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丸善石油 【商号履歴】 丸善石油株式会社(1933年11月8日~1986年4月1日大協石油株式会社に合併) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~1986年4月1日(大協石油株式会社に合併) <大証1部>1949年5月16日~1986年4月1日(大協石油株式会社に合併) 【合併履歴】 1979年10月1日 関西石油株式会社 1933年 月 日 丸善礦油合名会社 【沿革】 1907年5月 丸善礦油部創業。 1912年 丸善礦油合名会社に改組。 1932年 下津製油所を新設。 1933年11月8日 丸善礦油大阪製油所が独立し、丸善石油株式会社設立。 1933年 丸善石油株式会社が丸善礦油合名会社を合併。 1944年6月 松山製油所新設。 1949年8月1日 石油元売業者に指定。アメリカ合衆国のユニオン・オイル(現在のユノカル)と提携。 1958年11月1日 丸善ガス開発株式会社(現・コスモエンジニアリング)設立。 1963年1月10日 千葉製油所が操業開始。 1964年4月1日 丸善石油などの出資により、関西石油株式会社設立。 1967年12月 大協石油株式会社、日本鉱業株式会社と共同で、アブダビとの間で利権協定を締結。 1968年1月 大協石油株式会社、日本鉱業株式会社と共同出資でアブダビ石油株式会社設立。 1968年2月 アブダビ石油株式会社が、アブダビとの利権協定及び事業協定を譲受。 1968年10月1日 関西石油堺製油所が操業開始。 1973年4月27日 三菱石油株式会社と共同で沖縄石油基地株式会社を設立。 1979年10月1日 関西石油株式会社を合併。 1982年2月 下津製油所廃止。 1982年2月4日 丸善松山石油株式会社(現・コスモ松山石油株式会社)を設立。 1984年4月1日 大協石油株式会社と共に、石油精製部門を分社化し、旧・コスモ石油株式会社(精製コスモ)を設立。千葉製油所・堺製油所を譲渡。 1986年2月 コスモ石油潤滑油製造株式会社(現・コスモ石油ルブリカンツ株式会社)を設立。 1986年4月1日 大協石油株式会社に合併。
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コスモ石油 本店:東京都港区芝浦一丁目1番1号 【商号履歴】 コスモ石油株式会社(1986年4月1日~) 大協石油株式会社(1939年9月4日~1986年4月1日) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~2015年9月28日(コスモエネルギーホールディングス株式会社に株式移転) <名証1部> 年 月 日~2013年12月15日(上場廃止申請) <大証1部>1949年5月16日~2013年7月15日(東証に統合) 【合併履歴】 1989年10月 日 アジア石油株式会社 1986年4月1日 丸善石油株式会社 1986年4月1日 コスモ石油株式会社 【沿革】 昭和14年9月 新潟県下の精油業者8社が合同の上、新会社の商号を大協石油株式会社(現 コスモ石油株式会社)とし資本金125万円で設立。本社を東京に設置。 昭和18年7月 当社四日市製油所が完成。 昭和24年5月 東京・大阪の各証券取引所に株式を上場。 昭和24年8月 一般石油製品元売業を登録、認可を受ける。 昭和33年11月 丸善石油株式会社の全額出資により丸善ガス開発株式会社(現 連結子会社コスモエンジニアリング株式会社)を設立。 昭和42年12月 当社、丸善石油株式会社及び日本鉱業株式会社と現アブダビ首長国政府との間で利権協定を締結。 昭和43年1月 当社、丸善石油株式会社及び日本鉱業株式会社の共同出資によりアブダビ石油株式会社(現 連結子会社)設立。 昭和43年2月 アブダビ石油株式会社が、当社、丸善石油株式会社及び日本鉱業株式会社と現アブダビ首長国政府との間で締結した利権協定及び事業協定を譲受。 昭和55年7月 アジア石油株式会社との資本提携により同社株式48.7%を取得(当社)。 昭和57年2月 丸善石油株式会社の全額出資で丸善松山石油株式会社(現 連結子会社コスモ松山石油株式会社)を設立。 昭和59年2月 当社の全額出資により(旧)コスモ石油株式会社を設立し、同社に四日市製油所を譲渡。 昭和59年4月 丸善石油株式会社との業務提携により同社の精製子会社と(旧)コスモ石油株式会社を合併。 昭和61年2月 丸善石油株式会社の全額出資によりコスモ石油潤滑油製造株式会社(現 連結子会社コスモ石油ルブリカンツ株式会社)を設立。 昭和61年4月 当社、丸善石油株式会社及び(旧)コスモ石油株式会社が合併し、商号をコスモ石油株式会社に変更。 昭和61年4月 丸善松山石油株式会社の商号をコスモ松山石油株式会社に変更。 昭和61年6月 当社の全額出資によりコスモ石油ガス株式会社(現 連結子会社)を設立。 昭和62年4月 コスモ石油潤滑油製造株式会社が、(旧)株式会社コスモペトロテック及びコスモ石油加工株式会社と合併し、商号を株式会社コスモペトロテックに変更。 昭和63年10月 丸善エンジニアリング株式会社が株式会社アデックと合併し、商号をコスモエンジニアリング株式会社に変更。 平成元年10月 当社とアジア石油株式会社が合併。 平成10年7月 当社の潤滑油事業を株式会社コスモペトロテックへ営業譲渡。株式会社コスモペトロテックの商号をコスモ石油ルブリカンツ株式会社に変更。 平成12年7月 東京コスモ石油サービス株式会社が北関東石油株式会社、株式会社エクサス、興亜商事株式会社、大阪コスモ石販株式会社、広島石油株式会社、株式会社コスモネオコーポレーション、四国コスモ石販株式会社、九州コスモ石油販売株式会社、株式会社名古屋シー・エス・エヌ、株式会社浜松コスモ及び北九州コスモ石油サービス株式会社と合併し商号をコスモ石油サービス株式会社に変更。 平成15年7月 コスモ石油サービス株式会社が、コスモアスファルト株式会社及び株式会社八百善商店と合併し商号をコスモ石油販売株式会社に変更。 平成16年7月 コスモ石油販売株式会社が、東洋国際石油株式会社及び株式会社東海コスモコーポレーションと合併。 平成17年4月 当社及び丸善石油化学株式会社の共同出資によりCMアロマ株式会社を設立。
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コスモ・バイオ 本店:東京都江東区東陽二丁目2番20号 【商号履歴】 コスモ・バイオ株式会社 丸善石油バイオケミカル株式会社(1983年8月25日~) 【株式上場履歴】 <大証JASDAQ>2010年4月1日~ <ジャスダック>2005年9月27日~2010年4月1日(取引所閉鎖) 【筆頭株主】 東京中小企業投資育成株式会社 【連結子会社等】 (連結子会社) 株式会社プライマリーセル 北海道石狩市 100.0% (持分法適用関連会社) ビーエム機器株式会社 東京都文京区 30.0% 【合併履歴】 2000年12月 日 シービー開発株式会社 【沿革】 昭和58年8月 バイオの基礎研究試薬販売事業を目的として、東京都港区に丸善石油株式会社(現 コスモ石油株式会社)の子会社として丸善石油バイオケミカル株式会社を設立 昭和59年9月 本社を東京都港区芝浦へ移転 昭和61年4月 コスモ・バイオ株式会社に社名変更、バイオ研究用機器販売を開始 昭和61年10月 本社を東京都中央区日本橋本町へ移転 昭和61年12月 医薬品販売業の認可取得 平成6年12月 本社を現事務所の東京都江東区東陽へ移転 平成10年4月 当社人材活用を目的として100%子会社のシービー開発株式会社を設立 平成12年9月 MBO(マネージメント・バイ・アウト)によりコスモ石油株式会社から独立。シービー開発株式会社を株式譲渡により非子会社化 平成12年12月 シービー開発株式会社を吸収合併 平成16年8月 仕入先探索と輸出促進を目的として100%子会社COSMO BIO USA,INC.を米国カリフォルニア州サンディエゴに設立 平成17年9月 ジャスダック証券取引所に株式を上場 平成18年12月 初代培養細胞(プライマリーセル)の研究開発から製造・販売及び同社細胞を用いた受託解析を行う株式会社プライマリーセルの80%の株式を取得、子会社化 平成19年11月 バイオ研究用の消耗品、機器類の輸入販売事業を行うビーエム機器株式会社の発行済株式の30%を取得、持分法適用の関連会社化 平成20年7月 連結子会社である株式会社プライマリーセルを100%子会社化。
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【名前】緑川灯(みどりかわ あかり) 【容姿】158cm、少し筋肉質で肩までの銀髪ショート 髪型59、つり目8、眉色髪と同じ、眉X座標0、Y座標0、目X座標0、Y座標―5 【所属】オリックス 【能力】 【背番号】5(オリックス・WBLC日本代表) 【年齢】33(1987年6月15日生まれ) 【球歴】済美高校→松山大学→オリックス09年ドラフト4位 【性格】男勝りでしっかり者 【その他】身のこなしが素早い 高校時代から地元では俊足の外野手として注目されていたが志望届は出さず進学を選ぶ 09年ドラフトで島岡と共にオリックスから指名を受け入団 島岡とセットで試合に出たときは主に守備の調子がいい(島岡の守備位置に関わらず) 性格はしっかりしていて負けず嫌いな一面もある プレースタイルは打率を上げることを意識しており、ホームランを偶然多く記録したシーズンはそれ以降当てに行く打撃に切り替えてほとんど狙わなくなるほどである。 国際大会で福王寺さんと取っ組み合いになったことあり(本気ではなく素手でパフォーマンスレベル) 同僚のヤマカツにアドバイスをよくしておりヤマカツの走り方が野球向きになった 料理の腕はまずくない程度だが、見栄えは良くない 15年の秋キャンプで流し打ちを新たに習得 17年、WBLC日本代表に選出された 1番で起用されながら予選リーグでは2安打(打率.143)に終わったが、決勝トーナメントでは10安打(.435)を放ち起用に応えた 憧れの選手は現一軍コーチの田口壮 また、左打ちではあるものの平野恵一(元オリックス・阪神)の果敢な守備面も尊敬している SNSはTwitterのアカウントを持っており、試合がある日につぶやいたり島岡や他の選手と話したりしている 愛車は日産のエクストレイル 車の色はグリーンでオーディオを少し音質のいいものに変えている 交友関係 プロでも同僚となった島岡の他、京都の社会人チームに藤崎という友人が所属している 高校時代のチームメイト蔵谷と16年オフに結婚した 他チームの選手とツーショットを撮影して写真を載せることがある 現在の主な対象は西武ライオンズのノア選手である +画像集 試合で外野フライを捕る緑川(◆VkX5lyF90Mさん作成) 私服緑川(◆HJ4vdzMQ7IHRさん作成) 高校時代の緑川(◆WwtDRgnKgc作成) 打撃成績 2015 .254 5 48 21盗塁(*9OUT) 2016 .287 7 63 24盗塁(11OUT) 2017 .275 7 60 30盗塁(10OUT) 2018 .272 7 58 30盗塁(*9OUT) 2019 .283 7 64 32盗塁(11OUT) +祖母について 【名前】緑川良子(みどりかわ よしこ) 【容姿】孫の灯よりやや背は低かったが見た目はそっくり 【年齢】1937年生まれ 【球歴】丸善石油(1955~1962)→伊藤石油(1963~1968)→丸善石油(1970) 【その他】 丸善石油で俊足の外野手として都市対抗野球大会での優勝に貢献し、休部にともなって広島の伊藤石油(架空企業)へ 66年に所属チームは敗れたものの三菱重工三原に強化選手として指名され自身二度目の出場を果たす 70年の丸善石油野球部再開により復帰した 性格面でも灯によく似ており、孫娘が出ている試合が始まると昔の自分を重ねながら応援している 綾村(日本ハム)とは野球をしていた頃からの仲であり、福王寺(DeNA)とも会ったことがある 綾村は「巧の緑川、攻の沼風、守の諸富」が現代の女子選手の礎になったと語っており、そのうちの一人として名前が挙げられている 伊藤石油入団前後に結婚したため緑川姓になっているが旧姓は「森原」 テーマ曲:ひめキュンフルーツ缶「TEAR DROPS」 登場曲:ひめキュンフルーツ缶「パラダイム」
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■上場■ 0社 ■2部から所属変更■ 0社 ■2部に指定替え■ 0社 ■上場廃止■ 1社 1986年4月1日 丸善石油株式会社=<合併・大協石油株式会社へ> ■■1986年4月末上場企業■■ 1054社
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オー、モーレツ! 丸善石油のCMで、小川ローザが発した言葉。 RE/100 パンダ人間 RE/100はバンダイスピリッツによる機動戦士ガンダムのプラモデルのレーベル。 マスターグレード(MG)に比べると簡易的なパーツ割になっているのが特徴であり、パンダ人間のパーツ数が少ない事もそこに由来していると思われる。
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【名前】島岡香澄 (しまおか かすみ) (旧姓:寺宮) 【容姿】160cm、体格普通。青髪ポニーテール 髪型39、ふつう10、髪色14、眉X座標0、Y座標0、目X座標0、Y座標-10 【所属】オリックス 【能力】オープン17 【背番号】59(2010~15)→36(2016~)/1(WBLC日本代表) 【年齢】33(1987年9月20日生まれ) 【球歴】新田高校→松山大学→オリックス09年ドラフト5位 【性格】クール 【その他】 出身は高知県だが、就学前に父親が愛媛県に転勤することになり家族全員で愛媛へ 祖父母の家は高知県にある 緑川の親友でライバル。指名順こそ下になったが、潜在能力は引けを取らない 指名されるため緑川の能力を目指し、近づくことに成功したものの思い切りのいいスイングが消えてしまう 「緑川の影」のようになってしまった自分と決別するため、ウインターリーグに参加しながら特訓 外野だけでは一軍で試合に出られないと感じ、セカンドでも試合に出してもらえるよう監督に頼んで打球に食らいついた 高校時代に何度か守ったことがあったセカンドの守備適正を得て、高校1年生頃のプレースタイルに戻すきっかけをつかんだ 翌年には能力を下げるという代償を払いつつ「自分の良さ」を発見することに成功した 16年のキャンプでショート守備を習得 15年オフに入籍を発表し、登録名を「寺宮香澄」から夫の姓の「島岡香澄」に変更した 力んだバッティングが多く、打球を飛ばせずにいたが髙橋打撃コーチに見てもらいながら練習したことでパワーが開花 守備型からパワー型へとタイプが変わった 16年は13本塁打と打力を発揮し、T-岡田(20本)・糸井(17本)に次ぐチーム内3位に入った 神戸の球場では他に比べてホームランが出やすく(左腕からだとより打てる)、本人も「神戸の試合だと打ちやすい」と思うことはあるという 17年、WBLC日本代表に選出された 予選リーグ初戦のキューバ戦でセンター方向に大会第一号となる2ランホームランを放つなど3試合で打率6割を記録する 一方、決勝トーナメントでは7三振を喫して4安打(打率.182)と抑え込まれた 18年はチャンスで打席に立つことが多く自己最高打点を記録した 憧れの選手は後藤光尊であり同じ背番号1を背負うことが代表で実現した 日本で滞在中に祖母と出会ったフィリピン人を父方の祖父に持つ SNSはTwitterのアカウントを持っており、カード初戦前と緑川や他の選手との会話に使っている 兄弟は空手をしている3つ上の兄知樹とサッカー選手でアビスパ福岡に所属している4つ下の弟有樹がいる 愛車はマツダのアテンザ(現マツダ6) 打撃成績 2015 .243 *5 38(出場は70試合程度) 2016 .268 13 61 2017 .256 15 57 2018 .257 15 74 2019 .265 16 62 +夫について 【名前】島岡清伍 【容姿】184㎝ パーマがかかった黒の強い灰色の髪 グレーの瞳 【利き腕】右右 【守備位置】一塁手/外野手 【能力】2 E40 D55 A80 E43 D50 E47 走塁C 盗塁C 守備職人 積極打法 積極盗塁 【年齢】1988年1月生まれ 【球歴】新田高校 【性格】空気を読む気はあるが毒舌 【その他】 香澄の夫。会社員で野球経験は高校まで 他者批判をしがちであり、目上の人と妻以外には「この人はこれがよくない」とつぶやくが、今は香澄のフォローで空気を読むよう努力している プロで現役を続ける妻を尊敬しており、ウインターリーグで奮闘する様子を見て自身の姉に相談しながら励ますなど大切に思っている インドネシア人を祖父に持ち、フィリピン系の香澄との間に子供が生まれると東南アジア系のクォーターとなる +祖母について 【名前】寺宮圭子(てらみや けいこ) 【容姿】日本的な顔立ちだが背格好は孫の香澄とほぼ変わらない 【年齢】1938年生まれ 【球歴】丸善石油(1956~1962)→伊藤石油(1963~1968)→丸善石油(1970) 【その他】 丸善石油で堅守の遊撃手・外野手として緑川の祖母である良子とともに優勝に貢献 1つ上の良子と同じ球歴をたどった 孫娘がプロの世界で活躍していることを嬉しく思っている ショートがメインだったためあまり目立たなかったが、外野守備時の送球は非常に速かった 送球する島岡(◆VkX5lyF90Mさん作成) 高校時代の島岡(◆WwtDRgnKgc作成) (※当時は寺宮) 島岡「もう誰かと同じなんて嫌だ。背番号8(一期)の私とはさようなら」 テーマ曲:Superfly「Beautiful」
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上原成商事 本店:京都市中京区御池通烏丸東入仲保利町191番地 【商号履歴】 上原成商事株式会社(1962年4月~) 株式会社上原成介商店(1948年10月25日~1962年4月) 【株式上場履歴】 <東証2部>2013年7月16日~ <大証2部>1985年5月23日~2013年7月15日(東証に統合) <京証>1985年5月23日~2001年3月 日(取引所閉鎖) 【合併履歴】 1981年7月 日 舞鶴ツバメガス株式会社 【沿革】 昭和18年2月 京都市左京区にて故上原實(通称上原成介)が、個人経営で建築材料卸売業を開始。 昭和23年10月 株式会社上原成介商店を設立。京都市左京区に本店を置く。豊国セメント株式会社の特約店として、セメント卸売業を開始。 昭和24年7月 大阪市西区に本店移転。本店移転により、旧本店を京都営業所(昭和37年4月廃止)と改称。 昭和24年9月 丸善石油株式会社(現、コスモ石油株式会社)の特約店として、石油製品の販売開始。 昭和25年1月 大津市に大津営業所(昭和57年7月滋賀支店に昇格)開設。 昭和27年9月 京都市中京区に京都油槽所設置。(平成5年7月京都市下京区に新設・移転) 昭和30年4月 松山市に松山出張所(昭和48年1月松山支店に昇格)開設。 昭和33年11月 三菱セメント株式会社(現、宇部三菱セメント株式会社)の特約店として、同社のセメントの販売に着手。 昭和35年1月 生コンクリートの販売開始。 昭和35年9月 上成商事株式会社を設立。 昭和36年4月 名古屋市千種区に名古屋営業所(昭和48年1月名古屋支店に昇格、名古屋市中区)開設。 昭和36年5月 東京都千代田区に東京営業所(昭和61年7月東京支店に昇格、東京都北区)開設。 昭和37年4月 商号を上原成商事株式会社に変更。京都市中京区に本社社屋完成。同地に本店移転。 昭和37年4月 本店移転により、大阪営業所(昭和45年1月大阪支店に昇格、大阪市淀川区)開設。 昭和39年4月 建材商品(コンクリートパイル、アルミサッシ等)の販売開始。 昭和39年12月 滋賀県守山市に守山油槽所設置。 昭和41年12月 綾部市に綾部営業所(昭和55年7月綾部支店に昇格)開設。 昭和43年7月 湖北ガス株式会社を設立。 昭和45年3月 宅地建物取引業免許を取得し、不動産の売買、交換、賃貸及びこれらの代理もしくは仲介業を開始。 昭和45年3月 建設業の許可を取得し、建設業開始。 昭和48年8月 京都三協サッシセンター株式会社(現、京都三協サッシ株式会社)を設立。 昭和48年12月 京滋ツバメプロパン瓦斯株式会社を吸収合併し、丸善石油株式会社(現、コスモ石油ガス株式会社)の特約店として、液化石油ガスの販売開始。 昭和48年12月 松下電器産業株式会社の販売代理店として、設備機器の販売開始。 昭和51年7月 上原硝子株式会社を設立。 昭和56年5月 上原産業株式会社(現、上原産業有限会社)を設立。 昭和56年7月 舞鶴ツバメガス株式会社を吸収合併。舞鶴市に舞鶴ガス営業所を開設し、京都北部・舞鶴地区において、液化石油ガスの販売開始。 昭和57年7月 本店内に京都支店開設。 昭和57年11月 京セラ株式会社の販売代理店として、同社の再結晶宝石の販売開始。 昭和60年5月 大阪証券取引所(現、株式会社大阪証券取引所)市場第二部、京都証券取引所(平成13年2月大阪証券取引所と合併)に上場。 平成2年12月 京都市中京区に宝飾品店舗「キャサジーゼ」開設。 平成9年6月 昭和ガステック有限会社を設立。 平成12年11月 新ダイヤ産業株式会社の株式取得。 平成14年8月 山科三協ビルサッシ株式会社の株式を追加取得し、子会社化。 平成18年10月 山田ガステック株式会社を設立。
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(東証1部) (5001) JXTGエネルギー HP 旧新日本石油。石油精製販売 (東証1部) (5002) 昭和シェル石油 HP 石油元売り (東証1部) (5003) 丸善石油 ☓ 大協石油に合併 (東証1部) (5004) 三菱石油 ☓ 日本石油に合併 (東証1部) (5005) 東燃 ☓ ゼネラル石油に合併 (東証1部) (5006) 興亜石油 ☓ 日石三菱精製に合併 (東証1部) (5007) コスモ石油 HP 石油元売り 東証2部 (5008) 東亜石油 HP 精油 東証1部 (5009) 富士興産 HP 石油、アスファルト販売 東証2部 (5010) 日本精蝋 HP 石油ワックス 東証1部 (5011) ニチレキ HP アスファルト乳剤など (東証1部) (5012) 東燃ゼネラル石油 HP エクソンモービル系石油販売 東証1部 (5013) ユシロ化学工業 HP 金属加工油剤 (東証1部) (5014) ジャパンエナジー電子材料 ☓ 旧ジャパンエナジー。新日鉱ホールディングスに合併 東証1部 (5015) ビーピー・カストロール HP ガソリン (東証1部) (5016) JX金属 HP 旧新日鉱ホールディングス。金属、電子材料など 東証1部 (5017) 富士石油 HP アラビア石油の持ち株会社 東証1部 (5018) MORESCO HP 潤滑油、接着剤など 東証1部 (5019) 出光興産 HP 石油元売り 東証1部 (5020) ENEOSホールディングス HP 石油、金属、電子材料など 東証1部 (5021) コスモエネルギーホールディングス HP 石油元売り (東証2部) (5042) 日鐵化学工業 ☓ 新日本製鉄化学工業に合併 - (5043) ミツウロコ 旧コード →8131 - (5044) 品川燃料 旧コード →8132 (東証外国) (5050) エクソンモービル HP 旧エクソン。 (東証1部) (5051) ビー・ピー・エル・シー HP 石油 (東証外国) (5052) モービル ☓ エクソンに合併 東証マザ (5070) ドラフト HP 設計デザイン 東証マザ (5071) ヴィス HP デザイナーズオフィス
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共栄タンカー 本店:東京都千代田区九段北四丁目1番28号 【商号履歴】 共栄タンカー株式会社(1949年7月~) 共栄汽船株式会社(1949年7月~1949年7月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1961年10月2日~ <大証1部>1961年2月6日~2005年11月21日(上場廃止申請) 【沿革】 昭和12年3月 共栄タンカー株式会社を神戸市に設立。 昭和24年7月 企業再建整備法に基づき解散し、旧共栄タンカー株式会社の現物出資及び譲渡により共栄汽船株式会社を設立。 昭和24年7月 共栄タンカー株式会社に社名変更。 昭和26年5月 第7次計画造船油槽船(18,809D/W)を建造、外航タンカー運航事業に乗り出す。 昭和31年9月 丸善石油株式会社(現コスモ石油)所有大型タンカーつばめ丸(33,725D/W)を運航受託。 昭和35年6月 新栄海運株式会社を設立し内航事業部門を分離。 昭和36年2月 大阪証券取引所第一部に上場。 昭和36年10月 東京証券取引所第一部に上場。 昭和36年11月 資本金16億円に増資。 昭和38年12月 海運再建整備法に基づく海運集約実施により日本郵船株式会社グループに参加。 昭和40年6月 神戸市より東京都へ本社移転。 昭和45年9月 大型油槽船共栄丸(216,121D/W)を建造。 昭和45年10月 GLORIA BAHAMA,LTD.(現・連結子会社)を設立。 昭和48年12月 大型油槽船太栄丸(233,380D/W)を建造。 昭和60年3月 大協タンカー株式会社所属船員全員受入れ、油槽船鈴鹿丸、東海丸、大協丸を用船。 昭和61年5月 大型油槽船コスモギャラクシィ(238,770D/W)を建造。 昭和61年11月 大型油槽船コスモビーナス(238,770D/W)を建造。 平成元年8月 OCEAN LINK MARITIME S.A.(現・連結子会社)を設立。 平成4年3月 資本金28億5千万円に増資。 平成4年9月 大型油槽船コスモアストリア(238,770D/W)を建造。 平成6年9月 大型油槽船HAN-EI(255,893D/W)を建造。 平成11年11月 大型油槽船KOU-EI(255,891D/W)を建造。 平成14年1月 大型油槽船SKY WING(295,259D/W)を建造。 平成14年9月 大型油槽船TAIZAN(295,255D/W)を建造。 平成16年9月 大型油槽船KAI-EI(255,893D/W)を建造。 平成17年9月 大型油槽船JIN-EI(299,998D/W)を建造。 平成17年11月 大阪証券取引所の上場を廃止。 平成18年4月 コーポレートガバナンスの強化のため内部統制室を設置。