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このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。 (2013.7.28) なお、主に以下のサイトを参考にさせていただいています。 太宰ミュージアム公式サイト、みたかナビ/太宰治散歩マップ、三鷹市/太宰ゆかりの場所、文学散歩のこと/太宰治と「三鷹」、甲府市観光情報/太宰治、東京紅團、Wikipediaほか 青森県 青森市 ・太宰治 学生時代の下宿跡(豊田家跡) ・合浦公園 ・浅虫温泉 椿館 弘前市 ・太宰治まなびの家(旧藤田家住宅) 五所川原市 ・太宰治記念館 斜陽館(旧津島邸) ・太宰治疎開の家 津島家新座敷 ・太宰治 思い出広場 ・喫茶店 駅舎 (芦野公園駅旧駅舎) ・芦野公園(太宰治文学碑・太宰治銅像) ・雲祥寺 ・五所川原駅 ・岩木川と乾橋 ・太宰治が過ごした蔵 跡地 東津軽郡 ・JR蟹田駅 ・蟹田観瀾山 太宰治文学碑 ・龍飛漁港 太宰治文学碑 ・龍飛岬観光案内所(旧奥谷旅館) 西津軽郡 ・木造町 ・鰺ヶ沢町 ・太宰の宿 ふかうら文学館(旧秋田屋旅館) 東京都 三鷹市 ・JR三鷹駅 ・三鷹電車庫 跨線橋 ・禅林寺(太宰治の墓) ・太宰治文学サロン(伊勢元酒店跡) ・みたか井心亭の百日紅 ・太宰治旧宅跡 ・三鷹駅前郵便局 ・中鉢家跡 (現・藤和シティスクエア三鷹駅前) ・千草跡 (現・Brillia MITAKA) ・野川家跡 (現・永塚葬儀社) ・うなぎ若松屋跡 ・田辺肉店離れ跡 (現・三鷹の森書店) ・太宰横丁 ・玉川上水 ・玉鹿石 ・連雀湯跡 (現・Honda Cars 東京中央井の頭公園店) ・松本訓導殉難碑 ・井の頭恩賜公園 ・新橋付近 山梨県 南都留郡 ・御坂峠 天下茶屋 ・カチカチ山ロープウェイ 甲府市 ・太宰治夫婦新居跡 ・喜久乃湯温泉 ・御崎神社 ・分部豆腐店跡 ・窪田酒店 ・清運寺 ・寿館跡 ・石原家跡 ・旅館明治 [テンプレート]
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概要 太宰治の作品名のプレートで囲まれた憩いの広場。 太宰が子供の頃、金木小学校へ通った通学路沿いにある。 題字は太宰治の長女、津島園子氏によるもの。 1998年(平成10年)3月、津島園子氏と太宰会の協力で建てられた。 詳細 住所:五所川原市金木町 アクセス:津軽鉄道・金木駅から徒歩15分 外部リンク ・思い出広場 - 太宰ミュージアム ・太宰治 思い出広場(五所川原市)|津軽なび ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 五所川原市金木町にある、芦野湖を含む約80haの自然公園。 太宰治文学碑にはヴェルレーヌの詩の一節「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」と記されている。 2009年(平成21年)、生誕100年を記念し、太宰治銅像が建立された。 毎年6月19日には、碑前で「太宰治生誕祭」(旧桜桃忌)を開催している。 詳細 アクセス: 電車で・・・津軽鉄道で五所川原から30分、芦野公園駅下車 バスで・・・弘南バスで五所川原から30分、国道339号芦野公園で降車 外部リンク 芦野公園・太宰治文学碑・太宰治銅像 - 太宰ミュージアム ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 1939年(昭和14年)1月、太宰と妻・美知子は新居となる御崎町(現・朝日5丁目)の借家に移った。8ヶ月という短い期間だったが、充実した日々を過ごした。新居は空襲で焼けてしまったが、現在は新居があった場所に「太宰治僑居(きょうきょ)跡」の石碑がある。 「回想の太宰治」によると、太宰は6円50銭という安い家賃を喜んだという。太宰に不可欠な酒屋、煙草屋、豆腐屋が近くに揃っていたのは便利だった。家賃が安い理由はガスも水道もないことだったようで、一日に何度も井戸端まで水を汲みに行く必要があった。 この家で最初に書いたのは「黄金風景」、続いて「続、富嶽百景」(富嶽百景の後半部分)、「女生徒」、「愛と美について」、「葉桜と魔笛」、「八十八夜」、「春の盗賊」などを書いた。 後年、太宰はこの新居での暮らしを「幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期」と回想している。 小説「十五年間」より抜粋 私のこれまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃から湯豆腐でお酒を悠々と飲んでいたあの頃である。誰に気がねも要らなかった。しかし、それも、たった三、四箇月で駄目になった。二百円の貯金なんて、そんなにいつまでもあるわけは無い。私はまた東京へ出て来て、荒っぽいすさんだ生活に、身を投じなければならなかった。私の半生は、ヤケ酒の歴史である。 詳細 住所:甲府市朝日5-8-11付近 (旧住所:甲府市御崎町56番地) 外部リンク ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 1975年(昭和50年)10月9日、龍飛漁港に建立された太宰治の文学碑。 碑文には小説「津軽」から「ここは、本州の袋小路だ。読者も銘肌せよ。諸君が北に向って歩いている時、その路をどこまでも、さかのぼり、さかのぼり行けば、必ずこの外ヶ浜街道に到り、路がいよいよ狭くなり、さらにさかのぼれば、すぽりとこの鶏小舎に似た不思議な世界に落ち込み、そこに於いて諸君の路は全く尽きるのである。」と刻まれている。 詳細 住所:青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜 TEL:0174-31-1228 (外ケ浜町商工観光課) 料金:見学自由 アクセス: 電車・バスで・・・JR三厩駅下車、外ケ浜町(三厩地区)巡回バスで41分、バス停:龍飛埼灯台から徒歩5分 車で・・・東北道青森ICから2時間 駐車場・・・あり 外部リンク ・龍飛漁港太宰治文学碑 - 太宰ミュージアム ・太宰治文学碑 龍飛崎の観光スポット:るるぶ.com ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 禅林寺は東京都三鷹市にある黄檗宗の寺院である。山号は霊泉山。太宰治の墓がある。 太宰治は、禅林寺にある森鴎外の墓について、「私の汚い骨も、こんな小奇麗な墓所の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない」と書いており、その意を汲んで、美智子夫人が太宰をこの寺の鴎外の墓の側に葬った。 遺体が発見された日であり太宰の誕生日でもある6月19日は「桜桃忌」と名づけられ、今も毎年多くの太宰ファンが参拝に訪れる。 小説「花吹雪」より抜粋 うなだれて、そのすぐ近くの禅林寺に行ってみる。この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持が畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した。私には、そんな資格が無い。立派な口髭を生やしながら、酔漢を相手に敢然と格闘して縁先から墜落したほどの豪傑と、同じ墓地に眠る資格は私に無い。お前なんかは、墓地の択り好みなんて出来る身分ではないのだ。はっきりと、身の程を知らなければならぬ。私はその日、鴎外の端然たる黒い墓碑をちらと横目で見ただけで、あわてて帰宅したのである。 詳細 住所:〒181-0013 東京都三鷹市下連雀4-18-20 TEL:0422-44-8365(代表) アクセス:JR三鷹駅南口下車、徒歩10分。またはバス八幡前下車。 外部リンク ・Wikipedia禅林寺 (三鷹市) ・禅林寺 公式サイト ・三鷹市‐太宰治の墓 - タチオンエリアガイド東京多摩版 ・禅林寺(太宰治・森鴎外墓)|みたかナビ ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 2012年8月23日、「太宰治が過ごした蔵 跡地」と書かれた、太宰ときゑの案内板が立てられた。 かつての津島歯科には古い蔵があって、太宰はこの蔵に寝泊まりした。 解体の時にこの蔵は保存されており、現在「太宰治と叔母きゑ『思ひ出』記念館」(仮称)の計画があるらしい。 詳細 アクセス:JR五所川原駅下車、徒歩3分 ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 太宰治の生家。 太宰が生まれる2年前の1907年(明治40年)、父・津島源右衛門によって建てられた豪邸。 2004年(平成16年)国の重要文化財に指定されている。 詳細 時間:8 30-17 30(冬季は9 00-16 30) 料金:500円、高校生大学生は300円、小中は200円 駐車場:50台 住所:青森県五所川原市金木町朝日山412-1 アクセス:津軽鉄道金木駅(かなぎえき)から徒歩7分 外部リンク 太宰治記念館「斜陽館」 - 太宰ミュージアム Wikipedia 太宰治記念館 「斜陽館」 ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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概要 太宰治が1927年(昭和2年)4月から1930年(昭和5年)3月までの4年間、官立弘前高校学校に通っていときに下宿していた家。藤田家は太宰の親戚だった。 2006年(平成18年)4月18日、太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)としてオープンし、大正時代の和風住宅が概観できる1階部分と、太宰治が学生時代に使用した2階の部屋を自由に観覧できる。 太宰が使用した机、茶だんすなどがそのまま残されているほか、周囲には旧弘前偕行社(重要文化財)・旧制弘前高等学校外国人教師館(国登録有形文化財)などの太宰下宿時代の洋館が点在している。 旧藤田家住宅は、市指定有形文化財に指定されている。 詳細 時間:10 00-16 00 料金:無料 駐車場:4台 住所:青森県弘前市御幸町9-1 アクセス:JR弘前駅から車で10分 外部リンク ・太宰治まなびの家(旧藤田家住宅)(弘前市)|津軽なび ・弘前市役所/太宰治まなびの家(旧藤田家住宅) ・Facebook 太宰治まなびの家 ※このWikiは個人的なまとめです。記載情報の正確性について保証するものではありません。情報が変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず事前に各施設にご確認ください。
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登録日:2011/06/04(土) 17 23 55 更新日:2023/04/01 Sat 21 15 13NEW! 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 かまってちゃん さよなら絶望先生 とあるゲームではコロンビアに在住 サンダー・マックイイーン ダサいオサム ネガティブ 久米田康治 五所川原市 人間失格 何故か読んではいけない作家 作家 太宰治 小説家 故人 文学 文豪 新戯作派 死ぬ死ぬ詐欺 無頼派 破滅派 絶望した! 自殺 自虐 豆腐メンタル 賛否両論 道化 青森県 革命 風刺 鬱 「このごろ、よく泣く」 太宰治(1909~1948)とは昭和を代表する、無頼派と呼ばれる小説家の一人。 本名、津島修治。青森県北津軽郡金木村(現:五所川原市)出身。東大仏文中退。 太宰治の名は広く日本人に知られており、彼の代表作のひとつ『人間失格』は夏目漱石の『こころ』と争うほど売れている。 太宰の作品は文学の中では、文章が簡単かつ分かりやすいテーマなので、よく人に推薦される。 しかし太宰は人を選ぶ作風で知られ、作品を読む者は極端に二分されるとよくいわれる。 人物 太宰は自分が手掛けた作品の主人公のように、酒や覚醒剤に溺れるダメ人間だったことで有名である。 また自殺が口癖になるほど大好きで、四回の自殺未遂を行い、五回目で念願の(?)来世への旅立ちに成功している。 以下、太宰の自殺遍歴 1929年 共産主義に影響され、自分の出身階級に悩みカルモチン自殺を図る。 1930年 18歳のウェイトレス田部シメ子と鎌倉にて入水。シメ子のみ死亡。 『道化の華』 1935年 就職に失敗し鎌倉にて首吊り自殺を図る。 『狂言の神』 1937年 内縁の妻小山初代と水上温泉でカルモチン自殺を図る。ちなみにこの後初代と別れ、翌年結婚している。 『姥捨』 1948年 愛人の山崎富栄と玉川上水にて入水。成功。 クラスでは私ひとり、目立って華美な服装をしていた。いよいよこれは死ぬより他に無いと思った。 生まれた時から、死ぬ事ばかり考えていた。 首をくくらせる気か。そのニヤニヤ笑いは、やめろ! あっちへ行け! 文学のことになると熱く語ったそうである。人生には不マジメだったが、文学にはマジメな人だった。 また太宰は権威やら既成の道徳観やら模範的な家庭像などによく反抗した。 これもまた太宰の特徴である。 例 「子供よりも親が大事」 「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」 「義のために遊ぶ」 「志賀直哉は邪道」 「私たちを自殺にみちびくよう」 が、その一方で、神や天皇といった絶対的な権威には素直に敬意を払っていた(本家wikiでは何故かそこが評価点として挙げられている)。 アカなのに天皇崇拝?と疑問に思われるかもしれないが、戦前の共産主義者には「華族や資本家を廃止し、天皇の下に全国民を平等にしよう」という者も少なからずいたのだ。 左翼=天皇制反対のイメージが根付くのは戦後になってからである。 作風 苦悩、破滅、憧れ、絶望、恥、誇りといった人間性を、ユーモアや自虐で包んだ自伝的小説などで描いている。 また面白さだけを重視した明るい作品も書いている。 文体 語りや描写が得意であり、最後にきっちりオチをつけるなど意外と構成力もあった。 また読点と自分で作った格言を多用している。「読者よ」と読者に話しかけるような潜在的二人称も特徴である。 比較的純文学の作家としてはライトノベルっぽい文体を持ち、割りと読みやすかったりする。 評価 太宰の評価はすごく高かったり、すごく低かったりする。 太宰作品に自分を見る人は多い。これは彼の文学が上記の恥や誇りなどの、誰もが抱えているであろう問題を、扱っているからと言われている。 太宰はよく自伝的小説を書いており、その中で自分の苦悩を綴っている。 書かれていることが全て真実ではないと見られているが、自己を凝視し人間存在の根本を表現したと評価されている。 魂の告白とよく言われる。 また反対に「きもちわるい」「太宰を読むような人間になりたくない」「苦悩を売物にするな」などの否定的な意見も多い。 逸話 東大に入学したが、東大のレベルが高過ぎて付いていけず、サボり続け、結局学費滞納で中退している。 中井英夫「先生はよくもうすぐ死ぬ、と仰いますが、いつ本当に死ぬんですか」 太宰治「人間、そう簡単に死ぬるもんじゃない」 ↑太宰が自殺したのは、この発言をした約一ヶ月後。 太宰治「この頃すこしね、他人を書けるようになったんですよ。一生懸命やって書けるようになって、とても嬉しいんですよ」 坂口安吾「それはいいことだね。何か温かくなればいいのですよ」 ↑晩年におけるやりとり。 三島由紀夫「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」 太宰治「きらいなら来なけりゃいいじゃねえか」 ↑ごもっともである。 井伏鱒二に師事したが、遺書に「井伏さんは悪人です」と書き遺す。 ↑何があった。 芥川龍之介に憧れていた。 芥川賞受賞を望み、選考委員の川端康成や佐藤春夫に手紙を書いて嘆願。受賞を逃すと喧嘩を売った。 芥川の息子の比呂志が訪ねてきた際には温かくもてなした。 井伏鱒二と約三ヶ月間、山梨県の富士河口湖にある天下茶屋に滞在していた 『富岳百景』 太宰の滞在中、店主が太宰に「これはほうとうです」と山梨の郷土料理であるほうとうを出したところ、太宰は「ほうとう?それは僕の事を言っているのか(=放蕩息子だ、と馬鹿にしているのか)」と怒り出したという。 この天下茶屋は今も残っており、まさしくこのほうとう鍋を食べることが出来る。 また、御坂峠本店の二階は太宰治記念館となっている。ファンの方は一度訪れてみてはいかがだろうか。 主な作品 『晩年』 『富嶽百景』 『女生徒』 『駆込み訴え』 『走れメロス』 『津軽』 『お伽草子』 『ヴィヨンの妻』 『斜陽』 『人間失格』 余談 久米田康治の漫画『さよなら絶望先生』のモチーフになっている。 「普通に言われていることですよね」 「フツーっていうなー!」 青森訛りがひどく自分の名前も「つすますうじ」を発音してしまうため、太宰治というペンネームはそうならないようにと考え出された。 太宰は『斜陽』がヒットするまで売れない作家だった。ちなみに流行作家になって数年後に……。 次女の津島佑子、嫡外子の太田治子も作家。佑子の娘石原燃も劇作家・小説家である。ちなみに長男は太宰の死後10代で早逝している。 佑子は作品が様々な言語に訳され、父と違って国際的に評価が高く、既に文学史に載っている。だが少女時代、母が太宰の自殺のショックで「文学嫌い」になっていたため本を読むのも苦労したらしい。 治子は主に母の太田静子(『斜陽』の人)の思い出を描いた作品で知られる。 また彼の兄津島文治は青森県知事・国会議員を務めた名士であった。その影響からか長女の夫(婿養子)津島雄二は自民党に入り厚生大臣等を務め、現在では孫がその地盤を引き継ぎ議員になっている。 著作権は切れているため、現在は作品が無償で開放され青空文庫で読める。 数々の女性と心中を図りながらちゃっかり自分だけ生き残るクズ男として名高いが、 そんな所がだめんずの心をくすぐるらしく、非常にモテた。 最後の心中の相手である山崎富江の遺書には「私ばかり幸せになってすみません」という一文があり、 他の女性への「太宰はんはもうウチのもんやで」という勝利宣言とも取れる内容である。 ダメ人間から支持が厚いと言われる太宰だが、少なくとも童貞からの支持は得られそうにない。 第二次世界大戦をテーマとしたスウェーデン製の戦略シミュレーションゲーム『Hearts of Iron II』では、 コロンビアの総合参謀総長兼空軍司令官であるカミロ・ダーサ・アルバレス氏の写真が太宰治になっている。 『ダーサ』の綴りが太宰と似ていた(DAZA)ため取り違えてしまったらしい。おかげでコロンビアは『太宰治の国』呼ばわりされることに……。 誰も内容を追記してくれなかった。間違いを修正してくれなかった。いよいよこれは死ぬより他に無いと思った。 死のうと思っていた。 ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。 これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 彼が嫌いな人ほど、尾崎 豊も嫌いだとか。 -- 名無しさん (2014-12-03 23 58 17) 辛辣な言葉の中に太宰への愛があふれてる良項目だな -- 名無しさん (2014-12-05 15 43 10) 色々言われるが、一度読むと引き込まれる魅力があるのは確か -- 名無しさん (2017-10-10 07 05 47) 人間失格きらい、斜陽すき -- 名無しさん (2018-04-25 12 27 53) 異世界転移して睡眠薬を齧って棺の中を定位置とし、さっちゃんを探す毎日。 -- 名無しさん (2021-10-17 20 51 39) 嫌いではないし、三島由紀夫が嫌った露悪趣味さも悪くはないご痛々しいものを見る気分になってしまあ -- 名無しさん (2022-06-01 21 21 02) 伊藤潤二版人間失格は正統派な原作好きは怒るとおもわれる、的をついた描写とさらに悪辣に描かれているから -- 名無しさん (2022-06-01 21 22 48) 文ストの太宰の自殺願望も元ネタ通りだったのね。 -- 名無しさん (2023-04-01 21 15 13) 名前 コメント