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世界史・解答速報(2/5全学部統一) 大問1 問1 A B.呉楚七国の乱は前漢景帝の代に起こった諸侯の反乱。以後実質的に郡県制に移行。 C.赤眉の乱は王莽の悪政が引き起こした農民反乱。新は滅んだが、劉秀に鎮圧された。 D.八王の乱は西晋でおこった一族諸王の内乱。恵帝の無能に乗じて権力争いが起こり、五胡の侵入を招く。 問2 D D.4.保甲法は兵農一致の強兵策。農民兵の養成をはかるため新法に盛り込まれた。(今年度武蔵大全学部でも問われた) 問3 (B?C?) ごめんなさい。情報よろしくお願いします。 A.三長制は北魏の孝文帝が制定。財政確保と治安保持を目的とした。(今年度武蔵大全学部でも問われた) D.均田制は北魏の孝文帝が実施した土地制度。貴族の大土地所有を抑制。 妻・奴婢・耕牛にも給田した点が豪族に有利であった。 均田制は隋唐にも引き継がれ、煬帝のときには女性・奴婢への宮殿も廃止された。 隋では身分・官職に応じた永業田・職分田も設置された。 問4 A A.王莽はしんい(讖緯)説を利用した。『周礼』に基づく復古主義を強行。 cf)D.党錮の禁は後漢末期の事件であるが・・・。 問5 A A.昭明太子の『文選』は日本平安文学にも影響を及ぼした四六駢儷体の詩文集。 問6 B A.御史台は官吏の観察機関。明代、洪武帝がこれを廃して皇帝直属の都察院を新設した。 D.尚書省は六部を管轄して詔勅を実施する政務行政機関。 問7 D A.均輸法は前漢武帝が施行した物価調整法。特産物を不足地に転売して 政府収入の増大と物価の調整、物資流通の円滑化をはかった。 B.限田法は前7年(前漢)に哀帝が発した豪族の大土地所有を制限する法。実施されずに終わる。 C.占田・課田法は西晋の武帝による土地制度。 占田法は一般農民に対し地位・経済力に応じた土地所有の最高限度を定めたもの。 課田法は農民に官有地を強制割り当てして耕作させ、税収確保を図ったもの。 問8 C A.永嘉の乱は匈奴を主とする西晋滅亡にかかわる兵乱。 B.慶暦の和約は宋と西夏の講和条約(1044;11C)。 D.靖難の変は建文帝に対する燕王朱棣(後の永楽帝)の反乱。 問9 D A.王重陽は全真教の開祖(金のころ?) B.欧陽脩は北宋の人。唐宋八大家の一人。 古文復興を唱え『新唐書』『新五代史』を著す。新法に反対。 C.司馬光は北宋の人。旧法党。編年体の『資治通鑑』を著す。 問10 A B.佃戸は経済的に地主に従属した小作農。 C.青苗法は小作農に穀物や資金を政府が低利で貸し付け収穫時に返済させる政策。新法の一部。 D.時代が違う。徐光啓は明末の人。『幾何原本』『崇禎暦書』『農政全書』など。 cf)『斉民要術』は北魏の賈思勰による中国最古の農業書。 問11 C ア.交子は世界最初の紙幣。唐の飛銭から発達。 主に北宋で使われた。 イ.五銖銭は前漢武帝が鋳造させた銅銭。隋代まで長く使われた。 ウ.馬蹄銀は明・清代に使われた銀塊。重さが価値を表す秤量貨幣。 エ.布銭は農具の形を模した青銅貨幣。春秋・戦国時代に韓・魏・趙で使われた。 問12 D D.長安の説明と思われる。 問13 C
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6世紀の終わり頃から8世紀初頭 都は飛鳥 531 欽明天皇即位 538 仏教伝来 538年説 552年説 古代国家の創始 (聖徳太子と蘇我氏の新しい国作り) 587 蘇我馬子、物部守屋を倒す 592 推古天皇即位 593 聖徳太子摂政となる 593 四天王寺(大阪府)建立 603 冠位十二階 氏姓制度を改め、新しい登用制度を策定 604 十七条憲法の制定 (役人が守るためのもの) 一に曰く 和を以って貴しとなし 二に曰く 篤く三宝を敬え 三に曰く 詔を承りては必ず謹め 607 小野妹子を遣隋使(遣唐使)として隋に使わす 『その国書に曰く、「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや云々」と。帝、之を覧て悦ばず、鴻臚卿に謂ひて曰く、「蛮夷の書、無礼なる者有らば、復た以て聞する勿れ」と。明年、上・・・裴清を遣はして倭国に使せしむ。』(原文は漢文) 607? 法隆寺(奈良県斑鳩(いかるが)) 615 三経義疏 『法華義疏』 日本最古の書物 628 推古天皇没 大化の改新 天皇を中心とした全国支配である律令政治 645 乙巳の変(いっしのへん)天皇の子、中大兄皇子が、中臣鎌足と組んで、政界の実力者だった蘇我蝦夷、入鹿親子を倒した 645 大化の改新 孝徳天皇が即位し、唐を手本にした中央集権的な国家を作るための政策を打ち出す改新の詔公地公民 班田収授法国民に口分田が与えられた 中国の均田制を模したものだが、中国では畠地も対象になったのに対し、日本では水田だけが割り当てられ、米のみが租として徴収された 租庸調制 国郡里制 663 白村江の戦い百済の再興を目指し朝鮮半島に出兵し、唐と新羅の連合軍と戦う 670 庚午年籍 全国的な戸籍の始まり 律令国家の開始 672 壬申の乱天智天皇の弟の大海人皇子(天武天皇)と、息子の大友皇子(弘文天皇)が天皇位を争う戦い 大海人皇子が勝利し、即位 飛鳥浄御原(奈良県)に政治の中心をおく 675 いわゆる肉食禁止令農耕期間の食肉禁止。ただし鹿、猪は含まれない 米の生産のために肉食を排除 4月から9月の間、牛・馬・犬・猿・鶏の宍を食うことなかれ 『日本書紀』 681 浄御原律令の編纂を開始 689 持統天皇 施行完成したのは「令」のみ 701 刑部皇子(おさかべのみこ)、藤原不比等らが「律」を整え、大宝律令として完成 国家統治のグローバルスタンダードを獲得 710 平城京に遷都 飛鳥文化 仏教中心の文化 国際職の強い文化 587 飛鳥寺(奈良県)蘇我氏の氏寺 法隆寺(奈良県) 釈迦三尊像 百済観音像 玉虫厨子
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北方民族の活動と中国の分裂 東アジア文化圏の形成 中国社会の変化 東アジア諸地域の自立化 [部分編集] 北方民族の活動と中国の分裂 魏晋南北朝 三国時代 ①偽装は楽よ ショックな龍は生徒に 御謙遜 偽…魏 装は…曹丕が建国 楽よ…洛陽が都 ショックな…蜀 龍は…劉備が建国 生徒に…成都が都 御…呉 謙…建業が都 遜…孫権が建国 ②孫悟空は健康 孫権-呉-都:建康(建業) 後漢滅亡 後漢つぶれ(220)た。 諸葛亮 喝でショックりょう(亮)法 北方民族 ①キョーコの先端の柔らかい突起 きょうど→鮮卑→柔然→突けつ ②先住民の陶器 鮮卑柔然 突厥ウイグルキルギス ③にーしーろーやーせんじゅうとっかい にー=2世紀 しー=4世紀 ろー=6世紀 やー=8世紀 せん=鮮卑 じゅう=柔然 とっ=突厥 かい=回こつ(ウイグル) 中国王朝と北方民族の対峙関係 今日しか参戦しない隋と突厥 うとい遼が送金に難遭 オイラのタンメン日清ジュヴナイル 今日…匈奴 し…秦 か…漢 参…三国 戦…鮮卑 し…柔然 な…南北朝 い 隋…隋 と…唐 突厥…突厥 う…ウイグル と…唐 い 遼…遼 が…西夏 送…北宋 金…金 に 難遭…南宋 オイラ…オイラト の タン…タタール メン…明 日清…清 ジュヴナイル…ジュンガル 西晋建国 司馬炎 西晋 洛陽 炎の精子は妊娠楽よ 司馬睿と司馬炎 司馬睿と司馬炎が紛らわしい!という人に We 遠泳 W… 西(west)晋 遠…司馬炎 e…東(east)晋 泳…司馬睿 五胡 ①五胡→"今日""帝"京"と"決"戦"だ ②今日はケツ栓協定が結ばれた日です。 匈奴・羯・鮮卑・羌・氐 「今日ケツ栓協定」 匈(奴)・羯・鮮(卑)・羌・氐 出典(①): 北魏 ①北魏の与作(439年)が華北統一。 与作は新鮮(鮮卑)な木をたくさん伐採します(拓跋氏)。 与作=北島三郎、で北ぐらいは頭に残るかと。 ②439年 北魏による華北統一→思索(439)をこらした太武帝 ③北海 道に 貢献し たいぶー └北魏└道教└寇謙之 └太武帝 魏晋南北朝の社会 魏晋南北朝~隋唐までの土地制度・兵制・税制 ①きっと精子千回濃い僕の金玉三つ 普遍の正義がずっと不起訴でしょんぼり きっと・・・・・・・・・・魏:屯田制 精子千回濃い・・・西晋:占田・課田法、戸調式 僕の金玉三つ・・・北魏:均田制、三長制 普遍の正義・・・・・西魏:府兵制 ずっと不起訴・・・・隋唐:府兵制、均田制、租庸調制 しょんぼり(唐の途中で):荘園制、募兵制、両税法 ②府兵制 正義のホークスずっと不敗!(西魏•北周•隋•唐) 創始者は豚(宇文泰)、なお均田制は受け継ぎ国に関しては府兵制と同様 魏晋南北朝の文化 六朝文化 ①6つの掟があって、3つ目まで・・・みたいな(? 1つ、王は清々しい竹林で射精しなさい 2つ、桃の陶器をもらったらサンキューと謝礼しなさい 3つ、女は顧みてもいいが、昭和生まれは門前払いしなさい 清々しい竹林=清談 竹林の七賢 王は 射精= 王ギ之 「書聖」 桃の陶器=陶潜、桃花源記 サンキューと謝礼=謝霊運「山居賦」(さんきゅーふ) 女は顧みてもいいが=こがいし「女史しん図」 昭和生まれは門前払い=昭明太子「文選」 王羲之 おー!ぎっしり蘭が咲いているじょ! 王羲之 「蘭亭序」 仏教と道教 鳩摩羅什 性器からクチャクチャマラ汁超でたけど不感症 西域の亀茲(くちゃ)からクマラジュウが長安へ そこで仏典漢訳 竜門と雲崗 ①平常運行、龍も楽よ☆ (平城、雲崗)(竜門、洛陽) ②YO!! YO!! 雲崗の石窟寺院だYO!! ウンコのセックスシーン YO!! 中国のシルクロード都市 (左から順に) 父ちゃん酒飲み懲役食らってブイブイ 敦煌 酒泉 張掖 武威 朝鮮半島と日本 朝鮮の三国時代 ①馬鹿がくだらん 進化を知ると 便利になる 馬韓 百済 辰韓 新羅 弁韓 任那 ②いや~ん、馬鹿ぁん(馬韓)、弁韓、辰韓 ちなみに、それぞれの位置関係が西から順になってます。 百済 「いやん、バカん、くだらない」 =馬韓は百済になった 出典:「Dr.Kの直観で覚える世界史Ⅴ用語600」 卑弥呼 邪馬台国のふみくさん 2 3 9年 [部分編集] 東アジア文化圏の形成 隋の中国再統一 隋 ①(隋の建国 581年) ・ ・・ 脊椎損傷恐いなあ。 隋と唐の都 大洪水が ちょっと起こる 大興城←隋 長安←唐 出典:『世界史でるとこ攻略法(文英堂)』 唐の繁栄 唐 ①ロイヤル父(唐)さんくれないか? 618 ~ 907 ②ロイヤル(618)ファミリー忘れてくれな(907) ③糖はロイヤル 618年唐建国 ④父さん、ずいぶんエロいやん! 唐 隋の都をぶんどって 618年成立 貞観の治 太宗教‥『貞観の治』 太いのに童貞 唐の混乱と衰退 則天武后 690年、則天武后が周を始める シックスナイン大好き則天武后 開元の治 「開『玄』の治」 =開元の治~玄宗 出典:「Dr.Kの直観で覚える世界史Ⅴ用語600」 安史の乱 ①おなご殺しの安史の乱 (755) ②755 安史の乱 (7時55分に安楽死) 出典(①): 唐とウィグル 唐「助けてくれ」 ウイグル「うぃ」 両税法 両税法 780 出鼻をくじく両税法 黄巣の乱 トーマス高速に乗る (唐末、黄巣の乱) 唐の滅亡 ①さっきオナったから 907唐滅 五代十国 ※五代で出るのは燕雲十六州を後晋が遼に割譲したことと朱全忠ぐらい ②紅(くれない)に沈む唐(907年)…夕日が沈むみたいに唐が滅亡した ③9回オナって父さん滅亡! 907年 唐 滅亡 唐の社会と文化 唐代の詩人 ①白居易『長恨歌』 東大で白い液出し、長く恨まれる "詩仙"李白‥白い視線 "詩聖"杜甫‥姿勢よく徒歩 出典: ②詩仙と詩聖がごっちゃになる人いたらどぞーっ 詩仙→仙人→白髪→李白 ③『詩聖→聖→セイント→ト→杜甫』 ※李白の詩仙、杜甫の詩聖をはじめその他中国の詩詠みは実際に詩を読み比べるとすごく分かりやすい。 イメージ定着するし。「漢詩の魅力」等おすすめ。 唐宋八大家 ①唐‥韓愈・柳宗元(散文の復興) 韓流三分! 宋‥欧陽修・蘇軾(他、蘇○が二人)・王安石・曾鞏 粗密な(蘇○が三人)O2(王安石・欧陽修)競争(曾鞏)だ ②・韓国の柳は濡れている 韓愈、柳宗元 儒学復興 ③流 柳宋元 感で 韓愈 O2 欧陽脩 酸 三蘇 素吸入 そうきょう 二人の画家 お父さん!この道違うよ!おーい!南だってば! お唐さん=唐代 道ちがう→道が誤り→道"画"誤り→呉道玄 「画家」 おーい!南=王維 南宋画の祖 書家と儒学者 顔面神経痛なの?しょーがないな、正義の名の下に供養してあげるよ 顔面神経痛、しょーがない=がんしんけい、書家 正義の名の下に~ =くようだつ(たつ?)、五経正義 東アジア文化圏の国ぐに 渤海国 ①むくわぼっきしたち×こ/渤海国成立 698 ②剥くや 勃起 698年 渤海が建国 朝鮮の都 朝鮮は軽快感 (都 慶州→開城→漢陽) 新羅 神経骨ぶつ 新羅(神)・慶州(経)・骨品制(骨)・仏国寺(ぶつ) 新羅滅亡 腐ったご飯で新羅滅亡 93 5年 遣唐使 蒸される夜にゲロ吐くよ 6 3 0年 8 9 4年 [部分編集] 中国社会の変化 五代の分裂時代 五代十国 ①頭の中に頭が二つある神官集団[両頭神官集]を思い浮かべる あとは後を着ければ完成さ (後梁→後唐→後晋→後漢→後周) ②「良刀楽よ、神官シュッ!」 (後+)梁、唐←これだけ都が洛陽、晋、漢、周 ③先ず後梁を覚えといて唐(新しい)~周(古い)を新しい順に並べる 後梁→後唐→後晋(晋は唐の次に新しい)→後漢→後周 朱全忠 修繕了解! 当分楽よ! 新刊買いに 週1回 修繕…朱全忠が建国 了…後梁 解…開封 当分…後唐 楽よ…洛陽 新…後晋 刊…後漢 買いに…開封×2 週…後周 一回…開封 修繕を後周ととらないように注意してください。 宋の統治 北宋 ①960 苦労して建てた北宋 五代十国時代の後と考えるとイメージしやすいかも… ②960年、宋、BY超匡胤 苦労多そう(宋)超巨乳 ③掃除で掻きわけしたいふ 宋 科挙 士大夫 ④趙きゅう胤が苦労(くろお)して作ったそうだ。 960年宋(北宋)建国 ⑤「調教がイイんだろ? そうなんだろ!?」「はい、そうです、そうなんです!」「苦労するぜ」 趙匡胤 宋を建国 960年 北宋と元の都 北宋解放 元気だい 北宋←開封 元←大都 出典:『世界史でるとこ攻略法(文英堂)』 王安石 ①登録(1069)しよう王安石 ↑王安石が新法による改革を開始。 ②王安石と(10)シックスナイン 新法 青空市場の募金箱 青苗法 市易法 募役法 均輸法 保甲 保馬 靖康の変 ①いい風呂で送金成功 1126年 北宋が金に滅ぼされる 靖康の変 ②靖康の変1126年 →いい風呂(1126)はいろう性交の変 ③いい風呂で性交 1126年~靖康の変 ④性交あとのいい風呂 1126 靖康の変 岳飛と秦檜 金?お主学費ほしいんかい? 金に対して 主戦派が岳飛、よって和平派は秦檜 宋代の社会 蘇湖~湖広 ①『そうソコ、みんココ』 宋「蘇湖熟すれば天下足る」 明「湖広熟すれば天下足る」 ②宋湖熟すれば天下足る →宋~元:蘇湖 宋代の文化 朱子学と心即理 層(宋)は周りから程よく朱に染まるが、陸は反対に唯一中心まですぐ染まる 周りから程よく朱に=周敦い→程い→朱子(朱子学を大成してきた人物順) 陸は反対に唯一中心=朱子学に対立した陸九淵、唯心論、心即理 四書 ①『大学中退でモウロウとする』 大学 中庸 孟子 論語 ②中央大学ロー模試 中庸、大学、論語、孟子 中央大学と言えば法学部(ロー)だよね [部分編集] 東アジア諸地域の自立化 北方の諸勢力 金と遼 北宋時の遊牧民族は、阿部高和さんを思い浮かべりゃOK 完ペキ顔の阿部が骨打ち 「もう…あんッ!!」 性交の変 【金】 始祖:完顔阿骨打(女真)※覚え方は『完璧な顔、あ~骨打った』『完全に顔、あー骨打った』等… 猛安・謀克 靖康の変→高宗が南宋を建てる てか、阿部さんに勃起してんのは遼なんだよな。北宋から千円とか絹や銀貰って「良……よ…」してたら、金も攻めてきて遼が壊れちゃったんだよ(何となく****王子のイメージで)。大石は西に逃げたけど。 【遼】 始祖:耶律阿保機(契丹) セン淵の盟(1004年)→北宋が絹や銀を贈る 金に攻められ滅亡 耶律大石は西遼を建てる 西夏の李元コウ(→日天)は各自で考えてくれ"orz 遼建国 悔いる!石川遼が勃起 916年に遼が耶律阿保機によって作られた 金 近所でワンワン! 金 女真族 ワンヤンアグダ なんてどうでしょう? カラ・キタイ成立 1132:いいの見つけたカラ・キタイ(カラ・キタイ成立) 東アジアの勢力交替 高麗 ①918 王建により高麗 悔いはないよな 高麗へ ②古来の王家が異常!たいそうやばい貴族政治 高麗(古来)・王建(王家)・開城(が異常)・大蔵経(たいそう)・両班(やばい)・金属活字(貴族)・青磁(政治) ③ここで一杯(918)コーラ(高麗)飲む 918年高麗建国 高麗と朝鮮 公開カンチョー (高麗=開城 漢城=朝鮮) ※漢城(漢陽)は今のソウルだから一番新しい
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三国志をバッドエンドにした、真の張本人。 能力的には典型的な文官な上、登場自体が遅いので英雄集結辺りで無いと中々お目にかかれない。 内政系の特技を習得させて、都市の内政に専念させるのが無難か。 -- (名無しさん) 2010-10-04 22 08 36 能力はそこそこだが、適性が全滅していて、戦には不向き。また、脳筋の知力補正といっても 知力微妙なのでやっぱ内政がいい。 -- (名無しさん) 2011-03-27 08 42 25 君主としては悪くない能力だが、残念ながら英雄集結でしか出番はない。もちろん君主をやってるシナリオも存在しない。(あったとしてもそんな統一寸前のシナリオ面白くないだろう) 親愛武将もいることはいるが、全員文官なのでまったく意味をなさない。 文鴦を嫌悪しているが、そもそも彼を戦に出すことはほとんどないから問題ない。 -- (名無しさん) 2011-07-21 20 58 32 女の戦いでも一人だけ君主でいてくれたら面白かったのに 羊に跨って全国統一 -- (名無しさん) 2011-07-23 13 09 12 魏を乗っ取った張本人。天下統一した後は暴政を敷いた為、晋王朝 の滅亡の原因を作った馬鹿皇帝。一人事ではあるが、能力は50以下でいい だろう。 -- (名無しさん) 2011-07-24 02 06 38 別名「晋のベットヤクザ」… 酒食に溺れ国を傾けたある意味では代表例 -- (名無しさん) 2012-04-22 02 05 07 盛り塩の由来主。 大きな穴はないし、内政要員としては悪くない。 問題は兵科適性。兵科の扱いに長けた人材をつけるか、 猪武者の副将にするといいかも? -- (関羽大好き) 2012-10-31 17 03 41 昔は能力合計ベスト20入りしてた作品もあったのに、時がたつにつれてどんどん下がっていって、今作に至っては劣化弟状態。 やっぱり内政させるしかないか -- (名無しさん) 2013-03-12 18 47 12 なんだかボロクソに言われているが、ゲーム的には普通の文官である。ランク的には上の下といったところか。 戦闘力は低いが、統率と魅力が高いため太守向きの人材。しかし義理と野望のせいで太守にするには危険性が高く、ややもったいない。 義理が低い逸材を自軍に迎え入れた時などに義兄弟にしてもよいが、適正が悪く能力的にも突出したものがないので、裏切り防止以外の恩恵はあまりないのでやっぱりもったいない。 -- (名無しさん) 2014-09-05 21 40 03 太守向きと言うか、やはり史実通り君主向きというところ。 可能なら彼を君主にして進めたいが、登場年の遅さがネック。 仮想シナリオでも君主のシナリオはなく、環境に恵まれないのが一番の難点。 一番理想的なのは築城をつけて建設要員にすることか。 -- (名無しさん) 2014-09-05 22 13 02 八王の乱を引き起こした原因作ったために評価が今一。 しかし諸葛亮の子孫など敵国の人材を広く登用したり、均田制を始めたんだから、もう少し政治力は高くても、と思う。 -- (名無しさん) 2016-03-09 02 36 42 特技に傾国か徴税つけたらいいかと思う。 -- (名無しさん) 2016-03-13 00 40 05 傾国はないと思う。 傾国は、「傾国の美女」から来る女性用の特技のイメージ。 -- (名無しさん) 2016-03-14 02 57 16 意外にも話術に恵まれてるんだな。知力上げてもいいかも。 -- (名無しさん) 2018-10-01 08 45 06 これでも、昔は弟より強かったのに…。 色々と悪事がばれたせいか、下がってしまった。 -- (名無しさん) 2020-05-29 22 19 21 まあまあ -- (名無しさん) 2021-09-25 19 37 07
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トップページ>東アジア・東洋>東洋史学研究 『東洋史学研究』60, 1997.10 論文 金聖翰「唐代吐魯番均田制下の給田基準額」 鄭哲雄「中心部から周辺部へ:明清時期襄陽府経済変化の特性」 朴元熇「明清時代徽州真応廟の純宗祠転化と宗族組織」 金衡鍾「清末江蘇省の教育改革と紳士層:教育会の設立と活動を中心に」 尹輝鐸「日本の占領地政策と華北民衆の政治的行態:1940年代前半期冀熱遼地区の事例を中心に」 『東洋史学研究』59, 1997.7 論文 崔韶子「18世紀末東西洋知識人の中国認識比較:朴趾源の『熱河日記』とジョージ・マカートニー(G.Macartney)の『中国訪問使節日記』を中心に」 白永瑞「共和から革命へ:民初戦争から見た中国国民国家形成」 金秀英「中国共産主義運動における国際主義の成立と消滅、1920-1922」 具良根「中日に対する韓国人の伝統的観念研究:奉直戦争と日本外務省顧問金麟昇を中心に」 『東洋史学研究』58, 1997.4 論文 裵淑姫「宋代特奏名制の実施とその性格」 閔斗基「中国国民革命期(1926-1928)の「二五滅租」問題:国民党と共産党の土地問題理解と関連して」 金泰丞「1930年代以前、上海公共租界の支配構造と華人参政運動」 姜明喜「1930年代山西省工業建設政策の推進と成果」 金志煥「棉麥借款と在華紡」 『東洋史学研究』57, 1997.1 論文 李仁哲「春秋決獄の概念についての再検討:董仲舒『春秋決獄』の事例を中心に」 李瑾明「宋代社会救済制度の運用と国家権力:居養院制の変遷を中心に」 李允碩「明末江南「士人」と文社活動:その社会文化的背景を中心に」 金鍾健「1897年山東鉅野教案に関する考察」 김희교「アメリカ商品不買運動(The Anti-American Boycott of 1905)とアメリカの対中国政策」 金浩東「ウイグル歴史家サイラミ(Mullâ Mûsa Sayrâmî、1836-1917)の歴史著述に現れた伝統と近代」 『東洋史学研究』56, 1996.10 論文 河元洙「唐後半期進士科と士人間の私的紐帯」 元廷植「清中期閩南の械闘盛行とその背景」 裵京漢「孫文と上海韓国臨時政府:申圭植の広州訪問(1921年9-10月)と広東護法政府の韓国臨時政府承認問題を中心に」 李昇輝「1926年中共中央第4屆第2次拡大執行委員会について:党内意見対立の一側面」 咸東珠「中日戦争と三木清の東亜共同体論」 『東洋史学研究』55, 1996.7 論文 金聖翰「西魏均田制と麻田の性格:計帳戸籍文書に対する分析を通じて」 鄭炳喆「明前・中期山東の人口移動と社会変化」 朴元熇「明代徽州宗族組織拡大の一契機:歙県の柳山方氏を中心に」 崔震奎「太平天国と上帝教:建国過程における理念を中心に」 崔煕在「光緒初権力関係の変化について」 金世昊「軍閥と地域開発:湖南省路建設における軍閥の役割(1924-1926)」 『東洋史学研究』54, 1996.4 論文 鄭炳俊「唐代藩鎮の州県官任用」 呉金成「入関初清朝権力の浸透と地域社会:広東東・北部地方を中心に」 表教烈「嘉道期漕運改革論の経世論的展開:魏源の海運論とその特性を中心に」 金培喆「太平天国時期湖南社会の軍事化:湘軍勢力の興起と関連して」 李丙仁「1920年代初半上海各路商界総連合会の政治的成長と上海社会」 『東洋史学研究』53, 1996.1 論文 朴漢濟「東晋・南朝史と僑民:僑旧体制」の形成とその展開」 金民壽「東晋・南朝の租税制度」 李玠奭「宋徽宗代紹述新政の挫折と私権的皇権強化」 朴埈洙「「臨時約法」体制化の段祺瑞軍閥政権」 姜明喜「閻錫山政権前期の権力集中と政治改革」 『東洋史学研究』52, 1995.10 論文 朴俸住「斉国経済と『管子』の経済政策論」 鄭台燮「清初の礼学(1)」 兪長根「清末民初広東社会の金蘭会」 『東洋史学研究』51, 1995.7 論文:特集:東アジア史における改革政策 任仲爀「王莽の改革と評価」 申採湜「王安石改革の性格検討:特に新法の保守性に関して」 張義植「近代中国の改革運動:研究傾向の理解」 金光玉「日本近世後期藩政改革と儒学」 『東洋史学研究』50, 1995.4 特集:韓国東洋史学界の新しい研究方向模索 閔斗基「中国紙研究の「水準」と「普及」」 朴漢済「「僑民体制」の展開と南朝史:南・北朝史の統一的理解のためのひとつの提案」 金鐸敏「唐代史研究の現況と課題」 申採湜「宋代史研究の問題と新しい方向模索」 李玠奭「蒙古帝国・元史研究の展望と課題」 呉金成「明清時代の無頼:研究の現況と課題」 曺永禄「東亜近世社会の名分主義の展開と屈折:私の明代史研究入門、遍歴そして課題」 李炳柱「中国現代史研究現況についての管見:韓国の独自的な研究傾向構築を考えて」 尹世哲「可能性としての社会科学的接近」 金九鎮「満州史研究の時代的推移とその正しい研究方向の模索」 金鉉求「日本古代史の研究」 劉仁善「ベトナム伝統社会と儒教化問題、そして我々のベトナム史研究」 論文 金文経「唐・日に映った張保皐」 李敏鎬「張居正(1525-1582)財政政策の性格:財政の中央執権化と江南地主層牽制」 表教烈「清代前期の漕運改革論」 許元「清末西洋教会の内地不動産租買権と中国官・民の対応」 車瓊愛「ドイツの義和団運動鎮圧戦争参加についての一考察」 李元揆「1920年代(1920-1927)湖南の食糧問題と農民運動」 『東洋史学研究』49, 1994.10 論文 裵淑姫「宋代殿試策題に関して」 曺在松「葉適経世思想の経史論」 宋正洙「清入関初郷村社会と郷村支配研究:郷約・保甲制の形成過程を中心に」 書評 金泰丞「現代中国学生運動の社会史:白永瑞『中國現代大學文化硏究:1920年代 大學生의 正體性 危機와 社會變革』一潮閣、1994年」 『東洋史学研究』48, 1994.7 論文 金九鎮「明代女真の中国に対する貢貿易と私貿易」 李俊甲「順治年間清朝の湖広剿撫と兵餉補給」 裵京漢「北伐完成直後蒋介石の中央軍体制確立努力と編遣会議」 『東洋史学研究』47, 1994.4 論文 丁戴勲「突厥第二帝国時期(682-745)トニュクク(Tonyuquq)の役割と位相:『トニュクク碑文』の分析を中心に」 呉金成「明末湖広の社会変化と承天府民変」 金泰丞「1920年前後上海労働者罷業の性格」 『東洋史学研究』46, 1994.1 論文 李玠奭「14世紀初漠北游牧経済の不安定と部民生活」 金承郁「北伐時期上海自治運動に関する一考察:上海各馬路商界総連合会の活動を中心に」 李炳柱「江蘇省教育学院と民衆教育運動」 書評 裵京漢「尹惠英『中國現代史硏究:北伐前夜北京政權의 內部的 崩壞過程(1923-1925)』一潮閣、1991年」 『東洋史学研究』45, 1993.10 論文 金民寿「国家権力を通じて見た東晋末期史:司馬道子父子と桓玄の府僚を中心に」 張義植「清末学堂出身者に対する奨励制度と学生社会」 柳鏞泰「国民革命期知識青年の郷村運動と湖南農民協会の組織」 説叢 金誠賛「太平天国拝上帝集団の性格についての社会史的理解への一展望:広西拝上帝教理浸透村鎮に対する現地調査を中心に」 『東洋史学研究』44, 1993.7 論文 尹在碩「秦簡『日書』に表れた「室」の構造と性格:戦国期秦の家族類型考察のための試論」 金翰奎「漢代及び魏晋南北朝時代の輔政体制」 曺永禄「陽明学と明末の仏教三教合一説を中心に」 『東洋史学研究』43, 1993.4 論文 朴漢済「7世紀隋唐両朝の韓半島進出経緯についての一考:隋唐初皇帝の正統性確保問題と関連して」 金鍾博「明末均田均役法とその実施背景」 鄭炳喆「明末・清初華北における自衛活動と紳士:山東・北直隷を中心に」 『東洋史学研究』42, 1993.1 論文 金鐸敏「隋代の租調役徴収体制と土地所有関係」 河元洙「唐代明経科の性格」 任城模「満州国協和会の対民支配政策とその実態:「東辺道治本工作」と関連して」 『東洋史学研究』41, 1992.10 論文 朴東憲「漢代農家副業生産の成長とその性格:前漢代華北地方を中心に」 呉金成「中国近世の農業と社会変化」 閔斗基「現代中国における教科書と時代状況:1920年代末・1930年代初の初等学校教科書の内容分析」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140
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トップページ 社会 猿人・・・400万年以上前に出現。 原人・・・約180万〜50万年前に出現。 旧人・・・約50万〜20万年前に出現。 新人・・・約10万〜3万年前に出現。 アウストラロピテクス・・・1の一種, アフリカで発見。 ジャワ原人・・・2の一種, インドネシアのジャワ島で発見。 北京原人・・・2の一種, 中国の周口店で発見。 ネアンデルタール人・・・3の一種, ドイツで発見。 クロマニョン人・・・4の一種, フランスで発見。 旧石器時代・・・約400万年前〜約1万年前。 新石器時代・・・約1万年前から数千年。 金属器時代・・・生活が安定し, 争いが増えたことから支配者が誕生した時代。 打製石器・・・石を打ち砕いてつくった石器。 磨製石器・・・石の表面を磨いてつくった石器。 青銅器・・・12の時代に誕生した石器。 エジプト文明・・・ナイル川流域に誕生, 象形文字を使用。 メソポタミア文明・・・チグリス川とユーフラテス川流域に誕生, くさび形文字を使用。 インダス文明・・・インダス川流域に誕生, インダス文字を使用。 中国文明・・・黄河と長江流域に誕生, 甲骨文字を使用。 ピラミッド・・・16の文明の代表的な遺跡。 ハンムラビ法典・・・17の文明の法典。 モヘンジョ=ダロ・・・18の文明の代表的な都市遺跡。 殷・・・19の文明で紀元前16世紀頃誕生した王朝。 周・・・19の文明で紀元前11世紀頃誕生した王朝。 秦・・・19の文明で紀元前221年に始皇帝が統一し誕生。 漢・・・19の文明で紀元前202年に誕生。 高句麗・・・紀元前後に朝鮮半島北部に誕生。 百済・新羅・・・4世紀中頃に朝鮮半島南部に誕生。 シルクロード・・・19の国家から中央アジアなどを経由しヨーロッパを結んだ道。 仏教・・・シャカが紀元前6世紀〜紀元前5世紀頃開いた宗教。 ギリシャ・・・紀元前8世紀頃から, ポリスと呼ばれる都市国家がつくられた。 アテネ・・・31にあった都市国家, 民主政治が行われる。 ソクラテス・プラトン・・・31の哲学者。 アレクサンドロス大王・・・マケドニアの大王, 遠征を行い大帝国を築く。 ローマ帝国・・・イタリアにあった都市国家で後に地中海沿岸を統一, 大帝国を築く。 キリスト教・・・35の国教, 教会がつくられる。 イエス・・・ユダヤ人, 36の開祖。 氷河時代・・・海面が下がり, 大陸と日本列島が陸続きになった時代。 岩宿遺跡・・・打製石器が発見され旧石器時代の存在が明らかになった群馬県の遺跡。 縄文時代・・・約1万年前〜紀元前4世紀頃。 縄文土器・・・40の時代につくられた土器。縄の模様がついている。 貝塚・・・40の時代のゴミ捨て場, 貝殻, 動物の骨などが発見されている。 縦穴住居・・・地面を掘り下げて, 上に草葺きの屋根をかけた住居。 三内丸山遺跡・・・40の時代の集落群, 青森県の遺跡。 土偶・・・呪いなどに使われた, 主に女性を象った土製の人形。 弥生時代・・・紀元前4世紀頃〜紀元前3世紀。 弥生土器・・・46の時代につくられた土器。装飾が少ない。 銅鐸・・・青銅器の1つ, 他に銅剣, 銅鏡, 銅矛などがある。 石包丁・・・稲の穂をつみとる道具に使われた。 高床倉庫・・・収穫物を貯蔵する倉庫。 吉野ヶ里遺跡・・・46の時代の集落群, 佐賀県の遺跡。 奴国・・・王が漢に使いを送り, 金印を授けられる。 邪馬台国・・・『魏志』倭人伝に記録が残る国, 30あまりの国を従えた。 卑弥呼・・・53の女王, 義に使いを送り「親魏倭王」の称号が与えられる。 古墳・・・王や豪族の墓で, 勢力の強さを示している。 古墳時代・・・3世紀後半〜4世紀。 前方後円円墳・・・55の一種, 55には他に円墳, 方墳, 前方後方墳などがある。 大仙古墳・・・大阪府堺市にある日本最大の57で, 仁徳天皇の墓とされている。 はにわ・・・人物, 馬などを象った焼き物, 古墳に置かれた。 大和政権・・・王や豪族が連合して, 紀元前3世紀後半から4世紀頃つくられた。 大王・・・60の支配者, 中国では倭王と呼ばれた。 渡来人・・・朝鮮半島や中国から日本に移り住んできた人たち。 隋・・・6世紀末に中国統一を果たし成立, 7世紀前半に滅びる。 唐・・・63の後に成立し, 中国を統一。 長安・・・64の首都, 現在の西安(中国)。 律令・・・64の政治・税について定めた法律。 均田制・・・戸籍をつくり, 登録した人には土地を与える制度。 蘇我氏・・・豪族同士の争いで, しだいに力を伸ばしていった豪族。 聖徳太子・・・推古天皇の摂政となり, 政治の仕組みを整えた人物。 蘇我馬子・・・68の1人で, 69と協力し政治を行った人物。 冠位十二階・・・69が定めた, 才能があるものを役人に採用する制度。 十七条の憲法・・・69が定めた, 役人の心構えを示したもので, 30などの影響が強い。 遣隋使・・・63への外交使節で, 最初に小野妹子を派遣した。 法隆寺・・・69が建造した, 世界最古の木造建築で世界遺産。 遣唐使・・・64への外交使節で, 630年に最初に派遣。 大化の改新・・・中大兄皇子や中臣鎌足が行った政治改革, 68を倒す。 公地公民・・・76以降定められ, 土地は国家のもとに置くという制度。 白村江の戦い・・・663年, 日本が28を援助した戦い, 日本は敗北。 天智天皇・・・元中大兄皇子, 都を大津に移す。 壬申の乱・・・79の後継者をめぐる戦い, 大友皇子と大海人皇子との間に起こる。 天武天皇・・・80に勝利した, 大海人皇子が即位。 大宝律令・・・64の66にならって, 701年につくられた法律。 平城京・・・710年, 65にならって奈良につくられた都。 和同開珎・・・708年に発行された銭貨。
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トップページ>歴史>歴史学報 『歴史学報』120、1988.12 論文 李喜寬「朝鮮初太宗の執権とその政権の性格」 송상용「ロバート・フックの再評価:科学革命の社会的側面」 回顧と展望:東洋史学界、1985-1987 黄元九「総説」 金翰奎「古代」 朴漢済「中世」 周采赫「近世Ⅰ」 金漢植「近世Ⅱ」 辛勝夏「近現代」 金鉉球「日本」 宋寅瑞「東南アジア・インド」 書評 金鐸敏「朴漢済『中国中世胡漢体制研究』一潮閣、1988年」 『歴史学報』119、1988.9 論文 金浩東「ムガル汗国の初期イスラム聖者たち」 許勝一「ポリュビオスの混合政体論とティベリウス・グラックスの改革」 徐栄洙「広開土王陵碑文の制服記事再検討(中)」 書評 柳永益「Ki-baik Lee『A NEW HISTORY OF KOREA, Tr. Edward W. Wagner with Edward J. Shultz, Seoul Ilchogak and Cambridge, Mass』Harvard University Press, 1984」 金漢植「曺永禄『中國近世政治史硏究-明代 科道官의 言官的 機能』知識産業社、1988年」 全海宗「崔韶子『東西文化交流史硏究-明ㆍ淸時代 西學受容-』三英社、1987年」 『歴史学報』118、1988.6 論文 鄭清柱「新羅末・高麗初豪族の形成と変化についての一考察:平山朴氏の一家門の実例検討」 李章雨「朝鮮初期軍資田についての一考察」 金恩淑「西文氏の「帰化」伝承」 書評 江晋哲「李丙燾『韓国儒学史』民族文化推進会、1987年」 李勛相「James B. Palais『Politics and Policy in Traditional Korea』Cambridge, Massachusetts Harvard University Press, 1975」 『歴史学報』117、1988.3 論文 金甲童「高麗初期官階の成立とその意義」 朴賛殖「申櫶の国防論」 尹承駿「修正主義的フランス産業化論についての一考察」 資料紹介 金龍善「新資料高麗墓誌銘17点」 書評 鄭杜煕「宋俊浩『朝鮮社会史研究』一潮閣、1987年」 盧瑞卿「Michelle Perrot『Les Ouvriers en Grève, France 1871-1890 ⅠㆍⅡ』Mouton, Paris 1974」 『歴史学報』116、1987.12 論文 朴漢済「北魏の対外政策と胡漢体制:統一体制指向と関連して」 車転桓「紀元前2世紀前半ローマの納上経営:カートの農業書を中心に」 梁東烋「アメリカ南部経済の発展:其一:1840-1860」 李銀基「13-15世紀のイタリア説教画研究」 回顧と展望:韓国史学界、1984-1986 韓栄国「総説」 安春培「考古学」 李鍾旭「古代」 閔賢九「高麗」 権延雄「朝鮮前期」 韓相権「朝鮮後期」 鄭昌烈「最近世」 『歴史学報』115、1987.9 論文 李鍾旭「新羅時代の血族集団」 李成茂「朝鮮初期奴婢の従母法と従父法」 金明淑「朝鮮後期暗行御史制度の一研究:高宗5年(1868)の書啓・別単を中心に」 辛聖坤「雑戸身分の変遷とその性格」 張世龍「大革命前フランスの身分移動」 書評 尹龍爀「金塘澤『高麗武人政権研究』새문社、1987年」 『歴史学報』114、1987.6 論文 金基承「白巖朴殷植の思想的変遷過程:大同思想を中心に」 金培喆「清末民国初湖南における王夫之思想:その受容と顕彰」 劉仁善「中越関係と朝貢制度:仮象と実像」 朱明哲「アンシャン・レジーム末期の禁書に関する一考」 説林 崔晶姸、李範鶴「明末清初税役制度改革と紳士の存在形態:浜島敦俊と川勝守の研究を中心に」 書評 金杜珍「李基白『新羅思想史研究』一潮閣、1986年」 『歴史学報』113、1987.3 論文 徳成外志子「朝鮮後期の貢物貿納制:貢人研究の前提作業として」 金世昊「1920年代初趙恒惕軍閥政権の政治的性格」 金奉哲「デマゴーグ・クレオン」 説林 金炅賢「ローマ共和秘史研究上の諸問題」 書評 朴元熇「呉金成『中國近世社會經濟史硏究 -明代 紳士層의 形成과 社會經濟的 役割』一潮閣、1986年」 金栄漢「林煕完『清教徒革命의 宗敎的 急進思想-윈스탄리를 중심으로』集文堂、1985年」 『歴史学報』112、1986.12 論文 韓嬉淑「朝鮮初期の伴倘」 姜世求「順菴安鼎福の『東史綱目』「地理考〉」に関する一考察」 説林 河宇鳳「新たに発見された日本使行録:『海行摠載』の補充と関連して」 回顧と展望:西洋史学界、1979-1985 閔錫泓「総説」 許勝一「古代」 李石佑「中世」 羅鍾一「近代:イギリス」 崔甲寿、李仁浩「近代:ロシア」 呉麟錫「近代:ドイツ」 鄭萬得「近代:アメリカ」 李光周、崔文衡「歴史評論;思想史・外交史」 『歴史学報』111、1986.9 論文 南天祐「龕仏を含む諸像と石窟法堂の教理的解釈:十二支縁起思想と新羅の仏教」 鄭萬祚「英祖代中半の政局と蕩平策の再定立:少論蕩平における老論蕩平への転換」 呉在環「5・4運動期前後中国知識人の反キリスト教論争」 石和静「露仏同盟更新についての一研究:対英防禦機構としての性格を中心に」 李柱郢「第1次世界大戦とアメリカの自由主義:国家統制と改革の関係を中心に」 説林 李基白「新羅時代の仏教と国家」 書評 姜晋哲「金成俊『韓国中世政治法制史研究』一潮閣、1985年」 尹世哲「辛勝夏『근대중국의 서양인식』고려원、1985年」 林志弦「Ian Cummins『Marx, Engels and National Movement』London Croom Helm Ltd., 1980」 『歴史学報』110、1986.6 論文 李碩圭「朝鮮初期書筵研究」 李銀順「18世紀老論ー党専制の成立課程:辛壬士禍と闡義昭鑑の論理を中心に」 朴賛勝「丁若鏞の井田制論考察:『経世遺表』「田制」を中心に」 金廷禧「朝鮮朝明宗代の仏画研究:清平寺地蔵十王図を中心に」 盧瑞卿「フランス総合社会党(SFIO)創党とジャン・ジョレス(1902-1905)」 李相信「概念史の理論と研究実際」 書評 金泰永「李泰鎮『韓国社会史研究』知識産業社、1986年」 李春植「卞麟錫『安史亂의 新硏究』蛍雪出版社、1984年」 『歴史学報』109、1986.3 論文 鄭杜煕「朝鮮成宗代臺諫の弾劾活動」 高珽烋「開化期李承晩の思想形成と活動(1875-1904)」 李鍾範「1920・30年代珍島地方の農村事情と農民組合運動」 宋俊浩「韓国の氏族制における本貫と始祖の問題:韓中両国の伝統社会を比較する立場からその性格を究明する」 金鐸敏「均田制下における田種の性格と受田の意味:北朝均田制を中心に」 金栄漢「ジョン・ベラーズ(John Bellers)と彼のユートピア」 説林 이융조「韓国旧石器文化における周峯(두루봉)文化:최무장教授の「書評」を読んで」 書評 金貞培「歴史学会 編『韓國古代의 國家와 社會』一潮閣、1985年」 『歴史学報』108、1985.12 論文 鄭吉子「高麗貴族の組立式石棺とその線刻画研究」 李光麟「旧韓末露領移住民の韓国政界進出について:金鶴羽の活動を中心に」 박환「「新民府」についての一考察」 趙仁衡「ユセビウスの『教会史』叙述に関する研究:その史料取扱についての批判を中心に」 説林 郭次燮「ルネサンス・ヒューマニズムの解釈についての再検討:クリステラ(Kristeller)学派の「修辞的ヒューマニズム」に対する批判を中心に」 書評 李基白「韓国考古学研究会 編『韓国考古学地図』1984年」 愼鏞慶「柳永烈『開化期의 尹致昊硏究』한길사、1985年」 回顧と展望:東洋史学界、1979-1984 黄元九「総説」 金燁「古代」 柳元迪「中世」 李東馥「近世Ⅰ」 朴元熇「近世Ⅱ」 尹世哲「近現代」 金容徳「日本」 劉仁善「東南アジア・インド」 『歴史学報』107、1985.9 論文 李基白「『三国遺事』王暦篇の検討」 金勲埴「16世紀『二倫行実図』普及の社会史的考察」 李勛相「朝鮮後期慶州の郷吏と安逸房」 愼鏞廈「呉慶錫の開化思想と開化活動」 河政植「太平天国についての朝鮮政府の認識」 書評 朴永錫「愼鏞廈『韓国民族独立運動史研究』乙酉文化社、1985年」 林志弦「Bob Scribner Gerhard Benecke ed., 『The German Peasant War of 1525-New View points』London George Allen Unwin, 1979」 『歴史学報』106、1985.6 論文 金瑛河「高句麗の巡狩制」 崔在錫「韓国家族史における互いに異なるふたつの原理について」 洪承基「高麗前期家田と朝家田の税額・租額とその佃戸の経済的地位:公田関係史料の検討を中心に」 柳昌圭「朝鮮初親軍衛の甲士」 池秀傑「朝鮮農民社の団体性格に関する研究:天道教青年党との関係を中心に」 李東馥「金初女真社会の構成:猛安謀克戸の編成」 書評 李成茂「李載龒『朝鮮初期社会構造研究』一潮閣、1984年」 黄元九「高柄翊先生回甲紀念史学論叢刊行委員会 編『歷史와 人間의 對應』한울出版社、1984年」 鄭萬得「李普珩『美国史研究序説』一潮閣、1984年」 『歴史学報』105、1985.3 論文 徐永大「『三国史記』と原始宗教」 趙珖「朝鮮後期天主教指導層の特性」 尹貞愛「韓末地方制度改革の研究」 鄭鉉栢「労働運動の内的民主主義に関する研究:1890-1914期のドイツ自由民衆劇団の活動を中心に」 書評 崔茂蔵「이융조『한국의 구석기문화(Ⅱ)』探求堂、1984年」 朴恩駆「B. Tierney P. Linehan ed.,『AUTHORITY AND POWER Studies on Medieval Canon Law and Government Presented to Walter Ullmann on His Seventieth Birthday』Cambridge University Press, 1980」 『歴史学報』104、1984.12 論文 金鎮玉「『世説新語』についての一考察:清談と関連して」 李来珠「グリーン(T.H. Green)とイギリス自由主義の修正」 回顧と展望:韓国史学界、1979-1983 李基白「総説」 金秉模「考古学」 李基東「古代」 金塘澤「高麗時代」 鄭杜煕「朝鮮前期」 鄭萬祚「朝鮮後期」 趙東杰「最近世」 『歴史学報』103、1984.9 論文 柳浩錫「高麗時代の国子監試についての再検討」 尹炳喜「朝鮮中宗期士風と『小学』:新進士類の道徳政治具現と関連して」 白賢淑「崔瑆煥の人物と著作物」 曺秉漢「章学誠儒教史学の基本概念とその政治的意味:「専家」と「史」の概念分析を中心に」 張義植「清末の科挙制廃止過程研究:新学校制と科挙の統合化を中心に」 書評 宋寅瑞「劉仁善『베트남史』民音社、1984年」 金栄漢「車河淳『衡平의 硏究:17・18世紀 유럽政治思想을 中心으로』一潮閣、1983年」 洪成杓「Carl J. Dahlman『The Open Field System and Beyong A Property Rights Analysis of and Economic Institution』Cambridge Univ. Press, 1980」 『歴史学報』102、1984.6 論文 金東洙「高麗時代の相避制」 盧鏞弼「洪子藩の「便民十八事」についての研究」 李栄薫「朝鮮後期農業変動の基本様相に関する諸事例の分析」 朱明哲「フランス革命以前の社会病理現象:禁書の流通を中心に(1774-1789)」 林志弦「ダーウィンとマルクス:献呈説を中心に」 金相洙「イギリスの対米接近についての一研究:両国の「門戸解放政策」を中心に」 説林 李成茂「朝鮮初期身分史研究の再検討」 書評 李基白「安啓賢『韓国仏教思想史研究』東国大学校出版部、1983年;『韓国仏教史研究』同和出版社、1982」 李範稷「金泰永『朝鮮前期 土地制度史研究』知識産業社。1983年」 『歴史学報』101、1984.3 論文 崔永浩「幼学・学生・校生考:17世紀身分構造の変化について」 姜吉遠「海山全垂鏞の抗日闘争」 金永真「北宋前期京師米行商の入中辺糧活動:商業資本形成に関する一考察」 金英那「西洋の屋外(plein air)風景画の伝統:印象主義までの展開過程」 朴相益「バーク(Edmund Burke)の保守主義の思想的基礎」 説林 박영철「いくつかの旧石器遺跡についての意見」 書評 鄭杜煕「韓永愚『朝鮮前期社会経済研究』乙酉文化社、1983年」 李桂郢「梁秉祐 外『福祉國家의 形成』民音社、1983年」 金麟中「William H. Sewell. Jr., 『Work Revolution in France The Language of Labor from the Old Regime to 1848』Cambrige Univ. Press, 1980」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180 181-190 191-200 201-210 211-220 221-230
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トップページ>東アジア・東洋>東洋史学研究 『東洋史学研究』40, 1992.7 論文 辛聖坤「魏晋南北朝時期部曲に対する再考察」 李瑾明「五代宋初胥吏存在形態の変化とその性格:胥吏制度の確立過程と関連して」 尹世哲「国民党「一大」を前後した国共葛藤:国民党監察委の共産党弾劾案発議背景に関する序説的一考」 『東洋史学研究』39, 1992.5 論文 鄭哲雄「清末揚子江中流地方の商業活動」 方用弼「上海海関の臨時制度(1853-54):英米領事による関税代徴行政」 白永瑞「1920年代中国大学生の日常生活にとってのアイデンティティ危機:伝統的家族制との衝突」 説叢 曺永禄「新発見黄宗羲著作二種とその民族思想問題」 『東洋史学研究』38, 1992.1 論文 千聖林「章炳麟(1869-1936)の資本主義批判:『民報』時期を中心に」 田寅甲「5・30運動と上海総工会:上海5・30運動の性格と関連して」 裵京漢「蒋介石と4・12政変」 『東洋史学研究』37, 1991.9 論文 崔振黙「漢魏交替期経世論の形成とその展開:礼教秩序から名法秩序への指向」 金貞姫「唐代後期塩専売制度下の塩商」 李範鶴「司馬光の「正名」思想と人治主義の展開」 『東洋史学研究』36, 1991.5 論文 李成九「中国古代の市の観念と機能」 方香淑「前漢の外戚輔政と王莽政権の出現背景」 金栄済「唐・宋代上供の増大過程:特に宋代の常平倉・和賈・和糴等を中心に」 『東洋史学研究』35, 1991.1 論文 金秉駿「後漢時代里父老と国家権力:「漢侍廷里父老僤買田約束石券」の分析を中心に」 呉金成「清朝権力の地方浸透過程:明末・清初の江西南部地方を中心に」 尹輝鐸「1930年代(1934-1938)北満州農村の社会構成:(半)雇農を中心に」 『東洋史学研究』34, 1990.9 論文 金裕哲「江夏王義恭の政治活動とその指向:南朝親王の政治的活動華夷念についての一例」 김영제「唐宋時代の両税と沿徵」 林相範「中国共産党北京支部の創立と初期活動」 『東洋史学研究』33, 1990.5 論文 梁鍾国「宋代読書人層の膨脹と「士大夫」の概念変化について」 金浩東「前期モグール汗国(Moghul Khanate)の継承紛争を通じて見た遊牧的部族政治の特徴」 閔斗基「徐謙(1871-1940);政客と革命家の間:国民革命期政治指導者像としてのひとつの接近」 書評 李根雨「成殷九『訳註日本書紀』正音社、1987年」 『東洋史学研究』32, 1990.1 論文 池培善「北燕について(Ⅲ):馮弘在位時と対高句麗関係を中心に」 朴根七「唐後期銭荒対策の展開とその性格」 元廷植「乾・嘉年間北京の石炭需給問題とその対策」 『東洋史学研究』31, 1989.9 論文 李成珪「秦の地方行政組織とその性格:県の組織とその機能を中心に」 朴基水「太平天国以前(1830-1850)広西民衆蜂起」 姜明喜「南京政府(1927-1937)下の合作社運動展開とその限界:江蘇省信用合作社を中心に」 『東洋史学研究』30, 1989.5 論文 金秉駿「後漢法律家の活動とその性格」 崔在錫「日本原住民の文化水準と古代日本の開拓者」 車惠媛「清初言官の政治的機能変化:六科の都察院帰属を中心に」 金衡鍾「辛亥革命における反帝問題の認識と実践:「革命瓜分論」と革命派の対応」 『東洋史学研究』29, 1989.1 論文 沈載勲「二里頭・偃師商城・鄭州商城と夏・商の関係」 李成珪「秦の山林藪沢開発の構造:県廷嗇夫組織と都官の分析を中心に」 池培善「北燕について(Ⅱ):馮跋とその在位時を中心に」 李賢珪「康有為の経済論」 『東洋史学研究』28, 1988.9 論文 李在成「初期庫莫奚の成長と周辺諸族:特に北魏との交易を中心に」 張義植「清末科挙制改廃に対する各界の反応と旧科挙層の対策」 尹惠英「曹錕の腐敗選挙(1923年)と法統問題の終息」 『東洋史学研究』27, 1988.5 論文 崔震奎「「清中期五省白蓮教反乱」の宗教的契機:口号と儀式を中心に」 金誠賛「太平天国政権の確立過程と「安民」政策」 金正賢「1930年代中国知識人の政治活動と理念」 『東洋史学研究』26, 1987.12 論文 李春植「西周宗法封建制度の起源問題」 卞麟錫「唐代外国使の争長事例から見た古麻呂抗議の再論:『続日本紀』関係史料の批判を中心に」 崔甲洵「還源と収元:明清代民間信仰の救済観」 尹惠英「第一次直奉戦争後自由主義知識人の北京政府観「好人政府論」と羅文幹事件を中心に」 『東洋史学研究』25, 1987.6 論文 李成九「戦国時代官僚論の展開」 金斗鉉「遼東支配期ヌルハチの対漢人政策:「計丁授田」と「編丁立荘」の再検討」 李香哲「日本ファシズムの「国家改造」思想研究」 『東洋史学研究』24, 1986.12 論文 任仲赫「雲夢秦簡の賞罰について」 朴漢済「北魏均田制の成立と胡漢体制」 卞麟錫「武英殿聚珍版程式の書誌的考察」 金浩東「1864年新疆ムスリム反乱の初期経過」 『東洋史学研究』23, 1985.12 論文 柳元迪「唐前半期都督府と州の統属関係」 呉金成「明代鄱陽湖周辺農村の社会変動」 崔煕在「1874-5年海防・陸防議論の性格」 研究略稿 Roderich Ptak, 申龍澈「ポルトガル極東貿易の成衰:1513-1640年間マカオと日本を中心に」 『東洋史学研究』22, 1985.9 論文 李成珪「秦の身分秩序構造」 呉相勲「李家道の成立と展開:漢・六朝時代道教展開の一様相」 朴赫淳「1880-1年の招商局運営方針論争」 『東洋史学研究』21, 1985.6 論文 曺永禄「嘉靖初政治対立と科道官:大礼議を中心に」 表教烈「西大后政権の成立過程について:辛酉政変の再検討」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140
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はじめに(使い方) このページは、世界史の知識をアウトプットするためのページです。 問題の隣の【Ans.】を押すと、答えが浮き彫りになります。 現時点での実力確認に是非用いてください。 問題の順序は、定期的に並び替えられます。新しい問題も追加されます。是非、何度もこのページに訪問して、問題演習に取り組んでください。 ただ解くだけでなく、解いた結果を振り返り、不足している知識は改めてインプットしてください。 インプット用でおすすめなのは「世界史の窓」というサイトです。ここで、確認したい用語についてページ内検索をかけると、必ずヒットするはずです。 インプットの際、設問で問われた内容だけでなく、その周辺知識も補強するよう意識しましょう。 設問 1アメンホテプ4世は、( 地域名 )を紀元前14世紀頃に支配していた王である。【 Ans. エジプト 】 2カルロス1世(カール5世)は、スペインに( )朝を始めた。【 Ans. ハプスブルク 】 3ヘンリ8世の頃、( )帝国議会が開かれた。【 Ans. ウォルムス 】 4匈奴は、( 中国王朝名 )の( 人名 )の攻撃で衰退した。【 Ans. 前漢、武帝 】 5次の3つの国を時代順に並び替えよ。 ①ガーナ王国 ②ソンガイ王国 ③マリ王国【 Ans. ①③② 】 6前漢の都は( )である。【 Ans. 長安 】 7ビザンツ皇帝ユスティニアヌス1世は、ヴァンダル王国と( )王国を滅ぼし、また、( )朝のホスロー1世と抗争した。【 Ans. 東ゴート ササン 】 8ローマ教皇が( )国王に帝冠を与えたのは( )年のことである。【 Ans. フランク 800 】 9インダス文明は、( )人がおこした文明で、( )器の文明である。【 Ans. ドラヴィダ 青銅 】 10二十進法が使われ、トウモロコシを栽培しているのは( )文明である。【 Ans. マヤ 】 11玄奘は( )朝時代のインドを訪れた人で、( 3/5/7/9 )世紀前半に生きた人である。【 Ans. ヴァルダナ 7 】 12ノルマンディー公ウィリアムは、( )を征服した。【 Ans. イングランド 】 13ユトレヒト条約は、( )戦争の講和条約である。【 Ans. スペイン継承 】 14紀元前1世紀~7世紀半ばに朝鮮北部を支配していたのは( )である。【 Ans. 高句麗 】 15パルテノン神殿は紀元前5世紀にフェイディアスが( )の( )に建てた。【 Ans. ギリシア アテネ 】 1611世紀に、クヌートは( )を征服し、のちにはノルウェーやデンマークも支配し、( )帝国を築き上げた。【 Ans. イングランド 北海 】 17開元の治とは、( )の治めていた時代のことを言う。この時代の後半に、( )の乱が起こった。【 Ans. 玄宗、安史 】 189世紀頃にスウェーデン系( )人がキエフ公国を建てた。【 Ans. ノルマン 】 19新バビロニアは、( 4/6/8/10 )世紀後半、( )朝に滅ぼされる。【 Ans. 6 アケメネス 】 20スペイン王( )のとき、レパントの海戦が起こった、【 Ans. フェリペ2世 】 21エリザベス1世は、( )朝最後のイギリス王である。【 Ans. テューダー 】 22前漢において、諸侯権力の削減を行った結果、それに対抗する勢力が( )の乱をおこした。【 Ans. 呉楚七国 】 23インドの( )朝は、ササン朝に滅ぼされた。【 Ans. クシャーナ 】 24( 13/14/15/16 )世紀末のトルデシリャス条約により、ポルトガルと( )間の領土分割線が決まった【 Ans. 15 スペイン 】 25渤海は( 3/5/7/9 )世紀末に建国され、10世紀に( )に滅ぼされた。【 Ans. 7 契丹 】 26グプタ朝の時代、中国の( )から( 人名 )が来訪した。【 Ans. 東晋 法顕 】 27ネストリウス派は、( )朝を経由して中国に伝わった。【 Ans. ササン 】 28マウリヤ朝の首都( )は、インドの( 北西/北東 )部につくられた、【 Ans. パータリプトラ 北東 】 29第1回十字軍は、( )朝の聖地を占領した。【 Ans. セルジューク 】 301095年、( )がクレモン宗教会議を開いた。【 Ans. ウルバヌス2世 】 31イオニア自然哲学者で万物の根源を( )と考えたのは( 人名 )である。【 Ans. 水 タレス 】 32( )朝は、カニシカ王のときが最盛期である。【 Ans. クシャーナ 】 33( )朝エジプトの女王クレオパトラは、ローマの( )を相手にアクティウムの海戦で戦い、敗北した。【 Ans. プトレマイオス オクタヴィアヌス 】 345世紀頃、( 中国王朝名 2字 )が均田制をはじめた。【 Ans. 北魏 】 35ビザンツ皇帝( )は、( 4/6/8/10 )世紀前半、聖像禁止令を出した。【 Ans. レオン3世 8 】 3618世紀後半、フランスは( )の戦いでイギリスに勝利した。【 Ans. ヨークタウン 】 37南詔は、( 中国王朝名 )の時代に中国の雲南地方を支配していた。【 Ans. 唐 】 38班超の部下甘英が( 5字 )に向かったのは( 中国王朝名 )の時代の頃である。【 Ans. ローマ帝国 後漢 】 39唐は、( 4/6/8/10 )世紀初めに( )によって滅ぼされた。【 Ans. 10 朱全忠 】 40( 中国王朝名 )は、永嘉の変で( )に滅ぼされた。【 Ans. 西晋、匈奴 】 41ギリシア人の一派である( )人は、ペロポネソス半島南部に侵入し、( )を建設した。【 Ans. ドーリア、スパルタ 】 42ノルマンディー公国は、( 4/6/8/10 )世紀初めに( )が建国した。【 Ans. 10 ロロ 】 4310世紀頃、( )朝では軍管区(テマ)制が施行された。【 Ans. ブワイフ 】 44( 中国王朝名 2字 )は、靖康の変で( )に滅ぼされた。【 Ans. 北宋、金 】 45アタナシウス派は、( )公会議で異端とされた。【 Ans. ニケーア 】 46唐の( 人名 )の時代に、( )の乱が起きた。これは( 3/5/7/9 )世紀後半の頃である。【 Ans. 武宗 黄巣 9 】 47次の4王朝を時代順に並び替えよ。①ヴァルダナ朝 ②クシャーナ朝 ③マウリア朝 ④グプタ朝【 Ans. ③②④① 】 48( )教は紀元前5世紀頃にヴァルダマーナが創始した。【 Ans. ジャイナ教 】 49紀元前490年、( )の戦いでペルシャはアテネの重装歩兵に敗北した。【 Ans. マラトン 】 50ローマ帝国の( 人名 )の時代、帝国の全自由民にローマ市民権が与えられた。【 Ans. カラカラ帝 】
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シバエン 列伝 司馬懿の孫。司馬昭の長男。司馬攸の兄。晋の武帝。 【演義】 司馬昭の死後、晋王の位を継ぐ。間もなく、腹心の賈充らを使って魏帝・曹奐を退位させ、帝位に即いた。呉の陸抗が罷免され、羊祜から呉討伐を上奏された際、賈充、荀勗、馮紞(ふうたん)にいさめられ、出兵を見合わせる。羊祜が病死した後、王濬、杜預から再度、呉討伐が上奏されると出兵を決定。杜預、司馬伷、王渾、王戎、胡奮、王濬、唐彬、楊済らを派遣し、呉を滅ぼした。 【正史】 晋では皇族に兵権を与え各地に封じた。皇帝の力が弱まると、各地で皇族が独立し「八王の乱」を招いた。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 69 59 76 79 74 357 128 204 順位 242 388 119 85 147 103 334 173 偏差値 55.2 51.6 58.4 60.2 57.7 60.6 53.4 56.9 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 C C B B C C 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 43 51 41 56 45 55 54 55 41 41 41 46 順位 402 311 412 304 357 202 334 218 412 298 403 289 偏差値 48.7 51.4 48.7 51.5 52.0 54.7 51.4 54.7 49.3 51.9 49.7 52.6 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技なし マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 31 司隷 名声 中華統一 重視 2/5 5/5 1/3 236 250 290(55歳) 自然死 剛胆 剛胆 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 道理 ○ ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 司馬炎 親愛 賈充、諸葛靚 賈充、裴秀 嫌悪 文鴦 なし 血縁 世代 0 ● 1 司馬朗 司馬懿 司馬孚 2 司馬師 司馬昭 司馬伷 司馬望 3 司馬炎 司馬攸 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 洛陽 司馬懿 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S12 187年 4月 何進包囲網 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 - 未登場 洛陽 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 一般 洛陽 張春華 100 右僕射 1000 - - 三国志をバッドエンドにした、真の張本人。 能力的には典型的な文官な上、登場自体が遅いので英雄集結辺りで無いと中々お目にかかれない。 内政系の特技を習得させて、都市の内政に専念させるのが無難か。 -- (名無しさん) 2010-10-04 22 08 36 能力はそこそこだが、適性が全滅していて、戦には不向き。また、脳筋の知力補正といっても 知力微妙なのでやっぱ内政がいい。 -- (名無しさん) 2011-03-27 08 42 25 君主としては悪くない能力だが、残念ながら英雄集結でしか出番はない。もちろん君主をやってるシナリオも存在しない。(あったとしてもそんな統一寸前のシナリオ面白くないだろう) 親愛武将もいることはいるが、全員文官なのでまったく意味をなさない。 文鴦を嫌悪しているが、そもそも彼を戦に出すことはほとんどないから問題ない。 -- (名無しさん) 2011-07-21 20 58 32 女の戦いでも一人だけ君主でいてくれたら面白かったのに 羊に跨って全国統一 -- (名無しさん) 2011-07-23 13 09 12 魏を乗っ取った張本人。天下統一した後は暴政を敷いた為、晋王朝 の滅亡の原因を作った馬鹿皇帝。一人事ではあるが、能力は50以下でいい だろう。 -- (名無しさん) 2011-07-24 02 06 38 別名「晋のベットヤクザ」… 酒食に溺れ国を傾けたある意味では代表例 -- (名無しさん) 2012-04-22 02 05 07 盛り塩の由来主。 大きな穴はないし、内政要員としては悪くない。 問題は兵科適性。兵科の扱いに長けた人材をつけるか、 猪武者の副将にするといいかも? -- (関羽大好き) 2012-10-31 17 03 41 昔は能力合計ベスト20入りしてた作品もあったのに、時がたつにつれてどんどん下がっていって、今作に至っては劣化弟状態。 やっぱり内政させるしかないか -- (名無しさん) 2013-03-12 18 47 12 なんだかボロクソに言われているが、ゲーム的には普通の文官である。ランク的には上の下といったところか。 戦闘力は低いが、統率と魅力が高いため太守向きの人材。しかし義理と野望のせいで太守にするには危険性が高く、ややもったいない。 義理が低い逸材を自軍に迎え入れた時などに義兄弟にしてもよいが、適正が悪く能力的にも突出したものがないので、裏切り防止以外の恩恵はあまりないのでやっぱりもったいない。 -- (名無しさん) 2014-09-05 21 40 03 太守向きと言うか、やはり史実通り君主向きというところ。 可能なら彼を君主にして進めたいが、登場年の遅さがネック。 仮想シナリオでも君主のシナリオはなく、環境に恵まれないのが一番の難点。 一番理想的なのは築城をつけて建設要員にすることか。 -- (名無しさん) 2014-09-05 22 13 02 八王の乱を引き起こした原因作ったために評価が今一。 しかし諸葛亮の子孫など敵国の人材を広く登用したり、均田制を始めたんだから、もう少し政治力は高くても、と思う。 -- (名無しさん) 2016-03-09 02 36 42 特技に傾国か徴税つけたらいいかと思う。 -- (名無しさん) 2016-03-13 00 40 05 傾国はないと思う。 傾国は、「傾国の美女」から来る女性用の特技のイメージ。 -- (名無しさん) 2016-03-14 02 57 16 意外にも話術に恵まれてるんだな。知力上げてもいいかも。 -- (名無しさん) 2018-10-01 08 45 06 これでも、昔は弟より強かったのに…。 色々と悪事がばれたせいか、下がってしまった。 -- (名無しさん) 2020-05-29 22 19 21 まあまあ -- (名無しさん) 2021-09-25 19 37 07 名前 コメント すべてのコメントを見る