約 38,374 件
https://w.atwiki.jp/nkbbiblehunter/pages/29.html
テモテ 名前 テモテ BP 2万 タイプ1 伝道者 タイプ2 男 関連聖書 牧会書簡 使徒言行録 - - - - 能力 パウロの協力者 【このカードは追加召喚できる】バトルで使ったもう1枚の人物カードが【使徒】ならBP+5万
https://w.atwiki.jp/gods/pages/7342.html
テモテ 聖書『使徒行伝』に登場するパウロの愛弟子。 キリスト教の守護聖人。 記念日は1/22、1/24。 関連: ユニケ (母) 別名: ティモテオス(2) ティモフェイ
https://w.atwiki.jp/yohantrue/pages/57.html
【テモテⅠ】 そしてパウロはテモテのことを、「信仰による真実のわが子」と呼んでいます。テモテは、おそらくパウロの宣教の働きで救われた人であり、またパウロの宣教旅行の同行者、かつ同労者であり、そしてパウロは、ピリピ人への手紙において、彼のことを「私と同じ心になって」いると言っています(2:20)。霊的に、パウロはテモテにとっての父親のような存在でした。 テモテは、小アジヤのルステラという町に住んでいました。彼はギリシヤ人の父を持っていましたが、母はユダヤ人であり、祖母もそうでした。祖母は聖書を母によく教え、また母もテモテに聖書をよく教えました。幼いことから聖書に親しんできたと、テモテへの手紙第二には書いてあります。パウロが第一回目の宣教旅行においてルステラに来たときに、祖母も母も信仰を持ち、またテモテも信仰を持ったと考えられます。そして、パウロが第二回目の宣教旅行にルステラに来たときには、彼はその地域で評判の良い信者となっていました。パウロとシラスは、テモテを加えて、宣教旅行を続けます。そして、パウロがローマにて第二回目に、皇帝の前の法廷に立つ前に手紙を書く時にも、テモテはずっとパウロとともにいました。彼は、パウロの手紙の中で、受取人ではなく差出人として連名で出て来ていました。 そして、父なる神と私たちの主なるキリスト・イエスから、「恵みとあわれみと平安とがありますように。」とパウロは書いています。他の教会宛ての手紙では、「恵みと平安とがありますように」というあいさつでしたが、ここでは、その間に「あわれみ」があります。あわれみとは、受けるに値する者を、受けないで済むようになっている状態です。神のさばきを受けなければいけないのに、受けないでいる。これが「あわれみ」です。パウロは、自分自身が福音宣教者として、使徒として生きていくために、もっとも必要に感じていたのはこの「あわれみ」だったのです。神の深いあわれみが、主の奉仕者を奉仕者として立たせてくれる源泉があります。 パウロが「マケドニアに出発するとき」に、テモテに、エペソにとどまっているようにと命じています。パウロは、第三回目の宣教旅行で、エペソに長期間滞在しました。その後、エルサレムにある教会が経済的に窮していたので、醵金のためマケドニヤとアカヤの地域を回りました。その時に、パウロが、テモテに頼んで、エペソにとどまっているように教えたのかもしれません。あるいは、パウロは囚人として、ローマ皇帝の前に立ちましたが、一回目の審問では彼は無罪にされたようです。その後、パウロは比較的自由に動くことができました。エペソにも戻って、その後、マケドニヤに行き、そしてテモテをそこにとどまらせたのかもしれません。 テモテをそこに置いたのは、ある者たちがパウロが教えていることと「違った教えを説い」ていたからだ、と言っています。パウロは、エルサレムに行く途中に、港町ミレトにて、エペソにいる長老たちをミレトに呼び寄せたことがあります。エルサレムへと急いでいたので、自分がエペソに行かずに、彼らを自分のところに呼び寄せたのです。そして、パウロは、自分が出発した後に、凶暴な狼があなたがたの中にはいり込み、群れを荒らし回ることを予告しました。また、長老たち自身からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分たちのほうに引き寄せる者たちが起こるとまで言っています(使徒20章)。はたして、その通りになったようです。テモテは、この違った教えを説く者たちに、どのように対処すればよいか苦慮していたのです。 彼らが教えていたものとは、「果てしのない空想話」とありますが、これは律法の教えに関わることのようです。4章には、「ある人たちが惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を絶つことを命じたりします。(2-3節)」と書いてあります。他のパウロの手紙にも、これと類似する教えについて言及しているので、パウロがいた当時、この種の律法主義が教会の中ではびこっていたことが想像できます。また、「系図」とありますが、聖書の系図を利用して、変てこな教えを広げていたようです。 テモテは今、エペソにいます。パウロがテモテを、エペソにとどまらせて、そこの教会で起こっている問題に対処するように命じました。エペソは、パウロが長いこととどまって、みことばを教えた結果、多くの信者が与えられ、数々の不思議や奇蹟が行なわれたところです。けれども、その教会に狼がやって来ること、また、長老たちの中からも曲がったことを教えることを、パウロは予告しました。はたして、そのとおりになってしまったようです。そこでテモテがエペソにとどまって、牧会者として、みことばを教える奉仕を行なっていました。 エペソでは、律法について曲がったことを教えている者たちがいたようです。これこれは食べてはいけない、飲んではいけない、結婚してはいけないことや、また、系図などで、変てこな教えをしていたと考えられます。律法を教えていて、あたかも律法を大事にしているかのように見えて、実は、パウロが宣べ伝えていた福音から反れていたことを教えていました。 そのために、論争が起こりました。というよりも、そのような輩が論争をけしかけたと言ったほうがいいです。そしてこのテモテへの手紙は、こうした言い争いを避けて、教師たちの目標である「きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛」に焦点を当てるよう、テモテに命令しています。 テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。そして、俗悪なむだ話、また、まちがって「霊知」と呼ばれる反対論を避けなさい。 これが、テモテへの手紙のまとめです。一つは「ゆだねられたものを守る」です。パウロが、主イエス・キリストの直接の啓示を受けましたが、それをテモテにゆだねようとしています。この啓示は、取捨選択できるようなものではなく、絶対真理ですから、パウロはテモテに何度も、「あなたに命じます」と命令として語っていました。これは、キリスト教会の牧会者すべてに当てはまるでしょう。パウロが語っていること、つまり聖書の教えを忠実に、しっかりと説き明かしていく務めにたずさわっています。そこに私的解釈はいっさい行なってはいけません。 次に、「霊知」と呼ばれる反対論を避けます。これがグノーシス主義であると考えられますが、自分たちだけに霊的な知識が与えられていると彼らは考えていました。人々には隠された神の計画があり、それを自分たちだけが示された、と考えます。今でも、似たような主張はキリスト教会の中にあります。しかし、それを避けなさいとパウロは命じました。 こうしてテモテへの手紙第一を読み終えましたが、牧会書簡は、「敬虔に生きる」ということが一つのテーマになっていました。敬虔というのは、この世にはもっとも受けない生き方ですが、けれども大きな利益をもたらします。金銭を追い求れば、大変なことになりますが、今の衣食に満足すれば、とても豊かな生活をすることができます。そして信仰の戦いを勇敢に戦わなければいけません。まことしやかな、人々を説得させる主張や論理が教会の中でさえ吹き荒れます。しっかりと、健全な教えの中にとどまっていなければいけません。 Total Hits - Today Hits -
https://w.atwiki.jp/yohantrue/pages/58.html
【テモテⅡ】 テモテへの手紙第二は、パウロが書いた最後の手紙です。なぜなら、パウロは間もなく皇帝ネロによって死刑に定められるからです。使徒行伝の最後の部分、28章を思い出してください。パウロはローマで、自費で家を借りて、ローマの看守によって鎖につながれていました。彼は、エルサレムにおいて、主イエスが自分を異邦人に遣わすと言ったときにユダヤ人が半狂乱状態となり、それがきっかけで、囚人となりました。ローマまで来て、そして彼はこの家の中で神の国を宣べ伝えました。ローマで、パウロはネロの前で弁明しました。この時は、彼は釈放されたようです。 しかし、皇帝ネロは、この時ぐらいを境に、クリスチャンに対する迫害を始めました。パウロは、言い伝えによれば釈放されてのち、再びまた捕らえられます。今は自費の家ではなく、牢獄の中にいます。初めに弁明したときにそれがうまく行かず、死刑宣告が出ることがはっきりとしました。その時に、パウロとともに労していた人が、なんと1章15節を読みますと、アジヤからの人は全員、彼を離れてしまったのです。クリスチャンに対する迫害がひどくなったからでしょう、しかし、それは信仰を貫いていることにならず、信仰の戦いの中で敗北してしまったのです。パウロは、4章16節で、「どうか彼らがそのためにさばかれることのありませんように。」と言っています。 これまでローマ人への手紙からずっとパウロの手紙を読んできましたが、そこには順番がありました。初めに、救いについて語られ、そしてエペソ書からは「教会」について語られ、そしてテサロニケ人への手紙には、主の再臨について語られました。そして、この主の再臨のことを思いつつ、パウロは牧会書簡であるテモテへの手紙で、しっかりと忠実に、みことばを教えることを命じています。イエスさまがオリーブ山にて、弟子たちに語られたことを思い出せるでしょうか。イエスさまは、何度も何度も、忠実さが再臨に備える者の特徴であることをお話になりました。忠実に食事を与えている思慮深いしもべのたとえなどであり、その忠実さにしたがって、主は大きな報いをお与えになります。ですから、テモテへの手紙でも、主からゆだねられたものをしっかりと守ることが強調されています。 そして、テモテへの第一の手紙では、すでに信仰から離れていく者たちがいた話が出てきました。ここでの戦いは、エペソ書6章に書いてあるような霊の戦いではなく、信仰そのものから離れていく者たちがたくさん出てくる中での、信仰の戦いです。偽りの教えをする者が一部いるというものではなく、教会そのものが偽りの教えの中に入っていくような状況です。これが「終わりの時」に起こることをパウロは語っており、テモテへの第二の手紙ではこの「背教」について語っています。第一の手紙では、ある者たちが信仰を捨ててしまったことが書かれていますが、第二の手紙では、すべての者が捨ててしまったという中で書いています。 聖書では、終わりの時には背教が起こることを預言しています。黙示録にある7つの教会では、最後のラオデキヤの教会には、キリストがおらず、外で戸を叩いておられました。私たちも同じです。終わりの時に目をさましていなければ、信じている信仰そのものの内容が変わり、多くの者が離れていくことでしょう。その中で、私たちが、とくに牧者や教会奉仕者がどのようにして、この信仰の戦いを勇敢に戦うべきなのか、いや、もはや戦う勇気さえ失いかけているときに、どのように主によって支えられていくべきなのかを考えていきたいと思います。 テモテは、母がユダヤ人で父がギリシヤ人の両親を持っていました。父がユダヤ人の時のみ、子がユダヤ人なので、テモテは異邦人でした。けれども、祖母と母は、テモテが幼いころから聖書を教えていました。それゆえ、テモテには、純粋な信仰が宿っていました。疑うことのひとかけらもない、神のみことばを信じる信仰です。 そこでパウロは、テモテを強く励まし、勧めます。それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。 テモテには、預言のことばが与えられていました。長老たちが手を置いていたとき、預言のことばがあり、その時に聖霊の賜物が与えられていました。パウロは、テモテへの手紙第一で、「あなたがたのうちにある聖霊の賜物を軽んじてはいけません(4:14)」と言いました。けれども、今は、「再び燃え立たせてください」と言っています。おそらくテモテは、伝道者としての賜物が与えられていたかもしれません。第二の手紙4章には、「伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい」とパウロはテモテに言っています(5節)。神のみことばを宣べ伝え、教え、勧めていくのが、彼の務めでした。その賜物が、長老たちに按手を受けていたときに与えられていたのです。 テモテは、若くおとなしい性格の持ち主だったかもしれません。エペソの教会において、年長の者たちから軽んじられて、また違ったことを教えている者たちがいるのに、牧者としての権限によって、はっきりと責めることもできなかったのかしれません。人々は彼を利用していたのでしょう。そして今、皇帝によるクリスチャン迫害が始まっており、みことばを宣べ伝えるものなら、パウロのようにいのちを落とすかもしれません。そして、アジヤにいる人々はみな、パウロを離れています。その中でテモテは、その内が疲れ、おびえ、もう自分にはこの務めを果たすことはできない、と思ったかもしれません。 けれどもパウロは、「神の賜物を、再び燃え立たせてください」と言っています。これが、終わりの時における困難な中においても自分を信仰の中に保つ方法です。神の賜物を燃え立たせるのです。自分に与えられた賜物を、威厳をもって用いていくのです。みなさんに与えられている、神の賜物はありますか。それを以前は用いていたのだか、いろいろな困難があって、それを用いなくなっていき、今はもう用いていない、ということはないでしょうか?パウロは励ましています。「再び燃え立たせてください」 テモテは、おそらくユダヤ人ではないということで、彼を軽んじ、反対する者がいたかもしれません。しかし、テモテは、使徒パウロと同じように、母親と祖母からしっかりとユダヤ人の聖書を教えられており、みことばを教える素地ができているのです。これをしっかりと用いていかなければいけません Total Hits - Today Hits -
https://w.atwiki.jp/daniel1260/pages/210.html
テモテへの第二の手紙 1章 2章 3章 4章
https://w.atwiki.jp/mormon/pages/1453.html
テモテ テモテ 第1章 テモテ 第2章 テモテ 第3章 テモテ 第4章 テモテ 第5章 テモテ 第6章
https://w.atwiki.jp/daniel1260/pages/203.html
テモテへの第一の手紙 1章 2章 3章 4章 5章 6章
https://w.atwiki.jp/mormon/pages/1460.html
2テモテ 2テモテ 第1章 2テモテ 第2章 2テモテ 第3章 2テモテ 第4章
https://w.atwiki.jp/gods/pages/61793.html
テモテ(2) キリスト教の守護聖人。 1/26の聖人。
https://w.atwiki.jp/mormon/pages/1454.html
1テモ1 1 わたしたちの救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエス の使徒となったパウロから、 1テモ1 2 信仰によるまことの子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして 平和があるように。 1テモ1 3 マケドニア州に出発するときに頼んでおいたように、あなたはエフェソにとどまって、ある人々に命じなさ い。異なる教えを説いたり、 1テモ1 4 作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り名無しや系図は、信仰による神 の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。 1テモ1 5 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。 1テモ1 6 ある人々はこれらのものからそれて、無益な議論の中に迷い込みました。 1テモ1 7 彼らは、自分の言っていることも主張している事柄についても理解していないのに、律法の教師でありた いと思っています。 1テモ1 8 しかし、わたしたちは、律法は義しく用いるならば良いものであることを知っています。 1テモ1 9 すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のために与えられているのでは なく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す 者、人を殺す者、 1テモ1 10 みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、その ほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです。 1テモ1 11 今述べたことは、祝福に満ちた神の栄光の福音に一致しており、わたしはその福音をゆだねられてい ます。 1テモ1 12 わたしは強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実 な者と見なして務めに就かせてくださったからです。 1テモ1 13 以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らず に行ったことなので、憐れみを受けました。 1テモ1 14 そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。 1テモ1 15 “キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた”という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値 します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。 1テモ1 16 しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しにな り、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。 1テモ1 17 永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン 1テモ1 18 わたしの子テモテ、あなたについて以前預言されたことに従って、この命令を与えます。その預言に力 づけられ、雄々しく戦いなさい。 1テモ1 19 信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。 1テモ1 20 その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。わたしは、神を冒涜してはならないことを学ばせるため に、彼らをサタンに引き渡しました。