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都市伝説 学校の怪談 ベートーベン(Bētōben) 夜になると学校の音楽室の壁に掛けてあるベートーベンの肖像画に怪奇現象が起きる。 怪奇現象が起きる理由は、人形・写真・肖像画などの「人間を象った物品」に幽霊が取り憑きやすいからという説がある。 ベートーベンの目が動いたり光ったりするといい、目の錯覚だったり金色の画鋲が刺さって光ったように見えただけというオチもあるが、目に画鋲を刺されて呻き声を上げていたので抜いてあげたら微笑んだという話もある。 参考文献 並木伸一郎『学研ミステリー百科プラス2 こわ〜いウワサ話と都市伝説』76頁 常光徹/楢喜八『学校の怪談 ベストセレクション』29頁 朝里樹『大迫力!日本の都市伝説大百科』134頁 朝里樹/闇の中のジェイ『日本怪異妖怪事典 九州・沖縄』56頁 朝里樹『日本怪異妖怪事典 北海道』266頁 朝里樹『ムー認定!最恐!!都市伝説ビジュアル大事典』38頁 藤田晋一『もっと怖くてふしぎな怪談・都市伝説大事典』48頁
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目次 1.人生の主題曲、変奏曲とは何か 2.天上界にもそれぞれの階層に照応した音楽がある 3.私たちは、音楽の調べを通して神の世界を表現している 4.感性を研ぎ澄まし天界の調べを感受せよ 5.苦悩を乗り越えてこそ、人生の一大シンフォニーは作曲できる 6.曲の着想は一瞬のインスピレーションの中にある 7.芸術家は自然と調和の緑色光線 8.お互いに学び合う菩薩界 (1986年5月6日の霊示) 1.人生の主題曲、変奏曲とは何か ベートーベン ベートーベンです。 ―― ああ、これはベートーベン先生。ご降臨下さいまして、まことにありがとうございます。私どもは各時代におきまして、ご活躍されました偉大なる光の指導霊の方々の神理のお言葉を承って、今世におきまして、新たな正法・神理を伝え述べたいと、このような意図のもとに仕事を進めておりますけれども、今回、さらに芸術に携(たずさ)わられた方々のご指導を願って、芸術に対する、あるいは現在の芸術家、または将来の芸術家に対する、「本来の芸術とは、如何(いか)なるものであるか」ということについてのご指導をお願いいたしたいと、このようなことで、過日はピカソ先生をお招きいたし、ご高説を承ったのですが、本日そのような意味におきまして、先生のお教えを伺(うかが)えるならば、非常に幸せだと思います。このようなところにお招きしてまことに恐縮ではございますけれども、音楽における先生のご生涯を通して、今世のまた未来の者に対し、何かご指導いただけますならば幸いと思いますが、お願いできましょうか ベートーベン あなた方は、この日本の国に、新たな宗教の種を蒔(ま)こうとしておられるものと思います。しかし、ともすれば新たな宗教の模索ということは、どうしても過去の宗教の幻影に惑わされるものであります。音楽の世界でも、一大革新というのが近世来、さまざまなかたちで起こったわけであります。私もあなた方には、今日(こんにち)では楽聖(がくせい)とか言われているようではありますけれども、私の使命そのものは、やはり、新たな波紋をこの世に起こすことでありました。 私自身の使命は二つありました。その一つは、音楽という世界において、新たなる芸術の波を起こすということが一つ。今一つは、不僥不屈(ふとうふくつ)の人生をもって、それを示すことによって、世の人びとを勇気づけるということでありました。それが私の人生の主題でありました。その他、主題曲以外にも、変奏曲はさまざまありましたが、主として、主題曲としてはその二つでありました。 さて、あなた方にとっての、主題曲と変奏曲とが、一体何であるかということを考える必要があろうかと思います。あなた方にとってのモチーフ、主題曲は、もちろん、霊的世界をこの世に広めるという、そうしたことでありましょう。そういう意味において、さまざまな方々の霊言を広めていくということ、霊的世界についての知識を普及させるということ、これが主題でありましょう。しかし、これ以外の部分、変奏曲にあたる部分も、また必要ではないでしょうか。それがあなた方にとって今、何であろうかということです。 たとえば、神はあなた方に対して、その霊的世界の普及という主題以外に、如何なる方向を与えられているかということです。それは、あなた自身の個性と本質とを見つめるときに、明らかになってくるものであります。未(いま)だ、あなたご自身も気がついておられないような面もあるはずなのです。そうした変奏曲の部分も、また大切であります。 おそらくは、音楽についてあなたに専門的なことを語っても、多くの話はできないであろうと思われます。また、音楽という性質上、音というものが主役であるし、また、楽器というもの、演奏者というものが主役であります。それをこのようなかたちで、対話という形式を通して表現するのは、とても困難なことであります。私の調べの申に秘めた真実というものは、とてもこのような話の中では表すわけにはいきません。 先般、ピカソ様からは、絵画についてのお話があったとのことでありますが、それではあなた方から何もお話がないようですから、私の方から、もう少し話を続けるといたしましょう。 2.天上界にもそれぞれの階層に照応した音楽がある ベートーベン 音楽というものの役割、これを考えていただきたいのですが、音楽というものは、もちろん、この地上の世界だけにあるものではありません。音楽というものは、やはり、神の調べの一つであります。神は、人間の魂を、神の子たちの人生を明るく照らすために、さまざまな装(よそお)いを許されました。その一つが、たとえば美であり、美しさですね、粧(よそお)いであり、また、他の一つが音楽でもあったでありましょう。 天上界にも音楽はあります。それぞれの世界に応じた音楽があります。あなた方の思想にも段階があって、それぞれの段階に応じた思想があるように、天上界にもそれぞれの階層に照応した思想というもの、音楽というものがあるのです。ですから、地獄的なる音楽もあれば、天国的なる音楽もあります。 今、クラシック音楽と言われている領域の中には、非常に天国的なる調べが多く残されています。天国というのは、それほど忙(せわ)しいところではないのです。さまざまな物語りでもお聞きの如く、やはり牧歌的な雰囲気のあるところが天国であります。しかし、地獄の方は忙(せわ)しいのでありまして、闘争と殺戮(さつりく)、破壊が相次いでおります。そうした中で生み出される旋律というものは、非常に忙しげなものです。 現代においては、地獄的なる音楽が、非常に地上に蔓延(まんえん)していると思います。あなた方が聴いている音楽の一つひとつが、昔に比べれば、ずいぶんテンポも早くなり、聴くものによっては、騒音にしか聴こえないような音楽が、よしとされている世の中ではないでしょうか。あれは地獄的なる音楽なのです。本当の音楽というものは、人の心に悦びを与えるものです。幸視感を与えるものです。神秘的な情感を与えるものであります。 天上界においても、こちらにおいても、やはり音楽というものはあるのです。天人(てんにん)たちが音楽を楽しみたいというときに、やはりそうした音楽を次々と聴かせてあげるのが、私たちの仕事であります。 3.私たちは、音楽の調べを通して神の世界を表現している ―― おたずねしてよろしいでしょうか。 ベートーベン よろしいです。 ―― 私はある方からお教えいただいたのですけれども、音楽も芸術のジャンルの中の一つであろうと思いますけれども、たとえば絵画なら絵画は、一つの感覚、つまり視覚を通して鑑賞するものでありまして、やはり一つの造形芸術と申してもよいと思うのです。彫刻もしかりであり、まあ文学もある意味ではそうでありましょう。けれども、音楽におきましては、聴覚でその美というものを鑑賞する芸術であろうと思うわけなのです。その意味において、実は神の創られた世界のバイブレーションと言いますか、そういうものを端的に表現しているのがこの音楽であると、このようにある方が申されているのですけれども、芸術の中で、音楽こそ至高の神のバイブレーションを伝えるものであるというように聴いているのですけれども、あなた様のお考えとしてはいかがなものでしょうか。 所詮はこの世もそちらの世界も、波動の世界であろうと思うわけなのですが、要は心の波動の世界であろうと思うわけなのですが、それが形象化してきて一つの事物になったり、いろいろするわけですが、つまるところは心の波動であると、メロディー、旋律であろうと思うのです。音楽におきましても、そのことがいちばん重要であり、心の波動の精髄を奏でるというところに、音楽の音楽たるゆえんがあるのではなかろうかと、このようにも思うわけなのです。その音楽を理解し、音楽によって真の美なり、心の振動をかき立てられる、奏でるということができることは、非常に幸せであろうと思うのですけれども。 ベートーベン まあ、結局は同じことであって、あなた方は、思想というか、活字によって、神の世界を表現しようとしておられる。また、画家たちは、絵というものを通して、神の世界を表現しようとしておられる。私たちは、調べということを通して、神の世界を表現しようとしているのであります。 あなた方は、文字の上には、天国のハーモニーを現すことはできないでありましょう。思想的に訴えて、神の世界を出しているだけであります。しかし、天国の中には、美術でいうような素晴らしい情景もある。これはあなた方の筆では表現できないものであります。絵画を通さずにはわからないものであります。あるいは、私たちが創るような調べというものもあるのです。 ですから、悟りというものには、さまざまな種類がありますけども、視覚的に美しいなと思って信じる場合、こういった方面の悟りもあれば、音楽的なものに陶酔することによって、神の世界を感じるという方もいるのです。 私の音楽を聴いて、やはり、神を感じたと言われる方は多いのであります。また、私の音楽を聴いて、人生を感じたという方も多いのです。また、私の音楽を聴いて、苦難の人生を、素晴らしいものに変えてゆこうとする勇気が湧いてきた、と言われる方も多いのです。 音楽は何も語っていません。言葉はありません。言葉はないけれども、雄弁なのが音楽であります。あなた方が、どれだけ文字で人びとを勇気づけるようなことを書いたとしても、それを読まなければ、なかなかそのことはわかりません。けれども、音楽という普遍的な材料を用いることによって、さまざまな人が、少なくとも私の曲の一部は、一度は聴いているはずなのです。あなた方の書物を一生の間で読むことがある人とない人は、分かれるでありましょう。けれども、ベートーベンの音楽は、世界各国の方が一度は耳にしておられます。 その折々に、さまざまな曲、曲のなかに、私はさまざまな細工をしているのです。それは、あるときは神の国の栄光であったり、あるときは人間が生きていく上での正法であったりするわけです。そうした物事を、音符の中に、私は隠しているのであります。ですから、聴いている人は気がつかないでしょうが、私の「運命」なら「運命」という曲を聴いて、悲惨な人生から立ち直ろうとする人が出たならば、それで私は、あなた方がちょうど神理の書物によって人びとを鼓舞(こぶ)しているのと同じようなことを感じているのであります。思想だけでは、人間というものはついてこないのです。 4.感性を研ぎ澄まし天界の調べを感受せよ ―― やはり、音楽は一つの感性といいますか、人間の感情に非常に大きく影響を与える芸術であろうと思うのですけれども、あの「英雄」、あなたのつくられた「英雄」という曲につきましても、あれのなかに、あの曲を聴く者が、壮大なやはり一つのドラマというか、人間の冒険というか、偉大な意志の発揮というものを感じ取ることができるようになっているのであろうと思いますけれども、感性によって、それが自覚できるようなかたちになっているのではないかと思いますけれども。 ベートーベン ま、感性というものは、あなた方はともすれば、良く思わない傾向があるのです。宗教的な方々は特にそうです。五官煩悩ということで、目から入るもの、耳から入るもの、鼻から、舌から、ロからですね、入ってくるもの、こうしたものが人間を狂わす、感わすというふうによく言いますけれども、また五官から入ってくるもののなかで、人間を正しく導くものもあるということです。五官を去ればよいのではないのです。釈迦はそう言ったかもしれません。「五官を断て」と。「五官に感ずるものにおいて、美しきもの、楽しきもの、神理に近きものは何もないのだ」と。「むしろ五官を超えた世界のなかにこそ、神理はあるのだ」と、釈迦は言ったはずです。 けれども本当は、五官を通じて入ってくるもののなかにも、神の調べは入っているはずなのです。眼は嫌なものばかりを観ているわけではないのです。美しいものも観ているのです。天国地獄はあの世にあるだけではなくて、また思想的な世界だけにあるのではなくて、眼に映るもののなかにも、天国地獄はあります。 美しい景色は、どう観ても天国であります。目を思わずつぶってしまうような景色というのは、どう観ても地獄であります。耳から入ってくるものものそうであります。騒音は地獄的なる音であります。美しい調べは天国的なる調べであります。美しい言葉は、天国的な音であります。しかし、人の悪口や陰口は地獄的なる言葉であります。 ですから、あなた方は思想として、「人の悪口を言ってはいけない。人は欺(あざむ)いてはいけない」、そうしたことを教わり、また説くこともあるでしょうが、これを音というレベルで捉(とら)えたならば、「悪い音は聴いてはいけない。いい音を聴きなさい、いい音を発しなさい、悪い音を発してはならない」。感性のレベルではこういうことになるのです。 人の悪口とか中傷とかいうようなことは、これは音楽的なる調べに直してみると、大変、乱れた旋律になってしまいます。ところが褒(ほ)め言葉というものは、非常に美しい調べとなってくるのです。人間の言葉というものも、ある変換によって音楽の調べに直すこともでき、そのような調べになっています。 5.苦悩を乗り越えてこそ、人生の一大シンフォニーは作曲できる ―― いささか現代に及びますけれども、現代はまあこのジャズ音楽が非常に盛んになってきておりますけれども、これらはどういう傾向でございましょうか。 ベートーベン ま、ジャズ音楽を、すべて地獄的と言うつもりはございませんが、ただ、波動としては、高い波動ではありません。特に、悲しみを歌うジャズ、ああしたものは地獄的なる波動も、かなり入っているでありましょう。ジャズ音楽というのは、地獄から、せいぜい霊界、五次元霊界レベルの音楽であります。 ―― これは、だいたいアメリカあたりから発生してきたものでしょうかね。 ベートーベン 黒人とか、そうした者が中心になってきたものだろうと思います。 ―― そもそもは、呪術(じゅじゅつ)的なものから出発した音楽なんでしょうか。 ベートーベン 言っておられることの意味がわかりません。 ―― ま、占いとか、祈りとか、そういうふうな黒人あたりがよく使っておられるものですね、そういう音楽の中から出発したものかと思うのですが。 ベートーベン そうでもないでしょう。あなたには、どうやら音楽論は不向きのようですから、もっと一般的なことをお聞きになりたければ、そうした話もいたしましょう。 ―― それでは、先生のことをおたずねしては失礼ですけれども、特にご生前中に、音楽に心魂を傾けておられた中途におきまして、耳を痛められて、非常にご苦労されたということなんですが、その間のご心境なり、何なりをお聞かせ願いませんでしょうか。 ベートーベン 音楽家にとっては、耳が聴こえない、眼が見えないということは、これは最大の苦痛であります。足が動かなくても、手が動かなくても結構ですけれども、耳が聴こえないということは、最大であります。 ただ、今秋は、それをどうこう言うつもりはございません。やはり、秋の人生というものは、一つの「運命」交響曲を奏でていたようなものだと、私自身思います。人間というものは、決してバラ色の人生だけを送るものではないということです。ただ、どのような苦悩にたとえ打ちのめされようとも、その苦悩を乗り越えてゆく過程において、素晴らしい交響曲を創ることができるということなのです。人生においてですよ、素晴らしい交響曲を創ることができるということなのです。 ですから、あなたにしても、あるいは他の方々にしても、さまざまな苦痛や、あるいは不自由なことも多いと思いますが、そうしたものは、無ければいいことではないのです。順風満帆(じゅんぷうまんぽ)の人生のなかにおいて、宗教を一つのシンフォニーとするならば、素晴らしいシンフォニーはできないのです。やはり、あなた方の人生も、山あり谷あり、ごつごつした岩ありと、そうしたなかで、一つの調べを奏でるようなものでなければいけません。 あなたは、毎日毎日、ずいぶん苦痛がっておられます。あなたにとっては、人生自体がかなりの部分、苦痛であったろうと私は思います。それが外見にも出ていますし、端(はた)の者にも感じられます。また、私のように初めて来た者にも感じられます。ただ、そうしたものに負けてしまうようなあなたであったならば、あなたが作曲する曲は、平凡な曲になってしまいます。 やはり、一大シンフォニーを創るということなんですね。悲しみが深ければ深いほど、喜びもまた高いのです。地獄の奈落(ならく)を経験するからこそ、天国への飛翔というものが素晴らしいものとなってゆくのです。その落差こそが、音楽のスケールの大きさとなってゆくのです。ですから、あなた方の人生の音楽のスケールを大きなものとするためには、やはり、さまざまな苦難が必要だということです。 私は現在、ベートーベンとして、世の人びとから多少の尊敬を受けておりますが、その理由の一つは、ただ、私が素晴らしい曲を書いただけではありません。やはり、私が苦悩を乗り越えた人生を生きたということが、世の人びとの胸を打っているのではないでしょうか。ある意味においては、私の人生は、苦行僧のような人生であったということであります。 日本にも昔、中国から、眼が見えなくなっても仏法を伝えようとして来られた僧がいたと聞いております。鑑真(がんじん)という方だと聞いています。たとえて言えば、そうした方のような人生であったであろうと、私自身思います。眼も見えず、言葉も通じない国に来てでも、やはり、仏法を伝えようとする信念、信仰、そうしたものは、彼に何度かの難破をもものともさせず、彼を日本まで導いたのでありましょう。私の人生もそうでありましょう。眼が見えず、耳が聴こえずとも、やはり、壮大な神の音楽の世界を、この世に伝えねばならないと、そういうことであったと思います。 モーツァルトにしてもそうです。彼もまた、光の天使でありますが、彼の人生そのものは、悲惨でありました。不幸の天才であります。けれども、彼の人生、三十数歳、五歳でしょうか、そのくらいで閉じた彼の人生そのものは、悲惨でありました。不幸な天才であります。けれども彼の音楽自体は、珠玉の名編であります。ですから、この世的な人生の幸、不幸と、神の下僕(しもべ)としての幸、不幸とは、必ずしも重ならないのです。ですから、あなた方にしても、この世的な幸福ばかりをどうかあまり考えないでいただきたいと思います。 ―― ただ、まあ私たちの仕事は、より多くの人びとに導きの方向を示す、幸せを示す、そういう仕事でありますために、私たちが、世の人びとから見て不幸なそういうような状態で、人びとに対し神の下僕として「幸せである」という認識を与えるということは、非常に困難な作業でございます。やはり角度を変えた意味においても、私たちの生き方が人びとに正しい生き方であると感じられるような、そういう姿であらねばならんと思っております。 ベートーベン ただ、あなたご自身について言うならば、まだまだ何と言いますか、魂の足腰の部分が、まだ弱いように私には見えます。あなたは、圧力を加えると、やはりグシャツと潰(つぶ)れてしまいそうな気が私にはします。まだ弱さがあります。そうではなくて、バネと一緒です。圧力を加えられたら、ある程度までは縮みます。これはやむをえません。しかし、ある程度までです。それから後は撥(は)ね返す。こうしたものでなければいけません。圧力を加えられたら、トマトか何かのように潰れてしまうようではいけないのです。いいですか。自分自身を偉大なるバネだと思ってください。偉大なるバネほど縮みはすごいのです。しかし、縮みもすごいけれども、反発する力もまた強いのです。バネのように、どこかの点で、運命の力を撥ね除(の)けるようでなければいけません。そうした足腰の強さが必要です。魂の足腰の強さが必要です。まだまだ弱い。バネのようには生きていない。まだまだ運命に翻弄(ほんろう)されていると、私には思えます。 6.曲の着想は一瞬のインスピレーションの中にある ―― あなた様はご生前中、自分というものを見つめて、自分というものは光の指導霊であるというご自覚がございましたか。 ベートーベン ありませんでした。 ―― それでは、あなた様のお仕事というものに対する意義というものを、お感じになっておられましたか。 ベートーベン それは感じておりました。ただ、私は宗教家ではありませんから、あるいは天使というようなことは、もちろん、信仰の世界においては知っておりましたけれども、そうしたものが現に地上界に出ていて、さまざまな活動をしているとは思ってはおりませんでした。天使はやはり、天上界において羽を生やして飛んでいるものだと思っておりました。まさか自分が天使で、地上に生まれて作曲をしているとは思ってはおりませんでした。ただ、神は信じていましたし、神の国をこの地上に写すということは常々考えておりました。 ―― あなたがお仕事をされているその時に、いわゆる作曲ですね、作曲の時に、天上界からのインスピレーションというものが現れたわけでしょうか。 ベートーベン そうです。 ―― そしてまず、主題を決めて、そして一つの作曲をされたのでしょうか。 ベートーベン そうしたことは、あなたに言うのは非常に困難を感じますけれども、私が地上で作曲した曲も、一部分はやはり、すでに過去世において、天上界において創っていた曲であるし、また、天上界で制作中の曲が私の方に伝えられる場合もありました。 それはね、ちょうど宗教家たちがそうです。霊的な能力を持っている方々でも、その人の器、その人の性格に応じてさまざまな受け止め方をするはずです。あるいは、神道的なものだけを受け付ける方もいれば、仏教的な霊波動を受ける人もいれば、キリスト教的なものだけを受ける人もいる。あるいはあなた方のように、いろんなものをまとめて受けるような方もいる。そのように個性の差があります。 同じように、音楽においてもそうなのです。天上界ではさまざまな音楽が奏られております。次々と創られております。その中で、自分の個性に応じたものを引き寄せていくのです。 ―― まあ、音楽的なことの素養が、あまりにも私にはないために、核心に触れるようなことのお尋ねができないのが、まことに残念だと思いますのですけれども。 ベートーベン 音楽そのものは、こうした対話による話には馴染(なじ)まないものであるということも一つです。 ―― しかし、協奏曲というか、シンフォニーというものは、いろんな組み立てということを大事にするのではないのでしょうか。たとえば、まああのピアノならピアノと、バイオリンならバイオリン、チェロならチェロ、その他、そのような弦楽器なり管楽器とを総合した和音というか、そういうものを集大成するという意味で、建築的な組立というか、そういう構成力をもって作曲をされるわけでしょうか。 ベートーベン ま、それはそうですけれども、ほとんどね、一つの曲、何時間にもわたる曲の着想というものは、ほんの一秒か二秒なんです。その二時間、三時間の着想という壮大な曲が、ほんの一秒か二秒のインスピレーションの中に、集約されてくるのです。直観なのです。 たとえば、画家が、ある情景、あるいはある絵をですよ、インスピレーションとして直観的につかんでしまうことがあります。同じようなものなのです。曲にすれば二時間三時間となるようなものを、ほんの一瞬のうちに凝縮して、頭にその感覚を得るのです。こういうものという感覚があるのです。種のようなものです。これを楽譜に落とすと、大きな本のように育っていくのです。あるいは巻物のようなものですね。一つの巻物が、頭の中に与えられるような感じです。これを曲に書いてゆくと、広げた巻物のように何尺にもなってゆくのです。 ですから、最初、頭に浮かんだ着想が、曲を書き終えるまでに変わることはほとんどないのです。もう最初使った、いわばテープの塊(かたまり)みたいなものです。テープみたいなものです。これが頭に浮かぶのです。このテープを回していくと曲ができるのです。そうしたものです。ただ、その着想を得るために、何年もかかってしまうのです。 ―― それは、インスピレーションで与えられるものばかりではなく、ご自身でやはり発想されるわけですか。 ベートーベン ま、それは曰(いわ)く言い難しで、どうやらあなたにはおわかりにならないようですが、ちょうどね、ちょうどあれです、誘い水みたいなものなんです。井戸の水を汲(く)むときに、一杯の水を置いておくことがよくあるでしょう。水を切らしてしまうと井戸から水が上がってこない。ですから、一杯のコップを置いておいて、その水を上から注ぎかけると、それが誘い水になって、間断なく水が出てきます。そういうことがありますね。ちょうどそういうものなんです。私たちの努力というものは、コップ一杯の水、誘い水なんです。底までね、井戸の底まで水は来ているのです。それはつながっているのですが、誘い水を送り込むことによって水が出てくるのです。そうしたものなんです。その誘い水の部分が必要なのです。 すべての人が、井戸の部分は持っているのです。井戸の中には、水は沢山あるのです。ただ、その誘い水を送らないために、水が上がってこないのです。この誘い水の部分なのです。あなた方にとってもそうです。画家とか詩人たちもそうです。誘い水の部分が必要だということです。あとは無限です。井戸の水は、汲(く)めども汲めども出てきます。涸(か)れてしまうことはありません。 ―― 非常に内容の深いものであろうと思いますけれども、先生のせっかくのおでましでございますので、現在、また将来の、日本だけではなく、世界の音楽家たちに対する、何らかのアドバイスというようなものをいただけますならば、非常に幸せだと思うのですが。 ベートーベン まあ、音楽に携(たずさ)わっている方々、作曲をしたり、あるいは音楽を演奏しておられる方々は、技術的なものばかりを磨いておられるようですけれども、本当はそうではないということです。その方々の人生観、思想、あるいは信仰というものが、調べとなって出ていくということです。ですから、その点を誤解されずにやっていただきたい。単なる技術的な練習ばかりをしていてはだめです。心を知らねばなりません。それはちょうどお坊さんがね、お経を上げても、お経の文句は一緒ですよ、どなたが上げても一緒ですが、そのお坊さんの悟りの段階によって功徳(くどく)が違うようなものです。同じです。曲としては同じかも知れない。音楽としては同じですけれども、演奏する人の心の音色に合わせた曲が、出ているということです。 ですから、調和した心の持ち主の演奏した音楽は、天上界の高級霊界にも届いているのです。ところが、不調和な方の演奏した音楽は、そこまでは届いていきません。そうしたものだということです。 ですから、もう少し神理というものを、音楽をする方々にも知っていただきたいと思います。唯物的な物事の考え方をしている人が曲を演奏したところで、それは唯物的な曲にしかなりません。神の世界の表現は無理であります。 7.芸術家は自然と調和の緑色光線 ―― 私の方から伺(うかが)いますけれども、まあ過日、ピカソさんという美術家、そしてまた今日は、ベートーベンさんという音楽家、その他芸術家、大勢いらっしゃると思いますけれども、芸術の世界というのは、たとえば、神の光の光線で言うと、何色になるんでしょうか。参考までに言うと、仏教のような光が黄色、キリスト教のような光が白色の光線、あるいは哲学者のような光が青の光線、あるいは科学者の光線が白銀の光線、こういうふうなかたちで言われておりますけれども、光線の種類で言えば何色になるのか。あるいは、いくつかの色が組み合わさっているのか。こういったところを伺いたいと思うのですが。 ベートーベン 音楽家というのは、光線で言うならば、緑です。緑の光線が音楽です。芸術も、必ずしも一本の光線ではありません。音楽的なものは緑です。これは法を説く方々で言うならば、無為自然、調和、自然との一体という法を説く方々、彼らとつながっている色であります。あなた方のところに、老子、荘子というような方が出られたでしょうが、この老荘思想、宗教で言うと老荘思想につながるようなもの、それが音楽の世界であります。絵画の世界は少し色が違っています。 ―― 赤か何か。 ベートーベン 絵画の世界というのは、赤ではありません。絵画の世界も、やはり緑に近いのですけれども、どちらかと言うと、若葉緑に近い色です。芸術は全般的には、やはり緑系統であります。全般には、緑系統ということになっています。 ―― 文学とかいうようなものはどうなんでしょう。 ベートーベン 文学にもいろいろあります。思想的なものが深いものは、また別な系統になってくるでしょうし、芸術性の高い文学もあります。さまざまなものがあります。けれども、音楽と詩などとは、非常に近いところにあります。詩の流れはやはり緑であります。ですから、一般的に言うならば、音楽系統、あるいは芸術系統は、一般的な色としては緑であります。 ―― そうするとこれは、ベートーベンさんにお聞きするのはどうかと思うのですけれども、赤という色は、これはどういった方々を対象とされる色なんでしょうか。ご存知ないかも知れないし、ご存知であれば、教えていただきたいと思うのですけれども。 ベートーベン 赤という色は、もっと、芸術ではなくて、大きな社会的な変動に相当する色です。ですから、赤という色は、やはり政治、経済、こうしたものと関わっています。あるいは法律、こういった非常に、それぞれ三次元なり、四次元、五次元の中で、仕組とか治政、治めるですね、治めるというようなこと、これに関係する色、これが赤です。 ですから、赤の光線の中では、リーダーシップということが大変、重要になっています。いろんな各界の指導者に多いのが赤です。ですから、赤の光線の中に流れているものは、リーダーシップです。ですから、この光線の中にある人は、どうやって人びとを導くか、まとめていくか、治めていくか、こうしたことのプロが多いのです。芸術家は、やはり色で言うと緑でありましょう。自然と同じ色です。 ―― 緑にも濃緑と若葉緑というようなものがいろいろあるように。 ベートーベン 緑にも少し濃淡があります。 8.お互いに学び合う菩薩界 ―― 失礼ですけれども、ベートーペン先生が、今、おいでになる地域は、どういう霊域になるのでしょうか。 ベートーベン あなた方が菩薩界と呼んでいる世界です。 ―― どういう方々とご一緒に。 ベートーベン 芸術家の方々が、やはり多いです。 ―― たとえば音楽家の方は、どういうお方がおいでになるのでしょうか。 ベートーベン ショパン、ハイドン、こういった方々です。 ―― バッハという方などはおられますか。 ベートーベン バッハもおります。(注――ハイドン、バッハなどは如来であるが、音楽家霊域について交遊がある、ということである。) ―― ああ、そうですか。シューペルトはまた別ですか。 ベートーベン いないのです。 ―― そうですか。 ベートーベン 他にも、あなた方が知らない古代の音楽家たちは、大変たくさんおります。 ―― やはり日常といたしましては、そういう方々が、音楽についてのご研究をされておられるわけでしょうか。 ベートーベン そうです。そして私たちの研究を、時々発表しております。ですから、各界の方々に呼ばれて、やはり行事がいろいろあるのです。こちらの世界でも、たとえばあなた方のような宗教家たちがね、大講演をやる場合があります。そうしたときに、いろんな方々が集まって来ますけれども、その、たとえばオープニング、あるいはエンディングといいますか、終わりですね、エンディング、エンドですね、終わりにあたって、私たちが演奏したりすることもあるわけです。 ―― それはたとえば楽器とか何かを使われるのですか。それは使わないのですか。 ベートーベン ま、楽器もあることはあります。それはあります。地上的なるものもあるし、地上にないような楽器もあります。ただね、楽器が音色を出すのではないのです。 ―― バイブレーションで。 ベートーベン そうです。ですから私たちが、たとえば私が指揮をすることが多いのですけれども、あるいは楽団員たちの、本当は心から出ている音色なんです。ただ、楽器もかたち上、あることはあります。 ―― 要するに、心のバイブレーションで、人びとがそれを音楽的に感受できるということなんですね。 ベートーベン そうです。 ―― その楽士さんたちを指揮されておられるという――。 ベートーベン そうです。 ―― その心の調整をされているという――。 ベートーベン まあ、そういうことですね。 ―― そういうことになるわけですか。 ベートーベン ただね、あなた方が音楽を聴いているようなかたちで、私たちの世界でも、もちろん聴こえるのてす。それは、実際は肉体の耳を通して聴いているのではありませんが、心の耳を通して、その旋律を聴いているのです。念の波動を聴いているのです。 ですから、私たちの世界、あなた方から言えば彼ら霊人たちにも楽しみがあるのです。いつも難しい哲学的議論ばかりをやっているわけではなくて、やはり、音楽を聴いたり、絵画を楽しんだりするような時があるのです。 それと、私たちの世界でも教え合いということがあるのです。たとえば、私たちは音楽について非常に造詣(ぞうけい)が深いわけです。ですからまあ、菩薩界の他の方々もね、たまに音楽を教わりに来るのです。あるいは聴かせて下さい、あるいはこういう作曲を教えて下さいと言って来るのですね。そのかわり後では、私たちが出かけて行って、新しい宗教の先端的な教えを請(こ)ったり、あるいは科学者のグループの処へ行って、科学的なことを学んだり、そういうふうな、お互いに学び合いの世界なんです。あるいは私が演奏をやっているけれども、指揮をしているけれども、指導の力がちょっと弱いと思うと、そういう指導者のグループに入って行って、指導の仕方を教わる。こういうのは、お互いに与え合いの世界なのです。菩薩界においてもそうです。政治家のグループがあれば、音楽家や他の絵画の、美術家のグループもある。あるいは宗教家のグループあり、哲学者あり、さまざまです。お互いに教え合うのです。 ―― 交流をし合うのですね。 ベートーベン そうです。教え合ってね、自分が長じているところは先生となり、足らざるところは生徒となって、お互いに交流しているのです。 ―― ではまあ、同次元の中に一つの、まあ何と言いますか、区域があって――。 ベートーベン ま、村があるようなものだと思って下さい。音楽村があり、芸術村がありですね、また文学村があり、哲学村があり、政泊村があり、科学村がありと、こういうことなのです。主として、やはり同じ職能の方々が集まっておられますが、ただそれだけをしているのではなくてね、あなた方の世界にも土曜、日曜があるように、私たちの世界にも土曜、日曜があるのです。そういう時にですね、他の仕事をやるのです。 ―― これは地上的に言えば、ご承知のように、日本とかドイツだとか、あるいはアメリカとか、こういうふうに、地域的に分かれておりますけれども、天上界におきましては、そういう地域の区別はないわけなのですか。 ベートーベン 国籍、地域はもちろんありますが、たとえば、その国籍、地域が、音楽なら音楽の、やはり性格の違いを反映している場合があり、そうした場合は多少違うわけで、分かれてくることになります。 ―― おいでになるところが違うわけで――。 ベートーベン そうです。ま、村も一つではないということですね。 ―― そうすると、いくつかの村がある――。 ベートーベン そうです。 ―― なるほどね。 ベートーベン 菩薩界にも、何百人もの人がいますから、結構いろんな村ができております。一つの村の構成団員は、だいたい四、五十人です。 ―― そうですか。まあ、音楽につきましてはそういうことで、私たちもあまり知識をもち得ないために、おたずねすることも非常に少なく、お教えをいただくことがたくさんあり、それ以外のこともお教えいただいたのですが、なお、私たちは他の文学界の方々もお招きしてお教えを承りたいと、このようにも思っているのですけれども、音楽の関係でお教え願える方というのは、もう他にはございませんでしょうか。 ベートーベン ただ、どうしても話が専門的になってしまうので、音楽家がそれ以外の人生観を語るのも非常に難しいものだし、仮に言ってもね、あなた方のお役に立てるようなことにならないので、やはり、他の種類の方々をお呼びした方が私は良いと思います。 ―― あなた様はご生前中、非常に困苦の中で戦っていかれて、そして偉大な仕事を成されたということからして、私たちは非常な感銘をもっていたわけです。そういう意味で、今回お招きいたしたわけでございますけれども、非常にありがたいと思っております。このようにいろいろとおたずねしたことを、あとで全部再検討させていただいて、非常に有意義な内容を、またこの書物を著すときに編集させていただきたいと思いますけれども、それでよろしいでしょうか。 ベートーベン 結構です。ただ、芸術家たちというのは、まあ、なかなかあなた方の思想に馴染まない者が多いので、ご苦労されることと思います。 ―― わかりました。本日は本当にいろいろとありがとうございました。このようなところへ先生をお招きいたしまして、お教えを承ったのですが、私たちの不勉強のために、十分なことをお聞きすることができませんでしたけれども、よく私たちをご理解下さいまして、お教えを賜わり、ありがとうございました。感謝いたします。
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ベートーベン 施死流が約6時間半に一度出してくる名前。かの有名な音楽家のことを指していると思われる。 施死流の書き込みによると、ゴッホが風邪を引いていることに関係があるらしいが・・・ 以下、Wikiより引用。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven, 1770年12月16日ごろ(洗礼を受けたのが12月17日であることしかわかっていない) - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。ドイツのボンに生まれる。音楽家として最高の『楽聖』の称号が与えられている。 ベートーヴェンの音楽は、フランツ・ヨセフ・ハイドンやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトらが形成した古典派音楽の集大成であり、かつ、中期以降の作品は、ロマン派音楽への扉を開くものとなっている。 スケルツォの導入(第2番)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番「英雄」)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5番、第7番)、標題的要素(第6番「田園」)や声楽の導入(第9番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派が尊重する様式美とロマン的な表現主義とをきわめて高い次元で両立させており、ドイツ音楽の理想的象徴的存在として、以後の作曲家のほとんどに影響を与えた。同時に、第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成上の規範となり、のちのロマン派や国民楽派の多くの作品がこれを追随した。 また、ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、その作品は公式・私的行事のBGMや機会音楽として作曲されることが大部分であったが、ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係を拒否し、むしろ一般大衆に向けた作品を発表する、自立した音楽家の嚆矢となった。ベートーヴェンが史上初めて音楽家=芸術家であると公言し、音楽の歴史において重要な分岐点となる。 1770年12月16日、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)のボンにおいて、父ヨハン、母マリアの間に生まれる。幼いころは、歌手であった祖父の支援により生計を立てていた。幼少から酒飲みの父親から強制的な音楽の教育を受け、10代のころには、父に代わって家計を支えていた。父の目的は金であった。ベートーヴェンの才能を利用して金を得ることしか考えていなかった。父親は歌手だったが、尋常でないほどの酒飲みであり、そのためにのどを患っていた。そのためほとんど収入はなかった。母親は父親とは対照的にベートーヴェンを大切に育てた。ベートーヴェンの才能が認められ、初めて収入を得たときには涙を流して喜んだという。 1778年、ケルンのシュテルンガッセ音楽堂での演奏会に出演する。このとき、年齢を若く偽っていた。 16歳のときに初めてウィーンでモーツァルトに出会う。このときモーツァルトはあまりの上手さに「この青年は立派な音楽家になるに違いない」と予言したという。22歳ではヴィーンで活動を開始、ハイドンに師事する。当初はピアノの即興演奏で名声を高めた。20歳代後半から持病の難聴が悪化し、32歳のとき「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる遺書を書くが、このときの絶望から再起し、34歳のときに交響曲第3番「英雄」を発表。その後約10年間は、中期を代表する名作が次々に書かれ、「傑作の森」とよばれる。 「英雄」交響曲については、ベートーヴェンはフランスにおいて破竹の進撃を見せていたナポレオンを念頭に第3交響曲を書き上げたが、ナポレオンが皇帝になったと聞いて『彼もまた、俗物であったか』と激怒し、作曲したばかりの楽譜をばらばらに引きちぎってしまったという逸話があり、楽譜の最初のページに書いてあったナポレオンへの献呈の言葉を荒々しく消したペンの跡が現在も確認できる。このように、ベートーヴェンは政治的には自由主義者、共和主義者であり、このことを全く隠さなかったため、19世紀に入って敷かれたメッテルニヒによるウィーン体制のもとでは「反体制分子」と見られ、周囲にはスパイがつけられていたと言われている。1812年、テプリチェにおいてドイツを代表する文豪ゲーテと会い、二人で散歩をしていた際に、オーストリア皇后の一行と遭遇した。ゲーテが脱帽・敬礼をして一行を見送ったのに対してベートーヴェンは昂然として頭を上げ行列を横切ったというエピソードも残されている。 晩年は、慢性的な腹痛や下痢など徐々に悪化する体調に加え、甥カールをめぐる養育権争いやカールの自殺未遂事件が起こり、私生活では苦悩の日々を送っている。しかし交響曲9番やミサ・ソレムニスといった大作を発表した前後からの晩年の作品群は、難解かつ崇高な精神性を湛えており、ベートーヴェンが最後に到達した境地の高さを示すものとなっている。 1826年、もはやベートヴェンは病に罹っており、シューベルトなどが見舞いに訪れるなどしていたが、翌年1827年にその波瀾に満ちた生涯を終えた。56歳であった。葬儀にはのべ3万人もの人々が駆けつけ、異例のものとなった。 伝説によれば、ベートーヴェンの臨終の間際、すさまじい雷鳴とともに稲妻が閃いたが、彼は右手の拳を振り上げ厳しい挑戦的な顔をし、遥か高みを数秒間にらみつけた後、その目を永遠に閉じたのだという。そして彼は臨終際、Plaudite, amici, comedia finita est.(諸君、喝采を、喜劇(お芝居)は終わった)と発したとも伝えられている。
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【名前】 ベートーベンゴースト 【読み方】 べーとーべんごーすと 【登場作品】 仮面ライダーゴースト 【初登場話】 第6話「運命!再起のメロディ!」 【分類】 パーカーゴースト 【対応眼魂】 ベートーベンゴースト眼魂 【詳細】 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの魂が変化した袖なしタイプのパーカーゴースト。 カラーは銀色と白と黒。 フード部分「シンフォニーフード」によって生み出される特殊反響フィールドの内部はコンサートホール級の音響空間となる他。 飾り「デスティニーチューナー」は超音波を利用した解析装置を内蔵している。 布地「コンチェルトコート」に内蔵された小型音響装置で音楽と共に物質を分解する特殊エネルギー振動波を放つ。 胸部へと並んだ鍵盤は演奏のみならずエネルギー振動波の出力調整も担う。 腕部に当たる帯「クレッシェンドバンド」は空間の振動によって不可視の防御壁を形成し、敵側が放つ音波やエネルギーを増幅して跳ね返す。 第41話で月村アカリに憑依し、タケルに教えを与える。
https://w.atwiki.jp/sentai-soubi/pages/4550.html
「カイガン!ベートーベン!」 【名称】 ベートーベンゴースト眼魂 【読み方】 べーとーべんごーすとあいこん 【登場作品】 仮面ライダーゴースト 【初登場話】 第6話「運命!再起のメロディ!」 【分類】 ゴースト眼魂 【英語表記】 BEETHOVEN 【ナンバリング】 06 【封印されている偉人の魂】 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 【使用者】 仮面ライダーゴースト 【詳細】 仮面ライダーが所有するゴースト眼魂。 ゴーストドライバーへ装填することでベートーベンゴーストが召喚され、仮面ライダーをベートーベン魂あるいは闘魂ベートーベン魂に変身が可能。 クアッドアイリスに投影される図柄はこちら。 待機時:黒の瞳孔 起動時:06 変身時:ペルソナコンポーザー 技発動時:丸い五線譜、音符 誕生の基となった器物は西園寺主税(謎の男)が音楽大学の生徒の君島康介へ渡したベートーベンの楽譜で康介の思いに共鳴し、ゴースト=タケルの力でベートーベンゴーストに変化。 ベートーベンゴーストがタケルのゴーストドライバーへと吸収されることで眼魂が形成された。 第10話では西園寺主税に奪取され、第11話でグレートアイがタケルの望みを叶えた後は散り散りとなる。 その後、森の中でシブヤが発見し、ゴーストの手に戻った。
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「ダイカイガン!ベートーベン、オメガドライブ!」 【名前】 オメガドライブ ベートーベン 【読み方】 おめがどらいぶ べーとーべん 【登場作品】 仮面ライダーゴースト 【初登場話】 第38話「復活!英雄の魂!」 【分類】 必殺技 【使用者】 仮面ライダーゴースト ベートーベン魂 【詳細】 仮面ライダーゴーストベートーベン魂の必殺技。 ゴーストドライバーのデトネイトリガーを操作すると、グリントアイへ表示されるベートーベンゴースト眼魂のクアッドアイリスが技の発動を示す図柄に変わって発動。 公式サイトではキック技として設定されるが、初使用となる第38話では周囲にいた眼魔コマンドを実体化した音楽譜で絡めとり、爆砕する技として使われた。 キック技は『ゴースト』劇中では未使用。
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登録日:2023/07/25 Tue 00 00 26 更新日:2024/04/03 Wed 00 43 15NEW! 所要時間:約 13 分で読めます ▽タグ一覧 DM DMEX-15 DMPP-19 DMR-07 DMX-25 T・ブレイカー VIC 「戦慄」の頂 ベートーベン アンノウン エターナル・Ω エピソード2 オサムライ・ヴァン・オサム キング・コマンド キング・コマンド・ドラゴン コマンド コマンド・ドラゴン ゼニス ゼロ文明 デュエマ デュエル・マスターズ デュエル・マスターズ プレイス ドラゴン ビクトリー ベートーベン 修羅丸 戦慄 旋律 無色 無色クリーチャー 運命 鎧 龍魂珠被害者の会 「お前の運命は、お前が決めろ。」 戦慄の旋律を奏でる者、それが「戦慄」の頂なり。 (*1) 《「戦慄」の頂 ベートーベン》とは、TCG「デュエル・マスターズ」のクリーチャー。 DMR-07「エピソード2 ゴールデン・ドラゴン」に収録されたゼロ文明のキング・コマンド・ドラゴン/アンノウン/ゼニスである。 ◀目次▶ ◀解説▶ ◀相性の良いカード▶ ◀派生カード▶ ◀関連カード▶ ◀デュエル・マスターズ プレイス▶ ◀背景ストーリー▶エピソード2 王来篇 ◀余談▶ ◀解説▶ 「戦慄(せんりつ)」の頂 ベートーベン VIC 無色 (10) クリーチャー:キング・コマンド・ドラゴン/アンノウン/ゼニス 13000 T・ブレイカー このクリーチャーを召喚によって出した時、ドラゴンまたは無色呪文を合計3枚、自分の墓地またはマナゾーンから手札に戻す。自分の山札の上から3枚をマナゾーンに置いてもよい。その後、このクリーチャーをタップしてもよい。 相手のクリーチャーが攻撃する場合、可能ならこのクリーチャーを攻撃する。 自分のドラゴンとコマンドすべてに「エターナル・Ω」を与える。 ゼニスとしては初めてアンノウン以外の種族を併せ持ったクリーチャーで、二つの種族に加えてキング・コマンド・ドラゴンを有している。 名前も鉤括弧内の漢字が二文字となって命名ルールから外れており、登場当初はゼニスの中でも異質な雰囲気を醸し出していた。 一方で性能に関してはしっかりゼニスの様式を踏襲していて、ゼロ文明の大型クリーチャーとしてデザインされている。 ゼニス特有の召喚時cipはドラゴンか無色呪文を墓地かマナゾーンから合計3枚回収し、任意で山札の上から3枚のマナブーストをした後に自身のタップができるというもの。 手札とマナ両方の充実を図れる便利な能力であり、単純に一度使用したカードを墓地から回収してマナの総数を増やせる他、序盤にマナゾーンへと埋めたカードを回収してマナブーストで再装填できたりと戦局に応じた動きが可能である。 タップについては隙を晒すだけのようにも思えるが、ここで活きてくるのが第二の効果である攻撃誘導能力。 相手クリーチャーの攻撃がベートーベンに限定されてしまい、13000未満のパワーを持つクリーチャーは攻撃しても自爆特攻を余儀なくされる。 基礎パワーのインフレで大型クリーチャー相手には心許なく感じる数値だが、小型~中型のクリーチャーが相手ならば攻撃を牽制する上で十分な仕事が期待できる。 ゼニスであるにもかかわらずエターナル・Ωは備えていない…と思いきや、自分のドラゴンとコマンドの両方にエターナル・Ωを付与する効果を持っている。 コマンド・ドラゴンであるベートーベン自身は勿論の事、該当種族を持つクリーチャーも同じ能力を発揮できるため、いかなる除去に対しても手札へと戻って粘り強く戦える。 フィニッシャーとしてド派手な効果が多かったそれまでのゼニスと比べると、同じパックに収録された《「謎」の頂 Z-ファイル》と並んで種族サポートの側面が強い性能となっている。 無色呪文かドラゴンとコマンドを多用するデッキなら、フィニッシャーとして採用を検討してもいいかもしれない。 ◀相性の良いカード▶ 戦慄のプレリュード UC 無色 (3) 呪文 このターン、次に召喚する自分の無色クリーチャーの召喚コストを最大5少なくしてもよい。 無色クリーチャー限定の《フェアリー・ギフト》。 重量級のゼニスにとっては必須のコスト軽減手段であり、特にベートーベンの場合は召喚時cipで墓地から回収して再利用できる。 実質ツインパクト版の《透明妖精リリン/妖精のプレリュード》も存在し、こちらはクリーチャー面で常在効果として無色クリーチャーの召喚コストを1だけ軽減してくれるため、合わせて8枚体制とするのも手である。 詳しくは個別項目を参照。 魔刻の斬将オルゼキア SR 闇文明 (7) クリーチャー:デーモン・コマンド 6000 このクリーチャーがバトルゾーンに出た時、自分のクリーチャーを1体破壊する。その後、相手は自身のクリーチャーを2体選び、破壊する。 W・ブレイカー 極神編を代表するデーモン・コマンド。 自分のクリーチャー1体を引き換えに相手クリーチャーを2体も屠れる強力なcip持ちであり、しかも選ばせ除去なので除去耐性持ちも貫通できる。 ベートーベンのエターナル・Ω付与と組み合わせれば、効果で自身を破壊した後に再び手札へと戻ってcipを使い回せる。 詳しくは個別項目を参照。 偽りの王 ヴィルヘルム 闇/火/自然文明 (9) クリーチャー:キング・コマンド・ドラゴン/アンノウン 12000 マナゾーンに置く時、このカードはタップして置く。 このクリーチャーをバトルゾーンに出した時、相手のクリーチャーを1体破壊する。その後、カードを1枚相手のマナゾーンから選び、持ち主の墓地に置く。 相手のカードがどこからでも墓地に置かれた時、自分の山札の上から1枚目をマナゾーンに置いてもよい。 T・ブレイカー 配下となるキング・コマンド・ドラゴン。 除去&ランデスの強力なcipをエターナル・Ωで使い回せるのは勿論、常在効果でマナブーストを促してくれる。 それによって肥えたマナゾーンはベートーベンの召喚時cipによるカード回収を活かしやすくなる他、ヴィルヘルム自身もドラゴンなので墓地かマナゾーンから回収可能である。 詳しくは個別項目を参照。 ◀派生カード▶ 「修羅(しゅら)」の頂 VAN(ヴァン)・ベートーベン 無色 (11) クリーチャー:キング・コマンド・ドラゴン/アンノウン/ゼニス 14000 このクリーチャーを召喚してバトルゾーンに出した時、相手のクリーチャーをすべてバトルゾーンから持ち主の手札に戻す。 相手がコマンドまたはドラゴンをバトルゾーンに出す時、相手はそのクリーチャーをバトルゾーンに出すかわりに墓地に置く。 T・ブレイカー エターナル・Ω(このクリーチャーがバトルゾーンを離れる時、かわりに手札に戻す) DMX-13「ホワイト・ゼニス・パック」等で収録されたベートーベンの強化形態。 コマンド及びドラゴンに対して非常に凶悪な縛りを掛ける効果を持ち、境でも重宝された事から「ベートーベンと言えばVANの方」として「戦慄」より有名になっている。 詳しくは個別項目を参照。 「覇道(はどう)」の頂 シュラ・ベートーベン SR 闇/火/自然文明 (10) クリーチャー:キング・コマンド・ドラゴン/ゼニス 13000 T・ブレイカー 自分のドラゴンが召喚によってバトルゾーンに出た時、自分の山札の上から2枚をマナゾーンに置いてもよい。 自分のドラゴンすべてに「スピードアタッカー」と「スレイヤー」を与える。 自分のマナゾーンからドラゴンを召喚してもよい。 DMX-25「ファイナル・メモリアル・パック 〜E1・E2・E3編〜」等で収録された新たなベートーベン。 今度は「覇道」の頂として、部下のヴィルヘルム・モーツァルトと同じデアリカラーとなった。 無色は基本のゼニスとしては珍しい…というか初の多色持ちであり、コストやパワー等から「戦慄」がベースとなっている模様。 能力も闇・火・自然の特色が色濃く表れており、自身のドラゴン召喚に呼応して2枚のマナブーストを行い、ドラゴン限定でマナ召喚も可能としてくれる。 更には自分のドラゴン全員にスピードアタッカーとスレイヤーを付与するので、ドラゴンなら軽量級でも即座に大型クリーチャーを狩りに行ける。 しかし、単体では2マナブースト可能なSA・スレイヤーでしかない故に「戦慄」以上のサポート特化性能であり、使用するに当たって他のカードとの連携は念頭に置きたい。 砕慄接続 グレイトフル・ベン 光/闇/自然文明 (8) クリーチャー:ディスペクター/キング・コマンド・ドラゴン/ガイア・コマンド 13000 EXライフ(このクリーチャーを出す時、自分の山札の上から1枚目をシールド化する。このクリーチャーが離れる時、かわりにそのシールドを墓地に置く) ブロッカー T・ブレイカー このクリーチャーが出た時、自分の墓地のカードをすべて、タップしてマナゾーンに置いてもよい。 各ターンに一度、クリーチャーを1体、自分のマナゾーンから召喚してもよい。それがディスタスならコストを支払わずに召喚する。 DMRP-18「王来篇 第2弾 禁時王の凶来」に収録されたベートーベンのディスペクター。 ガイア・コマンドの《大神砕グレイトフル・ライフ》と接続させられ、種族からアンノウンとゼニスが失われている。 ブロッカーとEXライフ持ちの3打点という恵まれた基礎能力に加え、cipで墓地のカードを丸ごとマナゾーンに置くという超豪快なマナブーストも可能にしている。 事前に墓地肥やしする程にマナが充実していく効果であり、1ターンに一回可能なマナ召喚との相性の良さは言わずもがな。 特にディスタス限定でノーコスト召喚が可能なため、ササゲール持ちのディスタスでコスト軽減してグレイトフル・ベンを召喚→墓地からマナゾーンに移動してマナ召喚で踏み倒せば凄まじいアドバンテージを稼げる。 環境でも《闇王ゼーロ》と組み合わせたループデッキ【ゼーロベン】の核として猛威を振るった事があり、ベートーベンの派生としてはVAN以来の強カードとなっている。 「鎮魂(ちんこん)」の頂 ベートーベン・ソレムニス SR 闇/火/自然文明 (10) クリーチャー:キング・コマンド・ドラゴン/アンノウン/ゼニス 17000 スピードアタッカー T・ブレイカー このクリーチャーが出た時、相手のドラゴンをすべて破壊する。こうして破壊したドラゴン1つにつき、相手のシールドを1つ、持ち主の墓地に置く。 相手がドラゴンを出す時、相手はかわりにそれを墓地に置く。 DM22-EX2「ヒーローズ・ダークサイド・パック 闇のキリフダたち」に収録された新規ベートーベン。 「覇道」と同じデアリカラーだが、サポート特化のあちらとは対照的により攻撃な性能としてデザインされており、イラストでは同じキング・コマンド・ドラゴンの《偽りの王 ナンバーナイン》に酷似した龍に跨がっている。 まずはcipで相手のドラゴンを全破壊し、その数だけシールド焼却してしまう。 シールド焼却と言えばS・トリガーによる反撃すら許さずシールドを墓地送りにしてしまう恐るべき能力であり、関連能力を持つカードから殿堂入りも何枚か出ているが、「鎮魂」の場合は場の状況によって全開できる可能性もあるのが恐ろしい。 更には、相手のドラゴンが場に出る際は墓地行きとなる置換効果も備えており、ドラゴンに対する殺意は歴代ベートーベンの中でも随一である。 裏を返せば非ドラゴンに対して殆ど効果を発揮しないという事でもあるので、対戦するデッキの構成をしっかり見極めた上で入れたい1枚となっている。 ◀関連カード▶ 運 命 R 無色 (10) 呪文 アタック・チャンス:《「戦慄」の頂 ベートーベン》(自分の《「戦慄」の頂 ベートーベン》が攻撃する時、この呪文をコストを支払わずに唱えてもよい) カードを5枚まで引く。その後、自分の手札を3枚、相手に見ないで選ばせ、それを相手に見せる。その中から好きな枚数のドラゴンを出す。 ベートーベンと共に収録された専用のアタック・チャンス呪文。 ドラゴンを最大3体まで踏み倒せる効果だが、実際に引けるかどうかはカード名の通り運次第。 詳しくは個別項目を参照。 真実の名 修羅丸 P 無色 (7) クリーチャー:ヒューマノイド/アンノウン 6000 このクリーチャーが攻撃する時、自分の山札の上から1枚目をすべてのプレイヤーに見せる。そのカードが進化ではない無色クリーチャーであれば、バトルゾーンに出してもよい。 W・ブレイカー(このクリーチャーはシールドを2枚ブレイクする) 「真実の名」に目覚めたベートーベン。 エピソード2の主人公である鬼丸と似た名前を持つが、その正体とは…? カード性能としては、アタックトリガーで山札の一番上が非進化の無色クリーチャーなら踏み倒せる効果を持ち、召喚時cip持ちのゼニスとの相性は良いとも悪いとも言えない。 ◀デュエル・マスターズ プレイス▶ 「戦慄」の頂 ベートーベン VIC 無色 (10) クリーチャー:キング・コマンド・ドラゴン/アンノウン/ゼニス 13000 T・ブレイカー 召喚によってバトルゾーンに出た時、自分の墓地またはマナゾーンからドラゴンまたは無色カードを合計3枚まで手札に戻す。自分の山札の上から3枚をマナゾーンに置いてもよい。その後、このクリーチャーをタップしてもよい。 相手のクリーチャーが攻撃する場合、可能ならこのクリーチャーを攻撃する。 自分のドラゴンとコマンドはすべて「エターナル・Ω」を得る。 DMPP-19「グレイト・ディスティニー -希望の双子-」に収録された。 エターナル・Ω付与と攻撃誘導効果についてはTCGそのままだが、召喚時cipの効果が地味に変更されている。 墓地かマナゾーンから回収するカードの内、無色呪文が無色カード全般まで幅広く対応するようになった上で、回収する枚数も3枚固定だったのが3枚まで任意の数となって使い勝手が格段に良くなった。 また、DMPP-19収録のゼニスとしてはレアリティ面でも優遇を受けている。 主人公サイドの最強形態である《超絶奇跡 鬼羅丸》にラスボスの《「無情」の極 シャングリラ》までもが格下げを食らう中で、《「必勝」の頂 カイザー「刃鬼」》と合わせて紙版からビクトリーレアを保てた数少ないゼニスだったりする。 更には「刃牙」と共にシークレット版のイラストまで貰っており、入手すると修羅丸のスキンが使用できるようになる。 ◀背景ストーリー▶ エピソード2 キング・コマンド・ドラゴン部隊を率いるゼニスの一柱。 《「謎」の頂 Z-ファイル》と《「呪」の頂 サスペンス》が共にゴールデン・エイジへの奇襲を掛けていた頃、ベートーベンも龍王たちを伴って戦場に降臨した。 敵対するレッド・コマンド・ドラゴン部隊と《鬼無双 カイザー「勝」》を下した後、ついにベートーベンはゴールデン・エイジ本体と相まみえた。 「謎」「呪」との戦いを経てゼニスとして覚醒した《黄金龍 鬼丸「王牙」》が立ち向かっていくが、戦いの中でふと気が付いた。 …ベートーベンの正体が自分の兄・修羅丸である事を。 「希望の双子」として鬼丸と共に生を受けながらも、アンノウンに連れ去られる形で生き別れとなった修羅丸は、ゼニスによる龍の支配計画の駒として利用されていた。 《「智」の頂 レディオ・ローゼス》の策略によってキング・コマンド・ドラゴンの鎧を着せられ、ベートーベンとなって龍の支配者に仕立て上げられたのだ。 だが希望の守り手であるペッパーとシウバは、たとえ主君がアンノウンになろうとゼニスになろうと守り続ける事を決意し、希望の双子が再び揃うその日まで《裏切りのペッパーシウバ》としてベートーベンを守護していた。 鬼丸とベートーベンの戦いは勢いを増し、その影響でゴールデン・エイジのメンバーたちもゼロの力に目覚めていった。 戦いの最中に「戦慄」は《「修羅」の頂 VAN・ベートーベン》に達して攻勢を掛けるが、鬼丸も仲間からゼロの力を受けて全身全霊の一撃を放った。 その一撃はベートーベンの兜に亀裂を作り、やがて鎧は次々と砕けていき、ついに修羅丸がその姿を表したのだった。 王来篇 歴史上のクリーチャー達がディスペクターとして悪用される王来大戦では、ベートーベンもまた《大神砕グレイトフル・ライフ》と合成させられ《砕慄接続 グレイトフル・ベン》と化していた。 《禁時混成王 ドキンダンテXXII》による世界滅亡が進む中、名も無きキング・コマンド・ドラゴンの大軍勢を率いて破壊の限りを尽くしていたが、そこに立ちはだかるはかつては敵同士だった《煌星龍 サッヴァーク》と《テ・ラ・スザーク》。 グレイトフル・ベンは鐘の音で龍王達の軍勢を操って対抗するが、それぞれ《英霊王スターマン》と《蛇魂王ナーガ》の力を借りた2体の連携の前に敗れ去った。 ◀余談▶ キング・コマンド・ドラゴンの命名ルールに「音楽関係の作家・用語を用いる」というものがあり、ベートーベンの場合はルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンから取られている。この内「ルードヴィヒ」は《偽りの王 ルードヴィヒ》として、ヴァンは自身の強化形態である《「修羅」の頂 VAN・ベートーベン》及びメディアミックスにおけるベートーベンの使い手ことオサムライ・ヴァン・オサムにも用いられている。 そんなキング・コマンド・ドラゴンの長という事もあって、ネーミングやデザインなど随所に音楽要素が持ち込まれている。盾のデザインがト音記号を象った形状になっている他、肩書きの「戦慄」は旋律と掛けたもので、後に《偽りの王 モーツァルト》のフレーバーテキストでも取り入れられた。また、関連カードとなる《運命》もベートーベンを代表する曲である交響曲第5番である。 追記・修正は鎧を着せられてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 龍の王として生み出されたはずのコイツがディスペクターになったら人の手で造られた龍であるサッヴァークと龍の成り損ないであるデ・スザークに撃たれるという皮肉よ。外見じゃなく話の流れでディスペクトされるのはただただ哀れ…。なお中身である修羅丸は弟の鬼丸ともども正義帝に力を継承させてたり… -- 名無しさん (2023-07-25 01 29 46) 名前 コメント
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目次 【時事】ニュース響神・ベートーベン 【参考】ブックマーク 関連項目 タグ 最終更新日時 【時事】 ニュース 響神・ベートーベン gnewプラグインエラー「響神・ベートーベン」は見つからないか、接続エラーです。 【参考】 ブックマーク サイト名 関連度 備考 ピクシブ百科事典 ★★ 関連項目 項目名 関連度 備考 参考/戦国コレクション ★★★★ 登場作品 参考/吉川友 ★★★ キャスト 参考/ベートーヴェン ★★★ 関連人物 タグ キャラクター 最終更新日時 2013-12-26 冒頭へ
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このページはこちらに移転しました 作詞THEベートーベン 作詞/125スレ38 本気なら それでいい 夢中なら 尚幸せ どんな詞も 絶対 美しいから もっと自由に! もっと激しく! まるで大空を泳ぐ鳥の様に!! 作詞の天使! 作詞がエナジー! いつでも気になるの ねえイイ感じ? ねえイイ感じ? ねえイイ感じ? やっぱりあなたがくださる反応 やっぱり誰もが求める反応 やっぱり流れる気まずい空気 ぐっすり眠れる平和が好き
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龍王神剣 ベートーベン P ゼロ 6 ドラグハート・ウエポン: ■これを装備したクリーチャーが攻撃するとき、手札または墓地から、ドラゴンを1体、バトルゾーンに出してもよい。 ■龍解-自分のターンのはじめに、自分のバトルゾーンにドラゴンが5体以上あれば、このドラグハートをクリーチャー側に裏返し、アンタップしてもよい。 (ゲーム開始時、ドラグハートは自身の超次元ゾーンに置き、ドラグハートまたはそれを装備したクリーチャーがバトルゾーンを離れた場合、そこに戻す。) 龍解後:《偽りの真実ベートーベン・F》 原作者:es1373様 代理作成者:メンチカツ 米 携帯用オリカ投稿板にて投稿されていたes1373様のオリカを代理作成しました。 龍解条件は連ドラなら簡単だと私メンチカツは考えております。 (つづく) 関連 +... 《龍覇 Y・Z・B》 評価 名前 コメント