約 2,001,652 件
https://w.atwiki.jp/akatonbowiki/pages/8595.html
このページはこちらに移転しました 旧友 作詞/ものぐさ大臣 A)ある日電話がかかってきた 番号に見覚えがある それは何年も前の 友人の家の電話番号 B)子供の頃は メールを知らず 電話をするか 直接行くかの選択肢 S)電話の向こうは 懐かしき 友の声が聞こえたよ 大分声は変わったけど それでもアイツの声だと 自信を持って言えるよ A)ある日電話がかかってきた 番号に見覚えがある それは何年も前の 友人の家の電話番号 S)電話の向こうから 笑い声 友人たちが集まってる 大分声は変わったけど それでもアイツらと 自信を持って言えるよ C)今、暇かと聞かれ 答えたよ 「暇だそっちに行ってもいいか?」 笑いながら返って来たよ 「早く来いよ待ってるからな」
https://w.atwiki.jp/chaken_archives/pages/248.html
「くそーっ!一体どうしようってんだ!オレはバリカンの友達だぞ!」 第61話「バリカンの旧友が尋ねてきた」に出演。 研達の通う学校に突如現れて、帰宅途中の研に自らバリカンの古い友人だと称し、半ば強引な形で泉家に押し掛ける。 因みに正しくは「訪ねて」なのだが、「君は泉研君だろう?」「君んとこにバリカンってロボットいるだろ?」 と「尋ねて」いるので、ある意味間違いではない。 なぎさ先生や当の旧友に関する記憶のないバリカンを怒らせる程の馴れ馴れしい発言や厚かましい態度といい、 色々とうさん臭さ溢れる事この上ないのだが、泉家の面々は(パパを除いて)彼を本物の「バリカンの友人」と信じて疑わなかった。 恐らく頭身やアホっぽさ、どことなく発するウザさ等にバリカンとの共通点を見出したのであろう その後、バリカンが公園内で盗み聞きをした人間に扮するジュラル星人達の会話により、 旧友が実はジュラル星人の手下で、夜の7時に自爆する予定の「爆弾ロボット」である事が判明する。 しかし、真相を知り捕われたバリカンがキチパシーによって研に危険を知らせた為、ボルガ式解決法の餌食となり処理された。 因みに頭部のプロペラを使って飛行する事が可能だが、研に投棄された時には何故かその事を忘れている。 また、夕飯時に研が「(バリカンが帰ってくるまで)もう少し待とうよ」と言った際に物凄く悔しそうな表情を浮かべたが、 絵コンテの方でも(本編と同じシーンが描かれてはいるが)その件については触れられていない。 (※以下、編集者による個人的な解釈が含まれています) +... 旧友にとっての最大の不幸は、「バリカンの友人」という非常に回りくどい体裁を取り繕う為に バリカンが持つ「人間に近い感情」の回路をジュラル星人によって植えつけられた点であろう。 片や「人間の家族として暮らすロボット」。片や「殺人兵器として自爆する事を運命づけられたロボット」。 泉一家と(擬似的に)触れ合った事により、皮肉にも旧友は知らず知らずの内に自分とバリカンとの立場の違いを思い知らされる事となる。 そして研のバリカンに対するキチガイ気遣いにより、旧友は(「友人」と名乗っていながら)一言も会話を交わす事の なかったバリカンの存在を(嫉妬という形とは言え)初めて強く意識し始めたのである。 仮に旧友がこれまでにジュラル星人が産み出したロボット達や人形のジェーンの様に「ただ操られるだけの存在」であったならば、 自分の存在意義や確実に訪れる運命に不満を抱く事も、ましてや(同族である)他者を羨む事もなかった筈なのである。 この夕食時の一連のシーンは、スタッフが旧友の「兵器であるが故の悲哀」を描くつもりであった事の証左なのであろう。 …もっとも、ただ単に御馳走が食べられなくて悔やんでいただけなのかも知れないが。
https://w.atwiki.jp/matome3435/pages/1232.html
旧友旅行完結 Thu, 09 Nov 2006 13 36 12 GMT http //blog.livedoor.jp/hetaregimi/ ついに朝子さんとの旧友旅行日記完結したようです。 鉄さんみたいなsexしてくれる彼とお付き合いしていたら 旅行も楽しいでしょうねぇ。 前の日からドキドキワクワクしちゃって眠れそうにないかも。 明日から二泊で彼と二人で釣り旅行。 と言っても私は釣りはしないけれど。 ご存知の通り、鉄さんのような期待はできない彼なので、 sexのことは考えないように。 今月末私のお誕生日ですが、 プレゼントに物やお金はいらないから、 本当に気持ち良いsexしてほしいものです。 朝子さんとの旧友旅行みたいなsexしてくれたら 感動感激しちゃうだろうなぁ。 絶対ないけれど。 鉄さんみたいに機能の良い息子を持ち、 思いやりあるsexいいなぁ。 前の日記 次の日記 桜の欲求不満日記
https://w.atwiki.jp/preciousmemories/pages/7878.html
《旧友》 イベントカード 使用コスト0/発生コスト2/赤 [メイン/両方] 自分の捨て札置き場にある『咲-Saki-全国編』のキャラ3枚を任意の順番でデッキの下に移す。その後、カードを1枚引く。 咲-Saki-全国編で登場した赤色のイベントカード。 自分の捨て札置き場にある『咲-Saki-全国編』のカード3枚をデッキの下に回収し、1枚ドローする効果を持つ。 回収・デッキ操作・ドローを1枚で行えるカード。 ノーコストで発動できるため使いやすい。 カードイラストはこのカード同じサブタイトルの第13話「旧友」のワンシーン。 関連項目 カード名がサブタイトルと同じカード 《月読 鎖々美(017)》 収録 咲-Saki-全国編 01-113 編集
https://w.atwiki.jp/otomadstar/pages/811.html
▽タグ一覧 チャージマン研! プロペラ ロボット 爆発 音MAD素材 ニコニコで【バリカンの旧友】タグを検索する 概要 チャージマン研!第61話「バリカンの旧友が尋ねて来た」に登場したキャラクター。 研の通う学校に突如現れたロボット。生徒たちを茶化し、授業をあがったりにさせてしまう。その後、帰宅途中の研の前に現れ、研(チャージマン)が有名人である事と、バリカンの古くからの友人である事を示唆する発言をして泉家に連れて来られる。 なぎさ先生や当の旧友に関する記憶のないバリカンを怒らせる程の馴れ馴れしい発言や厚かましい態度といい、色々と胡散臭さ溢れる事この上ないのだが、泉家の面々は彼を本物の「バリカンの旧友」と信じて疑わなかった。 ジュラル「まさかあのロボットに時限爆弾が仕掛けてあるとは夢にも思うまい」 バリカン「エェー!?」 ジュラル「聞いたなコイツ!」 正体はジュラル星人の送り込んだ爆弾ロボット。しかし、捕われたバリカンがテレパシーによって研に危険を知らせた為、結局ボルガ式解決法によって始末されてしまう。
https://w.atwiki.jp/harukaze_lab/pages/331.html
旧友 徳田秋声 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)庄司《しやうじ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|緒《しよ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数) (例)※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)てん/\ 濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 庄司《しやうじ》はA―海岸《かいがん》に滞在《たいぎい》してゐるのを幸《さいは》ひ、同《おな》じ海岸線《かいがんせん》の西《にし》の方《はう》にあるK―市《し》にゐる、旧友《きういう》の木下《きのした》を訪《たづ》ねやうと思《おも》ひ立《た》つた。 庄司《しやうじ》はその時《とき》所用《しよよう》があつて久振《ひさしふり》でO―市《し》へ来《き》てゐたのであつたが、どこか落着《おちつ》いて仕事《しごと》の出来《でき》るやうな場所《ばしよ》をと思《おも》つたけれども、ちよつと適当《てきたう》らしい処《ところ》が見《み》つからなかつた。何処《どこ》も大《たい》した変《かは》りがないのであつたがいそして事実《じじつ》はどこでも好《よ》い訳《わけ》であつたが、さう云《い》ふことには甚《ひど》く不決断《ふけつだん》な彼《かれ》のことゝて、到頭《たうとう》兄《あに》の勧《すゝ》めに従《したが》つて兄《あに》の養子夫婦《やうしふうふ》の住《すま》つてゐるA―海岸《かいがん》へ、とにかく落着《おちつ》くことになつたのであつた。そこは六甲山《ろくかふさん》の下《した》の方《はう》で、少《すこ》し東《ひがし》へ寄《よ》つたところの山《やま》の上《うへ》に、近年《きんねん》開拓《かいたく》された××園《ゑん》といふ酒落《しや》れたところもあつた。庄司《しやうじ》は兄《あに》と一|緒《しよ》にそこへも行《い》つて見《み》たのであつたが、何《なん》だか寂《さび》しすぎて長《なが》くはゐられないやうな気《き》がした。そんな処《ところ》へ落着《おちつ》いて、澄《すま》してゐるのが、若《わか》い夫婦《ふうふ》に悪《わる》いやうにも感《かん》じられた。それに庄司《しやうじ》は、余《あま》り孤独《こどく》に成《な》り切《き》つてしまふと、又《また》それに馴《な》れてしまつて、何《な》にもしないで幾日《いくにち》でもぽかんとしてゐるやうな変《へん》な癖《くせ》があつた。 その家《いへ》の座敷《ざしき》の一つに、彼《かれ》はとにかく御輿《みこし》を据《す》ゑた。青葉《あをは》の頃《ころ》で、その海岸《かいがん》では月見草《つきみさう》などが生茂《おひしげ》つて、やがて花《はな》の咲《さ》く夕闇《ゆふやみ》の頃《ころ》の散歩《さんぽ》などが楽《たの》しまれるのであつたが、朝晩《あさばん》の山《やま》おろしは寒《さむ》かつた。荒《あら》い海風《うみかぜ》に草木《くさき》のそよぐ朝《あさ》などの爽《さわ》やかさが、彼《かれ》には殊《こと》に快適《くわいてき》であつた。 庄司《しやうじ》は一日二日を机《つくゑ》に向《むか》ひながら無駄《むだ》に過《すご》してゐたが、O―市《し》へ来《く》る度《たび》に思出《おもひだ》してゐながら訪《たづ》ねる機会《きくわい》の、なかつた木村《きむら》が、すぐ鼻《はな》の先《さ》きのK―市《し》の学校《がくかう》に勤《つと》めてゐて、夜《よ》は又《また》N―村《むら》の家《いへ》にゐることゝ思《おも》ふと、急《きふ》に逢《あ》つて見《み》たくなつた。 『これからちよつとK―にゐる友達《ともだち》を訪《たづ》ねてこようかと思《おも》ふんですがね。』庄司《しやうじ》は嫂《あによめ》の姪《めひ》にあたる主婦《しゆふ》の梅代《うめよ》に声《こゑ》かけた。彼《かれ》はその時《とき》漸《やつ》と仕事《しごと》に手《て》をつけかけてゐたが、ちよつと其《そ》の息苦《いきぐる》しい気分《きぶん》をそらしたいやうに思《おも》つて、遽《にはか》に思《おも》ひ立《た》つたのであつた。 『さうですか。此《こ》のあひだ言《い》つておいでの方《かた》ですな。』 『ちよつと厄介《やくかい》になつた男《をとこ》でね、もう十|幾年《いくねん》と逢《あ》ふ機会《きくわい》がなかつたのでね。』 『やつぱり先生《せんせい》ですか。』 『いや、事務《じむ》ですよ。尤《もつと》もF―さんが、あの学校《がくかう》にゐる間《あひだ》は、時々《とき/″\》様子《やうす》を聞《き》いたがね。』 F―は矢張《やはり》O―の親類《しんるゐ》の一人《ひとり》で、梅代《うめよ》には従兄《いとこ》にあたる青年《せいねん》であつた。F―が未《ま》だあの学校《がくかう》の生徒《せいと》であつた頃《ころ》、庄司《しやうじ》は木村《きむら》のことを聞《き》いてみた。 『あゝ、あの人《ひと》叔父《をぢ》さんの友人《いうじん》ですか。気《き》のさつぱりした好《よ》い人《ひと》ですぜ。あの人《ひと》近頃《ちかごろ》は大分《だいぶん》工合《ぐあひ》が好《よ》いやうです。』F―は言《い》つてゐた。 庄司《しやうじ》は東京《とうけう》を出《で》るときから、今度《こんど》こそは訪《たづ》ねようと思《おも》つて、少《すこ》し許《ばか》り土産物《みやげもの》も用意《ようい》して来《き》てゐたけれど、それは梅代《うめよ》の実家《じつか》の家《いへ》において来《き》た鞄《かばん》の中《なか》に仕舞《しま》つてあるので、気紛《きまぐ》れな彼《かれ》の今《いま》の思立《おもひたち》には間《ま》に合《あ》はなかつた。 『お早《は》やうお帰《かへ》り。』梅代《うめよ》はさう言《い》つて送出《おくりだ》した。 庄司《しやうじ》は東京《とうきやう》へ出《で》たとき、大分《だいぶん》木村《きむら》の世話《せわ》になつた。木村《きむら》の下宿《げしゆく》が足溜《あしたま》りであつたばかりでなく、庄司《しやうじ》の志《こゝろざ》してゐるものを何《ど》うにかして与《あた》へてやらうと苦心《くしん》した。そして庄司《しやうじ》はそつちこつちを転々《てん/\》した果《はて》に、木村《きむら》の親類《しんるゐ》の一人《ひとり》が経営《けいえい》を引受《ひきう》けることになつた、小規模《せうきば》の或《あ》る予備校《よびかう》に英語《えいご》の先生《せんせい》として紹介《せうかい》された。勿論《もちろん》その校主《かうしゆ》の家庭《かてい》に寄食《きしよく》して、書生《しよせい》として何《なに》かの事《こと》を足《た》す傍《かたは》ら、さう多《おほ》く教師《けうし》を傭《やと》ふ余裕《よゆう》のない、その予備校《よびかう》の英語《えいご》の或《あ》る部分《ぶぶん》を担当《たんたう》させられることになつたのであつたが、それだけでも庄司《しやうじ》に取《と》つては、ちよつと息《いき》がつげたのであつた。彼《かれ》は毎日《まいにち》一|時間《じかん》づゝリンカルンか誰《たれ》かの伝記《でんき》だつたと思ふが、ちよつと一|遍《へん》下読《したよ》みをしてから、教壇《けうだん》へ上《あが》つて行《ゆ》くのであつたが、ミーニングは彼《かれ》にも興味《きようみ》があつたので、おとなしい多勢《おほせい》の生徒《せいと》が目《め》を聳《そばた》てるくらゐ調子《てうし》づいて雄弁《ゆうべん》に弁《しやべ》つたものであつた。勿論《もちろん》何《ど》うせ長《なが》くそんな事《こと》はしてゐられる筈《はず》もなかつたし、本統《ほんとう》に教壇《けうだん》に立《た》つつもりなら、資格《しかく》も得《え》なければならないので、ほんの一|時《じ》凌《しの》ぎの足場《あしば》に過《す》ぎないのであつたが、生徒達《せいとたち》の目《め》には、異様《いやう》なこの年少《ねんせう》の先生《せんせい》が随分《ずゐぶん》調子《てうし》はづれに思《おも》はれたに違《ちが》ひなかつた。庄司《しやうじ》は学校《がくかう》にゐるとき、読書力《どくしよりよく》の余《あま》り豊《ゆた》かでない英語《えいご》の先生《せんせい》を、何《ど》うかすると窘《くる》しめるのが面白《おもしろ》くて、何《なに》かと意固地《いこぢ》に捻《ひね》くつたものだつたが、それに比《くら》べると此処《ここ》の生徒《せいと》は少《すこ》しも青年《せいねん》らしい元気《げんき》のないのが頼《たよ》りないやうな気《き》がした。最初《さいしよ》の日《ひ》、庄司《しやうじ》が高《たか》い調子《てうし》で直訳《ちよくやく》をやつてゐると、廊下《らうか》の方《はう》にふと人影《ひとかげ》が差《さ》したので、振向《ふりむ》いてみると目《め》のおそろしく光《ひか》る、色《いろ》の黒《くろ》い校主《かうしゆ》がそつと足音《あしおと》を忍《しの》んで、彼《かれ》の教授振《けうじゆふり》を聞《き》きに来《き》てゐることに気《き》がついた。 庄司《しやうじ》は又《また》月謝《げつしや》の催促状《さいそくじやう》を書《か》くくらゐの事務《じむ》も執《と》つたりしたが、今《いま》の校主《かうしゆ》が引受《ひきう》けることになつた時《とき》には、その学校《がくかう》の経営《けいえい》も大分《だいぶん》怪《あや》しくなつてゐるらしかつた。 庄司《しやうじ》はやがて生活《せいくわつ》の空虚《くうきよ》を感《かん》じて苛苛《いらいら》してゐた。校主《かうしゆ》の夫人《ふじん》は毎朝《まいあさ》俥《くるま》で一《ひと》つ橋《はし》の学校《がくかう》へ出《で》て行《い》つたが煉瓦造《れんぐわつく》りの其建物《そのたてもの》の中《なか》の幾箇《いくこ》かの部屋《へや》の一《ひと》つに前《まへ》の校主時代《かうしゆじだい》からの関係《くわんけい》か何《なに》かで、美《うつく》しい若《わか》い夫婦《ふうふ》が棲《す》まつてゐて、その男《をとこ》も毎朝《まいあさ》弁当《べんたう》をもつて、どこかへ通勤《つうきん》してゐた。官吏《くわんり》あがりの校主《かうしゆ》は、外《ほか》に何《なに》か仕事《しごと》をやつてゐるらしかつた。怠屈《たいくつ》な日《ひ》が二月もつゞいた果《は》て、庄司《しやうじ》は到頭《たうとう》或《あ》る大《おほ》きな出版屋《しゆつぱんや》に口《くち》を求《もと》めて、彼等《かれら》と別《わか》れることになつたのであつたが、何《なん》の当《あ》てもなしに盲目的《まうもくてき》に東京《とうきやう》へ出《で》て来《き》た庄司《しやうじ》が、そこまで取《と》りついて行《い》くまでには、善良《ぜんれう》で親切《しんせつ》な木村《きむら》の好意《かうい》が何《ど》のくらゐ役立《やくた》つたかしれないのであつた。木村《きむら》が弁護士《べんごし》の試験《しけん》を受《う》ける時分《じぶん》に、庄司《しやうじ》も少《すこ》しは彼《かれ》を助《たす》けることはできたけれど、木村《きむら》から受《う》けた好意《かうい》に比《くら》べると、それは物《もの》の数《かず》でもなかつた。木村《きむら》はしかし二|度目《どめ》か三|度目《どめ》に受《う》けた、その試験《しけん》も思《おも》はしく行《ゆ》かなかつた。それに段々《だん/\》年《とし》も取《と》つてゐて、間《ま》もなく細君《さいくん》を迎《むか》へたり、子供《こども》ができたりした。彼《かれ》は志望《しばう》を抛《なげう》つて、K―市《し》へ赴任《ふにん》することになつた。 『女房《にようばう》や子供《こども》があつては、もう迚《とて》も勉強《べんきやう》はできん。』木村《きむら》は言《い》つてゐた。 ちやうど其《そ》の時《とき》庄司《しやうじ》は大学《だいがく》にゐる友人《いうじん》が毎月《まいつき》の学資《がくし》にするつもりで、借家《しやくや》を建《た》てたところで、庄司《しやうじ》はその一|軒《けん》に入《はい》つて世帯《しよたい》をもつことになつたので、木村《きむら》は立《た》ちかけに其《そ》の世帯道具《しよたいだうぐ》を庄司《しやうじ》に譲《ゆづ》ることになつた。それは米櫃《こめひつ》とかお鉢《はち》とか茶棚《ちやたな》だとか云《い》ふやうなものであつたが、その中《なか》で赤《あか》い丼《どんぶり》などが今《いま》でも彼《かれ》の餉台《ちやぶだい》のうへに、時々《とき/″\》総菜《そうさい》などを盛《も》られて、懐《なつ》かしいその時分《じぶん》のことを思《おも》ひ出《だ》させるのであつた。 『これは木村《きむら》からのお譲《ゆづ》りものだ。』庄司《しやうじ》は時々《とき/″\》子供《こども》の前《まへ》なぞで言ひ出した。 『ずゐぶん古《ふる》いものですね。』庄司《しやうじ》の妻《つま》も苦笑《くせう》してゐたが、彼女《かのぢよ》には寧《むし》ろその家《いへ》の持主《もちぬし》であるところの、その頃《ころ》の大学生《だいがくせい》、今《いま》の羽振《ばふり》のいゝ××県知事《けんちじ》であるところの中野《なかの》のことが、余計《よけい》思出《おもひだ》されるのであつた。勿論《もちろん》彼女《かのぢよ》は木村《きむら》をよく知《し》らなかつた。七八|年前《ねんぜん》に彼《かれ》も一|度《ど》上京《じやうきやう》して、庄司《しやうじ》の妻《つま》も初《はじ》めて逢《あ》つたのであつたが、それきり前後《ぜんご》に交渉《かうせふ》もなかつたのであつた。 K―市《し》についた庄司《しやうじ》は、造船場《ざうせんぢやう》の煙突《えんとつ》から濛々《もう/\》と吐出《はきだ》される煤煙《ばいえん》の立迷《たちまよ》ふ坂《さか》をだら/\上《のぼ》つて、やがて木村《きむら》の勤《つと》めてゐる学校《がくかう》に彼《かれ》を訪問《はうもん》した。下駄《げた》を小使《こつかひ》にあづけて、長《なが》い廊下《らうか》を通《とほ》つて行《ゆ》くと、昔《むかし》東京《とうきやう》でも、同《おな》じ種類《しゆるゐ》の学校《がくかう》に事務《じむ》を執《と》つてゐた木村《きむら》を、何《なに》かと言《い》つては訪《たづ》ねて行《い》つた頃《ころ》の遣瀬《やるせ》ない気持《きもち》や光景《くわうけい》が、まざ/\彼《かれ》の目《め》に再現《さいげん》するのであつた。 事務所《じむしよ》へ入《はい》ると、直《す》ぐそこの窓《まど》のところの卓上《テーブル》の前《まへ》に、彼《かれ》は木村《きむら》を見出《みいだ》した。彼《かれ》はさう変《かは》つてゐなかつた。頭《あたま》も白《しろ》くはなつてゐなかつたが、しかし矢張《やは》り変《かは》つてゐた。 『やあ』と木村《きむら》は嬉《うれ》しさうに微笑《びせう》して、 『新聞《しんぶん》でこつちへ来《き》てゐることは知《し》つてゐたが、よく来《き》て呉《く》れました。いつも盛《さか》んで、家内《かさい》と噂《うはさ》して蔭《かげ》ながら悦《よろこ》んでゐるよ。』 『どうも御無沙汰《ごぶさた》ばかりで済《す》まないんです。しかし余《あま》り変《かは》りませんね。』庄司《しやうじ》はぢろ/\彼《かれ》を見《み》ながら言《い》つた。 『さう、自分《じぶん》ぢやさう変《かは》らんつもりだが、しかしもう年《とし》を取《と》つた。』 『A―海岸《かいがん》にゐるもんだから……何《ど》うせ今度《こんど》訪《たづ》ねるつもりだつたけれど、今日《けふ》急《きふ》に思《おも》ひついたので。』 木村《きむら》は机《つくゑ》の上《うへ》に散《ち》らかつた書類《しよるゐ》を片着《かたつ》けながら『ちよつと待《ま》つて下《くだ》さい。直《ぢ》き一|緒《しよ》に帰《かへ》るから。』 庄司《しやうじ》はそこにゐる木村《きむら》の同僚《どうれう》にも紹介《せうかい》されたが、するうち日本服《にほんふく》を着《き》た卒業生《そつげふせい》らしい青年《せいねん》が一人《ひとり》入《はい》つて来《き》て、昨年度《さくねんど》の遠洋航海《ゑんやうかうかい》の経費《けいひ》のことを取調《とりしら》べに来《き》たので、木村《きむら》は書棚《しよたな》の中《なか》から、帳簿《ちやうぼ》を取出《とりだ》して見《み》せながら、何彼《なにか》と説明《せつめい》してゐたが、その青年《せいねん》が出《で》て行《い》つて間《ま》もなく、可《か》なり汚《よご》れた制服姿《せいふくすがた》の、小躯《こがら》の生徒《せいと》が一人《ひとり》つかつか入《はい》つて来《き》て、庄司《しやうじ》の前《まへ》に立《た》つてお辞儀《じぎ》をした、ところで木村《きむら》はにつこり笑《わら》つて、 『これが長男《ちやうなん》だ。』と紹介《せうかい》した。 庄司《しやうじ》は幼《をさな》いをりの彼《かれ》を知《し》つてゐたが、それが今《いま》制服姿《せいふくすがた》で前《まへ》に現《あら》はれたので、 『あゝ、さうか』と云《い》ふ気《き》がして何《なん》となく安心《あんしん》させられたやうに感《かん》じた。 『成程《なるほど》、こんなになつてゐるんだね。』 『もう今年《ことし》卒業《そつげふ》でね。』木村《きむら》はまた嬉《う》れしさうに言《い》つた。 『さう、それぢや安心《あんしん》だ。』庄司《しやうじ》は答《こた》へた。 『家《いへ》へ帰《かへ》つたら、庄司《しやうじ》さんと一|緒《しよ》に帰《かへ》るから、何《なに》か、御馳走《ごちそう》もないが、少《すこ》し用意《ようい》しとくやうに。』木村《きむら》は子供《こども》に吩咐《いひつ》けた。 『いや、町《まち》で一|緒《しよ》に飯《めし》を食《く》ふつもりだから。』間《ま》もなく庄司《しやうじ》は木村《きむら》と一|緒《しよ》に校門《かうもん》を出《で》た。 『それぢや諏訪山《すはやま》へでも上《のぼ》つて見《み》ようか。そして帰《かへ》つて行《ゆ》けばちやうど可《い》い。』 二人《ふたり》は話《はな》しながら、海《うみ》に迫《せま》つた窮屈《きうくつ》な傾斜面《けいしやめん》に横長《よこなが》く発展《はつてん》された町《まち》を、上《うへ》へ上《うへ》へと歩《ある》いて行《い》つた。町《まち》はどこへ行《い》つてもからりとしてゐたけれど、淡《あは》い煤煙《ばいゑん》の匂《にほ》ひはどこまでもついてゐた。でも山手《やまて》の方《はう》は比較的《ひかくてき》澄《す》んでゐて落着《おちつ》きがあつた。石《いし》を敷詰《しきつ》めた坂《さか》を折曲《をれまが》つて上《のぼ》つて行《ゆ》くと、そこが諏訪山《すはやま》で、こちや/\した町《まち》と初夏《しよか》の長閑《のどか》な海《うみ》とが一目《ひとめ》に見下《みお》ろされた、木村《きむら》は尽頭《はづれ》にある四阿屋《あづまや》のベンチに腰《こし》かけて、あれが淡路島《あはぢしま》だとか、あすこが西《にし》の宮《みや》だとか言《い》つて説明《せつめい》したが、生活《せいくわつ》が懸離《かけはな》れすぎてゐるので、是《これ》といふ話《はなし》もなかつた。そして間《ま》もなくそこをおりると、又|静《しづ》かな高台《たかだい》の町《まち》を通《とほ》つて、下町《したまち》の方《はう》へおりて行《い》つた。 『こちらの牛肉《ぎうにく》でも食《た》べようかと思《おも》ふが、どこか好《い》い家《いへ》がありますか。』庄司《しやうじ》が言《い》ひ出《だ》したので、木村《きむら》は『それなら、さうしても可《い》い』と言《い》つて、やがて一|軒《けん》の牛肉屋《ぎうにくや》へ彼《かれ》を案内《あんない》した。 『こゝは生徒《せいと》たちの来《き》つけの家《いへ》でね、K―ではまあ好《い》い方《はう》だ。』木村《きむら》はちんまりした静《しづ》かな部屋《へや》に落着《おちつ》いたとき、さう言《い》つて食物《しよくもつ》を誂《あつら》へた。酒《さけ》も少《すこ》し取《と》つた。 子供《こども》の話《はなし》がとにかく二人《ふたり》の生活《せいくわつ》に共通《きようつう》であつたが、そこを出《で》て来《き》た頃《ころ》には、二人《ふたり》とも好《い》い加減《かげん》酔《ゑ》つてゐた。 庄司《しやうじ》はやがて湊川神社《みなとかはしんしや》などへ案内《あんない》された。そして其《そ》の前《まへ》で、煎餅《せんべい》などを買込《かひこ》んで阪神電車《はんしんでんしや》に乗《の》つた。 木村《きむら》の家《いへ》は酒《さけ》で知《し》られたN―町《ちやう》のはづれにあつた。こちや/\した町《まち》つゞきを通《とほ》りぬけると、やがてそこの郊外《かうぐわい》の住宅地《じうたくち》が開《ひら》けてゐて、K―市《し》の勤先《つとめさき》から帰《かへ》つてくる若《わか》い会社員《くわいしやゐん》などの洋服姿《やうふくすがた》が、ぞろ/\続《つゞ》いた。ちよつと体裁《ていさい》の好《い》い門《もん》の前《まへ》へ来《く》ると、木村《きむら》は『こゝだ』と言《い》つて庄司《しやうじ》を案内《あんない》した。昔《むか》しながらの素朴《そぼく》な細君《さいくん》が玄関《げんくわん》へ出《で》て来《き》た。 『これあ好《い》い家《いへ》だ。』庄司《しやうじ》はからりとした二階《にかい》の一|室《しつ》へ通《とほ》されたとき、廻《まは》り縁《えん》の手摺《てす》りにもたれて、四辺《あたり》を見廻《みま》はしながら言《い》つた。遠《とほ》いところを通《とほ》つて行《ゆ》く、明《あか》るい電車《でんしや》が見《み》えた。 『まあ日当《ひあた》りと空気《くうき》の流通《りうつう》だけは好《い》いんでね、夏《なつ》の晩《ばん》など、こゝに寝転《ねころ》んでゐると、暑《あつ》さ知《し》らずだ。』 庄司《しやうじ》はF―から、木村《きむら》が最近《さいきん》家《いへ》を建《た》てたことを聞《き》いたやうでもあつたが、それがさうだと思《おも》ふと、旧友《きういう》の生活《せいくわつ》も彼《かれ》が東京《とうきやう》にゐて気《き》にかけてゐたやうでもなかつた。 『それになか/\確《しつか》りしてもゐるし、間数《まかず》も多《おほ》い。よくこんな家《いへ》を建《た》てましたね。』 『いや、迚《とて》もさう金《かね》はなかつたのだが、何《ど》うにかかうにか皆《み》んなのお蔭《かげ》でね。もうこの年《とし》になつて、今更《いまさ》ら悶※[#「足へん+宛」、第3水準1-92-36]《もが》く気《き》もないのでこゝに墓穴《はかあな》を掘《ほ》つたやうなものさ。』 庄司《しやうじ》は勧《すゝ》められて、一《ひ》ト風呂《ふろ》入《はい》つてくると、そこにお膳《ぜん》が出《で》てゐて、細君《さいくん》が酒《さけ》をついでくれたりした。 『召食《めしあが》らないで入《いら》して下《くだ》されば可《よ》かつたんですのに。何《ど》うか何《な》にもございませんけれど、少《すこ》しでも箸《はし》をおつけ下《くだ》すつて。』 そして彼女《かのぢよ》はさも懐《なつ》かしさうに、子供達《こどもたち》のことなどを語《かた》り出《だ》すのであつた。八十ばかりになる、頭髪《とうはつ》の真白《まつしろ》な、彼女《かのぢよ》の父親《てゝおや》も出《で》て来《き》て、彼《かれ》と久闊《きうくわつ》を叙《じよ》した。 庄司《しやうじ》はしかし直《ぢき》に此《こ》の訪問《はうもん》の終《をは》りの来《き》たことを感《かん》じてやがて暇《いとま》を告《つ》げた。木村《きむら》は電車《でんしや》まで送《おく》つてくれた。庄司《しやうじ》は長《なが》いあひだ何《なに》かしら気《き》にかゝつてゐた木村《きむら》の生活《せいかつ》が、老後《ろうご》の彼《かれ》の安定《あんてい》のために用意《ようい》されてあることを知《し》つて安心《あんしん》と同時《どうじ》に、後《あと》を振顧《ふりかへ》ることをさへ許《ゆる》されないやうな自分《じぶん》の生活《せいかつ》のあはたゞしさを、今更《いまさら》のやうに思《おも》ひ返《かへ》した。 狂気《きちがひ》じみた響《ひゞ》きを立《た》てゝ、電車《でんしや》はひた走《はし》りに走《はし》つてゐた。[#地付き](大正13[#「13」は縦中横]年8月「週刊朝日」) 底本:「徳田秋聲全集第15巻」八木書店 1999(平成11)年3月18日初版発行 底本の親本:「週刊朝日」 1924(大正13)年8月 初出:「週刊朝日」 1924(大正13)年8月 入力:特定非営利活動法人はるかぜ
https://w.atwiki.jp/ressenrowa/pages/55.html
【名前】バリカンの旧友 【性別】なし。(口調や人格は男性) 【出典】チャージマン研! 【スタンス】泉研限定マーダー その名前の通りバリカンの旧友を名乗るが実際にはジュラル星人が泉家を皆殺しにするべく 送り込んだ時限爆弾搭載の兵器である。バリカンは「あたしゃ知りませんよ~」と言ったが 家族は全員「昔の知り合いだから忘れているかもよ」と、全く信用しなかった。 最期はジュラル星人に連れ去られたバリカンのテレパシーで正体が研にばれて 大海原に投棄されて役目を果たせず大爆発し、虚しく哀れな最期を遂げてしまった。 追跡表 011 侵略の大義 把握手段 アニメの「チャージマン研!」の63話
https://w.atwiki.jp/midsomer/pages/45.html
第30話 2004年 1月 4日 初O.A 原題 Bad Tidings 邦題 旧友の縁 舞台 ミッドサマーマロウ キーワード:同窓会
https://w.atwiki.jp/aion20memo/pages/194.html
旧友の遺品(反復30回) 遂行地域 インギスオン - 地下要塞の監視基地 適正レベル 取得 53 / 遂行 53 報酬 経験値 2,014,900古い黄色の袋(1)+ 追加報酬インギスオン ショルダーガードインギスオン レザー ショルダーガードインギスオン スポールダーインギスオン ポールドロン -30回完了時に1つ選択 関連クエスト --- 進行順序 1.NPCコロコタと会ってクエスト獲得2.崇拝者のフードと50,000ギーナを用意してコロコタに届けよ-崇拝者のフード(30)・・・地下要塞 戦闘兵、地下要塞 前哨兵、地下要塞 奇襲兵、地下要塞 警戒兵からドロップ-ギーナ(50,000)3.NPCコロコタと会ってクエスト完了 戻る
https://w.atwiki.jp/niconico3nd/pages/453.html
バリカンの旧友 ゴンさんに支給。 ジュラル星人が作ったロボット型の時限爆弾。 研を爆破しようとするも捨てられ、そのまま爆破した。