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ウィキペディアより引用します。 読むのが面倒だ!という方は日本における三国志の受容と流行までの文を読んでから 管理人が最後に書くまとめみたいなんでも読んでみてください。 といっても管理人もあまりよんでませんが。 三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。 「三国志」とはその名のとおり、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇したことから付いたものであり、三国時代のことを叙述した歴史書が、元蜀の家臣で後に西晋に仕えた陳寿によって『三国志』と名づけられた事に由来する。この時代の曹操・孫権・劉備らが争い合ったことは一般にも良く知られている。 その後、歴史書の『三国志』やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした説話が好まれ、その説話を基として明の初期に羅貫中らの手によって『三国志演義』として成立した。 「三国志」の世界は『三国志演義』を基としてその後も発展を続け、世界中に広まった。 日本における三国志の受容と流行 正史の受容 『三国志』の伝来時期は正確には判明していないようである。 天平宝字4年(760年)に成立した『藤氏家伝』大織冠伝には蘇我入鹿の政を「董卓の暴慢既に國に行なはる」と批判する記述があり、すでに董卓の奸臣としてのイメージが形成されていた事が窺われる。 天平宝字4年淳仁天皇は舎人6人を大宰府に遣わして吉備真備の下で「諸葛亮八陳」「孫子九地」といった陣法を修得させている(『続日本紀』巻23)。 神護景雲3年(769年)称徳天皇が大宰府の請に応じて『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』『晋書』を下賜している(『続日本紀』巻30)。これらの史書が日本国内に普及する過程を示す一例である。 藤原佐世が撰述した平安初期の漢籍目録『日本国見在書目録』には[2]当時の日本に存在した後漢時代の史料として『東観漢紀』『後漢書』『三国志』『後漢紀』『帝王世紀』を挙げる。また、平安末期の藤原通憲(信西)の『通憲入道蔵書目録』には「『魏呉蜀志』二十帖」があり、藤原頼長は読了した漢籍として「『三国志』帝紀十巻」を挙げている(『台記』巻3・康治2年(1143年)9月29日条)。 『太平記』巻20「斉藤七郎入道々献占義貞夢事付孔明仲達事」(西源院本の事書)には、大蛇に変身する夢を見た新田義貞が吉夢であると喜ぶが、斉藤道献は密かに大蛇を「臥竜」諸葛孔明の奮闘と無念の死に重ね合わせ、燈明寺畷での義貞の戦死を予感するという描写がある。この物語は曹操・劉備存命中に五丈原の役が起こるなど、史実や演義などと異同がある上孔明の出廬の場面も潤色されており、日本でアレンジされた一つの三国志物語とも言える。 中世以降、五山の学僧や江戸の漢学者は主に朱子学に基づき三国志の人物を論評した。諸葛亮が「王佐の才」を有するか否かについて鵜飼石斎はこれを肯定し、伊藤仁斎はこれを否定した[3]。 林鵞峰以降、江戸期の漢詩の題材としても三国志の人物が好まれ、特に関羽と諸葛亮が至忠の烈臣として讃えられた[4]。明治期の土井晩翠の新体詩「星落秋風五丈原」(明治32年(1899年)『天地有情』所収)もこの伝統を踏まえたものである。 明治以降の正史に基づいた史伝として内藤湖南『諸葛武侯』(東華堂 1897年)、吉川幸次郎『三国志実録』(筑摩書房 1962年)がある。また陳舜臣『秘本三国志』などの小説の一部には正史の記述が取り入れられている。しかし、吉川三国志などの急速な普及により三国志といえば、『三国志演義』の物語を指すのが通常であった。 状況が一変するのは『世界古典文学全集24 三国志』全3巻(筑摩書房 1977年 - 1989年)で『三国志』が初めて日本語訳され、1993年に文庫版が発売されてからである。これにより、一般の三国志愛好家が正史を読むことができるようになり、多くの人々が『三国志演義』により固定化されていたイメージに疑問を持つようになった。これ以後、正史を基礎とした三国志の解説書が多数登場し、漫画やゲームなどにも正史を基にした作品が現れるようになる[5]。ただし、これらの作品はいずれも横山三国志(漫画家横山光輝)など従来の演義ベースの設定に拠っている部分も多く(特に人物の外見や武具など)、純粋に正史に基づいた作品というよりは、演義に基づいた三国志ブームの中で人物設定や出来事など一部の事柄を正史に基づいて再構成したという意味合いが強い。 三国志演義・大衆文化の受容 『三国志演義』の伝来時期は確定されていないが、江戸初期には『演義』受容の記録が漸く増加し、詩文などの中に演義の影響を受けたものも見られる。[6]林羅山は慶長9年(1604年)までに『通俗演義三国志』を読了した[7]。また、元和2年(1616年)に徳川家康の遺志により駿府の文庫から水戸藩・尾張藩へ移された書籍の内に『演義』があった[8]。 『三国志演義』の日本語訳として、元禄2年(1689年) - 5年(1692年)に湖南文山(『大観随筆』によれば天龍寺の僧義轍および月堂の筆名)『通俗三国志』が刊行される。これは日本語完訳された初めての外国小説であり、満州語版に次いで2番目の外国語訳『三国志演義』である[9]。同書は以後も再刊を繰り返し、葛飾戴斗(葛飾北斎の弟子))の錦絵を付した池田東雛亭編『絵本通俗三国志』(天保7年(1836年) - 12年(1841年刊)が人気を博し、明治には幸田露伴『新訂通俗三国志』(東亜堂書房 1911年)がある。 明治以後には『通俗三国志』以外にも諸種の訳が現れ、明治期には久保天随『新訳演義三国志』(至誠堂 1912年)が名高い。戦後は小川環樹・金田純一郎『三国志』(岩波文庫 1973年 改版88年)、立間祥介『三国志演義』(平凡社 1958年、徳間文庫 1983年)、井波律子『三国志演義』(ちくま文庫 2003年)、渡辺精一『新訳三国志』(天・地・人の巻 講談社 2000年)があり、これらの訳本は改稿・重版を経て現在も通行している。 『通俗三国志』の刊行以後、大衆文化にも三国志が普及し歌舞伎においては早くも文化8年初演「助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出る。また万延元年初演「三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、梅の下にて」義兄弟の契りを結ぶ場面がある。また元文2年初演の作品に「関羽」というそのものずばりの題名もある。近年では市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』がある。 洒落本では夢中楽介の『通人三国師』(天明元年(1781年)刊がある。劉備が吉原で料亭を営むところに借金を抱えた孔明が転がり込み、さらに仲達が押し掛けるが孔明の計略で撃退される、という筋立てである。このような三国志のパロディは文人のみならず読者層にも三国志の物語が広く敷衍していたことを示すもので、江戸人の『演義』読解への熱意を見出す見解がある[10]。 曲亭馬琴は羅貫中ら中国の小説家を崇敬し自らを羅貫中になぞらえており、読本の表現手法において『三国志演義』に負うところが大きい[11]。その一方、随筆においては関羽に対する辛らつなコメントを残している。 戦国の人物を三国志の登場人物になぞらえることも行われ、竹中半兵衛は諸葛亮に擬せられ[12]、豊臣秀吉・徳川家康は諸葛亮の智謀・関羽の勇を兼備した武将と評された[13]。 明治以後は『三国志演義』をもとにした時代小説も多く現れるようになり、児童向けの野村愛正『三国志物語』(大日本雄弁会講談社 1940年)などがあるが、戦後の三国志ブームの礎となったのが吉川英治の新聞小説『三国志』(『台湾日日新報』等に連載。単行本は大日本雄弁会講談社 1948年・六興出版 1956年)である。戦闘シーンなどの冗長な描写を省き、人物像にも独自の解釈を取り入れた格調高い歴史文学として評価されている。また、中国人と日本人との感性の差を考慮し、日本人にとって受け入れがたいエピソード(劉備をもてなすのに劉安が妻を殺してその人肉を提供するなど(鉢の木のエピソードの原型版))に作者のコメントを寄せるなどの改変を行っている。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世の風雲児として鮮やかに描いているのが特徴である。日本では、吉川三国志が事実上の底本となっている。これ以後柴田錬三郎『三国志』(鱒書房 1955年)『柴錬三国志 英雄ここにあり』(講談社 1975年)『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』(講談社 1977年)[14]、陳舜臣『秘本三国志』(文藝春秋 1974年)『諸葛孔明』1991年 『曹操』1998年(各.中央公論社 のち同文庫)、北方謙三『三国志』(角川春樹事務所 1996年)、安能務『三国演義』(講談社 1999年)、宮城谷昌光『三国志』(文藝春秋 2004年)を代表とする「三国志」小説が次々と登場する。 戦後のメディア作品としては吉川三国志をそのまま漫画化した横山光輝の漫画『三国志』や人形劇の『人形劇三国志』などが高い評価を受けた。また、曹操を主人公とした漫画である『蒼天航路』も高い評価を受けている。ゲームについては、『三國志シリーズ』や『真・三國無双シリーズ』などがヒット作品となっている。2008年には、ジョン・ウー監督のもとで「赤壁の戦い」をメインにした映画『レッドクリフ』が公開され、ヒット作品となっている。 高度成長期のビジネス競争の過熱の中で、競争を生き抜く知恵や企業のリーダー像の見本として、『孫子』などともに『三国志演義』もしばしば引き合いに出され、『三国志演義』に学べとしたビジネス書が多数刊行された。 1980年代以降、ゲーム・漫画において爆発的な三国志ブームが起き、三国志はジャンルの一つとして定着する。その後今日に至るまで、漫画やゲームや映画やアニメとして多数の作品が出版・製作され、不動の人気を博してきた。また他にも、三国志に出てくる人物の名前やその時代観を基にした、全く違ったものが作られるなど多彩なものと成りつつある。 そしてそれら三国志を題材にした作品は、必ずしも『三国志』あるいは『三国志演義』に忠実なものではなく、大きく改変が加えられているものも多い。特に顕著な傾向として、諸葛亮死後以降の展開については省略が目立ち、晋の統一に至るまで忠実に描き切った『三国志』作品は国内では皆無である。また、「もし、こうなっていたら」という仮定の設定で作られているものや、君主の設定が少し違うもの、あるいは基になっている人物の性別を換えているものなど、多種多様な作品が存在している。 三国志とは蜀の臣下の陳寿という方が記した歴史書だったんですね。 みなさん三国志は吉川三国志やその漫画版 横山光輝の三国志、 あるいはコーエーのゲーム三国志、三国無双。今年はレッドクリフなどの方がほとんどでしょうが ほとんどが三国志演義ベースなんですね。 北方謙三などが正史ベースです。 蒼天航路はどっちかな? えぇ?正史とか演義って何?ってかたは正史と演義を。 興味をもっていただけましたか? このwikiを読み通せばあなたも立派な 三国志オタク!!
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ベジマギ攻略VGMGトップ 通常エリア ●エリア23 湿原の族長の支配地 ステージ スタミナ 備考 全滅勝利 ボス撃破 敵陣制圧 ←3つ達成 ステイルメイト 1 黒い大地(まだ) 15 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 2 泥にまみれて(まだ) 15 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 3 誰が誰だかわからない(まだ) 15 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 4 泥んこバトル(まだ) 15 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 5 ブナシメジの手荒い歓迎(まだ) 15 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 6 カッコ悪い戦い方(まだ) 15 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 7 あ…足が、ぬ・け・な・い!(まだ) 15 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 8 根菜の女王の元へ(まだ) 18 ミネルバ? ミネルバ? ベジメダル? 通常エリア 前:明け方の落葉樹林 次:初夏の険しい山
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<pixiv三国志の総合規約> pixiv内における規約をまとめました。 登録人数に制限はありません。 実在した武将やオリジナルの武将など、ご自由に参加してくださって構いません。 実在武将の被りは禁止です。 実在の武将の場合でも、設定はオリジナルでも構いません 性転換も可。 所属は実在した勢力、オリジナルの勢力、無所属など、どれでも構いませんが、設定内に分かりやすく明記してください。 名簿では魏、呉、蜀、袁、西涼、後漢、他の7つで分けていますので、参考にされてください。 設定では「一番強い」などの制限がかかる様なものはご遠慮ください。 仙術や妖術、妖怪などのファンタジー設定は可です。 登録後は戦うなり放浪するなり自由に行動していただいて大丈夫です。 企画内企画は大歓迎ですので、どんどん発案して構いません。 武将作成について 近代的な服装や異国の衣装でも、ファンタジー色が強ければ可とします。 ミニスカ等も大丈夫です。 機械やロボットなどは、カラクリという形でなら出して構いません。 カタカナや外来語、異文化の風習などもどんどん使って貰って構いません。 タグについて タグは必ず 【ぴく國】 をつけてください。 また、所属ごとに分かりやすくするため 【ぴく國】魏 や 【ぴく國】無所属 などのタグもお願いします。 武将登録時のみ 【ぴく國】武将列伝 のタグをつけてください。 自分の描いた武将を、全年齢向けのイラストで描いても良い、描いて欲しいという方は 私を描ける奴は居るかっ というタグをつけてください。 R-18で描いても良いという方は 【ぴく國】後宮 タグもつけてください。 R-18で描いた方も、18禁用タグ 【ぴく國】後宮 を付ける様にお願いいたします。 R-18絵の場合はpixivのガイドラインに沿って、適切な処理をお願いします。 詳しくは規約3をどうぞ 以下はpixiv内リンクになります。 規約1 規約2 Q&A 背景テンプレート テンプレのカスタマイズや、オリジナルの背景でも構いません
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三国志(さんごくし) Wikipediaより 三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。 つまり、コーエー「三國志オンライン」とは、史実を元にした物語を下地において作られている。コーエーの三國志シリーズは比較的三国志演義の影響を受けていると言われ、演義は史実とは異なる点も多々指摘されている。しかし史実を元に書かれたことには違いが無い。 魏呉蜀が三国で争っていた時代は西暦180年頃~280年頃のことであり、日本で言うところの倭の時代である。「三国志」魏書・東夷伝(いわゆる「魏志倭人伝」)によると、倭の女王卑弥呼が魏の明帝へ使者を送ったという。この明帝とは、曹叡(曹元仲)のことを指す。曹叡は高名な曹操(曹孟徳)の孫であり、文帝曹丕(曹子桓)の長男でもある。 時代考証 ただし、4gamerインタビューによると「年代を決めてしまうと,登場する有名武将が,限られてしまう」(上野氏)ために、三国志の長い歴史(180年頃~280年頃)のすべての時代を取り扱っているとされている。つまり、「三国志演義」に登場するような武将たちが史実の生没年代にかかわりなく登場するということである。 また、同インタビューにて上野氏が、「三國志の世界と古代幻想中国の融合を目指していますので,妖術はありますし,牛魔王のような,その当時信じられていたであろう怪物が存在します。」と言っている。 つまり、現代の歴史考察においては存在しない化け物など、「あの時代に生きていた人が普通に信じていたもの」もゲーム中に登場させるし、妖術といったものもまた然りということである。その代表的なものとして、青龍、白虎、朱雀、玄武のいわゆる四神のほかに、「陰陽五行説をベースにしている」ため麒麟までもが登場するという。 三国志オンラインの地名 プレイヤーが最初にゲーム内に降り立つ水鏡村は、水鏡先生つまり司馬徽が住んでいたといわれる村をモチーフにしている。水鏡村に立っている戦闘総師範徐庶は、司馬徽の弟子の一人。 実際には司馬徽は、荊州の都市襄陽にすんでいたと言われ、劉備が三顧之礼で迎えた諸葛亮は襄陽西北郊外の隆中山に住んでいたという。
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特徴 正式名称『三国志SAGA~戦火の嵐~』 基本プレイ無料 三国志を題材にした戦略シュミレーションブラウザゲーム シュミレーションにありがちな資源開発や施設建設、兵士募集のルーチンワークに時間を費やす必要がない ゲーム初盤から直接、三国志の戦場に飛び込み、リアルで本格的な戦略シュミレーションを楽しむことができる このページに追加したい情報・項目を投稿してください。 名前 Amazon.co.jp ウィジェット Amazon.co.jp ウィジェット
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読み さんごくし 正式名称 別名 和了り飜 役満 役満(門前のみ) 牌例 三三三五五中中ロン五ポン九九九ポン四四四 解説 3、5、9、4の刻子で役満となる。 成分分析 三国志の71%は心の壁で出来ています。三国志の26%はスライムで出来ています。三国志の2%は雪の結晶で出来ています。三国志の1%はやさしさで出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況
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1:『三国志』って何? 語ると長いが、『三国志』自体は中国の歴史書の名前である。著者は陳寿(字は承祚。232-297。三国~晋の時代に生きてた人)。 裴松之(372-451)という人が後になって異説や民間伝承などを注釈として入れ、現存する今の形になっている。 この注釈部分が後に出る『三国志演義』に大きな影響を与えた。 『三国志』は、中国後漢・三国時代を紀伝体という書き方でまとめたもので、中国歴代正史の一つ。 その名の通り、中国大陸を「魏」・「呉」・「蜀」と三つに分けた時代の成り立ちから末路までを著している。 魏が30巻、呉が20巻、蜀が15巻の全65巻。 漢(後漢)の皇帝から禅譲(全く血の繋がらない貴方に皇帝の座を譲ります、ということ)された「魏」を正当な王朝としている。だから巻数も多い。 後漢が名ばかりの国となり群雄割拠の時代に入る。その中から飛び出した「曹操」・「孫権」・「劉備」が「魏」・「呉」・「蜀」という国をそれぞれ建国し、その後三国時代からその末期までを時代に生きた人物伝で追うことができる。 余談だが、「漢」という字自体中国に関することを表す。「漢方」・「漢字」・「漢文」など。 2:劉備が主人公?曹操って悪い奴って聞いたけど? そうではない。そんなのは人それぞれの感じ方次第だと言いたいが、文学の影響は絶大である。 何故、こんなイメージがついてしまったか。 全ては『三国志演義』にある。 『三国志演義』は中国明の時代(1368-1644)に出来た全120回の長編小説で、羅貫中( 施耐庵)という人がまとめた。 漢の皇帝の血を引いている(と言っても何十人といた皇帝の子供の末裔)劉備が、草鞋売りから一念発起して戦いと放浪の果てに今の中国四川省を中心に「蜀(蜀漢)」という国を作って、劉備が亡くなると臣下の諸葛亮が劉備の思いを叶えようと必死に頑張る姿が描かれている。 有名な横山光輝の『三国志』も、『三国志演義』をベース(吉川英治ベース)にしている。 だから劉備が主人公で、曹操がライバルとして描かれているのだ。 一言で「三国志」といってもごちゃごちゃになるので、『正史』・『演義』と区別することがある。ただ、基本的に「三国志」といったら『正史』を示す。 語弊があるかもしれないが、『三国志』が原作で、『三国志演義』が二次創作、と言えば分かりやすいか。 ちなみに。 『演義』の内容を正史だと言わんばかりに熱く語ると、痛い奴だと思われるし、笑われるので気を付けよう。 でも、『正史』が全て正しい訳ではないので、その点も注意しよう。(「正史」というのは、皇帝から正式に認められた史書という意味だよ) 3:三国志のゲームってどうなってるの? 『幻想三国志』で使用されているゲームは、KOEI(旧光栄。2ch内では”肥”と呼ばれる。面倒なのでここでも肥で)から出ている三國志シリーズ第9弾『三國志9』(PCPK版)。 PS2でも出ているが、顔グラの変更ができない。 基本的に三国志演義準拠。ただし、正史にしか登場しない人物も出てくる。能力値などは5作品目くらいから正史要素も含まれ始めた。 詳しいシステムについては三國志9の基本システムで述べるが、プレイヤーが君主となり、国を育て繁栄させる内政や、自国を守ったり他国の領土を奪う戦争、他国との外交、他国への計略などを指示する。で、領土を広げ、全ての都市を攻略し大陸統一を果たして終了。 シリーズによっては、プレイヤー=君主ではないものもある。三國志に出てくる全ての武将から一人選んで操作。つまり自分の分身。君主になるもよし、軍師を目指すのもよし、友達100人目指すのも、引き篭もりニートでもよし。 しかし、このシステムのシリーズは、大体売り上げと評判がわr(ry ちなみに、これから買う方に注意。 肥の歴史戦略ゲームシリーズには必ず「本体」とその後に出る「PK」がある。「PK」とはパワーアップキットの略。 「本体」の追加要素として販売されるが、実はコイツが曲者。 「本体」ではいろいろと不具合の多かった部分が改善されたり、面白システムが追加されていたりする。 『三國志9』でいう「抜擢武将システム」がいい例。 なので、「本体」だけでは絶対に後悔する。試作品とまで言われているくらいだ。なので、必ず「PK」と一緒に買うこと。 そして、肥のサイトへ行ってバグの修正(パッチをあてる)をしよう。 「本体」だけでは絶対に満足させず(人はこれを手抜きといふ)、「PK」を買わせる。これが『肥商法』である。 キタネーヨ、と思わせつつも、ついつい買うのが三國志ゲームファン。 歴代の三國志ゲームを続けているつわものは皆、この道を歩んでいる。 4:結局、歴史なんて難しすぎてワカンネーヨ 待て、慌てるな。これは孔明の(ry という、この孔明も三国志の人物である。 歴史は後世の人物が綴ったものであり、100%真実ではない。それを読んだ人間によって感じ方は様々。また、古ければ古いほど史料の残存率は低く、結局は想像と憶測でしか語れない部分も少なくない。 管理人の個人的意見だが、もし、『幻想三国志』の動画を見て『三国志』に触れたくなったら、吉川英治の「三国志」をまずお勧めする。北方謙三や横光もお勧め。 「お勧め三国志」という項目も作ったので、自分にあった三国志入門書が見つかると思う。 それから『正史』に触れて欲しいな。いきなり『正史』は難しいよ。 ▲ 上へ
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登録日:2009/06/27 Sat 13 00 05 更新日:2024/03/04 Mon 19 35 35NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 三国志 三国志演義 三國無双 中国史 前漢 劉備 劉協 司馬懿 司馬炎 呉 孫権 後漢 教科書では二行あれば充分 晋 曹操 漢 蜀 陳寿 魏 魏志倭人伝 魏晋南北朝時代 《三国志》は、巨大で豪壮な、凄まじくも儚い物語である。 あらゆる才能と志が活躍し、生き場を求め、散っていく。三国の時代からはるか後の現代でも、私たちは彼らの生き様と死に様に心惹かれ、没頭してゆく。 大まかな流れは三国志【年表】を参照。 なお年代記的には「三国時代」ではあるが、続く時代もひっくるめて「魏晋南北朝時代」とまとめられることも多い。 そして一つ押さえておきたいこと、この頃の日本は邪馬台国の時代。 当時の中華文明がいかに先進的だったか、この一事だけでも十分に理解できるだろう。 【成立】 『三国志』の原典は晋王朝に仕えた蜀出身の史官・陳寿が編纂し書き記した、正史『三国志』全六十五巻を言う。 しかし、物事を淡々と簡潔に記してあるだけなので、良くいえば「簡明」、悪くいえば「無味乾燥」で、面白いものではない。 そもそも正史『三国志』は歴史書である。 読者を楽しませるために書かれたものではなく、歴史的事実を端的に記述することを目的としているので当然なのだが、 この歴史書を参考にし、庶民にもわかりやすくした娯楽小説、それが『三国志演義』である。 大胆な脚色とわかりやすい位置付け、怒涛のストーリー展開で民衆の心を掴んだ。 こちらは娯楽本という性質の違いから、虚構と事実が入り混じり、多くの俗説を取り込んだ為どっちつかずの部分も多々ある。 重要なのは、 正史のすべてが必ずしも事実だとは限らないということ と、 演義が必ずしも虚構だけの物語ではない ということを胸に刻んでおくことである。 むしろ中国人の思想、とくに庶民の思想も多く取り込まれており、その意味では文化的な意味で重要な「野史」ともいえる。 『三国志演義』は東晋、宋初期に仕えた裴松之(はいしょうし)が注を付けた『裴松之注三国志』が原作に近い。 これは陳寿の『三国志』に、後漢、蜀、呉、魏の逸話や民間伝承、魏にとって不利な事実(記されていないもの)が大量の追記がされ注が付けられており、伝承なども書かれている。 これを参考に民間で講談師や劇作家が面白く創作し、多くの人物像が形成されたり省略されたりして理解しやすく改変し、民衆に親しまれることとなる。 『三国志演義』の作者は一四世紀、明の時代の《羅貫中》(らかんちゅう)という人で、三国鼎立の時代からは千年余の時間が過ぎている。 これは小説で、フィクションが混ざっている。むろん、物語の基軸は史実に基づいてはいるが、三~四割程度が創作である。 それらのフィクションも、羅貫中自身が作り上げたというよりも、千年の永きに渡り庶民の間で広まっていた伝説などがベースである。 面白いエピソードばかりを採用したのだから、『三国志演義』がつまらないわけがない……と言いたいところであるが、どうであろうか。 『三国志演義』の最大の特徴は、歴史書版『三国志』では敗北し滅亡する側の蜀皇帝・劉備、その軍師・諸葛亮を主人公とし、大国魏の曹操を最強最悪の敵役とした点であろう。 いわば、悪が栄え、正義が滅んでいくという悲壮なるドラマに完全に仕立てあげた。 これは庶民に受けた。さらには海を越え時代を超えて、日本人にも親しまれた。 というわけで、一般的に《三国志》という場合、もともとの歴史書ではなく、『三国志演義』のことをいう。 創作における三国志 多くの人々に親しまれた三国志(三国志演義自体が創作でもあることはさておくとして)。 小説や漫画、ゲーム、映画などの題材に選ばれることも少なくない。 現在の日本でもっとも著名な三国志といえば、吉川英治氏の小説、そして吉川版を原案とした横山光輝氏の漫画作品だろう。 三国志演義を大元に据え、英雄たちの興亡を描いた大作である。 なお、最後に希望があるみたいな終わり方をしているが、それは地獄への入り口だ。 娯楽小説として親しまれてきた『演義』系作品の一方で、正史の『三国志』をベースにしている作品も現れた。 李學仁原案・王欣太執筆の漫画『蒼天航路』は掴み所の無い、快活だが冷徹な快男児・曹操と魅力溢れる英雄たちを豪麗に描き、 北方謙三の小説『三国志』では《男》の生き様と死に様とは何かを突き詰めて書いており、 宮城谷昌光の小説『三国志』では後漢王朝の腐敗の要因、政治の要諦とはなにかを、つまびらかに著している。 どの作品も、一度は読んでいただきたい作品である。 一般的な理解に対して、まったく異なる独特な観点で描いているのが安能務の小説『三国演義』。 作者のリンク先項目も参照してほしいが、戸籍登録人口の少なさに象徴される当時の社会情勢に着目し、曹操や孔明などの「英雄」たちが実は歴史を変える力を持たない、非力な存在であったという、一風変わったビターな三国志が描かれる。 ゲーム分野では、Koeiの戦略シミュレーション『三国志』シリーズや、英雄たちを操り押し寄せる敵兵を豪快になぎ倒すアクションゲーム『真・三国無双』がその筆頭だろう。 ユーザーの間で演義系・正史系の双方が認知されていくにつれ変化していった作中における人物像もまた興味深い。 映画は2008年・2009年に二部構成で公開されたジョン・ウー監督作品《レッドクリフ》が記憶に新しい。 その評価と賛否は分かれるものの、当時の雰囲気のようなものは伝わったのではないだろうか。 (レッドクリフ登場人物の髪型などは当時の風俗を忠実に再現している) またレッドクリフよりもはるか以前に作られた、中国中央電視台による国営版「三国演義」も映像モノとしては有力。 なにせ黄巾の乱から三国滅亡まで、全編を網羅している超大作。 馬から城郭から赤壁戦艦群から、すべてが1/1スケールで再現されたという徹底ぶり。CG? んなもんありません。 ただしあまりに大作すぎて視るのは大変だが。 【英雄たちの人物像】 《三国志》には数多の英雄たちが現出するが、彼らの実像は歴史の混迷に遮られていてよくわからない。 だが、逸話のなかで部分的に垣間見える姿形も有る。 以下は英雄たちの実像に、少しだけ迫ってみたものである。 【劉備】 《三国志演義》では彼は徳の将軍、皇室の末裔とされ、善の象徴のような人物で、大義を掲げ民を救うために各地を奔走する。 実際は奔走するというより転げ回ったといったほうが的確だが、 彼は関羽や張飛といった剛勇の士を義兄弟として、諸葛亮や法正などの知謀の士を従えたことから、やはり尋常ならざる人物だといえる。 時代を見通す眼を持ち得なかった人だともいえるが、諸葛亮という眼を手に入れた彼はついに蜀を建国した。 放浪の末に国を手に入れた彼は、並々ならぬ《意地》の英雄ではなかろうか。 ちなみに見方を変えると「行く先々で裏切りを繰り返しながら臆面もなく偽善者ぶり、ついには皇帝になったしぶとい権謀家」とも見れる。 呂布いわく「こいつが一番信用できないんだ!」 【孫権】 父・孫堅、兄・孫策の遺した基盤を継ぎ、着々と勢力を拡大した。《三国志演義》では狭量な策謀家として描かれ、劇的な描写は少ない。 曹操のように自ら前線で指揮を採ることは少なく、統治能力、政治に長けていたことも起因するのではないだろうか。 実際の彼は異民族をよく治め、山越(呉の山領を住み処とした族)の若者を配下に加えている。 父兄の死を乗り越え、臣下の分裂も許さず、若くして君主権力の強化に努めた。 《和》を保ち《謀》を打ち出した彼は、偉大なる君主と呼んで差し支えないだろう。 ただし、晩年は除く 【曹操】 迷宮のような人格の人である。 最大の権力を持ちながら、劉備、孫権のように皇帝の位に即かず、あくまで漢を倒さなかった。 四海の群雄を滅ぼし、中華で最大最強の国を作り上げた彼がなぜ、最上の地位に即かなかったか。 それを知れば、やがて曹操という英雄の実像が見えてくる……と言いたいのだが、《三国志演義》で悪役として定着した彼の姿はやはり、簡単には拭えない。 武と智を併せ持ち、魏国を建てた曹操はやはり、乱世の奸雄であった、ということだろうか。 【三国志の魅力とはなにか】 人の持つ夢や憤慨の念はいつしか大地を揺るがし、天を衝き動かす。 動乱に立ち向かう民衆の勇姿に震え、平和を願いつつ戦う英雄たちの一挙一動に握りこぶしを作る。 限りの有る人生をどう生きるか、決断を迫られたときどうするか。決断を下した者たちの、溢れんばかりの生の力。 これが、三国志が人々を惹きつけてやまぬ所以ではないだろうか。 追記、修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 曹操で始まり孔明に終わる あるいは 董卓が引き起こし 司馬氏が納める かな -- 松永さん (2013-10-31 00 16 45) 現実の孔明って、曹操やかませにされた連中からすれば、劉備のとこにそんなのがいるらしいな、って程度らしい……。 -- 名無し (2013-10-31 00 37 01) つか孔明って軍略家じゃなくて政治家って話じゃなかった? -- 名無しさん (2013-10-31 00 46 31) 政治家だよ、実際には軍を率いる事は上手く出来ても演義でやってた奇策を持って敵を打ち破るってのは苦手だったらしい 因みに人を見る目がないってのは武官系の話で孔明が見付けた文官はよく仕事してる -- 名無しさん (2013-10-31 06 07 01) DMCの作者は「どの勢力に属するか」との問いに「全部」、「好きな武将は?」との問いに「知らない」と答えている。 -- 名無しさん (2013-11-01 16 33 05) 最終的には三国どこも天下を取れず新しく出て来た別の国が大陸を統一する…諸行無常だなぁ -- 名無しさん (2013-12-05 08 37 39) ↑×5諸葛氏は瑯邪郡出身なんだけど、この辺りの土地は結構名士を排出してる土地なんよ。で当時の名士は、敵味方に別れても意外と手紙のやり取りとか普通にしてたりするんだよね。瑯邪出身の諸葛氏の一族ねって事で多少は知名度はあったと思われ。実際諸葛氏は三国の全てに一族いたし、当時の名士の情報網てゆーか交友関係って侮れないよ。 -- 名無しさん (2014-02-18 00 28 47) ↑同意。というか孔明って、一族の単位で語られるのが少ないんだよね… -- 名無しさん (2014-08-13 18 53 47) 孫権は褒めすぎだろ -- 名無しさん (2014-10-20 22 00 24) 孫権は晩年がもうマジキチ -- 名無しさん (2015-01-04 00 46 09) 最近は劉備より曹操を中心にする傾向が有るように感じる、最近の中国大作ドラマな三国志では曹操が主人公みたいな感じだった -- 名無しさん (2015-01-04 01 29 16) 今更だが何で三国志演義では正義の劉備VS悪の曹操って感じに描かれたんだろうな。歴史的には勝者は曹操とされているのに… -- 名無しさん (2015-03-31 22 03 09) 思えばハマった切っ掛けは中学の図書館で読んだ横山光輝三国志だわさ。 -- 名無しさん (2015-03-31 22 20 00) ↑↑ 中国は儒教国家だから。儒者の人たちは基本的に王朝=正義って感じだから、簒奪者とか反乱やってる連中はクズ扱いする。 -- 名無しさん (2015-04-01 00 51 25) 強いものがいて、しかし「英雄」はおらずって感じですね。 最近は演義で正義だったものがただの群雄だったりクズだったりする -- 名無しさん (2015-04-01 10 52 19) 曹魏の後継の晋がアレだったってのも一つの要因だろうな>正義の劉備VS悪の曹操 -- 名無しさん (2015-04-01 11 05 25) 究極的に言えば勝者はいないんだろうけどな。晋ですら早々に滅ぶし -- 名無しさん (2015-12-15 18 05 14) 日本史でさえ手を焼くのに海外にも目を向けろとか無理ぽ。コーエーのゲームも一切興味ないし -- 名無しさん (2016-02-02 13 04 26) ↑3、5、7 元々正史自体が蜀の文官が記載したもの(実際劉備に対しては好意的に記載している)である事、丁度演技が作られた時期がモンゴル民族の支配下で漢民族が弾圧されていた事で劉備側に感情移入しやすかった事と純粋な判官贔屓が合わさって劉備側が正義と描写されたんだと思う。 -- 名無しさん (2016-02-26 21 18 47) ↑2 よしわかった。まずは『独眼竜政宗』からはじめようかw -- 名無しさん (2016-09-16 11 27 22) 曹操は快活なダークヒーロー、劉備は聖人君主ってどちらもポジティブな視点で描いた作品の方が近頃は多いね。良い傾向 -- 名無しさん (2016-12-10 06 30 58) ↑6 英雄の大半が結構エグい事しているから英雄=高潔で素晴らしい人って考え自体が間違い。 -- 名無しさん (2016-12-10 09 49 48) そういえば、日本で色々な二次創作が盛んなのと同じように、中国では、三国志の二次創作が盛んだったりするのかな?そこらへん、中国の人に聞いてみたいな。 -- 名無しさん (2017-07-21 15 31 38) ↑最近ようやく女体化が出てきたんじゃなかったか?関帝強すぎでそこらへんの二次創作は多そうだが -- 名無しさん (2018-05-24 10 14 17) やっぱり日本での知名度は横山三国志の功績が最大だろうなぁ。 -- 名無しさん (2018-07-01 17 30 45) 何が凄いって、日本で言えば卑弥呼よりもさらに前の時代(「親魏倭王」の称号と金印を送ったのが曹操の孫)にこれだけのことをやって、しかもその記録が残ってるってことだよな。 -- 名無しさん (2018-11-29 11 25 33) ↑古代日本が先進国家として遣唐使、遣隋使を送っているのは伊達じゃないってことさね。唐も隋も日本史では聖徳太子、かなり初期のころに登場する国家、中国史だ既に中頃ってんだからやっぱすごいよ -- 名無しさん (2020-01-23 14 20 34) 聞いた話によると中国人は三國志の影響で日本人が三国時代に異様に詳しいことに驚き、同じ人がそれ以外の中国の歴史を全く知らないことに二度驚くらしい -- 名無しさん (2021-03-03 11 22 17) BB三国伝BBWも忘れちゃいけないぜー。三国志の入口としては最適じゃないかな -- 名無しさん (2021-04-01 22 33 56) 反三国志の記事がなかなかできないな。三国志の二次創作を始めて書いたのは周大荒が初めてか? -- 名無しさん (2021-04-25 22 33 23) 名前 コメント
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諸葛亮の次の天才軍師は? 選択肢 投票 龐統 (26) 司馬懿 (68) 陸遜 (25) (この三国志投票はどれかが50を超えると更新します。) 過去の投票 関羽と張飛、どちらが好き? 50対48で関羽の勝ち! 好きな皇帝は誰ですか? 劉備50 曹操13 孫権4で劉備の圧勝!