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大東亜戦争 大東亜戦争とは ここでは大東亜戦争の呼称を用いるが、いわゆる太平洋戦争のこと。 1941年12月8日、日本海軍機動部隊が真珠湾を奇襲、空爆したことにより開始される。 戦争開始の経緯や陰謀論、日本軍や政府の政策、戦争そのものの位置づけや大義などが論争となりやすい。 1945年8月15日終戦。 大東亜戦争年表
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大東亜戦争(だいとうあせんそう、Greater East Asia War)は、太平洋戦争の呼称の一つ。大日本帝国時代の日本政府によって定められた。 本項では「大東亜戦争」という呼称に関する議論について述べる。戦争の背景、経過、兵器、人物、影響などについては、日中戦争および太平洋戦争を参照の事。 概要 1941年12月8日の真珠湾攻撃後、1941年12月12日の閣議決定により、「大東亜戦争」の名称と定義が定められた。日本政府の宣戦布告は当初米英2国に対して行われたが、閣議決定では、「情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争」を「支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称」するとなっているので、対中国、対オランダ、対ソ連戦も「大東亜戦争」に含まれる。なお、「大東亜」とは「東南アジアを含む東アジア」を指す地理区分である。 一般に大東亜戦争は太平洋戦争と同義であると認識されることが多い。しかし、1937年7月7日の盧溝橋事件以降の支那事変(日中戦争)を含むと主張する説もある ref name=F 「大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律案」説明基準(1942年1月内閣作成)。これは、閣議決定にある「支那事変ヲモ含メ」という文言をいかに解釈するかという問題で、大東亜戦争の中に、1937年7月7日からの期間を含むと考えるのか、1941年12月8日以降の中国大陸における戦闘のみを含むと考えるかの違いによって生起している。 戦時中の呼称 呼称の決定 閣議決定 戦時中の日本では、対米英並びに対蘭及び対中戦争を「大東亜戦争」と呼称していた。この呼称は1941年12月10日の大本営政府連絡会議によって決定され、12月12日に閣議決定された。閣議決定「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」 ref name=C 「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」(1941年12月12日 閣議決定)は、その第1項で「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」と明記し、「大東亜戦争」の呼称と定義を正式に決定した。同日情報局より、「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と呼称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず」と発表され、この戦争はアジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものであると規定した。この方針は1943年(昭和18年)11月の大東亜会議で「再確認」がなされている。 「大東亜戦争」の呼称はもともとは陸軍案として1941年12月10日の大本営政府連絡会議に提出されたものである。海軍は呼称を決定する大本営政府連絡会議の席上で「太平洋戦争あるいは対米英戦争等」の呼称案を提出したが採用されなかった ref name=D 『大本営機密日誌』(種村佐孝著、1952年)。「太平洋戦争」が採用されなかった理由は、陸軍側が「太平洋戦争では支那事変を含むと理解しにくい」と主張したためであった。しかし海軍内部では戦争中も「太平洋戦争」の呼称が用いられたといわれている。これは海軍が支那事変(日中戦争)にはさほど関与しておらず、海軍にとっての戦争は真珠湾攻撃以降であるという認識に起因するものと考えられる。 対米英宣戦布告前から、日本の中央部では将来発生する可能性の高い戦争を「対米英蘭蒋戦争」、「対米英蘭戦争」、「対英米蘭戦争」などと呼んでいた。ただし、対オランダに関しては、1941年12月1日の御前会議で開戦を決定したものの、同12月8日の「米国及英国ニ対スル宣戦ノ布告」では宣戦布告の対象から除かれており、1942年1月11日の対蘭戦の開始および翌日の宣戦布告までは正式には「対米英蘭戦争」とは呼んでいない。 大日本帝国逓信省(現在の日本郵便)が1942年12月8日に発行した寄附金付記念切手は、真珠湾とバターン半島の戦場を描いたものであったが、切手の題名は「大東亜戦争第一周年記念」と表記されており、開戦1周年目としていた。 期間に関する問題 「大東亜戦争の開始は昭和12年」と主張する人々がその根拠とするのは、当時の内閣が、1942年1月、「大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律案」を帝国議会に提出する際、「『大東亜戦争ノ呼称ヲ定メタルニ伴フ各法律中改正法律案』説明基準」 ref name=F / を添付したことである。その中には、「右決定(注・「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」 ref name=C / のこと)ハ、今後大東亜戦争ナル呼称ヲ用フル場合ニハ昭和十六年十二月八日前ノ支那事変ヲモ包含スルモノナルノ意ヲ含ム」と記されている。 しかし、この文章が意味するところは、「昭和十六年十二月八日前ノ支那事変」自体が大東亜戦争に含まれるということではない。当時の法律の中から「支那事変」という言葉が一切消え、「大東亜戦争」という言葉だけに変わってしまったが、今後も公債発行や農村負債処理のことなどでこれらの法律を運用していく際は、「昭和十六年十二月八日前ノ支那事変」期間中のことも引き続き適応対象となる、というほどの意味である。 もっとも、この法律(昭和17年2月18日法律第9号)によって「大東亜戦争」が指す期間の定義については、当時の国民の間にも様々に解釈が生じたことは事実である。例えば、貴族院議員の村上恭一は、1945年11月30日の帝国議会において、昭和17年法律第9号がある以上「大東亜戦争の開戦は昭和12年ではないか」と質問している。これに対し、松元承治国務大臣は、この法律によって「法律、勅令の適用の範囲」に付いては「支那事変」と「大東亜戦争」とは「一体を成して区分すべからざる状態」になったとしているが、支那事変と大東亜戦争は「観念に於いて区別がある」と答弁している。 ちなみに、1941年12月12日の閣議決定では、「平時、戦時ノ分界時期ハ昭和十六年十二月八日午前一時三十分トス」とある。また、厚生労働省の資料に基づいて戦没者を祀る靖國神社では、戦死者の数は1941年12月8日より前の「支那事変」と「大東亜戦争」を分けて集計している。 連合国における呼称 米英などの連合国においては、戦時中から「第二次世界大戦太平洋戦線」と呼称されていた。 戦後の呼称 GHQによる「大東亜戦争」使用の禁止 1945年8月の日本進駐後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の民間情報教育局(CIE)が中心となり、軍国主義、全体主義、極端な国家主義などを日本から排除する政策を行った。その一つが1945年12月15日付けの日本政府に対する覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(「神道指令」) ref name=E 「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN No.448、1945年12月25日)である。これにより、日本語としての意味の連想が国家神道、軍国主義、過激な国家主義と切り離せないと判断され、「大東亜戦争」や「八紘一宇」などの用語を公文書で使用することが禁止された。 また、1945年12月8日(開戦4周年)には新聞各紙がCIE作成の「太平洋戦争史」の掲載を開始、さらに翌日からは日本放送協会から「眞相はかうだ」のラジオ放送が開始され、「大東亜戦争」という用語は速やかに「太平洋戦争」に置き換えられていった。 文藝評論家の江藤淳は、占領軍が日本軍の残虐行為と国家の罪を強調するために行った宣伝政策の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が存在したとし、これを「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」としている江藤淳著『閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』(文藝春秋、1989年 ※文春文庫版は1994年 ISBN 4167366088)。 呼称に対するGHQの検閲 占領中GHQは、公文書だけではなく、すべての出版物から「大東亜戦争」という言葉を抹殺しようと検閲を行った。まず占領政策の前期においては、あらゆる出版物が「事前検閲」を受け、「大東亜戦争」という言葉はすべて「太平洋戦争」と書き換えられたこれらは、米国のメリーランド大学のマッケルデイン図書館にプランゲ文庫として保存されている膨大な占領文書によって確認することができる。現在は、このプランゲ文庫の全ての資料がマイクロフィルム化されており、日本の国立国会図書館で閲覧可能である。また、市販されている比較的入手可能な書籍で言えば、勝岡寛次著『抹殺された大東亜戦争 米軍占領下の検閲が歪めたもの』(明成社)が、原資料に基づきかなり多くの検閲の実例を挙げてこれらについて論証している。。 さらに、占領政策後期においては、この「事前検閲」は「事後検閲」へと変更された。すなわち、既に印刷製本が完成した出版物を占領軍が検閲し、「大東亜戦争」その他占領軍に都合の悪い記述(GHQへの批判等)があれば、この本自体を出版停止とした。既に印刷した出版物の発行を禁止された出版社は、莫大な損害を蒙ることとなる。この検閲によって、出版社は自主的に占領軍の検閲に触れるような文章を執筆する著者を敬遠し、占領軍の意向に沿わない本を出版できなくなった。江藤淳は、これを「日本人の自己検閲」と呼び、検閲は占領軍によってではなく、日本人自身によって行われたと想像されると主張している。 戦後の法令にみる呼称 GHQの神道指令により、「大東亜戦争」という用語を公文書で使用することは禁止された。しかし、神道指令が講和独立によって失効した後に制定された法令の条文などでも、大東亜戦争という言葉は使用されず、「太平洋戦争」あるいは「今次の戦争」という表現が使用されている。「今次の戦争」という表現は、「罹災都市借地借家臨時処理法」(昭和21年8月27日法律第13号)、「認知の訴の特例に関する法律」(昭和24年6月10日法律第206号)といった戦後早い段階の法令にみられる。 また、「太平洋戦争」という用語は、「在外公館等借入金の確認に関する法律」(昭和24年6月1日法律第173号)を皮切りに、「沖縄県の区域内における位置境界不明地域内の各筆の土地の位置境界の明確化等に関する特別措置法」(昭和52年5月18日法律第40号)、「沖縄振興特別措置法」(平成14年3月31日法律第14号)等で使用されている。このうち「沖縄振興特別措置法」の別表には、「…指定区間内の国道を構成する敷地である土地のうち太平洋戦争の開始の日から復帰協定の効力発生の日の前日までに築造された道の敷地であったもの…」というくだりが見られるが、その開始日をはじめ「太平洋戦争」に関する定義を欠いている。他の法令も同様である。 呼称を巡る状況 日本の公教育、公文書作製、言論出版界においては、1952年の講和独立以降も、この「自己検閲」が続いたようで、「大東亜戦争」という言葉はほとんど一切使用されなかった。現在、「大東亜戦争」を使用している、いわゆる保守系の作家や評論家、雑誌や新聞も、この頃は洩れなく「太平洋戦争」と記述していたのである(一方、戦中派の一般国民の多くは大東亜戦争という言葉を遣い続けていた)。 このような風潮に対し公然と叛旗を翻した著述が、1964年に出された林房雄著『大東亜戦争肯定論』と1967年に出された名越二荒之助著『大東亜戦争を見直そう』であった。この2冊の出版に対して、左右両派から賛否の声が挙がり、論議を呼んだ。この2冊はその後も版を重ね、社会主義幻想の崩壊等の他の要因とも相まって、日本人の先の大戦に関する考え方に少しずつ変化をもたらしていった。現在活躍中の保守派知識人の多くが、かつてこの二冊を読んだことを述懐している。 また、1980年代に、作家の山中恒は、辺境社から出版した『ボクラ少国民』シリーズのなかで、戦争の目的を直視してそれに批判的であるためにあえて「大東亜戦争」の呼称を用いるべきだと主張した。これに対して、時代が平成に変わる前後から「大東亜戦争」という言葉が保守系の月刊誌で部分的に使われ始め、1990年に中村粲の『大東亜戦争への道』が出された前後からは、その使用回数がさらに増えている。『諸君!』『正論』『文藝春秋』『Voice』等での使用頻度を数えてみればそれは一目瞭然である。もっとも、『前衛』や『論座』等のいわゆる左派系の月刊誌では、「大東亜戦争」が用いられる事は、現在もほとんど皆無である。また、日刊紙では「太平洋戦争」が主流であるが、『産経新聞』は比較的「大東亜戦争」を多用する。 大東亜戦争の呼称に否定的な意見としては、大東亜戦争の呼称の使用を主張する意見は、右派勢力を中心に大東亜戦争の思想背景でもある大東亜共栄圏の理念を揚げ、戦争は解放戦争だった、良い面もあったなどといった自国中心の見解を示す者が多いこと、またこのことから「大東亜戦争」の呼称を使用する事が「戦争賛美」、「復古的国粋主義を煽る」、「中韓を初めとしたアジア諸国への侵略に対する反省が乏しい」ことを表しているとして、使用に反対する意見も根強い。これらの意見を主張している人々はリベラル・左翼が主であり、保守・右翼はこうした主張を自虐史観と非難している。 なお、旧海軍軍人の中には戦後「日本にとって真の敵は(中華民国やソ連ではなく)アメリカであり、したがって大東亜などと無駄に戦域を拡張するべきでなかった」との反省から、「太平洋戦争と(歴史的には)呼称すべきだ」と主張する人々が存在した佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争』光人社。 他の呼び方として、1931年の満州事変と1937年の盧溝橋事件に始まる日中戦争を大東亜戦争と一体のものとみて、十五年戦争やアジア・太平洋戦争と呼称することもある。しかし、満州事変に関しては塘沽協定(1933年)で停戦が成立しており、一続きの戦争とみなすことが妥当かについて賛否両論がある。庶民の日常感覚では、1937年以来が「戦争」であったことは、同時代の証言としては徳田秋声の『縮図』の冒頭部分の記述があり、戦後の証言としては安岡章太郎の回想がある。 また、イギリスの歴史家・ソーンは極東戦争(Far Eastern Conflict)という呼称を提唱している。なお、少数ながら主に民間で「8年戦争」という呼称が使用されている。 現在の日本政府による公式見解 現在の日本政府は、「大東亜戦争」の定義が1941年12月12日に当時の内閣によって閣議決定されたことを事実として確認している ref name= 第166 「大東亜戦争の定義等に関する質問主意書」に対する答弁書(第166通常国会答弁第6号、2007年2月6日)※この質問を行った鈴木宗男衆議院議員は、その後の質問では「太平洋戦争」という用語を使用している(第166通常国会質問第219号、2007年5月10日提出)。が、同時に現在「大東亜戦争」という用語を政府の公文書では使用していないことを明らかにしている ref name= 第165 「大東亜戦争の定義に関する質問主意書」に対する答弁書(第165臨時国会答弁第197号、2006年12月8日)。実際、現行法令の条文等には「大東亜戦争」という用語は使用されていない。 一方、「太平洋戦争」という用語については、「政府として定義したことはない」としている ref name= 第166 / ref name= 第165 / が、現行法令の条文などにはこの用語が使用されている。 答弁書では「昭和二十年十二月十五日付け連合国総司令部覚書以降、一般に政府として公文書においてお尋ねの呼称を使用しなくなった。」「公文書においていかなる用語を使用するかは文脈等にもよるもの」とされている ref name= 第165 / 。 なお、天皇が、この戦争について言及する際には「先の大戦」と表現することが通例となっている。 戦争の始まりと終わりについての諸説 日付はいずれも日本時間である。 始まり 1937年(昭和12年)7月7日 - 盧溝橋事件 北支事変勃発。 1937年8月13日 - 第二次上海事変 支那事変(日中戦争)勃発の日付についても、1937年7月7日の盧溝橋事件とする見方と、8月13日の第二次上海事変とする見方とがある。 1941年(昭和16年)12月8日 - マレー半島侵攻、真珠湾攻撃、日本政府による対米英宣戦布告。 同日、開戦の詔書(米英両国ニ対スル宣戦ノ大詔)が発せられている。なお戦時中は12月8日を開戦記念日として、大詔奉戴日などと呼ばれていた。詔書は「聖戦の詔書」・「米国及ビ英国ニ対シ宣戦ニ際ニ下シ給ヘル詔書」ともいう。 終わり 1945年(昭和20年)8月14日 - 日本政府によるポツダム宣言受諾通告 終戦の詔書の日付も8月14日である。 1945年8月15日 - 玉音放送 1957年制定の引揚者給付金等支給法では1945年8月15日を終戦の基準としている。 1963年の閣議で全国戦没者追悼式を毎年8月15日に開催することが決定した。 1945年8月16日 - 日本軍への停戦命令 1945年9月2日 - 戦艦ミズーリ上での降伏文書調印 1952年(昭和27年)4月28日 - 日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効 国際法上の戦争終了は講和条約が発効した日とされる。このため、連合国による占領下で実施された「戦犯」裁判は、国際法上は戦闘行為の継続と解釈され、A、B、C級の「戦犯」刑死者に対して、日本政府は戦死者と同等の待遇を与え、その遺族に年金を支給している。同様の理由で、「戦犯」刑死者(服役中の死亡や未決拘禁中の死亡者を含む)は、戦死者と共に靖國神社にも合祀されている。 脚注 Template 脚注ヘルプ? 関連項目 Template ウィキポータルリンク? 日本における検閲 連合国軍占領下の日本 大東亜共同宣言 外部リンク 大東亜戦争研究室 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年10月3日 (金) 01 19。
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大東亜戦争・第二次世界大戦年表 大東亜戦争(前期) 大東亜戦争(後期) 大東亜戦争の終戦処理 日米の残存艦船とその行方
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大東亜共栄圏 / 日本が関係する過去の戦争に関連する諸問題 / 15年戦争 / 太平洋戦争 / 日中戦争 / 大東亜戦争と太平洋戦争 / 日独伊三国同盟 / ソ連対日参戦 / 大東亜戦争の総括 / 大日本帝国軍 / 戦争責任 / バシー海峡 ーーー 真珠湾攻撃 / 硫黄島の戦い / ペリリュー島の戦い / バシー海峡の悲劇 ーーー 大日本帝国陸軍終戦工作原案 + ニュースサーチ 「日本国民の集い」で鈴木信行を第10期代表に承認!小川寛大氏が「政治と宗教」を講演 #葛飾区 - 鈴木信行(スズキノブユキ) - 自社 越谷市立図書館で野口冨士男文庫特別展、戦争時代の苦悩に光をあてる:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 【倉本聰:富良野風話】戦争 | TECH+(テックプラス) - マイナビニュース 統一地方選へ各党全力/共産党「住民の命綱」議席増で願い実現を/自公 内閣支持率急落に危機感 - しんぶん赤旗 靖国神社清掃奉仕の日に防衛大学生が一晩歩いて参拝!新小岩公園で日比国際交流! #葛飾区 - 鈴木信行(スズキノブユキ) | 選挙ドットコム - 自社 3期目に入った習近平指導部の台湾侵攻シナリオとは 防衛研究所の門間理良・地域研究部長に聞く - ニッポンドットコム 日大生による映画祭「領土と戦争」14作上映(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース スービック基地に米海軍が復活する?日本の利益!葛飾区がフィリピンとの架け橋となる! #葛飾区 - 鈴木信行(スズキノブユキ) | 選挙ドットコム - 自社 未開発の資源大国フィリピン!東北電力3割値上げ!日本の海底資源の可能性! #葛飾区 - 鈴木信行(スズキノブユキ) | 選挙ドットコム - 自社 アジアのチャンピオンは中国という現実?東南アジアを見下せば日本は孤立する! #葛飾区 - 鈴木信行(スズキノブユキ) | 選挙ドットコム - 自社 幼心に刻み込まれた不条理さ 橋本徹也さん(86)=島原市= 「暴力で征服は間違い」(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本は朝鮮半島危機で機会をつかむのに…韓国、尹政権の危険な「日本への全賭け」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【主権回復】第5部 日本復活への未来 (5) 「大東亜戦争」今なお忌避 消される開戦の意義 自縛を解く時 - 産経ニュース 第1次世界大戦終戦記念日 - 동아일보 「こんなにうまくプーチンが引っかかるとは」ウクライナ戦争をアメリカが引き起こしたといえる残念な証拠 プーチンだけでなく、アメリカにも責任はある - PRESIDENT Online 日米開戦 山本司令部、緊張の一日(上)精神すりへらす開戦前夜 - 産経ニュース 【書評】『ぼんやりとした不安の近代日本 大東亜戦争の本当の理由』浜崎洋介著 - 産経ニュース 仏教の大東亜戦争 鵜飼秀徳著 - 日本経済新聞 歴史書の棚:アジアとの関係再構築に「大東亜」構想の問い直しは必須だ=井上寿一 | 週刊エコノミスト Online - 週刊エコノミスト Online 鈴木宗男氏 反攻のウクライナを太平洋戦争の日本にたとえ「一億総玉砕の結果どうなった」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【本ナビ+1】文芸評論家 富岡幸一郎 『戦争とフォーディズム 戦間期日本の政治・経済・社会・文化』 77年前の青年の心情が結実 - 産経ニュース 戦中の“プロパガンダポスター 教訓を後世に|長野県阿智村の戦跡 薄れる戦争の記憶 NHK - nhk.or.jp 「僧侶だって組織人」仏教者が明かす戦争加担 寺に残る熱狂の戒め - 毎日新聞 石原 俊 忘れられた「南方」の戦時と戦後 - 中央公論.jp 9月2日は第2次世界大戦終結の日 終戦の詔書(玉音放送)を原文と現代語訳で読む:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 「あの戦争」…77年たっても定まらない名前 共有できない歴史認識:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 自己検閲という呪縛を祓う『牟田口廉也とインパール作戦』 - アゴラ (本土決戦の被害)大東亜戦争というのは、日本政府が定めた正式名称だから、これを使うことにする。 - 津村大作(ツムラダイサク) | 選挙ドットコム - 自社 今週の本棚:佐藤優・評 『仏教の大東亜戦争』=鵜飼秀徳・著 - 毎日新聞 国際的なルールチェンジを軽視 77年前の日本敗北|日経BizGate - 日経BizGate 「日本民族をこの地上に残すためには我々が死ぬしかない」文字通り自らの命を捨てて日本を守ろうとした特攻隊員たちの真実を描く『普及版・世界が語る神風特別攻撃隊』発売 - PR TIMES 「戦争は簡単に始まるけど、簡単には終わらない」戦争体験者・毒蝮三太夫が語る“平和への思い” #戦争の記憶(Yahoo!ニュース オリジナル Voice) - Yahoo!ニュース 【正論】この夏に思う 少年兵と海軍少尉に「倣いて」 文芸批評家・新保祐司 - 産経ニュース 東條英機元首相の孫娘、東條由布子氏が「占領軍による洗脳が一気に解ける珠玉の名著」と絶賛した『普及版・世界が語る大東亜戦争と東京裁判』発売 - PR TIMES 今ハ平素トハ違ヒマス…意外? 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- withnews 「歴史の反省」は可能か 小林秀雄はなぜ反省しなかったか 宿命としての大東亜戦争論 - 文春オンライン 大東亜戦争の敗因から学ぶ、現代にも通じる6つのターニングポイント - ダイヤモンド・オンライン ● 「保守主義の父」 エドマンド・バーク 保守主義 (※ 大東亜戦争関連連載記事あり。) 「太平洋戦争」という言葉は、元々なかった。元々は 「大東亜戦争」と呼んでいた。GHQの占領政策によって 「大東亜戦争」は検閲により消去されWGIPによって「太平洋戦争」に塗り替えられた。(LEGACY OF ASHESより) ■ 日本は2013年12月19日(日本時間)、大東亜戦争に勝利した。国際金融資本は降伏した。今日は戦勝記念日だ。 「国際情勢の分析と予測(2013.12.19)」より ☆ 太平洋戦争関連サイト リンク集 + 地図 ※ 元ページへ行かないと主要戦闘紹介リンクは拾えません。(画像をクリックすると元記事へ飛びます。) 第二次世界大戦:太平洋戦争の写真(米国側の撮影) ■ Captured The Pacific and Adjacent Theaters in WWII 「Plog Photo Blog」より + 映画【凛として愛】監督:泉水隆一 ■ 『凛として愛』全編ノーカット版 提供 音癒処かむおん 【散華】 ● 【カラー】日本の戦争(前編)〔Youtube〕 ● 【カラー】日本の戦争(後編)〔Youtube〕 https //www.youtube.com/watch?v=JitLr5D7LSI&list=PL3ZLlXx_GO-SGugRXPWiIwgtQdKUnmCzJ ※ tweetスレッド / イサク@bER2YpZXY3TapXc 私がまだ20代の頃に、友人に誘われて元外交官の講演会に行った事があります。名前は失念しましたが、講演内容は当時サヨクだった私には目眩がするほど衝撃的なものでした。有名な話しなのでご存知の方も多いと思います。終戦後まもなく、インドでアジアのリーダー達が集まって平和会議の様なものが 午後5 24 · 2022年11月16日 開催された。日本も招待されたが戦後処理に追われていた日本は、結局外交官一人を送る事になった。しかし官僚たちは誰もが出席を嫌がった。そこで入省したばかりのS,氏が出席する事になった。「何を言われても口答えせずに黙って耐えろ」とか「ひたすら謝れ」とか、先輩達から脅されたのでビクビク しながらインドに向かったそうです。所がインドに到着してみると万雷の拍手で迎えられ、インドのネール首相から「日本が300万人という尊い命を犠牲にして戦ってくれたお陰で、我々は独立できた」と言われたそうです。これだけでも、共産党やサヨクが主張している大東亜戦争が日本による侵略戦争である と言うのが真っ赤な嘘である事が分かります。あのマッカーサーですら公の場で「大東亜戦争は日本の祖国防衛のための戦争だった」と証言しているほどです。防衛のための戦争は国際法で認められているのです。一日も早く憲法9条を改正し、防衛力を強化をすべきです。 インドではなくインドネシアのバンドンで開催の間違い。村山富市が総理の時にマレーシアを訪問し、日本が大変ご迷惑をお掛けしました、と謝罪した所、当時首相だったマハティール氏から「日本が謝る理由など1つもありません」と窘められている。この様に日本を侵略国家などと批判しているのは、中国と 朝鮮半島そして日本共産党など野党とメディアだけです。(公明党など親中派政治家も含まれる?) ※ tweetに対する反応👇 戦後教育はCIAにより巧みに操作されてる@loveJapanese11 返信先 @bER2YpZXY3TapXcさん 敵国条項に関してのご意見はいかがですか? 🅧🅧 𝖞𝖊𝖆𝖗𝖘 𝖔𝖑𝖉 𝖇𝖆𝖇𝖞 ¨̮⑅*@AshlandLoveLove 返信先 @bER2YpZXY3TapXcさん 少ない文字数なのにとてもわかりやすい様に上手く纏められていて有難いです! 自虐史観を刷り込まれたままの人達に見てもらうのに使わせて下さいね😊🙏 【宋美齢】 / 【蒋介石】 ■ 1941年・幻の東京空爆計画〜日本を敗戦に導いた宋美齢の生涯〜 「探検コム」より / 「アメリカの真の敵は、ドイツではなく、日本なのです」 黒いチャイナドレスに身を包んだ小柄の女が、流暢な英語で力強い演説を終えた瞬間、割れんばかりの拍手が起きたといいます。そして、その拍手は5分間も鳴りやむことはありませんでした。 1943年2月18日、アメリカ議会。 蒋介石の妻・宋美齢は、この演説で一気にアメリカを味方につけてしまいました。実際、翌日には、ルーズベルト大統領が蒋介石率いる国民党への武力援助強化を発表、これが日本の敗戦を決定づけたともいわれます。 宋美齢、まさに日本を敗戦に導いた女。 (※mono....中略) / このカイロ会談で蒋介石はパーティーを主催するのですが、出席したルーズベルトの次男・エリオットは、その時の感想をこう父親に書いてます。 《蒋介石夫人は男の歓心を得ることばかりに長く従事したので、いまやそれが第2の性格のようになったような印象を受けた。本来の性格はたぶん恐ろしいもののように思え、正直言って怖かった》(産経新聞2000年7月12日) これに対してルーズベルトは「(宋美齢は)間違いなく日和見だ。私は中国で彼女の敵にはなりたくないね」と言ったとか。なんだか彼女と争うのがイヤで日本を敵に回したみたいで、すごいコメントです。 まさに日本の運命を決めたともいえる宋美齢ですが、実は、彼女の差し金はそれだけではなかったのではないか、というのがここからの話。 (※mono....中略) / この日本奇襲攻撃(作戦計画「JB355」)は蒋介石の要請で計画されたのですが、俺としては、宋美齢が思いついたとしか考えられないんだけど。もちろん裏付けはありませんが、こんな猛妻に「日本を空爆して」とキーキー言われたら、どんな男でも抵抗できないはず(笑)。 もし、日本がこの空爆計画を察知して、対抗策として真珠湾攻撃を行ったとしたら、日本はまさに宋美齢の手の平でもてあそばれてただけという……情けなさすぎる推論も成り立つわけです。 こんな猛女ですが、2003年10月24日、ついにニューヨークで永眠しました。享年は訃報を伝えるメディアによって異なり、104歳とも105歳とも106歳とも書かれています。 恐るべし宋美齢。まさに20世紀最大の女狐ですな。 ■ 20190820 NHKの報道が米国では「天皇が南京大虐殺を認めた」ことに【及川幸久−BREAKING−】 安っぽい朝日 NHKやマスゴミの偏向・捏造の根幹は、こういう毛糖の悪意に基づいているんですね。 kayo io 原爆さえ落としていないのに、一週間で どうしたら 20数万人もの人たちを 限られた軍隊で虐殺できるのでしょうか。 少し 考えたら わかることなのに。 米国による広島 長崎の原爆は 広島虐殺、長崎虐殺と呼ばないのですか? 東京空襲は 一般市民を焼きつくすために 特別に作られた 爆弾です。 東京虐殺とは いわないんですね mitsuyuki bando 何故 もと 長官 田島 何某は 記録書類を nhk に 渡したのか この放送局に 渡したのか 疑問です oakyard やっぱりN国党にもがんばってもらわなあかんわ。 hisa naka NHKは本当に潰すべきですね。NHKが潰せたら存在意義が無くなるので下品な政党N国も一緒に消えてもらいたい。 nzmk227 英語が堪能な方は米国に真実の拡散お願いします。 もっと英語を勉強しておけば良かった…orz さやか海風 NHK 何も変わってないやん😞陰暴論プンプン、ウォールストリートジャーナルて、アメリカでは左派の民主党、傾では無かったですかね。日本いつまでも、有りもしないこと、言われ放題。⤵それもこれも❗日本政府が何の抗議もしてこなかったからだ❗。国難だよ。 8 ニート大兄 日本には反日日本人が多すぎて嫌になりますね… ■ 「日本は謝罪を必要とすることなどしていない」外国人が語る真実!世界各国の要人の証言に衝撃!【海外から賞賛される日本】 ■ 三月一日、朝の連想メモ 「西村眞悟(平成23年3月1日(火))」より / 今朝の「産経抄」は、おもしろかった。 夏目漱石や正岡子規もカンニングをしていて、それをあっけらかんとして、後に明らかにしている。 思はず頬がゆるむ。そして、回想する。人は、一度はその経験があるからだ。 私もカンニングの経験がある。想い出した。 小学校六年の時、試験の時間に前に座っている生徒の答えが見えた。それが、自分の答えと違う。そして、悩んだ末、前の生徒の答えに合わせて自分の答えを書き換えた。結果は、自分の答えが正しくて前の生徒の答えが間違っていた。書き換えなければ百点満点のところ、書き換えた結果九十何点だった。 (※mono....中略、詳細はサイト記事で) / チュニジアやエジプトそしてリビアの反独裁体制運動が起こってから、その地名を観て想い出す人名は、ロンメルだった。 ローマの歴史を知るならば、チュニジアは古代カルタゴの地だ。アフリカの北部地中海沿岸部は古代ローマの地だ。 しかし、ここでは六十九年前の日本の運命と関連があるドイツ軍司令官ロンメルのことについて触れておきたい。 第二次世界大戦において、エジプトにはイギリス軍がいて中東の石油地帯を制圧していた。 ドイツ軍の中東への道は二つあった。北のスターリングラード攻略から中東へ南下することと、アフリカ北岸を東進してエジプトを奪って中東を攻略することだった。 ロンメルは、この北アフリカルートのドイツ軍の司令官だった。 彼に率いられたドイツ軍はシシリーからリビアのトリポリに上陸し、東進してベンガジを経てイギリス軍の根拠地であるトブルクを占領して、さらに一挙にエジプト深く侵攻しエル・アラメインを攻略する。昭和十七年七月(一九四二年)のことである。 しかし、彼の東進はそこで止まり、以後後退することになる。その理由は、イギリス軍の物量がドイツ軍を凌駕したからである。 まず、北アフリカのリビアで英独軍が相対峙したとき、両軍の戦車は、英軍四二〇両、独軍二四〇両であった。この劣勢を跳ね返してロンメルはイギリス軍戦車を三〇〇両以上破壊して敗走させてトブルクを占領した。六月二四日である。 しかし、敗走したイギリス軍は直ちに増援を得て一〇〇両に減少した戦車を一六〇両まで回復したがドイツ軍は六〇両のままだった。 従ってロンメルは、戦車の劣勢を迅速な追撃で補い東進を続け、七月一日には、エジプトのエル・アラメインへの攻撃を開始した。しかし、この時、イギリス軍は既に四〇〇両の戦車を補給されていた。 その後、エル・アラメイン付近で双方は補給を得て攻防を繰り返したが、最終的に英軍は戦車二四四〇両(予備一〇〇〇両)に対して独軍の増強は五四〇両に留まり、ロンメルはイギリス軍の反撃を跳ね返すことが出来なかった。十一月三日、ロンメルは、エル・アラメインで最終的に敗退する。イギリスはエジプトを確保し得たのである。 では、エジプトのイギリス軍は、この大量の戦車(アメリカ製)をどこから補給されていたのか。それは、インド洋からである。 そこで、もし、インド洋を日本海軍が制圧していたら北アフリカ戦線はどうなっていただろうか。 確かに、我が連合艦隊は、昭和十七年前半までに、インド洋をほぼ制圧し、インド洋にいたイギリス艦隊を消滅状態に追い詰めていた。 しかし、我が国連合艦隊は、ロンメルが北アフリカを東進し始めたまさにその頃に合わせたように、インド洋をでて西太平洋に向かったのだ。そして昭和十七年六月五日、ミッドウェー海戦で大敗し、二度とインド洋に戻れなかった。 仮に、山本五十六連合艦隊司令長官が、当初の政府方針通り(開戦直前の「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する覚書」)、インド洋の制圧という戦略目標を着実に実行しておれば、エジプトにいるイギリス軍へのインド洋経由の補給は困難となり、イギリスと切断されたインドはイギリスから独立し、ロンメルはエル・アラメインを突破してエジプトのイギリス軍は崩壊した。 そして、この時点でのインドの独立は、我が国の戦争の大義を世界に明らかにして、欧米の植民地支配にあえぐアジア、アラブそしてアフリカ諸国民に民族独立への大きなインパクトを与えたであろう。 しかも、アメリカ軍は、インド洋からインド東北部を経て重慶に至る蒋介石支援ルートに物資を送れなくなり、蒋介石は対日戦争継続の前提を失う。従って、我が国歴代政府が模索してきた支那戦線での停戦が実現する。 そして、もちろん、我が国は、戦争に敗れなかった。 大東亜戦争の停戦はあり得ても降伏はなかった。 嗚呼、山本五十六提督、何故、インド洋から出たのか。 甦ってその理由を告げよ。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ 太平洋戦争の盲点とその戦略的解答 「Pathfinder Physics Team(20040506初出、20130905加筆、20130909再加筆、20130912「勝敗のバロメーターとしての『戦略線の長さの比』」追加)」より / 実のところ今まで私は、太平洋戦争に関するシミュレーションというのは、それほど真剣にやるつもりはなかったんです。ところがどうも、先日アップした知的制海権のための作戦計画案を振り返ってみたところ、どうもパターン面で共通している部分がかなりあって、それが結構馬鹿にならないぐらいのものであるらしいことがわかってきました。そうなると完全に無視しておくというわけにもいきません。 それにまた一般的な問題として見ても、とにかく社会全体で、太平洋戦争というのは何をどうやっても勝つ方法はないというのが完全に常識に化してしまっていて、国家戦略を考える場合にそこで思考停止に陥ってしまうことが多いように思えます。 ところが例の知的制海権のための作戦計画論のパターンを逆に太平洋戦争に適用してみると、実は太平洋戦争の場合にも非常に大きな盲点があって、意外や意外、そこを突く戦略をとれば、あの悪夢の太平洋戦争にも勝つ方法があり得たのではないかという、驚天動地の結論が導かれてきました。(しかもほとんど無理な設定なしでです。) まあ太平洋戦争に勝つ方法があったなんていうと、世間的にはそれだけで頭がおかしいと思われることが多いんで、ちょっと公言のはばかられることではあります。(笑) そんなこともあって、現時点ではあまりそのシミュレーションに深入りするつもりはないんですが、それでもどういう思考パターンをとればいいのかということを覚えておくこと自体は、非常に重要なことだと思うんで、敢えてやっておきたいと思うんです。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ 佐藤晃『太平洋に消えた勝機』 「永井俊哉ドットコム(2005.12.4)」より / 第二次世界大戦は、枢軸国の敗北に終わったが、日本が犯したある一つの間違いさえなければ、あの戦争は、枢軸国の勝利に終わっただろう。どうすれば、枢軸国が勝つことができたのか、佐藤晃の太平洋に消えた勝機を手掛かりに考えよう。 1. ハルノートは最後通牒だったのか 第二次世界大戦で日本が犯した最大の間違いは、真珠湾攻撃である。真珠湾攻撃がなければ、アメリカが第二次世界大戦に参加する前に、枢軸国は、イギリスとソ連に勝つことができただろう。 多くの人は、ハルノートは最後通牒であり、日米開戦は避けられなかったと考えている。しかし、本当にハルノートは最後通牒だったのだろうか。ハルノートにおけるアメリカの対日要求は、たしかに過酷ではあったが、これを拒否 もしくは無視したからといって、すぐにアメリカが日本に宣戦布告するということはなかった。 ハルノートには、日本が要求を受け入れた場合の、見返りとして、次のようのことが約束されている。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ インド洋作戦こそ大東亜戦争勝利の鍵だった 「希典のひとりごとのブログ(2015/04/10 21 25 )」より / 山田順氏の「日本が2度勝っていた『大東亜・太平洋戦争』」(ヒカルランド)を読むと、我が意を得たりと肯くところが多い。 山田氏は「戦後史観では、そもそも勝てるわけがない戦争をアメリカに仕掛けた日本は愚かということになっている。結果から見れば確かにそのとおりで、日本は愚かすぎた。しかし、愚かでなければ、勝機はあり、それを実行すれば勝てたのである。ところが、大日本帝国を支配した凡庸で無責任な政治家、官僚、軍人たちが、実行すべき判断を誤ってしまったのである」と述べている。まったくその通りである。 山田氏が主張するところの二度のチャンスとは、一度目が1941年6月22日にドイツがソ連侵攻作戦「バルバロッサ作戦」を開始した時だ。この時、ドイツの要請に応じて、対ソ戦に参戦しておれば、日本は第二次大戦の勝者になっていた可能性があったという。 ドイツ軍の怒涛の進撃にソ連軍が持ちこたえられたのは、極東からシベリア軍団が駆け付けたおかげで、日本軍がシベリアを衝いておれば、二正面作戦を強いられたソ連は崩壊していただろうというのが山田氏の見立てである。この考えは目新しいものではないが、例えソ連が崩壊しても、それが日本の最終的な勝利には直結しないと思う。 日本は日独伊三国同盟を結んでいたが、明白な形でドイツを助けることはしていなかった。だから、この時点では米英と決定的に決裂していなかった。しかし、日本がドイツに呼応してソ連を攻めれば、英国は日本に対して宣戦布告しただろう。米国は宣戦布告まではしなかっただろうが、石油を含む対日全面禁輸に踏み切ったのは確実だ。当時行われていた日米交渉もこの時点で打ち切られたのは間違いない。そうなれば、山本五十六が聯合艦隊司令長官である限り、真珠湾攻撃が実施され、その後は史実通りにことが進んだと思われる。 二度目の機会は、南方資源地帯を確保した後、海軍が東に進まずインド洋に進出し、英米の海上輸送ルートを絶っておれば日本が勝っていた可能性があったという。山田氏は次のように述べている。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ 大東亜戦争(太平洋戦争)の真実 「zeraniumの掲示板(2017.3.18)」より / 世界は日本をどう見ているか 大東亜戦争の真実 (太平洋戦争ともいう。1941年12月8日、イギリス・アメリカ・オランダ・フランス・中国などの連合国と日本との間に発生した戦争) 英霊たちに捧ぐ + 続き 我々日本人は、これまで真実とは違う歴史を教え込まれてきた。 それはGHQのWGIP(War Guilt Information Program)という洗脳計画により、正しい歴史から目隠しされてきたのである。それが自虐史観であり、「日本は戦争で卑劣な事をした酷い国である」として、日本人は学校でそのように教わることになった。 しかし現代という正しい情報がインターネットで手に入る時代となり、それによって今や多くの日本人が目覚め初めている。もはや、これを止めようとしても無駄である。なぜなら真実は変わることがないからだ。これまで大きく歪められてきた真実が、自然の蘇生力とともに本来の正しい方向に向かうのは必然だからである。 その蘇生力を早めたのがインターネットであり、今や目覚めた人々による情報発信が基となって、加速度的に真実が拡散され続けている。もう、止めることは不可能だ。私たちは自分の力で真実を見つけようではないか。 ただ残念なことは、現在の日本には信頼できるメディアがほとんどないという事実であり、それらは日本を貶める勢力によって抑えられ、乗っ取られている。しかしメディアもこの流れから逃れるのは不可能である。なぜなら真実を報道しないならば、淘汰されるのは必然だからである。 さあ、真実を自分の手で見つけよう。 この情報がその一助となることを、私は願っている。 <マレーシア> #%-・ダト・ノンチック元上院議員 日本軍は長い間、各国植民地を支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないと諦(あきら)めていたアジア民族に、感動と自信を与えてくれました。長い間眠っていた、「自分たちの祖国を自分たちの国にしよう」という心を目覚めさせてくれたのです。 ミニッツ元帥 太平洋艦隊司令長官 この島を訪れるさまざまな国の旅人たちよ、故郷に帰ったら伝えてほしい。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕して果てたと。その壮絶極まる勇気と、祖国を思う心根を! <イギリス> スリム中将 イギリス第14軍司令官 叩かれ、弱められ、疲れても、自身を脱出させる目的でなく、本来の攻撃の目的をもって、かかる猛烈な攻撃を行なった日本の第33師団の如きは、史上にその例をほとんど見ないであろう。 <韓国> 朴 鉄柱 韓日文化研究所 現在の日本の自信喪失は、敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。日本は平和的外交交渉によって事態を打開しようと、最後まで取り組んだのである。 それまで日本はアジアの希望であり、誇り高き民族であった。 日本の武士道は、西欧の植民地支配勢力に捨て身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。 日露戦争と大東亜戦争。この2つの日本の捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義は、いくら強調しても強調し過ぎることはない。 大東亜戦争で日本は敗けたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持つ欧米諸国であった。彼らはこの戦争によってアジアの植民地をすべて失ったのである。 日本は戦闘に敗れたが、戦争目的を達成した。 つまり日本こそが勝ったのであり、日本の戦争こそが「聖なる戦争」であった。 ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたのである。確かに二百数十万人の戦死者は帰っては来ないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。 <マレーシア> ガザリー・シャフェー元外務大臣 日本がどんな悪い事をしたというのか。 大東亜戦争において、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3ヵ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はその時まだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって来たと思っていた。日本は敗れたが、しかしイギリス軍は再び植民地を取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ。 なぜ日本が謝る必要があるのでしょうか。 あの対戦で、マレーシア人と同じ小柄な日本人が、大きな体のイギリス人を追い払ってくれたのではないか。日本なくして、東南アジアの独立はあり得なかった。この日本が支払った尊い犠牲を否定するということは、バックミラーだけを見ているようなものだ。 <オランダ> サンティン アムステルダム市長 本当に悪いのは、アジアを侵略して権力を振るった西欧の人々なのである。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。その結果、アジア諸民族はそれぞれが独立を達成したのである。 日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方日本人こそ最高の功労者です。日本人は自分を蔑(さげす)むことを止め、その誇りを取り戻すべきであります。 + 続き <タイ> タナット・コーマン元副首相 あの戦争によって世界のいたる所で、植民地支配が打破されました。そしてこれは、日本が勇戦してくれたお蔭なのです。それにより多くの独立国が、火の中から不死鳥のように姿を現しました。誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です。 <インドネシア> モハメッド・ナチール元首相 アジアの希望は、植民地体制の粉砕でした。 そして大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。大東亜戦争とは、本来ならば私たちインドネシア人が独立のために戦うべき戦争であったと思います。 もしあの時、私たちに軍事力があったならば、私たちは植民地主義者と戦ったはずです。大東亜戦争とはそういう戦いであったのです。 <インドネシア> サンパス元復員軍人省長官 特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、インドネシアの独立に貢献してくれたことである。 日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績をたたえ、殊勲賞を贈っているが、それだけで済むものではない。 <インドネシア> ブン・トモ元情報相 日本軍が、米国・オランダ・フランスを、我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全体が自信を持ち、独立は近いと知った。 そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやるべきことであった。そして実は、我々の手でやりたかったのだ。 <インド> ネール初代インド首相 彼ら(日本)が我々に謝罪する必要などない。 ゆえにインドは、サンフランシスコ講和会議には参加しないし、講和条約にも調印しない。 <インド> グラバイ・デサイ インド弁護士会会長 インドは程なく独立する。 その独立の契機を与えてくれたのは日本である。インドの独立は、日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。 これはインドだけではなく、インドネシアやベトナムをはじめ、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを心に深く刻み、日本の復興には惜しみなく協力しよう。 <ビルマ>(現ミャンマー) バー・モウ元首相 日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。 しかしまた、日本ほど誤解を受けている国はない。 <ビルマ>(現ミャンマー) チャンドラ・ボーズ デリーインド国民軍事裁判主席弁護人 日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。 { <タイ> ククリット・プラモード元首相} 日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立することができた。 日本という「お母さん」は、難産をして母体を損なったが、生まれた子どもはスクスクと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげなのか。それは身を殺して仁を為した、日本という「お母さん」があったからである。 12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれた「お母さん」が、一身を賭して重大決意をされた日である。更に8月15日は、我々の大切な「お母さん」が病の床に臥した日である。我々はこの2つの日を忘れてはならない。 <アメリカ> ベン・ブルース・ブレークニー東京裁判弁護士 原子爆弾という、国際法で禁止されている残虐な武器を使用して、多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について日本に責任を問う資格があるのか。 <インド> パール判事 極東国際軍事裁判判事 東京裁判判事 私の判決文を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずである。それなのにあなた方は、自分たちの子弟には「日本は犯罪を犯した」「日本は侵略の暴挙を敢えて犯した」と教えているではないか。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分に研究していただきたい。 日本の子弟が、歪められた罪悪感を背負い、卑屈、頽廃に流されていくのを、私は平然と見過ごすわけにはいかない。 石碑に刻まれたラダ・ビノード・パール判事の文(要約) 日本が熱狂と偏見をくぐり抜け、その長かった苦しみを自ら和らげた暁(あかつき)には、また世界の理性が、信じられてきた虚偽の仮面を自らはぎ取った暁(あかつき)には、その時こそ正義の女神はその秤(はかり)を平衡に保ちながら、過去に起きたもろもろの多くの賞罰を、正しい裁きとともに変えるよう要求するだろう。 多くの方々の著書や文章から掲載させて頂いています。 私は基本的に、隠されている、公けにされていない、あるいは「誰もが知るべき真実」は、まだ知らない人々に伝えなければならないと考えています。その意味で、新たな情報、真実と考える物を掲載させて頂いています。侵害とお考えの際は、いつでも削除しますので、コメント欄にてお知らせください。ありがとうございます。 連絡方法; トップページのバックナンバーから、2014年7月26日「”zeraniumの掲示板”について」へ行ってください。コメント欄から連絡できます。 ■ 戦前を異常な世界に描く自虐史観。でも、今も昔も日本人は誠実な日本人だった! 「なでしこりん(2016.8.15)」より / 日本を悪く描くのは「そうでないと困る連中」がいるからです。 あなたも私もそうであるように、日本人は今も昔も誠実な民族。 今日は8月15日。昭和20年8月15日、この日に日本の戦争が終わりました。私は基本的に、何事も「単純なものはない」と思っています。ですから、日本共産党や日教組、中国や上下朝鮮が宣伝している「一面的な侵略戦争論」は「ためにする論」としか見ていません。歴史とは「白か黒か」という単純なものではないはずです。 ....日本共産党 が描く「戦前風景」などはただの妄想でしかありません。なぜなら日本共産党の幹部は誰一人、戦場には行かず、刑務所でのうのうとすごしていました。宮本顕治は1934年に「小畑達夫氏殺し」で逮捕されていますが、昭和20年10月には出所しています。リンチで党員を殺した宮本は、刑務所内ではリンチされずに生き延びたんです。そんな連中が描く戦前に真実があるはずがありませんよね。 .....考えて みてください。私たち日本人は江戸時代に作られた落語に笑い、平安時代に書かれた「源氏物語」に涙します。日本人は日本人なんです。現代の日本人と戦前の日本人に何の変りもありません。はっきりしているのは戦前の日本人も誠実であったし、全力で生きたのです。自虐史観は「そうでないと困る連中の特殊な歴史観」でしかありません。「良いこともあった。悪いこともあった」。それこそが歴史の真実ではないでしょうか? By なでしこりん .「戦前は特殊な世界」? いいえ、普通の日本人の世界です。 【オバマ広島訪問】 / 【広島・長崎原爆投下】 ■ やっぱり変だ!大東亜戦争 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2016.5.28)」より / やはり大東亜戦争は歴史上希なほど奇妙な戦争である。その理由は以下の通り 戦勝国の軍隊が敗戦国をまるで自分たちは雇われ外人部隊であるかのように守っている。 敗戦国が戦勝国に金を貸して利息を稼いでいる。 敗戦国は占領地をまだ確保しているにもかかわらず、たった2発の爆弾が本土に落とされると、負けたふりして敗戦国となった。 今日もう一つの奇妙さが加わった。 「戦勝国の国家元首が敗戦国に謝りに来た」 一体どちらが戦勝国なんだ? 間違いなくいえることそれは、大東亜戦争とは歴史上最も分析困難な戦争であると言うことである。また、その分析を完成することにより、人類は新たなる地平を目指して歩き出すことが出来るということである。 ■ Japanese World War II Tribute / 2009/10/08 にアップロード Tribute to Germany's Axis Brother during World War II. ........ Kutze Walters 6 か月前(2016.2.4時点) As a Singaporean, thank you Japan. Not many other countries know a slight bit of Asian culture, other than what textbooks say. Textbooks that are so diluted that we lose the true meaning of the war and Japan's sacrifice. Some people say that the Japanese rule was harsh. For Japan, it was even harder. Japan was in a wartime situation, the Japanese people didn't have it any easier. Even though they were starving, they gave us rations. Some say the Japanese were murderers and rapists, but the Japanese military and government had nothing to do with the rape of Nanjing. The sole perpetrator was Prince Asaka, which the Allies later granted immunity despite knowing so. Some say that the Japanese were expansionist. But the Japanese left countries alone that were friendly to them, like Thailand. Japan granted Indonesia and Philippines her independence. China was in a state of civil war, but Japan stepped in and turned Manchukuo into an industrial powerhouse and made it into a safe haven for Chinese civilians. Without Japan, more Chinese civilians would have died as a result of the civil war. So from Singapore, thank you. The Japanese people are a people that live up to their full honor and dignity. Not for themselves, but for all Asians. Japan bleeded for us. A task they didn't have to take, a thankless task where we could have continued to be slaves. "The mother Japan, who almost got killed to give the birth (to Asian independence)." 【マイケル・ヨン】 ■ マイケルが”Voice”でアジア解放論を明言した 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2015.11.26)」より (※--巻頭文の下方に記事あり) / マイケルが月刊誌”Voice”に論文を投稿し、慰安婦を否定すると同時に、大東亜戦争によりシンガポールが陥落し、植民地の独立は約束されたと記述しました。私もアジア解放論をマイケルのFBに英文で何度も投稿してきましたがその甲斐がありました。 マイケルは大東亜戦争こそアジア独立のきっかけになったと認めているわけだが、さて東京既存保守論壇はどうするのでしょうね。 渡辺昇一さん、櫻井よしこさん、水島さん、藤岡さん、保坂さん、西部さん、西尾さん、どうしますか?君たちはアジア解放史観を明言していませんよね。また、白人に先越されましたね。 恥ずかしー! (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 以下マイケルの論文より引用 大英帝国の権勢は絶頂に達していた。世界史上最強の帝国である。日本には大英帝国、オランダ、米国、その他に対してすべて同時に戦端を開く大胆さがあった。すぐさま日本軍はペナンの街路を闊歩した。 そしてシンガポールが続く。あれから長い年月が過ぎた歴史となり、日本により英国がシンガポールを失った意味がさらに明瞭に見える。 米国流の解釈をすれば、シンガポールを失うのは米国のほぼ全軍が戦死または拘束されたうえでハワイを失うようなものだ。この心理的損失は甚大だった。 この衝撃的な日本の勝利は短命ではあったが、その後のアジア全体の独立に大きな道を開いた。 http //ironna.jp/article/2371?p=1 ■ 凛として愛 / 2012/10/16 に公開 国難の危機にある現代の日本人必須の映画、今ひとりでも多くの方に、この学校教育やメディアでは教わらなかった『日本の真実の近代史』を、この映画を通じ、知って目覚めて欲しいと心から願っております。 明治開国から大東亜戦争まで日本が戦って来た『真実の歴史』を約70分でまとめてあります。 ◆明治27年の朝鮮半島をめぐる清国との戦い ◆ロシア、フランス、ドイツの三国干渉 ◆朝鮮半島、満州をめぐり大国ロシアとの戦い ◆満州事変、支那事変、ABCD包囲網 + 続き 日本が戦いを免れなかった真実、 資料に基づいて制作された映画、真実の歴史を知る事ができます。 ●制作の経緯 靖国神社創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築にともない遊就館で真実のドキュメンタリー映画を上映することになり其の映画制作を依頼されたのが泉水隆一監督でした。 監督が渾身の力を込め二年の歳月をかけて出来上がったのが「凛として愛」でした。 映画完成前から他国からの批判を気にした保守陣営の圧力などがありました。 上映はされたものの、この歴史の真実を伝える「凛として愛」をたったの二日で上映中止にしてしまったのです。 監督の無念さは計り知れません。 泉水隆一監督について 泉水隆一氏はアニメ『新造人間キャシャーン』や『うる星やつら』などの脚本スタッフとして制作に関わってきました。 「凛として愛」の監督・脚本・ナレーションを泉水隆一氏ご本人が行っています。 泉水監督は平成22年7月16日に逝去されました。 8年前の此の日、僅かに二日半で上映中止され絶望の淵にあった日でした。 泉水氏の告別式は式場の関係で26日に行われましたが、この日こそ、泉水監督が反日思想がはびこり、総理大臣も靖国神社に背を向ける日本の現状を憂いて、靖国神社に、渾身の思いを込めて書かれた、映画制作への珠玉の趣意書を出された日でした。 泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つことだと生前、切々と話されていました。 故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民の目にふれることを願って止みません。 泉水監督は、国家のために尊い命を捧げられた数多の英霊に報いるには、「凜として愛」が日本全国に広まり、一人でも多くの日本人が先人がたに対して感謝と哀悼の思いを持つことだと生前、切々と話されていました。 故泉水隆一監督の崇高な思いを心に刻み、私たちは「凛として愛」が一人でも多くの国民の目にふれることを願って止みません。 映画『凛として愛』普及拡散プロジェクト 「凜として愛」を収録したDVDは送料、手数料の1000円でお譲りしております。 お名前、ご住所、ご連絡先、枚数をご記入の上 kamon@24.am までお問い合わせください。 (※mono.--Youtubeコメントから抜粋) / ayu yamato1 か月前 平和、平穏な生活を維持するためには、戦争もあり得る、という議論が為されてこなかった。 戦争回避一辺倒と護国を誰が,如何に遂行して行くかを議論するべし。 平和、平和と唱える連中に限って、では、どうやって、国を護っていくかにつては、ダンマリを決め込む。 何と,卑怯な連中であろう。 ただただ、戦争は,駄目だ、悪い、自主憲法制定、九条遵守と,唱えっていれば、前線に立たなくて良いし、我が身は安全と願う輩が多数居るが、何とした事。所詮、国防は他人事。 GHQがもたらした、自虐史観を広め、醸成して来た、NHKを頭とする反日メヂアを許さまじ。 御英霊、ご先祖様に、今ある日本人は、総動員で敬意と感謝を表するのは,当然である。 / sanagihara miyuki7 か月前 感動して泣きました。 反対に戦わざる負えない状況下での戦争悲しすぎます。 またその状況下で最後まで戦った日本兵は立派だと思います。 戦争で亡くなった皆様のご冥福を改めてお祈りいたします。 / TAICHI34143 週間前 ユダヤのバカ動画 靖国キチガイ掘っ建て小屋 くそたれ小屋 / 011ppo1 年前 Byron Lord お決まりの妨害コメント。 / Byron Lord1 年前 そもそも大東亜戦争なんて負けて当然である。 日本は戦争に負けたのではなく、敗戦国となるよう戦争前から決まっていたのだ。 日本帝国軍の最高司令部の連中の多くは、欧米のユダヤ人の犬だった。 例えば連合艦隊司令長官だった山本五十六が、日本を敗戦させようしていたのは、 真珠湾攻撃からの戦術の「ありえなさ」を知れば、一目瞭然である。 / Byron Lord1 年前 もっとも恥ずべきは、広島と長崎に核爆弾が落とされるのを事前に知っていながら、 何の警告も出さずに見殺した、昭和天皇をはじめ日本帝国軍の最高司令部の連中である。 / Byron Lord1 年前 日本がもう一度、独立国家となるには、欧米のユダヤ人の手先である 田布施一味という朝鮮人による支配から脱しなくてはならないだろう。 / Byron Lord1 年前 そもそも日露戦争なんて、欧米のユダヤ人が莫大な戦費を融資してくれたから 勝てたに過ぎない。 / Byron Lord1 年前 そもそも明治維新というのは、欧米のユダヤ人が日本を乗っ取るために、長州藩の田布施にいた在日朝鮮人を利用して起こしたクーデターに過ぎない。明治維新から2013年までの現在、日本はこの「田布施一味」に乗っ取られている。 伊藤博文からはじまり、小泉元首相、安倍首相など、首相の多くが田布施出身の隠れ朝鮮人。 / MasyuTadashi1 年前 涙が溢れて仕方ありませんでした。戦後の自虐史観教育もさすがに劣化の波激しく、すべてはアメリカの謀略・理不尽・非道、、、が明らかになり、日本が悪かった?などというバカは少数になりました。 それでもまだ残る少数が厄介で、日教組を始め気違い左翼や朝鮮系役人や議員が政治の世界にまでウロついて反日活動をしています。中韓のイチャモンに媚びへつらう国会議員の不甲斐なさに、日本国民もようやく目覚め、選挙で政党を大敗、崩壊状態にさすことができることを確信し、ここ10年くらいの国民覚醒は驚嘆に値します。 靖国参拝問題も、こんな映画を見ると中韓に関係なく個人的には「行くな!行って欲しくない!」です。 こんな短い青春を、一命賭けて国の存亡に捧げた数百万の英霊に対して、他国のイチャモンにヘタレるような人間には参拝して欲しくないはずです。命を捨てた英霊の毅然さと、保身のためにウロつく政治家どもとどのように釣り合いましょう。場違い、ド勘違いの恥ずかしい政治家など参拝無用です。 国民の目覚めに政治家は追いついておらず差は広がる一方。大衆の叡智こそ日本の未来と確信します。素晴らしい動画をありがとうございました。 【第二次朝鮮戦争】 ■ 大東亜戦争は第二次朝鮮戦争と在日米軍撤退により完全に終結する 「国際情勢の分析と予測(2014.19)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 大東亜戦争は5つの戦いから成る。 1.第一次大東亜戦争は日本と連合国の戦争で1941年12月9日から1945年9月2日まで、大東亜共栄圏の敗北。 2.第二次大東亜戦争は第一次朝鮮戦争で1950年6月25日に始まり1953年7月27日に休戦、引き分け。 3.第三次大東亜戦争は第一次インドシナ戦争で1946年12月19日から1954年8月1日まで。1954年5月7日のディエンビエンフーの戦いでベトナム軍がフランス軍を壊滅させるという劇的勝利を収める。大東亜共栄圏の勝利。 同時期にソ連で反ユダヤ運動(1946年10月開始)が起こり、ジューコフ元帥によるベリヤ逮捕(1953年6月26日)と銃殺(1953年12月23日とされる。FRB設立の丁度40年後。ただし異説あり)によってハザール系ユダヤ人を通じた国際金融資本によるロシア占領は終焉している。ユーラシア大陸の東西で枢軸国が国際金融資本に対して大勝利を収め始めたのだ。 4.第四次大東亜戦争はベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)で、1960年12月から1975年4月30日まで。サイゴンが陥落しベトナム軍が世界最強の筈の米軍を打ち破った。アジアの人民との協力による大東亜共栄圏の決定的大勝利。 この後に日本社会党の田辺書記長の要求と金銭支援による南京大虐殺記念館建設決定(1982年)や欧州大陸諸国でのホロコースト否定禁止法制定(1990年のフランスが最初)が起きる。これらは連合国の虚偽のプロパガンダである南京大虐殺とホロコーストを忘却させず政治問題化させ、国際金融資本の世界支配崩壊と同時に真実を世界に公表することで連合国の正義を奪うための枢軸国の作戦であると思われ、中国やフランス・ポーランドが実は枢軸国の味方であることを示していると想像される。また、これらの作戦が実行されている事自体が、もはや連合国=国際金融資本の敗北が決定的になっていることの証拠であろう。また、1971年8月15日のニクソンショックによりドルは兌換通貨の地位を失ったことで国際金融資本は大打撃を受けた。ニクソンは表向きは日本嫌いで米中国交正常化やニクソンショックを実行したとされるが、実際には大東亜共栄圏の友人かつ反国際金融資本勢力であり、それ故に後日田中角栄と同様にスキャンダルで失脚させられたのだと想像する。 1980年のバチカンによる日本人戦犯へのミサも実に興味深い。バチカンはカトリックの縁でオーストリアと関係が深く、枢軸国の一員であるのだと思われる。 5.第五次大東亜戦争は第二次朝鮮戦争で2014年の春から秋までの間の短期間の戦闘と予想。南朝鮮が陸軍と南朝鮮に潜伏するシンパを中心とする北朝鮮軍と、海上自衛隊を中心とする自衛隊の挟撃により滅亡。同時期に在南朝鮮・在日米軍も完全撤退し、大東亜戦争が大東亜共栄圏の完全勝利により幕を閉じる。 ■ アキとカズ-遙かなる祖国 「平成・美しい日本を護る会ブログ(2014.5.25)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 強制的に忘れさせられた歴史の事実を国民がすべからく知る必要があります。国民がすべからくとは、誠に前途遼遠な話になってしまいますが、映画や小説が大きな役割を果たすことがあるように思います。新聞小説などは、購読者が多いだけに、より多くの影響力を持つでしょう。 このような考えがあるのかどうか分かりませんが、産経新聞はこの3月25日、社告で4月からの連載小説を、通常は高名な作家にお願いするところを自社の編集委員の喜多由浩記者が執筆すると発表しました。 喜多由浩記者は、昭和59年、産経新聞社入社。社会部、韓国・延世大学留学、月刊「正論」編集部次長などを経て、平成21年から文化部編集委員。主な関心分野は朝鮮半島問題、戦後処理問題などとのことです。「正論」平成17年1月号で「戦後補償の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援」などを書かれています。 小説の題名は「アキとカズ-遙かなる祖国」。昭和元年、大阪の老舗の商家で生を受けた双子の姉妹「昭子(アキ)」と「和子(カズ)」は新年号から名前をもらいます。当時は多胎児を嫌う習慣から里子に出され、昭子は当時日本領だった南樺太へ、和子は戦後、帰国事業によって北朝鮮に渡ります。そこではすさまじい困難と苦労が待ち受けているのですが、それはこれからの小説のお話になります・・・。 ☆■ 【小説】アキとカズ 遙かなる祖国 「産経ニュース」より (※ 以下は小説の書き出し。2014.9.6現在132話) / 2014年東京 奇妙な「遺書」だった。 『にほんにかえりたい。おかあちゃんがにくい』 ただそれだけ。遺書といわれねば気づくまい。紙くずみたいな、粗末でボロボロな紙に、平仮名だけの弱々しい文字が残っていた。血の痕なのか、赤茶けた染みが滲(にじ)んでいる。 不可解な内容…。それを、外務省幹部である福田に持ち込んだ人物が、さらに戸惑わせた。父親の武である。大阪・天満(てんま)で明治から続く老舗の元主人。隠居して久しく、年はもう90近い。 「見てほしいものがあるんや。紹介したい人もおる」。突然、連絡があったのは1週間前のことだ。 上京した武の後ろに、30歳ぐらいの痩せた男が見えた。浅黒い顔に短髪、急に間に合わせたような紺のスーツがだぶだぶだ。怒りと哀しみがない交ぜになった険しい目つきで福田をじっとにらみつけている。どうやら日本人ではない。 武によれば、「遺書」は北朝鮮から逃げてきたこの男が預かってきた。かつて帰国事業で北朝鮮へ渡った日本人女性が命を絶つ前に書き残したという。 (※ 以下はサイト記事で) ■ 8月22日は対馬丸事件の日 「ねずさんの ひとりごと(2014.8.22)」より / 昭和19(1944)年8月22日、ちょうど70年前の今日、沖縄からの疎開船「対馬丸」が、悪石島付近で米潜水艦の魚雷攻撃を受けて学童700名を含む1500名が海没しました。「対馬丸事件」です。 対馬丸事件が起こったのは、沖縄戦がはじまる7ヶ月前のことです。 / 左翼は、この対馬丸事件ばかりをとり沙汰しますが、この8ヶ月前の昭和18(1943)年12月21日に、沖縄那覇から本土に向けた定期航海の輸送船団が米国潜水艦によって、撃沈させられるという事件が起きています。「湖南丸事件」です。 湖南丸に海軍飛行予科練習生予定者や女子挺身隊などを含む民間人が683名、船員72名、海軍警戒隊4名の合計759名が乗っていました。そして魚雷を受けた湘南マルは沈没し、乗員は海になげだされました。 この海上に逃れた人たちを救助したのが護衛艦柏丸です。柏丸はエンジンを停止させ、人命救助にあたりました。そして湖南丸の乗員約400名を救助しました。 それを見届けた米潜水艦は、エンジンを停止して逃げられない柏丸を魚雷攻撃しました。 柏丸はほとんど瞬時に沈んでいます。 ■ 【大戦おさらい】米国が日本に真珠湾攻撃を「させた?」 「蘭月のせいじけーざい研究室(2014.8.15)」より (※ あちこち略、詳細はブログ記事で) / Their purpose, therefore in going to war was karagely dictated by security. (日本が戦端を開いたのは、ほとんど自衛のためだった) 戦後、これを言ったのは誰だったと思いますか。 何と、 連合国軍の最高司令官、ダグラス・マッカーサーです。 まぁ、マッカーサーのこの発言、決して荒唐無稽なものではありません。 実際、ほとんど米国がけしかけたような戦争だった。そう言えなくもないのです。 「普通の表向きの情報を与えられた人は誰でも、日本が卑劣な奇襲攻撃をかけたものと信じている。しかし、政権中枢部にいたものは攻撃は充分予期されていただけで無く、実際上欲されていた。ルーズベルト大統領が戦争を欲していた事は疑う余地は無いが、政治的理由から、最初の攻撃は相手方(日本)から加えられる事を望んでいた。その為に自尊心を持つ国なら、如何なる国でも武力に訴える他に術が無い状態迄日本を追い詰めたのである。日本はアメリカ大統領によってアメリカを攻撃する事にされていた」 これは英国海軍ラッセル・グレンフェル大佐の見解です。 この言葉からも分かるように、 「米国のルーズベルト大統領はむしろ戦争をしたがっていた」 ということは、既に国際社会でもよく認識されている話なのです。 / で、真珠湾攻撃の計画が米国中枢にもたらされた後、7月に米国の日本資産を凍結。8月には石油の供給をストップ。 そして11月には、最後通牒とされる「ハル・ノート」を日本に突きつけます。 この内容について、当時の大日本帝国外相である東郷茂徳は、 「目もくらむばかりの失望に撃たれた。長年に渉る日本の犠牲を無視し極東における大国たる地位を捨てよと言うのである、然しこれは日本の自殺に等しい。この公文は日本に対して全面的屈服か戦争かを強要する以上の意義、即ち日本に対する挑戦状を突きつけたと見て差し支えないようである。少なくともタイムリミットのない最後通牒と云うべきは当然である」 と語っています。 つまり、日本は三等国として、欧米諸国の植民地レベルに成り下がれと。 日本が多大な苦労と犠牲によってようやく得た国力を、全て放棄しろという。 しかし、そんなことをしたら、犠牲になった数多の英霊にどう顔向けができるのか。 また、そんな道を選んだところで、日本国民が尊重されたり、無事に済む筈は絶対にない。 【石原莞爾】 ■ 日本帝國の戦いを偽って伝えることなかれ 「浮世風呂(2014.4.19)」より / 戦後教育を受けた世代は、石原莞爾といえば「満州国」又は「満州事変」というイメージをもつ人が多いと思う。戦後のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)によって戦争についての罪悪感を植えつけられている日本人は日本軍が満州事変を起こして侵略したと思っている。 ところが石原莞爾は戦後の東京裁判で裁かれていない。同じ満州事変に関わった板垣征四郎は死刑になった。WGIPに洗脳されていてもこういう不整合に気づいている人もいるかもしれない。実際には満州国は正当な国家であり、日本の侵略ではなく、満州と支那はそもそも別ものである。東京裁判はインチキ裁判であった。なのに石原莞爾は罪に問われてはいない。 石原莞爾は昭和16年には予備役になっており、終戦は講演先で玉音放送を聴いている。昭和20年9月以降、全国に講演旅行を続けていた。昭和21年1月以降は持病が悪化し、入院している。 米、英、ソの検事が臨床尋問した際には「戦犯の中で第一級は、空襲、原爆投下で非戦闘員を殺害し国際法を蹂躙したトルーマンで、本当の元凶は鎖国の日本を脅かし、開国させ、日本を台湾、朝鮮、満州に赴かせたペリーである」と答えた。東条英機と意見が対立していたというではないかとの問いには、「東條には思想も意見もなく、意見のない者と意見の対立はない」と答えている。 (※ 以下略、詳細はブログ記事で) 【百田尚樹】 / 【日米関係】 / 【日英関係】 ■ 百田尚樹NHK経営委員と森喜朗元首相は米英が日本の敵国であるという隠された真実を公表し始めた! 「国際情勢の分析と予測(2014.2.10)」より / 安部首相と親しくNHK経営委員も務める作家の百田尚樹氏が原爆や空襲などの米国の戦争犯罪や東京裁判を批判したことが注目されている。昭和24年に中学に入学してから英語教育を受けている筈の2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長がソチで「自分が英語が苦手なのは英語が敵性語であったから」と発言したのは、米英が日本の敵であることを宣言する意味合いであろう。米英の記者が不快感や当惑を示したのは当然だ。米英は真珠湾攻撃(ペリー来航までさかのぼるべきか?)から2013年12月の国際金融資本の降伏までの大東亜戦争の期間を通して日本の最大の敵国であったことが公になる日が近づいている。ただし、実際には米英は日本に既に降伏しており日本の敵国ではなくなっている。今行われているのは米英の降伏を世界に公表する儀式に過ぎない。 (※ 中略、詳細はブログ記事で) / 現在の東アジア沿海地区で中国と激しく対立しているのは日本とフィリピンとベトナムの3カ国であるが、いずれも犯罪国家米国の戦争犯罪によって膨大な死者を出した犠牲者であるという共通点がある。米国人はこの3国がその恨みを爆発させることを恐れており、それを封じ込めるために中国との軍事対立や国民感情の対立を強要しているのだろう。英国の植民地統治で多くの織物職人が餓死したインドもそこに含めても良いだろう。この中国包囲網は近日中に消滅する。日本とフィリピンとベトナムとインドは北朝鮮を中心として中国を擁する大東亜共栄圏に寝返り、ロシアやドイツとともにユーラシア大陸を完全掌握して英国と北米大陸と豪州を逆に包囲する。島津伝統の釣り野伏の戦法が今地球儀の上で演じられている。 (※ 赤字・太字はmonosepia) 【靖国神社】 ■ 【靖国参拝・集団的自衛権・憲法改正。。原発推進も米国国益・米欧世界秩序に反する】<もはや東京都知事選など、どうでも良い>≪安倍政権は大変なものを敵に回してしまった≫ 「宝当仙人の野次馬日記(2014.1.28)」より (※ 前後略) / 第二次世界大戦の戦後処理 米・欧連合国はじめ戦勝国の 政治決着までケチがつく訳だ 安倍首相の熱望してきた 靖国神社参拝は A級戦犯合祀があるばかりに 大日本帝国が 大東亜戦争(第二次世界大戦) 引き起こした日本軍国主義への 回帰。。を連想してみれば 敢えて被侵略国と表現するが それら被侵略国の論理よりも そもそも。。米・英・仏・露 ギリギリ滑り込んだ中国の 日本分割統治断念が間違っていた という。。第二次世界大戦の 戦勝国による戦後処理が誤り イラク戦争処理で、 武器が見つからなかった イラク戦争が間違い だったのではなかったか という論理と共通する点 が、大日本帝国占領政策 にも認められるのではないか という国際世論が勃興しかねず 中国・韓国が黙っていたとしたら 今度は東南アジア諸国が騒ぐかも 知れない、ともいえる訳である また、米・欧・ロシアに関して 易々と、日本に表面上とはいえ 主権を与えてしまった戦勝国の 手腕に大きなミスがあったのだ という中東政策の失敗 にも似た責任追及が起こる ということにもなりかねない 戦争。。そして敗戦 更には、国土列島占領された ことは、それほど重大な意味を持つ ■ 大東亜戦争は第二次朝鮮戦争と在日米軍撤退により完全に終結する 「国際情勢の分析と予測(2014.1.9)」より / ●<ブックレビュー> 「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」 佐藤 守著 日本の学校では「太平洋戦争は昭和20年8月15日に終わった」と教えられる。しかし、元空自戦闘機パイロットの著者(元空将)は、日本降伏後も陸海軍将兵の多くが海外に残って現地の独立戦争に加わったことから、「大東亜戦争はアジアの植民地解放戦争が終わった昭和50年4月30日(ベトナム・サイゴン陥落)に終結した」とする。 残留日本軍将兵の多くは、自分たちの武器を密かに独立派ゲリラに譲渡し、軍事顧問や部隊指揮官としてインドネシア、台湾、インド、ベトナムなどで戦った。特にインドネシアでは多数の旧軍兵士が独立戦争に加わり、南洋の地で倒れた彼らは現在、同国の英雄墓地に眠っている。 そうした意味で「日本は太平洋戦争には負けたが、大東亜戦争には勝利した」と著者は強調し、「こうした日本人がいたことを我々は決して忘れてはならない」と結んでいる。 ................................................... / ●「靖国神社参拝の何が悪い!」新藤義孝総務相の祖父は、硫黄島で戦死した守備隊司令官・栗林忠道中将だ - 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」 2014年01月04日 03時32分05秒 ◆日本人の大半は、大東亜戦争(日中戦争、太平洋戦争、アジア解放戦争などの複合戦争)の終戦を「1945年8月15日」と思い込んでいる。だが、ベトナムでは、大日本帝国陸軍の第34独立混成旅団参謀・井川省少佐をはじめとする高級将校から兵卒にいたるまで志願兵約600人、これに加えて陸軍のスパイ養成機関「中野学校」出身の残置諜者が独立運動に参加して、ベトミンに軍事訓練をしたり、作戦指導を行ったりした。ベトナム初の士官学校であるクァンガイ陸軍中学の教官・助教官全員と医務官は日本人であった。30人を上回る日本人がベトナム政府から勲章や徽章を授与されたという。 このベトミンは、1954年5月7日に列強国の1つである帝国主義・植民地主義国家のフランス軍をディエンベンフーの戦いで陥落させ、その後、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は、ベトナム戦争に突入してきた米軍を敗北させた。すなわち、第2次インドシナ戦争(1960年12月~1975年4月30日)である。この戦争には、「中野学校」出身の残置諜者に教育、訓練された北朝鮮軍が参戦しており、大日本帝国陸軍出身者は、この1975年4月30日をもって、大東亜戦争が終結したとしている。 ................................................ / ●「朴槿恵大統領を見殺し」中国の習近平国家主席が朝鮮統一で、安倍晋三首相に「黙って見ていて」と要請 - 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」 2014年01月07日 03時43分40秒 ................................................ / + 続き 【私のコメント】 (※ 「国際情勢の分析と予測」のブログ主の見解のことである。数行の引用では難しそうなので、コメント全文を転載しておく。) 「金正日は日本人だった」を出版して私を含めて多くの日本人に衝撃を与えた元航空自衛隊将校の佐藤守氏が2012年12月に「大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した」を著した。この本は、朝鮮戦争やベトナム戦争が大東亜戦争の一部分であったと結論づけている。そして、2014年1月4日の板垣英憲氏のブログ記事はその内容を引用しつつ、第二次朝鮮戦争で北朝鮮が半島を統一し大日本帝国が勝利する日が真の終結であると主張している。 ただ、故意と思われるが、板垣英憲氏は最も重要な情報を書いていない。それは、大東亜戦争の勝利は大東亜戦争を起こした日本国が米軍の占領下から開放される日であるということだ。第二次朝鮮戦争で日本と南朝鮮が戦う時、二つの同盟条約によって在日米軍は在南朝鮮米軍と戦うことを余儀なくされる。それが出来ない以上、米軍は日本及び南朝鮮から撤退するしかない。これによって米軍は東南アジアやインド洋での活動も不可能になり、ハワイとグアムとオーストラリアまで撤退することを余儀なくされる。それはドル覇権の消滅による米国の軍事力の劇的低下を伴い、米軍は事実上麻痺状態に陥るだろう。 大東亜戦争は5つの戦いから成る。 1.第一次大東亜戦争は日本と連合国の戦争で1941年12月9日から1945年9月2日まで、大東亜共栄圏の敗北。 2.第二次大東亜戦争は第一次朝鮮戦争で1950年6月25日に始まり1953年7月27日に休戦、引き分け。 3.第三次大東亜戦争は第一次インドシナ戦争で1946年12月19日から1954年8月1日まで。1954年5月7日のディエンビエンフーの戦いでベトナム軍がフランス軍を壊滅させるという劇的勝利を収める。大東亜共栄圏の勝利。 同時期にソ連で反ユダヤ運動(1946年10月開始)が起こり、ジューコフ元帥によるベリヤ逮捕(1953年6月26日)と銃殺(1953年12月23日とされる。FRB設立の丁度40年後。ただし異説あり)によってハザール系ユダヤ人を通じた国際金融資本によるロシア占領は終焉している。ユーラシア大陸の東西で枢軸国が国際金融資本に対して大勝利を収め始めたのだ。 4.第四次大東亜戦争はベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)で、1960年12月から1975年4月30日まで。サイゴンが陥落しベトナム軍が世界最強の筈の米軍を打ち破った。アジアの人民との協力による大東亜共栄圏の決定的大勝利。 この後に日本社会党の田辺書記長の要求と金銭支援による南京大虐殺記念館建設決定(1982年)や欧州大陸諸国でのホロコースト否定禁止法制定(1990年のフランスが最初)が起きる。これらは連合国の虚偽のプロパガンダである南京大虐殺とホロコーストを忘却させず政治問題化させ、国際金融資本の世界支配崩壊と同時に真実を世界に公表することで連合国の正義を奪うための枢軸国の作戦であると思われ、中国やフランス・ポーランドが実は枢軸国の味方であることを示していると想像される。また、これらの作戦が実行されている事自体が、もはや連合国=国際金融資本の敗北が決定的になっていることの証拠であろう。また、1971年8月15日のニクソンショックによりドルは兌換通貨の地位を失ったことで国際金融資本は大打撃を受けた。ニクソンは表向きは日本嫌いで米中国交正常化やニクソンショックを実行したとされるが、実際には大東亜共栄圏の友人かつ反国際金融資本勢力であり、それ故に後日田中角栄と同様にスキャンダルで失脚させられたのだと想像する。 1980年のバチカンによる日本人戦犯へのミサも実に興味深い。バチカンはカトリックの縁でオーストリアと関係が深く、枢軸国の一員であるのだと思われる。 5.第五次大東亜戦争は第二次朝鮮戦争で2014年の春から秋までの間の短期間の戦闘と予想。南朝鮮が陸軍と南朝鮮に潜伏するシンパを中心とする北朝鮮軍と、海上自衛隊を中心とする自衛隊の挟撃により滅亡。同時期に在南朝鮮・在日米軍も完全撤退し、大東亜戦争が大東亜共栄圏の完全勝利により幕を閉じる。 ベトナム戦争ではベトナムは地下トンネルを駆使して米軍と戦ったが、この戦術は硫黄島などで日本軍が米軍を苦しめた手法が北朝鮮軍=帝国陸軍残党によりベトナムに伝えられたものである。第一次大東亜戦争は、第二次以降のアジア大陸での戦闘を有利に進めるための研究として行われ、日本国民を温存するために本土決戦は回避して降伏するという計画が最初から存在したのだと思われる。国際金融資本の軍事部隊である欧米シーパワーと戦うには日本の様な島嶼は不利で、朝鮮やベトナムなどの内陸が有利であることを考慮し、大日本帝国は日本本土から戦略的に撤退してアジア大陸で朝鮮人民やベトナム人民とともに戦い、大勝利を収めたのだ。北朝鮮政府を中心としてアジア各国に広がる残置諜者ネットワークこそが帝国陸軍の本隊であり、1945年に降伏したのは末端部隊に過ぎなかったのだ。 来るべき第五次大東亜戦争では資金の枯渇と条約の規定上在南朝鮮米軍が在日米軍と戦う必要が出てくることから米軍が日本及び南朝鮮から撤退し、日本が犯罪国家米帝の占領から解放される。 自民党は1月8日発表した2014年運動方針案で、靖国神社参拝に関し、原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との表現を削除し「(戦没者に対する)尊崇の念を高め」との文言を追加した。これは恐らく日本が第二次朝鮮戦争に参戦することを宣言したものだと思われる。日本は国連の敵国条項の対象になっており戦争が出来ない国であったが、国連を支配してきた国際金融資本が大東亜共栄圏に降伏したため、やっと戦争が可能になったのだと思われる。第二次朝鮮戦争が近い。 【後期李氏朝鮮の小中華思想と朝鮮民主主義人民共和国の大東亜共栄圏思想の類似性】 宗主国である明が夷敵である女真族の清により征服され滅亡した後、李氏朝鮮では、「中原の中華文明は明と共に滅び中華文明の最優等生である朝鮮こそが正統な中華文明の継承者でなければならない」として、李朝は自身を残された唯一の中華文明の後継者と認識するようになる。このため紀年法として明の最後の元号である崇禎による崇禎紀元を作った。これが有名な小中華思想である。 同様に、宗主国である大日本帝国が夷敵である国際金融資本の米帝により征服され滅亡した後、朝鮮民主主義人民共和国では、「大東亜共栄圏思想は大日本帝国と共に滅び、日本文明の最優等生である朝鮮民主主義人民共和国こそが正統な大東亜共栄圏思想の継承者でなければならない」として、朝鮮民主主義人民共和国は自身を残された唯一の大東亜共栄圏思想の後継者と認識するようになる。このため「日成」「正日」 「正恩」など、最高指導者の名に日本への忠誠心や感謝の意を表明してきた。これは小日本思想と呼ぶべきであろう。 (※ 詳細はブログ記事で) ーーーーーーーーーー ■ 日本は2013年12月19日(日本時間)、大東亜戦争に勝利した。国際金融資本は降伏した。今日は戦勝記念日だ。 「国際情勢の分析と予測(2013.12.19)」より 【※ 参考】 【日米関係】 ■ 世界のマスメディアが大騒ぎする安倍靖国参拝の意味 「逝きし世の面影(2014.1.10)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / 『慇懃で丁寧。一見穏やかだが重く厳しい外交用語』 日本国内限定の政治用語やお役所言葉は意味が乏しく軽すぎる。 日本の高級官僚や政治家が喋る『前向きに検討する』の意味は(将来はわからないが)『今は何もしない』である。 日本の責任ある立場の人の使う言葉は『相手に言質を与えない』為に、慇懃で丁寧だが『内容が伴わない』のが通例なのです。 ところが軽すぎる日本のお役所用語と国際社会での『外交用語』とは、表面的に慇懃で丁寧だけは同じなのですが、逆に言葉の意味が極端に重くなる。 国際紛争では、外国政府に対して『無関心でいることはできない』は『紛争に介入するぞ』という厳重警告であり、『重大な関心をもって見守る』なら『強硬姿勢をとるぞ』となる。 『わが政府は自らの利益を考慮しなければならない』『行動の自由を要求する』は、『関係の断絶を考えているぞ』という重大な威嚇である。 一見礼儀正しくみえる発言でも、外交では強硬で過激な『内容』となる。 物騒な話でも『冷静な雰囲気』を装い丁重な言葉で慇懃に語るのが外交の世界である。 今回オバマ政権の日本に対する『失望した』(disappointed)であるが、通常なら(最初は)『残念』(regret)とか『遺憾』『懸念』(concern)とか表現する。 オバマ政権ですが、(今まで何も言わなかったのに)今回アメリカ政府はそれらを全部すっ飛ばして一気に最後の段階に達している。 暴走する日本に対するハルノート(最後通牒)の一歩手前なのですから恐ろしい。日本を取り巻く環境か、『何か』が大きく変化したのである。 『disappointed』の意味は明解であり、疑問の余地が無い。 より厳しく強いトーンを表現するために『regret』や『concern』ではなく『disappointed』を使ったのかとの質問に対し、国務省副報道官は、ホワイトハウスと協議した上だと明かし『我々が選んだ言葉から、メッセージは非常に明快だと思う』と述べた。 【日本】 / 【アルゼンチン】 ◆ 【朗報】安倍首相「A級戦犯は連合国によって作られた概念」→アルゼンチンが賞賛!「敢然として軍事的敗北に屈服せず戦争に敗れても矜持を失わない日本に拍手を!原爆を忘れるな」 「おーるじゃんる(2013.12.29)」より / 1:犇@犇φ ★:2013/12/29(日) 12 21 47.53 ID ??? ■ JAPANESE WAR CRIMES I'M SORRY? Adrian Salbuchi (政治評論家・コメンテーター / アルゼンチン) 日本の安倍首相の靖国神社参拝に、中国と韓国が激怒している。靖国神社は250万人の戦没者を 祀る東京の神社だ。多くの人が怒っているのは、この19世紀創建の神社に祀られている人々の中に、米国の占領軍によって「戦争犯罪人」という烙印を押された第二次大戦時のヒーローらが含まれているためだ。その中には、米国によって1948年に処刑された戦時指導者東條英機大将など、「戦争計画」に関わったとされる14人の「A級戦犯」も含まれている。 + 続き 戦勝国が敗戦国に対して当然に獲得する権利は、領土要求に関するものだけではない。敗戦国の 都市や土地、国民、資源、工場、特許権、軍事装備、そして国際法上の諸権利に対しても、完全かつ欲しいままに支配する権利を、戦勝国は獲得する …… 悲しむべきことだがこれが現実だ。 そして戦勝国は、戦争の端緒となった対立に関する歴史記述を書く(あるいは書き直す)「権利」をも 獲得する。自国の見解・論理を「真実」とする権利を獲得し、敗戦国を「間違った国・邪悪な国・戦犯国・侵略国」だと非難するのである。「俺たちは善人、相手は悪者だ。」「私たちの息子らは英雄。向こうは殺されて当然の悪魔だ、2歳の幼児までも。」という考えは人類の歴史を同じほど古い。第二次大戦後の70年間のプロパガンダが明瞭に示しているとおり、20世紀と21世紀も例外ではない。 だが日本は今なお屈しようとしない。これは賞賛すべきことだ。平身低頭して世界に再三再四赦しを 請うているドイツの姿とは対照的だ。だがドイツ自身も良く了解しているとおり、たとえ何度謝罪しようと、世界のメディア・出版・教育を支配する人々は決してドイツに赦しを与えることはあるまい。 歴史認識についてハラキリしたドイツとは違って日本は顔を伏せず、敢然として軍事的敗北の結果に耐え続けている。倫理面で屈服してはいないのだ。 なるほど確かに、連合国による極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」の結果、日本の多くの軍事・政治指導者らが「A級戦犯」だとされた。だが安倍首相は、2006年にJapanTimesで報じられたとおり、「靖国神社に祀られた14人のA級戦犯は国内法上の犯罪者ではなく、東京裁判の結果を日本が受け入れたのは独立を回復するためのものだった。<中略>A級戦犯の起訴理由となった『平和と人道に対する罪』は連合国によって戦後に作られた概念で、法律に定められたものではない」と考えている。 日本よ、良くぞ言ってくれた。もし我々が、戦勝国・敗戦国を問わず全ての国の戦争犯罪を真摯に罰しようとするなら、とんでもない規模の国際軍事裁判所が必要だろう。そしてその裁判所は、ダブルスタンダードと検閲から自由でなければならない。そう、ダブルスタンダートから、だ。<後略。ドレスデン空襲や原爆投下で連合国が多数の民間人を殺傷しているが戦争犯罪とはされていない点など。> ▽ソース:RT.com(ロシアRTテレビのニュースサイト)(英語)(2013/12/27 12 24) http //rt.com/op-edge/japan-war-crimes-867/ ■ アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行 「正統史観年表(2009.11.18)」より / 沖縄本島には千二百隻の艦船に分乗する十七万人のアメリカ軍が来攻した。 わが軍と陸海空において、凄惨な血戦が繰りひろげられた。 ――――――― 以下、マックス・ヘイスティングス著(イギリスの歴史作家) 「ネメシス 日本との戦い 1944―45年」 ハーパースプレス社、ロンドンからの引用 ――― 一般住民がさまよう戦場では、身の毛がよだつようなことが起こった。 とくに沖縄戦がそうだった。 クリス・ドナー(アメリカ軍兵士)は、こう記録している。 地面に十五歳か、十六歳と思われる、少女の美しい死体が横たわっていた。 全裸でうつ伏せになって、両腕を大きく拡げていたが、 やはり両脚を開いて、膝から曲げてあがっていた。 仰向けると、少女の左乳房に銃弾が貫いていたが、 何回にもわたって強姦されていた。日本兵の仕業であるはずがなかった。 しばらく後に、ドナーの分隊の何人かが、 丘の上から敵によって狙撃されて、倒れた。 その直後だった。赤児を抱きしめている日本女性に、遭遇した。 兵たちが口々に、 「あのビッチ(女)を撃て! ジャップ・ウーマン(女)を殺せ!」 と、叫んだ。 兵がいっせいに射撃した。 女は倒れたが、渾身の力を振りしぼって立ち上がると、 手離した赤児のほうへ、よろめきながら進んだ。 兵たちは、さらに銃弾を浴びせた。女が動かなくなった。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 ■オークラ出版「拉致と侵略の真実」『沖縄の受難史』恵隆之助 ■小学館「沖縄論」小林よしのり(著) ■沖縄戦関係資料閲覧室 証言集 http //www.okinawa-sen.go.jp/testimony_data/shogen02-05/index.djvu ◆仲地文子さん 羽地でも、真喜屋あたりへ食糧を探しに行く途中で、 米兵に襲われた女性が何人かいた。 だから、米兵の目をごまかすために、女たちはわざと顔に鍋墨を塗り、 薄汚いなりをして歩いたものだった。 また、深夜に突然米兵が現れると 空き缶やバケツなどをガンガン叩いて追っ払ったものである。 (※ 以下資料多数、サイト記事で) ■ 日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として夢にも思っていなかった。H・S・ストークス 「株式日記と経済展望(2013.12.23)」より (※ 大半は略、詳細はブログ記事で) / ◆英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄(祥伝社新書) ヘンリー・S・ストークス (著) ◆内容の一部 12月12日 剣kenn囂々より ................................................ ◆ イギリスは何百年もかけて大帝国を建設し、その帝国を維持した。その間に、インド人をはじめアジアのさまざまな民族と戦った。もちろん、インド人との戦闘も、熾烈を極めた。アフガニスタンや、北パキスタンの敵も、手強い相手だった。 しかし、日本人はそうした「強い敵」をはるかに凌駕していた。日本人はそうした植民地支配を受けた人種と、まったく違っていた。日本が大英帝国に軍事進攻した途端に、何百年も続いた帝国が崩壊した。イギリスは日本のマレー進攻によって、催眠にかけられてしまったようだった。日本軍のあまりの強さに、降参するしかなかった。(p.34) ◆ 日本軍が突然、マレー半島に上陸し、まったく次元の違った戦いが始まった。チャーチル首相も、面食らった。 シンガポール防衛軍のパーシバル司令官は、金縛りにでもあったかのように、まったく戦うこともせずに、戦意を喪失し、降伏した。日本軍の司令官もイギリス軍の弱さに、驚いたことだろう。日本陸軍はそれほど強かった。 イギリスだけではない。アジア各地にオランダ軍など、西洋各国の軍隊が展開していたが、あっという間に日本軍に敗れてしまった。日本は短期間にそれだけの地上軍を展開する力を、持っていた。(p.43~4) 日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、そのようなことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。それが現実であると知った時の衝撃と、屈辱は察して余りある。(p.44) ................................................ / ヘンリー・スコット・ストークス氏は経歴からわかるように、イギリス人で新聞記者として東京で長い間仕事をしている人です。イギリスから見れば大東亜戦争のおかげでインドやマレーシアや中国の植民地を失い大英帝国からただのイギリスになってしまいましたが、戦勝国としての意識は無いようだ。 大英帝国を没落させたのはチャーチルの日本への人種的な偏見であり、ストークス氏もその事を指摘している。アメリカのFDルーズベルトはより日本人への人種的偏見が激しく、チャーチルやルーズベルトの日本人への人種的偏見は手紙などで明らかであり、大東亜戦争は白人と有色人種の解放戦争だったのだ。イギリスやオランダやフランスは再度植民地化を試みましたが、イギリス軍やアメリカ軍が日本軍にぼろ負けしたところを見たアジア人は立ち上がって追い出した。 【靖国神社】 ■ ことしの一押し「永続敗戦論―戦後日本の核心」(白井聡、太田出版) 「Journalist-net(2013.12.27)」より / 今年3月に出版された同書は、先日の大阪自由大学読書カフェでもとりあげられた(話題提供者、三室勇氏)が、私もとても刺激を受けた本だ。 昨日、安倍首相が靖国参拝した。日本版NSC,特定秘密保護法案を仕上げたあとの国家体制づくりに向けて、精神的な地ならしだ。これら「戦後レジームからの脱却」を掲げている安倍路線の本質をこの本は分かりやすく解明していある。 いくつかの問題提起に、既視感をいだくことはあるものの、これまで語られてきたてきた様々な「戦後論」を超え、明快な日本論を展開している。 永続敗戦とは、戦後日本のレジームの核心的本質であり、「敗戦の否認」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し、支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに、敗北が際限なく続くーそれが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。今日、この構造は明らかに破綻に瀕している。(同署の帯文から) 「敗戦」を[終戦」と読みかえたり、3・11で突きつけられた社会のありかたを「不都合な真実の否認」と言う形でのりきろうとしている日本の国家がよく見えてくる。 定価(1700円+税) ■ 日本は2013年12月19日(日本時間)、大東亜戦争に勝利した。国際金融資本は降伏した。今日は戦勝記念日だ。 「国際情勢の分析と予測(2013.12.19)」より / 20世紀は1913年12月23日に始まり、2013年12月18日(米国時間)に終わった。そして、日本は大東亜戦争に勝利した。今日は日本時間の戦勝記念日である。 米国で12月17-18日に開催されていたFOMCが数時間前に終了し、量的緩和政策の縮小開始が決定された。今回の決定では月あたり850億ドルから750億ドルに縮小されるが、1月には更なる縮小が予想されている。米国株式市場はこの決定とともに上昇し史上最高値をつけた。ロイターの報道では「景気に楽観的見方」と理由付けされている。 しかしながら、冒頭に引用したブログ記事のグラフを見れば分かる様に、リーマンショック後の米国株式市場は株価が急上昇するのに反比例して出来高が減少し、10年前の半分に落ち込んでいる。一般の投資家が全て逃げ出し、相場詐欺師のキャッチボールだけで市場が支えられている状態である。そんな状態で量的緩和政策を縮小することは、相場詐欺師のキャッチボールを停止させることで米国株式市場を大暴落させることを意味する。これによって米国経済は1929年の大恐慌に類似した状態に突入し、実質国内総生産は恐らく20-50%程度縮小することであろう。金融業の消滅で米軍を維持することが不可能になり、1989年以降の東欧のソ連軍引き上げと同様に外国駐留米軍が全て撤退することになる。それによって日本やアラブ産油国などを脅迫して金を強奪することが不可能になった米国経済は更に悲惨な破綻状態に陥る。また、日本や中国、産油国などに国債を買わせることが不可能になる米国は債務不履行よりも国債大増発によるインフレを選ぶだろう。それはドルの価値下落を通じてドル覇権の消滅を促進することになる。 米国株式市場の暴落がいつ始まるかは流動的だ。今日の米国市場かもしれないし、12月23日かもしれないし、来年元旦かもしれないし、来年1月のFOMCかもしれないし、来年2月1日の次期FRB議長就任かもしれない。その後に起きる南朝鮮とイスラエルの滅亡戦争かもしれない。しかし、遅くとも来年中には暴落が開始されることだろう。同時に国際金融資本の本拠地である英国市場も暴落・崩壊するだろう。 ユダヤ系英国人の歴史家であるエリック・ホブズボームは長い19世紀、短い20世紀という概念を提示している。19世紀はフランス革命から第1次世界大戦まで(1789-1914)、20世紀は第1次世界大戦からソ連崩壊まで(1914-1991)とする。しかし、私は以前から、20世紀はFRB設立に始まると考えてきた。鉄道の発達で東欧を中心にユーラシア内陸の経済が成長することでシーパワーの世界覇権維持が困難になった英国に本拠を置く国際金融資本は、米ソ二極体制で20世紀も世界覇権を維持することを計画し実行した。その第1弾が米国の金融家と協力することで1913年12月23日に設立されたFRBであり、これによって国際金融資本は米国の金融と経済を完全に支配し、米国そのものを乗っ取ることに成功したのだ。1929年の大恐慌はこの米国支配を完全な者にするための国際金融資本の陰謀であろう。そして第二弾として行われたのが1917年のロシア革命である。これはロシアに居住するハザール系ユダヤ人を実行部隊として行われたユダヤ革命であった。 今月23日はFRB設立100周年の記念日である。その記念日の直前に行われた量的緩和の縮小政策の発表は、FRBによる米国支配を通じた国際金融資本の世界覇権の終焉に直結する。20世紀は1913年12月23日のFRB設立に始まり、2013年12月18日の量的緩和縮小で終わったのだ。恐らく、FRB設立時に100年間の時限立法であり、その後はFRB所有権は民間銀行から米国政府に戻すという密約があったのだろう。 同日に決定されたユーロ圏で銀行の破綻処理を一元化する枠組みでの合意も重要だ。これによってユーロ圏では銀行の破綻処理を支援できる唯一の大国であるドイツの経済的覇権が確定した。ユーロ圏外の英国の大銀行の殆どはキプロス型の破綻で預金が大幅に切り捨てられて消滅するだろう。第一次大戦で崩壊させられたオーストリア・ハンガリー二重帝国はユーロ圏全体を支配する多民族の大帝国として復活した。ヒトラーとその裏にあるハプスブルグの夢がとうとう実現したのだ。 米国の世界覇権消滅は北朝鮮を中心として日本や中国も参加する大東亜共栄圏が国際金融資本に対する大東亜戦争に勝利したことを示す。この長い戦争はスペインのフィリピン侵略に始まり、阿片戦争で本格的に開始され、日露戦争後に日本と米国の対立の先鋭化として冷戦化し、1941年12月9日(米国時間は8日)に第一次の実戦が開始された。日本は本土の国民を温存するために本土決戦を回避して予定通り降伏し、敵の力の及ばないアジア大陸に設立した亡命政権=金日成王朝に本拠地を移して戦争を継続する。第二次の実戦が朝鮮戦争で、大東亜共栄圏は米軍と互角に戦い休戦に持ち込んだ。第三次の実戦がベトナム戦争で、金日成王朝や帝国陸軍残置諜者に支援されたベトナム軍はフランス軍と米軍を打倒し大勝利した。そして、追い込まれた国際金融資本は新自由主義と経済バブルによる生き残りを狙ったが無残な結果に終わり、本丸のFRBが昨日(日本時間の本日早朝)陥落したのである。 今日は大東亜共栄圏の戦勝記念日である。私は今日仕事が終わったら靖国神社に参拝してこの戦いに参加した多くの英霊の魂を弔う予定だ。そして、金策・金国泰などの残置諜者や彼らとともに戦った金日成に敬意を表するために朝鮮総連総本部を訪れたい(無論外から眺めるだけだが)。明治維新後の日本の皇室が表向きは万世一系だが実際には南北朝の二系であるのにならって、北朝鮮の金日成王朝は朝鮮民族の歴史上最高の指導者である金日成と日本人である残置諜者の金策の二人の家系が協力して成立していると考えれば良いのである。そして、静かに勝利を喜ぶとともに、その犠牲となった人々の苦難に思いをはせよう。英霊は日本人と朝鮮人だけでは無い。ベトナム人も中国人もインドネシア人もビルマ人もインド人も我々とともに戦い多くの犠牲を出したことを忘れてはならない。大東亜の外のパレスチナ人も忘れては成らない。大東亜戦争を通じて我々アジア人(南朝鮮人を除く)は一つに団結し、勝利に到達した。岡倉天心が主張した「一つのアジア」は既に実現したのだ。 このブログの読者の皆さんも是非、戦勝記念日の今日、靖国神社や各道府県の護国神社を御参拝下さい。 ■ 大東亜戦争と東京裁判とシリア攻撃 「浮世風呂(2013.9.1)」より (※ 前後略、詳細はブログ記事で) / ◆それは、真珠湾攻撃から始まった 日本軍が突然の奇襲攻撃でハワイのパールハーバーの米・太平洋艦隊と米軍基地に先制攻撃を仕掛けた。この奇襲攻撃に全米国民が怒る。「姑息な日本人!やっつけてしまえ!」これを機にアメリカとの全面決戦に突入した。 しかし、これが本当に日本軍の奇襲だったかというとそうではない。 当時のアメリカ軍は日本軍の暗号をすべて解読しており、アメリカ側は日本軍の攻撃の予定も熟知していた。しかし、日本との戦争をのぞんでいたため、知らないふりをしたのである。 当時の米大統領ルーズベルトは、不景気だったアメリカをニューディール政策で持ち直すことができず、経済不況を打開するには戦争しかないと考えていた。また、戦争に反対だったアメリカ国民を戦争に駆り立てるためには、日本からの先制攻撃がどうしても必要だったのである。 そのため、彼は、日本軍の奇襲計画を傍受した部下から数々の報告を受けてもすべて無視した。また、 ソ連のスパイでもあった近衛首相の側近・尾崎 秀実(ほつみ)からの通報で、12月上旬の開戦を知っていたともいわれる。またハワイに太平洋艦隊を集結させておくことに反対したリチャードソン太平洋艦隊司令長官を更迭、後に事情を知らないキンメル提督を任命するなど、先制攻撃を誘い込むような動きを見せている。 「私は宣戦しない。戦争を作るのだ。」は彼の言葉である。 また、日本側の真珠湾攻撃の首謀者は山本五十六・連合艦隊司令長官であった。彼こそは、日本の軍人というイメージがあるが、実は大の親米派であった。 過去にハーバード大学に留学し、ほか駐米武官などの滞米経験も豊富であり、当時の日米の国力の差が10倍以上あることなど、誰よりもアメリカの国内事情に精通していた人であった。 また軍内で、戦争を可能に見せるため会議に提出するアメリカのデータを過少に書き換えることまでしていたのである。その後、軍上層部全員が反対する中、真珠湾攻撃を立案、決行する。しかも決定打を打たずに退却という不審な行動。その動きは悉くすべてアメリカの利益になるようなものばかりであった。その真意はまったく謎であると言われたが、彼ら海軍は、戦争をしかけた第一の首謀者でありながら、東京裁判では誰一人A級戦犯どころか逮捕もされていない。それはどういう意味なのか。 さらに、GHQが日本に司令部を置いて直ぐに、松下幸之助が呼ばれてフィリップスとの業務提携を申し渡されて、飛躍的な発展を遂げる。それは報奨以外のなにものでもない。 真珠湾攻撃の復讐をされて当然、という論法で、国際社会では、いまだに正当化されている広島・長崎の原爆投下。 当時の日本はすでに惨敗状態で、とても戦えるような状態になかった。1945年3月に和平協定も申入れたが、却下されている。 ここで考えてほしいのは、なぜ日本に原爆の投下が必要だったのか?それも2回も。さらに広島に投下されたものと長崎に投下されたものは異なる2種類の原子爆弾であった。 まず、原子爆弾の開発にはロスチャイルド・ロックフェラー両財閥の大きな力が働いていた。原子爆弾の開発に必要な20兆円にも上るといわれる莫大な資金は両財閥から提供されていた。それはすべて、大戦後に「核の脅威」を用いて世界を支配するために、核がどれほど凄まじい威力をもった兵器かを国際社会に見せつけておく必要があったからである。つまり、広島・長崎は核の威力を世界に知らしめるための人体実験であった。 ■ 太平洋戦争は帝国陸軍vs天皇・海軍の戦争だった! 「nueq lab(2013.8.16)」より (※ 前後大幅に略、詳細はブログ記事で) / 226事件は、公表的には帝国陸軍:皇道派の青年将校たちが「 昭和維新・尊皇討奸 」「 天皇親政 」をスローガンに企てたクーデター未遂とされていますが、これは事実のホンの一部分を取り上げたものにしか過ぎません。 実際には、昭和天皇を捕獲:廃帝にし、一応公表上、昭和天皇の弟とされている秩父宮を新しい天皇に据えるべく起こした帝国陸軍最強の第2師団( 仙台師団 )に依るクーデターで、青年将校たちの決起はその先遣隊だったのです。 先遣隊の暗殺&天皇捕獲に続いて、仙台から上野に秩父宮と共に向かっていた仙台師団は、帝国海軍陸戦隊が戦車隊まで繰り出して青年将校の先遣隊をが完全制圧したため、プランを断念せざるを得なくなってしまいます。 ーーーーーーーーーー ■ <後編> 太平洋戦争は帝国陸軍vs天皇・海軍の戦争だった! 「nueq lab(2013.8.16)」より (※ 前後大幅に略、詳細はブログ記事で) / ・ 山本五十六はミッドウェー攻撃をゴリ押しした。 ・ 出撃の目的は敵機動部隊の殲滅にありながら、 南雲司令官はミッドウェー島攻略を主眼とした。 ・ 当初空母艦載機は艦船攻撃用の魚雷を装着していた。 ・ 偵察機出動30分前、突然ベテラン偵察員がはずされ、 初出動の新米偵察員に交代させられる。 ・ 偵察機があろうことか、雲の上を飛んだ。 雲の上から偵察など出きっこない! ( 日本はレーダーを持ってない ) ・ 敵空母艦隊がいないので魚雷を地上攻撃用の爆弾に装着換え。 ・ 偵察機は帰りに雲の下を飛んでやっと敵空母艦隊を発見。 ・ 敵空母艦隊近接情報で爆弾を魚雷に再度装着換え。 ・ 装着換え中に敵航空部隊が襲来し、空母4隻他機動部隊壊滅。 ・ ベテランパイロットほぼ全滅。 ・ 山本五十六はミッドウェー攻撃直前、呉で愛人と同宿。 まるで311当日の盗電:清水社長の赤坂:韓国キャバレーみたいだ。 そして1943年4月18日、山本五十六はラバウル近傍で米軍機の攻撃で墜落。 死亡と伝えられていますが、果たして、、、、、、 ノリエガ、フセイン、ビン・ラディンなどの例もあるように 本人の希望通り戦後は南洋の島かハワイで優雅な一生を送ったとも考えられます。 ■ 本は何故勝ち目のない大東亜戦争に参戦したのか? 「国際情勢の分析と予測(2013.8.15)」より / 本日早朝、私は仕事前に靖国神社に参拝してきた。政治団体の看板やポスター、右翼団体と思われる人々に混じって、出勤途中と思われる多くの人々が参拝していた。マスコミ記者も多く見られた。私もインタビューを受けたが時間の無駄なので拒否した。中国語で実況中継するテレビ局やフランスのAFP通信のテレビカメラもあった。今後犯罪国家として糾弾されることになるであろう米英のマスコミは会社名を隠していたのではないかと想像する。 さて、本題に入ろう。日本が何故勝ち目のない大東亜戦争に参戦したのかという謎について私は何度か記事を書いてきた。山本五十六が開戦前に「半年ぐらいは暴れて見せます」と言ったとおり、日本の敗北は戦争前から自明であった。上記の「大東亜戦争と関ヶ原の戦い」『「日本を戦争ができない親英米国家にするために太平洋戦争で日本はわざと負けた」論についての一考察』がその例である。今日もその事について書こうと思う。 (※ 以下詳細記事はブログで) ■ 「バンザイ・クリフ」の真相 「心に青雲(2013.5.28)」より / この本の紹介が「徒然なるままにエッSAY!」2005年6月11日付にあった。(「サイパン島バンザイ・クリフの悲劇は米軍の強姦と虐殺が誘発した」) http //blog.livedoor.jp/wildhorse38/archives/24845255.html 田中徳祐氏の手記によれば、米軍はしきりにジャングル内に残っている日本兵や住民に、日本の童謡のレコードを流しながら「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください」などと投降をよびかけた。 投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開した。 バナデルの飛行場へ追いつめられた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となったのを田中中尉らは離れた山中から見ていた。 「婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から『殺して!』『殺して!』と絶叫している。 その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。 やがて、次のトラックも、次のトラックも走り出した。絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかつていった。……なんたることをするのだ! (中略) 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴かあがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴・・・。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。 あの投降勧告はー体なんだったのか。常夏の大空をこがさんばかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。」 ほかにも、米軍が毒ガス兵器を使用したことや、部隊と行動を供にしていた日本人が米軍に内通して日本軍の位置を知らせていたと書かれているそうだ。 当時は日本人だったが、サイパンには軍の飛行場建設などのために朝鮮人が多くいた。敵に内通したのはこういう連中ではなかったか。 ■ ドイツ人学者「中国人・朝鮮人・ベトナム人を大量虐殺した日帝を絶対許さない」 「Birth of Blues(2013.5.11)」より / 「独立を願う朝鮮人を大量虐殺した日帝と朝鮮光復軍は果てしない死闘を繰り広げた」というのは歴史の定説になったみたいですね。 日帝によるベトナム人200万人餓死事件の顛末はスレ最下段で収録しています。 / (※ 前略) 1994年11月5日付け毎日新聞(下写真、一部カット)は、「ハノイ4日共同」として、「 <旧日本軍の蛮行」非難 「200万人餓死事件」ベトナムが特別報告書>の見出しを掲げて、以下のように報じた。 ベトナム労働・傷痍軍人・社会事業省が、『ベトナムにおける日本ファシストの犯罪』と題した208ページの特別報告書をまとめ、このなかで「日本軍の犯した4つの大罪」として、 1)独立戦争の妨害 2)経済破壊 3)大量の人民殺害 等を指摘して、ベトナム北部で、「200万人以上が餓死した」としている。 <共同通信と地方紙> 毎日記事から一部を引用。 〈共同通信が入手した報告書は、同省が1986~87年にフランス統治下の公文書、新聞記事などを基にまとめたもので、 旧日本軍の食料、資産調達を詳細に再現するとともに 「日本軍は指示に従わない住民を野蛮な拷問にかけた」 として、その非人道的行為を糾弾している。この種の資料が明らかになったのは初めて。 共同通信社は、旧日本軍の悪行となると熱心に配信する、しかし、日本側のウラ付け調査をしないなど、朝日新聞社などと同体質といってよい。 共同通信なしには地方紙は成立しえないので、それだけ共同通信の影響力が大きいことになる。 河北新報は、翌年(1995年)の8月27日付でも、「主因は旧日本軍の食料調達」「初の日越学術調査 」の3段見出しをつけて以下のように報じた。勿論、共同通信の配信記事だ。 (※ 中略) 3 「政治宣伝」 ところが、その後、「決定的ともいえる報道」があった。 ■産経新聞の報道より 高山 正之 ・帝京大学教授は産経新聞編集委員時代、土曜ごとに書いていた「異見自在」のなかで、この問題に終止符を打つ事実を報じました。1999年7月17日付の「学識経験者って何者だろう」という見出しのものです。 ハノイの中心街にある元フランス植民地の徴税局が、いまは革命博物館に装いを変え、フランス植民地時代のギロチンや拷問道具、ベトナム戦争時代のボール爆弾など100年におよぶ戦いの記録が展示されていたといいます。 館内の「日本軍との戦い」という部屋をのぞいてみると、 「 日本軍のためハノイでは200万人が餓死したり殺されたりした 」との説明書きがあり、山積みされたガイコツの写真が掲げられていたと書きます。でも、素朴な疑問があると高山はいいます。 〈日本軍がベトナムを支配したのは昭和20年3月、クーデターを起こして仏植民地軍を追っ払ってから終戦までの5ヵ月間。どうやれば、そんな短期間に200万人を餓死させられたのか〉と。 この餓死の問題について、高山記者を案内したハノイ人民幹部は、「政治宣伝だった」とアッサリ認めた。 ■ 「日本は負けていない」~超経験者しか知らない史実~ 「アパグループ 第4回「真の近現代史観」懸賞論文受賞者発表:優秀賞作品(社会人部門)」より 原爆研究については陸軍が東京帝大の仁科博士と理研に開発を依頼した「二号研究」(海軍は京都帝大と「F研究」)として行い濃縮ウランは海軍が潜水艦でドイツから運ぶ手配がされ、出来た原爆の第一弾をハワイに落とす作戦を杉山参謀総長は陛下に上奏したが、陛下は「原爆という非道なものは使うべきでない。特にハワイには日本人が多いので却下する。」となり杉山参謀総長は解任され、東條首相が参謀総長を兼務することになった経過がある。 (※ 中略) 本土決戦では日本は必ず勝つとすべての陸海軍参謀は確信していた。一方、アメリカ軍上陸攻撃隊司令官は戦後日本軍の陣立てを見て驚嘆し「米軍は上陸に三回失敗しただろう。上陸に三回失敗すれば米軍の戦力はほとんど消耗し、戦争はベトナム戦と同様な状態となり、アメリカ国内で戦争反対の世論が起こりベトナム戦で米軍が負けたと同じく米軍は日本から敗退せざるを得ない。もはや戦えないので日本に和睦(降伏)を申し出るしかなかったであろう」と述べている。 (※ 中略) しかしポツダム宣言に対して日本政府は「これは敵から申し出た和睦の条約」とまじめに甘く考えていてこれに乗ってしまったのである。アメリカの新聞は大喜びで「日本は無条件降伏」と事実とちがう報道を行った。アメリカの提示したポツダム宣言自体、八つの条件付であり、これに加えて日本政府は「国体護持」という条件付きで受諾したので、計九つの条件付和睦で「無条件降伏」は事実に反するのである。又、ポツダム宣言にも日本の国としての無条件降伏とは一字も書いていない。戦後の日本人が洗脳されて「敗戦」だとか「日本が無条件降伏した」と思っているのはまことに嘆かわしい。 (※ 中略) 昭和一桁初期以降に生まれた若い人は右に述べた本当の歴史を知らない。だから日本政府の正式名称であり理論的に正しい「大東亜戦争」(太平洋だけでなく、ビルマ・インド等も含めた戦争)を米軍の言う「太平洋戦争」に言い換えたり、日本政府の正式名称「支那事変」を「日中戦争」と言い換えたり、国際間の正式国名の「チャイナ」又は「シナ」と言わず相手におもねって、又はお世辞で「中国(世界の中心の国)」と言っている。「支那事変」は日本政府が正式に国家間での戦争と認めていないのだから、日本政府は「事変」と言っているのであり、この事実に反しているのを知らないで「戦争」というのは理論的にも誤っている。又、「わが国」と言わず、他人の国のように「この国」と言っている人も洗脳されている人である。 (※ 中略) 先般あるテレビ番組で「中国戦線で敗走する日本兵」というコメントと映像が出た。私の記憶では支那事変で日本が負けた戦線は知らない。 そこでその担当者を呼び「どこの戦線で日本が負けたのか」と質問したが返事がなくごまかすので再度追求すると、結局「根拠がありませんでした」と白状し「おわび」が回答だった。国の権威に関わる事実無根な「日本軍の敗走」を国民に誤報して、これを放送で訂正せず口頭の回答で「おわび」でお終いにしている無責任さ。歴史を知らないのである。元大蔵大臣の塩じいこと塩川さんも支那大陸に従軍し「支那戦線で武器を持っていなくても日本軍の軍服を着ているだけで支那兵は逃げた」と体験談を話している。 (※ 中略) 繰り返すが今迄「敗戦した」と殆どの人が思っている事は間違いであり、史実は「日本は負けていなかったのだ」という事を再認識し、これからの各人の行動を百八十度転換する事が日本再生の第一歩であることを確信し、日本が立ち直る起爆剤にするために本論文を発表したのである。 ※ 上記記事は、ブログ二階堂ドットコムより知る。 ※ 【南京大虐殺論争】 ■ 南京大虐殺は、米中共同による日本弱体化政策の為のでっち上げだった!】 「wantonのブログ(2012.2.27)」より ・達人様~推奨する参考記事 (※mono注: ぜひブログ記事を直接お読みください。) 「なぜ日本は戦わねばならなったのか」 ・。「坂の上の雲」ストーリーは格好いいですがちゃんと日露戦争にはシナリオライターがいてそれを舞台で演じる役者がいたわけで司馬遼太郎の全く知らない世界が本当はあったのです。英国のシナリオライターですからね,サラ・ブライトンの歌を最初にもってきたのなんてさすがNHKでしょうか。歌唱力で圧倒する「森麻季」さんを1部から3部まで........とはいかなかったですね。 ----------------- 「国家が行うべき歴史認識」 ・戦後占領政策でGHQは、この教えに従い忠実にそれを実行したのである。検閲で日本の歴史を消去し、WGIPで 新しい歴史を創造した。 例えば、「太平洋戦争」という言葉は、元々なかった。元々は 「大東亜戦争」と呼んでいた。GHQの占領政策によって 「大東亜戦争」は検閲により消去されWGIPによって「太平洋戦争」に塗り替えられた。 ----------------- 「WGIP」 ・こうした原爆問題と東條証言による連合国・米政府への批判の高揚に対抗して、戦争犯罪宣伝計画の第3段階が展開されたのである。 その内容は、それまでの段階以上に、繰り返して日本人に「日本が無法な侵略を行った歴史、特に極東において日本軍が行った残虐行為について自覚」させようとし、特に「広島と長崎に対する原爆投下の非難に対抗すべく、密度の高いキャンペーン」を行おうとしたものである。 日本の「侵略」や「残虐行為」は、原爆投下の免罪のために強調されたのだ。そして、日本は犯罪国家だから原爆を投下したのは当然だ、悪いのは日本の軍部指導者である、という意識が徹底的に植え付けられました。特に、東條証言で陳述された日本側の言い分を一切認めず、日本国民が連合国批判に向かわないように、宣伝したのである。 .
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大東亜戦争 概略 前史 20世紀前半、東アジアでは清朝が崩壊、各軍閥が割拠し、それに乗じて欧米諸列強も各自に勢力線を設定しその圏内を租借権等を行使して半植民地化、大陸は四分五裂の様相を見せていた。こうした中、日清・日露の両戦争に勝利した日本は、「先物買い」の視点から、大陸を俯瞰、孫文ら革命政府の大規模支援を始める。これには、日本政府にも思惑があった。 要するに、日本の国力では、中国全土の制圧や所有は不可能である、欧米の植民地や息のかかった政権が出現するのは避けられない、それは日本にとって経済的にも軍事的にも脅威である、ならば日本資本の中華統一政権が大陸に成立して長期間、同盟国でいてくれた方が有益である、というわけである。 結果として、日本は都度都度高額借款を孫文らに付与、黄埔軍官学校も日本陸軍の指導で建設され、中国軍の近代化と精鋭化が始まった。 また、その対価として、日本は満洲に駐屯、緩衝国の暫定的な設置を認められる。旧名満洲国である。 満洲に展開する日本陸軍と航空隊の援助の下、孫文、彼の意志を継いだ蒋介石の中華民国は、各地の軍閥を攻撃、1936年までに、新疆や西北三馬を含めた諸軍閥を征服、37年には完全自立の兆候を見せていたチベットも攻撃、これを併呑、ここに中国を統べる漢民族主体の政権が再び誕生した。 大東亜戦争 前夜 しかし、日中にとって、東南アジア・インド・中東・・・・見渡す限り周囲の殆ど全てのアジア地域が欧米の勢力下にある現状は脅威であった。 第一に資源の自給が困難である。他の面での諸貿易でもあまりにも不利である。軍事面では言うまでもない。 当時、石油は満洲で採掘が始まってはいたものの、深層油田であったことから産出量はまだ少なく、日中首脳は、周辺アジア植民地の解放による事態打開の道を模索し始めた。 そんな中、ドイツ帝国のヒトラーは、ベルサイユ体制打破のスローガンの下、ポーランドに侵攻、英仏は対独宣戦布告、ここに第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。 折から、軍事的な具体的行動も視野に入れつつ欧州列強のアジア植民地への干渉を企図していた日中にとって、ヨーロッパでの戦争は渡りに船であった。 両国は、泰、隣国アフガニスタン、さらには反欧的なレザー・シャー治めるペルシアとも提携し、ユーラシアを横切る広域な軍事同盟を結成、軍の拡張や船舶の量産など、戦争の開始に備えた。 また、英軍の東洋への分散を願うドイツと、東南アジア進出を目論む日本と思惑は一致、日本はビシー政府の認可の下、一時的なインドシナへの進駐を認められる。 しかし、こうした露骨なアジア人勢力の列強植民地への浸透は、欧米列強を著しく刺激した。 1941年、米国政府は、ついに日本と中国による東南アジアやインドへの独立勢力扇動や武器密輸出、ならびにインドシナ進駐を問題視、日中に対し、行為の停止ない場合の資源輸出の全面停止を発表、これを受けて戦争を企図していた日中両国は、米英蘭豪両国に対してアジア解放を目的に宣戦を布告、1941年8月15日、ここに大東亜戦争の火蓋が切って落とされた。 大東亜戦争 勃発 数日のうちに、両国と同盟関係にあった泰、アフガニスタン、ペルシア政府、ならびに日本の傀儡政権であった満洲国政府も四国に宣戦布告、既に各方面国境に集結していた日中連合軍は大挙してビルマ、ブータン、マレー各地の陸路から進撃を開始、また太平洋では日本軍がフィリピン、ならびにグアム島を攻撃、戦争は瞬時にアジア・オセアニア全域に拡大した。 また、対日戦勃発で既に戦争状態に置かれた米国はUボートによる商船沈没を理由に9月にはドイツ、イタリアら枢軸同盟にも宣戦を布告、ここに戦争は大筋において、アジア諸連合と枢軸同盟に対して、欧米連合国諸国とソビエト社会主義連邦が全世界において互いに提携しつつ相見えるという二極化の様相を見せた。 既に戦時体制にあり、動員令がかかっている以上、軍の派遣先が数国増えようと、国民の感情は変わるまい、そうした見地からの対独宣戦であった。 ただし、この戦争、日中と枢軸同盟の間には、戦争目的の不一致的な理由により協調関係はあったものの、公式な同盟関係は存在せず、またソビエトと日中の間には不戦条約が結ばれるという、大規模ではありつつも、複雑で歪な性質を持っていた。 大東亜戦争 前半 英国首相チャーチルは、米国の参戦に狂気したが、喜びもつかの間、10月には米艦隊の全空母を含めた主力艦の過半、補助艦艇の3分の1がマリアナ沖にて、待ちうける日本主力艦隊と空軍の前に沈没、開戦早々にして制海権は日中側の手に完全に移ってしまった。軍縮条約失効後、アジア勢力の拡張を警戒した米国は、グアム島に要塞を建設、一個師団が駐屯しており、その救援も兼ねての艦隊来援であった。 米海軍の再建にはおそらく膨大な時間がかかるだろう。なぜなら、連合国の大規模な生産力を活かせば、艦隊の物としての復活は可能だが、しかし艦艇と共に沈んだ船員の訓練となれば問題は別である。 古参の海軍士官や水兵の厚い層がなければ、教官の選任も不十分だ。ましてや、大型艦の大半を失ってしまった現状では・・・ そんなわけで、少なくともある程度の期間の米軍の太平洋での攻勢は不可能とみた日中両軍は、太平洋では、蘭印、ニューギニア、フィリピン方面に、陸路からはビルマ、ブータンに侵攻を開始、1942年の序盤にはニューギニア東部・南部を除いてその全域をほぼ制圧し、現地人主体の政権を発足させた。 また、1月には、海陸両路からインドへ侵攻、かねてから戦闘状態にあったインド国内のゲリラ勢力も大規模に蜂起、5月には英軍と米国の応援軍はボンベイに包囲され降伏、30年代前半に日本に亡命していたスバス・チャンドラボース率いるインド政府が発足し、英国からの完全独立を宣言、以後前線は中東に移ることになる。 大東亜戦争 中盤 開戦と同時にアジア戦線の東部では日中による攻勢が続いたが、西部では事情が違った。 ペルシア軍は防衛線を固めたが、士気、装備、訓練、数、いずれにも勝る英軍・イラク軍連合軍は難なく戦線を突破、北部からアフガニスタン軍が来援したものの、42年序盤には戦線はテヘラン近郊まで後退、インド国境でも、当初ペルシア軍は英印軍に対して攻勢にあったが、41年の暮には敗走、半年のうちのペルシアは全面降伏の危機に見舞われた。 しかし、上述したように、ボンベイで英軍が降伏、インド戦役が終了すると、優勢な日本海軍の支援の下、海路より日中両国の陸空軍が来援、戦局は逆転する。 8月にはペルシアは全土を回復、イラクへの反攻が始まる。 大東亜戦争 後半 北アフリカでもロンメル軍団を前に敗走中の英軍は十分な援軍を送るゆとりもなく、イラクでは戦線が崩壊、10月には全土がアジア同盟軍の手に帰してしまう。 イラクでの英軍の敗走を受け、サウド家治めるサウジアラビアは、日中側について連合国諸国に戦線を布告、これには同盟国側につかなければ、中東に展開中に同盟軍に全土を占領されかねない、という受動的な理由もあった。 また、イラク侵攻と同期して、インドの日中両軍は、海路よりオマーン、イエメンなどサウジアラビアを除く、アラビアの君主国諸国に上陸、1942年11月には、中東全域を制圧、前線はパレスチナなど近東・地中海方面、及びアフリカ方面に移行しようとしていた。 大東亜戦争 講和 しかし、日本・中国を主力とするアジア側諸国はパレスチナ侵攻を前に進撃を中止、これには幾つも理由があった。 第一に、スエズ運河やキリスト教の聖地であるエルサレムを、アジア勢が奪ってしまえば、欧米連合国ばかりでなく、人種蔑視的傾向の強い枢軸側諸国も警戒し、アジア側を以後敵視するようになるのではないか、ということ。 第二に、英国占領下のソマリランドは、大半部は元来イタリア領である。 もし、日中両軍が戦線前進の原則に基づいて上陸した場合、占領後の処遇を巡って、問題が起こる。 イタリアに返還するのか、しかしそれは植民地解放を旨とする開戦のスローガンに矛盾する、では、解放を宣言し、現地政権を立てるべきか、でもそうなるとドイツやイタリアは一層、アジア勢を警戒するだろう、場合によってはそれを理由に、連合国や共産主義諸国と段階的に講和、かつてソ連にしたように、ある日突然、アジア諸国に戦線を布告する危険性もある。 そうなれば、両面に敵を抱えたアジア勢力に勝ち目はない、そのような政治的打算からの進撃中止であった。 しかし、純軍事的に考えると、近東やアフリカの放置は危険であった。 生産力に勝る連合国は、日中が進撃を停止すれば、その輸送力を活かしてなんとか北アフリカを保守、かつパレスチナとソマリアは要塞化されるだろう。 イラクや紅海を挟んでの大規模な消耗戦が発生すれば、生産力でも海上輸送力でも不利な日中両軍にとって、戦線の崩壊は時間の問題である。 そうなれば、段階的に撤退の流れは止まらず、結局はこの戦争に両国含めアジア諸国は敗北するのではないか。 そのような見地から、膨大な戦費の負担も嵩んだ日中両国にとって、そろそろ連合国との休戦を必要とする理由があった。 一方、連合国にとっても、予期せぬ敗北に継ぐ敗北と、アジア人によるアジア全域の解放は脅威であった。 この先、近東、東アフリカがなし崩し的にアジア勢の勢力下に入れば、そしてアジア勢によって独立政権が樹立されれば、かつ枢軸側もその攻勢に加担すれば、連合国は地球上の殆ど全植民地を失うのではないか。それはアングロサクソン文明の凋落を意味する、第一、そうなれば英国はドイツからの自衛は困難である、あしか作戦によって全土を制圧されるか、降伏するかは、時間の問題であろう。 双方の思惑と利害の一致の結果、1942年12月8日、両国はアンマンで休戦条約を締結、ここに大東亜戦争は終了したのであった。
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大東亜戦争 1.世紀の迷惑メール 2.強制連行の謎
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大東亜戦争軍票(だいとうあせんそうぐんぴょう)とは、日本が第二次世界大戦中に東南アジアを占領した大東亜戦争(太平洋戦争)に於て、これらの占領地で日本軍が発行した軍用手票(以下:軍票)の総称である。 1941年以後にアジア太平洋地域の各地で発行され、各占領地域で従来発行されていた通貨単位を踏襲したため、各占領地の軍票の通貨単位も異なっていた。戦争末期になると各地の日本占領軍が軍票の濫発を行ったため猛烈なインフレーションに陥り、経済的混乱を招き価値が事実上「紙切れ」にまで暴落した地域が多かった。そのため多くのシリーズがあり、種類も多い。 概略 日本軍は各地を占領した際に軍票を発行したが、この軍票発行には大蔵大臣や日本銀行の許可は要らず、軍が勝手に印刷して流通させることが出来た。また軍票は本来は領収書であり、最終的には正貨と交換しなければならなかったが、それまでは軍が必要に応じて発行することが容認されていた。そのため前述のように濫発された結果、インフレーションを招きこれらの地域経済に大きな打撃を与える事になった。そのため日本に対する反日感情の原因のひとつとなっている。 各占領地域の軍票 は号券 蘭領インドシナで発行。単位はグルテン。後に日本が設立した現地金融機関「南方開発金庫」発行の軍票に移行した際にルピアに通貨単位が変更された。 に号券 英領マラヤで発行。単位は海峡ドル ほ号券 米領フィリピンで発行。単位はペソ。フィリピンでは軍票の濫発が激しかったため、猛烈なインフレーションに陥った。また現存するものの中には日本に補償を求めるスタンプを押したものが存在する。これは軍票所持者から信託を受けた団体が受領書を交付し、団体ではスタンプを押して管理していた名残である。 へ号券 英領ビルマで発行。単位はルピー と号券 英領太平洋地域で発行。単位はポンド。ガダルカナル島など太平洋島嶼部の占領地で使用されたが、現地では貨幣経済を必要としない部族社会であったため、実際に殆ど使用されなかったといわれている。 関連項目 南方占領地切手 外部リンク 日本銀行 文書タイプ 各種解説 銀行券等に関する解説 お金の話あれこれ 「軍票」とは・・・(PDF) 日本銀行(英文) World War II Military Currency - 軍票の画像集へのリンク有 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月24日 (水) 07 12。
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現在でも様々な問題の元となっている大東亜戦争(太平洋戦争)。なぜこの戦争が起きたのでしょうか。 戦争が起こるまでの流れ、戦争の意義、現代までの影響を見て行きましょう。 ◇目次 ■1.誇り~伝えよう日本のあゆみ~◆反日史観、自虐史観を排した歴史年表 ◆解説:ペリー来航(開国 1853-53)から大東亜戦争(1941-45)までの日本の歩み ■2.「大東亜戦争」とは何か:戦争名称・戦争目的◆瀬島龍三氏(元大本営参謀・シベリア抑留後、帰国し伊藤忠商事会長・中曽根内閣でJR/JT/NTT民営化発足に貢献) ◆「まず何より日本の歴史を勉強しなくては」 … 戦前~戦後の真実を知る世代の話を聞こう ■3.GHQの洗脳工作:日本人への罪悪感の植え付け◆GHQの洗脳工作:W.G.I.P.(War Guilt Information Program)(2ch東亜板より) ■4.『終戦の詔書』の意味 (戦後の復興に尽くした人々の心を学ぶ)◆『終戦の詔書』(玉音放送)、高森氏の解説付き動画 ・・・ 終戦当時の日本人の意識では、大東亜戦争は決して侵略戦争ではなかった ■1.誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 日本JC(青年会議所)制作。以前「たかじんのそこまで言って委員会」で取り上げられたアニメです。 日本が、大東亜戦争に至った経緯、戦後の日本がどのような影響を受けているのか、をとても分かりやすく解説しています。 ◇誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 1/3開国~欧米の植民地政策~ロシアの脅威~朝鮮の近代化を望む~清国の反対~日清戦争~三国干渉~日露戦争~日韓併合~台湾・朝鮮・南満州の近代化【関連】明治開化期の日本と朝鮮韓国はなぜ反日か?辛亥革命~中国近代化運動の実際 ◇誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 2/3ソ連(旧ロシア)の謀略~中国大陸で泥沼の戦に~世界恐慌で欧米列強がブロック経済化~アメリカで高まる日本脅威論~経済封鎖(ABCD包囲網)~ハルノート~大東亜戦争開戦~神風特攻隊~原爆~敗戦~靖国神社~GHQのウォー・ギルト・インフォメーションプログラム~東京裁判~パール判事~【関連】中国はなぜ反日か?右翼・左翼の歴史GHQの占領政策と影響東京裁判の正体靖國神社参拝問題 ◇誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 3/3日本の戦いの根底にあった気持ち~戦後の教育~マッカーサーの発言~戦争は自衛のため~正しい歴史を学ぶことの大切さ~これからの日本のあり方~第二次世界大戦後の戦争~日本人だから出来ること【関連】自虐史観の正体歴史問題の基礎知識村山談話の正体 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1833663 大東亜戦争 名言集(コメントを消して動画を見る場合は、右隅のマークをクリック)■解説■大東亜戦争。中国・韓国・北朝鮮以外の国はしっかりと日本の功績を評価しています。【関連】世界から見た日本■重要な補足説明■「大東亜戦争は侵略戦争ではないのは分かった。だが、日本は中国は間違いなく侵略した」という方は ⇒ 是非次のページを参照して下さい。辛亥革命~中国近代化運動の実際 ◆反日史観、自虐史観を排した歴史年表 ◆解説:ペリー来航(開国 1853-53)から大東亜戦争(1941-45)までの日本の歩み 出来事 該当ページ (1) 開国・明治維新 日本は、ペリー来航(1853-54)で開国し、欧米列強に不平等条約締結を強要される。日本は欧米列強の覇権に対抗する為、明治維新(1867-68)を起こし、殖産興業・富国強兵に努める。 (2) 日清戦争 日本は欧米列強、特に東アジアの植民地化を狙うロシアの脅威に対抗するため、隣国朝鮮が共に近代化することを願ったが、朝鮮を長年属国としてきた清国がこれに反対したため、日清戦争(1894-95)が起こる。 (3) 下関条約 日本は日清戦争に勝ち、下関条約を結んで朝鮮を独立させ、また台湾と遼東半島を清国から獲得する。清国から独立した朝鮮は、初めて日本や清国と対等の皇帝号を名乗る=大韓帝国(1897-1910) 明治開化期の日本と朝鮮 (4) 三国干渉 ところが、南下の機会を伺っていたロシアがドイツ・フランスと共に日本に迫り、遼東半島を清国に返還させる(三国干渉) (5) 北清事変 北清事変(義和団の乱)(1900)を機にロシアは、モンゴル・満州を軍事占領し、更に朝鮮半島をも勢力下に置こうと狙う。 (6) 日露戦争 朝鮮半島がロシアの植民地になることを危惧する日本と、同じくロシアの南下政策阻止を図るイギリスが利害一致し日英同盟成立(1902)。イギリスの後援を得た日本が単独でロシアに開戦(日露戦争)(1904-05)し勝利、ロシアの南下を阻止するとともに満州南部の権益を獲得する。 (7) 韓国併合 一方、日本の尽力で清国から独立した朝鮮は国家経営に失敗し経済破綻しており、日露戦争に勝利した日本に併合を求める動きが盛んになっていた。そして種々の経緯があって韓国併合が成立(1910)。 韓国はなぜ反日か? (8) 辛亥革命 中国大陸では、辛亥革命(1911-12年)で清朝皇帝が退位、中華民国が成立するが、実質的に旧清朝の領域は各地で軍閥/革命勢力/独立派諸民族(チベット・外モンゴル・東トルキスタン等)が割拠する分裂・内乱状態に陥っていた。 辛亥革命~中国近代化運動の実際 (9) ソ連成立 第一次世界大戦の混乱の中、ロシア革命でソ連成立(1917)。ソ連は共産主義の世界拡大のためにコミンテルン(国際共産党組織)を結成。その指導下に、中国に中国共産党、日本に日本共産党が結党される。英・仏・米・日は、共産主義防止のため対ソ干渉戦争を起こす(1918-21)。日本のシベリア出兵もその一環だったが、ロシア民衆の支持を得られず各国は撤兵した。その後、日本はソ連と国交を樹立するが、同時に国内への共産主義の浸透を防ぐため、治安維持法を制定する(1925)。同時期に普通選挙法も制定され、当時の日本は欧米と遜色ない民主主義国家となっていた。(人種差別がなかった分、欧米より進んでいたともいえる) (10) 世界恐慌 1929年秋のニューヨーク株式市場大暴落を契機に、1930年代初めに世界恐慌始まる。植民地や勢力圏を多く持つイギリス・アメリカは「ブロック化」で自国経済の保護を図る一方、そうでないドイツ・イタリアは、全体主義化(国家社会主義の台頭)で危機乗り切りを図る。この両者の中間である日本・フランスは、対外政策・内政とも定まらず著しく混乱する。フランスは社会主義者が台頭し左傾化して"人民戦線内閣"成立。日本は軍部が台頭し右傾化して"翼賛体制"が出現。なおイギリスも世界恐慌~第二次大戦を乗り切る為、実質的に全党参加の"挙国内閣"を、首相を替えつつ1931-1945年まで15年も継続。アメリカも世界恐慌乗り切りの為登場したF.ルーズベルト政権を、4期(病死のため実質3期)12年も継続していた。すなわち、世界恐慌~第二次大戦当時の世界各国は、危機克服の為、多かれ少なかれ全体主義的な政治体制を取らざるを得なかった、といえる。 右翼・左翼の歴史 (11) 張作霖爆殺 このころ、東アジアの共産化を狙うコミンテルン(ソ連に指導された国際共産党組織)は、中国共産党と中国国民党を巧みに操り、満州から日本の勢力を追い払おうと画策。日本軍と強い協力関係を結んでいた満州軍閥の長、張作霖の爆破事件(1928)は、戦後の日本では関東軍の犯行と一方的に断言され続けてきたが、近年ロシアで、爆破を計画・実行したのはコミンテルン工作員であるとする旧ソ連時代の機密文書が公表され、これまでの通説(関東軍の犯行説)は早急に見直す必要が生じている。 中国はなぜ反日か? (12) 満州事変 張作霖の後継者張学良は国民党側に寝返って南満州の日本の権益を侵し始めたため、再度の謀略をおそれた関東軍が、先手を打って張学良を満州から追放。満州全土を占領し、元清朝皇帝溥儀と結んで満州国を建国する。(満州事変)(1931-33) (13) 西安事件 満州を追われた張学良は、共産党討伐のため西安に来ていた蒋介石を拘束し、蒋介石に共産党討伐を止め、これと協力して日本と戦うことを約束させる(西安事件)(1936) (14) 支那事変 中国の盧溝橋で演習中の日本軍にむかって共産党が銃を発砲。日本軍と国民党軍の軍事衝突に発展(盧溝橋事件)(1936)更に盧溝橋事件の3週間後に「通州事件」(支那民兵による日本人居留民の大虐殺事件)が発生し日本の国内世論が激昂。そして更にその2週間後に「第二次上海事変」(支那正規軍の上海租界への一方的攻撃で明白な国際法違反)がおき、日本は中国への本格的軍事侵攻に入らざるを得なくなる(支那事変)(1936-1941) 中国はなぜ反日か? (15) 東亜新秩序 近衛文麿首相は、この支那事変の目的を「東亜永遠の安定の実現」に置き、「東亜新秩序」を掲げる。しかし近衛首相のブレーンとして、尾崎秀実(ゾルゲ事件で処刑)・西園寺公一(戦後に共産主義中国に帰化)らコミンテルン工作員と見られる人物が暗躍しており、支那事変の終結を阻止すると共に、日米離間を画策していた。 尾崎秀実獄中手記右翼・左翼の歴史 (16) 日米離間工作 また同時期に、米国のF.D.ルーズレルト政権にもコミンテルン工作員が多数浸透しており、日米離間工作に暗躍していたことが近年判明している。(米国の共産主義者は、1950年代のマッカーシーの赤狩りまで暗躍を続ける。※近年アメリカで公開された旧ソ連の暗号解読資料「ヴェノナ文書」に以上の工作が明記されているが、なぜか日本の殆どのマスコミは無視している。 ヴェノナ文書 (17) 大東亜戦争 日本は援蒋ルートを絶つためフランスビシー政権と交渉して北部仏印に進駐。これに対して米英中蘭は「ABCD包囲網」構築(日本を経済封鎖)→「ハル・ノート」(日本に事実上の最後通牒)→日米開戦→日本敗戦→中国全土の共産化。この謀略工作で、日米は衝突し多大な犠牲者を出した。 自虐史観の正体 結論 大東亜戦争は、日本にとって自存自衛のための戦争だった 補足:連合国軍最高司令官D・マッカーサー自身が米国上院で、大東亜戦争を「日本の自衛戦争」だったと証言 (参考リンク・112.「大東亜戦争」は日本の自衛戦争 ── マッカーサーの爆弾発言) ■2.「大東亜戦争」とは何か:戦争名称・戦争目的 ◆瀬島龍三氏(元大本営参謀・シベリア抑留後、帰国し伊藤忠商事会長・中曽根内閣でJR/JT/NTT民営化発足に貢献) ◇戦争名称1. 大東亜戦争(戦争当時、日本政府が正式に付けた名称)2. 太平洋戦争(東京裁判を行ったGHQが付けた名称)3. アジア植民地解放戦争(とも言う)◇戦争目的1. 侵略戦争ではない(事前に日本が計画した戦争ではない)2. 日本にとって自存自衛のための戦争だった(経済封鎖で追い詰められて「窮鼠猫を噛む」) ◆「まず何より日本の歴史を勉強しなくては」 … 戦前~戦後の真実を知る世代の話を聞こう ◇日経新聞:春秋(2007年9月5日) 【瀬島龍三氏を悼んで】 ▼多くを語らない人だった。だが、その読みにくい表情から多くを知っていることが伝わってきた。会話の狭間に目線が合うたびに奇妙な敗北感が背中を走った感触を覚えている。駆け出し記者のころ瀬島龍三氏を取材した思い出である。▼大本営、そして関東軍の参謀として旧陸軍の組織や作戦を作った経験が繊維専門だった伊藤忠を総合商社に育て上げた。謎に包まれたシベリア抑留から帰国後、46歳で入社。営業現場には一度も出ず、常に舞台裏の参謀であり続けた。航空機商戦や石油利権をめぐる“戦果”の真相は今も産業史の闇の中にある。▼世界を駆け回る商社員は格好いいが、その本分とは何か。気楽な質問に一瞬、言葉を強めたことがある。「単なるコスモポリタンでは駄目だ。まず何より日本の歴史を勉強しなくては」。円高で日本企業が海外進出や外資との提携を急いだ時期だった。にわかに「国際派」を気取る戦後世代への戒めもあったろう。▼瀬島氏が嫌った「コスモポリタン」には、国境や国籍にとらわれない自由人の語感がある。日本が世界経済の大海に漕(こ)ぎ出す先兵が総合商社だった。その舳先(へさき)に立った旧陸軍参謀の心は、潮流とは逆に国境と国籍にこだわり続けていたに違いない。軍から経済界へ。95年間にわたる戦いの物語が幕を下ろした。 ◇中西輝政『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』 「戦争の真実」を知る世代は、敗戦時、三〇歳以上だった世代ということになるでしょう。彼らは、落ち着いていた頃の日本を知っているだけに、日本があの戦争にどんどん呑み込まれていった構図を肌身で知っていました。だから、その年代の日本人は、占領下にあって、占領軍が強制した「歴史教育」、つまり昭和二〇年代前半の時期にNHKラジオなどが大々的に「歴史洗脳」を行っていたのですが、例えば”真実はかうだ”などの「日本は侵略戦争をした邪悪な国だった」ということをくり返し洗脳する”侵略戦争非難宣伝計画”を聞かされても、それが真実ではないことはよく知っていたはずです。「あれは嘘だが、今は耐えるしかない。そのうち占領が終わり、日本が復興してきたら、そのときには元に戻して、真実の歴史を後世に伝えよう」。そういう二重の精神構造で戦後を生きてきたに違いありません。ところが、占領とそれに続いた冷戦の時代があまりにも長かった。その間に戦後教育を受けた世代が学校の先生になり、誤った歴史を教え始めることになります。そこから強大な左翼勢力の圧力の下、多くのタブーが生まれていく。そして真実を知る世代は、一九八〇年前後に社会の第一線から離れ、次第に死に絶えていく。日本人の中に「いつか本当の歴史を伝えよう」と考える人が、またそれをできる人が、ほとんどいなくなってしまったわけです。しかし、先ほど述べたように戦後五〇~六〇年を境に、冷戦体制の終焉や連合国史料の公開といった外的な環境変化がたまたま起ったことで、私のように戦後教育を一○○%受けた人間にも、戦争の真実が見え始めてきたのです。父親の世代が黙って耐えていたことに・・・ようやく気がついてきたのです。 ◇「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」が本来の名称である。 歴史教科書やマスコミで使用されている「太平洋戦争」という用語は、米側の戦争名称(The Pacific War 又は WWⅡ the Pacific Campaigns)をそのまま翻訳して戦後にGHQから強制されたものであり、戦後の歴史洗脳の産物であることを知っていましたか?米国から見れば、日本との戦争は主に太平洋で行われたのですから、「太平洋戦争」という名称の使用には理由があります。一方、日本から見れば、先の大戦は、米国との太平洋での戦に留まらず、東南アジア各地やインド洋・インド本土のインパールでの英印軍や豪軍・蘭軍との戦い、中国国民政府・共産党軍との戦い、終戦間際の満州・樺太・千島でのソ連との戦いを全て含むものであり、開戦の数日後には「大東亜戦争」という正式名称が閣議決定されています。(瀬島龍三氏動画を参照)日本は、①国家の自存 と ②東亜の解放 のために開戦したのですから、日本人であれば日本側の正式名称「大東亜戦争」を使いましょう。※丁寧に報道を確認すれば、麻生首相・安倍元首相・桜井よしこ氏らは、先の大戦の事をきちんと「大東亜戦争」と呼んでいる事がわかります。逆に石破前防衛相などは「太平洋戦争」という言葉を使っており、この点だけでも「本物と偽者」の見分けがつきます。 【GHQによる「大東亜戦争」使用の禁止】 戦後GHQは、W.G.I.P.(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、戦争贖罪洗脳計画)の一環として、①国民に厭戦感・贖罪意識を植え付け、②大東亜戦争の意義を消失させる事を目的に、「大東亜戦争」「八紘一宇」などの用語の公文書での使用を禁止した。この方針は検閲という形を取って新聞や書籍等にも及んだ。また、1945年12月8日(開戦4周年)から新聞各紙に、CIE作成の「太平洋戦争史」の掲載を強要。さらに翌日からは日本放送協会に「真相はかうだ」(ラジオ放送)を開始させ、「大東亜戦争」という用語は速やかに「太平洋戦争」に置き換えられていった。 【呼称に対するGHQの検閲】 ⇒ 重要関連ページ 国立国会図書館法改正案の正体 占領中GHQは、公文書だけではなく、すべての出版物から「大東亜戦争」という言葉を抹殺しようと検閲を行った。まず占領政策の前期においては、あらゆる出版物が「事前検閲」を受け、「大東亜戦争」という言葉はすべて「太平洋戦争」と書き換えられた。さらに、占領政策後期においては、この「事前検閲」は「事後検閲」へと変更された。すなわち、既に印刷製本が完成した出版物を占領軍が検閲し、「大東亜戦争」その他占領軍に都合の悪い記述(GHQへの批判等)があれば、この本自体を出版停止とした。既に印刷した出版物の発行を禁止された出版社は、莫大な損害を蒙ることとなる。この検閲によって、出版社は自主的に占領軍の検閲に触れるような文章を執筆する著者を敬遠し、占領軍の意向にかなわない本を出版できなくなった。江藤淳は、これを「日本人の自己検閲」と呼び、検閲は占領軍によってではなく、日本人自身によって行われたと想像されると主張している。 ◇「日中戦争」も同様に、日本側正式名称「支那事変」を使用すべきである。 当初日本では、支那事変(しなじへん)(最も早期には北支事変)と称しており、新聞等マスコミでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。現在でも日本政府の正式な呼称は変らず、防衛庁防衛研究所戦史室や厚生労働省援護局、準公式戦史である「戦史叢書」、靖国神社や各県の護国神社では支那事変の呼称を使用している。しかし、マスコミでは日中戦争という呼び方が広く定着している。これは日米開戦(昭和16年12月)とともに、蒋介石政権は日本に宣戦布告し、日本側は「支那事変開始時点に遡って今回の戦争全体を大東亜戦争と称する」と定めたため、おおまかに「戦争」と認識されることが多いからである。さらにマスコミでは「支那」という言葉の使用を嫌って日中戦争と言い換える例が多い。「事変」という呼称が選ばれたのは、「日本と中国が互いに宣戦布告しておらず公式には戦争状態にない」という状態を、事変の勃発当初から日米戦争の開始までの四年間、日本と蒋介石軍の双方が望んだからである。双方が宣戦布告を避けたのは両国が戦争状態にあるとすると、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対して軍事的な支援をすることは、中立義務に反する敵対行動となるためである。これ以上の国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。 ■3.GHQの洗脳工作:日本人への罪悪感の植え付け http //www.nicovideo.jp/watch/sm4891710http //www.nicovideo.jp/watch/sm4891746 GHQの占領政策と戦後レジーム 1/2GHQの占領政策と戦後レジーム 2/2(コメントを消して動画を見る場合は、右隅のマークをクリックしてください。)■解説■チャンネル桜:(解説)坂川隆人元海将補【関連】GHQの占領政策と影響教育勅語とその精神日本国憲法改正問題歴史問題の基礎知識 ◆GHQの洗脳工作:W.G.I.P.(War Guilt Information Program)(2ch東亜板より) 中韓朝の反日も問題ですが、日本人自身の反日はもっと問題です。そして日本人の反日の原因を辿っていくと、戦後のGHQによる WGIP(War Guilt Information Program:GHQ内部文書のタイトル)に行き当たります。すなわち「過去の日本は悪かった、日本は非道いことをした。」とマスコミや学校教育を通じて洗脳されてきたのです。 そして1952年サンフランシスコ講和条約が発効して占領から解放された後も、なぜか、憲法や教育基本法が改正される事も無く、未だにWGIPに従って洗脳教育が施されているのが現状です。 昨年末やっとのことで教育基本法の改正がなりましたが、まだまだ、関連法の改正や実際の教育現場への反映等々、課題が残っております。様々な歴史認識問題の源泉を暴き、日本人自身が歴史問題に振り回されることのないよう周知徹底しましょう! WGIP(War Guilt Information Program)(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)について。この「プログラム」は、大東亜戦争を日本と米国との戦いではなく、実際には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」との間の戦いにすり替えようとしている。そして、大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、その責任を米国人ではなく、「軍国主義者」になすりつけようとしている。この「軍国主義者」と「国民」という架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、一応所期の目的を達成したといえる。そうなれば日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注したエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない。 この「プログラム」は1945年~1948年当時は、期待通りの成果を上げるにはいたっていなかったが、サンフランシスコ講和条約締結後も、なぜか日本のマスコミと教育が改められることなく、現在にいたってその効果が顕著になってきてしまっている。 ■4.『終戦の詔書』の意味 (戦後の復興に尽くした人々の心を学ぶ) 初めて玉音放送を放送当時のままの音声で聞き、終戦の詔書の内容を一字一句丁寧に確認したとき「胸騒ぎ」のようなものがあったことを覚えています。 おそらく「道義を篤くし志操を鞏くし」という箇所に、今も当時も変わらぬ日本人の誠実さを感じ取り、この詔書の内容を事実として素直に受け止めるべきではないか、とささやく自然の感情と、それまで聞き知ってきた自分の知識との矛盾のために私の心に混乱が生じたのでしょう。 しかし、その頃はインターネットなど普及しておらず、また私のアジア諸国への実地での見聞も乏しかったために、この心に生じた懐疑に自分なりの答えを出すには更に長い時間がかかりました。 GHQによる占領政策の始まる前の放送であり、戦後の復興に尽くした多くの人達が心に刻んできた言葉と思われます。 国と歴史を大切に思う人ならば、「終戦の詔書」の内容を少なくとも一度は誠実に吟味すべきだと思います。 ◆『終戦の詔書』(玉音放送)、高森氏の解説付き動画 ・・・ 終戦当時の日本人の意識では、大東亜戦争は決して侵略戦争ではなかった 高森EYES 玉音放送① 高森EYES 玉音放送② 「終戦の詔書」のポイント ① 戦争目的の確認 → 帝国の自存と東亜の安定 (侵略戦争ではない) ※1 ② 戦争終結の理由 → 戦争の不利と核兵器の登場、「我が民族の滅亡」のみならず、「人類の文明をも破却」 ③ 諸盟邦への「遺憾の意」 → 「東亜の解放」の挫折に対し ※2 ④ 国民の犠牲と抗戦の意思に対する配慮 → しかし「万世の為に太平を開かむ」 ⑤ 内戦への戒め → 国体護持の確認、「朕最も之を戒む」 ⑥ 祖国再建への呼びかけ → 「誓って国体の精華を発揚」 ※1:満州事変・支那事変(日中戦争)が侵略戦争か否かについては、中国はなぜ反日か? を参照更に遡って、辛亥革命~対華21カ条要求~五四運動の実際の経緯まで知りたい方は、辛亥革命~中国近代化運動の実際 を参照 ※2:世界から見た日本 の台湾/インドネシア/インドの日本評価を参照 ◇『終戦の詔書』(玉音放送)、原文を確認できる動画 終戦の詔勅 続き(高村光太郎「一億の号泣」・昭和20年戦闘停止)■外部リンク■靖國神社崇敬奉賛会■関連■GHQの占領政策と影響NHKの正体・上級編戦後のマスコミ・教育による洗脳工作の実態、今も進行中のNHKによる歴史捏造・世論誘導の実態が分かる重要ページです。靖国神社と英霊の御心陸・海・空の武士道 ■自虐史観から完全に目覚めるために!セットで読む歴史問題・解説ページ 中国の歴史・中国文明 辛亥革命~中国近代化運動の実際 中国はなぜ反日か? 自虐史観の正体 GHQの占領政策と影響 大東亜戦争への経緯 南京大虐殺の正体 沖縄戦集団自決命令問題 韓国はなぜ反日か? 日韓併合の真実 偏向教科書の正体 NHKの正体 靖國神社と英霊の御心 教育勅語とその精神 右翼・左翼の歴史 戦後レジームの正体 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 政治の基礎知識 歴史問題の基礎知識 ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ 当サイトは、日本人の自虐史観(東京裁判史観)からの完全脱却を応援します。 【関連】 世界から見た日本 反日の歴史年表 日本国内の対中国問題 反日マスコミの正体 当サイトは日本唯一の愛国放送・チャンネル桜を応援しています!
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今月の新盤・新書籍 大東亜戦争への道 (-) 中村 粲 (著) 内容(「BOOK」データベースより) あの戦争は何だったのか?侵略か自衛か?真珠湾から50年、ついに出た東京裁判史観への全面的反論の書。迷走する日本人の、自己確認への出発点!マクロ的視座からの斬新な歴史観で大東亜戦争に明快な解釈と評価を下し、偏向史観を一刀両断にする。大学の教壇で多くの学生を魅了した著者の講義録が、いま国民の“教科書”として登場。日本の言論・教育界へ投じる衝撃の1500枚。 出版社 展転社 (1990/12) 言語 日本語 ISBN-10 4886560628 ISBN-13 978-4886560629 発売日: 1990/12 商品の寸法 21.2 x 14.8 x 4 cm
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現在でも様々な問題の元となっている大東亜戦争(太平洋戦争)。なぜこの戦争が起きたのでしょうか。 戦争が起こるまでの流れ、戦争の意義、現代までの影響を見て行きましょう。 ◇目次 ■1.誇り~伝えよう日本のあゆみ~ ■2.「大東亜戦争」とは何か:戦争名称・戦争目的 ■3.GHQの洗脳工作:日本人への罪悪感の植え付け ■4.『終戦の詔書』の意味 (戦後の復興に尽くした人々の心を学ぶ) ■5.更に深く学びたい人へ ■1.誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 日本JC(青年会議所)制作。以前「たかじんのそこまで言って委員会」で取り上げられたアニメです。 日本が、大東亜戦争に至った経緯、戦後の日本がどのような影響を受けているのか、をとても分かりやすく解説しています。 ◇誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 1/3開国~欧米の植民地政策~ロシアの脅威~朝鮮の近代化を望む~清国の反対~日清戦争~三国干渉~日露戦争~日韓併合~台湾・朝鮮・南満州の近代化【関連】明治開化期の日本と朝鮮韓国はなぜ反日か?辛亥革命~中国近代化運動の実際 ◇誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 2/3ソ連(旧ロシア)の謀略~中国大陸で泥沼の戦に~世界恐慌で欧米列強がブロック経済化~アメリカで高まる日本脅威論~経済封鎖(ABCD包囲網)~ハルノート~大東亜戦争開戦~神風特攻隊~原爆~敗戦~靖国神社~GHQのウォー・ギルト・インフォメーションプログラム~東京裁判~パール判事~【関連】中国はなぜ反日か?右翼・左翼の歴史GHQの占領政策と影響東京裁判の正体靖國神社参拝問題 ◇誇り~伝えよう日本のあゆみ~ 3/3日本の戦いの根底にあった気持ち~戦後の教育~マッカーサーの発言~戦争は自衛のため~正しい歴史を学ぶことの大切さ~これからの日本のあり方~第二次世界大戦後の戦争~日本人だから出来ること【関連】自虐史観の正体歴史問題の基礎知識村山談話の正体 http //www.nicovideo.jp/watch/sm1833663 大東亜戦争 名言集(コメントを消して動画を見る場合は、右隅のマークをクリック)■解説■大東亜戦争。中国・韓国・北朝鮮以外の国はしっかりと日本の功績を評価しています。【関連】世界から見た日本■重要な補足説明■「大東亜戦争は侵略戦争ではないのは分かった。だが、日本は中国は間違いなく侵略した」という方は ⇒ 是非次のページを参照して下さい。辛亥革命~中国近代化運動の実際 ◆反日史観、自虐史観を排した歴史年表 ◆解説:ペリー来航(開国 1853-53)から大東亜戦争(1941-45)までの日本の歩み 出来事 該当ページ (1) 開国・明治維新 日本は、ペリー来航(1853-54)で開国し、欧米列強に不平等条約締結を強要される。日本は欧米列強の覇権に対抗する為、明治維新(1867-68)を起こし、殖産興業・富国強兵に努める。 (2) 日清戦争 日本は欧米列強、特に東アジアの植民地化を狙うロシアの脅威に対抗するため、隣国朝鮮が共に近代化することを願ったが、朝鮮を長年属国としてきた清国がこれに反対したため、日清戦争(1894-95)が起こる。 (3) 下関条約 日本は日清戦争に勝ち、下関条約を結んで朝鮮を独立させ、また台湾と遼東半島を清国から獲得する。清国から独立した朝鮮は、初めて日本や清国と対等の皇帝号を名乗る=大韓帝国(1897-1910) 明治開化期の日本と朝鮮 (4) 三国干渉 ところが、南下の機会を伺っていたロシアがドイツ・フランスと共に日本に迫り、遼東半島を清国に返還させる(三国干渉) (5) 北清事変 北清事変(義和団の乱)(1900)を機にロシアは、モンゴル・満州を軍事占領し、更に朝鮮半島をも勢力下に置こうと狙う。 (6) 日露戦争 朝鮮半島がロシアの植民地になることを危惧する日本と、同じくロシアの南下政策阻止を図るイギリスが利害一致し日英同盟成立(1902)。イギリスの後援を得た日本が単独でロシアに開戦(日露戦争)(1904-05)し勝利、ロシアの南下を阻止するとともに満州南部の権益を獲得する。 (7) 韓国併合 一方、日本の尽力で清国から独立した朝鮮は国家経営に失敗し経済破綻しており、日露戦争に勝利した日本に併合を求める動きが盛んになっていた。そして種々の経緯があって韓国併合が成立(1910)。 韓国はなぜ反日か? (8) 辛亥革命 中国大陸では、辛亥革命(1911-12年)で清朝皇帝が退位、中華民国が成立するが、実質的に旧清朝の領域は各地で軍閥/革命勢力/独立派諸民族(チベット・外モンゴル・東トルキスタン等)が割拠する分裂・内乱状態に陥っていた。 辛亥革命~中国近代化運動の実際 (9) ソ連成立 第一次世界大戦の混乱の中、ロシア革命でソ連成立(1917)。ソ連は共産主義の世界拡大のためにコミンテルン(国際共産党組織)を結成。その指導下に、中国に中国共産党、日本に日本共産党が結党される。英・仏・米・日は、共産主義防止のため対ソ干渉戦争を起こす(1918-21)。日本のシベリア出兵もその一環だったが、ロシア民衆の支持を得られず各国は撤兵した。その後、日本はソ連と国交を樹立するが、同時に国内への共産主義の浸透を防ぐため、治安維持法を制定する(1925)。同時期に普通選挙法も制定され、当時の日本は欧米と遜色ない民主主義国家となっていた。(人種差別がなかった分、欧米より進んでいたともいえる) (10) 世界恐慌 1929年秋のニューヨーク株式市場大暴落を契機に、1930年代初めに世界恐慌始まる。植民地や勢力圏を多く持つイギリス・アメリカは「ブロック化」で自国経済の保護を図る一方、そうでないドイツ・イタリアは、全体主義化(国家社会主義の台頭)で危機乗り切りを図る。この両者の中間である日本・フランスは、対外政策・内政とも定まらず著しく混乱する。フランスは社会主義者が台頭し左傾化して"人民戦線内閣"成立。日本は軍部が台頭し右傾化して"翼賛体制"が出現。ただし、日本はその後も選挙が行われる民主国家である。軍部・政治家共に各部署ごとの責任者に分かれる存在であり全てを取り仕切る独裁的な人物は皆無であったというより現実問題不可能。なおイギリスも世界恐慌~第二次大戦を乗り切る為、実質的に全党参加の"挙国内閣"を、首相を替えつつ1931-1945年まで15年も継続。アメリカも世界恐慌乗り切りの為登場したF.ルーズベルト政権を、4期(病死のため実質3期)12年も継続していた。すなわち、世界恐慌~第二次大戦当時の世界各国は、危機克服の為、多かれ少なかれ全体主義的な政治体制を取らざるを得なかった、といえる。 右翼・左翼の歴史 (11) 張作霖爆殺 このころ、東アジアの共産化を狙うコミンテルン(ソ連に指導された国際共産党組織)は、中国共産党と中国国民党を巧みに操り、満州から日本の勢力を追い払おうと画策。日本軍と強い協力関係を結んでいた満州軍閥の長、張作霖の爆破事件(1928)は、戦後の日本では関東軍の犯行と一方的に断言され続けてきたが、近年ロシアで、爆破を計画・実行したのはコミンテルン工作員であるとする旧ソ連時代の機密文書が公表され、これまでの通説(関東軍の犯行説)は早急に見直す必要が生じている。 中国はなぜ反日か? (12) 満州事変 張作霖の後継者張学良は国民党側に寝返って南満州の日本の権益を侵し始めたため、再度の謀略をおそれた関東軍が、先手を打って張学良を満州から追放。満州全土を占領し、元清朝皇帝溥儀と結んで満州国を建国する。(満州事変)(1931-33) (13) 西安事件 満州を追われた張学良は、共産党討伐のため西安に来ていた蒋介石を拘束し、蒋介石に共産党討伐を止め、これと協力して日本と戦うことを約束させる(西安事件)(1936) (14) 支那事変 中国の盧溝橋で演習中の日本軍にむかって共産党が銃を発砲。日本軍と国民党軍の軍事衝突に発展(盧溝橋事件)(1936)更に盧溝橋事件の3週間後に「通州事件」(支那民兵による日本人居留民の大虐殺事件)が発生し日本の国内世論が激昂。そして更にその2週間後に「第二次上海事変」(支那正規軍の上海租界への一方的攻撃で明白な国際法違反)がおき、日本は中国への本格的軍事侵攻に入らざるを得なくなる(支那事変)(1936-1941) 中国はなぜ反日か? (15) 東亜新秩序 近衛文麿首相は、この支那事変の目的を「東亜永遠の安定の実現」に置き、「東亜新秩序」を掲げる。しかし近衛首相のブレーンとして、尾崎秀実(ゾルゲ事件で処刑)・西園寺公一(戦後に共産主義中国に帰化)らコミンテルン工作員と見られる人物が暗躍しており、支那事変の終結を阻止すると共に、日米離間を画策していた。 尾崎秀実獄中手記右翼・左翼の歴史 (16) 日米離間工作 また同時期に、米国のF.D.ルーズレルト政権にもコミンテルン工作員が多数浸透しており、日米離間工作に暗躍していたことが近年判明している。(米国の共産主義者は、1950年代のマッカーシーの赤狩りまで暗躍を続ける。※近年アメリカで公開された旧ソ連の暗号解読資料「ヴェノナ文書」に以上の工作が明記されているが、なぜか日本の殆どのマスコミは無視している。 ヴェノナ文書 (17) 大東亜戦争 日本は援蒋ルートを絶つためフランスビシー政権と交渉して北部仏印に進駐。これに対して米英中蘭は「ABCD包囲網」構築(日本を経済封鎖)→「ハル・ノート」(日本に事実上の最後通牒)→日米開戦→日本敗戦→中国全土の共産化。この謀略工作で、日米は衝突し多大な犠牲者を出した。 自虐史観の正体 結論 大東亜戦争は、日本にとって自存自衛のための戦争だった 補足:連合国軍最高司令官D・マッカーサー自身が米国上院で、大東亜戦争を「日本の自衛戦争」だったと証言 (参考リンク・112.「大東亜戦争」は日本の自衛戦争 ── マッカーサーの爆弾発言) ■2.「大東亜戦争」とは何か:戦争名称・戦争目的 ◆瀬島龍三氏(元大本営参謀・シベリア抑留後、帰国し伊藤忠商事会長・中曽根内閣でJR/JT/NTT民営化発足に貢献) ◇戦争名称1. 大東亜戦争(戦争当時、日本政府が正式に付けた名称)2. 太平洋戦争(東京裁判を行ったGHQが付けた名称)3. アジア植民地解放戦争(とも言う)◇戦争目的1. 侵略戦争ではない(事前に日本が計画した戦争ではない)2. 日本にとって自存自衛のための戦争だった(経済封鎖で追い詰められて「窮鼠猫を噛む」) ◆「まず何より日本の歴史を勉強しなくては」 … 戦前~戦後の真実を知る世代の話を聞こう ◇日経新聞:春秋(2007年9月5日) 【瀬島龍三氏を悼んで】 ▼多くを語らない人だった。だが、その読みにくい表情から多くを知っていることが伝わってきた。会話の狭間に目線が合うたびに奇妙な敗北感が背中を走った感触を覚えている。駆け出し記者のころ瀬島龍三氏を取材した思い出である。▼大本営、そして関東軍の参謀として旧陸軍の組織や作戦を作った経験が繊維専門だった伊藤忠を総合商社に育て上げた。謎に包まれたシベリア抑留から帰国後、46歳で入社。営業現場には一度も出ず、常に舞台裏の参謀であり続けた。航空機商戦や石油利権をめぐる“戦果”の真相は今も産業史の闇の中にある。▼世界を駆け回る商社員は格好いいが、その本分とは何か。気楽な質問に一瞬、言葉を強めたことがある。「単なるコスモポリタンでは駄目だ。まず何より日本の歴史を勉強しなくては」。円高で日本企業が海外進出や外資との提携を急いだ時期だった。にわかに「国際派」を気取る戦後世代への戒めもあったろう。▼瀬島氏が嫌った「コスモポリタン」には、国境や国籍にとらわれない自由人の語感がある。日本が世界経済の大海に漕(こ)ぎ出す先兵が総合商社だった。その舳先(へさき)に立った旧陸軍参謀の心は、潮流とは逆に国境と国籍にこだわり続けていたに違いない。軍から経済界へ。95年間にわたる戦いの物語が幕を下ろした。 ◇中西輝政『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』 「戦争の真実」を知る世代は、敗戦時、三〇歳以上だった世代ということになるでしょう。彼らは、落ち着いていた頃の日本を知っているだけに、日本があの戦争にどんどん呑み込まれていった構図を肌身で知っていました。だから、その年代の日本人は、占領下にあって、占領軍が強制した「歴史教育」、つまり昭和二〇年代前半の時期にNHKラジオなどが大々的に「歴史洗脳」を行っていたのですが、例えば”真実はかうだ”などの「日本は侵略戦争をした邪悪な国だった」ということをくり返し洗脳する”侵略戦争非難宣伝計画”を聞かされても、それが真実ではないことはよく知っていたはずです。「あれは嘘だが、今は耐えるしかない。そのうち占領が終わり、日本が復興してきたら、そのときには元に戻して、真実の歴史を後世に伝えよう」。そういう二重の精神構造で戦後を生きてきたに違いありません。ところが、占領とそれに続いた冷戦の時代があまりにも長かった。その間に戦後教育を受けた世代が学校の先生になり、誤った歴史を教え始めることになります。そこから強大な左翼勢力の圧力の下、多くのタブーが生まれていく。そして真実を知る世代は、一九八〇年前後に社会の第一線から離れ、次第に死に絶えていく。日本人の中に「いつか本当の歴史を伝えよう」と考える人が、またそれをできる人が、ほとんどいなくなってしまったわけです。しかし、先ほど述べたように戦後五〇~六〇年を境に、冷戦体制の終焉や連合国史料の公開といった外的な環境変化がたまたま起ったことで、私のように戦後教育を一○○%受けた人間にも、戦争の真実が見え始めてきたのです。父親の世代が黙って耐えていたことに・・・ようやく気がついてきたのです。 ◇「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」が本来の名称である。 歴史教科書やマスコミで使用されている「太平洋戦争」という用語は、米側の戦争名称(The Pacific War 又は WWⅡ the Pacific Campaigns)をそのまま翻訳して戦後にGHQから強制されたものであり、戦後の歴史洗脳の産物であることを知っていましたか?米国から見れば、日本との戦争は主に太平洋で行われたのですから、「太平洋戦争」という名称の使用には理由があります。一方、日本から見れば、先の大戦は、米国との太平洋での戦に留まらず、東南アジア各地やインド洋・インド本土のインパールでの英印軍や豪軍・蘭軍との戦い、中国国民政府・共産党軍との戦い、終戦間際の満州・樺太・千島でのソ連との戦いを全て含むものであり、開戦の数日後には「大東亜戦争」という正式名称が閣議決定されています。(瀬島龍三氏動画を参照)日本は、①国家の自存 と ②東亜の解放 のために開戦したのですから、日本人であれば日本側の正式名称「大東亜戦争」を使いましょう。※丁寧に報道を確認すれば、麻生首相・安倍元首相・桜井よしこ氏らは、先の大戦の事をきちんと「大東亜戦争」と呼んでいる事がわかります。逆に石破前防衛相などは「太平洋戦争」という言葉を使っており、この点だけでも「本物と偽者」の見分けがつきます。 【GHQによる「大東亜戦争」使用の禁止】 戦後GHQは、W.G.I.P.(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、戦争贖罪洗脳計画)の一環として、①国民に厭戦感・贖罪意識を植え付け、②大東亜戦争の意義を消失させる事を目的に、「大東亜戦争」「八紘一宇」などの用語の公文書での使用を禁止した。この方針は検閲という形を取って新聞や書籍等にも及んだ。また、1945年12月8日(開戦4周年)から新聞各紙に、CIE作成の「太平洋戦争史」の掲載を強要。さらに翌日からは日本放送協会に「真相はかうだ」(ラジオ放送)を開始させ、「大東亜戦争」という用語は速やかに「太平洋戦争」に置き換えられていった。 【呼称に対するGHQの検閲】 ⇒ 重要関連ページ 国立国会図書館法改正案の正体 占領中GHQは、公文書だけではなく、すべての出版物から「大東亜戦争」という言葉を抹殺しようと検閲を行った。まず占領政策の前期においては、あらゆる出版物が「事前検閲」を受け、「大東亜戦争」という言葉はすべて「太平洋戦争」と書き換えられた。さらに、占領政策後期においては、この「事前検閲」は「事後検閲」へと変更された。すなわち、既に印刷製本が完成した出版物を占領軍が検閲し、「大東亜戦争」その他占領軍に都合の悪い記述(GHQへの批判等)があれば、この本自体を出版停止とした。既に印刷した出版物の発行を禁止された出版社は、莫大な損害を蒙ることとなる。この検閲によって、出版社は自主的に占領軍の検閲に触れるような文章を執筆する著者を敬遠し、占領軍の意向にかなわない本を出版できなくなった。江藤淳は、これを「日本人の自己検閲」と呼び、検閲は占領軍によってではなく、日本人自身によって行われたと想像されると主張している。 ◇「日中戦争」も同様に、日本側正式名称「支那事変」を使用すべきである。 当初日本では、支那事変(しなじへん)(最も早期には北支事変)と称しており、新聞等マスコミでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。現在でも日本政府の正式な呼称は変らず、防衛庁防衛研究所戦史室や厚生労働省援護局、準公式戦史である「戦史叢書」、靖国神社や各県の護国神社では支那事変の呼称を使用している。しかし、マスコミでは日中戦争という呼び方が広く定着している。これは日米開戦(昭和16年12月)とともに、蒋介石政権は日本に宣戦布告し、日本側は「支那事変開始時点に遡って今回の戦争全体を大東亜戦争と称する」と定めたため、おおまかに「戦争」と認識されることが多いからである。さらにマスコミでは「支那」という言葉の使用を嫌って日中戦争と言い換える例が多い。「事変」という呼称が選ばれたのは、「日本と中国が互いに宣戦布告しておらず公式には戦争状態にない」という状態を、事変の勃発当初から日米戦争の開始までの四年間、日本と蒋介石軍の双方が望んだからである。双方が宣戦布告を避けたのは両国が戦争状態にあるとすると、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対して軍事的な支援をすることは、中立義務に反する敵対行動となるためである。これ以上の国際的な孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしには戦闘継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。 ■3.GHQの洗脳工作:日本人への罪悪感の植え付け http //www.nicovideo.jp/watch/sm4891710http //www.nicovideo.jp/watch/sm4891746 GHQの占領政策と戦後レジーム 1/2GHQの占領政策と戦後レジーム 2/2(コメントを消して動画を見る場合は、右隅のマークをクリックしてください。)■解説■チャンネル桜:(解説)坂川隆人元海将補【関連】GHQの占領政策と影響教育勅語とその精神日本国憲法改正問題歴史問題の基礎知識 ◆GHQの洗脳工作:W.G.I.P.(War Guilt Information Program)(2ch東亜板より) 中韓朝の反日も問題ですが、日本人自身の反日はもっと問題です。そして日本人の反日の原因を辿っていくと、戦後のGHQによる WGIP(War Guilt Information Program:GHQ内部文書のタイトル)に行き当たります。すなわち「過去の日本は悪かった、日本は非道いことをした。」とマスコミや学校教育を通じて洗脳されてきたのです。 そして1952年サンフランシスコ講和条約が発効して占領から解放された後も、なぜか、憲法や教育基本法が改正される事も無く、未だにWGIPに従って洗脳教育が施されているのが現状です。 昨年末やっとのことで教育基本法の改正がなりましたが、まだまだ、関連法の改正や実際の教育現場への反映等々、課題が残っております。様々な歴史認識問題の源泉を暴き、日本人自身が歴史問題に振り回されることのないよう周知徹底しましょう! WGIP(War Guilt Information Program)(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)について。この「プログラム」は、大東亜戦争を日本と米国との戦いではなく、実際には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」との間の戦いにすり替えようとしている。そして、大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、その責任を米国人ではなく、「軍国主義者」になすりつけようとしている。この「軍国主義者」と「国民」という架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、一応所期の目的を達成したといえる。そうなれば日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注したエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない。 この「プログラム」は1945年~1948年当時は、期待通りの成果を上げるにはいたっていなかったが、サンフランシスコ講和条約締結後も、なぜか日本のマスコミと教育が改められることなく、現在にいたってその効果が顕著になってきてしまっている。 ■4.『終戦の詔書』の意味 (戦後の復興に尽くした人々の心を学ぶ) 初めて玉音放送を放送当時のままの音声で聞き、終戦の詔書の内容を一字一句丁寧に確認したとき「胸騒ぎ」のようなものがあったことを覚えています。 おそらく「道義を篤くし志操を鞏くし」という箇所に、今も当時も変わらぬ日本人の誠実さを感じ取り、この詔書の内容を事実として素直に受け止めるべきではないか、とささやく自然の感情と、それまで聞き知ってきた自分の知識との矛盾のために私の心に混乱が生じたのでしょう。 しかし、その頃はインターネットなど普及しておらず、また私のアジア諸国への実地での見聞も乏しかったために、この心に生じた懐疑に自分なりの答えを出すには更に長い時間がかかりました。 GHQによる占領政策の始まる前の放送であり、戦後の復興に尽くした多くの人達が心に刻んできた言葉と思われます。 国と歴史を大切に思う人ならば、「終戦の詔書」の内容を少なくとも一度は誠実に吟味すべきだと思います。 ◆『終戦の詔書』(玉音放送)、高森氏の解説付き動画 ・・・ 終戦当時の日本人の意識では、大東亜戦争は決して侵略戦争ではなかった 高森EYES 玉音放送① 高森EYES 玉音放送② 「終戦の詔書」のポイント ① 戦争目的の確認 → 帝国の自存と東亜の安定 (侵略戦争ではない) ※1 ② 戦争終結の理由 → 戦争の不利と核兵器の登場、「我が民族の滅亡」のみならず、「人類の文明をも破却」 ③ 諸盟邦への「遺憾の意」 → 「東亜の解放」の挫折に対し ※2 ④ 国民の犠牲と抗戦の意思に対する配慮 → しかし「万世の為に太平を開かむ」 ⑤ 内戦への戒め → 国体護持の確認、「朕最も之を戒む」 ⑥ 祖国再建への呼びかけ → 「誓って国体の精華を発揚」 ※1:満州事変・支那事変(日中戦争)が侵略戦争か否かについては、中国はなぜ反日か? を参照更に遡って、辛亥革命~対華21カ条要求~五四運動の実際の経緯まで知りたい方は、辛亥革命~中国近代化運動の実際 を参照 ※2:世界から見た日本 の台湾/インドネシア/インドの日本評価を参照 ◇『終戦の詔書』(玉音放送)、原文を確認できる動画 終戦の詔勅 続き(高村光太郎「一億の号泣」・昭和20年戦闘停止)■外部リンク■靖國神社崇敬奉賛会■関連■GHQの占領政策と影響NHKの正体・上級編戦後のマスコミ・教育による洗脳工作の実態、今も進行中のNHKによる歴史捏造・世論誘導の実態が分かる重要ページです。 ■5.更に深く学びたい人へ ⇒ 大東亜戦争への経緯・上級編を参照 ※ペリー来航(開国 1853-53)~大東亜戦争(1941-45)までの流れを、動画で完璧に解説。