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仏典 仏教の聖典。経・律・論に分類され、三蔵と総称される。 「経」は経典ともいい釈迦の教えを収めたとされる書物群。 「律」は戒律や規範を書いたもので「論」は経や律の注釈。 その量はとにかく膨大である。 仏典 翻訳大東出版社 国訳一切経阿含部 密教部 涅槃部 般若部 華厳部 法華部 本縁部 宝積部 大集部 経集部 律部 毘曇部 中観部 釈経論部 瑜伽部 論集部 国訳大蔵経(国民文庫刊行会 編)経部 論部 付録 昭和新纂国訳大蔵経経典部 論律部 宗典部 解説部 外部リンク 翻訳 法華経や浄土三部経、般若心経といった一部を除いて、 安価な現代語訳があるのは、全体から見ればごく僅かである。 読み下し、文語調でなら、けっこう翻訳は揃っている。とはいえ 何十冊、百冊以上にわたる大全集であり、各巻もそれなりに値が張る。 しかしそうしたシリーズの一部はInternet Archives で公開されている。以下はその現状である。 大東出版社 国訳一切経 各巻の収録内容は大東出版社 国訳一切経を参照。 阿含部 2 (Volume 2) 3 (Volume 3) 4 (Volume 4) 5 (Volume 5) 6 (Volume 6) 7 (Volume 7) 8 (Volume 8) 9 (Volume 9) 10 (Volume 10) 密教部 1 (Volume 63) 2 (Volume 64) 3 (Volume 65) 4(Volume 66) 5 (Volume 67) 涅槃部 般若部 1 (Volume 21) 2 (Volume 22) 3(Volume 23) 4 (Volume 24) 5 (Volume 25) 6 (Volume 26) 華厳部 法華部 本縁部 1 (Volume 10) 3 (Volume 12) 4 (Volume 13) 5 (Volume 14) 6(Volume 15) 7 (Volume 16) 9 (Volume 18) 10 (Volume 19) 11 (Volume 20) 宝積部 2 (Volume 33) 3 (Volume 34) 4(Volume 35) 5 (Volume 36) 6 (Volume 37) 7 (Volume 38) 大集部 1 (Volume 41) 2 (Volume 42) 3 (Volume 43) 4(Volume 44) 5 (Volume 45) 6 (Volume 46) 経集部 1 (Volume 47) 2 (Volume 48) 3 (Volume 49) 4 (Volume 50) 8 (Volume 54) 9 (Volume 55) 10 (Volume 56) 11 (Volume 57) 12 (Volume 58) 13 (Volume 59) 14 (Volume 60) 15 (Volume 61) 16 (Volume 62) 律部 1 (Volume 68) 2 (Volume 69) 3 (Volume 70) 4 (Volume 71) 5 (Volume 72) 6 (Volume 73) 7 (Volume 74) 8 (Volume 75) 9 (Volume 76) 10 (Volume 77) 11 (Volume 78) 12 (Volume 79) 13 (Volume 80) 14 (Volume 81) 15 (Volume 82) 16 (Volume 83) 17 (Volume 84) 18(Volume 85) 19 (Volume 86) 20 (Volume 87) 21(Volume 88) 22 (Volume 89) 22 (Volume 90) 23 (Volume 91) 24(Volume 92) 25 (Volume 93) 26 (Volume 94) 毘曇部 1 (Volume 103) 2 (Volume 104) 3 (Volume 105) 4 (Volume 106) 5 (Volume 107) 6 (Volume 108) 7 (Volume 109) 8 (Volume 110) 9 (Volume 111) 10 (Volume 112) 11 (Volume 113) 12 (Volume 114) 13 (Volume 115) 14 (Volume 116) 15 (Volume 117) 16 (Volume 118) 17 (Volume 119) 18 (Volume 120) 19 (Volume 121) 20 (Volume 122) 21 (Volume 123) 22 (Volume 124) 23 (Volume 125) 24 (Volume 126) 25(Volume 127) 26上(Volume 128) 26下(Volume 129) 27 (Volume 130) 28 (Volume 131) 29 (Volume 132) 30 (Volume 133) 中観部 2 (Volume 135) 3(Volume 136) 釈経論部 2 (Volume 95) 4 (Volume 97) 5上(Volume 98) 5下(Volume 99) 7 (Volume 101) 8 (Volume 102) 瑜伽部 1 (Volume 137) 2 (Volume 138) 3 (Volume 139) 4 (Volume 140) 5 (Volume 141) 6(Volume 142) 8 (Volume 144) 9 (Volume 145) 10 (Volume 146) 11 (Volume 147) 12 (Volume 148) 論集部 1 (Volume 149) 2 (Volume 150) 3 (Volume 151) 5 (Volume 153) 6 (Volume 154) 7 (Volume 155) 国訳大蔵経(国民文庫刊行会 編) 各巻の収録内容は国訳大蔵経を参照。 経部 1 (Volume 1) 2 (Volume 2) 4 (Volume 4) 5 (Volume 5) 6 (Volume 6) 7 (Volume 7) 8 (Volume 8) 9 (Volume 9) 10 (Volume 10) 11 (Volume 11) 12 (Volume 12) 13 (Volume 13) 14 (Volume 14) 論部 1 (Volume 15) 2 (Volume 16) 3 (Volume 17) 4 (Volume 18) 5 (Volume 19) 6 (Volume 20) 7 (Volume 21) 8 (Volume 22) 11 (Volume 25) 12(Volume 26) 13 (Volume 27) 14(Volume 28) 付録 1(Volume 1, Supplement) 2 (Volume 2, Supplement) (Volume 3)(Volume 23) (Volume 24)は検索には引っかかるがエラーが出る。 昭和新纂国訳大蔵経 フルコンプ済。各巻の収録内容は『昭和新纂国訳大蔵経』目次を参照。 経典部 1 (Volume 1) 2 (Volume 2) 3(Volume 3) 4 (Volume 4) 5 (Volume 5) 6 (Volume 6) 7(Volume 7) 8 (Volume 8) 9 (Volume 9) 10(Volume 10) 11 (Volume 11) 12 (Volume 12) 論律部 1 (Volume 13) 2 (Volume 14) 3 (Volume 15) 4 (Volume 16) 5 (Volume 17) 6 (Volume 18) 7 (Volume 19) 8 (Volume 20) 9(Volume 21) 10 (Volume 22) 12 (Volume 23) 13 (Volume 24) 宗典部 1 (Volume 25) 2(Volume 26) 3 (Volume 27) 4 (Volume 28) 5 (Volume 29) 6 (Volume 30) 7 (Volume 31) 8 (Volume 32) 9 (Volume 33) 10 (Volume 34) 11 (Volume 35) 12 (Volume 36) 13 (Volume 37) 14(Volume 38) 15(Volume 39) 16 (Volume 40) 17 (Volume 41) 18(Volume 42) 19(Volume 43) 20 (Volume 44) 21 (Volume 45) 22 (Volume 46) 解説部 1(Volume 1, Supplement) 2 (Volume 2, Supplement) 外部リンク 大蔵出版 おすすめ仏教書のコーナー パーリ三蔵 大正蔵経データベース
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仏教 華厳経(Avatamsaka Sutra) 大乗仏教にある教典(仏典)の一つで、正式名称を『大方広仏華厳経』という。釈迦が悟りを得たとき、毘盧遮那如来の深い境地に達し、毘盧遮那如来と一体になったと記されている。 チベット仏教においては般若経と並び、教学の基礎となった聖典。 チベット仏教伝来国の一つであるネパールでは九法宝典の一つとされる。 朝鮮半島の仏教でも禅と並び極めて重要な位置を占める。 中国や日本にもこの経典を元にした宗派が興り、親鸞のように華厳経に強く感化された 仏教者もいる。しかしながら中国の華厳宗は宋代以降衰えてしまい、日本の華厳宗も 歴史遺産と共に現存しているものの、その教勢は浄土系、日蓮系、真言系、禅宗系に 大きく差をつけられている。 もともと別個に存在していた経典が一つのものとしてまとめられた経緯があり、その内容は多岐に渡る。 華厳経に取り込まれた経典のなかには十地経のように独立経典として現存しているものもある。 天台の五部八教説においては、仏陀となった釈迦が最初に説法したのが華厳経であるとされ、 仏の悟りをそのまま開示したものと位置づけられた。 翻訳 六十華厳 東晋の仏駄跋陀羅が訳したもの。現在は大法輪閣から刊行されている昭和新纂国訳大蔵経、国民文庫刊行会版の国訳大蔵経に読み下し文が収録されている。全体の現代語訳もあるが、4万円超えとかなり高価。 八十華厳 唐の実叉難陀が訳したもの。大東出版社から刊行されている国訳一切経にはこちらの漢訳が収録されている。日本語の全訳はないが、Thomas Clearyによる英訳(全訳)はある。こちらは日本円で一万円ほど。 四十華厳 入法界品だけを般若という人物が訳したもの。入法界品はサンスクリット語原典が残っており、日本語訳があるが現在絶版。 チベット語訳 八十華厳に近い形態。現存する華厳経の中では最も内容が充実している。 参考 ナツメ社 図解雑学 『仏教』 外部リンク 親鸞と華厳経(CiNii論文、5ページで六十華厳と八十華厳の対応関係を見ることができる)
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1711265884 テキスト 『大乗起信論』抜粋 大正大蔵経 諸本 B 『房山石經』20巻、262頁 C 『中華藏』30巻、809頁 K 高振農『大乘起信論校釋』中華書局、1992,17頁 S 『磧砂藏』盡九 (255)巻、77頁 U 宇井伯寿『大乗起信論』岩波文庫、1994,24頁 和訳 高崎直道『大乗起信論』岩波文庫、1994,180頁; 国訳一切経153; 国訳大蔵経 論部5; 新国訳大蔵経 論集部 2 英訳 Yoshito S. Hakeda T1666_.32.0576a13 以一切言説假名無實。 T1666_.32.0576a14 但隨妄念不可得故。言眞如者。亦無有 T1666_.32.0576a15 相。謂言説之極因言遣言。 T1666_.32.0576a29 當知眞如自性。非有相非無相。非非 T1666_.32.0576b01 有相非非無相。非有無倶相。非一相非異 T1666_.32.0576b02 相。非非一相非非異相。非一異倶相。 T1666_.32.0576b07 心生 T1666_.32.0576b08 滅者。依如來藏故有生滅心。所謂不生不 T1666_.32.0576b09 滅與生滅和合非一非異。名爲阿梨[KSU 黎]耶識。 T1666_.32.0580b08 究竟離妄執者。當知染法淨法皆悉相 T1666_.32.0580b09 待。無有自相可説。是故一切法從本已[BCS 巳]來。 T1666_.32.0580b10 非色非心。非智非識。非有非無。畢竟不 T1666_.32.0580b11 可説相。而有言説者。當知如來善巧方便。 T1666_.32.0580b12 假以言説引導衆生。其旨趣者皆爲離念 T1666_.32.0580b13 歸於眞如。以念一切法令心生滅不入實 T1666_.32.0580b14 智故 T1666_.32.0582a12 云何修行止觀門。所言止者。謂止 T1666_.32.0582a13 一切境界相。隨順奢摩他觀義故。所言觀 T1666_.32.0582a14 者。謂分別因縁生滅相。隨順毘鉢舍那觀 T1666_.32.0582a15 義故。
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テキスト paramārthaśūnyatāsūtram Étienne Lamotte, Trois Sūtra du Samyukta sur la vacuité, Bulletin of the School of Oriental and African Studies, 36-2, 1973. Sanskrit text and French translation. 訳 漢訳 第一義空經(勝義空經、真実空經、勝義空契經) 大正99(335); 中華700 T0099_.02.0092c12 (三三五)如是我聞。一時佛住拘留搜調牛聚 T0099_.02.0092c13 落。爾時世尊告諸比丘。我今當爲汝等説 T0099_.02.0092c14 法。初中後善。善義善味。純一滿淨。梵行清 T0099_.02.0092c15 白。所謂第一義空經。諦聽善思。當爲汝 T0099_.02.0092c16 説。云何爲第一義空經。諸比丘。眼生時無 T0099_.02.0092c17 有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。 T0099_.02.0092c18 生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。異 T0099_.02.0092c19 陰相續。除俗數法。耳鼻舌身意。亦如是 T0099_.02.0092c20 説。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。此 T0099_.02.0092c21 起故彼起。如無明縁行。行縁識。廣説乃至 T0099_.02.0092c22 純大苦聚集起。又復此無故彼無。此滅故彼 T0099_.02.0092c23 滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。 T0099_.02.0092c24 乃至純大苦聚滅。比丘。是名第一義空法 T0099_.02.0092c25 經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉 T0099_.02.0092c26 行 和訳 国訳一切経3?、新国訳大蔵経4?、 大正655; 中華1595 T0655_.15.0806c24 佛説勝義空經 T0655_.15.0806c25 西天譯經三藏 朝奉大夫試光祿卿 T0655_.15.0806c26 傳法大師賜紫沙門臣施護等奉詔譯 T0655_.15.0806c27 佛世尊。一時在倶盧數國。與苾芻衆倶」 T0655_.15.0806c28 佛告諸苾芻言。諸有法門我如前説。復有正 T0655_.15.0806c29 法名勝義空。汝等諦聽。極善作意。今爲汝 T0655_.15.0807a01 説。諸苾芻。此中云何名勝義空。謂眼生時 T0655_.15.0807a02 而無少法有所從來。又眼滅時亦無少法離 T0655_.15.0807a03 散可去。諸苾芻其眼無實離於實法。以要而 T0655_.15.0807a04 言。有業有報作者不可得。此蘊既終復他蘊 T0655_.15.0807a05 攝。別法合集因縁所生。耳鼻舌身意亦復如 T0655_.15.0807a06 是。彼意生時而無少法有所從來。又意滅時 T0655_.15.0807a07 亦無少法離散可去。諸苾芻。彼意無實離於 T0655_.15.0807a08 實法亦如前説。別法合集。此合集法無實可 T0655_.15.0807a09 得。因縁所生。此縁生者。所謂無明縁行。行 T0655_.15.0807a10 縁識。識縁名色。名色縁六處。六處縁觸。觸 T0655_.15.0807a11 縁受。受縁愛。愛縁取。取縁有。有縁生。生縁 T0655_.15.0807a12 老死憂悲苦惱。如是即一大苦蘊生。此所生 T0655_.15.0807a13 法無實可得。生已即滅。由是無明滅。即行 T0655_.15.0807a14 滅。行滅即識滅。識滅即名色滅。名色滅即 T0655_.15.0807a15 六處滅。六處滅即觸滅。觸滅即受滅。受滅即 T0655_.15.0807a16 愛滅。愛滅即取滅。取滅即有滅。有滅即生 T0655_.15.0807a17 滅。生滅即老死憂悲苦惱滅。如是即一大 T0655_.15.0807a18 苦蘊滅。如是等所説是爲勝義空。諸苾芻。諸 T0655_.15.0807a19 有法門如前已説。今此正法汝等當學 T0655_.15.0807a20 佛説勝義空經 是の如く我れ聞きぬ。 一時、佛、拘留搜の調牛聚落に住まりたまへり。 爾の時世尊、諸の比丘に告げたまはく、「我れ今汝等が爲に法を説くべし。 初・中・後・善く、善義善味、純一滿淨にして梵行清白なり。 所謂第一義空經なり。 諸の比丘、眼生ずる時來處有ること無く、滅する時去處有ること無し。 是の如く眼は實には而かも生ぜず、生じ已らば盡く滅す。 業報有るも而かも作者無し。此の陰滅し已らば異陰相續す。 俗數法をば除く。 耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く。 俗數法とは 謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る。 無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く、 又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す。 無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す。 是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す。 比丘、是を第一義空法經と名づく」と。 佛此の經を説き已りたまひしに諸の比丘、佛の説かせたまふ所を聞きて、歡 喜し奉行しき。 論文 宮下 晴輝 <「倶舎論」における本無今有論の背景--「勝義空性経」の解釈をめぐって> 『佛教学セミナー』(44) p7〜37 ,1986/10 青原 令知 「 勝義空経 について」 『龍谷大学大学院仏教学研究室年報』 3 1987/3 早島 理 「 顕揚聖教論 第六章 成空品 の経証」『印度学仏教学研究』, 77(39-1) 1990/12 馬場 紀寿 <北伝阿含の「空」説示 パーリ文献との比較研究> 『仏教研究』(32) 233〜250 ,2004/3 李 鍾徹 『世親思想の研究―『釈軌論』を中心として (インド学仏教学叢書)』 楠本 信道 『倶舎論』における世親の縁起観 有部と経量部の十二支縁起解釈
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1711265884 テキスト 『大智度論』初序品中縁起義釋論 大正大蔵経 諸本 B 『房山石經』15巻、9頁 C 『中華藏』25巻、110頁 S 『磧砂藏』聖一 (208)巻、9頁 H 『永樂北藏』傅一 (92)巻、159頁 Y 印顺法师校勘『大智度论』佛陀教育基金會、2013、第1冊、29頁 和訳 梶山雄一訳『大乗仏典 中国日本編1』52頁; 国訳一切経94; 国訳大蔵経 論部1; 英訳 Gelongma Karma Migme Chodron T1509_.25.0063c06 是佛法中。棄捨一切愛一切見。一切吾我憍 T1509_.25.0063c07 慢。悉斷不著。如筏[BCSHY 栰]喩〈B-經言。汝曹[SHY 等]若解我筏[CSHY 栰] T1509_.25.0063c08 喩〉法。是時善法應棄捨。何況不善法。佛自 T1509_.25.0063c09 於般若波羅蜜不念不猗[BSHY 倚]。何況餘法有猗[BSHY 倚] T1509_.25.0063c10 著者。以是故佛法初[SHY -頭]稱如是。佛意如 T1509_.25.0063c11 是。我弟子無愛法無染法無朋黨。但求 T1509_.25.0063c12 離苦解脱不戲論諸法相。如説阿他[B 陁, SHY 陀]婆耆 T1509_.25.0063c13 經。摩犍[B 乹, SH 捷, Y 揵]提難偈言 T1509_.25.0063c14 決定諸法中 横[BCS 撗] 生種種想 T1509_.25.0063c15 悉捨内外故[SHY 滅] 云何當得道 T1509_.25.0063c16 佛答[BCS 荅]言 T1509_.25.0063c17 非見聞知覺[BSHY 覺知] 亦非持戒得[SHY 非持戒所得] T1509_.25.0063c18 〈B-非不見聞等[SHY 亦非不見聞]〉 非不持戒得 T1509_.25.0064a01 如是論悉捨 亦捨我我所 T1509_.25.0064a02 不取諸法相 如是可得道 T1509_.25.0064a03 摩犍[B 乹, SH 捷, Y 揵]提問曰 T1509_.25.0064a04 若不見聞等 亦非持戒得[SHY 非持戒所得] T1509_.25.0064a05 非不見聞等[SHY 亦非不見聞] 非不持戒得 T1509_.25.0064a06 如我心觀察 持唖法得道 T1509_.25.0064a07 佛答[BCS 荅] 言 T1509_.25.0064a08 汝依邪見門 我知汝癡道 T1509_.25.0064a09 汝不見妄想 爾[BC 尒]時自當唖[S 汝尒時自唖 HY 汝爾時自唖] T1509_.25.0064a10 復次我法眞實餘法妄語。我法第一餘法不 T1509_.25.0064a11 實。是爲鬪諍本。今如是義示人無諍法。聞 T1509_.25.0064a12 他所説説人無咎。以是故諸佛經初稱如 T1509_.25.0064a13 是。略説如是義竟 T1509_.25.0064a14 我者今當説。問曰。若佛法中言一切法空 T1509_.25.0064a15 一切無有吾我。云何佛經初[SHY -頭] 言[H 稱] 如是 T1509_.25.0064a16 我聞。答[BCS 荅]曰。佛弟子輩[Y 等] [SH +等] 雖知無我。隨俗法 T1509_.25.0064a17 説。[C-我]非實我也。譬[C 辟]如以金錢買銅錢人 T1509_.25.0064a18 無笑者。何以故。賣買法應爾[BCS 尒][SHY +故]。言我者亦如 T1509_.25.0064a19 是。於無我法中而説我。隨世俗故不應 T1509_.25.0064a20 難。如天問經中偈説 T1509_.25.0064a21 有[SHY 阿]羅漢比丘 諸漏已[BCSH 巳]永盡[H 士] T1509_.25.0064a22 於最後邊身 能言吾我不 T1509_.25.0064a23 佛答[BCS 荅]言 T1509_.25.0064a24 有[SY 阿]羅漢比丘 諸漏已[BCS 巳]永盡 T1509_.25.0064a25 於最後邊身 能言有吾我 T1509_.25.0064a26 世界法中説[B+吾]我非第一[SHY -實]義[SHY -中説]。以是 T1509_.25.0064a27 故諸法空無[B+吾]我。[S -世界法故]雖[SY 而]説我無咎[B 罪]。復 T1509_.25.0064a28 次世界語言有三根本一者邪[BSHY -見。]二者慢。 T1509_.25.0064a29 三者名字。是中二種不淨一種淨。一切凡人 T1509_.25.0064b01 三種語邪慢名字。見道學人二種語。慢名字。 T1509_.25.0064b02 諸聖[SHY 漏][SHY +盡]人[SHY +用]一種語名字。内心雖不違實法。 T1509_.25.0064b03 而隨世界人[SHY -故]共傳是語。[SHY +故]除世[SHY -界]邪 T1509_.25.0064b04 見。[BSHY -故]隨[BSHY 順]俗無諍。〈SHY-以是故除二種不淨語本。 T1509_.25.0064b05 隨世[B 俗]故用一種語。佛弟子隨[B 順]俗故説我 T1509_.25.0064b06 無有咎[B 罪]。〉復次若人著無[CSHY-吾]我相。言是實 T1509_.25.0064b07 餘妄語。是人應難。汝一切法實相無[B+吾]我。 T1509_.25.0064b08 云何言如是我聞。今諸佛弟子[SHY+於]一切法空 T1509_.25.0064b09 無所有。是中心[BSH+亦]不著。亦不[SHY -言]著諸法 T1509_.25.0064b10 實相。何況無我法中心著。以是故不應難 T1509_.25.0064b11 言何以説我。如中論中[C-偈]説 T1509_.25.0064b12 若有所不空 應當有所空 T1509_.25.0064b13 不空尚不[B 不可]得 何況得於空 T1509_.25.0064b14 凡人見不空 亦復見於空 T1509_.25.0064b15 不見見無見 是實名涅槃[C 勝?] T1509_.25.0064b16 非二安隱門 能破諸邪見 T1509_.25.0064b17 諸佛所行處 是名無我法 T1509_.25.0064b18 略説我義竟 T1509_.25.0064b19 聞者今當説。問曰。聞者云何。聞用耳根 T1509_.25.0064b20 聞耶。用耳識聞[SHY +耶]。用意識聞耶。若耳根聞。 T1509_.25.0064b21 耳根無覺知故不應聞。若耳識聞。耳識一 T1509_.25.0064b22 念故不能分別。[SHY +亦]不應聞。若意識聞。意識 T1509_.25.0064b23 亦不能聞。何以故。先五識識五塵。然後意 T1509_.25.0064b24 識識。意識不能識現在五塵。唯識過去未 T1509_.25.0064b25 來五塵。若意識能識現在五塵者。盲聾[C 龍]人亦 T1509_.25.0064b26 應識聲色。何以故。意識不破故。答[BCS 荅]曰。非耳 T1509_.25.0064b27 根能聞聲。[C -亦]非耳識[C -亦]非意識能[SHY 是]聞聲 T1509_.25.0064b28 事從多因縁和合故得聞聲。不得言 T1509_.25.0064b29 一法能聞聲。何以故。耳根無覺故不應聞 T1509_.25.0064c01 聲。識無色無對無處故。亦不應聞聲。聲無 T1509_.25.0064c02 覺亦無根故不能知聲。爾[BCS 尒]時耳根不破。聲 T1509_.25.0064c03 至[CSHY 在]可聞處。意欲聞[C +憶是事]情塵意[C 憶]和合故耳識 T1509_.25.0064c04 生。隨耳識即生意識。能分別種種因縁得 T1509_.25.0064c05 聞聲。以是故不應作是難。誰[BCSHY 雖]聞聲。佛 T1509_.25.0064c06 法中亦無有一法能作能見能知。如説偈[SHY 偈説] T1509_.25.0064c07 有業亦有果 無作業果者 T1509_.25.0064c08 此第一甚深 是法佛能見[C 能説, SHY 所説] T1509_.25.0064c09 雖空亦不斷 相續亦不常 T1509_.25.0064c10 罪福亦不失 如是法佛説 T1509_.25.0064c11 略説聞[SH +法]竟
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自己啓発反省日記08年9月上 より続く 自己啓発反省日記08年10月上 へ続く 休刊日 フリーのウィルスソフト「Avast!」 設計も設備も固まっていく。 トーマス・バズビー『24時間投資大作戦』 夢に、創価学会前会長の秋谷氏 自分たちの組織と人脈が頼りだ。 保険大手のAIGの救済 事故米の流通先 ついに出品在庫が6千冊を超える。 天牛書店本店 『原色万葉植物図鑑』 「国訳一切経」 「心から、君たちと一緒に活動できることを願います」 「ビデオ一緒に見よう!」 会社内で言い合いする夢 溝口敦『池田大作 「権力者」の構造』 そうかあ、池田が「勇退」したのは、今の僕と同じ歳だったのだ。 オレの内面って、わかりやすいねえ。 渡辺金文堂書店 屋内の扉、階段を選ぶ。 文庫よ、永遠なれ ブロードキャスターが最終回。 護憲の署名集め。 福岡のこども殺人でお母さんが逮捕やて!」 会いに行けば円満にまとまる話もあるんだなあ、 森林公園にハイキング 麻生内閣が発足。 遙に「はだしのゲン」を聞かせ 宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』 小泉元首相 高野山に出張。 今日の言葉(創造と集中) イケア 「弥生の郷温泉」 西酒造製「万歴」 運動会。 会社四季報 明け方寒かった えらそうに無理難題 気候が良くなってくると、朝寝がしたくなる。 頭の中から絞り出して、 中山国交省が辞任。 名前 コメント ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 ●9月16日 1000就寝630起床。 新聞とりに行って、 休刊日 だと思い出す。 100年に1度の経済危機のとき、新聞が休みだなんて、間の抜けたこと。号外くらい出さなあかんのちゃうん? 昨日のNY市場、欧州市場がどうだったのか、日経新聞のネット版見ようとするが、つながらず。個人投資家はパニックになってるのと違うやろか。 会社では、午前中会議、午後来客3件で、事務所にいながらほとんどデスクワークしない一日だった。 会社で使っている自分のパソコンのウィルスソフトの更新期限が過ぎていた(しかもずいぶん前に!)ので、 フリーのウィルスソフト「Avast!」 というやつ(チェコ製らしい)をインストールする。大丈夫か?と不安にふるえながら。でも大事なデータは、すべて会社のサーバに入ってるし、このパソコンダメになっても家のパソコンがあるし、と思って。 簡単にインストールは修了。既存の全てのファイルのウィルスチェックをかけるが、えらく時間がかかって、不安になる。結果は、2つのウィルス感染ファイルが見つかったということ。 また、早速、2件のメールを跳ね返してくれた。 定時に帰って、自宅で工務店と打ち合わせ。 設計も設備も固まっていく。 今使っていて、新しい家にも持って行くつもりの家具などの寸法をもう一度測って設計を確認していく。 床材はすべて無垢の紀州材(スギとヒノキ)、壁材も島根産ヒノキの集成材を使うことになった。来週は、無垢材の建具をつくっている会社に工務店の人といっしょに見学に行くことになった。カミさんがぜひここに、と要望して、工務店側が取り入れてくれたもの。「この会社は、品物はいいと大工はみんな知ってるんだけど、営業がへたでね、なかなか広がらないんです」と工務店の人。 アマゾンに注文していた トーマス・バズビー『24時間投資大作戦』 が届く。さっそく読み始めるが、おもしろい。 NY市場の動きは、それより早く開く東京、上海、ドイツ、イギリスなどの動きを読むことで予想できる。そうすれば上昇トレンドでも、下降トレンドでも利益を出すことはできる。米国内しか見ていない一般投資家は必ず失敗する、という。 相場が下がる中でも、先物の空売りという方法で儲けられるということを知る(常識?)。 個人投資家は、24時間眠ることができないのか?著者は、夜中に監視できないときは、その日の取引終了とともにいったん手仕舞い、ロングポジションはとらないと書いている。 遙、同じ日に注文した『源義経』のビデオがまだ届かないのでぶつぶつ言う。 昨日買ってきた伝記「源義経」、1100までかかって一気に読み終えたようだ。 ●9月17日(水) 1100就寝530起床。 夢に、創価学会前会長の秋谷氏 が出てくる。僕が、政教一致の実態をなじると、秋谷氏は「それは一部のことだ」とやんわり否定する。 僕が担当している10月初頭のイベントの参加申込者は、予定を上回って募集終了。準備が本格化してあわただしくなってきた。一方、9月末募集締め切りのコンクールの応募者は、まだ4団体しか確保できていない。なんとか昨年並みの応募者(15)がほしいと、連日手紙を書いている。パンフレット2000部はすでに配り終えて残部ほとんどなし。もっと刷っときゃよかった。 どちらの事業も、地域紙以外は書いてくれない。全国紙の支局に広報資料を送っても完全に黙殺される。もうあいつらはあてにしない。 自分たちの組織と人脈が頼りだ。 夜、NPOの例会。国会請願に向けて署名運動始めることを決議。目標は5000。 米政府が、 保険大手のAIGの救済 を発表。株価すこし戻る。 新聞に書いているように、レーマンは見捨ててAIGは助ける政府の論理がわからない。 三笠フーズに売った 事故米の流通先 を農水省が発表。一部は家庭用の米としてスーパーでも販売されたと判明。影響はますます広がっている。 カミさん、今朝も調子悪いといい、とてもつらそうに仕事に行ったが、元気に帰ってきてホッとする。 倉庫を整理していたら、まだアマゾンに出品していない本(美術・建築関係の洋書十数冊)が見つかったので、入力。 ついに出品在庫が6千冊を超える。 ●9月18日 1130就寝500起床。寐る前にお酒を飲んだので、胃がごろごろし、どうも熟睡した気がしない。これからは、900以降酒は飲まんぞ。 大阪へ出張。1000から西中島南方駅の近くで会議。 終わってすぐ、江坂の 天牛書店本店 へ。前から行きたいと思っていたが、今日が初めて。 間口は小さく目立たない店だが、1、2階とも奥が深く、陳列の本の数はすごい。しかも、安い。 文庫本---愛の妖精、ほらふき男爵の冒険、武士道(以上岩波)、田中角栄新金脈研究、田中支配とその崩壊(以上朝日)、スローカーブをもう一球、人生を変える九つの知恵(以上角川)、情報は人にあり(講談社)、破滅の美学(幻冬舎)、かくカク遊ブ書く遊ぶ(小学館)、花と昆虫(保育社) 岩波新書---大地の微生物世界、花と木の文化史 単行本---国訳一切経和漢撰述部84、ブローグ経済理論の歴史(上・中)、昭和史Ⅱ(中村隆英)、エコロジスト宣言(ゴルツ)、原色万葉植物図鑑(小村) 洋書---Sociology and Religion (Wach) 文庫と新書は50円、単行本は100円のと300円のとで、しめて2200円の買い物。もっともっと買いたい本があったが、持って帰れないので次の楽しみにとっておく。 ほんとは江坂のブックオフにも寄りたかったのだが、もう持てないので見送り。 南海電車に乗る前に、ブックオフ難波中店による。何度か行ったことはあるが、いつも空振りに終わる。今日もやはり空振り。「カーター回顧録」上105円だけ。 行きの電車の中で、『四畳半出版社で稼ごう!』(本谷裕二)を読了。印刷以外の仕事を全部ひとりでこなし、1点1500部を年間2,3点出して売り切れば生活はできる、という話。でも取り次ぎとの関係が難しそう。 帰りの電車では、買ったばかりの 『原色万葉植物図鑑』 の図版を見て、本文を数ページ読む。電車を降りて家まで歩いている途中に生け垣に、たった今、本で見たような美しい花が咲いている。写真を撮りたかったが本の荷物で両手がふさがっているので諦めて、帰ってから本を見てみたが、もう記憶があいまいで、何の花だかわからず。花の名前をわりと知っているカミさんに写真で尋ねられればよかったのにな。これから努めて花の写真を撮っていこうと思う。 ゴルツの『エコロジスト宣言』、序文だけ読むが、大いに共感した。 「国訳一切経」 の今日買った巻は、「高僧法顕伝」と玄奘の「大唐西域記」と義浄の「南海寄帰内法伝」という、世界史級の重要書物が一巻に収められている。付録に地図もついている。これが300円とは、たまらんねえ。いつ読めるかわからんけど。 和歌山に帰って事務所に顔を出す。 N女史が「うれしい便りが届いてますよ」と言ってくれた。机の上に、コンクールの応募書類が2通。別の講座の申し込み書類が1通。たしかに今はなによりうれしい。 夜、高校生たちを集めた会議。 「心から、君たちと一緒に活動できることを願います」 と、短いスピーチだが、一生懸命訴える。呼びかけに応えてくれそうな手応えを感じた。これもひじょうにうれしかった。 帰宅すると、遙が、 「ビデオ一緒に見よう!」 と飛びついてくる。ようやく「源義経」が届いたのだが、難しいらしく、途中で見るのを中断して父を待っていたようだ。解説してあげながら一緒に最初の30分ほど見る。 今の大河ドラマとは違ってせりふが重厚で、難しい言葉や古い言い回しが出てくる。しかも総集編ということで省略が多い、音声が劣化しているので聞き取りにくい。これは遙にはちょっと手強いだろうが、「アマデウス」のときみたいに繰り返し繰り返し見ているうちに分かってくるだろう。 音楽、武満徹だったんだなあ。これも今の感覚からいうと古い、いや重すぎる。静御前役の藤純子、めちゃくちゃ(!)きれい、かわいい。 ●9月19日 ゆうべは寐る前に、買ってきたばかりの大沢在昌の『かくカク遊ブ書く遊ぶ』をパラパラとめくるが、どうでもよい本であった。『新宿鮫』に感心したことがあり、小説書きのヒントでも得ようかな、と思って買ったのだが。 030就寝630起床。ゆうべの夕食すんだのが900ごろで、その後は酒を飲まなかったので、夜中にトイレにも立たず、ぐっすり眠れた。 間近に迫った研修事業のことで 会社内で言い合いする夢 を見る。なかなかストレスのたまる仕事である。 会社で、そのストレスの多い事業の細かい事務作業でほぼ一日費やす。花粉症で眼がしょぼしょぼするのに、ずっとパソコンのディスプレイをにらんでたから、夕方には、どうにも眼の焦点があわなくなってしまった。こんなの初めてだ。 台風が近づいていて、蒸し暑い。 溝口敦『池田大作 「権力者」の構造』 (講談社+α文庫)読了。 著者が書いている通り、古い聖教新聞のバックナンバーを読むことから始めたというだけあって、文献調査は丹念にやっていて、かなり古くから学会文献を読んでいる僕も、知らなかった事実がたくさん紹介されている。でも、この本は、文献をつぎはぎして、初めから池田への蔑視・嫌悪だけで編み上げてあるから、説得力がない。たとえば、池田の生い立ちが極貧の家で、高等教育を受けられなかったという事実から、学問コンプレックスが池田の行動を規定しているかのように書くのは、無理がある。初期の聖教新聞の編集長石田次男が戸田の後継者として池田の最大ライバルであったとし、池田の周到な石田追い落とし工作があったように書いているが、これも根拠として挙げているのは聖教新聞紙上などから読み取れる学会内序列の異動だけである。当事者へのインタビューなどの裏付けが皆無なのだ。当事者の発言はすべて二次資料(多くは反学会の立場の本)からの引用である。 学会の歴史には闇の部分が多い。正史がきれいごとの嘘だらけであることは僕も認める。しかし、学会の影の部分が全て池田の個人的な権力欲やコンプレックスから発生しているかのように書くのは、著者自身の偏見の裏返しでしかない。僕なら、同じ文献を使って、もっと池田に同情的な本が書ける。 それと、本書には、池田を慕う一般会員の心情に全く触れられていないというのも、学会研究本として不十分な所以だ。そもそも学会という存在を蔑視しているし、「崩れ左翼」らしき著者の手には余るのであろう。 結局、溝口がこの400ページになんなんとする大著で明らかにしているのは、自身の池田への嫌悪感だけである。ネット上に氾濫しているアンチ学会・アンチ池田の差別的言説との違いは、文章の「てにおは」がしっかりしていることくらいである(ネット上の言説もそれはそれで文献を渉猟しておべんきょうはしているものがあるが、筆者の教養が低いもので、文章の体をなしていないのが多い)。 ただ、本書の最後近くに、僕が感慨深く読んだくだりが一箇所ある。 「彼は昭和54(1979)年4月24日、それまで19年間その職にあった創価学会第三代会長の座を降り、名誉会長へと退いたが、過去の功績によって名誉ある老いを楽しむことは彼には許されなかった。そのとき池田は51歳、壮年の盛期にあり・・・・」(p308) そうかあ、池田が「勇退」したのは、今の僕と同じ歳だったのだ。 宗門に切られ、弟子たちが次々に反逆していき、あとを託すに足りる後継者はおらず、自身の功績は泥に塗られ・・・。僕は当時は、先生は超然としている、と思っていたのだが、悔しかったんだろうな、受け入れがたかったんだろうな。数年前から、池田は公式の場でもこのときの悔しさ、怒りを吐露するようになっている。この池田の怒りのエネルギーが以後の学会を引っ張っていったために、学会はおかしな方向に行ったのではないか・・・というのも僕の推測に過ぎず、これを裏付ける資料を僕は持ち合わせていないから、これ以上は書かない。 ●9月20日(土) 1200就寝700起床。 住宅ローンの申し込みに労金の事務所を訪れる夢を見る。昔の市役所の同僚がそこのえらいさんになっている。「○○さんのことだから配慮はしてくれると思いますが、関係労組のある会社の社員でないと、審査は厳しいですよ」と、暗に、諦めろと言われる。 そろそろ家を建てるカネの算段に入らねばならないことと、来週、会社の資金繰りのために労金からカネを借りる予定であることがごっちゃになって、こんな夢になったのだ。 オレの内面って、わかりやすいねえ。 830出発、車で十三へ。 渡辺金文堂書店 文庫----南方マンダラⅠ(河出)、恋の駈引(サド、旧河出)、角川書店編俳句歳時記全6巻、高砂族に捧げる(鈴木、中公)、「技術一流国」ニッポンの神話(内橋、教養)、白蛇教異端審問(桐野、文春)、現代民話考2(松谷、ちくま)、見聞談叢(伊藤、岩波)、闇の奥(コンラッド、岩波)、世界に於ける日本美術の位置(矢代、旧三笠)、大工棟梁の知恵袋(森谷、講談社α)、愉しき放浪児(アイヒェンドルフ、岩波)、映画入門(岡田、旧河出)、芭蕉俳句集(岩波) 以上が全部各冊50円。 新書---自由主義の再検討(岩波)、ヒトラーとユダヤ人(講談社)、今すぐできる体質改善の新常識(新潮)。以上が各100円。 ほかに、半七捕物帖6巻揃(旺文社文庫)が1200円。 以上全部で2300円という大収穫だった。 この本屋、本棚に詰め切れない本が積み上がっていて、本に触れるとそれが崩れてきそうなのだが、それが最近もどんどん積み増しされていて、人ごとながら心配なくらいだ。ジャンル別に整理されているわけでもなく、大きさもバラバラな本たちが、さながら石垣でも築くように組み合わされて壁をなし、背後の本棚からはもう本を取り出すことができない。「こんな本ない?」って聞いても、出てくる気遣いはない。近所の人がマンガや古雑誌を買いに来るのしかほかに客を見ないのだが、どうする気だろうか? 僕は最近はだいたい月に一回くらい来ているのだが、50円均一の文庫は、僕が来ないとたぶん回転しないだろう。 昼から、工務店の人といっしょに、服部にあるウッド・ワンという建具会社の展示場へ。 屋内の扉、階段を選ぶ。 すべて、会社が苗木から育てたニュージーランド産パインの無垢材だという。その後家の設計の修正打ち合わせをして、次回は和歌山田辺の材木屋さんの見学ということになる。 今夜は十三泊まり。帰宅して酒を飲みながら本を楽しむ。 『今すぐできる体質改善の新常識』半分ほど読み、カミさんにも勧める。 戦後すぐ、僕が生まれる前の旧河出文庫と旧三笠文庫の巻末の既刊書リストを見ると、なかなかの充実度だ。欲しい本がいっぱいある。昔も出版社同士の文庫合戦は激しかったのだなあ。 僕が文庫本を自分で買い始めた中学生時代(昭和40年代後半)は、文庫といえば、岩波、新潮、角川だった。みんなパラフィン装で、ジャンル別に帯の色を分けていた。大きい書店の文庫コーナーの隅には青木文庫、国民文庫、現代教養文庫、保育社カラーブックスが並んでた。ハヤカワも、もうあったかな? しばらくして、角川と新潮がカラーのカバーをつけるようになった。講談社文庫が誕生して、最初のころは緑色のカバーに統一されていた。創価学会系の潮出版社が潮文庫を出してジャンル別に色を変えたきれいなカバーが新鮮だった。まず角川文庫がエンタテインメント路線に転向し、古典が姿を消していった。それから、中公文庫が出て、文春文庫が出て、ちくま文庫が出て、新河出文庫が出て、朝日文庫が出た。いつの間にか、岩波文庫以外は、古典ではなく現代作家のものが主流になっていった。青木文庫、国民文庫、潮文庫が消えた。そして有象無象のエンタメ系・実用書系の文庫が叢生。ただし、講談社学術文庫と講談社文芸文庫、そして最近は光文社クラシックが、古典に光を当てて気を吐いている。 いま、僕の文庫の蔵書を見ると、圧倒的に岩波文庫が多い。次に新潮で、文春、中公、朝日、講談社学術、角川、講談社、ちくまと続く。 文庫よ、永遠なれ と願う。そして、アンコール復刊をぜひ頻繁にやってほしい。 TBSの ブロードキャスターが最終回。 カミさんが大好きな番組で、僕も遙もいつの間にか当たり前のように土曜の夜はこれを見るようになった。終わっちゃって、すこしさびしい。 ●9月21日(日) 630起床。 800に十三の家を出て電車で和歌山へひとりで帰る。 1100より、和歌山駅前で月一の 護憲の署名集め。 初めの30分間はおもいろいように集まったが、あとの1時間がふるわず、僕がとったのは30筆。5名参加で100筆の成果。累計で7000を超える。 お彼岸なので、お墓参りに来る客・行く客が多かった。うちの店のお客さんだった人にも何人か会う。 カミさんと遙が夕方帰ってくるまで、ビール飲みながら新聞整理。なかなか片づかんなあ。 ●9月22日(月) 遙は皮膚が乾燥しやすく、よく体が痒いと訴える。昨日はチンチンがかゆいといってもだえてなかなか眠れず。1130就寝600起床。 出勤前に、ワイドショーを見ていたカミさんが叫ぶ。「おとうちゃん! 福岡のこども殺人でお母さんが逮捕やて!」 僕は、なんとなくそんな予感がしてた。母がトイレに入ってから子どもが殺されるまでの時間が短すぎる、あんなところで殺されたらすぐに不審者の情報が出てくるはず、携帯のストラップで殺されてその携帯が別のところで発見というのは不自然、などから、一番疑われるのは母親やなあと思っていた。 テレビでは、育児ストレスか、と言ってたが、子殺しの気持ちが僕もまったくわからんではない。だれの助けもなく疲れ果てたときに子どもがいうことをきかない、キーっとなって、首にかけてた携帯のヒモを力任せに引っ張った・・・そういうことではないだろうか・・・と勝手な想像だが。 新聞には、千葉県でまた子どもの殺人があったことを報じている。子どもは衣服を脱がされていたから、犯人は幼児性愛者か。 とにかく、こんな国に生まれて、おまえたちは、ほんとにたいへんだんなあ、と遙のことを思う。 会社では、来月初めのイベントの準備大詰め。 県の職員にそのことで会いに行く。いままで、電話とメールだけのやりとりで、どうも話がかみ合わなかったが、 会いに行けば円満にまとまる話もあるんだなあ、 と感じる。 県展を見る。素人のものでも、絵を見るのは楽しい。自分も描いてみたいといつも思う。 ●9月23日 秋分の日でお休み。 815に家を出て、加太の 森林公園にハイキング に行く。四国山を経て山頂広場で早い昼飯を食べて同じ道を降りてくる。いい所もあったが、全体的に荒れた感じで、あまり楽しくはなかった。帰りにスーパー銭湯に寄って汗を流す。 1300に出勤、1400からの会議に臨む。10月初めの合宿のセミナーの準備、細かい点まで詰める。1700に終わる。 花粉症で目が痒いのに耐えきれず、目薬を買う。ましになった。鼻水とくしゃみは相変わらず。 ●9月24日(水) 昨夜は寐る前に遙にお話をせがまれ、もう歴史物語も飽きたので、「はだしのゲン」を語る。被爆して父と弟をなくすまで。遙、熱心に聞く。 珍しくカミさんに起こされ700起床。 朝の会議でブレーンストーミング。某篤志家の寄付をどう使うか。こういうのは楽しい。どんどんアイデアが湧いてくる。 カミさんは福岡出張で泊まり。 遙と夕食はカレーを食い、7時からの市民運動の会議にいっしょに出ていく。 麻生内閣が発足。 もちろん、寸分も期待していない。 遙に、「だれが総理大臣になったらいいと思う?」と聞かれ、「うーん、瑞穂ちゃんかな」 ● 遙に「はだしのゲン」を聞かせ て1200就寝700起床。遙はさすがに眠そうだ。 出勤までの時間に、 宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』 (河出文庫)を読了。アマゾンで買い手がついたので急いで読む。 ニューヨークを舞台にした小説を書きかけているので参考にするつもりだったのだが、やばい小説だった。放浪に淫した若者の話で、日常の基盤を揺すぶられるような感覚を味わい(特にLSDの体験の描写に力があった)、会社に出て行くのがいやになった。朝からこんな小説読むもんじゃない。 会社では、きょうからコンクール出品を促す電話営業を始める。1件は二の足踏んでたのを説得してゲット。2件は留守だった。 そのほか細々とした準備に追われる。 445に終わり、県庁に仕事の用事で寄って帰宅。 小泉元首相 が、次男を後継に指名して政界引退を表明。 世襲というのは、親子のエゴばかりではない。取り巻きたちの利権・しがらみなのだ。親の恩顧・利権に連なった者たちにとっては、営々と協力して築き上げてきたコネクションを、全くしがらみのない者の登場によって無にしたくないと望むだろう。だから、無能な者でもなんでもいい、いやむしろ、無能でも素直に取り巻きのいうことを聞く人間、自分たちに恩義に感じる人間を担ぐのだ。 小泉も、そういう関係性を断ち切ることのできない政治家であった、ということだ。自民党はぶっつぶしても、自らの地盤・看板・カバンはぶっつぶすことのできない人であったということだ。 ●9月26日(金) ゆうべは遙に学校のおもしろい話を聞いて1130就寝600起床。 朝一に法務局へ行って会社の登記事項証明書をとって、それを労金に届けに行く。借金の申込書に必要なため。 午後から 高野山に出張。 来年3月のイベントの打ち合わせ。高野山大学の全面的な協力が得られそうで、大前進。 帰りにひどい車酔いする。 今日の言葉(創造と集中) まず、思い切ってトライしてみること、それから見直すのです。創造しようとしているときに振り返るのはやめましょう。修正は作り出したあとでやります。もしあなたの関心が目に見える結果だけに絞られるなら、自分を解放させることはできません。クリエイティブな状態とは、勝つことなど忘れてトライすることに集中しなければ得られるものではないのです。 トム・ラスク『あなたは自分を自由に変えられる』騎虎書房 喧嘩のもっともよくないやり方は、どのように変えて欲しいか言わないでただ不平を言うことです。 同 ●9月27日? 1100就寝。 300ニ目覚めたので、起きて本と朝刊を読み、500から700までまた寐る。 今日は新居用の家具を見るため家族で大阪の イケア へ車で行く。イケアは初めて。 お腹がすいていたのでまず腹ごしらえと店舗内のレストランに入った。キャフェテリア式で、料金はとても安く、大にぎわいだ。ビールやワインだって出すし、お母さんに引っ張られてきたお父さんや子どもも喜ぶだろう。ここで一日過ごして下さい、という戦略だ。 品物も驚くほど安い。日本の家具屋さんの常識を覆す。いい品物かどうかは僕には判断できないが。 僕たちは、工務店に連れて行かれたTOTOで選んで見積もってもらったシステムキッチンがすこし不満だったので、キッチン設備・家具を中心に見ていったのだが、ここで買って自分で設置工事をすれば、キッチンはひと桁違う値段でできるということがわかった。 さて、どうするか。カミさんはすこし気持ちが動いた様子。 帰路、信太山駅すぐの 「弥生の郷温泉」 に寄る。入浴料700円。すこし茶緑がかった低温のしっとりとしたよい湯であった。丸亀製麺のうどん屋に入り、3人で1200円の夕食をとって帰る。 本屋に寄って「会社四季報2008年秋号」を買う。3年に一回くらい、株式投資しようかなと思って買って、活用せずにほっておくのだが、古い号がけっこうアマゾンでいい値で売れてて、損はしていないのだ。 ひと月ほど前に義父にもらった芋焼酎を開封する。たいそうな紙箱入の 西酒造製「万歴」 だ。西酒造といえば今回「宝山」で事故米を使ったとして話題になった会社だ。 割らずにひとくち飲んで、普段買ってる焼酎との違いがわかる。たしかに濃厚な味で、芳醇な香りがする。いくらする酒かしらないが、会社は、「宝山」とは格差をつけて売っているわけだ。 それは、原料の違いか製法の違いか。 僕には分からないが、今回の事故米騒動で、はっきりとわかったことがある。 酒造メーカーは、原料について、どこどこ産「こしひかり」使用だの、米を何割削っただの、どこどこ杜氏がつくっただの、能書きをたれているが、ベトナム産の米を国産と偽られてを買って、それを酒造に使ってまだ違いがわからなかったってんだから、能書きは能書きだけのことだった、ってこと。杜氏なんて、今日日の医者と同じで、機械しか見てないんじゃないの? この「万歴」って酒に事故米が入っているかどうかしらないが、おいらがうまいと感じるんだから、能書き関係なしに楽しんで飲もうじゃないか。 「事故米入っててもええの?」ってカミさんが聞くから、「50まで好きなもん食って飲んで、健康でいられたんだから、なんの文句がある。おれはええよ。遙には困るけどな。」 ●9月28日(日) 遙の 運動会。 曇り。 遙はリレーと、「羞恥心」のダンスに出場。学年リレーでなんとか抜かされず走る。よくやった。 楽しそうだったので、あとから、「楽しかった?」って聞くと、「別に」。 僕は昼過ぎに運動会を抜けて、仕事に。セミナーの講師。40分間しゃべる。このあいだの勝浦のときと同じ内容。今日は時間配分がきちんとできた。 今日のセミナーは受講者多かったのでワークショップがスムーズに行くか心配していたのだが、わりと和やかに進行してよかった。 セミナーのあと事務所に戻って、今日中に環境省へ急送しなければならない資料をつくる。プリントがうまくいかずあせる。なんとか7時に郵便局へ持ち込み速達で送る。 ●9月29日 ゆうべは、遙と寝床で 会社四季報 見る。電鉄会社の株価チャートを見て、業績や見通しを読まされる。「特損計上、ってどういうこと?」とか「完全子会社化ってなによ」と、うるさい。 1200就寝700起床。 タオルケットだけで寐ていると、 明け方寒かった ので、毛布を引っ張り出して被る。 一日中どんよりした天気で、気温低し。事務所でもTシャツの上に一枚羽織るがそれでも寒し。 太陽の黒点が現在まったくなくなっているという。寒冷化が始まったりして。 あさってからから始まる合宿のセミナーの準備に忙し。こまごまとした準備は僕の最も苦手とするところ。どうでもええやん、という気になる。 環境省から突然、今日中に書類を出せ、といつもながら失礼な指示。担当休んでます、と突っぱねる(本当だけど)。こっちから頼んだときや問い合わせたときは何日も放っておいて平気なくせに、 えらそうに無理難題 押しつけて。 夜、NPOの事務局会議。冷雨のなか皆さん集まって下さる。会議終わっても話に花が咲きなかなか帰ろうとしない。 ●9月30日(火) 超われわれ史のために本を読みノートをとる。 1100就寝700起床。 530頃目覚めたがまた寐る。どうも 気候が良くなってくると、朝寝がしたくなる。 久しぶりに小説の続き書く。 若い頃につくった歌を、録音して聴かせてくれという人がいて、未完成の詩をどうしても完成させねばならなくなって、車の運転中などに考えている。初めてつくってから二十数年ぶりだ。その間、ときどきつくろうと思ったこともあったが、発表する機会もなかったので、結局ようつくらなかった。今回はどうしても、という気で 頭の中から絞り出して、 もう2曲完成した。あと3曲だ。ひょっとすると新曲もできるかも。 明日からの合宿セミナーの準備。 コンクール公募は今日が締め切り。1作品届く。結局応募は10作品で、去年より4件少ない。広告は去年よりうったのに、がっくり。 中山国交省が辞任。 「日教組が強いところは児童の学力が低い」・・・中山大臣に学習能力は見られず。 それにしても、お粗末な政治家ども。
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テキスト Brahmajālasuttaṃ 和訳 南伝大蔵経6;梶山雄一編『原始仏典』3; 中村元編『原始仏典』1; 片山一良訳『長部(ディーガニカーヤ)戒蘊篇』1 英訳仏訳; Rhys Davids; O. Franke; Bhikku Bodhi CDROM 訳 漢訳 大正1(21); 中華697 和訳 国訳一切経7、新国訳大蔵経2、丘山新編『現代語訳「阿含経典」』長阿含経5 英訳 Cheng Jianhua 大正21; 中華794 独訳 Friedrich Weller チベット語訳 ཚངས་པའི་དྲ་བའི་མདོ། 東北352 Friedrich Weller, über das Brahmajālasūtra, Asia Major 9,1933 Brahmajālasūtra tibetischer und mongolischer Text, 1934 論文 越後屋 正行 「『梵網経(Brahmajala-sutta)』考(2)何故、第一経であるのか」 『駒沢大学大学院仏教学研究会年報』(37), 210〜189 ,2004/5 「『梵網経(Brahmajala-sutta)』考(1)『長部』「戒蘊篇」における帰依と信に注目して」 『曹洞宗研究員研究紀要』(34), 208〜185 ,2004/3 畑 昌利 「六十二見に対する仏教の評価とPali「梵網経」の主題」 『印度學佛教學研究』52(1), 318-316 ,20031220 「六十二見を中心とする初期仏教における外道思想の研究」 本庄 良文 シャマタデーヴァ著『アビダルマコーシャ・ティーカー・ウパーイカー』 「シャマタデーヴァの伝える阿含資料 世品(5)『梵網経』」 『神戸女子大学教育諸学研究論文集』6, 1992-03-31 五島 清隆 「『十二門論』に見る主宰神否定論-苦の由来をめぐって-」『基督教研究』64-1 転生(再生誕)スレ7 171 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14 36 56 ID xG8wvtQd http //www.j-world.com/usr/sakura/replies/buddhism/buddhism35.html 比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。よく聞きなさい。 「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。それは、眼と眼に見えるもの、 耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、 身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。 誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、 それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。さらに彼を問い詰めると、 その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。何故か。何故なら、 彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3) 以上のような「一切」と「十/十四無記」に明解に答えるのがパーリ『梵網経』です。 『梵網経』はブッダに対して賞賛と誹謗があることにビクが騒いだの因んで釈尊が説かれた教えです。 釈尊は賞賛に対して次のように仰られます。 T0001_.01.0088c18 凡夫寡聞不達深義。直以 T0001_.01.0088c18 所見如實讃嘆。云何小縁威儀戒行。凡夫寡 T0001_.01.0088c19 聞直以所見如實稱讃。 凡夫は寡聞に深い意味に到達せずに直に見えることをそのまま讃歎する。 どのように些末な威儀や戒律の行いを凡夫が寡聞に深い意味に到達せずに直に見えることをそのまま称賛するのか? དགེ་སློང་དག་གང་བྱིས་པ་སོ་སོའི་སྐྱེ་བོ་ཐོས་པ་དང་མི་ལྡན་པ་དག །དེ་བཞིན་གཤེགས་པའི་སྙན་པ་ཅུང་ཟད་ཙམ་འདི་སྨྲ་ཞིང་རྗོད་པ་འདི་ལྟ་སྟེ། ཚུལ་ཁྲིམས་ཙམ་དང་འདོད་པ་དག་ལས་རབ་ཏུ་དབེན་པ་ཡིན་ནོ། །ཇི་ལྟར་ན་ཚུལ་ཁྲིམས་ཙམ་ཡིན་ཞེ་ན།(デルゲ版、東北352、aH, 72a) ビクたちよ、[教えを]聞いたことのない凡夫たちの如来に対する賞賛は、つまらないことを語り述べる。 つまり、戒律のみ、欲望から離れていることである。どのように戒律のみであるのかというなら、 Appamattakaṃ kho panetaṃ, bhikkhave, oramattakaṃ sīlamattakaṃ, yena puthujjano tathāgatassa vaṇṇaṃ vadamāno vadeyya. Katamañca taṃ, bhikkhave, appamattakaṃ oramattakaṃ sīlamattakaṃ, yena puthujjano tathāgatassa vaṇṇaṃ vadamāno vadeyya? ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、わずかなことのみを、 卑近なことのみを、戒のみを語るにすぎない。では ビクたちよ、凡夫が如来を賞賛して語るとき、どのようなわずかなことのみを、 卑近なことのみを、戒のみを語るであろうか(浪花宣明 訳以下同じ) この後、小中大の戒が説かれます。要するに凡夫でも見て分かることだけを賞賛するとしています。 そして、次に釈尊はこのように仰られます。 T0001_.01.0089c20 更有餘法甚深微妙大法光明。唯有賢聖弟 T0001_.01.0089c21 子。能以此言讃嘆如來。何等是甚深微妙 T0001_.01.0089c22 大光明法。賢聖弟子。能以此法讃嘆如來。 さらに甚深微妙な光明の大法である他の法が有る。ただ賢者や聖者の弟子が、 この言葉で如来を讃歎できる。なんらかの甚深微妙な大光明法、 賢者や聖者の弟子は、この法によって如来を讃歎できる。 དགེ་སློང་དག་ཆོས་གང་དག་གཞན་ཟབ་པ་ཟབ་པར་སྣང་བ་ཡོངས་སུ་དག་པ་ཡོངས་སུ་བྱང་བ་དེ་དག་ངས་རང་གི་མངོན་པར་ཤེས་པས་ མངོན་པར་རྫོགས་པར་སངས་རྒྱས་ནས་བཤད་ལ། ཕ་རོལ་པོས་ཀྱང་དེ་བཞིན་གཤེགས་པ་ལ་གང་ཡང་དག་པ་ཇི་ལྟ་བ་ཞིང་རྗོད་པར་བྱེད་དོ། ། དགེ་སློང་དག་ཆོས་གང་དག་གཞན་ཟབ་པ་ཟབ་པར་སྣང་བ་ཡོངས་སུ་དག་པ་ཡོངས་སུ་བྱང་བ་དེ་དག་ངས་རང་གི་མངོན་པར་ཤེས་པས་ མངོན་པར་རྫོགས་པར་སངས་རྒྱས་ནས་བཤད་ལ། ཕ་རོལ་པོས་ཀྱང་དེ་བཞིན་གཤེགས་པ་ལ་གང་ཡང་དག་པ་ཇི་ལྟ་བ་བཞིན་སྙན་པ་སྨྲ་ཞིང་རྗོད་པར་བྱེད་པ་གང་ཞེ་ན། ビクたちよ、深い深い現象で完全に清らかで完全に浄化した他の諸法を、 私は自らの神通によってありありと悟り説いた、外道も如来に正しいことをあるがままに述べる。 ビクたちよ、深い深い現象で完全に清らかで完全に浄化した他の諸法を、私は自らの神通によって ありありと悟り説いた、外道も如来に正しいことをあるがままに称賛を語り述べるのは何かというと。 172 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14 37 50 ID xG8wvtQd Atthi , bhikkhave, aññeva dhammā gambhīrā duddasā duranubodhā santā paṇītā atakkāvacarā nipuṇā paṇḍitavedanīyā, ye tathāgato sayaṃ abhiññā sacchikatvā pavedeti, yehi tathāgatassa yathābhuccaṃ vaṇṇaṃ sammā vadamānā vadeyyuṃ. ビクたちよ、このほかに、如来がみずから悟り体現して教示している、深遠で、 見がたく、了知しがたく、寂静で、勝れており、思考と思惟とを超えており、 微妙で、賢者だけが理解できる諸法がある。それら〔を賞賛すること〕によって、 如来をあるがままに賞賛し、正しく語ることになるであろう。 この後、以下の六十二邪見が説かれます。 1.過去に関する説 1.四常住論(我と世界が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論) 2.四つの一部常住論(我と世界の一部が常住であるという三つの禅定体験と一つの推論) 3.四有限無限論(世界が有限無限であるという三つの禅定体験と一つの推論) 4.四詭弁論 5.二無因生論(我と世界が原因なく発生するという禅定体験と推論) 2.未来に関する説 1.死後の有我説 1.十六有想論 2.八無想論 3.八非有想非無想論 2.七断滅論(一つの無我断見と六つの有我断見) 3.五現法ネハン論(一つの現世肯定論と四つの禅定体験) これらを述べた直後と、最後に締めくくりとして釈尊は次のように仰られます。 173 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14 39 47 ID xG8wvtQd Tayidaṃ, bhikkhave, tathāgato pajānāti – ‘ime diṭṭhiṭṭhānā evaṃgahitā evaṃparāmaṭṭhā evaṃgatikā bhavanti evaṃabhisamparāyā’ti. Tañca tathāgato pajānāti, tato ca uttaritaraṃ pajānāti, tañca pajānanaṃ na parāmasati, aparāmasato cassa paccattaññeva nibbuti viditā. Vedanānaṃ samudayañca atthaṅgamañca assādañca ādīnavañca nissaraṇañca yathābhūtaṃ viditvā anupādāvimutto, bhikkhave, tathāgato. ビクたちよ、これについて如来は次のように知る。『このように執着され固執された 見解は、このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう』と。 如来はこれを知り、またこれよりも勝れたことを知る。ビクたちよ、 しかしそれを知って如来は固執することなく、また固執がないから、 心の内に寂静があり、感受の〔生起する〕原因と消滅と過患と出離とを正しく知って、 執着を離れている。 「このような趣く先をもたらし、このような未来をもたらすであろう」というのは、 以上の六十二見は、体験した結果の転生をもたらすという意味です。 「如来はこれを知り」ということは、釈尊が以上の禅定体験を全て経験しているという意味です。 さらに釈尊は次のように続けます。 174 :神も仏も名無しさん:2009/01/25(日) 14 42 40 ID xG8wvtQd Tatra , bhikkhave, ye te samaṇabrāhmaṇā pubbantakappikā ca aparantakappikā ca pubbantāparantakappikā ca pubbantāparantānudiṭṭhino pubbantāparantaṃ ārabbha anekavihitāni adhimuttipadāni abhivadanti dvāsaṭṭhiyā vatthūhi, tadapi tesaṃ bhavataṃ samaṇabrāhmaṇānaṃ ajānataṃ apassataṃ vedayitaṃ taṇhāgatānaṃ paritassitavipphanditameva. ビクたちよ、これらのうちで、かれらシャモン・バラモンたちは、 過去の限界について考察し、未来の限界について考察し、 過去の限界と未来の限界とについて考察し、過去の限界と未来の限界とについて見解をもち、 六十二の根拠により、過去の限界と未来の限界とに関して種々の浮説を主張するが、、 それはかれら尊敬すべきシャモン・バラモンたちが〔真実を〕知っておらず、 〔真実を〕見ていないために感受されたものであり、渇愛に陥っているために おののき狂躁したものにすぎない。 ここで重要なのは凡夫より六十二見の方が高い見解であり、禅定によって 知覚領域が高まっているとされていることです。それを裏付けるのが、 凡夫の場合「卑近なことのみ」とされたのに「尊敬すべきシャモン・バラモンたち」が 「感受されたもの」としていることに示されています。ですから、比喩説も否定されます。 「過去の限界と未来の限界」というのは、過去世と未来世です。 それははっきりと説かれています。 「一切」に戻ると、「一切」というのは凡夫の五感の対象だけではないのです。 聖者の心の対象も含まれていることも、はっきりと認識することが重要です。 さらにパーリ『梵網経』には「十/十四無記」を理解する鍵でもあります。 それには石飛道子『ブッダと龍樹の論理学』186頁以下が天才的な考察をされています。 དགེ་སློང་དག་དེ་ལ་དགེ་སྦྱོང་དང་བྲམ་ཟེ་གང་དེ་དག་སྔོན་གྱི་མཐའ་ལ་རྟོག་ཅིང་རྟག་པར་སྨྲ་བ་དག་བདག་དང་འཇིག་རྟེན་ནི་རྟག་གོ་ཞེས་ མངོན་པར་སྨྲ་ཞིང་མངོན་པར་རྗོད་པ་ནི་འདི་ལྟ་སྟེ། གཞི་བཞི་པོ་དག་ལ་སྟེ། དེ་ཡང་རྟེན་ཅིང་འབྲེལ་བར་འབྱུང་བ་ཡིན་པར་སྲིད་ཀྱི་རྟེན་ཅིང འབྲེལ་པར་འབྱུང་བ་མ་ཡིན་པར་འགྱུར་བ་དེ་ནི་གནས་མེད་དོ། །མཐོང་བའི་ཆོས་ལ་མྱ་ངན་ལས་འདས་པར་སྨྲ་བ་དག་མཐོང་བའི་ཆོས་ལ་ མྱ་ངན་ལས་འདས་པར་མངོན་པར་སྨྲ་ཞིང་མངོན་པར་རྗོད་པ་དག་གཞི་ལྔ་པོ་དག་ལ་སྟེ་ཞེས་བྱ་བའི་བར་དུའོ། ། དེ་ཡང་རྟེན་ཅིང་འབྲེལ་བར་འབྱུང་བ་ཡིན་པར་སྲིད་ཀྱི་རྟེན་ཅིང་འབྲེལ་བར་འབྱུང་བ་མ་ཡིན་པར་འགྱུར་བ་འདི་ནི་གནས་མེད་དོ། ། དགེ་སློང་དག་དེ་ལ་དགེ་སྦྱོང་དང་བྲམ་ཟེ་གང་དེ་དག་སྔོན་གྱི་མཐའ་ལ་རྟོག་ཅིང་རྟག་པར་སྨྲ་བ་དག་མཐོང་བའི་ཆོས་ལ་བདག་དང་འཇིག་རྟེན་ནི་རྟག་གོ་ཞེས་ བྱ་བ་མངོན་པར་སྨྲ་ཞིང་མངོན་པར་རྗོད་པ་ནི་གཞི་བཞི་པོ་དག་ལ་སྟེ། དེ་ཡངརེག་པའི་རྐྱེན་ལས་བྱུང་བར་སྲིད་ཀྱི་རེག་པ་ལས་ འབྱུང་བ་ལས་གཞན་པའི་ཚོར་བར་འགྱུར་བ་འདི་ནི་གནས་མེད་དོ། །ཕྱི་མའི་མཐའ་ལ་རྟོག་ཅིང་ཞེས་བྱ་བ་ནི་མཐོང་བའི་ཆོས་ལ་མྱ་ངན་ལས་འདས་པར་སྨྲ་བ་དག་ མཐོང་བའི་ཆོས་ལ་མྱ་ངན་ལས་འདས་པར་མངོན་པར་སྨྲ་ཞིང་མངོན་པར་རྗོད་པ་ནི་འདི་ལྟ་སྟེ། གཞི་ལྔ་པོ་དག་ལ་སྟེ་ཞེས་བྱ་བའི་བར་དུའོ། ། ビクたちよ、それについて過去の果てが分かり常住だと述べるシャモンや バラモンたちは「我と世間は恒常」と明言し明瞭に述べる。 つまり、四つの根拠を。それも縁起であって有が縁起でないことになることはありえない。 現法ネハン論者たちは、現法(現在の経験)をネハンであると 明言し明瞭に述べる五つの根拠をというまでである。 それも縁起であって有が縁起でないことになることはありえない。 ビクたちよ、それについて過去の果てが分かり常住だと述べるシャモンやバラモンたちは 「現法を我と世間は恒常」と明言し明瞭に述べる四つの根拠に対して、 それも触の縁から生じる以外に受となることはありえない。
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陸奥国 耶麻郡 慶徳組 萬力(まんりき)村 大日本地誌大系第32巻 129コマ目 この村もと萬力村といいしが、何の頃にか1人の行者一切経を牛車に積でこの地に来り、その牛斃れしかば経を石函(せっかん)に蔵て土中に埋めし故一切経村という。寛文中(1661年~1673年)古名に復す。 府城の西北に当り行程4里5町。 家数13軒、東西48間・南北1町34間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東5町2間小荒井組柴城村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り7町20間余。 西5町30間・北5町、共に小荒井組長尾村の界に至る。その村は北に当り6町。 南2町30間鎧召村の界に至る。その村まで4町50間余。 神社 諏訪神社 祭神 諏訪神? 相殿 伊勢宮 八幡宮 鎮座 不明 村南1町にあり。 鳥居あり。上三宮村高村能登が司なり。 寺院 楞嚴寺 村中にあり 経納山と號す。曹洞宗会津郡南青木組善龍寺の末山なり。 建立の年月詳ならず。 もとは村の丑寅(北東)の方にあり。天正巳丑の兵燹(へいせん)にかかりその後今の地に移り、寛文中(1661年~1673年)より善龍寺の末山となる。 本尊釈迦客殿に安ず。 経塚 境内にあり。 2間半四方。一切経と埋めし所という。 また村西1町余に牛塚あり。東西1間半・南北2間。一切経を負いし牛を埋めし所という。この塚に生する木を伐れば必ず殃(わざわ)いありといい伝う。 Google Map万力地区 神社(諏訪神社?) 楞嚴寺 若宮八幡神社鳥居の額束(がくつか)に「若宮八幡神社」と「古峯神社」と書かれています。この地区に古峯神社の札を納める石塔が無いようなので、この神社に奉納しているのではないかと。 すぐ近くの民家の敷地内に「稲荷大明神」と書かれた額のある社あり。
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2014年9月3日 ※作成中 Index トルコ イスラエル(1)ヘブライ語作家 (2)ヘブライ語/英語作家 レバノン エジプト アルジェリア トルコ オルハン・パムク『わたしの名は赤』【上下巻】(宮下遼訳、早川書房 ハヤカワepi文庫、2012年1月)旧訳:『わたしの名は紅(あか)』(和久井路子訳、藤原書店、2004年11月) 関連記事 トルコの古典探偵小説と現代ミステリ (Togetter) イスラエル (1)ヘブライ語作家 バチヤ・グール『精神分析ゲーム』(秋津信訳、イースト・プレス、1994年12月) 『教授たちの殺人ゲーム』(堀たほ子訳、イースト・プレス、1996年2月) シュラミット・ラピッド『「地の塩」殺人事件 女記者リジー・バドゥヒ』(母袋夏生訳、マガジンハウス、1997年9月) (2)ヘブライ語/英語作家 マイケル・バー=ゾウハーヘブライ語作品『過去からの狙撃者』 『二度死んだ男』 英語/ヘブライ語作品『エニグマ奇襲指令』 『パンドラ抹殺文書』 『ファントム謀略ルート』 『復讐のダブル・クロス』 『真冬に来たスパイ』 『無名戦士の神話』 『悪魔のスパイ』 『影の兄弟』 『ベルリン・コンスピラシー』 関連記事 A short history of crime fiction in Israel, Part I (Detectives Beyond Borders) A short history of crime fiction in Israel, Part 2 (Detectives Beyond Borders) レバノン エドワード・アタイヤ『細い線』(文村潤訳、ハヤカワ・ミステリ、1954年 / ハヤカワ・ミステリ文庫、1977年5月) ※英語作品 エジプト タウフィーク・アル・ハキーム(1898-1987)『田舎検事の手記』(堀内勝訳、アジア経済研究所《中東総合研究資料 no.2》、1975年) ※アラビア語作品 関連記事 アラビア語圏のミステリー小説! (Togetter) アルジェリア ヤスミナ・カドラ『テロル』(藤本優子訳、早川書房、2007年3月) ※フランス語作品 関連ページ 北欧ミステリ邦訳一覧 南欧ミステリ邦訳一覧 ドイツ語圏ミステリ邦訳一覧 オランダ語圏ミステリ邦訳一覧 ロシア・中東欧ミステリ邦訳一覧 中南米ミステリ邦訳一覧 東アジアミステリ邦訳一覧 東南・南アジアミステリ邦訳一覧 アフリカミステリ邦訳一覧 非英語圏ミステリ各種リスト
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2014年10月7日 ※作成中 Index 南アフリカ(1)アフリカーンス語作家 (2)英語作家 エジプト アルジェリア 南アフリカ (1)アフリカーンス語作家 デオン・マイヤー『流血のサファリ』【上下巻】(大久保寛訳、武田ランダムハウスジャパン、2012年5月) 『追跡者たち』【上下巻】(真崎義博、友廣純訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2013年6月、作家名表記「デオン・メイヤー」) 『デビルズ・ピーク』(大久保寛訳、集英社文庫、2014年11月◆予定) (2)英語作家 ロジャー・スミス『血のケープタウン』(長野きよみ訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2010年6月) 『はいつくばって慈悲を乞え』(長野きよみ訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、2011年3月) ローレン・ビュークス『ZOO CITY』(和爾桃子訳、ハヤカワ文庫SF、2013年6月) 『シャイニング・ガール』(木村浩美訳、ハヤカワ文庫NV、2014年2月) エジプト 「中東ミステリ邦訳一覧」を参照のこと。 アルジェリア 「中東ミステリ邦訳一覧」を参照のこと。 関連ページ アフリカのミステリー小説!? (Togetter) 北欧ミステリ邦訳一覧 南欧ミステリ邦訳一覧 ドイツ語圏ミステリ邦訳一覧 オランダ語圏ミステリ邦訳一覧 ロシア・中東欧ミステリ邦訳一覧 中南米ミステリ邦訳一覧 東アジアミステリ邦訳一覧 東南・南アジアミステリ邦訳一覧 中東ミステリ邦訳一覧 非英語圏ミステリ各種リスト