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余震の一夜 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)揺《ゆら》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「りっしんべん+束」、264-上-18] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ゆら/\ 濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 或夜中に私は寝所について、いくらか眠つたと思ふ頃に、又人騒かせな余震があつたとみえて、家中騒ぎだした。私は夢心地にこの地震を感じたに違ひなかつたが、どのくらゐの強さで初まつたかを、感ずるほど微細な知覚は働いてゐなかつた。私は今度の大地震を経験する前から、時々坐つてゐる尻の下で、大地が動もするとゆら/\と揺《ゆら》いでゐるやうな気のすることが屡であつた。勿論それは私の神経が微弱なために、自身の体の無意識な揺《ゆら》ぎを、さう感じたり、又は病的な中枢《ちうすう》神経から来る軽い眩暈のやうな種類のものに過ぎないのだらうと思はれたが、しかし矢張り大地が始終動いてゐるやうな気がしてならないのであつた。或地震学者は臆病になつた市民が、科学の智識がないために、徒らに余震におびえて戸外へ出て寝てゐたのを非文明だと言つて嗤つてゐるが、大地が揺ぎつゞけに揺らいでゐた当時では、粗末な建物のなかなぞに、迚も安住してゐられないのも無理はなかつた。その上悠久な地球の生命について、わづか三千年やそこいらの経験しかもたない我々の智識が、果して何程の権威をもつことができやうか。勿論我々はそれでも結構生きて行かれるには行かれる。生の不安と恐怖が、生活の歓びの裏づけとさへなつてゐるのである。 私が起きあがつた時には、妻と幼児はまだ床の中にゐた。私はあの大震災の時家にはゐなかつた。多勢の子供たちと一緒に家を守つてゐた彼女は、十四日目にのこ/\帰つて来た私に、余り好い感じをもたなかつた。一生の大難とも言ふべき運命の苦痛を偕《とも》にしなかつたことが彼女の飽足りなさであつた。彼女の弟達が、悲痛な気持で遠くから救ひに来てくれたり、友人や近隣の人達が、女子供のうへに何彼と気を配つてくれるにつけて、生死の巷をさまよはせられたあの大動乱の真中《まんなか》に、中心となるべき主人のゐなかつた寂しさが、どのくらゐヒステリー質の彼女の心持を苛立たせたか知れなかつた。 「そのために私は却つて働けたのかも知れませんけれど。」彼女はさう言つてゐたけれど、子供達と一緒に帰りの遅いのにじれ/\してゐたことは私にもよく判つた。事によるともつと酷《ひど》い余震を経験させたいくらゐに思つてゐるかも知れなかつた。 とにかく私は幼児の春子を抱いて、縁へ飛出した。妻はさう驚きはしなかつた。と言ふよりも敏捷に働くには、彼女の体は余りに疲れてゐた。私は板戸を繰開けた縁側の口《くち》へ集まつて来た子供を順々に降りさせてから、下駄を捜して庭へおりて行つた。そしてこぶしの大樹と柘榴の老木の間のところへ皆《みん》なを集めた。 「大きいね。」長男と二男が、棟が別になつてゐる裏《うら》の家《うち》から、隣りの三階建の下宿の建物の下をくゞつて出て来た。その同じ棟のなかに仕切をして住つてゐる二組の罹災者のT氏夫婦やS氏夫妻も、三尺ばかり切り開いてある別の出入口から遣つて来た。 「まだ安心はできませんな。」T氏が笑ひながら言つた。 「この頃は夜分ばかりで、始末がわるい。」S氏も言つた。 「やつぱり枕頭《まくらもと》に何かを纏めておかなくちや可けませんね。」妻も彼等の細君達と話してゐた。 「追々お寒くなりますと取廻しが悪くなりますからね。」 今一組の夫婦が来てゐたけれど、年が其の男と半分の余も若い、この頃の細君――私は彼の何番目かに当る其の新らしい細君をまだ知らなかつた――が、私の家まで辛々《から/\》避難して来て、庭の柘榴の木の下で産気《さんけ》づいて、産後が悪いとかで、今は病院に入つてゐた。 今度の大地震では、もう其《そ》の儘《まゝ》ではいくらも持たないので、早く何うかしなければならない私の家も、地盤のお蔭で床の間の古壁に二筋割目が入つたのと、屋根が傷んだゝけであつた。そして旅行先から帰つてみると、こゝに永住するだけの設備をしようか、それともいつそ他へ移らうかと、絶えず不安定な気分で迷つてゐた荒廃その物のやうな貧弱な家が、ひどく尊《たうと》いものゝやうに思はれたのであつたが、それも日が経つて見ると、段々厭気がさして来るのであつた。それに今度も何をおいても其が気遣はれたのであつたが、東南の方角に高い三階の下宿が、裏の家の境界一杯に、私の家を見下すやうに多くの窓をもつて、聳え立つてゐるのであつた。私が自分の家を咀はしく思ふのも、一つはその為めであつた。勿論人との交渉ではないので、単に建物其物が咀はしいのであつた。朝日を遮つてもゐたし、風の流動を淀ませてもゐた。それだけでも私の古い住居は、可也私の頭脳を憂欝にした。木が立枯れになつたり、下枝が寂しくなつたりすることも、自然に愛着をもつてゐる私には、とかく気になりがちであつた。勿論周囲にも年々二階家が立てこんで来て、平屋建の私の家だけが穴窪のやうなどん底に埋れてゐた。地震をおそれる私は、二階屋が嫌ひであつた。まだ生活に愛着の淡かつた若いをりの私は、地震がさほど苦にもならなかつたけれど、一度芝浦のロセツタホテルへ出て仕事をしてゐたとき、今にも大きな梁がはづれさうに、みしり/\と無気味な音を立てゝ、可也長い時間を揺れたことがあつて、がらんとした二階の端の一つの部屋にゐた私は廊下へ出て、大きな段梯子の降り口まで出たきり、危険を感じて降りることができずに、立※[#「りっしんべん+束」、264-上-18]んでゐた。その時受けた衝動が、幾分私を臆病にしたのであらうが、誰もさうであるとほり、年々責任の重くなつて来てゐることにも原因してゐるのであつた。 柘榴の木の蔭に佇んでゐた私は、倭い惨めな自分の家を眺めてみた。空のどんよりした晩で、大地もおどんでゐた。その処々に掘立小屋のやうな私の住馴れた家が、重苦しい屋根をもつて立つてゐた。最初のやうな、若しくはそれに類似した少し激しい震動が来るならば、いつでもぐしやりと地に※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《のめ》り伏《ふ》しさうに思はれた。簡素な、比較的かつちりした私の気分によくそぐふた小屋であるけれど、もうそここゝに朽腐したところや、壊れたところがあつて、側面へまはつてみると、よくもかうして寝起きがしてゐられると思ふくらゐであつた。庭にも庭らしい風情がなかつた。二十年その下に蟄してゐた三階建の、二階の中程の窓から明りがさしてゐた。目の加減でか、その高楼も私の庭の方へ、五六寸もよろけかゝつてゐるやうに見えた。 「お宅もこれで何ですね、突支棒《つつかへばう》でもしておかれたら何うですかね。」S氏は家を見上げながら私に言つた。 「さうですね。それに瓦が落ちさうで……。」私は応へた。 「この際屋根を亜鉛にするのも、一つの方法ですよ。」 実際破損のなかつた家でも、すぢかひ[#「すぢかひ」に傍点]を入れたり、支柱《しちう》をしたりしてゐる家が沢山あるのであつた。 「何に支柱《つつかへ》なら私でもできますよ。」いくらか心得のあるS氏が言つた。 「それがいゝですね。」妻も言つた。 私もその時はその気になつたのであつたが、不時の用意などはやつぱり其れなり怠りがちのものであつた。そしてそこいらの親爺さんたちのやうに、屋根の漏るのを心配したり、板塀の腐るのを気にしたりして、貧弱な子供たちの巣を大切にしなければならない私の生活も、ひどくぢゝむさいものだと思はれた。地震その物よりも沈滓と黴で一杯になつた生活の破壊に怖れを抱かせられるやうになつた。私の固定生活を咀はずにはゐられない。 「お茶でも飲みませう。」 そのまゝ別れるのが寂しかつたので、私は皆なをさそつて茶の室へ入つて来た。老人がお茶をいれた。妻が茶棚のブリキ缶から塩煎餅を取出し、饅頭の菓子器を出して、皆なの前においた。 私はまたいつも苦労になつてゐる住居のことについて話した。それを話したところで、別に二人に好い思案があらうとは思へなかつたけれど、折が折なので、やつぱり言はずにはゐられなかつた。私は近頃になつて、鬱陶しいこの古家の改築に見切りをつけて、どこか適当な場所へ移つても可いと思つて、遠い郊外に地面を卜しておいたのであつたが、その負担は今後幾年かのあひだの重荷であつた。妻はさう云ふ方法を取ることに不満であつた。私は年齢と逆比例に自身の気持を積極的にするために、わざとさうしようとしたのであつたけれども、今が今そこへ移ることは、私の経済が許さなかつたし、ひどい不便を忍ばなければならなかつた。それにさうした懸離れた寂しい場所に不似合な彼女の気分をも考へない訳に行かなかつた。寂しい田舎道や、上り下りの臆劫な郊外電車や、森や田圃は彼女の性に合はなかつた。居なじんだ町を離れ、愛児の永眠についた家を見棄てることは、哀れな生活と別れることであつた。私自身のなかにも、年ごとに不決断と無精の虫が巣くつてゐた。そして郊外に住むことを思ふと、古い町が懐かしくなつたり、こゝに落着かうとすると、また心が浮ついた。幼年の頃から家らしい家に安定することのできなかつた私の一つの放浪性だとも思はれたが、本質的に決定的になれない私の気持が、余儀ないところに落着かせられるまでは、いつも私の態度を浮動的なものにしてゐた。勿論漠然とした大きな輪廓を描いて、私の意志は守られて来た。若し適切な言葉で言現はすならば、私の生活はあつちこつちへ偏倚し、迷乱しつゝも、いつも私自身の中庸に落着いてゐるのかも知れなかつた。 「あの三階――それはあの人達とは親しくしてゐるんですから、そんな事はいへないけれど、旅先で色んな勝手な想像を描いてあれが倒れてくれゝば、私の家も潰れても可いと思つてゐたんだけれど。」私は笑ひながら言つた。 「尤も今度は駄目だが、保険が取れゝば、お宅なぞはつぶれてくれた方が両得でしたね。私達の行派はなくなるけれどその時はその時で。」法律家のT氏も言つた。 「こんな家を買はなけあ可かつたんだ。」一番年長の子供が側から皮肉を言つた。 「でもこの家があつたから、かうして居られるんぢやありませんか。有難いぢやないの。」妻が喙を出して、「家を追立《おひた》てられたときのことを思つてごらんなさい。厭なもんだわ。」 「けれどあの時一と思ひに引越してゐれば、こんなにこゝに執着しなくてもよかつたぢやないか。」その子供がまた言つた。 「それだつて皆なお前達のためぢやないか。」 「何におれたちは、こんなところに居やしない。メキシコへでもブラヂルへでも行くからね。こんな貧弱な日本なんか……」胡座をかいてゐた二男の中学生が笑ひながら躰をゆすつた。 「こんな危険な国でも、海外へ移すと言ふこともできないんだからね。」 「それあさうさ。遷都論なんかも、やはりさういふ処から来てゐるのさ。徳川の政策さへなかつたなら、日本ももつと/\海外へ発展してゐたらうからね。」 「西の方へ首都を遷すのもいゝかも知れんね。」 「それもちよつと困難でね。」 「僕等の家が引越せないやうなもんでね。」年長の子供が附加へた。 「今かうやつてゐても、いつまで皆なが一つに纏まつてゐられるか。」妻が心細げに呟《つぶや》いた。 「さう思ふと子供もつまりませんね。」 「だつて、それあ仕方がないぢやないか。」 「千代子や愛子なんかも、遠方の人には片づけたくないものですね。男は仕方がないとしても、女の子だけはね。」妻が先きの先きを案じるやうに言つた。 「お前がさう思つても、子供は親の傍にばかりはゐないんだよ。また居るやうぢや困るんだよ。」 「まあ可いさ。みつ子さんは死んでよかつたかも知れないしね。みんなが又何ういふ目に逢ふか知れないんだから。」 「だから何時までも一緒にゐたいぢやないか。」 「さう云ふことばかり考へてゐたんぢや仕様がないもの。地震やテツペレンのためにのみ生活してゐられないやうなもんでね。」年長の子供が言つた。 「あの井村のおばあさんでしたか、岩崎の避難場からお宅へおつれになつて、ひどく威張つてゐたお婆さん、あの年で荷物は何一つ焼かなかつたんですからな。さう心配したもんでもないですよ。」楽天家のT氏が笑つて、「いや、あのお婆さんには驚きましたね。」 「私も腹がたちましたわ。」妻も言つた。 孤独な井村のお婆さんは、長いあひだ東京で貧しい間借り生活をしてゐてゝ寂しいをり/\には、時々私のところへやつて来てゐた。彼女は私の幼いときからの親友である竹内の厄介ものであつた。竹内は私たちの田舎で、高等学校時代そのお婆さんの家に下宿してゐた。そして何時とはなし学資などの補助を受けるくらゐ彼女の世話になつてゐた。その頃四十ばかりであつた彼女は、まだみづ/\した肉体をもつてゐた。そして又いつとはなし若い竹内が誘惑されたのであつた。しかし彼女の生活もさう楽ではなかつた。東京では二人で酸苦を嘗めた。そしてそれが竹内が世のなかへ出て、結婚するやうになつてから、彼の家庭と社会生活とに、思ひも及ばない負担と障碍となつて、現在の生活にまで祟ることになつたのであつた。 地方にゐる竹内とは別々に、東京で佗しくつゞまやかに暮してゐる彼女は、もう七十を三つも越してゐて、邪慢の角は好い加減折れてゐたけれど、刺《とげ》はまだ全く取れてゐなかつた。そして折にふれてそれが出た。私の妻は、しかし不断は物わかりの好い彼女を、素直にしてさへゐればいつでも好感を以つて迎へてゐた。好きな酒などつけることもあつた。お婆さんはそのお仕着《しきせ》のお神酒がまはると、好い機嫌になつて唄など口吟みながら、笑つたり泣いたりして嬉しがるのであつたが、何うかすると姑風《しうとかぜ》を吹かしなどして、妻の気色を悪くするのであつた。 震災中故郷の姉の家にゐた私か、妻や子供たちは勿論、色々の人の身のうへに、色々の場合を想像してゐたなかにはこの老婆もあつたことは勿論であつた。彼女は下町の方で、或る行詰つた狭い路次のなかに、二階の一室を借りてゐたので、どんなに贔負目に見ても、地震は免れたところで、火災に遭つてゐることは確かであつた。公園の池が其の近くにあつた。そして其の池が死体に埋れてゐると云ふことが避難者によつて、間接に私の耳にも入つてゐた。私は泥深い其の水に浮いてゐる彼女の哀れな死体を想像せずにはゐられなかつた。私は余り好い気持がしなかつたけれど、漸く竹内が救はれたやうな気がなくもなかつた。 或る日私は茶の室にぼんやり独りゐた。私の家も家族も無事だと云ふ簡短な知らせを受取つてから、それが三日目の八日の日であつた。すると其の時昼は内部からのみ往来がよく見えるやうになつてゐる簾格子《すだれかうし》の外に近よつて来る一人のお婆さんがあつた。それが彼女であつた。私は吃驚して入ロへ飛出して行つた。 「よく来たね。」私が言ふと、彼女も私を見上げた目に涙を浮べて、 「吉村さ……ん。」とおろ/\声になつて、 「ひどい目に会つて来た、吉村さん、かういふ時こそ人の心がわかる。」 「まあおあがんなさい。よく来られたね。」私は彼女を上へあげた。 この秋には彼女も長く住みなれた東京を引揚げて、田舎へ帰らうとしてゐたほど、死に近づきつゝある身世《しんせい》の寂莫を感じてゐた。地震はたゞそれを早めたに過ぎないのであつた。彼女は半夜を大宮で、野天で明かした。そして死物狂ひになつて、しかし老人の特権を可也我武者羅に主張して、威張りくさつて、人を押退け/\して遣つて来た。 「奥さんもお子達が多勢だからね、それあ無理もなからうけれど、吉村さん、こんな時人の心がわかる。奥さんはお米があるのか無いのか、それは知らん。又荷物も出さにやならんけれど、あんなに狼狽てなくともよからうと思つてね。」 私にはその場の光景と二人の心理的交錯がすぐ判つた。 「まあいゝさ。お婆さんは荷物は。」私は笑つてゐた。 「私はお蔭で三度行つて残らず出しましたよ、奥さんに預けては来たけれど……。」彼女はさう言つてひどく其の荷物が気になるらしかつた。 「不忍の池にも人死があつたつて?」 「不忍の池! なあに、そんなことは大嘘《だいうそ》。蓮が青々してゐますよ。」 私はその時彼女の見聞によつて、初めて本統に安心することができた。気分の張詰めた子供の手紙も受取つた。 「えらい婆さんだね。」私は後で姉に其の話をして聞かせながら驚嘆したのであつた。 今T氏の口から出たのは、その老婆のことであつた。 「何しろ近所の人を頼んで荷物をそつくり出さしたんですからね。私も気にかゝつたから、子供をやつて捜させたんですけれど、あのお婆さん何うも面白くない。余り勝手が強いんですもの。」さう言ふ妻はしかし余り好い気持もしないのであつた。 「あのお婆さん、長煙管で煙草なぞふかして、大威張りでゐましたな。」S氏も言つた。 「私たちは御飯もたべず、三日も四日も寝もしないで、立詰めで働いてゐるのに、あの婆さんといへばづゐぶん無遠慮だつたんですよ。年寄りなんか自分の親でも、場合によつては介意つてゐられない時なんですもの。」 「とにかく甲斐性ものさ。」 「えゝ、それあ何うしたつてあんな強いお婆さんですから。荷物は取扱ひがはじまり次第荷造りをして、出さうと思つてゐます。その事をくれ/″\も頼んでいきましたから。さぞ不自由をしてゐることでせう。私もあれまで同情してゐて、こゝのところであんな風で帰つたんですから。」 「まあいゝさ。」 「あの場合のことはお互ひに仕方がないね。人間は極度に好いところも出したか、勝手にもなつたから。」年長の子供が側から言つた。 「それよりもあのお婆さん厭なことを一つ言つたんです。」妻はまた言出した。 「田舎で吉村さんの親類に、奥さんの評判がわるくても、決して私がしやべつたと思つてはならんよつて、そんなことを言ふんですもの。だから私は別に悪く言はれるやうなことはしてゐない積りですと言つてやりましたわ。」 「いや、みんな分つてゐる。」 「え、それにあのお婆さんも、威張るには威張りますけれど、さうまたべちやくちやと人の悪口を言ふつていふ方ぢやありませんわ。」 「まあ今度は年寄は助かつて、若いものが余計やられてゐますね。」T氏が言つた。 「いや、その年寄でどのくらゐ苦労した人があるか知れませんね。」 「まさか年寄をおいて行かれはせず、どうしても若いものが働くことになりますからね。あんな豪い婆さんばかりならいゝが……。」T氏が言つた。 「僕も田舎で、それを一番心配したんだ。年寄りにかゝつて、子供の誰かゝ犠牲になりはしなかつたかと……。」 「今度火事になると、お婆さんなんか置いていくぞ。」二男が傍に居睡りをはじめてゐる老婆を振返つた。 「家のお婆さんなぞ、迚もあのお婆さんの真似はできませんね。今に止むづら、なんてつて、腰をすゑてゐるんですもの。漸と叱りつけるやうにして、外へ連出したんですよ。あの広場まで歩かせるのは大変な仕事ですからね。」 「僕も家のお婆さんが、事によると独り生き残つて、つまり僕と二人きりになつた場合がないとも限らないと思つて、づゐぶん変な気持だつた。」私は皮肉に笑つた。 お婆さんは善良な老人ではあつたけれど、しかし又井村の老婆と全く違つた意味で、づゐぶん厄介な年寄りでもあつた。彼女は年から年中休みなしに何かしら働いてゐた。昼でも夜でも坐ればきつと居睡りをするけれど、眠りながらも夜は一時までも二時までゞも針仕事につかまつた。勿論これと言つて、何一つ纏めることはできなかつたけれど、でも何かしらこと/\遣つてゐた。そして其の丹念なことは、片《きれ》の薄切《うすき》れたところや、薄くなつてゐる部分を、どんなに手間かかゝつても、綴らなければ気がすまないといふ風であつた。その品物が着物に仕立てゝ役立つか何うかは問題ではなかつた。洗濯や掃除が同じ方法で馬鹿叮嚀であつた。絣の目を、一つ/\指端で丹念に揉むのであつた。総てがその流義であつた。湯が舌も触れることのできない極度の熱度に沸騰させられ、茹物《ゆでもの》がぐしよ/\になるまで煮られたりした。 多勢の子供たちを育てるために、長いあひだ左《と》に右《かく》私は彼女を働かせて来た。私達夫妻に小言を言はれながら、そして又其の小言に反抗しながら、不思議な彼女の流儀をつゞけてゐるうちに、背骨や腰が柳の枝でもたかねたやうに屈《かゞ》んで来たけれど、私には何うしても同情することのできない気質をもつてゐた。私は長い間、心から彼女に優しい言葉をかけることのできないのに、苦しんで来た。自分自身の童蒙的な剛情を通すほか、積極的には何の障りにもならない鈍重な動物のやうな彼女ではあつたけれど、親らしい、若しくは祖母らしい心が少しも働かないのが飽足りなかつた。彼女から逃避しようとして、私の神経はたえず苛々してゐた。そして其がまた何んなに妻を悩ませてゐるか知れないのであつた。三人は余り幸福だとは思はれなかつた。けれど、彼女なしには妻は一日も家事を繰返しては行けなかつた。そして年々に体の衰へて行くのを見るにつけ、私の心も和らいで来た。そして今度はまた「まあよかつた」と云ふ気がするのであつた。 近頃めつきり健康の損はれて来た妻と彼女とが、互ひに生存を剋し会つてゐるやうに私に思はれたりした。老婆は娘の病気なぞに、余りデリケートな同情をもつことができなかつたと同時に、妻は老母の不仕合な寿命を咀つたりした。 「誰だつて生きたいのは同じだけれど、迚も助からない場合には、づゐぶん親が助かれる子供を逃がしたり、妻が良人のあとに残つたりしたからね。」私はまた妙に皮肉に言ふのであつた。 「しかしそんな場合何うでせうか、誰でもそんな気になるでせうか。」T氏がきいた。 「さあ、やつぱり人の性質ですね。私なぞ、玄米のお結びを一緒に食べなかつたことを、随分不満に思はれてゐるからその癖私は玄米食を主張してゐるんだが……。」 「しかし、運命を偕にするのと逃すのと孰らが本統の愛だらうか。」T氏がきいた。 「さうさ、生残つたものゝ方が辛い場合もあるし、生残るのが辛い場合もあるから。」 「死ぬなら矢張り一緒ですね。だけれど、お婆さんにかゝつて死ぬのは、私だつて御免だわ。」妻は母親を振顧つた。 老母は眠さうな目をあげて、硬い手で口のはたを撫ぜながら、善良さうな微笑を浮べて、もぞ/\してゐた。 「大丈夫、お婆さんも助けてあげるよ。」年長の子供が目元に優しい微笑を浮べて言つた。 私はまた体に微かな揺らぎを感じた。そして電燈を見あげた。皆も目を挙げたが、何のこともなかつた。[#地付き](大正13[#「13」は縦中横]年1月「改造」) 底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店 2000(平成12)年7月18日初版発行 底本の親本:「改造」 1924(大正13)年1月 初出:「改造」 1924(大正13)年1月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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Top テレビニュース 4月7日余震
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震源地・余震・震度の情報 日時 情報発表時刻 発生時刻 震源地 マグニチュード 最大震度 2011年3月12日(土) 12時44分 12時41分 新潟県中越地方 M3.0 震度3 2011年3月12日(土) 12時15分 12時12分 茨城県沖 M5.6 震度3 2011年3月12日(土) 12時7分 12時2分 岩手県沖 M5.8 震度3 2011年3月12日(土) 11時55分 11時52分 福島県沖 M5.0 震度3 2011年3月12日(土) 11時47分 11時43分 岩手県沖 M5.2 震度3 2011年3月12日(土) 11時37分 11時34分 福島県沖 M5.2 震度3 2011年3月12日(土) 11時36分 11時30分 三陸沖 M5.3 震度3 2011年3月12日(土) 11時32分 11時29分 --- --- 震度3 2011年3月12日(土) 11時23分 11時19分 新潟県中越地方 M2.8 震度3 2011年3月12日(土) 10時49分 10時48分 --- --- 震度3 2011年3月12日(土) 10時51分 10時47分 --- --- 震度3 2011年3月12日(土) 10時52分 10時46分 福島県沖 M6.4 震度3 2011年3月12日(土) 10時45分 10時42分 新潟県中越地方 M3.6 震度4 2011年3月12日(土) 10時39分 10時35分 三陸沖 M5.8 震度3 2011年3月12日(土) 10時36分 10時33分 新潟県中越地方 M4.0 震度3 2011年3月12日(土) 10時34分 10時32分 --- --- 震度3 2011年3月12日(土) 10時21分 10時17分 茨城県沖 M4.3 震度3 2011年3月12日(土) 10時16分 10時14分 福島県沖 M4.5 震度4 2011年3月12日(土) 10時14分 10時12分 福島県浜通り M4.8 震度3 2011年3月12日(土) 10時7分 10時4分 宮城県沖 M4.8 震度3 2011年3月12日(土) 9時43分 9時39分 秋田県沖 M4.4 震度2 2011年3月12日(土) 9時32分 9時29分 新潟県中越地方 M2.7 震度3 2011年3月12日(土) 9時28分 9時25分 福島県沖 M4.9 震度3 2011年3月12日(土) 9時9分 9時5分 新島・神津島近海 M3.3 震度1 2011年3月12日(土) 9時6分 9時1分 新島・神津島近海 M3.7 震度2 2011年3月12日(土) 9時3分 8時59分 茨城県沖 M5.5 震度3 2011年3月12日(土) 9時1分 8時57分 長野県北部 M3.4 震度3 2011年3月12日(土) 9時0分 8時55分 福島県沖 M4.7 震度3 2011年3月12日(土) 8時36分 8時32分 長野県北部 M3.9 震度4 2011年3月12日(土) 8時34分 8時30分 栃木県北部 M3.3 震度1 2011年3月12日(土) 8時29分 8時25分 長野県北部 M3.4 震度3 2011年3月12日(土) 8時15分 8時12分 --- --- 震度3 2011年3月12日(土) 8時17分 8時11分 福島県浜通り M4.8 震度4 2011年3月12日(土) 8時11分 8時5分 岩手県沿岸北部 M4.7 震度3 2011年3月12日(土) 7時46分 7時42分 神奈川県西部 M2.6 震度1 2011年3月12日(土) 7時39分 7時36分 茨城県沖 M4.6 震度3 2011年3月12日(土) 7時21分 7時18分 新潟県中越地方 M3.9 震度4 2011年3月12日(土) 7時17分 7時14分 長野県北部 M4.1 震度4 2011年3月12日(土) 7時4分 7時1分 長野県北部 M4.0 震度4 2011年3月12日(土) 7時0分 6時55分 福島県沖 M3.9 震度3 2011年3月12日(土) 6時57分 6時54分 --- --- 震度3 2011年3月12日(土) 6時53分 6時48分 茨城県沖 M4.6 震度3 2011年3月12日(土) 6時39分 6時34分 福島県沖 M4.8 震度4 2011年3月12日(土) 6時35分 6時30分 長野県北部 M3.0 震度4 2011年3月12日(土) 6時32分 6時25分 長野県北部 M2.5 震度3 2011年3月12日(土) 6時23分 6時19分 長野県北部 M4.1 震度3 2011年3月12日(土) 6時25分 6時18分 神奈川県西部 M2.0 --- 2011年3月12日(土) 6時15分 6時11分 長野県北部 M3.5 震度4 2011年3月12日(土) 6時5分 6時1分 宮城県沖 M5.4 震度3 2011年3月12日(土) 6時2分 5時57分 新潟県中越地方 M3.2 震度3 2011年3月12日(土) 5時55分 5時51分 新潟県中越地方 M3.0 震度3 2011年3月12日(土) 5時46分 5時42分 新潟県中越地方 M5.3 震度6弱 2011年03月12日(土) 05時38分 05時34分頃 福島県沖 5.0 3 2011年03月12日(土) 05時32分 05時25分頃 福島県沖 4.9 3 2011年03月12日(土) 05時23分 05時21分頃 新潟県中越地方 3.7 3 2011年03月12日(土) 05時17分 05時11分頃 三陸沖 6.1 3 2011年03月12日(土) 05時13分 05時08分頃 秋田県沖 5.0 3 2011年03月12日(土) 05時06分 05時03分頃 新潟県中越地方 3.9 3 2011年03月12日(土) 05時01分 04時57分頃 長野県北部 3.8 3 2011年03月12日(土) 04時55分 04時47分頃 秋田県沖 6.4 4 2011年03月12日(土) 04時52分 04時47分頃 秋田県沖 6.4 4 2011年03月12日(土) 04時51分 04時45分頃 福島県沖 5.2 4 2011年03月12日(土) 04時48分 04時44分頃 新潟県中越地方 4.4 4 2011年03月12日(土) 04時46分 04時42分頃 長野県北部 3.3 3 2011年03月12日(土) 04時41分 04時35分頃 長野県北部 3.7 3 2011年03月12日(土) 04時35分 04時32分頃 新潟県中越地方 5.8 6弱 2011年03月12日(土) 04時33分 04時28分頃 長野県北部 3.4 3 2011年03月12日(土) 04時28分 04時24分頃 千葉県東方沖 5.7 4 2011年03月12日(土) 04時24分 04時21分頃 新潟県中越地方 3.9 3 2011年03月12日(土) 04時22分 04時16分頃 福島県沖 4.1 3 2011年03月12日(土) 04時20分 04時16分頃 新潟県中越地方 3.7 3 2011年03月12日(土) 04時16分 04時12分頃 新潟県中越地方 4.3 4 2011年03月12日(土) 04時15分 04時09分頃 長野県北部 4.5 4 2011年03月12日(土) 04時12分 04時08分頃 茨城県沖 5.6 4 2011年03月12日(土) 04時10分 04時03分頃 三陸沖 6.2 4 2011年03月12日(土) 04時03分 03時59分 新潟県中越 6.6 6強 2011年03月12日(土) 03時48分 03時44分 福島県沖 5.0 4 2011年03月12日(土) 03時43分 03時40分 茨城県沖 4.1 3 2011年03月12日(土) 03時16分 03時11分 福島県沖 6.0 3 2011年3月12日(土) 2時59分 2時56分 福島県沖 M4.4 震度4 2011年3月12日(土) 2時51分 2時47分 岐阜県美濃中西部 M2.4 震度1 2011年3月12日(土) 2時34分 2時30分 福島県沖 M5.1 震度4 2011年3月12日(土) 2時21分 2時15分 宮城県沖 M4.9 震度3 2011年3月12日(土) 2時11分 2時5分 新島・神津島近海 M3.0 震度2 2011年3月12日(土) 2時4分 1時57分 宮城県沖 M4.8 震度2 2011年3月12日(土) 1時55分 1時49分 茨城県沖 M4.7 震度2 2011年3月12日(土) 1時25分 1時19分 茨城県沖 M4.3 震度2 2011年3月12日(土) 1時16分 1時12分 三陸沖 M5.7 震度2 2011年3月12日(土) 1時10分 1時5分 福島県沖 M4.6 震度3 2011年3月12日(土) 1時5分 0時58分 福島県沖 M4.2 震度3 2011年3月12日(土) 0時59分 0時53分 新島・神津島近海 M2.0 震度1 2011年3月12日(土) 0時55分 0時51分 福島県沖 M5.2 震度2 2011年3月12日(土) 0時52分 0時47分 栃木県北部 M3.5 震度2 2011年3月12日(土) 0時45分 0時42分 茨城県沖 M5.5 震度3 2011年3月12日(土) 0時41分 0時39分 千葉県東方沖 M4.5 震度2 2011年3月12日(土) 0時40分 0時36分 宮城県沖 M5.2 震度2 2011年3月12日(土) 0時36分 0時32分 福島県沖 M5.3 震度2 2011年3月12日(土) 0時32分 0時26分 福島県沖 M5.0 震度2 2011年3月12日(土) 0時28分 0時24分 群馬県北部 M4.3 震度4 2011年3月12日(土) 0時23分 0時20分 --- --- 震度3 2011年3月12日(土) 0時24分 0時19分 茨城県沖 M6.2 震度3 2011年3月12日(土) 0時22分 0時15分 茨城県沖 M5.4 震度3 2011年3月12日(土) 0時17分 0時13分 茨城県沖 M6.6 震度4 2011年3月12日(土) 0時16分 0時11分 岐阜県飛騨地方 M4.2 震度2 2011年3月12日(土) 0時12分 0時6分 福島県沖 M5.3 震度3 2011年3月12日(土) 0時6分 0時2分 岩手県沖 M5.0 震度2 2011年3月11日(金) 23時59分 23時56分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 0時1分 23時54分 茨城県沖 M5.9 震度3 2011年3月11日(金) 23時56分 23時52分 神奈川県西部 M3.5 震度2 2011年3月11日(金) 23時48分 23時44分 茨城県沖 M4.8 震度4 2011年3月11日(金) 23時33分 23時29分 宮城県沖 M5.2 震度2 2011年3月11日(金) 23時31分 23時27分 茨城県沖 M4.7 震度2 2011年3月11日(金) 23時14分 23時10分 福島県沖 M5.1 震度3 2011年3月11日(金) 23時4分 23時0分 茨城県沖 M5.4 震度4 2011年3月11日(金) 23時0分 22時56分 福島県沖 M5.3 震度3 2011年3月11日(金) 22時50分 22時47分 福島県沖 M4.9 震度3 2011年3月11日(金) 22時42分 22時33分 福島県沖 M4.5 震度4 2011年3月11日(金) 22時35分 22時32分 --- --- 震度4 2011年3月11日(金) 22時34分 22時29分 福島県沖 M4.5 震度3 2011年3月11日(金) 22時19分 22時15分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 22時19分 22時14分 新島・神津島近海 M2.7 震度2 2011年3月11日(金) 22時14分 22時9分 長野県中部 M3.5 震度2 2011年3月11日(金) 22時13分 22時8分 岩手県沖 M4.8 震度2 2011年3月11日(金) 21時59分 21時55分 宮城県沖 M5.1 震度3 2011年3月11日(金) 21時53分 21時49分 茨城県沖 M5.2 震度2 2011年3月11日(金) 21時44分 21時38分 福島県沖 M4.7 震度2 2011年3月11日(金) 21時37分 21時33分 三陸沖 M5.2 震度3 2011年3月11日(金) 21時26分 21時21分 福島県沖 M4.9 震度4 2011年3月11日(金) 21時20分 21時16分 岩手県沖 M6.0 震度4 2011年3月11日(金) 21時18分 21時13分 宮城県沖 M6.1 震度4 2011年3月11日(金) 21時4分 20時58分 岩手県沖 M5.5 震度4 2011年3月11日(金) 20時56分 20時51分 茨城県沖 M4.8 震度2 2011年3月11日(金) 20時51分 20時46分 茨城県沖 M5.4 震度3 2011年3月11日(金) 20時46分 20時39分 宮城県沖 M5.6 震度4 2011年3月11日(金) 20時41分 20時37分 岩手県沖 M6.4 震度5弱 2011年3月11日(金) 20時38分 20時34分 --- --- 震度5弱 2011年3月11日(金) 20時39分 20時37分 --- --- 震度4 2011年3月11日(金) 20時38分 20時34分 --- --- 震度5弱 2011年3月11日(金) 20時35分 20時31分 宮城県南部 M5.3 震度4 2011年3月11日(金) 20時30分 20時26分 茨城県沖 M4.7 震度2 2011年3月11日(金) 20時25分 20時21分 茨城県沖 M5.6 震度4 2011年3月11日(金) 20時22分 20時17分 福島県沖 M5.7 震度3 2011年3月11日(金) 20時18分 20時13分 茨城県沖 M5.8 震度2 2011年3月11日(金) 20時16分 20時10分 栃木県北部 M3.8 震度3 2011年3月11日(金) 20時10分 20時7分 茨城県沖 M4.7 震度3 2011年3月11日(金) 20時5分 20時1分 福島県沖 M5.5 震度4 2011年3月11日(金) 19時50分 19時46分 茨城県沖 M4.9 震度3 2011年3月11日(金) 19時46分 19時39分 宮城県沖 M4.9 震度2 2011年3月11日(金) 19時41分 19時38分 長野県中部 M3.7 震度2 2011年3月11日(金) 19時40分 19時35分 福島県沖 M5.1 震度4 2011年3月11日(金) 19時30分 19時25分 茨城県沖 M3.8 震度2 2011年3月11日(金) 19時25分 19時21分 福島県沖 M5.5 震度3 2011年3月11日(金) 19時23分 19時20分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 19時22分 19時17分 福井県嶺北 M3.4 震度2 2011年3月11日(金) 19時20分 19時13分 宮城県沖 M5.3 震度3 2011年3月11日(金) 19時15分 19時11分 岩手県内陸南部 M5.7 震度4 2011年3月11日(金) 19時12分 19時9分 石川県加賀地方 M4.1 震度3 2011年3月11日(金) 19時7分 18時59分 福島県沖 M5.0 震度2 2011年3月11日(金) 19時2分 18時57分 茨城県沖 M4.7 震度3 2011年3月11日(金) 19時0分 18時55分 茨城県沖 M5.3 震度3 2011年3月11日(金) 18時56分 18時52分 福島県沖 M4.8 震度3 2011年3月11日(金) 18時55分 18時47分 三陸沖 M5.7 震度2 2011年3月11日(金) 18時47分 18時43分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 18時47分 18時42分 三陸沖 M5.6 震度3 2011年3月11日(金) 18時41分 18時37分 茨城県沖 M5.4 震度2 2011年3月11日(金) 18時38分 18時34分 福島県沖 M4.8 震度3 2011年3月11日(金) 18時32分 18時27分 宮城県沖 M5.3 震度3 2011年3月11日(金) 18時21分 18時20分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 18時25分 18時19分 茨城県沖 M5.1 震度3 2011年3月11日(金) 18時21分 18時15分 福島県沖 M4.8 震度3 2011年3月11日(金) 18時7分 18時4分 茨城県沖 M5.1 震度3 2011年3月11日(金) 18時3分 17時58分 栃木県北部 M4.1 震度3 2011年3月11日(金) 18時2分 17時54分 福島県沖 M4.8 震度3 2011年3月11日(金) 17時52分 17時47分 福島県沖 M6.0 震度3 2011年3月11日(金) 17時45分 17時41分 福島県沖 M5.8 震度5強 2011年3月11日(金) 17時43分 17時40分 --- --- 震度5強 2011年3月11日(金) 17時38分 17時35分 茨城県沖 M5.5 震度3 2011年3月11日(金) 17時36分 17時34分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 17時34分 17時31分 福島県沖 M5.8 震度4 2011年3月11日(金) 17時23分 17時19分 茨城県沖 M6.7 震度4 2011年3月11日(金) 17時16分 17時12分 茨城県沖 M6.4 震度4 2011年3月11日(金) 17時9分 17時5分 福島県沖 M5.8 震度3 2011年3月11日(金) 17時0分 16時54分 福島県沖 M5.5 震度3 2011年3月11日(金) 16時47分 16時45分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 16時44分 16時38分 岩手県沖 M5.9 震度4 2011年3月11日(金) 16時34分 16時30分 --- --- 震度5弱 2011年3月11日(金) 16時34分 16時29分 三陸沖 M6.6 震度5強 2011年3月11日(金) 16時20分 16時15分 福島県沖 M6.8 震度4 2011年3月11日(金) 16時8分 16時6分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 16時13分 16時4分 岩手県沖 M5.8 震度4 2011年3月11日(金) 16時6分 16時1分 --- --- 震度3 2011年3月11日(金) 16時2分 15時57分 茨城県沖 M6.1 震度4 2011年3月11日(金) 15時59分 15時49分 岩手県沖 M5.8 震度3 2011年3月11日(金) 15時51分 15時46分 宮城県沖 M5.7 震度4 2011年3月11日(金) 15時47分 15時41分 岩手県沖 M5.7 震度4 2011年3月11日(金) 15時31分 15時27分 --- --- 震度4 2011年3月11日(金) 15時32分 15時26分 三陸沖 M7.2 震度4 2011年3月11日(金) 15時20分 15時18分 --- --- 震度4 2011年3月11日(金) 15時24分 15時15分 茨城県沖 M7.4 震度6弱 2011年3月11日(金) 15時14分 15時9分 --- --- 震度5強 2011年3月11日(金) 15時12分 15時8分 --- --- 震度5弱 2011年3月11日(金) 15時17分 15時6分 三陸沖 M7.0 震度5弱 2011年3月11日(金) 15時1分 14時46分 三陸沖 M7.9→M8.8に修正 震度7 2011年3月11日(金) 7時49分 7時44分 三陸沖 M4.8 震度1 2011年3月11日(金) 6時54分 6時50分 三陸沖 M4.5 震度1 2011年3月11日(金) 6時46分 6時41分 茨城県南部 M3.4 震度1 2011年3月11日(金) 3時17分 3時14分 宮城県北部 M3.5 震度3 2011年3月11日(金) 2時0分 1時55分 三陸沖 M5.3 震度2 2011年3月10日(木) 20時34分 20時30分 三陸沖 M4.5 震度1 2011年3月10日(木) 20時25分 20時21分 三陸沖 M5.1 震度2 2011年3月10日(木) 18時7分 18時2分 三陸沖 M5.2 震度1 2011年3月10日(木) 18時3分 17時59分 三陸沖 M4.7 震度1 2011年3月10日(木) 17時14分 17時8分 三陸沖 M5.7 震度2 2011年3月10日(木) 10時25分 10時20分 三陸沖 M4.7 震度1 2011年3月10日(木) 9時3分 8時58分 三陸沖 M4.8 震度1 2011年3月10日(木) 8時42分 8時37分 三陸沖 M5.1 震度2 2011年3月10日(木) 6時29分 6時24分 三陸沖 M6.6 震度4 2011年3月10日(木) 6時27分 6時22分 --- --- 震度4 2011年3月10日(木) 6時6分 6時1分 三陸沖 M4.8 震度1 2011年3月10日(木) 3時51分 3時45分 三陸沖 M6.1 震度3 2011年3月10日(木) 3時21分 3時16分 三陸沖 M6.2 震度3 2011年3月10日(木) 2時5分 1時59分 三陸沖 M4.7 震度1 2011年3月9日(水) 23時29分 23時24分 三陸沖 M4.6 震度1 2011年3月9日(水) 21時8分 21時3分 三陸沖 M4.6 震度1 2011年3月9日(水) 20時33分 20時28分 三陸沖 M5.2 震度2 2011年3月9日(水) 19時18分 19時13分 三陸沖 M4.7 震度1 2011年3月9日(水) 18時0分 17時55分 三陸沖 M4.6 震度1 2011年3月9日(水) 17時8分 17時2分 三陸沖 M5.2 震度2 2011年3月9日(水) 17時2分 16時56分 三陸沖 M5.0 震度1 2011年3月9日(水) 16時20分 16時14分 三陸沖 M4.8 震度1 2011年3月9日(水) 15時30分 15時25分 三陸沖 M5.1 震度1 2011年3月9日(水) 15時21分 15時14分 三陸沖 M4.7 震度1 2011年3月9日(水) 15時19分 15時12分 三陸沖 M4.6 震度1 2011年3月9日(水) 13時51分 13時46分 三陸沖 M5.1 震度2 2011年3月9日(水) 13時42分 13時37分 三陸沖 M6.1 震度3 2011年3月9日(水) 13時37分 13時32分 三陸沖 M5.1 震度2 2011年3月9日(水) 13時13分 13時6分 三陸沖 M5.5 震度2 2011年3月9日(水) 12時24分 12時19分 三陸沖 M5.3 震度1 2011年3月9日(水) 12時17分 12時8分 三陸沖 M5.9 震度2 2011年3月9日(水) 12時11分 12時2分 三陸沖 M5.2 震度1 2011年3月9日(水) 12時3分 11時57分 三陸沖 M6.3 震度3 2011年3月9日(水) 11時57分 11時45分 三陸沖 M7.2 震度5弱
https://w.atwiki.jp/mtgflavortext/pages/3391.html
どんな破壊行為にも、必ずしっぺ返しがあるものだ。 ――銀のゴーレム、カーン "Every act of destruction has a repercussion." ――Karn, silver golem テンペスト 【M TG Wiki】 名前
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2011/03/11 地震:東京都京王線車内 余震
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地印作製 習得条件・武器24 地霊16 アイテム「材料」をアイテム「地印」に作り変えます。 ENoを 0 と指定すると作製実験となります。 作製時にメッセージも添えられます。(装備名は最大20、メッセージは最大400字)[特殊タグが使用できます] 地印は武器に分類され、射程は1で、通常の武器に加えて地属性特性が増加し「第A(強さに依存)ターンまでの自分の全ての攻撃を地属性に変化させる」という効果を持ちます(この効果は装備箇所「自由」でも発揮します)。 作製時の強さは作製者の器用と天恵が大きく関わります。 武器に分類されますが、性能発揮具合は装飾の性能発揮具合に依存します。 また、この技能のLVが高いほど作製時の強さが増加します。この技能の処理番号は3054です。 また、この技能のLVが高いほど地属性特性が増加します。 地印:地属性特性を増加し、強さ依存ターンまでの攻撃に地属性を付与 能力上昇:地特性 ▽技能や地印の解説などをどうぞ 地特性を増加し、地属性変化の持続ターンが「強さに依存」に変更された事に注意(以前は3ターンのみだった。)
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地印作製 習得条件・地霊16 武器24 アイテム「材料」をアイテム「地印」に作り変えます、ENoを 0 と指定すると作製実験となります。 地印は武器に分類され、射程は1で、通常の武器に加えて地属性特性が増加し「第A(強さに依存)ターンまでの自分の全ての攻撃を地属性に変化させる」という効果を持ちます(この効果は装備箇所「自由」でも発揮します)。 作製時の強さは作製者の器用と天恵が大きく関わります。武器に分類されますが、性能発揮具合は装飾の性能発揮具合に依存します。また、この技能のLVが高いほど作製時の強さが増加します。 また、この技能のLVが高いほど地属性特性が増加します。 この技能の処理番号は3054です。 ▽技能解説欄▽ 地特性を増加し、地属性変化の持続ターンが「強さに依存」に変更された事に注意(以前は3ターンのみだった。)
https://w.atwiki.jp/chirei/pages/51.html
地霊装飾 習得条件・地霊8 装飾12 アイテム「材料」をアイテム「地飾」に作り変えます、ENoを 0 と指定すると作製実験となります。 地飾は装飾に分類され、通常の装飾に加えて地属性耐性も増加します(この効果は装備箇所「自由」でも発揮します)。作製時の強さは作製者の器用と魅力が大きく関わります。また、この技能のLVが高いほど作製時の強さが増加します。 LVが高いほど戦闘中の地属性特性が増加します。 この技能の処理番号は3074です。 上昇能力:地特性 地飾:通常の装飾に加えて「地属性耐性」も増加(自由でも発揮) ▽地霊装飾の説明・使用感などをどうぞ▽ 地霊持ちで使う人は少ないと思うが、地属性のブーストは、他属性よりもし易く高いので、高い地属性持ちを相手にするのならば、あって損はないだろう。
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エンジェライトさんを参考に、初修得者や技使用者へのリンクを纏めたものです。 補足漏れがあれば補完をお願いします。 本日の地霊ニュース(2日分) 技習得 格闘5×地霊7 クラッシャー 1098 斧5×地霊7 クラック 83 237 301 527 823 1429 1757 1800 槍5×地霊7 ロックスティング 45 1400 2089 鞭5×地霊7 跳ね馬 774 槌5×地霊7 アースブレイク 1144 弓矢5×地霊7 グランドアロー 927 1671 吹矢5×地霊7 大地の息吹 1782 魔術5×地霊7 ローリングストーン 294 命術5×地霊7 アースフェイバー 81 913 呪術5×地霊7 ウィアードエコー 39 934 1568 幻術5×地霊7 ストーンウォール 1560 召喚5×地霊7 サモン・木霊 1578 上位技能 該当結果なし 技マスター 該当結果なし 技使用 該当結果なし 前日の地霊ニュース(1日分) 技習得 該当結果なし 上位技能 該当結果なし 技マスター 該当結果なし 技使用 該当結果なし