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Top 地震 本震 基礎データ 地震名 東北地方太平洋沖地震 発生 2011年3月11日14時46分 震源地 三陸沖(北緯38.0度、東経142.9度地図) 規模 マグニチュード7.9、最大震度7(詳細) 深さ 10㎞ 各地震度一覧 震度7 宮城県北部 - 栗原市 震度6強 宮城県南部・中部 - 涌谷町 登米市 大崎市 名取市 蔵王町 山元町 仙台市宮城野区 塩竈市 東松島市 大衡村 福島県中通り・浜通り - 白河市 須賀川市 二本松市 鏡石町 楢葉町 富岡町 大熊町 双葉町 浪江町 新地町 茨城県北部・南部 - 日立市 笠間市 筑西市 鉾田市 栃木県北部・南部 - 大田原市 宇都宮市 真岡市 高根沢町 震度6弱 岩手県沿岸南部・岩手県内陸北南部 - 大船渡市 釜石市 滝沢村 矢巾町 花巻市 一関市 奥州市 宮城県 - 気仙沼市 南三陸町 白石市 角田市 岩沼市 大河原町 宮城川崎町 亘理町仙台市青葉区・若林区・泉区 石巻市 松島町 利府町 大和町 富谷町 福島県 - 会津 郡山市 桑折町 国見町 川俣町 西郷村 中島村 矢吹町 棚倉町 玉川村 浅川町小野町 田村市 伊達市 いわき市 相馬市 広野町 川内村 飯舘村 南相馬市 猪苗代町 茨城県 - 水戸市 常陸太田市 高萩市 北茨城市 ひたちなか市 茨城町 東海村 常陸大宮市 城里町 小美玉市土浦市 石岡市 取手市 つくば市 鹿嶋市 潮来市 坂東市 稲敷市 かすみがうら市 行方市 桜川市 つくばみらい市 栃木県 - 那須町 那須塩原市 芳賀町 烏山市 珂川町 群馬県南部 - 桐生市 埼玉県南部 - 宮代町 千葉県北西部 - 成田市 印西市 震度5強 青森県三八上北 - 八戸市 東北町 五戸町 階上町 おいらせ町 岩手県沿岸北部 - 宮古市 山田町 盛岡市 八幡平市 北上市 遠野市 平泉町 宮城県 - 宮城加美町 色麻町 柴田町 丸森町 仙台市太白区 七ヶ浜町 秋田県沿岸南部・内陸南部 - 秋田市 大仙市 山形県村山・置賜 - 上山市 中山町 尾花沢市 米沢市 福島県 - 福島市 大玉村 天栄村 泉崎村 矢祭町 石川町 平田村 古殿町 三春町本宮市 葛尾村 会津若松市 喜多方市 磐梯町 会津坂下町 湯川村 会津美里町 茨城県 - 大洗町 大子町 古河市 結城市 龍ケ崎市 下妻市 牛久市 阿見町 八千代町 境町 守谷市 常総市 栃木県 - 日光市 矢板市 足利市 栃木市 佐野市 鹿沼市 小山市上三川町 益子町 茂木町 岩舟町 栃木さくら市 下野市 群馬県北部 - 沼田市 前橋市 高崎市 渋川市 明和町 千代田町 大泉町 邑楽町 埼玉県 - 熊谷市 行田市 加須市 東松山市 羽生市 鴻巣市 深谷市 久喜市 吉見町 川口市春日部市 草加市 戸田市 三郷市 幸手市 吉川市 川島町 白岡町 杉戸町 さいたま市大宮区・中央区 千葉県北東部・南部 東金市 旭市 神崎町 多古町 白子町 香取市 山武市 栄町 鋸南町千葉市中央区・花見川区・若葉区・美浜区 野田市 佐倉市 習志野市 柏市 八千代市 浦安市 白井市 東京23区・新島 - 千代田区 江東区 中野区 杉並区 荒川区 板橋区 足立区 江戸川区 新島村 神奈川県東部 - 横浜市中区 川崎市川崎区 寒川町 二宮町 山梨県 - 中・西部 東部・富士五湖 中央市 忍野村 震度5弱 青森県 - 十和田市 野辺地町 七戸町 六戸町 三戸町 南部町 岩手県 - 久慈市 普代村 野田村 二戸市 雫石町 葛巻町 岩手町 軽米町 紫波町 宮城県 - 多賀城市 秋田県沿岸北部 - 井川町 由利本荘市 横手市 山形県庄内・最上 - 鶴岡市 酒田市 三川町 遊佐町 庄内町 新庄市 最上町 舟形町 大蔵村戸沢村 村山市 天童市 東根市 山辺町 河北町 大石田町 南陽市 高畠町 川西町 白鷹町 福島県 - 塙町 鮫川村 下郷町 西会津町 柳津町 南会津町 茨城県 - 利根町 栃木県 - 塩谷町 壬生町 野木町 群馬県 - 中之条町 伊勢崎市 太田市 館林市 安中市 吉岡町 板倉町 みどり市 埼玉県 - 本庄市 嵐山町 美里町 上里町 川越市 狭山市 上尾市 越谷市 蕨市朝霞市 志木市 和光市 新座市 桶川市 北本市 八潮市 富士見市 蓮田市 坂戸市鶴ヶ島市 伊奈町 三芳町 毛呂山町 松伏町 さいたま市浦和区・岩槻区 秩父市 横瀬町 千葉県 - 銚子市 茂原市 東庄町 大網白里町 九十九里町 芝山町 睦沢町 長生村 匝瑳市横芝光町 千葉市稲毛区・緑区 市川市 船橋市 松戸市 市原市 流山市 我孫子市 鎌ケ谷市四街道市 八街市 酒々井町 富里市 館山市 木更津市 君津市 いすみ市 南房総市 東京23区・多摩東部 - 中央区 港区 新宿区 文京区 台東区 墨田区 品川区 目黒区 大田区 世田谷区渋谷区 豊島区 北区 練馬区 葛飾区 八王子市 武蔵野市 三鷹市 調布市 町田市 小金井市小平市 日野市 東村山市 国分寺市 西東京市 狛江市 東大和市 清瀬市 多摩市 稲城市 神奈川県 - 川崎市幸区・中原区・宮前区 平塚市 茅ヶ崎市 大和市 海老名市 座間市綾瀬市 厚木市 伊勢原市 南足柄市 中井町 大井町 松田町 相模原市中央区・南区・緑区 新潟県中越 - 刈羽村 南魚沼市 山梨県 - 甲府市 南アルプス市 笛吹市 北杜市 甲州市 富士川町 山中湖村 富士河口湖町 長野県中部 - 佐久市 南牧村 静岡県東部 - 御殿場市 データ:http //typhoon.yahoo.co.jp/
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Top 地震 余震の一覧 2011年3月11日の地震 2011年3月12日の地震 2011年3月13日の地震 2011年3月14日の地震 2011年3月15日の地震
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Top テレビニュース 本震発生 ひとこと案内:0分35秒頃から地震情報が始まります。
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Top テレビニュース 本震発生(2)
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余震の一夜 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)揺《ゆら》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「りっしんべん+束」、264-上-18] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)ゆら/\ 濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 或夜中に私は寝所について、いくらか眠つたと思ふ頃に、又人騒かせな余震があつたとみえて、家中騒ぎだした。私は夢心地にこの地震を感じたに違ひなかつたが、どのくらゐの強さで初まつたかを、感ずるほど微細な知覚は働いてゐなかつた。私は今度の大地震を経験する前から、時々坐つてゐる尻の下で、大地が動もするとゆら/\と揺《ゆら》いでゐるやうな気のすることが屡であつた。勿論それは私の神経が微弱なために、自身の体の無意識な揺《ゆら》ぎを、さう感じたり、又は病的な中枢《ちうすう》神経から来る軽い眩暈のやうな種類のものに過ぎないのだらうと思はれたが、しかし矢張り大地が始終動いてゐるやうな気がしてならないのであつた。或地震学者は臆病になつた市民が、科学の智識がないために、徒らに余震におびえて戸外へ出て寝てゐたのを非文明だと言つて嗤つてゐるが、大地が揺ぎつゞけに揺らいでゐた当時では、粗末な建物のなかなぞに、迚も安住してゐられないのも無理はなかつた。その上悠久な地球の生命について、わづか三千年やそこいらの経験しかもたない我々の智識が、果して何程の権威をもつことができやうか。勿論我々はそれでも結構生きて行かれるには行かれる。生の不安と恐怖が、生活の歓びの裏づけとさへなつてゐるのである。 私が起きあがつた時には、妻と幼児はまだ床の中にゐた。私はあの大震災の時家にはゐなかつた。多勢の子供たちと一緒に家を守つてゐた彼女は、十四日目にのこ/\帰つて来た私に、余り好い感じをもたなかつた。一生の大難とも言ふべき運命の苦痛を偕《とも》にしなかつたことが彼女の飽足りなさであつた。彼女の弟達が、悲痛な気持で遠くから救ひに来てくれたり、友人や近隣の人達が、女子供のうへに何彼と気を配つてくれるにつけて、生死の巷をさまよはせられたあの大動乱の真中《まんなか》に、中心となるべき主人のゐなかつた寂しさが、どのくらゐヒステリー質の彼女の心持を苛立たせたか知れなかつた。 「そのために私は却つて働けたのかも知れませんけれど。」彼女はさう言つてゐたけれど、子供達と一緒に帰りの遅いのにじれ/\してゐたことは私にもよく判つた。事によるともつと酷《ひど》い余震を経験させたいくらゐに思つてゐるかも知れなかつた。 とにかく私は幼児の春子を抱いて、縁へ飛出した。妻はさう驚きはしなかつた。と言ふよりも敏捷に働くには、彼女の体は余りに疲れてゐた。私は板戸を繰開けた縁側の口《くち》へ集まつて来た子供を順々に降りさせてから、下駄を捜して庭へおりて行つた。そしてこぶしの大樹と柘榴の老木の間のところへ皆《みん》なを集めた。 「大きいね。」長男と二男が、棟が別になつてゐる裏《うら》の家《うち》から、隣りの三階建の下宿の建物の下をくゞつて出て来た。その同じ棟のなかに仕切をして住つてゐる二組の罹災者のT氏夫婦やS氏夫妻も、三尺ばかり切り開いてある別の出入口から遣つて来た。 「まだ安心はできませんな。」T氏が笑ひながら言つた。 「この頃は夜分ばかりで、始末がわるい。」S氏も言つた。 「やつぱり枕頭《まくらもと》に何かを纏めておかなくちや可けませんね。」妻も彼等の細君達と話してゐた。 「追々お寒くなりますと取廻しが悪くなりますからね。」 今一組の夫婦が来てゐたけれど、年が其の男と半分の余も若い、この頃の細君――私は彼の何番目かに当る其の新らしい細君をまだ知らなかつた――が、私の家まで辛々《から/\》避難して来て、庭の柘榴の木の下で産気《さんけ》づいて、産後が悪いとかで、今は病院に入つてゐた。 今度の大地震では、もう其《そ》の儘《まゝ》ではいくらも持たないので、早く何うかしなければならない私の家も、地盤のお蔭で床の間の古壁に二筋割目が入つたのと、屋根が傷んだゝけであつた。そして旅行先から帰つてみると、こゝに永住するだけの設備をしようか、それともいつそ他へ移らうかと、絶えず不安定な気分で迷つてゐた荒廃その物のやうな貧弱な家が、ひどく尊《たうと》いものゝやうに思はれたのであつたが、それも日が経つて見ると、段々厭気がさして来るのであつた。それに今度も何をおいても其が気遣はれたのであつたが、東南の方角に高い三階の下宿が、裏の家の境界一杯に、私の家を見下すやうに多くの窓をもつて、聳え立つてゐるのであつた。私が自分の家を咀はしく思ふのも、一つはその為めであつた。勿論人との交渉ではないので、単に建物其物が咀はしいのであつた。朝日を遮つてもゐたし、風の流動を淀ませてもゐた。それだけでも私の古い住居は、可也私の頭脳を憂欝にした。木が立枯れになつたり、下枝が寂しくなつたりすることも、自然に愛着をもつてゐる私には、とかく気になりがちであつた。勿論周囲にも年々二階家が立てこんで来て、平屋建の私の家だけが穴窪のやうなどん底に埋れてゐた。地震をおそれる私は、二階屋が嫌ひであつた。まだ生活に愛着の淡かつた若いをりの私は、地震がさほど苦にもならなかつたけれど、一度芝浦のロセツタホテルへ出て仕事をしてゐたとき、今にも大きな梁がはづれさうに、みしり/\と無気味な音を立てゝ、可也長い時間を揺れたことがあつて、がらんとした二階の端の一つの部屋にゐた私は廊下へ出て、大きな段梯子の降り口まで出たきり、危険を感じて降りることができずに、立※[#「りっしんべん+束」、264-上-18]んでゐた。その時受けた衝動が、幾分私を臆病にしたのであらうが、誰もさうであるとほり、年々責任の重くなつて来てゐることにも原因してゐるのであつた。 柘榴の木の蔭に佇んでゐた私は、倭い惨めな自分の家を眺めてみた。空のどんよりした晩で、大地もおどんでゐた。その処々に掘立小屋のやうな私の住馴れた家が、重苦しい屋根をもつて立つてゐた。最初のやうな、若しくはそれに類似した少し激しい震動が来るならば、いつでもぐしやりと地に※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1-92-37]《のめ》り伏《ふ》しさうに思はれた。簡素な、比較的かつちりした私の気分によくそぐふた小屋であるけれど、もうそここゝに朽腐したところや、壊れたところがあつて、側面へまはつてみると、よくもかうして寝起きがしてゐられると思ふくらゐであつた。庭にも庭らしい風情がなかつた。二十年その下に蟄してゐた三階建の、二階の中程の窓から明りがさしてゐた。目の加減でか、その高楼も私の庭の方へ、五六寸もよろけかゝつてゐるやうに見えた。 「お宅もこれで何ですね、突支棒《つつかへばう》でもしておかれたら何うですかね。」S氏は家を見上げながら私に言つた。 「さうですね。それに瓦が落ちさうで……。」私は応へた。 「この際屋根を亜鉛にするのも、一つの方法ですよ。」 実際破損のなかつた家でも、すぢかひ[#「すぢかひ」に傍点]を入れたり、支柱《しちう》をしたりしてゐる家が沢山あるのであつた。 「何に支柱《つつかへ》なら私でもできますよ。」いくらか心得のあるS氏が言つた。 「それがいゝですね。」妻も言つた。 私もその時はその気になつたのであつたが、不時の用意などはやつぱり其れなり怠りがちのものであつた。そしてそこいらの親爺さんたちのやうに、屋根の漏るのを心配したり、板塀の腐るのを気にしたりして、貧弱な子供たちの巣を大切にしなければならない私の生活も、ひどくぢゝむさいものだと思はれた。地震その物よりも沈滓と黴で一杯になつた生活の破壊に怖れを抱かせられるやうになつた。私の固定生活を咀はずにはゐられない。 「お茶でも飲みませう。」 そのまゝ別れるのが寂しかつたので、私は皆なをさそつて茶の室へ入つて来た。老人がお茶をいれた。妻が茶棚のブリキ缶から塩煎餅を取出し、饅頭の菓子器を出して、皆なの前においた。 私はまたいつも苦労になつてゐる住居のことについて話した。それを話したところで、別に二人に好い思案があらうとは思へなかつたけれど、折が折なので、やつぱり言はずにはゐられなかつた。私は近頃になつて、鬱陶しいこの古家の改築に見切りをつけて、どこか適当な場所へ移つても可いと思つて、遠い郊外に地面を卜しておいたのであつたが、その負担は今後幾年かのあひだの重荷であつた。妻はさう云ふ方法を取ることに不満であつた。私は年齢と逆比例に自身の気持を積極的にするために、わざとさうしようとしたのであつたけれども、今が今そこへ移ることは、私の経済が許さなかつたし、ひどい不便を忍ばなければならなかつた。それにさうした懸離れた寂しい場所に不似合な彼女の気分をも考へない訳に行かなかつた。寂しい田舎道や、上り下りの臆劫な郊外電車や、森や田圃は彼女の性に合はなかつた。居なじんだ町を離れ、愛児の永眠についた家を見棄てることは、哀れな生活と別れることであつた。私自身のなかにも、年ごとに不決断と無精の虫が巣くつてゐた。そして郊外に住むことを思ふと、古い町が懐かしくなつたり、こゝに落着かうとすると、また心が浮ついた。幼年の頃から家らしい家に安定することのできなかつた私の一つの放浪性だとも思はれたが、本質的に決定的になれない私の気持が、余儀ないところに落着かせられるまでは、いつも私の態度を浮動的なものにしてゐた。勿論漠然とした大きな輪廓を描いて、私の意志は守られて来た。若し適切な言葉で言現はすならば、私の生活はあつちこつちへ偏倚し、迷乱しつゝも、いつも私自身の中庸に落着いてゐるのかも知れなかつた。 「あの三階――それはあの人達とは親しくしてゐるんですから、そんな事はいへないけれど、旅先で色んな勝手な想像を描いてあれが倒れてくれゝば、私の家も潰れても可いと思つてゐたんだけれど。」私は笑ひながら言つた。 「尤も今度は駄目だが、保険が取れゝば、お宅なぞはつぶれてくれた方が両得でしたね。私達の行派はなくなるけれどその時はその時で。」法律家のT氏も言つた。 「こんな家を買はなけあ可かつたんだ。」一番年長の子供が側から皮肉を言つた。 「でもこの家があつたから、かうして居られるんぢやありませんか。有難いぢやないの。」妻が喙を出して、「家を追立《おひた》てられたときのことを思つてごらんなさい。厭なもんだわ。」 「けれどあの時一と思ひに引越してゐれば、こんなにこゝに執着しなくてもよかつたぢやないか。」その子供がまた言つた。 「それだつて皆なお前達のためぢやないか。」 「何におれたちは、こんなところに居やしない。メキシコへでもブラヂルへでも行くからね。こんな貧弱な日本なんか……」胡座をかいてゐた二男の中学生が笑ひながら躰をゆすつた。 「こんな危険な国でも、海外へ移すと言ふこともできないんだからね。」 「それあさうさ。遷都論なんかも、やはりさういふ処から来てゐるのさ。徳川の政策さへなかつたなら、日本ももつと/\海外へ発展してゐたらうからね。」 「西の方へ首都を遷すのもいゝかも知れんね。」 「それもちよつと困難でね。」 「僕等の家が引越せないやうなもんでね。」年長の子供が附加へた。 「今かうやつてゐても、いつまで皆なが一つに纏まつてゐられるか。」妻が心細げに呟《つぶや》いた。 「さう思ふと子供もつまりませんね。」 「だつて、それあ仕方がないぢやないか。」 「千代子や愛子なんかも、遠方の人には片づけたくないものですね。男は仕方がないとしても、女の子だけはね。」妻が先きの先きを案じるやうに言つた。 「お前がさう思つても、子供は親の傍にばかりはゐないんだよ。また居るやうぢや困るんだよ。」 「まあ可いさ。みつ子さんは死んでよかつたかも知れないしね。みんなが又何ういふ目に逢ふか知れないんだから。」 「だから何時までも一緒にゐたいぢやないか。」 「さう云ふことばかり考へてゐたんぢや仕様がないもの。地震やテツペレンのためにのみ生活してゐられないやうなもんでね。」年長の子供が言つた。 「あの井村のおばあさんでしたか、岩崎の避難場からお宅へおつれになつて、ひどく威張つてゐたお婆さん、あの年で荷物は何一つ焼かなかつたんですからな。さう心配したもんでもないですよ。」楽天家のT氏が笑つて、「いや、あのお婆さんには驚きましたね。」 「私も腹がたちましたわ。」妻も言つた。 孤独な井村のお婆さんは、長いあひだ東京で貧しい間借り生活をしてゐてゝ寂しいをり/\には、時々私のところへやつて来てゐた。彼女は私の幼いときからの親友である竹内の厄介ものであつた。竹内は私たちの田舎で、高等学校時代そのお婆さんの家に下宿してゐた。そして何時とはなし学資などの補助を受けるくらゐ彼女の世話になつてゐた。その頃四十ばかりであつた彼女は、まだみづ/\した肉体をもつてゐた。そして又いつとはなし若い竹内が誘惑されたのであつた。しかし彼女の生活もさう楽ではなかつた。東京では二人で酸苦を嘗めた。そしてそれが竹内が世のなかへ出て、結婚するやうになつてから、彼の家庭と社会生活とに、思ひも及ばない負担と障碍となつて、現在の生活にまで祟ることになつたのであつた。 地方にゐる竹内とは別々に、東京で佗しくつゞまやかに暮してゐる彼女は、もう七十を三つも越してゐて、邪慢の角は好い加減折れてゐたけれど、刺《とげ》はまだ全く取れてゐなかつた。そして折にふれてそれが出た。私の妻は、しかし不断は物わかりの好い彼女を、素直にしてさへゐればいつでも好感を以つて迎へてゐた。好きな酒などつけることもあつた。お婆さんはそのお仕着《しきせ》のお神酒がまはると、好い機嫌になつて唄など口吟みながら、笑つたり泣いたりして嬉しがるのであつたが、何うかすると姑風《しうとかぜ》を吹かしなどして、妻の気色を悪くするのであつた。 震災中故郷の姉の家にゐた私か、妻や子供たちは勿論、色々の人の身のうへに、色々の場合を想像してゐたなかにはこの老婆もあつたことは勿論であつた。彼女は下町の方で、或る行詰つた狭い路次のなかに、二階の一室を借りてゐたので、どんなに贔負目に見ても、地震は免れたところで、火災に遭つてゐることは確かであつた。公園の池が其の近くにあつた。そして其の池が死体に埋れてゐると云ふことが避難者によつて、間接に私の耳にも入つてゐた。私は泥深い其の水に浮いてゐる彼女の哀れな死体を想像せずにはゐられなかつた。私は余り好い気持がしなかつたけれど、漸く竹内が救はれたやうな気がなくもなかつた。 或る日私は茶の室にぼんやり独りゐた。私の家も家族も無事だと云ふ簡短な知らせを受取つてから、それが三日目の八日の日であつた。すると其の時昼は内部からのみ往来がよく見えるやうになつてゐる簾格子《すだれかうし》の外に近よつて来る一人のお婆さんがあつた。それが彼女であつた。私は吃驚して入ロへ飛出して行つた。 「よく来たね。」私が言ふと、彼女も私を見上げた目に涙を浮べて、 「吉村さ……ん。」とおろ/\声になつて、 「ひどい目に会つて来た、吉村さん、かういふ時こそ人の心がわかる。」 「まあおあがんなさい。よく来られたね。」私は彼女を上へあげた。 この秋には彼女も長く住みなれた東京を引揚げて、田舎へ帰らうとしてゐたほど、死に近づきつゝある身世《しんせい》の寂莫を感じてゐた。地震はたゞそれを早めたに過ぎないのであつた。彼女は半夜を大宮で、野天で明かした。そして死物狂ひになつて、しかし老人の特権を可也我武者羅に主張して、威張りくさつて、人を押退け/\して遣つて来た。 「奥さんもお子達が多勢だからね、それあ無理もなからうけれど、吉村さん、こんな時人の心がわかる。奥さんはお米があるのか無いのか、それは知らん。又荷物も出さにやならんけれど、あんなに狼狽てなくともよからうと思つてね。」 私にはその場の光景と二人の心理的交錯がすぐ判つた。 「まあいゝさ。お婆さんは荷物は。」私は笑つてゐた。 「私はお蔭で三度行つて残らず出しましたよ、奥さんに預けては来たけれど……。」彼女はさう言つてひどく其の荷物が気になるらしかつた。 「不忍の池にも人死があつたつて?」 「不忍の池! なあに、そんなことは大嘘《だいうそ》。蓮が青々してゐますよ。」 私はその時彼女の見聞によつて、初めて本統に安心することができた。気分の張詰めた子供の手紙も受取つた。 「えらい婆さんだね。」私は後で姉に其の話をして聞かせながら驚嘆したのであつた。 今T氏の口から出たのは、その老婆のことであつた。 「何しろ近所の人を頼んで荷物をそつくり出さしたんですからね。私も気にかゝつたから、子供をやつて捜させたんですけれど、あのお婆さん何うも面白くない。余り勝手が強いんですもの。」さう言ふ妻はしかし余り好い気持もしないのであつた。 「あのお婆さん、長煙管で煙草なぞふかして、大威張りでゐましたな。」S氏も言つた。 「私たちは御飯もたべず、三日も四日も寝もしないで、立詰めで働いてゐるのに、あの婆さんといへばづゐぶん無遠慮だつたんですよ。年寄りなんか自分の親でも、場合によつては介意つてゐられない時なんですもの。」 「とにかく甲斐性ものさ。」 「えゝ、それあ何うしたつてあんな強いお婆さんですから。荷物は取扱ひがはじまり次第荷造りをして、出さうと思つてゐます。その事をくれ/″\も頼んでいきましたから。さぞ不自由をしてゐることでせう。私もあれまで同情してゐて、こゝのところであんな風で帰つたんですから。」 「まあいゝさ。」 「あの場合のことはお互ひに仕方がないね。人間は極度に好いところも出したか、勝手にもなつたから。」年長の子供が側から言つた。 「それよりもあのお婆さん厭なことを一つ言つたんです。」妻はまた言出した。 「田舎で吉村さんの親類に、奥さんの評判がわるくても、決して私がしやべつたと思つてはならんよつて、そんなことを言ふんですもの。だから私は別に悪く言はれるやうなことはしてゐない積りですと言つてやりましたわ。」 「いや、みんな分つてゐる。」 「え、それにあのお婆さんも、威張るには威張りますけれど、さうまたべちやくちやと人の悪口を言ふつていふ方ぢやありませんわ。」 「まあ今度は年寄は助かつて、若いものが余計やられてゐますね。」T氏が言つた。 「いや、その年寄でどのくらゐ苦労した人があるか知れませんね。」 「まさか年寄をおいて行かれはせず、どうしても若いものが働くことになりますからね。あんな豪い婆さんばかりならいゝが……。」T氏が言つた。 「僕も田舎で、それを一番心配したんだ。年寄りにかゝつて、子供の誰かゝ犠牲になりはしなかつたかと……。」 「今度火事になると、お婆さんなんか置いていくぞ。」二男が傍に居睡りをはじめてゐる老婆を振返つた。 「家のお婆さんなぞ、迚もあのお婆さんの真似はできませんね。今に止むづら、なんてつて、腰をすゑてゐるんですもの。漸と叱りつけるやうにして、外へ連出したんですよ。あの広場まで歩かせるのは大変な仕事ですからね。」 「僕も家のお婆さんが、事によると独り生き残つて、つまり僕と二人きりになつた場合がないとも限らないと思つて、づゐぶん変な気持だつた。」私は皮肉に笑つた。 お婆さんは善良な老人ではあつたけれど、しかし又井村の老婆と全く違つた意味で、づゐぶん厄介な年寄りでもあつた。彼女は年から年中休みなしに何かしら働いてゐた。昼でも夜でも坐ればきつと居睡りをするけれど、眠りながらも夜は一時までも二時までゞも針仕事につかまつた。勿論これと言つて、何一つ纏めることはできなかつたけれど、でも何かしらこと/\遣つてゐた。そして其の丹念なことは、片《きれ》の薄切《うすき》れたところや、薄くなつてゐる部分を、どんなに手間かかゝつても、綴らなければ気がすまないといふ風であつた。その品物が着物に仕立てゝ役立つか何うかは問題ではなかつた。洗濯や掃除が同じ方法で馬鹿叮嚀であつた。絣の目を、一つ/\指端で丹念に揉むのであつた。総てがその流義であつた。湯が舌も触れることのできない極度の熱度に沸騰させられ、茹物《ゆでもの》がぐしよ/\になるまで煮られたりした。 多勢の子供たちを育てるために、長いあひだ左《と》に右《かく》私は彼女を働かせて来た。私達夫妻に小言を言はれながら、そして又其の小言に反抗しながら、不思議な彼女の流儀をつゞけてゐるうちに、背骨や腰が柳の枝でもたかねたやうに屈《かゞ》んで来たけれど、私には何うしても同情することのできない気質をもつてゐた。私は長い間、心から彼女に優しい言葉をかけることのできないのに、苦しんで来た。自分自身の童蒙的な剛情を通すほか、積極的には何の障りにもならない鈍重な動物のやうな彼女ではあつたけれど、親らしい、若しくは祖母らしい心が少しも働かないのが飽足りなかつた。彼女から逃避しようとして、私の神経はたえず苛々してゐた。そして其がまた何んなに妻を悩ませてゐるか知れないのであつた。三人は余り幸福だとは思はれなかつた。けれど、彼女なしには妻は一日も家事を繰返しては行けなかつた。そして年々に体の衰へて行くのを見るにつけ、私の心も和らいで来た。そして今度はまた「まあよかつた」と云ふ気がするのであつた。 近頃めつきり健康の損はれて来た妻と彼女とが、互ひに生存を剋し会つてゐるやうに私に思はれたりした。老婆は娘の病気なぞに、余りデリケートな同情をもつことができなかつたと同時に、妻は老母の不仕合な寿命を咀つたりした。 「誰だつて生きたいのは同じだけれど、迚も助からない場合には、づゐぶん親が助かれる子供を逃がしたり、妻が良人のあとに残つたりしたからね。」私はまた妙に皮肉に言ふのであつた。 「しかしそんな場合何うでせうか、誰でもそんな気になるでせうか。」T氏がきいた。 「さあ、やつぱり人の性質ですね。私なぞ、玄米のお結びを一緒に食べなかつたことを、随分不満に思はれてゐるからその癖私は玄米食を主張してゐるんだが……。」 「しかし、運命を偕にするのと逃すのと孰らが本統の愛だらうか。」T氏がきいた。 「さうさ、生残つたものゝ方が辛い場合もあるし、生残るのが辛い場合もあるから。」 「死ぬなら矢張り一緒ですね。だけれど、お婆さんにかゝつて死ぬのは、私だつて御免だわ。」妻は母親を振顧つた。 老母は眠さうな目をあげて、硬い手で口のはたを撫ぜながら、善良さうな微笑を浮べて、もぞ/\してゐた。 「大丈夫、お婆さんも助けてあげるよ。」年長の子供が目元に優しい微笑を浮べて言つた。 私はまた体に微かな揺らぎを感じた。そして電燈を見あげた。皆も目を挙げたが、何のこともなかつた。[#地付き](大正13[#「13」は縦中横]年1月「改造」) 底本:「徳田秋聲全集第14巻」八木書店 2000(平成12)年7月18日初版発行 底本の親本:「改造」 1924(大正13)年1月 初出:「改造」 1924(大正13)年1月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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Top テレビニュース 4月7日余震
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4月16日で熊本地震のいわゆる本震から4年を迎えました。 遅くなりましたが、東日本大震災に続き、熊本地震についても少し書き出してみます。 ※このコラムは2020年4月16日、Twitter上にアップしたコラムを加筆修正したものです。 熊本を襲った最初の震度7 熊本地震は平成28年4月14日にいわゆる「前震」と呼ばれる地震が発生し、益城町で最大震度7を観測しました。 当時は(と言っても短い間ですが) 震央である熊本県益城町を中心に局地的な被害こそ大きかった物の、直下型地震と言うこともあり、被害はそこまで広範でも無く、最初の地震で亡くなられた犠牲者を悼み、被災者は避難所を当分の生活の場として凌ぐと共に、早期の復興に向けた動きが既に始まっていました。 これが本震であるという認識 このように、最初の地震で震度7を観測した、という事実もあり、当時の気象庁や官公庁、自治体からマスコミ、一般人に至るまでひとまずは当分は「余震」に警戒しつつ、応急的な復旧から行なうような動きを現場では取りつつありました。 これ以上の地震がすぐに来る、なんてことは頭になかったのです。 本震の時、徳島での私は 同年同月16日未明。私は当日夜勤の関係で徳島市内の社屋に詰めていました。 時々、現地を伝える報道の中でテレビで流れる緊急地震速報や壁に掛けた掲示物が揺れるのを見て、まだまだ余震活動が徳島に届くほど活発に続いているのだなと思いつつ、ひとときの慌ただしさから解放されていました。 1時25分。 再度緊急地震速報が鳴動したのですが、四国でも徳島県を除く3県を対象に緊急地震速報を発表。徳島市も震度3を記録し、社屋はそこそこの揺れ。 これは拙いな、とたまたま一緒の組だった当時の上司に裁断を仰ぎ、各現場へ現状の連絡と周囲の確認を要請。 幸い、動いていた現場では被害が無く、徳島では問題無くこの夜も乗り切りました。 しかし、帰宅後。「本震」とされていた地震より大きい地震が発生し、今まで大丈夫だった地域にも大きく被害が発生してしまったという報道が成されていたのです。 「本震」「余震」はその地震を振り返ったときの結果論でしかない この件のポイントは二つ。 気象庁はこれ以降「本震」「余震」という言葉を使うことをやめたこと。それ以降の地震においても「今後○○の期間は同程度の関連する地震に警戒すること」としている。 一度大きめの地震があったとは言え、それを以て更に大きい地震が来ないというのは有り得ないのだ、と関係者の心に深く刻んだ地震となった。 「耐震」出来たとしても、ダメージが無い訳では無い 二つ目は、構造物や自然地形、さらには住宅と言ったところにまで二回の大きな揺れが発生したことで、被害が増大したこと。 熊本城にも大きな被害が生じたことは皆さんも良く覚えて居られることかと思われます。 基本的に、現在の住宅の耐震基準では震度6強以上の地震でも「倒壊しないこと」が求められているのですが、その程度の地震を2回、3回と受けることで、破壊された部分から徐々に崩壊していきます。 構造物や高層の建物ではもっと厳しい基準が求められますが、短期間の数度の大地震を想定したような作りになっていないのが現状だと思われます。 熊本地震の同型の地震はありうるからこそ 今回は「大きな地震の直後に更に大きい地震が来ることはないだろう」という思い込みが被害の拡大に繋がったとも言えます。 そういった流れの中で、今我々に足りない物は何か、必要な物は何か、今一度思い起こしてみましょう。 気象庁では本震や余震という言葉を避け、後に大きい地震が来る可能性を排除しないという伝え方にシフトしています。 我々としても、同様の事態が起こった際に、今自分の居る場所が一度耐えたから大丈夫と言えるのか、災害時には難しいかも知れませんが、冷静に判断する必要性もありそうです。
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14時46分18秒に発生した本震 千葉県成田市ウィング土屋24番地のイオン成田店での地震発生時の様子(震度6弱) 千葉県千葉市中央区本千葉町の千葉中央駅前での地震発生時の様子(震度5強) 千葉県野田市の住宅内での地震発生時の様子(震度5強) 15時15分に発生した余震(震度4)の様子も撮影されています 千葉県浦安市入船のダイエー新浦安店内での地震発生時の様子(震度5強) 千葉県千葉市美浜区真砂5丁目の美浜区役所4階での地震発生時の様子(震度5強) 15時15分に発生した余震(震度4)の様子も撮影されています 千葉県浦安市明海のイトーヨーカドー新浦安店内での地震発生時の様子(震度5強) 同店駐車場での液状化現象の様子 千葉県船橋市若松での地震発生時の様子(震度5弱) 15時15分に発生した本震後の余震 千葉県印西市の住宅内での地震発生時の様子(震度5弱)
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