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出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。上・中・下の全3巻に分かれる。 概要 成立の経緯を記している序によれば、稗田阿礼が暗誦していた『帝紀』(天皇の系譜)・『旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂したものとされている。 『古事記』の書名は、もともと固有名詞ではなく古い書物を示す一般名であり正式名ではないと言われている。書名は安万侶が付けたのか、後人が付けたのかは明らかでない。読みは「フルコトブミ」との説もあったが、今日では一般に音読みで「コジキ」と呼ばれている。 『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天武天皇が 撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉 帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)へむと欲(おも)ふ と詔していることから、勅撰と考えることも出来る。 『古事記』に登場する神々が、多くの神社で祭神として祀られ、今日に至るまで日本の宗教文化に多大な影響を与えている。 構成 『古事記』は、帝紀的部分と旧辞的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記している。これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされた。『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。 『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらをもとにして作成されたものである以上、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もある。一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。 構成は、 上つ巻(序・神話) 中つ巻(初代から十五代天皇まで) 下つ巻(第十六代から三十三代天皇まで) の3巻より成っている。内容は、神代における天地(アメツチと読まれる)の始まりから推古天皇の時代に至るまでのさまざまな出来事(神話や伝説等を含む)を収録している。また数多くの歌謡を含んでいる。 なお、日本神話での「高天原」という用語が多用される文書は、「祝詞」以外では『古事記』のみである。 表記 本文はいわゆる変体漢文を主体としつつも、古語や固有名詞のように漢文では代用しづらい微妙な部分は一字一音表記で記すという表記スタイルを取っている。一字一音表記の箇所には、まれに右傍に「上」「去」のように漢語の声調を表わす文字を配して、当該語のアクセントを示すこともある。いずれも、いかに正確にかつ効率よく記述するかで悩んでいた(序文参照)編者・太安万侶の涙ぐましいまでの苦心の跡である。歌謡部分はすべて一字一音表記で記されており、本文の一字一音表記部分を含めて、上代特殊仮名遣の研究に欠かせないものとなっている。 上代特殊仮名遣の「モ」の書き分けは『古事記』のみに見られるものである。 改竄説 『古事記』本文の記述以外には編纂の記録が直接は見当たらず、最古の写本も南北朝時代のもの(#写本を参照)であるため、それより以前の姿をそのままにとどめているかどうかに疑義を抱く改竄説も出されているが、考古学的反証も主張されている(#『古事記』偽書説も参照)。 『古事記』の研究 『古事記』の研究は、近世以降とくに盛んにおこなわれてきた。江戸時代の本居宣長による全44巻の浩瀚な註釈書『古事記伝』は『古事記』研究の古典であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。宣長の打ち出した国学による「もののあはれを知る」合理研究は、漢式の構造的な論理では救済不能な日本固有の共感による心情の浄化プロセスの追及であった。しかし「からごころ」排撃は、のちに国粋主義的皇国史観、神話の絶対化に変容されたとの見方もある。 第二次世界大戦後は、倉野憲司や西郷信綱、西宮一民、神野志隆光らによる研究や注釈書が発表された。とくに倉野憲司による岩波文庫版は、1963年の初版刊行以来、通算で約100万部に達するロングセラーとなっている。 20世紀後半より、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフトしている。成立論の代表としては、津田左右吉や石母田正があり、作品論の代表としては吉井巌・西郷信綱・神野志隆光がいる。殊に神野志の『古事記の達成』は、それまでの研究史を革新したといってよい。イザナミ神陵地の比較研究では、安本美典の「邪馬台国と出雲神話」などが有名である。 『古事記』偽書説 『古事記』には、近世以降、偽書の疑いを持つ者があった。賀茂真淵(宣長宛書翰)や沼田順義・中沢見明・筏勲・松本雅明・大和岩雄・大島隼人らは、『古事記』の成立が公の史書に記されていないことなどの疑問点を提示し、偽書説を唱えている。 偽書説には大体二通りあり、序文のみが偽書であるとする説と、本文も偽書であるとする説に分かれる。概要を以下に記す。 序文偽書説では、『古事記』の序文(上表文)において『古事記』の成立事情が語られているが、それを証する外部の有力な証拠がないことなどをもって序文の正当性に疑義を指摘し、偽書の可能性を指摘している。 本文偽書説では、『古事記』の神話には『日本書紀』より新しい神話の内容を含んでいるとして、より時代の下る平安時代初期ころの創作、あるいは岡田英弘のように伊勢国の国学者本居宣長によって改作されたものであるとする。 しかし偽書説は、上代文学界・歴史学界には受け入れられていない。上代特殊仮名遣のなかでも、『万葉集』・『日本書紀』の中ではすでに消失している2種類の「モ」の表記上の区別[2]が、『古事記』には残存しているからである。これは偽書説を否定する重要な論拠である[3][4]。 なお、序文偽書説の論拠の一つに、『古事記』以外の史書(『続日本紀』『弘仁私記』『日本紀竟宴和歌』など)では「太安麻呂」と書かれているのに、『古事記』序文のみ「太安萬侶」という異なる漢字表記になっているというものがあった。ところが、1979年1月に奈良市此瀬(このせ)町より太安万侶の墓誌銘が出土し、そこに 左京四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥 年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳[5] とあったことが判明し、漢字表記の異同という論拠に関しては否定されることとなった。 内容 序を併せたり 撰者である太朝臣安万侶(おおのあそみやすまろ)が、天子に奏上する形式に倣って記した序文である。 序第1段 稽古照今(古を稽へて、今に照らす) ここでは天地開闢からはじまる『古事記』の内容の要点を挙げ、さらにそれぞれの御代の事跡は異なるがほぼ政治に誤りはなかった、と述べている。 臣安萬侶言す。それ、混元既に凝りて、気象未だ效(あらは)れず。名もなく為も無し。誰れかその形を知らむ。…(臣安萬侶言 夫混元既凝 氣象未效 無名無爲 誰知其形) …歩驟(ほしう)各異(おのおのこと)に、文質同じくあらずと雖も、古を稽(かむが)へて風猷を既に頽れたるに縄(ただ)し、今に照らして典教を絶えむとするに補はずといふことなし。(雖歩驟各異 文質不同 莫不稽古以繩風猷於既頽 照今以補典敎於欲絶) 序第2段 『古事記』撰録の発端 ここではまず、天武天皇の事跡を厳かに述べた後、天武天皇が稗田阿禮に勅語して『帝記』・『旧辞』を暗誦させたが、時世の移り変わりにより文章に残せなかった経緯を記している。 …ここに天皇(天武)詔(の)りたまひしく「朕(われ)聞きたまへらく、『諸家のもたる帝紀および本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふ。』といへり。今の時に当たりて、其の失(あやまり)を改めずは、未だ幾年をも経ずしてその旨滅びなんとす。これすなはち、邦家の経緯、王化の鴻基なり。故これ、帝紀を撰録し、旧辞を討覈して、偽りを削り実(まこと)を定めて、後葉(のちのち)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。」とのりたまひき。時に舎人(とねり)ありき。姓(うぢ)は稗田(ひえだ)、名は阿禮(あれ)、年はこれ二八。人と為り聡明にして、耳に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に拂(ふ)るれば心に勒(しる)しき。すなはち、阿禮に勅語して帝皇日継(すめらみことのひつぎ)及び先代旧辞(さきつよのふること)を誦み習はしめたまひき。…(於是天皇詔之 朕聞諸家之所 帝紀及本辭 既違正實 多加虚僞 當今之時 不改其失 未經幾年 其旨欲滅 斯乃邦家經緯 王化之鴻基焉 故惟撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉 時有舍人 姓稗田名阿禮 年是廿八 爲人聰明 度目誦口 拂耳勒心 即勅語阿禮 令誦習帝皇日繼 及先代舊辭) 序第3段 『古事記』の成立 ここでは、元明天皇の世となって安万侶に詔が下り、稗田阿禮の暗誦を撰録した経緯を述べ、最後に内容の区分について記している。経緯では、言葉を文字に置き換えるのに非常に苦労した旨が具体的に記されている。 …ここに、旧辞の誤りたがへるを惜しみ、先紀の謬り錯(まじ)れるを正さむとして、和銅四年九月十八日をもちて、臣安麻呂に詔りして、阿禮阿禮の誦む所の勅語の旧辞を撰録して献上せしむるといへれば、謹みて詔旨(おほみこと)の随(まにま)に、子細に採りひろひぬ。然れども、上古の時、言意(ことばこころ)並びに朴(すなほ)にして、文を敷き句を構ふること、字におきてすなはち難し。…(於焉惜舊辭之誤忤 正先紀之謬錯 以和銅四年九月十八日 詔臣安萬侶 撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭 以獻上者 謹隨詔旨 子細採摭然、上古之時 言意並朴 敷文構句 於字即難) …大抵記す所は、天地開闢より始めて、小治田(をはりだ)の御世に訖(をは)る。故、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)以下、日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと)以前を上巻となし、神倭伊波禮毘古天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)以下、品蛇御世(ほむだのみよ)以前を中巻となし、大雀皇帝(おほさぎのみかど)以下、小治田大宮(をはりだのおほみや)以前を下巻となし、併せて三巻を録して、謹みて献上る。臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。(大抵所記者 自天地開闢始 以訖于小治田御世 故天御中主神以下 日子波限建鵜草葺不合尊以前 爲上卷 神倭伊波禮毘古天皇以下 品陀御世以前 爲中卷 大雀皇帝以下 小治田大宮以前 爲下卷 并録三卷 謹以獻上 臣安萬侶 誠惶誠恐頓首頓首) 和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等太朝臣安萬侶 上巻(かみつまき) 天地開闢から日本列島の形成と国土の整備が語られ、天孫が降臨し山幸彦までの神代の話を記す。いわゆる「日本神話」である。 天地開闢とともに様々な神が生まれたとあり、その最後にイザナギ、イザナミが生まれた。二神は高天原(天)から葦原中津国(地上世界)に降り、結婚して結ばれ、その子として、大八島国を産み、ついで山の神、海の神などアニミズム的な様々な神を産んだ。こうした国産みの途中、イザナミは火の神を産んだため、火傷を負い死んでしまった。そのなきがらは出雲と伯耆の堺の比婆山(現;島根県安来市)に葬られた。イザナギはイザナミを恋しがり、黄泉の国(死者の世界)を訪れ連れ戻そうとするが、連れ戻せず、国産みは未完成のまま終わってしまう。 イザナギは、黄泉の国の穢れを落とすため、禊を行い、左目を洗った時に天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗った時に月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に須佐之男命(スサノオノミコト)を産む。その後、最初に生んだ淡路島の幽宮で過ごした。これら三神は、三貴子と呼ばれ、神々の中で重要な位置をしめるのだが、月読命に関しては、その誕生後の記述が一切ない。スサノオノミコトは乱暴者なため、姉の天照大御神に反逆を疑われる。そこで、天照大御神とスサノオノミコトは心の潔白を調べる誓約を行う。その結果、スサノオノミコトは潔白を証明するが、調子に乗って狼藉を働いてしまう。我慢の限度を越えた天照大御神は、天岩屋戸に閉じこもるが、集まった諸神の知恵で引き出すことに成功する。 一方スサノオノミコトは神々の審判を受けて高天原を追放され、葦原中津国の出雲国に下る。ここまでは乱暴なだけだったスサノオノミコトの様相は変化し、英雄的なものとなって有名なヤマタノオロチ退治を行なう。次に、スサノオノミコトの子孫である大国主神が登場する。大国主の稲羽の素兎(因幡の白兎)や求婚と受難の話が続き(大国主の神話)、スクナヒコナと供に国作りを進めたことが記される。国土が整うと国譲りの神話に移る。天照大御神は、葦原中津国の統治権を天孫に委譲することを要求し、大国主と子供の事代主神はそれを受諾する。しかし、子の建御名方神は、始めは承諾せず抵抗するが、後に受諾する。葦原中津国の統治権を得ると高天原の神々は天孫ニニギを日向の高千穂に降臨させる。次にニニギの子供の山幸彦と海幸彦の説話となり、浦島太郎の説話のルーツとも言われる、海神の宮殿の訪問や異族の服属の由来などが語られる。山幸彦は海神の娘と結婚し、彼の孫の神武天皇が誕生することをもって、上巻は終わる。 中巻(なかつまき) 初代神武天皇から15代応神天皇までを記す。神武東征に始まり、ヤマトタケルや神功皇后の話など神話的な説話が多く、神の世と人の世の間の時代であることを示している。2代から9代までは欠史八代と呼ばれ、系譜などの記述にとどまり、説話などは記載されていない。そのため、この八代は後世に追加された架空の存在であると説かれているが、実在説も存在する。なお、「神武天皇」といった各天皇の漢風諡号は、『古事記』編纂の時点では定められていないため、国風諡号のみで記されている。なお史実性が確認されているのは応神天皇以降である。神功皇后と卑弥呼を同一視ないし関連づける説もあるが、一般に受け入れられるには到っていない。 下巻(しもつまき) 仁賢天皇から推古天皇までは欠史十代ともいわれ、欠史八代と同じく系譜などの記述にとどまり具体的な著述が少ない。これは、書かれた当時においては、時代が近く自明のことなので書かれなかったなどと言われている。 歌謡 『古事記』は物語中心の記述法であるが、そのなかに多くの歌謡が挿入されている。これらの歌謡のなかには、もと民謡や俗謡であったものが、物語に合わせる形で適宜はめこまれたというものが相当数含まれている可能性が高い。 写本 現存する『古事記』の写本で最古のものは、1371年から翌1372年にかけて真福寺[6]の僧・賢瑜によって書写された真福寺本古事記三帖(国宝)である。奥書によれば、祖本は上・下巻が大中臣定世本、中巻が藤原通雅本である。道果本(上巻の前半のみ。1381年写)、道祥本(上巻のみ。1424年写)、春瑜本(上巻のみ。1426年写)の道果本系3本は真福寺本に近く、ともに伊勢本系統をなす。その他の写本はすべて卜部本系統に属し、祖本は卜部兼永自筆本(上中下3巻。室町後期写)である。
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古事記 登場人物 コメント その序によれば、712年(和銅5年)に太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ)(太安万侶(おおのやすまろ)とも表記)によって献上された、現在確認できる日本最古の歴史書。 上・中・下の全3巻に分かれる。原本は現存せず、幾つかの写本が後世に伝わっている。この写本の序に記された『和銅年』及び月日に拠って古事記の成立年代としている。 『古事記』は神典の1つとして神道を中心に日本の宗教文化と精神文化に多大な影響を与えている。古事記に現れる神々は、多くの神社で祭神としてまつられている。 登場人物 サザンドラ:八岐大蛇 ラプラス 海幸彦 ガントル 山幸彦 ルカリオorスワンナ 日本武尊 ミロカロス 弟橘媛 クロバット 大足彦忍代別天皇(景行天皇) コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る 草案 シャンデラ:大雀命(仁徳天皇) イワーク:磐之媛命(いわのひめのみこと) ランターン:穴穗御子(安康天皇) ダークライ:大長谷王(雄略天皇) リオル:眉輪王 -- (名無しさん) 2021-12-06 20 20 18 草案 ジュナイパー 袁本杼命(継体天皇) -- (名無しさん) 2021-12-03 10 07 22 草案 訂正あり↓ 〇ドードリオ:伊久米天皇(垂仁天皇) ×アブソル:伊久米天皇 ヤドランorヌオー:大江之伊邪本和気命(履中天皇) グラエナ:住吉仲皇子 ブラッキーorゼクロム:黒媛 マスキッパ:蝮之水歯別命(反正天皇) -- (名無しさん) 2021-11-15 21 39 03 草案 デリバード:大国主命 -- (ユリス) 2021-11-14 16 20 56 草案 登場人物 カイリュー:帯中日子天皇(仲哀天皇) ガブリアスorラティアス:大帯比売命(神功皇后) -- (名無しさん) 2021-11-12 11 41 49 草案 登場人物 ミミロップorホルードorエースバーン:因幡の白兎 -- (ユリス) 2021-08-14 16 59 14 草案 アブソル:伊久米天皇 ラティアス:狭穂姫命 ラティオスorジュペッタ:狭穂彦王 -- (名無しさん) 2021-08-11 22 05 17 草案 チラチーノ:須勢理毘売命 フラージェス:木之花佐久夜毘売 -- (ユリス) 2017-07-21 22 32 06 ボルトロスorエルレイド:建御雷神 トルネロスorカイリキー:建御名方神 ランターン:事代主 -- (名無しさん) 2017-07-21 01 50 15 草案 アシレーヌ:豊玉毘売 -- (ユリス) 2017-07-20 21 01 12
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「こじき」。「ふることぶみ」と読む可能性もある。 序文に「和銅五年成立」とある。 1371~72年に写された写本が一番古い(冊子の形式) ただし、成立時は巻物であった可能性もある。 ちなみに、古事記には序文があるが、日本書紀には序文もあとがきもない。 続日本紀に太安万侶の記事がいくつかあるが、古事記を編纂したという記事はない。 江戸時代後期の国学者、沼田順義は、そこから古事記偽書説を唱える。
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登録日:2016/01/10 Sun 10 46 59 更新日:2024/03/31 Sun 15 32 54NEW! 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 メソポタミア神話 ユダヤ教 人類虐殺 原初 古事記 国学 大和王朝 天照大神 天皇 太安万侶 日本 日本書記 日本神話 犯罪 神社 神話 神道 稗田阿礼 記紀 天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、 高天原(たかまがはら)に成り座せる神の御名は、 「古事記(こじき・ふることふみ)」は8世紀初頭頃に編纂された我が国最初の歴史書。 同時期に同じ目的で編纂された「日本書紀」の概略と比較も述べる。 また「古事記」と「日本書紀」を併せて「記紀(きき)」と呼ぶ。 【大まかな経緯】 内乱により失墜した王朝の威信回復のため、第40代天武天皇の指示により天武10年(681年)頃より「帝記(王朝の系譜と歴史)」と「旧辞(神話)」を記憶させられた舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえたのあれ)が編纂を開始。 背景には飛鳥時代に伝来した仏教と、それに伴い進められた神仏習合によるカミへの注目と国学の発展があったと考えられている。 つまりは、仏教に倣って各地で好き勝手に語られていた伝承を纏めて公式設定(おふぃしゃる)を作ってしまおうという話であった。 天武天皇の崩御による中断や都の移転を経て、平城京に移った和銅4年(711年)に第43代元明天皇の下で学者の太安万侶(おおのやすまろ)に稗田阿礼の読み覚えた記録を書き取らせる事により完成。翌年に献上された。 内容的には天地創造の物語から7世紀初頭の推古天皇までの時代がカバーされている。 同時代に編纂された「日本書紀」とは互いに補完し合う存在だが、「古事記」は国内向けに天皇家の支配の正統を保証するための物語である。 ページ数は上・中・下の3巻合わせても現在の400字詰め原稿用紙に換算して150枚程度、と意外にもコンパクトに纏められている。 「日本書紀」も同じく、件の天武天皇による命令から編纂が開始された。 しかし、こちらは国外で読まれる事も意識した公的な歴史書として複数の官人や知識人(川島皇子ら6人の皇親と中富連大島ら6人の官人らが最初のメンバー)が約40年かけて完成。養老4年(720年)に第44代元正天皇に献上された。 内容的には神話を少なめにした代わりに8世紀初頭の持統天皇の記録までが記されている。 「日本書紀」は正式な歴史書として完成した後には役人や学問の場で学ばれていたが、平安時代には紫式部が『源氏物語』の作中で「日本書紀ツマんね。古事記のがオモロい(意訳)」と光源氏にdisらせたりしている。(*1) 全30巻とボリュームもたっぷりだが、神話に割かれているのは最初の2巻のみで後は公式と認められた記録のみ。 「ツマんね」とボヤかれるのも仕方ないのかもしれない。 鎌倉、南北朝時代の頃になっても両書の位置付けは変わらなかったのだが、江戸時代になって状況が一変する。 寛永21年(1644年)に京都で古事記の印刷本が刊行され、ようやく一般人にも内容が広まる。 それまでは宮廷以外では寺院で坊さんに読まれる程度だった。 国学者の本居宣長(もとおりのりなが)はこれを入手して熱心に研究すると共に、注釈書『古事記伝』を箸して喧伝。 それまでの「日本書紀」偏重の国学を批判した。 近代に入ると、「記紀」は「国家神道」の聖典に据えられる。 明治時代、日本は西洋化により急激な近代化を成し遂げたが、その中で大和の民族意識の支柱として「国家神道」が配され、歴史の分野で神話が学ばれた(「聖書」から歴史を学ぶ西洋に倣ったのである)。 ……一方、神話は神話であり本来の歴史とは別との意見もあったのだが、昭和に入ると世界情勢の変化により日本も戦争に突入。 軍部はナショナリズムの興起とイデオロギーの統制に「国家神道」を担ぎ出し、そこに描かれた「神話」が絶対視されて国威掲揚に利用された。 ※よって、前述のような「神話」を疑問視する研究は弾圧された。 こうした理由もあってか、戦後日本では史実の観点から「記紀」が読まれる事は遠ざけられてしまい、知ろうともしない国民から「神話」は遠い存在となってしまった。 ……しかし、それに代わって今度は民俗学や考古学の立場から古代日本を解き明かしていく活動の中で「記紀」を純粋な研究材料とするアプローチが勃興。 客観的な視点の中から「記紀」から弾かれていた故事や隠された歴史が明らかになるなど、今日では予想以上に豊かで歴史も長かった古代日本の姿が浮かび上がって来ている。 【両書の主な違い】 ■古事記 編纂者は二人のみ 神話がいっぱい 物語形式 日本語化させた漢文で書かれている あくまでも天皇を主役とした物語である ■日本書紀 編纂者がいっぱい 神話は少ない 記録が主体 漢文で書かれている 客観的な歴史書の体を為している ※「古事記」を編纂した稗田阿礼は実在が不明。 女性説もあり、正体が謎に包まれた人物として知られる。 【記紀は真実か?】 「聖書」を始め、何処の世界の神話でも同じだが、「記紀」にも真実もあれば嘘もあるのが当たり前である。 ……まあ、二つの「記紀」に食い違いがある時点で何を言わんや、なのだが。 歴史の中で都合よく解釈された部分や無かった事にされた事も多い。 例えば「記紀」の語っていた日本とは現在の近畿地方辺りまでで、富士山の話がさっぱり出てこないのは有名な話。 また、神代の神話の舞台が基本的に古代出雲地方に集中している反面、やはり8世紀に編纂された同地域の事を記した「出雲国風土記」とは記述される内容に違いがある事からも、支配した側とされた側の視点の違いが見て取れる。 「記紀」の内容は日本由来の歴史を描いたものであるはずなのに、古代中国は勿論、古代オリエントや南方神話との共通項がある事でも知られるが、これは当時編纂に関わった面々が輸入された最新の情報や流行を加えて元の話を面白おかしく脚色していったためらしい。 この他、大体において同じものを指すのに別の名前が付けられたりしているが、これも元になった各地の神話を用語の言い換えもせずに纏めて取り込んでいった結果であるとの事。 ※例 死者の国→黄泉国(ヨモツクニ)、根之堅州国(ネノカタスクニ)、常世国(トコヨノクニ) この場合の死者の国のニュアンスにも微妙な違いがあり、現在では死者の国=地下世界のイメージが強いが原義的には黄泉国は山中異界、根之堅州国は地中(洞窟)、常世国は海の彼方……と、それぞれに別の異界のイメージが見えると言われている。 因みに黄泉=こうせんは古代中国の地下世界に湧く死者の集まる泉の事。 全くイメージが違うものなのに、同じ死者の世界を指す言葉としてやまと言葉の「よみ」の音に当てはめられた。 仏教思想の影響もあり、これらから日本では概ね死者の世界=地下世界とするイメージが主流になっていった模様。 【神々】 三つに分かれる「古事記」の内で上巻の主役になるのが神々である。 項目始めの天地開闢の場面から、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の国生み、三貴子の誕生、大国主命の国作り、天孫降臨、海幸彦と山幸彦の争いまでが神話世界の物語となる。 「日本書紀」ではかなり簡略化されているが、これらは後に神道の各流派により補足されていった。 【カミ(神)の種類】 ■別天津神(ことあまつかみ) 項目冒頭の「古事記」序文に記される天地開闢と共に顕れた造化三神(ぞうけのさんしん)に二神を加えた五柱の神霊。 姿も性別も無い観念的なカミであり、特に“根源神”天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)は「古事記」編纂者が生み出したと考えられている。 ■神世七代(かみよななよ) 国之常立神(くにのとこたちのかみ)から伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の夫婦神に続く七代の神。 物質的な国土を形成したカミであり、「日本書紀」では国之常立神が最初に顕れるカミとなっている(後の神道で天之御中主神と同体とされた)。 ■天津神(あまつかみ) 天孫系と呼ばれるヤマトの支配者系統の神々。 別天津神から続く王朝支配を正当化するために台頭させられていった。 最も有名で神格が高いのが天照大御神(あまてらすおおみかみ)。 特に天皇家に連なる神には暴力や穢れから遠ざけるように編集された部分があるとの事。 ■国津神(くにつかみ) ヤマトに平定される以前より各地で信仰されていたカミ。 主に出雲系と呼ばれるカミが登場する。 「記紀」では素戔嗚尊(スサノオノミコト)より続く系譜に組み込まれ、天津神とは血縁があるんだから国譲りは正当……という意図的な編集がされている。 荒事担当。 ※天津神(天神)と国津神(地神)を併せて「神祇」と呼び、これのみで「八百万の神」を指す詞(ことば)にもなる。 ■人物神 菅原道真や平将門、日本三大妖怪にも数えられた崇徳院など、祟りを及ぼしたとされる人々の御霊(ごりょう)や、安倍晴明などの伝説的人物、楠木正成などの武将、豊臣秀吉や徳川家康といった支配者の御霊(みたま)がカミとして祀られた人物として有名である。 「靖国神社」は幕末以降の戦没者の御霊を合祀した護国神社の総本社である。 【伝説的な支配者】 中巻の主軸となるのが天孫から連なる「伝説的な支配者」の血族の物語で、初代天皇として記されている伊波礼毘古命(イワレビコ=神武天皇)の「神武東征」や、古代日本の英雄として名高い日本武尊(倭武命=ヤマトタケル)の武勇伝、新羅(朝鮮地域)征服を行ったとされ、天照大御神や卑弥呼の事であるとする説もある神功皇后(息長帯比売命=オキナガヒメ)の活躍などが描かれている。 彼らはギリシャ神話に喩えるなら半神のような存在であり、実在したかどうかも疑わしいが、そのモデルとなった複数の人物、あるいは故事がある事は間違いないらしい。 なお、神功皇后は身重の体で新羅遠征を成し遂げたとされ、帰国してすぐに宇美の地(筑紫国=福岡県)で出産。 この時に生まれたのが品陀和気命(はむだわけのみこと)。歴史的にも実在の可能性が高いとされる、後の第15代応神天皇である。 ちなみに、渡来人である秦氏が持ち込み源氏の氏神としても知られる八幡神=神仏習合による国家鎮護、仏教守護の神とされた八幡大菩薩とは応神天皇の事である……と、平安後期に成立した歴史書「扶桑略記」には記されている。 何しろ第19代欽明天皇の時代に宇佐に出現した八幡神が自ら名乗ったと言うのだから間違いない。 ……まあ、実在が確実視されている割にはこんな伝説が残っているくらいなので、応神天皇に纏わる全てが全て史実とされているわけではないらしいが。 八幡神が新羅から来た神と記されているのも、この辺りにも関連があるのかもしれない。 更なる余談として「古事記」と「日本書紀」は万世一系の天皇の系譜を伝える書として編纂されたにもかかわらず、応神天皇の時代(4世紀後半)に……というか、応神天皇によって「王朝交替」が成し遂げられたのではないか?とする説がある。 応神天皇以降の和風諡号(贈り名)が以降、応神天皇に由来する「和気」に変化している事などが理由として挙げられている。 ……ここからの余談として、応神天皇の勢力が異母兄の忍熊王(おしくまのおう)の乱を平定し大和入りを果たしたとされる史実が、遡って神武天皇の伝説の原型として述作されたのではないか?との説もある。 【天皇・日本】 ■天皇(てんのう・すめらのみこと) ヤマト王朝の支配者。今日では我が国の象徴、精神的な支配者。 故・水木しげる翁は日本のヌシと評した。 元々は古代中国に倣い国号を「倭」、支配者を「大王(おおきみ)」と呼んでいたが、天武の命で国書(「記紀」)を編纂するに当たり、国号を太陽が昇る神聖な場所を意味する「日本(にほん・にっぽん・ひのもと)」に、支配者を東方世界の支配者を意味する「天皇」と呼ぶ事に定めたのである。 元々の「倭(わ)」が古代中国(中国=世界の中心の意)から見た辺境を意味する蔑称であった事を考えると、律令体制や学問に於いて古代中国に学びつつもあくまでも自分たちのアイデンティティを明確にした上で取り込もうという姿勢が見える。 「古事記」も下巻になると歴代天皇の名と系譜のみが記されているのみ。 「日本書紀」でも記述がより詳細に、列記されている名前が増えているのみ……である。 時折、これらの意味するものが古代ニンジャ真実の隠喩であると主張する者がいるが全ては狂人の戯言である。いいね? △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 真面目な記事だなあと思ってたらオチにやられた やっぱアニヲタ的にはこれ書いとかないとね! -- 名無しさん (2016-01-10 11 57 44) 忍殺オチの為に記事作ったんじゃ・・・ -- 名無しさん (2016-01-10 12 29 09) 思わずアッハイと言いたくなるオチwwww -- 名無しさん (2016-01-10 12 44 12) 「古事記だなんて失礼だ、ルンペンと言いなさい」ってギャグあったけど火の鳥だったっけ? -- 名無しさん (2016-01-10 18 46 04) 火の鳥は「文学的に無宿人としろ」だった気がする -- 名無しさん (2016-01-10 18 59 10) ランカスレイヤー⇒飛影は~⇒古事記 この流れ草不可避。てか狙ってやってないか? -- 名無しさん (2016-01-10 20 52 41) 古事記・日本書紀の各説明項目と、記紀の比較項目は分けたほうが良いのではないだろうか? -- 名無しさん (2016-01-10 21 24 53) ↑7,6,5 絶対そうだと思うwww -- 名無しさん (2016-01-11 00 36 10) 不用意に歴史の闇に触れるのは得策では無いと申し上げておこう。 -- 名無しさん (2016-01-11 01 53 35) 古事記にも書かれている -- 名無しさん (2016-01-11 02 06 57) 御霊(天皇家の血筋なら尚のことだが)ならともかく、戦国武将や藩主を神格化した人物神って個人的にいまいち有難みを感じないんだよな。祟りを畏れて拝むならともかく、特定の人物の末裔が拝んでいたご先祖様をでっかい社殿造って関係のない一般人にまで拝ませる理由がわからん -- (2016-01-11 02 31 43) そこには暴くと危険なニンジャ真実が隠されているかも知れぬ。備えよう -- 名無しさん (2016-01-11 07 51 50) ↑つまり、彼らはニン……アバーッ! -- 名無しさん (2016-01-11 09 55 14) 訓読みは「ふることふみ」だぞ -- 名無しさん (2016-01-11 11 41 44) いいね?と書くならその内容は否定形にするべき。これは記述者=サンのケジメ案件では? -- 名無しさん (2016-01-11 12 06 58) サーヴァントとして呼べるのは神武天皇あたりからかな? -- 名無しさん (2016-01-11 12 12 00) 「記紀」ってどっかで見たことあるような…刀鍛冶か何かだったか -- 名無しさん (2016-01-11 13 40 13) 日本列島はイザナギとイザナミが作った。古事記にもそう書かれている。 -- 名無しさん (2018-04-26 16 20 36) 読んでみると分かるが、いろいろぶっ飛んでる本 -- 名無しさん (2018-04-26 17 10 36) アメノミナカヌシノカミはさすがに「古事記」通りだとさまにならないせいか、映画「日本誕生」では亀仙人を栄養失調にさせたような風体(しかも半裸)で登場なさる。 -- 名無しさん (2020-09-23 22 08 26) 『仮面ライダーギーツ』で英寿が天岩戸の話を引用してたけど、その時に「古事記の内容をちゃんと引用してる!」って言われててちょっとふいた。 -- 名無しさん (2024-01-25 19 55 33) ニンジャのイクサにおいてアイサツは絶対の礼儀だ。古事記にもそう書かれている -- 名無しさん (2024-01-25 20 12 50) 名前 コメント
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日本日本神話 『古事記』は、『日本書紀』と並ぶ、日本の古典である。 神様に関するいろいろと天皇陛下に関するいろいろが書いてある。
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古事記は、712年に献上された日本最古の歴史書である。
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古事記 609 名前:水先案名無い人 :2007/04/08(日) 00 43 17 ID 88QKP3K50 一部古事記神話登場人物 入場!! 母殺しは生きていた!! 更なる研鑚を積み人間(?)凶器が甦った!!! 火神!! カグツチだァ――――!!! 総合舞台芸術はすでに我々が完成している!! 出番が全編ミュージカル調ヌナカワヒメだァ――――!!! 天岩戸に組み付きしだい開きまくってやる!! 力ずくで引きこもりを説得 タヂカラオだァッ!!! 女の執念深さなら我々夫婦の歴史がものを言う!! 冥界の怒れる母神 イザナギ!!! 真の下克上を知らしめたい!! 山幸彦こと ヒコホホデミだァ!!! 容姿を理由に振られたが報復の呪いなら全階級オレのものだ!! 筑紫の姉神 イワナガヒメだ!!! 父親の彼氏いびり対策は完璧だ!! スサノオの娘 スセリビメ!!!! 全緊急事態のベスト・ディフェンスは私の中にある!! 敵前逃亡・危険回避の神様が来たッ オオヤビコ!!! タイマンなら絶対に敗けん!! 天津神のケンカ見せたる 特攻隊長 タケミカヅチだ!!! 人代篇(なんでもあり)ならこいつが怖い!! 男の尻を狙うのはやめてくれ ヤマトタケルだ!!! 美保の岬からガガイモの船で上陸だ!! 小人神 スクナビコナ!!! ルールの無い恋がしたいから人間の姿(本性は蛇)になったのだ!! プロのナンパを見せてやる!!オオモノヌシ!!! めい土の土産に筍と桃とはよく言ったもの!! 達人の奥義が今 離縁騒動でバクハツする!! 国生みの祖 イザナギ先生だ―――!!! 世界ヘヴィ級マザコンこそが地上最強の代名詞だ!! まさかこの男がきてくれるとはッッ スサノオ!!! 美女につられてここまできたッ キャリア一切不明!!!! 鼻の大きな衢(領域の境界)の神 サルタヒコだ!!! オレたちは豊葦原最強ではない出雲や諏訪など一部地域で最強なのだ!! 御存知売られた喧嘩は必ず買う タケミナカタ!!! 事態の優勢は今や高天原にある!! オレはおとなしく認めるので許してください!! コトシロヌシだ!!! 影が薄ゥゥゥゥゥいッ説明不要!! エピソードほぼ皆無!!! 名前だけは知られている!!! 三貴子が一人 ツクヨミだ!!! 策略は実戦で使えてナンボのモン!!! 超実戦知性派!! 高天原からオモイカネの登場だ!!! 豊葦原はオレのもの 邪魔するやつは思いきり殴り思いきり蹴るだけ!! 高天原統一王者 アマテラス アメワカヒコを試しに豊葦原へきたッ!! 労災殉職全高天原チャンプ 雉の鳴女!!! 短気に更なる磨きをかけ ”喪屋切り”アジスキタカヒコネが帰ってきたァ!!! 今の自分に毛皮はないッッ!! 自業自得 因幡の白兎!!! 再び地上に太陽をもたらした踊子が今ベールを脱ぐ!! しかしそれ以上脱いでどうする アメノウズメだ!!! 嫁の前でならオレはいつでも全盛期だ!! 燃える野望 アメワカヒコ 裏切り者ながら本名で登場だ!!! 夫の葬式はどーしたッ ブラコン魂 未だ消えずッ!! 身内自慢も思いのまま!! アメワカヒコの妻 シタデルヒメだ!!! 特に理由はないッ 薄幸少女を守ってあげたいのは当たりまえ!! スサノオにはないしょだ!!! 日の下開山! クシナダヒメがきてくれた―――!!! 八つの谷八つの峰で磨いた実戦里荒らし!! 出雲のデンジャラス・大蛇 ヤマタノオロチだ!!! 女神だったらこの人を外せない!! 超A級美少女 コノハナサクヤヒメだ!!! 超一流レストランの超一流の味だ!! 生で味わってオドロキやがれッ ただし食材は尻から出る!! オオゲツヒメ!!! 天孫降臨はこの男が完成させた!! 高天原の切り札!! その割に先見の明は無い ニニギだ!!! 若き王者が帰ってきたッ もう大社に引きこもって出てこないかと思っていたッ 国造りの立役者ッッ 二回も殺されて生き返ったのは君だけだッッッオオクニヌシの登場だ――――――――ッ 加えて負傷者発生に備え超豪華なリザーバーを4名御用意致しました! 高天原のゴッドファーザー タカミムスビ!! 公共風俗ギリギリの蘇生法 カミムスビ!! 正直なところ存在が空気! アメノミナカヌシ! ……ッッ どーやらもう一名は到着が遅れている様ですが、東征から帰参次第ッ皆様にご紹介致しますッッ 関連レス 614 名前:水先案名無い人 :2007/04/08(日) 20 43 11 ID /8CMDEmhO 609-612 GJ! だが最初の「イザナギ」は「イザナミ」のことと思われ。 コメント 名前
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古事記 梅原猛(訳) 古代人が残した「古代史」の現代語訳 2007.1 梅原猛氏による「古事記」の現代語訳です(古事記についての論文ではありません)。古事記というのは日本一古い書物(本というにはちょっとアレなくらいです)の一つですが、製作時点ですでに古事、即ち「昔の話」だったというものすごく古い話が書いてあるわけです。 従って、原典は言葉も内容も大変古く、さすがの本居宣長でも意味が「分からない」とした処があるわけです。本書はそんな難解なところまで本邦初アイヌ語を参照して解決の意欲作。 単純に小説として面白いし、自国の神話を知って於くにも好い。古代史として読むなら訳者による解説がシャープな手掛かりを与えてくれます。 詳細 出版:学習研究社 (2001/01)
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日本では古くから神道の教え(経典)や歴史に使ってきた。現在では伊奘諾之命と伊邪那美命国産み神話から國夬津之大宮命の死までを描く事が多い。翻訳は韓国語、英語にも翻訳されている。 初代(太安万侶編纂) 初代の古事記は太安万侶が編纂したものが推古天皇に送られている。これが原作と思われるが『古事記』の原本は現存せず、いくつかの写本が伝わる。内容は、神代における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの出来事が、神話や伝説などを含めて、紀伝体で記載される。また、数多くの歌謡を含む。「高天原」という語が多用される点でも特徴的な文書である 2代目(倉野 憲司編纂) 岩波文庫で出版された古事記で2代目に当たる。1963年(昭和38年))刊行以来、重版の通算は約100万部に達している。20世紀後半になり、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフトしている。 3代目(石ノ森章太郎編纂) 今でこそ仮面ライダーのイメージが強い石ノ森章太郎先生も古事記を漫画として出している。これが一応、3代目の編纂である。 4代目(アサシン・零先生編纂) 4代目は現在の古事記であり、上巻、中巻、下巻が登場するが天皇などは登場しない。代わりに伊奘諾之命と伊邪那美命国産み神話から國夬津之大宮命の死までを描く。その方が神話としては辻褄が合うのである。また國夬津之大宮命を殺した蚕驪雲海隠之命は須佐之男命から数えて13代目の子孫、大国主大神から数えて3代目の子孫に当たる。須佐之男命の子孫達が中心の古事記である。当時の須佐之男命朝鮮人説は同じ日本人にとって侮辱罪に当たる可能性がある。しかも神様を侮辱しているという事で大きな罪に問われる可能性が高いがこの須佐之男命朝鮮人説を無くすため、作られたと考えられている。代わりに蚕驪雲海隠之命の妻の蚕驪妃姫君之命は朝鮮人であるとされている。
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書籍ライブラリ 日本古代史 神話と古事記 日本神話の英雄たち 林道義 出版社/著者からの内容紹介 神話は難しくない、「面白いお話」です!八俣大蛇を退治したスサノヲには四つの性格があった? 日本神話を物語として楽しみつつ、その英雄像をユング心理学で読み解く! 元学生運動、今保守派。子供たちに残す日本神話。 2008.1 目次 英雄神か穀物神か―スサノヲノミコト 誓約の謎を解く 海幸・山幸の争い エジプト神話と日本神話 オホクニヌシ トリックスター 詳細 出版:文藝春秋(文春新書)(2003/10/21) 参考リンク 林道義のホームページ wikipedia「林道義」 古事記 梅原猛(訳) 古代人が残した「古代史」の現代語訳 2007.1 梅原猛氏による「古事記」の現代語訳です(古事記についての論文ではありません)。古事記というのは日本一古い書物(本というにはちょっとアレなくらいです)の一つですが、製作時点ですでに古事、即ち「昔の話」だったというものすごく古い話が書いてあるわけです。 従って、原典は言葉も内容も大変古く、さすがの本居宣長でも意味が「分からない」とした処があるわけです。本書はそんな難解なところまで本邦初アイヌ語を参照して解決の意欲作。 単純に小説として面白いし、自国の神話を知って於くにも好い。古代史として読むなら訳者による解説がシャープな手掛かりを与えてくれます。 詳細 出版:学習研究社 (2001/01) 九州王朝と日本の古代―古代史の真実を求めて 田口 利明 内容(「MARC」データベースより) 邪馬台国の本質を正確に位置づけ、国号「日本」に到る九州と大和の長大な統一劇を描き出す。ヤマト王朝による一元支配という「幻想」を破砕し、「九州王朝説」を理論的・資料的に完遂する論考。 九州王朝ですよ、三一書房ですよ。 「『九州王朝説』を理論的・資料的に完遂」らしいので、目は通しておこうかと。 詳細 単行本 216ページ 出版社 三一書房 (2006/12) ISBN-10 4380062112 ISBN-13 978-4380062117 ご感想などお寄せ下さい。 お名前 コメント 日本神話の英雄たち 梅原猛古事記 九州王朝と日本の古代