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ソンサク 列伝 孫堅の長男。孫権の兄。妻は大喬。呉の長沙桓王。 【演義】 父と共に劉表軍と戦い、父が死ぬと袁術に玉璽を譲り兵を得る。江東に侵出して劉繇、厳白虎、王朗らを討ち、「江東の小覇王(覇王とは項羽のこと)」と呼ばれた。後に袁術から独立し、曹操に匹敵する勢力を築く。しかし、曹操と内通したため討った許貢の食客に襲われ負傷。後事を弟の孫権、義兄弟の周瑜に託して死んだ。 【正史】 袁術の庇護下で、「呉の四姓」陸康を討ち、江東の名士層と対立。孫権と陸遜(陸康の同族)の和解で決着するが、以後も呉では皇帝と臣下の対立が頻発する。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 92 92 69 70 92 415 184 253 順位 9 14 260 238 10 11 6 13 偏差値 65.6 64.9 55.0 56.1 67.2 69.3 66.0 67.2 成長期 早熟 早熟 早熟 早熟 早熟 - - - 能力持続 長い 長い 長い 長い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 S A B S A S 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 97 97 83 95 70 74 106 92 83 70 92 87 順位 5 7 24 22 25 42 8 3 6 14 2 4 偏差値 71.8 72.6 67.7 68.1 64.9 64.3 71.4 73.0 70.7 69.6 75.4 75.7 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 勇将 自分より武力の低い敵部隊への全戦法成功時クリティカル マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 125 揚州 能力 中華統一 無頓着 4/5 4/5 2/3 175 189 200(26歳) 不自然死 猪突 猪突 豪放 顔グラの変更は26歳。 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫策 親愛 周瑜、孫尚香、大喬、太史慈 項籍、周瑜、孫皎、孫尚香、孫翊、大喬、太史慈、張紘、張昭 嫌悪 劉勳 陳矯、于吉 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 イベント イベント名 内容 孫策出陣 opイベント 小覇王孫策 周泰、蒋欽、陳武、董襲、凌操仕官 二張推挙 張昭、張紘仕官。プレイヤー君主が孫策の場合は舌戦が起こらない 二喬婚礼 孫策と大喬、周瑜と小喬がそれぞれ夫婦になる 孫策の死 舌戦が発動。勝つと孫策の寿命が延びるが、負けると死ぬ シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 10歳 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 16歳 一般 長沙 孫堅 120 奮威校尉 2000 - 周瑜 S3 194年 6月 群雄割拠 20歳 君主 廬江 孫策 - - 10000 - 周瑜 S4 200年 1月 官渡の戦い 26歳 君主 建業 孫策 - - 20000 大喬 周瑜 S5 207年 9月 三顧の礼 - 死亡 - - - - - - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 奮威校尉 2000 大喬 周瑜 S9 198年 1月 呂布討伐戦 24歳 君主 建業 孫策 - - 16000 - 周瑜 S10 203年 1月 袁家の戦い - 死亡 - - - - - 大喬 周瑜 S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 13歳 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 17歳 一般 洛陽 袁術 98 奮威校尉 4000 - 周瑜 S14 251年1月 女の戦い 一般 廬江 大喬 120 奮威校尉 4000 大喬 周瑜 固有セリフ 元服「我が活躍をもって 孫呉の武威を天下に轟かせて ご覧に入れる!」 クリティカル「小覇王、ここにあり!」 「これが虎の子の力だ!」 「孫呉の武威は【一人称】が受け継ぐ!」 一騎討ち承諾(相手が孫尚香)「孫尚香と一騎討ちをする羽目になるとは・・・・・・」 一騎打ち承諾(相手が周瑜)「当たり前だ!いくぜ、公瑾!!」 一騎討ち申し込み(対周瑜)「公瑾勝負だ!手加減したら許さんぞ!!」 一騎討ち開始(仕掛け)「かかってこいっ! どっちが上か教えてやる!」 「細かいことは抜きだ! 男は実力で語るのみ!!」 一騎討ちに勝利(対周瑜)「強いな公瑾!俺が闘ってきた中ではお前が一番強かったぞ」 捕虜登用失敗時「【一人称】を誰だと思っている? そう簡単に覇道は捨てられんな」 捕虜拘留時「ふん 小覇王ともあろう者が 情けない!」 後継者になった時「後継者はこの孫策だ! まだ見ぬ宿敵、まだ見ぬ戦友よ 【一人称】を楽しませてくれよ!」 孫堅の後継者になった時「父上 孫呉の兵法は【一人称】が引き継ぐ 我が覇道、天からご覧あれ!」 周瑜の後継者になった時「公瑾、お前の果たせなかった夢は【一人称】が引き継ごう……親友として!」 処断時「これでは覇王を超えられんな 俺はもう少しやれると 思ってたんだがな……」 IEだとずれるので血縁をテーブルにしてみました -- (名無しさん) 2010-01-27 13 50 29 バランスは良いが、知力に若干不安が残る。最前線で戦う事になるので、知力の高い武将を部隊に入れて補おう。 兵科を問わない勇将はかなり強力。武力で判定されるので、強化してゆきたい。 兵科は勇将を一番活かせるであろう槍がお勧め。呉軍は騎馬適正の高い武将が少ないので、騎馬を率いても良いだろう。 -- (名無しさん) 2010-02-09 23 18 17 大僑とセットで出陣させたい。小覇王になると全能力+2。アイテムイベントでも+1.普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。シュウユとの気力回復プチイベントは感動。 -- (シン様) 2010-02-10 10 24 58 アイテムフル装備している時があるので、一騎討ちの際には気をつけたい。 -- (名無しさん) 2010-03-25 19 34 31 英雄乱舞だと涼州+長安+漢中の一大戦力をいつの間にか築いている。 -- (名無しさん) 2010-08-24 18 20 43 個人的に、武将編集で覇王つけてる。 なんでって?だって小覇王じゃん。 まあ、勇将も変えるのはしのびないか。 とにかく最強。上の方に、 く普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。 と書いてる。たしかにそう。 ちょっと知力をあげるか、周渝と組ませると、鬼。 -- (名無しさん) 2011-02-06 20 51 48 周提督&奥さんと組ませると水上では 適性S、統率97、武力92、知力96、火矢の火ダメージ火神で無効、 火矢は勇将効果でもれなく着火&火のダメージ2倍、毎ターン気力回復で延々戦える、 君主だと10000超える兵士率いてくる等、孔明先生でもいないと太刀打ちできない悪魔の部隊と化す。 また、陸上だと適性SASSA。もれなくクリティカル。こちらも鬼 -- (名無しさん) 2011-03-11 13 27 39 一騎打ちの固有台詞だと思います(対周瑜) 孫策「公瑾勝負だ!手加減したら許さんぞ!!」 周瑜「無論だ、我らの闘いに一点の曇りもあるものか!」 ・一騎打ちに勝利(対周瑜) 「強いな公瑾!俺が闘ってきた中ではお前が一番強かったぞ」 -- (名無しさん) 2011-03-27 22 34 16 どうせ早く死ぬし育成はしなくていいや。君主らしく後ろでドカッと座ってもらおう・・・と考えていた時期がありました 于吉が思ったよりも弱くて簡単に倒してしまったため寿命が伸び、すごく勿体無いことになった -- (名無しさん) 2011-04-30 12 24 55 ↑ただイベント発生時出撃などしてると起こらないので要注意!(ps2pk) -- (名無しさん) 2011-04-30 13 05 58 俺も于吉とのイベントがいつまでたっても起きなかった(PS2PK寿命史実イベント有り) 月初めとかは、未行動にするように気を付けてたはずだったんだが・・・ でも孫策が死なないまま210年に中華統一。平均何年に死ぬかは分からないけど とりあえずS2開始ならガッツリ育成して問題無さそう -- (名無しさん) 2011-04-30 13 41 47 気になったので官渡の戦いでシナリオを始め、編集で没年を189年(登場年)にしたみた。 試行は十回程度なので確実ではないが205~206年の間に十回とも于吉イベントが発生 つまり没年から+15~16年生きるみたいですね。 元の没年(200年)の設定だと216~217年まで恐らく生存可能な場合もあると思われます -- (名無しさん) 2011-10-07 17 33 49 ↑を受けて俺も試してみた(PS2PK)216年11月にイベント発生、乱数次第で多少の揺らぎはある模様。 舌戦に勝つと寿命が20年延び、マスクデータの没年が220年になる。そして実際には237年まで生存していた。 これまたバラツキがありそうだが、実際の没年よりも更に20年前後延びると考えて良さそう。 舌戦に関して、于吉は知力60台のうえ話術を一つも持っていないので、怒りゲージにさえ注意していればまず負けない。 それにS4でさえ没年までの猶予が15年以上あるので、イベント自体見かける機会が少ないかもしれない。 結論としては、孫策君主でプレイする場合、どのシナリオでも寿命のことを気にする必要はそれほど無いと思われる。 一応216年頃になったら、兄弟の行動の有無を確認しておこう。孫策の体調が軽傷になると、近いうちに発生するはず。 ちなみに舌戦敗北時、配下に周瑜と張昭のどちらか又は両方がいると、仲謀に後事を託す際の台詞が少し変化する。 -- (↑×2) 2011-10-08 07 35 44 ある程度結果がまとまったらイベントの項にでも加筆してくれると嬉しい -- (名無しさん) 2011-10-08 23 44 17 彼の勢力に自武将が捕まると、処断されてしまう事が多いらしい。 -- (名無しさん) 2012-07-10 22 58 09 ↑はっきりとした情報ですか? 「らしい」という表現をしているので曖昧な情報ではなく、検証などをお願いしますm(__)m -- (名無しさん) 2012-07-11 00 53 10 孫尚香との一騎打ちの台詞は血族との汎用台詞では? -- (名無しさん) 2012-10-25 23 07 50 于吉イベ発生後に編集で基本設定見ると、寿命179歳、没年353年と仙人並の寿命に・・・ (というか気持ち悪いw) もしかして俺だけ起こってるバグ? -- (六武衆) 2013-08-24 04 00 25 ↑パッチを当てたかい?俺はそれで直ったよ。 -- (名無しさん) 2013-12-27 18 56 44 史実のフラグブレイカーに定評のあるお方。 自然死の周瑜や魯粛が先に逝くこともままある。 史実の域を脱し真の覇王となる夢は比較的容易。 史実のような名士層との対立も全く感じさせない優遇ぶりなので、是非叶えてあげよう。 -- (名無しさん) 2015-01-19 02 06 40 ↑下らんことコメントするなや、カス -- (名無しさん) 2015-01-19 07 26 12 仮に于吉イベが起こらない状況 or 于吉に負けるにしても、大体215年までは生きると見て良い。 S4でも15年程度は生きるので、孫呉の勢いの凄まじいこのシナリオなら存命中に統一も夢ではない。 215年頃になると能力の劣化が始まるが、その頃なら微々たるモノで、それを差し引いても、孫呉の中で最強の武闘派である事に揺らぎは無い。 問題があるとすれば、呂蒙がアホの子のままであるという位だろうか。 -- (名無しさん) 2015-02-27 11 06 26 寿命舌戦は基本的には勝てるイベントだが、リセット無しプレイで不安が残る・・・というような人は「書物を持たせない」ようにしておくとよい。 無視はともかく、詭弁があったところで効果はあまりない。むしろ話題札が減って弱くなるぐらいなので、書物は部下にあらかじめばらまいておこう。 元から知力もかなり高めなので、防計ラインの80ぐらいまで育成するというのもあり。そうなるともう負けの目はほばない。 -- (名無しさん) 2015-06-03 22 24 22 孫呉で唯一単独で大局を変えてくれるくらいの優遇っぷりだな。イベント含めたら関羽にもひけをとらない。 12でも呉で最高統率になってるし。ま周瑜陸遜が下げられただけなんだけど -- (名無しさん) 2015-06-22 19 51 27 知力はまぁまぁとしても、政治高くないか?もう少しノウキンなイメージなんだが。 -- (名無しさん) 2015-11-25 19 40 53 寿命が短いように思えるが不自然死な上、イベントに勝てば更に寿命が延びるため、死亡年が開始年のS4から始めても完走まで生き残ってくれることも。 イベントで万が一にも負けないよう、ある程度知力を育成し、本を持たせてあげよう。 -- (名無しさん) 2016-10-29 22 36 22 言うまでもないが、槍強し。 乱突無双に抵抗がなければだけど。 -- (名無しさん) 2017-06-20 00 15 56 海でも陸でも、縦横無尽に活躍できる。君主というより、前線で戦う猛将としての使い方が主流になるか。 -- (名無しさん) 2017-12-22 21 49 29 脳筋 -- (名無しさん) 2021-09-25 19 34 06 名前 コメント すべてのコメントを見る
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条件孫策が自然死を迎える(孫策は本来不自然死のため、時期は設定没年の200年より10年以上先。210年から数年以内) 孫策勢力である 孫権が配下にいる 廬江・柴桑・建業・呉・会稽が支配下 孫策・孫権が任務中でない 結果孫策が于吉と舌戦になる舌戦に勝利寿命がイベント発生時より約20年延びる。 舌戦に敗北孫策が死亡し、孫権が後を継ぐ。
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IEだとずれるので血縁をテーブルにしてみました -- (名無しさん) 2010-01-27 13 50 29 バランスは良いが、知力に若干不安が残る。最前線で戦う事になるので、知力の高い武将を部隊に入れて補おう。 兵科を問わない勇将はかなり強力。武力で判定されるので、強化してゆきたい。 兵科は勇将を一番活かせるであろう槍がお勧め。呉軍は騎馬適正の高い武将が少ないので、騎馬を率いても良いだろう。 -- (名無しさん) 2010-02-09 23 18 17 大僑とセットで出陣させたい。小覇王になると全能力+2。アイテムイベントでも+1.普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。シュウユとの気力回復プチイベントは感動。 -- (シン様) 2010-02-10 10 24 58 アイテムフル装備している時があるので、一騎討ちの際には気をつけたい。 -- (名無しさん) 2010-03-25 19 34 31 英雄乱舞だと涼州+長安+漢中の一大戦力をいつの間にか築いている。 -- (名無しさん) 2010-08-24 18 20 43 個人的に、武将編集で覇王つけてる。 なんでって?だって小覇王じゃん。 まあ、勇将も変えるのはしのびないか。 とにかく最強。上の方に、 く普通にやってたら後半には統率・武力共に100近くになる最強武将。 と書いてる。たしかにそう。 ちょっと知力をあげるか、周渝と組ませると、鬼。 -- (名無しさん) 2011-02-06 20 51 48 周提督&奥さんと組ませると水上では 適性S、統率97、武力92、知力96、火矢の火ダメージ火神で無効、 火矢は勇将効果でもれなく着火&火のダメージ2倍、毎ターン気力回復で延々戦える、 君主だと10000超える兵士率いてくる等、孔明先生でもいないと太刀打ちできない悪魔の部隊と化す。 また、陸上だと適性SASSA。もれなくクリティカル。こちらも鬼 -- (名無しさん) 2011-03-11 13 27 39 一騎打ちの固有台詞だと思います(対周瑜) 孫策「公瑾勝負だ!手加減したら許さんぞ!!」 周瑜「無論だ、我らの闘いに一点の曇りもあるものか!」 ・一騎打ちに勝利(対周瑜) 「強いな公瑾!俺が闘ってきた中ではお前が一番強かったぞ」 -- (名無しさん) 2011-03-27 22 34 16 どうせ早く死ぬし育成はしなくていいや。君主らしく後ろでドカッと座ってもらおう・・・と考えていた時期がありました 于吉が思ったよりも弱くて簡単に倒してしまったため寿命が伸び、すごく勿体無いことになった -- (名無しさん) 2011-04-30 12 24 55 ↑ただイベント発生時出撃などしてると起こらないので要注意!(ps2pk) -- (名無しさん) 2011-04-30 13 05 58 俺も于吉とのイベントがいつまでたっても起きなかった(PS2PK寿命史実イベント有り) 月初めとかは、未行動にするように気を付けてたはずだったんだが・・・ でも孫策が死なないまま210年に中華統一。平均何年に死ぬかは分からないけど とりあえずS2開始ならガッツリ育成して問題無さそう -- (名無しさん) 2011-04-30 13 41 47 気になったので官渡の戦いでシナリオを始め、編集で没年を189年(登場年)にしたみた。 試行は十回程度なので確実ではないが205~206年の間に十回とも于吉イベントが発生 つまり没年から+15~16年生きるみたいですね。 元の没年(200年)の設定だと216~217年まで恐らく生存可能な場合もあると思われます -- (名無しさん) 2011-10-07 17 33 49 ↑を受けて俺も試してみた(PS2PK)216年11月にイベント発生、乱数次第で多少の揺らぎはある模様。 舌戦に勝つと寿命が20年延び、マスクデータの没年が220年になる。そして実際には237年まで生存していた。 これまたバラツキがありそうだが、実際の没年よりも更に20年前後延びると考えて良さそう。 舌戦に関して、于吉は知力60台のうえ話術を一つも持っていないので、怒りゲージにさえ注意していればまず負けない。 それにS4でさえ没年までの猶予が15年以上あるので、イベント自体見かける機会が少ないかもしれない。 結論としては、孫策君主でプレイする場合、どのシナリオでも寿命のことを気にする必要はそれほど無いと思われる。 一応216年頃になったら、兄弟の行動の有無を確認しておこう。孫策の体調が軽傷になると、近いうちに発生するはず。 ちなみに舌戦敗北時、配下に周瑜と張昭のどちらか又は両方がいると、仲謀に後事を託す際の台詞が少し変化する。 -- (↑×2) 2011-10-08 07 35 44 ある程度結果がまとまったらイベントの項にでも加筆してくれると嬉しい -- (名無しさん) 2011-10-08 23 44 17 彼の勢力に自武将が捕まると、処断されてしまう事が多いらしい。 -- (名無しさん) 2012-07-10 22 58 09 ↑はっきりとした情報ですか? 「らしい」という表現をしているので曖昧な情報ではなく、検証などをお願いしますm(__)m -- (名無しさん) 2012-07-11 00 53 10 孫尚香との一騎打ちの台詞は血族との汎用台詞では? -- (名無しさん) 2012-10-25 23 07 50 于吉イベ発生後に編集で基本設定見ると、寿命179歳、没年353年と仙人並の寿命に・・・ (というか気持ち悪いw) もしかして俺だけ起こってるバグ? -- (六武衆) 2013-08-24 04 00 25 ↑パッチを当てたかい?俺はそれで直ったよ。 -- (名無しさん) 2013-12-27 18 56 44 史実のフラグブレイカーに定評のあるお方。 自然死の周瑜や魯粛が先に逝くこともままある。 史実の域を脱し真の覇王となる夢は比較的容易。 史実のような名士層との対立も全く感じさせない優遇ぶりなので、是非叶えてあげよう。 -- (名無しさん) 2015-01-19 02 06 40 ↑下らんことコメントするなや、カス -- (名無しさん) 2015-01-19 07 26 12 仮に于吉イベが起こらない状況 or 于吉に負けるにしても、大体215年までは生きると見て良い。 S4でも15年程度は生きるので、孫呉の勢いの凄まじいこのシナリオなら存命中に統一も夢ではない。 215年頃になると能力の劣化が始まるが、その頃なら微々たるモノで、それを差し引いても、孫呉の中で最強の武闘派である事に揺らぎは無い。 問題があるとすれば、呂蒙がアホの子のままであるという位だろうか。 -- (名無しさん) 2015-02-27 11 06 26 寿命舌戦は基本的には勝てるイベントだが、リセット無しプレイで不安が残る・・・というような人は「書物を持たせない」ようにしておくとよい。 無視はともかく、詭弁があったところで効果はあまりない。むしろ話題札が減って弱くなるぐらいなので、書物は部下にあらかじめばらまいておこう。 元から知力もかなり高めなので、防計ラインの80ぐらいまで育成するというのもあり。そうなるともう負けの目はほばない。 -- (名無しさん) 2015-06-03 22 24 22 孫呉で唯一単独で大局を変えてくれるくらいの優遇っぷりだな。イベント含めたら関羽にもひけをとらない。 12でも呉で最高統率になってるし。ま周瑜陸遜が下げられただけなんだけど -- (名無しさん) 2015-06-22 19 51 27 知力はまぁまぁとしても、政治高くないか?もう少しノウキンなイメージなんだが。 -- (名無しさん) 2015-11-25 19 40 53 寿命が短いように思えるが不自然死な上、イベントに勝てば更に寿命が延びるため、死亡年が開始年のS4から始めても完走まで生き残ってくれることも。 イベントで万が一にも負けないよう、ある程度知力を育成し、本を持たせてあげよう。 -- (名無しさん) 2016-10-29 22 36 22 言うまでもないが、槍強し。 乱突無双に抵抗がなければだけど。 -- (名無しさん) 2017-06-20 00 15 56 海でも陸でも、縦横無尽に活躍できる。君主というより、前線で戦う猛将としての使い方が主流になるか。 -- (名無しさん) 2017-12-22 21 49 29 脳筋 -- (名無しさん) 2021-09-25 19 34 06 適性、能力、特技総てに於いて隙が無く、親愛武将に恵まれ尚且つイベント次第で寿命も延びる ただ、呉系の武将では貴重な「五虎将候補」な能力値を持つのに、大抵の場合自身が君主である事が弱点(孫堅も同じだが) 知力に若干不安があるので、少し育成した大喬辺りを副将にして出撃するのが良いだろう 周瑜とは義兄弟だが、別部隊で出して援護攻撃を狙った方が大抵の場合に於いて強い -- (名無しさん) 2022-09-20 18 04 35 実は元々不自然死だから寿命は勝手に10年ほど延びるんだけどね。そこから更にイベントで延ばせる素敵仕様 -- (名無しさん) 2022-09-23 09 56 05 武力がデフォだと92なので、中原に出ると割と苦戦する。 -- (名無しさん) 2022-09-27 20 58 12
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[部分編集] 【三国志12】 孫策で群雄割拠る 使用ゲーム 三國志12 シナリオ・担当勢力 195年1月 群雄割拠 孫策軍 シナリオの設定 中級・寿命史実・女性参戦・登場史実討死標準・歴史イベントあり 動画形態 純プレイ・字幕解説付き 登録武将 なし 投稿時期 2012年4月24日~28日(全4回、完結) 投稿者名 朱里 マイリスト 群雄割拠る 関連作品 併載:第二次こま大三国志(三国志11) こあ物語(三国志Ⅸ) +初回外部視聴 http //www.nicovideo.jp/watch/sm17632337 概要 コメント欄 [部分編集] 概要 「歴戦界最速のうp主」こと朱里さんによる、三國志12正式版のプレイ動画。 実践の人らしくほぼ初回プレイ(体験版も未プレイ、チュートリアルもわずかなプレイのみ)。 おおむね江南を平定するまでで一区切りとされている。 紙芝居なしの純プレイだが、字幕解説はとても丁寧。 「ネタを入れないと死んじゃう病」と言われてしまうように、小ネタ・大ネタもちょいちょい盛りこまれている。 正式版プレイ動画としては劉備で官途の戦い(劉☆備氏)に次ぎ2番目になる。 劉☆備氏の動画は、体験版等での研究をおこなった上でゲームのさまざまな状況を紹介を図っている。 2作合わせてみれば、三國志12の大まかなところを知ることができるだろう。 コメント欄 名前 コメント
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リスト nicovideo_mylist エラー ( 正しいマイリストURLを入力してください. ) 登録武将 らき☆すた、戦国ランス、ハレグゥ、十二国記、車輪の国、各作品の孔明、フルメタルパニック、灼眼のシャナなど計150人 簡単な解説 三国志11PKプレイ動画。プレイヤー勢力は混沌三国志Ⅸと同じくらき☆すた勢。 タイトルの通り混沌三国志Ⅸと同一のうp主による物だが、直接の関連は無い(続編ではない)と明言されている。 相変わらず登録武将は混沌の名に恥じないカオス。特に「諸葛亮」と名のつく人物をかき集めた孔明軍団は圧巻。 Ⅸの時と同じく、目を引く派手さこそ少ないもののクオリティと更新速度は安定している。 勺じゃなくて灼だよ -- 名無しさん (2007-11-22 23 31 59) 俺が灼に直したよ -- 名無しさん (2007-11-23 00 04 27) もっと評価されるべき人の最有力 -- 名無しさん (2008-03-17 05 36 29) 前回更新からそろそろ4ヶ月。終了ぽいね -- 名無しさん (2008-03-29 20 44 43) うp主曰く試験が終わってしばらく休んだら再開するとのこと -- 名無しさん (2008-03-30 14 39 22) 「一言も言わずに更新停止してしまうのは無責任だし自己管理能力が欠如していると思うのです」うp主はマイリストに自分で書いたこのコメントの事を今どう思ってるんだろう? -- 名無しさん (2008-09-02 03 56 08) 名前 コメント
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孫策 特性:覇王 兵科:歩兵系 騎兵系 弓兵系 アイテム:古錠刀 友好武将 孫権 周瑜 張紘 備考 総合能力第3位の実力の持ち主、特性覇王は攻撃・防御2割up+武芸系使い放題という三国志戦記きってのぶっ壊れキャラ…であるが、旅立ち編シナリオ以外死亡するのであんまり活躍する機会がないのがつらい。 覚える戦法は督戦、突撃、単騎駆、奮闘、強行突破と一通りの武芸系を覚えさらに火矢と激励も覚える公式チート。兵科では初期から呉軍にとって貴重な騎兵も扱える+武芸の伸びともかみ合うため真っ先に兵科を変更して重装騎兵→弓騎兵とするのがいいだろう。 ただし、シナリオではほとんど死亡するため育てる必要性無し。おとなしく武将集めに奔走しましょう。(生き残れば)三国志戦記最強の武将なのでもし孫策が最後まで生存するルートではぜひその強さを体感してほしい。
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掲載元:Twitter - 【公式】三国志名将伝 スキル 通常 制覇 敵の後列に44%の物理ダメージを与える。 奥義 覇王蓋世 敵の後列に115%の物理ダメージを与える。目標がやけど状態の場合は与えるダメージ+60%追加。 連携 天地覆滅 敵後列に176%の物理ダメージを与える。目標がやけど状態の場合は与えるダメージ+60%追加。孫策と大喬の同時出撃で連携攻撃解放
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登録日:2010/03/05 Fri 16 49 15 更新日:2024/04/08 Mon 10 18 22NEW! 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 GP02 イケメン ガンダムアストレイ テライケメン 三国志 世界史 中国史 兄 呉 孫呉 孫家 孫家は代を重ねるごとにDQNになってゆくのだ! 孫策 小覇王 後漢末 歩く死亡フラグ 浅野真澄 爆乳 美少女闘士 雪蓮 麒麟児 孫 策(そん さく)とは「三国志」の英傑の一人である。字は伯符。 孫堅の息子で孫権・孫尚香の兄、伯父には呉景(孫堅の妻・孫策の母の弟)など。 子は孫紹に娘が三人、妻としては大橋(喬)が著名だが、正妻の可能性は低い(演義では正妻)。 ぶっちゃけレイプされて連れてかれたワケで、しかも妾生活数ヶ月で一生貞操守らなきゃならなかった大橋の内心は憎悪しかなかったと思われる。 まあ、乱世だと当たり前。むしろ普通。 彼女が孫策の死後、愛人を作ったかも定かではない。 ちなみに周瑜はきっちりと正当な手段で貰ってるため、小橋は正妻。 【経歴】◇前歴 ◇揚州攻略 ◇袁術との対立 ◇自立へ ◇転落 【評価】 【三国演義】 【各作品での孫策】 【経歴】 ◇前歴 175年生まれ。 盧江の名門貴公子・周瑜とは生まれが一月しか違わず、しかも幼なじみであったため、両者は寝起きを共にし、兄弟のように過ごしたという。 190年の「反董卓連合」では周瑜を伴って父の軍に参加。ただ、当時15歳の少年に何ができるわけでもなかっただろう。 191年、父の孫堅が劉表に返り討ちに遭うと、孫策は父の爵位「烏程侯」を引き継いだ。 しかし当時、孫家軍団の指揮権を握ったのは孫賁(孫堅の兄の子。孫策には従兄になる)であり、16歳の孫策は神輿にもならなかった。 孫賁はその後、劉表と和睦して孫堅の遺体も取り返し、一族を率いて袁術に合流する。 孫策も、一時は孫賁麾下から離れて徐州の広陵郡・江都県に移り住んだが、在地の名士・張紘の助言を得て再起を志し、193年に袁術のもとに所属。 すでに孫家軍団は孫賁が引き継いでおり、孫策の直属は呂範・孫河などわずかしかいなかった。 それでも袁術の勧めで、呉景と孫賁が攻略中だった丹陽方面で募兵を開始するが、在地豪族・祖郎に襲撃されて壊滅、孫策は命からがら逃げきった。 (その後孫策は呉景の支援を受けて孫河・呂範と連携し、祖郎を破る) 袁術麾下からは、孫策は好かれてはいた。張勳・橋蕤の両大将は年下の孫策を大いに尊敬し、袁術も「わしの息子にもこれぐらいの才能があれば」と嘆き、彼に「懐義校尉」の官職を手配している。 ただし「九江太守や廬江太守にしてやる(*1)」という約束は反故にしており、孫策は不満を抱いたとされる。 ……ただし袁術は当時孫家当主だった孫賁を郡太守どころか予州刺史に任命するなど、孫家軍団に対してはしっかり礼遇しており、 そもそも仕官して間もない、二十歳になるかならんかの孫策が、十数もの県を束ねる「郡の太守」になぞなれるはずがない(*2)ことを考えると、この話自体が創作か孫策がとんでもない世間知らずと考えられるが。 ◇揚州攻略 194年、揚州刺史・劉繇が、曲阿を拠点、長江を境界として、張英・樊能・于糜の三将らの防衛線を敷いて、呉景・孫賁の攻撃を圧倒していた。 ここで孫策は袁術に進言し、呉景・孫賁の援軍として劉繇討伐に向かうから兵を貸してくれと頼む。 袁術が返してくれた(*3)のはわずか一千の兵と殄寇将軍・折衝校尉の官位であった。 ちなみに袁術としては、孫策が野心を持っているのは悟っていたが、劉繇のほかにも江南には強敵が多く、それらすべてを平らげてかつ自分の敵になるとは思えなかった(むしろ協力する余地があると見た)とのこと。 ただ、「わずか」といっても程普・韓当・黄蓋・朱治といった故・孫堅の幕僚がいたことは重要である。 孫静(*4)や徐琨(*5)ら親族が支持してくれたり、呂範や周瑜ら中小豪族が行く先々で合流してくれたりして、 孫策隊が前線につくころには兵力が六千ほどにも増加。 さらに周瑜の補佐と口利きもあって、地方名士の張昭・張紘ら、水賊出身の周泰・蒋欽・陳武・凌操・宋謙らを麾下に収め、人材層も厚くなった。 勢力を充実させた孫策は、堂々と長江を渡ると、まずは牛渚の劉繇軍兵站拠点を制圧して大量の物資を鹵獲。 それを足掛かりに、孫賁らの進撃を阻んできた張英・樊能・于糜らの防衛線や、劉繇と組む笮融・薛礼らの軍、さらに曲阿の劉繇本隊をもことごとく撃破。 笮融との戦いで太股に矢傷を負ったり(*6)、偵察中だった太史慈と鉢合わせして、史書にも珍しい激しい一騎打ちを繰り広げたりもしている。 劉繇本隊の駆逐後は江南一帯のさらなる平定に乗り出し、呉郡太守・許貢、会稽太守・王朗、太史慈が束ねる劉繇軍残党、山越などの異民族、厳白虎など地方勢力を撃破。 呉郡、会稽郡、丹陽郡などを平定し、太史慈など旧敵対兵力をも傘下に加えて、江南に強固な基盤も作っていった。 ◇袁術との対立 一方、そうした孫策の飛躍を苦々しく、あるいは痛しかゆしで眺めていたのが袁術である。 孫策は「借りた兵を返す」と称して呉景・孫賁とその部隊を送り返して彼との対立回避を図ったが、 これはある意味で「孫堅亡き後の孫家軍団の棟梁」であった呉景・孫賁を孫家軍団から切り離し、かつ江南の孫家勢力を完全に自分のものにするための策略でもあっただろう。 あるいは袁術のことだから、孫賁を焚き付けて孫策を抑えさせようとしたかもしれない。少なくとも孫一族の孫香を派遣して攪乱しようとは狙っていたようだ(*7)。 しかし孫策は孫賁を「返し」、さらに袁術が「丹陽太守に」と派遣した重鎮・袁胤をも、力ずくで駆逐。 ここに至り、袁術と孫策は完全な敵対関係に入った。 この対立関係を背景として、一時袁術の元に戻っていた呉景や孫賁、それに周瑜らも袁術を見限り孫策の下に再合流。 また魯粛・諸葛瑾・呂蒙・虞翻なども配下に加えている。 ◇自立へ 袁術との対立は、とりもなおさず江南から中原への進出をも意味する。 また孫策は、西進して父の仇でもある劉表を討ち、荊州も制圧しようと狙っていた。 その一環として、まずは国内の反乱分子の粛清から着手。 もと呉郡太守で孫策に敗れた許貢が「孫策の勢いは項羽に似る」と朝廷に上表しようとしたのを知ると、劉邦を始祖とする漢朝に対する讒訴と判断して処刑するなどして、内部を固めようとした。 また、かつて孫策を破った祖郎が、袁術の支援で再び孫策の背後を突くと、激闘の果てについにこれを撃破、祖郎を傘下に加えた。 197年には袁術が皇帝を称する。 孫策は袁術の対抗も兼ねて、献帝を擁立して漢朝の正統性を掲げる曹操に接近。袁術討伐戦で兵站支援をしたことで、討逆将軍の官位と呉侯の爵位をもらっている。 しかし、いずれも野心家同士の同盟関係は噛み合うはずもなく、199年の袁術死後はその残存兵力を巡って、引き込み工作で争ったりしている。 結局、袁胤を初めとする汝南袁氏勢力はほとんど孫策が併合し、その人脈を含めて、孫策の勢力はいよいよ増強された。 200年には総力を結集して荊州方面へと進撃し、劉表軍の前線司令官・黄祖の軍を壊滅させた。 この戦いぶりはすさまじく、劉表の援軍まで迎えた黄祖軍は全部隊が壊滅、兵士数万が戦死、軍船六千が鹵獲、黄祖は妻子まで捕えられるなか、身一つで逃げ延びたという。 戦況を聞き調べた曹操をして「獅子の子とは戦わんほうがいい」とまで言わせたほどの完勝であった。 ◇転落 一方孫策は、西の劉表戦とは別に、北上して曹操や陳登を打破しようと狙っていた。 特に陳登とは因縁があり、かつて二度にわたって撃破されている。 折しも西暦200年、河北の雄・袁紹が曹操と決戦していた「官渡の戦い」の時期である。 孫策は袁紹と密かに連携し、曹操が北の戦線に主力を差し向けている時期に、許昌か徐州かを制圧しようとしていた。 しかしその準備中、仮のさなかに一人になったところを、亡き許貢の残党が放った刺客に襲撃される。 彼らの放った矢は孫策の顔を貫き、何とか逃げ帰ったものの致命傷となった。 死を悟った孫策は、後任には幼い息子ではなく弟の孫権を指名し、後事を張昭らに託して亡くなった。享年わずかに26歳。 【評価】 史書に記されるぐらいのイケメンで、闊達に笑う親しみやすい性格だった。それで多くの人から好かれたという。 あの袁術でさえ「こ奴がわしの子であれば、死んでも悔いはないものを!」とまで言い切った。 ただし、支配者としては苛烈な一面もあり、敵対勢力や在地豪族を殺しまくったという。 それで多くの人士が荊州や交州へと逃亡したり、遺族が恨んで刺客を放ったりしており、特に後者が死因にもつながった。 陳登や陶謙も彼を憎んでおり、特に陳登は孫策暗殺の黒幕ともいわれている。 その苛烈さのおかげで、軍人としては極めて優秀。 孫賁が破れなかった劉繇の防衛線をあっさり大破し、江南各地をあっさり平定し、黄祖の軍を全滅させ、その勢いはあの曹操からも恐れられている。 機を見ること自体が敏感であり、袁術残党の奪い合いでは、巧みな謀略を素早く巡らす一面もある。 もし彼が暗殺されなければ、確かに曹操は袁紹・孫策に挟撃されて、滅亡したかもしれない。 すると袁紹VS孫策で一足早く南北朝時代が訪れただろうか。 しかし結果を考えると、軍人としては懸絶していても、政治家・支配者としての素質には欠けていたといえる。 ある意味では許貢が言ったとおり、項羽とよく似ていたといえる。 なお、後継者の孫権はのちに皇帝となった際、孫策には皇帝位を追贈せず、「長沙桓王」とした。 しかも彼の子孫はその王位すら継承されず「上虞侯」である。王でも公爵でもなく侯爵だ。 陳寿によると、建国の君主に対しては常軌を逸した追贈形式(むろん悪い意味で)であったらしい。 しかし呉と言う国は言わば豪族連合であった為、やむをえずこうしたものだと思われる。 仮に孫策に皇帝位を追贈してしまうと孫紹(孫策の子)が皇嗣になってしまう為、権力の分断は目に見えている。 そうでなくとも前述の通り在地豪族を殺しまくっている孫策に対して皇帝位はポンとやれるものではなかっただろう。 (ちなみに孫権は自身の息子である孫慮に対しても侯位を与えている為、別に嫌ってるから当てつけで侯位を与えているわけでないのは間違いない。まあ、後に孫覇を王位につけてしまったせいで泥沼引き起こしたけど) 余談ながら、孫策の孫は孫皓に殺害されており、家は絶えている。 【三国演義】 許貢ではなく厳白虎の残党に襲われる。『捜神記』という逸話集からの引用で、以前に于吉という道士が民の信奉を集めていたのを処刑していたのだが、病床の孫策の元に于吉の霊が現れて体調が悪化して死亡。 【各作品での孫策】 良くも悪くも英雄然としたパーソナリティや周囲との人間関係は非常に美味しいのだが、序盤で死ぬし、生き残っちゃったら孫権の立つ瀬がない。 三国志の物語を描く作品ではどうしても順当に死亡要員となりがち。 逆にそうでない作品であれば優遇されたり主人公に上り詰めることもしばしばである。 ●横山三国志 アニメと原作で違う。 アニメだと劉備らと出会う描写があるが、呉郡平定が描かれて居ない。 原作だと太史慈との巡り合わせなど、呉の中期で主人公格として描かれる。 ●蒼天航路 「乱世を打ち砕くのはこのたぎる心ではないか!」 何故か満州族の髪型をしている。 董卓討伐の時から父親の軍に周瑜と従軍し、長江からダイブしたり、色々と忙しい。 が、やはり曹操の背中を突こうとした所で刺客から受けた毒で死亡。 呂蒙に伝わる血噴き芸を披露した。 ●三国志大戦 自爆付き超絶強化の『小覇王の蛮勇』、色々豪華だけど結局自爆する『小覇王の快進撃』、(笑)扱いだったが現在は屈指の強カードの『雄飛の時』の三枚、いずれも超絶強化で、勇猛と魅力の特技を持つ。 単独で自爆するので大喬よりも小喬との相性が良く、散々不倫デッキと言われネタになってる。 3.1で追加された蒼天LEは蛮勇で「周瑜、俺達の時代が来たのだ!(計略)」→「俺は天命に追い付かれたよ(撤退)」とこちらもネタに。 3.59で特技によって付加効果の『究極の大号令』が追加された。もちろんカードイラストはどっかの新聞記者、故に勇猛はない。 また、娘も参戦した。娘との相性は良好である。 リブート後は『究極の大号令』以外の3枚が続投と安定感を見せている。しかし雄飛の方は3コストにまで上げられたため、こちらは大きく使用率を落とした。 そして1.5コストの方も追加されたが、カードイラストが項羽。小じゃねえじゃねえか! Ver.3では刻印持ち2コストと、「ダンまち」とのコラボで遂に1コストまで追加。 一人で全コスト網羅してしまった。 ●コーエー三国志 武力型の中では知力が高い方で、関羽や趙雲、張遼などにタイプが近い高能力。 多くの作品で総合値が上から10番目くらいに食い込んでくる強烈な能力だが、序盤シナリオまでの命。 作品によっては于吉を斬るイベントが発生し、プレイヤーの選択で寿命が減ったりする。 ●無双シリーズ 爽やかかつ暑苦しいアゴ鬚アニキ。得物はトンファー。 イントネーションが変なセリフがあり、戦国無双でセルフパロディされたずぇ! 孫策をプレイヤーキャラとして使用すると早逝が無かった事とされ、弟の出番をほぼ食ってしまう活躍を見せる。しかし5以降では刺客からの攻撃で死亡するようになり、出番が父に次いで少なくなってきた。 ●白井式三国志 初登場シーンですでに幽霊、生前の初登場は剣が突き刺さって死ぬ直前という薄幸キャラ。 玉璽掘り当てネタでよく登場する。 ●一騎当千 主人公で爆乳。 作者曰く「絶対に主人公にされた事が無い武将を主人公にしよう!」と言う事で選抜されたらしい。 孫権のイメージ故か金髪碧眼で描かれており、連載開始から一回も髪を切っていないので、序盤はセミロングだったが今では脚まで伸びた超ロングヘアになっている。 史実を上回るほどアホな戦闘マシンのメスゴリラ。周瑜くんとは従姉弟関係で、両片思い寄りの周瑜の片思い。そこがいい。 序盤は笑っちゃうほど弱く、毎回のようにボコボコに痛めつけられては失禁して気絶、そして暴走というポンコツぶりであった。 主人公として時たま成長していったりするが、最近、寝てるか空気になりやすい。アニメ2期では主役を関羽さんに取られた。 原作最終章『真・一騎当千』では留守にしているので孫権が二代目主人公に着任している。 『ハヤテのごとく!』では中の人が同じ朝風理沙から「主人公の影が薄い方」「見てて面白い」などと言われていた。 ●恋姫無双 無印では故人として登場し、『真・恋姫無双』より本格的に登場。真名は雪蓮(しぇれん)。 奔放で人に好かれる面と、冷酷で容赦をしない面を併せ持つ。さらに戦闘狂の気質もあり、かなり複雑な性格をしている。ちなみに素は自由奔放な方。 戦いでメンタルが昂ぶると身近な人に性的に襲いかかって解消を図る物騒なケダモノお姉さま。 悪癖も含めて割と順当な孫策像か。 価値観がやや古めで貴族主義的だが、それは実情に即した認識でもあった。 呉ルート中盤で戦死するが、そのシーンは呉ルート屈指の燃えシーンと名高い。逆に言うと他ルートでは死なない。 アニメ版では周瑜(女)と××××していたことが判明した。 ●十三支演義Ⅱ 開始時点で既に死亡。一応、周瑜の口から存在が語られており、彼にとって半身とも呼べる戦友であったことは確か。 ●天地を喰らう いたようないなかったような… ●ブレイド三国志 主人公・轟蘭市郎が孫策の武霊士(ブレイド)。 持ち前の声と度胸で難敵を退け、彼の歌声はジャイアンにも匹敵する程である。 途中覚醒する覇王モードはもはや主人公補正。 劉備とか…曹操にもあるのだろうか? ●BB戦士三国伝 孫策サイサリスとして登場。 三国無双リスペクトか、アトミックバズーカがモチーフのトンファーを獲物とする偉丈夫。 元はただの脳筋ヤローだったが、周瑜ヒャクシキと出会ってからは学問の大切さを知り、知己となった。 父・孫堅ゼフィランサスの死後、跡を継いで江東を纏め上げるも、志半ばにして散る。 その大器は死後も呂蒙ディジェや甘寧ケンプファーらが惜しむ上に孫権ガンダムを見くびるほどであった。 余談だが、本作を見た後で孫家演者のモチーフとなったOVA『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』を見ると鬱になること請け合いである。 ●SDガンダムワールド 三国創傑伝 孫策ガンダムアストレイとして登場。 アニメでは孫尚香ストライクルージュ共々お留守番を喰らった。 追記、修正宜しくお願いいたします △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] コーエイの三國志では作品が進む度に知力が下がっていっている、仕方無いね -- 名無しさん (2013-10-23 05 53 44) とんだクレイジーだった -- 名無しさん (2013-11-10 14 17 32) とにかく勢いが必要な場面や早急に領土とか広げる為にはこの人が最適なのは間違い無いかも -- 名無し (2013-11-27 01 26 29) SDガンダム三国伝では勇猛ながらも冷静かつ家族思いな人格者という完璧超人。誰だお前。 -- 名無しさん (2014-03-14 01 33 50) 演義では、仙人様殺して(しかも約束を破り)そのまま狂い死ぬとか言う死に方してた。演義自体が燭を贔屓して呉は燭の引き立て役に書いてる訳だがそれにしてもあんまりだろう。 -- 名無しさん (2014-07-07 08 04 08) ↑あのシーンは孫策陣営の書かれ方もひどいな。主君のいる宴会中にも関わらず于吉を礼拝しちゃうんだから。 -- 名無しさん (2014-10-02 12 28 20) 無双のイメージとだいぶ違うな・・・ -- 名無しさん (2014-12-04 22 02 31) 一般的なフリーダムで破天荒なのは親父で、この人どっちかっつーと呉の土台を作り上げるためにあれこれ頑張った苦労人だからねぇ -- 名無しさん (2015-03-11 19 47 19) 正史基準で語るのがメジャーになった三国志の人物の中でなぜか未だに演義の「小覇王」のイメージが先行してる人。実際は戦闘スタイルも人材起用も全然似てないのに・・・ -- 名無しさん (2016-04-28 16 27 15) なぜこの記事は太史慈のことを「ふとしじ」って書いてるんだ? -- 名無しさん (2017-04-15 01 44 13) ↑6 -- 名無しさん (2019-07-16 21 27 13) 于吉は呉関係の史書でちゃんと存在するぞ呪い殺されたって書いてるのもしっかりあるむ -- 名無しさん (2019-07-16 21 32 29) 寧ろ陸氏関係のエピソードや陳登に負けた事を省かれてる事考えると孫権以上に得してる -- 名無しさん (2019-07-16 21 34 48) 死因に関しては郭嘉の分析が興味深い -- 名無しさん (2019-07-16 22 35 12) 横山アニメだと父はシロッコ、弟はカミーユ、本人はトロワという豪華な孫家 -- 名無しさん (2020-02-04 02 26 00) この人の諡号が「桓王」止まりなのはやっぱ納得いかないものがあるな。後に西晋の初代皇帝となる司馬炎は父の司馬昭(文帝)と祖父の司馬懿(宣帝)だけじゃなく伯父の司馬師(景帝)にもきちんと帝号を諡している訳だし、この件に関する陳寿の孫権に対する批判的なコメントから察して当時の価値観としてもその方が常識的な振舞っぽい -- 名無しさん (2020-03-01 08 59 31) 先代に帝号を与えてないわけじゃなく孫堅にはきちんと帝号を与えているからな。呉は豪族連合だから、孫策の息子に帝位を名乗る資格があると思わせて要らぬ跡目争いの種を撒きたくないのではないだろうか。司馬師の息子の司馬攸も、孫策の孫も、帝位を狙っているという噂はしっかり立ってしまってるわけだし -- 名無しさん (2020-03-11 02 36 35) マジで軍人としては驚異的だね -- 名無しさん (2020-04-03 01 42 44) 恋姫無双の孫策はいいキャラしてた。けだものw -- 名無しさん (2020-05-15 22 48 00) 孫策にも劉備と諸葛亮のように俺の弟が君主の器でなければお前がなれと張昭に言ったエピソードがある。 -- 名無しさん (2021-02-28 00 59 21) 王称号のことだが兄司馬師の子供は女のみ唯一の男子は養子の昭の子供。だから皇帝称号与えても問題なかったがこっちは男子の子孫がいるから色々まずい。事実孫晧みたいなやばいのが現れるまでは策の子孫は血みどろの政争に巻き込まれずに済んでたので判断としては正解。 -- 名無しさん (2021-08-30 06 41 57) 孫策がもうちょっと慎重な性格だったらな。呉が天下取れる可能性あったのって孫策の時代くらいだろうし。 -- 名無し (2021-11-10 19 40 00) 陳登に負けたのは直接対決じゃないぞ? 記述が甘い -- 名無しさん (2022-01-27 22 28 27) 天下取れる可能性あったのは周瑜魯粛の二人体制だったた頃くらいじゃないか。孫策は性格というよりそもそも行き当たりばったりで大局が見えずに行動してた節がある。暗殺がなくても遅かれ早かれ早死にしてそうだ。 -- 名無しさん (2022-02-02 23 56 40) ↑2 記述が甘い。なんて頭良さげな言い方するなら該当資料の名前挙げるくらいはしなきゃ -- 名無しさん (2022-11-12 18 09 37) 名前 コメント
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200年1月 官渡の戦い 東呉の地盤固めも済んでいるので、後顧の憂いはほとんど無い。 安全に行くなら開始直後に曹操と30ヶ月以上の長期同盟を結んで北の憂いを絶ち、その間に華南を制圧するとよい。 その際、曹操に先んじて宛を占領すると、後々曹操と雌雄を決する際に有利に働く(洛陽占領で魏の東西分断が可能)のでオススメ。 なお孫策・周瑜コンビは210年ごろまで存命するので、頑張れば孫策・周瑜コンビが揃ったままでの統一も可能。 孫策の寿命が心配なら、戦場でセーブ ロードしながら張紘か仙人武将の占卜で寿命延長するとよい。
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孫策(そんさく) 字は伯符(はくふ) (175-200) 孫堅の長男。 孫堅が各地の諸侯と連合して董卓討伐の兵を挙げた時、孫策は戦乱を逃れる為に母親ら家族を連れ、盧江郡舒県に移り住んだ。 ここで孫策は数多くの名士と交わりを結んだが、中でも後に孫策の義兄弟となる周瑜とは、この時交流を深めていた。 孫堅が戦死すると遺骸を曲阿の地に葬り、徐州近くに移り住んだ。しかし、徐州の陶謙が彼を嫌っていた為、孫策は危険を避けて親戚である丹陽太守の下に身を寄せた。 194年、孫策は袁術の配下となる。 袁術は親子二代にわたって自分の配下になったことに感心して、元孫堅部下だった1000人を孫策に返してやったという。 ただ、これには異説もある。 『江表伝』には、袁術は最初孫堅が残した部下を返すつもりはなく、丹陽太守の下で精鋭を集めるように言い、孫策は数百人を集めたが、反乱軍の襲撃に遭い、全滅に近い大打撃を受けた。 そして、袁術に面会すると、孫堅の部下1000人を孫策に返したとなっている。 孫策の評判はすこぶるよく、袁術も「もし私に孫策のような息子がいれば、思い残すことなく死ぬことが出来るのだが」と常々嘆息していたという。 その反面、袁術は孫策の器量を恐れもし、孫策を利用するだけ利用し、重要なポストには就かせなかった。 太守の地位を約束しておきながら、孫策が手柄を立てても約束を反故にし、自分の親類を太守に就かせた。 そんなこともあり、孫策は袁術に失望し、独立を考えるようになる。 揚州の劉繇が袁術に敗れて曲阿に逃れると、孫策の親類だった丹陽太守らは劉繇によって丹陽から追い出された。 そこで孫策はこれを機に袁術に「彼ら(追い出された太守ら)に加勢して、江東の地を平定したい」と申し出た。 袁術は将軍の称号を与え、救援に向かわせた。 この時与えられた兵数は1000人余りだったが、途中孫策出陣の報を受けた周瑜らも加わり軍勢は増して、向かうところ敵なし、という状態になった。 孫策は容姿が立派でよくジョークを飛ばし、性格も闊達で他人の意見を良く聞き入れ、適材適所に人を用いたので、兵士も民衆もみんな孫策の為に命をかけて働きたいと思ったという。 孫策は長江を渡ると、劉繇の食糧貯蔵庫を奪い、配下3人を立て続けに撃破。 窄融(さくゆう)を攻めた時、流れ矢が当たって足を負傷。輿に担がれて陣営に戻ったが、「孫策は死んだ」と偽の情報を流し、それに誘われて出てきた窄融を、伏せておいた兵と挟撃して敗走させた。 窄融は砦に戻って防御を固めたが、孫策は捨て置き、劉繇の別働隊を攻撃し、次々と勝利していった。 そして、ついに劉繇は軍勢を捨てて逃亡する。 呉の厳白虎も撃ち破ると、自ら会稽太守となり周辺の郡を一族に統治させて足場を固めた。 また、張昭・張紘などの参謀を招いて国政を取り仕切らせた。 この頃、袁術が勝手に皇帝を名乗ったので、孫策は手紙を送って非難。袁術との関係を完全に断ち切った。 そして、後漢王朝から正式に討逆将軍の位を受けた。 曹操は袁紹と争うにあたって、南方で着実に力を増していた孫策に背後を衝かれてはと考え、一族の曹仁の娘を孫策の末弟に嫁がせた。 200年5月、曹操が袁紹と対峙している時、孫策は許都を襲撃して帝の身柄を奪おうと考えた。 しかし、実行直前に以前殺害した呉郡太守の食客に襲われ、重傷を負った。 孫策は自分の命が少ないことを悟り、張昭達を呼び寄せて後事を託し、弟孫権の補佐を頼んだ。 そして、孫権には、「軍勢を動員し、天下の群雄達と雌雄を決するということでは、お前は私に及ばない。しかし、賢者の意見を聞き、才能をある者を用いて国を保っていくということでは、お前の方が私よりも優れている」と言って、印綬を渡した。 その夜のうちに亡くなった。26歳だった。 後に孫権が皇帝になると孫策は『長沙桓王』と諡された。 『演義』では、負け知らずの戦歴とその気性の激しさから「江東の小覇王」と呼ばれていた。 「覇王」というのは、漢の国を興した劉邦のライバルだった勇将項羽のこと。 太史慈と一騎打ちしたのは、『演義』にも『正史』にもある。 父孫堅が『呉国の祖』ならば、孫策は『呉国の基盤を築き上げた君主』だろう。 彼が築き上げたものは、この後の赤壁の戦いを経て確実なものになっていったからだ。 ただ、管理人側から不可解なことが一つ。 孫権が皇帝に即位した後、父に対して『武烈皇帝』と『皇帝』として諡しているが、兄孫策に対して『長沙桓王』と、『王』で諡している。 父に対しては尊敬の念があっただろう。しかし、兄に対しては何か含むことがあったとしか思えない。 もしくは、父をより敬っていることを示す為に、兄を『王』にしたのかもしれないが、それでも首を傾げたくなる。 ちなみに、彼には一人息子がいたが、後に後継者争いの巻き添えとなり殺害されている。