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カミヤママスオはアメリカ人?ソース1 ソース2 補足 ギャンブル氏とアメリカ人フリーライターは同一人物ソース1の補足 ソース2の補足 関連ページ カミヤママスオはアメリカ人? 以下に示す、ソース1に出てくる米国人ジャーナリストの自身の体験の証言と ソース2のカミヤママスオ自身の体験の証言の内容が以下の点で一致している ギャンブル氏に「その知人である2人のジャーナリストの名」を挙げてアプローチされた 怪しげなお金の話をいきなりされて驚いた ギャンブル氏が持ち込んだ本の企画は、創価学会擁護のために、学会と敵対的関係にあった日本の週刊誌を批判する本 その人物像は以下の点で一致している 日本に在住しているジャーナリスト 英語と日本語ができる 日本の週刊誌に詳しい(少なくともギャンブル氏から取材を申し込まれる程度には詳しい) また、以下は推測だが、本の企画意図からして、英語圏で日本の週刊誌に詳しい人物として紹介できる程度の、 英語圏向けの実績(英語で発信された著作等)や認知がある人物を、重視したと考えられる。 そしてソース1と2は、短文ながら、その語り口はよく似ている。 以上からの推測 カミヤママスオはアメリカ人 ただし、同様の人物像を持ち同様の体験をした人物がカミヤマだけとは限らない。 しかし同時に、カミヤマ以外に同様の体験を語っている人物は無い。 ソース1 週刊新潮2004年(平成16年)12月16日号の48頁に掲載の記事(アシュラに転載されていたもの) http //www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/123.html 特集 アメリカで出版「池田大作ヨイショ本」の見え透いた作られ方 から抜粋 ギャンブル氏は、少なくとも2度来日している。日本語を全く解さないため、必然的に日本に駐在する外国人特派員らが取材対象となった。 取材を受けた米国人ジャーナリストが言う。 「ギャンブル氏は、私の知人である2人のジャーナリストの名を挙げてアプローチしてきました。 “日本の週刊誌について本を書こうと思っている。インタビューに応じてもらえれば謝礼を払う用意がある”と。いきなり金の話をされて驚きました。(後略)」 なお、、ギャンブル氏にアプローチされたと証言した、この米国人ジャーナリストの名は、記事中には無い。 ソース2 次のカミヤマの記事 「Number 1 Shimbun」2008年1月号 Vol. 40, Issue - January 2008 Getting the Word Out PDF版 http //www.e-fccj.com/files/n1s_200801.pdf WEB版 http //www.e-fccj.com/node/3121 Professional discourtesies thanks for the ingratitude (by Masuo Kamiyama,freelance translator PDF版17項)より抜粋 なお、訳文中の()内は原語にあるニュアンス、<>内は原語のニュアンスと前後の文脈からの推定である。 注1 記事中に名前はでてこないが、文中にあるアメリカ人フリーライターは、Adam Gamble(前出のギャンブル氏)と推定される。(理由は補足で示す) An American freelance writer approached me about a book project related to Japan’s weekly magazines – a subject with which I have some familiarity. He dropped the names of two FCCJ regular members who I know well. アメリカ人フリーライター<*注1参照>が、私<カミヤマ>が熟知している分野である、日本の週刊誌に関連した本の企画について、話を持ちかけてきた。 彼は私がよく知っている2人のFCCJ正規会員の名を(私を信用させるために)だしてきた。 After several trips down to Yurakucho to provide him with clippings and other materials, he offered me money, an unprecedented act of generosity that immediately put me on my guard. 彼<アメリカ人フリーライター>に切り抜きや他の材料をもたらしてくれる、何回かの有楽町詣の後に、 彼<アメリカ人フリーライター>は私<カミヤマ>にお金の話(何か<おそらく情報>を買い取る話)をしてきたが、 それは直ちに私に警戒心を持たせる<ほどの>寛大な思し召しからなる、空前絶後の行動だった。 補足 ギャンブル氏とアメリカ人フリーライターは同一人物 以下に示す2つの補足により ソース1のギャンブル氏とソース2のアメリカ人フリーライターは同一人物と推定される。 ソース1の補足 ソース1で、ギャンブル氏が書こうとしていた本とは A Public Betrayed An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West by Adam Gamble (Author), Takesato Watanabe (Author) 2004 ギャンブル氏の本の内容は、同じくソース1の新潮の記事から抜粋 創価学会の池田大作名誉会長を「目本で最も尊敬される人物」と紹介し、返す刀で目本の週刊誌への批判をこれでもかと列挙した本とある <本書のケーススタディは、もっぱら週刊新潮と週刊文春に焦点を絞っているが、これは2つの理由からである これら2つの出版物が、特にジャーナリズム倫理の重大な違反者であること、そして日本で最も影響力のある週刊誌だと広く認められているからである> 創価学会の池田大作名誉会長について、本誌が書いた記事のいくつかを「偽りの嫌疑」と断罪している。 ソース2の補足 ソース2での、「アメリカ人フリーライターとその本の企画意図」についてのカミヤマの記述の抜粋 he had contributed articles to a newsletter with ties to one of Japan’s “new religions.” (And a very wealthy one I would add.) 彼<アメリカ人フリーライター>は日本の「新興宗教」の1つ―付け加えれば、非常に裕福な新興宗教教団―と結びいているニュースレターに、記事を(複数)寄稿していた。 This particular sect was well-known for its adversarial relationship with Japanese weekly magazines, and it soon became clear he had undertaken the book project to denounce the weeklies before a foreign audience. この件のセクト(宗派教団*注2参照)は、日本の週刊誌との敵対関係について、よく知られていて、 彼<アメリカ人フリーライター>が、外国人の聴衆の前で週刊誌を糾弾するために、この本の企画を使命としていたことが、すぐに明白になった。 この後、カミヤマは申し出を断ったと書いている。 注2 sect (セクト)とは、例えばキリスト教や仏教などの大枠内での、ある宗派や分派の教団や集団のこと。 関連ページ WaiWaiの記者一覧 カミヤママスオは共同ペンネームか? サイトマップ 架空人物?紙山増男って誰だ?
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カミヤママスオ 共同ペンネーム説 シュライバー説と共に有力な説の一つが共同ペンネーム説。 カミヤママスオが誰なのかを明らかにしないのは何故なのか。特定の外国人記者であれば、名前を出してもかまわないのではないかと思える。 だが、外国人記者だけではなく、日本人の執筆者が含まれていて、さらに、社内の重要人物が一部の記事を書いていたとしたら。 カミヤママスオの問題はどれくらいの重要性を持っているのか。 おそらく共同ペンネーム説が真実であった場合には、この問題の追及は新たな火種となります。 以下では、まだ作成中の部分も多いですが、とりあえずアップしておきます。修正・加筆お願いします。 日本人執筆者の可能性と抗日戦争記念館訪問記(シュライバー説との矛盾) カミヤマ・マスオの抗日戦争記念館訪問記では、現地の人と話をすることができないため、結婚パーティで誰かにタクシーを手配してもらい、現地の人との会話もしないような雰囲気である。中国語はダメだが、他の外国語を話すことができるというのだ。他の外国語とは英語の可能性が高い。訪問記の執筆者は日本語と英語が話すことができるということになる。 だが、インタビューによると、マーク・シュライバーはアジア好きということもあって、日本語だけではなく、北京語を話すと彼自身が証言しているのだ。だとしたら、この記事に限ってはシュライバーではない誰か別の人物の執筆ということになる。 では、この訪問記を書いた記者は誰なのか。 下記の2chへの書き込みでは、海外特派員の持ち回りではないかとの説が出たが、日本語の雑誌記事を元に執筆されているので、赴任先で書くことはないだろう、とこの説は否定された。だが、海外特派員経験のある本社勤務の記者であるとしたらどうだろう。カイロやニューヨークなどの赴任の経験のある50歳以上の記者で、英語で書く能力も持っている。もしかすると、年齢から現在は重要なポストについているかもしれない。だが、日本で記者をしていた人物の可能性も完全には否定しきれない。 主要執筆者と日本人執筆者の共同ペンネーム 現在有力視されているのはマーク・シュライバー説であるが、共同ペンネーム説はシュライバー説を一部で採用しながら、他の執筆者の存在を想定している。シュライバー説では、多くの証拠からシュライバーとの関連が指摘されており、かなり有力な説である。→カミヤママスオはアメリカ人? だが、シュライバーがメインだとしても、一部の記事については日本人記者が匿名を利用して記事を書いた可能性がある。 シュライバー執筆と推定できる記事と、シュライバー以外の人物が書いたと思われる記事を区別することが重要である。 抗日戦争記念館訪問記は日本人執筆者であるとの指摘があるが、これ以外の記事についても洗い出していく必要がある。 WaiWaiの変遷との連関 カミヤママスオ名義の記事は、英字紙時代には6本の記事が書かれたに過ぎない。その後、ウェブ上に発表の場が移ると、Masuo Kamiyamaの執筆数が増大する。 初期の草加批判のカミヤママスオ、ウェブ版で大量の風俗ネタの記事を書いたカミヤママスオ(シュライバー説)、抗日戦争記念館訪問記のカミヤママスオ。 現在のところ、漠然と三種類のカミヤママスオがいる。 草加批判は誰の手によるのか メインの外国人記者は草加批判をしていないのではないか。この記事の目的が何なのかがよくわからない点がある。海外向け、日本在住の外国人向けに、草加の問題を注目してもらおうとしたのだろうか。あるいは、執筆者にとってはとても重要な問題であったが、それを書く場所がなかったことから、WaiWaiの記事にしたのだろうか。 外国人でもトルシエのように日本のセクトとして批判する人々もいるため、外国人記者でも草加批判をしていたとしてもおかしくはない。ただ、マーク・シュライバーは草加に対してどのように考えているのか、検証できる資料が現在のところはない。 Masuo Kamiyamaは初期の記事で草加批判を繰り返していた。東村山問題を指摘するなどかなり執着している。 その流れからすると、草加寄りの本の執筆への参加を拒否したことはなっとくできるが、Masuo Kamiyama名義の記事を知らないで、近寄ってきたというのが真相だろう。ギャンブル氏はMasuo Kamiyamaに声をかけたのではなく、外国人記者の誰かに声をかけてきた。 カミヤママスオの正体がわかったとき、草加批判者としても認識されることになる。もしメインの外国人記者が草加批判をしていなければ、彼はこの記事は別の人物の執筆だと指摘することになるだろう。 2chでの共同ペンネーム説 http //changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1216117716/ 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事84 920 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 03 07 ID +lEHUiwCO カミヤママスオの謎ときに関して。 既出だったらスマソ。 競馬記事なんかだと『覆面記者』みたいな感じで、 一つのコラムを複数記者が持ち回りで担当することはよくあります。 私が以前勤めていた新聞社では、編集局内各部の部長、デスクが持ち回りしていたコラムもありました。 waiwaiの場合、英文なので同じパターンに当て嵌まるとは思えないけど 海外特派員の持ち回りってのは有り得るかもしれないですね。。。 921 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 05 08 ID uf2X+XKR0 共有ハンドルってヤツかー そゆコテが、過疎板とかには滅茶苦茶多いw 922 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 05 38 ID a59rHUwg0 920 海外特派員って waiwai編集部は毎日本社ビルの中でしょ? 923 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 09 00 ID +lEHUiwCO 922 世界各地にいる海外支社の記者の持ち回りかな? との予想です。 926 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 10 46 ID a59rHUwg0 923 いや、日本で出してるエロ雑誌の英訳+捏造でしょ? 日本に居なきゃネタ入手出来ないんじゃない? 927 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 11 34 ID sNn7Bofm0 単なる脱税用か裏金作り用の偽名でしょ カミヤママスオは工作員が 一番触れられたくないみたいだから 928 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 12 05 ID oGqOa9Um0 一つ確実に言えることは カミヤママスオの正体がばれると、毎日にとって非常に都合が悪いということ。 どうしても隠さなければならない理由がある。 932 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 21 28 ID 8HdtVCSm0 カミヤマの文体なんだけど、記事によって印象が違うんだよね。 「女子大生売春婦は、ハッピーなキャンパーたちにテントを張らせる」 http //www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/157.html こっちは、ノリノリでこなれてた感じなのに、 「色欲にまみれた女性がスピンのために4体の男のオモチャを使う」 http //www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/210.html こっちは、日本人が書きそうな硬い英語のような気がする。 共同ペンネーム説なのかな?英語に詳しい方の意見も聞いてみたいです。 http //money6.2ch.net/test/read.cgi/editorial/1217600484/10 http //209.85.175.104/search?q=cache PGnSlYymoowJ money6.2ch.net/test/read.cgi/editorial/1217600484/10+%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%80%80%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%A0 hl=ja ct=clnk cd=3 lr=lang_ja(キャッシュ) 5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/03(日) 07 25 20 ID rs81a1aA0 15. カミヤマ・マスオについて 2008年07月25日 04 31 私はカミヤマ・マスオ(紙山増男)について非常に興味があります。 ご存じのように、カミヤマ・マスオ名で変態記事が配信されております。 また、ライアン・コネルらと共著で英語版タブロイド・トーキョー2に「紙山増男」の名前が挙がっております。 FCCJ(日本外国特派員協会)サイトへの「Masuo Kamiyama」名での投稿もあります。他にも検索するとたくさんヒットします。 毎日新聞社はカミヤマ・マスオについて「ペンネームで、日本人のフリーライター」と答えたり、あるいは「知りません」と答えたりしています。 しかも、答える際上司に相談しに行く模様で、動揺も感じられるそうです。 つまり、毎日新聞社はカミヤマ・マスオについて知られるのを嫌がっているのです。 漢字表記で「紙山増男」となるとおり、ペンネームであることはほぼまちがいないでしょう。 しかし、日本人のフリーライターであるとすると、FCCJの関係でちょっと引っ掛かります。 それを回避するには、カミヤマ・マスオが複数の者が用いる共通ペンネームであるという推測もなりたちます。 毎日新聞社は抽象的な外国人記者なるものに責任を押しつけ、幹部はチェックミスだなどと言って過失を強調しているようです。 しかし、もしカミヤマ・マスオが共通ペンネームで、その中に毎日新聞社の社員あるいは役員が含まれていたとしたらどうでしょう? その場合、デジタルメディア事業部が組織的かつ故意に本事件に関与していたことになるのです。 そうであるとするなら、上述の疑問が説明できます。 以上はあくまでも仮説に過ぎませんが、訴訟遂行上なにかのご参考になればと思い、愚考を長々と記述いたしました。 裁判応援しておりますので頑張ってください。 関連ページ WaiWaiの記者一覧 カミヤマ・マスオの抗日戦争記念館訪問記 サイトマップ 架空人物?紙山増男って誰だ?
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「カミヤマ・マスオの抗日戦争記念館訪問記」 "If You’re in Beijing This Summer. . . by Masuo Kamiyama" 原文(http //www.e-fccj.com/node/3537) スティーブン・スピルバーグの架空の兵士「ライアン」は誰でも知っている。だが「志村菊次郎二等兵」と聞いても、誰なのか思い当たる人はいない。彼はハリウッド映画で有名になったわけでもなく、(ライアンのように)救出劇があったわけでもない。1937年7月7日の夜、蘆溝橋で志村二等兵は一時的に行方がわからなくなった。最初は「消息不明」とされたが、実は夜に便所に行って道に迷ったのだった。だが、ことは日本と中国国民党政府の全面衝突に発展したのである。何が実際に起こったのか、そして衝突が故意に引き起こされたのかどうかに関して歴史家やイデオロギー論者が今日まで論争を続けている。だがいずれにせよ1939年9月1日のナチス・ドイツのポーランド侵入の日には、上海の戦闘や南京大虐殺事件はすでに過去のこととなっていた。 去年の7月に私は友人の結婚式に出席するため北京にいた。そして、結婚式の日取りである吉日の2007年7月7日が日中戦争勃発の70周年と重なることに突然気がついた。 披露宴は午後二時前にはお開きになったので、あたりを見て回る時間はたっぷりあった。中国人の友人がエアコンつきのタクシー(ものすごく暑かった)の運転手と交渉し、往復5,000円くらいで話をつけた。私たちは環状道路を橋に向かった(橋は北京の南西のフォンタイ地区にある)。 1937年夏、盧溝橋は北京と武漢をつなぐ平漢線の要所であり、北京と南方の国民党支配地域を連絡する唯一の通路として警備されていた。橋の東側の宋哲元指揮下の中国軍は日本軍の北京占領を阻止せよと命令を受けていたが、装備も訓練も不充分であり、奮戦もむなしくその後の衝突で16700名程度の死傷者を出した。日本側の損害は比較的軽微だった。 午前中に行なわれた記念式典は見逃したが、そこを訪れるにあたり、70周年とはよい機会である。式典では、そこでの戦闘に参加した国民党の老兵士が特別に顕彰されたが、これはそれとなく台湾との関係改善のジェスチャーとしての意図があったのかも知れない。私の1980年の前回の訪問以来、橋とその周辺はかなり化粧直しされていた。また現在そこには、1987年7月7日に開館した抗日戦争記念館がある。 70周年記念ということで博物館の入場料の25元(376円)は無料だった。蒸し暑い天気にもかかわらず、大勢の(だがみな行儀がよかった)群集が集まっていた。インターネットの英語の解説では、この博物館は「3,800枚の写真、資料、および5,000の遺物を収容している。大ホールは抗日戦争全体の経過を展示している。特別展示は、悪名高き731部隊や南京大虐殺を含めた日本軍の残虐行為の再現ジオラマである 」とのことだ。 展示はだいたい年代順に陳列してある。表題と説明は明らかに中国国内向けのものだが、現代中国の歴史に関する基礎知識があれば、少ない外国語での説明からでも見ているものは理解できる。見学者はいつまでいてもいいし、ストロボの使用も許可されている。 林彪指揮下の共産党八路軍の勝利を称賛する一方で、博物館は蒋介石の国民党と当時の中国の同盟国の貢献も大いに認めている。国民党の旗が、星条旗(星は48個である)とともに天井から吊り下がっている。展示の中には義勇兵だったアメリカ軍の飛行士たちの飛行服があり、その背中には敵対地域で撃墜された場合の救助要請を中国語で記してある。また捕獲された刀やその他、日本軍の武器のみごとなコレクションも目にはいる。出口の近くの大きい壁画は、1945年9月9日に南京中央軍官学校講堂で行われた中国の日本軍の降伏調印式である。日本の岡村寧次司令官が、各国の代表の見ている前で中国陸軍総司令何応欽に署名した降伏文書を手渡しながら頭を下げているところが描いてある。 壁画のすぐ下には実際の式典に使用された机と椅子がある。 入り口の上部にある表示の一つにはこうあった。「南京大虐殺の同胞犠牲者30万人以上」。その一方でこの博物館のアプローチは、数百万の犠牲者の各個人レベルに光をあてようとしていたイスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト記念館の手法とは根本的に異なっていた。 ここの展示は、表から感情レベルに訴えようとするものではなかった。メッセージはむしろ、戦争と今日に至るまでの日中関係の主要な出来事に焦点をあてていた。 博物館の正面玄関にある石碑には「前事不忘,後事之師」と読めた。 蘆溝橋への旅は真剣な学習体験であり、価値のある見学旅行であった。 原文 http //www.e-fccj.com/node/3537 If You’re in Beijing This Summer. . . by Masuo Kamiyama Masuo Kamiyama visits a museum commemorating the Sino-Japanese War on the 70th anniversary of the start of the conflict The name Private Second Class Kikujiro Shimura probably doesn’t ring any bells. Unlike Steven Spielberg’s fictitious Private Ryan, this unsung Japanese soldier has not been immortalized in a Hollywood blockbuster. Nor, apparently, had he needed to be rescued. On the night of July 7, 1937, Shimura’s temporary disappearance at the Marco Polo Bridge (Lugouqiao in Chinese) ? he was first reported missing but apparently became disoriented after a nocturnal visit to the loo ? precipitated full-scale hostilities between Nationalist China and Japan. Historians and ideologues argue to this day as to what actually happened, and whether or not the conflict was deliberately instigated. In any case, by the time Nazi Germany invaded Poland on Sept. 1, 1939, the Battle of Shanghai and Nanjing Massacre were already history. Last July, I found myself in Beijing to attend a friend’s wedding and suddenly recalled that the auspicious 7-7-07 wedding date coincided with the 70th anniversary of the Sino-Japanese War’s outbreak. The reception ended a little after 2 p.m., leaving me with plenty of time for an excursion. A Chinese friend negotiated a round-trip arrangement with the driver of an air-conditioned taxi (it was oppressively hot and muggy), and for the equivalent of about \5,000, we took the ring road to the bridge, which is located in the Fengtai district on Beijing’s southwest. In the summer of 1937, the Lugou Bridge was the choke point of the Pinghan Railway connecting Beijing and Wuhan, and guarded the only passage linking Beijing to Kuomintang (Nationalist Chinese)-controlled areas to the south. The Kuomintang forces on the east of the bridge, commanded by Gen. Song Zheyuan, were under orders to prevent the Japanese from occupying Beijing. Poorly trained and equipped, their efforts proved futile, and in the engagements that followed, the Chinese suffered some 16,700 casualties, compared with relatively light Japanese losses. Seventy years later turned out to be a good time for a visit, although I just missed the official anniversary ceremonies held earlier that morning. At the event, elderly Kuomintang soldiers who had fought at the bridge were accorded special honors, which the Chinese government may have intended as a subtle gesture at rapprochement with Taiwan. Since my previous visit in 1980, the bridge and vicinity had undergone a considerable facelift. It is now also home to the Memorial Museum of Chinese People’s Anti-Japanese War, which opened on July 7, 1987. To commemorate the 70th anniversary, the museum’s entrance charges (25 yuan, or \376) had been waived that day, and a large, but a well-behaved crowd had turned out despite the sweltering weather. According to English-language information from the Internet, “The museum houses 3,800 photos and materials, and 5,000 cultural relics. The comprehensive halls display the whole process of Anti-Japanese War. The specialized exhibition on Japanese army’s atrocities includes the recovered scenes of notorious 731 bacteria army [sic] and Nanjing Massacre.” The displays appear to be arrayed in a loose chronological order. The themes and explanations are clearly set up for domestic consumption, with few explanatory details in foreign languages, but anyone with a basic knowledge of modern Chinese history will recognize what they’re seeing. Visitors are free to linger as long as they like, and flash photography is permitted. While praising the victories of the 8th Route Army commanded by Communist Gen. Lin Biao, the museum fully recognizes the contributions of Chiang Kai-shek’s Nationalists and China’s wartime allies. In addition to America’s Stars and Stripes (with 48 stars), which hangs from the ceiling beside the flag of Nationalist China, the display includes a U.S. Army Air Corps pilot’s jacket bearing written instructions in Chinese requesting assistance in case his plane were downed in a hostile area. Also on view is an impressive collection of swords and other captured Japanese military hardware. A large mural near the exit depicts the surrender ceremony of Japanese forces in China, which took place at the Central Military Academy in Nanjing on Sept. 9, 1945. Japanese Lt. Gen. Yasutsugu Okamura is shown bowing as he hands the signed surrender document to Chinese Gen. Ho Ying-chin, as representatives of the Allied powers look on. Immediately beneath the mural are the tables and chairs used in the original ceremony. While one sign over an entranceway reads, “More than 300,000 of Our Compatriots Perished at the Great Nanjing Massacre,” this museum’s approach differs drastically from Israel’s Yad Vashem, where a great effort has gone into distilling the larger tragedy of the Holocaust down to the level of its millions of individual victims. Here, the displays do not overtly pander to the emotions. The message, rather, focuses mainly on major events during the war and Japan-China relations up to the present day. A carved stone memorial outside the museum’s main entrance reads, “Qian shi bu wang, hou shi zhi shi (Past experience, if not forgotten, is a guide for the future).” A visit to the Marco Polo Bridge offers a sober learning experience indeed, and one very much worth seeing. 463 :名無しさん@九周年:2008/07/15(火) 23 49 04 ID PsyulDXB0 391 http //mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1216107247/292 カミヤママスオ:友人の結婚式(中国共産党幹部の息子のかも。毎日新聞として出席。肩書き隠蔽の為、友人を詐称?) 中国語は喋れない。中国の友人とは中国語以外で意思疎通。友人は中国語ができる。カミヤマは50歳以上(1980_22歳) エロ英語をスラスラ書く能力があるのかどうか。 中国人の友人がエアコンつきのタクシー(ものすごく暑かった)の運転手と交渉し、 盧溝橋になぜ1980年に(取材?)に行ったのか。 ttp //www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/211.html 私の1980年の前回の訪問以来、橋とその周辺はかなり化粧直しされていた。 ttp //209.85.175.104/search?q=cache dJZTu_dCivkJ minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-214.html+1980%E5% B9%B4+731%E9%83%A8%E9%9A% 8A hl=ja ct=clnk cd=2 gl=jp 七三一部隊については、1980年に森村誠一の『悪魔の飽食』が赤旗の日曜版に連載され 1980年7月19日 - 1980年8月3日)は、ソビエト連邦(現・ロシア連邦)の首都モスクワで行われた夏季オリンピック 1980年2月13日から1980年2月24日)までアメリカ合衆国ニューヨーク州のレークプラシッドで行われた冬季オリンピック。 朝比奈豊氏: エロ英語をスラスラ書く能力があるのかどうか。 下ネタを mainichi daily news に引用(多少改編)紹介掲載しよう(してもよいの許可)の発想はどこからきたのか。 ーーー ーーー ---- 俺がアメリカ駐在記者だとする。日本本社へお堅い政治記事は新聞からソース付で引用。 穴埋め記事の要請には、風俗(下ネタではない)を適当に雑誌で見繕って、最近はこんなのが はやってんですよ。と、現地レポートを記事に。いまは、朝方ニューヨークレポートをTVアナウンサーが やっている。取材というより、雑誌記事をなぞる(パクル)。対人取材より、現地記事引用(多少改編)紹介。 この記事のポイント Masuo Kamiyamaとは誰なのか。複数の書き手の存在の可能性も指摘されているが、 この記事は50歳以上の日本人記者が書いた可能性がとても高く多くの証拠を残している。 2007年7月7日に北京で結婚式に出席。(この時期に中国へ行った人物は?) 1980年に盧溝橋を訪れたことがあるため、年齢は推定で52歳以上。 イスラエルのホロコースト記念館を見学。(中東特派員、もしくは、ユダヤ人問題に関心?) 中国語はしゃべれず、他の国の言葉(英語か?)を話すことができる。 志村菊次郎二等兵に触れているため、歴史的知識がある。 マーク・シュライバー インタビューによると、シュライバーは北京語を話すので、この記事に限り、シュライバーではない。 共同ペンネーム説を裏付ける記述内容。詳しくは。→カミヤママスオは共同ペンネームか? 関連ページ WaiWaiの記者一覧 カミヤママスオは共同ペンネームか? サイトマップ 架空人物?紙山増男って誰だ?
https://w.atwiki.jp/morikasise/pages/75.html
証拠物件
https://w.atwiki.jp/ytr72/pages/58.html
証拠物件
https://w.atwiki.jp/gods/pages/39442.html
オオカミヤマ(大神山神) 大神山神社の祭神。 祭神とする神社: 大神山神社(鳥取県西伯郡)
https://w.atwiki.jp/xela/pages/73.html
証拠物件
https://w.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/64.html
マスオ・カミヤマ(Masuo Kamiyama)サイトへの寄稿者のうちの1人のペンネームとの情報 日本外国特派員協会のサイトより マスオ・カミヤマはアメリカ人? 紙山増男=ライアン・コネル説 カミヤママスオ 共有ペンネーム説 紙山増男=マーク・シュライバー説 カミヤママスオ は アナグラム? 南京大屠殺70周年記念日に北京に行っていた カミヤママスオカミヤマ・マスオの抗日戦争記念館訪問記 毎日新聞以外での カミヤママスオの記名記事 ライアン・コネルの証言 英字新聞でのMasuo Kamiyamaの記事リスト 関連ページ マスオ・カミヤマ(Masuo Kamiyama) コネルにつぐwaiwaiの主力執筆者。カミヤマはペンネームで本名・国籍ともに不明。 ペンネームに日本名を使っているが、毎日新聞は「外部の外国人ライター」と説明している。 社団法人・日本外国特派員協会(FCCJ) 会員。同協会ウェブサイトの他の会員が氏名・身分を 明らかにしている欄で、「カミヤマ・マスオ」に限り「これは仮名である」と記載されている のみである。ペンネームで日本人を装ったり、厳重に本名を隠す理由は説明されていない。 彼は同協会の出版物に記事を掲載している。 ※このページタイトルでは「紙山増男」としているが、Masuo Kamiyamaの正しい日本語名であるかどうかは不明。 問題となったwaiwaiのコーナーにあった記事は ライアン・コネル というオーストラリア人と Masuo Kamiyamaという日本人らしき人物が執筆していた。 スレでは架空人物では?偽名では? 複数人で編集しているのかも、などという憶測が飛び交い、 サイトへの寄稿者のペンネーム(本名でない)という説もあり、 依然として結論は出ていない。 サイトへの寄稿者のうちの1人のペンネームとの情報 "Masuo Kamiyama"は当該サイトへの寄稿者(Contributors)10人のうちの 1人のペンネーム(Pseudonym)だそうです。 http //www.fccj.or.jp/~fccjyod2/node/3534 それ以上の情報はここには記載されていませんでしたが 他の寄稿者9人はいずれも西洋系の名前の人たちでしたので (寄稿者は必ずしも特派員ではなく、日本在住外国人が多いようです) "Masuo Kamiyama"も同様に 少なくとも日本人ではなく日本在住外国人である と考えるのが自然だと思われます。 なお、「紙山増男」という漢字は、いい加減に推測しますと (無駄に)紙を山のように増やす男 とでもいうような意味の筆者本人の当て字ではないでしょうか。 以上ここのwiki管理人が受け取ったメールより。 (まとめる時間がないのでそのまま転載します。情報提供ありがとうございます!) 紙山増男はペンネームであることはほぼ間違いなく、 日本に在住している外国人の可能性がどうやら高いようです。 (※共同ペンネーム説も同様に有力です。) 日本外国特派員協会のサイトより 日本外国特派員協会(FCCJ The Foreign Correspondents Club Japan)のサイトhttp //www.e-fccj.com/node/3534より引用 MASUO KAMIYAMA is a pseudonym. MASUO KAMIYAMAはペンネーム マスオ・カミヤマはアメリカ人? カミヤママスオはアメリカ人? 紙山増男=ライアン・コネル説 128 名前:名無しさん@全板トナメ参戦中[sage] 投稿日:2008/06/23(月) 12 10 59 ID rVL8xpkr0 102 カミヤママスオ=コネルかなり濃厚 今見つけたんだけど 外国人記者クラブのネット発行物 No.1 Shimbunの最新号にカミヤママスオの記事があります http //www.fccj.or.jp/~fccjyod2/publications/no1shimbun 寄稿した人間全員の名前と経歴がここにある http //www.fccj.or.jp/~fccjyod2/node/3534 が、 MASUO KAMIYAMA is a pseudonym. とカミヤママスオは仮名であるとしか書いてない 書いてる記事も「北京の抗日戦争記念館に行ってみそ」な記事 コネルの本出した時にいたのは記者クラブでいたのは外人3人 カミヤママスオの他の記事みてもあまりにも英語が流暢 コネル=カミヤママスオと見るべきかと 自宅に今うるさい子供がいるので外国人記者クラブにカミヤママスオが何故仮名で本名も所属も あかされてないのか、 コネルじゃないのか英語で電凸したいんだけどできないしこれから出掛けるんで 帰って来てからメル凸しとく コネル=カミヤママスオだと増々毎日の責任が問われると思う カミヤママスオ 共有ペンネーム説 http //changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1216117716/ 「日本の母は息子の性処理係」毎日新聞が捏造記事84 920 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 03 07 ID +lEHUiwCO カミヤママスオの謎ときに関して。 既出だったらスマソ。 競馬記事なんかだと『覆面記者』みたいな感じで、 一つのコラムを複数記者が持ち回りで担当することはよくあります。 私が以前勤めていた新聞社では、編集局内各部の部長、デスクが持ち回りしていたコラムもありました。 waiwaiの場合、英文なので同じパターンに当て嵌まるとは思えないけど 海外特派員の持ち回りってのは有り得るかもしれないですね。。。 921 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 05 08 ID uf2X+XKR0 共有ハンドルってヤツかー そゆコテが、過疎板とかには滅茶苦茶多いw 922 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 05 38 ID a59rHUwg0 920 海外特派員って waiwai編集部は毎日本社ビルの中でしょ? 923 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 09 00 ID +lEHUiwCO 922 世界各地にいる海外支社の記者の持ち回りかな? との予想です。 926 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 10 46 ID a59rHUwg0 923 いや、日本で出してるエロ雑誌の英訳+捏造でしょ? 日本に居なきゃネタ入手出来ないんじゃない? 927 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 11 34 ID sNn7Bofm0 単なる脱税用か裏金作り用の偽名でしょ カミヤママスオは工作員が 一番触れられたくないみたいだから 928 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 12 05 ID oGqOa9Um0 一つ確実に言えることは カミヤママスオの正体がばれると、毎日にとって非常に都合が悪いということ。 どうしても隠さなければならない理由がある。 932 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 10 21 28 ID 8HdtVCSm0 カミヤマの文体なんだけど、記事によって印象が違うんだよね。 「女子大生売春婦は、ハッピーなキャンパーたちにテントを張らせる」 http //www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/157.html こっちは、ノリノリでこなれてた感じなのに、 「色欲にまみれた女性がスピンのために4体の男のオモチャを使う」 http //www8.atwiki.jp/mainichi-matome/pages/210.html こっちは、日本人が書きそうな硬い英語のような気がする。 共同ペンネーム説なのかな?英語に詳しい方の意見も聞いてみたいです。 共同ペンネーム説は有力な考え。英文表現の違いの検証で明らかになる可能性がある。 下記の抗日戦争記念館訪問記は日本史の知識から執筆者が日本人であるとの指摘もある。 メインの執筆者が外国人で、一部の複数の記事を多数の日本人執筆者が執筆していた可能性あり。 共同ペンネームの場合、日本人執筆者にまで波及して、問題が大きくなる。 詳しくはカミヤママスオは共同ペンネームか?を参考に。 紙山増男=マーク・シュライバー説 現在有力な説の一つ。 情報お願いします。 カミヤママスオはアメリカ人?も参考に。 (※共同ペンネーム説も同様に有力です。) カミヤママスオ は アナグラム? 64 :可愛い奥様:2008/06/25(水) 04 28 58 ID mG5i+E830 「紙山増男」というのは文字を並べ替えたアナグラムじゃないでしょうか。 たとえば、 KAMIYAMA MASUO ↓ OKAYAMA MASUMI YAMAOKA MASUMI MIYAMA, MASUOKA (みやま ますおか) だとか、 一文字余りますけど、 AOYAMA SUMIKA AMAMIYA OSAMU とかね。 いろいろ組み合わせがありそう... 南京大屠殺70周年記念日に北京に行っていた カミヤママスオ カミヤマ・マスオの抗日戦争記念館訪問記 172 名前:文責・名無しさん[sage] 投稿日:2008/06/23(月) 16 59 53 ID PH0pwF2V0 169 紙山増男 (新聞)紙の山に(囲まれた)マス(メディアの)男 みたいな造語だと思うけどな 彼の名前で書いた記事は2つしか見つからない Professional discourtesies thanks for the ingratitude by Masuo Kamiyam http //www.fccj.or.jp/~fccjyod2/node/3121 プロの不作法:恩知らずのおかげ 日本へ来た海外のジャーナリストに 現地ジャーナリスト(紙山など)が協力しても 何の謝礼もなく帰国逃げされることがあることを 経験を元に、ローカル記者としての心得を説いている If You’re in Beijing This Summer. . . by Masuo Kamiyama http //www.fccj.or.jp/~fccjyod2/node/3537 2007年中国の友人の結婚式に出るために北京に行っていること 南京大屠殺70周年記念日に記念館へ行っていることから 2007年12月にも中国へ行ってるのだと思う この記事は、"もし、この夏北京へいくなら"と言う題名で 盧溝橋や記念館へ行くことを勧めている 記事がアップされたのは2008年6月6日 詳しくはカミヤマ・マスオの抗日戦争記念館訪問記。 日本史の知識から日本人執筆の可能性がある記事。 シュライバー説との検証がもっとも必要。シュライバーがメイン、一部の記事は日本人の執筆という可能性がある。 毎日新聞以外での カミヤママスオの記名記事 145 名前 可愛い奥様  Mail sage 投稿日 2008/07/18(金) 22 01 20 ID Yhxi6djq0 もう既に紹介された方がおられれば重複失礼します。 昨日どなたかが拾ってこられた http //www.fccj.or.jp/files/n1s_200801.pdf を 読みました。これは、FCCJ(日本外国特派員協会の機関紙) "Number 1 Shimbun" 2008年1月1日付で、そのP.17に Masuo Kamiyama名の文章が載っています。 この文章は要するに、英字メディアの日本在住の外国人ライターへの金払いの 悪さを愚痴っているわけですが、その後半(右端カラムの上部)に、金払いの いいやつにも落とし穴があるという経験談が書かれています。 あるとき、Masuo Kamiyamaは、ある米国人フリーライターから、日本の週刊誌に ついての本の執筆を手伝ってくれと誘われます。彼のところに資料を持って行くと 気前よく金をくれるという。かえって不審に思ってググると、彼が日本の、裕福な、 週刊誌と仲の悪い、ある新興宗教とつながりがあることがわかった(宗教名は明記 されてはいませんが誰でもすぐわかりますよね)。そして本の意図が、その宗教の ために海外に向けて週刊誌を非難するものだとわかったので、彼とは喧嘩別れした ・・・だから人をにわかに信用しないでまずググれ・・・みたいな話。 その"Masuo Kamiyama"が今や日本中からググりまくられているのは皮肉なことです。 さてその草加本ですが、たぶんこれのことですね(一部の人には有名らしい) A Public Betrayed An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West by Adam Gamble (Author), Takesato Watanabe (Author) 2004 怪しい米国人はAdam Gamble、もう一人の著者は渡辺武達(これも一部の人には有名らしい) つまり・・・・・Masuo Kamiyamaを庇う気はありませんが、彼は草加嫌いではあるようです。 http //www.fccj.or.jp/files/n1s_200801.pdf 英字紙のカミヤママスオの記事の内容からすると、この本の執筆に参加するとは思えない。 アメリカ人と日本人の二人が執筆していることから、カミヤママスオは外国人と日本人の両方の可能性がある。 ライアン・コネルの証言 WaiWaiにおけるカミヤママスオ担当の記事 ライアン・コネル インタビューからの引用。 People s Pick WaiWaiというコーナーもあって、そこでは読者が見出しの候補リストの中から 好きな記事を選ぶオンライン投票でトピックが決定されて、カミヤママスオが書き上げるんだ。 ここで、ライアン・コネルは特定の人物をカミヤママスオとして指しているような言い方をしている。 WaiWaiの記事製作の分業が行われていたと考えられる。マスオ=コネル説が間違っていることになる。 毎日新聞以外でのカミヤマ氏の記事を貼っておきます。 1. http //www.atimes.com/media/AA12Ce02.html January 12, 1999 Media/Technology Zipangu vs. The New York Times By Masuo Kamiyama 2. http //www.atimes.com/media/AB02Ce01.html February 02, 1999 Media/Technology MEDIA WATCH Weeklies spar over crime of the century By Masuo Kamiyama 3. http //www.atimes.com/media/AB23Ce01.html February 23, 1999 Media/Technology MEDIA WATCH Gang-boosters? By Masuo Kamiyama 4. http //www.atimes.com/japan-econ/AB27Dh01.html February 27, 1999 Japan Economy Japan s taxis face a bumpy ride ahead By Masuo Kamiyama 5. http //www.atimes.com/media/AA30Ce02.html March 20, 1999 Media/Technology MEDIA WATCH Japanese weeklies compete with their war warnings By Masuo Kamiyama 6. http //www.atimes.com/japan-econ/BD06Dh01.html April 6, 2000 Japan NIPPON Plot of a generic oriental potboiler novel By Masuo Kamiyama Mark Schreiber記名の「Zipangu vs. The New York Times」 Mark SchreiberとWilliam Wetherallの共同サイト熱烈な東洋(The Steamy East)に Mark Schreiber記名の記事「Zipangu vs. The New York Times」が有る。 Masuo Kamiyama記名のAsia Times「Zipangu vs. The New York Times 」とほぼ同じ。 http //members.jcom.home.ne.jp/steamyeast/schreiber/Zipangu_1998_japan_made_in_usa.html Zipangu vs. The New York Times Japanese rise in defense of their country s image By Mark Schreiber A version of this article appeared in Mainichi Daily News, 16 November 1998, page 6 英字新聞でのMasuo Kamiyamaの記事リスト 1 19950528 Strong parallels between AUM, Soka Gakkai revealed Shukan Jitsuwa 6/8 創価学会は脱会者の脅迫、いじめ中止 MK(Kamiyama Masuo) 2 19950702 Foreign hookers converge on Chiba in search of the mighty yen Shukan Jitsuwa 7/7 金髪美女乱交パーティーの大盛況ルポ MK(Kamiyama Masuo) 3 19950806 A power to be reckoned with (While the voter turnout in the recent Upper House election was disappointingly low, the intensity of feelings about its outcome was not. As reported by the weeklies, a major controversy looms over the influence of Soka Gakkai Monthly Hoseki, Shukan Shincho, Shukan Jitsuwa, Aera, Shukan Bunshun, Shukan Gendai, Shukan Hoseki 8/3, 8/10, 8/7, 8/3, 8/12, 8/10 - MK(Kamiyama Masuo) 4 19950910 The deepening mystery of an assemblywomen s death Shukan Hoseki 9/21 反創価学会の“闘士”女性市議が異常な「転落死」! MK(Kamiyama Masuo) 5 19960204 Utsunomiya residents in uproar over religious group s invasion Shukan Gendai 2/10 幸福の科学「栃木進出」に宇都宮市民が猛反発! MK(Masuo Kamiyama) 6 19990418 Police padding books with payouts to phony informers Friday 4/23 これが警視庁「裏ガネ作り」の手口! MK(Masuo Kamiyama) 7 19991114 The things some people will do for a quick buck Shukan Post 11/19 バカウケ!世紀末珍商売総まくり MK(Masuo Kamiyama) 8 20010218 Rip-off artists take glitter out of Sapporo night life Shukan Jitsuwa 2/22 「ぼったくりのプロが「地方」で荒稼ぎする大胆手口 MK(Masuo Kamiyama) 110 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2008/08/18(月) 10 32 56 ID ??? 毎日新聞は、カミヤママスオを「外部の外国人ライター」と説明している。 しかし、英文毎日編集部とのつながりはライアンより古く、彼の先輩といってもいい。 カミヤマは、英字紙時代1995年から2001年の間の6年間で8回のみ配信している。 その6年間のテーマは、①創価を告発 ②風俗ルポ ③創価を告発 ④創価を告発 ⑤幸福の科学ルポ ⑥警視庁を告発 ⑦風俗ルポ ⑧犯罪ルポ その多くが記者の身に危険が及びそうな相手を告発している記事だ。 関連ページ WaiWaiとは何か? WaiWaiの記者一覧 サイトマップ 毎日新聞の余罪・隠蔽工作
https://w.atwiki.jp/jibunno/pages/785.html
カミヤ 【かみのゆ】【light】(2012-02-24) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart19 387 名前:名無したちの午後:2012/03/08(木) 01 50 35.47 ID 11RaTsoS0 【かみのゆ】 light 主人公 加宮 嘉人(カミヤ ヨシト)・・・名前変更不可 千年屋籐子(CV:美月) 「嘉人」 水本杏里(CV:民安ともえ) 「嘉人くん」 (男女共通) 百々百(CV:まきいづみ) 「よし兄さん」(ロリ) 「嘉人さん」(アダルト) 一番合戦乙女(CV:有栖川みや美) 「加宮」→「嘉人」(強気) 「加宮さん」→「嘉人さん」(弱気) 神品あや乃(CV:みる) 「加宮くん」→「嘉人くん」 中島健(CV:百瀬ぽこ) 「嘉人さん」 三上茂(CV:堀川忍) 「あんちゃん」 三上郁子(CV:水霧けいと) 「嘉人さん」 ※下のサブキャラは出番も少なく、焼き物とダルマなので適当です。 全国の「ヨシト」さん&「カミヤ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 【モナリザカルトガーデン】【雫組(同人)】(2009-08-15) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart14 556 名前:名無したちの午後 :2009/09/01(火) 01 31 40 ID 3hr3LITD0 558 名前:名無したちの午後 :2009/09/01(火) 13 23 07 ID 3hr3LITD0 【モナリザカルトガーデン】【雫組(同人)】 主人公 神谷? …名前変更不可 御木谷モナ (CV:桃華れん) 「かみ」 鷺ノ宮理沙 (CV:胡桃れみ) 「先輩」「かみ先輩」 ゲーム画面の主人公の名前欄は「かみ」。OHPでは主人公の名前は「神谷」だが、 ゲーム内で「神谷」の名は音声・テキストともに出現しない。 モナの「かみ」は3回、理沙の「かみ先輩」は10回足らずと共に少ない。 全国の「カミ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 【アンバークォーツ ~Amber Quartz~】【コットンソフト】(2009-01-23) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart14 773 名前:名無したちの午後:2009/10/15(木) 23 14 43 ID ueB2MAmuO 【アンバークオーツ】【コットンソフト】 主人公 安藤 昴(あんどう すばる) 名前変更不可 持月 なゆた(cv:松田理沙) 「先輩」「お兄ちゃん」 水那倉 智(cv:みる) 「あなた」「スバル君」 姫路 サリナ(cv:蛯原ミサ) 「スバルお兄ちゃん」「昴」「あなた」 時國 弥夜子(cv:風音) 「スバル君」 須賀 恭平(cv:先割れスプーン) 「スバル」 コト(cv:雪都さお梨) 「スバル」 トモ(cv:みる) 「神谷君」 ヒメ(cv:蛯原ミサ ) 「スバルお兄ちゃん」「お兄ちゃん」 ミコ姉(cv:風音) 「スバル君」 キョウ(cv:日向苺) 「スバル」 天龍寺 珠乃(cv:草柳順子) 「安藤先輩」 天宮 晴夫(cv:竹田いづも) 「安藤」「安藤クン」「スバル」 安藤 伊織(cv:一色ヒカル) 「昴」 篠森 明海(cv:青山ゆかり) 「スバル君」 神屋 夏彦(cv:胸肩腎) 「昴」 ???(cv:秋原葉) 主人公を名前で呼ぶシーンは無し クラスメイト「安藤」「安藤君」 予想以上に長かったからあってるかどうか不安。 キャラ名称や並びは公式サイト参照。 トモの呼び方の「神谷君」は昴の旧姓。 両親が離婚した為、名字が変っている。 「スバル」さんおめでとー。 呼ばれる回数少ないけど「アンドウ」「カミヤ」さんもおめでとー。 【オトメスマイル -Otome to Egao to Awaikoi-】【あてゅ・わぁくす】(2008-11-28) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart15 159 名前:名無したちの午後:2010/01/22(金) 19 50 54 ID IfARBazd0 どっちも体験版だけど、報告無いよりはあった方がいいかな? 【オトメスマイル(体験版)】 [あてゅ・わぁくす] 主人公 神谷 裕樹 (かみや ゆうき) 変更不可 天城 雛乃 (CV:中家志穂) 「神谷くん」→「ユウくん」 藤間 睦月 (CV:松永雪希) 「神谷くん」 九重 琴音 (CV:桜川未央) 「神谷くん」「神谷裕樹くん」→「裕樹くん」 樫ノ木 まちか (CV:ヒマリ) 「かみやん」 七星 一菜 (CV:このえゆずこ)「兄ちゃん」 神谷 栄美 (CV:秋葉モモ代) 「裕樹」「神谷くん」 全国の「ユウキ」さんオメデトンヽ(´ー`)ノ 【背徳の学園 ~闇に捧げられた乙女たち~】【Liquid】(2005-07-29) 自分の名前を呼んでくれるエロゲを探せPart5 748 名前:名無したちの午後 :2005/08/09(火) 01 22 07 ID BmklMWL1 【背徳の学園】 【Liquid】 主人公 神谷亮一郎(カミヤ リョウイチロウ) … 変更不可 河村泉美 (CV:芹園みや) <神谷先生> 「神父様」 「ご主人様」 +「智樹(トモキ)」 篠原ほのか (CV:みる) 「せんせい」 「ご主人様」 高見沢優香 (CV:桃井いちご) <神谷先生> 「ご主人様」 +「新堂くん(シンドウ)」 高見沢綾音 (CV:深井晴花) 「神谷先生」 「ご主人様」 +「光一くん(コウイチ)」 倉橋菜々子 (CV:RUMI) <神谷先生> 「ご主人様」 +「佐伯くん(サエキ)」 天野美貴 (CV:こむら奈々) 「神谷先生」 「ご主人様」 小野瀬櫻子 (CV:風音) 「神父様」 「ご主人様」 +「新堂さん」(1回) マリア・アン・ミュラー (CV:上戸琉) <神父様> <リョーイチロー> 「ご主人様」 <>で囲んだものはHシーンで呼ばれなかったものです。 智樹くん、新堂光一くん、佐伯くんは主人公ではありませんが Hシーンで呼ばれていますので入れておきました。 智樹くんはけっこう呼ばれてました。
https://w.atwiki.jp/gods/pages/33546.html
ワカミヤ(若宮) オウジガミの別名。