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1578年ポルトガル王 セバスティアン1世 が子供ナシ(=王位継承者ナシ)で戦死します(1578年: Battle of Alcácer Quibir )。 ってことで、ポルトガルは次の王位継承でゴタゴタ。 ゴタゴタの中で王セバスティアン1世の摂政だった 枢機卿 エンリケが 王エンリケ1世 になります。 wikipedia ポルトガル君主一覧 独身の王エンリケ1世は枢機卿を辞めて結婚しようとします。子供ナシだと アヴィス王朝 が終わっちゃうもんね。 でもスペイン王 フェリペ2世 に気を遣ったローマ教皇 グレゴリウス13世 が辞任を拒否。 1580年1月31日王エンリケ1世は子供ナシであーっという間に死亡。ポルトガルはまたまた次の王位継承でゴタゴタしちゃいます。 次の王様は誰? ポルトガル議会(the Regency of the Kingdom)は「次の王様=ポルトガルの独立を持続できる王様」について話し合います。 候補者はこちらの皆さん。 スペイン王フェリペ2世は「 イベリア半島の統合 = 西ゴート王国 の復活」を目論んで王位継承を強く主張してます。 ラヌッチョ1世・ファルネーゼ 父親:パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ 母親: マリア・デ・ポルトガル 長子相続 の正当な王位継承者 カタリナ・デ・ポルトガル 父親:ギマランイス公 ドゥアルテ 母親: イザベル・デ・ブラガンサ ポルトガル在住で年齢もオケ スペイン王 フェリペ2世 父親:神聖ローマ皇帝 カール5世 母親: イサベル・デ・ポルトガル 外国人だからダメダメ 庶子 アントニオ・デ・ポルトガル (ポルトガル王アントニオ1世) 父親:ベージャ公 ルイス 母親:愛人ヴィオランテ・ゴメス 王位継承権ナシだからダメ サヴォイア公 エマヌエーレ・フィリベルト 父親:サヴォイア公 カルロ3世 母親: ベアトリーチェ・デ・ポルトガル 最有力候補はネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼ(11歳)です。 でもネーデルラント総督パルマ公は王フェリペ2世の家臣。 ってことで、王フェリペ2世に気を遣って息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼの王位継承を積極的に主張しませんでした。 カタリナ・デ・ポルトガル(40歳)も王位継承を強く主張します。 ちなみに夫ブラガンサ公 ジョアン1世 (初代 王ジョアン1世 の庶子ブラガンサ公 アフォンソ1世 の血筋)も王位継承権アリ。 夫婦揃って王位継承権アリの優良株です。 ブラジル副王(the Vice-Kingdom of Brazil)。 キリスト騎士団 長(Grand-Master of the Order of Christ)。 私船のインド貿易許可。 王フェリペ2世の息子 ディエゴ・デ・アウストリア とブラガンサ公の娘の結婚。 王フェリペ2世は「カタリナ・デ・ポルトガルを辞退させるぜ!」と夫ブラガンサ公をこちらで買収しようとします。 でも夫ブラガンサ公は買収を拒否。 残念ながらカタリナ・デ・ポルトガルは「女性」「次女」がネックになって王位継承の競争から脱落しました。 サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトも王位継承を主張します。 でもサヴォイア公は1536年以降フランスに占領されちゃった領地の回復を願ってずーっと王フェリペ2世に仕えてるの。 お陰様で領地もジワジワ回復中。ってことで、すぐ辞退します。 スペイン王フェリペ2世vsポルトガル王アントニオ1世(庶子アントニオ・デ・ポルトガル) 庶子アントニオ・デ・ポルトガル( 王マヌエル1世 の孫)も王位継承を強く主張します。 でも庶子だから王位継承権ナシ(王位継承権が超弱い)。 実は 王セバスティアン1世 が死亡したときも王位継承を主張してポルトガル議会に却下されちゃいました。 14世紀ポルトガルは王位継承を争って内戦になったコトがあります(1383–1385年: Portuguese interregnum )。 なんやかんやでスペインを撃退した庶子ジョアンが初代 王ジョアン1世 に即位。 庶子アントニオは「この状況に似てませんかー!?」と訴えて支持をゲト。1580年7月24日「王アントニオ1世」を宣言します。 王フェリペ2世の領地(1580年) 王フェリペ2世は「イケイケのスペインと併合した方が儲かるんじゃね?」と考える貴族たちの支持をゲトします。 ってことで、庶子アントニオを打倒(1580–1583年: War of the Portuguese Succession )。 1581年 ポルトガル議会 に承認されてポルトガル王に即位します。念願の「 イベリア半島の統合 」であーる♥ ちなみに庶子アントニオの「王アントニオ1世」は20日で終了しちゃいました(1580年: Battle of Alcântara )。 その後 アゾレス諸島 、フランス、イングランドへ亡命。 王フェリペ2世が送った暗殺者から逃げながら1589年 アルマダの反撃 にも参加。1595年パリ(フランス)で死亡します。 「イベリア半島の統合」の終了 「イベリア半島の統合」でポルトガル領をゲトしたスペインは「 太陽の沈まない帝国 」になります。 王フェリペ2世はポルトガルの独立(法律、通貨、政府)を持続。 ポルトガルの貴族たちをスペイン宮廷で優遇。なんと「首都を リスボン に移す?」なんて提案もありました。 スペインとポルトガルの貿易ルート(16世紀) でもポルトガルの利益はジワジワ減少していきます。台頭するイングランドやオランダがポルトガル領を攻撃し始めたの。 おまけにスペイン王 フェリペ4世 はポルトガルの独立をスルー。 1640年Win-Winな関係が終わったポルトガルは勝手にブラガンサ公ジョアン2世をポルトガル王 ジョアン4世 にしちゃいます(1640–1668年: Portuguese Restoration War )。
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スペイン王フェリペ2世の系図 王フェリペ2世の家族フェリペ2世の有能な兄弟 フェリペ2世の短命な夫婦&遺伝子が心配な子供 王フェリペ2世の領地 スペイン王フェリペ2世の系図 王フェリペ2世の家族 名前 在位 フェリペ2世の 備考 カルロス1世/神聖ローマ皇帝カール5世 (1500-1558) 1516-1556(40年) 父 ヨーロッパ王族の血筋が集まったサラブレット。必然的に領土も集まった、神聖ローマ皇帝になってもっと集まった。広大な領土をたくみに統治した有能な君主で、生涯かけてヨーロッパ全土から北アフリカまで駆け回った。1556年長年の痛風と相次ぐ戦争に疲れ、自ら退位してユステ修道院に隠棲した。 フェリペ2世(1556-1598) 1556-1598(42年) - 1580年ポルトガル王位を継承して領土が追加され『太陽の沈まぬスペイン帝国』を実現。領土各地に副王を置く中央集権体制を整え、ほとんど宮殿に籠って政務に専念した「書類王」。「異端者に君臨するくらいなら命を100度失うほうがよい」という烈々なカトリック教徒で、カトリックによる国家統合を理想とした。 フェリペ3世(1578-1621) 1598-1621(23年) 子 スペイン帝国を担うには力不足な「怠惰王」で、スペイン帝国は衰退への道を歩み始めた。 フェリペ2世の有能な兄弟 名前 フェリペ2世の 備考 マリア・デ・アブスブルゴ(1528-1603) 妹 1548年従兄・神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と結婚。父カルロス1世の要請により、不在時のスペイン摂政を勤めた。1552年ウィーンへ移住、1582年夫が亡くなるとスペインへ帰国し「異教徒のいない国に住めてとても幸せ」と言ったらしい。国政に出しゃばることはなかった。 フアナ・デ・アウストリア(1535-1573) 妹 1552年従弟・ポルトガル王太子ジョアン・マヌエルと結婚。1554年夫死亡。兄フェリペ2世の要請により、不在時のスペイン摂政を勤めた。←スペイン王父カルロス1世はヨーロッパ偵察で不在、フェリペ2世もイングランド女王メアリー1世と結婚して不在の間。 ドン・フアン・デ・アウストリア(1547-発疹チフス:1578) 異母弟 母親は父カルロス1世の愛人バルバラ・ブロムベルク。庶子。ドン・フアンが13歳の時、フェリペ2世は宮殿に迎え王族として認知したが「殿下」という呼称は認めなかった。レパント海戦など数々の武名を馳せ、ネーデルラント総督を務めた。 フェリペ2世の短命な夫婦&遺伝子が心配な子供 妻 名前 結婚 フェリペ2世の 備考 ◎ マリア・マヌエラ・デ・ポルトゥガル(1527-産褥死:1545) 1543-1545(2年) 従妹 母親はフェリペ2世の叔母カタリナ・デ・アウストリア。ドン・カルロスを出産した数日後に死亡。 ドン・カルロス・デ・アウストリア(1545-牢死:1568) - 子 高尚な事に興味を示したことはなく、食べることにしか感心がない。子供のように愚かしい質問ばかりする。断絶状態の父に反逆し、ネーデルランドに行こうとして逮捕監禁され牢死。 ◎ イングランド女王メアリー1世(1516-卵巣腫瘍:1558) 1554-1558(4年) 親戚 母親はフェリペ2世の大叔母キャサリン・オブ・アラゴン。結婚後は2人でイングランドを統治したが、フェリペ2世がスペイン王に即位してスペインへ帰国。一緒に住んだ時期は約2年、子供ナシ。 ◎ エリザベート・ド・ヴァロワ(ス:イサベル・デ・バロイス)(1545-1568) 1559-1568(9年) - 父親はフランス王アンリ2世。イングランド王エドワード6世が亡くなり婚約解消。フェリペ2世の息子ドン・カルロス・デ・アウストリアと婚約。が、カトー・カンブレジ条約の証としてフェリペ2世と結婚。 イサベル・クララ・エウヘニア(1566-1633) - 子 イタリア語で書かれた書類の翻訳など、スペイン語しか話せない父を亡くなるまで補佐した。1599年従兄アルブレヒトと結婚し、スペイン領ネーデルラントを共同統治者。2人が治めていた時代はネーデルラントの黄金時代と呼ばれた。 ◎ アナ・デ・アウストリア(1549-伝染病:1580) 1570-1580(10年) 姪 母親はフェリペ2世の妹マリア・デ・アブスブルゴ。 フェリペ3世(1578-1621) - 子 フェリペ2世待望の男児。次のスペイン王。 王フェリペ2世の領地 スペイン王国はアラゴン王 フェルナンド2世 とカスティーリャ女王 イサベル1世 の結婚で誕生しました(1479年: カトリック両王 )。 その後も結婚、結婚、結婚、…で領地拡大。 戦争、戦争、戦争、…でますます拡大。こちらは王フェリペ2世の領地(1580年)です。 wikipedia アゾレス諸島 カナリア諸島 サルデーニャ王国 シチリア王国 スペイン王国 ナバラ王国 ナポリ王国 ネーデルラント17州 フランシュ=コンテ地域圏 ポルトガル王国 マデイラ諸島 ミラノ公国 ※スペイン帝国…本国、植民地、属領の総称。 ※インディアス…スペイン人が発見・征服・植民した地域の総称。 +なんでネーデルラントはスペイン領なの? 1519年王カルロス1世(王フェリペ2世の父親)は 神聖ローマ皇帝 カール5世に即位。西・中央・南ヨーロッパを支配しちゃいます。 ちなみに皇帝カール5世の称号はこーんなに長いの。 カール、神の恩寵による、神聖ローマ皇帝、永遠の尊厳者、ドイツ王、イタリア王、全スペインの王及びカスティーリャ王、アラゴン王、レオン王、ナバラ王、グレナダ王、トレド王、バレンシア王、ガリシア王、マヨルカ王、セビーリャ王、コルドバ王、ムルシア王、ハエン王、アルガルヴェ王、アルヘシラス王、ジブラルタル王、カナリア諸島の王、両シチリア及びサルデーニャ王、コルシカ王、エルサレム王、東インド、西インドの王、大洋と島々の君主、オーストリア大公、ブルゴーニュ公、ブラバント公、ロレーヌ公、シュタイアーマルク公、ケルンテン公、カルニオラ公、リンブルク公、ルクセンブルク公、ヘルダーラント公、アテネ公、ネオパトラス公、ヴュルテンベルク公、アルザス辺境伯、シュヴァーベン公、アストゥリアス公、カタルーニャ公(prince)、フランドル伯、ハプスブルク伯、チロル伯、ゴリツィア伯、バルセロナ伯、アルトワ伯、ブルゴーニュ自由伯、エノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯、フェレット伯、キーブルク伯、ナミュール伯、ルシヨン伯、サルダーニャ伯、ズトフェン伯、神聖ローマ帝国の辺境伯、ブルガウ辺境伯、オリスターノ辺境伯、ゴチアーノ辺境伯、フリジア・ヴェンド・ポルデノーネ・バスク・モリン・サラン・トリポリ・メヘレンの領主。 神聖ローマ皇帝 カール5世 の領地(1550年) +なんでポルトガルはスペイン領なの? 1578年ポルトガル王 セバスティアン1世 が子供ナシ(=王位継承者ナシ)で戦死します(1578年: Battle of Alcácer Quibir )。 ってことで、ポルトガルは次の王位継承でゴタゴタ。 ゴタゴタの中で王セバスティアン1世の摂政だった 枢機卿 エンリケが 王エンリケ1世 になります。 wikipedia ポルトガル君主一覧 独身の王エンリケ1世は枢機卿を辞めて結婚しようとします。子供ナシだと アヴィス王朝 が終わっちゃうもんね。 でもスペイン王 フェリペ2世 に気を遣ったローマ教皇 グレゴリウス13世 が辞任を拒否。 1580年1月31日王エンリケ1世は子供ナシであーっという間に死亡。ポルトガルはまたまた次の王位継承でゴタゴタしちゃいます。 次の王様は誰? ポルトガル議会(the Regency of the Kingdom)は「次の王様=ポルトガルの独立を持続できる王様」について話し合います。 候補者はこちらの皆さん。 スペイン王フェリペ2世は「 イベリア半島の統合 = 西ゴート王国 の復活」を目論んで王位継承を強く主張してます。 ラヌッチョ1世・ファルネーゼ 父親:パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ 母親: マリア・デ・ポルトガル 長子相続 の正当な王位継承者 カタリナ・デ・ポルトガル 父親:ギマランイス公 ドゥアルテ 母親: イザベル・デ・ブラガンサ ポルトガル在住で年齢もオケ スペイン王 フェリペ2世 父親:神聖ローマ皇帝 カール5世 母親: イサベル・デ・ポルトガル 外国人だからダメダメ 庶子 アントニオ・デ・ポルトガル (ポルトガル王アントニオ1世) 父親:ベージャ公 ルイス 母親:愛人ヴィオランテ・ゴメス 王位継承権ナシだからダメ サヴォイア公 エマヌエーレ・フィリベルト 父親:サヴォイア公 カルロ3世 母親: ベアトリーチェ・デ・ポルトガル 最有力候補はネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼ(11歳)です。 でもネーデルラント総督パルマ公は王フェリペ2世の家臣。 ってことで、王フェリペ2世に気を遣って息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼの王位継承を積極的に主張しませんでした。 カタリナ・デ・ポルトガル(40歳)も王位継承を強く主張します。 ちなみに夫ブラガンサ公 ジョアン1世 (初代 王ジョアン1世 の庶子ブラガンサ公 アフォンソ1世 の血筋)も王位継承権アリ。 夫婦揃って王位継承権アリの優良株です。 ブラジル副王(the Vice-Kingdom of Brazil)。 キリスト騎士団 長(Grand-Master of the Order of Christ)。 私船のインド貿易許可。 王フェリペ2世の息子 ディエゴ・デ・アウストリア とブラガンサ公の娘の結婚。 王フェリペ2世は「カタリナ・デ・ポルトガルを辞退させるぜ!」と夫ブラガンサ公をこちらで買収しようとします。 でも夫ブラガンサ公は買収を拒否。 残念ながらカタリナ・デ・ポルトガルは「女性」「次女」がネックになって王位継承の競争から脱落しました。 サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトも王位継承を主張します。 でもサヴォイア公は1536年以降フランスに占領されちゃった領地の回復を願ってずーっと王フェリペ2世に仕えてるの。 お陰様で領地もジワジワ回復中。ってことで、すぐ辞退します。 スペイン王フェリペ2世vsポルトガル王アントニオ1世(庶子アントニオ・デ・ポルトガル) 庶子アントニオ・デ・ポルトガル( 王マヌエル1世 の孫)も王位継承を強く主張します。 でも庶子だから王位継承権ナシ(王位継承権が超弱い)。 実は 王セバスティアン1世 が死亡したときも王位継承を主張してポルトガル議会に却下されちゃいました。 14世紀ポルトガルは王位継承を争って内戦になったコトがあります(1383–1385年: Portuguese interregnum )。 なんやかんやでスペインを撃退した庶子ジョアンが初代 王ジョアン1世 に即位。 庶子アントニオは「この状況に似てませんかー!?」と訴えて支持をゲト。1580年7月24日「王アントニオ1世」を宣言します。 王フェリペ2世の領地(1580年) 王フェリペ2世は「イケイケのスペインと併合した方が儲かるんじゃね?」と考える貴族たちの支持をゲトします。 ってことで、庶子アントニオを打倒(1580–1583年: War of the Portuguese Succession )。 1581年 ポルトガル議会 に承認されてポルトガル王に即位します。念願の「 イベリア半島の統合 」であーる♥ ちなみに庶子アントニオの「王アントニオ1世」は20日で終了しちゃいました(1580年: Battle of Alcântara )。 その後 アゾレス諸島 、フランス、イングランドへ亡命。 王フェリペ2世が送った暗殺者から逃げながら1589年 アルマダの反撃 にも参加。1595年パリ(フランス)で死亡します。 「イベリア半島の統合」の終了 「イベリア半島の統合」でポルトガル領をゲトしたスペインは「 太陽の沈まない帝国 」になります。 王フェリペ2世はポルトガルの独立(法律、通貨、政府)を持続。 ポルトガルの貴族たちをスペイン宮廷で優遇。なんと「首都を リスボン に移す?」なんて提案もありました。 スペインとポルトガルの貿易ルート(16世紀) でもポルトガルの利益はジワジワ減少していきます。台頭するイングランドやオランダがポルトガル領を攻撃し始めたの。 おまけにスペイン王 フェリペ4世 はポルトガルの独立をスルー。 1640年Win-Winな関係が終わったポルトガルは勝手にブラガンサ公ジョアン2世をポルトガル王 ジョアン4世 にしちゃいます(1640–1668年: Portuguese Restoration War )。
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アマデオ1世スペイン1845~1890統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の次男。イザベル2世退位後、サヴォイア家から王位に迎えられた。しかし、国民の感情は冷めており、在位3年で自ら退位する。これにより、スペインの第一共和制がはじまるが、アルフォンソ12世の即位で王政に戻る。 アルフォンソ12世スペイン1857~1874統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ブルボン朝第8代スペイン国王でイザベル2世の子。空位となっていたスペイン王位に即位する。 カルロス4世スペイン1748~1819統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ブルボン朝第5代スペイン国王。カルロス3世の子。 カルロス・マリーア・デ・ボルボン・イ・ボルボン=パルマスペイン(マドリード)1788~1855統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:C 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------スペイン王族。カルロス4世とマリア・ルイサ・デ・パルマの子で、フェルナンド7世の弟。モリナ伯。フェルナンド7世が没すると、バスクとナバラに政府を作り、王位請求者としてカルロス5世を名乗り、カルリスタ戦争を始める。しかし、軍の統率が取れずに敗北した。 カルロス・ルイス・デ・ボルボン・イ・ブラガンサスペイン(マドリード)1818~1861統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------スペイン王族。モンテモリン伯。カルロス・マーリア・デ・ボルボンの子で、父の後を継いでスペイン王位を請求し、第二次カルリスタ戦争を戦った。 フェルナンド7世スペイン1784~1833統率:D 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------ブルボン朝第6代スペイン国王で、カルロス4世の子。ナポレオン軍の侵攻を受け、一時は王位まで奪われてしまった。 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテススペイン(フエンデトードス)1746~1828統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------画家。宮廷画家として仕え、スペイン最大の画家に数えられる。代表作に『わが子を食うサトゥルヌス』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『1808年5月3日の処刑』、『巨人』などがある。 マリア・クリスティーナ・デ・ボルボンスペイン(生まれはシチリア)1806~1878統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------フェルナンド7世の4番目の王妃。両シチリア王フランチェスコ1世の次女でイザベル2世の母。フェルナンド7世が死去すると、王位を主張する者たちとの3度に渡るカルリスタ戦争を経て、娘イザベラを女王に据えてみずからは摂政となった。しかし国民の支持を得られずフランスへ亡命した。 ロベルト・コフレシスペイン(プエルトリコ)1791~1825統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------海賊。プエルトリコ周辺でスペイン以外の船を襲い、貧しい者に財を分け与えていた。しかし、スペイン政府が海賊の取り締まりを強化すると捕らえられ、軍事裁判で銃殺刑に処された。
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グランデってなに? インファンタド公(サンティリャーナ侯)…ビセンテやエボリ大公夫人はここ アスコリ大公…アロンソはここ パルマ公…ラウルの母方はここ アルバ公…ラウルの父方はここ メディナ・シドーニア公 グランデってなに? グランデは王様が スペイン貴族 に与える「最大の 個人の尊厳 」です。貴族にとって超ウルトラな名誉。 爵位と一緒に子、孫、…が 世襲 。 王様はグランデの貴族を「mi Primo:私の従兄弟」、それ以外の貴族を「mi Pariente:私の親戚」と呼んで区別してます。 wikipedia クラウン(紋章学) 王族の面前に出た貴族は王様から「着帽のままでオケ」「着席のままでオケ」と声をかけられるとグランデになります。 その後グランデの特権が「課税の免除」「逮捕の免除」、…どーんどん拡大。 お陰様で王様への忠誠を捨てるグランデまで出てきちゃった。ってことで、1470年代後半 カトリック両王 が特権を減らします。 +グランデの皆さん(元ネタがスペイン語なので訳は超テキトー) 16世紀のグランデは公式文書ナシでビシッと分からないそーです。こちらは 1520年の推測グランデ (F&Bに登場する人だけ)。 ちなみに王様は 王カルロス1世 (王フェリペ2世の父親)。 詳細は Francisco Fernández de Bethencourt 著「Historia genealógica y heráldica de la monarquía española, Casa Real y Grandes de España」(1897年頃)をどうぞ。 wikipedia メディナ・シドーニア公 ( グスマン家 ) 1396年頃 Juan Alonso de Guzmán がNiebla伯を拝受 アルバ公 ( トレド家 ) 1366年 Garci Álvarez de Toledo が Señores de Oropesa を拝受 インファンタド公 ( メンドーサ家 ) 1332年 Gonzalo Yáñez de Mendoza がSeñores de Álavaを拝受 メディナセリ公 ( ラ・セルダ家 ) 1368年 Bernal de Foix がメディナ・セリ伯を拝受 グランデの誕生 1369年庶子トラスタマラ伯は義弟 王ペドロ1世 を倒して 王エンリケ2世 になりました(1351-1369年: Castilian Civil War )。 トレド家、メンドーサ家、ラ・セルダ家、…がトラスタマラ伯を支援。 下克上を助けてくれた皆さんにお礼を!ってことで、新興貴族(Nobleza Nueva)が誕生します。 1369年 Battle of Montiel ( Jean Froissart 著「 Froissart s Chronicles 」) 15世紀スペインの政治が混乱する中で勝ち残った新興貴族の特権はどーんどん拡大します(711-1492年: Reconquista )。 この特権を持つ貴族がグランデ(Grandes del reino)と呼ばれたの。 その後スペインの政治はだんだん安定。 君主制 の政治を目指す王様にとって「この特権」が邪魔になってきちゃいます。 インファンタド公(サンティリャーナ侯)…ビセンテやエボリ大公夫人はここ メンドーサ家 は アラバ の Íñigo López (1040–1076年頃)から発祥したスペインの貴族です。14-17世紀宮廷で最有力な貴族の1つ。 スペインとアメリカ大陸で20以上の上流貴族に枝分かれしたメンドーサ家の主流は本家筋 インファンタド公 。 ちなみに1625年第6代インファンタド公女 Ana de Mendoza y Enríquez de Cabrera は領地800に家臣8万人以上を所有してます。 1448年 Íñigo López de Mendoza がカスティーリャ王 フアン2世 から サンティリャーナ侯 を拝受。 1475年 Diego Hurtado de Mendoza がアラゴン 王フェルナンド2世 から インファンタド公 を拝受。ってことで、サンティリャーナ侯はインファンタド公に付随。 グランデ (いつ誰が貰ったのかは分かりませんでした)。 F B時代は第5代インファンタド公 Íñigo López de Mendoza y Mendoza です。王フェリペ2世の寵臣。 息子Diego Hurtado de Mendoza y Enriquez de Cabrera(父親より前に死亡)がいたっぽい。この人がサンティリャーナ侯かしら? 2人の娘IsabelとMencíaは フェリア公 と アルバ公 に嫁いでます。 エボリ大公夫人 Ana de Mendoza de la Cerda y de Silva Cifuentes は枢機卿 Pedro González de Mendoza から連なる分家筋です。 ちなみに「la Cerda」は ラ・セルダ家 のコト。 カスティーリャ王 アルフォンソ10世 の息子 Ferdinand de la Cerda からの血筋で本家筋の皆さんは メディナセリ公 です。 1503年 Diego Hurtado de Mendoza y Lemos がアラゴン王 フェルナンド2世 から メリート伯 を拝受。 ?年 Diego Hurtado de Mendoza y de la Cerda が王フェリペ2世からメリート大公を拝受。 エボリ大公 Ruy Gómez de Silva はポルトガル系 シルバ家 です。 1526年スペイン王 カルロス1世 に嫁ぐ イサベル・デ・ポルトゥガル (王フェリペ2世の両親)に付き添ってスペインへ移住。 王フェリペ2世の 小姓 になったのが縁で2人は親友になります。 1559年Ruy Gómez de Silvaが王フェリペ2世からエボリ大公を拝受。 ?年Ruy Gómez de Silvaが王フェリペ2世からグランデを拝受。 1572年Ruy Gómez de Silvaが王フェリペ2世から パストラーナ公 を拝受。 F B時代は第2代パストラーナ公Ruy II Gómez de Silva y Mendozaです。メリート大公とエボリ大公は継承してないっぽい? フランカヴィッラ公 は Diego de Silva y Mendoza が継承( De Silva Fernández de Híjar Portugal家 )。 Anaは メディナ・シドーニア公 に嫁いでます。 アスコリ大公…アロンソはここ レイバ家 は ナバラ のJuan Martínez(1350-1384年)から発祥したスペインの貴族です。 Juan MartínezはLeyva領主Sancho e di Aldonza Lopez de Avellaneda( signore di Leyva:21世紀の ラ・リオハ州 Leiva )の息子。 ?年 Antonio de Leyva が?からアスコリ大公(príncipe de Áscoli)を拝受。 レイバ家は資料によって年代、お名前、爵位がビミョーに違うのでビシっとは分かりませんでした。 アロンソ・デ・レイバの系図は Genealogía familiar (Alonso Martinez de Leyva)さんを参考にしました。 これによるとAlonso Martinez de Leyvaの父親Sancho Martinez de Leyvaは Ocaña隊の 指揮官 (Comendador de Ocaña) ガレー船の将官(General de las galeras de España) ナバラの副王 (1575年) Alonso Martinez de Leyvaは ミラノの守備隊長(Capitán General de la Caballería de Milán) Alcuesca隊の指揮官(Comendador de Alcuesca) 妻Mariana Suarez de Mendoza y de la Cerda、息子Sancho Martinez de Leyvaです。 パルマ公…ラウルの母方はここ ファルネーゼ家 はイタリアから発祥した有力貴族です。15世紀傭兵隊長 Ranuccio Farnese il Vecchio からイケイケがスタート。 孫Alessandro Farneseがローマ教皇 Paul III になってもっとイケイケ。 ローマ教皇Paul IIIは権力を利用してファルネーゼ家の勢力と財産をガンガン増やします。 1537年 Pier Luigi Farnese がローマ教皇Paul IIIから Castro公 を拝受( Castro公国 : 教皇領 の Castro, Lazio )。 1545年Pier Luigi Farneseがローマ教皇Paul IIIから パルマ公 とPiacenza公を拝受( パルマ公国 :教皇領の パルマ と Piacenza )。 ?年 Ottavio Farnese が?からパルマ大公(Prince of Parma)を拝受。 ちなみに神聖ローマ皇帝 カール5世 (王フェリペ2世の父親)もパルマとPiacenzaを狙ってました。 ローマ教皇Paul IIIは血縁を結ぶコトでこれを回避。 ってことで、1538年14歳のOttavio Farneseと Margaret of Parma (王フェリペ2世の義理姉)が結婚します。 F B時代は ネーデルラント総督 第3代パルマ公 Alexander Farnese (王フェリペ2世の甥)です。 1565年 Maria of Guimarães (ポルトガル王 マヌエル1世 の孫)と結婚。 王族と結婚したけど 紋章 に ポルトガルの紋章 (5個の inescutcheon :小さい盾)を決してご使用しませんでした。 +ポルトガル王の最有力候補になった息子Ranuccio I Farnese 1578年ポルトガル王 セバスティアン1世 が子供ナシ(=王位継承者ナシ)で戦死します(1578年: Battle of Alcácer Quibir )。 ってことで、ポルトガルは次の王位継承でゴタゴタ。 ゴタゴタの中で王セバスティアン1世の摂政だった 枢機卿 エンリケが 王エンリケ1世 になります。 wikipedia ポルトガル君主一覧 独身の王エンリケ1世は枢機卿を辞めて結婚しようとします。子供ナシだと アヴィス王朝 が終わっちゃうもんね。 でもスペイン王 フェリペ2世 に気を遣ったローマ教皇 グレゴリウス13世 が辞任を拒否。 1580年1月31日王エンリケ1世は子供ナシであーっという間に死亡。ポルトガルはまたまた次の王位継承でゴタゴタしちゃいます。 次の王様は誰? ポルトガル議会(the Regency of the Kingdom)は「次の王様=ポルトガルの独立を持続できる王様」について話し合います。 候補者はこちらの皆さん。 スペイン王フェリペ2世は「 イベリア半島の統合 = 西ゴート王国 の復活」を目論んで王位継承を強く主張してます。 ラヌッチョ1世・ファルネーゼ 父親:パルマ公 アレッサンドロ・ファルネーゼ 母親: マリア・デ・ポルトガル 長子相続 の正当な王位継承者 カタリナ・デ・ポルトガル 父親:ギマランイス公 ドゥアルテ 母親: イザベル・デ・ブラガンサ ポルトガル在住で年齢もオケ スペイン王 フェリペ2世 父親:神聖ローマ皇帝 カール5世 母親: イサベル・デ・ポルトガル 外国人だからダメダメ 庶子 アントニオ・デ・ポルトガル (ポルトガル王アントニオ1世) 父親:ベージャ公 ルイス 母親:愛人ヴィオランテ・ゴメス 王位継承権ナシだからダメ サヴォイア公 エマヌエーレ・フィリベルト 父親:サヴォイア公 カルロ3世 母親: ベアトリーチェ・デ・ポルトガル 最有力候補はネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼ(11歳)です。 でもネーデルラント総督パルマ公は王フェリペ2世の家臣。 ってことで、王フェリペ2世に気を遣って息子ラヌッチョ1世・ファルネーゼの王位継承を積極的に主張しませんでした。 カタリナ・デ・ポルトガル(40歳)も王位継承を強く主張します。 ちなみに夫ブラガンサ公 ジョアン1世 (初代 王ジョアン1世 の庶子ブラガンサ公 アフォンソ1世 の血筋)も王位継承権アリ。 夫婦揃って王位継承権アリの優良株です。 ブラジル副王(the Vice-Kingdom of Brazil)。 キリスト騎士団 長(Grand-Master of the Order of Christ)。 私船のインド貿易許可。 王フェリペ2世の息子 ディエゴ・デ・アウストリア とブラガンサ公の娘の結婚。 王フェリペ2世は「カタリナ・デ・ポルトガルを辞退させるぜ!」と夫ブラガンサ公をこちらで買収しようとします。 でも夫ブラガンサ公は買収を拒否。 残念ながらカタリナ・デ・ポルトガルは「女性」「次女」がネックになって王位継承の競争から脱落しました。 サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトも王位継承を主張します。 でもサヴォイア公は1536年以降フランスに占領されちゃった領地の回復を願ってずーっと王フェリペ2世に仕えてるの。 お陰様で領地もジワジワ回復中。ってことで、すぐ辞退します。 スペイン王フェリペ2世vsポルトガル王アントニオ1世(庶子アントニオ・デ・ポルトガル) 庶子アントニオ・デ・ポルトガル( 王マヌエル1世 の孫)も王位継承を強く主張します。 でも庶子だから王位継承権ナシ(王位継承権が超弱い)。 実は 王セバスティアン1世 が死亡したときも王位継承を主張してポルトガル議会に却下されちゃいました。 14世紀ポルトガルは王位継承を争って内戦になったコトがあります(1383–1385年: Portuguese interregnum )。 なんやかんやでスペインを撃退した庶子ジョアンが初代 王ジョアン1世 に即位。 庶子アントニオは「この状況に似てませんかー!?」と訴えて支持をゲト。1580年7月24日「王アントニオ1世」を宣言します。 王フェリペ2世の領地(1580年) 王フェリペ2世は「イケイケのスペインと併合した方が儲かるんじゃね?」と考える貴族たちの支持をゲトします。 ってことで、庶子アントニオを打倒(1580–1583年: War of the Portuguese Succession )。 1581年 ポルトガル議会 に承認されてポルトガル王に即位します。念願の「 イベリア半島の統合 」であーる♥ ちなみに庶子アントニオの「王アントニオ1世」は20日で終了しちゃいました(1580年: Battle of Alcântara )。 その後 アゾレス諸島 、フランス、イングランドへ亡命。 王フェリペ2世が送った暗殺者から逃げながら1589年 アルマダの反撃 にも参加。1595年パリ(フランス)で死亡します。 「イベリア半島の統合」の終了 「イベリア半島の統合」でポルトガル領をゲトしたスペインは「 太陽の沈まない帝国 」になります。 王フェリペ2世はポルトガルの独立(法律、通貨、政府)を持続。 ポルトガルの貴族たちをスペイン宮廷で優遇。なんと「首都を リスボン に移す?」なんて提案もありました。 スペインとポルトガルの貿易ルート(16世紀) でもポルトガルの利益はジワジワ減少していきます。台頭するイングランドやオランダがポルトガル領を攻撃し始めたの。 おまけにスペイン王 フェリペ4世 はポルトガルの独立をスルー。 1640年Win-Winな関係が終わったポルトガルは勝手にブラガンサ公ジョアン2世をポルトガル王 ジョアン4世 にしちゃいます(1640–1668年: Portuguese Restoration War )。 アルバ公…ラウルの父方はここ トレド家(またはアルバレス・デ・トレド家) は13世紀 カスティーリャ王朝 から発祥したスペインの貴族です。 1085年から連続で トレド 市長に就任してジワジワ台頭。 最初に姓「Álvarez de Toledo」を名乗ったのはJuan Álvarez de Toledo(Álvaro Ibáñez y de Juana García Carrilloの息子)だそーです。 1439年 Fernando Álvarez de Toledo y Sarmiento がカスティーリャ王 フアン2世 からアルバ侯を拝受。 1472年 García Álvarez de Toledo がカスティーリャ王 エンリケ4世 から アルバ公 を拝受。 F B時代は第5代アルバ公 Antonio Álvarez de Toledo (第3代アルバ公 Fernando Álvarez de Toledo の孫)です。 子供ナシの第4代アルバ公 Fadrique Álvarez de Toledo から爵位を継承。 母親 Brianda de Beaumont からもアレコレ爵位を継承。この辺の詳細はぜーんぜん分からなかったです。 メディナ・シドーニア公 スペインのグランデ。1455年カスティーリャ王フアン2世がニエブラ伯フアン・アロンソ・ペレス・デ・グスマン(Juan Alonso Pérez de Guzmán y Suárez de Figueroa)に初代公位を授けたことに始まる。 wikipedia ※ものすごーくお世話になったサイト。詳細はこちらをご覧下さい。 portadaGrandes de España(『Duques』とか)
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スペイン…貴族領地の参考程度に スペイン領ヨーロッパのスペイン領…1580年頃 世界のスペイン領…16世紀の終わり頃 スペイン…貴族領地の参考程度に スペイン領 1556年スペイン王カルロス1世は、両親から受け継いだスペイン&ネーデルラント関係の地位と領土は息子フェリペ2世に、父方の祖父から受け継いだオーストリア&神聖ローマ帝国関係の地位と領土は弟フェルディナント1世に継承した。 1580年フェリペ2世はポルトガルを併合して領土が拡大した。 ヨーロッパのスペイン領…1580年頃 世界のスペイン領…16世紀の終わり頃 ※戦国時代の日本も「乱妨取り(戦いの後で兵士が人や物を掠奪)」で囚われた人々を、奴隷としてポルトガル商人を通して東南アジアなど世界中に輸出してた。豊臣秀吉は『バテレン追放令』でこれを禁止。
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人類が宇宙に進出してから数世紀、膨大な資源と革新的な技術により、版図は銀河の隅々にまで広がっていった。 当初は銀河連邦が発足し、統治が行われていたが、あまりにも広がり過ぎた人類は、次第に周辺地域で自治勢力が起こり始めた。 緩やかながらも、確実に中央権力が弱まるにつれ、銀河は群雄割拠の様相を見せ始める。 地球と言う星の名が、半ば伝説となり始める頃、辺境より銀河を武力で以て統一せんとする勢力が現れた。 『帝国』である。 辺境開発用人型重機を元に開発された『アーマーナイト』を主軸に、銀河の三分の一を掌握するも、皇帝の崩御を機に、その快進撃は終わりを告げてしまう。 成す術もなく蹂躙され続けていた銀河連邦も、抗戦を続けるだけの力が無く、連邦は帝国の統治を正式なものと認める条件を飲み、講和した。 帝国内部では、空位となった皇帝の座を巡り内戦が勃発。 強大な軍事力が互いにぶつかり合い、泥沼と化していく。 この後、40年に渡る不毛な内乱は、継承戦争と呼ばれる事となった。
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銀河連邦との戦争、継承戦争と立て続けに起こった戦争は、帝国経済に致命的な傷跡を残してしまった。 終戦より1年。 復興による回復の兆しが見え始める中、大量に解雇した軍人や、行き場を失った傭兵団による治安の悪化が懸念される中、惑星ジ・オアシスでバトルマッチと言う、新しい競技が催された。 『アーマーナイトによる、1対1の戦い』 勝てば富も栄誉も手に入る。 古来より人と言う生き物は、この言葉に弱いらしい。 数多くの者が闘士として戦いに赴き、夢を叶えようとした。
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アルバロ・デ・バサーンスペイン1526~1588統率:A 武力:B 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------サンタ・クルス侯爵。サンタ・クルス提督。レパントの海戦、サン・ミカエルの戦いなどで軍功を上げた。ガレー船を削減し、機動性と攻撃性に優れたガレアス船を導入した艦隊(後の無敵艦隊)を発案した。『スペイン海軍の父』と称されたが、アマルダ海戦を前にして過労で没した。 アントワーヌ・ド・グランヴェル(スペイン名:アントニオ・デ・グランベラ)スペイン(神聖ローマ帝国・ブザンソン)1517~1586統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------枢機卿。メヘレン大司教、ブザンソン大司教。神聖ローマ皇帝カール5世、スペイン王フェリペ2世に仕えた。トリエント公会議に派遣され、ザクセン選帝候とパッサウの和議、フランスとカトー・カンブレジ条約を結んだ。また、ネーデルラント総督マルゲリータ・ダウストリアの宰相としてプロテスタント弾圧を行った。高名な美術収集家でもあり、芸術家の多くを支援した。 イグナティウス・ロヨラスペイン(バスク地方)1491~1556統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------イエズス会の創始者。戦で重傷を負う。イェルサレム巡礼後、各地をまわり、後にパリ大学に学び修士となる。こうして、モンマルトルでイエズス会を結成し、初代総長となる。『霊操』を著す。カトリックの聖人。 イザベル1世カスティーリャ=アラゴン連合王国/カスティーリャ王国1451~1504統率:B 武力:C 政治:B 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------カスティーリャ王国最後の女王。フアン2世の長女。アラゴン王フェルナンド2世と結婚し、カスティーリャ=アラゴン連合王国の共同統治者となり、『カトリック両王』と呼ばれた。イスラム勢力を制圧し、「レコンキスタ(国土回復運動)」を成し遂げた。コロンブスの新大陸進出の援助をした。 エルナン・コルテススペイン1485~1547統率:B 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。キューバに渡り、ユカタン半島に上陸した。アステカの王モクテスマ2世を殺害し、後の王クアウテモックも捕らえ、アステカを滅ぼした。キリスト教の布教にも尽力した。後に、カール5世に総督に任命され、カリフォルニアの南部を探索した。 エルナンド・デ・ソトスペイン(エストレマドゥーラ地方)1496?~1542統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール、探検家。大西洋から太平洋を抜ける航路を探すためユカタン半島沿岸を探検したが失敗に終わる。ピサロと共にインカ帝国を滅ぼし、略奪品で裕福になる。その後、フロリダからアメリカを探検して、記録として白人ではじめてミシシッピ川に到達した。しかし、デ・ソト自身は熱病で亡くなり、遺体はミシシッピ川に沈められた。 コスメ・デ・トーレススペイン(バレンシア地方)1510~1570統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------カトリック司祭。イエズス会宣教師。ザビエルらと共にキリスト教の布教活動のため日本を訪れる。日本でロレンソ了斎らと布教を続け、ポルトガル商人アルメイダ、大村純忠らに洗礼を授けた。 ゴンサロ・ピサロスペイン(トルヒージョ)1502~1548統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。フランシスコ・ピサロの異母弟で、兄のインカ帝国征服に協力してエンコミエンダ(新大陸での利権)を手にする。アマゾンを探検するが失敗し、利権の制限をかけようとするスペイン王室にも反乱を起こすが、捕らえられて処刑された。 セバスティアン・デ・ベラルカサルスペイン(コルドバ)1479?~1551?統率:C 武力:B 政治:B 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバと共に現在のニカラグアに渡る。そこで建設された都市レオンの市長を務めた。フランシスコ・ピサロのペルー遠征にも加わり、現地住民と戦った。また、アルマグロと共にエクアドルの都市キトを建設した。 ディエゴ・デ・アルマグロスペイン1479~1538統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。フランシスコ・ピサロと共にペルーに遠征してインカ帝国を滅ぼした。クスコ周辺を支配して総督の地位を得るが、ペルーの支配権を巡ってピサロと対立する。アンデス山脈を越えてチリに到達したはじめてのヨーロッパ人となった。後にピサロとのラス・サリナスの戦いで捕虜となりそのまま処刑された。 ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャルスペイン(クエリャル)1465~1524統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。コロンブスの船団の一員として新大陸を訪れる。その後、キューバを征服して初代キューバ総督となる。サンティアーゴ・デ・クーバやハバナなどの植民都市を築いた。フランシスコ・エルナンデスのユカタン半島探検や、エルナン・コルテスのメキシコ探検などを支援した。 バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアスペイン(ヘレス・デ・ロス・カバリェロス)1475~1519統率:B 武力:A 政治:C 知力:D 文化:E 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------探検家。ピサロの上官。パナマに移住し、植民都市ダリエンの建設を指揮して、総督となる。パナマ地峡を横断し、ヨーロッパ人で初めて大西洋に到達する。旅の行程で略奪を容認したため、後に裁判にかけられ、反逆罪に問われ処刑された。 バルトロメ・デ・ラス・カサススペイン1484~1566統率:C 武力:D 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------カトリック司祭。ドミニコ会員。新大陸発見後のインディオに対する迫害と収奪に反対し、国王カルロス1世に中南米の征服の中止を訴えた。『インディオの使徒』と言われるほどにインディオの自由と生命を守るために献身した。『インディアス史』、『インディアス文明誌』、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』を著す。 パンフィロ・デ・ナルバエススペイン(クエリャル)1480?~1528統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。アステカに派遣されたエルナン・コルテスがキューバ総督ディエゴ・ベラスケスに反抗的だったために送り込まれた追討部隊の指揮官だったが、コルテスに敗れて捕縛された。後にフロリダのアデランタード(先遣都督)に任命されたが船の難破で死んだ。 フアナカスティーリャ=アラゴン連合王国1479~1555統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン国王フェルナンド2世の娘。兄弟が亡くなり、カスティーリャの王位継承者として指名され、女王に即位する。神聖ローマ帝国のフィリップ美公と結婚するが、次第に精神に異常をきたし、『狂女王』と呼ばれた。 フアン・デ・グリハルバスペイン1489~1527統率:C 武力:C 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。キューバ総督ディエゴ・ベラスケスの甥。フランシスコ・エルナンデスに続いてユカタン半島からベラクルスの沿岸地方を探検した。メキシコのグリハルバ川は彼の名前に由来する。 フアン・デ・サルセードスペイン(ヌエバ・エスパーニャ)1549~1576統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。ミゲル・ロペス・デ・レガスピの孫に当たる。スペインのフィリピン征服のための戦いに参加した。ルソン島をはじめとしたフィリピン北部を探検して都市を建造する。 フアン・ポンセ・デ・レオンスペイン(サンテルバス・デ・カンボス)1474~1521統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。コロンブスの航海に同行し、プエルトリコの最初の統治者となった。後に『若返りの泉』を求めて航海に出て、現在のフロリダに到達する。そしてその土地に『花でいっぱいの(ラ・フロリダ)』と名付けた。 フェリペ1世(ブルゴーニュ公フィリップ4世)スペイン1478~1506統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリーの長子。槍試合や狩りが得意で『美公』、『端麗公』と呼ばれた。母の死後ブルゴーニュ公を継承し、イザベル1世が崩御すると、妻のフアナと共に共同統治者としてカスティーリャ王を僭称する。フランスに接近したりと国内貴族からの支持を失った。 フェリペ2世(ポルトガル王フェリペ1世)スペイン1527~1598統率:A 武力:A 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------ハプスブルク家の第2代スペイン国王で、初代ポルトガル国王、シチリア国王。スペイン最盛期の国王で、絶対主義の代表的君主の一人。イタリア戦争、ユグノー戦争、レパントの海戦に介入した。また、アメリカ、ブラジル、アフリカ、インドなど広大な領土を植民地化した。 フェルナンド2世カスティーリャ=アラゴン連合王国/アラゴン王国1452~1516統率:B 武力:B 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------トラスタマラ朝第4代にして最後のアラゴン国王。フアン2世の子。カスティーリャ女王イザベル1世と結婚し、カスティーリャ=アラゴン連合王国の共同統治者となり、『カトリック両王』と呼ばれた。イスラム勢力を制圧し、「レコンキスタ(国土回復運動)」を成し遂げた。イタリア戦争では、神聖同盟に参加した。 フェルナンド・アルヴァレス・デ・トレドスペイン1508~1582統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------第3代アルバ公。カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)に仕え、シュマルカルデン戦争でプロテスタント諸侯を撃破する。後にネーデルランド総督となる。ネーデルランド独立戦争が起こると軍を指揮して、エグモント伯、ホルン伯らを処刑した。ポルトガル併合にも関係した。 フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバスペイン(コルドバ)????~1517統率:C 武力:C 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。キューバ総督ディエゴ・ベラスケスの支援を受けてユカタン半島を探検する。その地でマヤ文明を発見するが、マヤ人との戦いで負傷して帰還するも、数日後に息を引き取った。 フランシスコ・ザビエルスペイン(バスク地方パンプローナ)1506~1552統率:C 武力:C 政治:C 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------カトリック司祭。イエズス会創設時よりのメンバー。インドのゴアを経て日本に初めてキリスト教を伝えた。後に聖人に列され、オーストラリア、ボルネオ、中国、東インド諸島、ゴア、日本、ニュージーランドの守護聖人となった。 フランシスコ・デ・オレリャーナスペイン1511~1546統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。フランシスコ・ピサロと共にインカ帝国を征服した軍人。ピサロのエルドラド探索の旅にも同行する。本隊と分かれてアマゾン川を河口まで航海した。その時に原住民の女戦士たちに攻撃され、ギリシア神話に登場するアマゾン族に因んで、その川をアマゾン川と命名したとされる。 フランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロススペイン(カスティーリャ)1436~1517統率:A 武力:C 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------枢機卿。フランシスコ会員。国王不在時には国内をまとめる摂政も務めた。聖職者の綱紀粛正を行い、異端審問所の長官も務め、北アフリカのキリスト教の布教にも努めた。清貧と禁欲の生活を貫き、私財を投じてコンプルセンテ大学を創設した。 フランシスコ・ピサロスペイン(エストレマドゥーラ州トルヒージョ)1471~1541統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------探検家、コンキスタドール。何度か南アメリカを探検して黄金のインカ帝国の存在を知る。皇帝アタワルパを捕らえて首都クスコを無血開城させた。後の世に『インカ帝国の破壊者』と呼ばれた。後に新首都としてリマを建設するが、支配地の分配などの問題で内乱が勃発し、暗殺された。 フランシスコ・ボルハ(フランシスコ・ボルジア)スペイン(ガンディア近郊)1510~1572統率:A 武力:D 政治:A 知力:A 文化:A 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------第3代イエズス会総長。フアン・ボルジアの孫で、アレクサンデル6世の曾孫。若くしてカタルーニャの副王に任命され統治を行なった。ローマ学院(グレゴリアン大学)を設立し、王や教皇にも助言した。死後、カトリックの聖人となり、地震に対する守護聖人とされた。 ペドロ・デ・バルディビアスペイン(エストレマドゥーラ地方)1500~1554統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------探検家、コンキスタドール。フランシスコ・ピサロの腹心だった。少数の兵を引き連れてアタカマ砂漠を乗り越え、サンティアゴ市を建設した。ビオビオ川まで遠征して、チリ総督に任命された。その後、マプーチェ族の指導者ラウタロとの戦闘で敗れ、捕らえられて拷問の末に処刑された。 ヘロニモ・デ・アギラールスペイン(セビリア)1489~1531?統率:C 武力:B 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------フランシスコ会の修道士。フアン・デ・バルディビアに随行したが、船が難破してユカタン半島に漂着した。そこでマヤ族の生贄にされそうになるも逃げ延び、他のマヤ人と暮らした。その後、スペインの船団と合流し、エルナン・コルテスの通訳としてメキシコ征服に参加した。 ペドロ・デ・アルバラードスペイン(バダホス)1485~1541統率:C 武力:B 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。エルナン・コルテスの右腕としてキューバ総督からの追討部隊の撃破に向かったコルテスに代わってテノチティトランの留守を守った。しかし、原住民が反乱を起こすと疑心暗鬼に駆られて祭りの最中に虐殺を行い、スペイン人と原住民の対立を決定づけてしまった。 ベルナル・ディアス・デル・カスティリョスペイン(メディナ・デル・カンポ)1496~1584統率:C 武力:C 政治:C 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバやフアン・デ・グリハルバの遠征隊に参加してユカタン半島を探検する。後にコルテスのメキシコ征服にも従った。『メキシコ征服記』を著してコルテス以外の者の戦功を残した。 ミシェル・セルヴェアラゴン王国1511~1553統率:D 武力:D 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------人文学者、医師、神学者。キリスト教の三位一体説を批判したため、カトリックからもプロテスタントからも敵視され異端とされた。逃亡中に立ち寄ったジュネーヴで、カルヴァン主義者たちに告発され火刑に処された。 ミゲル・ロペス・デ・レガスピスペイン(バスク地方スマラガ)1502~1572統率:B 武力:A 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------コンキスタドール。メキシコ市の市長を務め、後にモルッカ諸島遠征の指揮を執る。太平洋廻りで、フィリピン諸島に上陸し、更にマニラまでを征服して初代フィリピン総督となった。『征服地の統治司令官(エル・アデランタード)』、『老人(エル・ヴィエホ)』などと呼ばれた。 ルイス・コロン・デ・トレドスペイン1519?~1572統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ディエゴ・コロンの息子。インディアス総督に任じられるとスペイン王室と和解し、年金とジャマイカの支配権、ラ・ベガ公爵、ジャマイカ侯爵、ベラグア公爵の称号を得た。
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02-009 名前:王位継承 カード種類:Story 妨害修正:5 コスト:2 アクション条件: 「『阿修羅』」がアクションに参加している。 ボーナス効果: ターン終了時に、自分の「『阿修羅』」は手札に移らない。 エキスパンション:第二弾 作品:聖伝-RG VEDA- レアリティ:N
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アマロ・パーゴ(アマロ・ロドリゲス・フェリペ ・イ・テヘーラ・マチャード)スペイン(カナリア諸島)1678~1747統率:C 武力:B 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------海賊。奴隷貿易を主として行った。同郷の修道女マリア・デ・レオンの影響で、清貧の思想に大きな関心を持ち、慈善活動にも力を注いだ。祖国のために黒髭やフランシス・ドレークとも戦った。 カルロス3世(ナポリ王カルロ7世、シチリア王カルロ5世)スペイン1716~1788統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ブルボン朝第4代スペイン国王。ナポリ王でありシチリア王。スペインの啓蒙専制君主とされる。ポーランド継承戦争でフランスの支援を受け、七年戦争、アメリカ独立戦争ではフランスに加勢をしている。 フェリペ5世(アンジュー公フィリップ)スペイン1683~1746統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ルイ14世の孫であり、マリア・テレジアの孫でもある。フランスのアンジュー公。カルロス2世の死によって、ルイ14世にスペイン国王に推されたが、スペイン継承戦争が起こる。最終的にフランスがスペインを併合しないことを条件に、フェリペ5世としてブルボン朝初代国王に就いた。 フェルナンド6世スペイン1713~1759統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:E--------------------------------------------------------------------------------ブルボン朝第3代スペイン国王。フェリペ5世の子で、ルイス1世の弟。 ルイス1世スペイン1707~1724統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------ブルボン朝第2代スペイン国王。フェリペ5世の子で、王位を譲られるが、若くして天然痘で亡くなる。