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登録日:2023/05/28 Sun 15 59 00 更新日:2024/03/15 Fri 04 19 08NEW! 所要時間:約 37 分で読めます ▽タグ一覧 G1馬 オルフェーヴル コントレイル シンザン シンボリルドルフ セントライト ダービー馬 ディープインパクト トリプルクラウン ナリタブライアン ホースマンの夢 ミスターシービー ラスボス リアルチート 一覧項目 三冠馬 世代の頂点 何故かなかなか立たなかった項目 偉業 原点にして頂点 名馬 怪物 所要時間30分以上の項目 日本ダービー 日本ダービーの日に建てられた項目 時代を動かしたヒーロー 最強 栄誉 皐月賞馬 競走馬 競馬 菊花賞馬 関係者の脳を焼きまくる存在 顕彰馬 三冠馬(英 Triple Crown)とは、主に競馬の平地競走において、特定の3競走全てに勝利した馬のことを指す。 この「特定の3競走」とは、3歳馬のみ出走可能なGⅠ競走(=クラシック三冠)、あるいはメスの馬のみ出走可能なGⅠ競走(=牝馬三冠)を指すことが多い。 古今東西、競馬における「強さ」の象徴として扱われてきた概念で、この称号は全てのホースマン、全ての馬の夢だといえる。 ●目次 はじめに 牡馬クラシック三冠セントライト(1941年) シンザン(1964年) ミスターシービー(1983年) シンボリルドルフ(1984年) ナリタブライアン(1994年) ディープインパクト(2005年) オルフェーヴル(2011年) コントレイル(2020年) 牝馬三冠 海外における三冠オーモンド(1886年) セクレタリアト(1973年) カウントフリート(1943年) シアトルスルー(1977年) アメリカンファラオ(2015年) ゴールデンシックスティ(2020年) はじめに 三冠(Triple Crown)という概念が誕生したのはもちろん競馬の発祥地イギリス……というわけではなく、実はアメリカとされている。 1930年頃、アメリカで3つのクラシックレースを制覇した名馬ギャラントフォックスを称える記事内にTriple Event Winnerという表現が用いられており、以降段々競馬における「三冠」という概念が普及していったとされる。 ただ一方、アメリカにおける三冠成立以前からとっくにイギリスなどでは今と同じ三冠の体系が存在していたとも言われており、詳細は定かではない。いつものブリカスの負けず嫌いという説も濃厚だが。 我が国における三冠の体系はイギリスのそれを模範にして誕生したもの。 1940年頃に現在のクラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)が揃うこととなった。後述の牝馬三冠と区別するため、これらを牡馬三冠と呼ぶことも多い。 なお、「牡馬」とは書いているが、牝馬も出走可能(せん馬は無理)(*1)だし、何なら理論上は三冠獲得すら夢ではない。ただ、余程の事情が無い限り牝馬は勝ちやすい牝馬三冠を目指すのが基本。クリフジ?アイツはもう男だろ また、牝馬三冠のうち最初の二冠(桜花賞、優駿牝馬)も同時期に成立したが、牝馬の三冠目に関してはモデルとしたイギリスで該当する競走が存在しなかった(というより牡馬三冠と共通だった)ため、牝馬三冠についても戦後しばらくまで菊花賞が事実上の三冠目となっていた。 結局日本における牡牝三冠路線の完全分離は、三冠目としてビクトリアカップ(後のエリザベス女王杯)が新設された1970年と戦後四半世紀が経ってからであり、それからさらに時を経て現行制度の牝馬三冠の成立は、秋華賞の創設及びエリザベス女王杯の古馬混合戦への変更がなされた1996年とかなり遅いものとなった。 競馬を少しでも嗜んだことのある、あるいは馬主としての活動にまで手を出している諸兄なら痛いほどお解りの話だろうが、出走にすら苦労を要する競馬の世界において、一着をとることはとてつもなく難しい。特に最高峰の舞台であるGⅠならなおさらである。 そんな一世一代の場で3つもの勝利を重ねたサラブレッドに敬意が払われるのは至って当然のことで、古くより三冠レースの制覇はそれ自体が非常に価値あるものとされてきた(ただ、最近は「長距離勝ってもねえ……」みたいな風潮のせいか様々な国で価値が下がりつつあるのも事実)。 牡馬クラシック三冠 先述した通り、日本の三冠はイギリスを参考に構築されたもので、1940年頃に今とほぼ同じ体系となった。 2023年6月現在、牡馬クラシック三冠を達成した馬は8頭存在する。 皐月賞 (中山競馬場・芝2000m) 東京優駿(日本ダービー) (東京競馬場・芝2400m) 菊花賞 (京都競馬場・芝3000m) 以上の3レースが日本におけるクラシック3冠とされており、サラブレッド系3歳(旧4歳)にのみ出走権が与えられる。 すなわち、これらのレースには生涯に一度しか出走することが出来ない。 また、見てもらったらわかる通り、それぞれのレースについて競馬場(右回り左回り含む)、距離がまるっきり異なっており、三冠制覇にはこれらを全て乗りきる高い対応力が要求される。 この艱難を乗り越え見事三冠馬という称号を手にした馬は過去に8頭存在し、初代のセントライトを除く(*2)全てがその後別のGⅠ(*3)レースに勝利している。三冠馬になるには確かな実力が必要不可欠であることの裏打ちといえるだろう。 また、今までの牡馬三冠馬は全頭、三冠競走全てにおいて同じ騎手が鞍上を務めているし、うち3頭は三冠のみならず生涯ずっと同じ騎手であった。 馬の実力もさることながら、騎手と馬の絆もまた三冠制覇には大切な要素であるといえよう。まあ騎手側が脳を焼かれて鞍上を譲りたくなかったパターンも多そうだが……。 以下、そんな各三冠馬たちを紹介する。 セントライト(1941年) -セントライト快走、セントライト快走、速度を増して各馬を離しました。優勝確実、優勝確実であります。- 三冠達成時戦績:12戦9勝 生涯戦績:12戦9勝 三冠達成騎手:小西喜蔵 日本競馬史上初めて現れた三冠馬。三冠体系成立後わずか2年という超スピードでの達成となった。 当時はまだ皐月賞、菊花賞という名前すら存在せず、横浜農林省賞典四歳呼馬、京都農林省賞典四歳呼馬という早口言葉みたいな名称で呼ばれており、東京優駿も東京優駿競走という名でまだ「日本ダービー」の副称が付く前である(*4)。 宝塚記念・有馬記念は存在すらしていなかった(*5)。 第二次世界大戦真っ只中で、競馬への関心も楽しむ余裕もほとんど無かった時代であったが、そんな中でもセントライトの強さは頭一つ、いや二つくらい抜けたものとみなされており、不良馬場となったダービーでは今なお史上最大着差である8馬身差での勝利を飾っている。 その後、鞍上の小西は「快晴だったら一秒くらいレコード更新してた」と語っており、いかに楽勝であったかがわかる。初代三冠馬としてふさわしい実力者であったことは間違いないようだ。 史上初の三冠達成、種牡馬としての一定の成果が評価され、初代顕彰馬に選出されると共に、自身の名のついた重賞セントライト記念が後に設立された。どうやら後輩たちとの相性は悪いらしく、三冠馬のうちこれを勝っているのは今のところ皇帝のみとなっている… シンザン(1964年) -シンザンがきたっ!シンザンがきたっ!!シンザンがきたっ!!!- 三冠達成時戦績:11戦8勝 生涯戦績:19戦15勝(残り4戦は全て2着。生涯連対) 三冠達成騎手:粟田勝 戦後初の三冠馬にして、当時牡馬が獲得可能なGⅠ級レースをすべて制覇し、後の日本競馬に多大な影響を与えた「神馬」。 八大競争の勝利数から「五冠馬」とも称されており、今なお日本史上最強馬議論に名が挙がる至高の存在である。デビュー前はあんま強そうじゃなかったらしく、厩務担当の中尾氏は仲間から「新参www」と煽られたそう。 圧倒的勝率をほこるシンザンであるが、数少ない敗北もすべて2着と非常に安定感が高い。19戦連続の連対は2023年現在も破られていないしもう多分破られないあまりに偉大な記録である。 しかも、その2着は全てオープン競走やGⅠ前哨戦であり、格の高い八大競争等では全戦全勝。 騎手や調教師にはシンザンが賢すぎてレースの格を理解していた(=大レースだけ本気を出した)とまで言われるほど。 派手さはなくとも堅実に伸びてきて、最後に勝利を奪っていくその走りは「鉈の切れ味」と称された。 競争成績でレコードを出してはいないものの元々勝ったレースでも好位追走から堅実に抜け出して力を使い切らずに押し切る馬の走り方、そして主戦の栗田が元々「ハナ差だろうと大差だろうとタイムが速かろうと遅かろうと1着で入線してれば勝ちは勝ち」な騎乗スタイルだった事から来る物であり、何なら「(レコードを)出せって言われたらナンボでも出せますよ」とまで明言していた程。 「神馬」としての威光は競走馬引退後も健在で、種牡馬としては海外輸入馬の勢いが圧倒的な中で二冠馬ミホシンザンや菊花賞馬ミナガワマンナを輩出している。 また、種牡馬引退後も長く元気に生き続け、没年齢35歳は当時のサラブレッド最長寿記録であり、GⅠ優勝馬としては今も破られていない。 既存の記録をほぼ全て塗り替え、現在でも破られていない記録を数多く残し続けた「最強の戦士」シンザン。 その凄まじい実績が高く評価され、顕彰馬入りはもちろん、自身の名を冠した重賞シンザン記念がのちに設立されている。なお、こちらに至っては現在三冠馬による優勝例は一個もない(*6)。三冠馬同士って仲悪いんか…?(*7) ちなみに我らが八十冠馬タケユタカ(ディープ産駒、牡54)は本レースを2023年のライトクオンタム含め8勝している。いくらなんでも勝ちすぎである。 ミスターシービー(1983年) -大地が!大地が弾んでミスターシービーだ!- 三冠達成時戦績:9戦7勝 生涯戦績:15戦8勝 三冠達成騎手:吉永正人(現役中ずっと同じ) シンザン以来、約20年ぶりに現れた三代目三冠馬。 シンザン引退以降に現れた6頭の二冠馬が誰一人として三冠を達成することはできず、世間が三冠の非現実性を実感し始めた頃に颯爽と現れ見事人々の夢を叶えたスーパースター。「史上最も愛された三冠馬」と評されている。 久しぶりに現れた三冠馬という点もさることながら、シービーはとにかく人を惹きつける魅力にあふれた馬であった。 まず出自からスゴい。 一時代を築いた快速天馬トウショウボーイが、デビュー戦を共にしたシービークインと、半ば駆け落ちのような経緯で授かった子供がシービーだった。 なお、シービークインはミスターシービーの出産後繁殖能力を失っており、トウショウボーイ相手に貞操を守り抜いたこととなる。これ何て純愛小説? また、シービー最大の魅力といえばそれまでのセオリーをことごとく無視した常識破りな走りである。 ダービーでは大出遅れからのごぼう抜きをしてみせたかと思えば、菊花賞では逆に超早仕掛けからの粘り勝ちなど、その型に囚われない走りは当時の競馬ファンの心を鷲掴みにして離さなかった。30年後にそのCMを見た後自分の菊花賞でマネした白いアイツのことは忘れろ さらに、この代は世代としてのレベルも非常に高く、シービーは三冠馬としては珍しくライバルにも多く恵まれた。 シービーの永遠の宿敵(とも)である日本総伏兵大将カツラギエース、マイルの皇帝ニホンピロウイナー、3歳で有馬を勝ったリードホーユー、皇帝をアッと驚かせたギャロップダイナなど枚挙に暇がない。 ロマンチックすぎる出会いの両親、天衣無縫の走り、最高のライバル、若き井崎脩五郎がウホッ!した程の端正な顔立ち等、ジャンプの主人公みたいな要素をこれでもかと備えたミスターシービーは、今なお多くの人から愛され続けている。 シンボリルドルフ(1984年) -赤い大輪が、薄曇りの京都競馬場に大きく咲いた!- 三冠達成時戦績:8戦8勝(無敗) 生涯戦績:16戦13勝 三冠達成騎手:岡部幸雄(現役中ずっと同じ) 日本競馬史上初の無敗三冠を達成し、古馬となってからも圧倒的なパフォーマンスで当時の競馬界を支配した「永遠なる皇帝」 また、ルドルフの三冠達成のタイミングは、日本競馬においてグレード制が導入されたちょうどその年という変革期である。 当時の記録であり、長年破られなかった芝GⅠ七勝の記録から七冠馬とも呼ばれる。 前年のシービーに次ぐ三冠馬だが、その性質は真逆と言っていいほど異なっており、シービーが破天荒な走りで愛された三冠馬だとしたら、ルドルフはシンプルに無慈悲な強さを誇る三冠馬であった。 シンボリルドルフという馬を語るうえでまず出てくるのは「勝利より、たった三度の敗北を語りたくなる」とまで言われたその圧倒的戦績だろう。 その“たった三度”とはそれぞれ菊からの中一週 下痢気味で出たJC、引退級のケガ明け 超不利な大外枠で出たうえに出遅れまでした天皇賞(秋)、レース中に故障しそのまま引退となったサンルイレイSの3つである。 言い換えれば、元気な状態で出たレースでは相手が前年度三冠馬だろうと海外の強豪だろうと翌年の二冠馬だろうと関係なく、全てコテンパンに叩きのめしてきたのである。しかも、日本で自分を負かした相手はヤクザよろしく次走で徹底的に潰している。 ここまでの強さを誇ったルドルフだが、その割には別にとんでもない身体能力があったと言われることは少ない(もちろん多少はあっただろうけど)。 本馬の強さの秘密はその頭の良さであったと言われている。何せダービーでは岡部の指示を無視して勝手に直線でスパートかけて勝ったし、日経賞では終始馬なりで勝手に逃げ勝ちしたのだ。中に体内時計でも仕込んであるのか疑いたくなるほどである。おかげで岡部は脳をこんがり焼かれ、後にクソデカお気持ち怪文書(*8)まで書くはめに… 騎手すら超越する恐るべきレースセンスで戦ってきたルドルフの強さは産駒に伝わりにくいのではないかという心配もあったが、種牡馬になった初年度から不撓不屈の帝王ことトウカイテイオーを輩出。 親子揃っての無敗二冠、JC有馬制覇を達成する運びとなり、そのドラマ性はJRAのCMにも取り上げられ今も多くの競馬ファンを魅了している。 前代未聞の成績をうちたて、「理想のサラブレッド」に限りなく近づいたルドルフは、生涯の相棒だった名手こと岡部に「騎手生活が38年間に及んだのはもう一度シンボリルドルフのような馬に巡り会いたいと思ったから」とまで言わしめ、40年近く経った現代でも“最強馬”の象徴的存在となっている。 ナリタブライアン(1994年) -弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!10年ぶり、10年ぶりの三冠馬!- 三冠達成時戦績:13戦9勝 生涯戦績:21戦12勝 三冠達成騎手:南井克巳 クラシックの三冠レースで計15馬身以上の差(皐月3 1/2,ダービー5,菊花7)をつけて圧勝し、3歳時に暴力的な強さを誇った「シャドーロールの怪物」 古馬になった後は怪我などの影響で精彩を欠いたものの、全盛期の強さは当時の競馬界で群を抜いており、クラシック期に限れば史上最強だとする声も多い。 当時ブライアンの競走能力に魅入られたのは競馬ファンだけではなく、実際に関わったホースマンたちも同じ、あるいはそれ以上であった。 デビュー前にブライアンに跨った主戦騎手の南井は「ギアチェンジの感じがオグリキャップに似てる」と評し、最初から期待を寄せ続けた。もう一度言う、「デビュー前」である。 また、クラシック期は何馬身も後ろで隣で、古馬となってからは鞍上からブライアンを見つめていた若き天才ジョッキー武豊も最高評価を与えており、 「勝てる気がしない。負けても仕方ない。」 「(兄のビワハヤヒデが宝塚を5馬身差で圧勝した際)ブライアンならもっとすごい勝ち方をしてた」 「(マヤノトップガンとのマッチレースとなった伝説の阪神大賞典を制した際)もっと楽に勝てると思った」 と、厄介オタクじみた多大な期待を含んだコメントをいくつも残している。 なお、当時のトップジョッキーの一人でありビワハヤヒデの主戦騎手だった岡部は既にルドルフに脳を焼かれていたからか脳をあまり焼かれておらず、「兄弟対決になってもワンチャンブライアンに勝てた可能性もある」とコメントしている。 1994年当時間違いなく日本競馬界の頂点に君臨し、多くの人々を沸き立たせたナリタブライアン。古馬以降の変調や腸捻転による早逝、産駒成績の不振が惜しまれるものの、その怪物じみた走りが色あせることはないだろう。 ディープインパクト(2005年) -世界のホースマンよ見てくれ!これが日本近代競馬の結晶だ!!- 三冠達成時戦績:7戦7勝(無敗) 生涯戦績:14戦12勝 三冠達成騎手:武豊(現役中ずっと同じ) おそらくこの項目を読んでいる諸兄、いや今日本に住む30代以上の人間全員に説明不要であろう。誇張抜きに今の日本競馬を根本から作り上げた伝説の名馬、それがこのディープインパクトである。 通称、「英雄」「奇跡に最も近い馬」「一着至上主義」 アニヲタwikiの当該項目に読むのに時間がかかる熱のこもった解説があるため軽い紹介にとどめるが、ディープインパクトは競走馬として、種牡馬として、そして何よりヒーローとして、他の追随を許さない存在であると言えるだろう。 競走馬としては皇帝に次ぐ無敗三冠、覇王に次ぐGⅠ7勝を達成しており、その走りは空を翔んでいると形容された。 また、種牡馬としては後述する無敗三冠馬、暴力的強さを誇ったゴリラウーマン三冠牝馬を筆頭に、のべ70ものGⅠタイトルを独占している。自分の背中に乗せていた産駒(*9)も加えると150勝…? そして忘れてはならないのが、彼の存在で巻き起こった社会現象である。ディープ自身のポテンシャルとJRAやメディアの熱い売り出しが相乗効果となり、ディープの動向は競馬紙のみならず一般紙やお昼のニュースなどでも取り上げられるほどであった。 ハイセイコーやオグリキャップなどと並び、「競馬はよく知らないけど名前は知ってる」存在にまで至ったことは、これほどない快挙だといえよう。 こうした生涯に渡って多大なる功績を残したことで報知杯弥生賞を長くて言いにくい報知杯弥生賞ディープインパクト記念に改称することとなった。 馬名を冠したレースは前述のシンザン以来、実に53年ぶりのことである。 ちなみに改名後初回のレースは自身の産駒であるサトノフラッグが制している。 全てにおいて規格外な存在だっただけに、その些かの早逝(*10)が心から惜しまれるディープインパクト。最後に、永遠の相棒であり本馬一番のファンである武豊による総評を添えたいと思う。 「すごくシンプルに、走るのが速い馬。スピードがあるとか、持久力があるとか、全てを通り越して、圧倒的に足の速い馬」 オルフェーヴル(2011年) -金色の馬体が弾んでいる!オルフェーヴル先頭!これを追う者はなし!- 三冠達成時戦績:10戦6勝 生涯戦績:21戦12勝 三冠達成騎手:池添謙一(*11) この時代以降になると親しみ深い馬・実際に見たことのある馬が増えてくるアニヲタ諸君も多いだろう。本馬はそんな人たちにとって、一生忘れられない三冠馬になるのではないだろうか。 オルフェーヴルはそんな「記録より記憶に残る馬」の代名詞であり、人呼んで「金色の暴君」「激情の三冠馬」である。 今までに紹介してきた三冠馬はみなどこか優等生的な面を残していたが、オルフェはそんなのとは一切無縁な暴れん坊であった(*12)。 デビュー戦勝利時や三冠達成時に暴れて鞍上の池添を振り落としたり、阪神大笑点で勝手に一人別方向へ走った後上がり最速で戻ってきたり、引退後会いに来た池添に足蹴りをかましたりと、「そういった」トリビアには事欠かない。ネタエピソードの数は三冠馬随一だろう。三冠馬としての格は申し分ないが品格はぶち壊していった ただ一方で、その内に秘めたポテンシャルは今までの三冠馬に勝るとも劣らないほど怪物じみたものであった。 三歳時には三冠だけに飽き足らず有馬記念まで制しているし、先述した阪神大笑点に関しても一人だけ100m近く余分に走ってなお2着に入るなんてよほど抜けた実力がないとできない芸当である。 またさらに、オルフェは日本競馬の悲願である凱旋門賞制覇に、某怪鳥と並んで最も近づいた存在でもあった。 2012年には最後勢いよく先頭に立ち、「もう勝っただろ…!」と思わせてからの謎失速(*13)で大穴ソレミアの2着、2013年にも出走してフランス版ゴリウー超名牝トレヴの2着に入っており、しかも前哨戦のフォワ賞は2年連続で優勝している。 …何というか、いかにもオルフェらしい反逆っぷりであるといえる。 こんな暴れん坊のオルフェだが、主戦を務めた池添からの愛は本物であり、ラストランの有馬を8馬身差の大圧勝で制した際には「僕はオルフェーヴルを世界一強いと思ってます」と大胆な告白信頼に満ちあふれたコメントを残している。 オルフェ自身も池添には会えばテンションが上がる程度には懐いており、先述した引退後の足蹴りも池添がカメラの方を向いた時に「もっとこっちを構って♡」といわんばかりに足を当てていたのが真相なところ。かわいい。 再び池添がオルフェの方を向いていた際は懐いていた また、フランスにて鞍上を務めた世界一の悪童騎手の一人C.スミヨンもまた名誉オルフェ信者の一人であり、「現時点での世界一」「あのフランケル(*14)でさえ差し切れる」とコメントしている。凱旋門賞で負けた際には悔しさのあまり奥さんと共にレース後のパーティーで泣いていたとか。 厄介なオルフェファンの中には今なおスミヨンを不当に中傷し、「スミヨンなんかじゃなく池添なら確実に凱旋門勝てた」と根拠のない発言でスミヨンのみならず当時のオルフェ陣営、さらには栄冠を得たソレミアやトレヴまでこき下ろす者がいるが、スミヨン自身も全力でオルフェと勝ちを目指していたことは忘れないようにしよう。勝負の世界に『もしも』はないのだ。批判するならちょっと前にやらかした肘打ちの件にしよう。 実績と血統が認められて引退後は種牡馬入りするが、引退直後より種付けシーズンの時の方が筋肉ムキムキになっていたり、産駒の適性は芝3,600mからダート1,200mまで様々だったりと、相変わらずカオス。 とりわけダートで結果を出す産駒が多い事から踏まえると、オルフェーヴルの評価も「芝もダートもいける晩成馬だが、桁外れの能力があったので三冠馬にもなれた」という意味不明な事になりかねない。なんなんだアンタ 国内のみにとどまらず国際的な舞台に果敢に挑戦し、その強さを全世界に知らしめた稀代の暴君オルフェーヴル。日本競馬が世界に進出する大きな足掛かりを作った生きる伝説であることに異論を唱える者はいないだろう。 コントレイル(2020年) -父ディープインパクトの偉業から15年、衝撃には続きがありました!- 三冠達成時戦績:7戦7勝(無敗) 生涯戦績:11戦8勝 三冠達成騎手:福永祐一(*15) 今なお流行が収まる気配はなく、我々の生活に大きな影響を与えている新型コロナウイルス。コントレイルが活躍した2020年はちょうどその流行が猛威を振るい始めた頃であり、外出制限など非常に厳しい措置がとられた状況下だった。 親子での無敗三冠という世界初の快挙が達成されたのは、静まり返ったがらんどうな競馬場だった。 さて、コントレイルの戦績を今一度見てみると、正直すさまじいの一言につきる。1着8回,2着2回,3着1回,4着以下なしと、その安定感は過去の無敗三冠馬に決して劣ってないし、彼らと違い2歳でのGⅠ制覇も達成している。ラストランのジャパンカップでも見事に有終の美を飾っており、右も左もわからないコロナ禍でよくこんな成績がとれたものだと感心せざるを得ない。 しかし残念なことに、コントレイルはとにかく過小評価されがちである。心無いアホな競馬ファンからは「同期が弱かっただけ」(*16)「三冠馬の恥」などと揶揄されることも。さてはアンチだなオメー。 ただ、彼らを擁護するわけではないが、コントレイルが非常に不運な馬であったことは否めないだろう。 まず、前述した通り当時はコロナ禍真っ只中であり、競馬場にも厳しい入場制限がかけられていた。悲しいかな、人間どうしても自分の目で見た光景の方がより素晴らしいものとして印象に残ってしまうため、「強いコントレイル」を生で見られなかったのは大きな痛手だったといえる。 そして、そのあまりにも高すぎる血の価値ゆえに大事を取って4歳限りの引退が決まっていたため(*17)、その実力を証明する場を制限されてしまった(*18)のも、ファンからの評価においてはマイナス要因と言えた。 また、上下の世代にとんでもないバケモノがいたのも不運だった。3歳時の伝説のジャパンカップではルドルフの壁(*19)を打ち破り日本史上最強牝馬の呼び声も高い2400最速の女アーモンドアイと戦い、4歳時の天皇賞(秋)では当時ハンパない勢いを見せていた強かったころの撃墜王エフフォーリア(*20)と戦うことになったのだ。 「それでも勝てよ」と言われればそれまでなのだが、今思うと同情の念すら湧いてくる相手である。レイパパレ?アイツも弱くはないから… そしてそのせいもあってか歴代三冠馬の中では唯一年度代表馬を逃している。投票対象初年度での顕彰馬としても先輩のオルフェーヴル、ディープインパクトが一発で突破しているのに1票足りずに初年度落ちしたのも過小評価される要因か(*21)。 とはいえ、クラシック期には同期を一切寄せ付けず、ステイヤー気味で菊は楽勝というパターンが多い過去の三冠馬と異なりマイラー気質(*22)ゆえ本来手が届くはずのなかった菊花賞をド根性でしのぎ切り三冠を手にした本馬の実力は紛れもなく本物であり、その証拠として上述したレースでも大敗はせず必ず複勝圏内に入る力強さを見せている。あと自撮り写真をメディアに提供できるくらいには賢い。せめてコロナさえなければ… 鞍上をずっと務めた福永もコントレイルへの思い入れはとても大きく、ラストランで見事優勝した際には男泣きまで見せている。引退式にて福永は「コントレイルと過ごした時間は夢のような時間でした」と熱く語った。 色んな外的要因に悩まされながらも、類まれなる実力を発揮し競馬史に間違いなくその名を残したコントレイル。種牡馬としての成功もぜひ大いに期待したい。 牝馬三冠 牡馬クラシック三冠と同様に、牝馬三冠もまたイギリスの体系をモデルに構築されたものである。2023年10月現在、牝馬三冠を達成した馬は7頭存在する。 桜花賞 (阪神競馬場・芝1600m) 優駿牝馬(オークス) (東京競馬場・芝2400m) 秋華賞 (京都競馬場・芝2000m) 以上が現在における牝馬三冠とされ、サラブレッド系牝馬3歳(旧4歳)にのみ出走権が与えられる。よってこれも牡馬三冠と同じく、生涯一度しか出走が許されない。 ただ、前述したとおり日本が体系を模倣したイギリスには牝馬の三冠目にあたるレースが個別には存在せず牡馬三冠と共通だったため、日本の牝馬三冠は時代と共に変遷を余儀なくされた。 具体的には、三冠目にあたるレースが (菊花賞→)ビクトリアカップ→エリザベス女王杯→秋華賞 となっていった。 ビクトリアカップができた1970年で牡馬三冠と切り離されて牝馬三冠の体系が成立し、その後のエリザベス女王杯への承継を経て、秋華賞ができた1996年以降より今の牝馬三冠体系が成立している。 なお、三冠目の秋華賞は、菊花賞とは異なり正確にはクラシックレースではない。 クラシックとは歴史あるレースのことであり、秋華賞(および前身となったビクトリアカップ、エリザベス女王杯)は比較的近年になってから設立されたレースであるため。 宝塚記念が八大競走に数えられないのと同様の理由である。 詳細は三冠牝馬の項目を参照。 海外における三冠 当然のことだが、クラシック三冠という体系は日本のみならず世界各国に存在する。ところが、輸送技術の発達により(特に欧州間での)国家間の移動が容易になったことで、走るレースの選択肢が大いに広がり、それに伴って三冠の価値は世界全体で年々下がりつつある(*23)。 今ではヨーロッパのほとんどにおいて三冠自体が形骸化しつつあり、その価値が認められているのは日本やアメリカ、オーストラリアなど限られているのが実情である。 ただ、だからと言って三冠馬が評価の低い存在になったかといえば決してそうではない。歴史に目を向ければ、世界の三冠馬は今なお語り継がれるほどの伝説的強さをほこった者ばかりである。 歴史上全ての三冠馬を紹介するとなるとページがいくらあっても足りないので、以下では中でも代表的なものを取り上げ紹介しようと思う。 オーモンド(1886年) 三冠達成国:イギリス(2000ギニー、エプソムダービー、セントレジャーS) 三冠達成時戦績:8戦8勝 生涯戦績:16戦16勝(生涯無敗) 本馬のことを一度でも耳にしたことがあるという人は、相当の競馬通といえよう。何せ140年近く前の三冠馬であり、当時の日本には国会や憲法すらなかったのだから。 ところが、競馬発祥の地イギリスの長い長い歴史においても、オーモンドはおそらく5本の指に収まるであろうリアルチート三冠馬である。 オーモンドがしのぎを削った1886年クラシック世代は今なお史上最高の世代の一つとされるほど修羅だらけの代であり、2歳時に16戦16勝という世紀末覇王も腰を抜かす戦績を残したザバード、2歳でGⅠ二勝していたこちらも無敗馬ミンティング等、有力馬が揃いに揃っていた。 そんな中でデビューしたオーモンドは、強いことは認められつつも上記の怪物どもには一歩及ばないだろうと評価されており、2歳時3戦3勝無敗という成績を収めつつもクラシック緒戦2000ギニーでは3番人気であった。 だがオーモンドの力は格別だった。2000ギニー、ダービーにてそれぞれミンティング、ザバードを破り、三冠最終戦セントレジャーSも難なく優勝。歴史上初の無敗三冠馬が誕生した瞬間であった。 ここまででも十分歴史的名馬なのだが、オーモンドが凄いのはここからである。セントレジャーS頃から、オーモンドは喘鳴症(喉鳴り)という難病に悩まされはじめた。 この病気、屈腱炎と並ぶ競走馬殺しの病であり、今でこそ様々な治療法が確立されているものの、一昔前、ましてや19世紀には不治の病の一つであった。 引退待ったなしの病にさいなまれる羽目になったオーモンドだが、陣営は4歳以降も現役を続行する判断を下した。 そしてその結果、オーモンドはいかなるレース、いかなる強豪相手でも一切先着を許さず、生涯無敗で現役生活に終止符を打ったのである。人で例えると、病気でめっちゃ息苦しい中桐生祥秀やサニブラウン相手に勝つようなものだろうか そのあまりに完璧すぎる成績や、規格外の根性が評価され、オーモンドは"Horse of the century(世紀の名馬)"という称号とともに今なお称えられている。 一方種牡馬としては受胎率が非常に悪いと言う致命的な欠点を抱えており、子のオームからの血統が繁栄したもの、現代ではそこからテディへ繋がるラインの子孫が細々と残る程度である。 セクレタリアト(1973年) 三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS) 三冠達成時戦績:15戦12勝 生涯戦績:21戦16勝 「麒麟や龍、ユニコーンなど、世に伝わる架空の生物はいくつか存在するが、あるいはセクレタリアトも、そうした神話の世界の生き物なのではないか──」(JRA-VAN Ver.Worldより) …御覧のように、JRAにすら神話生物扱いされるほどの恐ろしい強さをほこり、「怪物」という表現すらなまぬるい空前絶後のモンスター、それがセクレタリアトである。通称、「BIG RED」「tremendous machine」 ディープと同じく本wikiの当該項目にやたら熱いノリの解説があるため詳細はそちらに委ねるが、セクレタリアトは言うなればこの世の理の外側にいるような、まさしく競走馬として最高峰の存在であった。 なおアメリカの三冠は距離のブレが日本やイギリスと違い「1マイル1/4~1マイル1/2(1900~2400m)」と約500m以内に収まっているので脚質的には楽なのだが、 それを上回るのがケンタッキーダービー~プリークネスS間が中1週、プリークネスS~ベルモントSが中2週の計5週間で3レースを消化するという短期日程。 そのため速さだけでなく強さが要求されるのが大きな違い。馬場もダートで余計に強さ勝負の面が大きい。 本馬を語るうえで欠かせないのはそんなクラシック戦線で披露した、およそ同じ生物とは思えない圧巻のパフォーマンスであろう。ケンタッキーダービー、プリークネスS、ベルモントSの全てにおいて、50年以上経った今でも破られていないウルトラレコードを叩き出したのだ。よくもあんなキチガイレコードを! 特に三冠最終戦ベルモントSで叩き出したレコード2 24 0は凄まじいを通り越して異次元そのものであり、同距離の歴代2位記録はブラジルで計測された2 25 97というチートっぷり。おそらく今後二度と破られる日は来ないであろうアンタッチャブルレコードである。 競走馬の限界のその先を人々に見せつけ、馬であるかぎりこいつを超えることは不可能とまで言われたセクレタリアト。まさしく三冠馬の中の三冠馬であり、本馬を称える声は未来永劫絶えないだろう。 カウントフリート(1943年) 三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS) 三冠達成時戦績:21戦(!!)16勝 生涯戦績:21戦16勝 セクレタリアトの解説を読み、該当項目まで訪ねてくれたアニヲタ諸君はきっとこう思っただろう。「もうこいつがアメリカ最強じゃね?」 確かにセクレタリアトが余りに規格外であることに間違いはないが、そこは世界一の国アメリカ。「最強」の2文字に待ったをかけるバケモノ中のバケモノがうじゃうじゃいるのである… ここで紹介するカウントフリートもその中の一人(一頭)であり、米国史上最強と推す声も多い鬼才の神童三冠馬である。 戦績の欄を見て驚いた方も多いかもしれないが、カウントフリートは2歳で15戦、3歳で6戦と、三冠に至るまでに21度もレースの舞台に立っている。中4日で出走したこともあると言えばその恐ろしさが伝わるだろうか。 時代的に馬の出走管理のノウハウがほとんどない時代だったので仕方ない話ではあるのだが、そんな厳しさの中カウントフリートは当時のホースマンが腰を抜かすようなパフォーマンスで無双を続けたのだ。 調教の時の逸話を一つ紹介しよう。 2歳の時にカウントフリートが調教でダート6ハロン(約1200m)を走らされたのだが、その時のタイムが1 08 02であったのだ。(参考までに、同距離で施行されるBCスプリントの2022年の勝ちタイムが1 09 11である…) 80年近く経った今ですら一切遜色ない(どころか余裕で一線級)のタイムに関係者は仰天し、測り間違いか何回も検証したという。幸い(?)正しかったらしいが。 その他にも、2歳最終戦ウォルデンSでは30馬身差勝ち、三冠最終戦ベルモントSでは25馬身差勝ちなど、怪物エピソードはあまた存在する。これを「その他」に区分するのも頭おかしい気がするが… ところで、諸君はベイヤースピード指数というものはご存じだろうか。これはレースタイム、距離を参考に算出されるアメリカ独自の値であり、同国でかなり市民権を得ている指標である。 一般重賞馬は100近く、歴史的パフォーマンスを披露した馬は120近くの値が与えられ、新時代のUMAことフライトラインは126もの評価が与えられた。正直アイツの場合もっとあってもいい気はするが これを発案したベイヤーさん、どうやら俺らと同じロマンチストだったらしく、当時もう引退していたセクレタリアトを映像から独自に算出した結果、139という値が出たと述べている。 これでも十分怪物級なのだが、さらにカウントフリートの指数を計算してみたところ、150にまで至ったのではないかと述べている。馬が出していい数字ではない。 これほどの実績を残しながら、三冠達成後すぐという早期の引退となったカウントフリート。その魔物じみた力の全容を知りたかったと思うのは私だけではないはずである。 シアトルスルー(1977年) 三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS) 三冠達成時戦績:9戦9勝(無敗) 生涯戦績:17戦14勝 アメリカン・ドリーム。それはアメリカの起源たる幸福追求権に基づいた、出自の階層を抜け出して栄誉を勝ち取るという夢そのものである。格差拡大や人種差別の存在から概念自体否定する声も多いが。 リンカーンやロックフェラーなど、夢の体現者は数多く存在するが、こと競走馬の世界となると、アメリカ史上初の無敗三冠馬シアトルスルーの右に出るものはいないだろう。 ケンタッキー州の牧場で生まれたシアトルスルーは、あまりの見栄えの悪さから「醜いアヒルの子」という可哀そうなあだ名をつけられ、牧場ではおろかセリでも評価は地の底。選抜セリ市にすら出られず一般セリ市での販売となった。 正直、この時点では一勝でもできればいい方だと思われていただろう。 だが、調教開始以降盛大なフラグ回収シアトルスルーの逆襲がはじまる。逃げ戦法に活路を見出した本馬は、デビュー戦から連戦圧勝。 6戦6勝(GⅠ二勝、うち一つは10馬身差勝ち)という成績をひっさげクラシック戦線へ駒をすすめた。 三冠戦でも勢いは全くとまらず、同世代のライバルを歯牙にもかけない走りで優勝。史上初の無敗三冠馬が今ここに誕生したのだった。 古馬以降も実力に陰りは全くでず、むしろどんどん怪物性を増していく。後輩三冠馬であり純度100%の闘争心の塊ことアファームド相手に圧勝したり、GⅠ九勝の刺客エクセラーと今なお語り継がれる大接戦をくり広げたりと、多くの競馬ファンを感嘆させた。 ルドルフといいシアトルスルーといい、この時代の無敗三冠馬は別の三冠馬を潰さないと気が済まないのだろうか…? 競走馬としても猛烈に強かったシアトルスルーだが、種牡馬入り以降はそのバケモノじみたポテンシャルを盛大に拡散。孝行息子エーピーインディのおかげもあり、今では「シアトルスルー系」と呼ばれる世界的血脈の一つが成立している。 その血を受け継いだ馬は日本にも数多く存在し、父としてタイキブリザード(安田記念)やダンツシアトル(宝塚記念)、母父としてアグネスワールド(ジュライカップ)やシーキングザパール(モーリス・ド・ゲスト賞)を輩出している。 競争成績と繁殖成績を合わせて見た時、アメリカどころか世界のどこにもシアトルスルーを超えるものはいないとする声も多い。あの日セリにいた「醜いアヒルの子」は、夢をかなえて白鳥になったのである。 アメリカンファラオ(2015年) 三冠達成国:アメリカ(ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS) 三冠達成時戦績:8戦7勝 生涯戦績:11戦9勝 1978年のアファームド以来37年ぶりに誕生した待望の三冠馬。そのため今現在のアメリカ競馬ファンにとって一番馴染みのある三冠馬でもある。 「アメリカクラシック三冠とBCクラシック」と定義されるグランドスラム(*24)を初めて達成した馬であり、名の通り「アメリカの王」という称号が相応しい存在である。 3代前の父にファピアノを持つファピアノ系、2013年にサラトガセールに出されるも少し前に怪我した影響で見栄えが良くなく また生産者が有力仔馬を100万ドル以下では売却しない方針もあり、結局代理人を経由する形で30万ドルで買い戻された。 翌年春には入厩するが管理する調教師から「彼のような動きをする馬を管理したことが無い」と太鼓判が押されていた。 満を持したデビュー戦ではパドックで入れ込んだこともあったにしても1着馬に9馬身差の5着に敗れた。 次走ではデルマーFSに出走するが前走の敗退があっても2番人気に推された。 また前走はブリンカー着用が良くなかったと判断され耳に綿を詰めて出走、ハナを奪うとそのまま2着馬に4馬身3/4差をつけて初勝利をGⅠで飾った。 更にフロントランナーSも逃げ切りを見せてGⅠ2勝、ブリーダーズカップJFの出走を目指すも怪我で回避したが最優秀2歳牡馬に選出された。 3歳初戦はレベルS(GⅡ)に出走し出走メンバーで唯一斤量119ポンド(54kg)を課せられるも1番人気に推され6馬身1/4差をつけて勝利し人気に応えた。 次走は同じオークローンパーク競馬場のアーカンソーダービーに出走し1.1倍の圧倒的1番人気に推され8馬身差の圧勝。 満を持してアメリカ三冠レースの1冠ケンタッキーダービーに出走し1番人気になるも、サンタアニタダービーなど6戦無敗のドルトムントなど有力馬もいたことで3.9倍だった。 本番ではドルトムントがハナを奪い、それに追走する形でレースを進め徐々に後続と距離が広がり前3頭の叩きあいになった。まず先頭を走ったドルトムントが脱落し、2番手だったファイアリングラインを最後差し切る形で1馬身差で勝利・1冠目を手にした。 2冠目のプリークネスSは前走から1.9倍の圧倒的1番人気となるがレース直前に激しい雷雨によって一気に馬場が不良になってしまう。 レースではハナを奪うとそのまま後続を放しにかかり、第3・4コーナーで後続に詰め寄られるも最終直線で突き放し騎手もムチを使うことなく7馬身差をつけて2冠目を手にした。 最後の1冠ベルモントSは馬の状態を優先し、厩舎のある競馬場で調整、レース直前に現地に輸送する手段が取られた。 出走馬の多くがケンタッキーダービーからで三冠全てを出走したのはアメリカンファラオだけであった。 レースではいつも通りハナを奪うと3コーナーで後続が必死に追うのも何のその。ほぼ持ったままで5馬身1/2差で勝利し見事三冠を達成した。 なお馬券は単勝で9万票以上が売れたがその内95%が換金されず、厩舎のお披露目会には3万人のファンが駆け付け三冠馬の誕生を祝った。 ハスケルSではケンタッキー以来番手の競馬となったが3・4コーナーで先頭を奪うとそのまま勝利。 次走はトラヴァーズSを選んだが同月に2度の大陸横断遠征だったことで馬への負荷を考え調教師は乗り気でなかったが、調教の状態が良かったのと馬主の意向で出走が決定。 だがレース直前に発汗が見られるなど明らかに状態が良くなく、いつも通りハナを奪い後続を放すも外から差し切られてしまい新馬戦以来2着に敗れた。 馬主からはこれで引退するようなことも口にしたが調教師は次走は万全の状態でレースさせると豪語しBCクラシックへの出走を決定。 引退レースとなるBCクラシックでは1.7倍の1番人気に支持され、好スタートを決めるとそのまま後続を離しにかかり最後は6馬身半差で有終の美を飾った。 この成績で2015年エクリプス賞の年度代表馬および最優秀3歳牡馬に満票で選出、陣営も最優秀調教師・最優秀馬主・最優秀生産者にそれぞれ選出された。 年度代表馬に満票で選出されたのは、今なお破られないアメリカGⅠ16勝の実績をあげた怪物ジョンヘンリー以来2頭目の快挙であった。 その後種牡馬として種付け料30万ドルを付けられるも、同価格の種牡馬と比べるとあまり活躍馬が出ていないこともあり徐々に価格が下落している。 一方でアメリカンファラオ産駒ではあるものの日本のダートで活躍しているカフェファラオは、アメリカの熱心なファンがいるだけでなく、調教師も注目するほど産駒には大きな期待が掛かっていることから彼らにとってアメリカンファラオが特別な存在であることもうかがえる。 余談だが、アメリカンファラオの名は提出時にミスによって「Pharoah」と登録されている。アメリカンファラオの圧倒的戦績を鑑みると、これはもはや競馬史上最大級の綴りミスといえる。 馬主もまさか名前間違えた奴がこんなに強いとは思わなかっただろう。 前述したカフェファラオの名前登録の際は訂正できたはずなのだが、変なところで律儀にも本馬もまた父と同じPharoahと登録されており、リスペクトを感じるとしてアメリカからの人気に一役買っているらしい。 ゴールデンシックスティ(2020年) 三冠達成国:香港(香港クラシックマイル・香港クラシックカップ・香港ダービー) 三冠達成時戦績:11戦10勝 生涯戦績:30戦26勝(2023年現在) -It's GOLDEN SIXTY! The SUPERSTAR!!- 2023年現在、世界の第一線で活躍している三冠馬といえば、このゴールデンシックスティが真っ先に挙げられるであろう。 現代競馬とは思えない出走数および勝率、それに伴う歴代一位の獲得賞金額(*25)などが示すように、ゴールデンシックスティは現役競走馬の中でまぎれもなく「世界一」という称号が許される一頭である。 香港の若きエースヴィンセント・ホー騎手がデビューからずっと手綱を握っており、おしどり夫婦切っても切り離せない最強コンビとして名を馳せている。 オーストラリア出身ながら、香港の馬主に見いだされ購入されたゴールデンシックスティ。きて早々オトコの象徴を切られる憂き目にあった後、(*26)デビュー戦から連戦連勝。一度謎の10着をとった以外はほぼ全てで勝利し、クラシック戦線へ歩を進めた。 香港のクラシック体系はクラシックマイルから順に1600m、1800m、2000mと段々距離が延びる形式をとるが、ゴールデンシックスティはそんな距離の不安を一蹴。 全試合で後方待機策をとり、ゴール前で差し切るスタイルで無双を重ね、一番人気を裏切ることなく優勝。史上二頭目の三冠馬となった。 三冠達成後も本馬の勢いは衰えるどころかより一層増すことになり、三冠後初のレースではGⅠ8勝の歴史的マイラービューティージェネレーションに勝利。世代交代ののろしをあげた。 そして翌年2021年末まで本馬は全戦全勝。16連勝という意味不明な成績をあげ、当たり前だが年度代表馬にも選出された。 そのあとのレースに関しては実際にテレビで見た人も多いであろう。2022年初めに2戦連続でよもやの敗戦を喫し年齢による衰えがささやかれはじめたものの、その後は以前と全く変わらない、いやむしろ進化したかのようなレースぶりを披露。勝ちに勝ちを重ねつづけた。 2023年に入ってもその勢いは健在。8歳になったにも関わらず、後輩にしてこちらも歴史的名馬の風格を漂わせるロマンチックウォリアー(*27)、カリフォルニアスパングル(*28)相手にも一切引けをとることなく、4戦4勝という戦績を残している。香港馬ってみんな名前かっこいいよね まだ見たことのない人は、当年1月に行われたスチュワーズカップの映像を見てみてほしい。戯れにも、死闘にも見えた一世一代の舞台で、ゴールデンシックスティが威厳を見せつけた名勝負であった。去勢済みで種牡馬になれないので働けるだけ働いた方がいいとは言え、もう老害の域では… そしてその勢いのまま2022/2023シーズンの香港年度代表馬の称号も獲得し、史上初の三年連続年度代表馬となった。 せん馬ということもあり、アメリカの誇るキングことケルソ(*29)を重ねた人もいたのではないだろうか。 暮れの香港マイルでは、前哨戦を使わずぶっつけ本番で参戦。8カ月ぶりの実戦かつ大外枠ということもあり、高齢なのも相まって不安視する声がささやかれた。 ところが、蓋を開けてみると完璧なスタートで枠の不利を消しつつ、最後はとてつもない末脚を繰り出して余裕の圧勝。GⅠ10勝目をマークした。 同郷の後輩や日本の強豪らの挑戦をたやすく返り討ちにし、絶対王者の君臨を世界に示すこととなった。彼のゴールデンが既に失われていることを嘆く声が木霊したのは言うまでもない 今なお進化を続け、全盛期の到来を全く感じさせない香港競馬史上最高の英雄ゴールデンシックスティ。現役の本馬を見られていることに感謝の念すら抱かずにはいられない。 そんな彼も2023/2024シーズンを以って引退予定。ちなみにオーナーによると引退後はなんと日本のノーザンホースパークで余生を送るとのこと。 残り数少ない現役生活、彼がどれほどの記録を積み重ねていけるかにも注目しよう。 追記・修正は最も速く、最も運がよく、最も強くなってからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] タケユタカはパーソロン産駒だろ!まぁ、斤量480キロ近く担いで走る皐月賞馬C.デムーロもいるくらいですし… -- 名無しさん (2023-05-29 12 00 50) 牝馬三冠は別項目になるのかな? -- 名無しさん (2023-05-29 15 10 01) 他の馬disとかゴールデンシックスティを老害呼びはちょっと -- 名無しさん (2023-05-29 21 32 02) さすがにここの老害は褒め言葉な気がする。七歳とは思えないほど一線級ってわけだし -- 名無しさん (2023-05-29 22 32 58) 厩務員乗せて三冠馬になった奴もいるんだっけか -- 名無しさん (2023-05-29 22 47 31) ↑ ダイヤモンドジュビリーだね。かのセントサイモンの代表産駒で、案の定気性難過ぎて(「悪魔の気性」とまで呼ばれたとか)騎手が誰も乗りたがらず、仕方なく担当厩務員を乗せて現役時代を送ったとか...。 -- 名無しさん (2023-05-29 23 50 08) シアトルスルーがいないのは寂しいな。日本にもG1馬輩出してるのに -- 名無しさん (2023-05-30 00 19 37) ↑↑日本にも子孫が割といるという -- 名無しさん (2023-05-30 00 37 15) >岡部はビワハヤヒデの主戦騎手だったおかげか脳をあまり焼かれずに済み~ すでにルドルフに脳を焼き尽くされていた大僧正は格が違った -- 名無しさん (2023-05-30 12 03 54) 平均すれば10年に1度くらいは出てるのだが、セントライトからシービーまで滅多に出るものじゃなかった辺り、育成ノウハウの蓄積や施設の改良とかもデカそうに思う -- 名無しさん (2023-05-30 13 13 31) ↑↑↑↑ご期待に応え(?)シアトルスルー追記しました -- まさてる (2023-06-01 22 46 09) ↑サンクス。アメリカ三冠といえばセントライトよりもこっち派なもんでな -- 名無しさん (2023-06-01 22 50 46) 編集時間の重複により内容の大幅な削減が生じたため復元し修正しました。 -- まさてる (2023-06-01 23 35 56) 確かに言われてみるとディープインパクトやオルフェーヴルは聞いた事あるけどコントレイルはピンと来ないな -- 名無しさん (2023-06-02 00 13 08) ルドルフ・テイオーすら成し遂げられなかった初の親子三冠、しかも未だビッグネームのディープインパクトの子。ニュースバリューは十二分のはずなのにね。 -- 名無しさん (2023-06-02 00 27 41) 今気がついたけど皐月賞や日本ダービーとかのレース自体の項目はないのね -- 名無しさん (2023-06-02 00 36 59) ↑レース自体ってのは『日本ダービーとは何か』って意味ね -- 名無しさん (2023-06-02 00 58 07) コントレイルだけは顕彰馬に選ばれてないってのもあれこれ言われちまう一因なのかな... -- 名無しさん (2023-06-02 21 58 09) ニジンスキーも英国三冠馬だったような? -- 名無しさん (2023-06-02 22 04 48) ↑↑ボケてんのかマジなのか分からんけどコントレイルはまだ顕彰馬投票の対象に入ってないぞ。多分年度代表馬と間違ったんだろうが -- 名無しさん (2023-06-02 23 45 00) ↑にわかですまない、顕彰馬ってそんなすぐ選ばれるわけじゃないのね。 -- 名無しさん (2023-06-03 00 03 22) ダイヤモンドジュビリーは色々な意味で三冠馬で唯一無二だし紹介してもいいと思う -- 名無しさん (2023-06-03 00 57 26) ニジンスキーは三冠馬だけど三冠馬になるより2冠+凱旋門賞の方を目指すべきって感じで、三冠目の価値を落としてしまったのよ。米豪は日程が超厳しいので三冠は挑戦すること自体が偉業っていう事で未だ価値を保ってるんだけど -- 名無しさん (2023-06-03 01 36 23) コントレイルは今年は顕彰馬ならず -- 名無しさん (2023-06-07 07 39 25) 三冠牝馬もオナシャス!!(他力本願)新記事建てるか「三冠馬」の項目にまとめるかは任せる(他力本願part2) -- 名無しさん (2023-06-07 08 37 49) セクレタリアトの唐突な「キチ◯イレコード」が妙にマッチしてて笑える -- 名無しさん (2023-06-09 09 25 07) 現役中は三冠馬で唯一年度代表馬に選ばれず、初回で顕彰馬に入れなかったコントレイルが不憫すぎる(あと1票ってところが彼らしいというか) -- 名無しさん (2023-06-12 13 57 56) ゴールデンシックスティが日本に来るって? -- 名無しさん (2023-06-13 22 52 06) 長距離勝ってもねえなのは、高額賞金レースが長距離に少ないからリスクに見合わないって問題なだけな気もする。それこそ1500万ドルの3000mのレースがありゃ目の色変わるんじゃないかと。 -- 名無しさん (2023-06-14 07 09 42) ↑✕11高レーティングつけられてもそれは忖度、年度代表馬漏れが正当な評価ってバカなこと言ってたやつもいたなあ -- 名無しさん (2023-06-17 19 52 03) そもそもコントレイルが初年度で顕彰馬に選ばれなかったのは九冠馬アーモンドアイがいたから。で、なんでアイちゃんがいたかって「アーモンドアイが対象になったことを知らなかった」とかいう間抜けな言い訳をする記者どものせい。なので元を糺せば『競馬について無知な記者に選定させてる顕彰馬というシステム』そのものに問題がある -- 名無しさん (2023-07-09 03 07 31) 範囲に入れていいかはわからんが、可能ならクリフジも入れて欲しい -- 名無しさん (2023-07-14 22 41 04) ↑×8 遅くなりましたが牝馬三冠追記しました。???部があまりよろしくないようなら削除していただいて構いません。また、三冠牝馬として項目を分けるかどうかもお任せします -- まさてる (2023-07-21 17 53 41) せん馬の戦績が凄すぎる…今の技術ならせん馬でも種残せたりできないんかな、この戦績の血が繋がらないの悲しすぎる -- 名無しさん (2023-07-25 19 01 06) ↑2 ???はcoming soon ではなく New hero is coming? の方がいいのでは。(つまり京都競馬場にあるアレを真似る感じにするということ) -- 名無しさん (2023-07-25 20 22 43) ここ見て驚いたけどラモーヌさんとアイちゃんの単独項目ってまだなかったんだ…(ラモーヌさんはウマ娘で育成実装来たら史実での活躍として項目出来そうだけど) -- 名無しさん (2023-07-26 10 11 16) 名前伏せているとはいえお嬢さんを入れるのは気が早すぎる -- 名無しさん (2023-07-26 10 42 48) 同じ三冠でもロジータやトーシンブリザード、ミックファイアは、やっぱ地方ダート混じるから格が落ちる感じなのかしら? -- 名無しさん (2023-07-26 13 00 02) 米国三冠は設立当時から「達成しても古馬相手に勝てなきゃ無価値だよ」って感じでしたね。無敗三冠のジャスティファイくんが最弱の三冠馬って言われてるほどですし(そして誰も彼を擁護してない)。 -- 名無しさん (2023-07-26 13 33 50) ↑4 そもそも三冠牝馬の項目が数年前に立ったドンナだけだからね。三冠馬の方は旧サイトの時に2頭建っていたけど。 -- 名無しさん (2023-08-15 19 37 45) リバティアイランドちゃん牝馬三冠おめでとう -- 名無しさん (2023-10-15 16 25 19) リバティアイランドの秋華賞、凄かったな。 -- 名無しさん (2023-10-16 19 53 25) デアリングタクトが繁殖牝馬入りしたし血統的に問題ないならコントレイルと交配しないかな -- 名無しさん (2023-10-20 01 23 04) 三冠馬に脳を焼かれた人物としては他に「ミスター競馬」野平祐二氏がいる。入ったばかりの小僧時代に見た「変則三冠馬」クリフジにがっつり焼かれ、シンボリルドルフを調教してなお歴代最強馬に迷わずクリフジを挙げていた。 -- 名無しさん (2023-11-15 09 39 55) 後輩も日本馬も全部超越して最強を示してほしい 頑張れゴールデンシックスティ! -- 名無しさん (2023-12-09 18 16 27) ゴールデンシックスティ3度目の香港マイル制覇、この馬はもう神の領域にいる -- 名無しさん (2023-12-10 17 39 02) 香港よ、なぜこの馬のタマを取ってしまったんだ!(血涙) -- 名無しさん (2023-12-11 02 19 27) 2018年米クラシック三冠馬のジャスティファイがドーピングでケンタッキーダービーの優勝が取り消しになったらしい -- 名無しさん (2024-03-15 04 19 08)
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中央競馬クラシック三冠(ちゅうおうけいばクラシックさんかん)とは中央競馬においてイギリスを模範として創設された、 皐月賞(2000ギニー相当) 東京優駿(副称「日本ダービー」、エプソムダービー相当) 菊花賞(セントレジャーステークス相当) の3競走を指す。単に三冠競走とも称する。 中央競馬におけるクラシック競走は上記3競走に加え、牝馬限定の 桜花賞(1000ギニー相当) 優駿牝馬(副称「オークス」、エプソムオークス相当) を加えた5競走、これらに有馬記念と天皇賞(春・秋)を加えた8競走を八大競走と呼んでいる。 その中で皐月賞、東京優駿、菊花賞の3競走を全て優勝した馬を三冠馬と呼ぶ。 桜花賞、優駿牝馬と、クラシック競走ではないが、秋華賞(秋華賞設立以前の時代においては菊花賞、のちビクトリアカップ、エリザベス女王杯)の3競走を全て優勝した牝馬を牝馬三冠馬と呼ぶ。 出走条件はイギリスと同様サラブレッド系3歳馬に限られ、さらに騸馬は出走不可能である。 達成馬は、以下の7頭である。 セントライト(1941年) シンザン(1964年) ミスターシービー(1983年) シンボリルドルフ(1984年) ナリタブライアン(1994年) ディープインパクト(2005年) オルフェーヴル(2011年) うち、シンボリルドルフとディープインパクトは無敗で三冠(達成時、前者は8戦全勝、後者は7戦全勝)を制した。 またセントライトの年は皐月賞は横濱農林省賞典四歳呼馬、菊花賞は京都農林省賞典四歳呼馬という競走名であった。 またセントライトの年の横濱農林省賞典四歳呼馬は横浜競馬場で、シンザンとオルフェーヴルの年の皐月賞は東京競馬場でそれぞれ行われた。 1994年以前はクラシック競走に地方競馬所属馬の出走は認められなかったが、1995年にトライアル競走で優先出走権を得た馬に限り出走が認められることとなった。 初年度は牝馬三冠に皆勤したライデンリーダー、2004年には牡馬三冠に皆勤したコスモバルクなどが注目を集めた。 また2000年以前はクラシック競走に外国産馬の出走は認められていなかったが2001年から東京優駿と菊花賞に2頭以下に限り出走可能となり、 現在は皐月賞にも出走可能となるなど年々拡大している。 さらに2001年から内国産馬に限りクラシック三冠を達成した場合は褒賞金として1億円が贈られて獲得賞金に加算される制度が創設され、 2005年のディープインパクトがこの制度の初の適用馬となった。 2010年からは国際競走となり、日本以外に所属する競走馬も出走可能になっている。 中央競馬での達成馬は1943年のクリフジ(東京優駿、優駿牝馬、菊花賞)のみであり、これは牝馬による唯一のクラシック競走3勝の記録であるが、 その勝利した3競走の内訳が現代のクラシック三冠の定義から外れている為、牡馬三冠などと区別され、変則三冠と呼ばれるのが通例である。 本来の変則三冠は牝馬によるクラシック三勝であるが、NHKマイルカップを含む3歳限定戦3競走を制した場合に、 変則三冠と呼ばれることも考えられる。2004年のキングカメハメハと2008年のディープスカイがNHKマイルカップと東京優駿を連勝した時や 、2005年にラインクラフトが桜花賞とNHKマイルカップを連勝した時に、一部マスコミから「変則二冠」として呼ばれたことがある
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登録日:2023/11/30 Thu 06 23 10 更新日:2024/03/31 Sun 21 00 18NEW! 所要時間:約 26 分で読めます ▽タグ一覧 G1馬 アパパネ アーモンドアイ エリザベス女王杯 オークス ゴリウー ジェンティルドンナ スティルインラブ デアリングタクト ビクトリアカップ メジロラモーヌ リバティアイランド 三冠牝馬 優駿牝馬 女傑 桜花賞 牝馬 牝馬三冠 秋華賞 競馬 菊花賞 馬 三冠牝馬とは、主に競馬の平地競走において、メスの馬のみ出走可能な特定のGⅠ三競走(=牝馬三冠)全てに勝利した馬のことを指す。 ●目次 【牝馬三冠レースとは】 【歴代の三冠牝馬】メジロラモーヌ(1986年) スティルインラブ(2003年) アパパネ(2010年) ジェンティルドンナ(2012年) アーモンドアイ(2018年) デアリングタクト(2020年) リバティアイランド(2023年) 【海外の牝馬三冠】ラフィアン(1975年) ザルカヴァ(2008年) 【牝馬三冠レースとは】 桜花賞 (阪神競馬場・芝1600m) 優駿牝馬(オークス) (東京競馬場・芝2400m) 秋華賞 (京都競馬場・芝2000m) 以上が現在における牝馬三冠レースとされ、サラブレッド系牝馬3歳(旧4歳)にのみ出走権が与えられる。よってこれも牡馬三冠と同じく、生涯一度しか出走が許されない。 我が国における競馬体系は欧米のそれを模範して誕生したものであり、誕生以前から現在のクラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)レース(*1)及び『牝馬三冠』のレース体系が存在していたとも言われている。 ただ、日本が体系を模倣したイギリスには牝馬の三冠目にあたるレースが個別には存在せず牡馬三冠と共通だったため、日本の牝馬三冠は時代と共に変遷を余儀なくされた。 具体的には、三冠目にあたるレースが (菊花賞→)ビクトリアカップ→エリザベス女王杯→秋華賞 と変化していった。 ビクトリアカップができた1970年で牡馬三冠と切り離されて牝馬三冠の体系が成立し、その後のエリザベス女王杯への承継を経て、秋華賞ができた1996年以降より今の牝馬三冠体系が成立している。 なお、三冠目の秋華賞は、菊花賞とは異なり正確には「クラシックレース」ではない。そのため、牡馬のほうを(正確には牡馬限定ではないのもあり)「クラシック三冠」、牝馬のほうは単に「牝馬三冠」と表現されることも多い。 クラシックとは歴史あるレースのことであり、秋華賞(および前身となったビクトリアカップ、エリザベス女王杯)は比較的近年になってから設立されたレースであるため。 宝塚記念が八大競走に数えられないのと同様の理由である。 その代わりクラシック競争ではないために秋華賞(エリザベス女王杯)は外国産馬ルールが適用されず、ヒシアマゾンやファインモーションといった外国産馬が戴冠できたりする。 牡馬三冠と比べると、菊花賞のような長距離競走はない&距離幅自体もやや少なく、おまけに実力を持て余した牡馬が殴り込んでくるという心配もない(逆も滅多にないことではあるが)。 また、最後の一冠が二冠の中間距離帯なので距離面の不安なく三冠に挑むことができ、能力的な点での難度は低いと言える。 実際、2010年から2020年までの10年の間に4頭もの牝馬三冠馬が現れており、ここ最近に限定すれば頻度としては牡馬の方を大きく上回っている。とはいえ3歳春の牝馬にとって2400mは未知の距離となる場合が多く、かなりのスタミナを要するため、ここが最難関といえる。 そして、ささいな調子の良し悪しで大きくパフォーマンスが変わりやすいとされる若き牝馬が、一度きりしかない三冠路線を一つも取りこぼさず勝ち切ることは実際のところは至難の業である。 そんな中で牝馬三冠を達成した馬は少なくとも同期の中では傑出した存在であり、名馬の一員に数えられるのは至極当然のことだろう。 中には牝馬のみに飽き足らず牡馬すら蹴散らしていく女傑もいるのだから恐ろしい話である。時代錯誤な表現かもしれないが、男の立つ瀬がないとはこのことだろう。 ガタイがいかつすぎると「ゴリウー」呼ばわりされたり「実は"ついてる"んじゃ?」と噂されることも。うら若き乙女相手に何て失礼なのだろうか 以下、そんな各三冠牝馬を紹介する。 【歴代の三冠牝馬】 メジロラモーヌ(1986年) -この一着は際どいぞ!どっちだ?メジロだー!メジロラモーヌ!!- 三冠達成時戦績:11戦9勝 生涯戦績:12戦9勝 三冠達成騎手:河内洋 日本競馬史上初めて現れた三冠牝馬。当時、三冠目は秋華賞ではなくエリザベス女王杯であり、ラモーヌは唯一の旧体制の三冠牝馬である。 名優マックイーンと並び、名門メジロ軍団を代表する馬であり、その美貌から「魔性の青鹿毛」と称される歴史的名牝である。 通常、各三冠レースには牡牝問わずトライアルレースと呼ばれる重賞が存在する。その名の如く本番前の前哨戦であり、ここで上位の成績を収めると本番の優先出走権が与えられる。 肩慣らしや賞金稼ぎのため出走する馬、負担回避のため出走しない馬など様々な選択があるが、ラモーヌは何と三冠全戦のトライアルレースに出走し、その全てでも優勝したのである。 一歩間違えれば酷使にもなりかねない(*2)この過密スケジュールを乗り越え、トライアル・本番含めた完全三冠を達成した三冠馬は牡馬も含めた日本競馬史上ラモーヌしか存在しない(*3)。 この重賞6連勝は、初代アイドルハイセイコーの記録を抜いた当時の単独一位記録であった。その後すぐ2代目アイドルとそのライバルに並ばれたが。 周囲からの評価も非常に高く、当時史上最強牝馬と目されていた「後ろからは何にも来ない」ことテスコガビーと比較する声、上回るとする声もあがるほど。 主戦を務めた河内もその強さにベタ惚れ魅了されており、約10年後のインタビューでも自身の乗った最強馬としてラモーヌの名をあげた。ニホンピロウイナーやオグリキャップを差し置いてである。 …一方で産駒成績が微妙だった事で後述のアパパネの繁殖成績まで「戦績と繁殖成績は反比例するのでは」なんてあらぬ疑いも一部ではあがったが、メジロライアンとの娘の孫グローリーヴェイズがGⅠ香港ヴァースで2勝を挙げる等その系譜は確実に後世にその名を刻んでいる。 また、ラモーヌを語るうえで欠かせないのはその圧倒的美貌である。美しき青鹿毛とそれに映える鋭い流星、引き締まったグンバツの馬体は、まるで絵画の世界から現れたようだった。 JRAのCMでラモーヌが取り上げられた際、その美しさは「嫉妬すら追いつかない。憧れすら届かない。」という見事な文句で表現された。 百聞は一見に如かず。見たことない人はぜひ画像検索や実際のレース映像等でその端麗な姿を見てみてほしい。 強さと美しさを極限まで兼ね備え、「完全無欠」という表現が似合う初代女王メジロラモーヌ。引退の同年に後の伴侶皇帝シンボリルドルフと共に顕彰馬登録されたのも納得である。 スティルインラブ(2003年) -スティルインラブが勝ちました!史上2頭目の牝馬三冠です!- 三冠達成時戦績:7戦5勝 生涯戦績:16戦5勝 三冠達成騎手:幸英明(現役中ずっと同じ) 直訳すると「今でもキミを愛してる」。そんなロマンチックな名を授かった三冠牝馬がこのスティルインラブである。本馬のクラシック戦線での戦いぶり、ひいてはその馬生そのものが名前に負けないほどロマン溢れるものであった。 スティルインラブという牝馬を語る上で、欠かすことのできない一頭の牝馬がいる。 その名をアドマイヤグルーヴ。父がスティルと同じく大種牡馬サンデーサイレンス、母が女帝エアグルーヴという超良血馬であり、おまけに主戦は母の背を熟知するレジェンド武豊という完璧な布陣だった。 2003年の牝馬三冠戦線の主役として、アドマイヤグルーヴには最初から最後まで多大な期待がかけられた。その証拠に、この年の牝馬三冠戦全てで一番人気に本馬が推されている。オークスはともかく秋華賞はスティルでもよかった気がするが ところが、2003年の本当の主役は彼女ではなかった。三冠戦全てにおいて二番人気に甘んじたスティルは、それを見返すかのごとく連戦連勝。 最後の秋華賞でもアドグルの猛追を振り切り、見事17年ぶりの三冠牝馬に輝いたのである。 3歳最終戦となったのはエリザベス女王杯。ついにGⅠレースで一番人気の座を得ることとなったスティルだったが、そこで黙っているアドグルではなかった。 更なる誉れを得たい三冠の女王と、逆襲に燃える元主役による、意地と意地のぶつかり合い。 勝利の女神がほほ笑んだのは……アドマイヤグルーヴだった。スティルはハナ差で涙を呑み、今なお名勝負と謳われるエリザベス女王杯は幕を閉じた。 負けたとはいえ差のない2着となったスティルにファンは安堵。古馬以降もアドグルと共に牝馬戦線を引っ張っていくと思われた。 ところが、競馬の神様は残酷だった。古馬初戦で8着に大敗して以降、崩れた調子が戻ることはなかったのだ。結果、上の成績を見てもらえればわかる通り、古馬以降は一度も勝ち星を挙げず引退となってしまった。主戦の幸英明騎手によると、スティルは3歳秋に入ってから、調教でも耳を絞り、反抗するようになったという。 引退後も現実は厳しく、腸閉塞により7歳という若さで逝去。唯一の産駒も結果を残せず牡だったせいで乗馬行きとなったため、本馬の牝系は完全に途絶えてしまったのである。 実はスティル、血統表を見るとヘイルトゥリーズンの3×3(*4)というきついインブリード(*5)を有しており、一部ではこうしたきついクロスが、古馬以降の成績不振や繫殖入り後の短命さに繋がったのではないかという意見も出ている。 一方でアドマイヤグルーヴは繫殖牝馬としても活躍。末っ子ドゥラメンテは二冠馬となり、後述するが、その娘が三冠牝馬となり祖母の無念を晴らすなど、見事なまでに対照的な馬生を過ごしている。 そんな生涯を過ごしたことから、スティルインラブは一部ファンからこう言われている……“まるで、三冠牝馬になるためだけに生まれてきた”と。 スティルインラブはこのように早熟馬の扱いの難しさを知らしめることとなった不遇の三冠牝馬ではあるが、三冠戦で良血のライバルに打ち勝った実力は間違いなく本物だったといえよう。 アパパネ(2010年) -一番外からアパパネだ!アパパネは正攻法でやって来る!白いシャドーロールが揺れて、アパパネだ!- 三冠達成時戦績:9戦6勝 生涯戦績:19戦7勝 三冠達成騎手:蛯名正義 ハワイ生息の赤い鳥の名を授かったこの馬こそ、日本最強の馬主である馬専門眼科医金子真人に牡牝三冠オーナー(*6)という唯一無二の称号をプレゼントした孝行娘アパパネである。 アパパネの三冠路線は、決して楽なものではなかった。おそらく、史上最も際どかった三冠馬だったといえる。 根拠はその着差である。桜花賞では1/2馬身差勝ち、秋華賞では3/4馬身差勝ちであり、オークスに至ってはなんとサンテミリオンとの同着である。日本競馬史上、GⅠでの1着同着はこの一例しか存在しない(*7)といえばその際どさが伝わるだろうか。 言い換えれば、僅差勝負になったときに決して力負けしない勝負根性がアパパネの強さといえるだろう。 また、アパパネの勝負強さはレース選択の面でも表れている。生涯戦績は19戦7勝と特別優秀とは言えないアパパネだが、その7勝のうち5勝がGⅠレース(阪神JF、牝馬三冠、ヴィクトリアマイル)であり、まさしくGⅠキラーの名がふさわしい存在であった。 特に古馬初年度のヴィクトリアマイルでは当時の最強牝馬ブエナビスタをクビ差で制しており、「牝馬三冠馬はその後勝てない」というジンクスを打ち壊す結果となった。そしてブエナビスタのシルバーコレクター性を確かなものとした。 また引退後は馬主繋がりでディープインパクトと毎年交配され(彼の他界後は相手役がその全兄ブラックタイドに移行)、12冠ベイビーの第4子(長女)アカイトリノムスメが2021年秋華賞馬になった事で牝馬三冠初の母娘GⅠ馬にもなった。 そして、我々オタクの間で定説となっているのが、アパパネのかわいさである。実際、検索エンジンで「アパパネ」と入れると、十中八九「かわいい」がサジェストに現れるほど。 クリクリの目やシャドーロールとの親和性、厩務員にインタビューした時の細江純子氏に嫉妬していたエピソードなど、調べれば調べるほどアパパネのあざとさを理解することができるだろう。キンカメが羨ましく思い始めたら重症である。 ジェンティルドンナ(2012年) -大外から一気にジェンティルドンナ!- 三冠達成時戦績:8戦6勝 生涯戦績:19戦10勝 三冠達成騎手:岩田康誠(桜花賞・秋華賞)、川田将雅(オークス) 牝馬三冠の達成に飽き足らず、日本史上最高世代と名高い同期や先輩三冠馬に臆することなく挑み、蹴散らしていった「鬼婦人」(*8) 牡馬相手でも全く引けをとらず、その鬼がかり的な強さでウオッカに次ぐ芝GⅠ7勝を挙げたその実績から、史上最強牝馬の呼び声も高い日本競馬屈指の女傑である。 詳細は当該項目に譲るが、ジェンティルドンナという馬を語るときまず出てくるのは鬼気迫った闘争心であろう。三冠最終戦秋華賞や、その直後に出走したジャパンカップにおけるライバル(それぞれヴィルシーナ、オルフェーヴル)とのタックル勝負熱い叩き合いを制したそのド根性は、本当に牝馬か疑いたくなるほどだった。 そのせいで「ゴリラウーマン」だの「馬の形した吉田沙保里」だの愛のこもったいろんなあだ名がつけられた また、ローテを見てもらえばわかるが、本馬は三冠達成後一切牝馬限定戦に出ておらず、全戦で牡馬を相手にしている。 三冠達成後ずっと牡牝混合戦に出走しなおかつ勝利を重ねた牝馬は日本競馬史上本馬のみである。この事実によってよりゴリラ疑惑に拍車がかかってはいるのだが さらに、ジェンティルドンナはその操縦性に関しても非常に優秀だったとされる。三冠戦で乗り替わりがあったという唯一無二の点(*9)もさることながら、生涯で8人(*10)もの騎手が鞍上を務めている。平均で一人あたり2.4戦といえばその変遷の激しさが伝わるだろうか。 それはすなわち、誰が乗っていても問題なく優れたパフォーマンスを披露できたということであり、馬自身のポテンシャルの高さを端的に表したものだといえよう。 引退後は繁殖牝馬として活躍しており、3番仔であるジェラルディーナは見事GⅠエリザベス女王杯を制覇。他にもオールカマー1着・有馬3着・宝塚4着など、実力派として名を馳せた。 なお、繁殖入り以降のジェンティルドンナは現役時の豪傑ぶりが嘘のように子煩悩になっており、慈愛に満ちた母になっているらしい。 その類まれな闘争心ゆえ散々ネタにされているジェンティルドンナであるが、偉大な父から受け継いだレースセンスと持ち前の闘争心を合わせた実力は間違いなく最強の名にふさわしいものであり、不世出の歴史的牝馬であるという評価は概ね一致している。 アーモンドアイ(2018年) -この馬には、三冠すらも通過点!!- 三冠達成時戦績:6戦5勝 生涯戦績:15戦11勝 三冠達成騎手:クリストフ・ルメール 平成最後に突如現れた三冠牝馬であり、人によってはルドルフ・ディープにさえ匹敵するともいわれる日本史上最強牝馬Part2。 芝2400mの世界最速記録、日本馬史上最多賞金額、そして長らく破られなかったルドルフの壁こと芝GⅠ7勝をこえる9勝など、既存の大記録をいくつも打ち破り時代を作り上げた新時代の英傑である。なぜまだ項目が立ってないのか不思議なくらい 血統としても「龍王」ロードカナロアとエリザベス女王杯馬フサイチパンドラと言う、三冠馬・牝馬三冠史上初の両親ともに内国産GⅠ馬な馬であった(内国産馬両親だけだとミスターシービーとオルフェーヴル、後のデアリングタクトも該当)。 まず世界最速記録に関してだが、これは三歳時のジャパンカップでの記録である。牝馬三冠を次元の違うパフォーマンスで制覇していたアーモンドアイは、三歳牝馬という立場ながら単勝1.4倍という圧倒的人気を受けていた。 本番では逃げる菊花賞馬あっキセキぃ…を徹底マークしたのち、直線で一瞬で差し切り見事優勝。そしてこの時のタイムこそ、当時の世界記録を1秒以上更新するスーパーレコード2 20 6であった。 このワールドレコード樹立および三冠含むGⅠ4連勝が評価され、この年史上5頭目となる満票での年度代表馬に選出されたのである。 古馬以降もその実力に陰りが出ることはなく、勝ち星を重ねていく。5歳で覚醒したグランプリホースリスグラシューや史上最強のマイルクイーングランアレグリアといった超強豪を相手に遅れをとることはあったものの、シンボリクリスエス以来史上2頭目となる天皇賞(秋)連覇や三冠馬3頭の競演となった夢のジャパンカップ制覇など、"現役最強"を証明し続けた。 そしてその結果、皇帝が樹立して以降数多の歴史的優駿が終ぞ破ることのできなかった日本競馬最大の壁こと芝GⅠ7勝の呪いを乗り越え、芝GⅠ9勝を達成。 それと同時に史上最多獲得賞金記録まで更新し、史上最強馬の一頭として名乗りを上げることとなった。 そのパフォーマンスは国際的にも非常に高い評価を与えられており、3歳時に与えられたレーティング124(*11)は日本調教牝馬の中で歴代一位であった。また、5歳時にも同じくレーティング124を与えられており、これは同年の牝馬内で世界一であった。 ただ、アーモンドアイの時代にはGⅠ25勝 33連勝という控えめに言って頭おかしい成績を残したUMAウィンクスや、凱旋門賞2連覇 BCターフ優勝を達成した英国の女傑エネイブルなどがおり、アーモンドアイをもってしても世代一番手は名乗りにくかった。 そんなアーモンドアイに脳を焼かれた関係者は多く、主戦を務めたルメールは引退式にてラブレター手紙を取り出し 「最初から特別な存在でした」 「私たちは彼女の背中で味わったスリルと興奮をこれから先、永遠に忘れないでしょう」 と3分半にもわたるスピーチを披露。彼女への想いの強さをみせつけた。 また、調教を務めた国枝は同じ厩舎の牡馬コズミックフォースがダービーで3着と好走したとき、「アーモンドアイはこっちだったか…」と漏らしたという。調教でコズミックフォースはアーモンドアイに全く敵わなかったためであるという。 引退後は繁殖牝馬となり、北海道で暮らしている。当然顕彰馬入りも引退時から期待されており、候補入り初年の2022年こそ逃してしまったものの、翌2023年に前年選ばれなかったことでファン一同にボロカスに叩かれたことに記者たちが懲りたのか圧倒的な支持を集めて選出され、父ロードカナロアとの父子顕彰馬となった。 是非とも、今後は日本のみならず世界の競馬ファンを虜にしたそのスピードを受け継ぐ仔が生まれてくれることを期待したい。 デアリングタクト(2020年) -咲いた咲いた、三冠の花!強く、逞しく、美しく!デアリングタクト三冠達成ー!- 三冠達成時戦績:5戦5勝(無敗) 生涯戦績:13戦5勝 三冠達成騎手:松山弘平 2020年という年は、日本競馬史上最高の年だったのかもしれない。親子での無敗三冠という快挙のかげで、日本史上初の無敗牝馬三冠という歴史的偉業もまた同時に達成されたのだから。 惜しむべきは、その「Double Triple」(*12)の実現を生で見られた人がごくわずかしかいなかったことだろう。 新型コロナウイルス流行により世間が自粛ムードを余儀なくされた中、当時の競馬ファンは2頭の優駿に釘付けとなった。一頭は無敗の三冠馬コントレイル。そしてもう一頭こそが本項で紹介する無敗の三冠牝馬デアリングタクトである。 ただ、これは名馬あるあるなのかもしれないが、生まれた当初の本馬の評価はあまり高くなく、最初のセールでは800万円という競走馬として格安の値段でも買い取りがつかない程だった(*13)。 その後所有された一口クラブもコンセプトが「値段の安い馬を一口にする事によって初心者にも格安で馬主体験が出来る」と言う物であった事、そしてそんなクラブが購入して所有出来た事からも評価の低さがうかがい知れるだろう。 しかし、デビュー後はその秘められたポテンシャルを盛大に発揮。2戦2勝でクラシック戦線入りしたのち、なんと一度も前哨戦を使わず全てぶっつけ本番で三冠に挑戦した。 それでもその実力を疑う声は少なく、桜花賞こそ一番人気を譲ったもののオークス、秋華賞では単勝1倍台の圧倒的一番人気を得ることとなった。 そしてデアリングタクトはその期待を裏切ることなく見事に三連勝。史上初の無敗牝馬三冠を達成し、その快挙は国内外に大きく報道された。また、5戦というおそらく今後更新不可能であろう史上最少キャリアでの三冠達成にもなった。 でも桜花賞勝った時にはクラブ会員は「当たりが入ってるなんて聞いてねえぞ!」と絶叫したとか 同年のジャパンカップにも三強の一角として参戦。偉大すぎる先輩や同じく無敗の同期にはさすがに及ばなかったものの、力強い走りで3着と好走し、実力を見せつけた。 ところが、以降は好走はするもののあと少し勝ちきれないレースが続く。また、2021年に繋靱帯炎を発症し、1年以上の休養を取る羽目にもなってしまう… しかし、そんな逆境にもデアリングタクトは挫けなかった。復帰一戦目こそ掲示板を外す結果となったものの、その次の宝塚記念では競馬界のエースタイトルホルダーの3着と底力を見せつけた。 以降もコンスタントに出走し、勝ちはなくとも二桁着順もない安定した走りを見せている。 特にエリザベス女王杯6着から中一週でジャパンカップに参戦という強行軍をこなしつつもメンバーが物足りなかったのもあったとはいえ4着の好走を見せた。 この時それまで主戦であった松山騎手から短期免許を取得して初来日したトム・マーカンド騎手(*14)に乗り替わったが、この経緯については要約すると 「彼女が手を抜く悪い癖がついていたことを危惧して今後を思って乗り換わりを松山騎手が具申した」ことが岡田牧雄氏へのインタビューで語られている。 そして2023年も現役続行を表明し、完全復活へ向け日々奮闘を重ねていた。 そんな彼女に魅せられ、再びその輝きを見せてほしいと思うファンが多くなるのは至極当然のことといえよう。某育成ゲームに現役馬ながら初めて参戦させたCyGamesもその一人なのかもしれない。 そんなデアリングタクトだったが、ネオムターフカップ(サウジアラビアのGⅢ)に向けての調教中に歩様に乱れが見られ出走回避、福島で調整を進めるも改善が見られず春全休を発表し放牧に出される。 ジャパンカップを目標に調整を進めるもなかなかタイムが出なかったが、彼女はやる気を見せていたためそれでも粘り強く出走に向けて調整が進められていた。 だが2023年10月5日の調教後に跛行が見られエコー検査で馬体に故障が判明、協議の結果翌6日体部繁靭帯炎再発のため引退を発表した。 2023年は1度もレースに出走することなく残念な引退になってしまったが、今後はどんな産駒を輩出するか繫殖牝馬としての活躍にも期待したい。 リバティアイランド(2023年) -三冠は、人馬が見据える夢の途中!これは強い!圧巻の三冠!リバティアイランド!- 三冠達成時戦績:6戦5勝 生涯戦績:7戦5勝(2023年時点) 三冠達成騎手:川田将雅(現役中ずっと同じ) 父譲りの異次元な末脚を武器に、世代のライバルを歯牙にもかけない走りで圧倒した完璧で究極の「お嬢さん」(*15) アパパネ以来史上二頭目となる牝馬四冠を達成した、2023年の日本競馬の"顔"とでも呼ぶべき若き才媛である。 血統や素質から早くも期待が寄せられていたリバティアイランドは、現役トップジョッキー川田将雅を鞍上にデビュー。上がり3ハロン31.4という日本記録をマークする鮮烈なデビューを飾った。 年の暮れの阪神JFを楽勝してクラシック戦線に乗り込むと、先代と同じく全戦ぶっつけ本番で挑戦。 その類まれな実力はオッズにも表れ、全てで単勝1倍台という恐るべき人気を得ることとなった。 特に三冠最終戦の秋華賞に至っては単勝1.1倍・複勝1.0倍という少し割の良い銀行とてつもない支持率を誇った。また、調教助手の松崎氏も「三冠は目標じゃなくて義務」という信頼に満ち溢れたコメントを残した。 そしてリバティはその期待通り、いやそれを遥かに超えるようなパフォーマンスを披露。 桜花賞では最後方近くから早送りみたいな末脚で全頭ごぼう抜きし、オークスではグレード制以降最大着差となる6馬身差での勝利を収めた。 秋華賞でも勢いそのままに横綱競馬で見事優勝。史上7頭目の牝馬三冠を達成し、コロナ明けの競馬場は歓声に包まれた。 ただ、単勝1.1倍というのはやはり相当なプレッシャーだったらしく、優勝後の川田は感動のあまり男泣きまで見せることに。鬼の目にも涙 同じく秋華賞に参戦したソレイユヴィータの鞍上武豊はリバティについて、「こだまの駅でのぞみが通っていくような感じだった」といつものユタカ節でその強さを称えた。各駅停車扱いされたソレイユヴィータさん… その後世代の筆頭として、同年のジャパンカップに参戦。同父で前年の二冠牝馬スターズオンアースと並走する形になり、内にいたリバティはかかり気味になった場面もあった。最後は今まで通り、いやそれ以上の脚で優れた追い込みを見せたものの、天下無双の閃光には流石に及ばず二着。 GⅠ連勝記録が途絶える形となったが、それでも他の強豪古馬は寄せ付けない走りを披露しており、次代の競馬界を担える力強さを十分みせつけられたといえよう。なお中内田調教師曰く「初めて一生懸命走った」らしい。やっぱりおかしいよお嬢さん…… ジャパンカップ後は有馬記念への参戦を見送り放牧へ。来年以降の活躍に大きな期待が寄せられる。 また、岡部幸雄のルドルフ、武豊のディープ、福永祐一のコントレイル等、時代を彩る名手には"相棒"と呼ぶべき名馬がつきものだったが、リバティの登場で川田にもようやくそんな相棒が見つかったという声も多く(*16)、一人と一頭のこれからに注目である。 【海外の牝馬三冠】 牝馬三冠体系は日本に限らず世界各地に存在するが、そのバリエーションは多岐にわたっている。具体的には、 しっかり牝馬専用の三競走が用意されているもの(日本、アメリカ、フランスなど) 一部が牡牝混合のもの(イギリス、アイルランドなど) そもそも牝馬三冠が存在しないもの(ドイツなど) と様々である。 残念なことに、こちらも牡馬三冠と同様各国で形骸化が著しい。数年に一回は三冠牝馬が出る日本は非常にレアなケースで、最後の牝馬三冠達成から既に数十年経っているという国も数多い。 ただ、そんな三冠牝馬の中には今なお語り継がれるような恐ろしい強さを誇った名牝も一定数存在する。以下ではその中でも代表的なものに絞って紹介したいと思う。 ラフィアン(1975年) 三冠達成国:アメリカ(エイコーンS、マザーグースS、CCAオークス) 三冠達成時戦績:10戦10勝(無敗) 生涯戦績:11戦10勝(無敗?) 「生物の体には、100%の力をあえて発揮できないようなリミッターがかけられている」という俗説を聞いたことはあるだろうか。肉体や精神への過剰な負担を防ぐため、極限状態でない限り潜在的に能力が抑え込まれているという主張である。 ではもし、そのリミッターが外れた馬がいたら? その馬はおそらく、規格外の身体能力及び常時故障寸前の脚部という究極の二択を背負った存在となるだろう。 本項で紹介するアメリカ史上初の無敗三冠牝馬ラフィアンは、まさにリミッターが外れているとしか形容できない異次元すぎるスピードが特徴だった。 ……そして、そのスピードは彼女を行ってはいけないゴールへといざなうことになってしまう。 名門牧場クレイボーンファームで生を受けた一頭の牝馬は、可哀そうなことに「ごろつき・悪党」を意味するRuffianという名を授かった。その身体は幼いころからとてつもなく大きく、牡馬と間違われることもあったという。ゴリウーとしての才能はデビュー前からあったのだろう。 そんなラフィアンは新馬戦以降毎度怪物級のパフォーマンスを見せる。15馬身差勝ちという鮮烈すぎるデビューを飾ると、その後のレースも全戦圧勝。 5戦5勝(うちGⅠ2勝)、平均着差約9馬身という意味不明な戦績で二歳シーズンを終えた。 三歳となってからも規格外な速さは健在。前哨戦二つを楽勝すると、世代の女王を目指し牝馬三冠へ殴り込みをかける。 アメリカ広しといえど流石にこんな怪物にかなうライバルは存在せず、危なげなく三連勝。史上初の無敗牝馬三冠を達成した。 驚くべきはそのタイムである。何と、ここまで出走した8の重賞全てでレコードタイムを計時。 最後のCCAオークスに至っては、同コース同距離で行われる牡馬三冠戦ベルモントSのタイムを軽く上回っており、牝馬どころか牡馬ですら歯が立たないのではないかと言われるほどであった。 こうなると競馬ファンが望むのは怪物牝馬による男退治である。そしてその願いはプライドが直接ぶつかり合う"マッチレース"という形で叶うことになった。 歴史的女傑ラフィアンに挑むは当年のダービー馬にして、二歳時同じく無敗を誇った実力者フーリッシュプレジャー。 世紀の一戦にアメリカ、いや世界中が熱狂の渦にまきこまれた。 運命のレース本番。まずフーリッシュプレジャーが先手をとる。しかし内からラフィアンが食い下がり、その順は早めに逆転。そのままラフィアンの僅かなリードでレースは進んだ。 そして…… RUFFIAN has broken down!!(ラフィアンに…故障が発生!!) 後に騎手が「板が割れたよう」と表現した鈍い音と共に、ラフィアンが突然の失速。その原因は、誰が見ても明らかであった。 すぐに病院に連れ込まれたが、時すでに遅し。全米をとりこにした稀代のスーパースターは、三年というあまりに短い生涯を閉じた。 ラフィアンの死は米国競馬界に大きな衝撃を与え、このレース以降マッチレースという文化そのものが急速に衰退した。マジモンのUMAが出たせいで一頭立てになることはあったが。 また、競走馬への人道的な扱いを望む声が急激に大きくなり、麻酔後の怪我防止を目的とした「リカバリープール」をはじめとして後の医療や技術の発達に繋がった。 この悲劇は決して無駄ではないし、無駄にしてはいけないのだ。 今なお米国史上最速牝馬の呼び声すら挙がるほどの驚異的スピードで無双したのち、胸が締め付けられるような最期を迎えてしまった悲劇のヒロインラフィアン。 「ラフィアンの再来」が現れること、そして「第二のラフィアン」が二度と生まれないことを願わずにはいられない。 ザルカヴァ(2008年) 三冠達成国:フランス(プール・デッセ・デ・プーリッシュ、ディアヌ賞、ヴェルメイユ賞) 三冠達成時戦績:6戦6勝 生涯戦績:7戦7勝(生涯無敗) 現代を生きる我々にとっては信じられない話だが、古来より競馬の世界では「牝馬は牡馬にはかなわない」というのが一つの常識となっていた。 2000年代後半は、そんな古い価値観の大きな転換点ともいえる時代であった。日本でいえばウオッカ・ダイワスカーレット・ブエナビスタ、また海外ではゼニヤッタ・レイチェルアレクサンドラなど、とにかく「強い牝馬」が世界を席巻した時代といえた。 そんな激動の世界を生涯無敗で駆け抜け、欧州に"新時代"をもたらした歴史的名牝、それがザルカヴァである。 イスラム指導者アーガー・ハーン4世に生産されたザルカヴァは、世界的悪童名手クリストフ・スミヨンと生涯コンビを組む。 ところが、ザルカヴァには大きな弱点があった。スタートがかなり苦手だったのである。三冠最終戦ヴェルメイユ賞では何とおよそ5馬身差の出遅れをおこし、ラストランとなった世界最高峰の競走凱旋門賞でもゲートを失敗し後方からの競馬になった。 では、そんな彼女がどうして勝ち続けられたのだろうか。言わずもがな、それは神がかりともいえる末脚がなす業であった。 前述したヴェルメイユ賞ではワープかと見間違うほどの異次元な末脚で最後方からまとめて撫で切り、凱旋門賞では包まれた馬群から一瞬の隙をついて鮮やかに一刀両断。 その切れ味はもはやカミソリやナタどころではなく、研ぎ澄まされた刀による居合とでも表現するしかない恐るべきものであった。 さらに、ザルカヴァが今なお最高級の評価を与えられている理由として、現役時軽々ねじ伏せたライバルたちが揃いも揃って強豪ぞろいな点があった。生涯で完勝を収めた7戦の中で、 ザルカヴァに敗れた後、同年に欧州GⅠ3勝をあげたハーフウェイトゥヘブン ドバイシーマクラシックにて日本の大将ブエナビスタの追撃をしっかりかわして優勝したダーレミ キングジョージやインターナショナルSといった最高峰のGⅠレースを5勝していた、オブライエン軍団の絶対的エースデュークオブマーマレード ヨーロッパやアメリカで長きにわたり無双し、BCマイル三連覇を含むGⅠ競走14勝を挙げた史上最強のマイル女帝ゴルディコヴァ など、錚々たるメンツをその鬼脚でひねりつぶしているのである。 彼ら彼女らにとってはまさに「生まれた時代が悪かった」としかいえないだろう…… 全てを切り裂く風のごとき末脚を見せつけ、敗北を知らないままターフを去ったパーフェクト牝馬ザルカヴァ。 後に訪れる牝馬台頭時代のパイオニアともいうべき、時代を創った名牝であった。 -このwiki籠りには、追記修正すらも通過点!!- △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集]
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※このページは完全に覚書、主に三冠配合の時に 国内牡馬三冠 4月3週:皐月賞(2000m) 5月5週:東京優駿(2400m) 10月4週:菊花賞(3000m) 基本中の基本。上限が2700や2800mの馬だとギリギリ届くか逆噴射コースかで判断に迷う その点では最初からステイヤータイプの馬を強引に皐月賞出して勝たせた方がいいのかも知れない 国内牝馬三冠 4月2週:桜花賞(1600m) 5月4週:優駿牝馬(2400m) 10月3週:秋華賞(2000m) 牝馬は露骨に上限2200mでは失速するので困りもの。ファノレプシスとかファノレプシスとかファノレプシスとか その点ではSP高いのが前提で欧州牝馬マイル三冠に頼ることが多くなる 秋古馬三冠 10月5週:天皇賞(秋、2000m) 11月4週:ジャパンカップ(2400m) 12月4週:有馬記念(2500m) 古馬になってから三冠を残せる唯一の条件、遅めだったり微妙に距離の足りない牡馬はこれが楽か 米国三冠 5月2週:ケンタッキーダービー(ダート2000m) 5月4週:プリークネスS(ダート1900m) 6月2週:ベルモントS(ダート2400m) 恐らく最難関、その年の一番優秀な海外馬カードなら大体あっさり取れるのだが フォーティーナイナーやアンブライドルドは距離適正も際どいので運が絡んだりする トリプルティアラ 6月4週:マザーグースS(ダート1800m) 7月4週:CCAオークス(ダート2000m) 8月4週:アラバマS(ダート2000m) こちらは適正と調子が万全ならそれほど労苦なく三冠が可能 一番の問題は、多分この組み合わせを忘れて5月~6月のレースを脳内三冠に組み込んでしまうこと 欧州3歳牡馬マイル三冠 5月2週:英2000ギニー or 5月3週:仏2000ギニー(1600m) 5月5週:愛2000ギニー(1600m) 6月4週:セントジェイムズパレスS(1600m) 気付くとエルコンもこれになっていたりする 連闘して英→仏2000ギニー勝っても二冠カウントにならない点は注意 欧州3歳牝馬マイル三冠 5月2週:英1000ギニー or 5月3週:仏1000ギニー(1600m) 5月5週:愛1000ギニー(1600m) 6月4週:コロネーションS(1600m) 一番お世話になる三冠レースかもしれない、他のシリーズと違い牡馬と同週なのでうっかり注意 欧州三冠 6月2週:英ダービー(2400m) 8月1週:キングジョージVI&クイーンエリザベスS(2400m) 10月2週:凱旋門賞(2400m) 英ダービーは3歳限定なので結局3歳限定 名馬中の名馬と呼べる類の馬には敢えてこれではくをつけてあげたい気分にはなる 欧州オークス三冠 6月2週:英オークス(2400m) 7月3週:愛オークス(2400m) 8月5週:ヨークシャーオークス(2400m) 一般には英愛オークス三冠と言ったほうが分かりやすいとされる、現実競馬でも結構な人気 仏オークスとはいったい・・・ウゴゴゴ 変わりに愛国牝馬三冠がないので大目に見ましょう。まあ一度も達成されてない三冠なんて(ry 英国三冠 5月2週:英2000ギニー(1600m) 6月2週:英ダービー(2400m) 9月3週:英セントレジャー(3000m) 半ば形骸化された体系、戦後この三冠を達成したのはかのニジンスキーのみ 何より戦後に出た英二冠馬はニジンスキー以外全てセントレジャー回避する程度の権威 英国牝馬三冠 5月2週:英1000ギニー(1600m) 6月2週:英1000ギニー(2400m) 9月3週:英セントレジャー(3000m) 上に同じ、何頭かセントレジャーに挑んだ名牝もいるが、ウイポで3000m走れる馬を算出するのが稀なので・・・ 仏国三冠 5月3週:仏2000ギニー(1600m) 6月1週:仏ダービー(2400m) 10月5週:ロイヤルオーク賞(3100m) 「20」世紀になって達成馬がいない、これもエア三冠仲間かな・・・ ウイポ上では時々狙ったりする、ウンスに三冠取らせたいしエルコンに欧州三冠あげたいから、スペがこれな、とかの用途で 仏国牝馬三冠 5月3週:仏1000ギニー(1600m) 6月1週:仏オークス(2400m) 9月3週:ヴェルメイユ賞(2400m) こちらは近年も達成馬が出たり、結構狙う機会はあったりする(牝馬マイル三冠とも棲み分け効くため) 愛三冠 5月5週:愛2000ギニー(1600m) 7月1週:愛ダービー(2400m) 9月4週:愛セントレジャー(2800m) やはり形骸化してるのだが、ウイポ上では中々便利な三冠だったりする 他国三冠と違い、三冠目が2800mと際どく菊が距離持つか分からない馬にこれを狙わせり重宝する 何気に賞金も高いのだが、2000ギニーがマイル三冠狙いとバッティングするのだけ× ウイポもそのうち気付くと英国三冠や仏国三冠が消えて、代わりに近代三冠や仏新三冠になってるかもわからんね
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桜花賞、優駿牝馬(オークス)、秋華賞の三つのレースの優勝馬のこと。 達成馬は、以下の3頭である。 メジロラモーヌ(1986年) スティルインラブ(2003年) アパパネ(2010年) 1986年、桜花賞、優駿牝馬、エリザベス女王杯の3競走を全て勝ったメジロラモーヌに対してマスコミが牝馬三冠と命名した。 このメジロラモーヌは牝馬三冠はもとより、それぞれのトライアル競走(報知杯4歳牝馬特別、サンスポ賞4歳牝馬特別、ローズステークス)も 全て優勝する輝かしい経歴を持つ。 1996年にエリザベス女王杯が4歳以上馬に開放され3歳牝馬の競走として秋華賞が設けられたので、 牝馬三冠の最終戦もエリザベス女王杯から秋華賞へとシフトした。 2003年にスティルインラブ、2010年にアパパネ(優駿牝馬は同着1位)が達成している。 しかし、その年のエリザベス女王杯まで制した馬(いわゆる牝馬四冠馬)は出てきていない。 ただ牝馬三冠という快挙を達成した馬がJRA賞や年度代表馬に選出された例はまだない。 一般的に牡馬より力の劣る牝馬限定の競走ゆえ、価値としては古馬の競走や牡馬のクラシックの方が高いと捉えられている。 なお桜花賞と優駿牝馬はクラシック競走だが、エリザベス女王杯や秋華賞は八大競走およびクラシック競走ではない。 またメジロラモーヌの達成以前のエリザベス女王杯、その前身のビクトリアカップ、それ以前は牡馬も出走する菊花賞が牝馬三冠最終戦に相当し、 数頭の二冠馬が出ている(代表例は桜花賞と菊花賞を勝ったブラウニー、桜花賞とオークスに勝ち、菊花賞で2着になったスウヰイスーがいる)。 エリザベス女王杯とその役割を引き継いだ秋華賞は当初から外国産馬の出走も可能であったが、 桜花賞と優駿牝馬については2002年以前は外国産馬の出走が認められていなかった。 2003年に優駿牝馬で2頭以下に限り出走可能となり、年々拡大している。 2009年からは秋華賞、2010年からは桜花賞と優駿牝馬が国際競走となっている。
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読み さんかんしおう 正式名称 別名 和了り飜 役満 ダブル役満 ダブル役満(門前のみ) 牌例 解説 4の三色同刻、3カン。 三槓子か四暗刻が複合しているとダブル役満。 成分分析 三冠四王の47%は優雅さで出来ています。三冠四王の33%は玉露で出来ています。三冠四王の13%は果物で出来ています。三冠四王の5%は世の無常さで出来ています。三冠四王の2%は魔法で出来ています。 下位役 上位役 複合の制限 採用状況 参照 外部リンク
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三冠馬GⅠ成績 3歳 馬 皐月賞 東京優駿 菊花賞 ジャパンカップ 有馬記念 セントライト(1941) 1 1 1 シンザン(1964) 1 1 1 ミスターシービー(1983) 1 1 1 シンボリルドルフ(1984) 1 1 1 3 1 ナリタブライアン(1994) 1 1 1 1 ディープインパクト(2005) 1 1 1 2 オルフェーヴル(2011) 1 1 1 1 4歳 馬 天皇賞・春 安田記念 凱旋門賞(海外) 天皇賞・秋 ジャパンカップ 有馬記念 シンザン(1965) 1 1 1 ミスターシービー(1984) 1 10 3 シンボリルドルフ(1985) 1 2 1 1 ナリタブライアン(1995) 12 6 4 (備考)テイエムオペラオ-(2000) 1 1 1 1 1 ディープインパクト(2006) 1 1 3X 1 1 オルフェーヴル(2012) 11 1 2 2
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Winning Postシリーズで採用されている・されていた三冠やシリーズ競走の一覧です。 競走名・開催条件は最新シリーズのものを採用。また廃止されたシリーズは当時のものを採用。 ※編集中 三冠 中央競馬クラシック三冠 皐月賞 G1 4月3週 3歳牡牝 芝2000m 中山 東京優駿(日本ダービー) G1 5月5週 3歳牡牝 芝2400m 東京 菊花賞 G1 10月4週 3歳牡牝 芝3000m 京都 実際の達成馬は2023年時点で8頭。 欧州三冠 イギリスダービー G1 6月1週 3歳牡牝 芝2400m エプソムダウンズ キングジョージVI&クイーンエリザベスS G1 7月4週 3歳上 芝2400m アスコット 凱旋門賞 G1 10月1週 3歳上 芝2400m パリロンシャン Winning Post 2より採用。実際にあるのかないのかわからない概念。実際の達成馬は2023年時点で2頭。 4歳ダート三冠 ユニコーンステークス G3 - 3歳 ダ1600m 東京 ダービーグランプリ G1 - 3歳 ダ2000m 盛岡 スーパーダートダービー G2 - 3歳 ダ2000m 大井 Winning Post 3にのみ存在した。実際の達成馬はなし。 シリーズ競走 グローバル・スプリント・チャレンジ ブラックキャビアライトニング G1 2月2週 3歳上 芝1000m フレミントン 高松宮記念 G1 3月5週 4歳上 芝1200m 中京 アルクオーツスプリント G1 3月5週 3歳上 芝1200m メイダン チェアマンズスプリントプライズ G1 4月4週 3歳上 芝1200m シャティン キングズスタンドステークス G1 6月2週 3歳上 芝1000m アスコット プラチナジュビリーステークス G1 6月3週 3歳上 芝1200m アスコット ジュライカップ G1 7月2週 3歳上 芝1200m ニューマーケット スプリンターズステークス G1 10月1週 3歳上 芝1200m 中山 ダーレーチャンピオンズスプリント G1 11月2週 3歳上 芝1200m フレミントン 香港スプリント G1 12月2週 3歳上 芝1200m シャティン 2005年から2017年まで行われていた国際シリーズ。かつてはシンガポールの競走なども含まれていた。実際の達成馬は休止時点で2頭。
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秋の10 - 12月の関東各開催の最終日に行われる3歳以上の牡馬・牝馬が出走できる3つの主要GIを同一年に制することをいう。 JRAはこの三冠に正式な呼称を設けていないが、俗にこのように言われる。 達成馬はテイエムオペラオー(2000年)、ゼンノロブロイ(2004年)。 1999年にスペシャルウィークが天皇賞(秋)とジャパンカップを連勝したが、 有馬記念ではグラスワンダーに4cmの差で敗れた。 2000年からこの3つのレースを同一年に制した場合に、褒賞金が1億円贈られるようになった。 現在は内国産馬2億円、外国産馬1億円に増額されており秋古馬三冠を達成したテイエムオペラオー、ゼンノロブロイはこの褒賞金を獲得している。 元々存在していたこの3つのGIにこのような名称をつけてひとつのシリーズとみなし、 褒賞金がついた理由のひとつにこの3レースを1シーズンに総なめする馬がジャパンカップ創設以降長い間出現せず スペシャルウィークが史上初めてその快挙に挑み惜しくも達成できなかったことによって、 1年での3競走制覇の困難さとそれに対する意義が再確認されたことが挙げられる。
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フラットレースは、標準的な競馬の最も一般的で基本的な知識です。その目的は単純で、初心者や外人がよく見るようなものだ。サラブレッドが楕円形の平坦なレース場を周回し、先にゴールした馬が勝者となる。まさに、スピードと持久力が試される競技なのです。 競馬が有名になり、世界的な大会が開催され、賞金も100万ドルになったことで、競技のレベルや品質も格段に上がった。勝者が「最高」と呼ばれるにふさわしいことを証明するためには、スピードや持久力と同様に、一貫性が不可欠です。そうして生まれたのが「三冠」です。 三冠について サラブレッド競馬において、最も重要なのは三冠である。この偉業は、19世紀半ばにイギリスとアメリカで始まった。三冠とは、19世紀半ばにイギリスとアメリカで始まったもので、3歳のサラブレッドを対象としたG1(グレード1)レースを3つ組み合わせたものである。現在では、競馬が合法化されているほとんどの国で、独自の三冠レースが行われている。 日本では、「日本三冠」と「ジャパニーズ・フィリーズ・トリプル」の2つの三冠レースがあります。ここでは、JRAが主催する3つのレースをご紹介します。 日本の三冠レース 1. 皐月賞 シリーズの最初の脚は「皐月賞」です。1939年に右回りの芝コースが開設され、イギリスの2000ギニーに対抗するために作られたレースです。3歳のサラブレッドの仔馬と牝馬が、中山競馬場の2,000メートルの距離を走ります。 2. 東京優駿 1932年に創設された東京優駿は、イギリスのエプソムダービーに相当するため、「日本ダービー」と呼ばれています。出走馬は、東京競馬場の左回りの芝2400メートルのコースを走ります。 3. 菊花賞(きくかしょう) 菊花賞は、イギリスのセントレガー・ステークスに相当するレースです。菊花賞はイギリスのセントレジャーに相当するレースで、京都競馬場の右回りの芝3000メートルのコースで行われます。賞金額は東京優駿に次いで2番目です。 {日本三冠を達成した競走馬たち。 } 1941 - St. Lite - ダイオライト 1964 - シンザン - ヒンドスタン 1983 - Mr. C.B. - 東勝ボーイ 1984 - シンボリ・ルドルフ - パーソロン 1994 - 成田ブライアン - ブライアンズタイム 2005 - ディープインパクト - サンデー・サイレンス 2011 - オルフェーヴル - ステイゴールド 2020 - コントレイル - ディープインパクト 日本のフィリーズの三冠 1. 岡 翔 岡賞の3歳サラブレッドフィリーズは、右回り(アウトコース)の芝1600メートルのコースを走ります。皐月賞が2,000ギニーに一致するのに対し、この場合は1,000ギニーに一致する。 2. ユーシュンヒンバ(Yushun Himba) イギリスのエプソムオークスにちなんで日本のオークスとも呼ばれる優駿牝馬は、強い成績を残しています。3頭の中では最も距離が長く(2,400m)、唯一の左回りの芝コースでもあります。 3. 秋華賞 秋華賞は、このJRAレースシリーズの第3戦であり、最終戦でもあります。挑戦者は京都競馬場の右回り2000mの芝コースでレースを行います。 {日本のフィリーズ三冠を受賞した競走馬たち。 } 2003 - スティル・イン・ラブ - サンデー・サイレンス 2010 - アパパネ - キングカメハメハ 2012 - ジェンティルドンナ - ディープインパクト 2018 - アーモンド・アイ - ロード・カナロア 2020 - Daring Tact - エピファネイア JRAのレースをもっとチェックしたい方はこちら https //gamble.jp/