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<目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、 第2回 、 第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「 少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考) 千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、 故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」( 赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ( 昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「 一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考) 日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・ 小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば 日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 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■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、理論派保守を目指そう!を作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、第2回 、第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、理論派保守を目指そう!でも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」——これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 『ハンドブック近代日本政治思想史』(長妻三佐雄・植村和秀・昆野伸幸・望月詩史 編著) 【内容説明】西洋の脅威に直面した日本人は、いかなる政治思想を生み出してきたのか。そしてその思想はどのような人々が担ってきたのか。本書では、幕末から昭和にかけての約150年間における思想と思想家について、それぞれの背景、思想、研究動向を詳述し、近代日本政治思想史の全貌を明らかにする。いわゆる「左」だけでなく「右」の政治思想も網羅した有用な一冊。【評価】近代以降の日本思想の概説書。従来型の左派政治思想の概説ではなく、右翼や保守とみなされる人物にも焦点が当たっている良書。 【このページの続き】 日本主義とは何か ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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<目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回、第2回、第3回)(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗)という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)があると述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長)が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍)・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著)★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 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887 :875 :2008/03/18(火) 19 29 52 ■推薦する新書と単行本 ●ちくま新書『保守思想のための39章』 → 『正統の哲学異端の思想』『保守主義の哲学』 保守思想の最良の入門書。 913 :無名草子さん :2008/03/20(木) 19 00 44 取り敢えず、この3冊には異論がある。削除を提案したい。 ①西部邁『保守思想のための39章』(ちくま新書)→「哲学・思想」 ②『日本の論点』編集部編『常識「日本の論点」』(文春新書)→「政治」 ③吉岡友治『世の中がわかる「○○主義」の基礎知識』(PHP新書) →「思想なんてイラネ」 ①への反対理由。 1.これを読んでも専門書・アカデミズムとの距離は全く縮まらない。 『イギリス保守主義の展開』(御茶の水書房)など北岡勲の一連の著作や、 佐々木毅『現代アメリカの保守主義』(岩波書店)など、先行する研究を無視している。 2.西部の評論活動の柱には「専門人としての知識人」批判があり、 その記述スタイルも含めて、専門的な著作になることを意図的に拒否している。 その西部の本を「哲学・思想」という一ジャンルの啓蒙書として並べるのはセンスがない。 3.文章的に、西部の作品のなかでも精彩に欠ける。 この本で西部に入門するのは著者・読者の双方にとって不幸。 4.その上、既に絶版である。 37 :無名草子さん :2008/04/02(水) 22 21 10 西部邁『保守思想のための39章』 前スレでは酷評されていた新書だが、自分にとっては思ったほど悪く感じなかった。 むろん既に西部邁の思想をだいたい知っていれば、新しい知見のようなものは皆無だと思うが。 個人的な興味としては、特に以下の二点を再確認。 ひとつは、元経済学者としての残滓。 (そもそも西部流保守思想の要となる「平衡」という観念は、弁証法というよりも経済学における均衡概念からの援用) もうひとつは、保守主義とポストモダニズムとの親近性と微妙な差異をはっきり規定している点。 他にこれといった感想もないわけだが… 54 :無名草子さん:2008/04/05(土) 01 38 14 37 西部の人の本はいつか読んでやろうと思ってたんで参考になりマンタ。 やはり西部は主著である知性の構造から入るのがベストっぽいですね。 … アマゾンリンク⇒
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改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください <目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、第2回 、第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 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<目次> ■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、最速!理論派保守☆養成プログラムを作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、 第2回 、 第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「 少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考) 千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、 故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、最速!理論派保守☆養成プログラムでも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」( 赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ( 昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「 一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考) 日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・ 小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば 日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 【このページの続き】 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 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主要な保守思想家の思想のエッセンスを私なりに抽出してみました。 かなり大雑把です。すみません。 エドマンド・バーク 経験の知恵の蓄積と熟成としての「時間の効果」を重視せねばならない。 法の正当性の根拠は伝統的な道徳による基礎付けに求められる。 伝統を保守するために、革新主義を排して漸進主義を目指すべき。 伝統を蔑ろにするアホな大衆による衆愚民主主義を排して、伝統の知恵を有する存在としての国民による民主主義を! アレクシス・ド・トックヴィル 民主主義はアホな大衆による「多数者に専制」に陥りがちである。 民主主義が衆愚政治に嵌まり込まないためには、伝統に基づいた道徳・法律・宗教などによる秩序が不可欠である。 ヤコブ・ブルクハルト 進歩史観を排した冷静な歴史研究により、人類の歴史は必ずしも進歩して来ていないということが論証された。 歴史に進歩があり得るとすれば、歴史の英知としての伝統が破壊されずに、きちんと保守され蓄積され続けている限りにおいてである。 現在や未来を至上の時代と自惚れて、歴史の英知を破壊しまくる近代は進歩とは程遠い。 ギュスターヴ・ル・ボン 現代社会において、空疎なスローガンやパフォーマンスなどによってでっち上げられた「イメージ」に容易く踊らされる群集が大量発生していることに警鐘を鳴らす。 イメージに乗せられた群集の熱狂は凄まじい勢いで感染していくからヤバい。 ギルバート・K・チェスタトン 現代は「正統」を足蹴にして「異端」に走る個性派気取りの、頭脳は子ども体は大人の恥ずかしい輩ばかりである。 人間とその社会にはあらゆる矛盾や葛藤(死へ向かって生きねばならない、善き事を成すために悪に手を染めねばならないなど)が渦巻いており、それらの矛盾や葛藤の中でバランスを保つための知恵は伝統の英知の中にこそ豊富に蓄えられている。 伝統という死せる過去の人々の声に耳を傾ける「死者の民主主義」を! (長い歴史の試練に耐え抜いてきた)平凡なるものは非凡なるものより遥かに非凡なのであり、異端に走って狂気に陥るよりも、正気を保って正統を保守する事の方が遥かにドラマチックで面白いぜ。 オズワルド・シュペングラー 自然科学のような無機質な歴史研究を排して、生き生きした有機体としての歴史を語ろう。 進歩史観と西洋中心史観は誤り。 すべての文明は発生(春)発展(夏)爛熟(秋)没落(冬)という経過を辿る。 西洋文明及び現代文明もその例外ではない。 文明が没落期に突入すると、新興宗教とテクノロジーへの過剰な信奉が目立つようになる。 ヨハン・ホイジンガ 「遊び」を研究。 現代の遊びは日常性と非日常性が混淆し過ぎててつまらない。 現代の遊びは商業主義に束縛されてて不自由でつまらない。 現代の遊びは文化的小児病に陥っていて、あまりにガキっぽくてつまらない。 ホセ・オルテガ 自己懐疑の精神を喪失し、伝統の知恵からも切り離された、愚劣な存在としての大衆が、国家を運営する力量など微塵も無いくせに国家運営の主導権を握っている。 人が大衆から脱してまともな人間に成る為には、歴史感覚が必要で、その歴史感覚を理性にまで鍛え上げるためには歴史形成の根源としての充実した「他者との会話」が必要であり、その理性を枠付けるのは語源の体系であり、その理性をつらぬくのは幻想である。 カール・ヤスパース 現代の大衆は産業制と民主制を回すために歯車に堕してしまっている。 まともな人生を生きたかったら、自らの歴史的社会的な限界をしっかり自覚して、その限界の中で自由な決断を日々行っていかねばならず、その決断を良心に基づかねばならず、その良心は伝統や宗教への意識に支えられねばならない。 トーマス・エリオット 個性なんてどこにも実在しない。 表現者とは伝統と現代との媒介に過ぎない。 ありもしない個性に執着したくだらない表現に現を抜かすよりも、豊穣にして複雑な伝統の網の目に身を委ね、個を滅却する正統なる表現を目指せ。 フリードリッヒ・ハイエク 理性による設計主義は社会の秩序を破壊する。 歴史の流れの中で培われて来た自生的秩序を重視せよ。 人間社会には言語化できない知識が豊富にあり、設計主義はそういった知識を軽視し破壊する。 マイケル・オークショット マニュアル化できない実践知を重視。 伝統に裏づけられない「人権や平等」などのイデオロギーは危険であり、そういったイデオロギーに突き動かされる合理主義的政治はさらに危険。 人間は道徳的にも知的にも不完全な存在であり、その不完全な人間が国家を運営していくためには、歴史の英知の援けを借りねばならない。 それぞれの国民が有する歴史の英知を社会に反映させるためには、真剣な「会話」が不可欠。 さらに会話には、個々人及び社会に伝統を保守していくための情熱や活力を生み出す作用がある。 2011年 09月27日 22 26 1 TUPコメント返信ボタン 0 いいね! 在特会の存在はただ一つ 日本国民 目覚めよ と敬称しています。 真の日本を見つめ直せ!!!!! 日本は色々な毒に犯され侵食され過ぎた 目覚めよ大和魂!!!! デトックスJapan 2011年 09月28日 00 26 2 コメント返信ボタン 0 いいね! 在特会運営による保守思想エッセンス、かなり面白いというか、いいですね。 日記で紹介させてもらいます。 2012年 02月21日 19 06 3 万コメント返信ボタン 0 いいね! 青年にとってはあらゆる思想が単に己の行動の口実にすぎぬ
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