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閑雲野鶴>メルマガ>バックナンバ>仮説・真理?>命題 命題 03/04/16 ある命題がある。「犯罪者と警察は持ちつ持たれつ」だ。 これも随分言い旧されてはいるが、はじめて理解したのは筒井康隆の短編小説だ。命題とは少し違うが根幹は同じだ。 さて、例えばとある都道府県の警察が「犯罪完全撲滅月間」を謳い、取り締まりを強化したとしよう。犯罪は完璧に撲滅出来るものではないが、奇跡的に撲滅出来たとしよう。するとどうなるか。 「警察の仕事がなくなる」 これは困りますよ。一般人は困りません。犯罪者も一時的には失業しますがどうにかなるでしょう。仕事がなくなった警察が困ります。するとどうするか。 1、「警察の役目は終わった。『組織は肥大する』という世の習いに逆らって無理矢理解散する。適当に生きてゆけ」 2、「犯罪を撲滅した?愚か者。では何か法律を作って今までなら何でもなかった奴を犯罪者に仕立てろ」 3、「犯罪を撲滅した?我々の必要性を一般人に植え付ける為に何か大きな事件を起こすぞ」 1は職に溢れた警察官が凶悪な犯罪者になる可能性が高い。2はいつものことだ。3は内部抗争権力闘争派閥戦争絡みでたまにある。 警察の仕事は犯罪を取り締まり未然に防ぐことにある。ところが犯罪が全く起きないと存在価値を失う。だからそれまでは犯罪ではなかったことを法律で犯罪と規定する。存在価値が見直される。いち市民感情としては暴走族より選挙カーを取り締まってもらいたいものだが仕方あるまい。 じつのところこの命題、あまりにも応用が効くのでここで書くつもりはなかった。しかし始めた以上折りをみて掘ってゆこう。おおまかに類似命題を。 Z、警察 「警察と犯罪」犯罪がなくなれば警察の仕事がなくなる。なくさない為には「防犯を仕事にする」「犯罪をなかなか減らさない」「それまで犯罪ではなかったものを犯罪と認定する」 A、医者 「医者と病気」病気がなくなれば医者の仕事がなくなる。なくさない為には「予防を仕事にする」「病気をなかなか治さない」「それまで病気ではなかったものを病気と認定する」 B、宗教 「宗教と不幸」不幸がなくなれば宗教の価値がなくなる。なくさない為には「不幸になる助言をする」「不幸からなかなか逃さない」「それまで不幸ではなかったものを不幸と認定する」 C、米国 「米国と戦争」戦争がなくなれば世界の警察米国の存在価値がなくなる。なくさない為には「引っ掻き回して戦争を起こす」「戦争をなかなか止めない」「それまで戦争などなかったところに戦争の種を播く」 D、弁護士 「弁護士と裁判」裁判がなくなれば弁護士の存在価値がなくなる。なくさない為には「もめ事に割って入りさり気なく煽る」「裁判を長引かせる」「それまで馬鹿馬鹿しくて裁判にならなかったことでも裁判を起こす」 キリがないのでやめておく。このからくりを理解する人としない人では話が全く噛み合ないということを知っておいた方がいいだろう。 TOTAL ACCESS - Today - Yesterday - LAST UPDATED 2021-12-03 06 58 54 (Fri)
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命題表象(Proposition) 意味内容の表面的な性質に係わらず、抽象的なレベルでの記述象。 命題表象は一般的に先天的知識を表現し、種々の認知過程をシンボルの操作ととらえるシンボルシステム論に立つ。 命題とは、意味に不明瞭なところがない文章の事。 命題表現とは、抽象的でモダリティを持たない言語に類似したシンボル。頭の中の言語を果たしているもの。すべての認知的活動がこれを基本に実行されているらしい。モダリティーを持たないのに、頭の中の言葉を表すとは奇怪な・・・。まぁ、モダリティーを排除した曖昧性をなくしたモノを考えろってことか。 モダリティ(感覚様相)とは? 文が指す内容に対して話し手の判断や心的態度のこと。例えば、「たぶん熊が壊したのだろう」という文で「熊が壊した」部分を命題であり、話し手の推測を表す「きっと~だろう」という部分がモダリティ。 命題とは「アーギュメント」、「プリディケイター」の要素からなり、主語と目的語にあたるアーギュメントと意味をなすプリディケイターからなる。 例)リスト表現で書くと以下になる。 (打つ、太郎、玉)
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集合と要素,部分集合,空集合 ベン図(生徒用ワークシート) 共通部分,和集合,補集合 共通部分・和集合(生徒用ワークシート) 命題,条件 「ならば」を含む命題,必要条件,十分条件 「ならば」を含む命題(生徒用ワークシート) 「ならば」を含む命題(生徒用ワークシート) 条件の否定 命題の逆,対偶,裏 対偶を利用する証明 背理法を利用する証明
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命題の逆・裏・対偶の関係を図で表す. #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (title=) proposition.zip 画面上に4つの四角形を描く.点A以外は適当にとってよい. Addax(0); Putpoint("B",[A.x,A.y-0.75]); Putpoint("C",[A.x+1.5,A.y-0.75]); Putpoint("D",[A.x+1.5,A.y]); Putpoint("E",[-A.x-1.5,A.y]); Putpoint("F",[E.x,E.y-0.75]); Putpoint("G",[E.x+1.5,E.y-0.75]); Putpoint("H",[E.x+1.5,E.y]); Putpoint("K",[A.x,-A.y+0.75]); Putpoint("L",[K.x,K.y-0.75]); Putpoint("M",[K.x+1.5,K.y-0.75]); Putpoint("N",[K.x+1.5,K.y]); Putpoint("O",[-A.x-1.5,-A.y+0.75]); Putpoint("P",[O.x,O.y-0.75]); Putpoint("Q",[O.x+1.5,O.y-0.75]); Putpoint("R",[O.x+1.5,O.y]); //点Aを基準として,点B~点Rの位置を定める. Listplot("1",[A,B,C,D,A]); Letter([(A.xy+C.xy)/2,"c","$p\to q$"]); Listplot("2",[E,F,G,H,E]); Letter([(E.xy+G.xy)/2,"c","$q\to p$"]); Listplot("3",[K,L,M,N,K]); Letter([(K.xy+M.xy)/2,"c","$\overline{p}\to \overline{q}$"]); Listplot("4",[O,P,Q,R,O]); Letter([(O.xy+Q.xy)/2,"c","$\overline{q}\to \overline{p}$"]); //四角形を作り,その中にp,qの関係をかく. Letter([[0,0],"c","対偶",[0,(C.y+D.y)/2],"c","逆",[0,(M.y+N.y)/2],"c","逆",[(B.x+C.x)/2,0],"c","裏",[(F.x+G.x)/2,0],"c","裏"]); Setcolor([0.8,0,0,0]); Arrowdata([ [-0.4,0.2],[C.x+0.1,C.y-0.1] ]); Arrowdata([ [0.4,0.2],[F.x-0.1,F.y-0.1] ]); Arrowdata([ [-0.4,-0.2],[N.x+0.1,N.y+0.1] ]); Arrowdata([ [0.4,-0.2],[O.x-0.1,O.y+0.1] ]); Arrowdata([ [-0.4,(C.y+D.y)/2],[C.x+0.1,(C.y+D.y)/2] ]); Arrowdata([ [0.4,(E.y+F.y)/2],[E.x-0.1,(E.y+F.y)/2] ]); Arrowdata([ [-0.4,(N.y+M.y)/2],[N.x+0.1,(N.y+M.y)/2] ]); Arrowdata([ [0.4,(O.y+P.y)/2],[O.x-0.1,(O.y+P.y)/2] ]); Arrowdata([ [(B.x+C.x)/2,0.2],[(B.x+C.x)/2,B.y-0.1] ]); Arrowdata([ [(K.x+N.x)/2,-0.2],[(K.x+N.x)/2,K.y+0.1] ]); Arrowdata([ [(F.x+G.x)/2,0.2],[(F.x+G.x)/2,F.y-0.1] ]); Arrowdata([ [(O.x+R.x)/2,-0.2],[(O.x+R.x)/2,O.y+0.1] ]); //矢印を描く.
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概説 解釈主義 概説 命題的態度(propositional attitude)とは、その内容を示す命題とそれに対する態度という構造をもつ心的状態のことである。バートランド・ラッセルが案出した。 たとえば地球は丸いという信念は、「地球は丸い」という命題に対して「信じる」という態度をとる心的状態である。水を飲みたいという欲求は「水を飲む」という命題に対して「欲する」という態度をとる心的状態である。 命題的態度は以下のような形式を持つ(*1)。 x は p を信じる y は q を望む。 z は r かどうか疑っている。 「x、y、z」が志向的システムを指すもの。「信じる、望む、疑う」が志向的システムが持つ態度。「p、q、r」がその態度の内容、すなわち命題である。 命題とは、人々が信念を固定したり測定したりするのに用いられる理論上の対象である。二人の人間が一つの信念を共有するということは、その二人が同一の命題を信じているということである。 命題的態度は言語に類似しており、それゆえに構文論的構造をもっている。このことは、心とは何かという問題において、心脳同一説や機能主義が正しいといえるためには、脳状態もまた構文論的構造をもっていなければならないということになる。 機能主義では、各タイプの命題的態度はあるタイプの機能によって定義され、そのタイプの機能を実現する脳状態トークンであれば、いかなるタイプの脳状態であってもその命題的態度と同一であるとする。つまり命題的態度はタイプ的に同一でないがトークン的に同一であると考える。それに対し非法則一元論では、同一タイプの命題的態度トークンは、必ずしも同一タイプの機能をもつわけではない。いずれにせよ広義の心脳同一説では個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする。 なお、消去主義では命題的態度の実在性を否定する。 解釈主義 Aは犯人がBであるという信念をもっていたとする。またこのケースでは「Aは、BかCのどちらかが犯人であるという信念と、Cにはアリバイがあるという信念をもっていたので、Bが犯人であるという信念をもつようになった」という理由があったとする。それらの理由は理に適っている。心の哲学ではこのように、命題的態度が他の命題的態度や行為を理に適ったものとする関係性を「合理性」と呼び、そのように合理的な命題的態度との関係に基づく説明を「合理的説明」と呼ぶ。 「合理的説明」とは命題的態度や行為を、ある理由に基づくものとして理解することであり、それゆえに「解釈」とも呼ばれる。そして、合理性に命題的態度の本質を見出そうとするのが「解釈主義」である。1970年代にD・ディヴィドソンとD・C・デネットがこの立場を主張する。心脳同一説や機能主義が、心的状態を他の心的状態や刺激と因果関係と法則性をもつものと見るのに対し、解釈主義では心的状態を合理性の観点から捉える。ある信念は、その人のさまざまな命題的態度や行為を合理的なものとして解釈する際に、その信念がその人に帰されるかどうかで決まることであり、その信念が他の命題的態度や行為と因果関係を成しているかどうかは関係が無い。つまりある人がある命題的態度をもっているということは、解釈によってその命題的態度が合理的なものとしてその人に帰されるということに他ならない。解釈主義は因果性を命題的態度の本質とは考えないのである。したがって解釈主義は、個々の命題的態度を個々の脳状態に還元しようとする広義の心脳同一説と一線を画する。 ただし、解釈主義と心脳同一説や機能主義が厳密に異なるかは明らかではない。解釈主義が重視する合理性は法則性に還元できるかもしれないからである。しかしデネットは心的状態と脳状態のあいだにトークン同一性すら認めない。彼にとって心的状態は行為を合理的に理解するための仮想的な状態であり、実在的とみなさない。彼にとって心的状態とは行為に合理的な秩序を与えるための道具に過ぎず、このことから「道具主義」の立場を取る。 参考文献・参考サイト 信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年 金杉武司『心の哲学入門』勁草書房 2007年 金杉武司「解釈主義と消去主義 ―命題的態度の実践的実在性―」2003年 http //repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/28700/1/tkr005003.pdf ダニエル・デネット著 土屋俊 訳『心はどこにあるのか』草思社 1997年
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論理法則から言えば、ひとつの命題a=bが真のとき、もうひとつの命題not b≠aもまた真理である。 すなわちある命題が真のときには、対偶が定立されうる。 ならば、論理法則が真のときには、真でない者は論理法則ではなくなるのだろうか。 例: a=bという命題は、a=a,b=bという同一律から必然的に導かれるのか、それとも、試しに定式化したのだろうか。もちろん後者である。後者が偶然に前者に取って代わったか、あるいは成りすましているのだ。論理学者は検閲をしない――命題は皆自由で、論理の国は共和制である。 さて、実践論理というようなものを、ここから導き出すことは出来ないのだろうか。それは、すなわち先験的な論理は、自働的に直接的に働くもので、黙ってみていれば良いのだろうか。 しかし、アプリオリな原理というものは、実際は哲学者の作為に過ぎない――思考の自由さの後に来るのであるから、自分の作ったもののせいで先に進めないと考えるのは、老人になってからでよい。 ある観念が真理であるとき、その観念には、対偶が見られる。この対偶を、否定ではなく、それ自体独立した観念として考えることができれば、私はこれを第一原理として、哲学を始めることが出来よう。 そういう原理とは何か。私でない者(not I)は、私になる可能性がある。そうではなくて、私と完全に隔絶した何かである。肯定を人間、否定を悪魔とするならば、この完全に隔絶した何かは、両者からいわば等距離になくてはならない。つまり、否定と肯定との間の線を、むしろ地上とし、二人が垂直に天上を見上げると――不思議や不思議、両者の視線がある点で交錯し――すなわち人間と悪魔が見つめあい――そのようなものとして、お互いを驚きの目で見た時に、そこに満ち、働いているようなもの、これこそが完全な対偶である。つまり何もかもの対偶である。なぜなら、人間は何もかもを監督し、悪魔は人間を否定するからである。 プロティノスの述べるような一者は、テーゼ――アンチテーゼ――ジンテーゼの運動の、いわば中心にあるのであって、ジンテーゼからも等距離になくてはならない――正三角形の中心がそれであるが、静的なそれではなくて、動的に考えるとどうだろうか。テーゼはこの中心と逆方向に動き――アンチテーゼもジンテーゼも、時間の中で、そのようになるのだから――この三角形は次第に膨張するが――その三つの点を通る円が膨張していき、最終的に到達するような円――これもまた隔絶した一者ではないだろうか。 ノヴァーリスはこのことを理解していたように思える。この一者によって、例えばある目標(テーゼ)と、その実現(ジンテーゼ)との一致と不一致が同時に得られる。 おいおい
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ともしびのめいだい【登録タグ Summer Gratz と なっさん 初音ミク 曲】 作詞:さまぐら(Summer Gratz) 作曲:さまぐら(Summer Gratz) 唄:初音ミク 曲紹介 MIX&Mastering:さぶろう、絵・動画:なっさん 歌詞 (piaproより転載) 何処かで見つけたものは 今、僕の隣で微笑んでいる 寂しがりな僕なのに 君のことが嫌い、なんて言ってしまうんだ 犇めくビルの隙間を抜け出してぼんやりと空を見ている 時々、分からなくなる 僕がここに居た証やその答え方でさえ 今以上、失くしてしまうくらいなら、進まなくていいから 止まらない鼓動の音、その意味を教えてよ 間違ってもいいから、叫んでくれないか 僕のことを示す歌はここにあるから 迷ったっていいから、探してくれないか 置き去りの答えがそこにあるはずだから 意味なく進んでいく 今、僕は何処に居て、何をしているんだろう 灯火はいつの日も、ゆらゆらと揺れて今にも消えてしまいそうなんだ 今以上に触れてしまうというのなら、進めないのだろう 午後四時の夕日が灯火の色みたいで綺麗だった 揺らした手が伸ばした手と重なって見えたから 「僕は僕、君は君。」そんなことも忘れたよ だからそう、君ともお別れの時間が来るね 「二度と会いませんように。」 間違ってもいいから、叫んでくれないか 僕の胸の残り火がこの掌に灯るから 迷ったっていいから、探しに行かないか 僕の手に宿る灯火の私上命題を コメント こんないい曲が何故伸びないのか 布教したすぎ -- のれ (2016-06-26 00 07 28) 伸ばしたいからコメント書くよ。この曲は本当に素晴らしい。二度と会いませんように、っていう所で泣いた。 -- まな (2016-07-24 04 33 10) これきいて泣いた。 -- ほたる (2016-08-24 13 58 55) いい曲ですね -- 名曲探し (2017-05-05 19 04 41) こういうドストライクな曲がもっと伸びてほしい -- 名無しさん (2017-12-09 17 38 50) 日頃聞くとなんとなく曲について分かっていくところがいい 私上命題=灯火の命題、自分の中の灯火に語りかけてる歌 -- たまごやき (2019-01-15 23 35 36) ずっと聴いています。ずっと好きです。自分のつくったものにしてしまいたいほどに好きだ。 -- 都築 (2021-12-01 17 52 00) 名前 コメント
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概要 集合と命題の解説ページです。 今から作っていきます。
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作詞/作曲:さまぐら 翻譯::8 燈火的命題 在世界某處尋見的事物 此刻,正在我身邊微笑著 明明是害怕寂寞的我 卻又將「討厭你」脫口而出 從錯落的大樓間隙中脫離 心不在焉的仰望天空 有時,我變得無法理解 關於我存在於此的證據 與其回答方式 若是會比現在失去更多的話,就算不前進也可以的 無法停止的鼓動,將這聲響的意義告訴我吧 就算犯錯也好,能試著呼喊嗎 因為展現真實的我的歌就存在於此啊 就算迷惘也好,能試著去尋找嗎 被遺棄的答案應該就在那裏吧 毫無意義的前行著 此刻的我,身處在哪,又在做些什麼呢 燈火無論在什麼樣的日子,都緩緩搖曳著 就連現在也像隨時都會熄滅一樣 如果說還要比現在更深入探究的話 ,是無法前進的吧 午後四點的夕陽猶如燈火般絢爛 過於美麗 因為將你揮舞道別的手 與我伸出挽留的手 錯看成重疊的模樣 「我就是我,你就是你。」就連這件事也忘記了 所以啊是吧,與你也來到了別離的時節呢 「祝我們永不再見。」 就算犯錯也好,能試著呼喊嗎 因為我胸口中的殘火仍在這雙手中燃燒著啊 就算迷惘也好,要一起去尋找嗎 屬於殘存在我手中的燈火 屬於自己的至要命題
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命題計算 文と複合文 文(statement) は 言葉による主張(verbal assertion) を意味し、一つの判断を含んでいる。 これを などで表す。文の基本的な性質は 真 または 偽 をもつことであり、その真偽 は 真理値(truth value) で示される。文は一般に、1つの文に限らず複数の文から意味を為すゆえ、 それぞれの文を 副文(substatements) と呼び、副文が構成された文を 複合文(compound statement) といいで表す。副文は結合子により構成を為して複合文となり、副文が変数となる複合文 を 命題(proposition) と呼ぶ。 連言 p∧q 連言(conjunction) はpとqがともに真であることを意味し、 かつ と読む。 記号はp∧qであらわし、 pかつq と読む。 真理値表 p q p∧q T T T T F F F T F F F F 連言による副文の結合は、副文がすべて真の場合のみ真となる。すなわち、副文のうち ひとつでも偽であれば命題は偽となる。 選言 p∨q 選言(disjunction) はpとqのどちらかの一方が真であれば複合文P(p,q)を真とし、 または と読む。 真理値表 p q p∨q T T T T F T F T T F F F