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不名誉入隊(ふめいよにゅうたい) 分類 クレシェンド用語 説明 不名誉な入隊。本当は入隊したくない気持ち。 転じて、次の入隊者を期待する気持ちの表れ。 語源の由来 クレシェンド代表がBMK-MENを発見後、各地で様々な波紋を呼び、多くの学説が飛び交った。 中でも「MEN」と呼ばれていることから複数いるのではないかとの憶測から、過去を遡ってみたところ、清水選手以外にも鎌田選手もB・M・Kを記録していた。そこで急遽、BMK本部より入隊手続きがとられることとなった。 その後、鎌田選手の掲示板での第一声(タイトル)が「不名誉入隊」と記載されたことから、入隊早々大物ぶりをアピールすることとなった。入隊後のコードネームはカマダリン 関係用語 B・M・K BMK-MEN カマダリン 対義用語 名誉除隊 名前 コメント
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ドスの飾りは不名誉の証 とある群が住んでいる巨大洞窟。 「こんなところにたくさんのあまあまがあるんだどー」 「きょうはここででぃなーにするどー」 「ちっちゃいのはおちびちゃんのおみやげにするんだどー」 そこに、普段ならば聞こえない声が響いていた。 「れ!れ!れ!れみりゃだぁぁぁぁぁ!!!」 「どぼじでれみりゃがここにいるのぜぇぇぇぇぇ!?」 突然の緊急事態に、群のゆっくり達は大騒ぎである。 逃げまどうゆっくり達。 しかし、捕食者はそんな彼女達を主食に生活しているのだから、当然、逃げられるはずがない。 たった三匹のれみりゃに、洞窟内のゆっくり達の全体の1/4、 およそ20匹をたちどころに食べられてしまった。 さらに、「おちびちゃんのおみやげ」として、れみりゃ達の両手には、 それぞれ一匹ずつ、計六匹の子ゆっくり、赤ゆっくりが捕えられている。 「れいむのおちびちゃんがぁぁぁぁぁ!」 「ばりざぁぁぁぁぁ!!!ゆっくりしすぎだよぉ!?目をあけてよぉぉぉぉぉ!!!」 「みはりのめーりんはどぼじだのぉぉぉぉぉ!?」 本来、この洞窟の入口には見張りのめーりんがいて、危険があった場合は、 その独特の泣き声を洞窟内に響かせて、それを知らせるはずなのだが。 肝心のめーりんは、激務に耐えられず、居眠りをしてしまっていた。 れみりゃはめーりんを食べることはしない。中身が辛いからだ。 だから、彼女達はめーりんの横を静かに素通りし、見張りに気づかれずに進入することに成功した。 この洞窟は、出入り口が一つしかないので、そこさえ守れば、あらゆる危険から逃れることができる。 しかし、逆にいえば、危険が入ってきた場合、逃げる道がないのである。 「みんなどうしたの……何でれみりゃがここにいるのぉぉぉぉぉ!?」 そんな中、ようやく群のリーダー、ドスまりさがやって来た。 彼女は普段一日のほとんどを、洞窟の奥の自分の部屋で過ごしており、見張りめーりんの鳴き声を聞くと、 それがどんなに微かであっても、外に出ることができるようになっていた。 ドスの移動速度は意外に速い。 見張りがしっかり機能していれば、すぐに駆けつけることができるのだが、今回の場合は出遅れてしまい、 群に壊滅的な被害を与えてしまった。 「ゆっくりできないれみりゃは、ゆっくりしないで死んでね!たいあたり!」 れみりゃ達の手に捕えられている子・赤ゆっくりを助けるために、まずは彼女達に体当たりを食らわせた。 不意打ちに対処できず、れみりゃ達は吹っ飛ばされ、持っていたゆっくり達を手放した。 「おちびちゃぁぁぁぁぁん!よかったよぉぉぉぉぉ!!!」 「おかーさーん!こわかったよぉぉぉぉぉ!!!」 感動の再会。 子供達を助けられたので、ドスはれみりゃ達にとどめのドススパークを当てた。 さすがの捕食種も、これには耐えられない。三匹とも燃えカスになった。 次の日。 ドスの部屋に、群のゆっくりがみんな集まっていた。 彼女達は、口にゆっくりの飾りを咥えている。 昨日、れみりゃに殺されたゆっくり達の飾りである。 「じゃあ、次はれいむ来てね」 ドスが重々しい口調で言った。 呼ばれたれいむが一匹、ドスの前に跳ねてきた。 「れいむのおちびちゃんは、ドスがたすけにくるのがおそかったから、れみりゃにあんこをすすられて、 えいえんにゆっくりしちゃったよ。ドスのせいだよ」 そう言うと、れいむはドスの背後にまわり、ドスの後ろ髪に、自分の死んだ子供のリボンをくっつけた。 「次、まりさ」 ドスがそう言うと、今度はさっきのれいむの隣にいたまりさが、ドスの目の前まで跳ねてきた。 「まりさのおとーさんは、ドスがたすけにきてくれなかったから、れみりゃのおててにつぶされて、 えいえんにゆっくりしちゃったよ、せきにんとってね」 そう言うと、まりさはドスの背後にまわり、ドスの後ろ髪に、自分の父親の帽子に付いていたリボンをくっつけた。 このようなことを、やって来たゆっくり達が咥えて持ってきた飾りが、全てドスの髪に付けられるまで続けられた。 ドスはみんなが部屋から自分の巣へ帰った後、深いため息をついた。 「また、髪が重くなっちゃったよ……」 この群には独特の風習がある。 群のゆっくりが、災害や、昨日のような捕食種の侵入で死んだ場合、その死臭の付いた飾りを、 ドスの後ろ髪にくっ付けるのである。 そして、その飾りを付ける時、群のゆっくり達は、このゆっくりはドスの不手際で死んだのだと、罵倒する。 決して、ドスだけが悪いわけではない。群のみんなが悪いのだが、ドスのせいだと押しつけることで、 遺族が少しでも悲しまないようにしているのだ。 だから、その罵倒も、本心から言っているわけではない。たまに、本気でドスを非難するゆっくりもいるのだが。 しかし、ドスは忙しい。こういった事でいちいち落ち込んだり、気が沈んだりしていては、群を維持することはできない。 新しい見張りを選ばないといけないし(居眠りしていためーりんは、責任を感じて、舌を噛み切って自害した)、 群の個体数調整ももう一度練り直さないといけない。 れみりゃに捕えられたり、目の前で身内や友人を殺されたゆっくり達のPTSDのカウンセリングもやらないといけない。 あと、備蓄食糧の消費が、個体数の激減により減ってしまい、このまま残しておくと、腐ってしまう。 だから、優先的に備蓄食料を消費していかないといけない。 ドスは忙しい。 ゆっくりはすぐ死ぬ。 「ドスぅぅぅぅぅ!!!れいむのおちびちゃんが、あんよにあなをあけてしんじゃったぁぁぁぁぁ!!!」 「ゆぅぅ……だからあれだけ小石さんには気をつけろって言ったでしょぉ……」 飾りが増える。 「ゆけけけけけ……おぢびじゃん……あまあまぁぁぁぁぁ……ゆきゃきゃ!」 「何で共食いするのぉ!?」 飾りが増える。 「ドス!かくちょう工事ちゅうにいわがおちてきて、さぎょうゆっくりが死んじゃったよ!」 「ほきょうに手を抜くなってあれほど言ったでしょぉ!?」 飾りが増える。 飾りが増えるごとに、少しずつ、髪が重くなっていき、ゆっくりの死臭が濃くなっていく。 「もう、このドスとはゆっくりできないよ!やくたたずのドスはゆっくりしないででていってね!」 「そーだそーだ!ゆっくりをたくさん死なせるぐずのドスはさっさとでていくんだぜ!」 今のリーダードスが就任してから半年後、群のゆっくり達が、ドスの部屋の前に押し寄せ、抗議を始めた。 不注意でゆっくりをたくさん死なせるドスは役立たずだ。これでは自分達が全滅しかねない。冗談じゃない。 いや、ひょっとしたら、事故に見せかけて、気に入らないゆっくりを殺しているのかもしれない。 等々、根も葉もない噂が群中を駆け巡り、ドスを群から追放しようという動きが出たのである。 普通だったら、いくらこの噂が本当だとしても、さすがに実力差がありすぎるので、どうしても我慢できない場合は、 自分達が出て行くという方向で落ち着くのだが、何故、ドスを追い出すという無謀な行動に出たのだろうか。 それは、ドスに付けられた死ゆっくりの飾りのせいである。 ゆっくりは死にやすいので、すぐに後ろ髪の飾りは増えてしまう。 そこから発せられる死臭が、ドスのゆっくりオーラで誤魔化せる範囲を超えてしまったのだ。 結果的に、ドスはこの洞窟から出て行くことになった。 このドスは心優しく、自分が出て行って問題が解決するのなら、そうした方が良いのだろうと思ったのだ。 ドスは群のゆっくり達の今後を心配しながら、彼女達の罵倒を背中に受け、山の奥へと跳ねて行った。 「ゆ!これでじゃまでゆっくりできないくずでやくたたずののろまはきえたよ!」 「じゃまものがいなくなったから、とかいはなすっきりをしましょうね!」 「どうせドスはへやの中にごはんをかくしてるんだぜ?さがしてむーしゃむーしゃするのぜ!」 群のゆっくり達は、今までドスに抑えつけられていた分、好き勝手にゆっくりし始めた。 一週間後。 「どぼじでごはんがなくなってるのぉぉぉぉぉ!?」 「でいぶのおうちがくずれちゃったぁぁぁぁぁ!中にまだおちびちゃんがいるのにぃぃぃぃぃ!!!」 「ばりざどぼしでおぢびじゃん食べちゃうのぉぉぉぉぉ!? ゆ!こっちにごないでね?だれかぁぁぁぁぁ!たずげっ……」 ゆっくりはすぐ死ぬ。普段だったら、ドスに報告に行って、対策を練ってもらうのだが、もうここにはドスはいない。 さらに、 「うー!ここにはあまあまがたくさんあるどー」 「ちびのあまあまはおちびちゃんのおみやげにするんだどー」 れみりゃの侵入である。 「じゃ、じゃおぉぉぉぉぉ!!!」 今回は見張りのめーりん(後任)が居眠りをしていなかったので、入り口に来た時点で、巣の中へ危険を知らせた。 「れ、れみりゃだぁぁぁぁぁ!!!」 「れみりゃいやぁぁぁぁぁ!!!食べられたくないぃぃぃぃぃ!!!」 いくら見張りが知らせても、洞窟内のゆっくりは慌てふためくだけで、逃げようとしない。 侵入したれみりゃはたった二匹なのに、ただ蹂躙され、潰されていった。 「ドスぅぅぅぅぅ!!!たすけてぇぇぇぇぇ!!!」 「むてきのドススパークでなんとかしてくださいよぉーーーー!!!」 「どぼじでドスきてくれないのぉぉぉぉぉ!?このやくたたずぅぅぅぅぅ!!!」 自分達で追い出したことを棚に上げて、彼女達はドスに助けを求めた。 当然、ドスはもういないので、助けに来るわけがない。 洞窟内のゆっくりは、みんな等しく絶望の表情を浮かべ、れみりゃに殺されていった。 既存作 SS 妊娠過程(消失) 食葬(消失) ふたば系ゆっくりいじめ 7 浅瀬 ふたば系ゆっくりいじめ 8 鉄鍋 ふたば系ゆっくりいじめ 17 さとり ふたば系ゆっくりいじめ 19 賽の河原 ふたば系ゆっくりいじめ 24 れいむ死ね ふたば系ゆっくりいじめ 26 役立たず ふたば系ゆっくりいじめ 60 全自動すっきり阻止機 ふたば系ゆっくりいじめ 65 抗議 ふたば系ゆっくりいじめ 80 親離れ 絵 ゆっくりSAW、ゆっくりサバイバー、10億分の1のゆっくり、自作SSの挿絵 作者:ゲームあき
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不名誉な種族 適正レベル:20 授与NPCの名前:デイグウォルト 授与NPCの所在:オスト・グルス 前提クエスト:―― 派生クエスト:正義の盗み 授与ダイアログ 「お前は、俺達をネイロストから追い出した悪のような、恥知らずには見えない。俺の妻が襲撃を受けて殺されてから一年近くたつ。家族で生き残ったのは俺だけだったが、足に矢を受けて不自由になってしまい、妻を殺した者へ復讐ができなくなった。 「俺の怒りを静め、あの半オークどもがネイロストを急襲した時に失くしたものを取り返す助けをしてくれるか?俺の妻はネックレスをつけていた。彼女の母親もそのまた母親も代々受け継いできた家宝だ。あの半オークどもが戦利品として取っていったに違いない。それがあったら、憎しみも消え、ちゃんと彼女の喪に服すことができるだろう。 「ネイロストはここから西の方角にあり、アモン・スールのすぐ東に位置している」 背景 ナイン・エニズのはずれ、アモン・スールの陰にアルノールの廃墟がある。オスト・グルスのエグレインは、この廃墟に残るたくさんの品物をブリー郷の収集家に売っていた…南から半オークたちが来るまでは。 目的 目的1 ネイロストはアモン・スールのすぐ東、オスト・グルスの西に位置する。 デイグウォルトはネイロストの廃墟に入り、盗まれた彼の妻のネックレスを取り返すようあなたに頼んだ。彼女は半オークが廃墟を襲撃したときに殺されてしまったのだ 報酬 固定報酬 金:4sp 重装盾:トラマス 経験点 経験点:1442XP 攻略情報 デイグウォルトの妻のネックレスを手に入れるネイロスト(30.7S, 33.9W)の半オークがドロップ。 デイグウォルトにネックレスを返す コメント/ヒント等 名前 コメント
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「ふたば系ゆっくりいじめ 86 ドスの飾りは不名誉の証/コメントログ」 ラストで ざまぁ と声を出してしまった -- 2010-06-19 01 09 36 おおきい金髪の子かわいそう -- 2010-07-15 06 00 27 餡子じゃなくてうんこ詰まってんじゃないの -- 2010-11-22 19 48 06 一人で責任を負いすぎたな 責任を分散させてれば義務感も生まれただろうに -- 2010-12-29 19 23 45 「ドスのせいだよ」「せきにんとってね」の時点でかなりイライラ。勝手に死にまくるくせにそんなもん知ったことかよ!自分でなんとかしろクズ共! ドスは概ね悪くないのに…あとめーりん働けww -- 2011-02-15 22 54 38 こいつら自分達が歩く死亡フラグってわからないんだねー -- 2011-10-07 21 35 49 あんよに穴開けて死亡と、共食いと、作業ゆっくりの死亡はもはやその場にいる人の自業自得としか思えないww と言っても、あんな小さい体にさらに小さい脳からなwww -- 2011-11-01 18 44 19 後任は真面目に仕事したのに意味なかったとかwワロスw -- 2011-12-23 10 18 56 自業自得ですね、分かります -- 2012-02-19 16 16 44 ドスはどこいったんだろう? -- 2012-12-12 21 48 54 ドスカワイソス -- 2013-02-17 23 57 39 しかたないよ 無能だもん 鬼衣惨 -- 2014-07-30 17 55 02 鬼衣惨、まずお前が無能だから4ね -- 2015-01-25 13 21 01 無敵のスタープラチナ(ry -- 2016-05-27 22 31 56
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ドスの飾りは不名誉の証 7KB ドスの飾りは不名誉の証 とある群が住んでいる巨大洞窟。 「こんなところにたくさんのあまあまがあるんだどー」 「きょうはここででぃなーにするどー」 「ちっちゃいのはおちびちゃんのおみやげにするんだどー」 そこに、普段ならば聞こえない声が響いていた。 「れ!れ!れ!れみりゃだぁぁぁぁぁ!!!」 「どぼじでれみりゃがここにいるのぜぇぇぇぇぇ!?」 突然の緊急事態に、群のゆっくり達は大騒ぎである。 逃げまどうゆっくり達。 しかし、捕食者はそんな彼女達を主食に生活しているのだから、当然、逃げられるはずがない。 たった三匹のれみりゃに、洞窟内のゆっくり達の全体の1/4、 およそ20匹をたちどころに食べられてしまった。 さらに、「おちびちゃんのおみやげ」として、れみりゃ達の両手には、 それぞれ一匹ずつ、計六匹の子ゆっくり、赤ゆっくりが捕えられている。 「れいむのおちびちゃんがぁぁぁぁぁ!」 「ばりざぁぁぁぁぁ!!!ゆっくりしすぎだよぉ!?目をあけてよぉぉぉぉぉ!!!」 「みはりのめーりんはどぼじだのぉぉぉぉぉ!?」 本来、この洞窟の入口には見張りのめーりんがいて、危険があった場合は、 その独特の泣き声を洞窟内に響かせて、それを知らせるはずなのだが。 肝心のめーりんは、激務に耐えられず、居眠りをしてしまっていた。 れみりゃはめーりんを食べることはしない。中身が辛いからだ。 だから、彼女達はめーりんの横を静かに素通りし、見張りに気づかれずに進入することに成功した。 この洞窟は、出入り口が一つしかないので、そこさえ守れば、あらゆる危険から逃れることができる。 しかし、逆にいえば、危険が入ってきた場合、逃げる道がないのである。 「みんなどうしたの……何でれみりゃがここにいるのぉぉぉぉぉ!?」 そんな中、ようやく群のリーダー、ドスまりさがやって来た。 彼女は普段一日のほとんどを、洞窟の奥の自分の部屋で過ごしており、見張りめーりんの鳴き声を聞くと、 それがどんなに微かであっても、外に出ることができるようになっていた。 ドスの移動速度は意外に速い。 見張りがしっかり機能していれば、すぐに駆けつけることができるのだが、今回の場合は出遅れてしまい、 群に壊滅的な被害を与えてしまった。 「ゆっくりできないれみりゃは、ゆっくりしないで死んでね!たいあたり!」 れみりゃ達の手に捕えられている子・赤ゆっくりを助けるために、まずは彼女達に体当たりを食らわせた。 不意打ちに対処できず、れみりゃ達は吹っ飛ばされ、持っていたゆっくり達を手放した。 「おちびちゃぁぁぁぁぁん!よかったよぉぉぉぉぉ!!!」 「おかーさーん!こわかったよぉぉぉぉぉ!!!」 感動の再会。 子供達を助けられたので、ドスはれみりゃ達にとどめのドススパークを当てた。 さすがの捕食種も、これには耐えられない。三匹とも燃えカスになった。 次の日。 ドスの部屋に、群のゆっくりがみんな集まっていた。 彼女達は、口にゆっくりの飾りを咥えている。 昨日、れみりゃに殺されたゆっくり達の飾りである。 「じゃあ、次はれいむ来てね」 ドスが重々しい口調で言った。 呼ばれたれいむが一匹、ドスの前に跳ねてきた。 「れいむのおちびちゃんは、ドスがたすけにくるのがおそかったから、れみりゃにあんこをすすられて、 えいえんにゆっくりしちゃったよ。ドスのせいだよ」 そう言うと、れいむはドスの背後にまわり、ドスの後ろ髪に、自分の死んだ子供のリボンをくっつけた。 「次、まりさ」 ドスがそう言うと、今度はさっきのれいむの隣にいたまりさが、ドスの目の前まで跳ねてきた。 「まりさのおとーさんは、ドスがたすけにきてくれなかったから、れみりゃのおててにつぶされて、 えいえんにゆっくりしちゃったよ、せきにんとってね」 そう言うと、まりさはドスの背後にまわり、ドスの後ろ髪に、自分の父親の帽子に付いていたリボンをくっつけた。 このようなことを、やって来たゆっくり達が咥えて持ってきた飾りが、全てドスの髪に付けられるまで続けられた。 ドスはみんなが部屋から自分の巣へ帰った後、深いため息をついた。 「また、髪が重くなっちゃったよ……」 この群には独特の風習がある。 群のゆっくりが、災害や、昨日のような捕食種の侵入で死んだ場合、その死臭の付いた飾りを、 ドスの後ろ髪にくっ付けるのである。 そして、その飾りを付ける時、群のゆっくり達は、このゆっくりはドスの不手際で死んだのだと、罵倒する。 決して、ドスだけが悪いわけではない。群のみんなが悪いのだが、ドスのせいだと押しつけることで、 遺族が少しでも悲しまないようにしているのだ。 だから、その罵倒も、本心から言っているわけではない。たまに、本気でドスを非難するゆっくりもいるのだが。 しかし、ドスは忙しい。こういった事でいちいち落ち込んだり、気が沈んだりしていては、群を維持することはできない。 新しい見張りを選ばないといけないし(居眠りしていためーりんは、責任を感じて、舌を噛み切って自害した)、 群の個体数調整ももう一度練り直さないといけない。 れみりゃに捕えられたり、目の前で身内や友人を殺されたゆっくり達のPTSDのカウンセリングもやらないといけない。 あと、備蓄食糧の消費が、個体数の激減により減ってしまい、このまま残しておくと、腐ってしまう。 だから、優先的に備蓄食料を消費していかないといけない。 ドスは忙しい。 ゆっくりはすぐ死ぬ。 「ドスぅぅぅぅぅ!!!れいむのおちびちゃんが、あんよにあなをあけてしんじゃったぁぁぁぁぁ!!!」 「ゆぅぅ……だからあれだけ小石さんには気をつけろって言ったでしょぉ……」 飾りが増える。 「ゆけけけけけ……おぢびじゃん……あまあまぁぁぁぁぁ……ゆきゃきゃ!」 「何で共食いするのぉ!?」 飾りが増える。 「ドス!かくちょう工事ちゅうにいわがおちてきて、さぎょうゆっくりが死んじゃったよ!」 「ほきょうに手を抜くなってあれほど言ったでしょぉ!?」 飾りが増える。 飾りが増えるごとに、少しずつ、髪が重くなっていき、ゆっくりの死臭が濃くなっていく。 「もう、このドスとはゆっくりできないよ!やくたたずのドスはゆっくりしないででていってね!」 「そーだそーだ!ゆっくりをたくさん死なせるぐずのドスはさっさとでていくんだぜ!」 今のリーダードスが就任してから半年後、群のゆっくり達が、ドスの部屋の前に押し寄せ、抗議を始めた。 不注意でゆっくりをたくさん死なせるドスは役立たずだ。これでは自分達が全滅しかねない。冗談じゃない。 いや、ひょっとしたら、事故に見せかけて、気に入らないゆっくりを殺しているのかもしれない。 等々、根も葉もない噂が群中を駆け巡り、ドスを群から追放しようという動きが出たのである。 普通だったら、いくらこの噂が本当だとしても、さすがに実力差がありすぎるので、どうしても我慢できない場合は、 自分達が出て行くという方向で落ち着くのだが、何故、ドスを追い出すという無謀な行動に出たのだろうか。 それは、ドスに付けられた死ゆっくりの飾りのせいである。 ゆっくりは死にやすいので、すぐに後ろ髪の飾りは増えてしまう。 そこから発せられる死臭が、ドスのゆっくりオーラで誤魔化せる範囲を超えてしまったのだ。 結果的に、ドスはこの洞窟から出て行くことになった。 このドスは心優しく、自分が出て行って問題が解決するのなら、そうした方が良いのだろうと思ったのだ。 ドスは群のゆっくり達の今後を心配しながら、彼女達の罵倒を背中に受け、山の奥へと跳ねて行った。 「ゆ!これでじゃまでゆっくりできないくずでやくたたずののろまはきえたよ!」 「じゃまものがいなくなったから、とかいはなすっきりをしましょうね!」 「どうせドスはへやの中にごはんをかくしてるんだぜ?さがしてむーしゃむーしゃするのぜ!」 群のゆっくり達は、今までドスに抑えつけられていた分、好き勝手にゆっくりし始めた。 一週間後。 「どぼじでごはんがなくなってるのぉぉぉぉぉ!?」 「でいぶのおうちがくずれちゃったぁぁぁぁぁ!中にまだおちびちゃんがいるのにぃぃぃぃぃ!!!」 「ばりざどぼしでおぢびじゃん食べちゃうのぉぉぉぉぉ!? ゆ!こっちにごないでね?だれかぁぁぁぁぁ!たずげっ……」 ゆっくりはすぐ死ぬ。普段だったら、ドスに報告に行って、対策を練ってもらうのだが、もうここにはドスはいない。 さらに、 「うー!ここにはあまあまがたくさんあるどー」 「ちびのあまあまはおちびちゃんのおみやげにするんだどー」 れみりゃの侵入である。 「じゃ、じゃおぉぉぉぉぉ!!!」 今回は見張りのめーりん(後任)が居眠りをしていなかったので、入り口に来た時点で、巣の中へ危険を知らせた。 「れ、れみりゃだぁぁぁぁぁ!!!」 「れみりゃいやぁぁぁぁぁ!!!食べられたくないぃぃぃぃぃ!!!」 いくら見張りが知らせても、洞窟内のゆっくりは慌てふためくだけで、逃げようとしない。 侵入したれみりゃはたった二匹なのに、ただ蹂躙され、潰されていった。 「ドスぅぅぅぅぅ!!!たすけてぇぇぇぇぇ!!!」 「むてきのドススパークでなんとかしてくださいよぉーーーー!!!」 「どぼじでドスきてくれないのぉぉぉぉぉ!?このやくたたずぅぅぅぅぅ!!!」 自分達で追い出したことを棚に上げて、彼女達はドスに助けを求めた。 当然、ドスはもういないので、助けに来るわけがない。 洞窟内のゆっくりは、みんな等しく絶望の表情を浮かべ、れみりゃに殺されていった。 既存作 SS 妊娠過程(消失) 食葬(消失) ふたば系ゆっくりいじめ 7 浅瀬 ふたば系ゆっくりいじめ 8 鉄鍋 ふたば系ゆっくりいじめ 17 さとり ふたば系ゆっくりいじめ 19 賽の河原 ふたば系ゆっくりいじめ 24 れいむ死ね ふたば系ゆっくりいじめ 26 役立たず ふたば系ゆっくりいじめ 60 全自動すっきり阻止機 ふたば系ゆっくりいじめ 65 抗議 ふたば系ゆっくりいじめ 80 親離れ 絵 ゆっくりSAW、ゆっくりサバイバー、10億分の1のゆっくり、自作SSの挿絵 作者:ゲームあき ゲームあきの作品集 トップページに戻る このSSへの感想 ※他人が不快になる発言はゆっくりできないよ!よく考えて投稿してね! 感想 すべてのコメントを見る 無敵のスタープラチナ(ry -- 2016-05-27 22 31 56 鬼衣惨、まずお前が無能だから4ね -- 2015-01-25 13 21 01 しかたないよ 無能だもん 鬼衣惨 -- 2014-07-30 17 55 02 ドスカワイソス -- 2013-02-17 23 57 39 ドスはどこいったんだろう? -- 2012-12-12 21 48 54 自業自得ですね、分かります -- 2012-02-19 16 16 44 後任は真面目に仕事したのに意味なかったとかwワロスw -- 2011-12-23 10 18 56 あんよに穴開けて死亡と、共食いと、作業ゆっくりの死亡はもはやその場にいる人の自業自得としか思えないww と言っても、あんな小さい体にさらに小さい脳からなwww -- 2011-11-01 18 44 19 こいつら自分達が歩く死亡フラグってわからないんだねー -- 2011-10-07 21 35 49 「ドスのせいだよ」「せきにんとってね」の時点でかなりイライラ。勝手に死にまくるくせにそんなもん知ったことかよ!自分でなんとかしろクズ共! ドスは概ね悪くないのに…あとめーりん働けww -- 2011-02-15 22 54 38 一人で責任を負いすぎたな 責任を分散させてれば義務感も生まれただろうに -- 2010-12-29 19 23 45 餡子じゃなくてうんこ詰まってんじゃないの -- 2010-11-22 19 48 06 おおきい金髪の子かわいそう -- 2010-07-15 06 00 27 ラストで ざまぁ と声を出してしまった -- 2010-06-19 01 09 36
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『鳩山一郎回顧録』、不名誉にもデマ「朝鮮進駐軍」のネタにされ 『鳩山一郎回顧録』文芸春秋新社1957.10.20初版 序文は1957年6月の日付です。 国会図書館では禁複写となっていましたので、鉛筆で書き写して、帰宅してからキーボードをたたきました。 なお、引用文中の青字、下線部分は、WEBで流通している『つまみ食い』引用箇所です。WEB流通モノには細かな誤記もあります。 つまみ食い例1:http //academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1171095674/ つまみ食い例2:http //ameblo.jp/create21/entry-10510221023.html 国会図書館では、書籍に書込みがあって消せないとき「禁複写」物件となるようです。私が出庫してもらった本には(1冊しかない)、赤いボールペンできわめて乱暴な傍線が引かれていました。傍線箇所は上記の『つまみ食い』箇所と一致していました。国立国会図書館にお出かけの際にはお確かめください。http //opac.ndl.go.jp/recordid/000000972040/jpn p38~42から引用~~~~~~~~~~~~~~~~ 反共連盟提唱のこと 終戦後の新党結成―総選挙―第一党復活―組閣着手―追放と、今から思うと私の眼前には全く走馬灯のような情景が次から次へとくり広げられて来る。私の追放問題が最初に伝ったのは誰かが民政局から聞いてきたという話が伝った時だった。 (引用者注)1943 鳩山一郎、東條内閣を批判し、軽井沢へ隠遁。1945.8.15 敗戦、その後軽井沢から上京1945.10 自由党を結成1946.1.4 公職追放令 鳩山一郎の名は追放予想名簿にはなく、「戦争責任者の追放は当然の措置」と公職追放令歓迎の鳩山談話 朝日新聞1.6「無血革命は来る」の見出し1946.2.22 自由党、総選挙を前に「反共声明」1946.3 追放者名簿出揃う1946.4 総選挙(初の普通選挙)で日本自由党が第一党 1946.4 追放者名簿から外れた鳩山一郎に再審査1946.5.3 A級戦犯裁判審理が開始1046.5.4 マ元帥日本政府に鳩山一郎の公職追放を指令 公職追放http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E8%81%B7%E8%BF%BD%E6%94%BE GHQの組織軍最高司令官総司令部は、軍事部門である参謀部と専門部局である幕僚部から組織された。 参謀部 ・ 参謀第1部(G1 人事担当)・参謀第2部(G2 情報担当)プレスコードの実施を担当 ・参謀第3部(G3 作戦担当)・参謀第4部(G4 後方担当)※特に諜報・保安・検閲を任務とする第2部(G2)が大きな発言権をもっていた。占領中に起きた数々の怪事件は、G2とその下にあったいくつもの特務機関(キャノン機関など)が関与したとも囁かれている。幕僚部・民政局(GS Government Section 政治行政)・経済科学局(ESS Economic Scientific Section 財閥解体など)・民間情報教育局(CIE Civil Information Educational Section 教育改革など)・天然資源局(NRS Natural Resources Section 農地改革など)※特に民政局(GS)が「非軍事化・民主化」政策の主導権をもっていたが、GSにはルーズベルト政権下でニューディール政策に携わっていた者が多数配属されており、日本の機構改造のために活動した。 なんでも政治部長のマーカム中佐という人の次席にシンバルという少佐がいて、それが知日家で「鳩山のパージの話が出ているから注意したほうがいゝ」とたしか松本君あたりが聞いて来たように思う。まだこの話は、当時の終連にいた曾禰益君が同じ情報を聞いて来たのに、上役の総務局長だった井口貞夫君が握りつぶし、上に出さないで伏せてしまった。政治的な処置を全然しなかったという話を聞いている。 (引用者注)終連終戦連絡中央事務局(しゅうせんれんらくちゅうおうじむきょく、Central Liaison Office)とは、太平洋戦争の終結に伴いGHQとの折衝を担当する機関として1945年8月26日に終戦連絡事務局官制(昭和20年勅令496号)により設置された政府機関をいう。略称は終連。wikipedia「終戦連絡中央事務局」 白洲次郎君がこれを聞いてG2(参謀第2部)に行って「GS(民政局)は怪しからん、鳩山をパージするといっている」とネジ込み、白洲君はこれで鳩山パージは押さえたものと思い込んで、「鳩山は大丈夫、パージにならん」と流していたらしいが、とにかく日本政府の側で、政治的に全然動かなかったことも原因しているのではなかろうか。 つまり政治交渉が足りなかった訳だろう。これは追放になる前のことだが、司令部の民政局から呼び出しが来た。名前を思い出せないがなんでも最初の政治部長だったと思う。確か少佐でオランダ訛りの男だったが、例の京都事件を調べるというのである。 その時は安藤正純と山本勝市の両君がついて来たと思う。私のパージはつまり私が斎藤内閣の文部大臣時代に文部省の共産主義に対する取扱いがよくなかったことから出発している。 たとえば長野県で百何十人かの小学校の教員を免職にした。これは共産主義者を知事が免職にした事件だ。共産主義者を免職にしたことを自由主義者を迫害したというふうに解釈した訳である。京都大学教授の滝川幸辰君を免職にしたのは当時内務省が発売禁止にしている本の内容と同じことを教えていたから免職にしたので・・・・・と色々話したら「よく分かった」ということで帰ってきたことがある。何しろあの追放の時、司令部のディレクティーブ(指令)に書いてあることは全部「アカハタ」に書いてあったものと同じものであった。「アカハタ」に書いてあるものを英文にしたものが、私のパージの理由だった。 (引用者注)長野県教員赤化事件1933年2月http //oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1931-35/1933_02.html br()滝川事件1933年に京都帝国大学で発生した思想弾圧事件。火付け役は民間右翼の蓑田胸喜で、京都帝国大学教授で司法試験委員でもあった滝川幸辰をねらいうちにした。騒ぎは一旦は静まったところ、文部大臣の鳩山が滝川を名指しして大学側に免職を求めたことから、全学の抗議が巻き起こった。パージの理由パージとは公職追放のこと。「ディレクティーブ」と「アカハタ」が同じ物だったか、検証は面白いかもしれない。 ここで、私の追放のきっかけになった反共連盟提唱のことを書き加えておこう。 私が反共声明を発表したのは昭和21年4月の総選挙を前にした同年2月22日のことである。大体次のような要旨の声明をその日、自由党本部から発表した。 「‥‥現下の政情を観察するに、極右ファシズムの潰滅は直ちに極左の矯激に顛落せんとするの危険が甚だ濃厚である。国家の前途寔に寒心に堪えない。吾人は正義と穏健との政治を堅持し、保守主義民主政党の擔うべき使命に認識を新たにし、いよいよ責任を感ずると共に共産主義に対し断乎たる態度を表明しなければならない。国民諸君は民主戦線の名に隠れて共産主義の爪牙を磨く虎視耽々たる事実を忘れてはならぬ。‥‥わが党は国民の九割を占める勤労大衆の立場を無視する政治があり得ざることを指摘し勤労者の利益代表は無産政党の専売なりとなす僻論には一笑をもって酬ゆば足りる。 わが党は夙に民族の危機を切り抜け真の民主主義社会建設のために徹底せる高度の社会政策を用意し、その構想たとえば米国に成功せるニューディール方式の如きまで発展すべきものと考える。 ‥‥保守主義諸政党の先覚よ、今ぞ国家を興し、民族を愛する情熱に燃え、小異を捨てて大同に就き揺るぎなき政界の安定勢力を確立すべき秋であると確信する。」 (引用者注)ニューディール方式の如きまで・・・この章節は、鳩山の追放指令を発したGS(民政局)批判で一貫しているのだが、追放前の2月に出した「反共声明」のなかで、ニューディールを持ち出して民政局との協調を表明していることが興味深い。鳩山は1月早々の「公職追放令」公布時に「追放は当然の措置である」との談話を発表しており、自分は民政局派だから追放対象者になるわけが無い、と自認していたフシがある。 この反共声明が共産党を刺戟してソ連の横槍となり、占領米軍中の左翼一派の乗ずるところとなって私の追放のきっかけを作ったのである。私があの反共声明を思いついたのには、実は次に述べるような理由があったのである。その前年の十一月新党が結成されて、十日程経て私は新党総裁として日本自由党の使命を説くために全国遊説を始めた。 11月18日京都、19日大阪、21日大津、22日岐阜、これらが皮切りであった。それから東北に2回、九州に2回出かけていった。12月22日が仙台の演説会、翌23日が青森の演説会となっていた。前者は大石倫治(現大石武一君の亡父)等、後者は小笠原八十美君と以前からの約束である。私は12月19日の夜書生一人を連れて出発しようとした。 その時上野の駅で、二等車の隅っこに座っていた。そうすると中華民国人が数人でもって二等車の中に「この車は占領す」という旗を立てた。そして十人位の第三国人が「この部屋をみんな出て下さい」という。出ない爺さんが一人いた。そうするとこれを私の前で殴るのだ。 私は体の大きな力の強い書生を連れていたが、それが、 「危険ですから出ましょう」 というので出てしまった。青森に行く約束の時間はその汽車に乗らなければ間に合わないものだから、もうセッパ詰まって列車の先から尻まで駈けて歩いたが空いている席は一つもないし、窓は閉まっている。みんな窓から入るので内側から閉めちゃって入れないようにしている。そんでよんどころなく進駐軍の車に飛び込んで「自分はこういう身分で遊説に行くんだがこの汽車に乗らなければ行かれないんだ」と頼むと「ここへ坐っていきなさい」といってくれた。全く有難かった。しかしほかの車は寒いのに進駐軍の車だけは暖かくてまるで極楽みたいだ。 (引用者注)二等車JRの前身の国鉄では、1960年まで一等車から三等車までの三等制だった。当時一般庶民は三等車に乗っていた。終戦によって一等車は米軍に接収され、二等車は特権階級のものだと思われていた。 (引用者注)つまみ食い『つまみ食い』と私がいうのは、実際は「体の大きな力の強い書生」の勧めで鳩山一郎は車両の外に出て難を逃れたのであるが、その部分を引用しないことで、恰も鳩山一郎自身が暴行を受けたかのように思わせたり、鳩山一郎が暴行を受けたと明記する別のデマ文書との整合性を諮ろうとする姑息なトリミングのことである。 私がその中に入ったので、貴族院の誰だったか、「私も何うか乗せて下さい」と頼んだら「この人の従者だったら入っていい」という。そうなると私もわたしもという奴が出て来たが「そう沢山はいけないが、六、七人までなら許そう」と先方が行ってくれたので、結局五、六人の人が私の従者ということになって喜んで乗り込み仙台までたどりついた。 (引用者注)進駐軍の特権二等車を追い出されたのは災難だったが、結局、進駐軍専用車両という「進駐軍の特権」にすがりついた、という話のようだ。 仙台に行って演説をして、仙台から青森に行くためにも散々苦労した。青森から帰る時も朝鮮人が列車を占領して駅長に向って「この列車は朝鮮人だけに限ると声明しろ」と強談判している。駅長が「それは断じて出来ない」と拒絶した。 (引用者注)朝鮮人の要求の原因それが何だったのか、鳩山一郎が言わなかったのか筆記者が文字にしなかったのか、不明なのは誠に残念である。1945年12月当時は、朝鮮半島から強制的に労働動員されていた朝鮮人の帰還輸送の最盛期でもあった。この帰還事業のコーディネーションの一切はまだ朝鮮人自治団体に任せられていた。その中で国鉄との軋轢もかなりあったとされている。 (引用者注)朝鮮人の送還事業戦後直ぐの帰国送還事業については、1945年11月以降はGHQから日本政府に発せられた「覚書」でその様子を窺い知ることができるが、それ以前のことについては、まとまった記録が見つかっていません。強制的に戦時動員された朝鮮人労働者が、政府もGHQも実施方針も管理体制を持たないときに怒涛の如く郷里を目指し大規模の民族大移動となった。最初は内地の戦争遂行協和組織であった「一心会」や「協和会」が送還の面倒を見たものの、それらは直ぐに解体され、自治団体として「在日本朝鮮人連盟(朝連)」が取って代わり、帰国者の家や家財道具の整理、国内移送列車の確保、1000トン以下の帰国船の配船、出航港湾付近での宿泊や食糧の供給など一切を仕切っていたようだ。 「断じていけない」といえばそれが通るのに、その点、東京の駅はだらしないとその時思った。帰って来てから痰に血が出だしたので当時私が厄介になっていた麻布の石橋正二郎君の家のお医者さんの木村博士に診てもらったら「こりゃ大変だから専門医に診てもらえ」という。そこで伝研の今野博士を呼んだら「絶対安静」ということである。 丁度その時に司令部のなんとかという大佐が是非会いたいといって来た。「今医者から三日間位絶対安静ということだからお目にかかれない」と断った。ところがその翌日気分がよくなったので急いで九州に立ってしまった。すると司令部の方では、「司令部を馬鹿にしている」と非常に怒り、空気が馬鹿に悪くなったようだった。こっちは日程をフイにしないようにと思って無理に立っていったのである。 その時九州に行って感心したのは、福岡は割合に静穏なことである。朝鮮人が福岡駅を占領した時に、九州大学の青年達がみんなで朝鮮人を叩き出してしまったのですっかり騒ぎが納まったということを聞いて、流石九州男児だなァと思ったりした。それでその時思ったのは、日本では共産革命は割合に楽だと感じたことである。面と向って自ら犠牲になって阻止する者が出て来れば出来ないが、自分で責任をとって防ぐ青年がいなかったら共産革命が成就すると思った。多数は要らないが適当な防衛力は要ると思ったのもその時のことである。何うしても自衛隊を持たなければならないと痛切に考えて自衛軍の構想をその時から持ち始めた。私は当時方々を歩いて、自衛軍の設備と反共ということを同列において私が演説したのはそういうところから来たのだった。こうして私の二十一年二月二十二日の反共声明は発せられたのである。 (引用者注)九州大学の青年達学生達の話は興味深いので、是非とも新聞をさがしてみたい。 コメント欄 名前 コメント すべてのコメントを見る デマ『朝鮮進駐軍』
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「堕落騎士ゴルドー」 "ゴルドーを疑われる" そう言われて怯えない騎士はいない。 それは主人に忠誠を誓う騎士にとって、最も不名誉なことであり、最大級の侮辱であるからだ。 ゴルドー家は、今は亡き辺境国家リューネシアの下級貴族に名を連ねる家であった。 ゴルドー家の四男として生まれたドル・ゴルドーは、家督を継ぐことはできなかったが、戦働きを認められ、時の姫に召し抱えられるという類稀なる栄誉を賜った。 彼の勇名、武名は並ぶものを知らないほどであったが、彼の名が後世に残っている理由は彼が主君を裏切ったからであり、それによりリューネシア辺境国が滅びたからである。 記録によれば、ドル・ゴルドーは一夜にして城の兵を皆殺しにしたという。 かの有名な画家、"エルトン・エーカー"が残した絵画"孤軍の叫び"は、城門内に屍の山を築くゴルドーの悍ましい姿がまざまざと描かれており、ゴルドーの残虐性を表している。 その逸話からゴルドーの名は、優れた才能を持つものや、頭角を表した秀才を指し示すと同時に、調子に乗って身を滅ぼしてはいけない、という訓戒にもなっている。 騎士の場合は更に、裏切りを示唆する言葉としても使われており、翻って主君への忠誠を示す際の詔に組み込まれることも多いという。
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九大神の騎士 ソリチュードのカロライン 著 九大神の騎士の存在は今ではほとんど忘れられているが、当時、その名はシロディール中に── というよりも、帝都中に知れ渡っていた。セプティム帝都では初期のある短い期間、全ての人々が彼らの冒険談に夢中になった。しかし、彼らの名声は、他の多くの有名人の噂話とともにレッド・ダイヤモンド戦争の混乱の中で人々に忘れられ、今では彼らの修道院がどこにあったのかすら誰にもわからない。 九大神の騎士は、第三紀111年、アイル戦争で英雄的な活躍を見せたアミエル・ラナス卿によって結成された。その目的は、何千年ものあいだ失われていた、伝説の聖戦士ペリナル・ホワイトストレークの武器や防具などの聖遺物を探し出し、取り戻すことであった。彼らは第三時代初期の自信と野望に満ちた風潮の申し子であった。タムリエルが統一され、人々が何世紀ぶりかの平和を謳歌していたあの時代、不可能なことなど何一つなかったのである。 アミエル卿が騎士たちを率いてエリングレンのワイアームを倒し、第一紀から行方不明だった聖戦士の胴鎧を持ち帰ると、結成まもない九大神の騎士の名声は一挙に広まった。すぐに、その当時の偉大な騎士たちが九大神の騎士に加わろうとやってくるようになり、シロディールのウェストウィルドにあった九大神修道院は高潔で善良な者を磁石のように引きつける場所となった。九大神の騎士は国中の賞賛の的であった。コロヴィアの名門貴族の御曹司ベリック・ヴリンドレル卿が加わる頃には、九大神の騎士は帝都で最も栄光ある騎士団になっていた。その後比較的短い期間に九大神の騎士はさらに3つの聖遺物を発見し、その度に彼らの名声はより高くなっていった。誰もが、最終的に彼らが8つの聖遺物全てを取り戻すだろうと信じて疑わなかった。 しかし悲しいことに、彼らの当初の信念は第三紀121年に始まったレッド・ダイヤモンド戦争による帝都の分断と荒廃の中で途切れてしまった。当初、アミエル卿は騎士たちを戦争に参加させないつもりであったが、彼らの名声がそれを許さなかった。多くの騎士たちが帝都の名門家庭の出身であり、どの家もこの血なまぐさい市民戦争でどちらかの側について戦っていたのである。ベリック卿が最初の離脱者であった。彼はセフォラスの側について戦うため、聖遺物である剣とグリーヴを身に付けて戦場に向かった。他の多くの騎士たちもまた、その後まもなく九大神の騎士を離れ、敵味方となって戦った。 九大神の騎士の最後は、その初期の栄光に比べてひどく不名誉なものとなった。第三紀127年、セフォラスの勝利で戦争が終結すると、ベリック・ヴリンドレルは勝軍の功労者として重要な位置につくこととなった。第三紀131年に帝都が発令した九大神の騎士の解散布告の背景には、ベリック卿の圧力があったと見られている。この布告はほとんど形式だけのものであったが、アミエル卿の尽力にもかかわらず九大神の騎士が再結成されることはなかった。 九大神の騎士によって取り戻された聖遺物はどうなったのだろうか? 聖戦士の剣とグリーヴはベリック卿が持ち去ったが、それらが今どこにあるのかはわかっていない。聖戦士の篭手は、コロールのステンダール聖堂の床に安置されている。第三紀139年、カシミール卿が不名誉な死を迎えた際そこに残したまま動かされていないのである。聖戦士の胴鎧の所在は不明である。アミエル卿は第三紀150年に九大神修道院に一人で住んでいたところを通りがかりの旅人に目撃されているが、それ以降の彼の運命と胴鎧の行方は歴史の謎となってしまった。このようにして、九大神の騎士は歴史の彼方へ消え去ってしまったのである。 ダンジョン 九大神の騎士関連 歴史・伝記 赤3
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「堕落騎士ゴルドー」 "ゴルドーを疑われる" そう言われて怯えない騎士はいない。 それは主人に忠誠を誓う騎士にとって、最も不名誉なことであり、最大級の侮辱であるからだ。 ゴルドー家は、今は亡き辺境国家リューネシアの下級貴族に名を連ねる家であった。 ゴルドー家の四男として生まれたドル・ゴルドーは、家督を継ぐことはできなかったが、戦働きを認められ、時の姫に召し抱えられるという類稀なる栄誉を賜った。 彼の勇名、武名は並ぶものを知らないほどであったが、彼の名が後世に残っている理由は彼が主君を裏切ったからであり、それによりリューネシア辺境国が滅びたからである。 記録によれば、ドル・ゴルドーは一夜にして城の兵を皆殺しにしたという。 かの有名な画家、"エルトン・エーカー"が残した絵画"孤軍の叫び"は、城門内に屍の山を築くゴルドーの悍ましい姿がまざまざと描かれており、ゴルドーの残虐性を表している。 その逸話からゴルドーの名は、優れた才能を持つものや、頭角を表した秀才を指し示すと同時に、調子に乗って身を滅ぼしてはいけない、という訓戒にもなっている。 騎士の場合は更に、裏切りを示唆する言葉としても使われており、翻って主君への忠誠を示す際の詔に組み込まれることも多いという。
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不名誉な死を遂げた魂に悲しみを。 ――祭影師ギルドの諺 Grieve for the soul in death dishonored. ――Shadow Guild saying ミラージュ 【M TG Wiki】 名前