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コリント川 - CORINTH RIVER シンボル 3個 機密文書 2個 巡洋艦 ニューサン号 - The New Sun コリント砂地 - Corinth Sands スタール武器倉庫 - Stahl Arms Warehouse シンボル 水門制御室窓向こうの柱 機密文書 水門制御室からオーバールック東手前の通路 ヴェルドラン オーバールック東 - Verdran Overlook East シンボル 高台部屋から雨水排水路への階段を下りたところの壁面 雨水排水路11-34C - Storm Drain 11-34C シンボル 排水路部屋奥の金網向こうの壁面 ヴェルドラン オーバールック西 - Verdran Overlook West 機密文書 倉庫内の階段下 コロヴィス ダム - Korovis Dam 【エリート攻略】 広場で戦う戦車戦。 ハシゴを降りたら、正面の敵兵1体を倒す。 その場に置かれているミサイルランチャーを拾い、味方の戦車の居る方向へ全力疾走。 途中で反対側から敵兵と戦車が出てくるので、味方の戦車付近から敵戦車を砲撃。 最後方(味方がいる更に後ろ)に、ミサイルランチャーの弾が無限にあるので、それを使いながら次々登場する3つの敵戦車を破壊すると、敵兵が残っていてもミッション終了。 「味方戦車に乗れ」などと言われるが、最後方で延々ミサイルランチャーを撃ち続けるだけでいい。 建物上の固定砲台やミサイルランチャーを撃ってくる敵に注意。
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コリント人への第二の手紙 1章 2章 3章 4章 5章 6章 7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章
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コリント人への第一の手紙 1章 2章 3章 4章 5章 6章 7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章
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コリント コリント 第1章 コリント 第2章 コリント 第3章 コリント 第4章 コリント 第5章 コリント 第6章 コリント 第7章 コリント 第8章 コリント 第9章 コリント 第10章 コリント 第11章 コリント 第12章 コリント 第13章 コリント 第14章 コリント 第15章 コリント 第16章
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2コリント 2コリント 第1章 2コリント 第2章 2コリント 第3章 2コリント 第4章 2コリント 第5章 2コリント 第6章 2コリント 第7章 2コリント 第8章 2コリント 第9章 2コリント 第10章 2コリント 第11章 2コリント 第12章 2コリント 第13章
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パウロ書簡の一書。真筆性は極めて高いとされる。 『コリントの信徒への手紙一』を記した後、パウロは小アジアの都市エフェソスを離れてマケドニア州へ向かうことにした。エフェソスでの宣教活動は成功を収め、それがためにパウロは反対者の活動によってエフェソスにいることが難しくもなっていたのである。エフェソスから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海路、マケドニア州へ入るつもりであった。しかし第一の書簡を運んでコリントへ行っていたテトスとトロアスで合流しようというもくろみはうまく行かなかったので不安にかられた。しかしマケドニアのフィリピでテトスと再会することが出来、二人は喜び合った。パウロはテトスからコリントの共同体の状況について聞くことができた。その時に書いたものと思われる。(なお、使徒言行録にはテトスは出てこない。ルカはテトスを知らなかった可能性がある。)コリントの共同体がこのあと、どうなったのかはわからないが、『使徒言行録』20 2によればパウロはこのあと、コリントを訪れて三ヶ月訪問し、同地で『ローマの信徒への手紙』を執筆している。(使徒20 1-3) 使徒20 1-3 この騒動(銀細工師デメトリオがパウロが彼らの職を妨害していると訴えたことによる騒動)が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、そこで三か月を過ごした。 研究者たちはこの書簡がフィリピかテサロニケで紀元58年の初頭にかかれたものと考えている。この手紙をコリントへ届けたのはおそらくテトスであったろう。第一の手紙との違いは、この手紙はコリントの共同体のメンバーのみならず、アカイア州の全域の共同体に宛てられた書簡であるということである。 11章にはパウロの人生における困難の数々がリストアップされ、第12章では「第三天まであげられた」という神秘体験について、自分に与えられた「とげ」について述べられている。この書簡では他のどれよりもパウロが自分自身について多く語っている。 著者 冒頭にパウロであると明記されている。(コリント二1 1) 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。 高等批評でも真筆性は高いとされている。 構成 パウロの内面的困難、コリントの信徒たちへの思い(1-7章) 慈善活動のすすめ、特にエルサレムの共同体支援の願い(8-9章) パウロに対する批判への反論、コリントの信徒への配慮、結びのあいさつ。(10-13章) なお、この書簡には、パウロの文体の雰囲気が突然変わったり、話のつながりの悪いところが散見される。そのために、この書簡は複数の書簡を編集したものではないかという仮説が立てられ、現在ではボルンカムらによる5つの書簡の複合体であるとする説が多くの研究者によって支持されている。それによると、以下のように分割される。 書簡A:第2章14節〜第7章4節 書簡B:第10章1節〜第13章13節 書簡C:第1章1節〜第2章13節と第7章5節〜16節 書簡D:第8章 書簡E:第9章 パウロの受けた啓示 パウロは自身が14年前に受けた啓示を、「一人の人」と謙遜して表現している。14年前とは西暦40年前後であり、パウロが故郷の村に戻っていたときのことである。「一つのとげ」とは、パウロの持病であるてんかんのことだと思われる。 Ⅱコリント12 1-9 わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。 それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 異なったイエスの宣教 コリントⅡによれば、コリントの信徒の元へは「異なったイエスの述べ伝え」があったという。 コリントⅡ11 1-4 わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。 ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。 なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。 荒井献氏は次のように指摘している。 『われわれはコリント人への手紙から、パウロがコリント教会を去った後にパレスチナからこの教会に「ことなる福音」をもたらした複数の人物によって起こされたコリント教会の状況を推定する事ができる。彼らは巡回霊能者として自らの被扶養権を主張し、イエスの言葉の秘教性とその解釈を一義的に主張した。これは福音の自由のために被扶養権を放棄し、十字架の愚かさに逆説的救済を見いだそうととしたパウロの使徒としての役割に疑問が呈される。コリント教会における富裕知識人たちは、彼らの霊肉二次元的な人間理解を受容し、死人の復活を否認するに至ったため、貧者達の間に霊的熱狂主義をひき起こした。すなわち彼らは、「神の国」が霊においてすでに実現していると熱狂的に信じ、霊的な富と支配を誇って、世俗的なものを二次的とみなし、極端な禁欲主義に陥いった。パウロは書簡によりこの様な事態を批判し、彼固有の立場からイエスの言葉を引用し、イエスにおける啓示の秘教性と逆説性を強調している』 テトスについて 使徒言行録では全く触れられていないが、パウロがマケドニアに着いたとき、テトスと再会したことが書かれている。 『コリントの信徒への手紙一』を記した後、パウロは小アジアの都市エフェソスを離れてマケドニア州へ向かうことにした。エフェソスでの宣教活動は成功を収め、それがためにパウロは反対者の活動によってエフェソスにいることが難しくもなっていたのである。 エフェソスから陸路トロアスへ到着したパウロはそこから海路、マケドニア州へ入るつもりであった。しかし第一の書簡を運んでコリントへ行っていたテトスとトロアスで合流しようというもくろみはうまく行かなかったので不安にかられた。しかしマケドニアのフィリピでテトスと再会することが出来、二人は喜び合った。 Ⅱコリント7 5-9 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。 たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。 ここでいう「手紙」とは、『コリントの信徒への手紙一』のことと考えられる。 Ⅱコリント7 12-14 ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であな たがたに明らかにするためでした。 こういうわけでわたしたちは慰められたのです。この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお 陰で元気づけられたからです。わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、わたしたちはあなたがたにすべて真実を語ったよ うに、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。 http //www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_pauro.html
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パウロ書簡の一書。真筆性は極めて高いとされる。 この手紙はエフェソスで書かれ、おそらくパウロのエフェソス滞在の三年目の五旬祭を前に書かれたものであると考えられている。このころ、パウロはマケドニアの信徒を訪ね、コリント(コリントス)へもまわろうとしていたと考えられる。しかし、コリントの共同体がもめているという話を知らされたパウロは愕然とした。この話をパウロは、協力者アポロやクロエの家の人々から、またステファナらが直接もたらした書簡によって知ったのだった。当時のローマ帝国には一般市民が利用できる郵便配達システムは存在しなかったため、手紙は旅行者によってもたらされていた。 パウロがこの手紙を書いてコリントの共同体の人々に伝えたかったことは「信仰によって一致してほしい」ということであった。また、この書簡を利用してコリントの人々からの疑問に答えている。この手紙はテトスとその兄弟によってコリントへ運ばれたと考えられる。(『コリントの信徒への手紙二』8 16-18参照) 著者 冒頭にパウロであると明記されている。(コリント一1 1-2) 神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、 高等批評でも、パウロの真筆性は高いとされている。 構成 あいさつ(1 1-9) コリントの教会の争い(1 10-4 21) コリントの教会の倫理的な間違い(5 1-6 20) 結婚(7 1-40) 偶像に捧げられた肉(8 1-11 1) 礼拝(11 2-14 40) 復活(15 1-58) 手紙の終わり(16 1-24) 最後の晩餐 福音書が書かれる前の西暦50年代に、すでにパウロは最後の晩餐について書いている。(Ⅰコリント11 23-26) わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。 イエスの復活と顕現 福音書が書かれる前の西暦50年代に、すでにパウロはイエスの復活やイエスの顕現について書いている。なお、ここで言及されている「聖書」とは旧約聖書のことであって、福音書はまだ存在していない。(Ⅰコリント15 3-8) 最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。 http //bibletoolbox.net/ja/seisho/korintonoshintohenotegami-daiichi
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パウロがフィリピ滞在中に、コリントの信徒たちが自分たちの間で流布している異端説について伝えてきたのを受けて書いたものとされている。正典のコリントの信徒への手紙に準じて、「コリント人への第三の手紙」とも呼ばれる。
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2コリ1 1 神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、巨大テモテから、コリントにある神の教会と、ア カイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。 2コリ1 2 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 2コリ1 3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえら れますように。 2コリ1 4 神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによ って、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。 2コリ1 5 キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリ ストによって満ちあふれているからです。 2コリ1 6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救になります。また、わたしたちが慰められると き、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。 2コリ1 7 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共に してくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。 2コリ1 8 兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい。わたしたちは耐えられ ないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。 2コリ1 9 わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させて くださる神を頼りにするようになりました。 2コリ1 10 神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。こ れからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています。 2コリ1 11 あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰でわたしたちに与えられた恵みにつ いて、多くの人々がわたしたちのために感謝をささげてくれるようになるのです。 2コリ1 12 わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真 と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました。このことは、両親も証しするところで、わたしたちの誇りです。 2コリ1 13 わたしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません。あなたがたは、わたし たちをある程度理解しているのですから、わたしたちの主イエスの来られる日に、わたしたちにとってもあなたがた が誇りであるように、 2コリ1 14 あなたがたにとってもわたしたちが誇りであることを、十分に理解してもらいたい。 2コリ1 15 このような確信に備えらえて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたの ところへ行く計画を立てました。 2コリ1 16 そして、そちらを軽油してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出し てもらおうと考えたのでした。 2コリ1 17 このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考 えによることで、わたしにとって“然り、然り”が同時に、“否、否”となるのでしょうか。 2コリ1 18 神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしの言葉に、“然り”であると同時に“否”であるとい うものではありません。 2コリ1 19 わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたのあ間で宣べ伝えた神の子イエス・キリスト は、“然り”と同時に“否”となったような方ではありません。この方においては“然り”だけが実現したのです。 2コリ1 20 神の約束は、ことごとくこの方において“然り”となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるた め、この方を通して“アーメン”と唱えます。 2コリ1 21 わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。 2コリ1 22 神はまた、わたしたちに証印を押して、保障としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。 2コリ1 23 神を証人に立てて、命にかけて誓いますが、わたしがまだコリントに行かずにいるのは、あなたがたへの 思いやりからです。 2コリ1 24 わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する 者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。
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1 神のご意志によってキリスト・イエスの使徒となったパウロと,[わたしたちの]兄弟テモテから,コリントにある神の会衆,ならびに全アカイアのすべての聖なる者たちへ 2 わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの過分のご親切と平和があなた方にありますように。 3 わたしたちの主イエス・キリストの神また父,優しい憐れみの父またすべての慰めの神がほめたたえられますように。 4 [神]はすべての患難においてわたしたちを慰めてくださり,神によって自ら慰められているその慰めをもって,わたしたちがどんな患難にある人たちをも慰めることができるようにしてくださるのです。 5 というのは,わたしたちのうちにはキリストのための苦しみが満ちあふれていますが,わたしたちが得る慰めもまた,キリストを通して満ちあふれているからです。 6 さて,わたしたちが患難にあるとしても,それはあなた方の慰めと救いのためであり,また慰められつつあるとしても,それもあなた方の慰めのためであって,わたしたちも苦しむ同じ苦しみをあなた方に忍耐させる働きをするのです。 7 こうして,あなた方に対するわたしたちの希望は揺るぎません。あなた方が苦しみを分け合う者となっているのと同じように,慰めをも分け合う者となることを知っているからです。 8 兄弟たち,アジア[地区]でわたしたちに生じた患難について,あなた方に知らずにいて欲しくないのです。わたしたちは,自分の力を超えた極度の圧迫を受け,そのため自分の命についてさえ全くおぼつかない状態でした。 9 事実,自らのうちでは,死の宣告を受けているのだと感じました。これは,わたしたちが,自分自身ではなく,死人をよみがえらせてくださる神に信頼を置くためだったのです。 10 死のような大いなるものから[神]はわたしたちを確かに救い出してくださったのであり,[これからも]救い出してくださるでしょう。今後も救い出してくださるということ,これがこの方に対するわたしたちの希望なのです。 11 またあなた方も,わたしたちのために祈願をささげることによって助けに加わることができます。それは,[祈りのこもった]多くの顔のゆえにわたしたちに親切に与えられるものに対する感謝が,わたしたちのために,多くの人によってささげられるようになるためです。 12 というのは,わたしたちは次のことを誇りとしているからです。それはわたしたちの良心も証しをしていることですが,わたしたちが世にあって,いや,とりわけあなた方に対して,神聖さと敬虔な誠実さとをもって,また,肉的な知恵ではなく神の過分のご親切をもって行動してきた,ということです。 13 実際わたしたちは,あなた方がよく知っていること,または悟りうること以外には,何もあなた方に書いていないからです。またそれは,終わりまであなた方が引き続き悟れるようであって欲しいと思う事柄なのです。 14 それは,わたしたちの主イエスの日にあなた方がわたしたちの[誇り]であるように,わたしたちもあなた方にとって誇りであるということを,あなた方がある程度認めてきたのと同様です。 15 それで,このような確信のもとに,わたしは以前あなた方のもとに行くつもりでした。それは,あなた方が喜び[の機会]をもう一度持てるようにするためでした。 16 そして,あなた方のもとに立ち寄ったあとマケドニアに行き,その後,マケドニアからあなた方のところに帰り,ユダヤに行く途中まであなた方に見送ってもらう[つもりでした]。 17 さて,このような意図を抱いた時,わたしは何か軽率さをもてあそんでいたのでしょうか。それとも,わたしが志す事柄,わたしは[それを]肉にしたがって志し,わたしにとっては,「はい,はい」と「いいえ,いいえ」とがあるようにしているのでしょうか。 18 しかし,あなた方に対するわたしたちのことばが,はい,でありながら,なお,いいえ,であるようなことはありません。それについては神に頼ることができます。 19 わたしたちによって,つまりわたしとシルワノとテモテによってあなた方の中で宣べ伝えられた神のみ子キリスト・イエスは,はい,でありながら,なお,いいえ,となったのではありません。彼の場合,はい,は,はい,となりました。 20 神の約束がどんなに多くても,それは彼によって,はい,となったからです。それゆえにも,わたしたちによる栄光のため,彼を通して,神に「アーメン」が[唱えられる]のです。 21 しかし,あなた方とわたしたちがキリストに属することを保証してくださる方,そしてわたしたちに油をそそいでくださった方は神です。 22 [神]はまたわたしたちにご自分の証印を押し,来たるべきものの印,つまり霊をわたしたちの心の中に与えてくださったのです。 23 そこでわたしは,自分の魂にかけて神に証人となっていただくのですが,わたしがまだコリントに行かないでいるのは,あなた方に辛い思いをさせたくないからです。 24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。 2章へ