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【種別】 実在の人物 登場人物(アニメ第2シリーズ) 【名前】 吉良上野介 【よみがな】 きら こうずけのすけ 【登場話】 アニメ第2シリーズ 【キャスト】 槐柳二 【実像】 1641年10月5日から1703年1月31日まで。 【忠臣蔵】のイメージから、悪役と見られやすいが、【忠臣蔵】の話は事実と創作が混ざり合っており、どこまでが真実かはわからない。 【作戦名は忠臣蔵】 アニメ第2シリーズ第113話に、幽霊として登場。 この話には堀部安兵衛(声:安原義人)や早野勘平(声:八代駿)や浅野(声:矢田耕司)というキャラクターも登場するが、こちらは本人ではない。 【関連するページ】 実在の人物 石田太郎
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上野介正信 山本周五郎 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)躯《からだ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)[#6字下げ] ------------------------------------------------------- [#6字下げ]一[#「一」は中見出し] 茂助は「爺さん」と呼ばれていた。年は四十を出たばかりだし、躯《からだ》も究竟《くっきょう》であるが、頑《かたくな》なほど無口なのと、仲間づきあいをしないのと、ひっそりとひとり離れて暮す容子などから、そんな呼び方をされるようになったのかも知れない。彼が堀田家の庭番に雇われてから五年たつが、まだ誰ひとり親しくする者がない、庭番には庭番の長屋があって当時は六人そこにいたが、彼はこの屋敷で「藪」といわれる果樹畠の小屋にひとりで住んでいた。もとは雑具置場にでも使ったのだろう、たち腐れ同様になっていたのを、自分ですっかり手入れをし釜戸《かまど》なども作って、殆んどそこに籠《こも》りきりで暮していた。用がなければ五日でも十日でも顔をみせない、朝晩の炊《かし》ぎの煙が立つので、ああ生きているよ、などと云われるくらいだった。 茂助は果樹畠のせわをするのが役目であった。それは殿さまのおぼしめしで作られ、殿さまのお手許《てもと》から費用が出ている、そして繁しげ殿さまが見に来られる。そのときは彼が御案内してまわるのだが、無口の癖はそんなところにもあらわれて、はじめのうちはよく御側の人に叱られたものであった。今年になってから殿さまはよくお独りで見においでなさる。扈従《こしょう》のいないほうが御機嫌がいい、茂助のぶあいそな風も気になさらず楽しそうに畠を見てまわり、時には彼の小屋を覗《のぞ》いてごらんなさるようなこともあった。 ――殿さまは下総《しもうさ》のくに佐倉十二万石の御領主で、上野介《こうずけのすけ》正信と仰せられる。その年ようやく三十歳であられたが、たいそうもの堅く御質素な方で、刀は飾りなしの柄に黒の鞘《さや》ときまっていたし、着物は木綿か麻、袴《はかま》は葛布《くずふ》そして素足に藁草履《わらぞうり》という粗末な姿をしておられた。茂助などに対してもごく率直な口をおききなされ、かさにかかるとか勿体《もったい》らしい御容子などは決してみられなかった。堀田家は殿さまの御祖父の代に徳川家へ仕えられたものだという、それは勘左衛門正利と仰せられ、金吾中納言殿の御家来であられた、御妻女は稲葉さどのかみ正成という方のお妹御である。中納言殿を浪人なされてから、御義兄に当る正成さまの御妻女、春日の局のゆかりで初めて御家人になられたということである。………殿さまはそのお孫に当り、御生母は酒井空印さまの御息女であられる、御自身の奥方は久松松平家からおいでなされた、空印さまは讃岐守《さぬきのかみ》忠勝と申され、当代第一の功臣として将軍家の御信任が篤《あつ》く、その御威勢にはかなう者がないと評判が高い。こういう方を外祖父にもたれ、奥方を御連枝から迎えられたのであるから、どのようにも御出世のできる仕合せな御身分である筈なのだが、佐助の眼にはどうしてもそうみえなかった、畠へおいでなさるときは楽しそうでもあり、お顔も明るくはれやかであるが、お年に似ない額の皺《しわ》や、いつもきつく結んでおられる唇のあたりに、ふとすると孤独な寂しげな色があらわれる。――殿さまほどの御身分でもやっぱりお心のままにならないことがあるのだ、茂助はこう考えて、自分の悲しい過去に思いくらべることさえあった。 夏のかかりだったろう、畠の端にある葡萄棚で葉につく虫を取っていると、すぐ向うの草場から殿さまの噂《うわさ》をする声が聞えて来た。見ると十人ばかりの若い侍たちが馬草を刈っている。 「空印さまはこう仰《おっ》しゃったそうだ、おまえの云うことは理屈ではあるが偏狭に過ぎる、それは精ぜい小大名の家老ぐらいの者の考えで、十二万石の領主の言うことではない、もっと心をひろく大きくもたなければいかぬ」 「偏狭とは図星だろう」別の男が云った、「飯はふだんが麦七分で一汁一菜、菓子は稗《ひえ》団子、絹物は着ないし酒も煙草ものまず、側女の一人もないというのだから尋常じゃあない」 「御自分が好きでなさるぶんには構わないが、おれたちにまで押し付けられては堪らない、あんなまっ黒な麦飯や稗団子なんで、百姓だって喰べてはいないぞ」 「ひどくいきまくが荻原は喰べているのか」 「あいにくだがおれの胃袋は殿のように丈夫じゃないんでな」その男は笑った、「然しこの草刈りだって同じ例だぞ、田舎なら知らぬこと江戸の市中で、武士たる者が足軽小者のように馬草を刈る、まるできちがい沙汰だ」 「まったく泰平の世に馬草を苅ることが武士の嗜《たしな》みとは恐れ入る、殿は時代をまちがえて生れてこられたんだ」 茂助は聞くに耐えなくなってそこを離れた。――なんということだ、侍ともある者が自分の殿さまの悪口を言うなんて。彼はそのとき情けなさに涙がこぼれた、侍のねうちも下ったものだ、それもいい、殿さまに御不行跡でもあって云うのなら別だが、麦飯を食う馬草を刈る、武家として当然のことじゃあないか、自分の口を可愛がる骨を惜しむ、そして仕える殿さまの陰口をきく、いちど浪人してみるがいいんだ。茂助は柿畠のところで長いこともの思いに耽《ふけ》っていた。 [#6字下げ]二[#「二」は中見出し] その後も折にふれて同じような陰口を耳にした。殿さまが城中でどこかの大名に意見をし、あべこべに同座の人たちから辱しめられたとか、突然御膳所へみえて、侍たちの喰べ物をお調べになり、精《しら》げた米を炊いでいたのでお怒りになったとか。それでもやっぱり麦飯や稗団子を喰べるのは家中で殿さまと御相伴に当る者だけだとか。御殿でお客をなすったとき、魚鳥なしで麦飯に一汁一菜を出されたが、お客の方々は帰りにどこかへ寄って、「精進おとしをしよう」といい笑い草にしたとか。――殆んど人づきあいをしない彼にさえそれだけ聞えるのだから、人の集まる所ではどんなに酷いことだろう、茂助は考えるたびに住み好い世界はないものだと溜息《ためいき》が出た。 秋にはいった或る日、仲間らしい男が五六人で柿を取りに来た。早熟柿が色づいたので喰べたくなったのだろう、一つや二つなら見ない振をする積りで、彼は小屋の中で草鞋《わらじ》を作っていた、すると仲間たちは柿をもいで喰べながら、あたり構わず殿さまの陰口を言いはじめた。それが下司にしてもひどい言葉で、こうずけではない、茶漬だとか、吝嗇《りんしょく》で頭がどうかしたなどと罵《ののし》るのである。茂助はかっとのぼせ、戸口にある心張棒を持ってとびだしていった。 「この泥棒ども」彼は走っていってわなわな震えながら叫んだ、「殿さまから喰べる物を頂き、殿さまのお畠の物を盗みながら、いまの悪口はなんということだ、よく舌が腐らないもんだ、もういちど言ってみろ、ひとり残らず片輪にして呉《く》れるぞ」 「ほっほう勇ましいな爺さん」一人の肥えた若者がこっちへ来た、「片輪にして呉れるとは耳寄りだ、おらあしみったれた仲間奉公に飽き飽きしている、片輪になって乞食でもしてえと思っていたところだ、遠慮はねえ、やってくんな」 「おれたちもついでに頼むぜ」みんなこう云いながら来て彼を取巻いた、「こんなみみっちい屋敷に勤めるより、因果者にでも出たほうが安楽だ、さあすっぱりと片輪にして呉れ」 「どうした爺い、急に疝気《せんき》でもやみだしたか」 こう云って一人が喰べかけの柿を茂助の顔へ叩きつけた。茂助は棒を振上げたが、後ろから突きとばされてのめった、はね起きようとするところを押えられ、むやみにぽかぽか殴られた。いけない我慢しろ、またあのときのように間違いを起こすぞ、茂助はこう歯をくいしばって、彼等の殴るままになっていた、――だがそれほど長いことではない、一人がなにか云ったと思うと、みんな一斉にとびあがり、ちりぢりになってどこかへ逃げていった。茂助は俯伏《うつぶ》せになっていたが、 「どうした、どこか痛めでもしたか」 こう云われて顔をあげると、すぐ側に殿さまが来て立っておられる、茂助は吃驚《びっくり》して起きあがり、そこへ手をついた。 「いえ、なんでもござりませぬ、ほんの二つ三つぶたれましただけで、……まことにお眼を汚しまして恐れいりまする」 「いったいなにがもとの喧嘩《けんか》だ」 「へえそれが」彼はちょっと詰った、「柿が色づきましたので、若い者のことですから、つい欲しくなったものでしょうが、その」 「もういい、わかっている、立てるか」 茂助は立った。膝頭《ひざがしら》をすり剥《む》いたらしい、そのほかにはかくべつ痛むところもなかった。殿さまはなにか仰しゃりたい容子であったが、そのまま畠をまわりもなさらずに、御殿のほうへ帰ってゆかれた。 それから中一日おいた夜、もう十時ごろになってとつぜん殿さまがみえられた。月のいい晩で、茂助はまだ戸を明けたまま、行燈《あんどん》の側で繩を綯《な》っていた。その小屋の戸口へすっと殿さまが入ってみえたのである。戸惑いをし途方にくれている彼に、そのままでいいという手振をなされ、上り端に腰を掛けて「ここは月がよく見えるな」と仰せられた。茂助は身の置きようもなく、ただそこへ手をついて頭を垂れていた。すると殿さまは振向いてごらんになり、 「遠慮しなくともいいぞ、月を見に来て寄っただけだ、少し休んでゆくから構わないで仕事をするがいい、――此処《ここ》は静かだな」 こう云ってふと太息《といき》をつかれた。その夜はほんの暫《しばら》くいてお帰りなされたが、明くる晩もおいでになって、こんどは茶を欲しいと仰せられた。茶好きの彼は寝るまで火を絶やしたことがない、粗末な葉ではあったが、淹《い》れて差上げると、殿さまはお気に召した容子で三杯も代えられた。 「いやな世の中だとは思わないか」殿さまは急にこう言いだされた、「富んでいる者、ちからのある者は、奢侈《しゃし》ぜいたく淫逸《いんいつ》に耽る、いま泰平を謳《うた》っているのはこういう人間ばかりだ、そのほかの多数の者は困っている、三年まえには米一石が三十九匁だったのに、今年はもう六十九匁と倍ちかい値になった、それに準じて物価の昂騰《こうとう》はひどい、貧しい多数の者の暮しは苦しくなる一方だ、――茂助、おまえにもこんなことを云うおれが可笑《おか》しいか」 [#6字下げ]三[#「三」は中見出し] 「これは上に立つ武家の責任だ」殿さまはすぐに続けられた、「武家は自分がなに者であるかということを忘れた、祖先が戦場のてがらで頂いた食禄《しょくろく》をなんの不審もなく受け継いで、自分の欲を満足させることだけしか考えずに生きている、政治はひと任せだ、茶湯を習ったり骨董《こっとう》を蒐《あつ》めたり、大金を出して町絵師に屏風《びょうぶ》を描かせたり、衣裳《いしょう》持ち物に綺羅《きら》を張ったり、宴会の趣向に奇をきそったりしている、困窮している庶民のことなどは見むきもしない、――これでいいだろうか、こんなありさまで武家だと云えるだろうか」 殿さまは持っている茶碗の中を見ながらこう言われたが、そのときはらはらと涙をこぼされた。茂助はいかけた細の手を止めて、怖ろしいような気持で殿さまの言葉を聞いていた。 「おまえが仲間共に打たれたとき」暫くして殿さまはこう云い継がれた、「あの者たちの悪口をおれは聞いていたのだ、初めてではない、城中ではもちろん、おれを知るほどの人間、家来たちまでがおれの悪口を言う、――かれらには泰平が信じられるのだ、最も多数の者の犠牲で贅《ぜい》を尽しながら、わが世の泰平を謳っていられるのだ、……おれはその夢をさましてやりたい、できることなら謀叛《むほん》をしてでも」 殿さまはその後もよく小屋へみえられたがその夜ほど激した容子をみせられたことはない、ひと言ひと言が肺腑《はいふ》をついて出るという感じだった。――殿さまの顔にふとあらわれる寂しげな色の意味が、いまは茂助にもわかるようになった。殿さまが本気になって仰しゃることを、空印さまでさえ「家老ぐらいの者の考え方だ」とお叱りなさる、粗衣粗食をすすめても武士らしい嗜みを示されても、事ごとに嘲笑《ちょうしょう》と軽侮を買うばかりである、ついには、茂助などに御心うちをお話しなさるほど、孤独でお寂しいのだ。 「おれがもうちっと気はしのきく者なら、お慰めの言葉ぐらい申上げられるんだが」茂助はこう呟《つぶや》いては溜息をついた、「女房に逃げられるようなぶまな人間だからそれもできない、お気のどくな、――どうしてあげたらいいだろう」 十月にはいってから干柿を作った。まだよく干し上っていなかったが、殿さまがみえたとき差上げると、たいそう喜んで召上られた。 「格別に甘いようだが、秘伝でもあるのか」 「まだ干し上っておりませんので、お舌ざわりでそうおぼしめすのでしょう、本当の甘味はやはり干し切ってからでございます」 「初めてだ、このほうが美味《うま》い」 いかにも美味そうに召上るので、ふだんどんなに御質素かが思いやられ、またお慰めの一つが協《かな》ったという嬉しさで、茂助は危うく涙がこぼれそうになった。――それではなま干しのを選んで置いておみえになるたび喜んで頂こう、そう思ったその翌日である、組頭が呼ぶというのでいってみると、「御都合があってお暇が出た」と意外なことを云われた。彼は口をあいた。思いもよらないし、そんなことがある筈はない。 「それは殿さまのおぼしめしですか」茂助は問い返した、「私は殿さまから畠をお預かり申しているので、殿さまの仰せなら」 「おれに文句をつけたってしようがない、お暇が出たから出たと云うだけだ、それ、これが給銀だ、――不承知なら殿さまへ直訴でもするさ」 但し小屋からはすぐ出ろと突っ放すような言い方だった。茂助は怒りと悲しみと絶望のために、眼の前が暗くなるような気持でそこを立った。――やっぱり同じことだ、こんどはおちつけると思ったが、これが持って生れためぐりあわせだ、そんなことを呟いた。どうしようもない、小屋へ戻って荷物を纒《まと》めた。いかにも出てゆくのが辛い、然し組下の者がついて来て急《せ》きたてた、茂助は選んで置いたなま干しの柿をわかるように取出して並べ風呂敷包を肩に小屋を出た。庭番の長屋へ挨拶に寄り、もういちど組頭に会いにいった。 「小屋に干柿が出してあります、なま干しですが殿さまの御好物ですから、私のあとへ来る者にそうお云いなすって下さい」茂助はこう云ってから組頭の眼をじっと見た、「だがいったい、どうして私にお暇が出たんですかな」 「これからのこともあるから云っといてやろう」組頭は莨盆《たばこぼん》できせるをはたいた、「人間は分ぶんを守らなくちゃあいけねえ、古い文句だが出る杭《くい》は打たれる、覚えとくんだな」 「出る杭、――私が杭ですって」 茂助は思わず高い声をあげた。けれどもすぐに頭を垂れ、逃げるように外へとびだしていった。 茂助はその足で下目黒へ向った、そこには彼の生れた家がある、大きい植木職でいまは甥《おい》の市兵衛が当主だった。ゆき着いたのはもう昏《く》れがたで、井戸の辺りでは職人たちの手足を洗う賑《にぎ》やかな声が聞えていた。 [#6字下げ]四[#「四」は中見出し] 冬支度の藁をみていた市兵衛が、はいって来た茂助の姿にほうと声をあげた。 「おいでなさい、珍しいこってすね」 「暫《しばら》く厄介になるよ」彼は包を下ろしながら言った、「隠居は明いてるかな」 そして茂助はそこに居ついた。 隠居所は母屋と二十間ほど離れている、父親の仁助が建てたもので、材料は雑だが茶室風に造ってある。茂助は煮炊きもそこでやるようにし、殆んどひき籠って暮した。――父も母もずっとまえに死んだ、兄の源助も四年あとに亡くなって、いま家族は五十幾つかになる兄嫁と、甥夫婦の三人だけであった。かれらは茂助をそっとして置いてれた、ときに来ても長くはいない、なにか持って来ればそれを置いて、ふた言み言あいそを言って帰る。むろん職人たちの寄りつくこともなかった。 移って来て四五日した或る夜、風の音を聴きながら茂助はお屋敷のことを想った。あの小屋へおいでなすって茂助のいないことをお知りになったら、殿さまはどんなに寂しそうな顔をなさるだろう、勿体《もったい》ないが殿さまはあの小屋にいらっしゃる時はお楽しそうだった、あんなにずばずばとなにもかもお話しなすった、茂助をお気にいって下すったのだ、それがもう小屋へはいらっしゃれない、――どうしておいでなさるだろう、今どんなお気持でこの風の音を聴いていらっしゃるだろう。こんなことを思いながら、長いこと寝つかれない刻《とき》を過した。 午後からしぐれて来た日のことである、切炉に寄って茶を啜《すす》っていると、雨のなかを甥の市兵衛がとんで来た。「叔父さんたいへんな事が起こった」こう云って炉の側へあがりこんだ。 「堀田の殿さまが御謀叛をなすったというとってすぜ」 茂助は気のぬけたような眼をあげた。 「殿さまが、どうなすったって」 「御謀叛ですよ、精《くわ》しいことはわからねえ」市兵衛はせきこんで言った、「うちの職人が柳生さまの下屋敷へ仕事にいってる、そいつが聞いて来たんですが、堀田さまは五六日まえに佐倉へお帰りになって、お城へ立籠んなすったが、戦《いくさ》にあならねえで降参なすった、こんな話なんですがね」 「まさか、殿さまが、――」 「柳生さまのお屋敷ですから、根もねえこっちゃあねえでしょう、叔父さんはいいときに出て来なすった、いたら側杖《そばづえ》をくうところでしたぜ」 茂助はぐらぐらと躯が揺れるような心持だった。そうだ、――いつか殿さまのお口からそんな風なことを聞いた。泰平を謳っているかれらの夢をさましてやりたい、できることなら謀叛をしてでも。ああと茂助は呻《うめ》きごえをあげた。そうだ、殿さまはそれをなすったのだ、歯がかちかち鳴りだす、どうしよう、とうていじっとしてはいられなかった。 「どうするんです、叔父さん」 「蓑《みの》と笠を、いや合羽があった」茂助はうろうろと立った、「ちょっとでかけて来る」 しぐれの中へ出ていった茂助は、三日めの午後に帰って来た。すっかり憔悴《しょうすい》して、帰るとすぐぶっ倒れるように寝た。明くる日いちにち寝ていたが、それからまたでかけて、五日めの夕方、また降りだした雨に濡れて帰り、食事も甥の嫁に頼んで寝こんだ。 「どうかなすったんですか叔父さん、お加減が悪いなら医者を呼びますよ」 「なになんでもない、二三日寝ればいいんだ」 「おっ母さんに夜だけでもこっちへ寝て貰いましょうか、夜中に不自由で困るでしょう」 「心配しなくてもいい、病人じゃないんだから」 茂助は精のぬけた顔で天床を見ていた。――彼は佐倉の出来事をすっかり聞いて来た、いたましい出来事であった。上野介正信は老中へ諫書《かんしょ》を出したうえ、甲冑《かっちゅう》を着け槍を持ち、馬に乗って江戸邸から佐倉へ帰った。参覲《さんきん》のいとまを取らず、無断で帰国することは叛逆とみなされる、側近の者は正信の挙動でなにが起こるかを察し、主君に先だって佐倉へ急使をとばした。国家老は驚愕《きょうがく》して、直ちに大手の城門を閉め、その前に座って待った。正信は馬を乗りつけて来て「開門せよ」と命じた、家老はその馬の轡《くつわ》に縋《すが》って嘆願した。 ――家臣どものことをお考え下さい。ひっしにそれだけを繰り返した。御謀叛となれば家臣どもも大罪に問われます、千余人の家臣とその家族をふびんとはおぼしめさぬか。 正信の表情が僅かにくずれた、家老はその機をのがさず槍を受取って侍臣に渡し、自分が馬の轡をとって、そのまま菩提寺《ぼだいじ》へ伴《つ》れていった、そして謹慎の趣を幕府へ通じた。 ――幕府の驚きは云うまでもない、然し伊豆のかみ松平信綱の説が勝って「上野介発狂」ということに定った。酒井空印の外孫であり、夫人が連枝の出であることも影響したであろう、十二万石は召上げ、正信は脇坂淡路へ預けられることになった。 「狂気、――殿さまが狂気」茂助は思いだしてはこう呟いた、「あんまりだ、いかになんでも狂気とは、狂気とは……」 [#6字下げ]五[#「五」は中見出し] 最も多数の人間の犠牲に依る一部の者の泰平、奢侈《しゃし》と淫逸に汚されたごまかしの泰平、正信はそれに一石を投じようとした、――上野介謀叛、ただその声だけでよかった、十二万石も自分も投げ出して、その声ひとつを天下に叩きつけたかったのだ。然しそれは揉《も》み消された、正信は発狂した、それで万事けり[#「けり」に傍点]がついたのである。 「これが世の中だ」茂助はその後よくこう呟いた、「これが世間というものだ」 正信が脇坂家の手で信濃のくに飯田へ送られたということは十二月になって聞いた。脇坂家の当主は淡路守安吉といって、正信の弟が養子にいったものである。 ――二年おいて寛文二年、正信は改めて酒井忠直に預けられ、若狭のくに小浜へ移った。そしてそれからはふっと消息が聞けなくなった。 茂助はずっと甥の家で暮した。忙しい季節には職人といっしょに働くこともある、日暮里にいる同業の知人に頼まれて、一年ばかりそっちで職人の面倒をみたこともあるが、たいていは甥の家の隠居所で日を送った。 ――彼が五十になった年の秋、もう冬にかかろうとする冷える日のことだったが、兄嫁のお直が茶をのみに来て、暫く話すうちにふと「お菊さんがうちへ帰ってるんですよ」 と言いだした。茂助は黙って炉の灰を掻《か》いていた。 「帰ってからもう半年くらいになるんですって、あたしはついこないだ逢ったばかりだけれど、もう幾つかしら、そう、四十二か三になるんでしょうね、長いこと独り身でいたようなことを云ってましたっけ、標緻《きりょう》よしはとくですよね、艶《つや》つやして三十四五にしきゃみえない、ずいぶん苦労したらしいけれど」 「よくねえさんの顔が見られたもんですね」 茂助はそう云ったが、云ったことを悔むように炉の側を立っていった、お直はそっちを見ずにさりげなく続けた。 「茂助さんに済まない、できたらどんなにでも詫《わ》びがしたいって、泣いてましたよ、あのときの罰でいいめはみなかったって」 「もう止して下さいねえさん、あいつの話だけは、――どうか」 むかしのいたでが返って来た。茂助は四五日また眠れない厭《いや》な日を送った。――お菊は茂助の妻であった、此処《ここ》から遠くない谷山村の百姓の娘で、十七の年に茂助と一緒になった、縹緻がよすぎるのと陽気な性質で、兄の源助は首を捻《ひね》ったが、お直がむやみな惚《ほ》れようで貰ったのである。だがやっぱりいけなかった、二年めになって、この家の職人とできていることがわかった。殆んど嫁に来るとすぐからのことだという、不幸なことに茂助は自分の血肉のようにお菊を愛していた、夢にも妻を疑うようなことはなかった。 ――二年も、二年もそんなことを。 愚直なほどいっぽん気な茂助は逆上した。薪割を持って相手の男へとびかかった、ほかの職人や兄の源助が駆けつけ、男は右腕を切られただけで済んだ、茂助はその場から家をとびだしたのである。彼は人も世も信じられなくなった、お菊が二年ものあいだ裏切っていて、けぶりにもみせなかったということが、堪《たま》らなかった。はずみで出来た間違いならまだいい、二年もいっしょに寝起きをしながら、同じときまったく別の相手とそういうことを続けている。人間にはそんな裏切り方もできるのだ。………茂助は渡り職人になって七年ばかり家へも寄りつかなかった。三十五の年に胃を病んで帰ったが、まえにも増して陰気な、口数の少ない男になっていた、それからは今いる隠居所に住んで、兄の手伝いをしたり、屋敷へ雇われたり、すすめる嫁も貰わず、人づきあいもせず、やがて堀田家へ雇われるまで、此処でもずっと独り籠って暮したのであった。 「だがそれも、殿さまの御不幸に比べれば大したことはない」茂助はやがて厭な思い出からぬけだした、「おれのはてめえ独りのこった、殿さまは御自分のことじゃあなかった、あれだけ本気に世間のことを考えて、十二万石も御自分も抛《ほう》りだしておやんなすった、それでさえ気違いにされておしまいなすった、どんなお気持だったろう――ふん、おれのことなんかお笑い草だ」 寛文が十二年続いて延宝となった。――このあいだに茂助は、干柿を作って売りだすのを自分の仕事にした、兄嫁のお直が亡くなり、その代りとでもいうように甥の妻が子を産んだ、嫁に来て九年めである。こうして年月が経っていった。 延宝八年の三月、甥の市兵衛が松平阿波さまの屋敷へ仕事にいって、絶えて久しい堀田の殿さまの消息を聞いて来た。 「ずっと若狭にいらしったんだが、公方さまにお世継ぎが生れるようにと、京の男山八幡へ願を籠めにおいでなすった、それが知れてお咎《とが》めが重くなったんでしょう、阿波守さまへまたお預け替えになったというこってす」 「お預けになったのはどこだ」 「なんとか言ったけ、――あわ、ああ淡路島か、そういう島だってえとってすよ」 [#6字下げ]六[#「六」は中見出し] 茂助は西へ向って江戸を立った。もう六十五という年だし、だいぶ躯も弱っているので、夫婦が頻りにとめた。どうしてもゆくなら誰かひとり若い者を伴れてゆくようにと云ったが、茂助は独りで旅立ったのである。「島」ということがあんまりおいたわしかった、信濃から若狭、そしてとうとう見も知らぬ島へ流されておしまいなすった、ひとめ会ってお顔を拝みたい、自分の躯も弱って来ている、思い立ったいまゆかなければ、もう一生おめにかかる折はないだろう、矢も盾も堪らず、手作りの干柿を土産に持っただけで、とびだした。 市兵衛の縁で阿波さまから便宜を計って貰った。天気にも恵まれて、無事に東海道を上ったが、池鯉鮒の宿で下痢にかかり、そこで半月ほど寝てしまった。ほんの腹をこわしたくらいのものだったのだが、旅の疲れで恢復《かいふく》が遅かったらしい、五月になってようやく宿を立つことができた。 淡路島へは兵庫から船でゆく、そこは阿波守の所領ではなく預かっているので、洲本というところに城があった。船をあがっていちど宿を取り、順序を訊《き》いて番所をたずねた、正信の謫居《たっきょ》は城中にあるという、会いたいむねを願うと、支配が留守だから四五日待てと言われた。――とにかく此処まで来た、殿さまはこの土地においでなさる。こう思うと待つこともさして苦にはならなかった。炬口《たけのくち》という処にある男山八幡へ参詣《さんけい》したほかは、殆んど宿で寝たり起きたりして暮し、六日めに干柿の包を持って番所へいった。……すると覚えていた番士が「ちょっと待て」といってどこかへゆき、間もなく中老の侍を伴《つ》れて戻った、その侍は近寄って来てこう訊いた。 「そのもとは堀田殿で士分を勤められたか」 「いいえ下僕でござります、庭番で五年ほど御厄介になった者でござります」 「士分でなければ――」侍は頷《うなず》いた、「また御支配がお留守で表むきには計らい兼ねるが、下僕ということでもあるし、それに……いやよかろう、こちらへまいれ」 その侍が先に立って歩きだした。枡形を二つ曲り、石段を幾つも登った。そして台地へ出ると櫓《やぐら》をまわって、こんどは湿っぽい石段を下る、暗くなるほど樹が生い繁って、石段を下りると、蘚苔《こけ》で滑りそうな道になった。 ――四半刻も歩いたろう、やがてやや広い庭がひらけて、一棟の小さな建物の前へ出た。広縁のところに侍が三人ばかりなにか話していた。案内して呉れた中老の人は彼等になにか囁《ささや》き、振返って茂助を招いた。 「ここから上って会うがいい、その部屋の内においでなさる」 こう云って閉めてある障子を指した。――茂助は激しい動悸《どうき》で息苦しくなり、礼を述べて広縁へ上った。殿さまにおめどおりするのだ、みぐるしい恰好では、……衿《えり》を掻き合せる手が震える、髪へ手をやってみて、包を持って、「ごめん下さりませ」と障子際へ手をついた。 「いや構わずはいってよい」中老の侍が後ろからこう云った、「お声はない、――」 茂助はなんのことかわからず、もういちど繰り返してから障子を明けた。 殿さまは寝ておいでなすった、夜具を重ねた上に仰向いて、御病気なのだ。しかし枕許《まくらもと》に白木の台がある、香の煙があがっている、部屋のなかいっぱいに噎《む》せるような香の匂いだ。――そのとき、中老の侍が後ろでこう云った。 「堀田殿は今朝未明に自害をなされた」 「――――」 「気が昂《たかぶ》っておられるので、切れ物はすべてお側に置かなかったのだが、どこでみつけられたものか、鋏《はさみ》の折れで喉《のど》を、……台の上にあるのがそれだ」 茂助は白痴にでもなったように、その言葉を聞き、殿さまのお顔を見ていた。――今朝、夜明けに、では昨日なら間に合ったのだ、夜明け前なら今日でも間に合ったのだ。そんなことを思い、やがてそっと枕許へすり寄った。そして白木の台の上にある鋏の折れを見た、赤く錆《さ》びている、どこかに捨ててあったものだろう、殿さまはそれで喉を、……惘然《もうぜん》とそこまで考えたとき、茂助はとつぜん「あんまりだ」と声を放って号泣し始めた。 「幾らなんでもこんなことが、――上野介さまともあるお方に、錆びた鋏の折れで御自害をおさせ申すなんて、………この世には神も仏もないのか、あんまりだ、あんまりだ」 喉を絞るように叫び、身を揉んで泣いた。終いにはそこへ突伏し、片手の拳《こぶし》で畳を打ちながら泣いた。――だが暫くして、茂助は殿さまのお声を聞いた。 ――もういい、わかっている。 それはいつか果樹畠で、仲間たちに殴られたとき、殿さまのお口から出た言葉である、二十年のとしつきを経て、まざまざとその声を聞いたように思う。茂助は身を起こし、涙を拭いた。それから包をひき寄せ、もうひと膝すり寄った。殿さまは骨のように痩《や》せておいでなさる、頬から顎《あご》へ髭《ひげ》が伸びて、お髪には白いものがまじっている。またこみあげてくるのを抑えながら、彼は包をひらいてそっと白木の台へ載せ、そこへ両手をついた。 「御好物の干柿を持ってあがりました、――殿さま、茂助でござります」 底本:「山本周五郎全集第二十一巻 花匂う・上野介正信」新潮社 1983(昭和58)年12月25日 発行 底本の親本:「小説新潮」 1948(昭和23)年6月号 初出:「小説新潮」 1948(昭和23)年6月号 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
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前ページ次ページ東京都 吉良上野介屋敷(キラコウズケノスケヤシキ)概要 イラスト 場所 口コミ ギャラリー コメント 吉良上野介屋敷(キラコウズケノスケヤシキ) 概要 吉良義央 松之廊下事件の後、呉服橋内から郊外の本所に移転させられたという感じのようだ 吉良(上野介)義央自身も外れに追い出されたと愚痴を綴った私信が残されている 1703 大石内蔵助率いる四十七士に攻められ、義央は討ち取られた イラスト 御城プロジェクト 城姫クエスト 未実装 当初はイベントボスとしてのみの実装だったが、翌年のイベント報酬として実装された 場所 口コミ #bf ギャラリー +... 城姫 { 名前 城姫 開城 吉良上野介屋敷 吉良上野介屋敷弐式 スライドショー « » var ppvArray_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c = new Array(); ppvArray_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c[0] = http //w.atwiki.jp/castle_compare/?cmd=upload&act=open&page=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%2F%E5%90%89%E8%89%AF%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B%E5%B1%8B%E6%95%B7&file=q.%E5%90%89%E8%89%AF%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B%E5%B1%8B%E6%95%B7.png ; ppvArray_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c[1] = http //w.atwiki.jp/castle_compare/?cmd=upload&act=open&page=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%2F%E5%90%89%E8%89%AF%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B%E5%B1%8B%E6%95%B7&file=q.%E5%90%89%E8%89%AF%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B%E5%B1%8B%E6%95%B7_%E9%96%8B%E5%9F%8E.png ; ppvArray_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c[2] = http //w.atwiki.jp/castle_compare/?cmd=upload&act=open&page=%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%2F%E5%90%89%E8%89%AF%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B%E5%B1%8B%E6%95%B7&file=q.%E5%90%89%E8%89%AF%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B%E5%B1%8B%E6%95%B7%E5%BC%90%E5%BC%8F.png ; window.onload=function(){ ppvShow_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c(0); }; function ppvShow_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c(n){ if(!ppvArray_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c[n]){ alert( 画像がありません ); return; } ppv_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c$( ppv_img_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c ).src=ppvArray_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c[n]; ppv_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c$( ppv_link_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c ).href=ppvArray_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c[n]; ppv_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c$( ppv_prev_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c ).href= javascript ppvShow_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c( +(n-1)+ ) ; ppv_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c$( ppv_next_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c ).href= javascript ppvShow_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c( +(n+1)+ ) ; } function ppv_0_94f2c0f325228b4fd05fa04e2236e45c$(){ var elements = new Array(); for (var i = 0; i arguments.length; i++){ var element = arguments[i]; if (typeof element == string ) element = document.getElementById(element); if (arguments.length == 1) return element; elements.push(element); } return elements; } コメント 名前 コメント 城姫
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発端 切腹 討ち入り 参考文献 発端 江戸幕府は、毎年正月に将軍の名代を京都の朝廷に派遣して、年始の挨拶を行うのを慣例としていた。その返礼として3月頃に、勅使と院使が将軍に謁見していた。江戸に来た彼らを接待するために、5万石前後の大名を接待役に任命することになっていた。 1701年(元禄14年)の接待役は、播磨国赤穂藩主、浅野内匠頭長矩《あさのたくみのかみながのり》であった。さらに、高家の吉良上野介義央《きらこうずけのすけよしひさ》が指南役を勤めていた。 3月11日に、勅使たちが江戸に到着した。翌12日には江戸城で将軍と対面し、13日は饗応の能を鑑賞した。14日は江戸城白書院において答礼の儀式が行われる予定となっていた。その答礼の儀式の直前、江戸城松の廊下で内匠頭が上野介に刃傷に及んだ。なお、刃傷の原因は諸説あるが、正確なところはわかっていない。 切腹 吉良上野介の命に別状はなかった。しかし、浅野内匠頭長矩は将軍徳川綱吉に即日切腹を命じられ、刃傷事件から数時間後、愛宕下大名小路にある屋敷に運ばれ切腹している。さらに、赤穂藩は取り潰しになってしまった。 討ち入り 大石内蔵助を頭領とする赤穂浪士47名は、亡君の遺恨を晴らすため、浅野内匠頭長矩の切腹から1年9ヶ月後の1702年(元禄15年)12月14日深夜、吉良邸を襲撃し吉良上野介を殺害した。泉岳寺へ引き揚げた彼らは、亡君の墓前に上野介の首を捧げたのだった。 その後、赤穂浪士たちは幕府に自首した。そして、年が明けた1703年(元禄16年)2月4日、幕府の命によって切腹した。 参考文献 『お江戸探訪「忠臣蔵」を歩く』,ブルーガイド編集部,実業之日本社
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「田舎者のひよっこ獣拳使い共がいくら束になろうともこのムコウア様には勝てぬわ!ほれ、ほれ、立てるものなら立ってみろ!」 【名前】 獣人ムコウア 【読み方】 じゅうじんむこうあ 【声/スーツ】 大林勝 【登場作品】 獣拳戦隊ゲキレンジャー 【登場話】 修行その33「フレフレガッチリ!カンフー忠臣蔵」 【所属】 臨獣殿 【分類】 臨獣拳士/リンリンシー 【獣拳】 臨獣アングラーフィッシュ拳 【得意リンギ】 万禍灯(ひくまんわっとう)突長跳(とっちょうちょう) 【好きな場所】 深い海の底 【好きな食べ物】 小魚など 【好きな言葉】 闇夜の提灯 【生物モチーフ】 アンコウ 【他のモチーフ】 侍 【詳細】 この世に蘇ったリンリンシーの1人。「海の拳魔 ラゲク」の配下。 アンコウを手本とし、提灯の光を利用して有利に戦う臨獣アングラーフィッシュ拳の使い手。 アンコウのような発光器官をフラッシュさせる事で相手の目を眩ませたり、相手の死角に隠れたりする事ができ、吉良上野介に憑依している間に性格がうつってしまったらしく、「忠臣蔵」の吉良と同様に相手の事を「田舎侍」といびる癖がある。 ラゲクの秘伝リンギで江戸時代まで飛ばされたゲキレンジャー、理央、メレを元の時代に返さないために追跡し、双獣刀を奪い、吉良上野介に憑依して足止めを行う。 吉良上野介に憑依して、追いかける侍を始末した所をジャン達に見られ、頭部の提灯から発する強烈な光「万禍灯」で目をくらまさせその隙に退却。 ランは忠臣蔵の歴史を知っており、歴史を変えてはならないと活躍、理央(黒獅子リオ)、メレに見つけられ逃走。 追いつかれゲキレンジャーと光弾やら万禍灯で戦うが、レッドと理央の連携攻撃に追い詰められる。 その直後、双獣刀を飲み込んで邪身豪天変によって巨大化する。 元の時代に帰るのに、一時的に手を組んだ事で誕生したゲキリントージャに万禍灯、さすまたの連続突き「突長跳」で挑み、メレの吊るし切り(複雑な骨の形をしているアンコウを捌くのに使う切り方)でダメージを負い、最期は「激激臨臨斬」を受け倒された(その際に「ラゲクさま~!」と発言。)。 吉良上野介達は眠らされており、戦いを吉良上野介は夢と解釈している。 【余談】 EDで解説をしていた真咲美希が持っていた忠臣蔵の書物には巨大化戦の絵が描かれ、ゲキレンの世界では1つの事実として歴史上に残ったらしい。 モチーフがアンコウなのはおそらく「赤穂浪士(あこうろうし)」と「アンコウ」をかけたもの。 本編において最後の臨獣拳士となり、以後は「幻獣拳」が登場。
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「田舎者のひよっこ獣拳使い共がいくら束になろうともこのムコウア様には勝てぬわ! ほれ、ほれ、立てるものなら立ってみろ!」 【名前】 獣人ムコウア 【読み方】 じゅうじんむこうあ 【声/スーツ】 大林勝 【登場作品】 獣拳戦隊ゲキレンジャー 【登場話】 修行その33「フレフレガッチリ!カンフー忠臣蔵」 【所属】 臨獣殿 【分類】 臨獣拳士/リンリンシー 【獣拳】 臨獣アングラーフィッシュ拳 【得意リンギ】 万禍灯(ひくまんわっとう)突長跳(とっちょうちょう) 【好きな場所】 深い海の底 【好きな食べ物】 小魚など 【好きな言葉】 闇夜の提灯 【生物モチーフ】 アンコウ 【他のモチーフ】 侍 【詳細】 この世に蘇ったリンリンシーの1人。「海の拳魔 ラゲク」の配下。 アンコウを手本とし、提灯の光を利用して有利に戦う臨獣アングラーフィッシュ拳の使い手。 アンコウのような発光器官をフラッシュさせる事で相手の目を眩ませたり、相手の死角に隠れたりする事ができ、吉良上野介に憑依している間に性格がうつってしまったらしく、「忠臣蔵」の吉良と同様に相手の事を「田舎侍」といびる癖がある。 ラゲクの秘伝リンギで江戸時代まで飛ばされたゲキレンジャー、理央、メレを元の時代に返さないために追跡し、双獣刀を奪い、吉良上野介に憑依して足止めを行う。 吉良上野介に憑依して、追いかける侍を始末した所をジャン達に見られ、頭部の提灯から発する強烈な光「万禍灯」で目をくらまさせその隙に退却。 ランは忠臣蔵の歴史を知っており、歴史を変えてはならないと活躍、理央(黒獅子リオ)、メレに見つけられ逃走する。 追いつかれゲキレンジャー達と光弾やら万禍灯で戦うが、レッドと理央の連携攻撃に追い詰められる。 その直後、双獣刀を飲み込んで邪身豪天変によって巨大化する。 元の時代に帰るのに、一時的に手を組んだ事で誕生したゲキリントージャに万禍灯、さすまたの連続突き「突長跳」で挑み、メレの吊るし切り(複雑な骨の形をしているアンコウを捌くのに使う切り方)でダメージを負い、最期は「激激臨臨斬」を受け倒された(その際に「ラゲクさま~!」と発言。)。 吉良上野介達は眠らされており、戦いを吉良上野介は夢と解釈している。 【余談】 EDで解説をしていた美希が持っていた忠臣蔵の書物には巨大化戦の絵が描かれており、ゲキレンの世界では1つの事実として歴史上に残ったらしい。 モチーフがアンコウなのはおそらく「赤穂浪士(あこうろうし)」と「アンコウ」をかけたものだと思われる。 本編において最後の臨獣拳士となり、以降は「幻獣拳」が登場。
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一 「若菜《わかな》、予《よ》は久し振りに屋敷に落着いて、のびのびといたしたぞ。良い心持じゃ」 師走を前触れする町の慌しさも知らぬもののように、ここ本所松坂町の吉良左兵衛《きらさひょうえ》の屋敷では、今しも寒さに意気地のない隠居の上野介《こうずけのすけ》が、愛妾の若菜を傍に侍らせたまま、まだ頭上に日が高い真ツ昼間から酒盃《さかずき》を傾けていた。 丁度一年余りというもの、上杉家の上《かみ》、中《なか》、下《しも》の三屋敷と、わが屋敷との間を絶えず往復し続けて、腰の温まる暇もなかった上野介に取っては、この感慨めいた言葉も無理からぬことだった。 「矢張りわが屋敷に超《こ》したことはないの」 「大殿様には、何ゆえお屋敷にお落着遊ばして、お寛《くつろ》ぎなさらないのでございます」 今年《ことし》十九歳のあでやかな姿を擦り寄せた若菜は、銚子を傾けて満々《なみなみ》と酌をしながらこう訊《たず》ねた。 「そちゃ、予が居らぬと寂しいかの」 脂粉の香に鼻を擽《くすぐ》られた上野介は、俄《にわか》に相好《そうごう》を崩して若菜の方へ頸を捻《ね》じ向けた。 「はい。――大殿様の御不在の間は、御家老の小林様や、若殿付の山吉様のお眼が、何んとのうわたくしに、辛うお当りなさるように思われてなりませぬ」 「はツはツは。平八郎や新八郎がなぜ恐い。二人共予の家臣じゃ。そちが恐れることはないではないか」 「でも、小林様は奥様付、山吉様は若殿様付と、どちらも上杉家からのお付人。――上杉家からお越しの方々は、大殿様の御寵愛を頂きまするこの若菜を、きっとお憎しみでござりましょう」 「それはそちの気のせいじゃ。両人に限って、そのようなことのあろう道理はない」 「でもわたくしは、何んとのう遠慮にございます。――それと申しますのも、大殿様が御不在がちゆえ。なろうことならこの後は、上杉家へお出で遊ばすのはお止《や》め下さいまして、こうしてお傍に居させて頂きとう存じまする」 「予も出歩きとうはない。しかし兵部《ひようぶ》が承知いたさぬのじゃ。予が常時屋敷に居ることが知れて、もしもの事があっては、取返しがつかぬと申し居っての」 「もしものことと仰せられまするは――」 「それ、例の浅野の浪人共のことじゃ」 上野介は憂鬱そうに顔を顰《しか》めた。 「まア大殿としたことが。――浅野様の御浪人が何んとやらと、噂のありましたのは、この若菜が御奉公に上りました時分。もはや二年近くも前のことではございませぬか」 「それがなかなかしつこく、近頃は多勢《おおぜい》江戸へ入込んで、折を窺い居ると申すのじゃ」 「何んぞ証拠があってのことにございまするか」 「別段証拠とてもないが、左様兵部が申すのじゃ」 すると若菜は、突然声を上げて笑った。 「ほほほほ」 「これ若菜。何がおかしい」 「でも千坂様ともあろうお方が、ちと御要心《ごようじん》が過ぎて、臆病風に吹かれて、おいでなさるのではございませぬか。浅野様の御家来に限らず、武士が浪人すれば、追々に江戸へまいりますのは当り前のこと、仕官の道を求めるのは、江戸より外にございませぬ。それを何か履き違えて怖がり遊ばすとは、千坂様にも似合いませぬこと。それもただお恐れなさるだけならまだしも、お屋敷にも落着いてお在《い》で遊ばせぬ程、大殿様に御苦労をお掛けなさるとは、念が入り過ぎて、ちと、御不念《こぶねん》かと存じまする」 「うむ、予もそのように思わぬではない」 眼に入れても痛くない若菜の口から、もともと煙たい兵部が、理詰に非難されているのを聞いていると、上野介は何んとなく愉快にならずにはいられなかった。 しかも若菜は艶《えん》を含んだ眼で、絡《から》みつくように媚《こ》びを見せた。 「もしもそれが為めと仰しゃいますなら、若菜はこの後大殿を、お独りで上杉家へお放し申しはいたしませぬ」 躍起になってこういう若菜を、上野介は如何にも愛らしさに耐えぬもののように、さも満足気に見遣《みや》った。 「ただのう、兵部が綱憲《つなのり》殿に申上げて、綱憲殿から迎えを寄越させる。親の予の身を気遣われる綱憲殿の孝心を思えば、予も無下《むげ》に拒むわけにはまいらぬのじゃ」 「では大殿は、浅野様の御浪人の兎角《とかく》の噂に、何んぞ後ろめたいお思召しがおあり遊ばして、上杉のお殿様のお心遣いに、お従い遊ばすのでございますか」 「ええ滅相な。予には一向、浪人共から怨《うら》まれる節はないのじゃ。殿中で不意に浅野内匠が、予に斬りつけたのも、何んの宿意あってのことか、予には一向に解せぬ。当時予はお勅使饗応役の浅野を、何かと指南いたして遣わしたが、あの何事も弁えぬ田舎大名は、手違いばかりいたし居って、おのれの不覚を棚に上げ、予の指図のせいだと逆怨《さかうら》みをいたしたのじゃ。それが証拠に、公儀におかせられては、あの通りの公明な御裁断を下された。それにも拘らず、浪人共が兎や角申して、予を怨むなどとは以ての外じゃ」 「御尤もにございます。浅野様の御浪人とて、物の道理を弁えて居りましょうゆえ、必ずその辺の事は存じて居りますに相違ございませぬ。殊に江戸は畏れ多くも上様のお膝元、そのお膝元で事を構えては、どのようなお咎めがあろうも知れませぬ。その上御当家は、紀州家と御因縁《おんちなみ》がございますれば、恐れながら上様とも御縁続きの御間柄、如何程浪人衆がお上の御威光を忘れましても、御当家へ手出しが成るか成らぬかは、判り過ぎる程明らかなことでございます。それをただ噂だけを耳にして、大殿のお身に御苦労をお掛けなさるは、勿体のう存じます」 うむ、うむと頷きながら聞いていた上野介は、愈々満悦の態であった。 「そちゃそれ程に予の身を思いくれるか」 「はい、いつぞや不意に千坂様がお見え遊ばしました折、わたくしはきついお叱りを受けましたが、今度お出で遊ばしましたら、ちと嗜《たしな》めてお上げ申しまする」 「はツはツは。これはえらい権幕じゃ」 「千坂様のなされ方は、大殿様の方に何か引け目がおあり遊ばして、身を避けられるように見えまする。このようなことが続きましては、御当家の御威信にも拘りましょう。また大殿様を悪者にするような致し方は、世間態も悪うございます。それよりお屋敷にお落着き遊ばして、大殿様にお引け目のない御態度を、堂々とお示しなされますことが肝要かと心得まする」 「うむ、そちの申すことは一理ある」 若菜の言葉を聞いているうちに、まったくこの一年来、兵部の意見に引摺られて、無意味に逃廻っていたおのれの姿が、みじめにさえ思えたのであろう。上野介は真顔になって、こう深く頷いた。 「然らば若菜、かようにいたそう。裏面はともかく、表向は綱憲殿からの招きであってみれば、無下には断われぬ。それゆえ、近く歳暮納《せいぼおさ》めの茶会を催すのを云い立てに、その準備のため当分は屋敷を出られぬと云うてやるのじゃ。それが済めば済んだで、歳末《さいまつ》のこと。また何とか口実が見つかろう。そうこういたすうちに年が明ければ、何とはなしに屋敷に落着けると申すものじゃ。のう、それがよいではないか。予も出歩くのはもはや大儀じゃ」 「はい、そうして頂ければ、わたくしもどのように嬉しゅうございましょう。それでは納めのお茶会は、何日にお定《き》め遊ばしまする」 「そうじゃな。来月十日頃にでもいたそうか」 「大殿様、わたくしが津軽家の御用人様のお口添えで、お屋敷へ御奉公に上りましたのは、五月の六日でございました。今の仕合せな身の上を思いますると、六日という日が忘れられませず、毎月心祝いをいたしておりまする」 「うむ、左様か。然らばそちの心祝いの日に定めて取らそうかな。日取り決定の上は、誰よりも先ず四方庵と大友近江守へ通知いたさねばならぬの」 「お嬉しゅう存じまする。では早速|春斎《しゆんさい》に申付けまして……」 上野介の気の変るのを惧《おそ》れでもするように、若菜は急いで傍《かたわら》の振鈴を取り上げると、二つ続けて軽く鳴らした。 すると恰も呼ばれるのを待構えてでもいたように、茶坊主の春斎が右手の襖から現われた。 初冬には珍らしい暖かい陽《ひ》が障子を射て、縁には鶯の囀りが高かった。 二 「お鶴様。浅野様の御浪人が、御当家の大殿様を付け狙っているというのは、まことでござりまするか」 いきなり、十五歳になる愛嬌者《あいきょうもの》の茶坊主春斎からこう問いかけられた若菜付の侍女鶴は、ぎょツとしてその美しい顔を振り向けた。 「春斎殿は、なぜそのようなこと訊《き》きやるのじゃ」 「でも今し方、大殿様とお部屋様のお話を、立聞いたのでございます。大殿様はちっともお悪くないのに、浅野様の御浪人は、大殿様を逆怨みしているのだそうでございますねえ」 「まア。……」 「お部屋様もそのように申されておいでになりました。それで大殿様は、御自分が悪くないのをお示しなさるために、この後はお屋敷をお出ましなさらないそうでございます」 「そんなにまで、浅野様の御家来が、狙っていると仰しゃっておいででしたかえ」 「はい。上杉様の千坂様が、大層御心配とのことにございました。浅野様の御浪人は、悪い人達でございますねえ。お鶴様は何んとお思いなさいます」 「まったくわたしも、悪い人達だと思いますよ」 「もしも御浪人が、御当家へ乗込んで来たら、お鶴様は何んとなされますね」 「乗込んで来たとて、お屋敷には沢山警護のお方がお出で遊ばすゆえ、心配はいりますまい」 「わたくしは、浪人共が、奥の方へ這入って来ましたら、きっと大殿様をお護り申して、戦って見せる覚悟でございまする」 「まア春斎殿は、お武家様でもないくせに。……」 「たとえお坊主でも、殿様にお仕え申せば、お侍と同じこと。春斎とても忠義の道は心得ておりまする。――おおそれよりもお鶴様、来月六日には、納めのお茶会をお催しなされることになりました。おかげで、大殿がお屋敷にお在で遊ぼすと、また忙しいことでございます」 いたずらそうな眼をくるりと動かして、笑いながら春斎は走り去って行ったが、鶴は憂鬱にならずにはいられなかった。 それもその筈であろう。鶴は隠密としてここの屋敷へ入込んでいる、赤穂の浪士岡島八十右衛門の妹だった。亡君泉下の妄執を晴らさんとして、臥薪嘗胆《がしんしょうたん》二ヶ年の苦を忍びながら、機《おり》を窺っている尽忠《じんちゅう》の人々を悪人と云われても、弁解が出来ないばかりでなく、純真な少年の心に誤りが植え付けられたのをまざまざと見ながら、真実を語って聞かせてやれないのが、堪《たまら》なく鶴の心を滅入らせた。 部屋の外には、今まで赤々と映えていた早い冬の日脚が陰って、屋内には既に夕暗がたゆとうていた。行燈《あんどん》の仕度をしようとして立上った鶴は、折から急いで部屋へ入って来た若菜を見た。 「鶴、そこにいやったか」 「はい」 つと傍へ寄添って来た若菜は、急に声を潜《ひそ》めた。 「お鶴様、大殿は今お湯殿へ行かれました。お喜びなされませ。きょうは様々《さまざま》に云いくるめて、この後上杉家へはお出で遊ばさないことに定《き》まりました。それに、来月六日は、十時《よつ》から歳末納めのお茶の湯の朝会が決まりましてございます。さすれば他の日は兎も角も、五日夜から六日へかけての、御在邸は狂いますまい。御苦労ながらこの由を手紙《ふみ》に認《したた》めて、明朝津軽屋敷の大石|無人《ぶじん》様まで、お届けなされて下さりませ」 「心得ましてござります。何かとお骨折り御苦労に存じまする」 「それにつけても、大殿が外へお立出にならぬとなれば、この後あなた様とも、落着いてお話し申す暇はなくなりましょう。変った事があれば、隙《すき》を見てお知らせいたします程に、お抜かりなくお勤め下さりませ」 「わたくしの方は、大丈夫でございます。あなた様こそ御苦労ながら――」 「どうやら大殿のお心も、余程|緩《ゆる》んで油断が出来ている様子。この後は何かにつけて、好都合でございます。――それにしてもお鶴様。これから先は昼夜を分たず、現在|怨敵《おんてき》の戯れを受けるのかと思えば、この身が竦《すく》むように情けのうございます」 若菜はこういって、不意に涙の差しぐんで来た眼を袖で押えた。 「御無念のほどはお察し申しますが、もはや長いことではございますまい。先達ての大石様のお話では、御城代様も、もはや平間村から江戸へお這入《はい》り遊ばしましたとのこと。殊によれば五日六日の機《おり》を脱《のが》さず、御本懐をお達しなされましょうも知れませぬ。毎日大石様の許《もと》へお通いなされますお兄上毛利様も、あなた様のお働きを、お喜びなされておいでになる由にございます」 「では、大石様の許へは兄小平太が……」 「はい。お兄上が、その役目をお受持にて、毎日こちらからの報《しら》せを尋ねにお出で遊ばすのでございます」 若菜の眼許《めもと》には、一条の光に照らされたような明るい微笑が、夕《ゆうべ》の薄闇のなかに仄白《ほのじろ》く浮び上った。 「お鶴様、兄が皆様と御一緒に、このお屋敷へ討入の日が、どのように心待たれるか知れませぬ。この望みがあるばっかりに、わたくしは死ぬ程辛い目を忍んでいるのでございます」 「御辛抱《こしんぼう》下さりませ。お喜びの日は、もはや眼の前に迫ったも同様でございます」 若菜は慰められて、漸く心を取直した。 「ではわたくしは、あちらへまいっておりまする。報せの手紙《ふみ》のことは御用心遊ばして……」 「大丈夫でございます」 上野介の愛妾若菜は、実は毛利小平太の妹絹……。薄闇の中を出て行く、その若菜の後ろ姿を見送って、鶴は、ふと眼頭の熱くなるのを覚えた。 三 待ちに待った師走六日の納めの茶会は、計らずもその前日の五日、将軍家が、御側用人松平右京太夫邸へ御成という、不慮の故障に妨げられて延期となったが、若菜が懸命の努力|空《むな》しからず、吉例の煤《すす》払いの翌十四日と再決定されて、滞《とどこお》りなく準備は進められた。 当日の朝は、まだ前日からの雪が、思い出したようにちらついていたが、幸い招客の繰込んで来る午《うま》の刻には、からりと晴れ上って、師走らしい冴えた空模様と変っていた。 それがために大友近江守をはじめ、十人からの招客は一人の故障もなく、駕籠を吊らせて次々に繰込んで来た。鶴も春斎も、他の家臣や女中達と同様、朝から眼の廻るような忙しさだった。格別用の有りそうにも思えぬ若菜までが、何くれと指図する用事が湧いて、落着いてはいられなかった。従って若菜と鶴とは、言葉を交わしている暇もなかった。 やがて茶の湯も終って、お道具拝見となり、上野介自慢の珍宝什器《ちんぼうじゅうき》に客が感嘆の声を放つ頃には、夕影の立って来た庭に、降り積った雪のみが白々と寒かった。 屋内にも、庭の燈籠にも灯が点《とも》されて、座敷には料理が並び、酒宴の支度が整っていた。 主客共に盃を手にすると、はじめて吻《ほっ》と寛いだ心になって、漸く年忘れの会らしい宴席が開始された。わけても日頃気難しい上野介は、人が変ったかと思えるくらいに機嫌がよく、客の旗本の一人に続いて、常にもなく謡曲の一くさりを謡ったりした。 かくて歓《かん》を尽した客が腰を上げたのは、もはや初更《しょこう》も過ぎた頃だった。 上野介はそのまま若菜を連れて居間へ退いたが、家臣や女中が後片付を済せ、戸閉りをしたのは既に亥の刻も過ぎて、一同へとへとに疲れ果てていた。 長屋へ下った者は勿論、奥の女中達は横になるや否や、前後不覚に正体もなく寝込んでしまった。 宿直《とのい》の武士さえ酒気と疲労に居眠りを続けて、雪に化粧された地上の物象を、清らかに照らすこの夜の月を仰いだのは、僅かに表門と裏門の門番だけだった。 こうして吉良邸全体が、疲労の底に眠り果ててしまった寅《とら》の上刻過ぎ、小玄関の次の間に寝ていた十五歳の茶坊主春斎は、ふと戸を蹴破る音に眼を覚ました途端、誰やらが「火事だツ」と叫ぶ声を耳にした。 「えツ、火事」 驚いた春斎は、がばとばかりに飛び起きた。 すると更に続いて聞えて来た声は、もはや屋内に起っていた。 「これは播州赤穂の遺臣、主君|内匠頭《たくみのかみ》の遺志を継ぎ、上野介殿の御首級所望のため推参《すいさん》いたした。上野介殿はいずれに在《おわ》すや。見参《けんざん》見参」 それを聞くや否や、春斎は襖を押開きざま、勝手知った暗闇の廊下を、仔猫のように素速く上野介の寝所へ駈け着けた。ぎょツとするよりも先に、悪人が大殿様を殺しに来たという意識が、電光の如くに閃《ひら》めいたのであった。 「大殿様、大殿様――」 春斎は忙しく声をかけたが、返答がないと知ると、無茶苦茶に襖を叩いた。 「誰じゃ」 それは若菜の声だった。 「お部屋様、一大事にござります。浅野様の悪人共が、大殿様をお討取り申すと云ってまいりました」 「えッ」 「春斎、そ、それはまことか」 若菜の驚愕《おどろき》の声に続いて、上野介の上ずった狼狽の声が聞えた。 「あれあれ、あの通り暴《あば》れて居りまする」 「うむ、そちが第一に知らせにまいった。天晴《あっぱ》れ忠義者じゃ。急いで長屋の浪人部屋へまいり、清水一学をはじめ、 一同を起してまいれ」 「はい、心得ましてござります」 春斎はおのが身に危険を感じるよりも、忠義者と云われた言葉に英雄心を刺戟されて、聊《いささ》か得意にさえなっていた。 再び廊下を幾曲りして、側玄関の方へ近づくに従って、既に間毎《まごと》に灯が点り、物音はますます凄じく、人の叫びを加えて高まっていた。 春斎が元の部屋の前まで来掛かると、襖を開け拡げた室内には蝋燭が点って、袖に白布の縫取りをした、黒装束の異様な風態の武士が、どきどぎするような抜身の槍や刀を提げていた。 飛鳥の如くその前を通り抜けようとした春斎は、いきなり背後《うしろ》からむんずとばかりに襟頸《えりくび》を掴まれて、部屋の中へ引摺り込まれた。 「坊主、上野介殿のお居間はいずれじゃ。一命は助けて取らすゆえ、案内いたせ」 薙刀《なぎなた》のような大太刀を突いた武士がこう荒々しく云った。 「手前は知らぬ」 「なに、知らぬ。坊主が主人の部屋を知らぬ筈があるか。申せ、申さぬと、一命は助けぬぞ」 「いらぬ、命など惜しゅうはないわ」 「ええ、子供の癖に強情な奴め」 突き飛ばされてよろめいた春斎は、忽《たちま》ちおのが寝ていた蒲団《ふとん》の上へ尻餅を突いたが「やい、何をする」と云いざま、立上るなり傍にあった煙草盆を取って、颯《さっ》と三人の武士の中へ投げ込んだ。 「ええツ、手向い致すか」 武士の一人はこう叫んだが、辺り一面の灰神楽《はいかぐら》で、暫しは互いに顔さえ見分けることが出来なかった。 この間に春斎は、火箸《ひばし》やら鉄瓶《てつびん》やら湯呑やら、周囲にあり合う物を手当り次第に取っては投げつけた。 義士達はさすがにこの少年を持て余して、飛び来る器物を払い落していたが、しかも春斎は何んとなく、相手が少年のおのれを斬ろうとせぬ気配を見て取ったのであろう。なおも盲目滅法《めくらめつぼう》な抵抗を試みた。 「要なき小坊主に手間取っては不覚じゃ。各々《おのおの》奥へ」 遂に春斎を持て余したのであろう。義士達はそのまま逃げるが如くに廊下へ飛び出した。が、今は死物狂いに興奮した春斎は、灯の点いたままの燭台を振り翳《かざ》して、後から一人の武士に打ってかかった。 その瞬間、春斎の背後《うしろ》へ踏込んで来ていた別な一人の武士が「ええ面倒な」と叫ぶや否や、ざくりと春斎の肩口へ一刀を浴せた。 「わッ」と悲鳴を上げた春斎は、もんどり打って廊下へ俯伏《うつぶ》したが、斬られたと覚えた途端に、上野介の命《めい》を思い出したのであろう。 「し、清水様ア……」と叫んで手足をぶるぶる震わしながら息絶えた。 思わず三人の武士は立停って振り返った。 「寺坂、不愍《ふびん》なことをいたしたの」 「哀れに存じましたが、致し方がございませぬ」 「うむ、吉良家には惜しき坊主じゃ」 義士達は等しく、片手|拝《おが》みにこの勇敢な少年の冥福を祈った。 この時、矢張り長屋の浪人部屋へ報らせに行くとおぼしく、宿直の武士が三人、追取り刀で廊下を駈出して来たが、義士達の姿を見ると、はツと立竦《たちすく》んだ。 これを見るや、義士達は忽ち身を翻《ひるがえ》して突き進んで行った。 四 一方、寝床の上に起き上った上野介は、白無垢《しろむく》の上に若菜が衣類を着せかける間も、歯の根が合わないまでに、がたがた顫《ふる》えていた。 「こ、これ、若菜。い、いずれへ匿《かく》れたがよいの。宿直の者は如何《いかが》いたした。し、清水一学はいまだまいらぬか」 若菜も異様な戦慄を覚えていたが、もとより上野介の恐怖とは正反対の、一年余に亘《わた》る屈辱が、一挙に取返せる歓喜のそれだった。 「大殿様、大丈夫でございます。皆様でお防ぎなさいますのに、ここまで踏み込んでまいります筈はござりませぬ」 「そ、それでもあの通り、だんだん物音がひどくなるではないか」 「でも、皆様はこの御寝所を、お護りなされましょう。ここをお立出で遊ばすのは、却ってお危うございます」 若菜は出来るだけ上野介の行動を、静止させようと努めた。こうしている間も兄小平太が真先に駈け着けて、この怨敵に初太刀をつけ、操《みさお》を蹂躙《じゅうりん》された妹の無念と屈辱を、一挙に晴らしてくれればとの、希いと期待に胸をときめかせていた。 「矢張り兵部は偉い。兵部は今宵を見越して居ったのじゃ。誰ぞ、上杉家へ注進いたしたであろうな――はて、いまだに誰もこれへは、まいりおらぬか」 こう上野介が焦々《いらいら》と口走った刹那だった。はるか隔った縁側の雨戸をがたりと揺すって、ぶすツと矢の突立った音が響いた。すると上野介は脅え上って、思わず褥《しとね》から畳の上へ飛下りた。 「若菜。ここにいては危い。家臣の者が誰もまいらぬうちに、もしも浪人共が踏込んでまいったら何んとするのじゃ。さ、何を愚図愚図いたして居る。速う予を安全な場所へ連れてまいらぬか」 上野介は若菜の手を把《と》って、無理に襖の方へ引張った。 今はこれまでと思った若菜は、遂に寝所を立出でると、反対に上野介の手を引張って先に立った。 「兄に遭えますように、……小平太がまいりますように……」 若菜は心の中でこう念じ続けた。 「こ、これ若菜。いずれへまいる。そちらへ行っては、物音が近くなるではないか」 上野介は元来た方へ、慌てて若菜を引張った。 折から長屋へ乱入した義士達を相手に奮戦して、血路を開いて駈け込んで来たのであろう。抜き放った白刃を提《ひっさ》げたまま、廊下を近付いて来たのは清水一学だった。 「大殿、大殿ではござりませぬか」 「お、一学か」 「御安泰祝着に存じまする。さ、少しも速う」 声を潜めた一学は、いきなり上野介の手を把った。 上野介も一学の顔を見て、蘇生《そせい》の思いをしたのであろう。そのまま若菜のことは忘れた如く、一学と共に立去ろうとした。 「あれ、大殿様――」 若菜が追縋《おいすが》ろうとすると一学が遮《さえぎ》った。 「お部屋様、浪士共は女子供に目をくれるなと申して居りますれば、お居間へお引取り下されましょう。御一緒ではいざという時、働きがままになりませぬ」 そのまま一学が上野介を導いて行く後へ、更にまた一人。「大殿」と呼びながら追縋って来たのは、用人の大須賀治郎右衛門だった。 若菜はそのままおのが居間へは帰らず、ひそかに上野介の後を尾けた。すると台所へ這入って行った一学は、奥の方の物置の戸を押開けた。 「大殿、恐れながら火急の場合、暫しこの中にて御辛抱下さりませ」 やがて大須賀治郎右衛門共々、三人は物置の中へ這入って、ぴたりと戸を閉してしまった。 それを見届けた若菜は、急いで寝所まで引返すと、隣室の寝所と接した襖の影へ屏風を引寄せて、その後へ忍んだまま息を殺していた。 出て行って、同志の人々に出遭い次第、上野介の隠れ場所を告げることは易かったが、若菜の最後の希いは、依然兄小平太を求めて歇《や》まなかった。上野介に操まで奪われた妹が、邸内にありながら、怨敵に初太刀さえも着け得なかったと云われては、兄の面目に拘わるであろう。――殊にそれにも増して、兄は妹の身を儘にした上野介へ、怨みの刃《やいば》を酬いたいであろう。 思えば上野介を一刺《ひとさし》にする機会は、毎夜の如くに続いた。しかもそれに耐えて今宵を迎えたのは、兄の名誉によって、妹の屈辱を取戻して貰いたいという、唯一つの希いのために外ならなかった。兄が来るまで、せめて兄小平太の声が聞えるまで。―― そう思って若菜は、じツと身を潜めながら、やがて寝所を目がけて押込んで来るに相違ない同志の人々を、別けても兄小平太を待受けた。 五 清水一学は三村次郎左衛門、紅埴源蔵《あかはにげんぞう》、潮田又之丞《うしおだまたのじよう》の三人に、大須賀治郎右衛門は堀部安兵衛に、それぞれ斬り倒されて台所へ死屍《しし》を横たえた後、薄明の邸内に高々と鳴り渡った呼子《よぶこ》の笛に続いて、参集した義士一同の面前に於て、遂に上野介は討取られた。 歴々《ありあり》と背中に残る亡君怨みの刀痕を験《しら》べた時、眼《ま》のあたり生きた紀念《かたみ》に逢った如く、一同はせぐり来る涙を抑え兼ねて、声を放って泣いた。 が、それとは異る悲しみの涙が、時を同じくして流れていたことを人々が知ったのは、本懐遂げた歓びに凱歌を奏して、将《まさ》に引揚げようとした時だった。 台所を立出《たちい》でた内蔵助は、そこの廊下に泣き沈んでいる鶴の姿を、薄明りの中に見出した。 「おお、鶴どのではないか」 「御城代様――」 「永の月日、いかい御苦労をおかけいたしたのう。その甲斐あって今日唯今、首尾よう本懐を遂げ申したぞ。お喜び下され。これと申すも、お身達の働きに負うところ多うござる。内蔵助一同に代って、厚く御礼申すそ。――して、絹どのは如何いたされたの」 「は、はい。そのお絹様が……」 「なに、絹どのが」 「兄上毛利小平太様の御一列ではござりませぬのを、裏切者の妹になったとお嘆きなされ、御自害なされましてござりまする」 「そりゃ絹どのには、自害とか。……場所はいずれじゃ。御案内下され」 「はい……」 鶴が悄然《しようぜん》と導いたのは、上野介の寝所だった。 見れば畳は朱に染んで、待ちに待った兄に裏切られた若菜が、見るも無惨な姿を横たえていた。 「小平太の不信ゆえに、不愍《ふびん》なことをいたした……」 内蔵助は暗然と涙を呑んだ。 「たとえお身の兄小平太は、不信の徒《と》となるとも、お身が心身を賭《と》しての働きは、今日我等一統、亡君の妄執《もうしゅう》を晴らし奉る喜びへの、立派な導きにござったぞ。我等無事に泉岳寺へ引揚げ、亡君の御前に吉良殿の御首級《みしるし》を供え奉るに於ては、御身の忠節、功績の程、誓って言上仕る。――絹どの、後より我等も参り会すなれど、御冥福を祈り申すぞ」 内蔵助の惜別《せきべつ》の言葉に続いて、人々は暫し熱い涙の眼を閉じて冥福を祈ったが、若菜の骸《なきがら》の傍に坐した鶴の歔欷《すすりなき》の声が、次第に強くなりまさって行った。 × × × やがて裏門のほとりに打鳴らされたは、引揚合図の銅鑼《どら》の音《ね》だった。左兵衛を探すために今一度と、八方に散った人々も、遂に諦めて裏門際へ馳せ集って来た。 折から明け渡る黎明《れいめい》の色に、塀越しの土屋邸の高張提燈の灯影は淡かったが、なお厳重な警戒を続けている様子だった。 これを見るなり、原惣右衛門と片岡源五右衛門の両士は、つかつかと雪を踏んで塀際へ歩み寄った。 「我等浅野内匠頭の遺臣、只今上野介殿の御首級《みしるし》をあげ申してござる。一党四十七人、毛頭《もうとう》逃げ匿《かく》れ致す所存はござらぬ」 惣右衛門が凜然《りんぜん》と云い放てぼ、源五右衛門がそのまま後を受けて呼ばわった。 「追付け公儀へ訴え出《い》で、御裁断を相待つ所存にござれば、何卒御安堵の上固めをお解き下され。御騒動相掛け恐れ入り申してござるが、失礼ながら塀越しに御挨拶仕る――」 この隣家への挨拶によって、人々ははじめて成すべきことの終ったのを、はツきりと意識したのであろう。抑《おさ》えても抑え切れぬ感慨が胸に満《み》ち充《み》ちて、互いに見交《みか》わす微笑の眼には、静かな涙が浮んでいた。 名打《なう》ての弓取りたる早水藤左衛門は、この時邸内を振返って声高々と最後に叫んだ。 「我等上野介殿を討取って、唯今|立退《たちの》き申すところでござる。我れと思わん方々はお出合いなされい。――斯《か》く申す早水藤左衛門満堯《はやみとうざえもんみつたか》、一箭《ひとや》仕る――」 兵《ひよう》と切って放った箭《や》は唸《うな》りを生じて、家老小林平八郎の長屋の雨戸に突き立った。 それを合図に満邸《まんてい》寂《せき》として声なき中を、一党の人々は粛然《しゅくぜん》と裏門を後にした。 校正に使用した本「忠臣蔵コレクション1 本伝篇」河出文庫、河出書房新社 1993年12月6日初版発行
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伝説上の人物についても含んでおく。 17世紀生まれ 吉良上野介(1641年) 18世紀生まれ ナポレオン・ボナパルト(1769年) 19世紀生まれ 近藤勇(1834年) アドルフ・ヒトラー(1889年) 生年不明 沖田総司 【関連するページ】 アドルフ・ヒトラー ナポレオン・ボナパルト 吉良上野介 沖田総司 登場人物 近藤勇
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赤穂、関西、関東以外の忠臣蔵ゆかりの地を紹介します。 東北地方 【岩手県一関市】 田村家領地 一関藩主田村右京大夫の領 江戸愛宕下屋敷に内匠頭を預かり、幕命により切腹させた。 祥雲寺 田村家菩堤寺。右京大夫の墓がある。 姉妹都市友好推進一関市協議会が昭和63(1988)年建立した浅野内匠頭の供養塔がある。 【宮城県仙台市】 実相寺 寺坂吉右衛門と伝えられる墓がる。吉右衛門は討入後一党と別れ、理海慈宝と称してこの地で衆生済度に努めたと伝える。 【山形県米沢市】 上杉家領地 米沢藩上杉家4代綱勝が急逝したとき、妹、三姫の夫吉良上野介の長男を世継ぎに迎え、お家断絶の危磯を脱した。 【福島県会津若松市】 山鹿素行生地 「山鹿素行先生誕生の地碑」は、東郷平八郎の書で昭和元(1926)年に建立された。素行は江戸時代の需学者・兵学者で、 承応元(1652)年から万治3(1660)年まで赤穂城主浅野長直に千石で召しかかえられた。また、寛文5(1665)年 に「聖教要録」で朱子学を批判したため幕府のとがめをうけて赤穂に流され、長直に寛文6年から延宝3(1675)年まで の9年間お預けとなった。 中部地方 【長野県諏訪市】 法華寺 吉良左兵衛の墓がある。6月第1日曜日に供養祭が行われる。 【愛知県吉良町】 吉良家領地 ご存じ吉良様領地 愛知県の中南部、幡豆郡に位置する町である。吉良の名は八ツ面山(やつおもてやま)に産する雲母(きらら)から。 中世の領主は、足利氏族の東条吉良氏であった。 華蔵寺 近世吉良家の菩提寺。上野介の寄進した鐘、上野介50歳の塑像、その他上野介の遺品を蔵している。 花岳寺 中世東条吉良家菩提寺。吉良家の古文書がある。 ※現在開設に向けて準備中。しばらくお待ちください。 ページトップへ このページにアクセスした数・・・ 合計のアクセス数: - 今日のアクセス数: - 昨日のアクセス数: - オンライン中:- ページトップへ
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携帯画像 ペリリン オグリン 都道府県 神奈川県 肩書き よこすか開国祭イメージキャラクター 解説 日本を開国に導いた「ペリー提督」と横須賀の発展に貢献した「小栗上野介」をモチーフにしたキャラクター。デザインしたのは、小栗上野介の直系の子孫にあたる漫画家の小栗かずまた氏。 攻略難易度 ★★★★★難。横須賀市のイベントにて。 名刺の有無 ? 狙い目イベント イベント情報