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レシプロ機の理論的限界スピードと実際の記録ホルダー機を教えてください。 プロペラ機の空中戦について教えてください。 「雷撃機」ってのは何でしょう カウルフラップってなんですか? 「液冷戦闘機は南方で著しく性能低下」ってたわごとですか? 一時期水上機が世界最速だった時代があるときいたのですが、それはいつ頃の話ですか? レシプロ戦闘機が音速超えるやつってホントに出来るの? 斜め銃というのはどの程度戦果を上げたのでしょうか? レシプロ機で疾風は小さなプロペラ、F4Uは大きなプロペラを使用しているが、こららの長所短所を教えてください。 戦後、空自はレシプロ戦闘機を装備することは無かったのでしょうか? レシプロ機とプロペラ機は別物なんですか? ガンカメラは第二次大戦ではどの国の機体にもついてたの? レシプロって何ですか? レシプロ戦闘機で現代の最先端技術を投入しても、レシプロである限り航空機としての性能は、大幅改善は望めないのでしょうか? AJ-2 サベージって何ですか? レシプロ機の速度記録って何キロなんでしょうか? WW2時の日本と独逸の戦闘機どっちが優れているって質問はどう答えるべきでしょう? 太平洋戦争中の水平爆撃を行う飛行機と急降下爆撃を行う戦闘機は、具体的にどのように違うのでしょうか? 連合国軍に双発の急降下爆撃機が少ないのはその代わりに優秀な戦闘爆撃機(P-47やタイフーン)があったからですか? レシプロ機のWEPってなんですか? Bf109とかスピットファイアは主脚が外側に収納されるようになっていますがどういうメリットがあるのでしょうか? レシプロ機ってどうやって推力を得るんですか? レシプロ戦闘機の同調機銃はエンジン回転数上げると発射速度もうp? レシプロ戦闘機で同調装置はフランスが先かドイツが先か 昔のレシプロ戦闘機って、機体重量に対してエンジンがものすごく重いのでは? 第1次中東戦争の映像で、スツーカのような機体が映っていたのですが、実際に使われたのですか? じいちゃんが航空機用のアルコールを飲んでいたと言ってましたが、体に害は無いのでしょうか? レシプロ戦闘機で、風防を開けたまま飛んだりするのはなぜですか? WW2のイタリア戦闘機は稼働率が悪いと聞くのですが、理由はなんなのでしょうか? 木製機は寿命が短い、という記載を見つけたのですが、第二次世界大戦の時点での木製・金属製飛行機の寿命って、各々どんくらいなんですか? 第二次世界大戦時の爆撃機に付いてる機銃の命中率は戦闘機のものと比較して1/7程度しかないと聞いたのですが、これは正しいのでしょうか? 第二次世界大戦中の戦闘機で、機銃は主に機首に積んだ物と、主翼に積んだ物等がありますが、命中性ではどちらが良かったのでしょうか? ヘリはトルクを打ち消すためにテールローターがありますが、単発レシプロ機にそのようなものは無いのでしょうか? ボイコ爆撃照準器って、どんなものでしょうか?搭載機は何か分かりますか? 何故、第二次世界大戦初期の戦闘機は武装が貧弱なのでしょうか? 斜め銃ですが、メリットは大きかったんでしょうか? 第二次世界大戦時の戦闘機の機銃の動力源に圧搾空気ボンベが積まれていますが、シロウトから見ると交戦時にそれが損傷したさいに爆発して機体が損傷する可能性を考えてしまいますが。 欧米の戦闘機は与圧キャビン持ってたのでしょうか? 第二次世界大戦中の戦闘機に射出座席あったの? ドイツ軍機にあるR仕様は機種別に用意されているのか 現在の技術でレシプロ戦闘機を作った場合、第2次大戦時の戦闘機の性能を上回れるものは作れるのでしょうか 第2次世界大戦の国籍マークについて疑問なんですが、何であんなにわかりやすくマーク描いちゃうんでしょう チップタンクを切り離さない戦闘機があったそうですが、格闘性能に支障はなかったのですか? 第二次世界大戦の飛行機のエンジン用バッテリーってどのようなものだったのでしょうか? 本の中で「レシプロ機」と書いてある飛行機は、すべてプロペラ機という解釈でいいのでしょうか? プロペラ機は、プロペラの先端に、黄色や赤の線を塗っているのはなぜでしょうか? ハインケルHe163での生産数と戦果を教えてください。 WW2で、戦闘機や攻撃機のパイロットは互いに無線で通信等を行っていたのでしょうか? 第二次世界大戦の艦上機と陸上機の差が良くわからん 昔は風防開けて脱出しますけど、その訓練ってするの? 大戦中、何故、イギリスやドイツは、日本やアメリカの様に航続距離の長い単発レシプロ戦闘機を開発しなかったのですか? 何で枢軸国は4発爆撃機が作れなかったんですか? 跳飛弾訓練とはどのような訓練なのでしょうか? プロペラとの同調機構付きの機関砲は難しいギミックに見えますが、なんでそんな面倒な事をしたんでしょうか? 戦後になって液冷のレシプロ機がほとんど消えてしまったのに、空冷の方はしぶとく生き残っています。この差は何なのでしょうか? レーダーや無線がまだ十分に発達していなかった頃、空母から飛び立った艦載機はどうやって戻ってきていたんでしょうか? 爆撃機のガンナ―にエースはいたの? ジェット機と違ってレシプロ機に双発戦闘機が少ないのはなぜ? 第二次世界大戦のころ航空機に搭載されたレーダーってどの程度役にたったんでしょう? 艦攻や艦爆も編隊を組んでたようですが、なぜでしょう? 単発のプロペラ戦闘機に推進式が使いにくかったのはよく分かりますが、複数発にも少ないのはどうしてでしょうか? レシプロ戦闘機で一番速いのは? 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしいですけどその他の飛行機は過給器の変速をするときにクラッチ操作というのしていましたか? 第二次大戦頃の戦闘機の風防って防弾ガラスなんでしょうか 第二次世界大戦の頃の戦闘機って離着陸に必要な距離ってどれくらいだったのでしょうか 同調式機関銃の歴史を教えてください 英軍機の胴体の符号について教えて下さい。 戦闘機の照準器は敵機の翼幅か何かを入力しておくと射撃ポイントを教えてくれるらしいが、どんな風な仕組なの? レシプロ機の最高速度はどうやって決まるの? 複葉機が軍用として最後に正式採用された国と機種名を教えていただけませんでしょうか? 密封式の風防は当初パイロットから嫌われてたそうですが、なぜでしょう? 「紅の豚」のワンシーンでの「豚が雲を引いた!」ってシーンですが、あれは飛行機雲とは違いますよね? プロペラ機のプロペラが扇風機の羽よりずっと細いのは何故なのでしょうか 疾風やP-51といったプロペラ機は後退翼にしても性能はあまり変わらないのでしょうか? WW2戦闘機は口径の違う機銃が二種類搭載と言うのが多いですがそれぞれどう使い分けられていたんですか? 4発爆撃機は12.7mmにも耐えるのか レシプロ機の理論的限界スピードと実際の記録ホルダー機を教えてください。 グラマンF8F改造エアレーサー Rare Bear 528.3mph(850.2Km/h);1989年8月21日@リノ・エアレース 理論上の最高速度はわかりません。 プロペラの回転速度と機体の飛行速度の合成速度が音速に達した時(衝撃波が発生した時)が限界です。 (19 らむ ◆26Am7uFo) ペラの対気速度が超音速になっても大丈夫なペラを作れば(むろん、それに見合った出力のエンジンも) レシプロ機でも超音速出せるそうです。某社のエンジニアから聞いた話。 4000~5000馬力だせるエンジンと各種最新技術で機体を作ったとし てだいたい数億円あれば歴史に名が残るらしいぞ( ・・)/ (19 932) プロペラ機の空中戦について教えてください。 例えば、双方とも10機ずつで遭遇した場合、お互いのターゲットは指揮官が指定するのですか? ミサイルのない時代でしたら、敵を先に発見し後方上空に 位置を占有した方が有利になります。 (27 一等自営業 ◆kawD31MU) 「雷撃機」ってのは何でしょう 魚雷を積んで敵艦のそばで投下して攻撃する飛行機。 日本海軍だと攻撃機といいますね。 代表としては1式陸攻とか97艦攻、外国だとアベンジャーにソードフィッシュ。 (32 469,バッチ3) カウルフラップってなんですか? レシプロエンジンのカウリングの後ろの方に付いているヒンジ付き扉状のもので、 飛行速度やエンジン出力に対して冷却空気の流入量を調整します。 (結果 抵抗の極小化にも役立っている) (42 176) 「液冷戦闘機は南方で著しく性能低下」ってたわごとですか? 史実がそれを証明していますよ スピットファイアなんかも性能が大幅に落ちています (45 37) 一時期水上機が世界最速だった時代があるときいたのですが、それはいつ頃の話ですか? フラップが開発される前の時代。(着陸速度が速すぎたので いくら着陸(水)距離が長くても安全な水上機で競った。 第一次大戦前から1930年代の話。 1913年に始まったシュナイダーカップが有名。 最速の水上機はイタリアのマッキMC72。二重反転プロペラで、 時速約709kmを記録。(1934年だったか?) (46 413) 水上機が初めて世界記録を出したのがシュナイダー杯レース用に作られた 1925年スーパーマリンS4の364.9km/hらしいです(不確実)。 最後は同じレース用に造られたマッキMC72で、 1939年にHe100V8に破られるまで最速でした。 1927年優勝のスーパーマリンS5の場合、最高速度が514.9km/hで 着水速度が144km/hとなっております。 (46 414,417) レシプロ戦闘機が音速超えるやつってホントに出来るの? 従来の形式のプロペラだと、先端付近が音速を超えると途端に効率が 悪くなるので、音速を超えることは出来ません。 但し、最近の研究で開発されたプロペラだと、先端部の効率を良くして いますので、音速を超えることは出来ます。 しかしながら、プロペラ機で音速を超えた機体はありません。 (47 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 斜め銃というのはどの程度戦果を上げたのでしょうか? 渡辺洋二の著作を読んでいただければ、詳しいことがお判りいただけると 思います。B-29の戦術もコロコロ変わっていますので。 (48 ふみ) レシプロ機で疾風は小さなプロペラ、F4Uは大きなプロペラを使用しているが、こららの長所短所を教えてください。 小さいプロペラは高回転用、大きいのは高トルク用となります 他に胴体直径が大きいとプロペラ後流の干渉を減らすため大径化します (48 214) 飛行機の脚回りは重いし、飛行中は役に立たない。ここがミソ。 疾風はもっと大きなプロペラでもよかったんだけど軽量化のために小径化している。 (プロペラ軽くしたいんじゃなくて脚を短くして軽くする。) 誉の性能もパイロットの技量もどっちも低下してたから、ちょうどよかったかも。 コルセアは逆ガル翼で脚を短くしたけど安定性低下してるね。 素直に脚を長くすると、重量が増すだけで無く主翼下面の脚収納用の切り欠きが大きくなって、離着陸性能が落ちる。 F8Fみたいな二段式にしてさらに重くなってしまう。 痛し痒し。 (48 217) 戦後、空自はレシプロ戦闘機を装備することは無かったのでしょうか? 航空自衛隊は発足した当時からF-86Fジェット戦闘機で装備を開始しています。 レシプロ戦闘機はまったく必要ありませんでした。 (48 名無し軍曹) レシプロ機とプロペラ機は別物なんですか? そうです。レシプロエンジンだとプロペラしかありませんが、 ジェットエンジンには ターボジェット・エンジン(排気推進) ターボファン・エンジン(排気推進) ターボプロップ・エンジン(プロペラ+排気推進) ターボシャフト・エンジン(プロペラ推進) なんつーものがあります。 (78 360) レシプロってのはエンジン形式で、プロペラってのは推進形式、って いえばいいのかなぁ。 レプシロエンジンってのはぶっちゃけ車のエンジンと同じくピストン 運動を回転運動にしてるタイプです。 ベアなんかはターボプロップというエンジンはタービンエンジン。 簡単にいっちまうとジェットエンジンと同じ仕組みで出力を得てます。 どちらも得られたパワーを「プロペラ」で推進力にしてれば、 プロペラ機となるわけです。 (78 361) レシプロ機とはレシプロエンジンで動く飛行機のこと。 レシプロエンジンというのは、燃料の爆発でピストンを動かしピストンの 往復運動でシャフトを回して動力を得るエンジンのこと(だから、”レシプロ” (往復の意味)エンジンという)。 プロペラがあってもターボプロップ機(ジェットエンジンの軸回転をプロペラに 繋げてプロペラを回す飛行機)のようにレシプロエンジンを動力に使っていない機体 もあるので、レシプロ機であることとプロペラ機であることは別物です。 Tu-95”ベア”はターボプロップ機ですよん。 二重反転プロペラ方式なのでプロペラは8組32枚もある・・・。 (78 362) レシプロエンジンを送風機に利用したジェットエンジンもある (78 388) ガンカメラは第二次大戦ではどの国の機体にもついてたの? 一応ドイツとイギリスも装備してましたよ。 日本軍は仰る通り訓練時位しかつけてませんがね 宣伝班にかめら付けて戦闘してくれと言われたパイロットは機銃を一丁降ろさなきゃならんので皆断ったとか (80 798) レシプロって何ですか? プロペラ機のことを指している様ですが、プロペラのプロと何か係わりがあるのですか? ピストンエンジンとか。 ちなみに、プロペラ機としては、ターボプロップ機も含まれますので、 実験機レベルでは音速越え果たした機体もあるようです。 (86 842) レシプロとは往復運動エンジンreciprocating engineの事を指しています。 ピストンの往復運動をクランクシャフトで回転運動に変えて(飛行機なら) プロペラを駆動するエンジンです。 つまり、ロータリーエンジンはレシプロとは呼びません。 (86 名無し軍曹) レシプロ戦闘機で現代の最先端技術を投入しても、レシプロである限り航空機としての性能は、大幅改善は望めないのでしょうか? 大戦末期にでた戦闘機(グラマンF8F)あたりでほぼ性能的限界に 達したとみていいと思います。 すくなくとも、現在の技術で作っても 大幅改善はないでしょう。 そうした戦闘機を現在の技術で改造してレースなどで使ってますが、 それでも850km/h程度が最高記録になっています。 いちおう「レシプロで音速を!」とがんばってる人たちがアメリカに いるようですが、どうなるか... (86 801) 望める!4輪車をたとえにすると、F-1の技術はもうすでに限界に来ている なんて毎年言われているけれども、それでも新機種にはタイヤやシャーシの 素材に新しい技術が投入され、コースタイムは確実に更新している。 レシプロもプロペラの形状やボディの形状、素材など技術更新する余地は たくさんあるはずなので、地道に開発を続けていけばP-51を大幅上回る性能の レシプロ機を開発することは可能だ。 けれどもジェットとレシプロには超えられない壁が存在するのも事実。 (86 803) F-1は、 大企業同士の対決が無い時期は進化スピードが停滞する。 規制の枠の中で2時間壊れなければ良い。 壊れても墜落しない。 という条件化での勝負です。 アマチュアリズムも長らく残っていたし、国家の存亡をかけた兵器開発競争とは大きく姿勢がかけ離れています。 だからこそ、進化の余地が大きいのです。 例えば航空業界から技術者が流入するまで、F-1の設計者は風胴実験でタイヤを回した方が正確なデータが取れることを知りませんでした。 F-1の進化を航空機に当てはめるのは全く的外れでしょう。 (86 823) 例えば複合素材で主翼や胴体を作り、最新技術でエンジンをチューンし、 フライバイワイヤなどの技術を取り入れ、二次大戦レベルを超えるレシプロ 戦闘機を作る事は可能だと思う。 でもそれは二次大戦があと2年続いた場合に出てくるレシプロ機と同等ぐらい の進化の度合いじゃないかな?飛躍的に性能が向上する訳では無い。 レシプロ/プロペラ、という枠の中での性能向上はかなり厳しい限界が有り、 二次大戦当時の技術でもその枠のほとんどの部分を使い切っていたから。 恐らく素材技術の向上で重量/出力比は大きく向上すると思うし、結果的に 旋回率や上昇率は伸びるだろうけど、二次大戦機から現代の超音速ジェット 戦闘機が伸びた性能向上に比べたら、誤差みたいな微々たるもんだと思われ。 (86 825) 825 あなたと全く同意見のつもりで書いたのですが誤解されたようですね。 わたしの言いたかった事は: 1技術開発が現代まで続けば、仮に大戦が2年続いてさらなる性能のレシプロ機 が大戦時に登場するとしても、それらを遥かに凌駕する性能のハイテクレシプロ機 は登場するはず(根拠:素材、機体のシミュレーション技術基盤が大戦時と今とでは雲泥の差) 2しかし所詮レシプロ同士という枠での話し、現代のジェット機に匹敵するには及ばない (86 826) AJ-2 サベージって何ですか? 米海軍が核攻撃用に開発したレシプロ双発(+補助ジェット1基)攻撃機です 実際には空中給油母機として使用されました (87 355) 艦上攻撃機です。時はまさに戦後&核装備時代。 空軍は核兵器搭載戦略爆撃機で時代の流れに乗りましたが、海軍は出遅れていました。 当時の核兵器はあまりに重くで、艦載機への搭載が出来なかったのです。 「第三次世界大戦は核戦争に決まっている!このままでは海軍の空母は 役立たずだと思われてしまう!」 といういささか政治的に近いイッちゃった危惧がありまして、なんとかして自慢の 空母部隊に核搭載機を搭載し、核攻撃能力を持たなければなりませんでした。 というわけで核を搭載するための艦載機AJ-2 Savageが登場するわけです。 いやあんまりに大きすぎて、恒常的には空母運用できなかったんですけど。 (87 357) その後、核弾頭の小型化技術が確立し、コンパクトな核兵器が作れるようになりました。 後には一人二人で扱える核迫撃砲なんてアホなしろものまで出てくる始末。 そうしてAJ-2 Savageは時代のあだ花としてさっさと姿を消しましたとさ。 空対空核ロケット装備のF-101 VOODOOや尻から核爆弾を落っことすA-5A Vigilanteとか、 核兵器時代にはいろいろけったいな機体が出没しますねえ。 (87 359) レシプロ機の速度記録って何キロなんでしょうか? レシプロ機に関しては 528.3mph(850.2km/h)です。1989年樹立。 レコードホルダーはF8F改造レーサーの「レアベア」です。 (90 102) みんな、釣りと思って回答しないのかな 1,レシプロ機 レア・ベア(R-2800をR-3350 に換装、4,000hp オーバー)が 1989 年8月21日に528.33mph(850.19Km/h)を記録 2,ジェット機 SR-71が保持しておったはずだがちょっと資料が見当たらない 兄弟機YF-12Aが1965年5月1日、時速3332km(マッハ2.72)を 出しているが80年代になって更新したと思う (90 104) ご指摘通り、SR-71の最高速度は1974年9月1日、SR-71A #61-17972 によって3529km/hに書き換えられています。 (90 system) 蛇足だがロケット機なら、1967年10月3日にX-15Aがマッハ6.70を出している。 (90 113) WW2時の日本と独逸の戦闘機どっちが優れているって質問はどう答えるべきでしょう? KILLレートが仮に 日本戦闘機2に対し米戦闘機1の被害 米戦闘機2に対し独逸戦闘機1の被害 だとした場合でもKILLレートが 日本戦闘機4に対し独逸戦闘機1の被害には、ならん罠 独逸戦闘機は日本戦闘機より必ず強いとは言えん罠 パイロットの腕、部隊運用の仕方による差も現れる悪寒 野球のように苦手な相手と得意な相手がいるということもある罠 (91 844) 太平洋方面では、液冷戦闘機の性能がガタ落ちになったと言われています。 冷却液の品質保持の難しさが原因とされています。 (それ以上の詳細な資料は見たことがありません。) その他、管制や索敵の状況も異なります。 燃料の品質保全も難しかったでしょう。 従って、戦った場所が違う、AvsBとBvsCの結果を元にAvsCの結果など出せません。 兵器は単体の性能だけで戦争する訳では無いので、実戦結果からそれぞれの強弱を調べる なんて、無意味です。 (91 844) 太平洋戦争中の水平爆撃を行う飛行機と急降下爆撃を行う戦闘機は、具体的にどのように違うのでしょうか? キーワードは「機体強度」「ダイブブレーキ」「爆撃照準機」この三つだ!! (93 360) 急降下爆撃機というのは、爆弾の命中率を高めるために、 70度前後の急角度で降下しながら爆弾を投下できるように設計された爆撃機です。 普通の飛行機で、こんな急角度で長時間の降下を行うと、速度が出すぎて引き起こせなくなってしまい、 地面まで降下してしまうので、速度を適当に抑えるためのダイブ・ブレーキという装置 (現代の軍用機が備えているエア・ブレーキと原理は同じ)が付いています。 それから、胴体下に爆弾を吊すタイプだと、 投下した爆弾が自分のプロペラに命中してしまう可能性があるので、 爆弾をプロペラの回転圏外まで蹴り出す装置も付いています。 (93 361) 連合国軍に双発の急降下爆撃機が少ないのはその代わりに優秀な戦闘爆撃機(P-47やタイフーン)があったからですか? その通りです。 無理に双発爆撃機で急降下爆撃する必要性が無いからです。 双発機で急降下爆撃する事は非常に危険ですから。 双発機を急降下爆撃に使った国も単発機のようなキツい急降下をした訳じゃありません。 単純に危険とかそう言う単一の理由では無いと思います。 特にアメリカの場合、爆撃照準器を性能向上させて、速度と防御を兼ね備えた大型機で水平爆撃する技術の研究に熱心だったようです。 単発機もロケット攻撃を多用してます。 陸軍は急降下爆撃自体、あまり熱心で無かったように見受けられます。 (93 559) レシプロ機のWEPってなんですか? Wartime Emergency Powerの略で、エンジン にダメージを与える代わりに数分間、定格最大出力を超えた出力を発生させる 仕組み。方法としては燃焼室に燃料に混ぜて水なんかを吹き込んで燃焼圧力 を高めたり、過給圧を高めたり。P-51なんかには実際についてた。 (99 303) Bf109とかスピットファイアは主脚が外側に収納されるようになっていますがどういうメリットがあるのでしょうか? うる覚えでつが、 1. 胴体に一番力の掛かる主脚の支持点が付けられるので、主翼に極端な強度 (つまり強度を与える=重くなる)を持たせる必要がない。 2. 胴体に脚の引込機構を全て持てるので、余計な配線・配管を主翼にする必要 がない。 3. 生産の際、こういった取付作業が主翼取付前でも出来るので、流れ作業上の 生産性が上がる。 確かこんな感じではなかったか、と。 (100 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 眠い人氏の蛇足ですが、 Bf109は機体を軽く設計するために、胴体部のエンジン架に主脚を取り付けることで 構造の単純化と重量減を狙った設計でした。 しかし、この方法では脚と脚の間のトレッドが狭くなってしまい、トレッドを確保するために Bf109では正面から見て主脚が外側にかなり開いている上に長くなっています。 この結果、着陸時の主脚破損事故が非常に多い機体になってしまいました。 スピットファイアも着陸時の翼に対する圧力を減らすために主脚構造部を 胴体に近い位置に取り付けてあります。実はトレッド幅はBf109より狭かったのですが、 脚支柱が地面に対して垂直になるように設計されており、なおかつ短いので 主脚に関するトラブルはBf109より少なかったようです。 (100 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) レシプロ機ってどうやって推力を得るんですか? レシプロ機はプロペラ回して推力を得ます。 ジェット機はジェットエンジンの推進力で推力を得ます。 (105 609) レシプロ戦闘機の同調機銃はエンジン回転数上げると発射速度もうp? 違う。 要するに銃口の前にペラがきたときに発射を止める装置だから、発射速度は変わらない。 (108 691) レシプロ戦闘機で同調装置はフランスが先かドイツが先か ドイツ (108 609) 何に搭載されたか教えてください ドイツのフォッカーE.Ⅰが同調式機関銃を本格的に搭載した最初の機体だったと思います。 同調式機関銃が登場するまでは、上記のようにプロペラに防弾鋼板を取り付けたり、 弾丸をうまく跳ね返すように樋のようなパーツを取り付けたりしていました。 また、プロペラの回転半径の外から射撃するために複葉の上の翼にレールを取り付けて 機銃を据え付けたり、イギリスでは「プッシャー式」といってコックピットの後方に エンジンとプロペラを取り付け、前方に機銃を置く機体形式が一般的でした。 しかし、いずれの方法も根本的な解決にはなりませんでした。 この問題を解決すべくドイツ軍ではオランダ人の飛行機技術者アントニー・フォッカーに 同調装置とそれを搭載する戦闘機の開発を依頼します。フォッカーはこれに応えて シュパンダウ7.7mm機銃をプロペラと同調させる装置を組み込んだフォッカーE-1を 1915年に開発しました。 この機体はその装置と機動性を優先させた単葉式のスタイル・さらに高名な マックス・インメルマン中尉のようなパイロットに恵まれたこともあって多くの連合軍 戦闘機を撃墜し、連合軍はこれを”フォッカーの懲罰”と呼んだほどでした。 1916年になってようやく墜落した機体の調査から同調装置の存在を知った連合軍でも 同調装置付きの機体が多数就役することになります。 (108 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 昔のレシプロ戦闘機って、機体重量に対してエンジンがものすごく重いのでは? 栄エンジンは700kg前後 21型の自重は1680kg,全備重量で2410 簡単でスマソ (112 55) エンジンが重いんじゃない。お尻が軽いんだよ。 レシプロ戦闘機の胴体後半はほとんどがらんどう。 中に人間を何人も乗せて運んだなんて話もあるくらい。 重心が後ろよりになって飛びにくかったろうけどね。 (112 56) 零戦で、栄が乾燥重量530kgで自重1.8t程、比率にして30%程度 F-15で、F100が1.3t*2で運用自重13t程、比率にして20%程度 (思ってたほどの差でも無いな・・) 主翼の位置に関しては、重心位置で決まってくるのでエンジン位置による物が大きい。 (尾翼形式とかRSSとか副次的な要因もあるが) あと、液冷が鼻が長く見えるのはエンジン長が長い為、エンジン自体は液冷の方が重くなる。 (マーリンで型によって違うが650~800kgくらい) 主翼との位置関係は基本的に同じ。 (112 57) 第1次中東戦争の映像で、スツーカのような機体が映っていたのですが、実際に使われたのですか? 尋ねのスツーカについては分かりませんが、 たしかチェコ製のメッサーシュミットBf109Gは使用していたと思います。 当時、WWⅡの余剰兵器はドイツ製、連合国製を問わず チェコルートでかなりイスラエルに流入したようです。 (115 450) 色んな国が、中東諸国に第二次大戦で余った武器を売却しています。 主に、ドイツの兵器はチェコスロヴァキア、ルーマニア、ブルガリアが売却しています。 例えば、シリアは、東欧諸国から4号戦車や4号駆逐戦車を購入していますし、 イスラエルはチェコスロヴァキアから、第二次大戦中のBf-109G-14をチェコで ライセンス生産したけれど、エンジンが無かったので手近にあった爆撃機用のJumo210を搭載した C.199、C.S.199戦闘機を購入しています。 また、チェコからは同国で使用していたSpitfire戦闘機もイスラエルは購入しています。 ちなみに、イスラエルは爆撃機としてB-17を3機入手しますが、 これは映画撮影用にと借り受けたものをそのままトンズラこいたものです。 Spitfireは、エジプトでも使用していましたので、同じ機体が戦った訳です。 エジプトは基本的に英国軍装備で、各種英国製戦車、航空機を持っていました。 また、イタリアからは、Fiat G.59戦闘練習機(G.55のRRエンジン搭載型)、 Macchi C.205Vなども入手しています。 (115 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 実のところ、イスラエル建国時には国軍というものが存在しなかったんですよ… とはいえアラブ諸国との対決が間近に迫っていましたから、 武装組織ハガナーを母体に軍隊を作ることになったんですが、 旧宗主国の英国からはハガナーは非合法組織として取り締まりの対象になってましたので、 ろくな武器を揃えることができませんでした。 1948年の時点で、どうにか兵員は9個旅団を動員できたんですが、その武器といえば、 小銃…10000丁、短機関銃…3500丁、76.2ミリ迫撃砲…26門、50ミリ迫撃砲…672門 これだけでした。あとは手製の火炎瓶とか。 んで、これじゃまともに戦えねーYO! ということで、イスラエル側は豊富なユダヤマネーを駆使して、 欧州のあちこちの国から大戦終了で余った武器を買い漁ります。 モーゼルライフル、MP40、MG34、ブレンガン、PIATなど、 元は連合軍、枢軸軍を問わず数多くの武器が持ち込まれました。 また近代戦には航空戦力が必須ですが、 開戦当時イスラエルにはC47輸送機と旅客機2機程度しかなく、 これまた急いでチェコからS199を11機、スピットファイアを50機、 他にもマスタングを4機、モスキート9機、B-17 3機を買い付けています。 あとは不名誉な手段なんですが… 英国からボーファイター5機を映画撮影の為と言って借り逃げしたり、 駐留していた英軍からシャーマン戦車を色仕掛けで盗み出したり。必死だな(藁 まあそんなこんなで、イスラエルは第一次休戦まで持ちこたえ、 時を同じくしてIDF(イスラエル国防軍)が組織され、国防は一本化されました。 貴重な時間を有効に活かし、さらに近代兵器を増強したイスラエル軍に対し、 もはやアラブ連合軍は抵抗することはできず、事態は終戦へと向かいましたとさ。 (115 イスラエル国防相 ◆3RWR.afkME) イスラエル国防相氏じゃないけど、S.199については、 イスラエルは結構運用に苦労したみたいですね。 元々工作の程度が良くなかった上に低性能だったので…。 あと、Spitfireに関しては、チェコから購入する前は、不時着機の修理とか、 廃棄された機体からでっち上げたとか、そんなこんなで3機は再生しています。 だから、腕が悪い訳ではないと思いますよ。 (115 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 借り逃げしたボーファイターも共食い整備をしたにもかかわらず、 三ヶ月ほどでパーツ不足のために飛べなくなっています。 B-17は最初は爆撃照準器や銃塔が取り外された状態で、かき集めたパーツを 取り付けながらなんとか終戦までにそれぞれ40回程度の出撃を行ったようです。 (115 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 他にも、 機械部品と偽ってボーイング・ステアマンPT-17カイデット練習機を20機買ったり、 (後に禁輸解禁後に更に30機購入) B-17も民間で使うからと言って、南米へ向かう振りをして大西洋を横断、 チェコで修理と補給しての密輸だな。 また、ハガナがビーチクラフト・ボナンザ、ドラゴン・ラピード各1機、 開戦時に保有していたようだ。ボナンザは戦争中に更に2機購入。 (115 イラン国防相 ◆2ahDXUlKbw) じいちゃんが航空機用のアルコールを飲んでいたと言ってましたが、体に害は無いのでしょうか? 過去航空機の燃料や出力増強・冷却用に使われたアルコールには、メタノールとエタノールがあります。 そしてどちらも飲まれていた様です。 メタノールは有毒であり、その為に失明・絶命といった事例が多数有ります。 (119 415) 当時の航空計器にはエチル・アルコールを充填する必要がある物があり、 そのため、整備部隊にはエタノールが常備されていた。 飛行機を失った南方の基地では、それを水で割ってから野生のレモンを絞って 酒代わりに飲んだ話もあるよ。 (119 418) レシプロ戦闘機で、風防を開けたまま飛んだりするのはなぜですか? 視界確保がまず一つと、経験的に流れ込んでくる風の風圧によって 自機の速度を感じることが出来たから・・・らすぃ。 (120 379) WW2のイタリア戦闘機は稼働率が悪いと聞くのですが、理由はなんなのでしょうか? 技術的に背伸びしてライセンス生産の液冷エンジンを積んでたからじゃない? 液冷も不完全なコピーも稼働率を考えるとあまりよろしくない。 (124 89) 木製機は寿命が短い、という記載を見つけたのですが、第二次世界大戦の時点での木製・金属製飛行機の寿命って、各々どんくらいなんですか? 木製機の寿命は、手入れと管理によりけり。 ソ連のような、朝昼、夏冬の寒暖の差、湿度の差が激しいところでは、合板は早急に劣化します。 日本だって、合板を外に出しておけば、数年でグズグズになりますよね。 アレと同じです。腐朽や接着剤の劣化などが原因です。 逆に、ソ連とは違って、湿度が少なく、気候の安定した土地なら、長持ちします。 ガレージや博物館の倉庫のようなところに入れておくなら、相当長持ちします。 博物館で管理された第一次世界大戦時の木製戦闘機の一部は、現在でも飛行可能です。 これは手入れと管理がいいからです。 金属戦闘機も同じです。手入れと管理次第です。 木製よりは管理しやすいでしょうが、アルミ合金の一部は、酸化などにより経年劣化しますので、くわしく「何年は大丈夫」と いうのは算出できません。 反対に、第二次世界大戦中、あるイギリスの将校は、車でも洗うように、自分の愛機の木製機に毎日水をかけて洗っていたため、 半年程度で機体にガタが出てしまった、なんて話も聞いたことがあります。 (初心者スレ495 76) 第二次世界大戦時の爆撃機に付いてる機銃の命中率は戦闘機のものと比較して1/7程度しかないと聞いたのですが、これは正しいのでしょうか? だとしたら何でこんなに差が出るのでしょうか? もっと低いはず。 高速で動いてるもの相手に(たとえ電動でも)あの程度の速度でしか旋回、上下動しない機銃が 追随出来るわけなかろ。 それでも結構当たってはいたみたいだけどね。 (496 224) 機銃座からの射撃だと三次元機動する戦闘機の見越し角の計算や予測は難しい。 現代のレーダー測距+見越し角計算コンピューターを備えた機関砲でも中々当たらない。 ましてや人間の手による射撃がどうであるかは予想に難くあるまい。 戦闘機の方は自分から動いて撃ち易い位置取りが出来る分だけ予測も楽。 それと、戦闘機の射撃は外れようが無いくらい近づいてから撃つ事が推奨されてる。 「照準機から敵機がはみ出るくらい近付いてから撃て」ってエースパイロットの言葉があるくらいだ。 爆撃機にそれを望むのは無理だろう。 そんな射撃が出来る時には、既に戦闘機の機銃が火を噴いてる。 それでも機銃座の火線は避け、対空砲火の薄い所から攻撃するものだけどな。 (496 225) 第二次世界大戦中の戦闘機で、機銃は主に機首に積んだ物と、主翼に積んだ物等がありますが、命中性ではどちらが良かったのでしょうか? 機首です。 機首にも性能上スペース制約があってとか 単発のフロントエンジンの場合、主にはエンジンと兼ね合いが。 それをクリアするために、プロペラの主軸に内蔵したモーターカノン等はありますが、技術的には無理が多いです。 口径の小さなものならいいのですが。 又、主翼銃の弾道は平行にそのままだったのか、どこか一点に指向されていたのでしょうか? 集約です。 設計段階から決まっていたのか、現地で調整していたのか? 機銃固有の射程距離に応じた集弾距離が設定されています。 現場でも試射しながら調整します。 (519 357) ヘリはトルクを打ち消すためにテールローターがありますが、単発レシプロ機にそのようなものは無いのでしょうか? 大馬力のレシプロ戦闘機は右旋回と左旋回とかでは操縦性に違いとかないのでしょうか? ちゃんとある>単発機のトルク偏差 基本的には垂直安定板(垂直尾翼)をあらかじめ偏らせた設計にしてトルクを補正できるようにしてある。 あえてまっすぐ飛ばない用にして、エンジンの発生させるトルクでプラマイゼロになるようにしてあるわけだ。 もう一つ、エンジンの取りつけ角度そのものが最初からずらしてある、という方式もある。 考え方としては上と一緒。 エンジンを真芯にマウントするとエンジントルクで曲がっちゃうなら、最初からトルクの分だけマウントを真芯からずらせばいい。 操縦時のトルクから来る操縦偏差は、これも舵をずらすことで対応した。 同じ操縦桿やフットペダルの入れ方しても右回転させると左回転よりも過剰に回転するなら、その分だけ右に回転し辛くするように 舵を調節しておけばいい。 (352 354) ボイコ爆撃照準器って、どんなものでしょうか?搭載機は何か分かりますか? ボイコではなく、ボイコフです。オーストリア・ゲルツ社のボイコフ爆撃照準器で、日本ではこれを改造した90式照準器が作られ、 一式陸攻などにに搭載されていました。 ttp //www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/jnrs/jnrs4.htm (351 40) ttp //sv06.wadax.ne.jp/~gunsight-jp/b/1/sight-n.htm 此処に国産化型の九○式爆撃照準器が掲載されています。 ボイコーが第一次世界大戦中に発明し、ゲルツ社と共同開発したものです。 1927年に購入し、「ボイコフ式莫逆照準器」として制式化されたものです。 遠近全同調式、気泡水準器利用で、本体重量9.6kgです。 多分、九四式爆撃機辺りに装備されているのではないか、と思いますが、 装備機までは分かりかねます。 仕組みは、長い望遠鏡の先端にプリズムを置き、傾きを棹で調整、その角度を 目盛板で読みます。 望遠鏡の中には水準器があって、気泡の周囲が黒色の円に見えるように なっており、照準中はこの黒色円を視界の中心に来るように望遠鏡を垂直に 保ちます。 また、視界を左右に変えるように、望遠鏡を垂直軸の周りに回すと、電気抵抗 の変化を関知し、操縦士正面の電流計に現れ、その指針の位置を見て、操縦 士が目標に機首を向ける仕組みになっていました。 (351 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 何故、第二次世界大戦初期の戦闘機は武装が貧弱なのでしょうか? 戦前の戦闘機の技術レベルだと、あまり大きな馬力のエンジンが開発できてなかったので 飛行機としての性能をちゃんと確保したいならあまり重い武器が積めない。 だから単発の戦闘機では積める武装に限度があった。 で、これを何とかするために各国で開発されたのが「双発戦闘機」で、要はエンジン2つ 積めば馬力2倍だから重武装と基本性能を両立させられるだろ、というコンセプト。 実際は「確かに馬力は倍になったが機体が大きくなった分、機体自体が重くなったのでさらに 重武装させたら鈍重になった」のは良く知られている通り。 航空機の技術が日進月歩で進歩して、馬力のでかいエンジンが開発できるようになったため、 単発式でも重武装と基本性能が両立させられるようになり、P-47とかの大型戦闘機が続々 開発される。 他に、撃たれる側にも防弾装甲や自動防漏タンクが装備されてない物が多い、というのもある。 例えばバトル・オブ・ブリテンの頃の戦闘機は、英独双方共に防弾対策が不十分。 それよりも、戦争中期以降も、軽武装機を使い続けた某国の方が問題だと思うぞ。 44年に、12.7㎜機銃二丁の戦闘機を主力で使い続けてたんだから。 (546 189-191) 斜め銃ですが、メリットは大きかったんでしょうか? 爆撃機を撃墜するのに正面から迫ったのでは一瞬しか弾幕を浴びせられない 後方から迫り射撃するという戦法は、敵が爆撃機の後部銃座を強力にしてきたので難しくなった となると比較的武装の薄い胴体下部を狙えばいいのではないかという案が提出される その戦法は機体下部にもぐって機首上げ姿勢のまま上昇し射撃するのだが、射撃のチャンスはほぼ一瞬であり弾幕を集中させにくい その解決策として編み出されたのが斜め機銃(ドイツでいうシュレーゲ・ムジーク)だった 敵機の下方に位置し同速度、同方向に飛行すれば斜め機銃の銃口は同一の方向を向くので無修正のまま射撃が可能になる しかも変則装備法であるので敵機に対するインパクトも大きい ちなみに斜め銃というアイデア自体は第一次世界大戦中も存在した (568 676) 第二次世界大戦時の戦闘機の機銃の動力源に圧搾空気ボンベが積まれていますが、シロウトから見ると交戦時にそれが損傷したさいに爆発して機体が損傷する可能性を考えてしまいますが。 実際あると思います。AKUのボンベが暴発して負傷するコトがあるくらいですから大型の機関銃なら尚更です。 (4 112) 欧米の戦闘機は与圧キャビン持ってたのでしょうか? 4,000メートル以上の高度で高山病の症状が出ないもんですか? 欧米でも与圧キャビンを持ってるのは爆撃機くらいのものですよ。 基本的に座ったまますべてをこなす機体は酸素ボンベ+酸素マスク 長距離飛行などでパイロットなどが交代しながら飛行する機体は与圧キャビンと 考えた方がいいとおもう。 (341 239) 当時の零戦などの巡航高度は2000m程です。 (341 239,241) 英国の場合、Ju-86P/RとHs-130対策で、SpitfireもMk.VIとMk.VIIで与圧室を設けています。 しかし、実用化された時点で、既にJu-86やHs-130は来なくなったので肩透かし。 そのエアフレームを利用したのが、MkIXでこれが大量生産されていたり。 このほかに、専用高々度戦闘機で開発されていたのが、Vickers432とWestland Welkin。 前者は不採用となり、後者が試作に勝って67機が量産されましたが、これまた、高々度爆撃機 の悪夢は無くなったので量産は中止されています。 ソ連も同じく、Ju-86P/R対策でPetlyakov Pe-2の原型であるVI-100を1938年に開発しています。 こちらは、排気タービンの不調でそれを外して、急降下爆撃機になりました。 ドイツはBf-190G-0~G-3が与圧キャビン付き。 これも、生産が面倒くさいので、結局それを外して、量産に適した形にしたのがG-6。 イタリア、フランスの戦闘機は実用化されず。 米国はP-38の増加試作機の1機が与圧キャビンを付けて飛行しています。 これがXP-38Aで続いて量産型B型、C型が計画されましたが、結局これらは試作のみで、 実際の量産型はP-38Dで与圧キャビンは取り払われました。 その後同じくLockheedが試作でP-49を製作しますがエンジンの問題で断念。 更に、これを元にP-58を開発しますが、重量増で試作すら断念。 Curtissの単発戦闘機P-62も与圧室付きで生産が予定されましたが、Curtissの既存機種 (P-47G)の量産を妨げないように、試作で打切りになりました。 (341 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第二次世界大戦中の戦闘機に射出座席あったの? 基本的に自力で脱出する。 大戦機で射出座席を装備したのはドイツの夜間戦闘機He219ウーフーくらい。 He162も射出座席は装備してるんで、ウーフーくらいってことはないわな。 伝説的な駄作機のポールトン=ボール・デファイアントなんかは、後部銃座の射手は背面飛行状態で 銃座の天井をはずさないと脱出できない構造だったとか。 他の人も書いてるように脱出時に尾翼にぶつかったり、きりもみ状態だと見当識の喪失や回転に よって生じるGで脱出できない状態になることもしばしばだった。 さらには衣服がコックピット内の部品にひっかかったり、パラシュートを早く開きすぎて機体に からまりもろともに墜落なんてこともあった。 こういう問題を解消して安全に脱出するためにエジェクションシートが開発された。 (339 698-700) ドイツ軍機にあるR仕様は機種別に用意されているのか 型別(me109で言うA.B.C.D.E....)別なのか 更に細かい分類である(me109Gで言うG1.G2.G3....)の1つ1つに用意されているのか この3種の中で正しいのは一体どれなのでしょうか? R仕様は現地改修キット、U仕様は工場改修キット 両方とも機種とは無関係に定められているが車でいえばR仕様はディーラーオプションみたいなもんで 多彩なのは当たり前 しかも戦中に何度か(記憶では2回)仕様の定義(内容)が改められているので、どの時点のR仕様の 解説かで内容が異なってくるのも当然だ。まぁ「どの時点の話か」を明記すべきだろうとは思うが で、R仕様の内容を時期的にも戦線での使用状況も明確に解説したサイトや本は日本語英語含めて存在 しないと思う R仕様がやたら多く登場するFW190系の本の中に割と詳し目な記載があるもんもある 改修数が多いR仕様がU仕様に繰り上がる、なんてのは随時あって、定義変更は その辺を整理しなおして集大成したもんだ ま、あまりにもややこしくなってドイツ人たちも混乱したもんだから最終的には RもUもSに統一されちゃうわけだが (584 225,236) 現在の技術でレシプロ戦闘機を作った場合、第2次大戦時の戦闘機の性能を上回れるものは作れるのでしょうか 現在はレシプロエンジンの戦闘機が無いので何とも言えませんけど、 当時のフォーミュラー・レーサーと、 現代のフォーミュラー・レーサーの馬力を比較してみれば想像が付くんでは。 ちなみに、現代最強レベルのレシプロエンジンである MotoGPマシンのエンジン出力は約1000CCの排気量で約200馬力をマークします。 当時のレシプロ戦闘機は水平飛行では音速の壁には達していません。 700km/hをすこし超えたくらいです。 今の技術で作れば800km/h程度は出せます。 またパワーウエイトも高く出来るので加速もよくなりますし、スラットやフラップによる旋回性能の向上も行われています。 最新の技術を投入すれば当時の戦闘機を圧倒することでしょう。 (334 504,511) 第2次世界大戦の国籍マークについて疑問なんですが、何であんなにわかりやすくマーク描いちゃうんでしょう DB601のライセンスを別々に取ったってんでヒトラーに 「陸軍と海軍は敵同士かね」とまで言われたほどの某軍は 海軍では国マーク描いてたのに陸軍では意地はって描かなかったので 海軍機と陸軍機で格闘戦始まったこともある それ以来こりゃマズいってことで陸軍でも国マーク描くようになった 逆に言えば、大きく国籍マークを描いておかないと味方に撃たれる。 特に、地上から対空射撃の的にされてしまう。 連合軍はノルマンディ上陸作戦の時にはわざわざ白黒の縞模様 (インヴェィジョンストライプ、侵攻縞と呼ぶ)まで描いて 誤射に備えた。 ドイツの防空戦闘機には味方の対空砲に撃たれないように機体下面 の全面に紅白のストライプを描いた機があったりする。 ただ国籍マークは特徴的なだけに「見えたからこそ間違えた」という ことも起きる。 太平洋戦域では日本軍と間違えられるのでアメリカやイギリスの機は 国籍マークから赤い丸を抜いていたりした。 (333 733,734) チップタンクを切り離さない戦闘機があったそうですが、格闘性能に支障はなかったのですか? 世界の傑作機「F9F」を古書店で探して読め 事例が特殊すぎて一般化は無理 簡単にいうと飛行の際はチップタンクの燃料から消費していくので 戦場についたころにはタンクは空になっているはずだ もっとも、燃料タンクで一番危険なのは液体の燃料がなく、ガスに なった分だけが残っているという状況なのだがね (321 623) 第二次世界大戦の飛行機のエンジン用バッテリーってどのようなものだったのでしょうか? エンジンにBatteryと言うと、始動用のものを想定されているのかもしれませんが、 例えば、日本の発動機は手動もしくは外部から駆動することでスタートさせるもので、 電気を用いている訳ではありません。 また、英国のRollsRoyce発動機は、発動機横にエナーシャ棒を突っ込んでその回転 で始動させたり、もしくは圧搾空気を各気筒に送って、ピストンを動かして駆動させる形に なります。 エンジンが動き出せば、ダイナモ発電機が駆動しますので、それで点火などの一連の 作業を行うことが出来ます。 末期の米国製大馬力発動機(R-3350)なんかでは、補助動力装置(自動車のエンジン みたいなもの)が搭載され、それを駆動することで点火を行っていますし、バッテリーも 搭載されていたか、と。 勿論、無電機などを動かすための電気系統を持っていますので、蓄電池は持っていま すが、これは始動に使っているものではなく、プロペラの回転でダイナモを回して得た 電気を貯める場合に用いたりもしています。 当時のバッテリーは飛行姿勢の変化で液漏れをしない工夫がされていたんでしょうか? 手元の資料に、Dagenite社(Rolls-Royce Silver Ghostなんかに搭載されていたバッテリーメーカー)の 1930年代後半の広告があるのですが、バッテリーにNon-AerobaticとAerobaticの2種類が掲載されています。 Non-Aerobaticの方は、普通の車に見られるような横置きで、上に液の補充口があるのですが、Aerobatic の方は、密閉ケースに縦に置いて、底部に木の板があり、底板から金属棒を延ばし、延長線上に水平に金属棒を 通してナットで固定して、密閉ケースの周囲を締め付けるようになっていますね。 図にすると↓な感じの枠があり、これで□部分にバッテリーを入れている感じ。 + + | 金属棒↓ | +-----------------+ ←頂部をボルトとナットで固定 | | | | | | | ← 金属棒 | ← 金属棒 | | | | | | ○ ○ ←ここで固定(フック引っかけ) .-+-----------------+--- ← 木の板 (320 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 本の中で「レシプロ機」と書いてある飛行機は、すべてプロペラ機という解釈でいいのでしょうか? レシプロ機ってのは、要するに、ピストンエンジンを装備した機体のことだ プロペラ機には、レシプロ機のほかに、ターボプロップ機もある あと、レシプロのヘリコプターもあるな ターボプロップは、(ものすごく乱暴な言い方をすれば)ジェットエンジンにプロペラをつけたようなものだ (俺初質スレ431 246) ライト兄弟の時代から、20世紀の中頃までは、プロペラ機といえばレシプロだった というか、ジェットエンジンの発明が1930年代末で、派生品のターボプロップは、 1940年代中頃にならないと登場しない 今のプロペラ機は、自家用の小型機などを除いて、ほとんどがターボプロップだな C-130も、ターボプロップだ ちなみに、レシプロエンジンと書くと何だか偉そうだが、要するに車などに使われている、 普通のガソリンエンジンやディーゼルエンジンと、基本的な原理は一緒だ (俺初質スレ431 249) プロペラ機は、プロペラの先端に、黄色や赤の線を塗っているのはなぜでしょうか? 回転してるとペラの回転範囲がわかりにくくて危ないでしょ? 注意or危険を促す彩色です。 (自衛隊板初質スレ45 931) ハインケルHe163での生産数と戦果を教えてください。 とりあえず、終戦までに約160~240機が完成済みで800機近くの組み立て前機体が生産されていたとか。 戦果に関しては、唯一の実戦部隊であるJG1の第Ⅰ飛行隊で敗戦までにイギリス空軍機2機の撃墜を 記録したとされています。 ただしこれは連合国側の記録と合致していないとも言われていますが。 He162のパイロットとしては、130機撃墜のJG1司令官ヘルベルト・イーレフェルト大佐が有名。 (311 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) WW2で、戦闘機や攻撃機のパイロットは互いに無線で通信等を行っていたのでしょうか? 米軍や英軍は無線電話を使って連携して戦闘を行った。 だが、日本軍の無線電話はアースの取り付けが悪かった為 エンジンの回転数を上げると雑音で通話が出来なくなった。 このため、日本軍ではハンドシグナルでの意思疎通が主となった。 攻撃機などでは専用の無線手がモールス信号の無線機で (無線電話より確実=遠方まで伝わる)敵艦の位置とかを母艦に連絡していた。 (309 903) 第二次世界大戦の艦上機と陸上機の差が良くわからん なんか隼を空母に載せたり、零式を陸上で運用しても問題ない気がするんですが・・・ それに烈風が艦上機になれたなら他の陸上機(紫電改とか)を艦上機にしても問題ない気が・・・ 現代のジェット戦闘機では陸上機と艦上機は大きな差があるが、 第二次世界大戦の頃は着陸速度が早くないし、重量も重くないので(空母自体は小さが) それほど大きな差はない。多少の補強などで陸上機を空母艦載機として 計画した例はいくつもある。 P-51Hは良好な結果を残したが、F8Fが実戦配備間近で緊急性がなかったのと米海軍は伝統的に液冷機は 使わないとの理由で採用は見送られた。そのかわりにジェット版といえるFJ-1の開発に踏み切った。 戦争が長引けばP-51を使った可能性も高い。 日本海軍は、紫電改を艦上戦闘機として採用する予定で、試作機が信濃でテストを行っている。 それ以前には海陸両軍の統合機として疾風のテストも横須賀で開始したが、海軍のプライドか艦上機のテスト は行わず放置された。 ドイツでもBf-109の艦上機版Tが生産されたが、空母自身が未完成になったのは良く知られてる。 艦上機は特殊な機種だから、艦上機として運用する装備の数々はハンデにはなるが、 君の言うように戦争中は多少性能は落ちても生産の合理化や必要な時に必要な物が使える方が大事なので 計画は多くあったってこと。 それと大戦中の運用期間はせいぜいが2年ぐらいなので、現在のような30年も使うのとは 耐久性などもだいぶ違うことも大きな要素。 (636 405) 昔は風防開けて脱出しますけど、その訓練ってするの? 大戦中の落下傘の降下は降下訓練だけはやった。手順教えられても実際に使う時には簡単ではない。 (637 637) 大戦中、何故、イギリスやドイツは、日本やアメリカの様に航続距離の長い単発レシプロ戦闘機を開発しなかったのですか? 長い航続距離を必要とするような土壌がなかったから。 あと、長距離援護戦闘機は、複戦に任せるつもりで居たから。 大陸の戦場は、飛行場から戦闘空域までの距離が短いから、わざわざ多量に燃料を積む必要がなかったわけ。 あの航続距離で間に合ってたわけだ。極一部を除いて。 じゃあ、Battle of Britainはどうなのって言う人が居るかもしれないけど、むしろBattle of Britainの方が例外的な戦場だと考えたほうがよいと思う。 なぜなら、Battle of Britainまでは、航続距離が短い点が問題にされたことはないし、その後の戦場でも、大して問題にされてないのだから。 逆に日本は、大陸奥地の敵拠点を爆撃する関係上、長距離援護戦闘機が必要であるという土壌があって、ゼロ戦を作った。 つまり、用兵思想の違いです。 (302 461) 何で枢軸国は4発爆撃機が作れなかったんですか? 作ってましたよ。 ドイツは戦前、「ウラル爆撃機」構想で、ソ連がウラル方面に工場を移転した場合のことを考えて 其処へ爆撃を行う長距離爆撃機を作っていました。 ドイツの場合は、それを推進していた空軍の中の人が事故死だったか兎に角死んだので、陸軍 支援爆撃機になってしまった。 イタリアの場合も、大型爆撃機を考えていたのだけど、エンジンが非力でかつ金がかかるものより、 もっと機数を揃えられるものが良い、と。 日本は、陸軍は対ソ戦では基地から小型爆弾を搭載して、何度も反復爆撃が出来るものにする という傾向があって航続距離の小さな爆撃機で十分、と言う思想。 海軍は長距離を飛んで、戦艦の土手っ腹に魚雷をぶち当てる為に、4発爆撃機を考えたが、高価 で、見本にした機体そのものが失敗作だったため、性能が低く、飛行艇と大差無いために、結局頓挫。 で、後に各国ともあわてて4発爆撃機を製作しているのだが、ドイツは技術的に凝りすぎて実用性が 低い機体になったし、イタリアはそこそこ作られたが、結果的に敗戦で脱落、日本は爆撃機どころじゃなく なって、途中で打ち切りになった訳で。 (302 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 跳飛弾訓練とはどのような訓練なのでしょうか? 「反跳爆撃」とか「スキップボミング」と呼ばれる爆撃法の訓練のこと。 海面ぎりぎりの高度で目標の艦艇に接近し、間近で爆弾を投下する。 爆弾は石が水切りするように海面を跳ねて目標の舷側に突入する。 急降下能力を持たない爆撃機でも可能で水平爆撃よりも命中率が高いが、対空砲火の弾幕にまともに飛び込むことになるので危険も大きい。 爆弾を投下せずにそのまま突っ込めば特攻になる。 (646 565) プロペラとの同調機構付きの機関砲は難しいギミックに見えますが、なんでそんな面倒な事をしたんでしょうか? 普通に翼に付ければ無駄な部品を用意しなくて済むのでは? 翼につける方がデメリットが大きいのです 左右翼の片方ないし両方に物体が付いていると、その付いている部分だけ空力を生めなくなる事 単純に翼に負担をかけてしまう事 銃座から離れた位置にあるため、照準の難易度が上がる事 まだまだありそうですが、こういった問題が次々に発生します そうではなく、プロペラを機体の後ろに付ける、という研究開発はされていました 震電などが有名ですね。これらは推進式であり、牽引式の一般的なプロペラ機とは姿が違います とはいえ、震電が開発される頃には日本でもジェット推進の航空機が開発されていた位で プロペラ機自体がもう古臭くなっていたのですが ああ、一応言っておくと、推進式のプロペラ機自体は震電なんかよりもずっと昔からありましたよ 機銃配置の問題をクリアするためにプッシャー式を採用した戦闘機としては、 デハビラントDH.2が有名ですね。 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 もっとも、第一次大戦期のプッシャー機は、中央部にプロペラを置き、それを 迂回する形で主翼から伸びたフレームに尾翼を接続する形式だったので、 滑らかに成型された胴体を持つトラクタ式の機体に比べて空気抵抗が大きく、 性能が著しく劣っていたため、普及しなかったようですが。 (647 201-207) 戦後になって液冷のレシプロ機がほとんど消えてしまったのに、空冷の方はしぶとく生き残っています。この差は何なのでしょうか? レシプロ機が戦後も生き残った分野は爆撃機や対潜哨戒機のような馬力、航続距離が求められる分野。 しかし、液冷機ってのは気筒数増やして馬力を上げるってのが難しい。 仮に増やそうとするとエンジンがどんどん縦長になって冷却が難しくなったり、プロペラシャフトが長大になるから。 逆に空冷エンジンは気筒数増えてもエンジンの径を大きくなって行くだけで済む。 液冷のメリットは機体の空力設計の自由度が空冷と比較して高く、馬力の割に高速にできる事だから それならジェットエンジンの方よっぽど有利なので戦後は廃れてしまった。 (299 599) レーダーや無線がまだ十分に発達していなかった頃、空母から飛び立った艦載機はどうやって戻ってきていたんでしょうか? 帰巣本能に頼る 推測航法とかいういいかたもあるけどな 磁石と速度計と時計を基に紙と鉛筆で計算するんだから、ま、勘とか当てずっぽうと大差ないレベルだ (297 117) 方角だけは指示してくれる装置(ビーコン?みたいなモノ)が実用化してたような気がするのですが 零戦/99艦爆/97艦攻とかに附けてたクルシー式の、1式空3号無線帰投方位測定機の事かな? 或る意味、無線機がボロで使い物にならない時期から実用化されてはいたが(日本ではw) まあ電波を拾わない事も多かったらしいが。 (297 フェチ ◆kK77XB6/ug) 「正確な誘導装置や航法装置がないと母艦に帰りつけない」 ような長距離を飛ぶ任務そのものが、初期の空母搭載機には想定されていなかった。 そもそも、そんな長距離を飛ぶことが出来る艦上機が開発されていなかった (できなかった)わけで。 空母艦上機の発達と無線航法装備の発達はある程度リンクしてる。 日本が珍しくその手の電子装備に熱心だったのも空母艦上機に長距離攻撃の 任務を担わせたから。 イギリスはそのことで悩んだ結果、戦闘機に航法士乗せて二人乗りにしてしまったな。 結果戦闘機としては大きすぎてあまり役に立たないものが何種類も誕生したわけだが。 日本の場合、特に開戦してからは戦闘機の通信能力が貧弱すぎて 僚機と意思疎通するときは手信号メインっつーか前提になってた よく太平洋戦争ものの映画や漫画で手を色々な形にしてサイン送ってるあれ (297 203-208) 爆撃機のガンナ―にエースはいたの? B-17の話だが、マイケル・アルースという人が、17機撃墜してるらしい。 http //www.warbirds.jp/ansq/12/A2003678.html 水増しではないの? シェンノートをみても分かる様に、アメリカ側の撃墜数の水増しはひどいからなあ・・・ あれって、撃墜に報奨金が出てたから、ひどかったんじゃね? (654 849-882) ジェット機と違ってレシプロ機に双発戦闘機が少ないのはなぜ? レシプロ機の場合、多発機は表面積(プロペラ後流の影響範囲の増大も含め)が大きい分、空気抵抗 が増大します。 また、レシプロの2000馬力単発と1000馬力×2基の双発では特にジェットのようなエンジン重量 の利点が得られない上に後者の方が機体の重量が大きくなります。 (グラマンのF7Fなどは出力に物を言わせた設計で高性能を実現しましたが、あまりその方向に設計を ふってしまうと片発停止時の飛行性能に問題が生じました。) (296 694) 第二次世界大戦のころ航空機に搭載されたレーダーってどの程度役にたったんでしょう? ドイツの夜間戦闘機はレーダーでイギリスの爆撃機を夜間に探知襲撃してたし、 米英は地上をマッピングするレーダーで夜間や曇天時でも爆撃ができた。 ドイツ夜間戦闘機が搭載していたリヒテンシュタインレーダー http //en.wikipedia.org/wiki/Lichtenstein_radar イギリスの爆撃機が搭載していたH2Sレーダー http //en.wikipedia.org/wiki/H2S_radar (681 59) 艦攻や艦爆も編隊を組んでたようですが、なぜでしょう? 艦攻、艦爆はもちろん、双発や四発の爆撃機も密集編隊を組んで飛行するのが普通でした。 その理由は、敵戦闘機に襲われたときに火力を集中使用できるから。 たとえば7.7ミリ4丁積んだ爆撃機を考えると、一機一機バラバラに飛行していると、 4丁分の防御力しか発揮できない。 でも、10機固まって飛行すれば、40丁になるでしょ? 逆に言うと、編隊のはじっこにいる機はその分危険なわけ。カモ番機、なんて言い方もあった。 水平爆撃の際は編隊は崩さず、密集したまま目標上空を航過して爆撃するが、 雷撃の場合はちょっと編隊を崩し、3,4機ごとに横に並んで雷撃した。 そうして命中率を稼ぐ。 急降下爆撃は目標の大きさによるけど、1機か2機程度にばらけ、 順々に攻撃するのが普通。でないと目標上空で味方機同士衝突のおそれがある。 何十機も同時に襲いかかるわけじゃない。 ちなみに、密集編隊を組むのも、順次攻撃のタイミングを計るのも高い技量が要求され、 下手がやると空中衝突というのも珍しいことじゃなかった。 (101 835) 単発のプロペラ戦闘機に推進式が使いにくかったのはよく分かりますが、複数発にも少ないのはどうしてでしょうか? 概念はライトフライヤーの時代からありましたよね。 時代によっていくつかの理由に分けられます。 黎明期のライトフライヤー型の設計が普及しなかった理由は二つあり、 当初は彼等の取得した特許の回避、後に重量と構造の単純さです。 ライト兄弟は一つのエンジンから二つのプロペラをチェーンで駆動するという 当時の出力重量比の悪いエンジンでも効率的な方法を編み出しましたが 必然的にその分の重量がかさみます。 一つのプロペラで設計するノウハウが熟達するとその必要性は少なくなり、 飛行機は一つのエンジンに一つのプロペラが常道になりました。 一つのプロペラを基盤に設計すると、先尾翼式でなくてはどうしても具合が悪く なります。 (イギリスは第一次世界大戦当初に機銃のための推進式の後尾翼を好みましたが例外です) しかし先尾翼式には重心位置の許容範囲が狭いという欠点があります。 このため実用機の設計ではあまり好まれませんでした。 また鳥に似ていないという直感的問題も黎明期の飛行機開発では重要でした。 航空技術は第一次世界大戦で大いに発展を遂げ、戦間期ごろからエンジンの出力重量比向上 により 一つの飛行機に二つのエンジンという設計が実用水準で視野に入ってきます。 おそらく質問者の想定はここからでしょう。少し詳しく説明します。 推進式のメリットはなんといっても流速が速いプロペラ後流から受ける 形状抗力の増加が無視できるため、推力を有効に活用できる点です。 つまり本質的に対気速度とプロペラ後流の差が大きいときに有効なのです。 これはどういう事かというと、高出力を発揮してるとき、つまり加速中です。 ところがレプシロ時代の戦闘機といえば単発が相場です。 双発が少なく、成功した双発が更に希少な理由はレプシロエンジンの 出力重量比が低いためで、エンジンを増やした重量に見合う分の 出力が増加されるのかが慎重な検討を要する作業になるためです。 一方で当時から双発以上が積極的に採用された爆撃機や輸送機などの関心は 加速よりもむしろ巡航にあります。 こうなるとデメリットが目立ってきます。 レプシロ推進式のデメリットは何個か挙げられます。 まず重心位置が設定しにくい事。 エンジンは重いです。飛行機の重心に大きな影響を及ぼします。 そして重心は空力中心の関係から主翼の前の方になければなりません。 推進式を採用するとエンジンは主翼の後ろよりになりがちですが、これはとても まずいのです。 主翼前縁にエンジンを搭載すると軸を延長するなどの対策が必要になりますが、 構造が複雑になってしまいます。 この問題は重量にエンジンの占める割合が大きいほど深刻になるでしょう。 また離陸のために主脚は重心位置付近に配置しますので、自然に主翼の直近にな ります。 ですから推進式を採用すると尾輪式でも前輪式でもプロペラが降着装置より後ろ になり、 滑走路で巻き上げられた遺物がプロペラに直撃する危険性があります。 しかしタンデム式だけは設計次第といえるでしょう。 さらに飛行機はあらゆる事故を想定する必要がありますが、 その中に飛行中にプロペラがとれるという想定もあります。 牽引式の双発機では破損したプロペラは竹とんぼの様に前方へ飛んでいきます。 機体に衝突する可能性がある箇所はもっぱら胴体ですので、 左右それぞれ上部と下部の該当箇所にチタン板などを貼り、装甲するだけで済みます。 しかし推進式ではまず主翼にぶつかります。 これでは大惨事となる可能性が高いため、対策にも大きな力を割かなくてはなりません。 以上の理由と推進式自体が当時まだ深く探究されてない分野だったという経緯により 質問者の疑問は解消できると思います。 B-36の推進式プロペラはレプシロエンジンの限界を超えた先を追求するような 巨大な飛行機を陸上機の実用水準で実現させるという技術的探究によるものです。 上述した様にレプシロは重量に比して出力が弱いですし、また、大出力化もしにくいです。 このために多くのエンジンを並べつつも、貴重な出力を無駄にしないために推進式が採用されました。 しかしそれでも出力が不足し、後にはジェットエンジンが増やされています。 現代の大型プロペラ機で推進式をみかけない理由はそこまでして節約しなくてもいいからです。 ジェットエンジンの実用化により軽くて強力なエンジンが搭載可能になり、 ターボプロップエンジンの開発によりプロペラ機もその恩恵を受けられる時代になりました。 このため、前述したデメリットを受け入れてまで推進式を採用する意義がありません。 また、輸送機や民間機などの業界は比較的保守的で、特に外見的要素は枯れたも のを好みます。 このため顧客心理を不安にさせる設計はマーケティング的にも採用されがたいという理由もあります。 ビジネスジェットで推進式を見かける理由は、創意工夫を自由に発揮できる気風が養われている市場である点と、 性能の中でも燃費に大きな関心が寄せられている点などが挙げられます。 (804-806) レシプロ戦闘機で一番速いのは? 現時点では、F8Fベアキャット改「レアベア」ではなかったかと 850.263km/n 21 aug 1989 Grumman F8F-2 "Rare Bear" pilot Lyle Shelton (51 604-605) 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしいですけどその他の飛行機は過給器の変速をするときにクラッチ操作というのしていましたか? クラッチ操作という表現が適当なのかどうかはわからないが、レバーで切り替え操作をする P-51なんかは高度計と連動させて、半自動(下降の時のみ)で切り替えていたらしい>操縦マニュアルより (57 147) 航空機用レシプロエンジンの過給器について 「零戦の構造上級篇」 http //www5d.biglobe.ne.jp/~cocoro/sub50.htm 過給機 過給機による圧力上昇を段と呼び、 直列に入れる過給機の数(インペラ)によって 1段、2段、多段過給機に分かれ駆動速度により、 1速、2速、可変速過給機に分かれている。 146 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしい 「1016 マーリンエンジン」 http //www.warbirds.jp/ansq/1/A2001016.html 無段変速過給器(フルカン継手) 「75 フルカン継ぎ手とトルコンとは違うものなのでしょうか?」 http //www.warbirds.jp/ansq/2/B2000075.html 流体継ぎ手の出力トルクは入力軸と等しいため, 回転数の減少分はそのまま動力の損失になります (半クラッチの状態)。 「トルコン」と言うより、流体を使ったところの、何らかの、 「クラッチ」と考えた方が、良いのではないでしょうか?。 (57 175) 第二次大戦頃の戦闘機の風防って防弾ガラスなんでしょうか プレクシグラスと呼ばれる透明な合成樹脂でできたものが多かったはずです。 防弾ガラスはその内側のコクピット正面や後頭部あたりに別に設置されていました。 (58 209) そう言う戦闘機も有ったようです。多用すると重たくなり不利でしょうね。 「フォッケウルフ Fw190A-8」 多彩な武装 http //www.skynet-1.com/kuni/kuni007.html 思い出すのは「短兵を持して接戦す」という言葉だ。 空の白兵戦であろう。 そのため100mまで肉薄する必要があり、 その間猛烈に撃たれる。 承知と風防は前が50mmと30mm、横も30mmの防弾ガラスで、 座席は5mmの防弾板で囲まれていた。 たとえ仲間が撃墜されても密集編隊を崩さず、 B-17のコンバット・ボックスに突撃する。 日本の戦闘機は、座席の後ろの上部分が「防弾ガラス」が有ったようです。 (58 216) 第二次世界大戦の頃の戦闘機って離着陸に必要な距離ってどれくらいだったのでしょうか 200~1000メートル (60 44) 同調式機関銃の歴史を教えてください ドイツのフォッカーE.Ⅰが同調式機関銃を本格的に搭載した最初の機体だったと思います。 同調式機関銃が登場するまでは、プロペラに防弾鋼板を取り付けたり、 弾丸をうまく跳ね返すように樋のようなパーツを取り付けたりしていました。 また、プロペラの回転半径の外から射撃するために複葉の上の翼にレールを取り付けて 機銃を据え付けたり、イギリスでは「プッシャー式」といってコックピットの後方に エンジンとプロペラを取り付け、前方に機銃を置く機体形式が一般的でした。 しかし、いずれの方法も根本的な解決にはなりませんでした。 この問題を解決すべくドイツ軍ではオランダ人の飛行機技術者アントニー・フォッカーに 同調装置とそれを搭載する戦闘機の開発を依頼します。フォッカーはこれに応えて シュパンダウ7.7mm機銃をプロペラと同調させる装置を組み込んだフォッカーE-1を 1915年に開発しました。 この機体はその装置と機動性を優先させた単葉式のスタイル・さらに高名な マックス・インメルマン中尉のようなパイロットに恵まれたこともあって多くの連合軍 戦闘機を撃墜し、連合軍はこれを”フォッカーの懲罰”と呼んだほどでした。 1916年になってようやく墜落した機体の調査から同調装置の存在を知った連合軍でも 同調装置付きの機体が多数就役することになります。 (108 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 英軍機の胴体の符号について教えて下さい。 胴体の中隊符号のことなら、国籍マーク左側のアルファベット2文字が中隊を示し、 右側のアルファベット1文字が中隊中の個々の機体を表しています。 なお、アルファベットの"I"と"C"は紛らわしいので使っていません。 開戦後、中隊だけで用いられていましたが、実戦訓練部隊、機種転換部隊にも使用が 拡大し、また、中隊数も増えたため、アルファベット2文字の組合せが不足し、アルファ ベット1文字と数字の組合せ、次いで、使用されていなかった"I"と"C"も使われ、最終的に 1桁の数字とアルファベット1文字も出現します。 但し、2桁数字は出ていません。 なお、連隊長搭乗機は連隊が数個中隊より成っていたため、中隊符号が用いられず、 多くの場合、連隊長の頭文字が用いられました。 これは1938年9月から使用が開始され、1939年9月に一度改訂、そのまま1951年まで 使用されていますが、符号に関しては中隊ごとに幾度か変更されています。 余談ながら、海軍機は、尾翼に所属空母か陸上基地のアルファベットを付けています。 1文字は空母、2文字なら陸上基地を表します。 例えば、中隊符号としては…。 (1938~1939) KA(第9中隊)、NQ(第43中隊)、FZ(第65中隊)、TW(第90中隊)、NJ(第207中隊)、RL(第603中隊) (1939~) JX(第1中隊)、MG/XU(第7中隊)、PH(第12中隊)、FT(第43中隊)、US(第56中隊)、EY(第78中隊)、 SR(第101中隊)、JU(第111中隊)、ZM/NS(第201中隊)、GX/NH/6U(第415中隊)、Z9(第519中隊)、 UF(第601中隊)、NG(第604中隊)、FY(第611中隊)、AJ/YZ/KC(第617中隊) (1937~46) A(空母アーク・ロイヤル)、M(マルタ)、O(空母オーシャン)、GP(ゴスポート) (1945~55) A(空母インドミタブル)、J(空母イーグル)、R(空母グローリー)、W(空母ウォーリア)、 FD(フォード)、HF(ハルファ) (270 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦闘機の照準器は敵機の翼幅か何かを入力しておくと射撃ポイントを教えてくれるらしいが、どんな風な仕組なの? 以下、坂本 明著「世界の傑作機別冊 飛行機雑学大百科」P39-41より引用。 光学式照準器は、基本的にリフレクターに写し出されたサイティング・イメージの目盛りと、 それを通して見える敵機の大きさからパイロット自身が敵機との距離を判断し、射撃を行うもので、 見越し角や風による弾の偏向などの要素は計算されない。(中略) そこで照準器内にジャイロを組み込み、照準を付けるだけで距離や見越し角を加えて照準が行える、 より高度な装置が出現した。アメリカのK-14ジャイロ式光像照準器やドイツのEZ42 (この装置は角速度を検出して見越し角を計算する方式だった)などがそれである。 ジャイロ式光像照準器MkIIcでは、正面のスパンスケール(目盛り部分)を動かし目標の幅をセット、 リフレクターに投影されたレチクル(6個のひし形サークル)に目標を合わせ、スロットルレバーに付いた スイッチを動かしてレチクルの直径と目標の幅を一致させるだけで、見越し角を計算した照準が行えた(K-14も同じ)。 ジャイロ式照準器の原理としては、 (1)機体の方向と一致する固定された照準 (2)ジャイロつきの照準。ジャイロによって機体の運動や姿勢に影響されず常に一定の姿勢を保つ、基準となる照準 の2つの照準が取り付けられているものと考える。 ・自機と目標が一直線上に並ぶような飛行航路上にある場合は(1)と(2)の照準は合致し、発射した弾は目標に命中する。 ・旋回して逃げようとする敵機を追って自機も旋回しながら攻撃を加える場合、(1)の照準で敵機を補足して 射撃を行っても見越し角が考慮されていないので弾は命中しない。そこで、(2)の照準によって敵機を補足する。 (2)はジャイロによって常に一定の姿勢を保つようになっているので、(2)の照準器を基準にして(1)の照準線が どれだけ傾いているかを検出すれば必要な見越し角が分かる。 ・見越し角を考慮した射撃のタイミングは、原理的には(1)と(2)の照準が合致した時になる。 (2)の照準に敵機を補足しつつ、(1)の照準が(2)に合致するように自機を操作していくと、 敵機の未来位置へ機体が向いていくことになり、発射した弾は命中する。 (265 52) レシプロ機の最高速度はどうやって決まるの? 理論上最高速度は 【出力(馬力)の3乗】÷(【機体前方投影面積】×【空気抵抗係数】×【大気密度】) に比例する。 一般的に空冷機は液冷機より前方投影面積、空気抵抗係数共に悪く(大きく)、また 設計年次の新しい機種の方が空力理論の進歩により空気抵抗係数は小さい傾向がある。 大柄な機種が小柄な機種より前方投影面積が大きいのは当然(大馬力エンジンを 積み易いのと相反するが)。 大気密度は高度が高いほど小さいが、それに伴いエンジン出力も悪化する。 出力悪化は過給機によって補う事が可能だが、過給機の性能・特性により どれくらいの高度で最高速に達するかは機種によって異なる。最高速時の 出力はスペック上の最大出力とは異なるので、最大出力のみから最高速を 類推する事はあまり意味が無い。 (231 43) 複葉機が軍用として最後に正式採用された国と機種名を教えていただけませんでしょうか? 初飛行は1933年ですが、1945年以後に生産、配備されたもので、フランスがLicense生産した、 SNCAN-Stampe S.V.4C練習機があります。 これは、フランス陸海空三軍で、700機以上が1950年代末まで使用されました。 ちなみに、ベルギー空軍でも1945年以後にTiger Mossと交代で使用されています。 東側なら、1955年に少数生産された、An-2Fで、双垂直尾翼を採用し、胴体上面の砲塔に、手旋回 の12.7mm機関銃UBTか、23mm機関砲NS-23を装備したものです。 ソ連空軍がほんの少数配備しました。 中国製An-2である運-5は、1957年から生産されていますから、これを新機種と捉えるなら、最後の 複葉機として採用されたものは、中国製の運-5ではないでしょうか。 (227 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 密封式の風防は当初パイロットから嫌われてたそうですが、なぜでしょう? 九六艦戦の3型で、密封式の風防の評判が悪くてじきに廃止されたと書いてあります そのわりに、12試艦戦が出てきたときは風防に文句をつけた様子がほとんどないのですが。 視界が悪くなるから。当時の日本のキャノピーは枠が多い。 12試艦戦は坂井三郎氏の本を読むと文句は出まくってたらしい。 でも、開放式では速度が出ないので密閉式とされた。 (218 163) イタリアのG.50やソ連のI-16なんかでも、密閉式にしたのに、半密閉式に変更したり しています。 曰く、風を感じることが出来ない(速度を感覚的に把握していたのと、計器の信頼性が 低かったので)、また、視界が悪い(特に初期の頃はプレキシガラスの品質が悪く、中 から外を見たら、湾曲して見えたりする。外界が見えないのは戦闘機としては致命的)、 開放式に慣れていたパイロットが多かった。 と言うことで、風防は嫌われました。 12試艦戦の場合は、最大速度が上がっていましたから、風防を装備しないと、自分の 身が危ないと言うことがあります。 後、風防をスライドさせて開けておく芸当も出来ましたし…。 ちなみに、ソ連の高速戦闘機のLaGG-3なんか、出現当初、密閉式風防が嫌われて 開放式に変更しましたが、50km/h速度が低下したそうです。 (218 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 「紅の豚」のワンシーンでの「豚が雲を引いた!」ってシーンですが、あれは飛行機雲とは違いますよね? そうですね あなたの言う飛行機雲はコントレールと呼びます この場合のポルコが引いたのはヴェーパーと呼ばれるもので 翼の端で翼下面の空気が上面へと流れ込むことによって起こる 渦によりできるものです F-1のウィングの端にできるあれと原理的には同じです で、何がすごいかと言うとそれは翼上面と下面の気圧差が極めて 大きい時つまりコントロールを失う寸前の限界に近い旋回をしなければ まず曳かれないのです 現在の電子制御で飛ぶ飛行機ならともかく一切が人の手によって コントロールされるレシプロ機でその領域での飛行を続けることは かなりの腕前が必要とされます 飛行機が急挙動すると翼端に渦が出来る。 これがヴェーパートレイル。 あの時代の飛行機だとすげーミシミシ逝ってるだろうし、 放置すると翼端失速とかしてきりもみが水平きりもみして墜落する。 つまり「豚がヴェーパートレイル引くほど急挙動してるぜ!」 って意味。 (211 232-235) プロペラ機のプロペラが扇風機の羽よりずっと細いのは何故なのでしょうか プロペラに関する一般的な事柄として プロペラは主翼のアスペクト比と同様に細い方がプロペラ効率が上がります。 同じ直径ならばブレード幅が広いほうが吸収馬力が上がります。(主翼面積同様) 同じブレードでもプロペラ枚数が増えるとプロペラ効率が下がります。 でもプロペラ枚数が増えた方が吸収馬力が上がります。 プロペラ直径に制約がある場合、吸収馬力を増やしたい時は、少々効率が低下しても翅数を増やすかブレードを広くする事になります。 (例えばエンジンを換装した場合とか) 例えば、「雷電」の様にプロペラの共振防止のために根元部分が幅広のペラに換装したもものの プロペラ効率そのものは悪化したという話もあります。 この場合、「エンジンとプロペラの共振」という問題は抑制された→性能向上 「プロペラ効率の低下」→飛行性能は低下(したかもしれない) 総合的には性能向上 という風に性能が変化している訳です。 末期のレシプロ戦闘機は大馬力を推進力に変換するためにプロペラ周りの設計に腐心しています。 ペラそのものの大直径化・ブレードの多板化・二重反転ペラなど。 また、ペラのブレードの形状については、空力的・構造的な問題があります。 簡単に言うと、扇風機のファン状のペラでは重量・抵抗が大きすぎて効率が悪すぎるのです。 例えば周速の低い根元近くでは幅広の形状では抵抗が増加し、ペラそのものの回転の足かせになります。 また、逆に先端近くでは周速が上がって音速近くになるのでできるだけ薄い翼型にしたいのですが ブレードそのものの強度の問題からそうもいきません。 これらの関係からプロペラブレードの形状は細長くなっていくのです。 また、この様な問題が限界に達したためにプロペラ→ジェットへの転換が起こったとも言えます。 直径数十センチのファンでは多少の効率や重量は無視されますが、航空機用の直径数メートルのペラでは重要な問題です。 (205 76-78) 疾風やP-51といったプロペラ機は後退翼にしても性能はあまり変わらないのでしょうか? 変わらないどころか悪化する。 後退翼の最大の利点は、亜音速領域での衝撃波発生を遅らせられる事。 レシプロ戦闘機の速度がそこまでの領域に達しない上に 揚力の発生装置として見た場合には、寧ろ効率で直線翼に劣っている。 (362 247) WW2戦闘機は口径の違う機銃が二種類搭載と言うのが多いですがそれぞれどう使い分けられていたんですか? 大口径の機銃機関砲はたいてい搭載弾数が少ないので 搭載弾数の多い小口径機銃を併用してたりする 後はプロペラ同調装置に対応する銃やプロペラ軸から射撃する銃とは別に それに対応できない銃を別に装備する場合に違う口径の銃が装備されたりする 特殊なのは隼一型乙の胴体銃だけどこれは銃の調達が間に合わなかったらしい (俺初質スレ435 696) 元々はどこもプロペラ同調7.7mmだけだった 金属製モノコックになるまで、鋼管羽布張り機では翼内機銃を装備できないからだ 金属機の時代になって、どこも威力不足を感じて大口径化を狙っていた 最初はモーターカノンから始まり、元のプロペラ同調7.7mmに翼内大口径機銃を追加する形で普及していく 米海軍だけはいち早く翼内12.7mmに統一したが、他はとりあえず使ってみて試しながらな感じ(米陸軍は一時期37mmに走っていた) つまりどの口径がちょうどいいのかよくわからないから、実戦で試行錯誤していた訳だ 後はエンジン馬力や武装重量やプロペラ同調やら、いろいろ制約があるから 終戦間近になると、単発機はどこも20mm4門あたりに落ち着いてくる ソ連だけは木製機だから翼内装備ができず、プロペラ同調12.7mmと20mmモーターカノンになる (俺初質スレ435 697) 4発爆撃機は12.7mmにも耐えるのか 耐えない ランカスターはドイツの13㎜で割と簡単に撃墜されている どこの国の爆撃機でも被弾に耐えられるのは7.7mmが限度のようだ 米の4発爆撃機が撃墜困難だったのは、防御の12.7mmの有効射程が 日独の主要機関銃・機関砲より長く、迎撃の戦闘機が容易に接近でき なかったことが大きい (俺初質スレ435 702) 補足 武装決定の迷走ぶりは、英スピットファイアの翼内武装の変遷によくでてる 7.7mm2門では威力不足なので、とりあえず数を増やしてみた7.7mm8門タイプ BOBでドイツ爆撃機を穴だらけにしたが、撃墜するには威力不足だった 20mm2門+7.7mm4門にしてみた まだ足りないので、20mm4門にしてみた ちょっと重かったので、20mm2門+12.7mm2門にしてみた という経過をたどっている 20mmは対爆撃機や地上攻撃を意識しており、場合によっては対戦車や対爆撃機用に37mmに走る 地上攻撃はやがて機銃よりロケット弾に変わる 四発爆撃機相手には30mmを採用したいが、30mm開発までの繋ぎで20mm4~6門装備 しかし日本やドイツに四発爆撃機はないので、アメリカは12.7mmで通した (俺初質スレ435 699) 弾の威力は初速×初速×弾頭重量÷2000で計算される 初速は毎秒600~800m程度、弾頭重量は7.7mmで10g、13mmで35~50g、20mm90~130g、30mm350g程度だ あとは大口径なら炸裂弾による炸薬量、単発の威力だけでなく発射速度も重要 戦闘機の射撃機会を1回5秒、3~4回なら15~20秒で撃墜できる弾量を命中させる必要がある ドイツ軍いわく四発爆撃機を撃墜するには、だいたい750gを命中させる必要があるとされ、30mm機銃なら2発だが20mm機銃なら6発の命中が必要になる これらの要素を考慮した上で、12.7mm6門とか20mm4門とかの武装を選択する (俺初質スレ435 710) 相手の爆撃機が高速で高高度を飛び、防御機銃が強力な程戦闘機の射撃機会は少ない B-29などが相手なら射撃機会は1回が限界だ だからそういう相手ほど、大口径機銃か高発射速度か門数を増やす必要になる 他の条件が同じなら、発射速度が毎分400発4門と毎分800発2門は同等、弾頭重量100gの20mmと50gの12.7mmで同等と考えるとわかりやすい 日本の零戦はB-17の防弾鋼板が15mmで、低初速の一号銃では貫徹できず、高初速の二号銃採用を必要とした 爆撃機の防御機銃は、別に戦闘機を撃墜しなくても、相手の射撃を妨害できればいい (俺初質スレ435 711) 爆撃機の防御砲火というのは敵機の撃墜が目的なのではなく、 敵戦闘機を有効な射点に付かせないことが第一義だから それでいいんだよ。 (俺初質スレ435 722)
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基本的なことはジェット機とあまり変わりませんがレシプロ機はプロペラの調整が重要になります。 ・プロペラの反作用について プロペラを回転させるとその反動で機体が逆回転します。 二つのプロペラを逆向きに回転(二重反転)させれば反動を軽減できますが完全になくすことは難しいです。 そのため舵(主にエルロン)を反動を相殺させる方向に調整する必要があります。 また、プロペラのパワーを低くすれば二重反転だけでも気にならない程度まで反動を無くすことができます。 ・プロペラの空気抵抗について 1 高速域ではプロペラが空気抵抗になって加速しづらくなります。 そのため、プロペラの羽根の角度(ブレードピッチ)の調整が必要になります。 ブレードピッチが浅いと空気を掻きやすくなりますが進行方向に対する空気抵抗が大きくなります。 ブレードピッチが深いと進行方向に対する空気抵抗が少なくなりますが空気を掻きづらくなりプロペラの推力が低下します。 そのためブレードピッチが浅いと加速性能がよく、最高速度が低くなります。逆にブレードピッチが深いと加速性能が悪く、最高速度が高くなります。 つまりブレードピッチは低速時は浅い方が、高速時は深い方が有効、ということです。 ブレードピッチを低速用、高速用で切り替えられるようにしておくと幅広い速度域で効率よく飛行することができるようになります。 ・プロペラの空気抵抗について 2 プロペラは進行方向に対してだけではなく様々な方向からの空気抵抗を受けるので、ブレードピッチを変えるとピッチやヨーの安定性に影響します。 エディタなどで確認すればわかりやすいですが、ブレードピッチが浅いときと深いときとでは、プロペラを真上、または真横から見たときの羽根の面積が違います。 ブレードピッチが深いほどこの面積は大きくなるのでピッチやヨーの安定性に大きな影響を及ぼします。 そのためプロペラがモデルの重心より前にあると、ブレードピッチを浅い状態から深い状態に切り替えたとき にピッチやヨーの安定性が低下します。 逆にプロペラが重心より後ろにあると安定性は上がります。(なんでそうなるの?て思う方は「風見安定性」についてググってみてください。) そのことを考えて、プロペラは重心より後ろにつけるか、前につけたい場合は初めから十分な安定性を持たせておくようにしましょう。
https://w.atwiki.jp/livetubehobby/pages/29.html
らいつべレシプロ戦闘機コンペ 最優秀作品 GENさん 参加作品 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (rec_2.jpg) ケーグさん imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (rec_3.jpg) TROPさん gusさん まーぼーさん
https://w.atwiki.jp/army2ch/pages/317.html
レシプロ戦闘機で一番速いのは? 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしいですけどその他の飛行機は過給器の変速をするときにクラッチ操作というのしていましたか? P-3Cのソノブイ積載本数は? 第二次大戦頃の戦闘機の風防って防弾ガラスなんでしょうか 第二次大戦の頃の戦闘機って離着陸に必要な距離ってどれくらいだったのでしょうか 同調式機関銃の歴史を教えてください 英軍機の胴体の符号について教えて下さい。 戦闘機の照準器は敵機の翼幅か何かを入力しておくと射撃ポイントを教えてくれるらしいが、どんな風な仕組なの? レシプロ機の最高速度はどうやって決まるの? 複葉機が軍用として最後に正式採用された国と機種名を教えていただけませんでしょうか? 密封式の風防は当初パイロットから嫌われてたそうですが、なぜでしょう? 「紅の豚」のワンシーンでの「豚が雲を引いた!」ってシーンですが、あれは飛行機雲とは違いますよね? プロペラ機のプロペラが扇風機の羽よりずっと細いのは何故なのでしょうか レシプロ戦闘機で一番速いのは? 現時点では、F8Fベアキャット改「レアベア」ではなかったかと 850.263km/n 21 aug 1989 Grumman F8F-2 "Rare Bear" pilot Lyle Shelton (51 604-605) 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしいですけどその他の飛行機は過給器の変速をするときにクラッチ操作というのしていましたか? クラッチ操作という表現が適当なのかどうかはわからないが、レバーで切り替え操作をする P-51なんかは高度計と連動させて、半自動(下降の時のみ)で切り替えていたらしい>操縦マニュアルより (57 147) 航空機用レシプロエンジンの過給器について 「零戦の構造上級篇」 http //www5d.biglobe.ne.jp/~cocoro/sub50.htm 過給機 過給機による圧力上昇を段と呼び、 直列に入れる過給機の数(インペラ)によって 1段、2段、多段過給機に分かれ駆動速度により、 1速、2速、可変速過給機に分かれている。 146 飛燕の過給器にはトルコンが使われていたらしい 「1016 マーリンエンジン」 http //www.warbirds.jp/ansq/1/A2001016.html 無段変速過給器(フルカン継手) 「75 フルカン継ぎ手とトルコンとは違うものなのでしょうか?」 http //www.warbirds.jp/ansq/2/B2000075.html 流体継ぎ手の出力トルクは入力軸と等しいため, 回転数の減少分はそのまま動力の損失になります (半クラッチの状態)。 「トルコン」と言うより、流体を使ったところの、何らかの、 「クラッチ」と考えた方が、良いのではないでしょうか?。 (57 175) P-3Cのソノブイ積載本数は? 52本+予備(たしか12本)。これは最大値で実際に搭載する数はもっと少ないと思う (57 904) 第二次大戦頃の戦闘機の風防って防弾ガラスなんでしょうか プレクシグラスと呼ばれる透明な合成樹脂でできたものが多かったはずです。 防弾ガラスはその内側のコクピット正面や後頭部あたりに別に設置されていました。 (58 209) そう言う戦闘機も有ったようです。多用すると重たくなり不利でしょうね。 「フォッケウルフ Fw190A-8」 多彩な武装 http //www.skynet-1.com/kuni/kuni007.html 思い出すのは「短兵を持して接戦す」という言葉だ。 空の白兵戦であろう。 そのため100mまで肉薄する必要があり、 その間猛烈に撃たれる。 承知と風防は前が50mmと30mm、横も30mmの防弾ガラスで、 座席は5mmの防弾板で囲まれていた。 たとえ仲間が撃墜されても密集編隊を崩さず、 B-17のコンバット・ボックスに突撃する。 日本の戦闘機は、座席の後ろの上部分が「防弾ガラス」が有ったようです。 (58 216) 第二次大戦の頃の戦闘機って離着陸に必要な距離ってどれくらいだったのでしょうか 200~1000メートル (60 44) 同調式機関銃の歴史を教えてください ドイツのフォッカーE.Ⅰが同調式機関銃を本格的に搭載した最初の機体だったと思います。 同調式機関銃が登場するまでは、プロペラに防弾鋼板を取り付けたり、 弾丸をうまく跳ね返すように樋のようなパーツを取り付けたりしていました。 また、プロペラの回転半径の外から射撃するために複葉の上の翼にレールを取り付けて 機銃を据え付けたり、イギリスでは「プッシャー式」といってコックピットの後方に エンジンとプロペラを取り付け、前方に機銃を置く機体形式が一般的でした。 しかし、いずれの方法も根本的な解決にはなりませんでした。 この問題を解決すべくドイツ軍ではオランダ人の飛行機技術者アントニー・フォッカーに 同調装置とそれを搭載する戦闘機の開発を依頼します。フォッカーはこれに応えて シュパンダウ7.7mm機銃をプロペラと同調させる装置を組み込んだフォッカーE-1を 1915年に開発しました。 この機体はその装置と機動性を優先させた単葉式のスタイル・さらに高名な マックス・インメルマン中尉のようなパイロットに恵まれたこともあって多くの連合軍 戦闘機を撃墜し、連合軍はこれを”フォッカーの懲罰”と呼んだほどでした。 1916年になってようやく墜落した機体の調査から同調装置の存在を知った連合軍でも 同調装置付きの機体が多数就役することになります。 (108 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 英軍機の胴体の符号について教えて下さい。 胴体の中隊符号のことなら、国籍マーク左側のアルファベット2文字が中隊を示し、 右側のアルファベット1文字が中隊中の個々の機体を表しています。 なお、アルファベットの"I"と"C"は紛らわしいので使っていません。 開戦後、中隊だけで用いられていましたが、実戦訓練部隊、機種転換部隊にも使用が 拡大し、また、中隊数も増えたため、アルファベット2文字の組合せが不足し、アルファ ベット1文字と数字の組合せ、次いで、使用されていなかった"I"と"C"も使われ、最終的に 1桁の数字とアルファベット1文字も出現します。 但し、2桁数字は出ていません。 なお、連隊長搭乗機は連隊が数個中隊より成っていたため、中隊符号が用いられず、 多くの場合、連隊長の頭文字が用いられました。 これは1938年9月から使用が開始され、1939年9月に一度改訂、そのまま1951年まで 使用されていますが、符号に関しては中隊ごとに幾度か変更されています。 余談ながら、海軍機は、尾翼に所属空母か陸上基地のアルファベットを付けています。 1文字は空母、2文字なら陸上基地を表します。 例えば、中隊符号としては…。 (1938~1939) KA(第9中隊)、NQ(第43中隊)、FZ(第65中隊)、TW(第90中隊)、NJ(第207中隊)、RL(第603中隊) (1939~) JX(第1中隊)、MG/XU(第7中隊)、PH(第12中隊)、FT(第43中隊)、US(第56中隊)、EY(第78中隊)、 SR(第101中隊)、JU(第111中隊)、ZM/NS(第201中隊)、GX/NH/6U(第415中隊)、Z9(第519中隊)、 UF(第601中隊)、NG(第604中隊)、FY(第611中隊)、AJ/YZ/KC(第617中隊) (1937~46) A(空母アーク・ロイヤル)、M(マルタ)、O(空母オーシャン)、GP(ゴスポート) (1945~55) A(空母インドミタブル)、J(空母イーグル)、R(空母グローリー)、W(空母ウォーリア)、 FD(フォード)、HF(ハルファ) (270 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦闘機の照準器は敵機の翼幅か何かを入力しておくと射撃ポイントを教えてくれるらしいが、どんな風な仕組なの? 以下、坂本 明著「世界の傑作機別冊 飛行機雑学大百科」P39-41より引用。 光学式照準器は、基本的にリフレクターに写し出されたサイティング・イメージの目盛りと、 それを通して見える敵機の大きさからパイロット自身が敵機との距離を判断し、射撃を行うもので、 見越し角や風による弾の偏向などの要素は計算されない。(中略) そこで照準器内にジャイロを組み込み、照準を付けるだけで距離や見越し角を加えて照準が行える、 より高度な装置が出現した。アメリカのK-14ジャイロ式光像照準器やドイツのEZ42 (この装置は角速度を検出して見越し角を計算する方式だった)などがそれである。 ジャイロ式光像照準器MkIIcでは、正面のスパンスケール(目盛り部分)を動かし目標の幅をセット、 リフレクターに投影されたレチクル(6個のひし形サークル)に目標を合わせ、スロットルレバーに付いた スイッチを動かしてレチクルの直径と目標の幅を一致させるだけで、見越し角を計算した照準が行えた(K-14も同じ)。 ジャイロ式照準器の原理としては、 (1)機体の方向と一致する固定された照準 (2)ジャイロつきの照準。ジャイロによって機体の運動や姿勢に影響されず常に一定の姿勢を保つ、基準となる照準 の2つの照準が取り付けられているものと考える。 ・自機と目標が一直線上に並ぶような飛行航路上にある場合は(1)と(2)の照準は合致し、発射した弾は目標に命中する。 ・旋回して逃げようとする敵機を追って自機も旋回しながら攻撃を加える場合、(1)の照準で敵機を補足して 射撃を行っても見越し角が考慮されていないので弾は命中しない。そこで、(2)の照準によって敵機を補足する。 (2)はジャイロによって常に一定の姿勢を保つようになっているので、(2)の照準器を基準にして(1)の照準線が どれだけ傾いているかを検出すれば必要な見越し角が分かる。 ・見越し角を考慮した射撃のタイミングは、原理的には(1)と(2)の照準が合致した時になる。 (2)の照準に敵機を補足しつつ、(1)の照準が(2)に合致するように自機を操作していくと、 敵機の未来位置へ機体が向いていくことになり、発射した弾は命中する。 (265 52) レシプロ機の最高速度はどうやって決まるの? 理論上最高速度は 【出力(馬力)の3乗】÷(【機体前方投影面積】×【空気抵抗係数】×【大気密度】) に比例する。 一般的に空冷機は液冷機より前方投影面積、空気抵抗係数共に悪く(大きく)、また 設計年次の新しい機種の方が空力理論の進歩により空気抵抗係数は小さい傾向がある。 大柄な機種が小柄な機種より前方投影面積が大きいのは当然(大馬力エンジンを 積み易いのと相反するが)。 大気密度は高度が高いほど小さいが、それに伴いエンジン出力も悪化する。 出力悪化は過給機によって補う事が可能だが、過給機の性能・特性により どれくらいの高度で最高速に達するかは機種によって異なる。最高速時の 出力はスペック上の最大出力とは異なるので、最大出力のみから最高速を 類推する事はあまり意味が無い。 (231 43) 複葉機が軍用として最後に正式採用された国と機種名を教えていただけませんでしょうか? 初飛行は1933年ですが、1945年以後に生産、配備されたもので、フランスがLicense生産した、 SNCAN-Stampe S.V.4C練習機があります。 これは、フランス陸海空三軍で、700機以上が1950年代末まで使用されました。 ちなみに、ベルギー空軍でも1945年以後にTiger Mossと交代で使用されています。 東側なら、1955年に少数生産された、An-2Fで、双垂直尾翼を採用し、胴体上面の砲塔に、手旋回 の12.7mm機関銃UBTか、23mm機関砲NS-23を装備したものです。 ソ連空軍がほんの少数配備しました。 中国製An-2である運-5は、1957年から生産されていますから、これを新機種と捉えるなら、最後の 複葉機として採用されたものは、中国製の運-5ではないでしょうか。 (227 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 密封式の風防は当初パイロットから嫌われてたそうですが、なぜでしょう? 九六艦戦の3型で、密封式の風防の評判が悪くてじきに廃止されたと書いてあります そのわりに、12試艦戦が出てきたときは風防に文句をつけた様子がほとんどないのですが。 視界が悪くなるから。当時の日本のキャノピーは枠が多い。 12試艦戦は坂井三郎氏の本を読むと文句は出まくってたらしい。 でも、開放式では速度が出ないので密閉式とされた。 (218 163) イタリアのG.50やソ連のI-16なんかでも、密閉式にしたのに、半密閉式に変更したり しています。 曰く、風を感じることが出来ない(速度を感覚的に把握していたのと、計器の信頼性が 低かったので)、また、視界が悪い(特に初期の頃はプレキシガラスの品質が悪く、中 から外を見たら、湾曲して見えたりする。外界が見えないのは戦闘機としては致命的)、 開放式に慣れていたパイロットが多かった。 と言うことで、風防は嫌われました。 12試艦戦の場合は、最大速度が上がっていましたから、風防を装備しないと、自分の 身が危ないと言うことがあります。 後、風防をスライドさせて開けておく芸当も出来ましたし…。 ちなみに、ソ連の高速戦闘機のLaGG-3なんか、出現当初、密閉式風防が嫌われて 開放式に変更しましたが、50km/h速度が低下したそうです。 (218 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 「紅の豚」のワンシーンでの「豚が雲を引いた!」ってシーンですが、あれは飛行機雲とは違いますよね? そうですね あなたの言う飛行機雲はコントレールと呼びます この場合のポルコが引いたのはヴェーパーと呼ばれるもので 翼の端で翼下面の空気が上面へと流れ込むことによって起こる 渦によりできるものです F-1のウィングの端にできるあれと原理的には同じです で、何がすごいかと言うとそれは翼上面と下面の気圧差が極めて 大きい時つまりコントロールを失う寸前の限界に近い旋回をしなければ まず曳かれないのです 現在の電子制御で飛ぶ飛行機ならともかく一切が人の手によって コントロールされるレシプロ機でその領域での飛行を続けることは かなりの腕前が必要とされます 飛行機が急挙動すると翼端に渦が出来る。 これがヴェーパートレイル。 あの時代の飛行機だとすげーミシミシ逝ってるだろうし、 放置すると翼端失速とかしてきりもみが水平きりもみして墜落する。 つまり「豚がヴェーパートレイル引くほど急挙動してるぜ!」 って意味。 (211 232-235) プロペラ機のプロペラが扇風機の羽よりずっと細いのは何故なのでしょうか プロペラに関する一般的な事柄として プロペラは主翼のアスペクト比と同様に細い方がプロペラ効率が上がります。 同じ直径ならばブレード幅が広いほうが吸収馬力が上がります。(主翼面積同様) 同じブレードでもプロペラ枚数が増えるとプロペラ効率が下がります。 でもプロペラ枚数が増えた方が吸収馬力が上がります。 プロペラ直径に制約がある場合、吸収馬力を増やしたい時は、少々効率が低下しても翅数を増やすかブレードを広くする事になります。 (例えばエンジンを換装した場合とか) 例えば、「雷電」の様にプロペラの共振防止のために根元部分が幅広のペラに換装したもものの プロペラ効率そのものは悪化したという話もあります。 この場合、「エンジンとプロペラの共振」という問題は抑制された→性能向上 「プロペラ効率の低下」→飛行性能は低下(したかもしれない) 総合的には性能向上 という風に性能が変化している訳です。 末期のレシプロ戦闘機は大馬力を推進力に変換するためにプロペラ周りの設計に腐心しています。 ペラそのものの大直径化・ブレードの多板化・二重反転ペラなど。 また、ペラのブレードの形状については、空力的・構造的な問題があります。 簡単に言うと、扇風機のファン状のペラでは重量・抵抗が大きすぎて効率が悪すぎるのです。 例えば周速の低い根元近くでは幅広の形状では抵抗が増加し、ペラそのものの回転の足かせになります。 また、逆に先端近くでは周速が上がって音速近くになるのでできるだけ薄い翼型にしたいのですが ブレードそのものの強度の問題からそうもいきません。 これらの関係からプロペラブレードの形状は細長くなっていくのです。 また、この様な問題が限界に達したためにプロペラ→ジェットへの転換が起こったとも言えます。 直径数十センチのファンでは多少の効率や重量は無視されますが、航空機用の直径数メートルのペラでは重要な問題です。 (205 76-78)
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概要 レシプロ杯とは第二次大戦期に用いられた航空機に搭乗し試合を行う大会である。 本大会での結果は順位に応じてポイント化され、ステージ割り振り(*1)の際の参考となる。 競技会として初のグランプリ制を導入し、参加者は四つの子大会から二大会を転戦する。 子大会での順位を合計して順位点とし、その点を最も小さく抑えた者をシリーズ総合優勝とする。(*2) 機種について レシプロ杯では機種の指定がなく、バランスに問題があったため頓挫したその経験を活かし、 今大会で使用するグランプリ形式では子大会単位で機種を指定しており、 参加者は子大会を選ぶ形で4機種からの機体選択が可能。 今年度の大会では扶桑(日)、ルスラン(独)、アカトルイス(英)、ファーニケス(米)の4大会を計画し、順位決定戦が行われる場合はリュドスカヤ(露)にて雌雄を決する。 使用機種はそれぞれ、紫電改、Fw190A8、Spitfire9B、P-51D、YAK-9Uで、全てOCPのものを利用する。 グランプリ形式での懸念 扶桑大会やルスラン大会などは参加者が集中することが予想される。 そのような事態になった場合はエントリー順で優先的に希望する大会へ割り振る。 もし、希望する大会に出られなかったからといって手を抜いたり、ボイコットするような行為は禁止。 無論、第二希望以下の大会に参加することになっても問題なく機体を扱えるようになっておくことが望ましい。 逆に、極端に人数の少ない大会が生じた場合は他大会と順位に価値の差が生じるため順位点に+1を加算する。(*3) 無論、そうならないように参加者を移動させる事も有り得る。 エントリーの際は参加する大会を予め二つ決めておき、 人数過多によって希望が通らなかった場合備え第三希望以降の答えも用意しておくこと。 試合形式・開催地 試合の形式はこれまでと同じく南北10000のSTPから合図で発進する、スタンダード形式。 機種は前述したとおり、大会によって固定され異機種での試合は発生しない。 表彰台圏内に同率の選手がいた場合はリュドスカヤ(露)にて行われる順位決定戦へと至る。 使用するマップはできればグループ杯の開催地に合わせたものにしたいものの、 その都度サーバーの立て直しをする手間や大会の緊張感が途切れてしまう恐れもあるため、 一貫してデフォルトのSMALL_MAPを用いる。 エントリー期間・開催期間は未定 エントリー 扶桑杯 ルスラン杯 アカトルイス杯 ファーニケス杯
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レシプロ・クラスター UC 水文明 (5) クリーチャー:サイバー・クラスター/ハンター 1000+ ■このクリーチャーをバトルゾーンに出した時、コスト3以下のハンター・クリーチャーを1体、コストを支払わずに自分の手札からバトルゾーンに出してもよい。 ■ハンティング(バトル中、このクリーチャーのパワーは、バトルゾーンにある自分のハンター1体につき+1000される) 作者:赤烏 見ての通りハンターを増やすことでハンティングを強化する……だーけー 【企画】ハンターvsエイリアン 評価 名前 コメント
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レシプロ・セブ・クラスター C 水文明 (4) クリーチャー:サイバー・クラスター/エイリアン 1000 ■ブロッカー ■このクリーチャーをバトルゾーンに出した時、コスト3以下のエイリアンを1体、コストを支払わずに自分の手札からバトルゾーンに出してもよい。 作者:赤烏 関連 《レシプロ・クラスター》 収録 DMWX-01 「フルオリカパック ハンター&エイリアン」 評価 名前 コメント
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WW2レシプロ単発戦闘機 284 名前:水先案名無い人 :2005/09/12(月) 19 07 59 ID WgtdMVP00 WW2レシプロ単発戦闘機入場!! R・ミッチェルは死んでしまった!! 2000馬力エンジンを積み救国の名機が甦った!!! グリフォン・スピット!! スーパーマリン・スピットファイアだァ――――!!! 迎撃機(インターセプター)はすでに我々が完成している!! 中島キ44二式単戦『鍾馗』だァ――――!!! 近づきしだいバラ撒きまくってやる!! 7.7mm12門 ホーカー・ハリケーンだァッ!!! プロペラ軸内機銃なら我々の歴史がものを言う!! フランスの希望 イスパノ20mm ドボワチンD520!!! 真の護衛を知らしめたい!! 護衛空母搭載用 ジェネラルモータースFMワイルドキャットだァ!!! 戦中は3軍制覇だが戦後なら全世界オレを採用だ!! アメリカの海賊 ヴォートF4Uコルセアだ!!! ゼロ対策は完璧だ!! アメリカ海軍 グラマンF6Fヘルキャット!!!! 全日本軍機のベスト・バランスは私の中にある!! 大東亜決戦機が来たッ 中島キ84四式戦『疾風』!!! 格闘戦なら絶対に敗けん!! 軽戦のケンカ見せたる イタリア最優秀機 マッキMC202フォルゴーレだ!!! ヒット・アンド・アウェイ(一撃離脱)ならこいつが怖い!! 大ドイツのピュア・ファイター メッサーシュミットBf109だ!!! 中国大陸から空飛ぶ虎が飛来だ!! カーチスP-40 ウォーホーク!!! 高高度のケンカがしたいから別ブランド(Fw→Ta)になったのだ!! デザイナーのテスト飛行を見せてやる!!フォッケウルフTa152!!! 液冷の代わりに空冷とはよく言ったもの!! カワサキの突貫工事が今 実戦でバクハツする!! 川崎キ100 五式戦闘機だ―――!!! 世界ヘヴィ級チャンプこそが地上最強の代名詞だ!! まさかこの機がきてくれるとはッッ リパブリックP-47サンダーボルト!!! 闘いたいからフロートを捨てたッ 最後は完全別物!!!! 帝国海軍のインターセプト(迎撃)ファイター 川西N1K1/K2『紫電』&『紫電改』だ!!! オレたちはソビエト最強ではない全空冷機で最強なのだ!! 御存知20mm機首同調 ラボーチキンLa-5/7!!! モーターカノンの本場は今やロシアにある!! オレを驚かせる奴はいないのか!! ヤコブレフYak-1/3/7/9だ!!! 古ゥゥゥゥゥゥゥいッ説明不要!! 複葉!!! 固定脚!!! フィアットCR42ファルコだ!!! 戦闘機は実戦で使えてナンボのモン!!! 超頑丈設計!! 本家ドイツからフォッケウルフFw190Aの登場だ!!! 低空はオレのもの 邪魔するやつは思いきり撃ち思いきり爆弾を落とすだけ!! 新世代戦闘機のはずが戦闘爆撃機 ホーカー・タイフーン!! 稼働率を試しに日本へきたッ!! 和製Bf109 川崎キ61三式戦『飛燕』!!! ネイピア・セイバーに更なる磨きをかけ ”テンプ”ホーカー・テンペストが帰ってきたァ!!! 今の自分に(前以外)死角はないッッ!! ボールトンポール・デファイアント!!! 永世中立国の技術が今ベールを脱ぐ!! スウェーデンから サーブ21だ!!! 露助の前でならオレはいつでも第一線だ!! 空の真珠 ブルーステルB-339 フィンランド呼称で登場だ!!! 後継の艦戦はどーしたッ 闘士の炎 未だ消えずッ!! 迎撃も侵攻も思いのまま!! 三菱A6M『零式艦上戦闘機』だ!!! 特に理由はないッ 戦闘機が軽いのは当たりまえ!! 火力はないしょだ!!! 日の下開山! 中島キ43一式戦『隼』がきてくれた―――!!! 空母で磨いた実戦運用!! ロイヤルネービーのデンジャラス・2シーター フェアリー・ファイアフライだ!!! 迎撃だったらこの機を外せない!! 超A級迎撃機 三菱J2M3『雷電』だ!!! 超一流デザイナーの超一流の設計だ!! 生で拝んでオドロキやがれッ 長っ鼻のドーラ!! フォッケウルフFw190D!!! レシプロ戦闘機はこの機が完成させた!! スカンクワークスの切り札!! ノースアメリカンP-52ムスタングだ!!! 遅過ぎた名機が帰ってきたッ 戦争はもう終わりだッ 九州飛行機ッッ 俺達は君を待っていたのにッッッ九州J7W『震電』の登場だ――――――――ッ 加えて稼働率低下に備え超豪華なリザーバーを4名御用意致しました! 空飛ぶ鰹節 ベルP-39エアラコブラ!! 伝統派軽戦 マッキMC200サエッタ!! フランスの軍馬!モラン・ソルニエMS406! ……ッッ どーやらもう一機は戦前開発のくせに終戦に間に合わない様ですが、到着次第ッ皆様にご紹介致しますッッ 関連レス 288 名前:水先案名無い人 :2005/09/12(月) 19 37 57 ID AWRXVsHf0 さんざっぱらガイシュツなわけだが。 コメント 名前
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ここでは単発の戦闘機を扱います、双発機は下のほうにあります。 ターボプロップ機もこちらで扱います。 ニコニコ静止画タグ検索MMD大戦機 大百科情報pixiv カテゴリー 連合アメリカ合衆国 ロシア連邦(ソビエト社会主義共和国連邦) イギリス王国 枢軸日本(大日本帝国) ドイツ連邦共和国(ナチス・ドイツ) その他 双発機アメリカ合衆国(双発) ドイツ連邦共和国(ナチス・ドイツ)(双発) 日本(大日本帝国)(双発) 連合 [部分編集] アメリカ合衆国 ーUnited States of Americaー 名称 製作者 配布先 更新日、内容など 備考 wikipedia等 グラマン F4F えーぷら ニコニコ動画 12/03/22 F4F_UV_US-2.pngを修正 アメリカの戦闘機「Wildcat」 wikipedia ノースアメリカン AT-6 ヤマド ブログ 10/03/18 アメリカの練習機「Texan」 wikipedia F6F Hellcat かなくら ニコニコ静画 18/01/12 艦上戦闘機 wikipedia SBD ドーントレス かなくら ニコニコ静画 18/02/10 急降下爆撃機 wikipedia TBF/TBM アヴェンジャー かなくら ニコニコ静画 18/03/21 雷撃機 wikipedia XP-55 カーチス アセンダー アリッシア ニコニコ静画 18/10/04 試作戦闘機 wikipedia
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スピットやハリケーンなどって、ムスタングのP-51のような機種番号みたいなのはないのですか。 一時期レシプロ機の速度記録を保持していた機体の名である、「コンクエストI」の「コンクエスト」ってどういう意味なんですか? スピットファイアは7.7mmのみ(但し確か10門以上か)の物もあるが防弾の有る独戦闘機や爆撃機に有効に対処し得た訳だろうか ニューポール52という航空機について教えてください。 夜間戦闘機で1番重武装は? 二次大戦期の双発複座戦闘機は、単発単座戦闘機の護衛が無いと空戦が出来ないという話を聞いたのですが、本当ですか? KR-1ムースターについて詳しい事を教えてください。 グリフォンスピットファイアは機体がヤワでパワーが生かせないと言う話は本当でしょうか? イギリスのソードフィッシュ雷撃機はなぜ終戦まで使用されたのでしょうか。 P-51Kのイギリス供与版は性能的にどうだったんでしょうか? ソ連のシュトルモビクの後部機銃係は死傷率が高く、懲罰配置と言われたそうですが、すぐ側にいるパイロットの被害も同様に高かったのでしょうか? 第二次大戦時、オランダの一部の艦に装備していた索敵用の水上機についても教えてください。 イギリスの重爆撃機というのはどのような活躍をし、軍用機マニアなどの間での評価というのはどのようなものなのですか? F8F VS 烈風 ツインマスタングって実用機だったの? TSR1という、1933年ごろの軍用機について知りたい P-51 Yak-9 Bf109 スピットファイアは1942年の段階で戦闘してたんですか? ドボアチーヌという、WWIIの時の戦闘機はなぜあんなにロングノーズなのでしょうか? 日本機とドイツ機が直接戦った事例は無い? 第2次世界大戦の飛行機で双発以上の爆撃機で急降下爆撃が可能なのはどんな機体があったか教えてください。 複葉の艦載機で主翼を折り畳める物はありましたか? スツーカとかF4Uコルセアはどうして翼が曲がっているのですか? 大戦中のイタリア機の胴体部分によくMC202等の機種記号が書かれていますが、その下にあるmm**の意味がわかりません。 大戦中のイタリア機の胴体部分によくMC202等の機種記号が書かれていますが、その下にあるMM**の意味がわかりません。 ユンカースJu52/3mって何度もエンジン替えてるみたいだけど、搭載量はどの型も一緒なんでしょうか。 ヤーボって何を指してるのですか? 陸軍で患者輸送機として使われた、デ・ハビランド DH.80A プス・モスについて教えてください。 シーファイアの一通りのカタログスペックを教えてください。 何故、WW2イギリスの艦載型航空機は、あんなにも駄作機ばかりなのでしょうか? IL2シュトルモビクは装甲貼りまくってたのに何でけっこうメッサーとかに撃墜されたんですか 水上偵察機はなぜカタパルトで発進させる必要があるのですか? 艦載型のモスキートは試作ですか?量産されて海軍が運用したんですか? WW2の頃、モスキート爆撃機以外に木製飛行機って作ったんですか? 第二次大戦で実際に戦闘した機体で最も重武装して出撃した爆撃機以外の戦闘機、攻撃機は何でしょうか? WW2の末期になると、水上機は、もはや用なしだったんでしょうか? この機体はなんですか? 急降下爆撃機って何のために急降下するんですか? モスキートは自動化した対戦車砲を積んでいたようですか、そこで質問です 水上機の双フロートと単フロート、それぞれの方式の長所・短所について教えてください 500km/h以上でる水上機ってないの? 1939年の時点で使用されていたスピットファイアの防弾装備について教えてください。 大戦中のイタリア機の胴体部分によくMC202等の機種記号が書かれていますが、その下にあるMM**の意味がわかりません スツーカや99式艦爆とかって固定脚だけど、なんで固定なの? シーファイアの型と登場時期について教えて下さい 昔P51をターボプロップにしたエンフォーサーとかいう攻撃機があったと思うんですが、あれはセールス的に成功したんでしょうか? アンブローシニS.403について教えて下さい。 B-29のソ連版コピーであるTu-4について教えて下さい 日本軍はイタリアから爆撃機(イ式重爆)を買ったけど、カタログスペックより低い速度しかでなかったと聞きました。 スピットファイアは爆弾のような増槽と違い、胴体部分にケースのような増槽を装備していたようですが、 北アフリカ戦線でMC202と戦ったP40パイロットは相手にどんな印象もったの? イタリアでは、光像式の照準器の導入は早かったのデスか? イ-Sというソ連の飛行機は離陸時は複葉機で、飛行中に単葉機に変化することができる可変翼機だったそうですが。 大戦前半のスピットファイアの機関銃は7.7mmなのに、それでもHe111等の防弾装甲があるドイツ機が落とされまくったのはどうしてなんでしょうか? 急降下爆撃機は空母の甲板を壊すのが目的だったのなら爆弾一発よりも小さい爆弾を多数積んだ方が良かったのでは? ドイツ空軍のHe219A-6が時速650kmを出したというのは本当でしょうか? 太平洋戦争中に紫電改や米軍機についていた見越し射撃照準機ですが、どのような構造をしているのでしょうか? スピットやハリケーンなどって、ムスタングのP-51のような機種番号みたいなのはないのですか。 イギリスの場合は、愛称プラスMk(マーク)いくつが制式名称。 スピットファイアMkI Xとかね。 トーネードF.2とかも、本式にはトーネードF Mk2と言う。 (13 741) 一時期レシプロ機の速度記録を保持していた機体の名である、「コンクエストI」の「コンクエスト」ってどういう意味なんですか? 直訳すれば「征服者」、グリーネマイヤーのネーミング意図は知らないが、 憶測すれば、Me209の持つレシプロ機速度記録を「征服する」という意味合いでは? スナップロールは横転率が高く、サイドスリップから入るから相手に予測されにくいのではないかな。(これも憶測だが) もっとも現代の空戦では有効性は低いと思われる。 (27 G_Tomo) スピットファイアは7.7mmのみ(但し確か10門以上か)の物もあるが防弾の有る独戦闘機や爆撃機に有効に対処し得た訳だろうか 7.7ミリではドイツ爆撃機の相手をするには力不足だった模様。 レン・デイトン「戦闘機」あたりに記述あり。 (43 340) ニューポール52という航空機について教えてください。 簡単に書くと、ニューポール42という戦闘機の改良型で、 本国では採用されずスペインでライセンス生産された機体らしい。 スペイン内乱前半の政府軍主力戦闘機だったとか。 (43 688) 夜間戦闘機で1番重武装は? 夜間戦闘機で一番の重武装は、多分He-219じゃなかったかと記憶。 (50 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 二次大戦期の双発複座戦闘機は、単発単座戦闘機の護衛が無いと空戦が出来ないという話を聞いたのですが、本当ですか? 双発にしても機体重量は単発の二倍以下に出来る→速いぞ! 燃料がいっぱい詰める→単発には難しい長距離爆撃機援護なんかが出来る! 機首に武装を集中できるし、後方機銃もあって強いぞ! 爆弾なんかも積めたりするぞ! 偵察機にも使えるかもしれないぞ! と、いろーんな野望を秘めて開発されたわけですが、 いざ作ってみたら大抵は盛り込みすぎで大型化したり重くなったり。 当然、運動性は単発に劣る。 というわけで、P-38など一部を除いて夜戦などに身を落としたわけです。 (50 156) KR-1ムースターについて詳しい事を教えてください。 スターリンによる最初の五カ年計画で、英国から導入した各種装備の中に カタパルトがありました。 それを大型艦に搭載するにあたって、水上偵察機が必要になりました。 しかし、当時ソ連には手頃な水上偵察機がなかったので、ラパロ条約に 基づき、ドイツの機体を物色した結果、ハインケル社のHD-55をKR-1として 採用しました。 ちなみに、KRとは、Korabelnii Rezvyedchik、即ち艦載偵察機の略です。 それを参考に、解析して、独自に開発したのがBeriev Be-2(KOR-1)です。 (52 眠い人 ◆gQikaJHtf2) グリフォンスピットファイアは機体がヤワでパワーが生かせないと言う話は本当でしょうか? まともなスピット関連の本なら、スピットはⅤから22にいたるまで、ろくな補強をしないまま 生産を継続したので、機体がエンジン出力に耐えられなかったことがちゃんと書いてあります グリフォンにちゃんと対応したのは24になってからです (52 970) イギリスのソードフィッシュ雷撃機はなぜ終戦まで使用されたのでしょうか。 代わりの機体が、終戦になるまでまともなものが実用化できなかったのと、 海軍航空首脳部が頑迷だった所為です。 何しろ、単葉引込脚の時代に、複葉固定脚(流石に密閉式風防にはなったが) のアルバコアとか、単葉固定脚のダンボとかを開発しています。 しかも、仕様で下方視界を重視したので、バラクーダのような、その翼も肩翼式 と言うよく判らないものになり、主脚の引込みに苦労しています。 (60 眠い人 ◆gQikaJHtf2) P-51Kのイギリス供与版は性能的にどうだったんでしょうか? 単にP-51Dのプロペラ変更版ですから、米軍のものと殆ど変わらないと 思います。 ただ、このプロペラ、5本に1本は不良品だったらしいですが。 (63 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ソ連のシュトルモビクの後部機銃係は死傷率が高く、懲罰配置と言われたそうですが、すぐ側にいるパイロットの被害も同様に高かったのでしょうか? シュトルモビクの場合、前部の操縦席の周辺は装甲板で囲われていたのに対し、 後部の機銃席は装甲板で囲われていませんでした。 その結果として、「相対的に」後部の機銃手の死傷率が高くなったわけです。 (65 39) 第二次大戦時、オランダの一部の艦に装備していた索敵用の水上機についても教えてください。 まず、索敵用水上機ですが、FockerC11Wと言う機体で、1935年に初飛行した 胴体が鋼管羽布張り、主翼が木製の複葉機です。 14機が発注され、1938年より東インドで就役を開始しています。 最終生産機はドイツの侵入時に急いで英国に脱出し、海路東インドに送られました。 太平洋戦争時は8機が残存しましたが、ジャワ占領時には全機失われています。 (67 眠い人 ◆gQikaJHtf2) イギリスの重爆撃機というのはどのような活躍をし、軍用機マニアなどの間での評価というのはどのようなものなのですか? 英国の四発爆撃機は空軍省の爆撃機仕様B.12/36で製作されたもので、次の2種がありました。 スーパーマリンB.12/36、ショートスターリングの2機種が純粋に4発機として製作された物です。 しかし、前者は設計者が癌のため急逝してしまい、加えて空襲で原型機が焼失してしまい、日の目 を見ることはありませんでした。 後者は飛行艇サンダーランドの主翼を流用する予定でしたが、空軍標準規格の格納庫の幅に合わ せると言う妙な仕様があったために、全幅は30m以下に制限され、設計上に無理が生じました。 1940年8月に部隊就役開始、1941年2月10日のロッテルダムの精油所を3機で爆撃し、500lb爆弾56個投下 したのを皮切りに、3月からはブレスト港のドイツ艦隊爆撃、4月末からフランス、低地諸国への昼間空襲を 開始し、4月17日にはベルリン爆撃を実施、このほか、チェコ、北イタリアにも足を延ばしています。 1941年7月にシャルンホルストを攻撃した時には、900kg爆弾9個を投下した後、護衛のBf-109戦闘機6機の うち、2機を撃墜したりしています。 しかし、爆弾倉が胴体、翼内に分散して大型爆弾の搭載が不可能であったこと、短い主翼のために、実用 上昇限度が低かったことから、後継機が出現した1943年以降は、優先度の低い目標の爆撃、ECM任務、機雷 投下任務に転用、最後の爆撃任務は1944年9月8日で完了し、最終的には、大型グライダー曳航機と貨物輸送 機に転用されてしまいました。 この曳航機VersionはD-Dayに初出撃し、大陸への物資補給、レジスタンスの物量投下を行い、貨物輸送機型 は1945年1月からインド、極東方面で、物資補給に使用されています。 一方、第二次世界大戦で使用された英国の四発爆撃機は他に2種ありますが、これらはRRバルチャー エンジンを搭載した双発爆撃機仕様B.13/36で開発されたものです。 これは、双発爆撃機を四発爆撃機並の性能にすることが主眼で、エンジンもその性能に沿ったものに なっていたはずでした(V型12気筒のペリグリンエンジンをX字型に二基まとめた物でHe177に似た思想)。 アヴロの機体は最初マンチェスターとして開発されましたが、肝心のエンジンがTroublemakerで話しにならず、 少数生産で終わり、胴体を流用してオーソドックスな四発機に仕立て上げたのがランカスターになりました。 これについては後述します。 もう一つは、ハンドレページ・ハリファックスで、こちらはバルチャー双発で開発に着手しましたが、 すぐにマーリン4発に変更されたため、就役は早く、1940年12月5日となっています。 スターリングと違って、流石に格納庫制限はなくなり、そつなく夜間爆撃任務をこなしていますが、 ランカスター就役後はその陰に隠れることとなりました。 1941年3月10日の夜間爆撃で6機がルアーブル爆撃に参加したのが初陣で、4月12日には有名なハンブルク 空襲にも参加し、6月30日には昼間爆撃でキール軍港を爆撃し、年末まで昼間爆撃任務に就きましたが、 ブレストのシャルンホルスト、グナイゼナウ攻撃以後はD-Dayまで夜間爆撃専門となりました。 また、自由フランス空軍の重爆撃機部隊の主力になるなど、それなりに活躍しています。 ただ、軍用機としては少し方向安定性に難があり、被弾するとバランスを失って墜落しやすい傾向があったようです。 このほか大きなキャパシティを生かして、洋上哨戒機に転用され、電子戦機、空挺部隊輸送機、 グライダー曳航機としても活躍し、大型のハミルカーを曳航できるのはこの機体だけでした。 曳航機としての初陣は、1942年11月19日の南ノルウェーにおける重水工場攻撃に投入されたもので、 以降、シシリー島上陸、D-Day、ライン戦線でも活躍しています。 戦後も、空挺部隊輸送機、貨物空中投下用機、洋上哨戒機として1952年まで使用されました。 さて、ランカスターは最初マンチェスターBMk.3と言われ、マンチェスターB.Mk.1の機体に4発エンジンを付けた 主翼を取り付けた機体が作られ、その性能が良好だったので、改名して生産に入りました。 1942年3月3日、ヘリゴランド島沖への機雷投下が初陣で、10日のエッセン空襲には試験的に2機が参加し、4月17日には 44中隊と97中隊のランカスター12機がアウグスブルグのM.A.N.のU-Boatエンジン製造工場を昼間強襲爆撃したのが本格出撃です。 このときは、12機中5機しか生還できませんでした。 以降、終戦に掛けて、156,000回の出撃、608,612tの爆弾投下量を行いました。 この中で有名なのは、1943年5月17日の617飛行隊19機によるメーネ、エーベル、ゾルベなどのダム攻撃、1944年11月12日 の18機のランカスターによる5t爆弾を用いてのティルピッツ爆撃とその撃沈、1945年3月14日に実施された ビエレフェルト・ウイアダアクト橋梁を10tのグランドスラム爆弾で1発で破壊したことが挙げられましょう。 また、1945年には日本本土空襲用にFEと言う型が製造されましたが、使用されませんでした。 ランカスターは終戦後、洋上哨戒機に転用され、最後の型は1956年まで使用されています。 このほか、重爆撃機としては、第二次大戦初期にはアームストロング・ホイットレー、ハンドレページ・ ハンプデン、ヴィッカース・ウェルズレー、ヴィッカース・ウェリントンがあります。 ホイットレーは、1939年9月3~4日にドイツ本土を最初に夜間爆撃(宣伝ビラのまき散らし)し、 10機がルール、ハンブルグ、ブレーメンに、ビラを600万部13t分ばらまきました。 また、1939年10月1日にはベルリン上空に侵入し、宣伝ビラをばらまいたりしています。 1940年3月19日には、30機のホイットレーと20機のハンプデンがホルヌムの水上機基地に対ドイツ爆撃の 第一弾を投下し、5月11日にはミュンヘン近郊の鉄道路線に本当のドイツ本土爆撃を行いました。 6月11日には参戦したイタリアに対して、初空襲を行っています。 流石に1941年末からは洋上哨戒任務に転用され、1941年11月30日に初のU-Boat撃沈を記録しています。 ハンプデンは前述のドイツ爆撃にも参加しましたが、1940年8月25日のベルリン初空襲に12機が参加し、 1942年9月まで活躍しました。 以降は沿岸航空隊に配備されて、北海のドイツ輸送船団への雷撃、爆撃に1943年まで使用されました。 ウェルズレーは、大圏式構造という飛行船のような骨組みを採用した初めての機体で、被弾にも強く、 軽量でしたが、羽布張りの機体でした。これは後のウェリントンにも採用されています。 ただ、旧式化し、しかも単発の重爆撃機だったので、主にエジプトに配備され、1940年6月11日のイタリア 参戦の日にマッサワ港を爆撃した後、8月にはEthiopiaのアジスアベバを爆撃するなど、1942年のEthiopia 解放まで、主力爆撃機として使用されました。 ウェリントンは初期の主力爆撃機の一つで、1939年9月4日に第9、第149中隊の14機のウェリントンが、 ドイツ本土ブルンスブッテルのドイツ艦隊を爆撃しましたが、このときは悪天候で失敗し、 2機が未帰還になっています。 12月18日にはウィルヘルムスハーフェン上空で、24機のウェリントンによる昼間爆撃が行われましたが、 Bf-109/110の迎撃を受け、10機撃墜、3機大破という被害を被ってから、夜間爆撃に切り替えられました。 1940年8月25日のベルリン初空襲には、17機が参加し、1941年4月1日に軽巡エムデンにBusterシリーズの 最初の爆弾、"Block Buster"1.8t爆弾を投下した初めての機体です。 更に1940年9月以降、6個中隊がエジプトに派遣され、地中海、北アフリカ、ギリシャ戦線での主力爆撃機 として活躍したのを始め、1942年初頭にはインドに2個中隊が派遣され、ビルマ戦線で活動しています。 これも、1943年で爆撃任務は完了し、以降輸送、沿岸哨戒、偵察に使用され、練習機型は1953年まで使用 されています。 ランカスター以後の重爆撃機としては、対日戦用に航続距離を伸ばしたもので、ランカスターを若干大型化 して燃料搭載量を増やし、武装を強化したリンカーンが1945年から引き渡されています。 但し、実戦には間に合わず、1950年にランカスターと交代したものの、時代遅れとなり、極東、 アフリカでのゲリラ鎮圧に使用され、1963年まで使用されています。 本国では、間もなくB-29(英国名ワシントン)に交代させられました。 なお、このリンカーンの主尾翼構造を流用して、哨戒専用機のシャックルトンが開発され、 つい近年まで早期警戒機型が使用されていました。(恐るべし英国) このほか、大圏式最後の機体で、ヴィッカースが開発したウィンザーというのもありますが、 これは生産準備中に終戦となりました。 この機体は、主脚が各ナセルに1基充て装備されて、5本足になっていたこと、尾部には射手席があるものの、 砲塔が無く、両外側発動機ナセル後端に装備された20mm砲を操作すると言うもので、3機が完成し、試験中でした。 これはさらに、4機が制作中で、うち1機にはRRクライドターボプロップ装備だったそうです。 蛇足ながら、B-29(B-50)が民間用ストラトクルーザーになったように、 英国の重爆撃機も民間機に転用されています。 ランカスターからは旅客輸送機型のヨーク、貨物輸送機型のランカスター、その改造型のランカストリアンが 製造されました。 ヨークは1942年初飛行、原型3号機アスカロンはチャーチル専用機として、VIP輸送に使用され、 1944年から軍に引渡が開始されました。 そのうち5機はBOACが取得して主にカイロ便に使用したため、編成は戦後となっています。 BOACは25機を更に入手し、各路線に就航させました。 戦後、南米路線向けに12機、英仏海峡線用に2機、アルゼンチンに5機引き渡されています。 ちなみに、アルゼンチンには戦後、ランカスターが100機輸出され、爆撃任務に就いていました。 ランカスターは爆弾倉を撤去して其処に貨物室を設けて民間機にしたもので、貨物輸送機として 戦後南米路線で短期間用いられ、後に訓練用に使用されました。 また、変わったところでは、北大西洋線の「民間用」空中給油機として用いられています。 ランカストリアンについては、大戦中にトランス・カナダ航空が大西洋横断の定期郵便飛行用に 使用することを考え、1943年7月22日にドーバルからブレストウィックまで4,000kgの郵便物を搭載 して12時間26分で飛行し、8機がこの路線に使用されました。 これを元にBOACは32機をランカストリアン1として発注し、本国と豪州、ニュージーランド間の郵便 輸送に使用しました。 これは本国~豪州間で、9名の旅客を3日で運ぶ不経済な物でしたが…。 また、南米のブエノスアイレス、サンチャゴ、リマ線にも投入されました。 この後さらに、12機が完成し、うち5機はイタリアのアリタリア航空で活躍しています。 リンカーンからはチューダーが生まれていますが、これは航続距離が不足し、縦安定が不足し、 完成が遅れて設計変更に時間が掛かり、失敗作となっています。 ハリファックスは、Mk.VIIIがチューダー製作遅延のためにホールトン1と改名され、乗客10名と 3,600kgの貨物を搭載して、ロンドン~アクラ(ガーナ)線で使用されました。 また、貨物専用機としてはまだまだ使いではあったらしく、12機も改造され、1948年まで使用されました。 ベルリン大空輸では、41機がかり集められ、9機が破壊されました。 変わったところでは、1950年9月20日に、「Air Voyager」と名付けられた機体が、DailyExpressの エア・レースに参加し、平均速度450km/hで24位に入っています。 ウェリントンからは、大圏式構造の主尾翼、エンジン、着陸装置を引き継いだ輸送機が1945年6月 22日に誕生し、これはバイキングと名付けられました。 この機体は113機生産され、主にBEAによってヨーロッパ路線で使用されて、DC-3/C-47を一掃し ました。 なお、このうちの107号機は、RRニーンジェットエンジンを搭載し、1948年に初飛行しています。 これは、1948年7月25日に、ロンドンからパリまでの距離を34分7秒、平均速度560km/hで飛行し、 それまでのあらゆる飛行記録を更新しました。 (67 眠い人 ◆gQikaJHtf2) F8F VS 烈風 ともに第2次世界大戦にまにあわなかった戦闘機ですが、対戦したらどちらが有利でしょうか。 烈風(烈風改)は一般におもわれているほど 高性能ではないというのがツウの間で定説になっています。 同じレベルの操縦手で同じ機数ならベアの勝ちでしょう (76 576) 話にもならないくらいF8F有利。 (76 577) つうか世代的には烈風はF6FやF4U世代なんですよ、開発が遅れただけで。 一世代新しいF8F相手では苦戦は免れません。 (76 ゆうか ◆9a1boPv5wk) 開発が遅れることなど普通にあることですから部隊配備して戦力化された時期を見るべきでしょう。そもそも十七試艦上戦闘機の開発開始は1942年ですが。 開発が始まったのを起点とするならばB-36は入札が決定した1941年10月16日からになります。 烈風が初飛行した時にはF6F・F4U共に既に実戦投入されてから1年程度経っているので普通は同世代機とは見なされないでしょう。両機種で烈風と同時期に初飛行したという括りなら派生型のXF6F-6とXF4U-3 (FG-3) になりますし、F4Uに限ってはF4U-4が1945年には実戦投入されています。 F8Fに関しても大戦中に空母艦載機部隊として配備まで済ませていたので烈風より先行している形です。 以下簡易比較表 F8F-1 F8F-2 烈風一一型 開発開始 1943年5月頃 ― 1942年4月頃 初飛行 1944年8月31日 ― 1944年5月6日 全長 8.43m 11.0m 全幅 10.82m 14.0m 全高 4.17m 4.23m 翼面積 22.67m² 30.86m² エンジン R-2800-34W R-2800-30W ハ43-11 2,100Bhp 最大:2,750Bhp 2,250Bhp 最大:2,500Bhp 離昇:2,200馬力 空虚重量 3,322kg 3,470kg 3,267kg 戦闘重量 4,387kg 4,689kg 4,719kg 最高速度 688.9km/h 高度5,730m 718.6km/h 高度8,534m 624.1km/h 高度5,760m 上昇能力 28.5m/s 海面高度 22.68m/s 海面高度 ― 6,096mまで4分54秒 6,096mまで5分30秒 6,000mまで6分5秒 実用上昇限度 10,607m (500fpm R/C) 11,643m (500fpm R/C) ― 航続距離 (最大) 3,352km 2,954km 全力30分+1,960km 武装 AN/M2 12.7mm機銃×4 AN-M3 20mm機関砲×4 九九式20mm二号機銃四型×4 (弾数) 300発/門 合計1,200発 205発/門 合計820発 200発/門 合計800発 (重量) 27.85kg 45.13kg 38kg (砲口初速) 884m/s 832m/s 750m/s (発射速度) 700-850rpm 650-800rpm 500-620rpm (弾丸重量) 40.34-45.79g 131.54-167.83g 123g 爆装 (最大) 1,633kg 120kg (76 ---) ツインマスタングって実用機だったの? 朝鮮戦争ではいくつか撃墜記録もあるだよ。 (81 92) TSR1という、1933年ごろの軍用機について知りたい Fairly社が1933年に自主開発したソードフィッシュ雷撃機の原型です。 シリアルNumberS1533で、1933年3月21日に初飛行しています。 T.S.R.1は、ソードフィッシュより胴体が短く、背びれとアスペクト比の大きな 方向舵とスパッツ付着陸装置を持ち、シドレー・タイガーとブリストル・ペガサスの 二種類の発動機を搭載してテストしましたが、基礎試験を終えた9月11日に事故で墜落しています。 (83 眠い人 ◆gQikaJHtf2) P-51 Yak-9 Bf109 スピットファイアは1942年の段階で戦闘してたんですか? Yak-9は42年11月、スターリングラード戦に初期型が数十機投入されてます。 (84 511) ×ノースアメリカン P-51 ムスタング ○ヤコブレフ Yak-9 ○メッサーシュミット Bf109 ○スーパーマリン スピットファイア Mk VB (84 513) ドボアチーヌという、WWIIの時の戦闘機はなぜあんなにロングノーズなのでしょうか? ドボチアーヌだけがロングノーズじゃないと思いますけどねぇ。 液冷エンジンの機体は基本的にノーズが長いです。 (90 54) 液冷エンジンって、なぜロングノーズになってしまうんですか? なぜかロングノーズになってしまう、っていうより ロングノーズにできるからしてる、ってほうが正解 空冷のように大口あけなくて済むからね そのほうが流線型にできて有利だろ (90 56) 空気抵抗を減らす為にロングノーズ状態にします。 更に言えば液冷エンジンは長いのでそれ以外の配置は エアコブラのような胴体中央に置く事になります。 (90 57) 日本機とドイツ機が直接戦った事例は無い? 我が国に於いて、輸入したBf-109Eと、Fw-190A5とが、隼、キ-60、飛燕、鍾馗などの陸軍戦闘機と 模擬空戦を行った記録があります。 勿論、巴戦では隼、鍾馗、飛燕などがBf-109Eを圧倒していますが、一撃離脱では刮目すべき点が 有るという記録が残っています。 Fw-190A5に関しては、その時期の日本戦闘機と互角の空戦性能だったそうです。 あくまでも、模擬空戦ですけどね。 (91 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第2次世界大戦の飛行機で双発以上の爆撃機で急降下爆撃が可能なのはどんな機体があったか教えてください。 銀河・モスキート・Ju88だけですか 能力があると言う意味でですけど。 日本では銀河、99式双軽、キ93、キ96。 Mosquitoは違うでしょ。 ドイツは、Do-217/317、Ju-88/188/288、He-177辺りでしょうかね。 後、イタリアのBa-88、ソ連のSB-2、Pe-2、Yak-4、米国のXA-38。 (93 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 複葉の艦載機で主翼を折り畳める物はありましたか? Swordfishが代表的。 (99 眠い人 ◆gQikaJHtf2) スツーカとかF4Uコルセアはどうして翼が曲がっているのですか? 爆弾を吊したり、プロペラを大きくするには、機体と地面のクリアランスを大きくしたい。 そんな時、脚が短くできて、脚の故障に起因する離着陸時の事故が減る。 (100 886) 大戦中のイタリア機の胴体部分によくMC202等の機種記号が書かれていますが、その下にあるmm**の意味がわかりません。 シリアルNo.でしょうか? 資料が出て来ないので確かなことは言えませんが、航空省の通し番号か、 製作工場での製造番号だったと思います。 何時の日か資料が掘り出せたら此処にカキコするかもです。 (101 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 大戦中のイタリア機の胴体部分によくMC202等の機種記号が書かれていますが、その下にあるMM**の意味がわかりません。 些か古い資料ですが、Harleyford Publicationsの"Aircraft Markings Of The World 1912-1967" に依れば、MMと言うのは、Matricula Militaire、英語ではMilitary Numberと言い、1923年からずっと 使われているものです。 これは、空軍が発番した5桁以内の通し番号で、これは特にメーカー、機種に拘らず、空軍が発注 した機体のバッチ毎に通しで発番されたようです。 空軍が発注したものに対する番号ですから、供与機には発番されなかったようです。 この体系は戦後も形を変えて引き継がれています。 基本的には通し番号ですが、例外があり、戦後米国からの軍事援助で供与されたC-119の52号機 はBu.No.51-8128だったため、MMもMM51-8128となっており、S-2Aの20号機は、米海軍のシリアル №が144716だったためMMもMM144716となっています。 (101 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ユンカースJu52/3mって何度もエンジン替えてるみたいだけど、搭載量はどの型も一緒なんでしょうか。 最初が単なるJu-52、これはJunkers L88(800hp)搭載の単発旅客機でした。 これの旅客数は15名。 この機体は6機生産され、搭載エンジンは運航地に合わせて、BMWVII(600/755hp)、 英国製のRR Buzzard(825hp)、AS Leopard(700/750hp)エンジンを採用しています。 これで、15~17名です。 その後、アルプス越えの安全確保のため三発化しJu-52/3mとなりました。 初期生産型3m de、ceは、P W Hornetエンジン(525hp)、一機だけHispano-Suizaエン ジンを搭載した3mbe型が製造されています。 量産型では、エンジンはP W Hornetのライセンス生産型である、BMW132A-3(525hp) を搭載し、少数がJunkers Jumo205、P W Hornet、P W Wasp、Bristol Pegasusを搭載 しています。 軍用機として開発されたのが、3m g3eで、尾橇を尾輪に変えたのが3m g4eです。 これらは民間型の構造を強化したものです。 ここまではJu-52と搭載量が変わりません。 搭載量が増えたのは3m g5eからでエンジンはBMW132T-2(880hp)に強化されました。 完全武装の兵士10名を搭載できるようになりました。 そのドア拡大型が3m g7eで完全武装の兵士18名を搭載できます。 3m g8eは更に貨物を積みやすく補助ハッチが設けられ、BMW132Z(850hp)に向上しました。 g9eでは主脚が強化され、最大離陸重量は10tから11tに増えています。 以後は、武装、防弾装備が強化されているので、大幅な性能向上はなく、寧ろ、性能は低下しています。 戦後に製造された、A.A.C.1、CASA C.352はJu-52/3mg8eとほぼ同じです。 (104 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ヤーボって何を指してるのですか? ヤーボは"Jabo" と書きJagdbomber(戦闘爆撃機)の略です。 従って、 タイフーンだろうがテンペストだろうが爆弾持ってればみんなヤーボです。 またBf-109やFw-190にも"Jabo"仕様がありますです。 (104 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 陸軍で患者輸送機として使われた、デ・ハビランド DH.80A プス・モスについて教えてください。 英国なんかでは単距離離着陸性能を活かして連絡機として使われちゃってたみたいですが、 日本ではそんな話を聞きません。三式指揮連絡機を開発するよりこれをコピーしちゃえば てっとりばやくて良かっただろうに、とか思うのですが、性能の方に問題でもあったのでしょうか? 民間でも使っているので性能は悪くないですが、当時は必要性を 感じなかっただけでは無いでしょうか。プスモスも貰い物ですから。 ただ、何でもコピーすると手っ取り早いという考え方はやめた方がいいですよ。 (108 657) 民間では朝日新聞が4機、満州航空が10機、蜂須賀侯爵の自家用機として1機輸入しています。 このほか、陸軍が連絡機として5機(愛國64~68号)使用し、 後に蜂須賀侯爵の機体も愛國114号として献納されました。 ちなみに、満州航空と陸軍の蜂須賀家を除く献納機は、奉天航空工廠で製造されたもので、 満州在官民の献金で献納されたものです。 と言った訳で、一応、陸軍が連絡機に用いていますが、その機数は少ないです。 恐らく、軽飛行機関係には余り資金が回らなかったってことでしょうか。 それと、Puss-Mothは荒天に弱く、朝日新聞社機が1932年9月15日に遭難、 2名死亡という事件がありましたし、キャビンの狭い2~3名乗りの機体は 過小に過ぎたと言うことでもありましょう。 患者輸送機としては、Puss-Mothではなく、複葉のFox-Mothです。 この機体は室内にキャビンを持つもので、胴体内部に担架を搭載できると言う利点が買われ、 輸入機を大阪薬種製薬が2機(愛國95~96号)、陸軍軍医団が1機(愛國106号)を献納しています。 また、満州国警察で1機が使用され、残り1機は東京瓦斯電気工業(今のいすゞとか日野の前身)が購入し、 これを研究した結果、国産のKR-1/KR-2小型旅客機を製造し、これらは海軍の連絡輸送機としても用いられています。 De Havillandの機体は、瓦斯電の機体にかなりの影響を与えたと見て良いでしょうね。 (108 眠い人 ◆gQikaJHtf2) シーファイアの一通りのカタログスペックを教えてください。 Seafireのカタログスペックは、←の単語でググって下さい。 各型があり、Spitfireと同じ様な発展をしているので、最初のMk.IBと最後のF.Mk.47 とではスペックに大きな開きがあります。 実戦投入は、1942年6月から行なわれ、本格的な実戦は米軍と共同で行なった、 Torch作戦が最初です。 この頃はSpitfire Mk.VbベースのMk.Ibが投入され、以後、Mk.VcベースのMk.IIc、 Mk.IIIが順次投入されています。 戦争終結直前にはGriffonSpitfireベースのMk.XVが投入され、戦後、Mk.XVII、 Mk.45、46、47と進んでいます。 朝鮮戦争には、Triumph搭載の800sq.がMk.47を駆って参加し、哨戒245ソーティー、 地上攻撃115ソーティーの合計360ソーティーをこなしています。 (110 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 何故、WW2イギリスの艦載型航空機は、あんなにも駄作機ばかりなのでしょうか? 一時期、空軍に主導権を完全に握られてたから。 実際、空軍が独立してた国でまともに艦載機開発できた国はない(まあ英独伊だが) 逆に日米が艦載機開発に運良く成功した、と言い換えることもできるかもしれないよ。 (123 177) 推測だが 英国製航空機のうち単発系攻撃機はぜんぜんだめだったからでは。 バトルだって結局損害でまくり、しかもバトルオブブリティンで新規の航空機開発する余裕などないし、 ソ連参戦後も攻撃機だとモスキート、しかもそのころにはやんキーがバンバン供与してくれるし。 開戦:ドイツがくる~とりあえず戦闘機が先だ。攻撃機作っても攻撃するところないし。 ソ連参戦:やっと余裕ができた。でも艦載機アメリカがくれるしまあいっか。 みたいな感じ。 (123 178) IL2シュトルモビクは装甲貼りまくってたのに何でけっこうメッサーとかに撃墜されたんですか 基本的にコクピット周りを対空砲火から守る配置の装甲だから、メッサーから攻撃される後方からだと弱い。 特に初期型は単座で、機銃手がいないから反撃も出来ず一方的に撃たれまくってしまう。 浅い角度で命中した機関砲弾を弾いたこともあるが、乗員の上半身を守る装甲は少なく(全面装甲化 したら外が見えない)20mm砲に耐えられないし。 どんなにタフと言われる航空機であっても、機関砲弾の連続着弾には耐えられない。 (605 485) 当たればそら確実だけど20mmでコクピットの狙い撃ちなんざまず無理 発射時のブレもあってコクピットをピンポイントに狙えるほど高精度の武器じゃない そもそも13mmもあればコクピット周辺の防弾を抜くには十分でな 防弾ガラスにそこまでの耐久性はないのだ だから弾丸シャワーでパイロットぬっ殺した例は山ほどある (俺初質スレ50501 737) ソ連の護衛戦闘機が常についてるのにシュトルモビク落とすために低空に降りたら生きて帰れないぞ ハルトマンとかすげえ数落としてるようにソ連の戦闘機はドイツの数倍は常にいた (俺初質スレ50501 740) 水上偵察機はなぜカタパルトで発進させる必要があるのですか? 海が荒れてても発進できるメリットがあるとしても、着水できないから結局出撃できないと思うのですが 「海が荒れてても」「着水でき」ます。 「艦を旋回させ航跡により波を圧し鏡のような海面になった一瞬を見計らい着水する」 「資料No-3 水偵、正式名は水上偵察機、フロートを着けている為「下駄履き」とも称された。 任務としては対潜水艦哨戒、敵艦船や基地攻撃、偵察、島嶼の人員輸送、夜間攻撃隊の誘導、不時着搭乗員の救助、など多岐にわたる。 水上機基地・水上機母艦に所属するほか戦艦・重巡等に2~5機ほど搭載されカタパルトで射出され、母艦近くに着水の後デリッククレーンで揚収される。 作戦行動中は前路偵察が主業務となる。 特に機動部隊に随伴する戦艦・重巡の水偵は、洋上遠く艦隊の耳目として進出、敵戦闘機の妨害を排除しつつ触接を続行し、 更に味方攻撃機を誘導する重要な任務を与えられていた為搭乗員には優秀者が配され航法能力も高い水準にあった。 なお洋上揚収は極めて難しく、上空にて待機し母艦の艦長が艦を旋回させ航跡により波を圧し鏡のような海面になった一瞬を見計らい着水するといった、 軽業的な操縦技術が要求されたという」。 下記、補足説明を参照ください。 ttp //www.tokura.co.jp/kokusai/kaicho/kaicho10.html (609 霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.) 艦載型のモスキートは試作ですか?量産されて海軍が運用したんですか? Sea Mosquitoは、N.15/44仕様で開発が行われたもので、Mosquito Mk.VIを改造して着艦フックを取り付けた試作型(LR359)が、 1944.3.25、E.M.Brownの手によって、Indefatigableへの着艦を成功させました。 海軍型Mosquitoは、翼幅を延長し、四枚羽プロペラを装備し、5~10%程度推進効率が向上しています。 この試作型の他、LR387も改造され、夜戦仕様となっています。 量産型は1945年秋から生産が開始され、11月に1号機(TW227)は初飛行、MosquitoT.R.33として制式採用されています。 最初の13機は、折畳み翼ではなく、脚も空軍型と変わりありませんでした。 しかし、TW241から折畳み翼を装備し、脚は着艦用に強化されたLockheedの緩衝装置を装備しています。 また、TS444/449の2機は脚無着艦が可能な様に作られた特殊型でした。 Sea Mosquitoは97機が発注され、50機が引き渡されました。 雷撃任務には18インチ魚雷を1発を胴体下に、50ガロン増槽を2個翼下に抱えるか、50ガロン増槽の代わりに 30ガロン増槽を2個とロケット弾発射機2基を装備することも可能でした。 これらのT.R.33は、主にFordの811Sqn、少数が703/706/762/771/778/790の各Sqn..に配備され、1947年まで 使用されています。 後、703Sqn.には試験用として、T.R.33にA.S.Vレーダーを取り付けたT.R.37(VT724)が1機だけ生産されています。 このほか、仕様Q.19/45で、General AircraftがMosquito B.16を改造して高速標的曳航機T.T.39を作って、艦隊 航空隊と地中海艦隊に配備し、811/777/778/780/787Sqn.では、1945年9月から訓練用に空軍のMosquito F.B.VIを 引き渡されて慣熟訓練用に用いたり、複操縦装置付きT.3が1機海軍に引き渡されたりしています。 (322 眠い人 ◆gQikaJHtf2) WW2の頃、モスキート爆撃機以外に木製飛行機って作ったんですか? 日本、キ106(木製疾風)、明星(木製九九艦爆)、キ105輸送機、キ115特攻機など() ドイツ、Ta152モスキート、He162国民戦闘機、Ba349ナッター使い捨て戦闘機、V1など。 ソ連、LaGG3、La5など。一部木製というのなら、ほとんどのこの国の単座戦闘機がそう。 また、木金混合構造or主翼面のみ木製(秋水、シュトルヒなど)、計画のみ(蒼空輸送飛行艇など)、 などをふくめると、膨大な数になります。 他には、例えばフィンランドはF2Aバッファローを木製化してライセンス生産していたはずです。 あと、グライダーは、どこの国も木製構造のものが多かったです。 (321 197) 戦後ならChanceVoughtのF6Uの構造部材にメタライトと言うのを使っています。 これは、アルミニウムでバルサ材をサンドイッチしたもので、F4Uから用いられていました。 後、イタリアにはAmbrosini SAI107/207/403と言う一連の木製戦闘機があり、戦後も、 その原型になったSAI7から発展した尾輪式ジェット戦闘機を作って、最終型では超音速を 狙っていました。 フランスは、BlochがMB700と言う機体を試作し、Caudronが木製レーサーから発展した C.714を製作し、これは、イタリア製エンジンを積んでRenaultが生産するC.R.760~780に 発展する予定でした。 ちなみに、C.714は90機製作されたうち、50機がFinlandに輸出されますが、44機が途中で 失われています。 残った機体は、対独戦で亡命Poland軍部隊GCI/45で用いられ、Bf-109を3機、Do-17を1機 撃墜し、損害ゼロという記録を持っています。 後、日本では、立川が中島四式戦闘機「疾風」を木製化したキ106を試作して、王子製紙と 呉羽紡績に製作する予定でしたが、強度不足で思い切った旋回が出来ず、増加試作か 訓練用に留めています。 ちなみに、この機体は、黒江少佐が最後に乗った機体でした。 (321 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第二次大戦で実際に戦闘した機体で最も重武装して出撃した爆撃機以外の戦闘機、攻撃機は何でしょうか? 攻撃機ならばイギリスのホーカー・タイフーンあたりかな。 固定武装は12.7mm機関銃12門もしくは20mm機関砲4門だが、翼下の60ポンドロケット弾8発の斉射は駆逐艦の片舷射撃に匹敵したというから {(319 446) WW2の末期になると、水上機は、もはや用なしだったんでしょうか? 水偵隊は終戦時、開戦時とほぼ同勢力を残してます 生産も消耗もすごかったんで結果的に量的には見るべきものがのこされてたというオチ (637 ゆうか ◆u8WC078ef5ch) この機体はなんですか? 1930年にレニングラードに作られた民間機飛行学校から発展した、 NIAI(Nauchno-Issledovatelskii Aero Institut)と言う研究機関で製作された機体 で、その中の主任設計技師であるGrigorii Ivanovich Bakshayevが中心となって 設計したものです。 元々は、RK/LIG-7と言う1936年に作られた単葉機にて、彼はマトリョーシカから ヒントを得て離着陸時に主翼を蛇腹状に広げて翼面積を増し、高速飛行時にはそれを 折り畳むと言う機構を考え出しました。 翼は460mmずつ広がり、全部の翼を広げるのに40秒を想定していました。 それが面白いとして、高高度戦闘機に発展したのがその写真にあるRK-Iです。 これも2つの主翼の部分を支持翼として、蛇腹式の翼を出す様にしており、 翼面積は2.4倍になるほどで、翼の展開は14秒で出来る計算でした。 1938年10~12月の段階では、M-105エンジンを搭載する予定でしたが、スターリン はこれに強力なエンジンを搭載する様指示し、M-106エンジンを搭載する事になりました。 TsAGIでの1/5スケールモデルでの風洞実験、1/1モデルの曳航試験を経て、1940年早期 に機体は完成しましたが、エンジンが全くものにならず、軍部の興味も薄れ、設計者も収容所 送りになりました。 (631 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 急降下爆撃機って何のために急降下するんですか? 第1時世界大戦後、アクロバット飛行ショーをやっていたパイロットにより、 「ある一定程度以上の角度でダイヴしながら飛行機から重量物を投下すると、 降下時の機体の軸線の延長線上(要するに、急降下している時にパイロット から見える真正面)に必ず落ちる」 という事が発見された。 これにより、急降下しながら爆撃を行えば、正確に目標を捉えた爆撃ができる ことが発見され、いわゆる「ピンポイント爆撃」が行えることが判明した。 それまで航空爆撃というものは「いま落とすと大体あの辺に落ちるんじゃないかなぁ」 という程度の命中精度しかなく、都市を無差別に爆撃するか味方が絶対に居ない 地上施設の近くに爆弾落とすくらいしかやることがなかったので、この発見に より航空機によって地上設備や艦船を”狙って”攻撃できるようになった。 補足説明:一般的な水平爆撃では慣性や風等の影響で目標に当たりにくい。 そこで考えられたのが急降下爆撃。急降下中に爆弾を投下すると爆弾は主に下方向に加速されるため 慣性の影響が少なく、狙った目標に当たり易くなる。 ソ連は命中精度の問題を地面スレスレを飛んで爆撃することで解決した。 (300 487-488) モスキートは自動化した対戦車砲を積んでいたようですか、そこで質問です 1,作動方式はなんだったのでしょうか 2,対戦車砲を持ち出すほど戦車の上面装甲が厚かったのでしょうか 3,自動化出来るなら何故陸上でも運用しなかったのでしょうか(必要性が少ない?) モスキートのツェツェに積んだ6ポンド砲は、元々地上用に開発されたけど、 威力不足でお蔵入りしかかってた奴。 ターゲットはUボート。 (663 174) 1. モスキートのは元をたどればVickersSのバリエーションでロングリコイル。 2. まず対戦車用途とは限らず、地上攻撃にも使うから、一定の爆薬を詰め込める口径が必要。 また、垂直降下で撃つわけではないから、弾着はどうしても斜め(60度とか)になり、強めの 貫通力が必要。実際、ハリケーンに搭載された40mmではタイガー戦車の上面装甲を 貫通できないことが間々あり、57mmにスケールアップされた経緯がある。 3. 機載では自分で装填できないから否応なく自動になる。しかし、自動は故障することもあり、 実際、作動不良は珍しくなかった。また、同じ弾薬なら、自動機構の作動分、弾速も遅くなる。 自動機構自体、重い。メンテも面倒だし、自動機構を確実に動かすため、弾薬の威力などにも 制限がかかる。また、弾倉の装填にも時間がかかり(特に箱形の場合)、人出がある地上なら、 無理に自動にしてもあまりメリットはなかった。同じ重さと手間なら、2門列べた方が早い、という感じ。 補足 そもそも機載の機関砲は、重量、反動などの制限が大きく、どうしても威力に限界がある。 地上で使用する場合は、そのような制限は少ないし、対地攻撃と違って正面装甲を 貫通する必要があるから、大威力の砲を使う必要がある。 機載の弱力砲ならともかく、大威力の対戦車砲を自動にしたら、自動機構がとんでもない シロモノになり、とても動かせないし、嵩張って目立って仕方ない。 あちこち動かし回って、射点に潜んで敵戦車を屠るのが対戦車砲としては無能ということになる。 (663 system ◆systemVXQ2) 水上機の双フロートと単フロート、それぞれの方式の長所・短所について教えてください 双フロートは水上では浮力が大きく安定するが空気抵抗が大きく空中では不利 単フロートはその逆 先の大戦中は、出力が大きめなエンジンを使えた英米独は双フロートを好み、低出力な エンジンしか使えなかった日本は単フロートを採用した例が多い 浮力そのものは船型やサイズに寄るので一概には言えない。 双フロートが安定するのは双胴船が安定するのと同様の理屈と考えて欲しい。 も一つ。単フロートが空気抵抗が小さいと考えていた日本は、戦時中「プロペラ後流」の影響を知らなかった。 本当の所、空気抵抗が小さかったか? は検証されないまま今日に至っている。 (294 508-521) 500km/h以上でる水上機ってないの? 分離すれば出る晴嵐や戦後のシーダートとかは除くとして イタリアのマッキ (Macci)M.C.72が709km/hの、プロペラ水上機最速記録を持ってます。 (669 system ◆systemVXQ2) 1939年の時点で使用されていたスピットファイアの防弾装備について教えてください。 初期型Spitfireについては、防弾鋼鈑が少なくとも操縦席後部のパイロット頭部部分にあり、 防弾ガラスがCanopy前面にありました。 但し、防弾ガラスや防弾鋼鈑については、1939年の時点で取り付けられたものであり、開戦 時点では無い機体も在ったようです。 その後、1943年に掛けて、パイロット背部、座席下、上部燃料タンク覆い、燃料タンク前面、 冷却液タンク前面に防弾鋼鈑が装備され、Cウィングを付けた場合は、主翼の弾倉に防弾 鋼鈑が取り付けられています。 (285 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 大戦中のイタリア機の胴体部分によくMC202等の機種記号が書かれていますが、その下にあるMM**の意味がわかりません 些か古い資料ですが、Harleyford Publicationsの"Aircraft Markings Of The World 1912-1967" に依れば、MMと言うのは、Matricula Militaire、英語ではMilitary Numberと言い、1923年からずっと 使われているものです。 これは、空軍が発番した5桁以内の通し番号で、これは特にメーカー、機種に拘らず、空軍が発注 した機体のバッチ毎に通しで発番されたようです。 空軍が発注したものに対する番号ですから、供与機には発番されなかったようです。 この体系は戦後も形を変えて引き継がれています。 基本的には通し番号ですが、例外があり、戦後米国からの軍事援助で供与されたC-119の52号機 はBu.No.51-8128だったため、MMもMM51-8128となっており、S-2Aの20号機は、米海軍のシリアル №が144716だったためMMもMM144716となっています。 (101 眠い人 ◆gQikaJHtf2) スツーカや99式艦爆とかって固定脚だけど、なんで固定なの? 固定なら最前線での整備率もいい。なにしろパーツが少なくてすむから。 例として99式襲撃機などは後継機がいなかったことも(隼戦爆機はなしよ)あって 最後まで使われたりする (276 943) 蛇足ですけど、九九式襲撃機を引込脚化した機体はありました。 瑞星を金星に換装したのと引込脚を採用しただけで、他は九九式襲撃機と変らなかったのですが、 最高速度は九九式襲撃機よりも向上せず、重量増加で離着陸性能は悪くなり、馬力増加と引込脚を 収納するスペースのために燃料容積が減少して、航続距離が短くなり、惨憺たる結果で、結局後継機は 試作で終わってしまいました。 (276 眠い人 ◆gQikaJHtf2) シーファイアの型と登場時期について教えて下さい 各型があり、Spitfireと同じ様な発展をしているので、最初のMk.IBと最後のF.Mk.47 とではスペックに大きな開きがあります。 実戦投入は、1942年6月から行なわれ、本格的な実戦は米軍と共同で行なった、 Torch作戦が最初です。 この頃はSpitfire Mk.VbベースのMk.Ibが投入され、以後、Mk.VcベースのMk.IIc、 Mk.IIIが順次投入されています。 戦争終結直前にはGriffonSpitfireベースのMk.XVが投入され、戦後、Mk.XVII、 Mk.45、46、47と進んでいます。 朝鮮戦争には、Triumph搭載の800sq.がMk.47を駆って参加し、哨戒245ソーティー、 地上攻撃115ソーティーの合計360ソーティーをこなしています。 (110 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 昔P51をターボプロップにしたエンフォーサーとかいう攻撃機があったと思うんですが、あれはセールス的に成功したんでしょうか? 確か、Piperが作った機体だと記憶していますが、売れませんでした。 もう一つ、F-51D(P-51)の廃棄機から再生した機体を、Cavalier社がF-51Dとして製作して いますが、こちらは、1967年に米空軍の発注でMAP供与機として生産、ボリビア、ドミニカ など中南米の小国空軍に供与されました。 元々、この会社はF-51Dを購入して、複座に改造してスポーツ機として製造していた会社で した。 これから発達した自社開発機が、MustangIIとして試作され、これら中南米の小国空軍に 改造キットとして売られています。 この機体は、複座、固定式翼端増槽を持ち、動力はRR Merlin620に強化、翼下には各種 武装を吊下げられます。 また、これを更にRR Dart Mk.510に換装したのが、Turbo MustangIIIとなっていますが、 こちらは売れませんでした。 再生機としては他に主にWWII末期~朝鮮戦争時代に生産されたDouglas B-26を、この機体 をビジネス機に改造していたOn-Mark社で再生し、米空軍がベトナムで使用したB-26Kが あります。 こちらはそこそこ売れました。 余程のことがない限り、わざわざ戦時中の余剰機を使用して改造するよりも、戦後に生産された 中古機を購入した方がまだマシでしょうし、また、大国の傘下に入れば、ひも付きで或程度の新 鋭機が供与されますから、余程経済的に困窮している国でない限り、こうした機体を購入すること は無いと思います。 (113 眠い人 ◆gQikaJHtf2) アンブローシニS.403について教えて下さい。 こいつや、こいつの前身のS.207は、果たして活躍できたんでしょうか? イタリア空軍は3000機もの大量発注を行なったとか俄かには信じ難いお話もあるので、 Ambrosini SAI.7練習機から発達したもので、1942年に原型機が製作されています。 最初のものは、SAI.107と言い、単座化した分全長が短くなりましたが、構造は強化され、 エンジンが換装されました。 これが空軍の飛行テストセンターで560km/hの速度を出しています。 次いで、SAI.207が完成します。 これは、107の機体をそのままに、エンジンを750hpに強化し、プロペラを三枚定速式に 改めたもので、武装が施されました。 1,400kgの重量増でも、テスト中に水平飛行で636km/h、急降下で746km/hを出しています。 これを空軍が2,000機発注しますが、原型3号機、即ちSAI403が完成して、しかも、これの性能が 又良かった為、13機製造したところで量産中止となりました。 そのため、実戦には使用されず、1943年夏、ローマ近郊の防空戦闘機隊に実験的に配備された のみでした。 その原型3号機が、全長、翼幅を増し、エンジンを同馬力ながら改良したものに換装したのが、SAI.403で、 空力的洗練を行なった為に、速度は更に向上します。 空軍は、先の2,000機をこれに振替え、更に1,000機の発注をかけますが、Ambrosiniだけでなく、1,200機は Savoia-Marchettiで、1,000機をCaproniで生産することになり、治具を整えた所で敗戦を迎えています。 基本設計は優秀で、最初に出てきた、SAI.7は戦後もS.7/S.7Bの名前で、Ambrosiniによって量産が続けられ、 戦後のItaly空軍に採用されています。 ちなみに、この機体をそのままに、後退角45度の主翼、後退角の付いた尾翼を取付け、機首に推力379kgの Turbomeca MarboreIIを搭載したAmbrosini Sagittario1実験機は、設計値マッハ1.05を目指していました。 木製構造のために、残念ながら設計値に達しませんでしたが…。 それでも、これを元にRR.Derwentを搭載した軽戦闘機、Sagittario2を試作し、これは急降下でマッハ1.1に達し、 Italy機で初めて音速突破に成功しました。 この発達型として、更にItaly、米国両国の空軍からの援助で、軽迎撃機Ariete、Leoneを開発したりしています。 (131 眠い人 ◆gQikaJHtf2) B-29のソ連版コピーであるTu-4について教えて下さい Tu-4は、1944年7月29日に不時着して手に入ったB-29-5-BW(42-6256)のほぼ忠実な コピーで、これをメートル法に換算して治具などを作っています。 他に、1944年8月20日に不時着したB-29A-1-BN(42-93829)、1944年11月21日に不時 着したB-29-5-BW(42-6358)を参考にしています。 一方で、戦前にTupolevを中心として、戦略爆撃機を製作する動きがありました。 これがProject64で、当初はTu-2の主翼延長型だったのですが、そのうち、我らが輝ける 太陽、Iosif Vissarionovich Stalinが、公式ルートで米国よりB-29のレンドリースを申し入れ、 その供与を前提に、Project64を開発することになり、Priorityがが最高に引揚げられました。 これはTuporev設計局で開発され、翼型はNACA-2330、液冷で排気タービン付のAM-44TK エンジン(2200hp)を4発装備し、四枚ペラを回し、乗員は正副操縦士と、爆撃手兼航海士、 機関士、レーダー操作手と銃手と尾部銃手の7名、3つの砲塔に連装B-20を装備し、5tの爆弾 を持ち、航続距離と燃料搭載量はB-29より短く、フラップや三車輪式降着装置は、油圧駆動 と言う代物で、風洞実験まで行きましたが、結局は、ソ連式B-29は機体の供与が成されず、 絵に描いた餅になり、1946年初頭で研究は破棄され、TupolevOKBは、Tu-4として、B-29を コピーする道に邁進することになります。 (261 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本軍はイタリアから爆撃機(イ式重爆)を買ったけど、カタログスペックより低い速度しかでなかったと聞きました。 やはりガソリンのオクタン価の違いが原因でしょうか? 速度ではなく、航続力に違いがあったと記憶しているのですが…。 イタリア機の品質管理にはどうしても甘いものがあったかもしれませんが(それでも、カプロニ・ベル ガマスキCa135/P11より可成りマシ)、陸軍では監督官をフィアット社に送り、1機毎に試験飛行に 立ち会ったり、生産状況を視察したり、品質検査をするなど、可成り気を遣って領収しています。 ただ、BR20の設計構造は、イタリアの技術水準に合わせた大まかで量産向きのものであり、操縦も重く、 完全主義者でデリケートな日本人乗員に違和感を持たれた上、ブーストを高めると燃料消費量が急激に 増大するので、操縦者が発動機特性を飲み込んでいるか否かで航続距離が異なり、編隊で同一地点を 爆撃して帰ってきても、各機毎に燃料の残量が非常に異なっていました。 従って、作戦計画を立てる際は、最も燃料消費の多い機体を標準として作戦を立てる必要があり、燃料消費 や補給の観点から、著しく作戦行動に掣肘を受けています。 これは、陸軍が外国から配備されてもいない(試用はされていましたが)新型機を泥縄式に購入し、十分な 試験飛行を行わない状況で実戦に投入したことが原因でありました。 ちなみに、この機体購入には部品も含め、当時の金で6,000万円をつぎ込みましたが、3ヶ月間で20回出撃 すると、もう、全力出撃が出来ない状態で、イタリア製の爆弾を切らすと、日本製の爆弾ではスペースに無駄 が出来、軽爆程度の爆弾搭載量しか無かったそうです。 (159 眠い人 ◆gQikaJHtf2) スピットファイアは爆弾のような増槽と違い、胴体部分にケースのような増槽を装備していたようですが、 この増槽にはどのような特徴があるのでしょうか? 元々、本土防空用戦闘機として基本設計が為された機体ですが、それでも、設計開始当時は、 巡航2時間、戦闘30分の飛行が可能でした。 しかし、機関銃8丁装備要求が途中で追加されたため、主翼内に燃料タンクが装備出来ず、巡航 1時間30分、戦闘15分に低下してしまいました。 と言うわけで、燃料搭載量が当初から不足していたのですが、タンク増設のスペースが無く、内翼 前縁とか後部胴体に申し訳程度のタンクを増設しても焼け石に水。 仕方なしに、増槽を準備したのですが、これも装備するスペースが限られており、結果的にスリッパ 型のものを装備した訳です。 これには、30gal、90gal、170galの各容量のものがありますが、最も多く使用されたのは、30galのもの で、90、170galはフェリー用でした。 特に、170galを装備する場合は、操縦席後方に29galの増設タンクを使わねばならず、これでは機動性 は期待できません。 なお、MkIX後期型からは50galの筒型増槽が使用され、Seafire Mk.47では、主翼下面に増槽が装備され ています。 他国にも同じようなスリッパ型の増槽が使用されています。 日本では九七式戦闘機に装備されたものが有名です。 (233 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 北アフリカ戦線でMC202と戦ったP40パイロットは相手にどんな印象もったの? 経験を積んだパイロットの場合でも、機動性に富んだM.C.202では、良くて互角、 或いは、相手が経験を積んだパイロットであれば、不覚を取る可能性が十分あり ました。 イタリア空軍のM.C.202を駆ったエースの中には、P-40を短期間で5~6機撃墜 した者も居ます。 「第二次大戦のイタリア空軍エース」であれば、結構詳しく載っています。 ただ、空戦の模様までは掲載されていませんが…。 短期間撃墜は、第4航空群第84飛行隊隊長のFranco Lucchini大尉で、1942.6.4にP-40を 単独で撃墜し、6.8に協同で1機撃墜、3機を撃破、6.12に協同で1機、6.17、7.4、7.16、7.17、 8.5に単独で1機ずつ撃墜、7.24に協同で1機撃墜、間を置きますが、10.20、10.23、10.24に それぞれ単独で1機撃墜という記録を残しています。 一方、ニューギニアに於いては、飛燕はその主な相手としては、B-17/24を護衛 するP-38でした。 こちらの方は、P-38に分があった様です。 P-40とは稀に対峙する場合がありましたが、丁度、その頃には、P-47に改編の ために戦線を離脱した状態でしたので、パイロットも余り印象に残っていないみ たいですね。 ちなみに、P-47の方が、経験を積んだ日本軍のパイロットからすると、P-38より も与しやすしと言った状況でありました。 (193 眠い人 ◆gQikaJHtf2) イタリアでは、光像式の照準器の導入は早かったのデスか? 隼とかが望遠鏡式?の筒型の照準器を1941年になっても使ってたのと比べるとイタリア機は先進的だな、と意外に感じたので C.R.32ではキャノピーの前に、Re-2001試作機ではキャノピー内に眼鏡式の照準器を備えていましたが、 C.R.42やM.C.200、Re-2000からは光像式の照準器になっています。 G.50の場合は、スペイン戦争に出撃した初期型では、未だ、キャノピーの前に円環が装備されて いますので、光像式の照準器は採用されていません。 後期型になると光像式に変わっているので、1940年前後からの採用になるのではないか、と思い ます。 日本では、海軍が光像式を早くから採用していますが、実際に数が揃いだしたのが、1942年ですから、 どっこいどっこいだと思います。 光像式の照準器は、確証は持てませんが、構造を見るに、Reviのものに似ています。 イタリアで国産化した、ドイツ製照準器だと思います。 (194 眠い人 ◆gQikaJHtf2) イ-Sというソ連の飛行機は離陸時は複葉機で、飛行中に単葉機に変化することができる可変翼機だったそうですが。 Nikitin IS-1。 ISはイストレビタル・スクラドノイ(まんま、折畳み式戦闘機)の略。 これは、ニキーチンのテストパイロットをしていたウラジミール・V・シェフチェンコ が考案し、1939年から試作開始。 1940年11月に初飛行。 更に、エンジンを高出力化したIS-2が1941年に初飛行している。 が、引込式の下翼は構造が複雑で重く、肩翼式の上翼は操縦者の前下方視界を 遮るもの。 大祖国戦争が始まるとこんな際物より堅実なものが必要と言うわけであぼーん。 (信じられないが、本当だ。 Part2 眠い人 ◆ikaJHtf2) 大戦前半のスピットファイアの機関銃は7.7mmなのに、それでもHe111等の防弾装甲があるドイツ機が落とされまくったのはどうしてなんでしょうか? スピットファイアの7.7mm機銃8挺のaウィングは、バトル・オブ・ブリテンで威力不足を指摘され、 以後の生産の主力は、20mm機関砲装備のb~eウイングに移行している 独軍の防弾タンクは、7.7mmではなかなか火が付かず、乗員を狙わないと撃墜が困難だったらしい (飛行隊の全機が、1機のHe111に集中銃撃したが、全機が全弾を撃ち尽くしても撃墜できなかった実例がある) (俺初質スレ2050 286) 「砲口馬力」という概念がある これで比較すると英国の7.7mm8挺は20mm2門とほぼ同じ威力だ もちろん、7.7mm8挺の発射弾が全部同時に命中すると仮定しており また20mm弾が持つ炸薬の威力は勘案されていないが、威力としては当時では必要十分だ 何より弾丸量が20mmの10倍ぐらい使える点は捨て難い (俺初質スレ2050 287) で、よく言われることだが、軍事的には100発100中の砲1門より100発1中の砲を100門備えるのが正解だ 100発100中のは、攻撃途中で撃たれたら終わりだが、100発1中の砲100門なら、90門撃たれて壊れても 10門が残っている (俺初質スレ2050 300) 急降下爆撃機は空母の甲板を壊すのが目的だったのなら爆弾一発よりも小さい爆弾を多数積んだ方が良かったのでは? 重量が軽いと、致命的な部位にまで貫通に至らないからです。 (69 528) 別に急降下爆撃機は、空母の甲板を壊す為の専用機ではありませんよ。 対地、対艦攻撃に一般的に使用されていますが。 急降下爆撃は、そもそも水平爆撃の命中精度が悪い為、命中精度を上げる為に考案された戦法です。 ただ、目標に肉薄する為に、攻撃タイミングが限られますので(通常は一回)、 積めるのなら威力の大きい爆弾を積んだ方が良いと思われるのです。 ちなみに、ミッドウェイ海戦において、 日本が急降下爆撃隊の一回の突撃で一挙に3隻もの空母を失ったのは、 米海軍が急降下爆撃隊で使用していた爆弾が、 日本の物より大きかった(250kg 454kg)事も原因に一つとされています (他に有名なあの件も有りますが)。 (69 538) ドイツ空軍のHe219A-6が時速650kmを出したというのは本当でしょうか? A-6というのは胴体斜め銃(Mk108 30mm)を省き、MG151/20の弾薬数も減らした 対モスキート用の機体なんですが、同じエンジンを搭載したA-5がレーダーアンテナと 消炎排気管を外した状態で625km/hというデータがあります。 ただ、ウーフーの最高速度に関して650km/h以上というデータは、急降下時の 最大速度が混じった数字であると国江隆夫氏は述べています。 それと、He219の総戦果が111機というのも本当でしょうか? ハインケル社の報告書によると、モスキート7機を含む111機を約1年で撃墜したとなっています。 (571 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) 太平洋戦争中に紫電改や米軍機についていた見越し射撃照準機ですが、どのような構造をしているのでしょうか? 当時、アメリカは3極真空管のマイクロ化を実現していて、少々大きくなるが 単純な計算機は作成可能。戦車にも砲安定装置を採用している。 弾道は直線と見なした上で、方向を求めて照準器に照射する程度の物。 原理的にはジャイロコンパスと同様の方法で一方向を指向させるだけ。 弾道をトレースする訳ではなく機動中に弾丸の飛んでく先の目安が判る程度。 (339 286)