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名稱:蕭衍 伺服器及顏色:1、6服綠 類型:文 性別:男 生命值:406 武力:32 智力:20 防禦:10 敏捷:34 運勢:81 敘述:梁武帝蕭衍(464年—549年),字叔達,小字練兒。南蘭陵中都裏人(今江蘇武進縣西北)。南梁政權的建立者。蕭衍出生在秣陵(今南京),為漢朝 相國蕭何的二十五世孫。父親蕭順之是齊高帝的祖弟,母張尚柔。他原來是南齊的官員,南齊中興二年(502年),齊和帝被迫“禪位”於蕭衍,南梁建立。
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名稱:劉秀 伺服器及顏色:6服紫類型:文 性別:男 生命值:3010 武力:65 智力:72 防禦:32 敏捷:60 運勢:150 敘述:漢光武帝劉秀,字文叔,蔡陽人,漢景帝後裔。新朝王莽末年,起兵反對王莽,昆陽之戰,光武力挽狂瀾,王尋等百萬之眾,一時土崩瓦解。敲響了王莽政權的喪鐘。後光武統一天下,定都洛陽,重新恢復漢室政權,為漢朝中興之主。政治措施皆以清靜儉約為原則,興建太學,提倡儒術,尊崇節義,為一賢明的君王。在位?十?年,謚號光武,即光紹前業之意,廟號世祖。
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【元ネタ】史実 【CLASS】セイバー 【マスター】 【真名】劉秀 【性別】男性 【身長・体重】168cm・60kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷B 魔力B 幸運A+ 宝具B+ 【クラス別スキル】 騎乗:A 幻獣・神獣ランクを除く全ての獣、乗り物を自在に操れる。 対魔力:B 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。 【固有スキル】 皇帝特権:EX 本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。 ランクがA以上の場合、肉体面での負荷(神性など)すら獲得する。 知謀と武勇に秀でた並外れた才覚はもはや人間が敵対できるものではないと謳われた。 柔能制剛:B+ 兵法書『三略』に記された柔らかくしなやかな者が剛強な者に勝つことができるという術理。 心眼(真)・軍略等の効果を併せ持つ複合スキルであり、力の強弱に左右されない戦闘を可能とする。 このスキルを持つ者にとって、通常のパラメーターによる優劣は意味のないものとなる。 復権のカリスマ:A 帝位の簒奪者・王莽の悪政により一度滅びた漢王朝を復権させたセイバーが有する、カリスマの亜種スキル。 前漢の政策を改良した上で引き継いだセイバーの志は受け継がれ、 約200年後の後漢最後の皇帝である献帝を傀儡とした曹操ですらそれだけは汚せなかったという。 【宝具】 『志操の二十八宿(われにつらなり、ふううんにじょうじよ)』 ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~60 最大捕捉:300人 セイバーは一度は滅亡した王朝の復興を旗印として立ち上がり、二十八人の功臣を従えて禍乱を平定、天下統一を成し遂げた伝えられている。 その際に臣下を通じて難事を未然に防がせたというセイバー自身の深謀遠慮が形となった宝具。 セイバークラスでは神の如き知謀を通じた先読みによる制圧の剣技として発現する。 またセイバーに仕えた雲台二十八将が二十八宿に対応して変じた28種の動物による援護を受けることが出来る。 【Weapon】 『赤霽剣(せきしょうけん)』 高祖が持つ宝剣。 宝剣に嵌め込まれた宝石は魔力と共鳴して斬れ味が増す。 セイバーは漢を復興させた者として所持している。 『秀覇剣(しゅうはけん)』 南朝梁【古今刀劒録】によると庶民時代に南陽の岳山で拾い生涯に渡り愛用したという。 【解説】 史上初帝国の復興を成し遂げ後漢王朝を築き上げた人物。 名は劉秀と言い、高祖劉邦に連なる劉氏の血筋であるが生まれは平凡であり、馬が買えないほどには裕福ではなかった。 性格は慎重且つ物静かな性格である。 若い頃は長安で学術を学んだ他、多くの才能を持つ事から後世では生きた超人なのでは?と訝しむほどである。 そんな彼は日の目を見る様になったのは新王朝を築いた王莽による数々の失策であろうか。 各地で叛乱が勃発するようになると彼の兄である劉縯もまた反乱の狼煙を上げようと兵を募ることとなる。 しかし、思うように兵士は集まらなかった。 だが、劉秀が参加の意思を表明すると「慎重な劉秀が参加するならば」と多くの人が劉縯の反乱軍に加わるようになる。 彼等の軍は戦場を幾度も勝ち抜い行き、途中で兄の死という悲劇にも合うが多くの好漢が彼の元へと集っていく。 劉秀は政治の他に武勇にも長けており、それを物語るのが昆陽の戦いでの活躍だろう。 かの戦場では100万(兵士は40万人という説)の新軍に城を包囲されたがわずかな兵を率いて脱出し、三千の兵を集めて進軍を撃破するという偉業を成したとされる。 この様子を見た外国の使者の心胆を寒からしめた。 こうして彼は荒れ果てた中華の土地を統一し後漢の初代皇帝へと即位した。 彼は奴卑解放や租税軽減、軍士帰農などの善政を敷き、中華史上最高の名君の一人として名を残した。 こうした事から中華史上最高の名君の一人として名が挙げられる。
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登録日: 2016/04/21 Thu 01 17 17 更新日:2024/04/11 Thu 21 57 29NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 チート リアルチート 世界史 中国史 光武帝 再興 劉秀 名君 君主 夢を超えた男 実在人物 建武 弟 後漢 最高の専制君主 漢王朝 皇帝 聖王 開祖 「おとなしかったあんたが皇帝になるなんてねぇ…」by親戚 劉秀(紀元前6年~57年)とは漢王朝を滅ぼした新王朝を打ち倒し、漢王朝を復興させて後漢王朝を築き、初代皇帝となった男である。世間的には光武帝という名の方がわかりやすいか。 漢王朝を打ち立てた劉邦の子孫であり、イケメン、リア充、賢い、最強、性格良し、幸せに天寿を全うと言う超絶チートである。 超絶チートである 大事なことなので二回言いました。 生い立ち 漢王朝が末期の時に劉欽の三男として生まれる。 上記の通りれっきとした皇族なのだがどうも本家筋とは関わりが薄かったようで実際は貧乏貴族出身であったようだ。 当時は(表向きは)おとなしく、兄の劉縯が破天荒な事もあって目立たない存在であり馬鹿にされる事もあったようである。 自らの願いも「官につくなら執金吾、妻を娶らば陰麗華(執金吾 宮廷近衛兵の長官 陰麗華:自分の近所に住む綺麗な少女)」 と劉邦や劉備が聞いたら涙しそうな位にささやかな物だったのである。 目立たなかったのは故郷での話で兄の劉縯と共に任侠の者たちと付き合ったりしていたのだが… 漢王朝の崩壊と新王朝への反乱 この頃の王朝であった漢(前漢)は皇族の外戚(*1)であった王莽が帝位を簒奪したことで滅亡、新という王朝が打ち立てられる。 しかしこの王莽という人物は儒教を重んじすぎ現状把握に欠けた頭でっかちであった。 理想論を振りかざし、性急に政治体制を自分の理想のものに改革しようとしてしまった事で各地で混乱・反発を生み出す事となる。 頻繁に法律も変えていたので各地の役人は好き勝手に解釈して合法的に私欲を満たす事となった。 本人が良かれと思っている分、下手をすれば私利私欲を貪る暴君よりタチが悪いとも。 こうした状況の中事件は起こる。 兵士として働いていた息子の呂育を県令の不当な裁きで殺された呂母(*2)が自分の財産を用いて武具と数千の若者を集めて県令に報復、赤く染めた眉を目印とした 赤眉軍 という反乱軍となり、これを機に各地で反乱する者が続出したのである。 この期に乗じて劉秀(当時28)も挙兵を決意…した劉縯に従軍する。 この時も「あの劉秀も参加するなら勝てるだろう」「あの真面目そうな劉秀が戦えるのか?」と頼りない様に思われていた様である。 (実際、挙兵時に同盟相手に護身用の刀をぶんどられて笑われていたり馬を用意できずに牛に乗っていたりする。) 新王朝との戦い 挙兵したものの自軍の戦力の乏しい劉縯軍(とお供の劉秀)は豪族を懐柔したり新王朝に反抗する民衆や豪族と合流したりして勢力を拡大しつつ各地の王莽軍と戦った。 勿論、順風満帆という訳にもいかずに辛酸を舐める事も多く、特に小長安での戦いでは多くの親族が戦死してしまっている。 劉秀は劉縯の為に綿密に陣地を築いたり、情報を集めたり、降伏勧告の使者となったり、他の反乱軍が自軍の勝利によって嫉妬しそうになった時は財宝を献上して宥めたりと細々と裏方で働いていた。 そしてようやく自分の馬を調達した。 皇帝の擁立 反乱軍が拡大していくにつれて新王朝に対抗する為にこちらも皇帝を擁立しようと言う話が持ち上がった。 皇帝候補は武勇に優れ押しも押されもせぬ功績を上げていた劉縯と血筋が本家と近い(そして傀儡にうってつけの)劉玄であった。 劉玄派「こういうのは言ったもん勝ちだ、早速擁立してやるぜ。」 と劉玄派は勝手に劉玄を皇帝に擁立、そして 劉玄派「あ~劉縯? 劉玄殿皇帝になったからヨロシク~」 と劉縯には事後報告だけを送ったのである。 これを聞いて劉縯は 劉縯「ふざけんな、俺は認めんぞ!!!」 と激怒した…訳ではなく、 劉縯「まだ王莽倒していないし地盤も固まっていない状態で皇帝宣言したら他の反乱軍も対抗して真似しそうだから(*3)複数いても問題ない王にしておいた方が無難じゃね?」 と時期尚早だと理論整然と答え、これに諸将の多くも賛同したのだが… 張卬「(地面に剣を打ち付けて)天の父となってもいい位なのにどうして天子如きがダメなんだ!!!」 張卬「事を疑って功績が立てられるか、この会議は二度と無いんだぞ!!!」 と反乱軍「緑林軍」の武将にして劉玄配下の張卬が、「お前は何を言っているんだ?」的な逆ギレ台詞を言い出して強引に諸将の賛同を得て劉玄を皇帝に据えた。 昆陽の戦い 反乱軍が皇帝を擁立した事を聞き狼狽した王莽は討伐の為に大軍勢を差し向け、反乱軍を一気に叩き潰そうとした。 その軍勢は多数の兵法家と武芸の達人を集め、猛獣と猛獣使いまで引き連れた節操のない数十万にも及ぶ大軍団であった。 この頃、劉秀は兄の劉縯とは別行動をとっていたのだがよりにもよってこの大軍団と遭遇し戦うハメとなってしまった。 この時の劉秀の手勢は数千であり昆陽の城に逃げ込むしかなく、逃げ出そうとする将兵も現れた。 更に城を十万の軍勢が包囲し最早絶体絶命の危機に瀕したのである。 この時劉秀は十三騎で包囲網を一騎も失わずに突破し、周辺の兵士達をかき集めて対抗しようとした。 そして王莽軍側も本隊が合流し、昆陽の城は何重にも渡る包囲網を敷かれ降伏も認められない状況の中で激しい攻撃にさらされ続けた。 援軍を連れて戻った劉秀は最前線で千の兵を率いて布陣し、それを侮った王莽軍は数千の兵で迎撃しようとした。 劉秀は自ら敵陣に突っ込んで数十人の首を取って敵勢を敗走させた。 劉秀の強さを見た配下達も奮起して戦い、昆陽の城に無事に帰還できた。 とは言え敵の大軍勢は未だ健在であり、危機が去った訳では無かった。 そこで劉秀は「兄の劉縯が自分の請け負っていた地の攻略を終えてこちらに援軍に来る」と言うデマ(*4)を王莽軍に流して更に戦意を喪失させた上で精鋭兵を率いて奇襲を行った。 ちょうどこの時、雷雨と防風も吹き荒れていた事もあって王莽軍は大混乱に陥り、この期に乗じて城に残っていた兵も打って出た為に挟み撃ちの形となって更に混乱が加速、劉秀軍に倒され、川で溺れ、混乱した猛獣に襲われて敗走した。 この戦い以降、劉秀は一目置かれる事となって部下になりたいと言う者も増えていくようになる。 兄の死 だがこの戦果は皇帝の劉玄の猜疑心と自分がとって変わられると言う恐怖を生み出す事となった。そして… 劉玄「お前に将軍位を与えてやろう。」 劉縯の配下「だが断る。」 劉玄「朕の言葉に背いたな!!!これは反乱の証拠じゃ~」 劉縯「陛下、落ち着いて下され。 (劉縯の配下に)お前も陛下の御好意を無下にする事はないだろう。」 劉玄「そうか、貴様もグルだな!!! コイツも反逆者じゃ殺せ~」 …と劉縯の配下が将軍位を断ったのを反乱とみなして仲裁しようとしていた劉縯まで連座の形で(即座に)殺してしまう。 この暴挙に対して劉秀は劉縯の非を詫びて喪にも服さず黙秘を貫いて自身への嫌疑をやり過ごそうとする。 葬儀に対しても劉玄の配下が弔問と称して執拗に探りを入れて来たからである。 この態度を見て周辺の人間は「自分の兄が死んでも何もできないヘタレ」と判断し関係を絶ってしまう者もいたとか。 とは言えこの行動が功を喫して劉秀の嫌疑は解かれて武信侯に封じられた。 河北平定、そして皇帝へ… その後王莽を倒した劉玄は劉秀に河北の平定を命ずる。 僅かな手勢と物資しか与えられず事実上の左遷に等しい扱いであったが僅か一年弱で大半を収めて独立し、その後で部下に請われて皇帝に即位した。 なお、ここで大軍の銅馬軍をそのまま降伏させたことで 部下の大半が銅馬軍になってしまい 銅馬帝と呼ばれた。 (そんな状況でも反乱を起こされず、逆にこんなことにもならなかったことも劉秀のたぐいまれな点である) その頃劉玄は民心を失って赤眉軍に攻められて殺害され、劉秀は赤眉軍を打ち破ってその後も各地を平定。 十数年後に漢王朝を復興させた。 一度滅亡した王朝が完全復活したのは唯一無二の例である。 その後 漢王朝復興後、劉秀は奴卑解放および大赦を数度にわたって実施したり屯田を行って生産力を高めたり、税収の削減や人身売買に対する規制を行って民衆への負担を軽くする政策を行った。 また、耕地面積と戸籍との全国調査…即ち検地を行って土地の情報の収集も行い統治がスムーズにできるようにしたり地方に学問所を多数立てて学問を奨励したりもした。 それからも古今東西の君主のように耄碌したり猜疑心に駆られたり病にかかったり我が身を不幸が襲う事もなく、夫婦円満で子供にも恵まれて天寿を全うした。 その後は皇太子の劉荘が明帝として後を継ぎ、見事に漢帝国を治めた。 (明帝の死後、帝国は幼帝が続き臣下が権力争いを繰り広げて国力が低下していく……つまりいつものパターン) 逸話 上記の通り「妻を娶らば陰麗華」と唄っていたが 本当に結婚した 。当初は支配地域の権力者の娘(郭聖通)と政略結婚していたのだが、いろいろあって離縁・廃后し、陰麗華を皇后に迎え直す。ただし離縁した後も仲が悪いわけではなかったようで(当然殺されてもいない)、間に出来た子の劉彊も太子ではなくなった(トラブルを予見して自ら身を引いた)ものの、一国の領主として太子であった頃以上に栄えたという。 ちなみに長男の劉彊と皇太子で2代目皇帝となった明帝・劉荘の異母兄弟は複雑な間柄(兄は元皇太子だが今は弟の臣下)でありながら、非常に仲の良い兄弟であり主従であったという。 皇帝になってからも戦いの際には 先陣に立って常に勝利した 。だがその一方で戦乱が終結してからは戦いの事を語るのを非常に嫌っていた。 皇帝になってからも割とフランクで 呆れた部下に締め出されて野宿した経験が(少なくとも)二回もある 。 冒頭の言葉は故郷に帰った際の親戚のおばちゃんのコメントである。 皇帝になってから宴会で 秘蔵の美人画屏風コレクション を披露したら品位がないと 部下に叱られた 。その中でもお気に入りの数枚を玉座の近くに置いていたが、配下の宋弘との謁見中に 屏風をチラ見しすぎて彼に叱られ、おとなしく片付ける 。 皇帝になってからは配下には厳しい勤務体制を敷いていたが 粛清者を出さなかった 。 皇帝になってからも田舎役人にすら「金にせこい」等と本音で言われる。 あまりに「聖王」と呼ばれすぎて鬱陶しくなったので「聖」をNGワードに。 嫌味なほど有能で欠点のない人物だが、強引に欠点を挙げるとすると… 親父ギャグ好きということで、正式な史書にまで「あまりに寒いギャグを連発するため奥さんに辟易されていた」とか。子供時代、「劉秀が天下を取る」という予言を聞いて誰もが当時「国師」に任じられていた学者の劉秀(劉歆)だと思っていたところ「僕のことだね?」と言って周りを噴き出させたとか。 被害を最小限にする策や戦術を用いるよりも正面から敵を潰すスタイルだったため、統一戦争で必要以上に多数の死傷者を出した。また兵法等も「机上の空論」と一笑していた事も。ただし昆陽の戦いのエピソードや自らが停戦交渉を行うというケースを見るに決して脳筋ではなく、 劉秀が規格外だったから(当時の)兵法がついてこれなかった と言えなくもないが… 家臣や国民には優しかった一方で、文官や豪族には厳しかったとされる。これは、国家を安定させるために検地や戸籍調査で基盤を固めたためで、特に豪族の反発は多く、即位後も小規模な反乱が起こっていた。これは、当時の既得権益層から権利を剥奪していたためである。上記の役人からの愚痴も、その追及の厳しさを物語っている。もっとも、そんなことを言っても処罰されないぐらいの空気はあったらしく、文官粛清もまっとうな理由で2件あったのみである。 本人が凄すぎる為にこの時代の配下や他の英雄達が噛ませ扱いや空気化しやすくなっている。例えば兄の劉縯も(劉秀と同レベルではないにしろ)戦才を持ち人望も厚く知も備えており、他の時代なら英雄と呼んでも差し支えない人物であったのだが、志半ばで謀殺されたのもあって配慮に欠ける人物と記されてしまっている。 この時代は 貧しい暮らしだったが皇帝の外戚となった事で後に新王朝を建てた王莽 、 息子を殺された恨みを晴らす為だけに私財を擲って反乱を起こした呂母 、 黄河で水軍を率いて反乱を起こした女予言者の遅昭平 と言う様に 敵味方共にサクセスストーリーがあったりカオスな設定が満載 であるにも関わらず 劉秀が凄すぎるというだけで ほぼ空気となっているのである。 このことは後の諸葛亮が「光武帝は本人が優秀過ぎて部下は地味な逸話(*5)ばかりを世に残し、高祖(劉邦)は本人がいい加減すぎたので部下は華々しい逸話(*6)が世に残った」と評している。 登場ゲーム 史実がチート過ぎてゲームバランスを崩すと判断される為か、登場する作品は少ない。 主役?ねぇよ。 信長の野望 烈風伝 PKの「諸王の戦い」において一勢力の大名(?)として登場。 箕輪城を拠点として、中国で名を馳せた武将(仮面の美男子とか曹豹とか)を配下として統一を狙う。 |政治96|戦闘89|采配98|智謀95|足軽A|騎馬A|鉄砲E|水軍E| 能力は流石に高レベル。鉄砲と水軍については、鉄砲は彼の生前にはまだ開発されていなかったし、水軍は一度も扱った事が無いので致し方がない。 ユリウスカエサル |政治100|戦闘96|采配99|智謀94|足軽A|騎馬B|鉄砲E|水軍C| 曹操 |政治98|戦闘80|采配100|智謀95|足軽B|騎馬B|鉄砲E|水軍D| チンギスハーン |政治81|戦闘99|采配100|智謀97|足軽B|騎馬S|鉄砲E|水軍E| 流石に世界の偉人の中には劉秀を上回る者もいる。 が、曹操(など三國志から登場した武将たち)は当時の三國志VIの能力値からのコピペであり、 他の武将たちは全人類史を通しての100段階評価であるのに対して、 三國志の人々は中国史のごく一部だけを抜粋しての100段階評価という点には留意すべきである。(*7) 「追記修正を頼むよ、ただし「聖」だけはNGな。」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 親父ギャグ好きで奥さんや家臣を辟易させていたらしいが、具体的にどんなギャグをかましてたんだろう…… -- 名無しさん (2016-04-21 01 42 42) 個人的には中国の歴史上最高の名君だと思う -- 名無しさん (2016-04-21 02 52 59) (光武帝)とかは項目名に入れなくていいのかな。むしろこっちで知られてるような… -- 名無しさん (2016-04-21 08 38 54) 大体どこかしら欠点のある中国の歴代皇帝の中でこの人と趙匡胤は正真正銘のぐう聖(おっとNGワードか) -- 名無しさん (2016-04-21 08 45 04) この時代はこの人が圧倒的過ぎて、お話としてはやや退屈になるのだけが残念。多分、粛正しないといけない相手は部下が勝手に始末とかどんだけだ -- 名無しさん (2016-04-21 08 58 58) 普通、どんな名君でもアレなエピソードがいくつも語られるものだが、この人はそういうのを聞かないな。 -- 名無しさん (2016-04-21 09 05 31) 考えとかも現代人に近かったりするよね、人は尊い物と言って奴隷を解放したり差別を無くしたりしてるし -- 名無しさん (2016-04-21 13 01 30) しかし、前漢をたてた劉邦。後漢滅亡後の劉備に比べて日本だとやけに無名。まあこの人の時代を取り扱った本も歴史書ぐらいしかないからか…。ゲームでも過去の武将がおまけででる三国志系とかでもあんま見たことないし…。 -- 名無しさん (2016-04-21 14 02 56) 優秀すぎて物語にしてもつまらなさそうだし知名度低めでも仕方ないかな -- 名無しさん (2016-04-21 14 11 00) 宮城谷昌光の「草原の風」はおもしろいぞ -- 名無しさん (2016-04-21 14 14 39) ↑3SLGだと能力を忠実に再現すると一人だけ強すぎての武将の立場が無い。かといって弱体化するとシミュレーションとして失格になってしまうから扱いたくても扱えないって所だろうな。 -- 名無しさん (2016-04-21 14 34 39) 波乱は少ない、偉業はデカ過ぎるでお話にしてもウケないんだよなぁ -- 名無しさん (2016-04-21 14 56 26) 作者「伝記小説書いてみた」読者「俺tueee小説乙wwwこの主人公優遇しすぎだろwww」作者「史実やで」読者「ファッ!?」 -- 名無しさん (2016-04-21 15 11 00) 日本に金印を送った皇帝光武帝ということで日本での知名度は無いわけではないかと、ただここまでチートな人間だとは知られてないだけで -- 名無しさん (2016-04-21 15 21 17) やる夫光武帝スレは、やる夫スレの中でも最高傑作の1つだと思う -- 名無しさん (2016-04-21 15 23 00) ↑13 光武帝はニコニコ百科やWIKIで題名にされている為にあえて本名側で投稿しました -- 投稿者 (2016-04-21 19 08 38) 銀英伝のラインハルトがこの人物を元にしたとかなんとか -- 名無しさん (2016-04-21 21 14 52) ↑x5、架空戦記から出禁食らってるルーデル閣下みたいなものよね、ってかどっかの作家がこの人と趙匡胤を指して、この二人は基本的に完璧超人すぎて書くことなくてつまらんとか言ってた気がする -- 名無しさん (2016-04-21 21 22 59) 王莽とかいうポルポトのご先祖様 -- 名無しさん (2016-04-21 21 56 04) ↑3 趙匡胤は(結果的にだけど)王位を簒奪しているし結構黒い面もあるけどね… -- 名無しさん (2016-04-22 20 17 47) ↑ ↑×2でした。 -- 名無しさん (2016-04-22 20 18 58) ↑2 まあ何をいうにも五代十国の混乱の中だから、ま、多少はね。ライバルの暗殺や功臣の粛清などの血生臭いエピソードがないだけでも中国史じゃ相当なもんだよ -- 名無しさん (2016-04-22 21 43 28) >波乱は少ない 山場になりそうなピンチと言えば昆陽で包囲されたときと劉縯が粛清されたときと王郎に先手を打たれたときぐらいか?確かに大した波乱じゃないな… -- 名無しさん (2016-04-22 23 45 37) ↑7・1できたら銀英伝の田中芳樹にこの人を主人公に小説書いて欲しいな -- 名無しさん (2016-04-23 00 02 23) ↑2 あと小長安での戦いかな… -- 名無しさん (2016-04-23 00 42 57) 確かかなり前、読売新聞かどこかで、この人が主役の歴史小説が連載されていたような。 -- 名無しさん (2016-04-23 07 58 45) 息子を殺されて反乱を起こした母親は、名前は不明だが名字が「呂」で「呂母」って呼ばれてるよ。「王莽 呂母」でググると出てくる -- 名無しさん (2016-04-26 07 43 13) どちらかというとラインハルトというよりアルスラーンの方が近いかな -- 名無しさん (2016-04-26 17 19 54) リップシュタット戦役の後ラインハルトの暗殺が成功してキルヒアイスが主人公になってたらこんな感じだったかも -- 名無しさん (2016-04-26 20 15 00) 最後のゲームの能力だけど流石に曹操よりも下ってのは無いだろう。曹操が英雄であることは否定しないけど、最終的に天下統一に失敗してる時点で英雄としての格は光武帝の方が数段上だろう -- 名無しさん (2016-05-27 02 52 58) ↑時代や周囲の状況といった面も考慮されていると思われる。 同じ様な能力で同様の戦乱でも1強多弱で連戦連勝とどんぐりの背比べで苦戦しながらの連戦連勝じゃ見方が異なるからね。 -- 名無しさん (2016-05-27 07 17 57) この人の行動原理を突き詰めると、困っている人がいたから行動したって言う、生粋のヒーロー気質みたいなのよね。砕けて言うと、世話好きの兄ちゃんな感じ。それが高じて皇帝になるのだから、よっぽどすごい能力を持っていたことになるんよ。 -- 名無しさん (2016-09-06 14 57 14) 大抵の新興勢力は落ち着いた後武断派の粛清やってるのに光武帝はやってなくて和気あいあいと飲み会やってたらしい。カリスマぱねぇ -- 名無しさん (2016-10-05 10 54 41) だけど、せっかく復興させた漢も末期になると……うぅ(つ_; -- 名無しさん (2017-03-11 08 58 35) 死後も戦乱が起きたとか子供らが争ったとかそういうこともないあたりまさに完璧。廃嫡された元皇太子の兄と2代皇帝になった弟がめっちゃ仲良しだったりするし…。 -- 名無しさん (2017-06-05 18 20 16) 敵も部下もなんだこの小説の中の人みたいなのがゴロゴロしてるのに、本人が一番のチートすぎて空気化するってすげえ話だよな…なのにオヤジギャグ好きなのが草生える -- 名無しさん (2017-07-09 22 06 13) 最終的に幼馴染が正妻って嘘だろ…完全に創作物主人公のソレ -- 名無しさん (2018-04-29 03 28 12) ↑ 実際に架空の人物ではって言われたこともあるとか。 -- 名無しさん (2018-04-29 19 48 17) 徳もカリスマも武勇も倫理も嫁も子供も幸運にも恵まれたが、ギャグのセンスには恵まれなかった男 -- 名無しさん (2018-05-03 19 52 46) この人の知名度が日本で低いのは横山光輝が本書いてくれなかったからだろうな -- 名無しさん (2018-07-26 14 02 36) 皇帝「部下に締め出されたのでここをキャンプ地とする」 -- 名無しさん (2018-07-26 14 54 51) この人は最早中国皇帝で1位2位を争う人じゃない -- 名無しさん (2019-01-28 21 38 02) ↑ミスって途中送信した この人は最早中国皇帝で1位2位を争う人じゃない 、人類の統治者の中で1位2位を争うべき人だ -- 名無しさん (2019-01-28 21 39 33) 歴史上の偉人は詳しく調べれば調べるほどイメージダウンしていくのに、この人は知れば知るほどスゲェってなる -- 名無しさん (2019-03-30 00 41 58) 逸話可愛過ぎ皇帝 -- 名無しさん (2019-06-05 16 00 15) ↑18アルスラーンは最終的に国を崩壊させているのでむしろ王莽 -- 名無しさん (2019-06-05 18 49 22) 親父ギャグは「こんな気軽に私に会うなんて私が刺客だったどうするのです」→「そなたは刺す客ではない、説く客じゃ!」とか言ってたけど、部下からは割と好評だったらしい まぁ嫁にはあんまりウケないわな! -- 名無しさん (2021-04-14 11 30 22) チートチートと言われてるけど、それほどずば抜けてるわけではなかったりする。優れた戦術家ではあるけど、その戦術は昆陽の戦い以外は派手さのない堅実なものだし(呉漢とか馮異とかのほうがよっぽどチート)、戦略は結構ガバガバ(あれだけ周りが敵だらけの状況を凌げたのは優秀な家臣たちのおかげ)。記事では書いてないがやらかしエピソードも多いし、なにより文官に対して異常なまでに厳しい(後世でもこの点は批判されてる)。あえてチートというなら、政や武ではなく卓越した政治的バランス感覚かな。30の若造が豪族連合体の頭に立って大きな反乱も起こさせずにまとめ上げたのは天性としか言いようがない -- 名無しさん (2022-04-23 20 04 08) ↑加えて宦官を重用過ぎる数少ない欠点の一つ。これは我々がよく知る黄巾の乱に直結する十常侍のやらかしの源。とはいえ何百年先のことを彼に責任を取らせるのもあれだけど。 -- 名無しさん (2022-09-01 16 46 30) 光武帝が締め出された逸話ってどの史書(あるいは注釈?)にのってますか? -- 名無しさん (2023-07-06 22 43 02) ↑3 一見すると馮異の様に時として奇策を用いる軍人の方が派手で優秀に思えるが、光武帝は謀略による敵勢力の弱体化や分裂を優先し、いざ戦場では敵の戦力配置から自軍の勝利に最適な戦力配置を導き出し、その上で敵軍の士気低下を画策して奇策を用いる必要すらないまでに戦局を制して正面から敵を叩き潰すという、(本人は兵法書を机上の空論と言っていたが)正に孫子や三略の説く理想的な戦術論を体現している人物。その軍人・戦術家としての才能・実力は馮異に勝るとも劣らない。 -- 名無しさん (2023-08-29 02 30 31) ↑4 呉漢に関してはその熟練度の差から突騎部隊の指揮という一点のみは光武帝より勝っていた可能性もある。しかし巴蜀での攻略では総大将として現場にいながら、洛陽から督戦していた光武帝に対し戦力配置に基づく戦況予測といった戦術における基本的な点で遅れをとっており、(当時では間違いなく十指に入る軍人だが)軍略・戦術については明確に光武帝に劣っているよ。平民や功臣には徹底して優しかったが、その反面として官吏(豪族)には非常に厳しかったのは確かだし、それを後世の史家(豪族)の一部から批判されてるのは事実だな。まあそれも重箱の隅をつつくといった感じで総論としては光武帝に対し絶賛している史家や士大夫が殆どだが。 -- 名無しさん (2023-08-29 02 54 37) 宦官しか大長秋に就任できなくしたのも事実だが、これも和帝の代までは全く弊害などは無かったからな。和帝の代で宦官が爵位を得て養子を設ける前例が出来た。この時もまだ大きな弊害は無かったが、極めつけは順帝が宦官に爵位を大盤振る舞いした上に養子による爵位や財産の継承を制度として許したことだ。これによって宦官は自身の親族と結託し完全に表立って権力を左右する存在になった。順帝は梁冀の跋扈を許してしまった件も含めて、後漢の終焉の最大の原因となった皇帝と言える(前代の安帝から宦官や外戚の弊害が出始めたので、この親子二代が後漢の舵取りを大きく狂わせたと言っていい)。 -- 名無しさん (2023-08-29 03 20 28) 日本史で言うと南北朝の戦乱の際に途中で足利尊氏が死んで直義が征夷大将軍に成っていたらって感じ -- 名無しさん (2023-08-29 07 16 37) どちらかというと頼朝が横死してしまって、軍才だけでなく政治力と人望まで抜群になった義経が天下統一を果たした方が近いかもな。 -- 名無しさん (2023-09-03 01 28 28) 名前 コメント
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【プロフィール】 クラス:セイバー 真名:劉秀 性別:男性 属性:秩序・善 身長:175cm 体重:78kg 出典:史実 地域:中国 【ステータス】 筋力:B 耐久:B 敏捷:A 魔力:A 幸運:A+ 宝具:EX 【クラススキル】 対魔力:A 赤龍の因子の効果によって、このランクの対魔力を所有している。 事実上、現代の魔術師では、魔術で傷をつけることは出来ない。 騎乗:B 乗り物を乗りこなす能力。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 幻想種あるいは魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなすことが出来ない。 【保有スキル】 解放者:A 人民の平等を宣言し奴婢解放を実施したことに由来するスキル。 マスターとサーヴァントで繋げられている契約を一時的の破棄することが可能。 赤龍の因子:A 高祖劉邦より受け継がれる天下を統べる皇帝の象徴たる龍の因子。 皇帝としてカリスマと生きているだけで魔力を生成する魔力炉心を保有する。 柔能制剛:A 自身に相手より劣っているものがあると自覚した時に力を発揮するスキル。 一つの事を極めたサーヴァントには強くオールラウンダーなエース相手には効果が薄い。 【宝具】 牽牛星雲神使(けんぎゅうのせいうんしんし) ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:2~60 最大補足:500人 挙兵時に光武帝が牛で出陣した逸話や、牛郎織女と結びつけられた陰麗華との恋愛の具現。 剣によって刻んだ魔法陣より牽牛を召喚し引く戦車に騎乗することで空を駆けることも可能。 真名解放と共に突進と戦車による攻撃に加え牛の牽く戦車の軌道に天の川を再現し広範囲を蹂躙する。 雲台二十八将(うんだいにじゅうはっしょう) ランク:EX 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大補足:28人 漢朝再興を支えた功臣二十八騎の英傑達をサーヴァントとして召喚する固有結界。 召喚された臣下は鄧禹を筆頭にそれぞれ英霊として君主と共に座に召されたサーヴァントであり、 全員がランクE-の単独行動スキル、生前の逸話を昇華した専業スキル・宝具をそれぞれ保有している。 西の大王が持つ数万の軍勢の中には王を凌ぐ英傑さえ存在するが、この軍勢は王を凌ぐ者が一人としていない。 死後も忠誠を誓う英傑達を侍らせながら、劉秀という完璧すぎる皇帝は斯くも孤高。
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能力値・特性 統率 武力 知力 政治 総合 槍兵 騎兵 弓兵 伝授特技 重臣特性 戦法 理想威名 初期値 92 76 95 91 354 A S A 奮戦 公正無私 勇略采配 智勇兼備 順位 12 128 7 9 1
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【元ネタ】新末後漢初 【CLASS】セイバー 【マスター】 【真名】劉秀(光武帝) 【性別】男性 【身長・体重】170cm・59kg 【属性】中立・善 【ステータス】筋力D 耐久C 敏捷A 魔力A 幸運A 宝具A++ 【クラス別スキル】 対魔力:A A以下の魔術は全てキャンセル。 事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。 騎乗:B 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、 魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。 【固有スキル】 カリスマ:A 大軍団を指揮する天性の才能。 Aランクはおおよそ人間として獲得しうる最高峰の人望といえる。 魔力放出:B 武器、ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、 瞬間的に放出する事によって能力を向上させる。 【宝具】 『天子の剣は万軍穿つ(クンヤン・シュンリー)』 ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人 昆陽の戦いでの現実離れした一騎当千の逸話の具現であり、剣を介して発現する大魔術。 真名解放によって光武帝の“武”自体を『最強の幻想(ラスト・ファンタズム)』に昇華し、機能させる。 民の人望を篤く受ければ受けるほど、光武帝の剣は万軍を穿つ力とすらなりうる。 また、『最強の幻想』たる武を示すことで自陣営を士気はさらに上昇し、武力の向上にも繋がる。 かつて楚の荘王が意味を間違え、また後世武の理想形となった「戈を止める」の具現たる武の象徴。 『王の臣将(ユンタイ・アルシーパー・チアン)』 ランク:EX 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:28人 光武帝の後漢復興を支えた大功臣二十八騎を、サーヴァントとして現界させる。 召喚されるのはいずれもマスター不在のサーヴァントであり、鄧禹を筆頭とする全員が君主と共に座に召された英霊。 そして、その二十八騎全員が生前の功績や逸話をCランクの専業スキル・宝具として宿している。 尤も、数万の軍勢の中には王を凌ぐ英傑さえ存在する前者に比べ、この軍勢は王を凌ぐ者が一人としていない。 死後も忠誠を誓う勇者を侍らせながら、劉秀という完璧すぎる王は斯くも孤高なのだ。 【Weapon】 『星の牛車(シンユン・ニウチュア)』 挙兵時に光武帝が駆った牛と、七夕伝説と結びつけられた陰麗華との恋愛のミックス。 ライダークラスでの現界時は、牛の牽く戦車の軌道に天の川を再現する星雲走法となっていたのだが、 現在はセイバークラスでの現界なので保有していない。 【解説】 新末後漢初時代を生き、史上初帝国の復興を成し遂げ後漢帝国初代皇帝となった男。 南陽郡蔡陽県の人で、字は文叔。 若いころは牛を牽いて畑を耕す農民であったが、長安で学んだ末に学術にも秀で、 その他にも多くの才を持っていた、出典を史実とすることが憚られるほどの完璧超人。 王莽の儒学・学門方面の政治が失敗し、各地で反乱が頻発すると牛に乗って挙兵し、 昆陽の戦いでは四十万(補給兵も含めば百万)の大軍に三千で風穴を空ける武功を挙げ、その後も敗北知らず。 彼につき従った外国の使者の心胆を寒からしめた。 そんな彼も実際にはかなり素朴な性格で、それ以前のヘタレぶりが露見していたため、周囲にはバカにされる始末。 だが、いざ戦場に出れば先に挙げたように完璧超人となり、生涯で降伏させた敵兵の数は二百万人以上とも言われている。 彼の覇業を支えた雲台二十八将もまた有名であり、 首都の人口を飛躍的に増加させ、戦場を変え、一昔前のハリウッド映画のようなハッピーエンド過ぎる生涯を送った光武帝は、 天下統一後は有力な臣下である雲台二十八将もまた有名であり、その中の将を一人として粛清しなかったことでも知られる。 だが、その完璧すぎる生涯から、史実的には非常に面白みがなく、存在自体が捏造であるとする説すら存在する。 なお、『王の臣将』の中には李通、竇融、王常、卓茂、馬援の五人は含まれない。
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