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アフリカ連合合衆国 国旗 国歌 標語 面積 30,312,248㎢ 人口 1,187,596,442 人 首都 ヨハネスブルグ 最大の都市 ラゴス 通貨 建国 時間 UTC -1 から +4 政府幹部 大統領 副大統領
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瑞州合衆国連邦の政治 (ずいしゅうがっしゅうこくれんぽうのせいじ)は、合衆国憲法に定められた体制に基づいて行われる。そのため、瑞州合衆国連邦は、立憲主義に基づく国家であると言える。また、瑞州の行政・司法は、憲法と国会が定める法律以下、明文化された法令等に基づいて行われる。そのため、瑞州は法治国家であると言える。 国政 内閣 大統領・閣僚・閣僚級高官 国会 衆議院 参議院 主要政党 直近の選挙結果 地方自治 国政 政治体制は35州と瑞京府で構成される連邦共和制国家である。それぞれの州は高度な自治権を持っているが、連邦政府の有する権限は非常に強大である。連邦政府は、立法、行政、司法の三権分立制をとるが、その分立の程度が徹底しているのが大きな特徴である。 内閣 大統領と国務大臣で組織される。内閣の位置付け等については、合衆国憲法第5章が規定している。 行政権を担当する最高の合議体として、国会(立法)、裁判所(司法)と並ぶ憲法上の機関である。 国会に対して連帯して責任を負う(合衆国憲法第66条)。 半大統領制をとる。半大統領制は議会と政府との関係の点から見た政治制度の分類の一つで、議院内閣制の枠組みを採りながら大統領が大きな権限を持つ制度である。 大統領を大統領府=行政府の首長とし、それの付随する権限を与える。大統領は国民投票により立候補者の中から選出される。 副大統領は、大統領の行政権の下に置かれた政府の長である。国民の直接投票によって選出される大統領に首相の任免権があるが、大統領が任命する場合もあれば、議院内閣制を模倣し国会の多数党から選出される場合もある。 大統領に国務大臣の任免権を保障する。 元首である大統領の任期は4年で4選は禁止。内閣は、大統領と各省庁の長によって構成される。 憲法制定後、7月31日に任期満了となるケースが多い。 + 歴代大統領一覧 代 氏名 任期 出身 備考 1 古海武広 1776/7/31~1780/7/31 無所属 初代。旧幕府10代将軍。 2 1780/7/31~1784/7/31 3 秋川順三 1784/7/31~1788/7/31 保守党 4 1788/7/31~1792/7/31 5 城ヶ崎敏直 1792/7/31~1796/7/31 平民党 6 1796/7/31~1800/7/31 7 古海武広 1800/7/31~1804/7/31 無所属 8 松繁次郎 1804/7/31~1808/7/31 平民党 9 1808/7/31~1812/7/31 10 森副穣 1812/7/31~1816/7/31 平民党 11 神谷篤徳 1816/7/31~1820/7/31 農民環境党 12 1820/7/31~1824/7/31 13 尾藤雅庸 1824/7/31~1828/7/31 農民環境党 14 橋見梅之助 1828/7/31~1828/8/31 保守党 15 高仲淳二 1828/8/31~1832/7/31 保守党 16 堀中順政 1832/7/31~1836/7/31 農民環境党 17 寺阪栄三郎 1836/7/31~1837/11/5 保守党 18 古田充 1837/11/5~1840/7/31 保守党 19 平永清史 1840/7/31~1844/7/31 農民環境党 20 三谷謙 1844/7/31~1846/6/7 農民環境党 1846年、不干渉・不戦主義を宣言。自国利益の拡大を行わないという国際協調の先駆けのような宣言であったが、極右組織の反発を招き、瑞京駅で暗殺された(不戦主義事件)。 21 龍野栄治 1846/6/7~1847/7/31 農民環境党 三谷政権下における副大統領。不戦主義事件を受けて、国民投票を経ずに緊急の大統領に昇格。 22 神宮寺昭廣 1847/7/31~1851/7/31 保守党 23 郡谷征男 1851/7/31~1855/7/31 保守党 24 1855/7/31~1859/7/31 25 日置雷蔵 1859/7/31~1862/7/31 保守党 高齢(77歳)による持病悪化のため、任期を一年早めた。 26 蒲田成徳 1862/7/31~1863/7/31 保守党 27 有満親弘 1863/7/31~1867/7/31 保守党 28 九島直 1867/7/31~1871/7/31 農民環境党 29 長谷山兵太郎 1871/7/31~1875/7/31 保守党 30 九島直 1879/7/31~1883/7/31 農民環境党 31 上坂征彦 1883/7/31~1887/7/31 保守党 32 1887/7/31~1888/1/13 任期途中に、無政府主義者の千貫廉太郎によって暗殺される。 33 流川征四郎 1888/1/13~1891/7/31 陸軍 陸軍大臣兼任(陸軍大将)。第二次上坂政権時の副大統領職から昇格。 34 1891/7/31~1895/7/31 35 浦津忠則 1895/7/31~1899/7/31 陸軍 陸軍大臣兼任(陸軍大将)。 36 魚津豊太郎 1899/7/31~1903/7/31 農民環境党 34 1903/7/31~1907/7/31 35 畝原春行 1907/7/31~1909/12/29 保守党 在任中に死去。 36 倉嶋穣 1909/12/29~1911/7/31 保守党 畝原政権時の副大統領職から昇格。 37 1911/7/31~1915/7/31 38 藤崎晴之 1915/7/31~1919/7/31 保守党 39 流川文宏 1919/7/31~1923/7/31 農民環境党 40 1923/7/31~1923/10/23 在任中に死去。 41 角前仁一郎 1923/10/23~1927/7/31 農民環境党 第二次流川政権時の副大統領職から昇格。 42 内海平八 1927/7/31~1931/7/31 農民環境党 43 1931/7/31~1935/7/31 44 朝夷利明 1935/7/31~1939/7/31 保守党 45 1939/7/31~1944/7/31 46 慶田茂裕 1944/7/31~1947/4/2 農民環境党 任期途中に甚野塁によって暗殺される。 47 陣内龍三 1947/4/2~1948/7/31 農民環境党 48 1948/7/31~1952/7/31 瑞州内戦を鎮圧するも、戦後処理に手間取り、政権交代を許してしまう。 49 西貝涼介 1952/7/31~1956/7/31 保守党 50 1956/7/31~1958/2/20 51 藤ヶ崎順一郎 1958/2/20~1960/7/31 保守第一党 52 柏浦二郎 1960/7/31~1964/7/31 農民環境党 53 上林玲治 1964/7/31~1968/7/31 保守第二党 54 1968/7/31~1972/7/31 55 文野昇三 1972/7/31~1976/7/31 保守第二党 56 梅津訓明 1976/7/31~1980/7/31 穏健党 57 1980/7/31~1984/7/31 58 文野晋太朗 1984/7/31~1988/7/31 保守第二党 59 1988/7/31~1992/7/31 60 大峯万里 1992/7/31~1994/7/31 穏健党 61 1994/7/31~1998/7/31 62 戸嶋俊寛 1998/7/31~2002/7/31 保守党 63 伴野繁利 2002/7/31~2006/7/31 穏健党 64 宮崎圭介 2006/7/31~2010/7/31 保守党 65 土屋賢史 2010/7/31~2014/7/31 穏健党 66 嵯峨野達郎 2014/7/31~2018/7/31 保守党 67 2018/7/31~2022/7/31 68 黒田正彦 2022/7/31~2026/7/31 保守党 69 新城彰一郎 2026/7/31~現職 保守党 大統領・閣僚・閣僚級高官 表の順版は大統領権限継承順位に準ずる。 継承順位 行政機関 長官 備考 - ( 大統領府 ) 新城彰一郎大統領 首長たる大統領およびその他の国務大臣で組織される合議制の機関。 1 内閣府 高橋誠副大統領 瑞州合衆国連邦の行政府を代表する第2位の官職である。「首相」とも表記される。大統領に首相の任免権が与えられている。事故・病気などにより大統領が一時的に職務遂行不能になった場合は、副大統領が臨時に大統領権限を代行する。また、大統領の名代として、儀式に参列したり、外交上の接受や表敬訪問を行う職務も大統領から都度委ねられる。 2 総務省 佐々木幸司総務大臣 行政組織、公務員制度、地方行財政、選挙、消防・防災、国民保護、情報通信、郵政行政、統計など、国家の基本的仕組みに関わる諸制度、国民の経済・社会活動を支える基本的システムを所管する。 3 外務省 三田和宏外務大臣 外交政策、外交使節、通商航海、条約等の国際法規の締結・運用、外国政府との交渉、情報収集・分析・発信、在留邦人の保護および文化広報活動など国の対外関係事務全般を司る。 4 大蔵省 桑野直大蔵大臣 国の予算・決算・会計、通貨、租税、普国債、財政投融資、外国為替、国有財産、酒類・たばこ・塩事業に関することなどを司る。 5 国防省 川添光雄司国防大臣 瑞州の武官組織のうち、沿岸保安庁、瑞州捜査特務庁特別行動部隊を除く、陸軍、海軍、空軍、海兵隊、宙兵隊の5つの軍を傘下に収める。 6 法務省 村上理恵法務大臣 基本法制の維持及び整備、法秩序の維持、国民の権利擁護、国の利害に関係のある争訟の統一的かつ適正な処理並びに出入国の公正な管理を図ることを任務とする。 7 農林水産省 徳竹宏泰農林水産大臣 食料の安定供給の確保、農林水産業の発展、農林漁業者の福祉の増進、農山漁村及び中山間地域等の振興、農業の多面にわたる機能の発揮、森林の保続培養及び森林生産力の増進並びに水産資源の適切な保存及び管理を図ることを任務とする。 8 商務労働省 野村小百合商務労働大臣 経済成長、技術競争力、持続的発展を促進するインフラを整備することによって、すべての瑞州人のために雇用の創出と生活水準の向上を図ることと、国民生活の保障及び向上を図り、並びに経済の発展に寄与するため、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする。 9 保健福祉省 譜久村正興保健福祉大臣 全ての瑞州人の健康を保護して、重要な社会事業を提供することを目的とする。瑞州国立アレルギー・感染症研究所もここの傘下にある。 10 国土省 友寄信孝国土大臣 国土の総合的かつ体系的な利用、開発及び保全、そのための社会資本の整合的な整備、交通政策の推進、気象業務の健全な発達並びに海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とする。 11 資源エネルギー省 堀込孝平資源エネルギー大臣 瑞州合衆国のエネルギー保障と核安全保障を担当する官庁である。その役割は核兵器の製造と管理、原子力技術の開発、エネルギー源の安定確保、及びこれらに関連した先端技術の開発と多岐にわたる。 12 文部科学省 杉尾悠樹文部科学大臣 教育の振興および生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、学術、スポーツおよび文化の振興並びに科学技術の総合的な振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切に行うことを任務とする。 13 国土安全保障省 巴山将康国土安全保障大臣 公共の安寧の保持を所掌事務とする。その使命は、テロリズムの防止、国境の警備・管理、出入国管理と税関業務、サイバーセキュリティ、防災・災害対策である。 - 大統領行政府 神野健治大統領首席補佐官 大統領直属のスタッフから構成される組織である。長は、大統領首席補佐官。 - 国家情報室 柳沼憲司国家情報長官 国家情報長官室は大統領と国家安全保障会議の情報顧問であり、インテリジェンス・コミュニティーと国家テロ対策センターを統括する。 国会 立法府は衆議院と参議院から構成される両院制(二院制)の議会である。衆議院・参議院は、いずれも全国民を代表する選挙(衆議院議員総選挙・参議院議員通常選挙)により選出された国会議員(衆議院議員・参議院議員)によって組織される。 国会では、国会議員のみが法案提出権を保持する。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案(閣法)であり、国会議員が発議する法案(議員立法)が少ない。政府提出法案は、内閣の下に設置される省庁が国会議席の多数を占める与党との調整を経て作成するため、省庁の幹部公務員(キャリア官僚)の国政に対する影響力が強い。 各党にはコーカス(Caucus)と呼ばれる衆参両院ごとの議員総会があり、院内の党役員や各委員長の選出手続の際に開催される。このほか超党派の議員連盟にもコーカスを称するものがある。なお二大政党の地方組織が地域別に開催する党員集会もコーカスと呼ぶがこれらは性格が異なる。 国会議員は、憲法により不逮捕特権や免責特権が保証されていたが、多くの批判を浴びて現在では憲法が改正され、国会期間中に犯罪を犯し逮捕・勾留された議員は議員権を失い、次の選挙まではその議員の席は欠員として扱われることとなる。また、議員は他の官職につくことが禁止されている。 衆議院 合衆国憲法下で参議院とともに国会を構成している一院である。他国でいう下院にあたる。参議院と同じく全国民を代表する選挙された議員で組織される。議員定数は公職選挙法で定められる。現在は定数465人。衆議院議員の任期は2年で、解散はあり。選挙権は18歳以上。被選挙権は25歳以上で7年以上合衆国市民であり、選挙時に選出州の住民であることが求められる。 参議院 合衆国憲法下で衆議院とともに国会を構成している一院である。他国でいう上院にあたる。衆議院と同じく全国民を代表する選挙された議員で組織される。議員定数は公職選挙法で定められる。現在は定数100人。参議院議員の任期は6年で、解散はない。選挙制度は各州を選挙区とする単純小選挙区制。選挙権は18歳以上。被選挙権は30歳以上、9年以上合衆国市民であり、選挙時に選出州の住民であることが求められる。 主要政党 瑞州保守党 瑞州保守党(英語 Zuish Conservative Party、FCP)は、自由主義を堅持している保守政党である。略称は保守党、「保守」。1字表記の際は、「保」と表記される。中道右派。党首は現大統領・黒田正彦。 穏健党 穏健党(英語 MOderate Party、MOP)は、中道右派連合の一角を占めており、2014年9月以降、最大野党の政党。たまに保守党と連立内閣を作ることがある。党首は桐野紗也佳で、党内史上初の女性党首。なお、2016年大統領選挙の際、彼女は保守党から黒田候補の副大統領候補にと打診され、今回も連立内閣が作られるかと思われたが、外交政策方針の不一致から断ったという。 瑞州立憲行政党 瑞州立憲行政党(英語 Constitution Administration Party、CAP)は、党の政策は19世紀から20世紀にかけての如何なるイデオロギーにも基づかないものの、脱中央集権的な経済発展や政治的意思決定の維持を重点に置く、中道政党。党首は赤間卓弘。 農民環境党 農民環境党(英語 Farmers Environment Party、FEP)は農民政党、リベラル政党。中道左派。党首は近藤晃。農民同盟政党として結成。1957年に現在の党名に改称。新自由主義の政党として認識されているため、それに期待する自営業者の中にも支持者がいる。しかしながら、やはり最大の支持基盤は農民であり、農林業の経済問題が最大の党是である。農林業のために環境問題では環境保護側に立ち、都市と地方の格差問題では地方の立場を代弁する。 共産党 共産党(英語 COmmunist Party、略称 COP)は科学的社会主義を党是とする。当面は大企業の経済界支配に対する民主主義革命を、将来的には社会主義的変革を目指すとする、左派政党。現状に見合わない主張・政策を繰り出す上、そもそも自由民主主義国家として歩んできた瑞州の風土には社会主義が合わない為、支持はさほど得られていない。党首は尾河こず江。 直近の選挙結果 衆議院 参議院 2027年8月の衆院選結果。定数465議席に対し保守党が313議席と過半数を占める。 地方自治 各州が独自の立法機関を設置し独自の州憲法と州法を有する。連邦法は全州にわたって効力を有するものとして上位に位置するものではあるが、連邦主義により各州の自治が歴史的に尊重されていたこともあり、各州法の地位はかなり高く、United Statesの名のとおり、独立国にも比する強大な自治権を認められている。ただし連邦憲法上、合衆国連邦からの独立は州の権利として認められていない。これは東西戦争の悲劇を二度と繰り返さないために、戦後により強い文で禁じられた。 合衆国憲法により、連邦法を制定することができる分野は、国家としての対外的な規律に関わる問題や、州を跨ぐ通商に関連する事項等に限定されていることから、会社法や刑法などの一般的法律も州法において規定されている。
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瑞州合衆国連邦の交通(ずいしゅうがっしゅうこくれんぽうのこうつう)では、合衆国の交通の歴史や状況などを述べる。 歴史 古代 中世 自動車 州間高速道路 鉄道 ZRグループ 高速鉄道 在来線 航空 歴史 古代 古代は律令制の整備に伴い、駅制が敷かれて都と地方の間に道路が整備され、八路(約32km)ごとに駅が置かれた。これが距離単位となり、八路=約32km=一駅ということになった。これを古代官道というが、古代官道は地方広域区分である五道に沿って整備された。 五道:北海道、南海道、東海道、西海道、山陸道 現在でもこの名称は、合衆国各地方の地域名として残っている。 中世 中世には都市の発達に伴い、年貢や物資の輸送の必要性から陸上交通が整備され、定期市なども開かれた。これに伴い、港や廻船も整備され、海上交通や海上輸送も行われるようになる。交通の要所には、幕府や戦国大名や有力寺社などが関を設置して、関銭が徴収された。 自動車 高速道路など高規格幹線道路のネットワークは全国を網羅し、それを補助する地域高規格道路も整備が行われた。また、州間高速道路も全国ネットワークとして整備された。道路において一定の量的ストックは形成されたため、2000年代に入り、道路整備予算は縮小されつつあるが、過去の道路建設に伴う負債が多くの州で問題となっていた。 主として有料道路の建設・管理等を行っていたのは特殊法人である道路関係公団(州ごとに設置)および連邦政府の出資に基づく特殊法人である瑞州道路公団(道路の共通規格化を実施)であったが、2005年に各公団の民営化、結合が行われ、北瑞州高速道路株式会社・中瑞州高速道路株式会社・南瑞州高速道路株式会社(ZEC三社)や他の都市高速や有料道路を維持管理する高速道路会社、道路公社が発足した。 州間高速道路 州間高速道路網(Interstate Expressway)は自動車専用道路によって構成されており、交通状況が許容する限り、高速走行が可能である。 州間高速道路の一覧 主要高速道路:大規模に都市間を結ぶもの。ナンバリングは1から始まる。 IE1 京武高速道路(瑞京JCT-太刀川JCT) IE2 京雲高速道路(瑞京JCT-八雲JCT) IE3 川夜高速道路(薩鹿川内JCT-夜日市JCT) IE4 東西高速道路(那古野JCT-夜日市JCT) IE5 海端道高速道路(太刀川JCT-氷山IC) IE6 南西岸高速道路(都城JCT-東那古野JCT) IE7 北部環状高速道路(姫治JCT-古松IC-太刀川JCT) IE8 瑞州縦貫高速道路(熊祁JCT-都城東JCT) 接続自動車道:中小規模に都市間を結ぶもの。ナンバリングは51から始まる。 IE51 富鋤自動車道(富司宮JCT-指鋤JCT):IE52と指鋤JCTで直通する。 IE52 富鋤自動車道(指鋤JCT-碧楠安生JCT):IE51と指鋤JCTで直通する。IE51と合わせた区間(富司宮JCT-碧楠安生JCT)が中央環状高速道路として扱われることがある。 IE53 紀豆自動車道(位東JCT-御浜IC) IE54 濃州沿岸自動車道(南牧JCT-満津田JCT):IE55と共に北西地方西海岸部におけるIE1の短絡線として機能する。 IE55 武相自動車道(横波間JCT-太刀川JCT):IE54と共に北西地方西海岸部におけるIE1の短絡線として機能する。 IE56 門日自動車道(都城JCT-穴門JCT):かつては榛葉JCT-穴門JCTまでの区間が指定されていたが、榛葉JCTから都城東JCTの区間がIE8に統合されたため区間が短縮された。 IE57 雲隅自動車道(八雲JCT-岸和田IC) IE58 勢賀自動車道(河輪中央JCT-伊菜JCT) IE59 北東自動車道(北錫鹿JCT-古松東IC) IE60 北央自動車道(三屋田JCT-小濱IC) IE61 南部濃州横断自動車道(龍笠城JCT-別所湾JCT):かつては伊菜JCT-別所湾JCTまでの区間が指定されていたが、伊菜JCTから龍笠城JCTの区間がIE8に統合されたため区間が短縮された。 IE62 淡海自動車道(南岡豆IC-浜茉IC) IE63 海岸連絡自動車道(遠画IC-河南海岸IC) IE64 中部縦断自動車道(北箕島IC-東轟長湫IC) IE65 狭鷲自動車道(狭間似IC-雄鷲IC):北部にあるIE8や南部にあるIE53と接続する計画がある。 鉄道 ZRグループ 1987年に瑞州国有鉄道(国鉄)の分割・民営化にともない、ZRグループとして西瑞旅客鉄路(ZR西瑞)、北西旅客鉄路(ZR北西)、東海旅客鉄路(ZR東海)、中央旅客鉄路(ZR中央)、南瑞旅客鉄路(ZR南瑞)、瑞州貨物鉄路(ZR貨物)の6社が発足した。これら6社のうち、ZR北西、ZR東海、ZR中央、ZR南瑞の4社については、後に国が保有していた株式をすべて市場に売却し、完全民営化を達成した。これに対し、ZR西瑞、ZR貨物の2社に関しては、ZR会社法の適用を受け、政府が100%出資する株式会社形態の特殊会社となっており、株式の上場は行われていない。 事業領域 法人名 種別 通称 コーポレートカラー 本社 主な事業区域 旅客鉄道 西瑞旅客鉄路 株式会社 ZR西瑞 青色 越野州鯖江市 西海地方 北西旅客鉄路 ZR北西 黄色 常陸中州笠間市 北西地方 東海旅客鉄路 ZR東海 緑色 伊勢州身重郡 東海地方 中央旅客鉄路 ZR中央 橙色 瑞京府西京区 中央地方 南瑞旅客鉄路 ZR南瑞 赤色 八雲州福富市 南州地方 貨物鉄道 瑞州貨物鉄路 ZR貨物 コンテナブルー 瑞京府西京区 瑞州全域 研究機関 瑞州鉄道技術研究所 公益財団法人 ZR技研 青藍色 瑞京府西京区 情報処理 瑞州鉄道情報システム 株式会社 ZRシステム 柿色 瑞京府西京区 高速鉄道 国鉄時代に瑞州高速鉄路(Zuish High-Speed Railway)として計画がスタートした。現在では瑞州高速鉄道線(Zuish High-Speed Rail、高速線)として、ZR各グループが運営している。 ■ 海端高速線 ■ 北部高速線 ■ 播加高速支線 ■ 東海道高速線 ■ 中央高速線 ■ 西海道高速線 ■ 西南高速線 ■ 京薩高速支線 ■ 南州高速線 ■ 門備高速支線 ■ 尾勢高速線 整備高速線計画の1つで、東海旅客鉄道(ZR東海)と中央旅客鉄道(ZR中央)の高速鉄道路線およびその列車である。新那古野 - 夜日市間を結ぶ予定の、建設中の路線である。 使用車両 西海道・南州・門備 HS0系・HS100系・HS300系・HS500系・HS700系・HS800系・HS750系・HS750S系・IC0系 東海道・北部・播加・海端 HS200系・HS400系・HSN1系・HSN2系・HSNE3系・HSNE4系・HSN5系・HSN6系・HSN7系・ICN1系 西南・京薩・中央 HSS01系・ICS01系 在来線 + ... 太字は幹線、それ以外は地方交通線を表す。なお複数社間に管轄がまたがる路線については、それぞれの管轄区間に分けて載せている。 管轄 本線名 支線名 始点 終点 備考 画像 ZR西瑞 海端本線 - 梨甲岾梨駅 氷山駅 柚沢線 鯖枝駅 柚沢本荘駅 逢津線 副島駅 南逢津駅 西端線 - 梨甲岾梨駅 駅 八峯線 新大枝駅 八峯駅 仙代線 - 箕川駅 仙代駅 北甲線 - 戸野内駅 梨甲岾梨駅 北杜線 北速川駅 北杜駅 岾梨本線 - 新太刀川駅 梨甲岾梨駅 塩祓線 西増子駅 那須塩祓駅 ZR中央 紀尾線 - 海北駅 新那古野駅 紀北線 - 鹿邊駅 海北駅 西海道本線 - 瑞京駅 朝陽駅 尾東線 裏幌駅 矢富駅 薩近線 - 丘崎駅 鹿邊駅 治内線 指鋤駅 治内駅 参紀線 - 丘崎駅 御殿羽駅 御浜線 新寓駅 紀州御浜駅 参北線 - 東京駅 北筑紫駅 西部本線 - 新都濃駅 南那古野駅 寿津線 近海高州駅 寿津駅 中央本線 - 丘崎駅 南蒲河駅 南部本線 - 瑞京駅 新都濃駅 航空 各地に空港が建設されるなど発達している。主要な航空会社では全瑞旅客航空(AZA)や、ジェットエクスプレス航空(JEX)等がある他、格安航空会社ではフォーマルハウト航空、シェアト・エアなどがある。 瑞州国内に存在する飛行場の一覧は、瑞州合衆国連邦の空港一覧を参照。
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以下は瑞州合衆国連邦の国家機関を(ある程度 細分化して)一覧にしたものである。おおまかに立法・行政・司法の三権分立に分けて挙げる。 立法機関 行政機関 国防省 統合幕僚監部 情報機関 警察組織 連邦捜査庁 連邦交通警察隊 鉄道警察隊 州警察 独立機関 瑞州情報局 司法機関 立法機関 瑞州合衆国議会は、衆議院と参議院の両院からなる二院制を採用している。法律制定等の立法権として憲法上分類されている事項の議決権限は、両院対等である。ただし歳入法案先議権、弾劾訴追権は衆議院のみに与えられ、一方、閣僚・連邦裁判所判事等の大統領指名人事への承認権、条約の批准承認権、弾劾裁判権は参議院のみが権限を持つ。普通参議院の方が威信は上と考えられている。 また(通常、大統領からの要請による)宣戦布告および軍事行動の承認も合衆国議会の権限である。 合衆国議会(国会) 衆議院(合衆国下院) 参議院(合衆国上院) 裁判官訴追委員会 裁判官弾劾裁判所 国立国会図書館 行政機関 大統領府 内閣府 総務省 外務省 大蔵省 国防省 法務省 連邦捜査庁(FAI) 農林水産省 商務労働省 保健福祉省 国土省 資源エネルギー省 文部科学省 国土安全保障省 大統領行政府 国家情報長官室 国防省 国防省(こくぼうしょう、英語:Federal Department of Defense、FDD)は、連邦政府の行政府のひとつであり、国家安全保障と瑞州国防軍に直接関連する政府のすべての機関および機能の調整と監督を担当している。瑞京府郊外の京西区八幡に本部を置く。 国防総省のトップは国防大臣であり、合衆国大統領に直属する閣僚レベルのトップである。国防総省の下には、陸軍省、海軍省、空軍省の3つの下位軍事部門がある他、以下の下部組織が存在する。 国防省の下部組織 国防情報局(Defense Intelligence Agency、DIA) 国家安全保障局(National Security Agency、NSA) 国家偵察局(National Reconnaissance Office、NRO) 国防大臣の下部組織 先端研究計画局(Advanced Research Projects Agency、ARPA) 国防兵站局(Defense Logistics Agency、DLA) ミサイル防衛局(Missile Defense Office、MDO) 国防衛生局(Defense Health Agency、DHA) 防諜保安局(Counterintelligence and Security Agency、CSA) 本部部隊防護局(Headquarters Force Protection Office、HQFPO) 統合幕僚監部 統合幕僚監部は、国防省の制服組の上級指導者で構成され、国防大臣、国土安全保障会議、国家安全保障会議、大統領に軍事問題について助言する機関である。 情報機関 国防省のいくつかの機関は、瑞州合衆国連邦のインテリジェンス・コミュニティーのメンバーである。これらは国防省の管轄下で活動する国家レベルの情報機関であるが、同時に国家情報長官の権限下にある。国の政策立案者や戦争計画者の要求を満たし、戦闘支援機関として機能し、また瑞州情報局や連邦捜査庁など国防省以外の情報機関や法執行機関も支援する。 軍部はそれぞれ独自の情報部門を持ち、国防省傘下の国家情報機関とは異なるが、その調整の対象になる。国防省は、信号情報、地理空間情報、測定・信号情報の分野における国家の調整権限と資産を管理し、情報コミュニティの衛星資産の構築、打ち上げ、運用も行っている。国防省には独自の人的情報サービスもあり、ZIAの人的情報活動に貢献する一方、軍の人的情報の優先順位に重点を置いている。これらの機関は、国防副大臣(情報担当)が直接監督している。 警察組織 瑞州合衆国連邦は連邦制をとっており、連邦政府よりも州のほうが多くの権限を有している。特に警察活動については、地域的な特性もあって、古来より地域の秩序・平和を維持する責任は地域住民各々が負うべきであるという自治の意識が強い。このため、初期の州や連邦政府の法執行機関は、ごく限られた特殊な領域を所掌するものが基本となっていた。しかし合衆国の発展や技術の進歩による社会情勢の変化に伴って、まず州、ついで連邦レベルでも一般警察活動を担当する組織が整備され、警察活動の統一化・規模の拡大が志向されている。 瑞州合衆国連邦では、憲法に基づいて、基本的に権限はそれぞれの州がもつという連邦制をとっている。その為、警察組織の大半は州が主体となって設置されている。州が国の法定受託事務として行う事務ではないため、一般的には自治体警察とみなされることが多い。しかしながら、公安委員会ではなく連邦捜査庁が州警察への指揮命令権を有することや、警視正以上の幹部は国家公務員であることから、実態は国家警察と自治体警察の折衷型に近い。 連邦捜査庁 連邦捜査庁(れんぽうそうさちょう、英語:Federal Agency of Investigation、FAI)は、法務省に属する瑞州合衆国連邦の警察機関の一つ。国内の治安維持を一手に担い、テロ・スパイ、政府の汚職、複数の州に渡る広域事件、強盗事件などの捜査を担当する。さらに、誘拐事件では通報から24時間を経過すると、広域事件として自治体警察からFAIに捜査主体が移される。 州警察とは別系統の内部組織として、以下の部を指揮下に置く。また後述する連邦交通警察隊や鉄道警察隊も指揮下にある。平時、交通・鉄道警察隊では独自に活動をしているが、大規模な事件や事故が発生した時は、その事件や事故が発生した州警察の管轄警察署と連携して捜査活動を行う。 情報部 国家安全保障、国土安全保障、および法執行を目的とする情報の共有および情報分析を含む、すべての情報機能を処理、統括する。 国家保安部 瑞州国内におけるテロリズム対策、カウンターインテリジェンスを担当する。国家情報長官、連邦捜査庁長官、そして、法務相に対して責任を負う。平たく言えば、瑞州国内での工作活動の担当。 刑事・サイバー対策部 金融犯罪、ホワイトカラー犯罪、暴力犯罪、組織犯罪、公的腐敗、個人の市民権の侵害、および麻薬関連犯罪の調査を担当している。さらに、テロ対策、インテリジェンス、および瑞国に対する犯罪の脅威に関連するすべてのコンピューター関連の犯罪も監督する。 科学技術部 革新的な科学技術を発見、開発、提供することで、知性と革新的な調査を強化することを使命とする。また、科学捜査・犯罪防止・交通警察に関する研究・実験を行うとともに、警察内外の関係機関から依頼された証拠物等の科学的鑑識・検査を行うことも主な任務とする。 情報技術部 すべてのFAI情報技術のニーズと情報管理を担当。 人事部 FAIのすべての内部人材ニーズと、新しいFAIエージェントを訓練するFAIアカデミーを実施する責任を有する。 連邦交通警察隊 連邦交通警察隊(れんぽうこうつうけいさつたい、英語:Federation Trafic Police Force)は、連邦捜査庁の指揮下にある警察組織の一つ。主に州間高速道路の交通安全を監督し、必要があれば取り締まる目的で設立された警察部隊である。元は各州警察の交通課であったが、連邦法で 州間高速道路法が施行されたことで、各州の交通課の高速道路部隊を既存の州警察から分離させ、それを統合することで設立された。要請次第では一般道での警察活動も行う。 下部組織として、主要な州間高速道路を基準として編成された方面隊が存在する。 方面隊の一覧 京武方面隊:瑞京JCT-太刀川JCT間の京武高速道路(IE1)や周辺の接続自動車道を担当。 京雲方面隊:瑞京JCT-八雲JCT間の京雲高速道路(IE2)や周辺の接続自動車道を担当。 川夜方面隊:薩鹿川内JCT-夜日市JCT間の川夜高速道路(IE3)や周辺の接続自動車道を担当。 東西方面隊:那古野JCT-夜日市JCT間の東西高速道路(IE4)や周辺の接続自動車道を担当。 海端道方面隊:太刀川JCT-氷山IC間の海端道高速道路(IE5)や周辺の接続自動車道を担当。 南西岸方面隊:都城JCT-東那古野JCT間の南西岸高速道路(IE6)や周辺の接続自動車道を担当。 北部環状方面隊:姫治JCT-古松IC-太刀川JCT間の北部環状高速道路(IE7)や周辺の接続自動車道を担当。 瑞州縦貫方面隊:熊祁JCT-都城東JCT間の 瑞州縦貫高速道路(IE8)や周辺の接続自動車道を担当。 連邦交通警察隊のパトロールカーは灰色をベースに黄色と青色のチェック模様が塗装されており、州警のパトロールカーとは識別が容易である。 ▲連邦交通警察隊のパトロールカー。車種は六菱・フェンサープログレッションX [(*1)] 。 鉄道警察隊 鉄道警察隊(てつどうけいさつたい、英語 Railway Police Force)は、瑞州合衆国連邦の鉄道専門の公安制度であり、連邦捜査庁の指揮下にある警察組織の一つ。主な任務は、鉄道施設における個人の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防及び検挙、事故の防止、鉄道にかかわる公共の安全と秩序の維持に当たることで、痴漢やスリ・置引・暴力などの犯罪の予防や捜査、踏切事故などの鉄道事故の防止や事故捜査・救助活動などが代表的な仕事である。 州警察 州警察(英:State Police)は、連邦捜査庁の指揮下にある警察組織の一つ。州警察は、瑞州の各州に固有の警察機関であり、法執行活動や犯罪捜査を行う権限を州全体で持っている。一般に州警察官は、州内の道路での交通法の執行、州議会議事堂の警備、知事の警護、新人警官の訓練、技術・科学サービスの提供などを任務とする。 かつて一般警察業務は、郡・自治体の保安官・警察によって担当されるのが原則であった。しかしこのような地域の公安職は、地域住民に不評な州法を執行しない傾向があり、州政府にとっては悩みの種であった。また犯罪の組織化・広域化に伴い、これらの地域の公安職では対応困難な事案も増えており、州の法執行機関の必要性が増大していたため、19世紀前半から各州で相次いで設立された。 州警察のパトロールカーは白色をベースに黄色と青色のチェック模様が目立つ塗装であり、これは警察車両に最大の可視性を持たせることを目的としている。 ▲州警察のパトロールカー。車種は六菱・フェンサープログレッションX [(*2)] 。 独立機関 行政府の各省は、連邦政府の主要な運営機関だが、そのほかにも多くの機関が、瑞州政府と経済の運営を円滑に行うため、重要な役割を果たしている。これらは、行政各省に属するものではないため、独立機関と呼ばれることが多い。 これらの機関の性質と目的は多種多様である。経済の特定の部門を監督する権限を持つ規制機関もあれば、政府や国民に特定の業務を提供する機関もある。こうした機関の大半は、複雑すぎて通常の立法の手に余る事柄に対処するために、連邦議会が設置したものである。 瑞州情報局(ZIA) 連邦通信委員会 連邦緊急管理庁 連邦準備制度理事会 連邦取引委員会 調達庁 瑞州航空宇宙機構(ZASA) 瑞州情報局 瑞州情報局(ずいしゅうじょうほうきょく、英:Zuish Intelligence Agency、略称:ZIA)は、外国での諜報を行う瑞州合衆国連邦の情報機関である。瑞州情報局長官によって統括され、合衆国大統領直属の監督下にある。 ZIA自身が収集した情報の他に、国家安全保障局、国家偵察局、国防情報局、各軍の情報部、財務省情報部、エネルギー省情報部といった政府の情報機関から構成されるインテリジェンス・コミュニティーからの情報を集めて分析し、大統領と国家情報室長官に報告する役割を担う。瑞州合衆国連邦のインテリジェンス・コミュニティーは国家情報長官によって統括され、ZIAはその中央にある情報機関である。 1947年、国家安全保障法の成立により、古屋内閣のもとで設立された。 作戦本部:ヒューミントに従事する。 核拡散部 対テロ・センター 防諜センター 麻薬対策センター 欧州部 中近東・南アジア部 東アジア部 アフリカ・中南米部 技術支援部 情報本部:情報の評価・分析、情報資料の作成に従事する。 欧州分析部 近東・南アジア分析部 東アジア分析部 アフリカ・中南米分析部 先進兵器分析部 グローバル問題部 情報資源部 外国指導者分析部 科学技術本部:技術的情報収集手段の研究・開発に従事する。 技術システム研究・開発部 傍受部 技術保障部 国外ラジオ放送部 技術・諜報設備課 行政本部:総務、人事、訓練、要人警護、施設警戒に従事する。 人事部 要員訓練部 警備部 会計部 情報保管・検索部 コンピュータ機材部 通信部 法務部 特殊監査部 会計監査部 秘書部 会計計画部 暗号書簡部 公表検討会議 司法機関 連邦裁判所と州裁判所の二つが置かれている。州裁判所のシステムは連邦裁判所と同様、一審裁判所、中間上訴裁判所、最上級裁判所という構造をとっているところが多い。 瑞州合衆国連邦憲法及び連邦法と、州法との間に抵触が生じる場合には、前者が優越するが、州法が連邦法より下位に置かれるわけではない。 州裁判所と異なり、連邦裁判所は「限定的管轄権」しか持たない裁判所であり、合衆国憲法及び連邦制定法によって特定された種類の事件のみを審理することができる。連邦裁判所が限られた事物管轄しか持たないのに対し、州裁判所は一般的な事物管轄を有する。契約や不法行為に関する訴訟、離婚や子の養育に関する訴訟、遺言や相続の事件、不動産に関する事件、少年事件、大半の刑事事件(州法違反)、交通違反など、大半の事件は州裁判所のみに管轄がある。 連邦裁判所は、州法の解釈については、州裁判所に従わなければならない。また、連邦最高裁は、州裁判所の終局的判断を再審査することができる。 連邦裁判所 連邦最高裁判所 高等裁判所 地区裁判所 州裁判所 州最高裁判所 上位管轄権裁判所:いかなる事件でも、下位管轄裁判所における審理を経なくても、直接取り扱うことができる。 上級裁判所 下級裁判所 下位管轄権裁判所:州によって置かれているものは様々である。 市裁判所:大都市に置かれる交通違反事件や市の条例違反事件を取り扱う裁判所。 市会議員裁判所 警察裁判所 市長裁判所 記録官裁判所 郡裁判所 検認裁判所 自治体裁判所 請求裁判所 通常事件裁判所 家庭裁判所 少額請求裁判所 租税裁判所 水事裁判所 労働者補償裁判所
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瑞州合衆国連邦軍の航空機一覧(ずいしゅうがっしゅうこくれんぽうぐんのこうくうきいちらん)は、瑞州合衆国連邦陸軍、瑞州合衆国連邦海軍が保有していた航空機の一覧である。 略符号付与規則 戦闘機 七式戦闘機 晨風 偵察機 五式司令部偵察機 碧雲 関連項目 略符号付与規則 + ... 機種記号 A:艦上戦闘機 B:艦上攻撃機 D:艦上爆撃機 E:水上偵察機 F:観測機 G:陸上攻撃機 H:飛行艇 J:陸上戦闘機 K:練習機 L:輸送機 M:特殊攻撃機 N:水上戦闘機 P:爆撃機 Q:哨戒機 R:陸上偵察機 S:偵察機 設計会社記号 A:連邦軍航空技術局(空技廠) B:ブラウニング D:段松飛行機製造 D:デンダ・ライト F:藤重工 G:郡上航空エンジニアリング H:百塚航空機 K:紺藤航空機→紺谷航空機 M:増村航空機 M:松浦製造 N:北瑞州航空機産業 N:能口航空機 O:六反田飛行機 R:ロッカクインターナショナル R:六菱重工業 S:祇園製造 T:谷山川航空機 W:南州飛行機 戦闘機 名称は「~風」で統一されている。 七式戦闘機 晨風 J7T 七式戦闘機 晨風 概要 性能諸元 用途 戦闘/迎撃 全長 13.65m 分類 戦闘機 全幅 12.85m 製造社 谷山川航空機 全高 4.05m 運用状況 退役 谷山川航空機会社が瑞州陸軍航空軍向けに開発した戦闘機である。軽戦のような機動性についてはある程度妥協し、重戦さながらの高速性と火力を重視した単発の「中戦」とも言うべき機体である。単発の推進式レシプロエンジンを胴体後部に配置してプロペラを駆動し、尾翼を双ブームで支え、また直径の大きなプロペラを使用するためにインヴァーテッド・ガルウィングを採用するという特異な形状であった。武装は12.7mm機関銃を6門搭載している。最高速度は一一型が710km/h、一二型以降が720km/h。 派生型一覧 J7T1a 晨風一一型:1943年7月に初飛行。1945年に七式戦闘機として制式採用。射出座席を正式に採用した瑞州初の航空機となった。 J7T1b 晨風一二型:一一型の中期生産分。改良により最高速度が10km/h上がったが、最大高度が11800mから10200mまで下がってしまった。 J7T1c 晨風一三型:武装を変更し、30mm機関砲を4門搭載し、迎撃能力の向上を図ったタイプ。 J7T2a 晨風二一型:一一型の後期生産分。対地攻撃能力が追加、爆弾の運用が可能になり、高速戦闘爆撃機としても活躍した。 J7T2b 晨風二二型:一三型と同様、30mm機関砲を4門搭載したタイプ。一三型からの改修型(二二型甲)と新規生産(二二型乙)の二つが存在する。 偵察機 名称は「~雲」で統一されている。 五式司令部偵察機 碧雲 S5R 五式司令部偵察機 碧雲 概要 性能諸元 用途 戦略偵察 全長 11.0m 分類 偵察機 全幅 13.8m 製造社 六菱重工 全高 4.42m 運用状況 退役 1941年から配備が行われ、1958年に至るまで陸軍や国防陸軍の主力戦略偵察機として使用された。本機は画期的な開発思想や高性能を持ち、後の「戦略偵察機」の先駆的存在であった。五式司偵は特に三型(S5R3)に代表される高速性を追求したゆえの細身で流線型の胴体と、空気力学に基づいた新設計のエンジンカウル(ナセル)、特徴的な尾翼といった従来の瑞州機とは異なるスマートな外見を持ち、性能面でも敵の要撃機を振り切る高速性、優秀な高空性能および上昇限度、長大な航続距離を有していた。 派生型一覧 S5R1 碧雲一一型:1939年11月に初飛行、最大速度は540km/hを記録した。1940年9月に五式司令部偵察機として制式採用され、のちに二一型の採用により一一型となる。 S5R2a 碧雲二一型:最大速度向上のため、エンジンを換装し1941年3月に登場したのが二一型で、最大速度は604km/hに達し、陸海軍を通じて瑞州で最初に600km/hを突破した機体となった。 S5R2b 碧雲二二型:部隊改造機として対爆撃機迎撃用に速射砲や機関砲を搭載、機内に燃料タンクを増設したり後席の旋回機関銃を撤去した機体。 S5R2c 碧雲二三型:練習機として二一型をベースに、操縦席後方に偵察者席とは別の教官席を追加改造した機体。 S5R3a 碧雲三一型:さらなる性能向上のため、エンジンを新型に換装、増設燃料タンクや落下タンクを装備し航続距離を拡大、さらに風防を機首先端まで伸ばし段差をなくして完全な流線型にしたものが1943年3月登場の三一型であり、最大速度は630km/hを、さらに推力式単排気管への換装で約642km/hを記録した。 S5R3b 碧雲三二型:派生型として20mm機関砲を機首に2門装備したもの。 S5R3c 碧雲三三型:37mm機関砲を機体背面に上向き砲として搭載した機体。 S5R4a 碧雲四一型:ターボチャージャーを備えた二段二速エンジンに換装し、高度10000メートルで630km/hを記録した。 関連項目 瑞州合衆国連邦軍 瑞州国防軍のその他装備品一覧
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本項目では、瑞州合衆国連邦国内に本社を置く主要な企業について述べる。 + 目次 あ行 蟻谷発動機 羽州シップビルディング か行 合衆国放送会社 賀藤新聞社 カドラプル・シエラ 聞耳新聞社 古藤機械製造 コロモグループ さ行 ジェットウィングス ジェネラル・テクノロジーズ ショーグネイト・インターナショナル 瑞州合衆国連邦放送 瑞州・タイムズ社 瑞州鉄路 全瑞旅客航空 た行 竹友重機械工業 ディーフィア トライスター・エアライン な行 野代郡上飛機工業集団 は行 ハチモンジ・インターナショナル 春成火器工業 半田自動車技研 常陸財閥 藤重工 ブラウニング ま行 松伊笹部軍需 ミシマ 六菱財閥 ら行 麓反田・松浦 英数字 SHI Zuish Defense News あ行 蟻谷発動機 蟻谷発動機 蟻谷発動機(英:Aritani Hatsudoki Ltd.)は、瑞州で2番目に大きい航空用エンジン製造会社である。SHI、ジェネラル・テクノロジーズとともに、瑞州航空機用エンジンのビッグ3の一つに数えられる。防衛航空宇宙、艦船、発電等も手がける。 主な製品 ジェットエンジン・ネ4・ネ6・ネ10・ネ15:F-4彩電・ス5:C-2蒼空、P-5鎮海、C-5晴空・ス7:OH-9雀、OH-11真鶴、T-5F秋鷹改二・ソ11:RQ-5空霊・ソベ1:垂直離着陸機用 会社概要 種類 株式会社 業種 航空、防衛、船舶 設立 1906年 本社所在地 瑞京府東京区 羽州シップビルディング 羽州シップビルディング 羽州シップビルディング(Ushu Ship Building)は、1940年代の国内造船業の成長戦略の一環として、1942年に設立された造船会社である。現在では商船、国防軍の艦艇、船舶用ディーゼルエンジンといった船舶分野だけでなく、発電・化学プラントといったエンジニアリング事業や、港湾クレーン、橋梁の建設など社会インフラ事業まで多岐にわたる。主要施設・USB遊早造船所(Yuza Shipbuilding、USB-YS) 会社概要 種類 有限会社 業種 造船 設立 本社所在地 か行 合衆国放送会社 合衆国放送会社 合衆国放送会社(United States Broadcasting Company、USBC)。テレビ放送は1928年に開始。USBCは職員数ではなく、収入額で国内最大の放送局である。ニュース制作に特化した子会社(USBCニュース)を有し、プライムタイムに放送されるニュース番組に非常に力を入れている。報道は左派寄り中道と評価されることが多い。 会社概要 種類 有限会社 業種 情報・通信業 設立 1928年 本社所在地 瑞京府京西区 賀藤新聞社 賀藤新聞社 賀藤新聞社(Gato Newspaper Co., Inc.)は、合衆国新聞(United States Newspaper)を発行する新聞社。同紙は、色彩豊かで活字も大きく、図解、図表や写真をふんだんに盛り込んでいるのが特徴的な新聞である。報道はリベラル寄りと評価される一方、人を見下すような論調をもち、ニュースを卑小化する傾向があると批判されることもある。 会社概要 種類 有限会社 業種 情報・通信業 設立 1906年 本社所在地 瑞京府京西区 カドラプル・シエラ カドラプル・シエラ カドラプル・シエラ(英:Quadruple Sierra, LLC)は、軍や防衛産業の顧客向けに戦術訓練支援を提供する民間軍事企業の一。会社名の由来は、旧社名であった「サイモン・ササノ・セキュリティ・サービス」において頭文字「S」 [(*1)] が4つ [(*2)] 続くことから。国防軍外国人部隊出身のマーク・F・サイモンと笹野行正によって1991年に設立された。略称は「カドラプル」や「S4(エスフォー、えすよん)」。瑞州のPMCの中でも老舗であり長い歴史と大量の人員を持つが、現在のところ不祥事の一切を起こしていないことから、瑞州政府と長期間の契約を結び続けている。またPMCにしては重装備であることでも知られ、独自の戦車部隊や輸送部隊を有する。ただし戦闘機などの航空戦力は有していないため、国防空軍の制空下にある地域での活動に留まるか、他の航空戦力を有するPMCと提携を結び共同業務に当たることとなっている。現在のところ最も提携回数が多く関係性も深いのがショーグネイト・インターナショナルである。 部隊編成 地上作戦集団(Ground Operations Group, GOG)・第1戦車中隊「スクワール」(1st Tank Company "Squirrel") 60式戦車を装備。 ・第2戦車中隊「ドラゴンフライ」(2nd Tank Company "Dragonfly") 60式戦車を装備。 ・第3戦車中隊「ゴーファー」(3rd Tank Company "Gopher") 60式戦車を装備。 ・第4仮想敵機甲中隊「グラスホッパー」(4th Aggressor Armored Company "Grasshopper") 陸軍などとの演習において仮想敵を演じる部隊。60式戦車を装備。 ・第5仮想敵機甲中隊「ウッドペッカー」(5th Aggressor Armored Company "Woodpecker") 陸軍などとの演習において仮想敵を演じる部隊。60式戦車を装備。 ・第6装甲騎兵中隊「ビートゥル」(6th Armored Cavalry Company "Beetle") 装輪装甲車などを用いる威力偵察部隊。 ・第7歩兵中隊「クオール」(7th Infantry Company "Quoll")・第8歩兵中隊「シール」(8th Infantry Company "Seal")・第9通信中隊「サオラ」(9th Signal Company "Saola") 会社独自の通信網を構築、運用する部隊。 作戦支援集団(Operations Support Group, OSG)・第11輸送隊「ブルーホエール」(11th Transportation Unit "Blue Whale") 社内の輸送業務を一手に引き受ける部隊であり、固定翼輸送機や大型トラックを擁する。C-2 蒼空などを運用する。 会社概要 種類 合同会社 業種 民間軍事会社 設立 1991年 本社所在地 薩鹿州薩鹿川内市 ギャラリー カドラプル社のZM60B。ナンバープレートが付いた状態で戦車中隊に配備される。 聞耳新聞社 聞耳新聞社 聞耳新聞社(Kikimimi Newspaper Corp.)は、は、瑞州で『聞耳新聞』を発行する新聞社の名称である。・2002年6月30日まで - 株式会社聞耳新聞社。・2002年7月1日より - 聞耳新聞グループ本社およびその傘下各社の総称。グループ本社の傘下には、聞耳新聞瑞京本社、聞耳新聞西海岸社(那橡州大俵市)および聞耳新聞東海岸社(紀山州岩照市)が存在する。聞耳新聞は合衆国最大の発行部数を誇る代表的な全国紙である。報道は保守寄り中道であるものの、政権批判が他の中道系より多いとされる。 会社概要 種類 株式会社 業種 情報・通信業 設立 1870年 本社所在地 瑞京府京東区/那橡州大俵市/紀山州岩照市 聞耳テレビ放送 聞耳テレビ放送(Kikimimi Television Broadcasting、ktb)は、1936年に開局した瑞州国内の放送局である。親会社は新聞会社の聞耳新聞社で、通称は聞耳テレビ、略称はktb。 会社概要 種類 株式会社 業種 情報・通信業 設立 1936年 本社所在地 瑞京府京東区 古藤機械製造 古藤機械製造 古藤機械製造(Koto Manufacturing Company, LLC)は、1855年に古藤三郎が設立した瑞州の銃器メーカーである。1836年に始まった古藤の銃器製造の後継企業である。古藤社は銃器の技術、生産、販売で知られ、特に1850年代から1920年代にかけては、瑞州の銃器製造業界で圧倒的な力を持ち、製造技術に決定的な影響を及ぼした企業である。古藤の初期の設計は、リボルバーの普及と、それ以前の単発式ピストルからの移行に大きな役割を果たした。創業当初の社名は「古藤特許銃器(Koto Patent Firearms)」で、1900年代初頭に「古藤銃器(Koto Firearms)」に改名。2002年に軍用銃器専門のコトー・ディフェンスと、民生用銃器専門のコトー・マニュファクチュアリング・カンパニーに分社したが、コトー・ディフェンスの業績悪化に伴い2013年に再び統合、「古藤機械製造」として再スタートを切った。 主な製品 ・94式5.56mm騎兵銃 会社概要 種類 合同会社 業種 軍需 設立 1855年 本社所在地 濃前州伊菜市 ギャラリー 同社の看板製品である94式5.56mm騎兵銃。 コロモグループ コロモグループ コロモグループ(コロモグループ、英:KOROMO Group)は、は、挙母自動織機およびコロモ自動車の自動車生産拠点とサプライヤー、ベンダー、投資関係にある企業のグループである。特定の企業がグループ全体を完全に支配していない点では系列に似ているが、多くの系列とは異なり、大手銀行は含まれていない。 会社概要 種類 企業グループ 業種 コングロマリット 設立 本社所在地 コロモ自動車 コロモ自動車(コロモじどうしゃ、英文社名:KOROMO MOTOR CORPORATION)は、参河州豐田市に本社を置く瑞州の多国籍自動車メーカーである。1937年8月28日に法人化された。コロモは世界最大級の自動車メーカーであり、年間約1,000万台の自動車を生産している。 主な製品 ・ランドクロス(LAND CROSS) 大型クロスカントリー車。 ・ランドクロスライト(LAND CROSS LIGHT) ランドクロスの派生型であり、ライトデューティ用途として位置付けられたオフロード向け車両。 ・アスウォート(ATHWART) クロスオーバーSUV。モデルチェンジのたびにボディサイズを拡大、2代目以降は普通自動車サイズとなった。 会社概要 種類 株式会社 業種 自動車 設立 1937年 本社所在地 参河州豐田市 さ行 ジェットウィングス ジェットウィングス ジェットウィングス(英:Jet Wings)は、瑞京府京北区に本社を置く航空会社。1949年12月に設立された。ジェット航空と通称される。コールサインは『JET AIR』を使用している。瑞州では全瑞旅客航空、トライスター航空と並ぶ主要な航空会社であり、「航空大手3社」と称されることがある。ジェットウィングスは、80以上の小さな航空会社の連合として1930年にスタートした。ジェットウィングスの起源となった2つの組織は、馬場航空製造と東風谷航空輸送である。両社は1929年に合併して持ち株会社の馬場・東風谷空路となった。これが1930年に事業会社化され、瑞州空路と改称された。1950年代、瑞州内戦の終結に伴う新しい法律や時勢的な郵便契約の減少で多くの航空会社が再編成を余儀なくされる中、瑞州空路は他社を出し抜いてジェットエンジン旅客機をベースとする運航体系を確立。それに伴って社名もジェットウィングスと改名された。1970年から2000年にかけて、同社は国際的な航空会社に成長した。ジェットウィングスがハブ空港として定めているのは、京笠置国際空港、薩鹿川内国際空港、鯖枝国際空港、美岬国際空港、千野空港の5つで、焦点空港としては姫治国際空港、美好国際空港、岸和田国際空港、東衛国際空港が挙げられる。保有機材・ブラウニング Br004-200LD 会社概要 種類 株式会社 業種 空運業 設立 1930年 本社所在地 瑞京府京北区 ジェネラル・テクノロジーズ ジェネラル・テクノロジーズ ジェネラル・テクノロジーズ(英:General Technologies Corporation)は、筑紫州福丘市に本社を置く重機械コングロマリットである。瑞京証券取引所上場。また、ビジネスジェットの製造会社であるハリケーンジェット社の共同運営母体のうちの一つ。航空機部門は長らく軍用機製造をおこなっていたが、1992年12月に部門を麓反田(現麓反田・松浦)へ売却。 主な製品 ジェットエンジン(GT・アビエーション)・ネ2・ネ3(ネ2改)・ネ8:F-1炎風・ネ14:A-3翔山の一部の型・ネ16:F-3震電、F-5旋風・ネ17:F-6橘花・ネ18:T-8幸鷹、T-6海鷹の一部の型・ス1:初のターボプロップエンジン・ス6:SH-5千鳥、SH-6初雁、CH-8白鷺、UH-4鵯、UH-4鵯の一部の型・ス8:C-4春空・ソ3:A-5幽山、P-6星海・ソ5:B-5暁星・ソ6:C-7/VC-7/KC-7星空、E-4星眼、C-8天空・ソ7:F-8B/D迅電、F-10征電(ソ4と並行運用)・ソ10:F/A-11A/B嶺花・ソ12:F/A-11C/D嶺花航空機・F-10 征電(麓反田・松浦社へ移管)ミサイル・AIM-3 キールバック 統合済みの企業 ジェネラル・テクノロジーズ(Gt)↑↑龍造寺航空機産業(Ra)↑↑紺谷飛行機(Ka) ↑紺藤航空機(Gd) ↑祇園製造(Gm) ↑デンダ・ライト(Dl) ↑谷山川航空機(Ta) 会社概要 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 設立 1952年 本社所在地 筑紫州福丘市 ギャラリー 国防空軍のAIM-3X空対空ミサイル。空軍州兵のF/A-10C、第154飛行隊所属機。 ハリケーンジェット ハリケーンジェット(英:Hurricane Jet)は、瑞州のビジネスジェットのメーカー、および同社製のビジネスジェットのブランド名。1999年より、防衛コングロマリットであるジェネラル・テクノロジーズの傘下となる。 主な製品 ビジネスジェット・Hj077 ビジネスジェット機。シリーズ初のターボファンエンジン搭載モデルである。国防軍や沿岸保安庁にC-6の名称で採用されている。乗客8人乗りの短距離型であったHj077と並行して、乗客6人乗りで燃料搭載量を増やし大西洋横断を可能とした長距離型Hj078も開発された。ただし多くの顧客がそれほどの航続力を必要としなかったため、製造機数は077型の方が大幅に多い。 会社概要 種類 子会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 設立 1958年 本社所在地 常陸中州下妻市 ジェネラル・テクノロジーズ・シップス ジェネラル・テクノロジーズ・シップス(英:General Technologies Ships、GTS)は、瑞州の造船会社。ジェネラル・テクノロジーズの傘下企業。主として国防海軍のために潜水艦を建造する、SSI雄鷲部門と並んで核動力艦を供給可能な企業である。部門・満津江造船所(Matsue Shipbuilding、GTS-MS) 八雲州満津江市に本社とともに所在。旧海軍時代には駆潜艇も建造していたが、1950年代から現在にかけては潜水艦のみを建造している。 ・袋尉船体組み立て・艤装工場(Hukuroi Hull-assembly/outfitting Plant、OHaoP) 遠淡海州袋尉市に所在。 主な製品 ・おろしざめ型潜水艦・あいざめ型・よろいざめ型・ながすくじら型・さんごとらざめ型・あかぼうくじら型・まだらどちざめ型・しろながすくじら型・とげかすみざめ型・ざらやもりざめ型 会社概要 種類 有限子会社 業種 造船 設立 1952年 本社所在地 八雲州満津江市 ギャラリー 国防海軍のSSN-118 ほんかすざめ。 亀山鉄工所 亀山鉄工所(かめやまてっこうじょ、Kameyama Iron Works)は三勢州を流れる錫鹿川に位置する造船所。1995年にジェネラル・テクノロジーズにより買収されたが、ジェネラル・テクノロジーズ・シップスの傘下には置かれず、ジェネラル・テクノロジーズの直接の傘下にある。少なくとも1970年代より三勢州最大の雇用主であり続けてきたが、現在はスーパーマーケットチェーンにその座を譲り渡している。1884年の創業以来、個人用・商用・軍用を問わず多くの艦船の建造・設計を行ってきた亀山鉄工所であるが、その最大顧客は新旧海軍であり、受注した艦艇としては雪風級駆逐艦、はっかい型ミサイル巡洋艦、おいかぜ型ミサイル駆逐艦シリーズなどが代表的である。 主な製品 ・はっかい型巡洋艦・とくさ型巡洋艦・おいかぜ型駆逐艦・すじぐも型駆逐艦・しらゆき型駆逐艦・いなづま型駆逐艦・はれぎり型駆逐艦・あきつゆ型駆逐艦 会社概要 種類 有限子会社 業種 造船 設立 1884年 本社所在地 三勢州身重郡 ギャラリー #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。国防海軍のDD-92 いなづま。 ショーグネイト・インターナショナル ショーグネイト・インターナショナル ショーグネイト・インターナショナル(英:Shogunate International, LLC)は、軍や防衛産業の顧客向けに戦術訓練支援を提供する民間軍事企業の一。遠淡海州御前埼国際空港を拠点とし、常陸中州の鹿嶋空軍基地にも活動拠点を持っている。ショーグネイトは、中古で購入した航空機群によって、仮想敵訓練支援、統合端末攻撃管制、近接航空支援、飛行訓練、脅威シミュレーション、電子戦支援、空中給油、研究、試験サービスを、瑞州の国防省、防衛産業、航空宇宙企業へ提供している。また、戦闘機傭兵業務も行っている。 本社のパイロットは、国防空軍、国防海軍、海兵隊のジェット機のパイロットで、これらの軍を退役した者、あるいは空軍州兵を含むこれらの軍の予備軍でパートタイムで勤務を続けている者が混在している。空軍兵器学校の卒業生と教官、海軍戦闘機兵器学校の卒業生と教官、アグレッサーパイロット、空軍連絡将校、作戦飛行隊や航空団の司令官を経験した者がこの中に含まれている。 企業名の由来は、創立者の古海政裕 [(*3)] の先祖が打ち立てた「古海幕府」から、「幕府体制が現在まで続いていた場合のエミュレート」であるという。このことから、同社が所有する航空機には「幕府空軍」と表示されている。 部隊編成 航空作戦司令部(Air-Operation Headquarters、AOHQ)・第28戦術飛行隊「ガルフ」(Tactical Squadron No.28 "Gulf") 電子戦および仮想敵任務を主任務とする飛行隊。 ・第66戦術飛行隊「グレイス」(Tactical Squadron No.66 "Grace"):F-10A戦闘機 陸上部隊への航空支援および仮想敵任務を主任務とする飛行隊。を装備。 ・第108戦術飛行隊「ホワールウィンド」(Tactical Squadron No.108 "Whirlwind") 輸送や空中給油を主任務とする飛行隊。 ・第118戦術飛行隊「マジェスティ」(Tactical Squadron No.118 "Majesty") 制空権の確保および仮想敵任務を主任務とする飛行隊。 ・第124戦術飛行隊「スパイラル」(Tactical Squadron No.124 "Spiral") 爆撃掃討を主任務とする飛行隊。 会社概要 種類 合同会社 業種 民間軍事会社 設立 不明 本社所在地 遠淡海州御前埼市 ギャラリー ショーグネイト社のF-10A。第66飛行隊に所属する機体で、黄色の識別帯が描かれている。 瑞州合衆国連邦放送 瑞州合衆国連邦放送 瑞州合衆国連邦放送(United states of Zuishu Housou、UZH)は、同国内の公共放送局である。13の連結子会社を持つ。ニュース制作に特化した子会社(UZH情報センター)を有し、プライムタイムに放送されるニュース番組に非常に力を入れている。UZHの社内規約上、国内放送および内外放送の放送番組の編集にあたっては、公安および善良な風俗を害しないこと、政治的に公平であること、報道は事実を曲げないですること、意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすることが求められている。このことから、報道傾向は中立であると評価されることが多い。 会社概要 種類 特殊法人 業種 情報・通信業 設立 1950年 本社所在地 瑞京府京西区 瑞州・タイムズ社 瑞州・タイムズ社 瑞州・タイムズ社(Zuish Times Corp.)は、は、瑞州で瑞州・タイムズを発行する新聞社である。同紙は高級日刊新聞紙であり、当初は優れた体裁が人気を集め、順調に発行部数を伸ばしたが、東西戦争後に東部に対する寛大な論調が反感を呼び、一時低迷した時期もある。その後20世紀に入ると、世界各地に取材網を張り巡らせ、瑞州を代表する高級紙としての地位を確立した。報道はリベラル系と評価されることが多い。 会社概要 種類 公開会社 業種 情報・通信業 設立 1851年 本社所在地 薩鹿州薩鹿川内市 瑞州鉄路 瑞州鉄路 瑞州鉄路、またはZRグループ(英:Zuish Railways Group、単にZRとして知られている)は、1987年に瑞州国有鉄道の資産と運営の大部分を引き継いだ7つの営利目的の株式会社から構成されている。ZRグループは、日本の鉄道網の中心に位置し、高速線を含む都市間鉄道サービスおよび通勤鉄道サービスの大部分を運営している。かつては国有鉄道であったため、日本では一般にZR路線(第三セクターとなった旧ZR線を含む)とその他の私鉄を区別しており、地図上でもZR路線とその他の私鉄を区別して表記する場合がほとんどである。ZRグループは、6つの事業会社と、鉄道サービスを提供していない他の2つの会社で構成されている。事業会社は、旅客事業者5社と貨物事業者1社で構成されている。他の企業グループとは異なり、ZRグループは独立した会社で構成されており、グループ本社や全体の経営方針を決定する持株会社はない。ZRグループの旅客鉄道は5社あり、地域ごとに分かれている。ほぼすべての業務は定められた地域内で行われているが、一部の長距離路線はその枠を越えて運行されている。例えば、磐国と惣社を結ぶ中央高速線はZR中央・ZR東海双方の車両を使用しており、それぞれの区間でそれぞれの乗務員が列車を管理している。また、瑞州貨物鉄道株式会社は、国鉄が所有していたネットワークのすべての貨物輸送サービスを運営している。さらに、グループには瑞州鉄道技術研究所と瑞州鉄道情報システムの2社がある。鉄道以外のさまざまな事業分野をカバーするため、ZRグループの各地域の事業者は、「ZR中央グループ」「ZR南瑞グループ」などの名称で、それぞれ子会社を有している。詳細は瑞州合衆国連邦の交通を参照。 会社概要 種類 株式会社/公益財団法人 業種 陸運業 設立 1987年 本社所在地 各地 全瑞旅客航空 全瑞旅客航空 全瑞旅客航空株式会社(英:All Zuish Passenger Airlines Co., Ltd.)は、静駿州静陸市に本社を置く航空会社。1958年7月に設立され、現在は国際線、国内線ともに国内最大規模を誇る。瑞州ではジェットウィングス、トライスター・エアラインと並ぶ主要な航空会社であり、「航空大手3社」と称されることがある。略称はAZA(エー・ゼット・エーまたはアザ)だが、通称の全瑞空(ぜんずいくう)で呼ばれることも多い。コールサインは『ALL ZUISH』。全瑞空のルーツは、1940年にスティーヴ・ブラウニングと宮本雅光が共同で設立した航空郵便会社、ブラウニング・エアトランスポートである。スティーヴ・ブラウニングと宮本雅光は1937年の時点で航空機製造会社であるブラウニングを設立しており、事業拡大の一環としての起業だった。ブラウニンググループは製造・運航を1グループ内で完結させようとしていたが、しかし肥大化しすぎた組織は1958年に政府の監査を受け、独占禁止法の規定によりグループは分割を勧告された。これを受けて、ブラウニング本社は航空機メーカーとしてそのまま存続するが、エンジン開発部門(宮本動力)はリパブリック・テクノロジーズとして、ブラウニング・エアトランスポートは全瑞旅客航空として分離独立した。全瑞空がハブ空港として定めているのは、京笠置国際空港、薩鹿川内国際空港、南太刀川国際空港、岸和田国際空港、菰野国際空港の5つで、焦点空港としては御前埼国際空港、八雲国際空港、筑場国際空港、姫治国際空港が挙げられる。保有機材・ブラウニング Br004-200LD 会社概要 種類 株式会社 業種 空運業 設立 1958年 本社所在地 静駿州静陸市 た行 竹友重機械工業 竹友重機械工業 竹友重機械工業株式会社(たけともじゅうきかいこうぎょう、英文社名:Taketomo Heavy Industries, Ltd.)は、造船・各種製造装置や精密機械など最先端のメカトロニクス分野の、瑞州の代表的な総合重機企業。 会社概要 種類 株式会社 業種 機械 設立 1969年 本社所在地 薩鹿州薩鹿川内市 瑞京砲兵工廠 瑞京砲兵工廠は、もともとは国営の銃火器開発施設であったが、1945年に国防省から切り離され民間企業となった軍需企業である。ズイケイ・アーモリー(Zuikei Armory)、旧瑞京国営造兵廠とも。1954年に竹友機械工業に合併され、1969年に同社が竹友重機械工業となるまで同社の一部門として存続していた。 会社概要 種類 株式子会社 業種 軍需産業 期間 1945年-1969年 本社所在地 瑞京府 ズィシック ズィシック(Zuishic)は、竹友重機械工業の子会社である、産業用ロボットなどメカトロニクス製品の製造を行うメーカーである。2009年に発表された「機械化警吏構想」に合わせ、従来竹友重機械工業本社が担当していたメカトロニクス製品部門も抱き込み、機械化警吏メーカーとして出発した。10年近くにわたる研究開発の結果、2019年にズィシック社はZ/MC-19 アークトゥルスをロールアウトした。改善点をいくつか残していたものの、それでも同機は史上初の機械化警吏として君臨し、ズィシック社の機械化警吏メーカーとしての地位を盤石なものとしたのである。 会社概要 種類 株式子会社 業種 機械 期間 2010年 本社所在地 薩鹿州薩鹿川内市 ディーフィア ディーフィア ディーフィア・テクノロジーズ(Deifia Technologies Corporation)は防衛・航空宇宙事業を展開する多国籍企業である。主な事業内容は、航空機エンジン、アビオニクス、機体、サイバーセキュリティ、ミサイル、防空システム、そして無人航空機である。航空宇宙・防衛産業を代表する巨大軍需企業であり、その収入の多くは瑞州政府の軍事予算から請け負っている。売上高・時価総額ともに国内の軍需産業でトップクラスである。1922年に真島昌志、武内一毅・菅原美津雄がZuish Appliance Companyとして創業したのがはじまりである。最初の製品は「ディーフィア」という名称の整流器で、1925年に「ディーフィア」へ社名変更する。Deifiaのうち、Deiは英語で「神」を意味する「deity」から、fiaはギリシャ語で「叡智」を意味する「sofia」から取られている。 主な製品 ミサイル・AGM-4 ダケントルルス・ARM-3 ラゲルペトン・AIM-1 アヴィミムス・AIM-2 スキウルミムス・AIM-4 サウロニオプス・AIM-5 レプトリンコス・AIM-6 モノニクス・AIM-7 デイノケイルス ・SAIM-7C コズミック・デイノケイルス・RIM-9 ジアペルタ ・ARIM-9F ジアペルタ電子機器・23式多機能レーダー 統合済みの企業 ディーフィア・テクノロジーズ(Dt)↑ディーフィア・カンパニー(Dc) ↑百塚航空機(Ha)↑リパブリック・テクノロジーズ(Rt) ↑宮本動力(Mp) 会社概要 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 設立 1922年 本社所在地 瑞京府京師区 百塚航空機 百塚航空機(Hyakutsuka Aircraft, Inc.)は百塚匡孝によって設立された航空機製造会社である。また宇宙開発の黎明期から参入し、数々の探査機や通信衛星を開発した。1997年にディーフィアに買収される。 会社概要 種類 株式子会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 期間 1908年-1997年 本社所在地 能石州輪嶋市 フォービック フォービック(FORVIC, Inc.)はディーフィアの持株子会社である。「機械化警吏(MC)」構想に乗り遅れた同社が後から立ち上げた会社であり、社名は(最終的な同社の)勝利のため(For Victory)という意味が込められている。当初はMCに内蔵されるOS開発などを請け負っていたが、独自のMC開発を志向するようになった。 主な製品 会社概要 種類 株式子会社 業種 メカトロニクス 期間 2018年 本社所在地 能石州輪嶋市 ギャラリー 瑞京府警察・第2機械化警吏中隊のF/MC-35A。 トライスター・エアライン トライスター・エアライン トライスター・エアライン(トライスター・エアライン、英語:Tristar Airlines)は、濃前州飯田市に本拠を置く航空会社。コールサインは『TRISTAR』であり、通称としてもよく使われるが、略称のTALも使われることがある。瑞州では全瑞旅客航空、ジェットウィングスと並ぶ主要な航空会社であり、「航空大手3社」と呼ばれる。「トライスター」とは三ツ星のことであり、瑞州国旗の三ツ星に因む。トライスター・エアラインの前身は1927年に設立された「三星航空」(みつぼしこうくう)であり、会社の設立としては他の主要航空会社より早い。トライスターの歴史は、ハンヤ・ダン・ダスターズ社という国内初の空中農薬散布事業から始まる。同社は1925年3月に常陸中州で設立され、1925年夏に濃前州に移転した。ゼネラルマネージャーで後のトライスターの初代CEO、増山直は地元投資家のグループと協力して同社の資産を取得することに成功した。増山は農薬散布事業から航空旅客輸送へと事業を転換することを目指し、同社は1927年12月に法人化され、「三星航空」と命名された。その後一年以内に旅客運送が開始されている。瑞州内戦時には、立地的に鹿毛川幕府軍に協力せざるを得ず、戦後処理の段階で同社は窮地に陥った。しかしライバル会社の敵対的買収や上層部に対する戦争責任の追及をうまくかわし、会社は存続した。トライスター・エアラインと改称されたのはこの頃である。2008年、トライスターは若草航空の買収を発表した。若草航空は2009年12月31日までトライスターの完全子会社として運営を続け、若草航空の運航証明書はトライスターのものに統合された。トライスターは2010年に若草航空との統合を完了し、コンピュータ予約システムおよびウェブサイトを統合、若草航空のブランドは正式に廃止された。しかしながら、若草航空の塗装がトライスター所属機に受け継がれるなど、その血脈は完全には消え去っていない。トライスターがハブ空港として定めているのは、京笠置国際空港、桂城国際空港、美好国際空港、八雲国際空港、延丘国際空港の5つで、焦点空港としては南太刀川国際空港、二本沫国際空港、御前埼国際空港、菰野国際空港が挙げられる。保有機材・ブラウニング Br004-200LD 会社概要 種類 株式会社 業種 空運業 設立 1927年 本社所在地 濃前州諏方市 な行 野代郡上飛機工業集団 野代郡上飛機工業集団 野代郡上飛機工業集団(英:Noshiro Gujo Aircraft Industry (Group) Corporation Ltd.)は、瑞州合衆国連邦の企業。合衆国の大手軍需・航空宇宙工業会社。軍需産業では、ブラウニング、六菱重工業、ジェネラル・テクノロジーズなどとともに、瑞州の主要な軍需企業である。人工衛星、戦略ミサイルなどの軍事兵器の生産を行っている。本社は瑞京府に所在。前身は野代飛機工業公司と郡上航空エンジニアリングで、1994年に2社が合併し野代郡上飛機工業集団が誕生した。 相次ぐ合併の結果、雄鷲造船所と卜部造船所の双方を傘下に置く瑞州最大の造船企業となる。しかしその後、2011年に海軍艦建造から手を引き、造船部門を分離して嶋シップスインダストリーズとして独立させるとともに、その株主となった。 主な製品 ・Nk215:大型二階建て4発旅客機 [(*4)] ・Na225:大型4発旅客機・F-8 迅風・こしの型航空母艦・きりさめ型駆逐艦・しきなみ型駆逐艦・おいかぜ型駆逐艦・すじぐも型駆逐艦・しらゆき型駆逐艦 統合済みの主な企業 野代郡上飛機工業集団(Ng)↑野代飛機工業公司(Na)↑郡上航空エンジニアリング(Ge)↑NTV(Va)↑藤重工防衛部門↑嶋造船:のちに嶋シップスインダストリーズとして再独立 会社概要 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 設立 1994年 本社所在地 瑞京府京師区 ギャラリー 国防海軍のF-8C迅風、第51飛行隊(VF-51)所属機。 嶋シップスインダストリーズ 嶋シップスインダストリーズ(Shima Ships Industries、SSI)は瑞州の造船会社。2011年3月31日に野代郡上飛機工業集団から分離独立して発足した(ただし大半の株を同社が所有)。 部門 ・雄鷲造船所(Owase Shipbuilding、SSI-OW) 国内で最大の民間造船所で、SSIの一部門である。嶋海州雄鷲市に所在する。原子力空母、原子力潜水艦およびオーバーホールを担当。国防海軍の原子力空母の設計・建造・燃料交換が行える唯一の造船所である。 ・卜部造船所(Ube Shipbuilding、SSI-US) 瑞州合衆国連邦穴門州卜部市にある造船所。1938年に創立され、現在はSSIの一部門となっている。瑞州海軍艦艇の造船請負では業界主位の座にある企業で、従業員数は1万人以上。穴門州最大の民間雇用主でもある。国防海軍及び沿岸保安庁の水上艦艇を担当。 ・鷹市工場(Takaichi Factory) 子会社・セントラルマリタイム(国防海軍における艦艇修理の主契約者)の工場で、艦艇の修理・支援を担当している。 主な製品 ・いなづま型駆逐艦・はれぎり型駆逐艦・あきつゆ型駆逐艦 会社概要 種類 株式会社 業種 造船/軍需産業 設立 2011年 本社所在地 嶋海州嶋市 ギャラリー #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。国防海軍のDD-94 あられ。 郡上航空エンジニアリング 会社概要 郡上航空エンジニアリング(英:Gujo Air Engineering)は、かつての航空機メーカー。最初の製品は海軍の水上機のためのフロートの製作であった。最初に製作した航空機も、海軍のための艦上戦闘機であった。その後はその技術の高さから数多くの軍用機や旅客機を生み出し続けるも、1994年に野代飛機工業公司と合併。 主な製品 ・Ge255:4発リアエンジン旅客機、U-2として空軍でも採用 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 期間 1929年-1994年 本社所在地 濃波州須阪市 NTV 会社概要 NTVコーポレーション(英:NTV Corporation)は、1960年から2001年まで存在した瑞州の巨大コングロマリットである。最盛期には、航空宇宙、エレクトロニクス、鉄鋼製造、スポーツ用品、食肉加工、レンタカー、医薬品などの事業を手掛けていた。1947年に天狐エレクトロニクス(Tenko Electronics Company)としてスタートし、後に成田エアロスペース、ヴァンデベルデ・エアクラフト、その他線材・電線会社や複合企業を買収して成田-天狐-ヴァンデベルデとなる。後にスポーツ用品、食肉加工、レンタカー、医薬品などの事業が売却された際にNTV Corporationとして再スタート。航空宇宙部門は野代飛機工業公司に買収され、エレクトロニクス・ミサイル部門は楼螺社(のちに麓反田・松浦)が取得していき、最終的には鉄鋼製造のみ残りNTV Steelとなり、これも2001年に同業他社に取得された。 種類 公開会社 業種 軍需産業など 期間 1960年-2001年 本社所在地 は行 ハチモンジ・インターナショナル ハチモンジ・インターナショナル ハチモンジ・インターナショナル(英:Hachimonji International, Inc.)は、電子制御システムや自動化機器を製造販売している多国籍企業。瑞州航空宇宙機構、ブラウニング、国防省に技術サービスやアビオニクスを提供している会社である。 会社概要 種類 公開会社 業種 軍需産業/制御システム/特殊素材/輸送システム 設立 1886年 本社所在地 穴門州櫻井市 ハチモンジ・エアロスペース ハチモンジ・エアロスペース(英:Hachimonji Aerospace)は航空用エンジン、アビオニクス等を生産する企業。 主な製品 ジェットエンジン・ス3:雷坂動力装置社の製品。AH-10狗鷲、UH-4鵯・ス4:同上。CH-7雲雀・ソ9:T-10雪鷹ミサイル・AIM-6 ブームスラング 会社概要 種類 子会社 業種 航空宇宙産業 設立 1999年 本社所在地 近海州彦音市 春成火器工業 春成火器工業 春成火器工業(Harunari Firearms Manufacturing Company, LLC)は、参河州豐田にある瑞州合衆国連邦の銃器・弾薬メーカーである。当初は機関銃用に開発され使用されていた12.7x99mm弾薬を使用するセミオートライフルを製造することを目的として、1982年に春成緑郎によって設立された。春成は1980年代初頭にこの作業を開始し、1982年に最初の実用ライフルが発売され、国防軍に制式化された。春成は個人ですべての部品を設計し、個人的な資金でこのライフルを販売し、大量生産した。1980年代も開発を続け、1986年には改良型となる「ZM82A」を開発した。 主な製品 ・82式12.7mm対物狙撃銃 会社概要 種類 合同会社 業種 軍需 設立 1982年 本社所在地 参河州豐田市 半田自動車技研 半田自動車技研 株式会社半田自動車技研(はんだじどうしゃぎけん、英:HANDA MOTOR R D CO.,LTD.)は、瑞京府京西区に本社を置く自動車、オートバイおよび動力装置の上場多国籍複合メーカーである。主力事業は自動車とオートバイであるが、その他に園芸用品、船舶用エンジン、パーソナルウォータークラフト、発電機などを製造している。半田は1959年以来、国内最大のオートバイ・内燃機関の世界最大のメーカーである。 主な製品 ・シビル(CIVIL) ハンダの世界戦略を担う基幹車であり、同社製乗用車の中でも最も長く同一の車名で販売されている車。 ・シビルロメオ(CIVIL-R) スポーツグレードのロメオシリーズの一つで、シビルをベースとする。 会社概要 種類 株式会社 業種 自動車業 設立 1948年 本社所在地 瑞京府京西区 常陸財閥 常陸財閥 常陸財閥(ひたちざいばつ、英:Hitachi Group.)は、常陸産業を持ち株会社とし、コンツェルン化した瑞州の財閥。創業者の名前から姫河財閥とも呼ばれる。常陸産業の傘下に、常陸鉱山(現在のHTCホールディングス)、独立した機械・銅線部門の常陸鋼鉄製造など他に、常産自動車グループを加える。 主な製品 常陸鋼鉄製造・HSS01系 会社概要 中核企業 常陸産業 別名 常陸、常財、姫河財閥 創業年 1920年 創業者 姫河駿次郎 ギャラリー 西南高速線・HSS01系。 常陸間藤工業 会社概要 常陸間藤工業株式会社(ひたちまとうこうぎょう、英:Hitachi Matou Industry, Inc.)は、常陸財閥傘下の機械部門である。元は常陸鋼鉄製造の下請けであったが、2009年の「機械化警吏」構想発表に合わせ、参入企業として優れた技術を有していた同社が選定され、ほとんど専任として同構想に参入した。常陸間藤の開発したH/MC-20 ヴェスペルは、性能的には先んじてズィシック社が開発していた機械化警吏と大差ないものの、汎用性が向上し、以後の機械化警吏の方向性(汎用性重視)を決定づけた。 種類 株式会社 業種 機械 期間 1967年 本社所在地 瑞京府京東区 藤重工 藤重工 藤重工業株式会社(英:Fuji Heavy Industries Ltd.、藤重)は、瑞州合衆国連邦の自動車・重工業メーカーである。民生用から軍事用まで広く手がける。エンジン部門では航空機用エンジンに加えて、電力用ガスタービン、航海用、鉄道用エンジンや、ロケットエンジンなども製造している。本社は瑞京府に所在。 主な製品 ジェットエンジン(フジ・アビエーション)・ネ1・ネ5・ネ7(ネ1改) 会社概要 種類 株式会社 業種 重工業 設立 1886年 本社所在地 瑞京府西山区 ブラウニング ブラウニング ブラウニング・カンパニー(英:Browning Co.)は、合衆国の航空宇宙工業会社。民間ジェット航空機のほか、軍用機、ミサイル、宇宙機器、ヘリコプターなどの製造を行う。世界最大規模の民間航空機製造メーカーであるとともに、六菱重工、ノークチ・グジョーと並ぶ瑞州有数の軍需企業。1996年にはノースズーイッシュ・ロッカクを買収し、翌年8月にはF-6やF-9の開発で知られる増村段松航空機を買収した。同社を買収したため、現在瑞州で唯一の大型旅客機メーカーとなっている。本社は静駿州清水市。 主な製品 旅客機・Br001:中型四発・Br002:小型双発・Br003:中型双発・Br004:中型双発・Br005:中型双発軍用機・B-5 暁星・KC-7 星空・E-4 星眼・EA-11E 嶺電・F-9 突風・F/A-11 嶺花ミサイル・爆弾・LGM-2 ゴンドワナティタンICBM・スタンダードボムシリーズ(AGB-4、AGB-6)電子機器・低空航法・夜間照準用赤外線指示装置(ZM/AAQ-87)・ZM/ALQ-82・ZM/ASQ-94 部門・工場 ブラウニング・パッセンジャーズ・エアライナーズ・ブラウニング 秋羽州仁賀保工場 Br003を製造。 ・ブラウニング 山防州南山防工場 Br004、Br005、E-4、E-5を製造。 ブラウニング・ディフェンスシステム・ブラウニング 紀山州橋元工場 F-9 突風、F/A-11 嶺花を製造。 ・ブラウニング 三勢州錫鹿工場・ブラウニング 埼武江州水穂工場 B-5 暁星を製造。 統合済みの企業 ブラウニング(Br)↑ノースズーイッシュ・カント(Nk) ↑北瑞州航空機産業(Nz) ↑カントインターナショナル(Ki)↑増村段松(Md) ↑増村航空機(Ma) ↑段松飛行機製造(Da) 会社概要 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 設立 1937年 本社所在地 常陸中州龍笠城市 ギャラリー ブラウニング社保有の、Br004-100、-200旅客機の試作機。国防空軍のF/B-11F、第213飛行隊所属機。 北瑞州航空機産業/ノースズーイッシュ・カント 会社概要 北瑞州航空機産業(きたずいしゅうこうくうきさんぎょう、英:North Zuish Aviation, Inc.)は、かつて存在した瑞州の航空機メーカーである。1928年に設立され、1930年代から航空機の製造を行い、瑞州軍において重要な役割を担った機体を製作した。1967年にカント・インターナショナルを吸収してノースズーイッシュ・カント(North Zuish Kanto Corporation)になった。1996年に同社はブラウニングに売却されている。 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 期間 1928年-1996年 本社所在地 那橡州那加川市 カント・インターナショナル 会社概要 カント・インターナショナル(英:Kanto International)は官渡直隆が設立した企業。官渡は1919年、トラックの車軸のための新しいベアリングシステムの発明を元に会社を興して財産を形成し、最終的にカント・インターナショナルに育て上げた。その元となった最初の会社は官渡ばね・加速装置製造(Kanto Spring and Axle Manufacture)である。その会社自身もいくつかの自動車部品業者の合併によって設立された。その後、航空機メーカーの北瑞州に吸収され、1967年にノースズーイッシュ・カント社となった。 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 期間 1919年-1966年 本社所在地 川加州古松市 増村段松 会社概要 増村段松(英:Masumura Danmatsu)は、かつて存在した瑞州の大手航空機製造会社・軍需企業。前身は増村航空機(1938年-)、段松飛行機製造(1921年-)。1997年にブラウニングに買収された。 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 期間 1967年-1997年 本社所在地 吉備作州通山市 ま行 松伊笹部軍需 松伊笹部軍需 松伊笹部軍需有限会社(Matsui Sasabe Munitions, Ltd.)は、自動拳銃、短機関銃、個人防衛火器、高精度狙撃銃、自動小銃などを製造している銃器メーカー。略称はM 。同社製品は、拳銃からグレネードランチャーまで多岐にわたる。そして、それらの製品に適合した技術、具体的にはブローバック式、ショートリコイル式、ローラー・ディレード・ブローバック式、ガス・ディレード・ブローバック式、ガスオペレーション式が必要に応じて用いられている。松伊笹部は、1949年に瑞州軍を退役した3名の技術者、戸松健、笹部雄介、松伊和哉が、退役軍人恩給の他にも安定した収入を得るために1950年に設立した。設立当初は、ミシンやその他の精密機器を製造していた。しかししばらくすると軍用火器を製造する方針に切り替えた。 会社概要 種類 有限会社 業種 軍需 設立 1950年 本社所在地 薩鹿州薩鹿川内市 ミシマ ミシマ ミシマ工業(英:Mishima Industries Ltd.)、またはミシマ技研(英:Mishima Technology Institute、MTI)は、瑞州合衆国連邦のメカトロニクス関連のメーカーである。 主な製品 ・M/MC-21 ベガ ・M/MC-21[-XXX] ベガプラス ・M/MC-21-Δ[XX] デルタ改 ・M/MC-21-Δ[S] 宇宙機動型ベガプラス ・YSIS-3V ベガ・オンシジューム ・M/MC-21X アドバンスベガ 会社概要 種類 株式会社 業種 メカトロニクス 設立 1955年 本社所在地 瑞京府西山区 ギャラリー 瑞京府警察・第1機械化警吏中隊のM/MC-21A。 六菱財閥 六菱財閥 六菱財閥(むつびしざいばつ、英:Mutsubishi Group.)は、1870年に海運業を中核として設立された商会を祖とする財閥である。商会の事業は年月と共に多角化が進んでいたが、そのほとんどは関連分野であった。船舶に必要な石炭を得るための採炭事業、使用する船舶を修理するための造船所の買収、造船所に鉄を供給するための製鉄所の設立、海運業に対応するための海上保険事業の開始など、事業拡大は多岐にわたった。その後、造船業で培った経営資源と技術力を生かし、航空機や機器の製造へと事業をさらに拡大していった。また、海外海運の経験を生かし、貿易業にも進出した。 会社概要 中核企業 六菱銀行・六菱商事・六菱重工業 別名 六菱、六財 創業年 1870年 創業者 丘崎宗太郎 六菱重工 六菱重工業株式会社(むつびしじゅうこうぎょう、英:Mutsubishi Heavy Industries, Ltd.)は、六菱グループに属する瑞州合衆国連邦の企業。その製品数は700を超え、「機械のデパート」とも呼ばれる。主力製品は船舶・エネルギー関連機器・産業機械・航空機・ロケットなど。社名は一般的に「六菱重工」とも表記される。本社は瑞京府に所在。 主な製品 ・82式重輸送戦術トラックシリーズ・05式軽装甲機動車シリーズ・53式127mm単装速射砲・68式127mm単装砲・72式127mm単装速射砲・AIM-8 メガラプトル・ASM-3 シャスタサウルス・ASM-4 グレンデリウス・ASM-5 ミクソサウルス・MSM-1/87式地対艦誘導弾 ガンダカシア・MSM-2/11式地対艦誘導弾 プロゼウグロドン 部門・工場 特殊車両事業部・参河州設樂陸軍工廠 政府所有、請負業者運営の戦車工場。1940年から稼働、1946年に国防軍に移管され、六菱重工が運営に携わるようになった。1996年に稼働停止し、跡地は民間に払い下げられた。 ・筑紫州東鵬陸軍工廠 政府所有、請負業者運営の戦車工場。1940年から稼働、1946年に国防軍に移管され、六菱重工が運営に携わるようになった。正式名称は国防省統合製造センター。 航空事業部・六菱重工 那古野航空宇宙システム工場 主に航空機や航空機内装備などを製造する。 ・六菱重工 那古野誘導推進システム工場 主にミサイルやロケット、各種エンジンなどを製造する。 会社概要 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 設立 1887年 本社所在地 瑞京府京師区 ギャラリー #ref error :画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。国防海軍の68式127mm単装砲。国防空軍のASM-4 グレンデリウス空対艦ミサイル。 六菱自動車 六菱自動車工業株式会社(むつびしじどうしゃこうぎょう、英:Mutsubishi Mortors Kabushiki Gaisha)は、薩鹿州薩鹿川内市に本社を置く多国籍自動車メーカーである。 かつて瑞州最大の産業グループであった六菱系列の一員である。元々は1970年に六菱重工業の自動車部門から発足した。商用車、バス、建設重機を製造する六菱トラック・バス株式会社は、かつて六菱自動車の傘下にあったが、現在は他社が所有し、六菱は少数の株式を継続保有している。 主な製品 ・フェンサー(FENCER) 現在は海外専売車種の普通自動車。国内では2010年まで販売された。 ・フェンサープログレッション(FENCER Progression) セダン型のスポーツカーで、車体は5ナンバーサイズセダンのフェンサーのものである。 会社概要 種類 株式会社 業種 自動車業 設立 1970年 本社所在地 薩鹿州薩鹿川内市 ギャラリー 六菱・フェンサープログレッションX。 瑞州郵船 瑞州郵船株式会社(ずいしゅうゆうせん、英:Zuish Yusen Kabushiki Gaisha)は、1885年に創立された大手海運会社である。六菱財閥の中核企業であり、六菱重工業とともに六菱グループの源流企業にあたる。コンテナ船、タンカー、ばら積み船、木材チップ船、ロールオン/ロールオフ自動車運搬船、冷凍船、LNG船、クルーズ船など約800隻の船舶を運航している。 会社概要 種類 株式会社 業種 海運業 設立 1885年 本社所在地 瑞京府京師区 ら行 麓反田・松浦 麓反田・松浦 麓反田・松浦(英:Lokutanda Matsura)は、瑞州合衆国連邦の企業。1994年3月から麓反田社と松浦社の間で、合併交渉が開始された。両社の株主総会において合併が承認され、1995年3月15日に麓反田・松浦社が誕生した。合併前の麓反田時代には、旅客機の開発も行っていたが、2012年度の決算では売上高や営業利益の大部分は戦闘機・軍用輸送機・人工衛星・ミサイルなどの国防省や瑞州航空宇宙機構からの受注契約である。2010年度の売り上げの78%は軍需である。20世紀後半以降は海軍の装備開発にも積極的に乗りだしており、アイアースシステムや各種艦載ミサイル及びそのVLS等を提供している。なお、長らく軍用機製造をおこなっていたジェネラル・テクノロジーズの航空機部門を麓反田時代の1992年12月に買収した。 主な製品 軍用機・AC-2 蒼山・C-2 蒼空・EC-2 蒼空・F-10 征電(ジェネラル・テクノロジーズ社製品を引き継ぎ)・F-12 寒風・F-13 春電・P-7 瑞海・UP-7 瑞海ミサイル・AGM-15 統合空対地長射程ミサイル 統合済みの企業 麓反田・松浦(Lm)↑麓反田株式会社(Lt)↑松浦社(Mu)↑ジェネラル・テクノロジーズ航空機部門 会社概要 種類 株式会社 業種 航空宇宙産業/軍需産業 設立 1995年 本社所在地 瑞京府京師区 ギャラリー 国防空軍のC-2E、第401飛行隊所属機。空軍州兵のF-12A、第223飛行隊所属機。 英数字 SHI SHI 株式会社SHI(エス・エイチ・アイ、英:SHI Corporation)は、尾治州尾治旭市に本社を置く、重工業を主体とする瑞州の製造会社。旧社名は埼川島日向重工業株式会社(さきかわじまひゅうがじゅうこうぎょう、Sakikawajima-Hyuga Heavy Industries Co., Ltd,)。重機などの重工業において、瑞州を代表する企業の一つ。航空機エンジン、医療機器、産業用ソフトウェア、各種センサ、鉄道機器、発電および送電機器(火力発電用ガスタービン、モーター、原子炉)など幅広い分野でビジネスを行っている。 主な製品 ジェットエンジン・ネ9:A-3翔山・ネ11:B-4蒼龍、A-2連山、SR-2祥雲、F-7疾風・ネ12:SR-3早雲・ネ13:T-6海鷹・ス2・ス9:UH-4鵯・ソ1:F-8A迅電。B/Dはソ7を使用・ソ2:B-4蒼龍の近代化型・ソ4:F-9突風、F-10征電、F-9E突風改、F-9F突風改二、F-9F突風改三・ソ8 ・ソ8改:F-12星花 会社概要 種類 株式会社 業種 重工業 設立 1995年 本社所在地 尾治州尾州旭市 Zuish Defense News Zuish Defense News Zuish Defense News(瑞州防衛ニュース、ZDN)は、防衛に係る政治、ビジネス、テクノロジーをメイントピックに置く報道機関。ZDNは、世界中の軍、政府、業界の上級意思決定者を主な顧客としてサービスを提供しているが、一般市民も記事の購読は可能である。運営元はZuish Defense News Media Group。この運営会社は、元はWide-Visibility Media Groupの一部であった。ZDN関連の出版物は合衆国の主要な国防に関する出版物であり、公式報告書や議会の証言でしばしば引用されている。ZDNは主に公式ウェブサイトの記事と各種雑誌で構成されており、ウェブサイトは会員登録をしなくても無料で記事が読める。また、発光される雑誌の種類は以下の通り。・Zuish Defence News:本誌。月刊。(別冊)・国防軍通信:不定期(年1~2回)。主に瑞州国防軍の活動について記載。・防衛研究:年4回発刊(季刊)。本誌より、より専門的な内容の記事や論文を掲載。本職の顧客向け。・アーミー・ツァイトシュリフト・ネイビー・ツァイトシュリフト・エアフォース・ツァイトシュリフト:それぞれ陸海空に特化した専門雑誌。年6回発刊(隔月刊)。ツァイトシュリフト系統は、かつてはそれぞれ別の零細出版社から発行されていたものを買収し、ZDN傘下として改名・再編したものであるが、他の出版社がなかなか軍事業界に参入しないため、ZDN系列の雑誌のシェアは圧倒的なものとなっており、一部からは独占禁止法違反ではないかという批判の声も上がっている。また、これらが取り扱う内容は以下の通り。・防衛政策、政治、法律・世界的な市場開発とトレンド・新製品、技術、プログラム・防衛指導者へのインタビュー・防衛産業計画、財政および開発・軍事予算と防衛の政治・解説と分析・防衛技術、地域活動、主要プログラムに関する特別報告・軍事予算と防衛に係る政治 会社概要 種類 合同会社 業種 情報・通信業 設立 1986年 本社所在地 瑞京府京西区
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瑞州合衆国連邦の歴史 (ずいしゅうがっしゅうこくれんぽうのれきし)では、瑞州合衆国連邦の歴史について述べる。 瑞州の黎明期 丹朝八洲 東西朝時代 東丹朝八洲・西丹朝八洲 五朝夷戎 潘朝八洲 潘朝継承戦争 柴朝八洲 濃尾の乱 南北朝時代 単朝弖南 八重尾朝瑞洲 嶺山の陣 沢谷合戦 封建制 豊川幕府 小井戸朝井 保坂朝井 御宿朝瑞洲 笠置幕府 前史 前期笠置時代 中期笠置時代 後期笠置時代 共和制への移行 東西戦争 開戦 西部戦線 東部戦線 終戦 帝国主義 瑞州内戦 瑞州の黎明期 古くから倭語→日本語を使用してきた。 約1万2千年前の氷河期の終わり頃、瑞州の地には、日本列島から島伝いに太平洋を渡って東進してきた日本人の1グループ( 先瑞洲人 )がいた。彼らは大型哺乳動物や中・小型哺乳動物を狩猟対象とし生活していた。大型の哺乳動物は季節によって広範囲に移動を繰り返すので、それを追って彼らもキャンプ生活を営みながら、頻繁に移動を繰り返していた( 狩猟時代 )。しかし紀元前8世紀ごろ、彼らは鉄器の製造を軸として力を蓄え、移住生活でなくても定住で生活が可能な生活にシフトしていった。その中で、血縁関係にある者たちが集まって「村」を作り、やがてはほかの村と争って支配下に加えることが多くなった(鉄器時代)。また、紀元前5世紀から6世紀頃、中国大陸から渡来してきたグループが漢字を伝えたため、土器~鉄器時代の記録を漢文を用いて後世に残している。また、中国大陸や日本列島からやって来る者は多く、漢字や瑞州語(日本語)は中国本土や日本列島と同等の進化を遂げることとなった。これは 渡洋文明 と呼ばれる。 しかし、村が巨大化するにつれて、住人の統率は難しくなっていったようで、ついには同じ村・民族同士でも争ってしまうような時代に突入した(紀元前2世紀頃)。ここで勝利した者を頂点として、その者が指導する「洲(読みはクニ)」と呼ばれる地域的政治集団が徐々に各地に形成されていった。 1世紀・2世紀前後に各洲が抗争を繰り返し、各地に地域的連合国家を形成した。中でも、8つの洲で構成される八洲政権が最も有力であり、これが王朝に発展したとする説が有力である。3世紀ごろに、八洲政権の首長(王)は豪族(地方首長)を従えて統一国家建設を進めた。この時期に、瑞州語を操り、瑞州地域の中央辺りに住む 八洲人 としての自覚が次第に芽生えたとされる。 丹朝八洲 丹朝 Tan dynasty 首都 豊都(遠淡海州豊比市)丹城(尾治州扶桑市) 公用語 古瑞州語 皇帝 225年 - 261年 黎文斌(開世帝) 298年 - 299年 幽縦帝 建国 225年 別称 丹、大丹、古瑞洲 国姓 黎 丹朝の始まりは黎文斌である。彼は八洲政権を構成していた8つの洲(黎洲、季洲、吽洲、沙洲、潘洲、駿洲、信洲、陸洲)を支配していた豪族全ての血を引く人物であり、豪族たちの合議により八洲政権の首長となった。これより以前は八洲政権は豪族たちの合議により政治が為されていたが、黎春光以後は彼の血筋の者が首長として政治を執り行うようになった。二代目の黎雅嘉は「八洲」の国号、「王」号に代わる「皇帝」号を設定した。これは対外的な権威付けであると考えられる。この後、黎文斌には開世帝の諡号が贈られた。 丹の王朝名は黎文斌の出身地である黎洲丹羽郡にちなむ。これは現在の尾治州扶桑市に相当する。 丹朝は地方豪族と中央の王(黎氏)による緩やかな連合体であったため、支配地域は現在の北西地方や中央地方の一部に限られ、全国的な統一政権とはならなかった。瑞州南東部にはテオティワカン文明やオルメカ文明、マヤ文明の勢力がおり、彼らは弖南(てなん)、織売(おるめ)、合罕(かあん)の王朝を創始して丹朝に対抗した。また瑞州北西部には遊牧民族であるチチメカ族(玄鷲、げんしゅう)がおり、これも丹朝に対抗した。沖思帝の時代には南部の潘洲や沙洲が陥落し弖南の攻勢にさらされたため、豊都から丹城に遷都されている。丹城が選ばれた理由は、かつて黎洲の都であったからである。 八洲政権→丹朝 黎文斌(開世帝、225~261):各州の抗争を鎮圧し、丹朝を打ち立てた建国者である。 黎雅嘉(定道帝、261~284) 沖思帝(284~295) 礼熙帝(295~298):乙卯の乱(295~299)により実弟の幽縦帝に王位を追われてしまう。 幽縦帝(298~299):乙卯の乱(295~299)により実兄から王位を奪うものの、後に礼熙帝に敗北し、地方へ落ち延びる。 東西朝時代 乙卯の乱により皇帝を名乗る者が二人出現し、それぞれが国を東西に二分(東丹朝、西丹朝)したため、東西朝時代と呼ばれる。 東丹朝八洲・西丹朝八洲 東丹朝 Totan dynasty 首都 豊都(参河州豊橋市) 公用語 古瑞州語 皇帝 299年 - 300年 幽縦帝 建国 299年 別称 東丹、東洲 国姓 黎 西丹朝 Seitan dynasty 首都 丹城(尾治州扶桑市) 公用語 古瑞州語 皇帝 299年 - 321年 礼熙帝 建国 299年 別称 西丹、西洲 国姓 黎 乙卯の乱で敗走した幽縦帝はかつての丹の都である豊都に辿り着き、ここを本拠地として礼熙帝の軍に対抗した。勢力に劣る幽縦帝は圧政を敷き民衆からの反感を買ったが、弖南や織売、合罕の三国に贈り物をするなどの懐柔策を用い、後顧の憂いを断った(蛮丹の盟)。しかしながら305年、その圧政についに民衆の不満が爆発し、豊都の乱で幽縦帝やその長男は殺害され、後継者争いの火種となるのを避けるために幽閉されていた次男が帝位を継いだ。これが文賢帝である。文賢帝やその息子の凱介帝は善政を敷き、国を安定化させた。 一方西丹は、礼熙帝も誠崇帝も最初から善政を敷いていた。しかし霊繆帝は暗愚であり、放蕩生活に溺れた末、341年には玄鷲との戦いに敗れて戦死した。残された哀懐帝はまだ10歳と幼く、東丹の首脳部は西丹に和平交渉を持ちかけるも断られた。翌342年、ついに東丹が西進を開始し、丹城はあっけなく陥落して西丹は滅亡した。この際、礼熙帝統の皇族は皆殺しにされた。 こうして東丹は悲願の両朝統一を成し遂げたが、北西部には未だ玄鷲の勢力が残っており、凱介帝自身も345年に勢力争いに巻き込まれ暗殺されてしまい、統一期間はたった3年で終わった。 東丹 幽縦帝(299~305):東丹(幽縦帝統)の祖。 文賢帝(305~321) 凱介帝(337~345) 西丹 礼熙帝(299~321):西丹(礼熙帝統)の祖。 誠崇帝(321~337) 霊繆帝(337~341) 哀懐帝(341~342) 五朝夷戎 東丹が勢力争いで凋落すると、各地の有力者たちが活気づいて地方国家が分立した。玄鷲は、東丹の滅亡と時を同じくして西部に勢力を持つ鷲戎(じゅじゅう)、北東部に勢力を持つの玄夷(げんい)の二つに分裂し、またそれぞれが次第に八洲人と同化していった。南では特に力を持った五朝が分立し、北では鷲戎と玄夷が勢力を持っていた時代を、東西朝時代の中でも特に 五朝夷戎時代 と呼ぶ。なお、弖南や織売、合罕の南東部三国は南蛮と呼ばれ、東五朝の内に入らない。 東五朝、およびその従属国家 国名 姓氏 領地 備考 先衛(せんえい) 白姓衛氏 静駿州の一部、重賀州の一部、紀山州の一部 後の「衛」と区別するため先を付けて呼ばれる。 白姜(はくきょう) 姜氏 先衛に従属 鄭(てい) 鄭氏 先衛に従属 朱参(しゅさん) 朱姓洪氏 遠淡海州南部、近海州の大半 蔡栄(さいえい) 隗姓蔡氏 朱参に従属 南宮(なんきゅう) 南宮姓 朱参に従属 朱単(しゅぜん) 朱姓 朱参に従属 梁崗(りょうこう) 梁姓馮氏 梁丹(りょうたん) 黎姓 遠淡海州豊比市一帯 梁崗の保護下 大武(たいぶ) 武氏 尾治州大武市一帯 梁崗に従属 林紫(りんし) 万俟姓公氏 西鄭(せいてい) 蒲姓鄭氏 林紫に従属 季潘(きばん) 季姓潘氏 林紫に従属 暁北(ぎょうほく) 許姓江氏 曾師(ぞうし) 戎姓師氏 暁北に従属。元は鷲戎族貴族 龍浦(りゅうほ) 戎姓龍氏 暁北に従属。元は鷲戎族貴族 玄石(げんごく) 玄姓石氏 暁北に従属。元は玄夷族貴族 鍾諏(しょうしゅ) 鍾氏 暁北に従属 西朝 国名 氏族 領地 備考 木曾(きそ) 鷲戎族 中濃州木曾市一帯 東朝文化に迎合した鷲戎系貴族が八洲人化して建てた国家。 鳴波(めいば) 玄夷族 波島州一帯 東朝文化に迎合した玄夷系貴族が八洲人化して建てた国家。 潘朝八洲 潘朝 Pan dynasty 首都 豊都(参河州豊橋市) 公用語 古瑞州語 皇帝 408年 - 413年 潘国亮(雍宣帝) 471年 - 499年 孝哲帝 建国 406年 別称 潘、大潘、古瑞洲 国姓 潘 潘氏のルーツは玄夷族の地方貴族にまで遡るとされ、明確に記録上に現れるのは五代目とされる潘雲紀からである。鳴波国において、潘雲紀は軍の武将としての扱いを受けていたが、同時に野心高い人物でもあったようで、巧みな謀略を駆使してついには鳴波皇族の外戚にまで上り詰めた。その後彼は敵対勢力の放った刺客に暗殺されるも、その息子である潘国亮もやはり野心高く、鳴波に反旗を翻して独立。400年に潘の建国を宣言し、その二年後には鳴波を滅ぼした。 この新興勢力に対し五朝や木曾は警戒の色を強め、藍帆などによる連衡策(五朝および木曾を横に束ね、北の脅威である潘に対抗する)などが提唱された。一時は対潘大同盟が結成される事態となり潘は窮地に陥るも、潘国亮は宰相・胡又儒が提唱した合従策(潘と五朝・木曾で個別に同盟を結び、縦に連結する)を取り入れ、ピンチを乗り切った。その後潘国亮は国家を挙げて南下を開始し、五朝の一つである梁崗の保護下にあった丹朝の末裔国家・梁丹国および豊都を支配下に置くと、丹朝皇族家の末代である黎宜雅から禅譲を受けて雍宣帝として即位した。これを以って 潘朝八洲 が成立したと見なされるが、かつての丹朝の支配領域を再統一するまではこの後も数年掛かっている。 成立当時の八洲政権や丹朝、そして潘朝の支配地域は、現代瑞州の全域に及ぶものでなく、北西や南東などはまだ領域外だった。しかし南東の弖南や織売に対しては、紀元5世紀頃に潘朝による征服がなされ、支配下となった。特に5世紀前半は、北米・南米遠征も計画され、実際に侵攻が行われる(北狄・南蛮征伐)など帝国としての対外志向が強まった時期だが、5世紀中盤に入り、こうした動きも沈静化した。 八洲は5世紀前半から中華の法体系・社会制度を急速に摂取し、古代の中央集権国家としての完成を見た。 一方で、八洲は潘朝の統治下で安定したかのように思われたが、第三代皇帝である孝哲帝が後継者を決めないまま厠で急死したために、各地の領主たちが自らに都合の良い皇族を担ぎ上げて皇帝に推挙するお家騒動が勃発。やがては武力抗争にまで発展し、 潘朝継承戦争 が始まる。 潘朝継承戦争 後継者として有力と見られていたのは孝哲帝の弟である潘博然であり、博然のもとには豪氏や郭氏といった氏族が集まっていた。しかし豪氏と並ぶ有力氏族である秦氏は孝哲帝の外戚である黄鵬を推薦し、意見を異とした両勢力は武力に訴えた。 当初こそ潘博然の側が優勢であったが、450年に彼が急死(急性アルコール中毒と言われる)すると、その勢いは衰えた。翌年に黄鵬は即位を宣言したが、国号を「黄」に変え、継承戦争に功績のあった諸侯に封土を与えた上で、丹朝のような合議体による理想政治を目指したため、中央集権を理想とする秦氏の造反を招いた。このため、黄鵬は潘朝の皇帝と見做されていない。 一方で、孝哲帝の第二皇子である潘江春は、鎮北将軍として八洲北部防衛の任に当たっており、懐柔のために鷲戎族の貴族の娘と結婚し、姓を柴に変えていた。継承戦争勃発直後は北走した木曾国の残党(北曾)と戦っており、候補として名前を挙げられることはあっても、とても後継者争いに口を出せる状況ではなかった。459年に彼が戦死した後も嫡子の柴子良が引き続き任務に当たっていたが、467年に玄夷を鎮圧すると、黄鵬や秦氏に反発する豪氏や郭氏から皇帝候補として担ぎ出され、継承戦争に参戦した。 潘朝八洲 潘国亮(雍宣帝、408~413):東朝文化に迎合した玄夷系貴族が八洲人化した氏族の出身とされる。 粛武帝(413~437):南方や北方の異民族を攻め滅ぼしたり屈服させる。 孝哲帝(437~445):後継者を決めないまま急死した。 柴朝八洲 柴朝 Sai dynasty 首都 中城(常陸中州荊城市) 公用語 古瑞州語 皇帝 471年 - 480年 柴子良(明寧帝) 608年 - 610年 孝哲帝 建国 551年 別称 柴、大柴、古瑞洲 国姓 柴 継承戦争を終結させた柴子良は、潘朝が首都としていた豊都に入京すると、471年に即位した。 これまでの王朝である黎や潘は中華に大きく影響を受けた統治システムや社会文化であったのが、柴の翼公帝が即位した頃から次第に中華文化との剥離が著しいものとなり、人名なども瑞州独自のものとなっていった。 濃尾の乱 六代目皇帝・干虚帝は非常に愚鈍で好色な皇帝であったと伝えられる。国中の美女を集めては王宮で侍らせており、臣下に讒言する者があれば自ら手討ちにするか、そうでなければ無実の罪を着せて処刑するなど、恐怖政治を敷いた。一方で対外戦争に関しては「天賦の才」を発揮したとされ、潘朝継承戦争にどさくさに紛れて八洲支配下から独立していた弖南や織売に侵攻、これを支配領域に取り戻した。戦後の論功行賞により封土を加増された地方豪族も多くいたため、臣下の間では不満こそ溜まっていったが、それが大爆発を起こすような事態にはならなかった。 しかし、干虚帝が崩御し次男の元章帝が即位すると事態は一変した。元章帝の異母兄で長男の柴道成は、父の干虚帝に讒言したことと、母の身分が低いことで皇位継承順では下位に位置していたが、長幼の序を理屈として自身が皇帝になるべきと主張。それに賛同する名門の衛氏(尾治)や真浦氏(信濃)などを中心とする諸侯と共に蜂起し、609年2月に 濃尾の乱 が勃発した。 また、元章帝は父親の政治を反省し、荒廃した国内を立て直すために中央集権化を推し進めようとしていたのだが、その中に「諸侯の封土削減・皇帝直轄領の増加」という政策が含まれていたため、諸侯たちが反発したのも乱の原因であった。これらの政策は一般庶民たちからは支持を得たものの、諸侯たちにとっては不愉快なものであったのだ。 609年12月7日、柴軍は道成軍を急襲し、総大将の道成を殺害する(飯田の戦い)。しかし諸侯たちは新たに、衛氏の当主である衛士門を総大将とし、再び柴軍に挑んだ。戦上手として知られた衛士門の指揮に、柴軍は敗北を重ね、610年10月24日には鹿児島の戦いで柴軍が殲滅され、元章帝は戦死。残された皇族たちも捕縛・処刑され、ここに柴朝は滅亡した。 仲朝八洲 柴子良(明寧帝、471~480) 翼公帝(480~497) 和厚帝(497~508) 礼理帝(508~539) 安高帝(539~572) 干虚帝(572~577):悪政により求心力を失う。 元章帝(577~610):治世の末期に濃尾の乱が発生、衛氏・真浦氏連合軍に敗北し、殺害される。ここに柴朝は滅亡する。 南北朝時代 柴朝が滅亡した後、濃尾の乱で連合を組んだ衛士門・真浦秀志は反目し合い、それぞれが独自に王家の創立を宣言する。611年、衛氏と真浦氏の対立は武力衝突に発展し、庄内川の戦いで真浦軍が衛軍を撃破、衛氏は本拠地であった尾治を失い、南方に逃れることとなる。これを以て真浦氏の建てた北朝(津朝とも)と、衛氏の建てた南朝(衛朝とも)が並立する南北朝時代の始まりであるとする説が一般的である。 真浦氏・衛氏による南北朝並立の時代は30年足らずで終了した。後衛は本拠地や従属していた異民族の領域を失っても、他の氏族と結んだ婚姻関係を軸に良好な統治を行ったのに対し、津の統治は上手く行くことがなく、二代目の皇帝・真浦俊直の死後にさらに十三国に分離した。 南北朝時代 国名 姓氏 領地 備考 後衛 (こうえい) 白姓衛氏 瑞州南部 前の「衛」と区別するため後を付けて呼ばれる。南朝衛とも。 津 (しん) 海姓真浦氏 瑞州北部 海津、大津とも呼ばれる。 八代 (やつしろ) 南宮姓全氏 梨甲州 北朝十三国の一つ。 武江 (ぶこう) 隗姓播野氏 那橡州、埼武江州、神相州 北朝十三国の一つ。 周芳 (しゅうほう) 周姓齋氏 山防州 北朝十三国の一つ。「すわ」とも。 羽州 (うしゅう) 秋姓 秋羽州 北朝十三国の一つ。 楠成 (なんじょう) 成姓鄭氏 濃波州、林播州 北朝十三国の一つ。 常陸(ひたち) 成姓鄭氏 常陸中州、能石州、嶺狭州 通常北朝十三国とは数えられない。のちに鄭橘、嶺に分裂する。 鄭橘 (ていきつ) 成姓鄭氏 常陸中州 北朝十三国の一つ。 嶺 (れい) 干氏 能石州、嶺狭州、波島州 北朝十三国の一つ。 対島 (つしま) 朱姓 岩陸州 北朝十三国の一つ。 武遠 (ぶえん) 武姓杜氏 中濃州、濃前州 北朝十三国の一つ。 高 (こう) 高姓 三勢州、嶋海州 北朝十三国の一つ。 板 (ばん) 板姓城氏 重賀州 北朝十三国の一つ。 淡海 (あわうみ) 冷姓木菱氏 尾治州、遠淡海州、近海州 北朝十三国の一つ。 紀州 (きしゅう) 井姓 紀山州、静駿州 北朝十三国の一つ。 単朝弖南 単朝 Zen dynasty 首都 岡山(吉備作州岡山市) 公用語 弖南語上代瑞州語 皇帝 610年 - 654年 単富賢(忠壮帝) 737年 - 740年 慎舒帝 建国 551年 別称 単、弖南 国姓 単 柴は対外戦争で領土を拡大し、南蛮と呼ばれていた異民族である弖南や織売を従属させ、各地域に督部を置いて彼らを支配していた。しかし濃尾の乱の混乱で、支配地域に置かれていた督部の権力も次第に減衰していた。609年末、備州の弖南族・羅國辰が蜂起し、備州督部を攻め滅ぼすと、弖南国家の再建を宣言した。しかし羅國辰は未だ若く、後継ぎもないままに、翌年正月の酒の席で急死する(死因は急性アルコール中毒とみられる)。困り切った弖南の各族長たちは、羅國辰の従兄であり、勇将の誉れ高かった単富賢を擁立し、皇帝に即位させた。これを以って 単朝 が始まったとみられる。 富賢は国力を温存するために、向かってくる敵には対処するものの、南北朝の争乱で混乱していた八洲への介入は避けていた。また同盟や契約を駆使し、北朝十三国のどれかに力を貸すなどの方針を以って力を伸ばし、次代の誠崇帝の時代、670年代前半には織売や合罕も糾合して一大勢力となっていた。社会基盤も整い、期は熟したと判断した三代目の彭強帝は八洲への侵攻を開始。721年までには南北朝全ての領域が単朝の支配下に入り、八洲は初めて異民族により統一された。 しかしながら八洲人の反抗も根強く、単朝の支配も安定しなかった。729年に八洲人官僚である許政宏と趙義憲が許趙の乱を引き起こすと、仁容帝は武勇で知られ単に忠誠を誓っていた八重尾伸隆を鎮圧に派遣した。一旦は反乱の鎮圧に成功するものの、732年に今度は伸隆が反乱を起こし(単勢戦争)、有効な対処策も見つからないままに単の支配領域はみるみる削り取られ、740年に首都の岡山が陥落。幼少の慎舒帝は行方不明となり、ここに単は滅亡した。 八重尾朝瑞洲 八重尾朝 Yaeo dynasty 首都 鈴鹿(三勢州鈴鹿市) 公用語 瑞州語 皇帝 740年 - 749年 八重尾伸隆 813年 - 839年 八重尾忠隆 建国 740年 別称 瑞洲 国姓 八重尾 北朝十三国の一つ・高の重臣で、数多くの周辺諸国との戦争で武勇を轟かせていた八重尾伸隆は、主君である高一輝の愚鈍を理由に飯高崩れを引き起こす(724年)。一輝は就寝中に襲撃、暗殺された。大河内氏は一輝に嫡子がいなかったため廃絶となり、また裏工作により高の家臣たちの支持も集めた伸隆は高の実権を握った。伸隆は総合的に判断した結果、急速に力を伸ばしてきた単へ歯向かうことは得策ではないと判断し、単へ帰順した。その結果、仁容帝にその武勇の才を見込まれ、伸隆は単の重臣として召し抱えられた。 729年に八洲人官僚である許政宏と趙義憲が許趙の乱を引き起こすと、仁容帝は伸隆を鎮圧に派遣した。許軍や趙軍に対する二方面作戦を強いられ苦戦するものの、伸隆は一旦は反乱の鎮圧に成功する。しかし単の支配能力の低下や腐敗を見て取った伸隆は、今度は自分が単に反旗を翻した(単勢戦争)。八重尾叛逆の報に、仁容帝は驚きのあまり吐血、失神し、そのまま崩御した。次代の逸淵帝は、戦上手で知られる伸隆に対し有効策を取ることができず、瞬く間に支配地域を失っていった。本人も737年に崩御、後を幼子の慎舒帝が継いだものの、単重臣たちにそれを守り立てて単の支配を復活させる力はもう残っていなかった。 740年に単の首都である岡山を攻め落とした伸隆は、皇帝の座に就き(八重尾戴冠)、国号を改称して 八重尾朝瑞洲 帝国を新しく開いた。首都は鈴鹿(三勢州)。「瑞」、つまり天が善政に感じてくだす、めでたいしるしへの期待と、「洲」、多くの「洲(クニ)」が連帯して開かれた王朝であることを示すためにこの国号を設定したと考えられる。またこの頃になると「諡号」の伝統が消失し、皇帝名は「本人の名+帝」で表記されるようになっていった。この時読み方としては、名の部分が全て音読みで読むことが非常に多い(例:八重尾伸隆(やえおのぶたか)→伸隆帝(しんりゅうてい))。 即位後、伸隆帝は次なる標的を、許趙の乱や単勢戦争のどさくさに乗じて独立した小国家群を標的を定めたものの、八重尾朝の勢いを既に知っていた数か国はすぐに降伏した。伸隆帝は戦場での苛烈さや野心の高さ、計算高さとは対照的に、配下に対しては慈悲深い人物でもあり、投降した君主家である城氏と木菱氏らを家臣団に加え入れている。降伏したいずれの主君筋も伸隆帝は厚遇したことから、家臣団の結束力はより強いものとなった。そしてこれは八重尾朝の政権運営の原動力となった他、八重尾朝の重臣格の家は貴族となり、現在でも存続しているような名家となった。しかしながら、降伏を拒んだ国に対しては、伸隆帝は徹底的な制圧戦を展開した。 747年に鄭橘、武遠を滅ぼした伸隆帝は、高くそびえたつ山々に囲まれうかつに手出しのできない後嶺と、未だ統一のされていない北半島地域を天秤にかけ、748年に半島征伐を決意。総動員した船上戦力と、半島の付け根にある梨甲地域を支配する八代を攻め落としてからなだれ込む地上戦力の二軍を分けた伸隆帝は勝利を確信していた。しかし、菊多沖海戦の勝利の報に喜んだのもつかの間、自らも山々に囲まれて飛び出てくることはないだろうと踏んでいた後嶺が侵攻を開始し、波島地方を占拠したという急報が届いた。波島は首都の鈴鹿の目と鼻の先であり、しばし逡巡した伸隆帝は、船上戦力を引き戻して嶺へ急行させるも、749年に後嶺軍と向かい合った御嶽山の陣中にて、風邪をこじらせて没してしまう。遺言通りに帝位と家督を相続した嫡子の芳隆帝は対嶺戦の続行を指示しつつ、八代方面軍の指揮官の真方頼実に和睦を指示。ひとまず北半島への戦役は中止され、帝国は後嶺との戦争に全力を投入することとなる。 嶺山の陣 750年、帝国軍上層部( 幕府 と称される)は集結しつつある全軍を三手に分け、山防方面から嶺狭を攻撃する嶺狭方面軍、常陸中や濃前方面から能石を攻撃する能石方面軍、重賀や三勢方面から波島を攻撃する波島方面軍が編制された。それぞれの方面軍大将には鎮北将軍、鎮西将軍、鎮東将軍の位が与えられ、右藤吉胤・藪上邦茂・衛昌晃の三人が将軍職を拝命した。また、内政統治に忙しい皇帝に代わり、継続して集中的に全軍を指揮できる階位として 征夷大将軍 の位が新設され、大鳥井重輝が大将軍位に就いた。征夷大将軍は幕府のトップであり、軍政・軍略面に関して非常に大きな権限を有していた。 同年十二月、にらみ合いを破り、帝国軍が嶺の勢力範囲に進出するも、後嶺軍は地の利を最大に活かしてこれらを撃退。何度目かの侵攻失敗に際し、一度鈴鹿に帰っていた芳隆から(激励のつもりで)視察を行うという報告を受けた重輝は、皇帝の到着までになんとかして後嶺を攻め滅ぼさないといけないと焦り始め、ついには自身が陣頭指揮を執ると宣言。機動力を重視し、重装備で移動速度の遅い近衛兵の護衛を付けずに出撃するも、後嶺軍伏兵の挟撃に遭い討ち死にを遂げる。後任には木菱宜之が着任した。 木菱はこの時数え年で76歳という高齢であったが、十三国時代を淡海の王として生き抜いてきたその老練的な手腕は衰えを知らず、的確に軍を動かすことで後嶺軍を徐々に後退させた。752年4月、能石を制圧したことで嶺狭・波島で後嶺が分断されてしまい、「帝国内での自治を認めてくれないなら戦うまで」という消極的主戦論を唱える嶺狭の後嶺( 西嶺 )と「帝国の首都・鈴鹿のある三勢まであと少し、攻め込めば勝てる」という積極的主戦論を唱える波島の嶺( 東嶺 )の二つに分かれた。東嶺がこのような主張をしたのは、東嶺の成り立ちとして、もともとは開戦時に嶺本土から出撃して波島を占拠した遠征軍が主体となって統治する軍事国家であったからで、冷静な判断を下せず血の気が盛んだったことによる。東嶺はもとより、瑞洲の中央政権による統一を目指す芳隆としては西嶺の主張も受け入れるわけにはいかず、結局は二つを相手にし戦うこととなってしまった。翌年、三勢から出撃した皇帝近衛軍と鎮東将軍の軍勢の挟撃にあい東嶺は滅亡。残る西嶺もよく抵抗したものの、760年までには降伏した。 8世紀から9世紀にかけて、戦乱に巻き込まれた地方豪族や有力農民は、勢力の維持・拡大を図り、武装するようになった。彼らはしばしば各地で紛争を起こすようになり、政府は制圧のために中下級の貴族(公家と呼ばれる)を押領使や追捕使に任じて、各地に派遣したが、中には在庁官人となってそのまま定着するものも現れるようになった。これが武士の起こりである。武士は家子や郎党を率いて戦を繰り返したが、やがて連合体である武士団へと成長した。中でも中央貴族の系譜を引く平沢氏と熊谷氏は、軍事貴族である武家となって、武士を二分する勢力に成長した。また、武士団の成長に伴い、本来は戦時にのみ設置される最高司令部である幕府が常設となり、そして軍事だけではなく政治にも干渉するようになる。 八重尾朝瑞洲 八重尾伸隆(740~749) 八重尾芳隆(750~758) 八重尾正隆(759~774) 八重尾憲隆(775~812) 八重尾忠隆(813~839) 八重尾朝の幕府 征夷大将軍を最高指揮官とする、帝国軍の最高司令部。748年、八重尾伸隆による第一次北半島戦役の直前の軍制改革によって制度化された。外征時に設置される外征型幕府と、文官(公家)からの出向者が構成人員の多数を占め、平常時の軍政・軍略を司る近衛型幕府の二つに類別される。当初は外征型幕府が非常時に設置されていたが、次第に外征型幕府は常設組織となり、そして近衛型幕府へとシフトしていった。 大鳥居幕府(748~750、外征型):半島征伐のために開かれた司令部で、当初の最高指揮官は鎮西将軍であった。嶺山の陣での制度の変更により、最高指揮官は征夷大将軍となった。 大鳥井重輝(748~750) 木菱幕府(751~762、外征型):大鳥居重輝の討死後、大鳥居家には征夷大将軍になれる人材がいなかったため、後任として着任した木菱宜之によって開かれた。 木菱宜之(751~753) 木菱克之(754~762):西大嶺の降伏後、戦後処理および東大嶺残党の討伐も担当。 木菱頼之(763~774):主君の死に伴って殉死。 木菱輝之(775~780) 第一次奥谷幕府(781~790、近衛型) 奥谷義光(781~785) 奥谷英光(786~790) 神戸幕府(791~793、近衛型):793年、久間田の変によってクーデター計画が発覚。幕府構成人員全員が厳罰を受ける。 神戸克利(791~793):クーデター計画発覚後、八重尾憲隆によって謀殺される。また、神戸氏は族滅となった。 第二次奥谷幕府(794~810、近衛型) 奥谷忠光(794~802) 奥谷儀光(803~810) 平沢幕府(811~825、近衛型):平沢氏は元をたどれば名門・城氏の分家である。 平沢清彦(811~816) 平沢裕彦(817~822) 平沢重彦(823~825) 熊谷幕府(826~839、近衛型→外征型):熊谷氏も元をたどれば名門・衛氏の分家であり、また皇帝家である八重尾氏の血も入っていた。 熊谷博秋(826~829) 熊谷頼秋(830~839) 沢谷合戦 沢谷合戦期(たくこくがっせんき)とは、武家の二強として成長した平沢氏と熊谷氏による対立、戦乱の時代である。八重尾朝の皇帝・忠隆帝が後継者決めに腐心している最中に亡くなってしまったため、忠隆帝の弟である清隆を推す平沢氏( 能石平沢家 )と、忠隆帝の側室が産んだ年少の遺児、徳千代を推す熊谷氏( 参河熊谷家 )で対立が勃発した。その対立は次第に軍事的な衝突となっていき、統一国家・八重尾朝は瓦解してしまった。 戦乱は150年以上にも及び、当然の帰結として後継者たちもみんな死んでしまって、沢谷合戦は後継者決めの戦争から平沢氏・熊谷氏の権力闘争という構図に変化してしまっていた。1001年、鉢伏山の戦いで平沢氏が滅ぶと、名実ともに熊谷氏が瑞洲のトップの座に就いたが、当主である辰秋は旧皇帝家に遠慮したのか、自ら新たな王朝を開くようなことはせず、あくまで幕府(征夷大将軍)による支配体制を確立しようとした。それに不満を持った筆頭家臣・小井戸正嗣は、賛同する者を集め熊谷家を脱け出し、自領である北半島を拠点に僭称小井戸幕府を開き、ついで 井 (しょう)の建国を宣言する。 封建制 10世紀から12世紀にかけて、旧来の皇帝を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、武士の熊谷氏や小井戸氏が実権を掌握する武家政権が保守的貴族勢力と拮抗しながら国内を統治する中世国家へと移行した。この体制はしばらく続いた( 東西朝時代 )。 豊川幕府 豊川幕府 Toyokawa Shogunate 首都 豊川(参河州豊川市) 公用語 瑞州語 将軍 1001年 - 1015年 熊谷辰秋 1138年 - 1153年 熊谷利秋 成立 1001年 別称 熊谷幕府 東の政権・豊川幕府は、参河国・豊川を首都とし、封建制を採用した。幕府と名乗ってはいるが、国内の一部や海外の研究者たちからは王朝国家と同一視されている。 豊川幕府 熊谷辰秋(1001~1015) 熊谷光秋(1016~1036) 熊谷康秋(1037~1059) 熊谷邦秋(1060~1103) 熊谷昌秋(1104~1137) 熊谷利秋(1138~1153) 小井戸朝井 小井戸朝 Oido dynasty 首都 上越(越野州上越市) 公用語 瑞州語 皇帝 1003年 - 1018年 小井戸正嗣 1172年 - 1175年 小井戸信寛 建国 1003年 別称 井、瑞洲 国姓 小井戸 北半島を拠点とした西の王朝・井は、首都を越野国・上越と定め、郡県制を採用した。 小井戸朝井 小井戸正嗣(1003~1018) 小井戸正公(1019~1031) 小井戸正信(1032~1057) 小井戸俊康(1058~1078) 小井戸宗俊(1079~1085) 小井戸武嗣(1086~1121) 小井戸正洋(1122~1144) 小井戸崇洋(1145~1162) 小井戸崇宗(1162~1171) 小井戸信寛(1172~1175) 1153年に熊谷幕府を滅亡させた崇洋帝は、自身が保守的貴族勢力と結託し、古代の皇帝政に回帰する改革を行った。ここに統一国家・ 小井戸朝井 (小井戸朝瑞洲)の統治が完成したものの、小井戸朝の力は崇洋帝以降だんだんと衰えていき、ついには 柿崎川の変 で信寛帝が重臣の外所貴彰に暗殺され、外戚の保坂康義に乗っ取られる事態となった。 保坂朝井 保坂朝 Hosaka dynasty 首都 京(瑞京府) 公用語 瑞州語 皇帝 1175年 - 1189年 保坂康義 1385年 - 1389年 保坂康正 建国 1175年 別称 井、瑞洲 国姓 保坂 柿崎川の変後、保坂康義が外所貴彰を 鳥屋野潟の戦い で討ち取り、実権を掌握。自らが帝位に就いた。 保坂朝井 である。康義帝は首都を自らの直轄地であった近海州の一部地域におき、その地域を「京」と改称した。現在の瑞京である。また、小井戸朝とは異なり、封建制を採用した。 保坂朝井 保坂康義(1175~1189) 保坂康武(1190~1211) 保坂秀亘(1212~1254) 保坂泰盛(1255~1274) 保坂康清(1275~1309) 保坂俊高(1310~1317) 保坂政義(1318~1344) 保坂重義(1345~1367) 保坂和良(1368~1377):最期まで後継者を明確に指名しなかったため、後継者争いである 二条の乱 を引き起こす。 保坂正二郎(1378~1379):和良の遺児であるが、二条の乱に敗れて戦死。 (空白期間) 保坂康正(1385~1389):一良の弟。二条の乱には勝利するも、 稲沢の変 で重臣に謀殺される。 保坂朝は9代目・和良が最期まで後継者を明確に指名しなかったため、後継者争いである 二条の乱 が勃発する。和良の遺児である正二郎はまだ3歳であったため、和良の弟である康正を推す重臣・相野田重浩と、正二郎を推す屋宜正芳の間で意見が割れたためである。二条の乱は当初屋宜軍が優勢であり、正二郎は一度は正式に帝位に就くが、戦局はだんだんと悪化し、1379年、陣中にいたところをスパイ(間者)によって暗殺される。流石に非道な戦い方であると、勝ったはずの康正・相野田軍の元から離反者が続発し、京を守る屋宜軍を攻め落とし帝位に就くまでに結局5年弱掛かってしまった。ともあれ康正は念願の帝位に就いたわけであるが、4年後には重臣の裏切りに遭い謀殺されてしまう( 稲沢の変 )。 皇帝の不在では国内がまとまらないと考えた保坂朝家臣団は、臣籍降下し御宿氏を開いていた和良の五男・直隆を保坂家に呼び戻し皇帝に就かせようと画策するものの、直隆はその意に従うと見せかけ、帝位に就いた途端側近を御宿家家臣で固めてしまう。ここに保坂朝の遺臣は、国内に混乱をもたらしたとして全員が追放または処刑された(御宿の変)。直隆は井の国号を廃止し、かつての瑞洲国号を復活させた。 御宿朝瑞洲 の建国である。 御宿朝瑞洲 御宿朝 Mishuku dynasty 首都 京(瑞京府) 公用語 瑞州語 皇帝 1391年 - 1399年 御宿直隆 1449年 - 1453年 御宿尚徳 建国 1391年 別称 瑞洲 国姓 御宿 御宿直隆(1391~1399) 御宿仁隆(1400~1414) 御宿正隆(1415~1427) 御宿有隆(1428~1432) 御宿知徳(1433~1440) 御宿克徳(1441~1448) 御宿尚徳(1449~1453) 14世紀から15世紀までの時期には社会の中世的な分権化が一層進展したが、政争による皇帝政権の衰退を決定機として15世紀後半頃から僭称大名勢力による地域国家の形成が急速に進んだ( 僭称戦国時代 )。この僭称戦国大名たちは、もともとは封建制によって各地を領有した武家であり、その武力を背景に、自国こそが正統な統一国家であることを主張した。この地域国家の形成は中世社会の再統合へと繋がった。この激動の中で皇帝家である御宿家は、僭称大名である下坂直孝によって1453年に滅亡した(下坂大逆事件)。当時の皇帝であった尚徳帝はまだ7歳であり、補佐すべきである公家たちは誰が実権を握るか抗争しており、腐敗していた皇帝政権に見切りをつけた下坂によって周りの公家ともども皇帝は打ち倒されてしまったのである。尚徳帝は自害に追い込まれた。最終盤では権力はほぼ無きに等しい状態であったものの、皇帝家というストッパーを失った瑞洲国内ではますます戦乱が拡大し、16世紀末に古海武利によって瑞洲の統一政権( 笠置幕府もしくは古海幕府 )が樹立されるに至り、近世へと移行した。 僭称大名家・僭称王家 なお、地域名はあくまでおおよその目安である。 + ... 西海地方 黒河朝 西宮朝 藤朝 仲朝 河邊朝 野木朝 大野木朝 渉朝 北橘 北西地方 常盤幕府 蝦名朝 茨城朝 小谷朝 中屋敷氏:朝廷を名乗らなかった、珍しい大名家の一つ。 西海枝朝 秦野幕府 鳴神朝 東海地方 間崎朝後嶺 後八重尾朝 三勢氏:朝廷を名乗らなかった、珍しい大名家の一つ。自領は本家である古海氏の飛び地領であると認識していたようで、本家筋に配慮していたと思われる。後に古海幕府の支配中枢へと組み入れられる。 後鳳:嶋海国答志郡付近にあった、土着の武士層による一揆によって成立した国。今でいう選挙王政を採用。 波島朝 名張幕府 関崎朝 都甲朝 中央地方 後涼 鷲巣朝後衛 垣谷朝 吹上朝 大芝朝 古海幕府 射鷲朝 愛知氏:朝廷を名乗らなかった、珍しい大名家の一つ。 笠置幕府 前史 古海氏 設楽古海家:主流で、設楽家とも称される。自分たちでもその名乗りを使っていたようであり、古海武清が「設楽武清」と記名した書状が現在でも残っている。 八名古海家:八名家とも称される。 額田古海家:額田家とも称される。 渥美古海家:渥美家とも称される。 碧海古海家:碧海家とも称される。 三勢古海家:本司名氏から改名した頃に分家し、三勢国に土着し三勢氏・三勢家を名乗った。 大名家の中でも、御宿家や保坂家、小井戸家の生き残りを王に戴いて、大名自体は幕府を開き実権を握るという場合や、先祖に将軍家があると主張し、将軍家の復活を期して幕府を再興させる場合があった。後者の最もたる例は古海氏である。古海家の系図を辿ると、11世紀から12世紀の東西朝時代に幕府を開き、瑞洲東部を支配した熊谷氏にまで遡ることができる。また、井王朝に滅ぼされた熊谷利秋以降、征夷大将軍の位は誰にも与えられていないことから、戦国大名となった古海氏は後裔である自らも征夷大将軍の官位を引き継ぐことが可能と主張し、1510年頃から時の当主によって征夷大将軍を自称するようになる。誤解されがちであるが、この頃には既に「官位を授与する目上の存在」は国内に消失しており、古海氏や他の氏族が将軍家と名乗っても(王家の自称と同様)それは自称に過ぎず、意味を為さないものであった。しかしながら古海氏が勢力を伸ばすと、その実力を背景とした「自称」は外部からきちんと認められるものになり、また古海氏に官位の認定権が生じることとなった。こうして、後の幕府を支えていくこととなる、将軍家をトップとした官位体制が確立した。 古海氏は、元は熊谷氏の傍流であり、熊谷幕府時代には本司名氏(もとしなし)を名乗る幕臣の立場にあった。熊谷氏の本拠地であった参河国内に領地を有していたものの、国境の設楽郡などを有するにとどまり、あまり表舞台には立たない一族であった。しかし、その後の小井戸朝や保坂朝時代を巧みに生き抜き、15世紀まで家名を存続させていた。1512年、若くして設楽古海家の当主となった古海武清は、先祖が将軍家であり、後任者がいなくなったが故に、自らも将軍となる権利があるとして征夷大将軍を自称。その天才的な内政手腕と軍事能力を以て他国を次々と屈服させ、参河・紀山・嶋海を制した。武清は親戚一同をまとめ上げる能力にも秀でていたようであり、効果的に軍を動かし戦国の覇者となるために、それまで直接指揮を行っていた古海軍を方面ごとに分け、方面軍司令官には八名・額田・渥美・碧海の各家の当主(幼少の場合は代理)を据えた。しかし1534年、参河国豊邦において、些細な出来事で恨みを持った家臣・新岡信久に暗殺されてしまった( 豊邦の変 )。新岡は逃亡したものの、父親暗殺の報を受けた武清の嫡男・正武が参河国内に非常線を張り、あえなく捕縛、処刑された。 古海氏当主の座は正武が継ぎ、父親の方針を引き継いで対外領土拡大政策を採った。正武は非常に開明的な思想を持っていたようで、嶋海国の港が支配下にあるのをいいことに、重臣・浦谷重成を正使として欧州へ使節を送り、膨大な知識を入手した( 浦谷遣欧使節団 )。この使節団には欧州の見分や知識の入手以外にも外交交渉の使命があったようだが、不発に終わったようである。正武は静駿・筑紫・薩摩を平定している最中にも欧州の研究を行っており、家臣団ともども欧州の優れた軍略に驚き、自国に適合するように取り入れることを計画。この軍制・戦略改革は成功し、古海軍は瑞洲や欧州のいずれの戦略にも似ることのない、独自の軍制度を確立。精強無比の強さを誇る最強の軍へと変貌した。よく訓練され、優れた指揮官に率いられた古海軍は連戦に連勝を重ね、1587年に正武が病没する頃には尾治以南の南瑞洲や三勢国を支配下においていた。 前期笠置時代 笠置幕府 Kasagi Shogunate 首都 京(瑞京府) 公用語 瑞州語 将軍 1599年 - 1617年 古海武利 成立 1599年 別称 古海幕府 正武の病没後、家督は嫡男の次男・英武が継いだ。英武も父と同じく領土拡大政策を採り、間崎朝後嶺や後八重尾朝、鳴神朝と言った名門大名家を撃破し、1597年には北海半島以外のほぼ全土を掌握していた。しかし戦ばかりに明け暮れ、正室さえ取らなかった英武には当然として嫡子が無く、1598年に英武が膵臓癌(と思われる症状)で没すると後継者問題が急浮上する。 後継者問題で倒れた王朝はこれまでにも数多くあったため、重臣団は平和裏に後継者を確定することを誓った。会議の結果、碧海家に養子として出されていた英武の異母弟・碧海武利を設楽家に呼び戻すことで一致。武利はこれを快諾し、1599年に征夷大将軍への就任の儀を執り行い、政庁を京の笠置町に置いた。これを以って笠置幕府が正式に成立したと見做される。 中期笠置時代 後期笠置時代 19世紀中ごろに入り、欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「瑞洲」・「瑞洲人」意識がさらに強まり、ほぼ現代の「瑞州」・「瑞州人」意識と一致するまでに至った。大航海時代以降、米州各国が欧米列強の植民地とされる中で、瑞州が欧化政策を維持しつつ独立を長く保ったことは、後の国民国家意識にそのまま繋がる民族・国民意識の醸成をもたらし、結果として革命戦争以降の近代国家建設がスムーズに行われる基礎となった。また、この時期から瑞洲の「洲」の文字が、書き換え字である「州」に変わっていった。以前より「瑞州」表記は散発的に確認されていたが、時代の流れとして「瑞州」表記に置き換わっていったのはこの時代が初めてである。 共和制への移行 古海幕府は20代・275年もの治世を保っていたが、欧米列強からの文化流入や機械技術の伝授に加え、欧米列強の「市民自治」「共和制」の考えが輸入されると、「ただ一人の強いリーダー」の行う政治に限界を感じたのか、20代将軍・古海武広は「共和制瑞州」の構想を諸邦の首長たちに伝え、共和制瑞州の発展を願いながら、1775年に幕府の幕を自ら下し(市民政治還元)、臨時連邦政府が形作られ、共和制瑞州が本格的に始動するための準備を始めた。しかし共和制瑞州構想で触れられた、共和制のトップである大統領職を狙って、南東地域の旧藩主たちや公家の末裔たちが団結し、「独立宣言」を発して、参河・岡豆以東9州が 南瑞州共和連合 として蜂起した(1776蜂起)。彼らは大統領職に、中世の絶対王政君主レベルの権限があると勘違いしており、君主を話し合いで決めるものの、決まった後は政治のすべてをその君主や付属機関に委ねると解釈していたのである。その為、瑞州全土から希望者を募って大統領決めを行うまでは合議制として、南瑞州共和連合は明確なリーダーを定めなかった。一方、北西地域の首長たちは共和制・大統領制を正しく理解したのに加え、瑞州の風土では連邦制の導入が相応しいとし、諸邦を「州(シュウ)」として再編。また、1776年7月15日に初の民主的な大統領選挙(第一回瑞州大統領選)を行い、思想面での建国の父と呼べる古海武広を大統領に据えた。古海は諸州規約を制定し、国号を「 瑞州合衆国連邦 」と設定し、旧幕府軍や北西諸邦の兵を集めた近代化軍(瑞州合衆国軍)を組織。自分を総司令官、部下の武官を各方面軍司令官のポストに据え、南瑞州共和連合との全面対決に進んでいった。 東西戦争 開戦 十数年に渡る緊張関係の末、1791年に 東西戦争 (革命戦争、Zuish Civil War)が開戦。この戦争では瑞州史上初めて近代的な機械技術が主戦力として投入された。4月12日に東軍(共和連合軍)が西軍(合衆国軍)の前線基地(紀山-参河州境)である孝子峠の要塞を砲撃して戦端が開かれた(孝子峠要塞の戦い)。古海は合衆国に残ったすべての州に孝子峠要塞などの奪回を呼び掛け、軍事的な協力を要請した。 4月19日には古海が東部海岸線の海上封鎖を宣言した。この封鎖は大西洋岸から太平洋岸までにわたり、東部経済を締め付けていった。この海上封鎖を解かんと、共和連合海軍による散発的な攻撃や砲撃が合衆国海軍に向け行われたが、いずれにおいても封鎖を解くことはできなかった。 戦闘名称 月日 州 勝者 特記事項 孝子峠要塞の戦い 4月12日 紀山州 東軍 洞海湾砲戦 4月19日 筑紫州 西軍 葦毛湿原の戦い 4月19日-21日 参河州 西軍 西部戦線 東西戦争は広大な地域で戦われたが、主な戦線としては西海岸の西部戦線と、中央山脈以西の東部戦線とに大別することができる。そして、東西戦争の最も主要な戦線であり、規模の大きな戦闘が繰り返し起こったのは西部戦線の方だった。これは、首都である瑞京が存在する西海岸の方が開発が進んでおり人口も多かったうえ、西部の中心都市の磐田市・東部の中心都市の御陵下市のどちらもが西海岸側に位置していたためである。さらに、両都市間に険しい山岳などの障害になる地形も少なかった。また、共和連合と合衆国連邦どちらも瑞京を首都として定義し、自然と両軍ともに相手の中心都市や瑞京をめざし進撃することが多かった。こうして、西部戦線(特に瑞京付近)で激しい戦いが多く繰り広げられることとなった。 孝子峠要塞の戦い以後、両軍共に軍隊の創出で大わらわであった。古海大統領は反乱軍を抑えるために7万を超えるの志願兵の召集を命令した。発足したばかりの陸軍には、十分な戦力といえるのは16000名の兵士程度しかいなかったのだ。陸軍は旧幕府軍からの古参兵である年長の玉田克己中将に指揮されていた。共和連合の方は、一握りの旧幕府軍士官と兵士、そしてかつての民兵団の一部が東軍に加わった。東軍の体系は各州によって整えられた。しかし、強い中央政府に対する各州の嫌悪感で助長された連合国防衛軍の分散した性格は戦争の間の東軍の弱みの一つであった。 東部戦線 西部戦線とは地理的懸隔もあってやや独立した動きとなっていたが、戦争後半では西部との連携が重要な課題となった。 西部戦線は当時もその後の歴史的な整理の段階でも、東部戦線よりかなり多くの注目を集めていた。これはその対立する両軍の主要都市が近く西部の大都市に大きな新聞の発行所が集中しており、西部で名声を博した人物がいたからでもある。このために西軍が東部で東軍を叩き、東部の領土を侵略していったことは、ほとんど気付かれないままであった。 孝子峠要塞の戦い後、紀山州から出撃した梶原和弘少将率いる西軍(紀山軍)は紀山と参河の州境である孝子峠要塞の奪還、及び弓張山地の突破を目指しており、第一次参河方面打通作戦を発動するに至った。すでに弓張山地の葦毛湿原を占領していた紀山州軍は、勢いそのままに孝子峠要塞の周辺にあり、東軍(参河軍)の兵站ルートの経由地点であった竜ヶ岩洞砦や石巻山要塞に攻め寄せ、これを陥落させた。 竜ヶ岩洞砦や石巻山要塞で撃破され、後退する東軍を押しとどめたのは米川啓之将軍率いる援軍であった。米川は旧幕府軍の陸軍歩兵奉行(少将クラス)であり、作戦指揮に精通していた。撤退してきた東軍と援軍とを合わせ、指揮系統がボロボロになっていた参河軍を再編し、的場峠に築かれた防衛ラインを用いて的確な防衛線を行った(的場の戦い)。西軍はこの堅固な防衛ラインを突破できず攻めあぐね、かといって引くわけにもいかず、自軍も防衛ラインを構築し相手の攻撃に備えた。的場の戦いにおいて、結局両軍は散発的な戦闘を五か月も繰り返したが、どちらも防衛ラインを突破するわけでもなく、結果として梶原が他地域の援軍に紀山軍を回すために撤退し、引き分けに終わっている。 戦闘名称 月日 州 勝者 特記事項 第一次参河打通作戦 竜ヶ岩洞砦の戦い 4月25日-26日 参河州 西軍 第一次石巻山要塞の戦い 4月31日-5月2日 参河州 西軍 的場の戦い 5月15日-10月14日 参河州 引き分け 第二次石巻山要塞の戦い 6月24日-25日 参河州 西軍 防衛ラインの隙をついて東軍が石巻山の奪還に乗り出し、奇襲攻撃を行ったが、西軍が防衛に成功。 終戦 1795年に東西戦争は合衆国の勝利で終結し、静駿講和条約が結ばれ、共和連合は解体された。しかし、南瑞州共和連合が、不勉強の勘違いによって蜂起した国家であったことから「南瑞州人は無知、無学」という偏見が生まれ、南東地域に対する地域差別はその後も続くことになる。 1797年12月17日には、連合規約に代えてさらに中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定される。1799年6月4日に発効され、同年に「やることは全て終えた」と古海は6選もした(というよりあまりにも古海が人気であり、市民が大統領選をボイコットした)大統領職を辞すが、結局は第8回大統領選(ボイコットにより第2回~第7回は『失われた選挙戦』となった)でまた担がれ、78歳の高齢で大統領に当選した。これより高齢の大統領はこの後には生まれていない。 瑞州は、「自由」と「民主主義」を掲げたことから、近代のの共和制国家としても、当時としては珍しい民主主義国家であった。 帝国主義 先述した通り、大航海時代以降、米州各国が欧米列強の植民地とされる中で、瑞州が欧化政策を維持しつつ独立を長く保ち、政権の交代にも(曲がりなりにも)成功したことは、後の国民国家意識にそのまま繋がる民族・国民意識、そして愛国心のさらなる醸成をもたらした。 瑞州内戦
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瑞州合衆国連邦のインテリジェンス・コミュニティー (Zuish Intelligence Community、IC)は、合衆国政府の情報機関とその下部組織からなるグループであり、瑞州の外交政策と国家安全保障を支援するための情報活動を個別に、または共同で行っている。ICのメンバー組織には、連邦行政機関内の情報機関、軍事情報、民間の情報・分析局が含まれる。 ICは、国家情報長官が長を務める国家情報室によって監督されている。国家情報長官は大統領に直属する。 ICのメンバーは、国内外の情報を収集・作成し、軍事計画に貢献し、スパイ活動を行うなど、さまざまな責務を担っている。ICは、1981年に関哲夫大統領が署名した大統領令8112041によって設立された。 機構 ICは、国家情報長官が長を務める。国家情報室を含めたICのメンバーは以下の通りである。 所属機関 所属省名 機関名 諜報担当部門 設立年 独立機関 国家情報室 国防省 国防陸軍 IS-1 国防海軍 海軍情報局 国防空軍 第16空軍(16 AF) 海兵隊 情報部(MAI) 宙兵隊 第7宇宙部隊(Space Delta 7) 2027年 国家安全保障局 中央保安部 地理空間情報部 国防情報部 国家偵察局 国土安全保障省 分析部 調査部 沿岸保安庁 情報部(CGI) 資源エネルギー省 情報部(DEMI) 外務省 情報研究局(BIR) 独立機関 瑞州情報局(ZIA) 1947年 純粋恋愛維持機関(AMPL) 2027年
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瑞州合衆国連邦軍の部隊編成 (ずいしゅうがっしゅうこくれんぽうぐんのぶたいへんせい)とは、瑞州国防軍の前身である瑞州合衆国連邦軍が保持していた部隊の一覧である。 + 目次 陸軍 常設師団 第一歩兵師団 第二歩兵師団 第三歩兵師団 第四歩兵師団 第五歩兵師団 第六歩兵師団 第七歩兵師団 その他の師団 第一○一騎兵師団 第一○二近衛師団 第五一戦車師団 第五二戦車師団 第五三戦車師団 地域旅団 飛行師団 第一飛行師団 第二飛行師団 第三飛行師団 第四飛行師団 第五飛行師団 第六飛行師団 第七飛行師団 第八飛行師団 第九飛行師団 第十飛行師団 第十一飛行師団 第十二飛行師団 第十三飛行師団 第十四飛行師団 海軍 太平洋艦隊 大西洋艦隊 内地作戦航空部隊 下田海軍航空隊 四日市海軍航空隊 真野海軍航空隊 小野田海軍航空隊 筑紫野海軍航空隊 三種海軍航空隊 外地作戦航空部隊 東郷海軍航空隊 安曇野海軍航空隊 渡会海軍航空隊 安来海軍航空隊 奥飛騨海軍航空隊 空母航空隊 第一空母航空隊 第二空母航空隊 第三空母航空隊 第四空母航空隊 第五空母航空隊 第六空母航空隊 第七空母航空隊 陸軍 常設師団 第一歩兵師団 第一歩兵師団 は、1779年に近衛鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第二師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第一師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地および本営所在地は瑞京府西山区。担当範囲は紀山、岡豆、瑞京、参河、尾治、静駿、遠淡海であった。 1790年からの東西戦争では、隷下の第一旅団(西山)が合衆国軍に、第二旅団(尾治州那古野)が共和連合軍につき、師団としては空中分解の事態に陥った。戦後に師団は再建された。 1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の富樫敏則陸軍少将は国防軍へ第一師団を編入させることを決定。師団内部から反対の声は上がることはなく、第一師団は大統領府国防部の指揮下に収まり、一時解体されて、第二八地域旅団などの他の編入部隊と共に歩兵第2師団の母体となった(*1)。 第二歩兵師団 第二歩兵師団 は、1779年に東海鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第二師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は三勢州錫鹿郡錫鹿市、本営所在地は同州身重郡身重市。担当範囲は三勢、波島、重賀、嶋海、川加、能石、嶺狭であった。 1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に東部戦線を戦った。 1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の兒玉幸弘陸軍少将は国防軍への編入を拒否。これに抗命した第十八歩兵連隊(第四旅団隷下、能石州葉咋)が師団指揮下を離脱する事件が起こるも、師団としては旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。 1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、1月の身重の戦いで壊滅した。 第三歩兵師団 第三歩兵師団 は、1779年に北陸鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第三師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は山防州大丈市、本営所在地は同州磐国市。担当範囲は淡葉、山防、埼武江、神相、濃波であった。 1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に西部戦線を戦った。 1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の黒田浩二陸軍少将は国防軍への編入を拒否。師団として旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。 1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、1月の弥栄の戦いで壊滅した。 第四歩兵師団 第四歩兵師団 は、1779年に南海鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第四師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は吉備作州見原市、本営所在地は穴門州穴門市。担当範囲は、当初は八雲、児隅、穴門であったが、1839年に吉備作が第六師団から移管された。 1790年からの東西戦争では共和連合軍につき、主に東部戦線を戦った。 1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の玉田泰正陸軍少将は国防軍へ第四師団を編入させることを決定。師団内部から反対の声は上がることはなく、第四師団は大統領府国防部の指揮下に収まり、一時解体されて、第三二地域旅団などの他の編入部隊と共に歩兵第6師団や歩兵第11師団の母体となった(*2)。 第五歩兵師団 第五歩兵師団 は、1779年に西海鎮台を母体として編成された常設師団の一つ。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第五師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地は梨甲州一宮町市、本営所在地は同州甲府市。担当範囲は那橡、那甲、越野、秋羽、岩陸であった。 1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に西部戦線を戦った。 1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の兒玉幸弘陸軍少将は国防軍への編入を拒否。これに抗命した第十歩兵連隊(第十旅団隷下、秋羽州秦庄)が師団指揮下を離脱する事件が起こるも、師団としては旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。 1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、12月~1月の国防軍によるミルキーウェイ作戦中の一連の上陸戦で壊滅した。 第六歩兵師団 第六歩兵師団 は、1779年に編成された常設師団の一つ。南海鎮台から改編された第四師団の負担軽減のために派生して編成された師団である。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第六師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地・本営所在地は薩鹿州鹿児嶋市。担当範囲は、当初は吉備作、筑紫、日宮、薩鹿であったが、1839年に吉備作を第四師団に移管した。 1790年からの東西戦争では共和連合軍につき、主に西部戦線を戦った。 1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の熱田清久陸軍少将は国防軍へ第六師団を編入させることを決定。師団内部から反対の声は上がることはなく、第六師団は大統領府国防部の指揮下に収まり、一時解体されて、第二五地域旅団などの他の編入部隊と共に歩兵第7師団や騎兵第8師団の母体となった(*3)。 第七歩兵師団 第七歩兵師団 は、1779年に編成された常設師団の一つ。北陸鎮台から改編された第三師団の負担軽減のために派生して編成された師団である。同時に第一師団から第七師団がそれぞれ鎮台を改編したり分割したりして創設されたが、第七師団も含めこの時編成された7個師団が瑞州で最も古い師団である。編成地・本営所在地は常陸中州水砥市。担当範囲は林播、中濃、常陸中、濃前であった。 1790年からの東西戦争では合衆国軍につき、主に西部戦線を戦った。 1946年の瑞州国防軍の成立時、師団長の川中啓太郎陸軍少将は国防軍への編入を拒否。師団として旧軍に留まり、やがて旧軍を糾合した瑞州民主共和国軍へと参加。翌年からの瑞州内戦を戦った。 1948年10月からの国防軍の反抗作戦には耐えきれず、11月~12月の水砥の戦いで壊滅した。この時第7師団は焦土作戦という暴挙に打って出ており、廃墟と化した水砥市は州都の座を助川市(後の常陸市)に明け渡さざるを得なかった。後に水砥市は復興し、常陸市を抜いて、常陸中州で最大の経済規模を誇る大都市へと成長した。 その他の師団 第一○一騎兵師団 第一○二近衛師団 第五一戦車師団 第五二戦車師団 第五三戦車師団 地域旅団 地域旅団とは、普段は予備役として活動し、有事の際には各師団に付与されたり増援として掩護することを目的として、各州に設置された旅団である。各々が一個の兵科で構成された単一兵科旅団であり、他の旅団・師団と組み合わせて運用することを前提としている。ただし、輜重旅団にさえも最低限の戦闘部隊が配置されており、有事・災害の際の初動対応を行うことも任務の一つであった。1890年代に立案・計画され、1900年代から編成された。 飛行師団 第一飛行師団 第一飛行師団 1920年に3個飛行大隊を擁する、独立兵科である航空兵科の師団として編制された。1925年には飛行大隊は航空連隊に昇格し、また1937年からは戦隊へと改称された。画像は第一偵察戦隊の五式司令部偵察機。・1920年 - 第一飛行大隊(偵察)、第七飛行大隊(練習)、第十飛行大隊(戦闘)を隷下部隊とし、鯖江飛行場にて編制。・1926年 - 第十航空連隊(戦闘)が第九飛行師団(羽茂)へ転出。・1933年 - 第三十航空連隊(戦闘)が飛行第一師団隷下で新編される。・1937年 - 第七練習戦隊が第四飛行師団(浜松)へ転出。・1943年 - 第五一強撃戦隊が飛行第一師団隷下で新編される。・1947年 - 瑞州内戦の勃発に伴い、司令官・瀬尾中将のもと、飛行第一師団は瑞州連邦軍側につき、前線まで赴いて国防軍側と交戦した。・1948年 - 連邦軍の旗色が悪くなり、司令部内で協議した結果、飛行第一師団は前線から撤収。連邦軍指揮下を離れ国防軍側に降伏。鯖江飛行場も明け渡す。 最終時の部隊編成 - 最終時師団長:瀬尾晃一中将・鯖江飛行場 ・第一偵察戦隊(五式司令部偵察機) ・第三十戦闘戦隊(六式戦闘機) ・第五十一戦闘戦隊(四式強襲攻撃機) 部隊概要 所属政体 瑞州合衆国連邦 所属組織 瑞州合衆国連邦陸軍 発足 1920年4月 廃止 1947年 所在地 鯖江 担当地域 西海道地方 基地 鯖江飛行場 第二飛行師団 航空基地:福富飛行場 1920年に編成。編成地は飛騨州高山飛行場であったが、1939年に福富飛行場へ移転した。当師団・第四偵察戦隊の五式司偵が飛行可能な状態で現存しており、空軍博物館に保存されている。 最終時の部隊編成 福富飛行場 第四偵察戦隊(五式司令部偵察機) 第十一戦闘戦隊(四式戦闘機、六式戦闘機) 第三十二強襲攻撃戦隊(四式強襲攻撃機) 第三飛行師団 第三飛行師団 1920年に2個飛行大隊を擁する、独立兵科である航空兵科の師団として編制された。1925年には飛行大隊は航空連隊に昇格し、また1937年からは戦隊へと改称された。・1920年 - 第三飛行大隊(偵察)、第八飛行大隊(練習)を隷下部隊とし、塩尻飛行場にて編制。・1934年 - 第三四航空連隊(強撃)が飛行第三師団隷下で新編される。・1944年 - 第四九重爆戦隊が飛行第三師団隷下で新編される。・1947年 - 瑞州内戦の勃発に伴い、司令官・板野中将のもと、飛行第三師団は瑞州連邦軍側につき、前線まで赴いて国防軍側と交戦した。なお、第四十九重爆戦隊の戦隊長・外崎大佐はこれに抗命し、所属部隊ごと国防軍勢力範囲に向かい投降している。・1948年 - 連邦軍の敗戦が重なるにつれ、降伏する部隊が続出し始めたが、板野中将は戦闘の続行を命じた。同年内に国防軍の鎮圧部隊と交戦、飛行第三師団は壊滅、降伏して組織的抵抗を終了した。 最終時の部隊編成 - 最終時師団長:板野和昭中将・塩尻飛行場 ・第三偵察戦隊(四式司令部偵察機) ・第八練習戦隊(三式中等練習機) ・第三十四強襲攻撃戦隊(二式強襲攻撃機) ・第四十九重爆戦隊(三式重爆撃機) 部隊概要 所属政体 瑞州合衆国連邦 所属組織 瑞州合衆国連邦陸軍 発足 1920年4月 廃止 1947年 所在地 塩尻 担当地域 北西地方 基地 塩尻飛行場 第四飛行師団 航空基地:羽茂飛行場 最終時の部隊編成 羽茂飛行場 第七練習戦隊(四式初等練習機) 第十二戦闘戦隊(四式戦闘機) 第三十八軽爆戦隊(四式軽爆撃機) 第五飛行師団 航空基地:生葉飛行場 最終時の部隊編成 生葉飛行場 第九練習戦隊(四式初等練習機) 第三十一戦闘戦隊(六式戦闘機) 第三十七練習戦隊(三式中等練習機) 第六飛行師団 航空基地:高山飛行場 最終時の部隊編成 高山飛行場 第十三戦闘戦隊(四式戦闘機、七式戦闘機) 第十四強襲攻撃戦隊(二式強襲攻撃機) 第四十七戦闘戦隊(五式戦闘機、七式戦闘機) 第五十強襲攻撃戦隊(二式強襲攻撃機) 第七飛行師団 航空基地:笠間飛行場 最終時の部隊編成 笠間飛行場 第十五重爆戦隊(三式重爆撃機) 第十七偵察戦隊(五式司令部偵察機) 第三十九軽爆戦隊(四式軽爆撃機) 第四十八軽爆戦隊(四式軽爆撃機) 第八飛行師団 航空基地:笠岡飛行場 最終時の部隊編成 笠岡飛行場 第十六軽爆戦隊(四式軽爆撃機) 第十八偵察戦隊(五式司令部偵察機) 第四十四輸送戦隊(二式輸送機) 第九飛行師団 航空基地:大埼飛行場 最終時の部隊編成 大埼飛行場 第二十二戦闘戦隊(四式戦闘機、七式戦闘機) 第十戦闘戦隊(五式戦闘機、六式戦闘機) 第十九輸送戦隊(二式輸送機) 第四十一輸送戦隊(二式輸送機) 第三十三軽爆戦隊(四式軽爆撃機) 第十飛行師団 航空基地:伊那飛行場 最終時の部隊編成 伊那飛行場 第二十重爆戦隊(三式重爆撃機) 第二十四練習戦隊(四式初等練習機) 第二十五練習戦隊(四式初等練習機) 第四十軽爆戦隊(四式軽爆撃機) 第十一飛行師団 第十一飛行師団 1926年に2個航空連隊を擁する、独立兵科である航空兵科の師団として編制された。画像は第四十五戦闘戦隊第二飛行中隊の七式戦闘機。・1926年 - 第二一航空連隊(輸送)、第二三航空連隊(戦闘)を隷下部隊とし、笠岡飛行場にて編制。・1939年 - 第四四航空連隊(戦闘)が飛行第十一師団隷下で新編される。・1937年 - 第七練習戦隊が第四飛行師団(浜松)へ転出。・1942年 - 第四五戦闘戦隊が飛行第十一師団隷下で新編される。・1944年 - 中央地方の防空担当となり、司令部と隷下部隊を碧海に移動させた。ただし第四四輸送戦隊のみ笠岡に残留、代わりに配置された飛行第八師団隷下へ編入。移動後、第五二輸送戦隊が飛行第十一師団隷下で新編される。 最終時の部隊編成 ・碧海飛行場 ・第二十一輸送戦隊(二式輸送機) ・第二十三戦闘戦隊(五式戦闘機) ・第四十五戦闘戦隊(五式戦闘機、七式戦闘機) ・第五十二輸送戦隊(二式輸送機)注;第四十五戦闘戦隊には3個の飛行中隊があったが、第二飛行中隊のみ1945年から七式戦闘機の運用を開始していた。 部隊概要 所属政体 瑞州合衆国連邦 所属組織 瑞州合衆国連邦陸軍 発足 1926年10月 廃止 1947年 所在地 笠岡→碧海 担当地域 中央地方 基地 碧海飛行場 第十二飛行師団 航空基地:浜松飛行場 最終時の部隊編成 浜松飛行場 第五哨戒戦隊(一式哨戒機) 第二十六重爆戦隊(五式重爆撃機) 第二十七重爆戦隊(五式重爆撃機) 第十三飛行師団 航空基地:愛知川飛行場 最終時の部隊編成 愛知川飛行場 第六哨戒戦隊(一式哨戒機) 第二十八輸送戦隊(二式輸送機) 第二十九重爆戦隊(五式重爆撃機) 第四十二輸送戦隊(二式輸送機) 第四十六重爆戦隊(五式重爆撃機) 第十四飛行師団 航空基地:鈴鹿飛行場 最終時の部隊編成 鈴鹿飛行場 第二哨戒戦隊(二式哨戒機) 第三十五練習戦隊(三式初等練習機) 第三十六練習戦隊(三式中等練習機) 第四十三輸送戦隊(二式輸送機) 海軍 太平洋艦隊 大西洋艦隊 内地作戦航空部隊 哨戒・偵察など、主任務として後方防衛を行う部隊。主に水上偵察機(艦載機含む)や対潜哨戒機が多く配備された。以下、特記なき限り編成順に記す。 下田海軍航空隊 航空基地:下田第一飛行場、下田第二飛行場 瑞州海軍で最初に設立された航空部隊。1917年に編成。航空隊要員の教育・練成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当した。有事の際は首都近海防衛の任に就くことになっていた。内地作戦航空部隊に関しては、ここと四日市空のみに戦闘機などが配備されていた(分遣隊を除く)。 最終時の部隊編成 下田第一飛行場 第一偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。 第二練習航空隊:練習機を装備し航空隊要員の教育・練成を受け持っていた。 第三実験航空隊:各種の装備を用い新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当した。鹵獲機などもここで運用。 下田第二飛行場 第十四練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。 第二六輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。 第四一哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。東郷飛行場に分遣隊を派遣している。 第四六戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。三種海軍航空隊隷下に分遣隊を派遣している。 海軍航空技術廠 四日市海軍航空隊 航空基地:四日市飛行場、四日市水上飛行場 1918年に編成。研究・教育機能を持つ下田空と違い、純然たる水上機基地として機能しており、北東瑞州近海の哨戒や四日市鎮守府に所属する艦艇の艦載機調達に従事した。四日市飛行場は滑走路が短く、陸上機の常駐には不都合が多かったため、陸上機はもっぱら渡会海軍航空隊が常駐する渡会飛行場を活用した。そのため、四日市鎮守府に配備された航空母艦の艦載機は四日市空ではなく渡会空や奥飛騨海軍航空隊で訓練・補給・休息を実施していた。 最終時の部隊編成 四日市飛行場 第四偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。 第四七戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。 四日市水上飛行場 第六練習航空隊:水上機を装備し初等練習を受け持っていた。 第十五練習航空隊:水上機を装備し中等練習を受け持っていた。 真野海軍航空隊 航空基地:真野水上飛行場 1918年に編成。軍都・真野の防衛及び西海・北西地方の各都市の防空のために設置された防衛部隊。全期間を通して水上偵察機のみからなる純粋な偵察専門部隊で、大規模な陸上航空施設を擁する下田海軍航空隊、近辺に渡会飛行場・九度山飛行場がある四日市海軍航空隊・筑紫野海軍航空隊のような陸上機分遣隊を保有する機会はなかった。 最終時の部隊編成 真野水上飛行場 第五偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。そもそも真野には陸上機が運用できる滑走路がないので、活動時には周辺州の民間の飛行場を用いていた。 第七練習航空隊:水上機を装備し初等練習を受け持っていた。 第十六練習航空隊:水上機を装備し中等練習を受け持っていた。 第二九輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していたが、こちらも陸上機のみの配備であったので、活動時には周辺州の民間の飛行場を用いて、輸送された物品はそこから降ろして陸路で真野鎮守府/飛行場まで再輸送されていた。 第四二哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。全期間を通じて一式哨戒機 深海のみを装備していた唯一の航空隊である。 小野田海軍航空隊 航空基地:小野田飛行場、小野田水上飛行場 1919年に編成。防空戦力が手薄になる南州地方先端地域の防衛部隊として開かれた。当初こそ多くの戦闘機部隊や爆撃機部隊を擁し、哨戒・偵察のみならず制空・近距離対艦攻撃も担ったが、安来飛行場と安来海軍航空隊が開かれるとともに実戦力はそちらへ移動した。 最終時の部隊編成 小野田飛行場 第八偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。 第九練習航空隊:練習機を装備し初等練習を受け持っていた。 第十七練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。 第二七輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。 小野田水上飛行場 第四三哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。陸上発進の哨戒機である二式哨戒機 雪海が配備された際には小野田飛行場へ分遣隊を派遣している。 筑紫野海軍航空隊 航空基地:筑紫野水上飛行場 1920年に編成。純然たる水上機基地として機能し、南州地方沖の哨戒や筑紫野鎮守府に所属する艦艇の艦載機調達に従事した。四日市空とは違い、そもそも筑紫野に飛行場を設けることができなかったため、陸上機はもっぱら九度山飛行場や東郷飛行場を活用した。国防海軍となった際には用地買収が進み、筑紫野にちゃんとした飛行場が設置されている。 最終時の部隊編成 筑紫野水上飛行場 第十偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。そもそも筑紫野には陸上機が運用できる滑走路がないので、活動時には九度山飛行場や東郷飛行場を用いていた。 第十一練習航空隊:水上機を装備し初等練習を受け持っていた。 第十八練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。もちろん活動時には九度山飛行場や東郷飛行場を用いていた。 第三十輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していたが、こちらも活動時には九度山飛行場や東郷飛行場を用いていた。 第四四哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。陸上発進の哨戒機である二式哨戒機 雪海が配備された際には九度山飛行場へ分遣隊を派遣している。 三種海軍航空隊 航空基地:三種飛行場 1925年に編成。下田空は海軍初の航空隊であったため、研究・教育・作戦のすべてを一手に引き受けていた。航空戦力の拡大を図る中で、下田空の拡張も限界に達しつつあった。そこで各地に多くの飛行場や航空隊が新設された。そのうち、西海地方や北西地方の防空に当たっていた真野空の増援として航空隊が成立した。それが三種空である。ここに実戦部隊を新設するとともに、下田空の作戦部隊の装備の大半を移転させた(ただし小規模となりながらも実戦部隊は下田に存続している)。これにより、下田空は研究航空隊に特化し、海軍航空技術廠を併設することとなった。 最終時の部隊編成 三種飛行場 第十九練習航空隊:練習機を装備し初等練習を受け持っていた。 第二十練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。 第二一偵察航空隊:陸上偵察機を装備する航空隊だったが、三式偵察機 晴雲が1938年に退役した後は書類上のみの存在となっていた。 第二八輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。 第四五哨戒航空隊:哨戒機を装備し哨戒を担当していた。 第四六戦闘航空隊(分遣):下田空からの分遣隊である。局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。 外地作戦航空部隊 平時には所属基地の周辺地域の防空を担当し、戦時には最前線基地から長距離攻撃を実施する部隊。主に爆撃機や攻撃機が配備されていた他、局地戦闘機(要撃機)の導入後は内地作戦航空部隊と同様にそれも配備された。また、一部の部隊は練習機も装備。 東郷海軍航空隊 航空基地:東郷飛行場 1937年に編成。安曇野海軍航空隊と同時に開かれた瑞州初の陸上爆撃機部隊として、爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。多くの陸爆隊が所属基地に帰る間もなく東郷での練成に励んだ。他の航空部隊には後に局地戦闘機部隊も配備されたが、ここには配備されなかった。 最終時の部隊編成 東郷飛行場 第三五爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。瑞州初の陸上爆撃機部隊として錬成任務も付与されていた。 第三九輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。 安曇野海軍航空隊 航空基地:安曇野飛行場 1937年に編成。東郷海軍航空隊と同時に開かれた瑞州初の陸上爆撃機部隊として、爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。後に局地戦闘機部隊も配備される。 最終時の部隊編成 安曇野飛行場 第三八爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。 第四十輸送航空隊:輸送機を装備し各基地への連絡輸送を担当していた。 第六五戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。 渡会海軍航空隊 航空基地:渡会飛行場 1940年に編成。三番目の陸上爆撃機部隊として編制。後に局地戦闘機部隊も配備される。 最終時の部隊編成 渡会飛行場 第三七爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。かつては東郷空隷下であったが渡会飛行場の落成とともに渡会空隷下へ異動。 第六三戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。 安来海軍航空隊 航空基地:安来飛行場 1940年に編成。四番目の陸上爆撃機部隊として編制。後に局地戦闘機部隊も配備される。 最終時の部隊編成 安来飛行場 第三六爆撃航空隊:陸上爆撃機や攻撃機を装備し長距離侵攻を担当していた。かつては安曇野空隷下であったが安来飛行場の落成とともに安来空隷下へ異動。 第六四戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。 奥飛騨海軍航空隊 航空基地:奥飛騨飛行場 1939年に編成。陸上爆撃機は配備されず、純粋な局地戦闘機と訓練部隊のみで構成された航空隊。 最終時の部隊編成 安来飛行場 第四八練習航空隊:練習機を装備し中等練習を受け持っていた。 第五十戦闘航空隊:局地戦闘機を装備し基地防空を担当していた。 空母航空隊 初期には艦上戦闘機隊/艦上練習機隊の組み合わせが多かったが、艦上攻撃機/艦上爆撃機の出現、増産配備により次第に艦上戦闘機隊/艦上攻撃機隊/艦上爆撃機隊の編成に変わっていった。また、航空隊ごとの機体の定数はまちまちであり、母艦の搭載数に左右された。 第一空母航空隊 航空基地:下田第一飛行場、母艦:飛騨 航空母艦「飛騨」を母艦とする航空隊。 最終時の部隊編成 下田第一飛行場 第十二戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。少数の艦攻/艦爆も配備されていた。 第十三練習航空隊:練習機を装備し艦上での練習を受け持っていた。 第二空母航空隊 航空基地:渡会飛行場、母艦:那須野 空母「那須野」を母艦とする航空隊。那須野は四日市を母港としていたが、最も近い四日市飛行場は滑走路が短く、陸上機の常駐には不都合が多かったため、二空航はもっぱら渡会海軍航空隊が常駐する渡会飛行場を活用した。 最終時の部隊編成 渡会飛行場 第二二攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。開隊当初は練習航空隊として練習機を装備し、艦上での練習を受け持っていた。 第二四戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。 第五二攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。 第三空母航空隊 航空基地:下田第二飛行場→三種飛行場、母艦:遠江 空母「遠江」を母艦とする航空隊。当初遠江が下田を母港としていたため下田第二飛行場を拠点としていたが、後に真野鎮守府に異動したため三空航も三種へ移動した。 最終時の部隊編成 下田第二飛行場→三種飛行場 第二三攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。開隊当初は練習航空隊として練習機を装備し、艦上での練習を受け持っていた。 第二五戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。 第五三攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。 第四空母航空隊 航空基地:小野田飛行場、母艦:筑紫 空母「筑紫」を母艦とする航空隊。筑紫の巨大な収容数に合わせ、最大規模の勢力を誇る空母航空隊であった。 最終時の部隊編成 小野田飛行場 第三一戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。 第三二攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。開隊当初は練習航空隊として練習機を装備し、艦上での練習を受け持っていた。 第五四攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。 第五空母航空隊 航空基地:東郷飛行場、母艦:陸奥、尾張 空母「陸奥」「尾張」を母艦とする航空隊。この二艦は性能も似通っており、また空母航空隊の不用意な拡充を避けるために二つの空母で一つの空母航空隊を搭載することとしたのである。どちらも下田を母港としたことからできたことであったが、後に尾張は真野へ移動している。 最終時の部隊編成 東郷飛行場(陸奥) 第三三戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。 第三四攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。 第五五攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。 東郷飛行場(尾張) 第四九戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。 第五一攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。 第五六攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。 第六空母航空隊 航空基地:奥飛騨飛行場、母艦:相模 空母「相模」を母艦とする航空隊。 最終時の部隊編成 奥飛騨飛行場 第五七攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。 第五九攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。 第六一戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。 第七空母航空隊 航空基地:東郷飛行場、母艦:出雲 空母「出雲」を母艦とする航空隊。 最終時の部隊編成 奥飛騨飛行場 第五八攻撃航空隊:艦上攻撃機を装備し攻撃任務を受け持っていた。 第六十攻撃航空隊:艦上爆撃機を装備し爆撃任務に従事。 第六二戦闘航空隊:艦上戦闘機を装備し戦闘任務に従事。
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アステル合衆国 国旗 人口 12人 領土 日本列島 宮崎県 主要軍 陸軍 特殊部隊 1部隊 組織軍 + 陸軍 + 海軍 + 空軍 + 海兵隊 軍需企業 企業名 創設者 種類 棟梁重工業 飛龍 建造事業