんぽもできないんだねー……」 四匹の飼いゆっくりたちが口々に野良ゆっくりの非難を続ける。それから。 「れいむもそうおもうわよね?」 「ゆ? ゆゆ?」 「きいてなかったのかしら?」 「き、きいてたよっ。 そんなゲスなのらゆっくりはみんなで、せいっさいっ!してやらないといけないよ」 れいむの言葉に四匹の飼いゆっくりたちが笑い声を上げた。れいむは、「ゆ? ゆ?」などと言いながら四匹の様子を見てい る。起き上がったまりさが、れいむに頬を擦り寄せながら、 「それは、れいむやまりさたちがすることじゃないのぜ。 のらゆっくりは、にんげんさんがみんな、せいっさいっ!してくれ るんだぜ。 わざわざ、あぶないことをするひつようはないのぜ。 それに、のらゆっくりはきたないから、さわったらよごれ てゆっくりできなくなるのぜ」 「こういう、わるいことばかりをするゆっくりがふえると、なにもわるいことをしていない、ぱちゅたちまでわるくみえるから いやなのよね……」 ぱちゅりーが溜息をつく。それに賛同する残りのゆっくりたち。 この日もお茶会は遅くまで続いた。ありす、ぱちゅりー、まりさと次々と飼い主が迎えにくる。いつも最後に残るのはれいむ とちぇんだ。 「はじめはちぇんもよくわからなかったよー」 「なにがなの?」 ちぇんの言葉にれいむが小首を傾げるような動作をしてみせた。 「“かいゆっくり”も“のらゆっくり”もちがいがすこしもわからなかったんだねー」 「……いまは、わかるの?」 れいむの問いかけにちぇんがにこりと笑って答える。 「ばっじさんがついているゆっくりが、いいゆっくりで……ついていないゆっくりが、わるいゆっくりだよー」 「そうだね。 ばっじさんがついているゆっくりは、みんな、“かいゆっくり”だもんね」 奥さんが二匹にカフェオレを持ってきた。それを仲良く二匹並んでごーくごーくと飲み干す。 野良ゆっくりがどんなに努力をしても、味わえない美味しいもの。野良ゆっくりがどんなに努力をしても、優しい飼い主に出 会うこともない。野良ゆっくりがどんなに努力をしても、日常的に付きまとう死の恐怖から逃れることはできない。根本的に違 うのだ。 飼いゆっくりと、野良ゆっくり。はっきりとした理由はわからないが、両者は似て非なる存在なのだろう。それをれいむは、 改めて気づかされた。教養課程では、「野良ゆっくりに関わるな」とだけしか言われておらず、その理由まで考えたことはなか ったのだ。だが、今日のお茶会ではっきりとした答えが出た。バッジのあるゆっくりと、ないゆっくり。疑問は単純な考えから 一気に氷解してしまった。氷解した疑問は水となり、あっさりとれいむの思考回路を飲み込んだ。 (ゆっくり、りかいしたよ……。 ばっじさんのないゆっくりは、ゆっくりできないゆっくりなんだね……) 奥さんの家のチャイムが鳴らされた。女が迎えに来てくれたのだろう。いそいそと玄関に向かう女の後をれいむとちぇんがぴ ょんぴょん跳ねてついていく。奥さんが扉を開けると、女が立っていた。 「いつもいつも、本当にすいませんっ」 「もう。 いいって、いつも言ってるじゃないの。 私もれいむちゃんのことは好きだから全然気にしてないわ」 「わかるよー。 ちぇんもれいむのことがすきなんだねー」 「ゆ、ゆゆーん……///」 れいむとちぇんの微笑ましいやり取りを見て、女と奥さんがクスクスと笑い合う。それからまた少し二人と二匹は談笑を交わ し、女はいつものようにれいむを抱きかかえて自分の部屋へと戻って行った。女はれいむの“社交界デビュー”についての話を 聞きながらにこにこ笑っている。れいむは女のその様子を見て尋ねた。 「おねーさん……? どうしたの……?」 「んー? いや、よっぽど楽しかったんだな、って思ってさ。 いつも楽しそうだけど……今日はいつもより楽しそう」 部屋についてから、れいむはテレビの前のクッションにあんよをうずめてぼんやりと映し出された映像を見つめていた。女は 夕食の準備を始めている。……とは言ってもコンビニ弁当を温めているだけだが。電子レンジの音が部屋に響くのを確認して、 れいむがもそもそと動き出す。ずりずりとあんよを這わせて台所までやってきた。女は温まったコンビニ弁当をテーブルの上に 放り投げるように置くと、ゆっくりフードの袋を取り出してそれをザラザラとれいむの餌皿に入れてやる。 「お茶会の後に、ゆっくりフードじゃ物足りないかも知れないけど、我慢しなよー?」 「おねーさんが、れいむのためにかってきてくれたごはんさんなら、れいむはなんだってたべるよ!」 キリッとした表情で女を見上げるれいむの頭を撫でてやる。れいむは嬉しそうに笑いながら餌皿のゆっくりフードに口をつけ た。女もテーブルに座る。もくもくとゆっくりフードを食べ続けるれいむに女が声をかけた。 「あのまりさ、元気かな? 久しく会わないよね」 「……まりさ……?」 れいむが口の中に入れかけていたゆっくりフードをポロリと落とす。女はテーブルに肘をつきながら卵焼きを口の中に入れた。 「れいむが試験を受ける、って言った日からあんまり散歩に行ってないじゃん? ほら、あの公園のまりさだよ。 バッジ試験 の事ばっかり考えてるみたいだったし、私も忙しかったから中々行けなかったもんね。 約束したじゃん? 次の休みは公園に 遊びに行こう、って」 女の言葉にれいむが動きを止めた。神妙な面持ちで餌皿の中のゆっくりフードを眺めている。生唾を飲み込んだ。女はそんな れいむの様子には気付かず、里芋を口に放り込んだ。 「あいつ、元気かなー? れいむに会えなくって寂しがってると思うんだけどねー。 あ、明日は最近全然遊びに来れなかった お詫びも兼ねてさ、コンビニでお菓子を買って……」 「れいむ……、いかないよ」 「……え?」 突然のれいむの言葉に箸で掴んでいたうずらの卵をポロリと落とす。テーブルの下のれいむを覗き込むと、無言でゆっくりフ ードを口に運んでいた。具合が悪いわけでもないらしい。四ヶ月前は公園に遊びに行くことを楽しみにしていたはずなのに、い ったいどういう事なのか、女にはさっぱり理解することができなかった。この違和感についてすぐにでも質問をしたいところだ ったが、とりあえずは食事を優先させることにする。食事が喉を通っても、考え事と違和感のせいで味はしなかった。やがて、 「ゆっくりごちそうさま……っ」 「れいむ、待ちな」 「ゆ?」 女の言葉にれいむが振り返る。いつも通りの顔色だ。どこかがおかしいわけでもない。女は椅子から立ち上がると、れいむの 傍に腰を下ろした。れいむがずりずりと寄ってくる。あぐらをかいた女がれいむを抱き上げて足の上に乗せた。 「どうして……公園に行かないの? こないだ、約束した時はノリ気だったのに……」 「………………」 「言えない、の?」 「……こうえんには、いっても。 まりさには、あいたくないよ」 れいむはハッキリとそう言った。あのまりさには、会いたくないと。女が訝しげな表情でれいむを見つめる。れいむも視線を 外そうとはしなかった。 「まりさに、会いたくないって……どうして……?」 「…………れいむと、まりさは…………」 嫌な予感がした。女にはれいむが次に何を言おうとしているのか直感で理解できてしまったのだ。れいむに触れている右手が 一瞬だけ震える。れいむは何かを悟ったような、決めつけたような、冷たい表情を浮かべていた。 「れいむとまりさは……ちがうんだよ……。 のらゆっくりのまりさと、かいゆっくりのれいむは、いっしょにゆっくりなんて、 できないよ……」 「――――れいむッ!!!」 女の平手がれいむの左頬を打った。乾いた音が台所に響き、れいむの左頬が赤く腫れ上がっている。れいむは何が起こったの か分からないという様子で怯えた目をしながら女を見つめていた。目に涙が溢れてくる。驚きのほうが勝っているのか声を出し て泣くようなことはしない。女も自分の右手を見つめていた。手の平にれいむの頬を打った感触が残り、じんわりと熱くなって いる。沈黙。隣の部屋から聞こえてくるテレビの音だけが無機質な空間の中で踊り続けた。 「……ゆ、ゆんやあああぁぁぁぁぁッ!!!!!」 ついに痛みがれいむの心を支配したのか、顔をくしゃくしゃにして大声で泣き出す。れいむは女の足の上から逃げるように飛 び跳ねると、そのままの勢いでぴょんぴょんとおうちの中に潜り込んでしまった。バラエティ番組の陽気な音楽の中に混じって、 れいむの泣き声だけがやたらと耳に届く。 (……馬鹿だ……私は。 なんで先に手を出しちゃったんだ……。 まずは理由を聞かなきゃいけなかったのに……っ。 いき なり叩かれたんじゃ……。 あー、もうっ、馬鹿っ!!!) 女が自分の太ももを拳で殴りつける。女とれいむ。それぞれの痛みの波紋は共振し、大きな波となって両者の間に高い壁を作 ってしまった。 その日は、すすり泣くれいむの声が耳にまとわりついて、一睡もできなかった。 つづく
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『引かされた境界線(後編)』 37KB 制裁 不運 自業自得 差別・格差 同族殺し 飼いゆ 野良ゆ 現代 飼いゆっくり保護法成立過程その3 ラストは中二病全開だよっ 以下:余白 『引かされた境界線(後編)』 六、 「ゆっくりしていってね!!!」 女が眠る布団の上に飛び乗ったれいむが朝の挨拶を叫んだ。突然の衝撃と同時に大声を上げられた女は思わず飛び起きてしま う。 「ゆわあぁぁぁっ?!」 布団の上をごろごろと転がっていくれいむ。ようやく止まったれいむがもそもそと動いて体勢を立て直すと、女の元へとぴょ んぴょん跳ねてきた。 「ゆっくりしていってね!!!」 再び、挨拶。女は少し呆けたような、驚いたような、とにかく微妙な表情でれいむの事を見つめていた。れいむは小首を傾げ るような仕草をして、女を見上げている。 「……ゆっくり、していってね……?」 「ゆっ!」 たどたどしい挨拶にも関わらず、れいむは満足気な顔になってベッドの上から飛び降りた。それから、「ゆっ、ゆっ」と絨毯 の上を跳ねてカーテンを口に咥える。女はそんなれいむの後姿をただただ、眺めていることしかできなかった。れいむが開けた カーテンの隙間から朝日が差し込む。晴天だった。朝日の眩しさに女が思わず手で光を遮る。 (……どうしたんだろう……? 昨日の夜はあんなに泣いてたのに……) 女が光を遮るために伸ばした手。それは昨日の夜、れいむの頬を打ち付けた右手だ。その感触がじんわりと残っている。 「おねーさんっ! きょうは、おひさまさんがぽーかぽーかだよっ!! こうえんにあそびにいこうねっ」 「れい……む……?」 公園に遊びに行こう……と、れいむは今、確かにそう言った。女が視線を宙に泳がす。いったい、どうしたというのだろうか。 昨日の夜はそれが原因で揉めたはずである。それなのに、何故。 「どうしたの? おねーさん、ゆっくりしてねっ。 どこか、ぐあいがわるいの……?」 「あ……いや、なんでもない。 大丈夫、大丈夫……。 それより、お腹……減ってない?」 「ゆっ。 れいむ、おなかがぺーこぺーこだよっ。 ゆっくりごはんさんをむーしゃむーしゃしようねっ」 「ああ。 ……ちょっと、待ってな」 布団の中から這い出す女。いつもの癖でとりあえずテレビの電源を入れると、れいむはテレビの前のクッションにちょこんと 乗って、ゆらゆら揺れながら朝のニュース番組を見ていた。 女が冷蔵庫の中から昨夜買っておいたコンビニ弁当を取り出し電子レンジに放り込む。それから、ゆっくりフードをざらざら と餌皿に入れていく。餌皿に盛られたゆっくりフードを眺めながら溜め息をついた。 (昨日のこと……忘れちゃった、ってわけじゃ……ないよね……? れいむは、れいむで……いろいろ、考えたのかな……? ……聞いてみたい……。 でも、昨日みたいなことになったら、って思うと……怖くて、聞けない……) 餌皿を持つ手が微かに震えた。ゆっくりフードが一粒ぽろりと落ちる。その音に気付いたのか、れいむがテレビのある部屋か ら女の足元までやってきた。落ちたゆっくりフードを口の中に入れてから、何かを待つようにキリッとした表情で女を見上げる れいむ。女が慌てて餌皿を床に置くと、れいむは「ゆっくりむーしゃむーしゃするよっ」と宣言をして口をつけた。女が餌皿に 顔を突っ込むれいむを見下ろして立ち尽くしていると、それに気がついたのかれいむが口を開く。 「おねーさんは、ごはんさん、むーしゃむーしゃしないの?」 「え? あぁ……まだ、時間が……って、あれ?」 「ゆ?」 女がスタスタと電子レンジの前まで歩く。それから苦笑いをして頭を掻いた。電子レンジにコンビニ弁当を放り込んだだけで、 スイッチを入れ忘れていたのだ。女がその事をれいむに告げると、れいむは「おねーさんは、うっかりやさんだね」と返し、一 人と一匹は笑い合った。久しぶりに笑い合ったような気がした。女がようやく温め終わったコンビニ弁当を食べ始める頃には、 れいむはゆっくりフードを食べ終わり、またテレビの前でゆっくりとしていた。 朝食を終えた女の元にれいむが跳ねてくる。 「まず……洗濯をするからさ。 洗濯物を干し終わったら、その……行くか……? 公園」 「ゆぅ? やくそくをわすれたの? ひさしぶりに、まりさにあいにいくんだったよね?」 まりさ、という単語に女がびくんと体を反応させた。 「ぇあ……。 うん、そうだな。 そうだったな。 じゃあ、悪いけど、ちょっと待ってて……」 「ゆっくりりかいしたよっ!」 洗濯機の中に衣類を投げ込みながられいむの事をちらちらと横目で見る。公園に行こうと言ったれいむ。まりさに会いに行く と言ったれいむ。女にはれいむの意図が読めなかった。昨日は、飼いゆっくりである自分と野良ゆっくりであるまりさとの身分 の違いのような事を言っていたはずなのに。頬を打ったことで考えを改めたのだろうか。それとも、昨日の夜の事は無かった事 にしようとでも言うのだろうか。洗濯機が回り始めた音が、女の思考を止めるまで、脱衣所の中で立ち尽くしていた。洗濯が終 わるまでの間、テレビを見ようとソファーに腰掛けるとれいむが膝の上に乗ってきた。 いつものようにれいむの頭をリボン越しに撫でる。窓から差し込む陽光の暖かさも相まって、女とれいむはソファーに座った まま眠ってしまいそうになった。昨夜の一件もあって、お互い眠り足りないというのもあるだろう。互いにまどろみかけていた 一人と一匹を洗濯機のアラーム音が、夢の世界の入り口から現実へと引き戻す。れいむは、洗濯が終わったことを理解している のか、ぴょんと女の膝の上から飛び退いた。 洗濯物を干していく。物干し竿にかけられた真っ白な衣類を風が揺らした。女が最後の洗濯物を干し終わったのを見て、れい むがお出かけの準備を始める。準備とは言ってもおうちの中を出たり入ったりしてそわそわするだけだったりするのだが。着替 え終わった女が玄関へと歩いていくと、その後ろをれいむがぴょんぴょんと跳ねてついていく。 女は横目でれいむの位置を確認すると、玄関先に腰を下ろして靴を履き始めた。れいむは女の横から動かない。玄関の扉を開 けると、少し冷たい秋の風が部屋の中に入り込んできた。れいむがぴょんぴょんと飛び出す。女が部屋の扉に鍵をかけた。 「さて、行くか」 「ゆっくり、いこうねっ!」 並んでアパートの踊り場を進む。喧嘩の後だろうが、女はれいむを抱きかかえて歩くようなことはしなかった。れいむもそれ を期待してはいないのか、無言でぴょんぴょんとついてくる。それは一人と一匹にとっていつもの光景だった。車が傍を通った 時だけは女がそっとれいむを抱き上げる。歩き出すときには、そっとれいむを下ろしてやる。れいむは女を見上げて、「ゆっく りありがとう」と嬉しそうに笑う。女も「どういたしまして」と返した。 (……今日、帰ったら、謝ろう。 私が一方的にれいむを叩いちゃったのに、れいむは私の事を許してくれてるみたいだ……。 だからって何も詫びを入れないなんて……道理に反する) 女は気付いていなかった。いつもの自分なら、“自分が悪いと思った時点で即座に謝る”はずなのに、それができない自分が いるという事に。それは恐れだったのだ。謝って、れいむに拒否されるのが怖かったのである。それも、無意識のうちに。女に とって、れいむに嫌われることは怖くて怖くて堪らないことだったのだ。今までこんなことは一度もなかった。からかい過ぎて 泣かせてしまうことはあったが、すぐに仲直りをしてきたのである。わだかまりが残るような喧嘩は、今回が初めての事だった。 また、先に手を上げてしまった自分のほうに非があると理解している分、関係修復の手綱はれいむが握っているのだ。れいむの 何事もなかったように振舞ってくれているであろう気遣いが、女の小さな小さな心をキュッと締め付けた。 公園にたどり着くと、平日のせいかほとんど人はいなかった。使われずに佇んでいるだけの遊具が女の胸の内と相まって余計 に寂しそうな顔をしているように見える。女は胸の辺りを右手でギュッと掴むと、意を決したように公園内へと一歩を踏み出し た。まずは自販機で缶ジュースを二本買ってくる。並んでベンチに座り、ジュースを飲みながら他愛もない話をした。 「ゆはー。 つかれたあとの、じゅーすさんは、すっごくゆっくりできるよっ!」 「言うようになったなぁ、ホントに。 でも、れいむぐらいあんよが強いゆっくりも、そんなにいないかも知れないな」 「ゆっふっふっふ」 れいむが少し自慢げに割って見せた。「こいつめ」と、れいむの額を人差し指で突く。それから女は用意していたタオルでれ いむの汗を拭いてやった。そんなとき。 「れいむ!? おねーさん!?」 まりさの声がした。れいむがまりさの方へ向き直る。女はまりさの声に心臓が引きつりそうになるのを一瞬だけ感じた。飼い れいむと、野良まりさ。れいむがまりさに対してどんな反応をするのかが怖かった。 「ゆわぁぁ! まりさっ! まりさっ! ゆっくりしていってねっ!!!」 「ゆーんっ! れいむもげんきそうでなによりだよっ! ゆっくりしていってね!!!」 ベンチを飛び降りてぴょんぴょんとまりさの周囲を跳ねるれいむ。まりさもれいむの姿を追いかけようと目を右に左に動かし ていた。それは在りし日の光景そのもの。余りにも自然なれいむとまりさの関係と、二匹の笑顔を見て女は、自分の不安が杞憂 だったことを悟った。そうすると、途端に力が抜けてしまったのか、持っていたタオルを地面に落としてしまった。女自身も気 づかないうちに、全身に力が入っていたのだろう。芝生の上で追いかけっこをしたり、のーびのーびの高さを競い合ったりと楽 しそうにしている二匹を見ていると心が洗われていくのを感じた。 (私は……やっぱり、ゆっくりが好きなんだな……) それが確認できたことが嬉しかった。昨夜の一件で、ゆっくりに対する自分の感情が変わってしまったらどうしよう等とも考 えていたのだろう。そして、やはり、女は気付かない。そんな女の考え方そのものが酷く狭小な世界の中で完結してしまってい る事に。 「おねーさんっ!!」 「んー? どうした?」 「まりさのおうちに“およばれ”されたよっ! いってきてもいい?」 「……え? ここから近いの?」 「まりさのおうちは、あのきがたくさんはえているところにあるんだよっ」 そう言って振り向くまりさの視線の先には、確かに緑化のために植えられた木が連なり小さな森のようになっている部分があ る。女が立ち上がってれいむとまりさに告げた。 「そっか。 じゃあ、まりさ。 後で私も“お呼ばれ”していいかな? お菓子を持ってくるからさ」 「もちろんだよっ!」 「じゃあ、れいむ。 私、そこのコンビニでお菓子を買ってくるからさ。 先にまりさのおうちに行っといで。 後から私も行 くからさ」 「ゆわーい!」 「まりさのおうちで、まりさにめいわくをかけるようなことはするなよー?」 「ゆっくりりかいしたよっ!!!」 れいむとまりさが並んで跳ね出す。その後姿を見て、女は確信を得た。あれが、本来あるべきゆっくりの姿なのだと。飼いゆ っくりだろうが、野良ゆっくりだろうが関係ない。ゆっくりは、ゆっくりなのだ。それが、飼われているかどうかだけで境界線 を引いてしまうなど在り得ない話だ。れいむとまりさが森の中に入っていくのを見届けてから女はベンチから腰を上げた。公園 のすぐそばにコンビニがある。そこへ向かってトコトコと歩き始めた。 一方。森の中をぴょんぴょんと跳ねるのはれいむとまりさである。まりさがあんよを止めた。それに気が付いたれいむも、あ んよを止めてまりさを振り返る。まりさは、振り向き様のれいむを見ただけで緊張してしまうのか直視することができない。一 呼吸置いて、口を開く。 「れいむ……。 ほんとうに……いいの?」 「……ゆっくりできない、おねーさんとは……いっしょにはいられないよ」 「でも……」 「うるさいよっ! はやく、“ほんとうのまりさのおうち”にあんないしてねっ!! おねーさんにみつかっちゃうよ!!!」 「ゆ、ゆぅ……」 れいむは、まりさと無理矢理結託して女を騙したのだった。れいむは昨夜の一件で女の家を出て行くことを決意したのである。 それは余りにも短絡で早計な決断。驚くべきことに、れいむはこの一度きりのチャンスに賭けて朝から演技を続けていたのだ。 皮肉なことに、それは“飼いゆっくりとして与えられた知識”が成したものであると言えよう。まりさともすぐに別れるつもり であった。薄汚い野良ゆっくりなどとは本当なら、一瞬たりとも行動を共にしたくない。その気持ちを抑制して、まりさという 存在を女からの脱出計画に“利用”したのである。れいむは賢いゆっくりだった。それは女も認めていたところである。ただ誤 算があった。れいむは女が想像していたよりも、遥かに頭の良い個体だったのである。数いる教養課程を終えたゆっくりの中で も、“人を欺くことができるゆっくり”というものはそうはいない。なまじ、ゆっくりは純粋で頭が悪い個体しかいないという “思い込み”を人間が抱いているため、そういうゆっくりに対する免疫がまるでないのだ。結果、れいむはあっさりと女という 檻を突破してしまったのである。 「まりさ! れいむといっしょにいたくないの?!」 「ゆっくり……りかいしたよ……」 まりさが先頭に立ち、森を抜けて公園を出る。まりさは周囲をきょろきょろと見渡しながら次々に道路を横断していった。れ いむも後に続く。まりさが振り返ってれいむに気遣いの言葉をかける。 「だいじょうぶ……? まりさはここをはねるのはなれているけれど、れいむは……」 「ばかにしないでね。 れいむのあんよは、そんなによわくないよっ」 「ゆぅ……。 れいむはすごいね……。 にんげんさんのおへやにすんでるゆっくりは、あんよがよわいと……」 「そんなことどうだっていいでしょっ!! どうしてそんなよけいなことばかりいうのっ?! れいむは、はやく、まりさのお うちにあんないして、っていってるんだよっ!! そんなこともわからないの?!」 ……馬鹿なの、死ぬの、という言葉を言いそうになり、慌てて口を噤む。まだまりさに本音を知られるわけにはいかなかった。 本当なら、「薄汚い野良ゆっくり風情が生意気だよ」と罵倒してやりたかったがそうはいかない。新しい生活のための拠点がど うしても必要なのだ。今、まりさを失うわけにはいかなかった。まりさは美ゆっくりであるれいむにぞっこんだったため、れい むの言葉尻にもめげずに案内を続けるしかない。 やがて、まりさは路地裏に入って行った。れいむも周囲を警戒しながら後を追う。薄暗い場所だった。陽の光は届かず、周囲 を囲う塀は苔むしている。不法投棄されたゴミや家電が進路を塞いでおり、それが天然のバリケードの役目を果たしているらし い。 (……ほんとうに、きたないのらゆっくりは……きたないばしょにすんでるんだね……) しかめっ面で周囲を見渡すれいむ。 (れいむは、ひとりでいきていけるよ。 おねーさんなんて、いらないよ……っ!!!) 振り返った先には路地裏の入り口に差し込む光が見えた。もう一度、路地裏の奥に目を向けなおす。そこに広がるのは闇。れ いむは躊躇う様子もなく、闇の向こう側へと消えて行った。 日暮れ。女は街を走り回っていた。小さなカバンとコンビニ袋を持ってなりふりかまわず走り続けた。大声で叫ぶようなこと はできない。汗まみれになった女の額や頬に髪がへばりつく。息を切らしながら肩を落とし、前を見つめる。既に夕日は山の向 こうに沈もうとしていた。腕時計の時間は午後六時半を示している。 「れいむ……どこに行ったの……ッ?!!」 れいむがいなくなってしまった。コンビニでお菓子を買った後、れいむとまりさが連れ立って消えた森へ足を運ぶと、二匹の 姿は見えなかった。まりさのおうちらしきものも探し当てることができなかったのである。 背筋が震えるのを感じた。冷たい風が女の不安感を煽る。れいむと一緒にまりさもいなくなっているのが気になった。二匹に 何かあったのだろうか。もう、嫌な予感しか頭をよぎらなかった。 「……部屋に……戻っているのかも知れない……」 望みの薄い考えにすがりつくように、女は自室へと足を向けた。電柱の街灯に光が灯る。街には夜の帳が下りようとしていた。 反射帯を肩からかけた老夫婦がウォーキングをしている。普段なら、挨拶の一つでも交わす女だったがその横を無言で通り過ぎ た。 (どうしよう……っ、 どうしよう……っ、どうしよう……っ!!!) 自然に涙が溢れてきた。鼻をすするでもなく、涙を拭くでもなく、女はひたすらに足を進める。コンビニ袋の中に入ったお菓 子の袋がこすれる音が不規則に耳に届く。れいむの好きなクッキーと、まりさの好きなチョコレートを買っていた。レジに並ん でいた笑みを浮かべていたのが、遠い過去のように感じる。女はほぼ一日中、街を奔走していた。 やがて、アパートへと戻って来る。 「あら……?」 「……!」 アパートの前で、買い物袋を下げた奥さんに出会った。挨拶をしようとした奥さんの顔は、急に訝しげな表情に変わる。アパ ートの街灯に照らされた女の泣き顔に気付いたのだろう。いなくなったれいむを探し始めて、ようやく相談できる人物に巡り会 えたせいか、女は立ち尽くしてぼろぼろと涙を流し始めた。買い物袋をアパートの入り口に置いて女の肩をつかむ。 「どうしたの?! 何があったの?」 真剣な顔つきで女に尋ねる奥さん。女は奥さんにかけられた声に安心したのか、奥さんの腕にすがりついて泣き出した。 「落ち着いて? まずは何があったのかを話してもらえないかしら……?」 「れいむが……」 「れいむちゃんが、どうしたの?」 「れいむが……いなくなっちゃったんです……」 「……何ですって……?」 蚊の鳴くような声を漏らし、肩を震わせた女がその場に座り込む。走りつかれたのか、両足が軽い痙攣を起こしている。そこ から立ち上がるのは容易なことではなかった。奥さんもその場に膝をついて、女の頭を撫でる。 「一緒にいたの……?」 「はい……。 公園に散歩に行って……それで……。 れいむを置いて……コンビニに行ってる間に……」 「……バッジ試験に合格した時にもらった封筒の中身は読んだかしら?」 「いえ……読んでません……」 女が掠れた声で答える。奥さんは溜め息をついた。それから、泣き止まない女を連れて女の自室へと連れて行く。玄関先の電 灯をつけて、そこに女を座らせた。 「あ、つっ……ッ!!!」 座った瞬間に足がつってしまったのだろう。女が苦悶の表情を浮かべた。それを見た奥さんは女の足を両手で持って、女側へ と押した。足がつってしまったときの対処法である。しばらくして、女が口を開いた。 「慣れてらっしゃるんですね……」 「昔、バスケットボール部のマネージャーをやっていたの……。 しばらくは様子を見たほうがいいわ。 何か飲み物はある?」 「……冷蔵庫の中に……水が……。 あ、あぁ……でも、あの……っ」 「どうしたの?」 冷蔵庫の中にはジュースとお菓子ぐらいしか入っておらず、食材は皆無である。それを見られるのが恥ずかしかった。その旨 を告げると、奥さんは苦笑いして部屋の中へと入っていき、戻ってきたときには片手に二リットルのペットボトルに入った水を 持っていた。 「気にしなくていいのよ、そんなこと」 「……ごめんなさい」 項垂れる女にペットボトルを渡す。女がそれを口に含んでしばらくしてから、奥さんは女に声を掛けた。 「少しは落ち着いてきたかしら……?」 「はい。 すいません……」 「れいむちゃんがいなくなったのはいつ?」 「今日の……お昼前です……」 「お昼前!? こんな時間まで探し続けていたの!?」 「……はい」 女の返答に、奥さんはまた一つ溜め息をついた。それから、玄関の靴箱の上に乗せてあった茶封筒に手をかける。それを丁寧 に破っていくと、薄い冊子を取り出した。その冊子の表紙には、「ゆっくりを飼ってらっしゃる飼い主様へ」と書かれてある。 その文字を見た女の表情が暗くなった。奥さんはその冊子をめくり、そこに書いてあるであろう事柄を読み上げた。 「“飼いゆっくりを散歩させる際は、必ず飼い主が傍についていること。広い場所で遊ばせる場合においても、飼い主の目が届 く範囲に限定すること。また、いかなる状況においても、飼い主は飼いゆっくりから目を話してはならない。以上の事項が守れ ない場合には、部屋の中だけで遊ばせるようにしてください”」 「……あ……」 「ペットショップでゆっくりを買うときにも……店員さんから注意を受けていたはずよ……?」 これまでは守れていた事である。事実、公園には何度も遊びに行っており、今までれいむの傍を離れるようなことはしなかっ た。奥さんも、女がゆっくり愛好家であることを知っていたせいか違和感を感じたのだろう。だから、質問せずにはいられなか った。 「れいむちゃんと……何かあったの? 貴女とれいむちゃんは、いつも一緒にいるものだとばかり思っていたけれど……」 女が俯く。昨夜の出来事が次々と脳裏をフラッシュバックしていった。それらの破片を繋ぎ合わせるように、女は全てを奥さ んに語り始める。話しながら女はぼろぼろ泣いていた。だから、話は簡単には終わらない。それでも奥さんは親身になって女の たどたどしい説明を聞き続けた。時計は既に八時を回っている。夕食の支度もあるだろう。それでも、女の傍から離れようとは しなかった。女もそれに気付く余裕がない。余裕がないことに奥さんは気付いていたのだろう。 全てを話し終えた時、奥さんは女の肩に手を乗せて顔を上げた女の目を見つめた。 「貴女と、れいむちゃんが仲が良いのはすごくわかってるつもりよ。 貴女は、本当にゆっくりが好きなのね……」 「……っ」 穏やかな口調に安心したのか、また大きく嗚咽を漏らす。そのまま泣きじゃくる女の頭を撫でながら、奥さんは続けた。 「でもね……。 貴女は、自分の考え方をれいむちゃんに押しつけ過ぎてると思うわ」 「……え?」 「貴女の言いたいこともすごく良くわかるの。 ……わかっているつもりになっているだけかも知れないけれど……ね」 「…………」 女が沈黙する。それから考え込むように俯いた。奥さんは玄関に腰を下ろすと、更に言葉を繋いでいった。 「確かに……差別したりするのは良くないことね。 それは、人間の世界でもゆっくりの世界でも同じだと思うわ。 でも、そ れに対して貴女はすべての人間を認めて、わかり合うことができると……思っているのかしら?」 「……難しいかも知れないけれど、私はそれが正しい在り方だと思ってます……っ」 「貴女ならそう言うと思ったわ。 でも、貴女は……貴女以外の人の考え方を認めていないんじゃないかしら?」 「――――ッ」 「すべての人がわかり合う。 すごく、いい世の中になるでしょうね。 でも……ゆっくりもそうだけど、人間っていうのはね、 好きな人がいて、嫌いな人もいる方が自然だとは思わないかしら? だって、そうでしょう? 十人十色なんて言葉もあるのに、 すべての人が互いを認め合うことなんて不可能だわ」 「……だからって……、それなら……差別される側は黙っているしかないんですかっ!?」 「人間の世界でも、差別はなくならない。 良いか、悪いかは別にしても……ね。 ゆっくりの世界であれば尚更よ。 あの地 区に住んでいる人とは結婚するな……とか言うのも差別よね。 そういう規模の大きな差別には先祖代々伝えられてきた場合や、 そういう教育をされることによって生まれたという背景も少なからずあるわ……」 「そういう……教育を?」 「ゆっくりの教養課程で……。 飼いゆっくりは“野良ゆっくりとは違う生き物”であるということを徹底的に教え込まれるら しいの。 それこそ、洗脳に近いようなレベルで」 淡々と語る奥さんの言葉に女が驚愕の表情を浮かべた。初めて、公園にれいむを連れて行ったとき、まりさとなかなか話をし ようとしなかったことを思い出す。 「前から……、飼いゆっくりと野良ゆっくりの間にはいろんな問題があったのよ。 その問題に対応するために、避妊や去勢が 義務付けられたり……今回みたいなバッジ制度が導入されるようになった……。 この辺りの経緯については、この冊子に全部 書かれていたわ。 そういう意味ではれいむちゃんは……貴女の前で“飼いゆっくりとして正しい姿”で在り続けたのよ」 「……あ……」 「れいむちゃんにとっては、正しいことを……貴女は否定してしまったのね。 自分が正しいと思うことと……れいむちゃんに とっての正しいことを天秤にかけて……」 女がガタガタと震え始めた。 「れいむちゃんの意思を無視して……自分の考えを押し付けること……。 れいむちゃんの意思を尊重しなかった貴女は……、 れいむちゃんを差別したと言えないかしら? 少なくとも、対等な関係には……ないわよね……? れいむちゃんが公園に住ん でいる野良ゆっくりに会いたくないなら、それでも構わなかったはずよ? だって、それが、れいむちゃんの意思だったんだか ら」 「でも……ッ!!! じゃあ、これまでずっと一緒に遊んでいたあのまりさの気持ちはどうなるんですかッ!? 私は、れいむ も、まりさも……」 「貴女は誰の飼い主なの?」 「え……」 「れいむちゃんの飼い主なら……家族のように思っているのなら、どうしてれいむちゃんの意思を優先してあげないの? 今の 貴女は誰の味方でもないわ。 強いて言うなら……自分を味方しているだけ。 自分の考えが間違っていないことを、れいむち ゃんと公園の野良ゆっくりで証明したかっただけにしか……見えないわ」 女は黙り込んでしまった。女はれいむの意思を認めていなかったのである。バッジ試験の試験官の事も認めてはいなかった。 それどころか、バッジ制度についても認めていなかった。自分の傍にれいむがいればいい、とだけ思っていたのだ。そして、そ れは余りにも独りよがりな考え方であったことにようやく気付かされる。 全ては自分の考えの押し付けだった。女はれいむにれいむのことは全て自分で決めさせてきた。それは一見すれば、れいむが 自由に選択して歩んできたゆん生だったようにも見える。しかし、女はれいむに“全てを選ばせる”という行為で束縛をしてい たのだ。れいむが、バッジ試験の受験を望んだあの日。女はれいむに“受けるか、受けないか”の二択を迫った。数ある選択肢 を二つに狭めたのだ。あの日、どちらか一方を選ぶ必要すらなかった。現段階では結論を出さないという選択肢もあったはずな のである。それから、奥さんに色々と相談をしても良かった。だが、あの日。女は“自分の意思で”れいむにすぐに結論を出す よう迫ったのである。れいむが答えを出す前から、女は答えを決めていたのだ。あの日、女はれいむにバッジ試験を受けさせよ うと決意していた。“れいむの意思”を聞き出す前から。 「奥さん……」 「ごめんなさい。 私も憶測で物を言い過ぎたかも知れないわ……あんまり気にしないで……」 「違うんですっ!」 「……?」 「私、れいむにもう一度会いたいっ! 会って……もう一度、話がしたいですっ!! れいむの考えを……聞きたいっ! 私の 事が嫌いになったのなら……それでもいいです……っ! 私、今までれいむの事、何にも考えてなかった……ッ!!! 考えた つもりになって……考えてるのは自分の事ばっかりだった!!」 「……まずは、公餡のゆっくりサポート課に電話をするといいわ。 飼いゆっくりが野良ゆっくりと接触することに関しては、 公餡も良くは思っていないから……すぐに協力をしてくれるはずよ。 少し、周りを見れば、貴女を助けてくれる人はたくさん いるの。 一人であんな時間まで、れいむちゃんを探し続けることなんてなかった。 れいむちゃんを探したいという、貴女の 意思を……尊重してくれる人は、必ずいるんだから」 「…………ありがとうございます」 奥さんはようやく小さな笑みを浮かべると、女の部屋を出て行った。それを見届けた後、すぐに公餡のゆっくりサポート課に 電話を入れる。迷子の飼いゆっくりの捜索は翌朝から行われる事になった。女は翌日の仕事を休む事にした。“自分の意思を優 先させる最後の我儘”と理解した上で、れいむを探しに行こうと決意したのである。 (……待ってろ、れいむ……。 絶対見つけてやるからな……っ。 それでも、私の事が嫌いだって言うなら…………) 結論は出せないまま、いつのまにか女は深い眠りに落ちていた。 七、 女が部屋に帰り着く少し前。 「れいむ! れいむ! ここがまりさのおうちだよっ!!」 まりさが嬉しそうに案内したのは、路地裏の奥に積み上げられた瓶ビールのケースや段ボールを利用して作ったみすぼらしい おうちだった。れいむが思わずしかめっ面をする。暗がりで表情までは見えないのだろう。まりさは、「はやく、はやくっ」と “自慢のおうち”をれいむに見せたくて仕方がないようである。れいむはぴょんぴょんと飛び跳ねて、まりさのおうちの中へと 入っていった。 「ゆっくりしていってねっ」 「……ゆっくりしていってね」 客を迎えるために発したまりさの言葉に対して、やや低めの口調でれいむが同じ言葉を返した。まりさはいそいそと、おうち の中に備蓄していた食糧の中から、大きなバッタと芋虫をれいむの前に差し出すと、 「おなかがぺーこぺーこだよね? ゆっくりたべてもいいよっ」 楽しそうにゆらゆら揺れながら、少しだけ頬を染めてれいむに食事を差し出した。れいむがしばらくバッタと芋虫を冷めた目 で見つめる。まりさは、少し不安そうな表情に変わり、 「ゆ……? たべないの……? れいむ、ここまでぴょんぴょんするのはつかれたとおもって……」 「いらないよ。 れいむ、おなかがぺーこぺーこじゃないから、まだ、ごはんさんはたべないことにするよ」 「ゆ、ゆぅ……? ゆっくりりかいしたよ」 客の前に出したバッタと芋虫をおうちの隅っこに引っ込めるまりさ。れいむはそんなまりさの後姿をして、気付かれないよう に舌打ちをした。 (そんなもの、たべられるわけがないよ……っ。 せめて、おみずさんだけでもごーくごーくしたいけれど……まりさのおうち ではそれもできそうにないみたいだね……) 「れいむ?」 「どうしたの?」 「やっぱり……おねーさんのところにもどったほうがゆっくりできるとおもうよ……」 「……れいむは、もどらないよ。 れいむのことをなんにもかんがえてくれない、ゆっくりできないおねーさんは……きらい、 だよ」 れいむはそう言ったきり、そっぽを向いてしまった。まりさも女の事を知っているので少ししょぼくれた表情に変わる。れい むはそこから一言も喋らない。路地裏の周辺を見ては溜め息をついていた。 「れいむ……? おうちのいりぐちはさむいよ? そっちにはまりさがいくから、れいむはおうちのおくでやすむといいよ」 「れいむはここでいいよ」 「ゆぅ……」 まりさは不満気な声を漏らしたが、れいむはさしてそれを気にする様子はない。そのときだった。 「まりさ! まりさ!! ちょっとでてくるんだねー!!」 「ゆ……?」 路地裏に住んでいるのはまりさだけではないらしい。おうちの外から数匹のゆっくりの気配が感じられた。れいむは訝しげな 表情を浮かべながら、声の聞こえる暗がりを黙って見つめている。まりさがれいむの横を通って、ずりずりとおうちの外へと這 い出る。れいむはそんなまりさをぼんやりと眺めていた。 「さっきのれいむはなんなのかしら?」 声の主はありす種のようだ。まりさと知った仲であろうことが言葉の端々から読み取れる。つまり、野良ありすだ。他にも、 ちぇん種やみょん種まで揃っているようである。 「れいむは……にんげんさんにかわれていたゆっくりだよ……。 でも、にんげんさんのところから、はなれたい……て」 「ふーん……。 まりさ? ちょっと、そのれいむにあわせなさいよ。 まだ、あいさつもしていないわ?」 「ゆ……? ゆっくりわかったよ。 れいむ。 ちょっとおうちからでてきてね」 まりさの言葉にしぶしぶおうちの中から這い出す。暗がりの中でも目が慣れてきたのか、それぞれの位置が把握できる。両者 は無言のまま、互いに何も喋ろうとはしない。まりさは少しオロオロしながられいむと野良仲間たちを交互に見つめていた。あ りすがれいむの前に、ずいっとあんよを踏み出した。そして、れいむの顔を舐めるように見渡す。 「……れいむはきれいなゆっくりね。 かみのけも、おかざりも……」 れいむがありすの顔を見つめ返す。ぼさぼさの金髪に泥だらけの頬。カチューシャも一部欠損していたり、土がこびりついて いたりとお世辞にも綺麗という形容で言葉を返すことができない。 「それに、そのばっじさん。 れいむが、かいゆっくりだっていうのはほんとうみたいね」 「ありす……? どうしたの?」 いつの間にか、れいむはありすとちぇんとみょんの三匹に囲まれていた。れいむは何も言わずに三匹を交互に眺める。刹那。 「ゆ゛ぐぅ゛ッ?!!」 後頭部に強い衝撃。みょんがれいむに体当たりをしたのだ。思いがけない攻撃にれいむが前のめりになって地面を転がる。う ずくまるような姿勢のれいむをありすが踏みつけて追い打ちをかけた。 「ゆ゛べッ!? や……やめてねっ!! なにするのッ!??」 「ど……どぼじでぞんな゛ごどずる゛のおぉぉぉ!?? れいむは、なんにもわるいことしてないでしょおぉぉぉぉ!??」 苦悶の表情で声を絞り出すれいむの前にまりさが立ちはだかって三匹の行動を制する。 「かいゆっくりは、ゆっくりできないゆっくりだみょん」 「!?」 みょんの言葉にれいむが瞳孔を開く。それから、うずくまった姿勢のまま歯を食いしばり、みょんを睨み付けた。 「わかるよー。 ちぇんたちが、にんげんさんのすてたごみをむーしゃむーしゃしたり、きたないどろみずをごーくごーくして いるのに、かいゆっくりはにんげんさんからおいしいごはんさんをもらえるんだねー。 ちぇんたちも、れいむも、おなじゆっ くりなのにずるいよー」 ありすとみょんもちぇんと同じ意見らしい。まりさは涙目になって三匹に対して威嚇を試みた。 「だからって、なんにもしてないれいむをいじめるのはおかしいよっ! みんな、おねがいだから、ゆっくりしてねっ!!!」 「おなじなんかじゃないよ……」 「!?」 いつの間にか起き上がっていたれいむが静かに低い声で呟いた。三匹が一斉にれいむを睨み付ける。まりさは泣きながられい むに声をかけた。 「れいむ! れいむも、まりさも、ありすも、ちぇんも、みょんも、おんなじゆっくりだよっ! だから、みんなでいっしょに なかよくしようねっ!!」 「なかよくなんてできるわけ、ないよ……。 にんげんさんにめいわくをかけてばっかりの……むのうな、のらゆっくりごとき が……れいむたちみたいな、かいゆっくりと……おなじなわけがないでしょおおぉぉぉ!!???」 激昂し叫び声を上げるれいむに思わずまりさが畏れ慄く。れいむの叫び声に圧倒されたのか、三匹もれいむとの距離を一定に 保ったまま、近づこうとはしない。まりさが両者の間に入って、「やめてね、やめてね」と繰り返す。いつのまにか路地裏近辺 に住み着く野良ゆっくりたちが集まってきていた。その数はざっと二十前後。れいむとまりさは野良ゆっくりたちに完全に包囲 されていたのである。れいむの額を嫌な汗が流れた。まりさは恐怖で震えて動けない。 「みんなが、ひっしにまちでいきていこうとしているのに……、にんげんさんといっしょになって、たべものをひとりじめする ようなげすは……」 一匹の野良ゆっくりがお決まりの理論をれいむにぶつける。れいむは唇を噛み締めた。 「せいっさいっ!……してやるよ」 その言葉に思わずれいむが後ずさる。それと、数匹のゆっくりがれいむに飛び掛かるのがほとんど同時だった。 「ゆぐぅ……ッ!! や……や、やめてねっ!! うすぎたない、のらゆっくりなんかが、れいむにさわらないでねっ!!! れいむ、おこってるよっ!!!」 「おこってるからなんなの? ばかなの? しぬの? なまいきなれいむはしねっ!!!」 「ゆ゛ぎゃあ゛あ゛あ゛ッ!!! い゛だい゛よ゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ッ」 れいむに対して、五、六匹の野良ゆっくりが一斉に攻撃を仕掛ける。れいむは全身を殴打される激痛に、思わず中身の餡子を 吐き出してしまった。吐き出された自分の中身を見て、れいむが蒼ざめた表情に変わる。野良ゆっくりたちは、そんなれいむを 見てニヤニヤと笑っていた。まりさも数匹のゆっくりによって羽交い絞めにされている。 「ゆ゛ぎいいぃぃぃぃぃ?!!」 右の揉み上げをありすが。左の揉み上げをちぇんがそれぞれ噛み付いて引っ張る。れいむの顔が左右に伸びていく。頭を踏み つけられており、満足に抵抗することができない。 「ち゛ぎれ゛……ぢゃう゛よ゛ぉぉぉ!!!」 「いいきみだみょんっ! ぶざまになかみをとびちらせて、しんでしまえばいいみょん!!!」 「やめてねっ!! れいむがいたがってるから、やめてあげてねっ!!! みんなぁ!!! ゆっくり!!! ゆっくりしてよ おぉぉぉぉ!!!!」 (まりさ……) 両側の側頭部に今まで味わったことのない激痛が走る。やがて、両側の揉み上げが引き千切られる嫌な音がすると同時に、よ うやくれいむはこの痛みから解放された。それも束の間。こめかみの辺りの皮が抉られたことによる新たな激痛がれいむを襲う。 顔の皮が千切られた痛みは想像を絶するのか、路地裏をごろごろと転げまわるれいむ。そんなれいむの姿を見て、野良ゆっくり たちはゲラゲラと下卑た笑い声を上げた。 「うわああぁぁぁぁぁ!!! れいむっ!!! れいむううぅぅぅぅぅ!!!!!」 まりさがぼろぼろと大粒の涙を流しながられいむの名前を呼ぶ。微かに聞こえるまりさの呼びかけに、れいむはカチカチと歯 を打ち鳴らし、恐怖に耐えようとした。しかし、野良ゆっくりたちによる蹂躙はまだ終わらない。抵抗する力も気力もない、れ いむに対して次々に体当たりを打ち込む。壁際にもたれかかったれいむは、体当たりを受ける度に中身の餡子を勢い良く吐き出 した。れいむの周囲に飛び散った餡子を見て、まりさが絶叫する。 「やめてえええええぇぇぇぇぇぇ!!!! れいむがしんじゃうよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」 「うるさいよっ!!!」 それに対して数匹の野良ゆっくりがまりさを交互に攻撃し始める。まりさはあっという間に顔を腫れ上がらせてジャガイモの ような姿に変貌してしまった。腫れ上がった顔から微かに覗く目線の先にはれいむがいる。れいむはぐったりとしており、既に 虫の息のような状態になっていた。 「でも、このれいむは……びゆっくりであるのはまちがいないわね」 ありすがれいむの前に立ちはだかりニヤニヤと笑った。ありすの言葉の意図を汲んだのか、野良ゆっくりたちがれいむの前に 集まってくる。れいむは朦朧とする意識の中で、集まった野良ゆっくりたちを見回した。やがて、二匹の野良ゆっくりがれいむ の髪の毛とリボンに噛み付いて動きを制しようとした。 「ゆ……、ゆんっ……っ!」 振りほどこうとするが力が思うように入らない。そこへありすがやってきた。両者の視線が交わる。 「れいむ……? いまから、ありすがすっきりー!してあげるわ」 「??!!!」 ありすがれいむの頬に自分の頬を摺り寄せる。両者の頬が次第に紅潮していく。まりさは、最愛のれいむが目の前で犯されよ うとしているの見て、渾身の力を振り絞って叫び声を上げた。それも、周りに野良ゆっくりたちに制される。 「んぅっほおおおぉぉぉぉぉ!!!!」 「やめ、て……ねっ! ゆん……やっ!!! ゆあぁ……ゆぅぅぅぅ……ッ!!!」 ありすがいよいよれいむを押し倒す。ありすの口の下に伸びたぺにぺにを見て、れいむが言葉を失った。 (やだ……。 のらゆっくりなんかと……すっきりー!なんて……、ぜったいに……したくないよっ!!!) しかし、いつまで経ってもありすによる蹂躙は始まらない。れいむは怯えきった瞳でありすを見つめていた。ありすはありす で呆けた表情をしている。ありすがれいむの顎の辺りをまさぐる。 「やめ……っ、はずかしいよぉ……!!」 「ない……」 ありすが一言、漏らす。周囲の野良ゆっくりたちも、まりさも、れいむも、ありすの言葉に動きを止めた。 「まむまむが……ないわ……」 「「「「「ゆ、ゆううぅぅぅぅぅ!??」」」」」 野良ゆっくりたちがれいむのまむまむの周囲を凝視する。中には触ってそれを確認するゆっくりもいた。れいむは羞恥と恐怖 が入り混じった様子で、「やめてね、やめてね……」とうわ言のように呟いている。それから、ありすが大声で笑い出した。 「あははははははっ!!! まむまむがないなんて、なんていなかものなゆっくりなのかしらっ! こいびととすっきりー!す ることも、おちびちゃんをつくることもできないなんて、これが、ゆっくりできないゆっくりいがいに、なんといえばいいのか しらねっ!?」 ありすの言葉に周囲の野良ゆっくりたちも大声でれいむを笑い、罵倒する言葉を浴びせた。ありすがれいむの顔に自分の顔を 限界まで近づけて囁くように呟いた。 「のらゆっくりごとき……、ですって? おちびちゃんもまともにつくれない、“かいゆっくりごとき”が……よくも、そんな なまいきなくちをきけたものね? わらわせないでほしいわ」 (どうして……? どうして……?) ゆっくりにとって、子孫を残すことは最もゆっくりできることであるとされる。それができないれいむは、他のゆっくりにと って、文字通りゆっくりできない存在でしかなかった。 れいむを犯すことをせいっさいっ!の余興にしようと思っていたのだろう。それが叶わぬと分かってからの野良ゆっくりたち の行動は速かった。髪の毛を一本残らず毟り取られ、奪われたお飾りにうんうんやしーしーをぶちまける。銅バッジも外されて 投げ捨てられてしまった。最後までれいむを助けてほしいと懇願し続けたまりさも、れいむ同様、野良ゆっくりたちにせいっさ いっ!されてその生涯を終える。 (おねぇ……さん……。 れいむ、まちがってたのかな……? かいゆっくりも……ゆっくりできない、ゆっくりなのかな……? れいむは……ゆっくりできない、ゆっくりなのかな……? わからない……わからないよ……) 景色が歪んで消えていく。 (まりさ……ごめん……ね) 命の灯が消えていく。 (おねぇさん……ゆっくり……あいたいよ……) 八、 あれから半年が過ぎた。 公餡、東京本部。とある一室。スーツ姿の男は、同じく黒のスーツに身を纏った女性に数枚の資料を提示しながら、“飼いゆ っくり保護法”の浸透について話をしていた。 「飼いゆっくり保護法を提案してから約一年が経ちましたが……ようやく、ゆっくり愛好家以外にもその存在が知られ始めたよ うです」 「そう……。 意外と早かったわね。 もう少し時間がかかると思っていたけれど」 「……ゆっくりたちの間でも、“飼いゆっくりと野良ゆっくりの身分の違い”というものが、常識になりつつあるようです。 街に溢れかえる野良ゆっくりたちは、飼いゆっくりの事が憎たらしくて仕方がないようですよ。 飼いゆっくりも、野良ゆっく りを蔑視しています」 「順風満帆、と言ったところかしら……?」 女性が立ち上がる。窓から眼下の街を見下ろす。街の道路に沿って桜が咲き乱れている。 「“飼いゆっくりの保護”は、裏を返せば“野良ゆっくりの迫害”に繋がるわ。 そして、それが社会的に浸透していけば…… 野良ゆっくりは駆除するという事が常識となるよう変化していく。 ゆっくりの繁殖スピードに、私たちは追いつけない。 ど れだけ駆除しようと、ゆっくりたちがこの世界から完全に消えてしまうような事はないわ」 「やがて、増えすぎたゆっくりたちが生きていくために、人間を襲うようになってくる……でしたか……? 私にはとても、そ んな考えが浮かばないのですが……」 「あら……? 公餡に所属しながら、良くそんなことが言えるわね? ゆっくりもね……“然るべき方法で教育を施せば”…… 十分に私たちの脅威となりえるのは……分かっているでしょう?」 「……“血染めの向日葵”の事を言っているんですか……?」 「そうよ。 九州支部最大の研究成果にして、最大の汚点。 あれはまだ見つからないの?」 「そのようです……。 しかし、“胴つきゆっくり”とは言え、ゆっくりです。 生き永らえたとしても、寿命で死んでしまっ ている可能性の方が高いのでは……?」 「いえ。 ……それは“在り得ない”わ」 公餡。ゆっくりに関する全てを統括する組織。公餡は人間とゆっくりが共存せざるを得ない環境になるであろうことを予見し ていた。街に溢れる野良ゆっくりや、野生ゆっくりの群れによる山間部の村への被害。それらの事件が一向に後を絶たない事が、 ゆっくりを完全に駆除し尽くすことが不可能であることを物語っている。 だから、公餡はゆっくりを世界の一部として組み込むことを認めた上で、“生きるべきゆっくりと死ぬべきゆっくり”を決め た。前者は、飼いゆっくりである。後者は、飼いゆっくりではないゆっくりである。 それを管理するために必要となったのが、“飼いゆっくり保護法”なのだ。あくまで、飼いゆっくりを保護することを名目と し、その裏では野良ゆっくりの徹底的な駆除を正当化させるための法案。バッジの存在は、ゆっくりにとって持つ者と持たざる 者との間に明確な境界線を引かせたのである。野良ゆっくりは、人間からもゆっくりからも排除されるべき対象となった。 飼いゆっくりも、野良ゆっくりも、野生ゆっくりも。今までもこれからも、公餡によって全てを管理された世界で生きていく。 ……この、透明な箱庭の中で、ずっと。 おわり
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『引かされた境界線(前編)』 30KB 愛で 思いやり 愛情 日常模様 飼いゆ 野良ゆ 現代 独自設定 飼いゆっくり保護法成立過程その3 以下:余白 『引かされた境界線(前編)』 ・飼いゆっくり保護法成立過程その3 ・公餡設定 序、 「今日、試験に通ったゆっくりって何匹だ?」 「三十七匹。 まぁ、そんなもんだろ」 「ちなみに教養課程をクリアしたゆっくり、って何匹いたっけ?」 「八十五匹。 結構通ったほうだと思うけどな」 向かい合わせのデスクに座った若い男二人がこんな会話をしていた。二人は飼いゆっくりを育成するブリーダーであり、経験 は浅いもののペットショップ側からそれなりの評価を得ている。試験、というのはそのゆっくりが市場に並ぶ価値があるかどう かを決めるための最終関門であり、それを突破させたゆっくりの数が多い者が業界の中で認められていく。教養課程とはゆっく りに人間社会の常識を叩き込むための訓練であり、これを突破させるのもなかなかに難しいとされる。と、言うのも客が求めて いる理想の飼いゆっくりは、自分たちに迷惑をかけない存在であることは勿論、“ゆっくりらしさ”を損なっていない物なのだ。 人の趣味とは多様なもので、ゆっくりたちを存在が憎たらしいと思う者もあれば、愛嬌があって可愛いと思う者もある。つまり、 ゆっくりを飼おうとする客にとって、ゆっくりらしくないゆっくりはいらないのである。そんな物を買うくらいなら、普通に犬 や猫を飼ったほうがマシというものだ。客にとって、ゆっくりの意思などどうでもいいのだろう。ゆっくりらしく振舞ってもら い、自分たちが癒されるのと同時に、自分たちに迷惑をかける行為は許さない。結局のところ、ゆっくりは生き物などとは思わ れていないため、そんな身勝手な要求が可能なのだ。おかげで、規定も曖昧なまま、ゆっくりに“教育”を施さなければならな い。線引きは各ブリーダーの判断によるところが全てであると言っても良かった。 そういう理由もあって、ペットショップに並ぶまでにゆっくりたちは最低三回テストを受ける。試験と教養課程ともう一つ。 ブリーダー自身による最初の“選別”である。ゆっくりは数だけ揃えようと思えば、加工所でいくらでも“量産”されているた めどうにでもなってしまう所があるのだが、潜在的に“人間はゆっくりできない”という意識を持っているため、その時点で飼 いゆとしては不適格とされるのだ。そういう事情で飼いゆとしての道を歩むことができるゆっくりは、必然的に野生ゆに限られ る。また、ゆっくりの寿命は長くて三年なのでそこから更に赤ゆが標的となるのだ。もちろん、ブリーダーがその仕事も引き受 けるようなことはしておらず、“野生の赤ゆっくり”を狩ることを生業とする専門の職業が別にある。業界ではハンターと呼ば れていた。 現在の飼いゆっくり流通システムの基本は、ハンター・ブリーダー・ペットショップの三つが連携することで回っている。更 にそれらを支援する形で加工所・保健所・研究所の各種機関が存在する。そして、ゆっくりという生き物を使ったビジネスを確 立させ、拡大させた“公餡”と呼ばれる組織が我が国におけるゆっくりに関係する全てを指揮・統括しているのだ。 「あの試験に受かったちびども。 自分たちの体の変化に気付くかね……?」 「気付く可能性があるとすれば、れいぱー因子を持ったありす種くらいだろうけど……そういうのは俺たちが見た段階で処分用 に回すから在り得ないだろ。 あんな赤ゆの状態で、ぺにぺにやまむまむの存在を知ってるゆっくりなんて、いやしないよ」 「去勢や避妊をされても、最初からそれを知らなければ苦にはならない、ってか……。 まあ、ある意味幸せだぁな」 「客はゆっくりという愛玩物を求めていても、ゆっくりという生物は求めていない。 死んだらまた買えばいいくらいに思って いるのがほとんどだ。 どうせ三年しか生きられないしな。 ホント、使い捨てのペットと呼ぶに相応しい存在だよ」 「ゲス化しても、殺すか捨てるかの二択で済むから楽だしな……。 飼いゆっくりの値段なんて本当のペットを買うのに比べれ ば安いもんだ」 「……ま、おかげで街には捨てられた元・飼いゆが溢れ返ってるのが現状だけどな……」 「保健所が儲かるだけさ」 「だが、それなりにニュースにも取り上げられるようになってきてる。 どうもお偉いさんたちの間ではこの問題に対して何か 策を打ち出すつもりのようだぜ。 昨日、部長がそんな内容の電話をしているみたいだった」 「……なんでもいいさ。 俺たちの仕事がなくならなければ」 一、 「ゆっくりしていってね!!!」 「ん……うーん……」 「おねーさん、ゆっくりしていってね! ゆっくりしていってね!!!」 「ゆっくり……して、いってね……」 「ゆゆーん♪」 ベッドの布団の中に潜り込む女がようやく挨拶を返してくれたことに満足したのか、戸惑い気味に挨拶を連呼していたれいむ 種のゆっくりはようやく笑みを浮かべた。もぞもぞとベッドから這い出す女がれいむを抱き上げて膝の上に乗せる。れいむは女 の服部に「すーりすーり……」と言いながら頬を摺り寄せていた。女はれいむが眠っている間にずれてしまったのであろう赤い リボンをそっと結び直すと、れいむを床に下ろしてカーテンを勢いよく開ける。 「ん……雨、だったか……」 「ゆぅ……きょうはおひさまさんといっしょに、ぽーかぽーかできないね……」 「そうだね。 ……って、まだ七時半か……私、今日、仕事休みなのに……」 「いつまでもすーやすーやしてちゃだめなんだよっ」 れいむが困った表情で女の足元に這い寄り、上目遣いで見上げる。女はそんなれいむを見下ろして思わず顔をニヤけさせた。 「あーもう、ちっくしょう!! 可愛いなぁっ!!!」 そう言ってれいむを抱き上げ、思いっきり抱きしめる。れいむは女の腕と胸に挟まれて苦しいのかあんよをぐねぐねと動かし、 揉み上げをカブトムシが羽ばたくかの如く、ぴこここここ……と激しく震わせていた。 「くるしいよっ! やめてねっ! はなしてねっ!!」 「あはは、ごめんごめん」 解放されたれいむがぴょんぴょんと飛び跳ねて布団の中に潜り込んだかと思うと、顔だけ出して女をじとっとした目つきで見 つめ始めた。警戒しているのだろう。そして、隠れているつもりなのだろう。女がベッドにルパンダイブしたい衝動に駆られる がそんなことをしたられいむが天に召されてしまう。ゆっくりを愛で殺すようなヤンデレお姉さんに女はなりたくなかった。 ペットショップで購入した生後三カ月ゆっくり。三万円。一人暮らしをしている女にとって喋れるペット、ゆっくりは余りに も都合の良い存在だった。どちらかと言うと自称・ガサツで粗暴で適当な女は、ゆっくりに餌をやり忘れたりすることも多々あ ったが、最近はれいむ自身も「まぁ、そんなものなんだよっ」みたいに考えているらしい。この関係が成立しているのは、女が 根っこの部分でれいむを好きであることと、それをれいむも理解しているからこその物である。そういう意味では、女とれいむ は非常に良好な関係を築き上げており、このれいむは飼いゆっくりの中でも最上級の幸せを手にしていると言ってもいいだろう。 「あー、ごめん、れいむー。 ゆっくりフード切らしてた」 「ゆ゛げぇ゛ッ??!!!」 「雨で買い物行くのめんどい。 今日はご飯抜きね」 「ど……どぼじでぞんな゛ごどい゛う゛の゛ぉ゛ぉ゛」 「……げ。 レトルト食品もカップラーメンも切らしてる……」 「ゆふふ。 おねーさんも、ごはんさんをむーしゃむーしゃできないんだね。 これはおかいものにいくしかないね。 れいむ のごはんさんもかってきてね。 すぐでいいよ」 「れいむ。 とりあえず今日は絶食しようぜっ。 私も付き合うからさ」 「いやにきまってるでしょぉぉぉぉぉ?!!」 「あ、パンがあった」 「ゆ!?」 女が手にしているのは四個入りのクリームパン。とは言っても容器の中には残り一個しか入っていない。れいむは愕然とした 表情でクリームパンを眺めていた。女がそれをバクンと半分口の中に入れると、れいむが「ゆんやぁぁぁ」と騒ぎ出す。 「ほら、半分やるよ」 そう言って床に半分になったクリームパンを放り投げる。れいむは本当に嬉しそうな笑顔で、 「ゆっくりありがとうだよ~~~」 と、女に告げてクリームパンを拾って食べて租借した。 「むーしゃ、むーしゃ、しあわせーーーー♪」 「はっはっは。 幸せそうで何より。 ……賞味期限三日前に切れてるけどね」 「ゆ?」 「こっちの話さ」 女がゴミ箱の中に詰め込まれたカップラーメンの容器やレトルトカレーの袋、更にはレトルトご飯のパック、コンビニで買っ た野菜サラダの容器、紙パックのジュース、ペットボトルなどと言ったものを次々にゴミ袋の中に投げ込む。時折、背を伸ばし ながら、 「む~~~……。 誰だ分別なんて考えたのは……っ、面倒くさいな……。 燃えないゴミなんてありゃしないのに……」 「ゆ?」 女の声に反応したのか、れいむがぴょんぴょんと跳ねてくる。女はそんなれいむをチラリと横目で見ながら、ゴミの分別を続 けていた。 「溶かすように燃やせばなんとでもなるのにねぇ……。 ダイオキシン? 何びびってるんだっての。 ダイオキシンを利用し た……とにかく何かを開発すればいいんだよ。 それかマリアナ海溝にでも沈めちまえ」 「ゆ、ゆぅ~……?」 れいむには女の言っていることが理解できないのか、先ほどから顔を傾けたりひねったりを繰り返している。女はれいむの死 角に隠していた空のゴミ袋に触れながら邪悪な笑みを浮かべた。 「ぬおりゃああぁぁぁッ!!!」 「ゆ゛ッ?!!」 一瞬の隙をついて、透明なゴミ袋の口をれいむに向けて放つ。れいむは目を丸くして動くことができない。れいむはあっさり と燃えるゴミの袋の中に閉じ込められてしまった。女がれいむの入ったゴミ袋を持ったまま立ち上がると、袋の中で「ゆ~~~」 と声を上げながらごろごろと転がる。ゴミ袋の底で止まったれいむは上手く起き上がることができないのか、うつ伏せ(?)に なったまま叫び声を上げる。 「ゆんやああぁぁぁっ!!! どぼじでごんな゛ごどずる゛の゛ぉぉぉ!!! れいむ、ごみざんな゛んかじゃな゛い゛ぃ゛ぃ゛」 「あっは……、あーっはっはっはっはっ!!! れいむ!!! 可愛い!!! 超可愛いっ!!!!」 「お゛でーざん゛のばがあ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!!」 れいむが本格的に泣き出したのでゴミ袋の中から出してやる。もそもそと這い出したれいむは、女に向かって滝のように涙を 流しながら威嚇してきた。 「~~~っぷくぅぅぅぅぅ!!!!! れいむ、すっごくおこってるよっ!!! ぷんぷんっ!!!」 「悪い悪い」 「ちゃんとあやまってねっ!!!」 「ごめんごめん」 「ゆぅ……ゆぐぅぅぅぅッ!!!! ……ゆああああああああああああん!!!!!」 大声で泣き叫ぶれいむが床の上をぴょんぴょんと飛び跳ねてクッションの下に潜り込む。まさに、頭隠して尻隠さずの状態な のであるが、後姿(?)がぷるぷると震えていて正直可愛くてたまらない。女は少しだけ苦笑しながら、「あちゃ……」などと 声を漏らしていた。とりあえず、女が泣き続けるれいむの傍までやってきて腰を下ろす。 「れーいむ」 「…………っ」 「れいむちゃーん」 「~~~~」 「怒ってんの?」 「……そぅだょ……」 しゃくり上げながら蚊の泣くような声で呟くれいむ。女はれいむのお尻をそっと指で撫でた。びくんっ!と体全体を跳ね上げ たれいむが振り返って女を睨み付ける。しかし、れいむの視界は女が手にしていたたい焼きで遮られてしまっていた。再び、れ いむが目を丸くする。たい焼きをちらつかせて、女がニコニコしながら微笑む。れいむは空腹な上に泣き喚いたせいか目の前の たい焼きに釘づけになっており、ぽかんと開けた口から涎を垂らしながら揉み上げをぴくぴくと動かしていた。 「仲直りのたい焼き。 受け取ってくれる?」 「ゆ……ゆっくりりかいしたよっ!!!」 「いーの? 私のこと、嫌いになってたりしない?」 「な、なってないよっ!! ……れ、れいむは……おねーさんのこと、すきだよ」 「嬉しいなぁっ! そんな風に言ってもらえると照れちゃうぜっ」 そう言ってれいむの前にたい焼きを置くと、れいむは「ゆっくりいただきます!」と言ってから一心不乱にたい焼きを口の中 に入れた。よほどお腹が空いていたのだろう。れいむのこんな姿を見ていると女の方までお腹が空いてくる。冷蔵庫、戸棚の中 ととりあえず開けてみるが、どうやらあのたい焼きがこの部屋の中にある最後の食糧だったらしい。 (……一週間前で賞味期限切れてたけどね……) とりあえず、ゆっくりが賞味期限切れの食べ物を食べてもお腹を壊すことはないだろうという意味不明な自信から与えたたい 焼きだったが、酷い場合はコンポストにされても生き続けるゆっくりだ。その決断は人としてどうかとは思うが一応、正解だっ たようである。 部屋の片づけを始める女。しかし、長くは続かずパソコンの前に座り、それからしばらくしてまた思い出したように部屋の片 づけに取り掛かる。女は一つの事を集中してやることができないタイプだった。れいむは賞味期限切れのクリームパンとたい焼 きを食べてすっかり満足してしまったのか、女が適当につけていたテレビをじっと見つめて静かに過ごしている。テレビの内容 は理解できていないだろうが、ある程度の人語を解することができるためテレビが好きなゆっくりは意外に多い。飼いぱちゅり ーなどであれば、ニュースの内容について多少的外れではあるが質問をしてくる個体もいるそうだ。 「おーい、れいむー」 「ゆ?」 「私が仕事休みで家にいる、っていうのにずーっとテレビかぁ? つれないねぇ……」 「おねーさんは、いそがしそうだから、れいむはてれびさんをみてゆっくりしていることにするよっ」 「……あ、そう……」 正論を返された女が動画サイトを開いていたパソコンを閉じて、再び部屋の片づけを始める。とは言っても一向に進む気配が ない。頭をポリポリとかきながら窓へと目を向けたがまだ雨が止む気配はないようだ。女は雨が上がったら近くのコンビニで朝 ご飯を買いに行こうとしており、部屋の片づけはそれまでの暇つぶしのつもりだった。 そんなとき、部屋のインターフォンを鳴らす音が聞こえた。れいむはチラリと後ろを振り返ったが当たり前だがそこから動こ うとはしない。女がトコトコと歩き、インターフォンを取らずに部屋の扉を開けると、そこには黒いスーツを着た男が立ってい た。パッと見は警察か何かの聞き込みかとも思ったが警察手帳を出されるようなことはなかったので、女が先に質問する。 「……どちら様?」 「あー……私、“公餡”の飼いゆっくりサポート課の○○と申します」 「私、サポートセンターに電話か何かしましたっけ?」 「いえ、違います。 来月から導入される“飼いゆっくり保護法”でですね……。 現在、ゆっくりを飼ってらっしゃるお宅を 対象に“バッジ試験”の案内を郵送で送らせて頂いているのですが……ご存知ですか?」 「あー……うー……。 ご、ご存知に……見えますか?」 バツの悪そうな表情を浮かべ、上ずった声で受け答えする女。男がふと下を見る。 「あ……その茶封筒です」 「へっ?!」 女が踏みつけていた茶封筒。その封筒には確かに「公餡 飼いゆっくりサポート課」と記されていた。女は郵便物を確認しな い癖がある。よく見ると電気代や水道代、ガス代などの請求書が散在しており、女は慌ててそれを拾い集めた。 「えっと……その……、“飼いゆっくり保護法”っていうのの説明は……この封筒の中に?」 「はい。 それから“バッジ試験”の申込用紙が入っています。 一応、詳細についてお話ししましょうか?」 「あ……そうしてもらえると助かるかも。 私、活字を読んでると眠くなるから……」 「わかりました。 そんなに複雑な話ではないので掻い摘んで説明させていただきますよ」 ゆっくりという生き物が世間に認知されて約二年が経過している。ゆっくりが人間に危害を加えるような攻撃手段を持たない ことがゆっくり研究者によって証明されると、それに対して興味を持つ人々が爆発的に増えた。しかし、一応は野生動物にカテ ゴライズされるゆっくりが山で乱獲されるような事件が相次いだため、それを監視して取り締まる組織が誕生した。後の“公餡” の前身である。 そして始まる第一次飼いゆっくりブーム。当時は物珍しさだけで社会現象になるレベルで国中の人間がゆっくりを買い求めた。 しかし、当時の人々はゆっくりがどういう生き物であるかしっかりと認識していなかったのである。そのため、自儘なゆっくり の行動に加え、飼い主を“言葉”で罵倒するゆっくりなどの問題が後を絶たない。結果、全体の六割以上の人間が飼っていたゆ っくりを捨てるという異常事態に陥ったのだ。街には野良ゆっくりが溢れ返った。人間と同じ時間を過ごした元・飼いゆっくり たちは街の中で群れを作り、中には道具を使って行動することもできるような個体も紛れ込んでいた。ゆっくりによる空き巣被 害や集団によるゴミ箱漁り、緑化公園の景観を損ねる段ボールやブルーシートを使ったおうち。それを狙って潰して遊ぼうとす る小さな子供たち。 事態を重く見た国は、“公餡”に依頼してこの問題に収拾をつけるよう指示した。ゆっくりを扱う研究所にゆっくりの生態を 調査させて、保健所と連携し効率的な一斉駆除を行う。社会現象を巻き起こしたゆっくりは、社会問題を引き起こしていたので ある。野良ゆっくりが駆除の対象になるのにそう時間はかからなかった。 それでも「ゆっくりが可愛い」と思う人間がいなくなることはなかったため、ペットショップのショーケースからゆっくりが 消えるようなことはなかった。そこで、公餡はペットショップに並べるに値するゆっくりかどうかを審査するための機関を作っ たのである。飼いゆっくりサポート課とペットショップで連携をし、人間に飼われる素養のあるゆっくりだけを選別した上で初 めて商品となる。これが功を奏したのか、第一次ほどの勢いはなかったものの、ひっそりと第二次飼いゆっくりブームがスター トした。 「うちのれいむも第二次飼いゆっくりブームのゆっくりになるの?」 「そういうことですね」 「知らなかった……。 で、あんたらが街の野良ゆっくりを駆除して、うちのれいむみたいな問題を起こさない飼いゆっくりが 出てきて……何も問題はないじゃない。 なのに何故、今さらバッジ試験? 飼いゆっくり保護法?」 「第一次飼いゆっくりブームの副産物が街に溢れ返った野良ゆっくりの存在。 最近になって、この第二次飼いゆっくりブーム が引き金となって新しい社会問題が起き始めているんです」 「……はぁ……」 第二次飼いゆっくりブーム最大の特徴は、人間社会の事を多少なりとも把握したゆっくりである。そのため、ペットショップ に並ぶ前にゆっくりたちは人間から様々な教育を施されるのだ。 ハンターによる野生の赤ゆっくりの捕獲。それからブリーダーによる選別。ここで選別から外れたゆっくりは、ペットやゆっ くりの餌用として百円から二百円でワゴンの中に放り込まれるのだ。ゆっくりは甘い物が好物だ。そして、ゆっくりの中身は甘 い物である。そのままだと同族を食らうことになるので、ゆっくりも嫌がるが、ミキサーか何かで原型が分からないほどにぐち ゃぐちゃにしてしまえば案外平気で食べる。名目は餌用ゆっくりとあるが虐待目的で買っていく客も多いと言う。 次は教養課程を受けるのだが、ここで大体のゆっくりが人間社会の事を学ぶ。しかし、「れーみゅ……ゆっくちしちゃいよぉ」 などと言って人間社会のルールを拒むゆっくりのほうが当たり前だが圧倒的に多い。これをクリアできなかったゆっくりは残念 ながらワゴン行きだ。この後、最終試験を突破したゆっくりがようやくペットショップに並ぶことができる。 「いいシステムじゃないの。 何が問題なの?」 「……人間と過ごした時間が長いゆっくりは……それなりに賢い個体となります。 あくまで、ゆっくり基準で、ですが」 「……?」 第一次飼いゆっくりブームが下火になった頃、街には第一世代と呼ばれる捨てられた元・飼いゆっくり同士が作ったゆっくり の子供……。いわゆる第二世代が増加してきていた。馬鹿で能天気と思われていた野良ゆっくりたちだったが、時間の経過と共 に少しずつそれなりに賢い個体が生まれ始めていたのである。それら第二世代はゆっくりにとって人間がどういう存在であるか を認識しており、人間から隠れて生き永らえるものが多くなっていた。第二次飼いゆっくりブームが始まるかどうかという時期 に、ペットショップに並ぶゆっくりには避妊と去勢が義務付けられたのである。飼いゆっくりが野良ゆっくりに無理矢理子供を 作らされないように。そして、飼いゆっくりの知識を受け継いだ野良ゆっくりが誕生しないように。 「飼いゆっくりになれずとも、教養課程とかいうので人間の知識を与えられてる、っていうこと?」 「はい。 ペットショップで売られているゆっくりはショーケースに入ってる、いないに関わらず一度は人間についての知識を 教え込まれています。 もちろん、ブリーダーの段階で切られてしまったゆっくりもいますが……」 「第一次で問題を起こした“そこそこ頭の良いゆっくり”っていうのがペットショップのワゴンでたくさん売られている、って わけか……」 「そういうことになります。 しかも、ワゴン売りにされているゆっくりには避妊・去勢が施されていません」 「……理由があるの?」 「人語を解し、人間と同じような感情を持っているゆっくりを人間たちの都合だけで避妊・去勢させることは道徳に反する、と いう考えを持つ人もいるのです。 ゆっくりをペットとして扱うからこそできているので、ワゴン売りに出されているようなゆ っくりにまで処置を施すことはできませんでした。 もちろん、費用の問題もあります。 そもそも、ゆっくりの餌用に売られ ているようなゆっくりにそれほどの処置を施すメリットがない」 「意味わかんないわね。 結局、ワゴン売りに出されてるゆっくりが第一次と同じような問題を起こしてる、って言うんでしょ? だったら……って、どうやってペットショップから逃げ出すの? 無理じゃない?」 「第二次飼いゆっくりブームの飼いゆっくりでも捨てられる個体がいます」 「?」 「金銭的な理由だったり、家庭的な理由だったり、ともかく理由は様々ですが……」 「避妊も去勢もしてあるんでしょ? だったら問題ないじゃない」 「……ペットショップでそれなりの期間を過ごした第二次の捨てられた飼いゆっくりは、ペットショップには“たくさんのゆっ くりが捕まっている”というような考えを持つ個体もいます。 或いは、単純にペットショップに行けば“仲間がたくさんいる” というような」 女が、拳を作った右手で左の掌を打つ。 「そういう元・飼いゆっくりが、ペットショップのワゴン売りゆっくりを逃がすのか!」 「ゆっくりによる空き巣被害は、第一次の頃から問題視されていました。 その標的が民家に加え、ペットショップにも向けら れるようになったんです。 少しでも多くの同族と“一緒にゆっくりしたい”という願望でもって。 被害は全国的に増加の一 途をたどっており、私たちの調査によれば既に第二次飼いゆっくりブームの第二世代が街に相当な規模で誕生していると考えら れています」 「今度は国レベルで一斉駆除をするの?」 「追いつかないでしょうね。 ゆっくりの繁殖力は私たちが想像している以上に高いんです。 だから、第二次飼いゆっくりブ ームの第一世代をなんとかする必要があります」 「……うちの、れいむ、みたいな?」 「そうです」 それからまたしばらく話をして、男は“バッジ試験の事についても考えてみてください”と言い残して去って行った。女は公 餡から届いた茶封筒をヒラヒラと振りながら部屋の中へと戻って行く。れいむがぴょんぴょんと飛び跳ねてきた。 「ゆっくり! ながいおはなしさんだったね!!」 「おー……。 そういえば、アイツ……掻い摘んで説明するとか言ってたくせに、滅茶苦茶喋りまくってたなぁ……」 「おねーさんっ! あめさんがやんだよっ!! ゆっくりおさんぽにいこうねっ!!!」 「ん……? つっても、私、まだ朝ご飯食べてないんだけど……。 れいむを連れて店には入れないからさ……とりあえずコン ビニに行ってご飯買ってきていい? 散歩はそれから行くことにしようぜ、相棒?」 「ゆっくりりかいしたよっ!!!」 二、 雨上がりの路地を女とれいむが並んで進む。たまに飼いゆっくりを抱きかかえて歩く飼い主を見るが、女は心の中で「そりゃ、 散歩じゃねーだろ」とか思っていたので、敢えてれいむを跳ねさせる。アスファルトの上を跳ねる行為はゆっくりにとって決し て楽なことではないのだが、れいむはすっかり慣れてしまっていた。それに今となっては外をぴょんぴょんと跳ねることがれい むの運動関連のストレス解消にもなっているのか、思いのほか女のゆっくり飼育は想像以上に上手くいっていた。 「れいむー? そろそろ、あんよの皮、破れるじゃないのー?」 「やぶれないよっ! こわいこといわないでねっ!! れいむは、そんなに“やわ”なゆっくりじゃないよっ!!」 「ふふっ。 そーか、そーか」 女自身、自分にも他人にも厳しいタイプだったからかも知れない。こういうれいむの成長っぷりは見ていて素直に嬉しかった。 これほどの熱血ゆっくりは町内探してもなかなかいないだろう。そんなれいむは、女にとってもやはり、自慢の飼いゆっくりだ ったのかも知れない。 程なくして公園にたどり着く。雨が上がったばかりのせいか、あまり人の姿は見えない。女は自販機でジュースを買うと、れ いむと半分こしてそれを飲み干した。 「ぷはーっ……」 「うんどうのあとの、あまあまさんは、ゆっくりおいしいねっ!!」 「言うようになったねぇ……。 昔はここに来るまでにぴーぴー泣いてた癖に」 女がクスクスと笑いながられいむの頬を突く。れいむは顔を真っ赤にしながら、「むかしのことをいわないでねっ」などと言 っていた。 用意していたタオルを敷いて雨水の滴るベンチに腰掛ける。れいむは少し息が上がっているのか、飛び跳ねて膝の上に乗って きたりはしない。女の足元に寄り添って「ゆー……、ゆー……」と言っていた。女がれいむの頭をリボン越しに撫でてやる。 「れいむ。 あんたさぁ……」 「なに?」 「他のゆっくりと一緒に……ゆっくりしたい?」 「ゆ? どうして?」 振り返って女を仰ぎ見るれいむが不思議そうに顔を傾ける。女はれいむから視線を外さない。それから無言でれいむを抱き上 げて膝の上に乗せる。 「んー、なんでもないよ」 「ゆー……?」 「ゆっくりしていってね!!!」 「ゆ? ゆっくりしていってね!!!」 ベンチに腰掛ける女とれいむの前に一匹のまりさが現れた。公園の近くに住みついている野良ゆっくりで、女やれいむとは旧 知の仲である。 「まりさじゃん。 ゆっくりしていってね」 「おねーさん! ゆっくりしていってね!!!」 れいむが女の膝の上から飛び降りて、まりさの元に跳ねていく。れいむとまりさは嬉しそうに互いの頬を寄せ合い、「すーり、 すーり……しあわせー♪」とお決まりの台詞を言い合っていた。女が苦笑しながら呟く。 「ふふ……。 本当は他のゆっくりと一緒に遊びたいくせに」 れいむとまりさは芝生の上をぴょんぴょん飛び跳ねて遊んでいた。れいむの方は先ほどまでの疲れがどこへやら、である。芝 生の上を跳ねること自体が気持ちいいのだろうか、れいむとまりさは本当に楽しそうな表情を女に見せていた。それから、二匹 で蝶々を追いかけて涙目になりながら舌を伸ばして高くジャンプしようとする。まりさの頭の上にれいむが飛び乗って、そこか ら更に高くジャンプしても蝶々を捕まえることができなくて、ようやく二匹は蝶々の捕獲を断念したらしい。残念そうな互いの 顔を見合わせる二匹。泥だらけになってしまった互いの頬を舐め合う。嬉しそうに、くすぐったそうに、恥ずかしそうに。 女はぼんやりと二匹を眺めていた。 (あの二匹って……自然の中で出会っていたら、恋人になったりしたのかねー……?) 顔を綻ばせる。あの野良まりさは、第二次飼いゆっくりブームの第二世代なのだろうか。それとも、第一次飼いゆっくりブー ムにおける何世代かも分からないようなゆっくりなのか。表裏のない態度や女に見せる笑顔を見る限り、決して頭の良い個体で はないように思えるが、公餡の男から聞いた話を思い出すとその辺りが妙に気になってしまう。 「……第二次飼いゆっくりブームの……第一世代を守るための法案、ねぇ……。 まぁ、確かに……野良ゆっくりに飼いゆっく りが殺された、なんて話は今でもたまーに聞くけど……」 男が説明したバッジ制度の目的とはこう言ったものである。心無い飼い主によって捨てられてしまう飼いゆっくりが問題を引 き起こすことで、そのとばっちりが全ての飼いゆっくりへと向けられる可能性があるらしい。現に、ゆっくりをペットとして飼 う事自体を禁止しようとする動きもあるようだ。そうなれば、女の飼っているれいむのような本当に罪のない飼いゆっくりも一 緒になって処分されてしまう。 そこで公餡はそう言った飼い主が第一世代のゆっくりを捨てられないような環境を作ることにしたのだ。それは飼いゆっくり であることの証明書の作成である。バッジには全てシリアルナンバーが振られており、飼い主はゆっくりを飼う時点で「宣誓書」 という書類に自分の名を記さなければならない。それを明記した上でバッジのシリアルナンバーも記し、飼いゆっくりを買った 店側に提示する必要があるのだ。ちなみにこの「宣誓書」を書かなければゆっくりを購入することはできない。更にバッジは四 ヶ月に一度更新を行う必要があり、その時にバッジと「宣誓書」が揃っていなければバッジは破棄されゆっくりを飼う権利自体 が剥奪されてしまう。 一見すればとんでもなく厳しい制度のように思えるが、ゆっくりをペットとして飼おうという意思があるものにとってはどう ということもなく、ゆっくりを捨てようとした場合でも保健所か加工所が引き取ってくれる。とにかく、無造作に飼いゆっくり が捨てられるという状態を失くそうと考えた結果であるようだ。 「避妊と虚勢とバッジ……。 そこまでしないと飼えないようなモンなのかねぇ……ゆっくり、ってのは……。 まぁ、実際に 色々問題起きてるからなぁ……」 そして、それら三つの事柄を纏めたものが、公餡の提示する“飼いゆっくり保護法”というものらしい。野良ゆっくりによる 被害や何かで自分の所有する飼いゆっくりが殺されてしまった場合、保険金のようなものが支払われたりもするらしくバッジの シリアルナンバーを使ってその照合を行う、などなど。とにかく、先の三つを大原則としてゆっくりに関係する問題などが事細 かに決められているようだ。 (……別にバッジなんて無くても……私は絶対にれいむを捨てないし……。 れいむもそんな問題を起こすようなゆっくりじゃ ないしなぁ……。 そもそも、この法案って成立すんのかな……? 私みたいな考えの人間、って絶対他にもいるような気がす るんだけど……。 そうなったらバッジとか飼いゆっくり保護法とか意味ないじゃんねぇ……?) はしゃぐ二匹の様子を見ながら女が思考を巡らせる。槍玉に挙げられているような第一世代のゆっくりはほんの一部でしかな いはずだ。多くのゆっくり愛好家にとっては関係のない話である。 (……ま、義務づけられる、って言うなら……仕方ないけど……。 あんまりノリ気じゃないなぁ……。 試されるの、って大 嫌いなんだよね……。 れいむの事知らない奴がどうやってれいむの事、テストするんだ、っての……) ポケットに入れていたバッジ試験申込用紙の入った茶封筒を取り出す。それとれいむを交互に見た。深呼吸。 「……知るかばーか」 そう言って女はバッジ試験申込用紙を茶封筒ごと細かく破って公園のゴミ箱に放り込んだ。 「れいむの事を決めるのは、私だけで十分なのだっ! ……これから、ゆっくりを買う飼い主がやればいーじゃんね」 言い聞かせるように呟いて、れいむとまりさが遊んでいる芝生に向かって走り出す。この女、二十五歳である。 「ゆっくりー! おねーさんもいっしょにあそぶのぜっ!!」 「いっしょにゆっくりしようねっ!!!」 「おうともさぁ!!! 今日はとこっとん、付き合ってやるぞぉぉぉ!!!」 それから一時間近く、女とれいむとまりさは芝生の上を走り回り続けた。れいむとまりさが「ゆはー……ゆはー……」と疲れ 切った様子で呼吸をしている。女の足の下には小さ目のバレーボールのようなものがあり、れいむとまりさはそれを女から奪お うとしていたのだ。もちろん、女はれいむとまりさからそれを奪われないように足でころころと転がしていた。サッカーごっこ とでも言うような遊びを、一時間ぶっ通して続けていたのである。れいむとまりさにとって、それは凄まじいほどに体力を使う 遊びだった。 「もう終わり? 全然ダメじゃん、あんたたち……」 「ど……ぼじで、そんな……こと、いうのぉぉ……」 「おねーさん……うますぎなのぜ……」 「そりゃ、大学の時はフットサルとかやってたけどさぁ……私、別に上手くはないよ? ……って、まぁ、ゆっくりに私がキー プするボールを奪え、っていうのは無理難題か……」 そう言いながら笑った瞬間、れいむが女の足元に置いてあるボールに体当たりをした。女が大勢を崩す。 「およっ……あっ!!!」 間髪入れずに転がったボールをまりさが拾った。茫然と立ち尽くす女をよそに、れいむとまりさは勝ち誇った顔で女を見上げ ていた。 「くっそー……私を油断させるとは、やるな……このゆっくりめ……っ」 「ゆふふ!! ……れいむたちの……かち、だよ……っ!!」 「やくそくの、あまあまさんを……たべさせるのぜ……っ!!!」 「ハイハイ。 仕方ないなー」 女は二匹にボールを奪わせるためにわざと油断をしたフリをしてみせたのである。二匹で協力して女から奪ったボールに対し て愛おしそうに頬を摺り寄せるれいむとまりさ。女はそんな姿を横目で見ながらニカッと笑ってみせた。れいむとまりさには、 「頑張ればきっとできる」という意思を持って欲しかったのだ。「ゆっくりだから、なんにもできないよ」などというゆっくり にだけはなってほしくなかった。 女はコンビニで買ってきたクッキーを持ってくると、それを二匹に与えた。汗まみれで泥だらけで、決して綺麗な顔をしてい るゆっくりだとは言い難かったが、女は嬉しそうにクッキーを頬張る二匹の表情を見て心の底から嬉しくなってくる。 「やったね、まりさっ!! れいむたちがいっしょにがんばったからだよっ!!!」 「そうなんだぜっ!! まりさたちは、さいっこうのともだちなのぜっ!!!」 「「ゆっくり~~~♪」」 女が苦笑した。二匹の輪に入っていけないことに対して、少しだけ妬いたりしているのかも知れない。それからしばらく談笑 してから女とれいむは公園から帰ることをまりさに告げた。まりさは一瞬だけしょぼくれた表情をしたが、それはいつもの事だ。 すぐに笑顔になって、「またあそびにくるんだぜっ!」と叫ぶ。流石に疲労困憊のれいむを女が抱きかかえて、まりさに手を振 る。れいむも笑顔で「ゆっくりさよーなら! また、いっしょにゆっくりしようねっ!!」などと声をかけていた。 公園からの帰り道。女の腕に抱かれたれいむがニコニコ笑いながら、 「おねーさん! また、まりさのところにつれていってね!!」 と、催促した。女は一言、「分かったわ」と告げるとその言葉に安心したのか、れいむは眠りについてしまった。女の腕の中 が優しい揺り籠のように感じているのだろう。 (……強がっちゃって) 自宅へと歩を進める女がれいむを見てそっと溜め息を吐く。いつだったか、聞いたことがある。「まりさのことが好きなんで しょ?」と。そのとき、れいむは諦めたような、寂しそうな表情で笑顔を作り、「まりさはれいむのだいじなともだちだよっ」 とだけ言った。その日の夜、れいむはケージの中で泣いていたようだった。クッションに涙の痕が残っていたのである。れいむ は理解しているのであろう。教養課程や、試験の中で飼いゆっくりが野良ゆっくりと恋をすることが許されていないこと。恋を したとしても、まりさとの間にちびちゃんを作ることができないこと。あの時ばかりは、女は自分のデリカシーの無さを悔いた。 何気ない一言が、れいむを傷つけてしまったのである。 (まりさも……れいむが好きなんだろうな) 表情を見ていればわかる。二匹は互いを想い合っているはずなのだ。ただ、まりさはれいむが飼いゆっくりのルールに縛られ ており、避妊・去勢が施されていることなど知る由もない。まりさはまりさで、いつまで経っても振り向いてくれないれいむを 想い続けるのは辛くなってきていることだろう。それでも、れいむに会うことは嬉しいのか、いつだってはしゃいで見せる。 「決して実ることはない……飼いゆっくりと、野良ゆっくりの恋……か」 つづく
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#blognavi 190.6で買い入れ、188.6で引かされた。 最近絶不調だ。 やり方を変えねば。 カテゴリ [商品先物] - trackback- 2005年10月28日 15 54 42 名前 コメント #blognavi
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タイトル EPISODE.5 明かされた真実 【4話へ】【6話へ 】 放送日 2012年5月19日 視聴率 7.0 % 原作該当話 9巻 Diary.43 終末の救い方 2009年7月掲載 10巻 Diary.44 我妻銀行ツインタワービル支店 2009年8月掲載 Diary.45 vs 9th ラストバトル 2009年9月掲載 Diary.46 決着 2009年10月掲載 Diary.46.5 Why? アニメ該当話 21話:暗証番号 出演 【配役名(役者名)】 星野新太 (岡田将生)、古崎由乃 (剛力彩芽)、木部徹 (佐野史郎)、沖江春奈 (福田麻由子) 森口類 (本郷奏多)、高坂王子 (菊池風麿)、上原倫子 (中村ゆり)、浅見まりな (富永沙織)、蔵田暁 (平賀雅臣) 備考 お話の流れ 原作漫画との主な相違点 ● 原作第9巻収録の第43話から原作第10巻収録の第46.5話を中心として再構成 ● 『一棟のビルの中で複数の所有者たちが戦う』というシチュエーションは同じだが、それ以外の細部や話の流れはほぼ異なる。 ● 原作では、主人公はマシンガンで、ヒロイン由乃は日本刀で武装している。また、突入メンバーの中に高坂王子も加わっている。 ● 木部 (原作での市長・11th)がゲームに乗った理由が異なる。ドラマではデウスを殺すためだが、原作では市民全てに未来予知能力を与えるため。 ● 木部 (原作での11th)が部下たちに未来日記のコピーを与えるのは同じだが、 ドラマ版が現代技術で開発したのに対し、原作では他所有者の 『他人の携帯電話に予知能力を貸与する機能を持った未来日記』を奪取し利用している。 ● 木部 (原作での11th)の最期が異なる。ドラマ版では由乃から 『未来日記に関する真実』を聞かされ、絶望して自害するが、 原作では身を守るために大金庫に立てこもるも、扉のロックを解除した由乃に侵入されて殺される。 ● 原作には上原倫子や沖江春奈に該当する人物が登場しないため、彼女らに関するエピソードは全てドラマオリジナル。 ● 由乃が主人公を監禁するエピソードは原作にも登場するが、時系列が入れ替わっている。原作では、木部戦 (11th)より前に監禁。
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これはテレビドラマの話ではありません。 現実に娘がガンにおかされたのです。よりによって私の娘が……。 2003年9月、学校から帰ってきた娘が、妻に訴えたそうです。 「チョット、腕が痛いの……」 娘は当時中学1年生、二人姉妹の妹の方で、元気で明るくわが家のムードメーカー的存在でした。 趣味は絵を描くことで、親バカではありますが、これがなかなかいけていて、自分でも「将来、マンガ家になろうかな?」などと言っておりました。 それまでに目立った病気をしたこともなく、元気で明るく、普通のそしてかわいい娘でした。学校では友達もたくさんできて、クラブ活動はテニス部、充実した中学校生活を送っていたと思われます。 この年頃の女の子の常として、父親である私との会話はめっきり減っていましたが、まあ、これも自然のこと、とにかく順調に成長している中学1年の女の子でした。 娘がガンにおかされました 治療、そして最悪の事態 現代医学の限界を感じ──回復、退院へ
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「このように~~」 昼休み明けの5時間目…今は桜庭先生が担当する生物の授業中。 「ハァ……」 その授業内容も大して頭に入らず、只ノートにペンを走らせ続ける…そんな間にも出てくるのは溜め息ばかり……原因は私に有るんだけど…。 ………こなたにキスをしてしまった。 いや、実際出来た訳じゃなくて…私とこなたの唇の間には日下部の下敷きという障害物が挟まってたけど…。 ぼんやりとした思考で浮かぶのは、目を閉じて待ち構えるこなたの顔…あの時のこなた…可愛かったわね…。 そのまま両手に抱えて家までお持ち帰りしたいぐらいに。 まずい…授業中なのに顔がニヤけてきた…。 ってか何で日下部の奴は邪魔を…後で覚えてろよ…人を騙しておいて只じゃ済まさないんだから!! 「であるからして~」 「Σって違う違う!!」 「如何した柊??何処か間違ってるか??」 ヤバッ…まさか声に出てるとか…不審そうに桜庭先生が私を見てくる。 「な、何でも有りませんっ;//」 「そうか??それなら良いが…」 と、言うが否やそのまま黒板に向き直って授業再開…。 ふぅ…如何にか納得してくれたみたいね…。 …声に出すつもりはなかったけど…違うのは確か…おかしい……有り得ない欲望と怒りに支配されそうな私が居る…。 そもそも、私は何であんな事したんだ??まさか私がこなたを……いやいや有り得ない!!…幾らなんでもこなたとは…親友とはいえそれだけ…女同士だし…。 けど…例えばつかさやみゆきに同じ事をしろって言われて…果たして私に出来るだろうか?? 答えは否………出来ない…そんな事…。 ……こなたが相手だから…出来る事…。 嗚呼…そっか…やっぱり私は…こなたが好きなんだ… こなたに誘われて… 流されてしまって… 結局騙されて… それなのに……逆にこなたの事が好きなんだって…気付かされて… どんだけ道化なんだ私は…。 だけど…この想いは伝えられない…だってアイツは前に… 『私ノンケだから…ソッチの趣味は無いよ??』 と、パティさんに話してた…。 そんなこなたに想いをぶつけてしまえば…きっと嫌われてしまう…。 卒業まで後数ヵ月なのに…そんなの…嫌…耐えられない…。 そんな苦悩とは裏腹に、一旦朱に交わった欲望は変わる事が無く朱に染まり続ける…。 そうなると拍車が掛かったように、欲望だけが先行して更に加速していく…さっきまで悩んでたのが嘘みたいに。 こなたを抱きたいキスしたい持ち帰りたい…こなたは……こなたは… 「良し、柊、此処を読んでみろ??」 「私の嫁っ!!」 Σしまっ…つい脊髄反射で立ち上がって大声で即答してしまった…// 「は??本当に大丈夫か柊、顔も赤い…熱でも有るんだろ…次の時間は保健室に行ってこい。」 クラス中の視線が痛い…頼むからそんな憐れみを含む目で私を見ないで…日下部ニヤニヤすんな後で殺す!! 「は…はいっ…//」 ホントに熱が出てきそうだ…いっそ私を殺してくれ;; キーンコーンカーンコーン♪ その時、丁度終業のチャイムが鳴った。 「よし、今日は此処までだ。」 桜庭先生は終わったらそのままスタスタと教室を出ていく。 その様子を遠巻きに眺めながらフと自分のノートに視線を落とす…すると其処には… こなたこなたこなたこなたこなた好き好き好き好きキスしたいキスしたいキスしたい抱きたい抱きたい抱きたい持ち帰り持ち帰り持ち帰りこなたは私の嫁こなたは私の嫁こなたは~~~以下同文。 2ページ丸々カオスだった。 「………何じゃこりゃぁ~~!!」 と、大声で叫んでしまった…又クラス中の視線を浴びるが今更気にしてられない…。 ヤバい、ヤバすぎる……こんなの見られたら…特にアイツに見られたら……忘れたはずの恐怖が又私を支配する。 「やふ~、かがみ様ぁ、生物のノート貸してぇv」 ああ…遂にこなたの幻聴と幻覚が見え…る訳が無いこなたはリアルにドアの所に居て… 「Σってぇ…!!何でお前が其所に居るぅ!!」 ったく…何でこんな時に限ってコイツは…とりあえずノートは後ろに隠し…て…うん…?? 「Σ酷っ;私かがみに何かした;?」 Σちょ、おま、そんな涙目のまま上目使いで見上げんなバカ…可愛いから抱き締めたくなるだろ…// 黙ったまま両手を不自然に動かして己の欲望、恐怖と葛藤してると、こなたは何を思ったのか表情一変、何時もの猫口で笑いながら… 「どったのかがみん??顔が真っ赤だよ~v?デレ期突入しちゃったのカナv?カナv?」 と、言って抱き付いてきた。 マテ、ホントに、理性、が……けど…抑えなきゃ…… こなたに……嫌わ…れる…… キ・ラ・ワ・レ・ル ~~~~~ 気付かされた想い2へ続く コメントフォーム 名前 コメント (≧∀≦)b -- 名無しさん (2023-06-03 07 49 36) かがみの脳内メルトダウン・・・GJ -- kk (2008-12-03 23 56 33)
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出撃可能ユニット数 敵構成(初期配置) 備考 14章 明かされた謎 12人 氷竜10 盗賊7 北西の凍った湖に秘密の店部屋を開ける順番は中央→右→左 1~∞ターン特に無し 秘密の店 商品 値段 かりゅう石 18000 ひりゅう石 18000 ひょうりゅう石 18000 まりゅう石 18000
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《明かされた真実》 イベントカード 使用コスト0/発生コスト2/青 [アプローチ/相手] 相手のキャラ1枚は、このターン、アプローチに参加することができない。 (ソウルジェムさえ砕かれない限り、君たちは無敵だよ。) 劇場版魔法少女まどか☆マギカで登場した青色のイベントカード。 相手キャラ1枚のアプローチを封印する効果を持つ。 《急ブレーキ》と全く同じテキストを持つ。 使い方は《急ブレーキ》を参照。 カードイラストは第6話「こんなの絶対おかしいよ」/[前編]「始まりの物語」のワンシーン。フレーバーはその時のまどかのセリフ。 関連項目 《急ブレーキ》 《揺れる心(124)》 《軽蔑の目》 収録 劇場版魔法少女まどか☆マギカ 03-103 編集
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まったく考えていなかったできごと(2003年9月21日) 9月21日妻から、「娘、明日病院に行くのよ」と聞かされました。 「何事か?」と聞くと、「腕が痛いらしい」とのこと。 「アー、それはテニスのせいだろう。成長期に良くある骨の痛みだろう、まぁ、さほどのこともあるまい」と、たかをくくっていました。 これはあとから娘に聞いた話ですが、実は4月ごろから、少し痛みを覚えていたそうです。ところが娘もそれを中学から始めたテニスのせいだと思い、あまり気にしていなかったそうです。 中学になってから始めたテニスが不幸な偶然でガンの発病と重なり、それにより自覚症状が出てから半年もの時間が経過してしまったのです。 そしてその晩、妻から、「チョット気になるから、総合病院で診てもらうようにと、先生に言われたと」聞いたとき、悪い予感が頭いっぱいに広がっていきました。 この「チョット気になる」は以前にも聞いたことがあります。 妻の乳ガン それはさかのぼることさらに3年前、2000年の秋、妻が実家の近くの婦人科で検診を受けたところ、「チョット気になるから、市民病院で診てもらうように」と言われたのでした。 結果は「乳ガン」。しこりが気になり検診に行ったのですから、いわゆる初期の段階ではなかったのでしょう。 乳房をとる手術をすることになりました。同時に、自分の腹の肉をそのあとに移植する形成の手術も行うことになったので、10時間にもおよぶ大手術になりました。 幸いにも県内でも名医と評判の先生の執刀だったので手術は成功し、術後の回復も順調で約2週間の入院生活ですみました。 しかしその間私は、妻の看病、娘たちの世話、慣れない家事などに追われ、仕事も満足にできない状態が続いたのです。 このようなつらい記憶がこの「チョット気になる」という言葉でよみがえり、不安とイライラの日々がスタートしたのです。 頼む、まちがいであってくれ(9月29日) 9月24日・25日の両日、総合病院でレントゲンとMRIの検査を受け、9月29日にその結果を聞きに行くことになり、私も同行しました。 その前夜、妻が、「私一人じゃ心細いから、お父さんも一緒にきて」と頼んだのです。 一応平静は装っていたようですが、やはり非常に不安だったのでしょう。 自分もガンでは本当につらい思いをしてきたのです。最愛の娘に自分と同じような思いはさせたくないでしょう。 「自分の時より、全然ドキドキする。ホント、気が狂ってしまいそう」と娘の前では見せられない涙を流しながら訴えてきたのです。 私も安易ななぐさめの言葉もかけられず、ただ、「わかった」と言うしかありませんでした。 そして病院へ、待合室で長いような、短いような、何とも形容しがたい重苦しい時間が過ぎ、ついに娘の名前が呼ばれました。 そこで先生の口から出た言葉は、「骨肉腫の疑いが強くあるので、大学病院で専門の検査と治療を受けてください」ということでした。 私と、妻と、娘本人の3人がいるところで、ハッキリそう言われたのです。 現在では、本人にもある程度隠さずに伝えるのでしょう。 娘の反応が少し不安でしたが、実感がわかないのか、普段とそれほど変わらない表情を浮かべていました。 まだ完全に確定ではないにしろ、事態はますます重大かつ深刻な方向へ向かい始めたのです。 舞台は大学病院へ そしてその日のうちに、大学病院に行くことにしました。いたずらに時を延ばしても、精神的な苦痛はさらに大きくなるだけだと判断したのです。 そして舞台はいよいよ大学病院へ。 家から車で30分くらいのところにあるその病院は、古い診察棟、約1年前に建て替えられた新しい入院棟、さらに歯科病棟、そして研究施設などが建ち並び、その陣容に圧倒される雰囲気でした。 立体駐車場の屋上に車を止め、施設の全容をながめながら、「あー、今度はここで戦いが始まるのだなぁ、それもよりによって娘が主役の戦いが……」と心の中で深いため息をつきました。 3年前の妻の乳ガンの時もそうですが、「自分が主役であってくれた方が、よっぽど気が楽なのに……」うそ偽りなくそう思えるのです。 妻の病院はここからさらに車で10分ほどの市民病院、県の中心部にある大病院でしたが、ここはさらにそこを上回る規模でした。 あの時の苦闘の日々を思い返しながら、そして今回の戦いが勝利で終わることを祈りながら、いよいよ大学病院に足を踏み入れたのです。 大学病院では整形外科のS先生の診察を受けました。 先生は総合病院で撮ったMRIの写真を見ながらおっしゃいました。 「骨肉腫にしてはできる部位が珍しい、他の病気または単なる骨折の疑いもあるように思われます」 手の骨肉腫はたいてい「肩」にできるもので、娘のように「上腕部」に発生するのはあまり例がないそうです。 「手術をし、組織を取って調べないと最終的な判断は下せない」とのことでした。 「病室が空き次第入院してもらい、最終的な検査をいたしましょう」ということでこの日は帰りました。 2軒も病院を回る長い1日でしたが、とにかく結果は持ち越しです。 他の軽い病気や単なる骨折の可能性もあるという希望も出ましたが、それ以上にイライラ感が大きくなったような気がしました。 明るく、前向きに、楽しく生きる その夜私は、娘と妻に話しをしました。 口下手な私は家族ともあまり話しをすることはなかったのですが、この時ばかりは自分として何かできることをしなければならないという気持が強くなったのです。 このころ、私は1冊の本を読んでいました。 それは春山茂樹先生著の『脳内革命』という本で、娘にとって非常に素晴らしい内容のことが書かれていたのです。 それはいわゆる「病は気から」というのは本当のことで、人間の身体というのは精神と非常に密接な関係にあるということが書かれている本でした。 明るく、前向きに、楽しく生きる人には、脳から「脳内エンドルフィン」という、どんな薬にも勝る、素晴らしい物質が分泌され、身体を非常に良い方向に導いてくれる。その逆に落ち込んでいたり、いつもイライラしたりしていると、健康を損なう恐れすらあるということです。 私はこの本に書かれている内容をできるだけ詳しく、娘と妻に話しました。 そして、「これからいろいろと、つらいことや苦しいことが起こるかもしれないけれど、常に明るく、前向きに、楽しく生きていくように」と希望しました。 娘はだいたい理解してくれたようです。 そして実際明るく、前向きに、楽しく生きてくれたのです。 心の奥底ではどんなにつらく、苦しく、悲しかったことでしょう。それでもけなげなくらいに、明るく、前向きに、楽しく生きてくれています。 私がこの時期にこの本を読んでいたのは単なる偶然です。 娘の病気が発覚する前に、近所の古本屋さんで100円で購入したものだったのです。その日はたまたま私の好きな時代小説の面白そうな本がなかったので、「まあ、100円ならいいか」と軽い気持で買ったような記憶があります。 私自身、もしこの時期にこの本を読んでいなかったら、娘の病気という重荷に押しつぶされていたかもしれません。まさに私の人生模様をこの本によって教えていただいたといっても過言ではないと思います。 その後読んだ、安保徹先生著の『免疫革命』にも、さらに詳しく科学的に解説されており、精神の健康が肉体の健康にとってどれほど重要で、かつ必要なものかどうかということを学ばせてもらいました。 ついに入院(10月7日) 10月7日、ついに入院生活の始まりです。 7階の東病棟、4人部屋の窓際のベッドが、娘に与えられた空間でした。 担当の看護師さんより、病院内の施設や設備の説明を受けました。 1年前に建て替えられたばかりの入院棟は、とてもきれいで、2階には売店、食堂、図書館などもあり、さらに長期入院する子供たちのための「院内学級」もありました。 各階にもサンルーム、デイルームなどの患者さんたちのための部屋もとってあり、病室も窓も大きく、とても明るい雰囲気です。 各ベッドには液晶テレビがついていて、妻が入院していた市民病院よりも、格段に過ごしやすそうな設備と雰囲気でした。 これから入院生活がもし長くなるようなことがあると、この過ごしやすさというのは、とても大きな意味を持つなと感じました。 娘も、まあ気に入ったようで、とりあえずはホッとしました。 11時に入院して、病院内の説明も昼までに終わり、私としては用事がなくなったのですが、この日は仕事を完全に休んで病院に残ることにしました。 私の仕事は配管工で、小さいながらも一応自営ですので休みは自由になります。ただしサラリーマンと違って、仕事をしなければ、1円の収入にもなりません。おりからの建設業界の不況にも見舞われて、経済的にはそれほど余裕のある生活とはいえませんでした。 今後、さらに仕事をする時間が減ると当然収入も減ることが予想されます。これからの娘の入院生活、さらに妻もまだ術後の治療を続けており、私は経済的不安もいっぱいありました。 それでもとにかく、娘の病気を治すことを最優先とし、そして妻にも負担をかけないために、金銭のことはいっさい口にするのはよそうと自分の心に誓いました。 どれほど借金をしてもいい、仕事より娘の身体を治すこと、そして家族のことを優先で生きていこうと方針を決めました。 涙、涙、涙 病院の面会時間は8時までです。それを告げるアナウンスも流れてきました。 それまで元気で明るく振舞っていた娘の眼がみるみる赤くなっていきました。 修学旅行以外では初めて一人で夜を過ごさなければならないのです。それも病院のベッドで、自分が恐ろしい病気におかされているかもしれないことを知りながら……。 中学1年の13歳の女の子が、大人でもない、子供でもない微妙な年頃の娘がです。どれほど心細かったことでしょう。 どれだけ妻に「お願い、帰らないで」言いたかったことでしょう。 妻の眼にも涙が浮かんでいました。 何度も「もう帰るよ」と言いながらも、その都度なんでもない話題を見つけ、ギリギリ時間を引き延ばしてきましたが、ついに廊下の電気も消え、消灯のアナウンスが聞こえてきました。 眼を真っ赤にしながら、小さな涙の粒を二つだけ見せながら、それでも精一杯の笑顔を作って、娘は妻とハイタッチをして、妻も「おやすみ」も「明日またくるよ」の言葉も出ず、ただただ崩れ落ちそうになる笑顔を必死で持ちこたえながら、ハイタッチに応えていました。 そしてもう薄暗くなってしまった廊下に出ました。 私も妻もまったく無言で、できるだけ急ぎ足で駐車場まできて、車に乗り込みました。 そして私がエンジンをかけると同時に妻が「お願い、今日だけは泣かせて」とかろうじてつぶやいたとたん、声をあげて泣き崩れてしまいました。 病院から家までの30分間、妻は泣き続けていました。 家に帰っても、なんの会話もなく、お互いの仕事を淡々とすませ、床に入りました。 今までは狭い部屋に蒲団を重ねるように3組敷いていたのですが、今日からは2組です。何と物足りない空間でしょう。 妻が電気を消すのを待って、私もようやく涙を流すことができました。 手術(10月8日) 次の日は手術です。 これは実際に患部の細胞を採集して、専門的な病理検査をして最終的な病名を診断するための手術です。 手術自体は簡単なものだという説明を受けていましたが、娘にとっては初めての経験です。 手術着を着せられ、手術のための準備をしている間、娘は妻とおしゃべりをして、思ったより落ち着いているように見えました。それでも手術室に入る時は当然一人です。どんな気持で入っていったことでしょう。 「本当にできることなら代わってあげたい」 その思いは妻の方が私よりも強く思っていたことでしょう。 ほどなく娘は病室に帰ってきました。 手術は全身麻酔で行われていたので、麻酔がさめる時に軽い吐き気があったものの、娘は思ったより元気そうです。妻と手術の時の感想を話したりして、時々笑顔が見られることもありました。 さすがにこの日は妻は病院に泊まることにして、私は一人病院をあとにしました。 この日の検査の結果で最終的な診断が下るのです。 なかば覚悟しているものの、それでもヒョッとしたら、実はなんでもなかったという結果が出ることを祈りつつ、この検査の結果が出るまでの数日間が、私にとってもっともイライラした、落ち着かない時間であったと思います。 やはり「骨肉腫」(10月20日) そして10月20日に検査の結果についての話がありました。 結果はやはり「骨肉腫」。 それも「非常に活発な細胞のように見受けられます」とまで言われました。 覚悟していたとはいえ、やはりあまりにも厳しい宣告でした。 最初、私と妻のみが呼ばれ、この事実を娘にも伝えるかどうかという質問を受けました。少し迷いましたが、すでに骨肉腫の恐れがあるというのは知っていますし、今後の治療に対する心構えもありますので、すべて隠さずに娘にも伝えてもらうことにしました。 改めて3人で病気についての説明を受け、今後の治療の方針を聞くことになりました。 まず、5クールの抗ガン剤治療を、手術に先立って行うということです。 これは抗ガン剤によって腕の腫瘍を縮小させ、手術の負担をできるだけ少なくするとともに、それ以外にあるかもしれない、目に見えないガン細胞をたたいていく目的のためにするものです。 特に骨肉腫は、肺転移することが多くみられ、これが文字通り命取りになることがあるので、この術前の抗ガン剤治療は絶対に必要なものだという説明を受けました。 最初の3クールは同じ薬を使い、そこで検査をし、薬の効き具合と身体の様子を見たうえで、次の2クールの薬を決めていくとのことでした。 そしてだいたい3月の前半ころに手術を予定して、その後また半年間、抗ガン剤治療を行い、全部で約1年間の治療期間になるとの説明を受けました。 現在では、骨肉腫はこのパターンの治療が主流で、5年生存率は約70%に上がっているということです。70%とはなんとも心もとない微妙な数字ですが、娘がこの70%の方に入るように祈っておりました。 妻の乳ガンもやはり5年生存率は70%ですと言われ、今(約3年目)とても元気なので、現代の医学なら何とかしてくれるのではないかと期待しておりました。 つぎへ 「治療、そして最悪の事態」>