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ジョウヘイ 現在の遼寧省遼陽市中心部。 後漢末期の混乱の中、徐栄の推薦で董卓政権から遼東太守に任命された公孫度は、半独立勢力としてこの地を固めた。 以後、司馬懿の討伐を受けるまで約40年に渡り遼東公孫氏の支配下となった。 基本情報 襄平を攻める北平から 海から 襄平を守る北平からの敵 海からの敵 周辺地図 未発見武将 基本情報 本作では半島中央部に都市が在るが、実際は遼水北東部(本作では開発地の最北部)に存在。 収入は上級時のもの。初級だと25%増、超級だと25%減。 金収入 兵糧収入 開発地 港関 耐久 特色 備考 400 5000 12(8+4) 1 2600 軍馬 堤防あり 開発地の配置がやや特殊で、バランス良く生産性を上げるには工夫が必要。 闘艦なしでも水上から開発地攻撃可能。ただし地理の関係上、COMにはまず攻撃されない。 領内の遺跡・廟候補地は1つ。遼東半島の先端。 北東の僻地だが幽州で唯一の港を持つため、渡海作戦の際は戦略的要地となりうる。 襄平を攻める 北平から 攻略部隊の戦力に余裕があるなら、本道と浅瀬の2方面から攻めると迎撃部隊を分散できて楽。本道を通るなら、北の渡のあたりで迎撃部隊と戦闘になる。足が速く戦法可能な地形が限られる騎馬部隊はこちらから攻めるといいだろう。兵器部隊の到着までに時間がかかるようなら、東にある堤防決壊を狙ってみよう。 浅瀬を通るなら(要難所行軍)、ちょうど浅瀬を抜けた付近で迎撃部隊と戦闘になる。渋滞しやすいので槍部隊を先頭に進軍するといい。 海から 都市の位置関係上、大軍が駐屯していることは少ないが、水上から狙える位置に兵舎が建っていたら1部隊を破壊に向かわせるのも手。 安平港を落とした後は湿地帯で迎撃部隊と戦闘になる。湿地帯を抜ければ草地が広がるので、陣や軍楽台を設置しながら攻城に取り掛かろう。 余裕があるのなら、上陸したついでに港脇の遺跡・廟候補地に立ち寄るといい。 襄平を守る 北平からの敵 敵の侵攻ルートを見極めることが大事。ゲーム後半は大抵浅瀬を通って進軍してくる。本道を通って攻めてくる敵は、北の渡付近に防衛施設を建てて対応するといい。やや距離があるので騎馬部隊メインで迎撃したい。 浅瀬を通って攻めてくる敵は、敵が湿地に足を取られている間に戟部隊で進路を塞ぎつつ、後方から弩を用いて迎撃するといい。湿地帯の中に2箇所ある草地は防衛施設の建設にうってつけ。敵は浅瀬を突破できても、ここに建てた防衛施設のZOCに必ず引っかかる。 海からの敵 近攻遠交の原則を守っていれば、このルートから攻められることはまずない。 攻められた場合は港は遠いので明け渡し、城の南の草地が広がる場所に防衛施設を築いて迎え撃つといい。 周辺地図 未発見武将 シナリオ番号の対応関係はこちらを参照。 年 名前 シナリオ 184 国淵 2 3 4 9 13 185 太史慈 12 186 (公孫康) 1 12 188 (公孫恭) 1 12 215 卑衍 1 2 3 4 5 6 9 10 12 13 216 倫直 1 2 3 4 5 6 9 10 12 13 219 (公孫淵) 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 221 賈範 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 楊祚 1 2 3 4 5 6 9 10 11 12 13 S14の未発見武将は 賈範、公孫淵、公孫恭、公孫康、公孫度、卑衍、楊祚、倫直 S16の未発見武将は 于詮、張闓
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ウィキペディアより引用します。 読むのが面倒だ!という方は日本における三国志の受容と流行までの文を読んでから 管理人が最後に書くまとめみたいなんでも読んでみてください。 といっても管理人もあまりよんでませんが。 三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。 「三国志」とはその名のとおり、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇したことから付いたものであり、三国時代のことを叙述した歴史書が、元蜀の家臣で後に西晋に仕えた陳寿によって『三国志』と名づけられた事に由来する。この時代の曹操・孫権・劉備らが争い合ったことは一般にも良く知られている。 その後、歴史書の『三国志』やその他の民間伝承を基として唐・宋・元の時代にかけてこれら三国時代の三国の争覇を基とした説話が好まれ、その説話を基として明の初期に羅貫中らの手によって『三国志演義』として成立した。 「三国志」の世界は『三国志演義』を基としてその後も発展を続け、世界中に広まった。 日本における三国志の受容と流行 正史の受容 『三国志』の伝来時期は正確には判明していないようである。 天平宝字4年(760年)に成立した『藤氏家伝』大織冠伝には蘇我入鹿の政を「董卓の暴慢既に國に行なはる」と批判する記述があり、すでに董卓の奸臣としてのイメージが形成されていた事が窺われる。 天平宝字4年淳仁天皇は舎人6人を大宰府に遣わして吉備真備の下で「諸葛亮八陳」「孫子九地」といった陣法を修得させている(『続日本紀』巻23)。 神護景雲3年(769年)称徳天皇が大宰府の請に応じて『史記』『漢書』『後漢書』『三国志』『晋書』を下賜している(『続日本紀』巻30)。これらの史書が日本国内に普及する過程を示す一例である。 藤原佐世が撰述した平安初期の漢籍目録『日本国見在書目録』には[2]当時の日本に存在した後漢時代の史料として『東観漢紀』『後漢書』『三国志』『後漢紀』『帝王世紀』を挙げる。また、平安末期の藤原通憲(信西)の『通憲入道蔵書目録』には「『魏呉蜀志』二十帖」があり、藤原頼長は読了した漢籍として「『三国志』帝紀十巻」を挙げている(『台記』巻3・康治2年(1143年)9月29日条)。 『太平記』巻20「斉藤七郎入道々献占義貞夢事付孔明仲達事」(西源院本の事書)には、大蛇に変身する夢を見た新田義貞が吉夢であると喜ぶが、斉藤道献は密かに大蛇を「臥竜」諸葛孔明の奮闘と無念の死に重ね合わせ、燈明寺畷での義貞の戦死を予感するという描写がある。この物語は曹操・劉備存命中に五丈原の役が起こるなど、史実や演義などと異同がある上孔明の出廬の場面も潤色されており、日本でアレンジされた一つの三国志物語とも言える。 中世以降、五山の学僧や江戸の漢学者は主に朱子学に基づき三国志の人物を論評した。諸葛亮が「王佐の才」を有するか否かについて鵜飼石斎はこれを肯定し、伊藤仁斎はこれを否定した[3]。 林鵞峰以降、江戸期の漢詩の題材としても三国志の人物が好まれ、特に関羽と諸葛亮が至忠の烈臣として讃えられた[4]。明治期の土井晩翠の新体詩「星落秋風五丈原」(明治32年(1899年)『天地有情』所収)もこの伝統を踏まえたものである。 明治以降の正史に基づいた史伝として内藤湖南『諸葛武侯』(東華堂 1897年)、吉川幸次郎『三国志実録』(筑摩書房 1962年)がある。また陳舜臣『秘本三国志』などの小説の一部には正史の記述が取り入れられている。しかし、吉川三国志などの急速な普及により三国志といえば、『三国志演義』の物語を指すのが通常であった。 状況が一変するのは『世界古典文学全集24 三国志』全3巻(筑摩書房 1977年 - 1989年)で『三国志』が初めて日本語訳され、1993年に文庫版が発売されてからである。これにより、一般の三国志愛好家が正史を読むことができるようになり、多くの人々が『三国志演義』により固定化されていたイメージに疑問を持つようになった。これ以後、正史を基礎とした三国志の解説書が多数登場し、漫画やゲームなどにも正史を基にした作品が現れるようになる[5]。ただし、これらの作品はいずれも横山三国志(漫画家横山光輝)など従来の演義ベースの設定に拠っている部分も多く(特に人物の外見や武具など)、純粋に正史に基づいた作品というよりは、演義に基づいた三国志ブームの中で人物設定や出来事など一部の事柄を正史に基づいて再構成したという意味合いが強い。 三国志演義・大衆文化の受容 『三国志演義』の伝来時期は確定されていないが、江戸初期には『演義』受容の記録が漸く増加し、詩文などの中に演義の影響を受けたものも見られる。[6]林羅山は慶長9年(1604年)までに『通俗演義三国志』を読了した[7]。また、元和2年(1616年)に徳川家康の遺志により駿府の文庫から水戸藩・尾張藩へ移された書籍の内に『演義』があった[8]。 『三国志演義』の日本語訳として、元禄2年(1689年) - 5年(1692年)に湖南文山(『大観随筆』によれば天龍寺の僧義轍および月堂の筆名)『通俗三国志』が刊行される。これは日本語完訳された初めての外国小説であり、満州語版に次いで2番目の外国語訳『三国志演義』である[9]。同書は以後も再刊を繰り返し、葛飾戴斗(葛飾北斎の弟子))の錦絵を付した池田東雛亭編『絵本通俗三国志』(天保7年(1836年) - 12年(1841年刊)が人気を博し、明治には幸田露伴『新訂通俗三国志』(東亜堂書房 1911年)がある。 明治以後には『通俗三国志』以外にも諸種の訳が現れ、明治期には久保天随『新訳演義三国志』(至誠堂 1912年)が名高い。戦後は小川環樹・金田純一郎『三国志』(岩波文庫 1973年 改版88年)、立間祥介『三国志演義』(平凡社 1958年、徳間文庫 1983年)、井波律子『三国志演義』(ちくま文庫 2003年)、渡辺精一『新訳三国志』(天・地・人の巻 講談社 2000年)があり、これらの訳本は改稿・重版を経て現在も通行している。 『通俗三国志』の刊行以後、大衆文化にも三国志が普及し歌舞伎においては早くも文化8年初演「助六由縁江戸桜」に「『通俗三国志』の利者関羽」という台詞が出る。また万延元年初演「三人吉三廓初買」では「桃園ならぬ塀越しの、梅の下にて」義兄弟の契りを結ぶ場面がある。また元文2年初演の作品に「関羽」というそのものずばりの題名もある。近年では市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』がある。 洒落本では夢中楽介の『通人三国師』(天明元年(1781年)刊がある。劉備が吉原で料亭を営むところに借金を抱えた孔明が転がり込み、さらに仲達が押し掛けるが孔明の計略で撃退される、という筋立てである。このような三国志のパロディは文人のみならず読者層にも三国志の物語が広く敷衍していたことを示すもので、江戸人の『演義』読解への熱意を見出す見解がある[10]。 曲亭馬琴は羅貫中ら中国の小説家を崇敬し自らを羅貫中になぞらえており、読本の表現手法において『三国志演義』に負うところが大きい[11]。その一方、随筆においては関羽に対する辛らつなコメントを残している。 戦国の人物を三国志の登場人物になぞらえることも行われ、竹中半兵衛は諸葛亮に擬せられ[12]、豊臣秀吉・徳川家康は諸葛亮の智謀・関羽の勇を兼備した武将と評された[13]。 明治以後は『三国志演義』をもとにした時代小説も多く現れるようになり、児童向けの野村愛正『三国志物語』(大日本雄弁会講談社 1940年)などがあるが、戦後の三国志ブームの礎となったのが吉川英治の新聞小説『三国志』(『台湾日日新報』等に連載。単行本は大日本雄弁会講談社 1948年・六興出版 1956年)である。戦闘シーンなどの冗長な描写を省き、人物像にも独自の解釈を取り入れた格調高い歴史文学として評価されている。また、中国人と日本人との感性の差を考慮し、日本人にとって受け入れがたいエピソード(劉備をもてなすのに劉安が妻を殺してその人肉を提供するなど(鉢の木のエピソードの原型版))に作者のコメントを寄せるなどの改変を行っている。それまで単なる悪役扱いだった曹操を、人間味あふれる乱世の風雲児として鮮やかに描いているのが特徴である。日本では、吉川三国志が事実上の底本となっている。これ以後柴田錬三郎『三国志』(鱒書房 1955年)『柴錬三国志 英雄ここにあり』(講談社 1975年)『柴錬三国志 英雄生きるべきか死すべきか』(講談社 1977年)[14]、陳舜臣『秘本三国志』(文藝春秋 1974年)『諸葛孔明』1991年 『曹操』1998年(各.中央公論社 のち同文庫)、北方謙三『三国志』(角川春樹事務所 1996年)、安能務『三国演義』(講談社 1999年)、宮城谷昌光『三国志』(文藝春秋 2004年)を代表とする「三国志」小説が次々と登場する。 戦後のメディア作品としては吉川三国志をそのまま漫画化した横山光輝の漫画『三国志』や人形劇の『人形劇三国志』などが高い評価を受けた。また、曹操を主人公とした漫画である『蒼天航路』も高い評価を受けている。ゲームについては、『三國志シリーズ』や『真・三國無双シリーズ』などがヒット作品となっている。2008年には、ジョン・ウー監督のもとで「赤壁の戦い」をメインにした映画『レッドクリフ』が公開され、ヒット作品となっている。 高度成長期のビジネス競争の過熱の中で、競争を生き抜く知恵や企業のリーダー像の見本として、『孫子』などともに『三国志演義』もしばしば引き合いに出され、『三国志演義』に学べとしたビジネス書が多数刊行された。 1980年代以降、ゲーム・漫画において爆発的な三国志ブームが起き、三国志はジャンルの一つとして定着する。その後今日に至るまで、漫画やゲームや映画やアニメとして多数の作品が出版・製作され、不動の人気を博してきた。また他にも、三国志に出てくる人物の名前やその時代観を基にした、全く違ったものが作られるなど多彩なものと成りつつある。 そしてそれら三国志を題材にした作品は、必ずしも『三国志』あるいは『三国志演義』に忠実なものではなく、大きく改変が加えられているものも多い。特に顕著な傾向として、諸葛亮死後以降の展開については省略が目立ち、晋の統一に至るまで忠実に描き切った『三国志』作品は国内では皆無である。また、「もし、こうなっていたら」という仮定の設定で作られているものや、君主の設定が少し違うもの、あるいは基になっている人物の性別を換えているものなど、多種多様な作品が存在している。 三国志とは蜀の臣下の陳寿という方が記した歴史書だったんですね。 みなさん三国志は吉川三国志やその漫画版 横山光輝の三国志、 あるいはコーエーのゲーム三国志、三国無双。今年はレッドクリフなどの方がほとんどでしょうが ほとんどが三国志演義ベースなんですね。 北方謙三などが正史ベースです。 蒼天航路はどっちかな? えぇ?正史とか演義って何?ってかたは正史と演義を。 興味をもっていただけましたか? このwikiを読み通せばあなたも立派な 三国志オタク!!
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諸葛亮の次の天才軍師は? 選択肢 投票 龐統 (26) 司馬懿 (68) 陸遜 (25) (この三国志投票はどれかが50を超えると更新します。) 過去の投票 関羽と張飛、どちらが好き? 50対48で関羽の勝ち! 好きな皇帝は誰ですか? 劉備50 曹操13 孫権4で劉備の圧勝!
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ユーチューブ三国志ビデオ レッドクリフ予告編part1 レッドクリフ予告編part2 未来への最終決戦 三国志人形劇 三国無双4ムービー
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お気楽三国志日記 三国志日記始めましたの巻 2011 2/21 こんちは~~管理者で~す。いきなりお気楽ですみません。ところで皆さんは三国志好きですか?まぁ好きじゃないと多分このサイト見ないと思いますけどね(・ω・)僕は三国志を 愛してやまないです。(=Д=)特に諸葛亮大好き!!ヽ(^。^)ノみじかいですけどここらへんで終わります。バイバイ(/_;)ノシゥゥ 三国志とは奥が深いの巻 2/23 こんちは~いやぁ~三国志とは奥が深いですね~。え?なぜかって?そりゃぁ蜀が長安まであと一歩という所で雨が降ったりしたり、呉がいきなり裏切って関羽が死んだりして…人生もそんなもんですかね。例えば、親友だと思っていた人がヤクザのボスだったり(?) まぁ三国志と同じように人生は何が起きるか分かりませんね。じゃ、そういうことで~ 更新遅れてすみませんの巻 3/5 いやぁ更新遅れてすみません。m(_ _)mちょいとした理由がありましてね・・・ 許してくださいまし。。。じゃぁそういうことで~ ってだめですよね(笑)理由を教えないと。実は三国志読みまくっていて全く忘れてました。すみませ~ん。 もうこの日記の存在忘れてましたの巻 3/29 いきなり衝撃発言でごめんなさいwwできれば更新していきますんでヨロシク! ところで僕最近三国志11というゲームにはまってます。とってもおもしろいんで買ってね!(こ、これは宣伝ではないですよ(汗)) ほぼ壊滅状態の巻 2012 2/4 久しぶりに自分のサイトを覗いてみたら・・・ なんとこの日記があるのを思い出しましたぁ テヘッ☆ 次回予告ですが、一ヶ月ぐらいで更新したいと思います。 そろそろ勉強のほうもあるからなぁ・・・ 一ヶ月で更新なんて出来るかの巻 6/13 一ヶ月で更新だぁ? 絶対無理です。(´・з・`) 一年に一回更新できたら良いぐらいな感じで・・・ あ、それとハンゲーム様のブラウザ三国志って知ってますか? やってみたいんですけどどんな感じか教えてくださいorz デハデハ
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内政の優先度について 最初に記載しておくと、内政の優先度は商業>>>>>耕作>灌漑(治水)>開発になる。 理由はお金の貯め方の項目で説明する。 人口増加率 毎年1月に増加する。直前の人口の3%~7%がランダムで増加する。 人口は統治国でも空白地でも増加する。民忠などの数値の影響もなく完全にランダム。 金収入 毎年1月に増加する。増加は統治国のみで、空白地は増加しない。 金収入は主に商業と民忠と税率と太守の魅力に依存する。人口や都市は影響しない。 具体的には 商業 × (50+民忠÷2) × 税率係数 × (100+太守の魅力) ÷ 3000 となる。(多少の誤差が出るので、その他の要素はあるとは思う) わかりやすくまとめると、民忠100で太守の魅力が100なら、商業1ごとに金収入は3.3増える。 太守の魅力が2変動するごとに、金収入は1%変動する。 民忠1ごとに金収入は1%変動する。 税率係数については税率の項目で述べる。 税率と金収入 上げると基本的には収入が上がるが、上げすぎると民忠が下がる。また、25以下に下げると民忠が上がる。 1月・7月に税率40を超えると、税率1につき民忠が1下がる。税率100だと-60。 税率25以下にすると、25で+3~5、以降5毎に+1上がる。0で+8~10。 税率の収入は、率を上げれば比例して増えるわけではない。 税率は8毎に10%上昇する。40で50%、最大は96で120%となる。8に満たない値は切り捨てられる。 なので、例えば税率を41~47にすると、40と収入が変わらないのに民忠だけは下がる、という無駄な行為になる。 また、税率によって減少する民忠は当月の収入にも影響を及ぼすため、例えば48にした場合厳密に60%にはならない。 正確には、民忠減少の8分を差し引き、57.6%となる。以降も同様に減少する。以下の表のようになる。 税率 収入 0 0.0% 8 10.0% 16 20.0% 24 30.0% 32 40.0% 40 50.0% 48 57.6% 56 64.4% 64 70.4% 72 75.6% 80 80.0% 88 83.6% 96 86.4% ※ただし、減少した民忠が0以下になる場合はそこで打ち止めとなるのでこの限りではない。 税率を上げすぎると、反乱が起きやすくなる。税率50以上を2回続けると、民忠が100でも高確率で反乱が起きる。 逆に、1回きりであれば税率100%でも起きないこともある。 兵糧収入 毎年7月に増加する。増加は統治国のみで、空白地は増加しない。 兵糧収入は肥沃度と開発・耕作・灌漑の係数と、人口・民忠・税率の係数のふたつの収入値が存在する。 治水は関係しない。 開発・耕作・灌漑の収入 開発 × 耕作 × 灌漑 × 肥沃度 人口・民忠・税率の収入 人口係数 × 民忠 × 税率 × 肥沃度 民忠・税率は値がそのまま割合となる。税率は金収入のように8毎ということはなく、1毎に反映される。 肥沃度は以下の通り。 肥沃度データ 三国志3 内政関連Tips 肥沃度 都市 15 洛陽、陳留、長沙 14 鄴、宛、襄陽、江陵 13 平原、新野、上庸、桂陽 12 零陵 11 下邳、譙、江夏、武陵、呉、成都、永安 10 南皮、北海、弘農、建業、漢中、下弁、梓潼、江州 9 天水、徐州、許昌、汝南、寿春、会稽、廬江、柴桑、建寧 8 濮陽、長安 6 安定、西涼 5 雲南 4 代県、晋陽 3 北平 2 南海 1 襄平 数値がそのまま乗算数値ではない。肥沃度1の襄平と10の南皮との実際の兵糧収入は3倍ほどである。 人口係数の割合が少ないのに対して肥沃度の占める割合が非常に大きいので、肥沃度の低い都市ではどうあがいても大きな収入は期待できない。 人口係数は、おおよそ 5万人……50 10万人……75 20万人……100 30万人……130 40万人……150 50万人……168 100万人……240 200万人……338 といった具合で、上昇すればするほど増加率は低くなる。人口係数による耕作等への影響がないことを考えると、それほど大きな違いとならない。なので人口はほぼ無視してもよい。 人口・民忠・税率の係数によって得られる収入よりも、開発・耕作・灌漑で得られる収入の方が大きい。 人口によるので一概には言えないが、開発・耕作・灌漑・民忠100、税率40のケースでは、耕作で得られる収入が民忠の収入の3倍~4倍程度に上る。 効率良く収入を得るには、肥沃度の高い都市で開発・耕作・治水(灌漑)を行うことが重要である。 そして、耕作を100に近づけるために通年での耕作を行うことである。 逆に、耕作を行わないと開発と灌漑を上昇させても意味がない。治水は洪水の被害を抑える効果があるので無駄ではないが、開発に関しては無駄になる。全土の耕作を行うのは労力的にも人材的にもロスが大きいので、耕作をしない土地では開発は捨てた方が効率的だろう。 内政 開発 資金×実行者の政治の合計が9000ごとに1上昇する。 資金100を投じた場合、 実行者の政治の合計が90なら1上昇 実行者の政治の合計が180なら2上昇 実行者の政治の合計が270なら3上昇 長期実行した場合、 1、2ヶ月目 通常上昇 3、4ヶ月目 通常より+1上昇 5、6ヶ月目 通常より+2上昇 ただし、通常上昇値が0の場合は3~6ヶ月目も上昇しない。 なお、内政コマンドは長期実行した場合、資金は各月に平均して配分される。 つまり、政治100で6ヶ月実行する場合、資金540で翌月1上昇するが、539の場合は上昇は0となる。 耕作 上昇値は資金×実行者の政治の他、現在の開発値とも関係する。 開発された土地が広ければ耕作に時間がかかる、というイメージ。そのため開発値が上昇すると耕作値が下がる。 実行期間が長期間になるほど効果は高くなる。 ちなみに開発が100の場合、資金×実行者の政治の合計が3800で1上昇する。 資金100を投じた場合、 実行者の政治の合計が38なら1上昇 実行者の政治の合計が76なら2上昇 実行者の政治の合計が114なら3上昇 実行者の政治の合計が152なら4上昇 実行者の政治の合計が190なら5上昇 実行者の政治の合計が228なら6上昇 実行者の政治の合計が266なら7上昇 実行者の政治の合計が304なら8上昇 長期実行した場合、 1ヶ月目 通常上昇 2ヶ月目 通常より+2上昇 3ヶ月目 通常より+3上昇 4ヶ月目 通常より+4上昇 5ヶ月目 通常より+5上昇 6ヶ月目 通常より+6上昇 ただし、通常上昇値が2以下の場合は長期ボーナスは受けられない。 治水 50 資金×実行者の政治の合計が5000ごとに1上昇する。 資金100を投じた場合、 実行者の政治の合計が50なら1上昇 実行者の政治の合計が100なら2上昇 実行者の政治の合計が150なら3上昇 実行者の政治の合計が200なら4上昇 実行者の政治の合計が250なら5上昇 長期実行した場合、 1ヶ月目 通常上昇 2ヶ月目 通常より+2上昇 3ヶ月目 通常より+3上昇 4ヶ月目 通常より+4上昇 5ヶ月目 通常より+5上昇 6ヶ月目 通常より+6上昇 ただし、通常上昇値が0の場合は2~6ヶ月目も上昇しない。 灌漑 開発値が低いほど上昇率は高くなる。 土地開発を行い開発を増加させると灌漑は減少する。 なので開発を100にしてからの方が……と思いたくなるが開発が高くなれば灌漑の上昇率が低くなるのであんまり考える必要はない気がする。 おそらく土地が広くなると灌漑されてない土地が広くなるから灌漑が下がり、土地も広くなると灌漑に手間がかかるから上昇率が下がるというイメージなのだろう。 政治力が高く、期間が長くなると上昇率も上がるが、詳しい相関関係は不明。 商業 金収入に関係する。 政治力・資金・人口が高いほど上昇率は上がる。 人口による影響率はそこまで大きいものではない。人口10万人で1未満程度の影響しかない。具体的な数値は不明。 効果は政治力に正比例しない。政治力が大きくなるにつれ、上昇率は下がっていく。もしかしたら実行人数と関係があるのかもしれないが、具体的には不明。 また、内政コマンドの中で唯一、長期実行の恩恵がない。 内政長期実行の裏技 長期実行を行い、一ヶ月経過した段階で任命で武官に変更するなどして文官の命令をキャンセルしても、複数人中一人でも実行者が残っていれば変わらず効果がある。 全員キャンセルしてしまうと、内政コマンド自体がキャンセルとなる。また、一ヶ月も経過しないうちにキャンセルすると複数人効果が得られない。 本国では実行した翌月に任命キャンセル、属国では翌月の始めに任命キャンセルすることで、新たに行動することが可能になる。 なので一都市に文官が6人いれば開発・耕作・治水・商業をフルで実行できる。 内政コマンドは特に長期実行の恩恵が顕著なので、政治の高い武将は軍師になるよりも文官に任命した方が使い勝手が良い。 また、密偵コマンドも長期間の方が情報が入るのが早いので、素早く得たいなら長期間にして必要な情報を得たらキャンセルした方が結果的に早い場合もある。 支出 君主 金・兵糧とも0 太守 支出には関係なし。元の身分に依存する 武官・文官 金50 兵糧200 将軍・軍師 金150 兵糧500 兵士100人あたり 金1 米10 支出を減らす裏技 忠誠度100の武将を1月・7月の前に埋伏すれば支出は発生しない。 特に支出が負担となる1月前の12月に埋伏しておき、1月に呼び戻せばかなり支出を減らすことができる。ただし、埋伏先で登用されて呼び戻せなくなってしまう可能性も当然ある。 また、将軍・軍師の支出も大きいので、不必要に昇格させるのは考えた方がよい。場合によっては長期実行できる武官・文官の方が使いやすい。軍師は助言や落とし穴、偽令などメリットも大きいが、将軍は太守にできる以外のメリットが薄い。太守になれる人材不足ならともかく、そうでないなら張飛などの魅力の低い将軍候補は将軍にしない方がいい。 将軍・軍師になってしまっている武将は降格すると忠誠度が減少してしまうが、忠誠度が100であれば埋伏してすぐ呼び戻せば忠誠度の減少なく文官・武官に降格できる。 訓練の裏技 訓練の上昇値は武力、実行武将の数、兵士数に依存する。 兵士数が少なければ訓練度はすぐ100に、士気は70になる。 この兵士数は「訓練実行時の兵士数」なので、訓練を実行する時だけ兵士数を1にしておき、実行後編成して兵士数を増やせばすぐに上昇する。 以下は裏技ではないが訓練と準備について少しだけ解説しておくと、準備の場合は上昇値が兵士数に依存しておらず、実行期間と現在の士気に依存する。低い値では誤差が出ることがあるが、1ヶ月目では士気は現在の士気の1/10上昇する。実行期間が長いとボーナスが入る。詳しい上昇値は調査していないため不明。 訓練で上昇する士気は兵士数が多くても実行武将数×1は確実に上がる。10人で実行すれば10上がる。なので士気70までは準備よりも大人数での訓練で上げた方が効率が良い。 兵糧攻めなどで都市を落として訓練度は高いが士気0の兵士が大量に入った場合に使うことになるので覚えておくと良い。 忠誠度を上げるのが面倒くさい時の裏技 戦争で登用した武将の忠誠度は低いことが多い。上昇させるのには多くの時間と金が必要となる。 しかし解雇してしまえば再度登用することで忠誠度を大きく上げられる。 在野登用時の忠誠度は相性の影響が大きいが一応ランダム。セーブして何度か繰り返せば相性が悪い武将でも高い忠誠度で登用できる。 なお、解雇した武将は必ず隣接する都市に移動するため、隣接都市が自都市でないと登用できなくなってしまう可能性があるため注意。 逆に、例えば会稽で解雇すれば必ず呉に移動するので呉に登用人材を置いておけば楽。 また、戦争で攻め落とした時に周囲に逃げられる国がない場合、捕らえた武将は全て登用できるが、この時に解放を選ぶと攻め落とした国か隣接国で在野武将になる。解雇の手間が省けるので、この方法でもよい。 人口を増やす裏技 兵士を持った武将を解雇すると武将が保有している兵士数分人口が増加する。 もちろん、解雇すると編成画面になり兵士の振り分けもできるため、兵士が減らず人口だけ増える。 上記忠誠度を上げる裏技と併用して、例えば勢力を滅ぼして大量登用した時に全員武官にしてから兵士を一人に最大まで待たせて解雇、編成で次の武将に、解雇……を繰り返すと人口が一気に増加して武将の忠誠度も上げられる。(非常に面倒くさい上にそこまでメリットはないが)
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1:『三国志』って何? 語ると長いが、『三国志』自体は中国の歴史書の名前である。著者は陳寿(字は承祚。232-297。三国~晋の時代に生きてた人)。 裴松之(372-451)という人が後になって異説や民間伝承などを注釈として入れ、現存する今の形になっている。 この注釈部分が後に出る『三国志演義』に大きな影響を与えた。 『三国志』は、中国後漢・三国時代を紀伝体という書き方でまとめたもので、中国歴代正史の一つ。 その名の通り、中国大陸を「魏」・「呉」・「蜀」と三つに分けた時代の成り立ちから末路までを著している。 魏が30巻、呉が20巻、蜀が15巻の全65巻。 漢(後漢)の皇帝から禅譲(全く血の繋がらない貴方に皇帝の座を譲ります、ということ)された「魏」を正当な王朝としている。だから巻数も多い。 後漢が名ばかりの国となり群雄割拠の時代に入る。その中から飛び出した「曹操」・「孫権」・「劉備」が「魏」・「呉」・「蜀」という国をそれぞれ建国し、その後三国時代からその末期までを時代に生きた人物伝で追うことができる。 余談だが、「漢」という字自体中国に関することを表す。「漢方」・「漢字」・「漢文」など。 2:劉備が主人公?曹操って悪い奴って聞いたけど? そうではない。そんなのは人それぞれの感じ方次第だと言いたいが、文学の影響は絶大である。 何故、こんなイメージがついてしまったか。 全ては『三国志演義』にある。 『三国志演義』は中国明の時代(1368-1644)に出来た全120回の長編小説で、羅貫中( 施耐庵)という人がまとめた。 漢の皇帝の血を引いている(と言っても何十人といた皇帝の子供の末裔)劉備が、草鞋売りから一念発起して戦いと放浪の果てに今の中国四川省を中心に「蜀(蜀漢)」という国を作って、劉備が亡くなると臣下の諸葛亮が劉備の思いを叶えようと必死に頑張る姿が描かれている。 有名な横山光輝の『三国志』も、『三国志演義』をベース(吉川英治ベース)にしている。 だから劉備が主人公で、曹操がライバルとして描かれているのだ。 一言で「三国志」といってもごちゃごちゃになるので、『正史』・『演義』と区別することがある。ただ、基本的に「三国志」といったら『正史』を示す。 語弊があるかもしれないが、『三国志』が原作で、『三国志演義』が二次創作、と言えば分かりやすいか。 ちなみに。 『演義』の内容を正史だと言わんばかりに熱く語ると、痛い奴だと思われるし、笑われるので気を付けよう。 でも、『正史』が全て正しい訳ではないので、その点も注意しよう。(「正史」というのは、皇帝から正式に認められた史書という意味だよ) 3:三国志のゲームってどうなってるの? 『幻想三国志』で使用されているゲームは、KOEI(旧光栄。2ch内では”肥”と呼ばれる。面倒なのでここでも肥で)から出ている三國志シリーズ第9弾『三國志9』(PCPK版)。 PS2でも出ているが、顔グラの変更ができない。 基本的に三国志演義準拠。ただし、正史にしか登場しない人物も出てくる。能力値などは5作品目くらいから正史要素も含まれ始めた。 詳しいシステムについては三國志9の基本システムで述べるが、プレイヤーが君主となり、国を育て繁栄させる内政や、自国を守ったり他国の領土を奪う戦争、他国との外交、他国への計略などを指示する。で、領土を広げ、全ての都市を攻略し大陸統一を果たして終了。 シリーズによっては、プレイヤー=君主ではないものもある。三國志に出てくる全ての武将から一人選んで操作。つまり自分の分身。君主になるもよし、軍師を目指すのもよし、友達100人目指すのも、引き篭もりニートでもよし。 しかし、このシステムのシリーズは、大体売り上げと評判がわr(ry ちなみに、これから買う方に注意。 肥の歴史戦略ゲームシリーズには必ず「本体」とその後に出る「PK」がある。「PK」とはパワーアップキットの略。 「本体」の追加要素として販売されるが、実はコイツが曲者。 「本体」ではいろいろと不具合の多かった部分が改善されたり、面白システムが追加されていたりする。 『三國志9』でいう「抜擢武将システム」がいい例。 なので、「本体」だけでは絶対に後悔する。試作品とまで言われているくらいだ。なので、必ず「PK」と一緒に買うこと。 そして、肥のサイトへ行ってバグの修正(パッチをあてる)をしよう。 「本体」だけでは絶対に満足させず(人はこれを手抜きといふ)、「PK」を買わせる。これが『肥商法』である。 キタネーヨ、と思わせつつも、ついつい買うのが三國志ゲームファン。 歴代の三國志ゲームを続けているつわものは皆、この道を歩んでいる。 4:結局、歴史なんて難しすぎてワカンネーヨ 待て、慌てるな。これは孔明の(ry という、この孔明も三国志の人物である。 歴史は後世の人物が綴ったものであり、100%真実ではない。それを読んだ人間によって感じ方は様々。また、古ければ古いほど史料の残存率は低く、結局は想像と憶測でしか語れない部分も少なくない。 管理人の個人的意見だが、もし、『幻想三国志』の動画を見て『三国志』に触れたくなったら、吉川英治の「三国志」をまずお勧めする。北方謙三や横光もお勧め。 「お勧め三国志」という項目も作ったので、自分にあった三国志入門書が見つかると思う。 それから『正史』に触れて欲しいな。いきなり『正史』は難しいよ。 ▲ 上へ
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襄平(ジョウヘイ) 耐久度:5760000 幽州の一県。公孫康が治めていた 産出資源 青染料 太陽の宝珠 良質な麻 良質な金 最高級金 襄平の証 隣接都市 2.北平
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居ません!
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三国志(さんごくし) Wikipediaより 三国志(さんごくし)は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃 - 280年頃)の興亡史である。“三国志”と呼ばれるのは、ほぼ同時代の歴史家陳寿(233年 - 297年)がこの時代の出来事を記録した歴史書の名前が、『三国志』であることにちなむ。 つまり、コーエー「三國志オンライン」とは、史実を元にした物語を下地において作られている。コーエーの三國志シリーズは比較的三国志演義の影響を受けていると言われ、演義は史実とは異なる点も多々指摘されている。しかし史実を元に書かれたことには違いが無い。 魏呉蜀が三国で争っていた時代は西暦180年頃~280年頃のことであり、日本で言うところの倭の時代である。「三国志」魏書・東夷伝(いわゆる「魏志倭人伝」)によると、倭の女王卑弥呼が魏の明帝へ使者を送ったという。この明帝とは、曹叡(曹元仲)のことを指す。曹叡は高名な曹操(曹孟徳)の孫であり、文帝曹丕(曹子桓)の長男でもある。 時代考証 ただし、4gamerインタビューによると「年代を決めてしまうと,登場する有名武将が,限られてしまう」(上野氏)ために、三国志の長い歴史(180年頃~280年頃)のすべての時代を取り扱っているとされている。つまり、「三国志演義」に登場するような武将たちが史実の生没年代にかかわりなく登場するということである。 また、同インタビューにて上野氏が、「三國志の世界と古代幻想中国の融合を目指していますので,妖術はありますし,牛魔王のような,その当時信じられていたであろう怪物が存在します。」と言っている。 つまり、現代の歴史考察においては存在しない化け物など、「あの時代に生きていた人が普通に信じていたもの」もゲーム中に登場させるし、妖術といったものもまた然りということである。その代表的なものとして、青龍、白虎、朱雀、玄武のいわゆる四神のほかに、「陰陽五行説をベースにしている」ため麒麟までもが登場するという。 三国志オンラインの地名 プレイヤーが最初にゲーム内に降り立つ水鏡村は、水鏡先生つまり司馬徽が住んでいたといわれる村をモチーフにしている。水鏡村に立っている戦闘総師範徐庶は、司馬徽の弟子の一人。 実際には司馬徽は、荊州の都市襄陽にすんでいたと言われ、劉備が三顧之礼で迎えた諸葛亮は襄陽西北郊外の隆中山に住んでいたという。