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目次 1.中道とは剣道でいう自然体、中段のかまえ 2.基本あってこその応用である 3.人生の中道、基本形とは、ふつうの幸せな生きかたのなかにある 4.有名人となることの苦しみ 5.中道に入るためには、まずみずからの極端な部分を点検せよ 6.「聖者」と言われることの「虚」と「実」の苦しみ 7.個人にしても団体にしても、極端から極端にゆれてはいけない 8.中道に入(い)る方法としての人生のブロック化 9.小さな成功を積み重ねていくことが、人生の黄金の道である 1.中道とは剣道でいう自然体、中段のかまえ 「中道とはなにか」というところへはいってきましたよ。まあこの中道というのはわが教えの中核も中核であります。 結局ね、私が人生においてなにが言いたかったかといえば、まあこの中道をわかればね、だいたい六、七割はわかったようなもんですね。 中道ってなんだ、中道っていったらなんか公明党か民社党かしら、なんて言う人もいるかも知らんけど、そんなこと言ってるわけじゃないんですよ、中道というのはね。 中道というのは、昔孔子様のことはあまりよく言わなかったけど、まあ孔子様は中庸だね、中庸ってことを言っておるんだね、大事なことなんですね。 人間っていうのはね、極端な生きかたをしておってはやはり長生きできんのですね。 長生きとはべつに肉体生命の長生きだけを言うとるのではない。人間のやはり貫禄のある調和のとれた生活ね、これが自由にできなくなるのだな。 だから中道の道というのはある意味では無限に発展する道でもあるんですね。やはりね、べつの言葉で言えば、これは自然体っていうやつですね。まあこういうことなんですよ。 読者のなかには剣道なんかやったかたも数多いと思うんですが、剣道なんかでも竹刀(しない)のかまえかたでね、いろいろあるね。 上段にかまえたり、下段にかまえたり、ハ双(はっそう)のかまえとか、まあいろいろあるんだけれども、やはりね、正限のかまえというかね、前に真正面に中段がまえをする、これが基本ですね。これは防御もできるし攻撃もできる。 中段のかまえといって目の前に竹刀をかまえて、中段ぐらいの高さにしておると、これはそのまま相手の小手を打てるし、面も打てるし、胴も打てる。同時に向こうが打ち込んできたときに守りもできるんだね。竹刀で。 ところが上段のかまえなんかやっていると打ち下ろすしかないんだな。だから向こうにすきができたらボーンと打ち下ろして「面あり。」なんて言えるけれども、空振りしたらね、もうガラガラになっちゃって、自分のは小手と面を打たれちゃってね、「アッ、イタ。」なんて、面ありと思ったら自分のほうがやられちゃった。こういうことがありますね。 下段のかまえなんてね、竹刀が下のほうからスースと動いて、かっこいいんだけれども、下段のかまえでパーツと上へあげたらなんかね、はかまの裾なんかめくれちゃってね。「キャー。」なんて女の子が言っちゃったりして。そういうこともあるわけでね、やっぱりそんなの不自然なわけですね。 だからまあ中段のかまえというのは、これはね、自由自在、融通無碍(ゆうずうむげ)でね、動く。だからまあ、この道はなにかというと、剣道でいうとこれが中段のかまえですね。ごく自然の基本の形ですね。 あるいは柔道なんかそうだよね。自然体とかね、自然体ですね、これなんかそうですね。 2.基本あってこその応用である まあこういうふうになんの道でもそうでありますが、基本の形というのがあるんですね。自然体というのがね。まあこれがいちばん重要なんですね。これができて、あといろんな応用練習というのができるってわけですね。 まあこの中道の道というのは、スポーツでいうとランニングみたいなもんかもしれないね。 走るということは単調でそれほどおもしろくないけれども、走るということのなかにおいて筋肉を鍛えるすべての動作がはいっているわけだな。足も腰も肩もね、腕もみんな鍛えられるんだね。首だって鍛えられちゃうんだよね。 こういうことで、まずスポーツは走るということが基本。これで応用にテニスがあったり、サッカーがあったり、野球があったりするけれども、これはみんな走って足腰を鍛えるというのが基本だね。 ウサギ跳びなんていうのもあるけれども、あれだって筋肉を痛めるという説があるぐらいでね。まああんまり基本じゃないね。だからやっぱり走るというのが基本で無理がない。 まあこういうふうにやはりいちばんたいせつな生きかたね、極端に走らずにたいせつな基本形、これをだいじにしなければいけないんですね。 だから人生における基本というのはなにか。基本形というのはなにかね、このことをみなさんに一度考えていただきたいのですね。 剣道でいえば竹刀のかまえがね、変なかまえになっていないかどうかね。奇をてらったかまえになっていないかどうかね。そういうことですね。 中段でどこから打ち込んできても制御をし、どこへでも打ち込んでいけるような、そういうかまえができているかどうかね。長続きできるかどうか。まあこういうことでありますね。 だからテニスなんかでもそうなんでしょう。なんか知らないけれどもトップスピンだかなんだか知らんが、上から打ち込んだり、水平打ちしたり、いろいろとあるけれども、基本というのは、あれでしょう。 タマを膝の高さでとらえて打ち返すんでしょう。これ基本じゃないの。ねえそうでしょう。膝の高さで走っていってね。膝の高さでタマがはずんだところでラケットで打ち込む。これ基本だよね。 これやらないで横着してどこででもね、タマが高いところだったら上から打ち込んで、肩ぐらいの高さだったら水平打ちしてね、あっちでも打ってこっちでも打って、どこでもいいから打ち返すといったら、これじゃおかしいよね。 野球だってストライクゾーン来たら打つわけでしょう。そういうふうにやるわけですね。で、まあ、野球の選手だってカーブだとかシュートだとかスライダーだとかいっぱいあるけれども、基本はやっぱり直球ですよね、投手だって。 まず直球を投げる練習からはいるんですね。これができてカーブ投げたり、それからシュート投げたり、スライダー投げたりね。 最近なんかいろいろあるんだってね。なんとかフィンガーボールなんてあるらしいね。なんかそんなのやってみたり、まあいろんな変化球あるらしいですなあ。 まあ私もそれはよく知らんが、なかにはすっぽ抜けて大暴投になったりするのがあるけれどもね。そういう変化球もある。 打者だってそういうカーブを打つ練習をするだろうけど、基本はやっぱり直球を打ち返す練習だよね。だからそういうことかだいじなんですよ。まず基本を中心にやることね。 だからテニスだってそうで、そんなスマッシュばっかりうまくたって普通の打ち返しができなければ、ふつうのレシーブができないとこんなのいいテニスプレーに絶対にならないのですね。 スマッシュでも高いボールを打ち込むのだけ専門でね、そのときだけは、もう大地も割れよというばかりタマ打ち込むのはいいけれど、ほかのふつうのタマがきたらぜんぜん返せないとか。 前衛でもそうだね。ボレーとかいってポンポンと前に落とすのね、これができないなんてこれでは駄目だね。 だからテニスなんかの後衛なんかの打ちかたでもね、斜めでね、クロスで向こうの後衛とタマの打ち合いしてリレーしながらポンポンやっているうらにヘタなほうが負けちやうんでしょ。 こういう打ち返しができてラリーっていうのが、これが基本なんですね。 そうじゃなくてね、たとえば向こうからタマを打ってきたらね、いきなり向こうの前衛の横を抜いてね、スパッとすみの端っこを決めてやるとかね、こんなことばかり考えちゃあいけないんだ。 サーブ打ち込んでも絶対取れないようなサーブ、ウルトラCサーブ打ち込んで見せる。おれのサーブはいったら最後ね、もう絶対二度と打ち返せない。こんなのばっかり工夫しないでね、サーブははいればいいんですよ。 力があったらこれをラリーしてね、打ち返して勝てるようになりゃあいいの。 だから歌なんかもそうですね。この曲だけは日本一なんてね、そうね、奇妙きてれつなへんな歌一生懸命練習しないでね、まあみなさんが歌える歌、いちおう歌えるようになってそのなかから持ち歌出ればいい。これしか歌えないなんていうのはまあ惨めだよね。 まあカラオケやらしたら「思い出のサンフランシスコ」ばっかり歌う人がおるんだよな、ほかのなんにも歌えなくて思い出のサンフランシスコってね、「シスコ」ってこればっかり言ってね、そんな人もいるんだよね。 カラオケ行っても「シスコー」で、それで自分の持ち歌をね知らずに、会社の部長だとすりゃね、子飼いの部下が来てね、新人社員だと知らずに、部長の持ち歌を知らずに「サンフランシスコ」なんて先にやっちゃったらあとプンとおこっちゃってね。おれの持ち歌歌いやがって。 横の課長をつついてね、「あいつおれの持ち歌歌っている。なんとかやめさせろ。」なんてね。「おれの前に。」なんてね。まあこういうことになりますね。 だから基本というのはだいじですよ。そして応用があるね。基本があって応用がある。まあそういう考えかたをね、だいじにしなければいけない。 3.人生の中道、基本形とは、ふつうの幸せな生きかたのなかにある さて、まあそういうことで、だいたい考えはわかったと思いますが、では、みなさんの人生の中道、基本形ってじゃあいったいなんでしょうかね。いったいなにが基本形なんだろう。まあこれ考えなきゃいけないね。そうしてみると基本形というのはね、無理のない、やはり生きかたということですね。無理のない生きかた。 じゃあ無理のない生きかたというのはどういう生きかたかというと、まあ毎日がね、やはり心が安らいでいるというのがこれがいちばん中心ですね。心が安らいでいる毎日であれば、毎日毎日がね、平和に暮らしていけるし、長続きしますね。 ところが心が乱れに乱れておると、こらあ長続きしませんわね。どう考えたって。ちがいますか。奥さんとケンカばかりしていて旦那さんの心の平和ありませんね。これ自然体とは言いませんわね。そうではないでしょうか。 子供のことでもう頭がいっぱいで、こんなの自然体じゃありませんね。高熱出してウンウンうなっているの、これも自然体じゃございませんね。 だからやはりみなさん、そうね、極端なね、王侯貴族みたいな生活ばかりねらわずにね、まあごく平凡なね、ふつうの幸せな生きかたをまず基本形として押さえていく必要があるんですよ。 けっしてね、象の背中に乗ってね、ヤシの葉っぱで風を送ってもらうのがこれが幸せではないんですよ。こんなの象の背中に乗ってユタユタ歩けばいいなんて思ったら、象の上から落ちてあなたね、踏みつぶされちゃって、「ギャー。」なんて言っておわるんですよ。 そんな王様になろうなんてしないでね、まずね、扇風機のある部屋で夏過ごせるとか、軽井沢の別荘なんてなかなか持てないだろうけど、まあせめてね、二十何万円ぐらいのクーラーがはいるていどの家を持つとかね。まあありますわね。 だから極端をねらわずに、まあ満足できるぐらいの、生きかたをまずねらってみるということですね。 ですからそうしてみるとどうすりゃあいいかというと、自分の性格というのを、もう一回ね、ふり返ってみてほしいんですね。そして自分の生きかたのなかにデコボコがないかどうか。これを一回点検してみる必要があるんですね。 だからそのデコボコというのはけっして悪いところだけではなくていいところもあるんですよ。いいとこ悪いところをよーく見てみる必要がある。 4.有名人となることの苦しみ たとえば女性であれば、美人であるということだけでなにかのデコボコを作っておるんですね。 それが顔が美しいということによって多くの男性から言い寄られるかもしれないけれども、それはかならずしも幸福を意味しているわけでもないんですね。そうすることによって心のなかで、たとえば自惚れ、自己顕示欲、こういうものがいっぱいになったり、あるいは注目願望ね、喝采願望みたいのがいっぱい集まってきて、とにかくスターになりたい、もう有名になりたい、まあこういう気持ち。多くの男性にもてたい。 こういうのになって、ひどいのになってきたらほんとう男から男へというのもあれば、逆にいうともうあんまりスターになっちゃって、男なんか近寄れなくなっちゃったりしてね。 いま、女優さんとかスターなんかけっこう多いんですよ。多くの人にもてるのはいいけれど、もてるけれど有名すぎて、もう交際もできないで苦しんでいる人いっぱいいるんですよ。 そんな人そうなっちゃったらもうどこも歩けない。町のなか、デートもできないね。顔もばれちゃってどこも歩けないし。ほんとね楽しいことしたくたってホテル行けないんだ。もう顔みんなわかっているし、週刊誌が追いかけまわっている。マンションも行けない。 もうマンション行ってもね、最近あるねえ、有名な歌手の夫婦なんか、また引越し。引越し、引越し、もう近所がうるさくて買い物も行けない。もう引越しの引越しね。せっかく落着いて新婚家庭かと思ったら、もう引越し。うるさくてしょうがない。 それから有名人になるともうスターなんかなっちゃって、いつもサングラスかけて歩かにゃあいかん。夏だけならいいけれども、冬にもサングラスかけて、ときどきチンピラのヤクザとまちがえられたりしてね。おもて歩くようになりますからね。 だから無名であるということもけっこう幸せですね。だからそりゃあいいこと悪いことあるけれども、極端な部分ね、自分のなかの極端な部分があるということはそれがやはりね、カルマを生んだり、苦しみを生んだりする根源になりやすいんでね。 そこをもういっぺん考えてみる必要があるね。 でまあ経済的な苦境というようなことで味わっている人というのは、けっこうそこでね、経済的な問題でね、ウンウンいつもいっておるんだね。やはりそのへんに問題があるんだな。 だから人並みのところへ持っていく必要があるし、頭でね、おれは頭が悪いなあーなんてね、いつも悩んでおる人がいますね。そしたらこれも悩みっていうのはなかほどともいかんけど、そんな苦悩を作らない程度のやはりね、頭にするためにね、多少は知性を磨くなりね、していく必要があるんですね。 5.中道に入るためには、まずみずからの極端な部分を点検せよ だからまず中道に入るための第一は、自分の才能や人格や、あるいは肉体的なもの、こういうものをふり返ってみてね、極端な部分がないかどうかよく見てみる。 そして極端な部分があるとすれば、それによってどのような喜びを生み出したり、あるいはこれが悲しみになっておるか、こうしたことをね、つぶさに見てみることですね。 だから極端の部分ももちろんとりえとして生かせるのがあるけれども、それによって心の安らぎがうばわれておらんかどうかね。こういうことがだいじなんですね。 だからまあ有名な俳優さんなんかでも、いろんなふうに世間からちやほやされても、なにか解放感がほしくてね、その衣装を脱ぎたくなって禅寺へ隠(こも)ってみたりするわけですよ。まあそういうことがあってね、なぜかどっかで裸になりたいんだな。 そりゃあ逆に映画俳優かなにかになってみると、洗面器ぶら下げてね、銭湯なんか行ってみたいんだよ、逆にね。「ああ、行ってみたい。」なんてね。 銭湯の前を通りかかって何とか湯とかね、「松の湯」「玉の湯」なんてあったらもう洗面器にね、石けんとタオル持ってね、肩かけて玉の湯ヘカラカラサンダルはいて行ってみたいんだよね。夏になったら夕方ごろなあ。 それはそんなこと知らないミーチャン、ハーチャンや、あるいは貧乏学生さんなんかね、まあ会費が払えんから安くしてくれなんて言うような貧乏学生さんにかぎってね、二百円ぐらいの風呂代払って二百六十円か三百円か知らんけれどもね。読者から抗議がくるといかんから、二百七十円かね、払ってね。 で、「高いな、二百七十円の風呂、高いなー、こんなの毎日はいれないや。」なんて、二百七十円なんか払って「どうにかならんのか。もっと百円ぐらいにならんのか。」なんてブーブー言ってね、不平不満言いながら、サンダルはいてカラカラ行っている学生さんなんか見たらねえ、俳優さんが見ると「ああうらやましいなあ。」お風呂行ってもぜんぜん見られないしね、裸になってもだれも注目しない。 「俺が裸になんかなったら、おへその横にあるホクロまで見られちゃってたいへんなことになっちゃう。いいなあ。」なんてね、ありますね。そういうことけっこうあるんですよね。 それと有名人だからといってもお金ピィーピィー言っているのもいっぱいあるしね。有名人は金があるなんてとんでもない。だから羽振りのいいとこ見せなきゃいかんからますます苦しくなる。こういうことあります。 だからまあ極端に人から見てよく見えるようなことも、辛いこともあるわけですね。 6.「聖者」と言われることの「虚」と「実」の苦しみ それは高橋信次だって同じですよ。人様の前であなた、釈迦か、キリストか、高橋信次か、なんて説法し始めるとなんにも悪いことできなくなるんですね。聖人君子にならなければいけないんで。 そりゃあ「ちょっと」なんてね「パチンコしたかったのになあ、あそこで浅草のあそこのパチンコ屋、きょうは出るだろうな。出るかもわからんなあ。」どうだ、あそこ。 「おばちゃん、二十七番、玉出ないよー。」なんてね、こんなの言ってたらね、「あれはGLAの高橋信次じゃねえか。なにしているんだ、あんなところで。GLAの会長パチンコまたやってる。」なんて、「またバンバン叩いて『出ないぞー』なんてやってるぞー。」なんて言われるとたいへんだからパチンコもできなくなっちゃうね。そうでしょう、ねえ。 パチンコはできないし、小桜姫様じゃございませんが、六次元の愛じゃありませんが、あなた愛人もつくれません。 当然、デートもできない。はあ苦しい。ほんとうね。悪いことなにもできなくてアリ一匹踏みつぶしてもいけないし、もうたいへんなんだよね。 弟子にかこまれたらほんと仏様の顔をして、優しく愛と慈悲の魂にならなきゃいかんし、もうそりゃあたいへんですよ。 そりゃあかあちゃんに腹が立ったって、夫婦げんかなんかして近所にきかれると、「なに、あの人。心と行ない、中道など言いながらぜんぜんじゃないの。」、「もう毎日鍋釜飛びまくっているじゃないの。」なんてね、言われちゃいますね。こんなことあったようだ。 で、私の大森の家なんかちっちゃいふつうの家でありますけれども、ねえ、そしたらいろんな人が来る。ご飯食べに来たりするから。 ちっちゃい家だけれども、「やあ、やっぱり本当の聖者というのはちっちゃい家に住むんですね、ぜいたくじゃないんですね。」なんて言われると、ほんとうは家を大きくしたいと思っても「ウッ。」と思ってね。 ほんとうは大邸宅のほうに住みたくても、「いや、聖者というのはほんとうに銭金じゃないんですね。こういう質素な生活をするんですね。」と言われると「ウッ。」と言って言葉がつまっちゃって、そして大きな家に移れないね。 そして人があふれて正月なんか困っちゃうね。まあこんなことになりますね。まあそれほどむずかしいんですよ。 だからまあこれは幸福の科学出版から出る本なんでカットもされないと思うんで安心してしゃべれるんですけれども、ねえ、GLAなんかもそうですねえ。 基本的には、まあ私も中道をずいぶん言っとったけれども、全般に私の、まあ昭和四十三年ごろだったかな、その動きと、現在もう六十二年ですが、まあ二十年だね、足かけ二十年になるけれども、この二十年のGLAの動きっていうのを、歩みというのを見れば、やはり極端がずいぶんあったね。 自宅で七人相手に説法したときから始まって、急速に発展してね。「私は宗教家ではございません。私は電気屋です。電気のことならわかります。」やっていましたね。 「仏典なんか読まなくてもわかります。キリスト教の聖書なんか読んだことありません。使徒行伝第何章、華厳経十地品のなかに書かれておるのです。これはすべて指導霊によって私は教えられるのです。」なんて言って全国各地まわっておって、電気屋のおじさんがねえ、まわっちゃって。 そして経営はかあちゃんにやらせたり、ときどき、「あんたも出てきなさいよ。」なんて言われて、「わかったよ、わかったよ、ハンコ渡してあるのにお前わかんないのかよ、ほんとうにしょうがない。」なんてね。で、まあ行って社員教育したりね。 まああっちこっちしながらゃっとったけれども、無理があったね。それで無理がどこへ来たかというと、けっきょく私個人にそうとう来た部分があるね。 そして、「宗教で飯を食っちゃいけない。」ということであったんで、事業のほうで利益出して、日大講堂なんかね、一円も取らずに日大講堂で講演やって私が全部払ってやってね、悔しいもんだからね、経営者ゼミなんか十万取ってね、「お金じゃありません。物質じゃありません。そんな欲望を捨てなさい。」一生懸命教えちゃったりしてね。 そしたらみんな、「ハアそうですか。」なんてね。あと経営に苦しんだりしてね。どうしたらいいんだかわからなくて。まあいろいろやりましたけれども、まあちょっと極端は私にもあったように思います。 7.個人にしても団体にしても、極端から極端にゆれてはいけない それと、私自身も幼少時からいろいろと、いろんな問題で苦しんできたこともあったんでね。 そういう悩み苦しみから脱却したいという気持ちもあったのか、やはり私自身もね、謙虚になりなさいということを人にも教えたけれども、やはり自分もそういうコンプレックスもあったんでしょうかね、ひじょうにやはり偉い人間になりたいという気持ちが潜在的にあったように思いますね。 その結果、やはりGLAが、その後私が亡くなったあとに、「偉い偉くない。」というような方向に行ったね。 光の天使だ、大如来だっていう方向でね、行った流れのなかには、私のなかにもそうしたものがあったということを私は認めざるをえんと思いますね。そういった極端があったね。私にもね。 幼少時の苦労と、それから社長になって、まあ若いころも苦労したけれども、夫婦げんかもしたけれども、高電工業がまあまあ発展して、そして急に霊道現象が始まっちゃって、いきなり教世主みたいになっちゃって、パッと拡げちゃって、倒れちゃって。ハ起ビルで死んじゃって。それで娘が立っちゃって。 まあずいぶん目くるめく人生。まあコロコロコロコロといろんなことが起きてきました。あんまり中道とは言えない人生であったと深く反省をしております。 だからまあいま、私の一番のね、心の課題は、そりゃあ娘が主宰するGLAね、これをいったいどういうかたちで収拾つけるかね。 彼女のプライドを傷つけずに、やってきたことを無駄にせずに、そしてみんなが幸せになるようなかたちで、GLAを離れていった何十万の弟子たち、彼らもまとめて、そして現GLAの人たちもなんとかこれをもう一度納得してもらってね、みんなが納得するかたちで犠牲者を出さずにね、できるだけ円満な解決、どうすればいいかね、日夜私はこのことで頭が痛いです。 ね、ほんとう、九次元の霊でも苦しみはあるんですよ。ねえみなさんね、苦しみがないなんていう人いるけど、あるんですよ。 私は言いました。播いた種は刈り取らねばならんと。刈り取っているんですよ。種播いちゃって、種が大きくなっちゃって、まあいろんなことをやっているもんだから、ほんとうたいへんなんですね。 だからまあ私もそういうような極端な人生であったけれども、私の長女なんかもね、やはりいきなり十九歳でね、主宰者になっちゃって、そりゃあ苦しかっただろうよ。それでやっぱり偉い偉いとまわりが言わないとね、人がついてこれないんで苦しい。 そういうことをずいぶんやってきたし、責任感がひじょうに人一倍強かった娘だから弱音を吐けない。絶対最後までやるということでね。 いま、幸福の科学で大川さんなんかやっているけれども、彼女はひめゆりの塔みたいに、沖縄のあんなふうにならないようにね。 僕は最後まで、ボロボロになるまでいかないように、なんとかしてね、収拾をつけたいと、まあここでいま、ほんとうにつらいんだけれども、やりたいと思うんだね。 だからまあ妻だとかね。GLAに残っている弟子たちもよーく考えてね、まあそのへんやってほしいと思うんですね。 だからまあ中道ということは、個人だけではなくて団体にもあるんですね。やっぱり極端から極端にくるといけない。こういう部分はやはりあるんですね。 8.中道に入(い)る方法としての人生のブロック化 だからそういうねえ、人生で大地震があるようなグラグラグラグラとゆれてはいかんのですね。人の生きかたもそうだし、団体にしてもそうなんですよ。 だから幸福の科学というのも発足して一年足らずでありますが、(一九八七年現在)僕はね、自然体でね、だんだんだんだん積み上がっていくようないきかたね、これをしていってほしいなあと思いますね。 だからいちばんたいせつなことは、石橋を叩いて渡るようなそんな慎重さまではいりませんが、やはりレンガを積み重ねていくようないきかたね。ブロックを積み重ねていくようないきかた。こういういきかたをね、していきなさいよ。土台を作っていくね、カチッとね。そういういきかたをしなきゃいけない。 だから日の丸弁当でもなんでもいいけれどもねえ、お弁当開いてねえ、手でつかんでガボガボ食べるんじゃなくて、ギッシリお母さんがご飯詰めてくれたらね、お箸でね、四角く切ってね、ちっちゃく食べるようにしてポコポコと口のなかにほおり込んで食べるんですよ。こうしたら食べやすいんですよ。もうガブッと食べようとすると苦しみがある。 おにぎりでもそうですよ、口にはいるぐらいのおにぎりだからそれでいいんであってね、重さニキロもあるような大きなおにぎりなんか作ったら、もう食べるのに死んじゃいますね。息がつまっちゃって。そういうことなんですね。 だからまあ中道の方法のひとつとしてね、やはり僕は人生のブロック化、レンガ化と言いますかね、そういうこともだいじだと思うんですね。ひとつひとつね、積み重ねていくっていうことですね。 そりゃあそうですよ、ブロック塀造るときもそうでしょう。下に一列に並べてその上にセメント塗ってね、そしてまたコンクリートですか、塗って、またブロックを積む。そしてその上を積む。そして鉄の棒かなにかを通すんでしょう、中にね。そういうふうにしてますね。 だから中道の生きかたを、あるいはひとりの個人の人生、あるいは団体のいきかたという面でみればね、そういうひとつひとつをたしかに積んでいくことでもあるわけですね。いきなりブロック塀を上から積めますか。積んでごらんなさい。積めないでしょう。 だから団体などが混乱する原因は、たいていブロック塀を上から積もうとしている。下から積まなきゃ、積まれないね。そうでしょ。そういうことなんですよ。上から積めないんですよ。 どうしても上から積んでみると、下のほう、藁(わら)かなにかを積み上げちゃって、まず一番上のブロック積んじゃって、で、藁ちょっと抜いてその下にまたくっつけてね。また藁抜いちゃってね。こんな造りかたする人いないんですね。 ビルでもなんでも下から建てていくんです。上から建てるビルなんかありゃあしないんですね。よく知らないけどね。なんか新しい方法で上から建てるのがあるかもわからないから、建築家から文句出るといかんから、まあこらあ言えんけれども、まあそういうことなんですよ。 9.小さな成功を積み重ねていくことが、人生の黄金の道である だからねえ、みなさんねえ、自然体、長持ちするやりかたというものをね、まず人生の基礎におく。そして長持ちするやりかたというのは、心に安らぎのある生きかたですね。こういうことを基本におく。 団体においてもそうで、行動の基準としてね、ひとつひとつブロックを積んでいくようにね、たしかな手応え、小さな成功を積み重ねていくということですね。 いきなり世界を救う、人類を救う、日本国中を救うっていうことはありえないですね。 そういうことではなくて、やはりひとつひとつの座談会、講演会、研修会、こうした小さなものをひとつひとつね、成功を積み重ねていく。そしてブロックのように積み重ねていくんですね。 だから本でもいっしょですよ。一冊一冊の本を積み重ねていくことですね。高橋信次霊訓集一集二集と出たら三集も出る。三集が出たら、もちろん四集五集が出る。そして評判がよけりゃ六集七集が出る。いきなり高橋信次霊訓集の六集とか十集とか出ないんです。一集二集三集とあって出るんですね。 このように、たしかに手応えをたしかめていく。こういう手堅い人生というのをみなさん生きていってくださいよ。これはね、あとあと残るんです。そういう生きかたね。これがひとつの中道であります。 真中の飾らない道ね。こういう生きかたをしていってください。これがね、人生の黄金の道ですよ。 ね、ガッチリとした基礎を作って、真正面から、斜めに構えずにふい打ちなんかしようなんてしないで、真正面から向かっていけるような生きかたね。 人様からうしろ指さされないような生きかた、こういう生きかたをしていきなさいよ。ね、常識ですよ。 光の天使であろうがなかろうが関係ないんです。奇跡を求めちゃいけない。奇跡を求めて一発どうするとかねえ、神風が吹くとか、そんな考えを持っちゃいけない。 中道でジワジワジワジワと実力をつけていく。まず五百人、千人の人を救っていくところから人類救済を始めていく。こういう考えをね、だいじにしていきなさい。まあそういうことです。
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商道とは 依頼者 A 露店組合試験官(74,81) B 露店組合試験官(ブリッジヘッド-83,80) 称号 取引人(1) 報酬 なし 備考 LV7以上で発生。 流れ ● 出された問題を解かなければならない。 問題は全部で22問あるらしい。問題はブリッジヘッドの露店組合試験官が出してくれるそうだ。問題の出題範囲は、各街ごとの商店に関するものらしい。 戻る
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ござーるdeござーーるぅ って、、 て、、〇ンゼン といよいよたたかうときが来ましたヽ(`Д´)ノ よこせ鳳凰丸 うばえ鳳凰丸ヽ(`Д´)ノ でも、その前に PM 7章 眩き石の御許にて 前半も攻略しなきゃね こんな感じ 日付 4月7日(土) 集合時間 20時00 出発時間 20時 集合場所 サンドリア リーダー ノーム 推奨レベル 70 予定人数 6 まず、ギルド桟橋でNM倒すのでサンドリア集合 行ってきました、武士道とは。レポートはこちら-- 切腹でござる 参加者 ソラノ 黒魔道士 エリシス 赤魔道士 よっしー 黒魔道士 ブラウ 忍者 ガニマ シーフ ノーム 狩人 7章の進め方 ■7-1 鎖と絆 6章おわって、ルフェーゼ野 タブナジア地下壕へいく タブナジア地下壕K-7 ドア調べる 海獅子の巣窟へ行く タブナジア地下壕I-7を調べる ■7-2 闇に炎 ミザレオ海岸F-7へ行って、黄昏てる男の背中を見る 海獅子の巣窟H-6のねーちゃんと会話 ル・ルデの庭 大公宮へ入る ジュノ上層F-7 マーブルブリッジへ ■7-3 眦決して 2716号採掘場の扉を調べる(ワープ用にアーリマンの涙とかスノーリリーがいる) 大工房のシドと話す ヴァナ日の12時を越えるのを待つ ■7-4 決別の前 日を越えたらシドと話す。おつかい頼まれる。 次のを好きな順番で攻略するギルド桟橋I-9 ???を調べてトンベリNM4体を倒す。(ちょっと強い) ビビキー湾のF-6 ???を調べてタコNMを倒す ミザレオ海岸E-7 でブガードNMを倒す 大工房シドと話す 海獅子の巣窟のねーちゃんと話す ■7-5 武士道とは 飛空艇BCにて、チョンマゲラーと友情を深める はず 武士道とはの情報 連携:花鳥風月が決まると強制退去 タルッ子チェブキ兄弟は無敵なので無視する HPをある程度まで減らすと勝利(8割) チェブキの一人がスリプガ2を使ってくるので毒薬を。 HPが半分をきるとそして連携を開始する 弓を使う、そして弓WSがとても痛い 連携が決まるまでに倒さなければならない 花鳥風月は、なにをしても止めることはできない チェブキー白魔道士が麻痺にしてくる チェブキーはガ系魔法を使ってくるので、空蝉の盾は不向きとのこと 武士道とはの攻略 奴のHPが半分を切って、おにぎりを食い始めたら、こちらも追い込み開始(絶対おにぎり食うわけでもない) 奴の魔法耐性は高くないので精霊魔法有利 後半は、連携とMBを有効に使ってダメージを入れる オポオポ+昏睡薬とかでTPを溜めよう スラッグショット(射撃) + ダンシングエッジ(短剣) + 天(片手刀)=闇連携 らしいっす 補足 侍の弓WSは食らうとほぼ即死 戦闘時間は早いと3分、大体5分ちょいらしい WSは侍を除けば3回ぐらいしか撃てないと思われる オポオポネックレス、イカロスウィングを使おう チェブキ3兄弟とは距離をおこう 私達の戦略 TPためてBCに突入 狩人釣り スリップ系精霊、弱体魔法入れ 狩人より連携スタート 不意ダマ付きダンシングエッジ 天で闇連携 黒魔道士MB入れ 赤魔道士、 黒魔道士、黒魔道士 スタン 狩人、シーフ、忍者 イカロス使用 狩人、シーフ、忍者 連携開始 誰かが弓WSで死ぬ 赤魔道士連続魔でスタン 黒魔道士MB 勝利の女神がコッチを向く なにかあればコメントください。 連携はいるときに・・メッセ(?)入れてもらえるとありがたい;; そのときから、詠唱予定^^; 光なら、バースト、闇ならフリーズいきます。 -- そらの (2007-04-06 01 25 09) 蛇足:樽3人はディアボロスのナイトメアで寝るwww -- 暗黒な狩人www (2007-04-06 08 52 19) 誰か、オレに連携というものを教えてくんだささいw まあ たのしーみだー^^ -- Gnome (2007-04-06 20 09 26) あのタルっ子達と戦うの!?可愛そうだから叩いちゃだめだよ^^^^^ -- Maasuke (2007-04-07 03 32 13) チェブキーとマースケって似てるよねーー -- Gnome (2007-04-07 12 12 30) いじめ撃退法 -- 新 (2008-03-02 17 27 59) きゃー!更新されてるぅ(‘‘) とおもったら、ちがっt・・・。 -- タロちゃん (2008-03-02 23 28 27) 更新更新>< -- Gnome (2008-03-06 21 44 46) 更新されるて(ry orz -- Maasuke (2008-03-11 01 19 37) 更新!・・・されてないね。 -- ghanima (2008-03-11 23 33 31) ( ̄∀ ̄*)イヒッ -- はち (2008-03-27 00 13 47) 更新【くれませんか】 いつも楽しみにしていたのに (つД`) -- 別鯖のネコ (2008-04-06 21 13 48) この記事、大人気だな。「武士道とは」をクリアしてもう1年経つのか -- Blau (2008-04-06 22 11 23) ひいいい(゜□゜*) 別鯖のネコさんからも励ましの声が!更新しなくなってからの反響のほうが大きいような気がする♪うぐぐ なんか考えねばw -- Gnome (2008-04-07 00 07 48) もう署名活動をはじめるとこですよー。個人的にマート絵日記と弓道着の巻が一番好きだったんだけどね^-^。 -- 赤爺が痛かった別鯖のネコ (2008-04-09 00 47 30) 実は、最近ひそかに マートキャップとれないもんかと、たくらみ中 でへ -- Gnome (2008-04-11 00 51 13) 名前 コメント
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中道という生き方・考え方 ◎勇気ある人々 ◎現代人の精神と行動 ◎仏教 ◎宗教者と政治 ◎公明党 ◎公明党05Ⅲ ◎創価学会 ◎コミュニケーション ◎ネットの流儀? ◎わたしの信仰 ◎世界宗教 ◎カルト ◎文学・芸術によって考える ◎生き方のお手本 ◎自己決定のための実用知識 ◎子育ての知恵 ◎生命倫理 ◎社会民主主義しかない ◎ミシレニアス ◎鉄道
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大学で専門的に研究していますが、 これまで調べたところによると、時代により、 おおむね3種類に分類できると思われます。 時代区分は、江戸以前、江戸、明治以降。 全部タイプを書くと長くなりすぎるので端折りますが、 ここで問題になるのは明治以前の武士道です。 明治期の武士道は、もう少し厳密な区分けをするなら、 新渡戸稲造が『武士道』を書いてからの思想を指します。 明治ということは、既に武士は存在していない時代です。 また、新渡戸『武士道』を読んでも生きた武士の姿は見えず、 もっぱら道徳的なことを語っているにすぎません。 まあ、まえがきにある動機から書いたのであれば納得ですが、 いずれにせよ、新渡戸『武士道』では武士道は分かりません。 で、明治以前の武士道とは何ぞや、となるわけですが、 これも時代によって少しずつ違っていると見られます。 源平期、鎌倉、室町~戦国、江戸と微妙な差異があり、 一概に「これが武士道だ!」と断定することはできません。 ただ、各時代の文献やそれに対する論文を読んだ限り、 どうも「名」に対する姿勢は一貫しているように見えます。 名誉と言い換えても、あながち間違いではないですね。 「命を惜しまず名を惜しむ」という言葉も残っています。 武士道は仏教とかなり深く結びついていますから、 輪廻、つまり魂の存続については当たり前に信じています。 だから、死者の名前に対して何らか評価するということは、 死者そのものに対して同じ効力を発揮するわけなんです。 したがって、死後も名を汚されることのないように、 漠然と書けば「立派な人間」でなければなりません。 それが、武士の根本的な姿勢だったのではないかと思います。 なので、具体的にはいつでも隙を見せないようにするとか、 そのために身嗜みに気をつけるとか、そういうことを言います。 また、北条氏の家訓や『武道初心集』『葉隠』などには、 「常に死を思って行動せよ」みたいな記述も見られます。 明日にも死ぬと思っていれば、今日1日を全力で生きるので、 結果的に「名を惜しむ」生き方になるのだ、というわけです。 いわゆる武士道書や戦国大名の家訓などを見てみると、 日常生活の細かな部分に関してもいろいろ書かれていて、 武士の現実主義や素朴な姿勢を伺うことができます。 それらは、とりわけ変な(異質な)スタイルではなく、 逆に「え? 普通じゃん」という感じのものも多いですよ。
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▼● The Warrior s Path 新たなる力にて生まれ変わった飛空艇で、 5つ目の母なるクリスタルを目指せ。 迎えうつは、真龍たちかナグモラーダか それとも……? 海獅子の巣窟 (Iron Gateを調べる) 『武士道とは』でバトルフィールドに突入! 現在このエリア内にいるパーティメンバーのうち 自分を含めた6人がバトルフィールドに入れます。 制限時間:30分 現在の『武士道とは』ベストタイム:[Number]分[Number]秒 記録保持メンバー:[PC Name]ほか[Number]名 Jabbos 静かだな……。 真龍たち……気づいていない……ようだ……。 Shikaree Z ミルドリオン率いる ジュノ戦闘艇団本体が、戦闘を仕掛けて いるのだろう。 Shikaree Z むこうの戦いは どうなっているのだろうか。 Ulmia 暁の女神さま……。 5つ目の母なるクリスタルを、 人の未来をお守りください。 Ulmia ミルドリオン枢機卿さまも ご無事でお戻りになりますように……。 Prishe ……ついでに、 俺たちみんなの無事も 祈ってくれよ、ウルミア。 Prishe ほーら、見えてきたぜ! Prishe 全速前進だぁ!!! Ulmia い、今のは!? Louverance プリッシュ……! 向こうの戦闘艇より通信だ! Louverance 「予告状: おまえたちのだいじなものはいただいていく。 トノサマ空賊☆ちぇぶきっくす」……! Prishe なんじゃそりゃーあっ!? Kukki-Chebukki よ~そろ~! [Ship Name]クッキー号へ~! Cherukiki よ~こそ~! [Ship Name]チェルキキ号へ~! Makki-Chebukki 本日は~、お日柄もよく~、 絶好の~、空賊日和でございます~。 Makki-Chebukki このたび~ おいらたちは~、とっても惜しまれつつ~、 ジュノの高級官僚を引退することに~ なりました~。 Makki-Chebukki その最後の仕事として~、 プリッシュたちを~、護衛し~先導しろと~ この戦闘艇を任されました~、……が~ Kukki-Chebukki その任務を完遂することは~ とてもできそうに~ありません~。 Cherukiki なぜなら~ おいらたちは~、おいらたちの~ おいらたちによる~おいらたちのための~…… Makki-Chebukki 新ジョブ「トノサマ空賊」を 閃いてしまったからなのでございま~す! Tenzen 母なるクリスタル……。 Tenzen 人はそこより生まれ、 人は死すればそこへと還る……。 Tenzen 最も近き クリスタルの元へ……。 Tenzen 我輩は、永らく待っておった。 そなたが、ここまであれに近づくのを。 Tenzen 還りなん、いざ! 第5の母なるクリスタルへ! Tenzen いざ、参る! Makki-Chebukki トノサマ空賊~♪ Kukki-Chebukki ちぇぶきっくすも~♪ Cherukiki 参戦いたすで~ござ~る♪ Cherukiki やっちゃえトノサマ、いかしてるぅ~♪ Cherukiki ゆけゆけトノサマ、泣かせちゃえ~♪ Cherukiki ばかばか、ぶゎ~かッ♪ Cherukiki チェルキキの愛のムチでござ~る♪ ………………………………………………………………………………………… Makki-Chebukki がんばれトノサマ、無敵野郎~♪ Makki-Chebukki のりのりトノサマ、オニギリ侍~♪ Makki-Chebukki ヘタレはひっこめ~ッ♪ Makki-Chebukki マッキーの助太刀でござ~る♪ ………………………………………………………………………………………… Kukki-Chebukki いいぞトノサマ、余裕すぎ~♪ Kukki-Chebukki はっするトノサマ、いい筋肉~♪ Kukki-Chebukki 卑怯者は追い出すぞ~ッ♪ Kukki-Chebukki クッキーの大魔法でござ~る♪ ………………………………………………………………………………………… Tenzen ……ひとえに…… ……風の前の……塵に同じ…… Makki-Chebukki ……うそ~ん♪ Kukki-Chebukki ……おいらたち~♪ Cherukiki ……セップクでござるか~!? Tenzenの花鳥風月成立時 +... Tenzen ……ただ、春の夜の夢のごとし…… テンゼンの花鳥風月により強制的に退出させられた! Tenzen 流石に、光の荷い手…… ことほどさように我が「応報丸」が鳴らぬとは……。 Tenzen やはり…… その光、滅することできるは 虚ろを満たしたあの少年だけでござるか…… Prishe おいっ!!! やっと追いついたぞ!!! Makki-Chebukki 砲台は!? Kukki-Chebukki 砲台は!? Cherukiki わっすれてた~!? Kukki-Chebukki わっすれてた~!? Prishe 戦いは止めろ!!! Prishe 今のおっちゃんが 考えてること、俺にもわかってんだ!!! これは仁義なき戦いなんだろ!!?? Tenzen ……。 Prishe 死ぬ前に、霊獣フェニックスが おっちゃんに教えたこと…… Prishe 霊獣フェニックスは最初から 全部知ってて、知らネェふりしてたんだぞ! そんなヤツの言うこと、聞く義理はねぇはずだ! Tenzen ……されど、プリッシュ殿も 知っていたのでござろう! だからこそ、 [Your Name]殿をここまで連れてきた……! Prishe そうさ! でも俺は、誰にもウソはつかねぇぞ!!! Prishe 俺は、[Your Name]を 死なすために連れてきたんじゃねぇ!!! Prishe 俺たちと一緒に 生きてもらいてぇから 連れてきたんだ!!! バトルフィールドクリアタイム:[Number]分[Number]秒 現在のベストタイム:[Number]分[Number]秒 [Your Name]は、1000ポイントの経験値を獲得した。 アル・タユ Louverance いったい、なにが…… Shikaree Z こ、ここは……! Jabbos これが……5つ目の……? Ulmia でもなぜ……、 このクリスタルだけ、これほどに 異常な輝きを放っているの……? Ulmia それに、なんだか寒いわ。 他のクリスタルの近くでは、とても温かくて 安らかな気持ちだったのに…… ??? (それは、このクリスタルが ヴァナ・ディールのものではないからだ) Selh teus (1万年の昔、 神都アル・タユの地下にあった、 5つ目の母なるクリスタル) Selh teus (神都アル・タユが ヴァナ・ディールから分かたれる際、 そのクリスタルも共に失われた) Selh teus (しかしそれは 完全なる離別ではなかった) Selh teus (クリスタルラインが再び 起動され、5つ目の母なるクリスタルから、 その光、エネルギーが吸い出されると……) Selh teus (このクリスタルは 神都アル・タユと共に、ヴァナ・ディールに 戻らざるを得なくなった。) Prishe それは、このクリスタルが、 神都アル・タユを支える力を 失いつつあるからってことだな? Louverance 神都アル・タユを、支える? Shikaree Z もしや、真龍の王バハムートが 話していたのは、このクリスタルのことなのか? Prishe ああ。このクリスタルが弱まったせいで、 「世界の終わりに来る者」がヴァナ・ディールに 降り立とうとしてるんだ。 Jabbos ……なら…… このクリスタルに……力さえ満ちれば……! Tenzen 神都アル・タユの落下は防がれ、 「世界の終わりに来る者」がヴァナ・ディールに 解き放たれることもない。 Tenzen ……かの者セルテウス、 そして霊獣フェニックスも、 そう、考えていたのでござるよ。 Tenzen だからこそ かの者は、ヴァナ・ディールに残された 4つの母なるクリスタルを巡り、その光を、 その力を吸い出した。 Tenzen その力を このクリスタルへ注ぎいれるために……。 Selh teus (……しかし私は、虚ろなる闇の子。 光の荷い手にはなり得ない) Selh teus (そこで強い荷い手が、 君が、必要だったんだよ) Prishe [Your Name]、 おまえも気づいていただろ? いつしかおまえにも、人の心の声が 聞こえていることに……。 Prishe それはおまえに、 アミュレットを通して、 4つの光が集まっていたからなんだ。 Tenzen 霊獣フェニックスは おぬしのことをこう呼んでいたでござる。 母なるクリスタルの「光の器」。 Tenzen そして、 この母なるクリスタルの前で、 砕かれるべき器だと…… Selh teus (そう、君の旅は、 クリスタルのためにあったのだ) Selh teus (永い永い旅は、 今ここで終わりを告げる) Selh teus (さぁ、[Your Name]。 還ろう。クリスタルへ。 君の死こそが、 世界と人、 どちらも救う 唯一の方法なのだから…… ??? でたらめ言ってんじゃねぇ!!! Prishe セルテウス! 世界も人も、どちらも救うというのなら、 俺やおまえ、人ではないものが犠牲になるべきだ! Prishe それに、テンゼン! 命の霊獣フェニックスは、 ただ[Your Name]を 砕くために導いてたんじゃないだろ? Prishe 自分の半身を使って、 [Your Name]の砕かれた命を 再び蘇らせるつもりだったはずだ! Prishe 俺だって一度は、 「世界の終わりに来る者」だったんだ。 あの恐ろしさはよーく知っている。 Prishe でも、頼む、セルテウス! [Your Name]に5つ目の母なるクリスタルの光を 与えてやってくれ!!! Prishe [Your Name]が たくさんの試練に耐えることができたのは、 「虚ろなる闇」に抗える……4つの 「輝ける光」を宿していたからだけじゃない! Prishe [Your Name]には、 強い意志があったんだ! 人と世界を愛する強い意志が! Prishe だから、 [Your Name]なら必ず勝てる! 「世界の終わりに来る者」に! Prishe セルテウス! 神都アル・タユへの道を開いてくれ!!! Nag molada 私からも願うよ。 神都アル・タユへの道、開かんことを。 Tenzen ……ナグモラーダ!? Nag molada セルテウス、 あの時おまえも、あのお方に 同じことを言ったそうじゃないか。 Nag molada 『俺たちは必ず勝てる。 「楽園の扉」の向こうに現る「男神」に。 だから、神都アル・タユへの道を開いてくれ』と。 Nag molada それに、[彼女/彼]だけに、 人の罪を背負わせるのは忍びなくないかね? Nag molada こうなったことには、 私たち古代の民に責任がある。 だから私も責任を担おうじゃないか。 Nag molada ……その力と共に……な。 Prishe ヤメロぉ、ナグモラーダぁっ!!! ??? ……すべての起こりは、 この「石」だったのだ……。 ??? 遠い遠い昔、 5つの「石」は、「母なる光」を放つ 大きなひとつの「石」だった。 ??? 「母なる光」は、 「虚ろなる闇」を払い、 多くの神々に「生命」を与え…… ??? 「生」を得た神々は、 各々の力を高めつつ、絶え間なく生み出した。 ??? 外なる世界には、8つの属性の調和を。 そして内なる世界には、あらゆる意識の調和を。 ??? そうして、すべてに満たされた、 永遠に完璧な楽園「クリスタルの楽園」が 生まれたのだ…… ??? それなのに、 その楽園は永遠に続くことがなかった。 ??? 大きなひとつの「石」は 5つに砕かれ、完全なる世界は、 不完全なる世界へとおとしめられ…… ??? 僕らもまた、 より高い次元の完全なる生命から、 こんな不完全でちっぽけな「人間」に おとしめられた。 ??? だからこそ僕らは、 「石」のエネルギーを集め、増幅させ、 より高い次元への扉を開かないとならない。 ??? 君も僕も、そのことは よくわかってるはずだよね? ??? ……けれど僕には、 どうしてもわからないことがあるんだ。 ??? ねぇ。 なぜ、こんなことになったんだろう? ??? なぜ「石」は、 5つに砕かれてしまったんだろう? それをしたのは、いったい誰なんだ? Yve noile 人という種に特化して、 人という種が抱える、5つの闇の特性。 Yve noile これらの闇を打ち破るため、 生み出されたクリスタルの戦士たちよ。 Yve noile あなたがたでも、 この闇にだけは打ち勝つことはできない。 Yve noile 「虚ろなる闇」。 「母なる光」の対なるもの。 Yve noile これを完全なる「死」と いうのなら、完全なる世界にも、 その「死」がなくてはならなかった。 Yve noile だからこそあなたは、 私たちのために、クリスタルを砕いたのですね? Yve noile ……暁の女神アルタナ様…… 称号:眩き世界を求むる者 ▲ 決別の前 武士道とは 古代の園 ■関連項目 プロマシアミッション Copyright (C) 2002-2015 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
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剣道(けんどう)は、日本の武術である剣術の竹刀稽古(撃剣)を競技化した武道で、剣の理法の修練により人間形成を目指す修行の道である。 名称 「剣道」という呼称は、柔術に対する講道館の柔道を参考に、1895年(明治28年)に武術奨励のため設立された大日本武徳会が、江戸時代以来の剣術を学校の体育に採用できるよう稽古法を改め、大和魂など精神の修行をするため[1]、名称を1919年(大正8年)頃に剣道としたと記録に残っており、明治末から大正初期頃に成立したものといわれる。ただし、1667年(寛文7年)の安倍立伝書に「剣術は日用の術なので剣道という号にする」という記述があるほか、山岡鉄舟や勝海舟の著書に「剣道」という表現があるなど、江戸時代や明治初期にも使用例はある。昭和初期までの文献における「剣道」という語は、今日でいう「剣術」を意味していることが多い。 関連団体 国内は2団体、世界には1団体である。 * 国内 全日本剣道連盟 国内最大の剣道団体。日本体育協会、日本オリンピック委員会、国際剣道連盟に加盟している。 日本剣道協会 竹刀による打突だけではなく、体当たり、足払い、組み討ちも認めている。 * 世界 国際剣道連盟 (International Kendo Federation, FIK) 1970年に設立。以来、3年ごとに世界剣道選手権大会を開催している。44ヶ国の剣道団体が加盟している(2003年7月現在)。IOC公認団体GAISFに加盟。IOC承認国際競技団体になることを目指している。 全日本剣道連盟はJOC、国際剣道連盟はIOC傘下のGAISFに加盟[2]をしているが、剣道のオリンピック加盟には一貫して反対の立場を取っている。 試合形式(全日本剣道連盟) 剣道の試合は常に1対1で戦う。これは団体戦の場合も同じである。選手は試合場に入り二歩進んでお互いに礼をし、三歩進んで蹲踞したあと審判の「始め!」の声がかかってから立ち上がって勝敗が決するか規定の試合時間が経つまでお互いに技を出し合う。原則として三本勝負であるが、一本勝負も認められている。 試合場 板張りの床に境界を含め1辺9mないし11mの正方形ないし長方形の試合場を作り、そこで試合をする。境界は普通、白のラインテープを貼って分ける。また、試合開始時の立ち居地は試合場中心付近に白のラインテープで示される。 試合時間 試合時間は5分、延長戦の場合には3分が基準である。しかし、運営上の理由などからこれ以外の試合時間を採用することも認められており、公式大会の決勝戦では、2007年より試合時間が10分へ変更された。 技 全ての技は、竹刀で防具の決められた箇所を打つものである。 * 小手を打つ技 小手打ち、引き小手打ち * 面を打つ技 面打ち、引き面打ち、小手面打ち * 面の喉当てを突く技 突き(小中学生は原則禁止。高校生以上でも、この技を禁止とすることもある) * 胴の胸当てを突く技 胸突き(以前は相手が上段の構えを取っている時のみ一本になった。後、相手が二刀流の場合のみ認められていた。現在は認められない。) * 胴の右側を打つ技 胴打ち、引き胴打ち 抜き胴 * 胴の左側を打つ技 逆胴打ち これに、技を出す直前までの流れから「相(あい)〜」「抜き〜」「返し〜」「払い〜」「すり上げ〜」「引き〜」などの接頭辞が付く場合もある。 一本 一本とは全日本剣道連盟によれば、 充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部(弦の反対側の物打ちを中心とした刃部)で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの である。審判はこれに該当しているかどうかを判断して旗を挙げる。 反則 反則を一試合中に二回犯した場合は、相手に一本を与える。 * 相手に足を掛けまたは払う。 * 相手を不当に場外に出す。 * 試合中に場外に出る。 * 自己の竹刀を落とす。 * 不当な中止要請をする。 * 相手に手をかけまたは抱え込む。 * 相手の竹刀を握るまたは自分の竹刀の刃部を握る。 * 相手の竹刀を抱える。 * 相手の肩に故意に竹刀をかける。 * 倒れたとき、相手の攻撃に対応することなく、うつ伏せなどになる。 * 故意に時間の空費をする。 * 不当な鍔(つば)迫り合いおよび打突をする。 審判員 3人の審判員(1人の主審、2人の副審からなる)が紅白の旗を持ち、旗を挙げることで有効打突の意思表示とする。2人以上が有効打突の表示をした場合、もしくは1人の審判員が有効打突を表示し2人が判定の棄権を表示した場合、一本となる。 また、主審は次のどれかの場合、「止め」の宣告と同時に紅白両方の旗を平行に揚げ、試合を中断させることができる。 * 反則の事実 * 負傷や事故 * 危険防止 * 竹刀操作不能の状態 * 異議の申し立て * 会議 * 試合者より試合中止の要請があった場合 (この場合、主審は中止要請の理由を質し、不当な中止要請の場合は審判の合議の上、反則となることもある。) なお、試合中止は副審から申し出ることもできる。その際に副審が「止め」の宣告後、直ちに主審が「止め|の宣告をして試合を中止する。 鍔(つば)迫り合いが膠着(こうちゃく)した場合、主審は 「分かれ」の宣告と同時に「両旗を前方に出し」、両者を分け、その場で、 「始め」の宣告と同時に両旗を下ろし試合を継続する。「分かれ」の場合の試合時間は中断しない。 勝敗 勝敗は、試合時間のうちに三本勝負の場合二本、一本勝負の場合一本先取した選手を勝ちとする。また三本勝負において一方が一本を取り、そのままで試合時間が終了した場合にはその選手を勝ちとする。試合時間内に勝敗が決しない場合には、延長戦を行い先に一本取った選手を勝ちとする。延長の代わりに判定あるいは抽選によって勝敗を決する場合、あるいは引き分けとする場合もある。判定および抽選の場合には勝者に一本が与えられる。団体戦における代表戦も原則1本勝負である。 二刀流 原則として二刀流は禁止されていないが、使用者の数は少ない。 昭和初期において、学生の間で試合に勝つためだけの二刀流が横行し、団体戦において二刀流の剣士を防御一辺倒の引き分け要員とするなど卑怯な手段が用いられたため、一部の学生の大会では二刀を禁止するようになった。戦後、剣道が全日本剣道連盟の元に復活した際も、学生剣道界では戦前に倣って二刀を禁止したために、二刀を学ぶ者が非常に少なくなってしまった。 ただし、伝統が断絶するのを危惧する声もあり、1992年(平成3年)に大学剣道(公式試合・昇段審査)では解禁された。しかし、高体連・中体連の公式試合・昇段審査においては未だに禁止されており、また小学生においては片手で竹刀を用いての打突は一本として有効ではないとされるため、高校生以下では事実上禁止されているに等しい状況である。 二刀流の竹刀は大刀と小刀を用いる。それぞれ長さと重さが決められており、男性の場合、大刀は3尺7寸以下(一刀の場合は3尺9寸以下)、小刀は2尺以下となっている。 長らく二刀流が否定されていたため、また上記の通り竹刀の長さ、および二刀流の相手に対しては胸突きが認められていたというハンデキャップがあるため、指導者、使用者とも少ないのが現状である。 参照:ウィキペディア 「剣道」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E9%81%93 次回は「選手の服装」~ 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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架空鉄道とは? 架空鉄道(かくうてつどう)とは、現実には存在しない鉄道路線を空想により創りだしたものである。 自身の設定した架空路線の経路、ダイヤ、運賃などをシミュレートしたり、走行する鉄道車両や駅などの鉄道設備を創りだして鉄道模型にしたり、路線を実際に自動車、自転車などで走ってみたりと、架空鉄道は、多くの切り口から語られている。 鉄道ファンの間では、「架鉄」(かてつ)と略すことが多い。 wikipediaから ~中略~ 物語 [編集] 架空鉄道を、ひとつの「物語」として空想していくものである。架空鉄道を舞台に、そこに息づく人々の声や生き様を綴るものや、架空鉄道の歴史をひも解いていくものがある。 車両・模型・創作 [編集] 架空鉄道を走る鉄道車両を空想していくものである。発展して、鉄道模型を製作するものも多い。思い入れのある特定の鉄道車両を架空鉄道に走らせたり、理想の鉄道車両を考案したりする。描画力や模型の製作技術がないと、想いが伝わりにくい。 公式ウェブサイト [編集] ウェブサイトを、鉄道会社の公式ホームページのような構成とし、架空鉄道を空想していくものである。運賃、プレスリリースなど鉄道にまつわるもののほか、バス・飛行機など他の交通機関と複合的な展開を狙うものや、鉄道本体よりも沿線開発や系列百貨店の展開に力を入れるものなどもある。 このため、多くのコンテンツを擁し内容が豊富な反面、内容の核となるものが乏しくなってしまうことが多い。またプレスリリースに人身事故や台風・地震による列車運休など実際の事件を流用した例もある。この場合、現実味が出る反面、当該事件・事故被害者に対する行き過ぎの感情不配慮などが生じてくることもあり、自粛・または非掲載の暗黙のルールを設けたり、独自にガイドラインなどを設置して実際に自然災害などが発生しても、遅延や運休程度の設定など人的被害以外の被害にとどめるウェブサイトも多い。 また、会社の沿革を語る上で過去に重大事故があったとする設定に関しては、賛否が分かれている。 その他 [編集] 上記のほかにも、設定をノートにしたためて楽しむもの、絵画にするもの、多人数で電子掲示板などを用いて鉄道を創りだしているもの、鉄道という概念を取り払ってしまおうというものなど、表現法は様々である。 ここでは公式ウェブサイトについて取り扱っています。 鉄道模型などを使っていても、サイト思っていればここへの登録は可能です。
https://w.atwiki.jp/tecchiman/pages/22.html
酷道・険道とは? 読み方は??笑 酷道は「こくどう」と読み、険道は「けんどう」と読む。音の通り国道や県道のことを指していることには違いはない。この手の世界ではもはや常識化している言葉である。他にも派生系の言葉が存在もする。 意味は?? わざと同じ音の別の漢字で書きかえて表示するには浅くて深い意味がある。国道と聞くと何を思い浮かべるだろうか?旅行で便利な広くてわかりやすい道だろうか?主要な都市を結ぶ便利な道路だろうか?街中を通っていて万年渋滞している道だろうか?いつも災害などで通行止めで冬は閉鎖になるような道だろうか?それぞれたくさんの感じ方があると思うが、字のごとく酷い!(ひどい)と感じた瞬間その道は国道であっても酷い道、つまり酷道となるわけだ。それは他の険道であったり主要痴呆道であったり同じ事なのです。一般的には、狭くて危ない道や常に災害等で通行止め規制がかかっているなどのことをさすようだ。中には途中で途切れてしまっている物すらあるといった感じである。 種類 道路にも様々な格付けがあるようにこの手の言葉も対応している 国道 酷道(酷(ひど)い状態の国道) 主要地方道 主要痴呆道(お察し下さい) 県道 険道(険しい道) 都道 吐道(吐きたくなるような道) 府道 腐道(腐っている道) 市道 死道(死ぬ危険が高い道) 町道 超道(何かを越えてしまっている道) 村道 損道(走ると損をする道) などである・・・