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名称 四式中戦車 チト 略称 chito 弱点 座席 1番席 五式75mm戦車砲 (装甲貫徹力) AP → 135.8mm 2番席 3番席 4番席 デサント席 5番席 デザント席 関連 概要 日本軍の中戦車。 シャーマンなら正面から1発、パーシングなら正面から3発程度で破壊できる。 装甲も他の日本軍戦車より強力で、シャーマンなら正面に撃たれても平気。 側面は装甲が薄いので気をつけよう。車体が緑色なので、草むらに隠れれば敵から発見されにくくなる。 コメント SWすぎて全く見たこと無いぞ!! -- 名無しさん (2015-03-25 01 08 49) 今いるマップが回ってないんじゃね?確か内地だけだったような -- 名無しさん (2015-03-25 16 55 48) 内地にいたけど5式戦車砲搭載チヌ改に置き換えられた子 -- 名無しさん (2015-03-27 22 48 22) 名前 コメント
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登録日 2021/01/23(土)16 51 08 更新日 2024/03/16 Sat 19 14 34NEW! 所要時間 約 4 分で読めます。 ▽タグ一覧 97式中戦車 三式中戦車 大日本帝国 戦車 日本陸軍 第二次世界大戦 四式中戦車とは、かつて日本が開発していた戦車のひとつである。 開発中は情報漏洩を防ぐため、チトまたはチト車と呼ばれていた。この『チト』というのは中戦車(ちゅうせんしゃ)の『ち』といろは歌のい・ろ・は・に・ほ・へ・との『と』を組み合わせたもの。 イ号:八九式中戦車 チハ:九七式中戦車 チニ:チハのライバルだった短57mm砲搭載の中戦車 チホ:チハの後継として試作された47mm砲搭載の中戦車 チヘ:一式中戦車 チト:四式中戦車 チリ:五式中戦車 チヌ:三式中戦車 チセ:計画のみ存在した105mm砲搭載の中戦車 解説 開発初期 四式中戦車(以下チト車)は九七式中戦車の後継の後継、そのまた後継機として開発され、当初は新中戦車(甲)と呼ばれていたが、 その開発が始まったのは太平洋戦争が始まって間もない1942年(昭和17年)であるとも、1941年(昭和16年)であるとも言われるけどもはっきりしない。 少なくとも当時は似たような性能の戦車が複数存在あるいは構想されており、他機種との混同も考えられる。 チト車は開発が開始された1942年(昭和17年)の段階では、対戦車戦闘を重視して長砲身の47~57mm砲を搭載、防御面は50mmの装甲を備える、20t級戦車として計画されていた。 1942年と言えば、地球の裏側のヨーロッパでは75mm級長砲身を搭載した戦車同士の打ち合いが起きていた頃である。 この要求性能は、九七式よりマシとはいえ、あまりにもショボいと感じられる人も多いだろう。 『当時の日本はT-34やKV-1といった外国の戦車の情報を知らなかったのか?』というとそうではなく、実は当時同盟国であったドイツ経由の情報からヨーロッパでの戦いの様相は太平洋戦争が始まる直前には大方つかんでいた。 にもかかわらず、なぜ要求性能が低かったかと言えば、先ず1つ目に「ドイツ優勢の情報を信じていた」という点があげられる。実際のドイツは補給不足やソ連側の奮戦により、戦況が膠着しており、日に日に状況が悪化しつつあるというような状況にあった(*1)が、 「ソ連はこちら側に新鋭戦車を寄越す余力がなく、ヨーロッパの様相がこちらに波及すること当分ないだろう」と考えられていた。 ちなみに、ソ連による1945年の満州侵攻時には、旧式のBT快速戦車も増加装甲付きで投入されている。 二つ目の理由としては、砲や戦車の規模や装甲の厚さを一気に増すと、ノウハウのない日本では需要に対し生産が追い付かなくなるという懸念が存在しており(*2)、段階を踏むことで経験を積み重ねることでそれを補うことを想定していたようである。 そもそもチホの代わりにチハの後継となる筈だったチヘの開発に難航していて、油圧サーボの導入を断念した末の1944年にようやく完了する有様だったのである(*3)。 三つ目に搭載する砲の規模が大きくなるとその砲を搭載する戦車の管轄が変わる、あるいは搭載を断念せざるを得ない可能性が出てくるというものがある。実際、日本陸軍内では「九七式中戦車」の後継機は長砲身の75mm砲にするべきから、非砲塔式でもいいから長砲身の75mm砲を搭載した簡易戦車を配備するべきという構想へ進んでいったが、管轄同士の争いをおそれ断念した例もある。 補足 日本では輸送船が装備するクレーン(デリック)の吊り上げ能力が15tまでであるため、それ以上の重さの戦車は戦場に運べず、鉄道による輸送制限もあった…というのは半分デマである。 15tというのは無改造の民間船の話といわれ、鉄道輸送に関しては誇張である。…そもそもチハの段階で重量は15tをオーバーしており、試作段階では13.5tだったのが最終的には採用直後に当たる1939年の段階で15.3~15.6tまで太っている(*4)し、自重26tの九五式重戦車を冬季満州で機能試験を行うため、外地に輸送した例もある。 実際には日本陸軍が使用した輸送船の多くは吊り上げ能力が20~30tとなっており、大陸方面限定ではあるが鉄道連絡船や軍港に置いてある大型クレーンを利用すれば数十tの重量物の海上輸送は問題なかった(*5)。 そもそも、戦車の重量制限自体、無計画に本来想定していなかった範囲や地域まで戦線を拡大してしまったことで、組織の規模も大きくなり、兵器の需要が増大し、その需要を満たすべく、質より量を重視せざるを得なかったことが原因の1つである。 重い戦車は、運べる運べない以上に、生産コストが上がるため、数が揃えにくい。数が揃えにくいとなると部隊が作れず、訓練も難しくなってしまう。さらに新しい戦車に対応した支援器材を新調する必要性も出てくるが、大規模な戦争の中ではそれもままならなくなる(*6)。 開発開始から一年後 1943年(昭和18年)6月、チト車の要求性能は25t級戦車に変更され、その武装も47mm砲搭載(一部57mm砲)から新型の57mm砲搭載となり、装甲も75mmに修正された。砲以外の性能は1942~43年の戦車としてはギリギリである。 この頃になると、チト車の立ち位置は変化し、前年度ではチト車の補助として開発が計画されていた新中戦車(乙)ことチリ車が75mm砲搭載戦車として本命視され、チト車はその保険という立場になっていた。 だが計画変更直後に当たる7月、戦局の悪化による兵器生産計画が大幅に変更され、航空機・対空兵器・海運資材、船舶に資源や予算を集中させるため、それら以外のあらゆる兵器の量産を緊縮あるいは凍結するという流れとなり、試作に着手していたチト車や本命視されていたチリ車もろとも、「試作研究用に1両ずつの製造のみを許可するも、量産化の計画は凍結…」という状況に追い込まれる。 余談 1943年(昭和18年)の末、アメリカ軍はタラワの戦いでM4中戦車を投入する。この兵器はドイツからすでに伝わっていたT-34と同程度の性能をもち、各戦場における脅威の1つとして猛威を振るうこととなるわけだが、 意外にも、この頃まで日本陸軍はソ連軍を想定した訓練しか行っていなかったりする。 というか、日本陸軍の兵器のほとんどは南方の気候やジャングル、山岳地といった風土はもちろんだが、 陸軍そのものが、島嶼戦というものをあまり想定しておらず、太平洋戦争がわりと無計画に行き当たりばったりで突入してしまった面が否めない。(*7) 戦争もここまで泥沼化するなんて考えてもみなかったし、 ぶっちゃけアメリカという国を舐めてた。 また、1944年(昭和19年)に入るか入らないか頃には、本土決戦を視野に作戦方針を定めていくことになる。 以降、訓練内容も今さらではあるが、アメリカ軍を想定したモノへと変化していく。 試作完成から量産化まで 試作第一号が完成したのは1944年(昭和19年)5月頃だが、この段階でチト車の搭載砲はチリ車に搭載予定だった75mm砲を簡略版の搭載が決定されていた。簡略化したしたといっても自動装填装置を省略しただけで、砲性能は同じである。 一方で、新型の57mm砲のテストを本車に搭載しての試験を行っているがやはり力不足であり、その他不具合も酷かったこともあり、この新型57mm砲の搭載はボツとなっている。(本来であれば75mm砲搭載が決まった段階で、試験を行うまでもなく、中止になっているはずだが、あくまで試作研究用であるため試してみたかったのかもしれない。) 同年10月ごろになると75mm砲を搭載する2号車が完成する。2号車はその大きな特徴として日本初の鋳造を用いた大型砲塔を搭載した。この鋳造砲塔は量産の効率化を目的としたものであったといわれるが、大型砲塔の鋳造のノウハウがない日本では、諸外国では一体成形で鋳造するところを、複数の部材に分けて鋳造し、あとから溶接するというものがある手間のかかる手法をとっていた。 (鋳造であるため歪みが大きく、修正が困難だったという。まさに下手な考え休むに似たりだが、あくまでも試作研究用という位置付けだったのでこれでよかったのかもしれない。) 1945年3月末になると生産兵器の計画が変更により、本車の量産化が復活。翌年迄に200両整備される予定だったらしいが、本邦には既にそんなことをする余力はなかった。最終的には終戦を迎えたことで開発は中止となり、試作された2両のうち1両が浜名湖に沈められたという。 性能 実際の戦闘こそ行っていないものの、砲の発射試験、実走による試験の結果が残っており、 それを総合するとM4中戦車にも一切劣っていないと評価していい中戦車になっている。 砲は56口径75mm砲を装備しており、通常徹甲弾使用時1000mで105~112mmの垂直装甲(*8)を貫通出来る能力がある。 これは、IV号戦車の48口径75mm砲、M4中戦車の52口径76.2mm砲、T-34中戦車の55口径85mm砲(*9)に匹敵する貫徹力で互角と考えていい。 装甲も前面75mm、側面後面25~50mmと列強中戦車と比較してもやや薄めではあるが十分な防御力を持っており(*10)、 その分M4戦車より時速で7km/h上回る45km/hの最高速を持ち航続距離も50km長い。 また、実走試験は残暑が残る中箱根越えを経路に組み入れた相応に難易度が高いコースであったが一切問題が発生する事なく成功させ、 操縦性の評価も「戦車砲の引き金を引く感覚で自由自在に取り回せる」と非常に好評であった。 ただし計画完了予定だった1945年3月の段階では、同格以上の性能を有するパンター(独)・T-44(ソ)・A34コメット(英)はとうに量産体制へ進んでいて、 M26パーシング(米)やA41センチュリオン(英)の実用化が済んでいたため、周回遅れだったことは否めない。 (日本はパーシングのことは知っていたものの、連合軍主力戦車であるM4中戦車への対応が手一杯で、戦車による新型重戦車への対処は半分諦めていたフシがある。)。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ ▷コメント欄 [部分編集] テスト -- 名無しさん (2021-01-23 19 07 21) 佐藤御代も言ってるけど、棺桶同然のチハから曲がりなりにもM4と同程度の四式を開発するまでの期間ってかなり短くて、当時の日本の技術力の高さを物語ってるんだよな -- 名無しさん (2021-01-24 09 40 58) 周回遅れって言うけどスペインなんか50年代までベルデハの試作続けて結局諦めてるからな。自力で戦車の開発、生産ができるだけ日本は超恵まれてる -- 名無しさん (2021-01-24 12 59 29) 考え無しと言うか慢心し過ぎと言うか・・・当時の日本頭悪すぎない? -- 名無しさん (2021-01-24 14 52 18) その…対戦前はともかく対戦に入ってからの陸軍はだいぶマシなんすよ 慢心というか…もともと貧乏だから浸透戦術やってたような感じで、そもそも戦車戦用の戦車なんてろくに用意できないから後回しでいいかみたいな… -- 名無しさん (2021-01-24 18 58 51) 名前 コメント
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四式中戦車 チト 中戦車 移動力 5 索敵範囲 2 燃料 50 索敵海中 1 生産資金 540 搭載 不可 防御力 対空 10 対地 30 対艦 50 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 75mm砲L38 15 0 60 70 0 0 1 17 7 - - - 7.7mmMG 3 0 5 50 0 0 1 4 5 - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - ボフォース75mm高射砲(ゲーム未登場)を模倣した新型の四式戦車砲を搭載、30tの重量を 支えるために新型の空冷エンジンを開発したことで軽快な運動性を獲得した。新型主砲の 生産遅延と資材の不足から、終戦までに完成したのは試作も含めて6輌と言われている。 正直、ここまで来てもドイツの機甲部隊と渡り合うには不安。生産も出来ず開発のみな ことも考えると、1輌失うことさえ惜しい。五式中戦車の前には、これでもまだ通過点だ。 ※最近になって九七式中戦車、ウィンザー・キャリアと共に猪鼻湖に沈められていたことが判明。 一時期は浮揚調査作業嘆願の署名が集められるほどだったが、漁業補償問題から地元漁協との 折り合いがつかず断念したとのこと。 納得いかない日本軍車両その4。 75mm砲L38とあるが、コイツは何者だ!? どの資料を見ても、主砲はボフォース製高射砲コピーの75mm砲(56口径)とあるのだが。 だとすれば、シャーマンⅡAくらいの攻撃力は欲しい。(もっと強力という説もあるが・・・) そうすれば「満州国の終焉」も、もう少し楽に・・・・ならないか。 ※そういえば昔の「丸」誌の記事で、八八式75mm高射砲搭載と書かれた記事があったが あれは44口径だしなぁ。
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku/pages/354.html
四式中戦車 チト 中戦車 移動力 5 索敵範囲 2 燃料 50 索敵海中 1 生産資金 540 搭載 不可 防御力 対空 10 対地 30 対艦 50 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 75mm砲L38 15 0 60 70 0 0 1 17 7 - - - 7.7mmMG 3 0 5 50 0 0 1 - 5 - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - ボフォース75mm高射砲(ゲーム未登場)を模倣した新型の四式戦車砲を搭載、30tの重量を 支えるために新型の空冷エンジンを開発したことで軽快な運動性を獲得した。新型主砲の 生産遅延と資材の不足から、終戦までに完成したのは試作も含めて6輌と言われている。 正直、ここまで来てもドイツの機甲部隊と渡り合うには不安。生産も出来ず開発のみな ことも考えると、1輌失うことさえ惜しい。五式中戦車の前には、これでもまだ通過点だ。 ※最近になって九七式中戦車、ウィンザー・キャリアと共に猪鼻湖に沈められていたことが判明。 一時期は浮揚調査作業嘆願の署名が集められるほどだったが、漁業補償問題から地元漁協との 折り合いがつかず断念したとのこと。 納得いかない日本軍車両その4。 75mm砲L38とあるが、コイツは何者だ!? どの資料を見ても、主砲はボフォース製高射砲コピーの75mm砲(56口径)とあるのだが。 だとすれば、シャーマンⅡAくらいの攻撃力は欲しい。(もっと強力という説もあるが・・・) そうすれば「満州国の終焉」も、もう少し楽に・・・・ならないか。 ※そういえば昔の「丸」誌の記事で、八八式75mm高射砲搭載と書かれた記事があったが あれは44口径だしなぁ。
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七二式中戦車 メタ解説 1911年7月-8月に採用された【戦車の開発III】によって開発された、史実四式中戦車チト相当の戦車です。 見た目としては、小型化したパンターの車体とIS-1の砲塔を組み合わせたようなものを想定しています。 車体がT-34系やT-54系じゃないのは後輪駆動車やパワーパックを研究していないためおそらく前輪駆動だからです。 車両概観 - 車種 中戦車 秘匿名称 チリ 従来機 七〇式中戦車 後継機 派生型 性能諸元 - 全長 6.4m 全幅 3.0m 全高 2.7m 重量 32.8t(全備 34.8t) 懸架方式 トーションバー方式 機関 4ストロークV型12気筒液冷ディーゼル 500馬力 速度 50km/h 航続距離 340km 乗員 4名 兵装 七二式七糎半戦車砲(口径75mm・56口径)*1 七二式同軸機関銃(7.7mm)*1 七二式車載重機関銃(12.7mm)*1 装甲 車体:前面上部75mm(30度) 前面下部75mm(35度) 側面50mm(70度) 後面50mm(60度) 砲塔:防盾100mm 前面90mm 側面90mm 後面50mm 備考 性能諸元は史実における四式中戦車、パンター、IS-1などを参考にしています。
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438: 加賀 :2020/01/05(日) 21 59 19 HOST p2761248-ipngn200907osakachuo.osaka.ocn.ne.jp 樺太戦車戦 四式中戦車達の鎮魂 1945年 8月8日。沖縄で日本海軍の連合艦隊が自分達の命と引き換えに沖縄を守り通した後、日米の停戦が成立した。そして北では日本陸海軍最後の戦いとも言える戦争が勃発するのである。 「報告!ソ連軍が満州国境を突破!」 「牡丹江市街がソ連軍の空襲を受けています!」 「航空部隊は全部出せ!一方面軍と三方面軍は可能な限りの邦人保護とその護衛のため死守せよ!!」 新京に構えていた関東軍総司令部では関東軍総司令官の山田乙三大将はその対処に追われていた。 「邦人の避難は?」 「国境付近の開拓団等の邦人は日米停戦が成立した時点で強制的に此処新京に避難させています。また、各地にいる邦人も順次旅順に避難中であり旅順にて手配した輸送船で順次日本へ向かう予定です」 山田の問いに秦総参謀長が報告し山田は満足そうに頷いた。 「宜しい。邦人の虐殺は絶対にさせぬように再度徹底しろ。諸君」 山田は立ち上がり参謀達を見渡す。 「先頃、海軍は沖縄の民を守るため米軍を相手に宜野湾で消滅した……ならば我が関東軍は満州の邦人を守るためソ連軍を相手に消滅するぞ!!」 『オオォォォ!!』 参謀達は雄叫びをあげたのである。そして樺太でもソ連軍は侵攻を開始していた。 「何、ソ連軍が侵攻? 宜しい、ならば即座に出撃して敵の出鼻を挫くぞ!!」 そう発するのは樺太に配備された第334独立混成戦車旅団の視察に訪れていた杉山だった。 「お待ちください、閣下は退避してください!!」 「くどいぞ島田!! 儂は逃げも隠れもせん!!」 杉山は戦車帽を被ると近くにいた試製四式中戦車『チル』(史実チト)に乗り込んだ。この他にも制式採用されたばかりの四式中戦車『チト』12両、試製三式中戦車改『チヌ改』12両、九七式中戦車『チハ』28両、同改『チハ改』36両が参戦していた。 「ソ連戦車を叩き潰す!! 戦車、前へ!!」 斯くして混成旅団は駐屯する敷香町から出撃した。同時刻、国境では歩兵第125連隊等が奮戦していた。 「クソッタレ!! チハはまだ来ないのかよ!!」 「今はロタ改で凌ぐしかないわ!!」 「それでもスターリン戦車は弾くぞ!!」 「愚痴る暇があるなら撃ちまくれ!!」 ロタ改(史実の試製九糎噴進砲)が早期配備していた事もあり侵攻してきたT-34/85は側面から撃破する事は出来たスターリン戦車が出てきたのは予想外であった。 「何!? スターリン戦車もいるだと!!」 「は、はい」 「(むぅ……確か史実ではいなかった筈だが……)まぁ良い、楽しくなってきたぞ」 というのも侵攻する前、ソ連軍司令部ではチハの性能を恐れていたからであり油断すれば壊滅するやもしれんと睨んでいた。そのためソ連軍第16軍は戦車の増援を要請し極東ソ連軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥も承認し第一極東方面軍に配備されていたJS-3戦車一個中隊を主軸に史実の部隊+三個独立戦車大隊と二個榴弾砲連隊を第16軍に配備させたのである。 それは兎も角、杉山はそう思いながらもJS-2戦車と戦える事に期待していた。そして通報を受けて17分後に混成旅団は半田集落に到着した。この半田集落には一個大隊が布陣しており侵攻するソ連軍に奮戦していた。 「戦車だ!? チハが来たぞ!!」 「神様仏様チハ様だ!!」 混成旅団の到着に大隊の士気は最高潮となりアンパンでT-60を仕留める者やT-34/85のカタピラを吹き飛ばす者もいた。 「ノモンハンから6年……我々陸軍は6年待ったのだ」 ふと杉山はポツリと呟く。 「あの時から……待ちに待った時が来た……ノモンハンで散った戦車兵の英霊のためにも!! 全車に通信!!」 「はっ!!」 「再び戦うために!! 戦車兵のために!! ソ連軍戦車よ!! 日本軍戦車は帰ってきた!!」 そして混成旅団は戦闘を開始するのである。 439: 加賀 :2020/01/05(日) 22 02 04 HOST p2761248-ipngn200907osakachuo.osaka.ocn.ne.jp 後書きという名の反省会 問 0083? 答 執筆中に親父が0083を見てるのが悪い(何 問 試製『チル』? 答 史実チトを試製にして制式採用されたのが和製ヤクパンという設定。混成なため試製のも持ってきた設定(試製のは二両のみ生産)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/7848.html
250: 加賀 :2022/04/24(日) 17 50 51 HOST softbank126241202218.bbtec.net 四式中戦車『チト』 全長 7.80m 車体長 7.20m 全幅 2.90m 重量 自重35t 全備自重 39t 懸架方式 トーションバー方式 速度 45km 行動距離 200km 主砲 3式60口径76.2ミリ戦車砲×1(90発) 副武装 99式12.7ミリ機銃×1 97式車載機関銃×2 装甲 砲塔 前面100ミリ 傾斜12° 側面80ミリ 傾斜25° 後面75ミリ 傾斜25° 上面15ミリ 車体 前面75ミリ 傾斜55° 側面40ミリ 傾斜40° 後面40ミリ 傾斜40° エンジン ハ9乙川崎九八式八〇〇馬力発動機改造 液冷V型12気筒ガソリンエンジン 650hp 乗員 5名 【概要】 日本陸軍が最後に制式採用した中戦車。陸軍はノモンハン事件で活躍した九七式自走砲(yukikaze様のチハ)と九七式中戦車(57ミリ長砲身)のを集中生産して開戦初期のマレー半島、中期のソロモン、インパール等を戦っていたがやはり、装甲が厚い敵戦車と対峙するには回転砲塔型の戦車が欲しいのは事実だった。そこで夢幻会派閥(杉山等)を中心に新型戦車開発に乗り出した。それが1942年12月の事だった。設計図については僅か5日で提出された。元々、暖めていた案だったようであり設計陣達は自信満々の表情だが頭を悩ませていた。 「これ、和製パンターじゃね?」 「和製パンターで敵をパンパンしたいんじゃ~」 「ちくわ大明神」 「誰だ今の」 「というよりこの砲、海軍さんは使用してるの?」 「秋月砲を採用しているから余剰していたらしい」 特に砲については大陸戦線で鹵獲したボフォース75ミリ高射砲を採用予定だったが半自動装填装置を付ける事に史実と同じく難航してしまいどうするかと悩んでいたところに口を挟んできたのがネルソンだった。 「なら『阿賀野』型に搭載予定だった高角砲を採用したら良いじゃないか。初速はそちらが上だった筈だ」 「……たまにはネルソンも良い事を言うな」 「たまにはとはどういう事だシンタロー!!」 ネルソンが主張したのは史実では『阿賀野』型乙巡でしか採用されなかった98式8サンチ高角砲を戦車砲として採用する事だった。 今作でも海軍は秋月砲と同時期に開発しており1939年に採用されてはいたがやはり「威力が小さい」や「機構の複雑さ」「砲身命数の少なさ」という観点から採用はされたが搭載は見送られていた。 ネルソンはそこに目をつけたのだ。 しかも初速は900m/秒とボフォースより上である。(ボフォースは初速850m/秒)陸軍はボフォースに見切りをつけ高角砲を戦車砲として採用する事にしたのだ。更に半自動装填装置も搭載を諦めた。 時間をかければその分、侵攻されるのであり原中将達も苦渋の決断だった。 制式採用の時点で日本陸軍戦車では最強の部類に入るであろう。(外国のはさておき)しかし、ネックは時間とカネである。生産する時間が多く(チハ5両分の合計時間)費用が高かった。(チト1両に対しチハ8両分の費用)しかし、陸軍はチハの正式な後継戦車をチトに定めた。戦局はそこまで悠長している暇はなかったのだ。 251: 加賀 :2022/04/24(日) 17 51 27 HOST softbank126241202218.bbtec.net また、徹甲弾(一式徹甲弾)は海軍の協力も貫通力は大幅に向上している。 なお、一例としては以下の通りである。 射距離100m/貫通威力260mm 射距離300m/貫通威力179mm 射距離400m/貫通威力146mm 射距離800m/貫通威力109mm 射距離1200m/貫通威力91mm また、ホイが使用している88式野戦高射砲も射距離500mで貫通威力115mmを記録しており陸軍が何としても生産配備したかったのは誰が見ても容易だった。 チトが最初に配備されたのは比島に配属された戦車第二師団でありフィリピンに侵攻してきた(帰ってきた)マッカーサーの米陸軍をレイテ島で近衛第一師団と共に迎撃を展開、最終的にマッカーサーを吹き飛ばす事に成功するのである。 その後は沖縄戦でも戦車第一師団、その前の硫黄島攻略作戦には戦車第26連隊にも配属され米戦車群を相手に米戦車群の屍を作り出す事に成功し米軍からは『東洋のティーガー』とまで呼ばれている。なお、沖縄戦で戦ったパットン元帥は後のインタビューで「ルーズベルトも馬鹿な事をしたもんだ。日本を味方にすればもっと早くに戦争は終わっていたし太平洋の戦いも無かったんだ」と愚痴っている。 また、ソ連軍の侵攻でも満州では戦車第三師団と戦車第四師団が避難しきれなかった在留邦人を逃がすためにソ連数個戦車軍団に立ち向かい僅かを残して全滅した。しかし、在留邦人の被害は最低最小限で抑えられ、ソ連軍は逆に一個戦車軍団が地上から壊滅、二個戦車軍団が後方を退避せざるを得ない状況となる展開である。 また樺太でも戦車第三連隊と戦車第334特別実験団が視察に来ていた杉山元帥と共にソ連軍を迎撃、杉山元帥が重傷を負うも膠着状態を作り出す事に成功。更には空母『瑞鶴』率いる機動部隊の航空支援によってオハ油田まで占領する事態まで発展するのである。 なお戦後は、軍が自衛隊になるが(博多事件で国防軍化へ)その際の戦車はチトであり自衛隊在籍時は特車と呼ばれていた。チトは朝鮮戦争の時もチハと共に国防陸軍の数個戦車連隊を編成し半島で砲火を交えた。その後も第一主力世代の61式戦車が出て各戦車大隊に配属されても予備兵力として存在し続け74式戦車が配属された時に漸く退役するが車体等は自走無反動砲等に転用されていたので最終的にチト系列のが退役したのは2006年であり今日では各駐屯地の展示車両にチトが鎮座しているのである。 252: 加賀 :2022/04/24(日) 17 55 35 HOST softbank126241202218.bbtec.net チトのif版になります。 砲についてはあがのん砲こと98式60口径8サンチ高角砲を採用しています。 4式高射砲に比べたら一応は史実でも生産はしていたので(28門だけども)まぁ良しと。 開発は秋月砲と同時平行で行い採用はされましたがやっぱ史実と同様に失敗作の評価になりましたがパンジャンドラムを作った紳士の国のネルソンの一言により活躍の場を見出だす事に成功します。 でも76ミリクラスは結局は戦後も必要なんですけどね。
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku2/pages/558.html
三式中戦車 チヌ 中戦車 移動力 5 索敵範囲 2 燃料 50 索敵海中 1 生産資金 500 搭載 不可 防御力 対空 10 対地 24 対艦 50 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 75mm砲L31 15 0 55 70 0 0 1 16 7 - - - 7.7mmMG 3 0 5 50 0 0 1 4 5 - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - アメリカのシャーマン戦車に対抗すべく、既存の75mm野砲を装備した新型砲塔を開発して 一式中戦車に搭載したもの。肝心の生産型は本土決戦用に温存されたため、実践に投入 されることなく終戦を迎えた。 一式中戦車から進化、四式中戦車に進化可能。 四式自走砲に改良可能。 ようやくシャーマンIと戦闘可能なレベルになったが、これが投入される時期 (ドイツと激突するインド攻防戦か、そうでなければ史実を再現するマリアナ沖海戦) を考えると、気の毒すぎるとしか言いようがない。 特に五式中戦車を作りたい大日本帝国陸軍フリークな人にとっては、ここからが長く苦しい道のりの出発点になる。 さらに史実ルートでは最終マップの日本本土決戦に至るまで直接生産不可能というのは嫌がらせも良いところだ。 (米側CP or スタンダードのコロネット作戦では四式中戦車が生産可能なのに・・・) 本土決戦では生産時即経験値MAXのため一式→三式は容易だが、そこから四式以上はまず難しい。 これは一式中戦車からの強制乗り換えも発生しないという意味でもあるので、 であれば海戦マップの貴重なユニット枠を割いてでも地道に本ユニットへ進化、ストックしておき、 全滅に注意しながら四式五式を目指していくしかない。 仮想キャンペーンでは史実ルートより遥かに登場が早いため、まだ活躍の余地はある。 だが結局四式自走砲に改良したほうが使いやすかったりする。 納得いかない日本軍車両その3。 一式中戦車の車体にデカい砲塔を乗せて九〇式野砲改造の三式戦車砲を搭載した戦車。 75mm砲L31とあるが、この砲は一体何者だろう。たまに九五式野砲と書いてる資料も あるので、そういうカン違いかもしれない。 九〇式野砲はM4の主砲やソ連のラッチェ・ブムと同系列の野砲であり、そういう 意味でM4と同等の威力が欲しかったなぁ、と願望。 だが、開発期間短縮のため引金でなく拉縄で発射する方式のまま搭載したので、 優先の数値は低くても仕方ないと思われる。
https://w.atwiki.jp/garupan/pages/122.html
三式中戦車(チヌ) 大日本帝国で量産された最後の中戦車だよ。 四式中戦車とか五式中戦車もあったんだけど、 四式中戦車は量産に至らず、五式中戦車は試作車完成直前に終戦になっちゃいました。 作った経緯としては、M3軽戦車の対抗策に九七式中戦車チハ新砲塔や一式中戦車チヘを作って よーしなんとかなるでーと思ってたんだけど、アメリカの中の人が 「オウ ダッターラ M4ミドゥータンク モッテクルーワ」なんて感じでM4中戦車を持ち出してきたモンで 日本的にはまーた対抗できなくなっちゃって、しかも対抗できる戦車の完成はまだまだ先になる予定だったので 「しゃーないからとりあえず一式中戦車に強い大砲のっけようぜ」といった感じで作ったシロモノ。 ドイツでIV号戦車を短砲身⇒長砲身にした理由とちょっぴり似てるかも知んない。 まあ、量産されはじめたのが1944年10月だったもんで その頃には大日本帝国は輸送船を軒並み沈められちゃってたせいもあって 本土決戦用に配備されたので、実戦は経験することなく終戦をむかえちゃいました。 終戦後、ほとんどは連合軍に引き渡されてぶっこわされちゃったけど 色々あって土浦の陸上自衛隊武器学校に一両だけ生き残りがいるよ。 アメリカにもたしか一両のこってたと思うよ。 ちなみに茨城の土浦の陸上自衛隊武器学校にはみんな大好き八九式中戦車も自走できる状態で残ってるよ。 見学無料らしいから、大洗巡礼の折に立ち寄ってみるのもいいんじゃね? 下調べはきちんとね!公式サイトあるからそこ見るといいよ! そんで、まあ、性能だけど、実戦を経験してないのでスペックから見るしかないんだなこれが。 75mm38口径の威力とか、最大装甲厚をみるなら、なんとかIV号戦車と同程度…と見ておきたいといったところ。 M4シャーマンとも、少なくとも勝負出来る程度にはなったのかなーって感じ。 もっともその頃には、シャーマンよりずっと強いM26パーシングとかが出現していたわけだけども。 総じて、44年当時の他国の戦車に比べて、2年近く遅れている感じだろうか。 とはいえ、当時のもうぼろっぼろの日本の工業力で果たしてスペックどおりに大量生産できてたのかわかんないけどね。 車体が良くても、砲弾の性能とか、燃料の質とか、予備部品とか、中の人の使い勝手とか、スペックで見えない部分はいっぱいあるかんねー。 戦争ってのは数だけでも性能だけでもあかんのです。総合力が大事なんだねーって言うお話。 ちなみに砲塔からアホ毛みたいにひょろっと伸びてるのは、対空機関銃を取り付けるための銃架です。アンテナじゃないよ。 あと特徴として、大砲を撃つときにヒモを引きます。まじで。 九〇式野砲ってのをちょいといじって乗っけたんだけど、 戦車用にきちんと改造してる時間なんて日本にはもう無かったのです。 ガルパン制作陣みたいなもんです。時間は大切。
https://w.atwiki.jp/wadaisenryaku/pages/107.html
九七式中戦車 中戦車 移動力 5 索敵範囲 2 燃料 50 索敵海中 1 生産資金 420 変形 不可 防御力 対空 10 対地 18 対艦 50 搭載武器 武器名称 対司 対空 対装 対非 対艦 対潜 射程 優先 1 2 3 4 57mm砲L18 10 0 35 55 0 0 1 8 7 - - - 6.5mmマシンガン 3 0 15 50 0 0 1 4 5 - - - NOT - - - - - - - - - - - - NOT - - - - - - - - - - - - 栄えある日本陸軍を支えた戦車。 しかしやはり能力的には貧弱な辺りも日本陸軍らしい。 「軍馬」がドイツは4号戦車、アメリカはシャーマンなことから比べると泣けるが仕方ない。 登場時ですら他国にやや劣る上に、史実ルートでは長い間使うしかないのが苦しい。 米ソの戦車相手には勝負にならないので、地上戦は野砲や高射砲で対抗しよう。 九七式中戦車改に改良、一式中戦車に進化可能。 進化チャート 八九式中戦車→→試製超重戦車オイ ↓ 九七式中戦車→九七式中戦車改 ↓ ↓ 一式中戦車→→三式中戦車 一式自走砲←一式中戦車系※→一式砲戦車 ↓ ↓ 三式中戦車→四式自走砲 ↓ 四式中戦車 ↓ 五式中戦車 一式中戦車系※:九七式中戦車、九七式中戦車改、一式中戦車