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塩野七生「ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず」(1992) ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫) ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫) 評価 ★★★★ ひとこと 大作「ローマ人の物語」の記念すべき第一作。 教科書にはほとんど登場しない、古代ローマの建国、成長が理解できる一冊。 すべてはここから始まる。 分類 歴史小説 長編 目次 第一章 ローマ誕生 落人伝説 紀元前八世紀当時のイタリア エトルリア人 イタリアのギリシア人 建国の王ロムルス 二代目のヌマ 三代目の王トゥルス・ホスティリウス 四代目の王アンクス・マルキウス 五代目の王タルクィニウス・プリスコ 六代目の王セルヴィウス・トゥリウス 最後の王「尊大なタルクィニウス」 第二章 共和制ローマ ローマ、共和国に ギリシアへの視察団派遣 ギリシア文明 アテネ スパルタ ペルシア戦役 覇権国家アテネ ペリクレス時代 ギリシアを知って後 ローマの貴族 ケルト族来襲 ギリシアの衰退 立ち上がるローマ 政治改革 ローマの政体 「政治建築の傑作」 「ローマ連合」 街道 市民権 山岳民族サムニウム族 南伊ギリシアとの対決 戦術の天才ピュロス 時期 BC753(ローマ建国)~BC270(ルビコン川以南のイタリア半島統一) 主要登場人物 ロムルス:(BC781-BC715)。王政ローマ初代王【BC753-BC715】 ヌマ:(BC755-BC673)。王政ローマ二代目王【BC715-BC673】。サビーニ族出身。 トゥルス・ホスティリウス:王政ローマ三代目王【BC673-BC641】。ラテン系ローマ人。 アンクス・マルキウス:(BC678-BC616)。王政ローマ四代目王【BC641-BC616】。サビーニ族出身。ヌマの孫。 タルクィニウス・プリスコ:王政ローマ五代目王【BC615-BC579】。エトルリア人 セルヴィウス・トゥリウス:王政ローマ六代目王【BC579-BC534】。エトルリア人。タルクィニウスの女婿。 タルクィニウス:七代目王。尊大な王【BC534-BC509】。エトルリア人。タルクィニウス・プリスコの実子。セルヴィウスの女婿。 ルキウス・ユニウス・ブルータス:共和政ローマ創始者。 ヴァレリウス:共和制ローマ執政官。通称「プブリコラ」 ソロン:アテネの貴族。借金返済としての奴隷制を廃止 ペイシストラトス:アテネの貴族。独裁政。 クリステネス:アテネの貴族。全地方を行政区別に分割。陶片追放導入。 アリステデス:アテネの貴族。穏健派。 テミストクレス:アテネの貴族。急進派 ペリクレス:アテネの貴族 マルクス・フリウス・カミルス:共和制ローマの独裁官。 アレクサンダー大王:マケドニア王 ピュロス:エピロス王 アッピウス・クラウディウス:共和制ローマの執政官。アッピア街道の創設者。 アルド・マヌッツィオ:文庫本の産みの親 気になる表現 一神教と多神教のちがいは、ただ単に、信ずる神の数にあるのではない。 他者の神を認めるか認めないか、にある。 そして、他者の神も認めるということは、他者の存在を認めるということである。 ヌマの時代から数えれば二千七百年は過ぎているのに、いまだにわれわれは、一神教的な金縛りから自由になっていない。(上p75) 急進派の考えは、常に穏健派の考えより明快なものである。(上p184) 民主政体を機能させるのに、民主主義者である必要はない。(下p12) 偉大な人物を慕ってくる者には、なぜか、師の教えの一面のみを強く感じとり、 それを強調する生き方に走ってしまう者が少なくない。 すべての事柄には、裏と表の両面があるのを忘れて。 そして、真の生き方とは、裏と表のバランスをとりながら生きることであるのを忘れて。(下p71) メモ 古代のローマ人の周囲にいた他民族の優位性ギリシャ人:知力 ケルト(ガリア人):体力 エトルリア人:技術力 カルタゴ人:経済力 都市建設にあらわれた三民族の違いエトルリア人:防御重視。丘の上を好む。欠点は発展が阻害されやすい。 ローマ人:防御が不十分な土地に街を建てた。結果として外に向かって発展。 南伊ギリシャ人:通商重視。海沿いの土地に街を築く。 王の性質の違いローマ王:共同体を率いる存在。終身だが世襲ではない。 エジプト(ファラオ):王自らが神 メソポタミア王:神官的色彩が濃い(神と人間たちをつなぐ) ギリシャ王:豪族の首領 人間の行動原則の正し手ローマ人:法律 ギリシャ人:哲学 ユダヤ人:宗教 王政ローマロムルス王(宗教祭事・軍事・政治の最高責任者)、元老院(百人の長老)、市民集会に分ける サビーニ族の女たちの強奪 百人隊長制度 ヌマヤヌス神殿建設 市民を職能別に分け団体結成(農業・牧畜の振興、民族間の対立の防止) 暦の改革 神官の組織化:専門の神官を置かず、市民集会の選挙で決める。 トゥルスアルバ攻略(ローマがラテン民族の本家に。敗者同化と裏切りは容赦しない路線の確立) アンクステヴェレ河に橋をかけた テヴェレ河口オスティア征服(塩田事業を手中) タルクィニウス元老院議員数を倍増(王権強化) 湿地帯の干拓事業(フォロ・ロマーノ、大競技場誕生) セルヴィウスセルヴィウスの城壁完成 初めての人口調査を実施 税制・軍制改革 戦法の確立(前衛・本体・後衛) 共和制ローマヴァレリウス国力低下対策塩の国有化(国庫収入の確保) 間接税の軽減 他国人のローマ移住の推奨 貴族対平民の抗争の要因(アテネとの比較)農牧民族ローマ人の保守的な性向 ローマ貴族に対決の姿勢が強かった ローマの平民は少数指導政下での機会均等を要求したが、寡頭政そのものを変えよとは要求しなかった 護民官成立と貴族側の巧妙なしかけ二人の護民官と交渉すればよい点(団体交渉ではない) 護民官は拒否権を持つが、戦時には使えない点(当時のローマは大半が戦時中) ケルト人来襲後のローマ人の立ち直りの優先順位防衛を重視しながらの、破壊されたローマの再建 離反した旧同盟諸部族との戦闘と、それによる国境の安全の確保ラテン同盟からローマ連合へ。(加盟国間の同盟を禁じ、ローマを仲介とする同盟 貴族対平民の抗争を解消することでの、社会の安定と国論の統一リキニウス法 六人の軍事担当官から執政官制度に戻す(=寡頭政体の継続) 政府のすべての要職を平民出身者に開放(=利益代表制度を解消) サムニウム族への降伏「カウディウムの屈辱」後のローマ人の態度敗軍の将は罰せられない(名誉を失って既に罰を受けている) 新戦術の導入(サムニウム兵の投げ槍の導入) ローマ連合の拡大と確立 ローマの政体執政官(コンスル) 独裁官(ディクタトール) 法務管(プラエトル) 会計検査官(クワエストル)・・・戦場での財務担当 財務官(ケンソル)・・・人口調査担当 按察官(エディリス) 護民官(トリブーヌス・プレビス) 元老院(セナートゥス) ローマ連合の種類ローマ:連合の主体。ローマ市民権、直接税の納税義務、国政参加権を有する 旧ラテン同盟の加盟国:完全なローマ市民権を与える(=併合) ムニオチピア:投票権なしのローマ市民権。ラテン語習得により3年も経てばローマ市民権が与えられるのが通例。私有財産権、国内の自治も完全に認められる。 コローニア:戦略上重要地域にローマ市民団が入植。入植者は完全なローマ市民権所有者で兵役の義務あり。 ソーチ:同盟国。BC350以降の敗者。完全な国内自治、言語・宗教・風俗の継続が許される。兵力の提供義務が課せられる。ローマ市民権は与えられない。 ローマ市民権私有財産の保証・自由 国政参加権 公訴権 独立して自由な身分を持つ 兵役義務 二大政党の分類民意優先派:性善説、(米)民主党、古代では民衆派 公益優先派:性悪説、(米)共和党、古代では貴族派 二千年前の人物のローマ観がしっくりくる点ローマの興隆の因を精神的なものに求めなかった点 キリスト教の倫理や価値観から自由でいられた点 フランス革命による「自由・平等・博愛」の理念に縛られない点民主政であれ、帝政であれ「善政」であれば良しとする見方。 問題意識の切実さ 参考 ホメロス「オデュッセイア」 ホメロス「イーリアス」 ヘロドトス「歴史」 ツキディデス「戦史」 プラトン アリストテレス アリストファネス クセノフォン プルタルコス「列伝」 本書を引用している文献 塩野七生「ローマ人への20の質問」
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ケントゥリア制とアス銅貨について2ch ローマ人の物語 その他の引用 植民市クマエについて2ch キプロスについて2ch アグリジェントについて2ch カミルス2ch 十二表法2ch 参考文献2ch ケントゥリア制とアス銅貨について 2ch 【ローマ人の物語】塩野七生作品を語ろう!!4 382 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19 28 38 0 アス銅貨が出来る前にアス基準の193ケントゥリア体制があったと記述するのはどうなのかって話は? 塩野七生先生はカエサルに感情移入し過ぎwwww 391 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01 05 08 0 388 前スレでの指摘 ・アス基準のケントゥリア制がアス銅貨の存在しない時代に存在 ・エウボイア植民市のクマエがアテナイの植民市に ・ペルシア属州となっている時代のキプロスがアテナイ支配下に あと覚えてないや 塩野七生はカエサルやチェーザレに感情移入し過ぎ3 109 :世界@名無史さん:2008/12/09(火) 23 11 31 0 アス銅貨が出来る前にアス単位が基準になる軍制が出来上がってた ってのも大した間違いではないのか? ローマ人の物語 第1章 ローマ誕生 六代目の王セルヴィウス・トゥリウス 財産 単位=アッシス(327gの銅) 年に二百アッシスを支払う義務を課されていたのである。 その他の引用 アス (青銅貨) - Wikipedia 「アス」は紀元前280年ごろ共和政時代の大型鋳造青銅貨として登場した。 ケントゥリア - Wikipedia ケントゥリア民会 - Wikipedia 伝承上では王政ローマの時代において、第6代のセルウィウス・トゥッリウス王がローマ軍を構成する全市民を財産に応じて6つの階級に分けた。 セルウィウス・トゥッリウス - Wikipedia 在位:紀元前578年 - 紀元前535年 ローマ建国史〈上〉 (岩波文庫) 第1巻43 108ページ 一〇万アスないしそれ以上の財産評価を受けた人たちから百人隊(ケントゥリア)八〇を構成した。 ローマ建国史〈上〉 (岩波文庫) 訳註 340ページ 一〇万アス アスは銅貨。ひろく中央イタリアに出土する銅片が原初の交換手段で、一二表 法にも秤量貨幣アスが見える。一般に貨幣の発行は必ずしも使用の時期に一致せず、ローマ では前三世紀から貨幣を発行した。早く海上交易を担ったカルターゴーも同様に貨幣は遅い。 ローマ都市の起源 142ページ …………各階層に対して確定された最初の財産額は、ロー マにおける貨幣導入より二〇〇年以上も前のことに属する。 143ページ ……………………………前五世紀の中頃、今まで牛や羊で 計算されていた罰金がいまや青銅の量によって査定された という証拠がある。しかし青銅片が前六世紀の後半におい てすでに支払いの手段として用いられていたに違いない。 植民市クマエについて 2ch 【ローマ人の物語】塩野七生作品を語ろう!!4 532 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 12 21 35 O スレに触発されてブクオフでセールしてた最初の数冊買って読んでみた よく纏まってて史学に特別関心がなくても読みやすいと思う けど一巻のギリシアのくだりはよく勉強しなかったのか 古い概説しか参照しなかったのか知らんが粗さが目立った エウボイア人・カルキス人らが建てたクマエやネアポリスを勝手にアテナイ人に帰したり (アルファベットの伝来経緯についての研究をよく知らんのだろうけど 暗黒時代から東方世界と交流のあったエウボイアの西方植民地で 最古のギリシア語が伝わっていることの意義を考えないのはいかがなものか) ペルシアのサトラペイアに組み込まれた後のキプロスにアテナイの海軍力が及んでいたとしたり (ヘロドトスの伝えるペルシアのノモスもキモンの遠征も無視?) 史料への当たり方に格差があって彼女はギリシャには全然関心ないんだな ってのがよく分かったw 塩野七生先生はカエサルに感情移入し過ぎwwww 391 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01 05 08 0 388 前スレでの指摘 ・アス基準のケントゥリア制がアス銅貨の存在しない時代に存在 ・エウボイア植民市のクマエがアテナイの植民市に ・ペルシア属州となっている時代のキプロスがアテナイ支配下に あと覚えてないや 806 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 03 48 40 0 特にクマエ植民がアテナイに帰されているのは致命傷 暗黒時代から復興したギリシアの中で最初にオリエントと交流を持ったのがエウボイア諸市であり エウボイアの建設したクマエにこそ最古のギリシア語アルファベットが残されているという事実を 婆さんは知らないと見える アルファベットの成立と伝播の経緯に関するここ30年くらいの研究動向を 全く把握していないのはいかがなものか 807 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 04 22 33 0 そのアルファベットの講義をしなかったことで、どんなマズい事があったの? 808 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 04 39 53 0 803 ていうか婆さんは関心の強い地域以外の知識が欠落してるだけ そんなの普通でしょ。 俺は日本史に関心はあるが、インドネシアやタイの地名なんか全然知らんぞ。 『ローマ人』にある古代ギリシアの記述も嘘八百だったし まあ間違には違いないが、はっきり言ってどうでもいい部分でしょ。 「ローマ人」でのギリシャの扱いなんてほとんど添え物。 説明されているのは大まかな歴史と政治体制だけ。 809 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 04 54 51 0 807 まずいことは無いですよ?明らかに間違ってるってだけで 嘘八百書いてることについても、指摘しただけで別に批判はしてませんよw 808 個人的にはアレクサンドロス書くときまでにどの程度進歩してるか楽しみ 810 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05 06 33 0 アレクサンドロスという人物を書こうというときに、 どうでもいいような地名にまで気を使うのが「進歩」なのかね? 811 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05 10 48 0 809 まずいことは無いですよ?明らかに間違ってるってだけで 嘘八百書いてることについても、指摘しただけで別に批判はしてませんよw 806は「致命傷」って言ってるんだがねえ。 まずくもなんでもないことに使う言葉かね? 812 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05 16 34 0 漢字は北海道を経由して日本に伝播したんだ! 的なことを書いてるのにそれをどうでもいいと言い切れる神経は凄いですねw まあ瑣末といえば瑣末なんでしょうけどww 813 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05 20 48 0 婆がありえないミスを犯すのはよく知られたことだし 今更いちいち取り上げるもんでもないと思うが・・・ 814 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 05 26 01 0 811 ギリシアに偏見がある→というか古代でも中近世でもギリシア史を全然知らない ということについて、反論の余地はありませんよ、という意味ですが 小説としてはまずくも何でもないんじゃないですか? 815 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 06 25 05 O 相変わらずビザオタがファビョってるな 山川の教科書に載ってるような事柄を間違ったんならともかく 学問分野にもよるけど「ここ30年の」研究動向なんて最新最先端もいいところで、該当分野の専門家以外は知らなくても当たり前 北海道がどうだなんて直感的にも嘘とわかる命題とは根底が違う 間違いを指摘するのは結構だが、「こんなの間違えるのは致命的」などという言い草は 言ってる側の偏狭さをこそ暴き立てるものだ 819 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 11 31 47 0 文庫本1巻で確かめてみても、そもそも「クマエ」なんて名前自体が出てこないんだけど…。 「ギリシア人の第二次植民活動」という図でも、カンパーニャ地方あたりに植民したのは イオニア系ギリシア人とアカイア系ギリシア人としか図示されていない。 アテナイ人の植民によってクマエは作られた、なんてのは一言もない。 821 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 11 56 37 0 塩野本の該当部を引用。 「例えば、ナポリだが、その近くにあってイタリアでは 最も古いギリシア人の入植地であったとされるクーマと共に、 アテネ人の植民が建設した都市を起源としている」 822 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12 12 48 0 この文章の「アテネ人の植民が建設した」がかかっているのは、 ナポリであってクーマではないのでは? 823 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12 19 15 O 822 ナポリとクーマは「共に」アテネの植民市だっていう意味だろ。 824 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12 25 56 0 823 それなら「最も古いギリシア人の入植地」ではなく「最も古いアテネ人の入植地」と書くだろ。 825 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12 31 24 0 エウボイア系植民都市クーマを、 「イタリアでは最も古いギリシア人の入植地であったとされるクーマ」 と説明するのは何の問題もない。 エウボイア人はギリシャ人のくくりにも入るからね。 826 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12 36 41 0 まずエウボイア人の植民があり、第二次植民活動のときにアテネ人の植民があった。 これでどうよ? 827 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 12 48 41 0 要するに、「アテネ人の植民」を「ギリシャ人の植民」に読み替えれば済む話だろ。 これで意味が通るしエウボイア人オタが怒ることもない。 828 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13 22 09 0 しかしクーマにアテナイが植民なんてしてないし ネアポリス自体クマエ人(≒カルキス人)の植民市だぞ? 原文みてないけど 821の通りなら塩野が間違ってるのは明らか 829 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13 34 40 0 初歩的な質問だが、アテネ人って人種的にはエウベアのカルキス人とどう違うわけ? 830 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13 54 04 0 エウボイアはアテナイの支配下にあったらしいが? まとめてアテネ人と呼んだっていいだろ。 831 :世界@名無史さん:2007/07/11(水) 13 59 40 0 830 エウボイアにアテナイのアンフィクテュオニアが派遣されるのなんて前4世紀の話じゃんw 前古典期なんてエウボイア系都市は連合組んでアテナイと喧嘩しまくりだっつーの キプロスについて 2ch 【ローマ人の物語】塩野七生作品を語ろう!!4 532 :世界@名無史さん:2006/10/29(日) 12 21 35 O スレに触発されてブクオフでセールしてた最初の数冊買って読んでみた よく纏まってて史学に特別関心がなくても読みやすいと思う けど一巻のギリシアのくだりはよく勉強しなかったのか 古い概説しか参照しなかったのか知らんが粗さが目立った エウボイア人・カルキス人らが建てたクマエやネアポリスを勝手にアテナイ人に帰したり (アルファベットの伝来経緯についての研究をよく知らんのだろうけど 暗黒時代から東方世界と交流のあったエウボイアの西方植民地で 最古のギリシア語が伝わっていることの意義を考えないのはいかがなものか) ペルシアのサトラペイアに組み込まれた後のキプロスにアテナイの海軍力が及んでいたとしたり (ヘロドトスの伝えるペルシアのノモスもキモンの遠征も無視?) 史料への当たり方に格差があって彼女はギリシャには全然関心ないんだな ってのがよく分かったw 塩野七生先生はカエサルに感情移入し過ぎwwww 391 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01 05 08 0 388 前スレでの指摘 ・アス基準のケントゥリア制がアス銅貨の存在しない時代に存在 ・エウボイア植民市のクマエがアテナイの植民市に ・ペルシア属州となっている時代のキプロスがアテナイ支配下に あと覚えてないや アグリジェントについて 2ch 塩野七生先生はカエサルに感情移入し過ぎwwww 392 :世界@名無史さん:2007/04/26(木) 01 35 15 0 今ざっと読み返してみたが ゲラが前6世紀になってから建設したアグリジェントが ギリシア大植民時代(前8世紀)に出来たってのも変 婆はギリシアに関心がないらしい カミルス 2ch 【ローマ人の物語】塩野七生作品を語ろう!!4 384 :世界@名無史さん:2006/10/17(火) 19 41 51 0 6回(401,398,394,386,384,381)TMCPに選ばれたカミルスの事を「市民集会で選ばれやすい型の人物ではなかった」とか 塩野七生先生はカエサルに感情移入し過ぎww2巻目 383 :世界@名無史さん:2008/03/31(月) 17 46 33 0 伊訳も英訳もあるので問題ありません まぁカミルスの件みたいに引かないほうがマシってレベルにならなければいいんだけどね 384 :世界@名無史さん:2008/04/01(火) 08 24 53 0 カミルスの件を詳しく 388 :世界@名無史さん:2008/04/01(火) 23 33 54 0 384 かなり適当に書くけど プルタルコスの「五度独裁官になったが一度もコンスルになってない」って部分を引いて「市民集会で選ばれやすい型の人物ではなかった」って書いちゃった 実際はこの時期コンスルではない最高政務官(これも市民集会で選出される)が設置されててカミルスはそれに六回就任してる 更にプルタルコスも前出引用部分のあとに同じようなこと書いてるというおまけつき 十二表法 2ch 塩野七生先生はカエサルに感情移入し過ぎww2巻目 352 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 11 06 35 0 大学生以下の歴史初心者には、案外いけそうだけど。 十二条あったから「十二表法」なんて平気で書いてるから受験生は読まない方がいいね。 353 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 12 55 38 0 法律を書き付けた板が十二枚あったから、って塩婆は書いてたなかったか? 354 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 14 55 05 0 塩婆は読み返してないけど 山川の世界史教科書にも 353みたく書いてあるね 355 :世界@名無史さん:2008/02/27(水) 15 04 32 0 ああ、確かに書いてある 文庫版2巻P43 「十二条あったがゆえに「十二表法」と呼ばれる、 最初にして最後のローマ成文法は、 今日ではローマ法の専門家でも、三分の一ぐらいしか わかっていないのだそうである」 ユスティニアヌス法典がガン無視されてるあたりもなかなか愉快だと思う。 356 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/02/28(木) 11 34 31 0 それ以前に十二表法に関しては「三分の一ぐらいしか分かっていない」ってのが正確でない。 ttp //www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/alaw/twelve.htm によると 「十二表法の原本はブロンズ版に刻まれたもので、紀元前387年のガリア人によるローマ掠奪の 際に失われたといわれている。しかし、多くのローマの著作の中に十二表法の引用や説明があり、 それらを使い大凡の内容の再構成が現在でも可能である」。 東大の出した「西洋古代史料集」に飜訳が載ってるという話だが。 357 :世界@名無史さん:2008/02/28(木) 13 43 47 0 「のだそうである」というくらいだから二次資料からの引き書きだろうな 大昔の資料でも使ってたんだろうか 358 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 00 17 18 0 東大の出した「西洋古代史料集」に飜訳が載ってるという話だが。 載ってるけど抜粋、「西洋史料集成」も抜粋。 佐藤篤士「Lex XII tabularum―12表法原文・邦訳および解説」がたぶん全訳。 ちなみに出版年は上から1987、1956、1969。 359 :世界@名無史さん:2008/02/29(金) 10 50 48 0 ラテン語原文 http //www.hs-augsburg.de/~harsch/Chronologia/Lsante05/LegesXII/leg_ta00.html 英訳 http //www.constitution.org/sps/sps01_1.htm 塩野七生はカエサルやチェーザレに感情移入し過ぎ3 95 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2008/12/04(木) 17 31 21 0 94 例えば十二表法に関して。 東大の西洋古代史史料集にさえ復元されたのが載ってるのに 「どんなものか分からない」みたいに書いてるのは 明らかに最近の研究を調べてない証拠。 122 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 04 12 29 0 何冊かでもまともに読んでいれば12表法は12条なんていうことを 書けるはずがない 「成立当初十二の法だった」的な内容じゃなかったか? ウロいが 間違ってないはずだぞ 123 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 10 18 31 0 文庫2巻 P.42 「一項ずつ銅版に刻まれた「十二表法」」 文庫2巻 P.43 「十二条あったがゆえに「十二表法」と呼ばれる」 124 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 12 10 41 0 十二表法の、とくに完成時の形態については諸説フンプンだから 絶対にこうとは言えんが まあ、十二条は間違いだなたぶん 125 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 12 11 12 0 あ、完成時じゃないや、あー、誕生時? 初期? 参考文献 2ch 塩野七生はカエサルやチェーザレに感情移入し過ぎ3 121 :世界@名無史さん:2008/12/15(月) 02 07 59 0 1巻の参考文献に吉野悟、柴田光蔵、佐藤篤士、船田享二、石本雅男の名前があるけど この5人はローマ法学者(石本雅男が古代ローマ法の専門家かどうかは知らない)。 何冊かでもまともに読んでいれば12表法は12条なんていうことを 書けるはずがない、特に佐藤篤士は12表法を翻訳した人。 こういう参考文献の捏造を見ると塩婆自身が古代ローマの権威になりたがってるように思うんだが。 ついでにいうと北原理雄、大場正史の名前もあるが前者は都市研究家、後者は翻訳家。 2人ともローマ関係のものは1、2冊の翻訳があるだけなのに書名・原著者を書かずに 訳者名だけってのは意味不明。水増しか?
https://w.atwiki.jp/spiralll/
Spiralllの道は一日にして成らず!
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□息抜き ローマ人の物語 今時たま買って読んでいる本: とあるブログで紹介していたのですが、クリックして衝動買いしてしまいました。 誰かの物語というのではなく、ローマ歴史上に登場する人物の行動を掘り下げて記述してあります。 ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫) 3巻からハンニバル(カルタゴ)との戦争、ポエニ戦争のお話になります。
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塩野七生 登場人物(その1) その2へ ギリシア神話の人物 オデュッセウス Odysseus ギリシア神話の人物。イタケの王 貞女の言い分 オデュッセイア異聞 ぺネロぺ Penelope ギリシア神話の人物。オデュッセウスの妻 貞女の言い分 オデュッセイア異聞 古代人 (ローマ・ギリシャ・カルタゴほか) ロムルス Romulus BC771-BC715。 王政ローマ初代王【BC753-BC715】 ローマは一日にして成らず ヌマ Numa Pompilius BC750-BC673 王政ローマ二代目王【BC715-BC673】。サビーニ族出身。 ローマは一日にして成らず トゥルス・ホスティリウス Tullus Hostilius BC710-BC641 王政ローマ三代目王【BC673-BC641】。ラテン系ローマ人。 ローマは一日にして成らず アンクス・マルキウス Ancus Marcius BC675-BC616 王政ローマ四代目王【BC641-BC616】。サビーニ族出身。ヌマの孫。 ローマは一日にして成らず タルクィニウス・プリスコ Lucius Tarqinius Priscus ?-579 王政ローマ五代目王【BC615-BC579】。エトルリア人 ローマは一日にして成らず セルヴィウス・トゥリウス Servius Tullius ?-534 王政ローマ六代目王【BC579-BC534】。エトルリア人。タルクィニウスの女婿。 ローマは一日にして成らず タルクィニウス Lucius Tarquinius Superbus ?-BC496 七代目王。尊大な王【BC534-BC509】。エトルリア人。タルクィニウス・プリスコの実子。セルヴィウスの女婿。 ローマは一日にして成らず ルキウス・ユニウス・ブルータス Lucius Iunius Brutus BC5c? 共和政ローマ創始者。初代執政官。 ローマは一日にして成らず ヴァレリウス BC5c? 共和制ローマ執政官。通称「プブリコラ」 ローマは一日にして成らず ソロン Solon BC639?-BC559? アテネの貴族。七賢人。借金返済としての奴隷制を廃止 ローマは一日にして成らず ペイシストラトス Peisistratos BC6c?-BC527 アテネの貴族。独裁政。 ローマは一日にして成らず クリステネス BC6c? アテネの貴族。全地方を行政区別に分割。陶片追放導入。 ローマは一日にして成らず アリステデス Aristides BC6c? アテネの貴族。穏健派。 ローマは一日にして成らず テミストクレス Themistocles BC524-BC455? アテネの貴族。急進派。ペルシャ戦役(サラミスの海戦)勝利の立役者 ローマは一日にして成らず ペリクレス BC495-BC429 アテネの貴族。民主政を推進 ペリクレス ローマは一日にして成らず <イフ>の復権は是か非か ソクラテス Socrates BC469-BC399 アテネの哲学者 ローマは一日にして成らず 市民とは、そして市民権とは何か, 真・善・美について アルキビアデス BC450-BC404 アテネの政治家、軍人。ソクラテスの弟子。 真・善・美について マルクス・フリウス・カミルス Marcus Furius Camillus BC446-BC335 共和制ローマで5度の独裁官に就任 ローマは一日にして成らず アリストテレス Aristoteles BC384-BC322 アテネの哲学者。プラトンの弟子。マケドニア出身 ローマは一日にして成らず 市民とは、そして市民権とは何か アレクサンダー大王 Aleksandros ho Megas BC356-BC323 マケドニア王 アレクサンダー大王 大王の奴隷の話 ローマは一日にして成らず <イフ>の復権は是か非か アッピウス・クラウディウス Appius Claudius Caecus BC340-BC273 共和制ローマの貴族。アッピア街道建設。 ローマは一日にして成らず すべての道はローマに通ず ピュロス Pyrrhus BC319-BC272 エピロス王。戦術の天才。 ローマは一日にして成らず ヒエロン Hieron II BC3c-BC215 シラクサの僭主 ハンニバル戦記 レグルス BC3c-BC249 第一次ポエニ戦役時の執政官。リカータ沖海戦の勝将。アフリカ本土で敗将・捕虜。 ハンニバル戦記 メテルス Lucius Caecilius Metellus BC3c 第一次ポエニ戦役時の執政官。パレルモ攻防戦の勝将。 ハンニバル戦記 カトゥルス BC3c 第一次ポエニ戦役時の執政官。第一次ポエニ戦役終戦時の勝将。 ハンニバル戦記 アルキメデス Archimedes BC287-BC212 シラクサの数学・物理学者。第二次ポエニ戦役中で死ぬ ハンニバル戦記 ハミルカル Hamilcar Barca(s) BC275-BC229 第一次ポエニ戦役時のカルタゴの将軍。 ハンニバルの父 ハンニバル戦記 ファビウス・マクシムス Quintus Fabius Maximus Verrucosus Cunctator BC275-203 第二次ポエニ戦役時の独裁官。持久戦主義者 「ローマの盾」 ハンニバル戦記 クラウディウス・マルケルス Marcus Claudius Marcellus BC268-BC208 第二次ポエニ戦役時の執政官。平民。「ローマの剣」 ハンニバル戦記 プブリウス・コルネリウス・スキピオ Publius Cornelius Scipio BC3c-BC221 第二次ポエニ戦役時の執政官。スキピオ・アフリカヌスの父 ハンニバル戦記 センプローニウス・グラックス Tiberius Sempronius Gracchus BC3C-BC213 第二次ポエニ戦役時の執政官。平民。奴隷を訓練して戦力化 ハンニバル戦記 ハンニバル Hannibal Barca BC247-BC183 カルタゴの将軍。 ハンニバル戦記 宿敵カルタゴとの対決について マルクス・ポルキウス・カトー Marcus Porcius Cato Censorius BC234-BC139 通称大カトー。反スキピオ派。平民出身。 大カトー ハンニバル戦記 宿敵カルタゴとの対決について マシニッサ Masinissa BC238-BC148 ヌミディア王。第二次ポエニ戦役中途でスキピオ派に ハンニバル戦記 プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス Publius Cornelius Scipio Africanus Major BC236-BC183 第二次ポエニ戦役の総司令官 ハンニバル戦記 ローマは軍事的にはギリシアを征服したが、文化的には征服されたとは真実か?, 宿敵カルタゴとの対決について 大カトー スキピオ・エミリアヌス Publius Cornelius Scipio Aemilianus Africanus Numantinus BC185-BC129 カルタゴ滅亡時の総司令官 ハンニバル戦記 ティベリウス・グラックス Tiberius Sempronius Gracchus BC163-BC133 自作農復旧に注力。グラックス兄弟の兄。スキピオ・アフリカヌスの孫 勝者の混迷 ガイウス・マリウス Gaius Marius BC157-BC86 平民出身の共和制ローマの軍人 勝者の混迷 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ガイウス・グラックス Gaius Sempronius Gracchus BC154-BC121 グラックス兄弟の弟。スキピオ・アフリカヌスの孫 勝者の混迷 ルキウス・コルネリウス・スッラ Lucius Cornelius Sulla Felix BC138-BC78 共和制ローマの独裁官。 勝者の混迷 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ミトリダテス六世 Mithridates VI Eupator BC132-BC63 ポントス王 勝者の混迷 キンナ Lucius Cornelius Cinna BC130?-BC84 共和制ローマの執政官。民衆派。カエサルは女婿にあたる。 勝者の混迷 ユリウス・カエサル ルビコン以前 アウレリウス・コッタ BC2c ローマの執政官。カエサルの伯父 ユリウス・カエサル ルビコン以前 クラッスス Marcus Licinius Crassus BC115-BC53 共和制ローマの軍人 勝者の混迷 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ルキウス・セルギウス・カティリーナ Lucius Sergius Catilina BC112-BC62 ローマの政治家。スッラ派。カティリナの陰謀を起こす。 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ポンペイウス Gnaeus Pompeius Magnus BC106-BC41 共和制ローマの軍人 勝者の混迷 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 レントゥルス Lucius Cornelius Lentulus Crus BC?-BC30 ローマの軍人。ポンペイウス側近 ユリウス・カエサル ルビコン以後 キケロ Marcus Tullius Cicero BC106-BC43 ローマの政治家、文筆家 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 弟キケロ Quintus Tullius Cicero BC102-BC43 ローマの軍人。ガリア戦役中はカエサルの属将の1人 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 ユリウス・カエサル Caesar. Gaius Julius BC101-BC44 ローマの英雄 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 ユリウス・カエサル <パクス・ロマーナ>とは何であったのか, <イフ>の復権は是か非か 師から見たブルータス すべての道はローマに通ず 間奏曲 容貌について マザコン礼讃 開国 ラビエヌス Titus Labienus BC100-BC45 ローマの軍人。ガリア戦役中はカエサルの副将。ポンペイウスのクリエンテス。 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 メテルス・スキピオ Quintus Caecilius Metellus Pius Scipio Nasica BC100-BC46 ローマの政治家。ポンペイウスの舅。 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 アリオヴィストゥス Ariovistus BC1c-BC54 ゲルマン人の族長。ガリア戦役のきっかけを作る。 ユリウス・カエサル ルビコン以前 小カトー Marcus Porcius Cato Uticensis BC95-BC46 ローマの政治家。カエサルと対決。 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 クロディウス Publius Clodius Pulcher BC92-BC52 ローマの政治家。カエサル派の護民官 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ガイウス・トレボニウス Gaius Trebonius BC?-BC43 ローマの軍人。カエサルの属将の1人。カエサル暗殺団の1人 ユリウス・カエサル ルビコン以後 ガイウス・スクリボニウス・クリオ Gaius Scribonius Curio BC90-BC49 ローマの貴族。ローマ内戦でカエサル派に属す ユリウス・カエサル ルビコン以前 ヒルティウス Aulus Hirtius BC90-BC43 ローマの貴族。カエサルの秘書官。 ユリウス・カエサル ルビコン以後 レピドゥス Marcus Aemilius Lepidus BC90-BC13 ローマの貴族。第二回三頭政治の一頭。 ユリウス・カエサル ルビコン以後 カシウス・ロンジヌス Gaius Cassius Longinus BC87-BC42 ローマの軍人。カエサル暗殺の首謀者 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 師から見たブルータス サビヌス Quintus Titurius Sabinus BC1c-BC54 ローマの軍人。ガリア戦役でのカエサルの属将の1人 ユリウス・カエサル ルビコン以前 マルクス・ブルータス Marcus Junius Brutus BC85-BC42 ローマの貴族 師から見たブルータス ユリウス・カエサル ルビコン以後 <パクス・ロマーナ>とは何であったのか デキムス・ブルータス Decimus Junius Brutus Albinus BC85-BC43 ローマの軍人。カエサルの属将の1人。カエサル暗殺団の一人 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 スレナス Surena BC84-BC52 パルティアの貴族。クラッスス軍を破る ユリウス・カエサル ルビコン以前 プブリウス・クラッスス Publius Licinius Crassus BC1c-BC53 ローマの軍人。ガリア戦役でのカエサルの属将の1人 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユバ Iuba I BC85-BC46 ヌミディア王。カエサルに対抗しタプススの戦いで敗れる ユリウス・カエサル ルビコン以後 マルクス・アントニウス Marcus Antonius BC83-BC30 ローマの軍人。 ユリウス・カエサル ルビコン以前 ユリウス・カエサル ルビコン以後 ヴェルチンジェトリックス Vercingetorix BC72-BC46 ガリア人リーダー。ガリア総決起の大将 ユリウス・カエサル ルビコン以前 クレオパトラ Cleopatra VII Philopator BC70-BC30 エジプト最後の女王 ユリウス・カエサル ルビコン以後 ユリウス・カエサル ファルナケス Pharnaces II BC63-BC47 ポントス王。ミトリダンテの息子。カエサルに「来た、見た、勝った」と言われて敗れた ユリウス・カエサル ルビコン以後 帝政ローマ以降の古代人 ヘロデ大王 Herod BC73-4 ユダヤ王。ローマと協調関係を構築し統治。 悪名高き皇帝たち マエケナス Gaius Cilnius Maecenas BC70-BC8 ローマ人。アウグストゥスの右腕 パクス・ロマーナ ローマは軍事的にはギリシアを征服したが、文化的には征服されたとは真実か? ホラティウス Quintus Horatius Flaccus BC65-BC8 ローマの詩人 ローマは軍事的にはギリシアを征服したが、文化的には征服されたとは真実か? アウグストゥス Augustus BC63-AD14 ローマ帝国初代皇帝【BC31-AD14】。本名オクタイアヌス。カエサルの養子 パクス・ロマーナ ユリウス・カエサル ルビコン以後 ローマは軍事的にはギリシアを征服したが、文化的には征服されたとは真実か?, 富の格差について, <パクス・ロマーナ>とは何であったのか, <パンとサーカス>とは何であったのか, 自由について, 女について マーカス・アグリッパ 容貌について 容貌とは アグリッパ Marcus Vipsanius Agrippa BC63-AD12 ローマの軍人。アウグストゥスの右腕で、娘婿。 マーカス・アグリッパ パクス・ロマーナ ユリウス・カエサル ルビコン以後 ティベリウス Tiberius Julius Caesar BC42-AD37 ローマ帝国 第2代皇帝。アウグストゥスの養子 悪名高き皇帝たち パクス・ロマーナ <パンとサーカス>とは何であったのか マルケルス Marcus Claudius Marcellus BC42-BC23 アウグストゥスの姉の息子で、娘婿。 パクス・ロマーナ ドゥルースス Nero Claudius Drusus BC38-AD9 ローマ帝国の軍人。ティベリウスの弟 パクス・ロマーナ ガイウス・カエサル Gaius Julius Caesar Vipsanianus BC20-AD4 ローマの貴族。アグリッパとユリアの息子で、アウグストゥスの養子 パクス・ロマーナ ルキウス・エリウス・セイアヌス Lucius Aelius Seianus BC20-AD31 ティベリウス帝時代の近衛軍団長官 悪名高き皇帝たち ヘロデ王 BC20- ヘロデ大王の子。サロメの義理の父 サロメの乳母の話 ヨハネ Ioannes Baptista BC1c 洗礼者。 サロメの乳母の話 サロメ Salome BC1c ヘロデ王の義理の娘。 サロメの乳母の話 ポンツィオ・ピラト Pontius Pilatus BC1c-AD1c ローマの政治家。ユダヤ属州総督。キリスト処刑を認めた。 悪名高き皇帝たち フィロン Philon Alexandrinus BC1c-40 アレクサンドリアで活躍したユダヤ人哲学者。ギリシャとの紛争に際し、カリグラ帝に陳情のためにローマを訪問。 悪名高き皇帝たち ルキウス・カエサル Lucius Julius Caesar Vipsanianus BC17-AD2 ローマの貴族。アグリッパとユリアの息子で、アウグストゥスの養子 パクス・ロマーナ アルミニウス Arminius BC16-AD21 ゲルマン人ケルスキ族族長 パクス・ロマーナ 悪名高き皇帝たち ゲルマニクス Germanicus Julius Caesar BC15-AD19 ローマ帝国の軍人、ティベリウスの養子。 悪名高き皇帝たち パクス・ロマーナ ドゥルースス Drusus Julius Caesar BC14-AD23 ティベリウスの実子。ティべリウスの弟と区別して小ドゥルーススと呼ばれる。 悪名高き皇帝たち 大アグリッピーナ Julia Vipsania Agrippina BC14-AD33 アグリッパとユリアの娘。ゲルマニクスの妻 悪名高き皇帝たち アグリッパ・ポストゥムス Marcus Vipsanius Agrippa Postumus BC12-AD14 ローマの貴族。アグリッパとユリアの息子で、アウグストゥスの養子 パクス・ロマーナ クラウディウス Tiberius Claudius Nero Caesar Drusus BC10-AD54 ローマ帝国 第4代皇帝 悪名高き皇帝たち 市民とは、そして市民権とは何か ヘロデ・アグリッパ Agrippa I BC10-AD44 ユダヤ王。カリグラ帝より統治権を認められる。ヘロデ大王の孫 悪名高き皇帝たち ルキウス・ヴィテリウス Lucius Vitellius Veteris BC5-BC51 ローマの政治家。シリア総督&ユダヤ属州総督に(ピラトの後任)。後のローマ皇帝アウルスの父 悪名高き皇帝たち イエス BC4-AD28 キリスト教の開祖 キリストの弟 ユダの母親 ガルバ Servius Sulpicius Galba BC3-69 ローマ帝国 第6代皇帝 危機と克服 ユダ イエス・キリストの弟子。 ユダの母親 セネカ Lucius Annaeus Seneca 1-65 ストア派哲学者。ネロ帝の家庭教師、ブレーン 悪名高き皇帝たち コルブロ Gnaeus Domitius Corbulo 7-67 ネロ帝時代のローマの軍人 悪名高き皇帝たち ヴェスパシアヌス Titus Flavius Vespasianus AD9-79 ローマ帝国 第9代皇帝 危機と克服 ムキアヌス Gaius Licinius Mucianus 1c ローマ帝国の軍人 危機と克服 メッサリーナ Valeria Messalina AD?-48 クラウディウス帝の妻。 悪名高き皇帝たち カリグラ Gaius Julius Caesar Augustus Germanicus 12-41 ローマ帝国 第3代皇帝。ゲルマニクスと大アグリッピーナの三男。 悪名高き皇帝たち カリグラ帝の馬 ローマの皇帝たち ヴィテリウス Aulus Vitellius Germanicus 15-69 ローマ帝国 第8代皇帝 危機と克服 小アグリッピーナ Agrippina Minor 15-59 ゲルマニクスと大アグリピーナの娘。ネロ帝の母。 悪名高き皇帝たち ネロ皇帝の双子の兄 大プリニウス Gaius Plinius Secundus 22-79 ローマ帝国博物学者。ヴェスヴォイ火山時に死亡。小プリニウスは甥(後に養子とする) 危機と克服 ペティリス・ケリアリス Quintus Petilius Cerialis Caesius Rufus 30?-? ローマ帝国 軍人 危機と克服 アントニウス・プリムス Marcus Antonius Primus 31-81 ローマ帝国 軍人 危機と克服 オトー Marcus Salvius Otho 32-69 ローマ帝国 第7代皇帝。ネロの後妻 ポッペア・サビーナの前夫。 危機と克服 マルクス・ファビウス・クィンティリアヌス Marcus Fabius Quintilianus, Quintilian 35-100 ローマ帝国修辞学者 危機と克服 ネルヴァ Marcus Cocceius Nerva Caesar Augustus 35-98 ローマ帝国第12代皇帝 危機と克服 ネロ Claudius Caesar Augustus Germanicus 37-68 ローマ帝国 第5代皇帝。 悪名高き皇帝たち ネロ皇帝の双子の兄 ローマの皇帝たち ヨセフス・フラヴィウス Flavius Josephus 37-100 ユダヤ人。後にローマ市民権を取得。「ユダヤ戦記」ほか著述 危機と克服 ティトゥス Titus Flavius Vespasianus 39-81 ローマ帝国 第10代皇帝。ヴェスパシアヌスの長男。 危機と克服 アグリコラ Gnaeus Julius Agricola 40-93 ローマ帝国の軍人。タキトゥスは女婿。 危機と克服 マルティアリス Marcus Valerius Martialis 40-102 ローマ帝国 風刺詩人 危機と克服 ドミティアヌス Titus Flavius Domitianus 51-96 ローマ帝国第11代皇帝。ヴェスパシアヌスの次男。 危機と克服 トライアヌス Marcus Ulpius Nerva Trajanus Augustus 53-117 ローマ帝国第13代皇帝 賢帝の世紀 危機と克服 タキトゥス Cornelius Tacitus 55-120 ローマ帝国 歴史家。アグリコラの女婿。 危機と克服 小プリニウス Gaius Plinius Caecilius Secundus 61-112 ローマ帝国 文人、政治家。大プリニウスは伯父。 賢帝の世紀 危機と克服 デケバロス Decebalus ?-106 ダキア族の王 賢帝の世紀 危機と克服 バール・コクバ ?-135 第二次ユダヤ戦争を指揮したユダヤ人の革命指導者 賢帝の世紀 ラビ・アキバ Rabbi ‘aqibha’ ben Yoseph ?-135 第二次ユダヤ戦争時のユダヤ教最高律法学者 賢帝の世紀 アポロドロス Apollodorus of Damascus ? ギリシャ人技師・建築家。トライアヌスに重用される 賢帝の世紀 ハドリアヌス Publius Aelius Trajanus Hadrianus 76-138 ローマ帝国第14代皇帝 賢帝の世紀 アントニウス・ピウス Titus Aelius Hadrianus Antoninus Augustus Pius 86-161 ローマ帝国第15代皇帝 賢帝の世紀 終わりの始まり マルクス・アウレリウス・アントニヌス Marcus Aurelius Antoninus 121-180 ローマ帝国第16代皇帝。哲人皇帝。 終わりの始まり 賢帝の世紀 プブリウス・ヘルヴィウス・ペルティナクス Publius Helvius Pertinax 126-193 ローマ帝国第18代皇帝。 終わりの始まり ルキウス・アウレリウス Lucius Ceionius Commodus Verus 130-169 ローマ帝国第16代皇帝マルクス・アウレリウスの実弟で共同皇帝 終わりの始まり ディディウス・ユリアヌス Marcus Didius Severus Julianus 133-193 ローマ帝国第19代皇帝。 終わりの始まり ペシェンニウス・ニゲル Gaius Pescennius Niger 135?-194 ローマ帝国軍人。コモドゥス死後に皇帝を名乗るがセヴェルスに敗れる 終わりの始まり セプティミウス・セヴェルス Lucius Septimius Severus 146-211 ローマ帝国 皇帝。ユリアヌス帝後、ニゲル、アルビヌスに勝利。軍人皇帝。 終わりの始まり 自由について クロディウス・アルビヌス Decimus Clodius Albinus 150-197 ローマ帝国軍人。コモドゥス死後に皇帝を名乗るがセヴェルスに敗れる 終わりの始まり コモドゥス Lucius Aurelius Commodus Antoninus 161-192 ローマ帝国第17代皇帝。マルクス・アウレリウスの息子。 終わりの始まり コンスタンティヌスConstantinus I ?-337 ローマ帝国皇帝【306-337】 テオドシウス ? ローマ皇帝。キリスト教を唯一の国教と定める ベルサリウス Flavius Belisarius 505-565 東ローマ帝国の将軍 すべての道はローマに通ず その2へ
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『ハンニバル戦記(上)』 塩野 七生 著 本巻から三巻に渡りカルタゴとのポエニ戦役の様子を、その中でも本巻では第一次ポエニ戦役とその後の休戦期間である二十三年間を描いている。紀元前二百六十五年、気付けばローマは南イタリアを統一していた。しかしながらローマ人たちはそれ以上の拡張を目下望んでいなかった。メッシーナからの援軍要請を受けたのはそんな時であった。ローマ人たちはそれを受諾した。ここで直面するのがシチリア西部を支配していたカルタゴとの衝突であった。これがポエニ戦役のすべての始まりである。 ローマは第一次ポエニ戦役で勝利を収める。私は、その勝利に貢献する戦術眼にも驚かされたが、それ以上に休戦中に見せるローマ人の特性に目を見張った。「ローマは一日にして成らず」でも見てきたことだが、ローマ人の自分で何でもしようとしない姿勢がここまでローマを大きくさせているのではないかと思ってしまった。エトルリア人には土木事業を任せ、ギリシア人には通商を任せる。ローマ人自らがナンバー・ワンになるのではなく、スペシャリストの能力を理解しその仕事は彼らに任せる。この姿勢がローマにおいて上手く機能しているように感じた。このようにこの時代、彼らの開放的な性質がローマの拡大に比例しているように見えるため、今後とも注目していきたいと思う。 選択肢 投票 参考になった (0) どちらとも言えない (0) 参考にならない (0) 名前 コメント すべてのコメントを見る
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『ローマは一日にして成らず(下)』 塩野 七生 著 前巻に続く本巻ではローマの共和政の流れが書かれている。貴族派と民衆派に二分されたローマを襲うケルト族との戦いに始まり、復興を目指しゆっくりではあるが着実に力を付けてゆく姿、さらにローマ連合を作り南イタリアを統一するまでの苦難の道を描いている。 読み終えて感じることは著者と同じものであった。本書のテーマでもあるのだが、「なぜローマだけが、大を成すことができたのか」であった。あれだけ力を持っていたギリシアでさえ衰退してしまったのに、ローマだけが興隆していく様は不思議以外の何者でもなかった。 読み進めるとそれとなくその原因ではないかと思われるところもある。前巻でも挙げたものもあるが、ローマ人の宗教に対する寛容性や敗者をローマに内包してしまうシステム、独特の三権分立の政治システムもその一つとして考えられる。いずれにしても確信を持ってこれだと言えるものではない。 しかしながら私はこの先を読むことで抽出できる何かがあると考えている。今眼前にあるものはローマ人が興隆した原因の一部であることは間違いない。これらから、さらには読み進めて得る新たな事象から、一般化できるローマ人の興隆の秘密を探っていきたいと思う。 選択肢 投票 参考になった (0) どちらとも言えない (0) 参考にならない (0) 名前 コメント すべてのコメントを見る
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『ローマは一日にして成らず(上)』 塩野 七生 著 ローマ人の物語、二年半前の私なら確実に読んでいない本である。カタカナで並べられた活字を見ただけで嫌気がさす典型的な世界史嫌いであった。ゆえに世界史の知識は全くないに等しい。しかしながら最近、私は西洋画に興味を持ち始め、その絵が書かれた時代の様子や題材のルーツを知りたくなった。そのため、今回「ローマ人の物語」を読んでみようと思ったのである。 さて、読んでみての最初の感想は非常にわかり易いといったところである。予備知識が無くとも理解し読み進めることが出来るのでおもしろい。 本書ではローマがどのようにして誕生し、そして初期の七人の王政、さらにその王政後共和政となっていくローマの様子を周辺の動向とともに描いている。また、本書は著者が冒頭で述べているように「なぜローマ人だけが、あれだけ大を成すことができたのか」を見つけることを目的としており、著者と共にそれを考えるのも一つの楽しみである。この巻では宗教についてのローマ人とその他の民族との考え方の違いがその一つの例として私に題材を与えてくれたようだ。一神教と多神教の違いから生じる他者に対する寛容さの違いの話はとても興味深い。 早く次を読んで、ローマをもっと知りたいと思う。 選択肢 投票 参考になった (0) どちらとも言えない (0) 参考にならない (0) 名前 コメント すべてのコメントを見る