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Welcome! あなたは - 番目のお客様です。 キリスト聖協団 青梅教会 〒198-0052 東京都青梅市長渕4-250 TEL/FAX 0428-22-8839 牧師 濱野好邦 更新内容 05.12.5 ページ開設しました。
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曖昧さ回避ページ "キリスト"とは、救世主の意味である イエス・キリスト キリスト教
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キリストって言うのは、当時の哲学者だ。 今は、、哲学って言うとちょっとまゆつばなもんだ。 僕も、前はあんまり好きじゃなかった。 いくつか、面白い言葉はあったが、、それらが何となく、身にしみたのは、 自分が、「原子の塊である。」と言う事を思い知ってから。 キリストの話なんて、あんまり知らない。 親父や、政道の親父は完全な無神論者で、その影響を受けて育った僕も、無神論者だ。 親父は昔から、 「人は、原因の分からない事があると、神の仕業だ。と言ってきた。だけどそれじゃあ、いつまでたっても猿のままだ。人なら、原因を突き止めて、上手く扱わないとな。」 ってこと言ってた。 トリック ってドラマでも、そんなこと言ってたな。。 欧州の歴史、あんまり良く知らないが、 キリストって言うのは、ユダヤ人だったんだ。 で、「ユダヤの王族がキリストを殺した。」って言うロジックで、 ユダヤ人は嫌われてる。 って話、、、信じるかい?
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キリスト・ブラッドクロス 「…………キリストだ。キリスト・ブラッドクロス…」 年齢:1530歳 性別:男性悪魔 職業:無し 血液型:不明 能力:無し 出演作:悪魔堕とし、色々 概要 ラースと肩を並べる悪役。初悪魔。 なんか別にこの人を悪役にする必要もなかった気がする…。 人物像 上級悪魔の巣窟、悪魔界第四十一階の最上級悪魔。ブラッドクロスと言われる家柄の当主でもある。 一時は悪魔界の神として猛威を奮った事もあったが、ベルフェゴールの出現によって力を吸収されている。 性格は極めてクール。悪魔は基本的に自己中心的な輩が多いが、キリストは滅多な事が無い限り他人に興味を示す事は少ない。 しかし妹たちやルシファーなど、ブラッドクロス家の悪魔などからの信頼は非常に厚い。 身内や自分の人生を滅茶苦茶にしたベルフェゴールを死ぬほど恨んでいるようだ。 容姿 赤髪赤眼、赤いマント。基本的に赤い。血も赤い。 すらっとした長身でイケメン部類。靴だけ黒いブーツのようなものを履いている。 その他 一見するとかなりのガチキャラだが、妹に溺愛しており「ハァハァ…あぁ、なんて可愛いんだ!」などとハァハァしちゃう変態さん。
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キリスト イエスの別名。 「キリスト」は救世主を意味する。
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キリスト 発言がいちいちキリストっぽくて神々しい。 名言「アリカ 私が見えますか?」は通信不調時に放たれたものだが当時はヲチスレを大いに湧かせた。 その後バトレボのパス交換により謎の場所産ケッキングの所持がバレるものの特に咎めを受けることはなかった。
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反キリストは、本来、キリスト教の教えに背くものの意味であった。偽メシア(偽キリスト)と同一の概念とも解釈され、のちに第二テサロニケ書に登場する『不法の者』、ヨハネの黙示録に登場する『獣』などとも同一視されたことで、中世の様々な予言文書などで独特の反キリスト像が作り上げられていった。 フランス語ではアンテクリスト (Antéchrist) であるが、英語と同じつづりの アンチクリスト (Antichrist) も使われる。『ロベール仏和大辞典』ほか、大きめの仏和辞典ではいずれの綴りも掲載されているが、フランス語訳聖書の中でも世界的に評価が高い通称『エルサレム聖書』(エルサレム聖書学院訳による聖書) および『La TOB』(フランス版共同訳聖書) ではいずれでも antichrist の方が採用されている (それ以前のスゴン訳では antéchrist)。なお、一部のノストラダムス関連書籍では、アンテクリストと反キリストは本来別の概念であると主張されているが、後述するように単なる誤認である。 聖書における「反キリスト」 聖書で「反キリスト」という言葉がはっきり登場しているのは『第一ヨハネ書』(ヨハネの手紙一)、『第二ヨハネ書』(ヨハネの手紙二) のみである。 第一ヨハネ書「幼子たちよ、いまや終わりの時が臨んでいる。反キリストが来るとあなたがたがかつて聞いたとおり、いままさに多くの反キリストが現れてきた。・・・彼らは私たちから出て行った。むしろ、彼らは私たちに属するものではなかったのである」(第2章18 - 19節。一部略。)(*1) 「偽り者とは、イエスはキリストではないと言って否む者のことでなくて誰のことであろうか。この者こそ反キリスト、すなわち、父と御子を否定する者である」(第2章22節)(*2) 「イエスをないがしろにする霊はすべて神から出たものではない。それは反キリスト〔の霊〕である。それが現れることはあなたがたも聞いていたことであるが、いまやすでにそれは世にいるのである」(第4章3節)(*3) 第二ヨハネ書「なぜなら、多くの惑わす者たちが世に出てきているからである。彼らはイエス・キリストが肉体において到来することを告白しない。こういう者こそ惑わす者、反キリストである」(7節)(*4) 【画像】 新約聖書翻訳委員会 『ヨハネ文書』 岩波書店 起源 反キリストという概念は、ユダヤ教の時点で存在していた偽メシアに起源があるとされる(*5)。 派生 もともとは上述のように、正統派の信仰と異なるものたちを指す言葉であったが、共観福音書で語られる終末に現れる「偽キリスト」(偽メシア)、『第二テサロニケ書』(テサロニケの信徒への手紙二)で、終末の前に現れて神の宮(神殿)に君臨するとされた「不法の者」や、『ヨハネの黙示録』に描かれた獣のモチーフと重ねあわされることで、偽りの奇跡で人々を惑わし、真のキリスト者たちを迫害する一個の人格としての反キリスト像が形成されていった。 ルターが教皇を反キリスト呼ばわりしたのはよく知られているが、しばしばそうした実在の人物を反キリストと位置づける試みも様々な人物によって展開されていた(*6)。 反キリストは中世の予言文書でもおなじみのモチーフであり、ティブルのシビュラ、偽メトディウスといった予言文書にも反キリストは登場する。 『ティブルのシビュラ』から該当するくだりを一部引用しておこう。 「その時期に、ダンの民族から、アンチキリストという名の、不正の君主が現れます。彼は破壊の子、驕慢の君主、誤謬の教師、悪行の充満であり、世界を破壊し、誤った幻視によって予兆と大きな徴を示します。彼は魔術によって、天から火が降ってくるように見えさせ、多くのものを惑わします。 (中略) アンチキリストが公然と姿を現し、イスラエルの主の住まいに座ります。彼が支配している間に、2人の有名な人物エリヤとエノクが、主の到来を告げるために活動しますが、アンチキリストは彼らを殺します。」(伊藤博明・訳)(*7) この描写には新約聖書に登場していた「反キリスト」「偽キリスト」「不法の者」「獣」が混ぜ合わせられている。 なお、このアンチキリスト(反キリスト)は、最終的に神に遣わされたミカエルによって滅ぼされることになっており、その後に最後の審判を描写して締めくくられている。 【画像】 バーナード・マッギン 『アンチキリスト - 悪に魅せられた人類の二千年史』 河出書房新社 アンテクリスト フランス語のアンテクリストについて、ノストラダムス関連書籍では次のように主張する者たちがいる。 五島勉 「このAntéはフランス語の接頭語のひとつ。しかし、あまり多くは使われない言葉で『先に』『前もって来る』といった意味だ。christ(クリスト)のほうは、もちろんイエス・キリストのこと。 だから、つなげればアンテクリストとは、『キリストに先立って現れるキリスト』、つまり『救世主が現れる前に現れる救世主』という意味になるだろう」(*8) 「それがアンテクリストなのである。それはにせの救世主だから、真の救世主にそむく反キリスト(アンチクリスト)よりも、いっそうタチが悪い。 アンチクリストはキリストに反逆するだけだが、アンテクリストは、『真の救世主は自分だ』と世にPRして、混乱した末世の、何かにすがりつきたい人々をたぶらかしてしまうのだ」(*9) 加治木義博 「〔アンテ〕を〔アンチ〕と誤解しているのだが、正確にいえばアンテは「前」ということで〔前キリスト〕。本物のキリストが再臨する前に、キリスト(救世主)を名乗って現れる人間を指している。本物でないから〔にせキリスト〕だし、本物を邪魔するという意味では〔反キリスト〕でもある」(*10) 要するに、彼らの主張では接頭辞 Anté は「前」の意味だから、本来「反」と訳されるべきではないというのである。だが、それは誤っている。 確かに Anté- の辞書どおりの意味は「前に」である。しかし、Antéchrist の場合はそうではない。『ロベール仏和大辞典』などでは、その語源として、ラテン語の Antichristus の中世における変形 Antechristus が挙げられている。そして、この Antechristus は単なる変形であり、「前」という含意はない。というのは、接頭辞 Ante- はギリシア語系のものであり、ラテン語にはそういう接頭辞がないからである。ゆえに、『ロベール仏和大辞典』が、アンテクリストのアンテを Anti- と全く同じ意味として語源説明しているのは、いたって当然のことと理解できる。 アンテクリストの本来の意味が「前に現れるキリスト」であるという五島や加治木の主張は、接頭辞のにわか勉強から導かれた謬見として退けて問題ないであろう。駄目押しをしておくと、マルコ福音書13章及びマタイ福音書24章に登場する 「偽キリスト」 (新共同訳では「偽メシア」) は、前出の『エルサレム聖書』では、 faux Christs と訳されている(ネストレ・アーラント28版のギリシア語原文では ψευδόχριστοι / pseudochristoi)。もしもAntéchrist という単語が直接的には反キリストを指さず偽キリストの意味するというのなら、そこで使わずにどこで使おうというのだろうか。 【画像】 Nestle Aland 28th Edition Greek - English English Translations Nrsb and Reb ノストラダムス関連 ノストラダムス自身が反キリストについて直接的に言及しているのは百詩篇の2篇(百詩篇第8巻77番、百詩篇第10巻66番)とアンリ2世への手紙のみである。 これらはいずれも現存する範囲では、ノストラダムスの死後2年目に当たる1568年版が最古であり、そういう意味では生前に明白に使用されていたかどうかは確認できない。 もっとも、反キリストは『ミラビリス・リベル』の主要モチーフの一つであるし、ノストラダムスがその未来像を組み立てた際に、まったく意識をしていなかったとは到底考えられないのも事実である。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
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キリスト論 第一部 使徒、教父、公会議から受け継ぐ 福音 第一章 新約におけるキリスト論 第二章 信仰のキリストから歴史のイエスへ 第三章 地上のイエスの宣教 第四章 メシアとしてのアイデンティティ 第五章 受難と十字架の死 第六章 イエスの復活と称揚 第七章 イエス・キリストの人性と神性の真理 第八章 位格の一性と本性の二性.エフェソス公会議(431)から第二ニケア公会議(787)へ 第九章 教父の学派 第二部 組織キリスト論の要点第十章 イエス・キリストの信と神の神秘 第十一章 イエス・キリスト 完全なる仲立ちにして救い主 第十二章 イエス・キリストにおける救済と宗教間対話 第十三章 イエス、 女から生まれた 神の子 (Gal 4,4) 第三部 霊的理解の深化第十四章 観想的キリスト論へ 第十五章 キリストの肉の神秘 とその気持ちの共有 第十六章 婚姻の霊にしたがったキリストにおける生 結び 第一部 使徒、教父、公会議から受け継ぐ 福音 第一章 新約におけるキリスト論 1. 多性における一性、発展の中の継続 2. 聖書における新約キリスト論の根拠 キリストは私が伝えるあのイエスである (Act 17,3) イエス・キリスト、イスラエルの希望の完遂 3. 新約キリスト論の発展過程と要約 私はアルファにしてオメガ、最初にして最後、初めであり終わりである (Ap 22,13) キリストの来臨からその先在へ キリスト論的信仰の定型句。いくつかの例。 第二章 信仰のキリストから歴史のイエスへ 1. 原典史料 異教の著作家とフラヴィウス・ヨセフス 福音書正典 外典 2. 福音研究の指針 3. 諸データ 生まれと知られざる時代 公的生涯、死、復活 4. 生活形式 第三章 地上のイエスの宣教 1. 公的生涯の始まり 洗礼者ヨハネの宣教 イエスの洗礼とメシア叙任 メシアの誘惑 2. 神の国の福音 3. 神の国の救いの多様性 奇跡 神の国の賜物 第四章 メシアとしてのアイデンティティ 1. 終末の預言、神の霊の充溢 偉大なる 預言者 拒絶される者、迫害される者 神殿破壊という象徴的行為 2. 神の命 の教師 イエスの倫理:トラーの完遂と超克 知恵の書的・終末論的倫理:地上の富の福音的利用 3. あなたはキリストです (Mt 22,16) 4. 人の子とヤハウェのしもべ 5. 花婿 花婿と断食 神の国と婚礼 6. 聖霊の内に生きる神/アッバとの関係 一性と相互性において生きられる関係 父の慈愛を顕わす 子 祈りの文脈において 7. 終わりとなる始まり、しもべとなるメシア 第五章 受難と十字架の死 1. 十字架の死:事実から解釈へ 十字架刑 十字架の言葉 (1Cor 1,18) 2. エウカリスティアの始まり 自己贈与と赦し 最後の晩餐の 心 3. ゲッセマネの苦しみ 4. 十字架の上で 第六章 イエスの復活と称揚 1. 復活のイエスとの出会いからその同定へ 2. 解釈の語彙 3. 神により復活し高められたイエス 4. 主イエスの身体. 新しい 永遠の 命の場所かつ泉 復活のイエスの霊的にして栄光なる身体 主と人類および世界との関係 5. 復活と来臨 第七章 イエス・キリストの人性と神性の真理 1. 信仰のしるしと公会議 2. 神の子の受肉の真理 グノーシス主義とキリスト仮現説 使徒的教父の応え:いくつかの例 リヨンのイレネウス テルトゥリアヌス オリゲネスとケルスス 3. アレクサンドリアとアンティオキアの神学学派 4. 三位一体の神秘の文脈におけるキリストの真の神性 三位一体論を背景とする異端 アリウス派 ニケア公会議(325) 5. 真の神 にして 真の人 たるキリストの位格の定義 み言葉と人性の関係 ラオディケアのアポリナリス 対アポリナリス 6. コンスタンティノポリス公会議(381) 聖霊の神性をめぐる四世紀の議論 コンスタンティノポリス信教 第八章 位格の一性と本性の二性.エフェソス公会議(431)から第二ニケア公会議(787)へ 1. エフェソス公会議(431) キリルスからネストリウスへの二通目の手紙 エフェソスの教え:キリストにおける一性 2. カルケドン公会議(451) 単性論 教皇レオ一世のキリスト論教義 カルケドン信教 3. カルケドン公会議の教義の異議、抗弁、解釈 ゼノンのヘノティコン(統一令) ユスティニアヌス帝の介入 第二コンスタンティヌス公会議 4. キリストの二つの働き、二つの意志 単勢力論と一神論 マクシムスの教義。単意説の断罪。 第三コンスタンティヌス公会議(681) 5. 第二ニケア公会議(787) 像の問題 像の反対者 像の支持者 第二ニケア公会議(787) 第九章 教父の学派 1. ニュッサのグレゴリウスの教義原理 2. アウグスティヌス(354-430)のキリスト論 受肉による人性において顕わされる神 キリストはご自身と御父とへ導く:受肉と媒介 3. ヨハネス・ダマスケヌス(650-750頃) 三本のキリスト論的説教 主の変容の説教 キリスト教的説教の意味 第二部 組織キリスト論の要点 第十章 イエス・キリストの信と神の神秘 1. イエス・キリストが呼ぶ神 2. キリスト論と三位一体神学の関係 キリスト論により整えられた神の話 経済的三位一体から内在的三位一体へ 三位一体論的一神論 3. 神および子としてのイエスのアイデンティティ 4. 受肉の啓示的側面 イエス・キリストは真理および神への道である 受肉した御言葉はご自身と御父を表す 5. イエス・キリストと霊の関係 第十一章 イエス・キリスト 完全なる仲立ちにして救い主 1. 世界救済の神の意志とキリストにおける救い 救済の普遍史と個別史 契約の歴史としての救済史 イエス・キリストは全世界の唯一の救い主である。 2. 救済受け入れの条件 信仰 隣人愛 3. 仲立ちという観点からのキリストにおける救済 仲立ち キリストの仲介の解釈.上昇・下降、二方向の動きから 4. キリストの光における人の神秘 キリスト論と人間論の関係 人の模範としてのイエス・キリスト 神はキリストにおいて人に恵みする キリストの光における人の召命 5. 死者の復活 第十二章 イエス・キリストにおける救済と宗教間対話 1. 公会議およびポスト公会議の教え 第二ヴァティカン公会議 教皇庁文書 対話と告知 2. 教会と他宗教における、聖霊を介してのキリストの働き 3. キリストの世界救済に奉仕する教会 キリストの仲介の光における教会と神の国 成就の待望.神の国の発展. 4. 他宗教の救済 第十三章 イエス、 女から生まれた 神の子 (Gal 4,4) キリスト論とマリア論 1. 受胎告知の語り 2. Lumen Gentium 第八章 キリストの歴史-救済の経済における処女マリア マリアと御子イエスとの合一 幸いなる処女マリアの救いの業への協力 3. 聖なる三位一体と処女マリア 4. 無原罪の宿りと神の母性の恩寵 5. 復活の救済的恩寵に参与し、天で栄光を受ける無原罪のマリア 6. 幸いなる処女マリア、霊的崇敬の教会モデル 第三部 霊的理解の深化 第十四章 観想的キリスト論へ 1. キリスト論的反省と信仰経験 2. 愛から生まれる真理に身を任せる 霊的感覚を通して 創られずして受肉し霊を吹き込まれた御言葉 を知る キリストへの魂の歴程 itinerarium mentis in Christum 第十五章 キリストの肉の神秘 とその気持ちの共有 1. 典礼と生活 復活の神秘への参加 典礼の役割 2. イエスの気持ちの 物語的 読解 3. 十字架上のキリストとの一致 イエスの十字架の元に集う教会のイコン エウカリスティアの祝儀のイコン 殉教者のイコン 4. フランシスカンの 歴程 :ボナヴェントゥラの教え 第十六章 婚姻の霊にしたがったキリストにおける生 1. キリスト論的教会論 2. 霊的経験と婚姻の比喩 結び 第一学年>キリスト論へ
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キリスト論はキリスト教の教理・教義、また神学の細目の一。三位一体の第2位格である子イエス・キリストはどのような存在であるかの定義、付随して先在、受肉、公生涯、十字架、復活、昇天などのキリストに纏わる事象や行為の意味などをキリストとの関わりにおいて考察する神学分野。 旧約聖書に預言されたキリスト 旧約聖書に預言されたキリストは、旧約聖書においてキリスト(ヘブライ語でメシア)のことを指し示していると、伝統的解釈において指摘されている預言である。 原福音(創世記3 15) アダムとエバが楽園を追われた時、神はこのように言った。 創世記3 14-15 主なる神は、蛇に向かって言われた。 「(略) お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。 彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」 「お前」が「蛇」、「女の子孫」が「キリスト」とみなす。つまり、「彼はお前の頭を砕く」とは、「イエスが十字架の出来事でサタンに致命傷を与える」ということになる。 ユスティノスが紀元160年頃やエイレナイオス180年ごろ原福音について最初に言及し、それ以来伝統的な解釈になっている。 誘惑者である蛇と被誘惑者である女との間には、後の世まで戦いがあり、最終的には女の子孫が蛇に致命傷を与えると預言されている。女の子孫は単数形で集合名詞である。ダビデの子孫を指しており、最終的にはダビデの後裔キリストを指している。つまり、伝統的解釈によれば、キリストが蛇であるサタンに致命傷を与える十字架の出来事を預言しているとされている。 第二サムエル7 12-16 ダビデに語られた主のことば。 サムエル下7 4-17 しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉は次のとおりであった。 「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。 (略) 主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が過ちを犯すときは、人間の杖、人の子らの鞭をもって彼を懲らしめよう。 わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが、そのようなことはしない。 あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」 ナタンはこれらの言葉をすべてそのまま、この幻のとおりにダビデに告げた。 ダビデの子ソロモンによる王権の確立も含むが、「王座をとこしえに堅く立てる」とは、究極的にキリストによる王権を指す。 詩編22篇 詩篇にはメシア詩篇と呼ばれる詩篇がある(T・アーネスト・ウィルソンは詩篇2篇、詩篇8篇、詩篇16篇、詩篇22篇、詩篇24篇、詩篇40篇、詩篇41篇、詩篇45篇、詩篇68篇、詩篇69篇、詩篇72篇、詩篇89篇、詩篇91篇、詩篇102篇、詩篇110篇、詩篇118篇をメシア詩篇としている)が、この詩篇もキリストの十字架での苦難を預言している。作者はダビデに帰せられている。 詩編22 2 わが神、わが神 なぜ私をお見捨てになったのか。 私の悲嘆の言葉は救いから遠い。 この冒頭の言葉はイエスが十字架の上で嘆いた「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」と同じであり、十字架上のキリストの最後の7つの言葉に関連がある。 インマヌエル預言(イザヤ書7 14) キリストが処女(マソラ本文では乙女)から生まれることを預言。 イザヤ7 10-15 主は更にアハズに向かって言われた。 「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」 しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」 イザヤは言った。 「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に/もどかしい思いをさせるだけでは足りず/わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。 災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで/彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。 イザヤ書9 5 キリストの誕生の預言。 イザヤ9 1-5 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。 あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。 地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。 イザヤ書11 1-5,10 キリストが「エッサイの根株」つまり、エッサイの系列であるダビデの子孫から生まれ、どのような者となるか、ということが預言されている。 イザヤ書53章 キリストの受難を預言した箇所。「主の僕」の預言として知られる。 エレミヤ書23 5-6 バビロン捕囚の時代(前586年-)に、ダビデの子孫からキリストが生まれることを預言。 ミカ書5 2 キリストが生まれる場所を預言。 ゼカリヤ書9 9 キリストがロバの子に乗ってエルサレムに入城することを預言。 教派別のキリスト論 以下では、古代の教派により大別される思想毎に順を追ってみていく。 1.グノーシス派(仮現論=キリストの身体性を否定) 精神や霊的な存在は善、物質や身体は悪とする二元論を唱える派閥。 この捉え方からキリストをみるなら、イエスの身体的存在は幻のようなものに過ぎず、イエスの霊的な存在こそがグノーシスの顕現となる。この考え方では、物質的な存在である「父」は悪神とされる。物質や身体を悪とするこの捉え方は、神の「み言葉」の受肉や十字架の贖いの意味の否定につながるとして、教会は、精神的存在だけでなく、物質や身体も本来 聖なるものであると主張した。 2.エビオン派(養子論=人間であるキリストは、神である「父」の「養子」) イエスが洗礼者ヨハネの洗礼、復活、もしくは昇天の際に神の子として養子になったとする論。Epiphaniusによれば、キリストが養子として選ばれたのは、キリストによる神の意思への罪のない献身の為である。 ユダヤ人キリスト教徒の一部で自らを貧しい者(エビオン)と称した一派の説である。エビオン派はトーラーを守り、禁欲的であったといわれ、3世紀から4世紀には消滅した。イエスはナザレのヨセフとイエスの母マリアとの子で、初めから神性があったわけではなく、洗礼を受けた際にキリストになった、として処女懐胎や、三位一体論とキリストの神性を否定する。 なお、イスラム教はイエスは神ではなく偉大な預言者(つまり神性を持たない人間)だと主張しており、エビオン派と関連が指摘される。 3.アリウス派(「子」=「父」より劣った神) イエスは神聖ではあるが、あくまで「父」の被造物たる「子」である、とする考え。 アリウス派は、キリストを神とするものの、「父」に劣った「子」たる神であり、三位一体を否定する。キリストは「ロゴス」が受肉したものだが、そもそも「ロゴス」自体が被造物であるため、「御子が存在しない時があった」と主張する。 なお、エホバの証人はイエスは大天使ミカエルだとしており、アリウス派との関連が指摘される。 https //www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-arianism.html 4.アナタシオス派(キリスト=「父」と同格の神=三位一体を肯定) 父なる神と子なる神であるキリストは同本質(同質とも。ホモウシオス、ギリシア語 όμοούσιος)であると主張した派を指す。 すなわちアタナシウス派が、三位一体を主張する。 アタナシウス派の中に、ネストリウス派、単性派、カルケドン派がある。 さらにカルケドン派の中に、カトリック、プロテスタント、正教会(オーソドックス)がある。 4-0.アナタシオス派における各派閥の差 アナタシオス派ではイエスが神であり同時に人間であることを認めるが、人格の数、本性の数、意志の数、また意志の数が一つなら、神性と人性がどのように合一しているのか、こういった詳細についての意見が対立していた。 1P1N1w(1つの人格,1つの本性,1つの意志):単性論1つの本性に不完全な人性と完全な神性が存在:アポリナリオス主義 1つの本性に神性と人性が合一して存在:エウテュケス主義 1つの本性に神性と人性が独立して存在:非カルケドン派(合性論) 2N(2つの本性):両性論2P2N2w(2つの人格,2つの本性,2つの意志):ネストリウス派 1P2N2w(1つの人格,2つの本性,2つの意志):カルケドン派 1P2N1w(1つの人格,2つの本性,1つの意志):単意論 4-1.単性説 単性説(Monophysitism)あるいは単性論とは、キリスト論において用いられたキリスト教用語で、受肉したイエス・キリストが単一の性(natura)のみを有するという説・論。カルケドン公会議で採択された、キリストは神性と人性という二つの本性を持つという立場(両性説)によって否定された立場である。 単性派は、キリストは、人間として生まれ、神性を帯び、聖霊の使命を与えられ、三位一体となった後、人間性は、神性に吸収され、神性だけの存在となったとする。単性派では、キリストが磔刑にかけられたことも、復活したことも、キリストが見せた幻であったとしている。 4-1-1.アポリナリオス主義、単性論(1P,1N,1W 人性=肉+魂のみ、神性∋理性〔ロゴス〕) キリストには、人間の体と人間の魂(=人性)はあったが、人間の理性(ギリシア語 νοῦς, ヌース)は無く、神性・神言葉(かみことば・ロゴス)が人間の理性的霊魂の場を占めていたと主張した。アポリナリオス主義の主張を言い換えれば、イエスの人間性は完全な理性的人間ではないこととなる。(=人性が不完全) 4-1-2.エウテュケス主義、単性論(1P,1N,1w キリストの人性→神性に融合して消滅) キリストの人性は二つの性から成るが、受肉による合一以降、人性は神性に融合し、摂取され、単一の性になったとする。つまり、「一滴の蜜が大海に溶け込むように」キリストの人性は神性によって吸収されてしまったと考える。(=人性がない) 4-1-3.非カルケドン派=合性論(1P,1N,1w キリスト=1本性=人性+神性、人性≠神性) 非カルケドン派による主張内容。合性論(Dyophysite)においては、イエス・キリストの一つの位格の中で神性と人性は合一して一つの本性(フュシス)になるが、二つの本性は分割されることなく、混ぜ合わされることなく、変化することなく融合する。 つまり、イエス・キリストは1つの位格しかないが、しかし、この唯一の位格の中に互いに融合もせず、混合しない2つの本性、すなわち完全な神性と完全な人性がある、と考える。 正統派はこれが単性論であるとして教義から退けたが、非カルケドン派は一つの本性とはいえども、神性と人性が完全に独立していると解釈していることから、合性論が単性論に含まれるとは考えていない。 4-2.両性論(2N) 両性論(Dyophysite)はキリスト教用語で、キリストが神性と人性を持つという考え方で、現在の正統派である。キリストは人性と神性という二つの完全な本性を持つとするもの。つまり、両性説はイエス・キリストは神性を持つ(すなわち完全に神である)と同時に人性も持つ(完全に人間である)という考え方である。 4-2-1.ネストリウス派・景教(2P,2N,2w キリスト=人→神へ) キリストは、人間として生まれ、神性を帯び、聖霊の役割を担う三位一体の存在となった、と考える。したがって、キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考える。それは、救世主(キリスト)の神格はイエスの福音書に宿り、人格は消え去った肉に宿っていたことを意味する。 そのため、キリストの人性を第一として神性を弱めることになる。また、聖母マリアは、単に人間の子(人性のみのキリスト)を生んだだけであるので、キリストを生んだマリアが神の母(テオトコス Θεοτοκος)であることを否定する。 景教として一時 中国で栄えた。 4-2-2.カルケドン派=両性論(1P,2N,2w キリスト=2本性=人性+神性) キリストはただ1つの位格を持つが、そこには神格と人格が分離されることなく独立して存在するという説である。 451年のカルケドン公会議で単性説を退ける形でカルケドン信条が正式に採択され、「両性は混合せず分離せず」と表記されたが、以後もこの問題に関しての議論が絶えなかった。 4-2-3.単意論(1P,2N,1w キリストの意志はただ1つ) 単意論(Monothelitism)もしくは単意説とは、キリストは人性と神性という二つの完全な本性を持つが、キリストの人格にはただ1つの意志があるのみとする説である。681年の第3コンスタンティノポリス公会議(第六全地公会)で単意論が異端とされた。 この議論が出てきたのは、単性論者から、両性論者と単性論者の双方が納得するものを企図して出されたものが、帝国の統一維持を志向する東ローマ帝国の帝権の要請に合致したという背景があった。 http //www.fuzita.org/wldculture/dnames/calvin.html http //reki.hatenablog.com/entry/2014/08/13/201931
https://w.atwiki.jp/wifi_woti/pages/26.html
発言がいちいちキリストっぽくて神々しい。 名言「アリカ 私が見えますか?」は通信不調時に放たれたものだが当時はヲチスレを大いに湧かせた。 その後バトレボのパス交換により謎の場所産ケッキングの所持がバレるものの特に咎めを受けることはなかった。