約 65,644 件
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/25.html
西嶋一泰の荒馬研究室 ここでは、「和太鼓ドンのくりりん」こと、西嶋一泰が大川平の荒馬の由来や、文化財指定、現代的変遷や伝播、そして現在の状況についていろいろ考察していきます。荒馬をもっと詳しく知りたい、考えたいという方は、よければお読みください。 年表 年 できごと 1600初頭 初代津軽藩主津軽為信が米増産のため、農業に馬を積極的に導入。津軽藩二代目藩主津軽信牧が、今別地方を開墾。その際、津軽半島西部の金木や相内地方から荒馬が伝播(大川平荒馬保存会会長宮越氏の説)? cf.金木のさなぶり荒馬 1700前半 飢饉の際に蓄米を窮民に与えた能登半島出身の袰月の商人小倉十兵衛への礼として荒馬を行なったという記述。(小倉十兵衛文書、現在所在は不明) 1962 劇団わらび座が今別を訪れ荒馬を習い、舞台化。→その後、荒馬が全国に知られる 1963 今別荒馬保存会結成 1968 分裂し事実上数年間消滅していた大川平青年団が、新たな団員によって組織される。田中多市氏、宮越哲英氏ら。 1969 大川平荒馬、第十八回青森県青年大会郷土芸能に出演。二位。審査員の評として、由来と衣装の弱さが指摘され、舞台用の衣装として半纏を採用。 1974 大川平小学校、運動会で荒馬を発表。平山久志氏が指導。以降、小学校で荒馬を扱うように。 1970後半 大川平の荒馬、青森ねぶたの影響で、ラッセーラーの掛け声広まる。 1980 今別・大川平の荒馬、町指定の無形民俗文化財となる。大川平荒馬保存会結成。しかしまだ青年団が主体で実態はない→由来探しが行なわれるも、文献発見できず 1986 二股の荒馬が町指定の無形民俗文化財となる。大川平荒馬保存会、青年団のOBを主体に結成 1987 大川平荒馬保存会、未来の東北博覧会(仙台)に出演。→舞台用に踊り、衣装を改める。 1988 大川平荒馬保存会、青函トンネル開通記念博覧会青森EXPO 88に出演 1990後半 大川平荒馬保存会、上野夏まつり(東京)に三年連続で参加→三年目に嶋中廣明氏が手平鉦を初疲労、以降大川平荒馬の囃子に手平鉦が加わる 2000 和太鼓ドンが、今別・大川平地区を訪れ荒馬の指導をうける。→翌年以降、和太鼓ドンもまつりに参加 2003 で今別・大川平・二股の荒馬、県指定無形民俗文化財となる 2004 大川平小学校が閉口。小学校を荒馬の里資料館としてオープン 2006 大川平荒馬保存会、ひたち秋祭り郷土芸能大会に出演 2007 大川平荒馬保存会、ハネトを復活させる 2010 大川平荒馬と和太鼓ドンがであって十周年の記念企画が、保存会と和太鼓ドンらとともに企画される。 資料 肴倉彌八『今別町史』今別町、1967年 今別町無形民俗文化財指定申請書 1980年 青森県教育委員会『青森県民俗芸能緊急調査報告書』青森県教育委員会、1996年 青森県無形民俗文化財指定申請書 2003年 西嶋一泰(くりりん) 立命館大学大学院先端総合学術研究科大学院生。 専門は民俗学・文化人類学。研究テーマは民俗芸能の現代史。 大学のサークル和太鼓ドンに在籍時に大川平荒馬踊りにふれる。 以来、その魅力にとりつかれ、荒馬を調査・研究する。 http //d.hatena.ne.jp/souryukutsu/ Copyright(c) 荒馬.net 制作委員会 All rights reserved. 最終更新日 2010年07月07日
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/27.html
肴倉彌八『今別町史』今別町、1967年 「荒馬/今別のネブタ祭りに二等の荒馬が各戸口で踊り、その後に花笠、赤ジュバンの踊り子はネブタばやしおもしろく、踊りながら続いて町をねり歩く。/この踊りは田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝のために催される、神送り、サナブリの行事である。一体、津軽地方のサナブリはボーの神とよばれる男女二体の藁人形を先頭に、太刀振り、傘鉾、サラ、荒馬の順序で、笛、太鼓のはやしに送られて村中をねり歩き、のち鎮守の森の木に藁人形をかけて帰るのである。近年これが簡略され、太刀振りと荒馬になりつつある。/それが今別では荒馬のみとなって、口綱をとる菅笠姿の早乙女にひかれて、荒馬は笛、太鼓のはやしに合わせて踊りだすが、だんだん本性を現しわし荒れだし、少女が口綱を離してからますます荒れ狂う。それをとり巻きながら踊り子は、ネブタばやしにつれてエンジンをつくり踊るのである。/荒馬行事は今別を中心に山崎方面に行われ、太刀振りは三厩、六条間方面で踊られている。さらに大泊部落では太刀振り、荒馬を一緒に踊っている。今別では荒馬二頭であるが、他は一頭である。文字どおり荒馬で疲れ、踊り子は二、三回で他と交替しなければならないほどである。/この文化財の保護に、昭和三十八年二月、今別町荒馬保存会が結成された。荒馬は県の文化財と認められ、昭和三十九年津軽華子さんが御来県の際、御覧に供し、さらに劇団わらび座がこれを取り上げ、中国に紹介するなど、今後の発展が期待されている。/創設 昭和三十八年二月/会長 中井芳二郎/副会長 小鹿忠彦 太田健治/事務局長 佐藤正勝/会員 三十人/活動状態/昭和三十六年八月 青森県無形文化財大会参加(青森市)主催青森県文化財保護協会/同三十七年八月 青森県無形文化財大会参加(三沢市)主催青森県文化財保護協会/同三十八年十月九日 青森県オリンピック前夜祭参加(青森市)/同三十九年八月 常陸宮妃津軽華子歓迎会参加(青森市)/同三十七年九月 劇団わらび座が今別町の荒馬を郷土芸能として劇化し、日本、中国で公演。」[肴倉 1967 505-506] 「七夕祭は昔から大正五年頃までは、人物、または動物を象れる大燈篭、即ち、ネブタを作製し、陰暦七月一日から子供らは扇形か金魚ネブタを行なうが、一般は五日から七日まで神社祭礼とかねて実施し、ネブタの行列は、荒馬、太刀振り踊りとなって、笛、太鼓と相和し、村中二列縦隊になって運行する。/荒馬はゆかたに襷がけ、手拭鉢巻の扮装、馬は木馬に化粧まわしをし、手綱をとって、ジグザグに進む。/太刀振りの扮装は前者と同様、わらじにほうし、手甲をつける。はやしは「竹に短冊七夕祭りだ、ヨイソラ、ソラヨ、ハアーヤットセ、ヤットセ」、各人六尺棒を携え、下方より上方に逆に振り廻し、相合って石突きをもって両々相打ち、再び地を突くこと数回連続し、帰りは、前方に向いて右側に棒を廻し、相合って石突きを頭上で相打ち、再び地を突くこと数回連続、白兵戦の状をなして進行し、勇壮活発な振舞をする。/踊りのはやしは「ネブタ流レロ、マメノハコ、トツバレ、アー、ヤサヤサヤサ」と拍子をとる。扮装は婦人用の襦袢に襷がけ、手に扇かよもぎを持って頭に手作りの花笠かぶり、往きは半返し、帰りは千鳥型になる。(袰月)各部落によって、多少違って踊る」[肴倉 1967 513]
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/18.html
大川平荒馬踊りとは 大川平とは 大川平荒馬踊りが伝えられている大川平という地区は、青森県のなかでもさらに北、津軽半島の先の今別町にあります。北海道と本州をつなぐ青函トンネルの本州側の入り口の町です。今別町は人口約3800人、大川平は人口約600人という非常に小さな集落で、日本の中でも特に過疎高齢化が進んでいる地域ではありますが、地域の人たちはみなとても暖かく、人の良いのんべえたち(笑)です。一度訪れた学生たちが、社会人になっても通い続けてしまうほど、人と土地の魅力にあふれる地域です。 大きな地図で見る 「大川平荒馬の歴史」 大川平荒馬保存会会長 宮越哲英 大川子荒馬の起源を語るには、今から四百年余りの歴史を遡らなければならない。 織田信長が天下統一に乗り出して間もなくの頃(大正十六年)大浦為信により津軽の統一がはたされたが、大正十八年三月秀吉が小田原城を攻めているとき、わずか五十騎の兵と共に戦場へはせ参じ、そこで秀吉より朱印状を受ける。 そして名前も津軽為信と改め津軽藩を確立した。為信は、藩の財政確立の為に各地に開拓を奨励したが、事半ばにして京都の地で病の為この世を去る。 慶長十二年二代目藩主となった信牧は、為信の意思を継ぎ弘前城の築城と開拓事業を強力に推し進め、農民であっても成果次第で武士にとりたてたり、年貢の免除など得点を与え、下級武士を先頭に農家の三男四男などに馬を与えチームを作り各地へと送り出した。 動力や農薬が無い時代の頃、未開の地を開拓することは、劇的な困難があったことを想像できる。 当時、津軽地方では虫送りサナブリなど、病害虫駆除や農作物の豊作を神に祈る魚隋が行われていたが、大川平に入ってきた人たちによってこの地にも伝えられた。 長い歴史の中で少しずつ形を変え、地域の若者によりねぶたと共に門づけとなり、現在のような地域独特の大川平荒馬へと変わってきたもので、大川平荒馬は四百年前から始まった。 形としては、一日の始まりに馬と共に田んぼに向かう様子を、そして農作業に精を出している様子、最後に一日の仕事が終わり喜びながら家路に就く様子を表していると言われている。 「大川平荒馬について」 大川平荒馬保存会 嶋中卓爾 荒馬は青森県東津軽郡今別町大川平の伝統芸能です。 荒馬とは、昔のさなぶり行事で田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝ため催される神送りの行事として伝わってきたもので、今ではネブタと共に8月4日から7日まで跳ね伝えられています。大川平荒馬保存会が伝える荒馬の由来は古く、天正13年、大浦為信が津軽を統一して藩の経済を保つため、馬と農耕を結びつけ農作物の増収を図ったことが起因であるとされています。 それまで未開の山野だった土地を、汗とほこりにまみれながら、数少ない馬を頼りに共に切り拓いてきた農民達にとって、馬は宝であり労力として大事にされ、苦労を共にしてきた馬の働きと勇壮な姿を現し、跳ね継がれてきたのが現在の荒馬です。最近は北海道・京都・名古屋・大分などの大学生や、荒馬を愛してくださってくれる人達が県内外からたくさん訪れ祭りを盛り上げてくれています。 Copyright(c) 荒馬.net 制作委員会 All rights reserved. 最終更新日 2010年07月20日
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/33.html
みんなの荒馬写真 携帯で写真を撮ってメールで投稿! 荒馬のアルバムをみんなでつくろう! http //photozou.jp/photo/list/605645/2083815 2010年8月の青森県今別町大川平でおこなわれる荒馬について、みんなが撮った写真を掲載しています。携帯のメールで投稿できるので、ぜひ参加してみてください! 投稿用アドレス:u605645-df865@photozou.jp メールの件名→写真のタイトルになります。 メールの本文→写真のコメントになります。 ※写真は1回のメールにつき1枚です。 練習の写真や、大川平に向かう道中の写真、お祭りや宴会の写真などどんどん送ってください。祭りに来られない人も、大川平への写真つきのメッセージでもかまいません。投稿よろしくおねがいします。写真は以下のサイトで確認できます。 みんなの荒馬写真2010 アルバム http //photozou.jp/photo/list/605645/2083815 荒馬.net http //www23.atwiki.jp/aramanet/pages/33.html Copyright(c) 荒馬.net 制作委員会 All rights reserved. 最終更新日 2010年07月29日
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/28.html
1980年町指定無形民俗文化財指定資料 田中多市「大川平荒馬保存について(依頼)」 大川平荒馬の由来については色々な説があります。しかし、いつ頃から荒馬が始められ、その起因はなんであるのか明確ではありません。 ただ高齢者のお話のなかで、大川平荒馬は昔私達の先祖が名もない未開の土地を開拓した当時汗と埃に塗れて日夜働いてくれた勇壮な馬の姿を後生に残してくれたものであると云う事は一致しているようです。 大川平の荒馬は昔津軽藩主大浦為信が津軽郡を統一し、農民と馬を結びつけ米の生産力を高めた頃、農民は馬を宝として飼育し家族の一員として同じ棟の中に厩を作って大切にしたともいわれております。 いづれにしても明治の初期に一般農民に土地の所有が認められ、農民が自力で馬をたよりに働くようになった頃だろうという説が多いです。その後年代のうつり変りによって色々と形態等も改良されたそうですが、私達の先祖の汗と埃に塗れて働いた当時をしのび郷土の大切な荒馬を永く保存したいのでなにぶん大川平荒馬保存会の実情をご調査の上ご指定くださるよう申請いたします。 昭和五十五年 大川平荒馬保存会会長田中多市 今別町教育委員会殿
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/35.html
荒馬シンポジウム マツリの生存学~呑メヤ踊レヤ生キ残レ!~ 荒馬.netの管理人くりりんこと、西嶋がコーディネイターを勤める、現在のマツリを考える企画です。荒馬を中心に、様々な祭りに関わる研究者や実践者が、現在におけるマツリの意味をわいわいと論じる予定です。大川平の荒馬に馴染み深い和太鼓ドンやBATI-HOLICによる荒馬の実演も行うワークショップですので、お時間がある方はぜひお越しください。 ○マツリの生存学ビラ(pdfファイル) ○当日のシンポジウムのUstream中継も行う予定です。 配信URL→ http //www.ustream.tv/channel/aramanet 〈以下、転載歓迎〉 -------------------------------- ■□ 「生存」の人類・社会学研究会 公開ワークショップ□■ 【テーマ】「マツリの生存学~呑メヤ踊レヤ生キ残レ!~」 現在におけるマツリは誰によってどのように行われ、その行為には どのような意味があるのか。そしてマツリによって、人びとや地域は どのように生き残ろうとするのか。 本ワークショップでは、マツリに携わる実践者による事例報告および パネルディスカッションと、演者によるパフォーマンスによるマツリの 擬似体験をお届けします。 コメンテーターによさこい研究で知られる内田忠賢氏をお迎えし、 マツリの継続による地域存続の可能性を探ります。 【日時】2010年9月3日(金) 14 00~17 00 【場所】立命館大学創思館1Fカンファレンスルーム 【プログラム】 13 30~14 00 映像上映:大川平荒馬踊り 14 00~15 00 第一部:研究報告「マツリの現在」 趣旨説明 吉田 幸恵(立命館大学先端総合学術研究科大学院生) 報告① 西嶋 一泰(立命館大学先端総合学術研究科大学院生) 「大川平荒馬踊り マツリのネットワーク」 報告② 福田 一史(立命館大学先端総合学術研究科大学院生) 「太秦戦国祭り マツリのマネージメント」 報告③ 梁 説(立命館大学先端総合学術研究科大学院生) 「東九条マダン マツリとマイノリティー」 コメント 内田 忠賢(奈良女子大学教授) 15 10~16 10 第二部:パネルディスカッション「マツリの生存学」 炭谷 耕太郎(立命館大学学生サークル「和太鼓ドン」代表)、 黒坂 周吾(パフォーマンス集団「BATI-HOLIC」代表)、 第一部 報告者 および コメンテーター 16 20~17 00 第三部:ワークショップ 「和太鼓ドン」・「BATI-HOLIC」による荒馬踊りの実演 解説 西嶋 一泰 18 00~ 懇親会 司会:松田 有紀子(日本学術振興会特別研究員) 【報告者関係リンク】 荒馬.net:http //www23.atwiki.jp/aramanet/ 太秦戦国祭り:http //www.joraku.jp/ 東九条マダン:http //www.h-madang.com/ 【コメンテーター】 内田 忠賢(奈良女子大学文学部教授) 京都大学大学院文学研究科博士課程中退。文学修士。京都大学助手、 高知大学助教授、お茶の水女子大学大学院助教授、国際日本文化研究 センター助教授等を経て、現職。 専門は歴史・文化地理学、日本民俗学、 大衆文化論。 著書に『記憶する民俗社会』(共編、2000年)、『風景の事典』(共編、 2001年)、『よさこい/YOSAKOI学リーディングス』(2003年)、 『都市民俗生活誌(全3巻)』(共編、2005年)、『都市の生活』(共編、 2009年)などがある。 【パネリスト・出演者】 和太鼓ドン(代表:炭谷 耕太郎) 立命館大学を中心に、関西の学生によって構成された学生サークル。 日本の郷土芸能を舞台用にアレンジした和太鼓・踊り・唄の公演を行う。 Webページ:http //wadaikodon.web.fc2.com/ BATI-HOLIC(代表:黒坂 周吾) 和太鼓・踊り・唄・笛・鳴物等を中心としたパフォーマンスグループ。 2004年に結成。京都を拠点に、国内外問わず年間100カ所以上、延べ 数十万名の前で公演や教室を展開。 Webページ:http //www.bati-holic.jp/about/index.html 【参加費】無料(事前申込不要) 大学へのアクセス http //www.ritsumei.jp/accessmap/accessmap_kinugasa_j.html キャンパスマップ http //www.ritsumei.jp/campusmap/map_kinugasa_j.html (創思館は地図中の24番) 【主催】「生存」の人類・社会学研究会 お問い合わせ先: gr0000sk@ed.ritsumei.ac.jp(吉田) 075-465-8475(立命館大学生存学研究センター事務局) Webサイト:http //www.arsvi.com/o/s28.htm -------------------------------- Copyright(c) 荒馬.net 制作委員会 All rights reserved. 最終更新日 2010年08月26日
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/34.html
荒馬の里 大川平への感謝を歌った曲です。 よければみんなで歌いましょ~ http //www.youtube.com/watch?v=Zh5AeNoZOwE ↑の動画のMP3ファイルです。練習用につかってください~ http //aramanet.up.seesaa.net/image/aramanosato.mp3 『荒馬の里』 [1] 馬とくちとり向き合って 2人で踊りましょう 手綱を手と手に取り合って 一緒に踊りましょう ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 田んぼのあぜ道 夏の道 私の愛する町よ あらまの里 大川平 [2] じいちゃんもばあちゃんもお元気で みんなで踊りましょう 手綱を手と手に取り合って 一緒に踊りましょう ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 空をあおぐ道 夏の道 私の生まれた町よ あらまの里 大川平 [3]和太鼓ドンパート 右手に潮風受け止めて あの人に会いにいくよ 明日の祭が待ち遠しい あの場所まで運んでよ ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 線路はつながる ふるさとへ わくわく早く着かないかな あらまの里 大川平 [4]荒馬緒パート 電車をごとごと乗り継いで 大分からやってきた いろんな出会いがつながって 青森までやってきた ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 優しさあふれたふるさとよ このつながりをいつまでも あらまの里 大川平 [5]音舞パート 赤いたすきと鈴の音に 手綱飛ぶ青い空 太鼓に手平に笛うたう ピーヒャラドンドンチャカチャン ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 長い行列つづく道 いつしか村中踊り出す あらまの里 大川平 [6]女の子パート 夜空にまたたく夏の星 高くグラス掲げよう お祭り終わったその夜を 精一杯はやしましょう ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 跳ねた後に呑むビール カンパイ! これがなくっちゃ祭じゃない のんべえの里 大川平 祭りばやしに暮れてゆく荒馬の里 大川平 [1] 馬とくちとり向き合って 2人で踊りましょう 手綱を手と手に取り合って 一緒に踊りましょう ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 田んぼのあぜ道 夏の道 私の愛する町よ あらまの里 大川平 [2] じいちゃんもばあちゃんもお元気で みんなで踊りましょう 手綱を手と手に取り合って 一緒に踊りましょう ソレ ラッセラッセラー ソレ ラッセラッセラー 空をあおぐ道 夏の道 私の生まれた町よ あらまの里 大川平 あなたに会えてよかった こころからありがとう Copyright(c) 荒馬.net 制作委員会 All rights reserved. 最終更新日 2010年07月30日
https://w.atwiki.jp/minken_wiki/pages/9.html
解説青森県民謡 青森県今別町のものがみんけんに伝わっているもの。 似たような踊りは青森県津軽地方に分布している。 サナブリという田の神を奉る儀式(田の神が天に昇るときに農民が神の加護と感謝の気持ちを込めて行う神送りの一種)が起源だといわれている。 八月初めに青森県の今別町で荒馬まつりが行われる他、津軽地方各地でも小学校の運動会で踊られたりしているらしい。 踊りの種類としてはペア踊りの手綱取りと馬のほか、跳人などがある。 手綱取りと跳ね人は扇子を持ってひらひらと舞い踊り、馬は馬をつけて激しく躍る。 手綱取りと馬の激しい駆け引きが見所。 歌詞(というか掛け声) ラッセーラーラッセーラ ラッセーラッセーラッセーラー 参考URL 青森県今別町荒馬祭り 写真 音源 動画
https://w.atwiki.jp/minzokugeinou/pages/29.html
名 称 大川平荒馬(青森県今別町)日本の祭り in あおもり 場 所 青森市文化会館 サイト 日本の祭り in あおもり2011 http //matsuri2011.jp/ 取材日 2011年9月25日 投稿者 西嶋 タグ 今別町 芸能大会 荒馬踊り 青森県
https://w.atwiki.jp/aramanet/pages/19.html
荒馬.netとは 荒馬.netをご覧頂きありがとうございます。 大川平って知っていますか? おそらく同じ日本人でも知らない人達の方がずっと多いと思います。 それは青森の先っちょにある、小さな小さな集落の名前です。 より多くの人達に大川平荒馬踊りの素晴らしさと、 そしてその地で祭りと共に生きる人々の素敵さを知って頂きたくて、 この度新たにHPを開設する事となりました。 これからここに記されていく文字、写真、映像、その一つ一つが ほとんどの人達が知らないような小さな集落で起きた、 小さな小さな、でもとても素敵な物語です。 人を愛すること。 汗を流して生きること。 笑顔を絶やさないこと。 子供をみんなで育てること。 土地の美味しさを噛みしめて暮らすこと。 年寄りも若者も皆で力を合わせて生きていくこと。 そして、外から来た者達を受け入れる葛藤とそこに生まれるぬくもり。 たくさんのことが祭りの風景を通して見えてくると思います。 そして、その中にこそじつは、 この閉塞感の充満する時代を生き抜いていくための ヒントがたくさん隠されているような気さえします。 今の時代から忘れられたような小さな田舎の集落から、 今の時代に向けて大切なメッセージが祭り囃子と共に届けられる。 多くの人達にとって、そんな気持ちを受け取れるような場に このサイトがなっていけたら幸いです。 荒馬.net代表 黒坂周吾 ■荒馬.netメンバー紹介 代表 黒坂周吾(くろ) 京都を拠点に、国内・海外などで舞台活動を展開する 和太鼓・踊り・唄のパフォーミングアーツグループ 「BATI-HOLIC(バチ・ホリック)」代表。 http //www.bati-holic.jp/ 唄うたいとしても活動し、大川平との出会いから 「荒馬の里」を作詞作曲。 大川平(と出会ってから)10周年記念実行委員会代表を務める。 管理人 西嶋一泰(くりりん) 立命館大学大学院先端総合学術研究科大学院生。 専門は民俗学・文化人類学。研究テーマは民俗芸能の現代史。 大学のサークル和太鼓ドンに在籍時に大川平荒馬踊りにふれる。 以来、その魅力にとりつかれ、荒馬を調査・研究する。 http //d.hatena.ne.jp/souryukutsu/ Copyright(c) 荒馬.net 制作委員会 All rights reserved. 最終更新日 2010年06月20日